「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「雌鷄」
[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。
また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。 ]
雌 鷄
戶をあけてやると、兩脚を揃へて、いきなり鷄小屋から飛び下りて來る。
こいつは地味な粧ひをした普通の雌鷄で、金の卵などは決して產まない。
外の明るさに眼が眩み、はつきりしない足どりで、二足三足庭の中を歩く。
先づ眼につくのは灰の山である。彼女は每朝そこでいつとき気晴らしをやる習慣になつてゐる。
彼女は灰の上を轉げ廻り、灰の中にもぐり込み、そして羽根をいつぱいに膨らましながら、激しく一羽搏きして、夜ついた蚤をを振ひおとす。
それから今度は深い皿の置いてあるところへ行つて、この前の夕立でいつぱい溜つてゐる水を飮む。
彼女の飮み物は水だけだ。
彼女は皿の縁の上でうまくからだの調子をとりながら、一口飮んではぐつと首を伸ばす。
それが濟むと、あたりに散らばつてゐる餌を拾ひにかかる。
柔かい草は彼女のものである。それから、蟲も、こぼれ落ちた麥粒も。
彼女は啄(ついば)み啄んで、疲れることを知らない。
時々、ふつと立ち停る。
赤いフリジヤ帽を頭に載せ、しやんとからだを伸ばし、眼つき銳く、胸飾りも引立ち、彼女は兩方の耳で代るがはる聽き耳を立てる。
で、別に變つたこともないのを確めると、また餌を搜し始める。
彼女は、神經痛にかかつた人間みたいに、硬直した脚を高くもち上げる。そして、指を擴げて、そのまま音のしないやうにそつと地べたへつける。
まるで跣足(はだし)で步いてゐるとでも云ひたいやうだ。
[やぶちゃん注:鳥綱キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ(野鶏)属セキショクヤケイ 亜種ニワトリ(庭鶏)ニワトリ Gallus gallus domesticus の♀。
「金の卵」ウィキの「「ガチョウと黄金の卵」から引く。『(英:The goose and the golden egg)は、イソップ寓話のひとつ』。『ある日農夫は飼っているガチョウが黄金の卵を産んでいるのを見つけて驚く。それからもガチョウは1日に1個ずつ黄金の卵を産み、卵を売った農夫は金持ちになった。しかし農夫は1日1個しか卵を産まないガチョウに物足りなさを感じ、きっとガチョウの腹の中には金塊が詰まっているに違いないと考えるようになる。そして欲を出した農夫はガチョウの腹を切り裂いた。ところが腹の中に金塊などなく、その上ガチョウまで死なせてしまった』。『欲張り過ぎて一度に大きな利益を得ようとすると、その利益を生み出す資源まで失ってしまうことがある。利益を生み出す資源をも考慮に入れる事により、長期的に大きな利益を得ることができる』の教訓話である。『この話には様々な異本がある。同じギリシア語散文からの翻訳でも山本光雄訳の題は「金の卵を産む鶏」だが』、『中務哲郎訳では「金の卵を生む鵞鳥」であり、内容もヘルメス神への信仰のご利益として金の卵を生むガチョウを授かることになっている』。『バブリオスによる韻文寓話集の』百二十三『話』『でも卵を生むのが鶏になっている。日本の『伊曽保物語』でも「庭鳥金の卵を産む事」になっている(ただしシュタインヘーヴェル版ではガチョウ)。英語訳ではトマス・ジェームズ訳』『・ジョーゼフ・ジェイコブズ訳』『・ヴァーノン・ジョーンズ訳』『でガチョウであるのに対して、ファイラー・タウンゼンド訳』『では雌鶏とする』。十七『世紀のラ・フォンテーヌの寓話詩では第』五『巻の第』十三『話「金の卵を産む雌鶏」 』( La Poule aux œufs d'or (La Fontaine)) 『として収録しているが、「poule」に』は、『雌鶏の意味と』、『賭博の賭け金の意味を掛けている』とあった。
「フリジヤ帽」♀の鶏冠(とさか:赤いが、♂よりも小さい)を単子葉植物綱 キジカクシ目アヤメ科フリージア属フリージア Freesia refracta の六弁花の内、紅色になるものに喩えたもの。また、所持する岩波文庫辻昶(とおる)訳「博物誌」(一九九八年岩波文庫刊)の注によれば、『フランス革命時代にフランス人が自由の象徴としてかぶった縁無し帽(ボネ)』とある。ウィキの「フリジア帽」を参照されたい。そこにも書いてあるが、かの知られた『ウジェーヌ・ドラクロワの描いた「民衆を導く自由の女神」では自由の女神はフリジア帽を被っている』のである。後のリンク先の画像のこちらを見られたい。]
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LA POULE
Pattes jointes, elle saute du poulailler, dès qu'on lui ouvre la porte.
C'est une poule commune, modestement parée et qui ne pond jamais d'oeufs d'or.
Éblouie de lumière, elle fait quelques pas, indécise, dans la cour.
Elle voit d'abord le tas de cendres où, chaque matin, elle a coutume de s'ébattre.
Elle s'y roule, s'y trempe, et, d'une vive agitation d'ailes, les plumes gonflées, elle secoue ses puces de la nuit.
Puis elle va boire au plat creux que la dernière averse a rempli. .
Elle ne boit que de l'eau.
Elle boit par petits coups et dresse le col, en équilibre sur le bord du plat.
Ensuite elle cherche sa nourriture éparse.
Les fines herbes sont à elle, et les insectes et les graines perdues.
Elle pique, elle pique, infatigable.
De temps en temps, elle s'arrête.
Droite sous son bonnet phrygien, l'oeil vif, le jabot avantageux, elle écoute de l'une et de l'autre oreille.
Et, sûre qu'il n'y a rien de neuf, elle se remet en quête.
Elle lève haut ses pattes raides, comme ceux qui ont la goutte. Elle écarte les doigts et les pose avec précaution, sans bruit.
On dirait qu'elle marche pieds nus.
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