フライング単発 甲子夜話卷續篇之卷十 7 狐惑話【二条】
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。カタカナの読みは珍しい静山のルビである。]
10―7
豐川勾當(こうたう)、例年の事にて、この冬も亦、天祥寺に招(まねき)て平家をかたらせける間、彼是(かれこれ)の話中に、
――過(すぎ)し年、用事ありて外出せし歸路に、和田倉御門を入り、櫻田の方へ行く心得にて、常の如く、手引の者と行(ゆき)しが、思はず、草生ひ茂りたる廣野に到りぬ。心中に、
『こゝは、御郭中なるに、かゝる曠原あるべくも非ず。』
と、手引に、
「いづくぞ。」
と聞けば、手引も思はず、
「野原に行きかゝりたり。」
と答ふ。
勾當、是にて、心づき、
「これは、狐の所爲ならん。されど、畜生の、いかでか、人を迷はさんや。」
と獨言(ひとりごと)云ひつゝ行(ゆく)ほどに、擊柝して、時廻りする音の、甚だ、近く聞えければ、
『さればよ。』
と曉(さと)り、手引に、
「こゝは、御郭内なるぞ。心を鎭めよ。」
と云へば、手引き、始(はじめ)て、心づき、
「やはり、馬場先内にて、未だ、外櫻田をば、出ざる所にて在りけり。僅(わづか)の間に、狐の迷はしけるにや。」
と――[やぶちゃん注:ここで底本も改行している。]
その時、座中の人の話に、
「昔、山里に住(すめ)る樵(きこり)の、夫婦して業(なりはひ)を爲せしが、夫(をつと)は片目にてぞ、ありける。婦(つま)、或時、夫の、山より、薪を負ひて還るを見るに、右、片目なるに、今日(ケフ)は、左、片目なりければ、
『怪し。』
と思ひ、折節、有合(ありあひ)の酒を飮(のま)せて强(しひ)ければ、遂に、醉眠に及(および)しを、婦、繩にて、柱にくゝりしが、丁度、夫も歸り來て、
「何さま、これは、化物ならん。」
と、罵り責めければ、忽ち、古狸となりしを、夫婦して、打殺(うちころ)せしとぞ。畜類の悲しさに、『片目』とのみ思(おもひ)て、左右の辯別、なかりしは、可レ咲(をかし)きことにぞ。
■やぶちゃんの呟き
「豐川勾當」調べたところ、先行する「甲子夜話卷之六十一」の4話(私は未電子化)の冒頭で、『豐川勾當は今都下「平家」の宗匠なり』とあり、「平曲」を語る『盲人』であることが判った。この当該篇は、百合の若氏のサイト「甲子夜話のお稽古」の「巻之61 〔4〕 目が見えない人が愛でる花の境地」で現代語訳を見ることが出来る。因みに、「勾當」はこの場合は、盲人の官名の一つで、検校・別当の下位、座頭の上位に当たる下位である。なお、鈴木まどか(平曲研究所)氏のブログ「平曲研究所のブログ」の「清川勾当に関する推測」にも、彼に就いての言及があるので、参照されたい。
「和田倉御門を入り、櫻田の方へ行く心得」グーグル・マップ・データで、右上に「江戸城和田倉門跡」をドットし、左下に「桜田門」を配しておいた。江戸時代の末の頃でも、かく、広義の江戸城郭内に於いて、かくも狐狸の妖があったことが面白い。
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