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2023/10/26

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「古銭と蛇」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 古銭と蛇【こせんとへび】 〔道聴塗説十編〕松山[やぶちゃん注:「松前」の誤字か誤植。]領江指《えさし》の近郷アヒノマといふ村の百姓三之助が母、質朴慈善の人にて、綽名してオカツテ婆々といふ。この母オカツテ村より嫁し来れる故なり。また三之助が妻ヨスといふも、また朴素寡慾のものなり。文政六年六月、件《くだん》のヨス畑を打たんとて、独り田野に出たるに、土手の下にて古銭を掘出したり。いくらも出づべかりしを、無慾なれば、我今日この銭の為に来るにあらず、𨻶(ひま)取りて畑の稼ぎを疎(おろそ)かにすべきやとて、三貰文ばかり簣《もつこ/あじか》[やぶちゃん注:前者は土砂を運ぶための籠。後者は竹などで編んだ籠や笊。]に打入れて宿へ帰り来るに、小さき蛇跡より附き来《きた》る。見かへり見かへり家に入りたれば、はや蛇は見えずなりぬ。かくて黄昏に、三之助外より帰りてこの事を聞て、その銭いかにせしやと問ふ。桶に入れて蓋して置きたりといふ。いでや見んとてそこに行きて見るに、桶の上に小さき蛇蟠《わだかま》りて居たり。三之助これを打殺し背門(せど)ヘ捨てけり。さて翌日三之助その妻を引具し、いくらも出づべき銭あらんに、その限り掘るべしとて、力を尽し掘りけれども一銭もなく、手を空しくして帰りぬ。件の三貫は得がたき古銭なりとて、江指の人価《あたひ》よく買取りたりといふ。村民の評に、三貫の古銭は、ヨスが貞実と婆々が慈善との陽報なるべし。若しヨスにのみ任せ置きなば、銭はなほ日々に出づべきを、三之肋が貪慾の心にて、霊蛇を打殺し、出づべき銭も出ずなりぬ。惜しむべしと申合ひぬ。

[やぶちゃん注:「道聴塗説」(だいちやう(別に「だいてい」とも読む)とせつ)一般名詞では「道聴途説」とも書く。「論語」の「陽貨」篇の「子曰、道聽而塗說、德之棄也。」(子曰はく、「道に聽きて塗(みち)に說(と)くは、德を之れ棄つるなり。」と。)による語で、路上で他人から聞いたことを、すぐにその道でまた第三者に話す意で、「他人からよい話を聞いても、それを心にとどめて、しっかりと自分のものとせぬままに、すぐ、他に受けうりすること」で、転じて、「いいかげんな世間のうわさばなし・ききかじりの話」を指す。この書は、越前鯖江藩士で儒者であった大郷信斎(おおごうしんさい 明和九(一七七二)年~天保一五(一八四四)年:当初は芥川思堂に、後、昌平黌で林述斎に学んだ。述斎が麻布に創った学問所「城南読書楼」の教授となった。文化一〇(一八一三)年には、藩が江戸に創設した「稽古所」(後に「惜陰堂」と名のった)でも教えた。名は良則。著作に「心学臆見論」などがある。国立国会図書館デジタルコレクションの『鼠璞十種』第二(大正五(一九一六)年国書刊行会)のこちらで正規表現で視認出来る。標題は『松前領掘ㇾ錢』。

「松」前「領江指の近郷アヒノマといふ村」現在の北海道江差町はここ(グーグル・マップ・データ)だが、「アヒノマ」は不詳。]

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