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2023/10/15

畔田翠山「水族志」 カネヒラ (エビスダイ)

(三〇)

カ子ヒラ 一名メブト【紀州若山】ギンダヒ【紀州日高郡薗浦】グソクイヲ【紀州網代浦】ヨロヒ【土佐浦戶】ヱビスイヲ[やぶちゃん注:「ヱ」はママ。]【勢州阿曾浦】ヨロヒイヲ【熊野九木浦】子ブト【備中玉島】サケクラヒ【紀州湯淺】キントキ【紀州田邊】

此魚圓長ノ二種アリ圓ナル者棘鬣ニ似テ短濶長者棘鬣ヨリ細長ニ

乄厚シ全身深紅色鱗粗大ニ乄端ニ刺アリ腹色淺ク眼赤色ニ乄大ナ

リ圓者ハ背鬣紅色ニ乄端ニ少シ深紅色アリ尾本紅色ニ乄深紅色腰

下鬣本紅色ニ乄末深紅色腹下翅本深紅色ニ乄末紅色長者尾鬣深紅

色ニ乄脇翅紅色腹下深紅色二種俱ニ唇决タリ紀州日高郡網代浦漁

人云文化年間熊野ニテ金ダヒヲ捕全身タヒニ似テ圓ク頭ヨリ足ニ

至テ三尺餘其鱗紅色ニ乄金ノ如シ刺アリ鱗ヲ去肉亦赤色煑食乄味

甚美也脂少シ其重サ十四貫目也

○やぶちゃんの書き下し文

かねひら 一名「めぶと」【紀州若山。】・「ぎんだひ」【紀州日高郡薗浦(そのうら)。】・「ぐそくいを」【紀州網代浦(あじろうら)。】・「よろひ」【土佐浦戶(うらど)。】・「ゑびすいを」[やぶちゃん注:「ゑ」はママ。]【勢州阿曾浦。】・「よろひいを」【熊野九木浦。】・「ねぶと」【備中玉島。】・「さけくらひ」【紀州湯淺】・「きんとき」【紀州田邊。】

此の魚、圓(まどか)〔と〕、長(ながき)〔と〕、二種、あり。圓(まどか)なる者、棘鬣(まだひ)に似て、短く濶(ひろ)く長き者、棘鬣より細長にして、厚し。全身、深紅色。鱗、粗大にして、端に刺(とげ)あり。腹、色、淺く、眼(まなこ)、赤色にして、大なり。圓〔き〕者は、背鬣、紅色にして、端に、少し、深紅色あり。尾〔の〕本(もと)、紅色にして、深紅色。腰下〔の〕鬣、本(もと)、紅色にして、末、深紅色。腹下〔の〕翅(ひれ)、本(もと)、深紅色にして、末、紅色。長き者、尾鬣、深紅色にして、脇翅(わきびれ)、紅色。腹〔の〕下、深紅色。二種、俱(とも)に、唇、决(けつ)たり。紀州日高郡網代浦〔の〕漁人、云はく、「文化年間、熊野にて、『金だひ』を捕〔れり〕。全身、『たひ』に似て、圓く、頭(かしら)より足に至(いたり)て、三尺餘。其の鱗、紅色にして、金のごとし。刺(とげ)あり。鱗を去〔り〕、肉、亦、赤色。煑〔て〕食して、味、甚だ美なり。脂(あぶら)、少し。其の重さ、十四貫目なり。」と。

[やぶちゃん注:底本のここ。さて、種同定であるが、国立国会図書館デジタルコレクションの宇井縫蔵氏の「紀州魚譜」(第三版・昭和七(一九三二)年刊)のこちらによって、

