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2023/10/03

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐憑」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狐憑【きつねつき】 〔甲子夜話巻十二〕狐つきありて医薬は勿論、僧巫《そうふ》の祈禱にても離れず。為ん方なきをりから、或る博徒ありて、これを落さんと云ふ。因てこれに頼む。博徒乃《すなは》ち鮪の肉を夥しくすりみにして、狐つきの総身に塗り、屋柱に縛りつけ、畜犬《かひいぬ》を連れ来《きた》れば、犬喜んで満身を舐《ねぶ》りけるに、狐つき大いに恐怖し、震ひ叫びけるが、頓て狐おちたりとぞ。 〔耳囊〕予<根岸鎮衛>〉が同僚の人、壮年の頃、本所にえ相番有りしが、右の下女に狐附きて暫く苦しみしが、兎角して狐も離れ本心になりし後、小さき祠を屋敷の内に建て置きしが、彼女その後は人の吉凶を祠に伺ひて、語る事神の如し。その同僚もたばこ入などを紙に封じ、これは如何なる品にてと彼女に与へけるに、神前へ行きて、それはたばこ入なる由を答へければ、不思議なる事を思ひしが、暫く月数も経ちて同様に尋ねけるに、知れざる由を答へて、その後はあたる事なかりしとなり。

[やぶちゃん注:前者は事前に「フライング単発 甲子夜話卷之十二 25 博徒狐蠱を退くる事」として正規表現版を公開しておいた。後者は「耳嚢 巻之五 狐の付し女一時の奇怪の事」をどうぞ。]

〔翁草巻五十六〕有徳院殿<徳川吉宗>御代の側衆小笠原石見守家来末の者に狐付きて退かず。御次にて、その沙汰有るを聞し召され、石見守をめして、その狐に我申付る間、早々退けよと申せと上意なり。石見守畏りて、急ぎ退出せられ、上意の趣述られければ、忽ち狐のきて正気となる。則ち登城してその由言上に及ばれ候。その筈の事と御意なり。石州重ねて申上げらるゝは、畜生の儀に候へば、自然上意を背くまじき物に非ず、若し然る時は、如何仰付けられ候やと申され候へば、それこそ易き事よ。江戸中狐狩して、一疋も置かぬなりと仰せられしとかや。先年尾州にも隠れなき強気の士有り、(名失念)かの士の僕《しもべ》に狐付きて、部屋にて叫ぶ。傍輩色々制すれども止まず。主人聞付けて、おとなを呼びて尋ねけるに、爾々(しかじか)と云ふ。主人暫く黙然たりしが、我家来に狐付きたると外へ聞えては恥なり、不便ながらその僕手討にすべし、書院の庭へ廻せよと申付け、自分は下げ刀にてはや立上る勢ひ、日頃申出せし一言を翻さぬ生質《たち》を、おとなも存じ居れば、さてさて不便《ふびん》なる事哉とおもへども、是非無く部屋へ行きて、その僕に旦那の御用有り、路次へ廻るべしと呼ぶ。かの僕震ひわな之さ、御免有れと云ふを、大勢引張りて、無理に連れ行けば、最早退きます退きますとて、路次口にて、大勢を振散《ふりちら》し、表へ飛出し倒れぬ。呼び生《い》ければ正気になり、忽ち狐は退きたり。これ威しに非ず。一徹の強気者の実《まこと》に手討にせんとする気に、狐も負けたるならん。或時鹿狩に夜深より太守御出馬有り。御先備《おさきそな》へ段々山目へ押行く処に、山口の方より、猿の年猿の月猿の日、猿を殺せし何《いづ》こにぞ、怪しく恐ろしき声にて叫ぶ。これを聞くと総勢上下ともに酔へるが如く蕩《とろ》け候。趾(あと)へも先へも行かず。太守聞き玉ひて、彼《か》の何某は居ざるやと高声に呼び給ふ。遙か跡より聞付けて、一さんに馬を馳せ来り、御意を承けて、直《ただち》に御先備ヘを乗抜《のりぬ》け、山口に路またがつて、尾州御内《みうち》何某これに在り。斯る奴は何奴ぞとハツタと白眼(にらみ)て、仁王立に立《たつ》たりければ、妖怪立去りしと見えて、夜の明けたる如く、総勢正気になりて、何事も無かりしとや。その頃名高き士なり。

