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2023/10/16

南方熊楠「マンモスに關する舊說」初出形

[やぶちゃん注:私は既に二〇〇六年十一月二十三日にサイト版で、南方熊楠の「マンモスに関する旧説」と「鯤鵬の伝説」をカップリングして電子化してある。但し、それは一九八四年平凡社刊「南方熊楠選集 第三巻 南方随筆」を底本としたもので、新字新仮名であった。しかし、今回、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで「マンモスに關する舊說」初出誌原本の画像を入手出来た。そこで、ブログ版として、それを正規表現で電子化することとした。初出は、『動物學雜誌』二十一巻第二百四十九号(明治四二(一九〇九)年七月十五日発行)の三八~四〇ページに掲載されたものである。当初、南方熊楠は本論考を『人類學會』に送ったのだが、内容が人類学とずれるからか、『人類學雜誌』には掲載されず、そちらから『動物學會』に転送されて、同誌に掲載されたものと思われる。以下の、冒頭の熊楠の断り書きと、末尾の『動物學會』の編集者の附言を見られたい。

 本論考にはルビは一切ないが、一部の読みを、歴史的仮名遣で推定して《 》で挿入した。熊楠の断り書きの後の本文開始は行空けがないが、一行空けた。右或いは左に傍線を引いた箇所は下線に代えた。例によって熊楠の文章は読点を余り打たず、ダラダラと続くので、読み易さを考え、適宜、読点・記号を増やし、一部の読点を句点に代えた。一部に注を附した。漢文脈は後に推定で訓読文を附した。]

 

「マンモス」に關する舊說 人類雜誌二月分、一七九―一八一頁に、「マンモス」の說明あるを見、思ひ中《あた》りし事共左に書付送呈申上候、採るべき所も有らば、御撰修の上、雜報中へ御掲載奉願候。

紀州田邊 南 方 熊 楠

 

A. Erman, Roise um die Erde, Bamd .s. 710, Berlin 1383. 西伯利亞《シベリア》のオブドルフ邊のことを述《のべ》て、此邊に「マンモス」牙、多し。住民、刻んで、橇《そり》と、その附屬品の骨とし、用ゆ。海岸の山腹、浪に打たる〻時、露《あら》はれ出《いづ》ること、屢《しばしば》なるを、「サモイデス」人、心がけ、往き採るにより、彼《かの》輩、之を海中の原產物と心得たり、と云《いへ》り。

[やぶちゃん注:「G. A. Erman, Roise um die Erde, 」ドイツのベルリンの物理学者・地球科学者であたゲオルク・アドルフ・エルマン(Georg Adolf Erman 一八〇六年~一八七七年)が一八二八年から一八三〇年にかけて、彼世界一周の探検旅行を敢行した。当該ウィキによれば、『探険の前半には、ノルウェーの天文学者クリストフェル・ハンステーンが同行し、イルクーツクまで到達した。そこから先は、単独でシベリア、北アジアを横断し、オビ川の河口部からカムチャツカ半島に至った。そこから、当時のロシア領アメリカ(後のアラスカ州)へ渡った。彼はさらに、カリフォルニア、タヒチ島、ホーン岬を経て、リオデジャネイロヘ至』り、『そこから、サンクトペテルブルクを経由して、ベルリンに帰還した』。『この遠征旅行を踏まえて、彼は全』七『巻から成る』‘Reise um die Welt durch Nordasien und die beiden Oceane’(「北アジアと二つの大洋を越えた世界旅行」)を書いたが、その略称がこれ(「世界一周旅行編」)。

「マンモス」哺乳綱アフリカ獣上目ゾウ目ゾウ科ゾウ亜科アジアゾウ族†マンモス属 Mammuthus 。シベリアで発掘される種はケナガマンモス† Mammuthus primigenius

『「サモイデス」人』ロシア北部とシベリアに住むサモエド族。犬種として知られる「サモエド」は彼らが橇の牽引に用いるために飼っていたことによる。

 以下の長い一段落は、底本では、全体が一字下げとなっているが、引き上げた。その代り、前後を一行空けた。]

 

