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2023/10/23

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「洪水と怪女」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

     

 

 洪水と怪女【こうずいとかいじょ】 〔笈埃随筆巻二〕]安永七年七月三日、京都に未曾有の洪水あり。山々水溢れ谷崩れ、洛中堀川小川はいふに及ばず。また西陣大宮通の上なる水門吹き出し、町々の地下にも水湧き出し、橋倒れ家流れ、溺死する者多し。上世は鴨川洪水の防禦使有りしと聞ゆれど、かくの如く市中の人家漂流はなかりき。然るに七月朔日昼頃、一乗寺村天王社の拝殿に、百姓六七人昼の休息に暑を避けんとて行き見れば、見馴れざる女の年頃二十四五歳ばかり、容儀も賤しからず。されど木綿の単(ひとへ)を著し、手拭を以て髪を包みたり。若き者どもたはむれに何方の人と問へば、この辺の者なりとこたへて拝殿の絵馬を見廻り、独り言にいふやう、病苦平意の所願に絵馬奉るは有るべき事ならんに、諸願成就の為と書きたるは、拙き人欲のいたりなり、愚なるかなといひつゝ笑ひ笑ひ出行くにぞ、若者どもまた問うて云ふ。若き女中只独り、連れにても待てるにや、また何処へ行く人かなとなぶりて、おのおの口々に問ふ。女答へて連れとてはなし、これより上の村へ行くなりと答へて、出《いで》さまに頭の手拭をとり振返りたるを見れば、さもあてやかなる艶顔にも似ず、頭の髪すべて真白にして束ねたり。その美しき顔いよいよ物凄し。おのおのこれはと驚きける中に、村はづれへ走り、余り怪しきに行先見届けんと、二三人跡より走り行き見れども、かいくれ行方見えず、みなみな不審ながら野働きに行きぬ。然るにこの女、上の村の庄屋喜内といふ人の家に行き、切戸口より座敷に通り、床の間に坐し居たり。勝手にはかくともしらず、折ふし喜内は留守にて女ばかり有りしが、不図《ふと》座敷へ行きてこれを見つけ、狂女の様子なるものありと、家内立騒ぎ一同に行き見るに、彼女少しも騒がぬ体《てい》なれば、いかなる者ぞと問ふに、只この辺の者なり、亭主は留守なりやといふ。成《なる》ほど用有りて京に出《いで》られたり、さるにても案内もなく見馴れぬ者の人の座敷へ上り、亭主に何用有りやとなじり問ふに、答へずして、さらば留守ならば帰るべし、用は一言申置かん、今日中この処を立退かれよ、さあらざらんに於ては大難あるべし、我もこの辺に住みがたければ、外へ立退くなりとて、頓《やが》て立《たち》て猶も上《かみ》の方へ走り行けり。家内のもの怪しむあり。また気違ひ女なりと嘲るもありけり。夜に及ぶころ喜内も帰り、この事を聞きながら心決せず、たゞ不審におもひ居《をり》けるに、暮過ぎより雨頻りにして止まず。次第に大雨車軸を流すがごとく、山より地より水涌き出て家々をたゞよはす。先づ喜内の家一番にうち崩れぬ。その外隣村家々数多《あまた》破壊す。さてはと後日思ひ合せたる計りにて詮なし。いかなる者とおもふに知れざりけり。一説には、年来住みける大蛇の、この変を察して住居を替へたるなるべしと云ひけり。誠にこの年の水はいかなる事にや。町々の地下より夥しく涌き出たり。予も所々にて見たり。実《げ》にや狐死するに丘に枕すとは、その本《もと》を忘れざるなり。この怪女も久しく当辺に住みければ、その急難を避けしめて、俱(とも)に立退かすべきにや。恩に報ずと云ふべし。この後叡峰の東方横川《よかは》の方に、弁財天を祭れる社有り。その社前自然に水吹き出て、その跡淵となりて底も知れずといへり。旁〻《かたがた》附会ながら牽合ともいふべし。

[やぶちゃん注:「笈埃随筆」の著者百井塘雨と当該書については、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』その冒頭注を参照されたい。以上の本文は、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧二期卷六・日昭和三(一九二八)年日本隨筆大成刊行会刊)所収の同作の当該部で正規表現で視認出来る。標題は「○洪水怪」である。

「安永七年七月三日」グレゴリオ暦一七七八年七月二十六日。

「京都に未曾有の洪水あり」信頼出来る水害史の論文中に、同年七月一日と二日、大雷雨が続き、内裏をはじめとして多くの建物が壊れ、山、崩れ、家、潰れて、人馬の溺死は六百件に及んだとある。

「一乗寺村天王社」サイト 「フィールドミュージアム京都」の「八大天王社宮跡」であろう(地図あり)。]

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