柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「湖水の火」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
湖水の火【こすいのひ】 〔黒甜瑣語三編ノ二〕三十年ばかり以前、この湖水<八郎潟>に初夜[やぶちゃん注:午後八時頃。]過ぐる頃、寒火一点燃え出だせしが、浮むほどに荏苒(しだい)にふえて、湖上一面にゆられ流る。此火いづくより出ると思へば、西岸の辺《ほとり》に穴ありて、それより燃ゆるなり。これや筑紫のしらぬ火《ひ》か、赤井の流火とも云ふべき。暁方まで燃えて段々きえしが、その後かかる事なし。その穴は今にのこりて、温泉の口にして、湧き出づる湯にさはりし魚は爛れ死し、または畸魚(かたわうを)となりて網にかゝるもあり。この事天王村の農民親しく見て予<人見寧>に語りし。
[やぶちゃん注:「黒甜瑣語」「空木の人」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本(明治二九(一八九六)年版)のこちらで視認出来る。
「八郎潟」は直前の記事では『八龍潟』とある。八郎潟を、かく古く、かく呼んだという記載はないものの、例えば、当該ウィキには、『八郎潟の名称の由来としては、人から龍へと姿を変えられた八郎太郎という名の龍が、放浪の末に棲家として選んだという伝説が語り伝えられている』但し、『伝説においても、八郎太郎は後に田沢湖へ移り住み、今や八郎潟には滅多に戻らないとされている』とある。また、以上の直前にも配されたウィキの「三湖伝説」(青森県・岩手県・秋田県に跨ってある伝説。主に秋田県を中心として語り継がれており、民俗学で言うところの「異類婚姻譚」・「変身譚」・「『見るな』のタブー」の類型の一つである。各地に、この物語が残されているが、それぞれに細部は異なっている)のリンク先も読まれたい。
「荏苒」(音「ジンゼン」)は、本邦では、「なすことのないまま歳月が過ぎること・ものごとが延び延びになるさま」であるが、漢語の文言では、「時間が次第に移る」の意がある。
「筑紫のしらぬ火」九州の八代海や有明海に、夜半、点々と見られる怪火。参考にした小学館「日本国語大辞典」の「語誌」によれば、「日本書紀」の景行天皇十八年五月の条に、景行天皇が九州巡幸の際、航行中に日が暮れたが、火影に導かれて岸に着くことが出来た。しかし、火の主は、わからず、人の火ではないと考え、この地を「火國(ひのくに)」と呼ぶようになったとある(国立国会図書館デジタルコレクションの黒板勝美編・昭和六(一九三一)年岩波文庫刊「日本書紀 訓讀 中卷」の当該部をリンクさせておく。右ページ四行目以降)。なお、「肥の国」の地名伝説としては、肥前・肥後の「風土記」に「火が天から山に降った」とする地名由来譚もあるとし、『この不審火を「しらぬ火」と呼ぶようになった時期は明確ではないが、中世には一般化していたかと思われる』とある。
「赤井の流火」これは、福島県いわき市赤井字赤井獄にある東北地方の古刹である真言宗水晶山玉蔵院常福寺=閼伽井嶽薬師(あかいだけやくし:「赤井」とも書く。グーグル・マップ・データ)の龍燈のことであろう。サイト「電話占いリノア」の『【福島県のパワースポット】閼伽井嶽薬師 常福寺|いわき市』に、『江戸時代、閼伽井薬師は龍燈が現れるスポットして、多くの人が足を運んだ記録が残っています』。『龍燈とは龍神の住処といわれる海や河川に現れる怪火で、古くから神聖なものとされてきました』。『閼伽井薬師の龍燈は、麓の村の娘を娶った龍神が、閼伽井薬師の薬師如来へ捧げたものと伝わっています』。『駐車場から少し降りると』、『竹林があり、かつては』、『そのさらに奥、龍燈杉と呼ばれる杉の傍に龍燈が現れては、本堂まで登る様子が見られたそうです』とある。なお、「龍燈」に就いては、私の南方熊楠「龍燈に就て」(「南方隨筆」底本正規表現版・全オリジナル注附・一括縦書ルビ化PDF版・2.9MB・51頁)を見られたい。
「温泉」現在の八郎潟には、ここに複数あるが、当時の「西岸」となると、現在の干拓地内にある「ポルダー潟の湯」(「ポルダー」は「干拓地」の意)が近いか。この現在の温泉は八郎潟から湧き出ると明記されてあるから、第一候補とした。或いは、北の西岸に「砂丘温泉ゆめろん」もあり、これも有力候補となろうか。但し、本篇の後で、「湧き出づる湯にさはりし魚は爛れ死し、または畸魚(かたわうを)となりて網にかゝるもあり」というのは、解せない。現在の温泉は孰れも、魚を爛れさせ、奇形を生じさせるものではないからである。火山帯の由来の硫黄泉ではなく、前者は公式サイトによれば、五百『年前の海水と腐植質からなるモール温泉で』、『「モール(Moor)」とは、ドイツ語で「腐植質」。地下深くに堆積した植物の有機物を多く含む泉質を言』うとあり、後者は「八竜砂丘温泉」で、ナトリウム塩化物強塩泉である。
「天王村」現在の八郎潟南端の秋田県天王市の旧天王村。「ひなたGPS」のここで、八郎潟の南端砂州に「天王村」を確認でき、おぞましい大干拓が行われる前の戦前の八郎潟も視認出来る。
「人見寧」作者人見蕉雨の本名。別に藤寧とも。]
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