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2023/10/19

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「くだ狐」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 くだ狐【くだぎつね】 〔甲子夜話巻十〕狐の種類にくだ狐と云ふ一種のもの有るを聞けり。この狐至つて小にして鼬の如しと。予<松浦静山>視んと欲すること久し。蘭山が『本草啓蒙』にも、吾邦この狐あるを挙げず。また『本草綱目』には、集解に「形似小黄狗而鼻尖尾大、全不ㇾ似ㇾ狸」如ㇾ此ありて前状とは違ふ。然ればこれもくだ狐には非ざるべし。且小黄狗とは何物か知らず。近頃浅草御蔵前<東京都台東区内>の道側に小獣を見せ者にす。その形狐に似て少く小狗の如し。鼻も尖りたるが、尾は大ならずして細く、後にさし揚げて、かの詩の綏々《すいすい》の貌はなし。予因てこれぞくだ狐ぞと思ひて人を遣り、就てこれを図せしむ。然る後日月を経て次第に大きくなる。その畜奴は狐児を育て立てたるなりと云ふと聞く。弥〻くだ狐に非ること知るベし。また善庵は狐の事に委し。その言にくだ狐は何とか云ふ霊山にて、修学の山伏へこれを授く。その場所は金峯山か大峯か、山伏の官位を出す処なり。この狐遠州三州<静岡・愛知>の辺、北方の山中に多く有り。但山伏に授くるは、この金峯大峯に限る歟と云ふ。また山伏の中にても、度々入峯して行法も達したる人ならでは猥に不ㇾ授。竹の筒に入れ、梵字などを書し、何か修法を為て与ふると云ふ。これをその儘持念して置くに、いつ迄も元の如くにて、後食餌を与ふることもなし。これは正道にて祈念するの修法と云ふ。またその人により竹筒より出し、食を与ふれば第一人の隠事を知り、心中のことをも悉く悟りて告るゆゑ、姦巫祈躊の験を顕す手寄とす。また人にとり付かするも随意なりと云ふ。これは邪道にて用ふる方術と云ふ。この狐筒より出しては、再び筒に入ること、尋常の行者には不ㇾ能と云ふ。狐使ひこの如くしては、食物等至つてむづかしく、上食を与へざれば用をなし難く、その上へ喰ふこと少なからずと云ふ。右は総て牝牡を筒に入れ与ふる故、出し用ふれば漸々子を生じて数増り、食養に窮るとなり。因て利の為に姦計に役使して、終にはその行者身を亡すに逮ぶとなり。さて狐使ひには狐よく馴るゝまゝに、常々狐出行けば、泥土にまみれ帰りて、そのまゝ行者の臥床にも這いり、臭汚言ふばかり無けれども、これを忍ばざれば狐働かず。因一度授かりては外へ放ちやることも能はず、終身付随ひゐると云ふ。若し或ひは外より懇望の人有りて譲り与ふること有るとも、その人の養方狐の意に協はざれば、再び元の主に立返り来るとなり。狐使ひ死亡すれば、その狐に主無くなりて、今も王子村<東京都北区内>のあたりには多く住めりと云ふ。総て人に付ては人力に依て事をなすゆゑ、その人亡すれば狐の力のみにては人に寄ること能はず。因て彼の辺に散在せりとなり。また飯田町<東京都千代田区内>堀留の町医伊藤尚貞(この人芸州の産にて伊藤氏に養子となり、乃ち善庵の門に学ぶ)より善庵委しく聞きたる。尚貞の言には、彼のくだ狐の付たるを度々療治せり。すべて人に付くには、始め手足の爪の端より入り、皮膚の間に在るゆゑ、先づ手足の指辺を縛して、それより体中所々その潜るところを追て、刺ても害なき所に追つめ、其所を切裂けば膚中より小丸の毛ある物現はる。(この所在を知るは其処必ず瘤の如く陰起すとなり) これ則ち狐の精気と覺ゆ。それよりかの家内を探り索むれば、必ず狐の死たる有り。多くは天井などの上に転僵してありとなり。尚貞その狐の皮を剝取り、二枚ほど貯へ置きしを善庵親しく見たりと。その皮の大を以て想ふに、その体鼬よりはやゝ大きく見ゆ。色黒くして鼬と斉しく、眼竪につきて諸天の額面の一目の如し。またくだ狐の人に付たるは如ㇾ前膚中に瘤の如く顕る。野狐はかくは無し。これ見分けの差別と云ふ。

[やぶちゃん注:以下の図とキャプションは、底本では本文の途中に挿入されおり、標題はややポイント落ち、本文は最小ポイントで、全体が半角下げあるが、ここに配し、本文と同じポイントで、引き上げておいた。図は、前者が宵曲の筆写、後者は所持する東洋文庫版の原画像で、宵曲のそれは野良犬にしか見えず、話にならないので、二種を掲げた。但し、前者は所持する「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)のものをOCRで読み込み、補正・清拭したものである。底本画像は使用許諾を必要とするためである。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

Syoukyokumosya

 

Okuramahemisemononozu

 

  御蔵前みせものゝ図

 児狐鼻の先より尾の末迄一尺九寸餘[やぶちゃん注:ママ。]、尾の長さばかり六寸五歩ほど、身高さ背の所八寸五歩ほど、腹の廻り九寸二歩ほど。

 この狐壬午の正月末に大坂の田舎より江戸に持来ると云ふ。牝にして前年極月生れなり。

 山中にて生じたるを雪中ならでは取り難しと云ふ。食は鰻を飯に入れ、うす味噌にて喰はするとなり。この七月頃にも成らば毛色も好く形も宜く可成と畜奴かたれり。

[やぶちゃん注:事前に念入りに注を附した正規表現版の「フライング単発 甲子夜話卷之十 37 くだ狐の事」を公開してあるので、参照されたい。]

〔秉穂録二ノ上〕遠州にて、くだ狐の人につく事あり。その人必ず、なまみそを食して、余物を飲食せず。鎌いたち<急に転んだときや、ちょっとした動きなどで打ちつけもしないのに、突然皮肉が裂けて切傷の生ずる現象>といふ物と的対なり。平野主膳語れり。

[やぶちゃん注:[やぶちゃん注:「秉穂録」現代仮名遣で「へいすいろく」と読む(「秉」はこれ自体が「一本の稲穂を取り持つ」ことを意味する)。雲霞堂老人、尾張藩に仕えた儒者岡田新川(しんせん)による考証随筆で、寛政一一(一七九九)年に成立。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻十(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正規表現で視認出来る(左ページ六行目から)。

「的対」上手く対句とすること。「管狐」と「鎌鼬」の名が対句表現に見えるだけで、妖怪或いは怪事での「対句」とは言えない。鎌鼬に就いては、「柴田宵曲 續妖異博物館 鎌鼬」及び「想山著聞奇集 卷の貮 鎌鼬の事」を見られたい。私は中学時代、如何にも現実として極めて怪しい擬似的鎌鼬の現場に遭遇したことがある。それは「耳嚢 巻之七 旋風怪の事」の注に詳しく書いた。]

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