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2023/10/21

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「熊野牛王の神威」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 この原本には挿絵があるので、吉川弘文館『随筆大成』版のそれをOCRで読み込み、トリミングしたものを添えた。

 

 熊野牛王の神威【くまのごおうのしんい】 〔閑窻瑣談後編〕享保元年六月の事とかや。(天保十二より百二十六年になる実説なり)武州崎王郡船越村の百姓に佐五右衛門とて、家内五人活業(ぐらし)の者あり。夫婦と男子《なんし》二人あり。男子ははや十五六歳と十二三歳にて、末は女子(をなご)の児にて当年二歳なりしが、この頃毎夜(よごと)に異(あや)しき事ありて、かの児女《をなご》の泣《なき》叫ぶ事甚だし。毎時(いつ)も泣出《なきいだ》すはじまりに、窓の方《かた》に火の光り明るくなりて、物すごく覚え、何やら窓より家内(うち)へ飛入るやうに見ゆる節(とき)、家内《うち》の奥の方《かた》よりも、また光り輝くもの飛来り、窓の元にて光り争ふ時にいたり、程なく小児《せうに》も泣止む事、夜毎《よごと》に同じ。佐五右衛門夫婦も当惑、種々《いろいろ》の[やぶちゃん注:原本は「と」。]心を悩まし、その化物を除《のき》き貰はんと、加持祈躊を頼み、他人《ひと》にも語らひ相談しけれど詮方(せんすべ)なく、何れにしても家内の奥より光り物が飛出るを思へば、納戸《なんど》にこそ怪しきものの隠れあらんか。家内をよくよく祓ひ清めなばよかるべしとて、煤払ひをする如く掃除しけれど、これぞと思ふ物もなし。その時奥の間なる三尺の壁に、何とやら黒くふすぼりたるものの張付けてあるを、塵芥《ちりあくた》と共に捨てたり。偖《さて》その夜《よ》は奈何(いか)にと思ひ居《ゐ》たるに、例の如く深更に及びて小児の泣出《なきいだ》す声に、両親は目を覚し看れば、窓の光りはいと烈しく、竹格子《たけかうし》をめりめりと音して引破り、忽ち家内《うち》へ飛入るものあり。今宵《こよひ》は奥よりして飛出《とびいづ》る怪物は出でやらず、只外面《そと》より飛入りし光りものなりしが、佐五右衛門が起上らんとする折から、はやくも飛びかゝり、小児を掻《かき》さらひ走り去るやうなりしかば、佐五右衛門は手近に有りし鎌をもつて飛びかゝり、怪物を切りかけしが、手ごたへしながら取逃したり。この故に妻も子供も起上り、燈火《ともしび》を照してさわぎしが、小児は奪ひさられて行衛《ゆくゑ》なし。翌日窓の元を見れば、血しほの跡ありて、軒下より背戸の方へつゞき、裏の山へしたゝりあるやうに見えしかば、村の人々を頼みて、大勢にて彼(かの)山へ分け登り探し見れば、山の横合《よこあひ》に三尺ばかりの洞《ほら》ありて、その奥に猿の如くにして、少し異《こと》なる毛物《けもの》[やぶちゃん注:獣(けもの)。]の大《おほ》いなるが、眼を光らして号(をめ)く声すさまじくありければ、心強き人々一同に走(はせ)かゝりて、頓(やが)てこれを打殺《うちころ》したり。これなん狒々(ひひ)になりかゝりたるものにて、猿の年経《としふ》りし怪物《ばけもの》なりとぞ。小児《せうに》をばこれがために取られしものと思はる。その後《のち》、庄屋村長《むらをさ》人々立合ひて、このよしを地頭の御役所《おんやくしよ》へ訴へけるが、なほ奥の方より飛出《とびいで》し光りものを糺《ただ》さるゝに、それよりは何事もなし。或人心付きて言ふやう、この程家内の掃除せる以前は、奥の間より光物出て、窓の際《きは》に光り争ひ、夜毎々々なれども小児を奪はず、掃除をなしゝ夜《よ》に家内《かない》の光りもの出《いで》ずして、小児を取られしは、全く家内に尊き守(まもり)の御札《おんふだ》か、神霊のましまして化《ばけ》ものを防ぎたまはりしものならずや、何ぞ掃除の節《とき》に、神仏の像か、表具《へうぐ》、または御札《おんふだ》なんどの類《たぐひ》を、麁忽《そこつに》に祓《はら》ひ捨てし事はなきかと言ひ出しければ、佐五右衛門も村人も、げにげにと心付きて詮穿《せんさく》するに、佐五右衛門の妻が云ふやう、納戸の壁に煤《すす》び黒《くろ》みし御札《おんふだ》の如きものが張りありしをば、引《ひき》はがして裏の泥溝(どぶ)へ捨てたりと答へしかば、さればとて人々走りゆき探し求めけるに、捨てたる塵芥の中《うち》に交りて、黒く煤びて不分明(わかりがたき)紙札あり。採上《とりあ》げてよくよく看れば、これなん年久しく佐五右衛門が家の壁に張《はり》て在りしものにて、則ち熊野牛王の御守り札にて有りしとぞ。この外には家に尊《たふと》きもの一ツもなし。佐五右衛門も昔を考へ出でて、祖父《ぢい》の代《よ》より尊信せし事を何日《いつ》となく忘れて、礼拝《れいはい》せざりしを後悔し、全くこの御札の家内に在りし中《うち》は、神威に依《よつ》て怪物を退《しりぞ》け玉ひしものならんを、勿体なくも穢《けが》れし所へ捨てて、神力《しんりき》を折(くじ)きまゐらせし事の恐ろしとて、これよりこの御札《おんふだ》を尊《たふと》み祭りて、村の人々も敬《うやま》ひ拝礼《はいれい》し、その後怪事《あやしきこと》も絶えてなかりしとぞ。

 

Hunakosimuranokikuwai

 

[やぶちゃん注:「閑窻瑣談」江戸後期に活躍した戯作者為永春水(寛政二(一七九〇)年~ 天保一四(一八四四)年)の随筆。怪談・奇談及び、日本各地からさまざまな逸話。民俗を集めたもの。浮世絵師歌川国直が挿絵を描いている。吉川弘文館『随筆大成』版で所持するが、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第九巻(国民図書株式会社編・昭和三(一九二八)年同刊)のこちらから、挿絵入りで正字で視認出来る。但し、冒頭部分の「熊野牛王」の解説がカットされている。そこには「牛王」は「生土」(うぶすな)の書き損じ説が紹介されてあり、私は興味深く読んだ。文末にも割注があって、この郡村が三宅某と金田何某という武士の領地の入り込んだ地であり、その二人に訴え出たというのが『正說(しやうせつ)なり』という附記もある。産土神は糞「古事記」以前に本邦に存在した土地神であり、大いに支持したい。また、ルビも総てに丁寧に附されてあるので、本文では大いにそれで補った。]

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