柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「紅雪」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
紅雪【こうせつ】 〔中陵漫録巻十四〕文化六年の冬、越後の高田の辺に紅色の雪降る。春に至ても往々降る事あり。昔もこの降雪降る事ありと、この土の老翁云ひ伝へたり。按ずるに建武九年正月紅雨降とあり。この非常を聞く者大いに驚き、天変の如く恐れを為す。しかれどもこの故を窮する所、何ぞ恐るべきにあらず。予<佐藤成裕>先年羽州に在《あり》て吾妻山の絶頂に登り見るに、山上半里許りの間皆赤土にして、大いに崩《くづれ》て往々に水溜り、皆沼池の如くその水皆赤し。導夫《だうふ》、これを名付けて、神田竜池の名号多し。時あつて竜この水に下り、汲んで百里の外に降す。その雨皆淡赤なり。若し空中に凝《こり》て雪となる時は、その雪皆淡赤なり。この雪即ち紅色の異を為すと雖も、何ぞ径しむに足らん。固《もと》より山上の赤土の中の水なる故なり。
[やぶちゃん注:「中陵漫録」「会津の老猿」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで(『日本隨筆大成』第三期第二巻昭和四(一九二九)年刊)当該部が正字で視認出来る。サイト「Ewig Leere」の「記録に残る赤雪(紅雪)とまつわる伝説と虹と市場の神について」で、本篇が取り上げられてあり、以下の附説がある(一部を除き、行空けと注番号は省略した)。
《引用開始》
赤い雪の原因を同様に赤い土だとするものは江戸時代の石川如見著『怪異弁断 巻八』にも見られる。
すべて雨水は元、地より昇れるものなり。空際に至って湿熱に蒸煉して、その色赤く変じて降れるなり。又、地中より昇上の暴気、水を捲き、泥土を挟んで登るに、その泥土、丹土の地なる時は、即ち丹土を挟んでのぼらんこと、疑いなし。その丹土、雲雨に融じて地に降る時は、これ血雨なり。雪に色あるの義も、また雨血の弁をもって知るべし。
これらはいずれも大気中の水分に先に赤土の粒子が混ざり、赤みを帯びた雪として降り積もる、という説明をしている。
また、『日本民俗文化資料集成 第十二巻』ではトキ(ダオ)の羽毛の色になぞらえて「ダオ雪」とよばれる例を記している。本書では大陸の砂塵が風で運ばれ、日本海を越えて雪の上に降ると雪が赤くなる、と記している。これは既に雪が降り積もった後に後天的要因で赤くなる、というものである。
こちらのケースでは石英・正長石・角閃石・黒雲母・燐灰石・風信子石・緑泥石・陶土等の鉱物の欠片に含有する酸化鉄のために黄褐色になる、とする。
ただし、こうした赤い雪の原因は今日では既に降り積もった雪に後天的要因で色が付くと考えられており、その要因も土ではなく紅雪藻(Sphaerella nivalis)のような藻の類が雪の上で繁殖して着色されるものと考えられている。
なお、純粋に赤い雪そのものの記録としては他には『倭年代記』では滅多にはないものの、十回程度が記録されている。
このような赤い雪は日本だけではなく、中国においても次のように記された例がある。
武帝太康七年十月、河陰に赤雪二頃あり、後四歳にして帝崩ずる(晋書)
(我烏)管山霜、紫に染むべし。天下の為に冠す。人、知る者なきを恨む(湘譚記)
これらの例から、異変と関連付ける考えがあったことが窺える。
《引用終了》
私も、この記事を見た際、塩田に発生する赤い藻類による赤化を考えた。以上の引用出る「紅雪藻」は、緑藻植物門緑藻綱 Chlorophyceae に属する雪上藻の一種であるドナリエラ目 Dunaliellalesドナリエラ科ドナリエラ(シオヒゲムシ)属シオヒゲムシSphaerella nivalis であるが、現在は、専門論文を管見したところ、学名は Chlamydomonas nivalis として扱われているようである。但し、学術論文を見たが、属名は未だ確定的でないようだ。
「文化六年」一〇八九年。
「建武九年」不審。北朝方は、建武の元号を使い続けたが、それも建武五(一三三八)年に暦応に改元している。]

