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2023/10/09

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐の玉」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狐の玉【きつねのたま】 〔反古のうらがき巻一〕文化の季年に、狐の玉といふもの流行(はや)りて、人々宝の如くもてはやしける。その様《さま》、一握り計りの毛のかたまりにて、核《たね》とおぼしきもの、小豆より小なるもの有りて、白き毛または赤き毛すきなく生ひ出たり。如何様にも狐の玉ともいふべきものとて、稲荷の社などに備へ置けり。その後御目付羽太左京家来何某、伝通院《でんづゐん》たく蔵主稲荷《ざうすいなり》の前にて拾ひたりとて、全く稲荷の賜物なりなどいひはやし、籠を作りてその内におさめ、所々に持ち歩行(ある)きて、拝礼を乞ふものより、御初穂を取りけり。一日尾州公御長屋下何某より、持ち来りて拝ませ呉れよと言ひ越しければ、持《も》て行けり。拝礼一通り終りていふやうに、狐の玉拝礼の事いひ入るゝ事、その一事のみならず、吾々困窮して飢渇に及べり。君は狐の玉を得玉ひて、所々御大家より奉納の金銭多く得玉ひしよし聞及びたれば、その内少々恩借に預り度《たく》、さては申入れたるなり、この事聞済《ききすみ》玉へとて、せちに乞ひけり。何某あきれ果て、如何にもして遁れ去らんとするに、次の間には破れたる障子を立て、その内に荒くれたる大男ども、幾人ともなく有りてさゝやく様《さま》、否といはゞ如何なる事をかなさんも計りがたき有様なり。よりて辞すること能はず。今は持合せなし、家に帰りて後、望みの数ほど用立つべしといひて立ちければ、明日取りに人を遣はすべしと約して帰しけり。果して明《あく》る朝人来りければ、何某が子ども大いに怒り、使の者召取り置き、公けにも訴へんなどいひのゝしりしが、この使《つかひ》に来りしは日雇《ひやとひ》の者なり、また約せしことなれば取りに来《きた》るも是非なきことにて、敢てかたりの筋にもあらず、但し金子さへ渡さゞる前は、如何にも仕方ありとて返事して、約せしかども、金子出来申さずといひやりて帰しけり。これはその頃流行(はや)りけるテメ博奕《ばくち》といふことをする人の内にて、慾深くやま気《け》ある人を引入《ひきい》れ、劫《おびや》かして金子を借《かり》る法にてぞ有りける。数日《すじつ》の後、その人その外十人ばかり召取られ、御吟味事にぞなりけり。狐の玉を拾ひしといふ人も、愚かにして慾深く、婦人女子を欺き、少しづつの利徳せしより、かゝる危ふきめに合ひて幸ひに免れたり。悪徒は積悪にて召取られたり。人々玉の奇特《きどく》恐ろしなどいひけれども、その後人に聞きしは、右の玉は、皆兎の尾さき五六分ばかり皮ばかりにして、日に乾し堅むれば、内の方へ巻きこみて干《ほし》かたまる。その大きさ赤小豆程になりて、毛はよく外をつゝむ。猟師などの家にて作りおきしを、初めの程は珍らしとて、狐の玉などいひはやしたるなり。後は縁日などに出して売る。価ひ十文位になりけり。これも今は余り見ず。廿騎町秋山太平太、これもその頃護国寺山にて赤白二つ、一つになりてありしを拾ひたりとて、余<鈴木桃野>も見に行けり。神棚に上げてありけり。かゝれば稲荷の社、或ひは大寺の狐居る所などへ捨て置きて、人に拾はせ評判となして、何かやまをする心の者ありしと、後に思ひあヘりける。

[やぶちゃん注:「反古のうらがき」は複数回既出既注。私のブログ・カテゴリ「怪奇談集」で全篇を電子化注してあり、当該話は「反古のうらがき 卷之一 狐の玉」である。]

 〔譚海巻八〕江戸本所亀井戸<東京都江東区内>の名主、地面に住する大工某、ある夏の宵すゞみ居たるに、狐一疋出て歩行きたるが、何やらん狐手にてまろばしやれば、ばつと火もえ出る。よくうかがひみれば、火のもゆる所をとめて、地を照らし蟲[やぶちゃん注:本字はママ。]を拾ひて食ふ様子なり。怪しく思ひて、段々近よりたるに、狐は虫を拾ふ事に、人あるをも忘れて、いみさけず、度々まろばしきたりて、手元近くまろびきたるとき、大工あやまたずこれを摑みければ、狐はそれに驚ろきて逃げ失せたり。手にとりてよく見れば、白き玉なり。珍しく思ひて持帰りて秘蔵し、よるなど会集の席にて、人々帰るとき草履など尋ねけるに、この玉をとり出してまろばせば、例の如く火もえ出で、付木《つけぎ》をもちひず、あかりの用を弁じけり。いよいよ重宝して、三年ばかりこの玉を所持する間、狐一疋とかく大工につきそひて、昼夜離れず、何となく年へて大工瘦せおとろへ、人も見聞きて、この玉の祟りなるべしといひしかば、大工も詮なき事におもひて、やうやう玉をかへさばやとおもふ心付きけり。ある夜もの求むるとて、心より外にはるかに、玉を投げやりつれば、あやまたず狐をどりよりて、やがて玉をとりて逃げ失せたりとぞ。その後大工は事なくありと語りし。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之八 江戶本所の大工狐の玉を得たる事(フライング公開)」を正規表現で電子化注しておいた。]

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