南方閑話 巨樹の翁の話(その「一五」) / 巨樹の翁の話~了
[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。猿二匹を草本の中に描いた白抜きの版画様イラスト。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。
これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行も入れることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされる読者には非常に不便だからである)。踊り字「〱」「〲」は私にはおぞましいものにしか見えない(私は六十六になる今まで、この記号を自分で書いたことは一度もない)ので正字化する。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本論考は全部で十六章からなるが、ちょっと疲れてきたので、分割して示す。
途中で、サイト版の「和漢三才圖會」の水族相当部の全大改訂を行ったため、中途のペンディングが一ヶ月に及び、読んで戴いている方には、御迷惑をおかけしました。まことに済みませんでした。]
一六
次の話は、東北印度のアツサム國に住むカーシ人、之を傳へ、翁の代りに虎が伐られた樹をつぎ合《あは》すとしたものだ。
ヂンギエイ山は、カーシ國で、最も高い山の一つで、其上に多くの村、有り。昔、此山の巓《いただき》に、大木、生えて、全世界を蔭にし、カ・ジンギエイと呼ばれるカーシ人等《ら》、「此木、有る間は、世界が闇で、作物、成らず。之を伐らば、世界。明るく、よくならう。」と議して、之を伐るに決した。それから、晝の間に、之を切つて、明朝、往き見ると、創が癒えて居《を》る。每日每日、斯《こ》の通りで、驚き入つた。「一體、どうした事。」と詮議の最中に、甚だ、小さい鳥(名はカ・フレイド)敎へて、「是は、每夜、木の根元へ、虎が來て、其創《きず》を舐《なめ》るから、創が癒えるのだ。」と云つた。そこで一同、終日、木を切つた上、斧や刀を持去《もちさ》らずに、其刄《やいば》を、外に向けて、創口に括《くく》り付けて去つた。例の通り、夜分に、虎、來つて、創口を舐めると、思ひ掛けなく、刄物で、其舌を、切つた。其から、虎は、來たらず、創口も、癒え合はず、「得たり、賢し。」と。伐りつゞけて、巨樹、終《つひ》に仆《たふ》れた。
扨《さて》、世界が明るくなれば、日月の光りも徹し、耕作自在となつた。其より、この山をウ・ルムヂンギケイ(ジンギエイ山)と名《なづ》けた。此木は、どうなつたか、誰《たれ》も知らぬ。切倒《きりたふ》された時、絕え果てたので、地上に、其種《たね》が、殘らなんだからだ(ガールドン中佐『ゼ・カーシス』一九一四年ロンドン板、一六四-一六六頁)。
熊楠、案ずるに、本邦の傳說にある葛の如く、件《くだん》の小鳥は、平素、虎に宿怨有つて、人に巨樹を伐る方を敎へたものであらう。其邊を、今のカーシ人は、忘れて、此話に逸《のこ》したらしい。
(大正十二年二月『土の鈴』一七輯)
[やぶちゃん注:最後の初出書誌は「選集」にあるものを添えた。なお、「選集」では、最後に編者注があり、『本篇の各節は『土の鈴』にそれぞれ次のような題で掲載されたものである』として、
『一、二節は同誌一三輯』に「巨樹の翁」
『三節は同誌同輯』に「大木の話」
『四――十四節は同誌一六輯』に「巨樹の翁および大木の話追加」
『十五、十六節は同誌一七輯』に「巨樹の翁の話追加」
として初出しているとある。但し、『「巨樹の翁の話追加」の冒頭部と最終部分は、四節末に移されている。』とある。]