柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「穀物降る」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
穀物降る【こくもつふる】 〔塩尻巻十〕乙酉<宝永二年>季夏《きか》勢・尾・三・遠の諸国、大豆ふりしとて人多く拾ふ。これ楠樹《くすのき》の実にして、奇異の物にしもあらねど、人心怪を好むよりふと云ひ伝へて、霊威のやうにいふもまたあやし。府下有司評定の館庭に古楠樹あり。かの降りたりしといふ実多くむすびて、風に随ひ落ち侍る。その他所々この木多き故、かなたこなたにて拾ひ侍る。あるは鳥なんどの喰《くらひ》て、その糞にやありけん、思ひの外なる所にもあり。また麦も降りしといふ。打見れば麰《おほむぎ》のごとくにして、少し大きめなり。これも木実《このみ》なり。米といへるは桜の実の類にして、いづれも常に有るものなれども、人々心をとゞめてみざる故、ことし始めてある様にはいひのゝしり侍る。七月四日市井の吏、妖怪の言を禁(いま)しめ侍る、いとよし。天五穀を降《ふら》せし事、『天文大成』にのせしもかかる類なるべし。我国明暦三年に、信州木曾赤小豆降りしとて所の者みせけるよし、老人語られし。これも如何なる木実にてか侍らん。また七月三四日の頃、毛降りしとて、白き毛いと長きを拾ふ事あり。これはむかしより大雷の後は有る事にや。天豈《あに》百穀異物を降さんや。地気のぼりて雲となり、雲和して雨雪となりて降る。この外何をか雨ふらさん。あなかしこ俗に流るゝ事なかれ。
[やぶちゃん注:「塩尻」「鼬の火柱」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの「隨筆 塩尻」上巻(室松岩雄校・明治四〇(一九〇七)年帝國書院刊)のここ(左ページ下段後方)で正字で視認出来る。
「乙酉」「宝永二年」一七〇五年。
「季夏」陰暦六月。
「天文大成」黄鼎著。一六五二年刊。天文曆算書。
「明暦三年」一六五七年。]
« 柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「古鏡」 | トップページ | 柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「古樹の怪」 »