甲子夜話卷之七 14 町入御能拜見のとき雨天になりし有樣
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近年のことなりしが、何の時か忘れたり。
大城、御祝儀、御能、町入りのとき、中ばより、雨、つよく降出(ふりいだし)たることあり。
此日、兒(こ)、肥州も、御能見物に出居(いでをり)たり。
町人どもへ、おのおの、傘を與へらる。中々、群集のことゆゑ、雨を防ぐこと、能はず。又、退き避(さく)べき蔭もなければ、半(なかば)は頭(かしら)に雨そゝぐもの、多し。
やがて、衆人の頭より、氣、たちて、殆ど㸑煙(さんえん)の如くなりしと。大勢の有さま、想ふべし。予は退隱の後ゆゑ、聞(きき)及ぶのみ。
■やぶちゃんの呟き
「兒、肥州」静山の三男松浦肥前守熈(ひろむ 寛政三(一七九一)年~慶応三(一八六七)年)。彼は当該ウィキによれば、寛政七(一七九五)年、『父・清の嫡子となる。長兄・章の廃嫡、次兄・武の死去に伴う措置であった』とあり、文化三(一八〇六)年十一月、『父清の隠居により』、『家督を相続』している。また、『能楽に通じていた熈は、独特な形態を持つ謡曲「平戸三興囃子」を興し、隠居した後には古謡をもとに平戸囃子の様式に護国の願いを加えた神能「平壺」などを完成させた』とある。
「㸑煙」炊飯の煙。東洋文庫版では『きんえん』とルビするが、「㸑」に「キン」の音はない。
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