[やぶちゃん注:「翁草」「石臼の火」で既出既注。正字の当該部は国立国会図書館デジタルコレクションの「翁草」校訂六(池辺義象校・明三九(一三〇六)年五車楼書店刊)のここで視認出来る。標題は『狐つきの事』。前半とよく似た話を電子化注した記憶があるのだが、見当たらない。見つけたら、追記する。

「小笠原石見守」紀州藩士で旗本の小笠原政登(まさなり 貞享二(一六八五)年~明和六(一七六九)年)であろう。藩主時代の徳川吉宗の小姓を務め、享保元(一七一六)年に吉宗が江戸幕府第八代将軍に就任するに伴い、江戸に移り、幕臣として仕えた。]

〔譚海巻六〕武州千住<東京都足立区内>駅の北蒲生領にて、狐の人に付きたる有りしが、種々の厭呪《えんじゆ》等なしけれども、この狐もつとも高妙のものにて何事にも恐れず、踊りたけりのゝしりけり。折節四月仙台陸奥守殿下国《げこく》にて、供人の内に半弓など美々しくもたせ通行する侍有り。この狐付きたる家のものども相談して、あの弓箭<弓と矢>結構に拵へもたれたる仁は、定めて弓も上手なるべし、さらば蟇目《ひきめ》もしられたるべきゆゑ、何卒この仁をたのみ、ひきめいて狐を落しもらふべしとて、昼休みの旅館へ参り、狐付き有りて久々難儀仕候、見懸け候へば弓箭も御携への事、何とぞ御苦労千万には候へども、蟇目御もちひ、この狐落し下され候はば、誠に病人一人御救ひ下され候御事、偏に有難き仕合せなるべしと、折入《をりいつ》て願ひければ、この侍拠(よんどころ)なくおぼえ、右の次第を陸奥守殿へ申上げければ、左程に願ふ事余儀なき次第、殊に武士の本懐にも候間、早々罷り越し興行致すべし、供には道路おくれ候ても、苦しからざるよし申付けられければ、この侍許諾し、百姓とともにその家に至りけり。狐この侍を見るより大いにあざけり笑ひ、不届なる奴、蟇目もろくろくしらずして、我をおとさんとする事、をかしき事なり、汝射術にて我をおとさんとせばおとしみよ、いかでおつべきなど、したゝかに嘲けりければ、この侍大いに赤面して、一言にも及ばず。しかしながら主君にも申し、暇《いとま》もらひ来るほどの事にて、この狐おとさずば何をもちて主人へ申訳すべきと、一図におもひ切り、とても生きて帰るべき場ならねば、よしよしこの狐付きを切殺し、自害する外なくと心中に決断し、怒りを起し奮ひ立て刀に手をかけ、只一打とつめよせければ、狐つき俄かに驚き恐れ、大声を出して詑言をいひ、誤り入り候、只今落ちて爰を立去り申すべし、ゆるし給へと手をあはせ震ひわなゝき、病人たふれけるまゝ悶絶して、狐即時に落ちたるとぞ。されば狐も賢こきものにて、この侍の必死を極めたるいきほひを見て、にげ去りけるにこそといへり。〔同巻八〕江戸本所に、狐の人に付て口ばしり、さわがしき有りしに、ある老人よき薬ありとて与へけり。何にても食物にまぜて、狐付に食はすべきよしなりければ、種々に調じまぜて食せけれども、その薬の匂をかぎてさらに食はず。せんかたなくて老人に物がたりせしかば、それならばその薬を汁のうちへ粉にして、少し入れて食はすべし、汁にては匂ひしれぬゆゑ、食ふ事もあるべしといひしかば、そのごとくはからひしに、狐付知らずして、汁を一口のみて大きに驚ろき、南無三はかられたりとて、狐付その座にて七転八倒して苦しみ、終に悶絶して臥したり。しばらく有りてその狐付息出《いきいで》て、狐さりて正気になりたり。後老人にいかなる薬ぞと尋ねたれば、まちんなるよしを答へけり。然ればまちんはすべて鳥獣のるゐ、畜生には毒なるものとしられたりといへり。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之六 武州千住驛北蒲生領の人に托せし狐の事 / 卷之八 江戶本所にて人に托せし狐にまちんをくはせし事(フライング公開二話)」として正規表現版(注附き)を公開しておいた。]

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