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2023/10/07

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐に化けた老剣士」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狐に化けた老剣士【きつねにばけたろうけんし】 〔思出草紙巻二〕宝暦末年[やぶちゃん注:宝暦一四(一七六四)年。徳川家治の治世。]の頃、江戸四ツ谷新宿<東京都新宿区内>のほとりに、岩田郷祖軒といへる老士、剣術指南なし住居せり。その術にはいたれりといへども、生得文盲にして高慢つよく、人愛のなき者なれば、贔屓(ひいき)薄くして人の用ひ少なく、門弟も多からず、豊かならで世を送れり。或とき用事有りて本所辺へ至りて戻れる道に、柳原の床見世《とこみせ》にて、狐の尾有りしを見て、老人の事なれば、寒気を凌ぐ襟巻には畢竟のものなりとて買取り、たもとに入れ筋違橋まで来りしが、老足の労れにて帰家にものうく、幸ひ辻にたてるかごを雇ひて打乗り、戻れる頃は早黄昏なり。さるにもてかごの内にて心よく眠りながら立戻るに、市ケ谷田町<東京都新宿区内>を過ぎて午小屋《うまごや》といへる辺にて、跡に駕籠かく男が、先にたてる者にひそかなる声にて、それ見よといふに、先棒の男ふりかへり見るやうすにて、成程と言ひながら行き過るを、不斗目覚めて何をか言ふやと思ひ、郷祖軒かんがへみるに、最前途中にて調へし狐の尾、たもとに入れ置きしが、袖口より出て、かごのたれより半ばさがりたるを見て、狐の化けたると恐るゝ体(てい)に違ひなしと察して、頻りに右の尾を動かし、或ひは引入れ、またはさげなどする度《たび》に、かご舁《かき》はつぶやきて恐るゝ体なりしが、たまり兼ねてかご舁どもいひけるは、我らは遠方の者どもなり、夜にいりては難儀なる間、只今何卒おりてたべ、賃銭はいかほども思し召し次第に給はらん、何分おり下さるべし。郷祖軒がいはく、汝らもつともなれども、我住居は先にやくそくせし新宿のわき三光院稲荷の片はらなり、今少しの道なり、はやく参るべし、両人これを聞き、なほさら気味あしく思ひて、ひたすら爰にて暇《いとま》を願ふなりと嘆きわびるにぞ、郷祖軒がいはく、汝ら左程に夜にいるをいとはゞ、これより歩行せんとて、駕をおりて後に、両人に向つて曰く、定めの賃銭三百銅なれば、遣はさん事は安し、さりながら汝達が実義ある心をしれるに依て、それよりよきあたへを取らせんとて、兼ねて駕籠の中にて拵へ置きし、十二銅包み二ツ取出していはく、この鳥目はわづかに十二銅なりといへども、入用の節は一銭を残して、残りをその用に当てなば、一夜の内にまた十二銭の元の如くふえて、いつまでもたえずして泉の如くなるべし。随分と信心せよ、日あらずして富貴になし遣はさんとて、一包みづつ渡し、狐めかして口早に述べけるにぞ、かの両夫は大地に平伏して有難しと押いたゞき、尊敬して三拝なし、かご振りかたげて足早に立戻れり。郷祖軒はひとり笑ひして家路に立帰り、家内近隣の心安きものにも、この始終物語り、狐と思ひ恐れしに附込み、その虚に乗じて両人を偽り欺き、廿四銅の賃にて下直なる駕籠にのるといひ、君の如くに尊敬せられしは、近頃の珍説なりとて、大きに笑ひ興じて歓びしが、その翌日より郷祖軒、俄かに物狂はしくなり、大音に罵りけるは、その方常々仁の心薄く、非義非道なる心から、僅かの代を以て、妻子をはごくみ世渡る業のあるが中にも、かの駕龍舁ほど世にまづしく、その辛労片時も易き事なし。こゝろあらんものは定めの賃銭の外にも、さこそ骨折ならん、酒吞などと余分の代をもめぐみ与ふべき所に、己れは渠《かれ》らが狐なりとて恐るゝその虚に乗じて、偽り欺きぬる心底、不仁不義非道のこの上なし、人間ならぬ我らさへもこの理《ことわり》を弁《わきま》へぬるに、己れちくせうめ、情けもなき振舞なり、思ひしれとさけびつゝ狂ひ過《すぐ》るを、必定きつねの取付きたるべし。人々大きにおどろき祈禱なせしに、露しるしもなく、後にはうつけたるものとなりて、只生きたりといふ計《ばか》りにて、年久しくながらへ、類族に見限られ死しけるとぞ。

[やぶちゃん注:「思出草紙」「古今雜談思出草紙」が正式名で、牛込に住む栗原東随舎(詳細事績不詳)の古今の諸国奇談珍説を記したもの。『○狐に贋《だまされ》て欺き、きつねの爲に死する事』がそれ。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで正規表現で視認出来る。

「柳原」東京都千代田区を流れる神田川の南岸、万世橋から浅草橋までの「柳原土手」のこと。 また、その付近一帯の呼称で、 江戸時代は古着・古道具の露店風の店が並び、夜鷹も多くいた。柳の木が植えられていたところからの呼称。現在も「柳原通り」の名が通り名として残る(グーグル・マップ・データ)。

「床店」商品を売るだけで、人の住まない店。また、可動式の小さい出店(でみせ)。屋台店。

「筋違橋」現在の現在の昌平橋の約五十メートル下流、万世橋の二百メートル上流に位置していた橋。すぐ南に筋違見附があり、橋はその見附の附属物であった。この附近(グーグル・マップ・データ)。

「市ケ谷田町」現在の東京都新宿区市谷田町(いちがやたまち:グーグル・マップ・データ)。

「午小屋」不詳。

「三光院稲荷」現在の東京都新宿区新宿にある花園神社(グーグル・マップ・データ)。江戸時代は「稲荷神社」「三光院稲荷」「四谷追分稲荷」と呼ばれていた。]

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