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2023/10/29

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐妖」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狐妖【こよう】 〔無何有郷《むかいうきやう》〕堀之内在《ざい》に化物出るといふ事。青梅街道に阿佐ケ谷といふ村<東京都杉並区内>あり。(堀之内より廿一町あり)その名主を喜兵衛といふ。予<鈴木桃野>が叔氏酔雪翁の婦の姻家なり。その弟を弁蔵といふ。千住に居る大家のよし。末子直□□深川にあり。また大家といふ。この二人は皆予が知れる所なり。喜兵衛が別家といふ、柳固村の内に在り。虎ノ□といふよし。その家に妖恠《やうくわい》出て、四月下旬より八月に至る。なほ止まず。七月下旬、酔雪が末子弟次行きて見しよし。この日さしたることなく、梁上より銭一文を抛《なげう》つ。暫くあつて椽《えん》の下より竹竿を出《いだ》し振廻《ふりまは》す。これのみ。外《ほか》恠しきこともなかりしよし。その後八月に至りて消息を問ふに、なほ恠しきこと枚挙に遑《いとま》あらざるよし。言ひ伝ふ。予竹崖子を拉《らつ》して、朝早く出て彼家に至る。途中に四谷伝馬町<東京都新宿区内>ドウミヤウといふ薬種屋の、息子か若者かを伴ふ。阿佐ケ谷の入口なる水茶屋にて弁当を喰ひ、またその消息を問ふに、なほ太甚(はなはだ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])しきよし。八朔などは江戸の人々来り、大言《だいげん》に恠の物語をすると、その儘土砂を抛ち、あるひは恠をのゝしる者は、必ずその祟りに遇ふよしをいふ。こゝに於て薬種や恐るゝ甚し。予もまた謹心《きんしん》にしてゆく。先《まづ》名主の宅に至り案内を頼みさて凶宅に至る。そのうち六七町なり。まづ寒温より歳《とし》の豊凶など語り、小半時《こはんとき》[やぶちゃん注:三十分相当。]程にして何事もなし。予黙禱して曰く、云々(祭文《さいもん》別にあり)何の事なし。また黙禱して曰く、云々。少しく責《せむ》るところあり。また子細なし。また黙禱して少しく罵る。終《つひ》に子細なし。予そのなすなきを知る。やうやくして主人との談、恠のことにおよび、委細を尋ぬるに、江戸にて聞きし中《うち》の一《ひとつ》もなし。たまたま有ㇾ之といへども、塼瓦《せんぐわ》を打擲し、食を竊《ぬす》む位のことにすぎず。こゝに於て予等いよいよ以てなすに足らざることを知り、終《つひ》に大言罵詈《だいげんばり》いたらざる所なし。四つ半<午後九時>頃より八ツ<午前二時>頃まで居《をり》しが、何事もなし。興《きやう》索然として退《しりぞ》く。それより名主かたに趣き、一礼してまた青梅街道を淀橋通りヘ来り、十二社《じゆうにそう》にて憩ひ、内藤新宿通《とほ》り帰家す。この日実《じつ》に八月七日、大風雨の一日隔《へだて》て後なれば、残暑も大いに退き、遊行には甚だ美日にて有りけり。→御先狐。

[やぶちゃん注:「無何有郷」既出既注の「反古のうらがき」の作者で儒者であった鈴木桃野(とうや 寛政一二(一八〇〇)年~嘉永五(一八五二)年:幕府書物奉行鈴木白藤(はくとう)の子で、天保一〇(一八三九)年に昌平坂学問所教授となった)の随筆。原本に当たれない。「新日本古典文学大系」版にあるが、所持しない。悪しからず。但し、以下の最後の注を参照! 「□」は欠字。

「堀之内」現在の東京都杉並区堀ノ内。「阿佐ケ谷」「東京都杉並区内」は「廿一町」(二・二九〇キロメートル)離れているとあって、その北西に「南阿佐ヶ谷駅」が確認でき、距離もよく合う。

「柳固村」不詳。読みも不明。

「八朔」(はっさく)旧暦八月一日(朔日)のこと。重要な節日で、「八朔節供」「田実(たのみ)の節供」などと称され、稲の収穫を目前にしての豊作祈願や予祝に関したこと、及び、各種の贈答(贈物)が行われる。「八朔盆」と言って、盆月の終了を意味する伝承もある。西日本各地には「タホメ」「サクダノミ」などと称して、田に出でて、作柄を褒めてまわる予祝儀礼があり、稲の初穂を神に献じる「穂掛け」の儀礼をする所が全国に点々とある。香川県などの瀬戸内地方には「馬節供」と称して、新粉細工や張子の馬を男児誕生の家へ贈ったり、関東地方では「生姜節供」と言い、ショウガを持たせて、嫁に里帰りさせる所がある。これら贈答の習俗は上流文化の影響とも言うが、室町時代に盛行した「たのみ」「たのも」などと称した進物を贈答し合う風は、農村に基盤をもつ武家の風が取り入れられたものといわれ、農作を助け合った間柄で、神供としての「田実」、則ち、「初穂」などを贈り合ったことに源があるのではないかとされている。豊作祈願と風祭(かざまつり)を兼ねて、宮籠りをする所や、嫁の里帰りの日とする所もある。八朔を「昼寝」の終期、「夜なべ」の初日とする所が多いのは、これ以後が本格的な収穫期に入るからであろう(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

「塼瓦」土で出来た積み物(壁や塀等を作る)や屋根瓦。

「十二社」東京都新宿区西新宿四丁目(グーグル・マップ・データ)近辺の旧地名。

「御先狐」先行するそれの後半部、まさに同一の筆者の「反古のうらがき」巻一の内容と極めて酷似する(ほぼ相同と言ってよい)。しかも、この場所、池袋に近い。その注で私が述べた通り、この話、所謂、「天狗の石礫」に似た現象であり、家内で生じる怪事は、これ、家内の誰かが(多くは下女、それも未成年で未破瓜であるケースが多い。「池袋の女」「池尻の女」などの呼称で、近世末から近代まで流行った噂話・都市伝説で頓に有名である)人為的に起こしているもの、意識的詐欺と採れる。これに就いては、『柳田國男「池袋の石打と飛驒の牛蒡種」』で詳細に注しておいたので、是非、読まれたい。

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