明恵上人夢記 102
102
一、又、貴人數多(あまた)、之(これ)、在り。共の中に一人、冠を著けたる僧、若くして、其の衣服、直(なほ)しと云々。
予、
「大光王(だいくわうわう)にておはしますか。」
と曰ふ。
答へて曰はく、
「尓(しか)也。」
又、白(まを)して言はく、
「生々世々(しやうじやうせぜ)、値遇(ちぐ)し奉るべきか。」
答へて曰はく、
「疑ふべからず。必ず、値遇すべき也。」
其の余も、
『善知識也。』
と思ひて、適(たまたま)悅び、覺(さ)め了(をは)んぬ。
[やぶちゃん注:前回同様、クレジットはないが、日付のある「100」を承久二年七月三十日未明と私は指定した。そしてこの次に「同八月三」、「四日」と頭に記す夢があので、これも承久二(一二二〇)年七月三十日(同月は大の月)から八月三日までの閉区間が時制となる。
「大光王」「光明王佛」のことであろう。「観無量寿経」に説く、最も上方にある無相妙光明国の仏の名。
「値遇」縁あってめぐり逢うこと。 特に「仏縁あるものにめぐり逢う」こと。「ちぐう」と読んでもよい。
「生々世々」「しょうじょうせせ」とも読む。生まれ変わり、死に変わって、経るところの多くの世。転じて「未来永劫」の意。
「余」大光王以外の連衆。]
□やぶちゃん現代語訳
また、こんな夢を見た――
貴人が数多(あまた)、そこに、在られた。
供の中に、一人、冠(かんむり)を被られた僧がおられ、若くして、その衣服は、まさに正しきものであった、と……
……さて、そこで、私が、
「光明王仏さまにて、おわしますか?」
と尋ねる。
お答えになられて仰せられることには、
「そうである。」
と。
続けて、仰せられることには、
「生々世々(しょうじょうせぜ)――未来永劫――値遇(ちぐ)し奉ることが出来るか?」
と。
私が答えて申し上げる。
「疑うべからず。必ず、値遇致す所存で御座います。」
と。
光明王仏さまに従う他の連衆(れんじゅ)の方々も、
『これも善知識であられる!』
と思うて、考えるまでもなく、瞬時に、歓喜し――その瞬間――目覚め終わった。