譚海 卷之九 同市ケ谷外山婆々狐の事(フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。標題の「同」は江戸。たまたま、同じく「譚海 卷之九 房總の地狐釣の魚を取る事 / 江戶十萬坪の狐釣の魚を取る事(フライング公開二話)」の後者が直前話であったことによる「同」である。]
江戶市ケ谷尾州殿山屋敷の邊を外山(とやま)と號す。その近所に若松町と云(いふ)に、御旗組の同心十人あまりすめる所あり。
その或家の同心、娘を、人のもとにつかはす婚姻の約束、とゝのへて、やうやく、其事、いそぎものするにつけて、下女なども事たらねば、人にあつらへて、召抱(めしかかへ)などせんとせしに、あるつてに付(つき)て、老女、壹人、入來り、折から、手のほしきほどなれば、いふまゝに、確かにも聞きさだめず、まづ、かりそめに、とゞめ置(おき)たるに、此女、物ぬふ事よりはじめて、何事にも拙からず、殊にかひがひしくまかなひければ、
「よきものを得たり。」
とて、家の内、よろこびて、殊にきりもの[やぶちゃん注:「切り者」。何につけ才覺があること。]にて有(あり)ける。
其比(そのころ)、女の宿(しゆく)[やぶちゃん注:「女のもと居た在所」の意であろうか。以下、ちょっと、この「宿」という語は、引っかかる。]よりこしたる由にて、あざらけきうを[やぶちゃん注:新鮮な魚。]、又は、珍らしき美味のものなど、主人をはじめ、家内の者にいたるまで、すゝむる事、度々に及びぬ。
後は、
『あまりに、心得ぬ事。』
にも思へど、又、さのみ、あらためすべき事にもあらねば、まゐらするまゝに、上下(うへした)、打(うち)よりて、賞翫しける。
扨(さて)、婚姻のさだまり、
「此老女をも、ぐしてやるべき事。」
に沙汰し、よろづ、とゝのへはてて、其日に成(なり)て、只今、かごかき、入(いれ)て、娘を送りゆかんとする時に至(いたり)て、この老女、かくれて見えず。
「いづくへ行きぬるや。」
と、しばしば、手を分ちて尋(たづね)けれども、つひに、見えず。
やがて、其まゝに日數(ひかず)も、たち、月も、こえぬれど、消息、なし。
いづくのもの、いかなる宿といふ事も、たしかに聞き定めざれば、今更、求めんかたもなくてやみぬ。
やうやう、人々、あつまりて、思ひ定むるに、
「こゝに、『外山の原の婆々狐(ばばぎつね)』といへるよし、久しく、人の耳に聞き傳へたる事なり。大かた、かの狐のたぐひにあらずや。」
又、
「『おのが宿より、越(こし)たる。』よしにて、思ひがけぬくひものなど、たびたびに及びしも、いと、あやしき事なり。」
「かたがた、さるもののせし事にや。」
など、あざみて、いひ傳へぬ。
[やぶちゃん注:そもそも、この「外山の原の婆々狐」、何の目的で、ここに入り込んだのか。その目的が全く周囲の人間に認識感知されていない点こそが、実は最も不思議な部分であると言える。
最後の「あざみて」は、「あざむ」、元は「淺(あさ)む」で、近世以後は「あざむ」ともなった。ここは「意外なことに驚く・あきれかえる」の意。]
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