硬骨魚綱条鰭亜綱棘鰭上目キンメダイ目イットウダイ科アカマツカサ亜科エビスダイ属エビスダイ Ostichthys japonicus

であることが確定されており、私も問題ないと考える。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページによれば、棲息域は、本邦では、北海道函館市臼尻、青森県・新潟県糸魚川市親不知から九州西岸の日本海、及び、東シナ海、青森県から屋久島までの太平洋沿岸、瀬戸内海・小笠原諸島で(西太平洋の南日本が主か)、海外では、パラオ海嶺・済州島・上海・香港・小スンダ列島・オーストラリア北西岸・南東岸、アンダマン海で、一般に沿岸の百メートルよりも浅場に分布する。ぼうずコンニャク氏によれば、『北海道南部以南の浅場にいる魚だが、あまりまとまってとれない。たくさんとれず、珍魚とまではいかないが』、『珍しい部類の魚である』。『味はいいが、鱗などが硬く取り扱いにくいのが難点。だれでもが扱える魚ではない。硬すぎる鱗の内側には透明感のある白身があって、非常にうまい。知る人ぞ知る味のいい魚だ。種名が目出度いのもよい』とあり、和名については、『神奈川県三崎、志摩などでの呼び名。「夷(恵比寿)」は外国の人、もしくは奇異な姿をした人という意味もある。独特の姿からきた呼び名ではないかと考えている』。「日本西部及び南部魚類図譜(グラバー図譜)」にも載り、寺島良安の「和漢三才図会」の中『では』、『具足鯛(グソクダイ)、錦鯛が本種にあたると思う』とあり、一説に、『マダイと比べて頭部が大きく、尾鰭を持って逆さまにするとシルエットが恵比寿を思わせるため』か『?』とある。同種は三十センチメートル『前後になる。鯛型で体色が鮮やかに赤い。前鰓蓋骨には後方に向いた強い棘がない。鱗はザラザラして非常に硬く大きい。最終背鰭棘はひとつ前の棘よりも長い。両側の鼻骨間の溝は広いVの字状』を成すとあった。なお、私は「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚  寺島良安」では、「にしきだひ ぐそくうを 錦鯛 具足魚」をキンメダイ目キンメダイ亜目キンメダイ科キンメダイ Beryx splendens に同定しているが、確かに、エビスダイの可能性も高いように見えるので、今回の大改訂に合わせて、それも添えておいた。

「かねひら」同前の「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「地方名・市場名」で、『金平』とあり、地方を『和歌山県田辺・白崎・和深、辰ヶ浜』とされる。

「めぶと」眼球部が目立つので「目太」か。

「ぎんだひ」「紀州魚譜」では『ギンダイ』を和歌山県『御坊』(ごぼう:現在の御坊市:グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)の採取とする。

「紀州日高郡薗浦」現在の田辺市扇ヶ浜附近の旧地名のようである。北西にまさに「戎漁港」があるぞ!

「ぐそくいを」同前の「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「地方名・市場名」で、「グソイオ」「グゾイオ」「グソクイオ」(具足魚)とある。

「紀州網代浦」和歌山県由良町(ゆらちょう)網代

「よろひ」同前で「ヨロイ」(鹿児島)・「ヨロイデ」(鹿児島市志布志。「鎧鯛」の訛りとする)とある。

「土佐浦戶」高知県高知市浦戸

「勢州阿曾浦」三重県度会郡南伊勢町(みなみいせちょう)阿曽浦(あそうら)

「熊野九木浦」三重県尾鷲市九鬼町の湾。「ひなたGPSの戦前の地図を見ると、「北牟婁郡九鬼村」であるが、湾内の市街地名は「九木」であることが判る。所謂、旧「九鬼水軍」の本拠地である。

「ねぶと」先の「めぶと」の訛りか?

「備中玉島」岡山県倉敷市玉島地域。現在の玉島地区は江戸時代に干拓により築かれた玉島新田の大部分に相当する。

「さけくらひ」体色が赤いことから、「酒食らひ」であろうか。

「紀州湯淺」和歌山県有田郡湯浅町(ゆあさちょう)。

「きんとき」同前の「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「地方名・市場名」で、『金時』とし、採取地を『和歌山県田辺、高知県高知市御畳瀬・浦戸』とする。これは赤くてでっぷりとしていることから金太郎(坂田金時)由来であろう。

「圓、長、二種、あり」これは、恐らく、でっぷりタイプと、ややスマートなタイプ(相対的に長いかのように見える)の個体差を言っているのであろう。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種の画像の左端の個体(ふっくら系)と、左から三枚目の個体(見かけ平板系)を見比べて比較されたい。

「唇、决(けつ)たり」この「决」は「抉(えぐ)れて切れていること」の意。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種の画像の右から二番目の画像を見られたい。納得されるはずである。

「文化年間」一八〇四年から一八一八年まで。本「水族志」は文政一〇(一八二七)年に掛かれたものであるから、文政期には既に、今のように、滅多に釣れない魚種となっていたことが判る。なお、以下を総て、紀州日高郡網代浦の猟師からの聴書とした。それは、明らかに内容が一貫して、漁師のリアルな言葉らしいからである。そもそも、畔田は実は魚を好んでは食わなかったことが弟子によって証言されてあるのである。されば、こうした語りは、今までの叙述の中には、まず、見られないものだからである。]

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