又、云く、北西伯利[やぶちゃん注:ママ。「亞」の脱字。]に巨獸の遺骨多げれば[やぶちゃん注:「げ」はママ。誤植。]、土人、古え[やぶちゃん注:ママ。]、其地に魁偉の動物住《すみ》しと信ずること固し。過去世の犀Rhinoceros tichorhinusの遺角、鈎《かぎ》の如きを以て、其地に往來する露國商人も、土人の言のま〻に之を「鳥爪《とりづめ》」と呼ぶ。土人中、或種族は、此犀の穹窿せる髑髏《どくろ》を「大鳥の頭」、諸他の厚皮獸の脛骨化石を其「大鳥の羽莖」と倣(な)し、彼輩の祖先、常に、之と苦戰せる事を傳え[やぶちゃん注:ママ。]話す。此邊に金を出《いだ》せしこと有れば、ヘロドツス、三卷百十六節に、怪禽「グリフィン」(「半鷲半獅」と云)、歐羅巴《ヨーロッパ》の北にすみ、黃金を守るを、一目民「アリマスピアンス」、之を竊《ぬす》み取ると見《みえ》たるは、此等の遺骨に基《もとづ》ける訛傳ならん、と。支那にも、「北方に、『一目民』ある。」といひ、又、「西海の北にあり。」といひ、小人《こびと》、鳥に吞《のま》る〻ことをいひたれど、一目民が、鳥と鬪ふ話、無し。(「和漢三才圖會」卷十四、『東方有小人國、名曰竫。長九寸、海鶴遇而吞之。故出時則羣行』。『一臂國在西海之北、其人、一目一孔、一手一足云々』。『一目國在北海外、無※國之東[やぶちゃん字注:「※」=(上部){「戶」+「攵」}+(下部)「月」。]、其人一目當其面而手足皆具也。』。〔『東方に「小人國(こびとこく)」有り。名づけて「竫(せい)」と曰ふ。長(たけ)九寸。海の鶴、遇ひて、之れを吞む。故に、出づる時は、則ち、羣行す。』と。『「一臂國(いつぴこく)」は、西海の北に在り。其の人、一目一孔、一手一足云々』。『「一目國(いちもくこく)」は北海の外、「無※國(むきこく)」の東にあり[やぶちゃん字注:「※」=(上部){「戶」+「攵」}+(下部)「月」]。其の人、一目、其の面(かほ)に當たりて、手足、皆、具はれり。』。〕孰れも、明の王圻の「三才圖會」より引けり。)北洋に、鯨族、今も跋扈《ばっこ》するに、「マンモス」をも海中にすむと信ずる民、有ると、右の過去の巨鳥の誕《はなし》を合せ攷《かんがふ》るに、莊周が『北冥有魚、其名爲鯤中略化而爲鳥、其名爲鵬。』〔北の冥(うみ)に、魚、有り、其の名を「鯤(こん)」と爲(な)す。中略化(くわ)して、鳥と爲り、其の名を「鵬(はう)」と爲す。〕の語も、多少、據るところなきにはあらじ。

[やぶちゃん注:「過去世の犀Rhinoceros tichorhinus」哺乳綱奇蹄目サイ科† Coelodonta 属ケブカサイ Coelodonta antiquitatis のシノニム。当該ウィキ(骨格標本の写真と復元図あり)によれば、『更新世』(二百六十万年前から一万年前まで)『後期にユーラシア大陸北部に生息していたサイの一種。マンモス、オオツノシカとともに氷期を代表する動物として知られる。学名は「中空の歯」の意』。『頭胴長約』四『メートル、体重は』三~四『トンに達したといわれる。鼻づらには』二『本の角を持ち、前方は特に長大であった。歳をとった雄の中には』、一『メートルを超す角を持つものもいた。その姿は、旧石器時代の壁画にも描かれている』。『イギリスからシベリア東部にかけて生息し、ツンドラ地帯に生息するため、厚い毛皮や熱の損失を防ぐための小さな耳など、寒冷地に適応した特徴を持つ。頬歯もまた、ツンドラ地帯の堅い草を食べるため』、『高冠歯化していた。しかし、同時期にシベリアなどにも生息したマンモスとは違い、北アメリカ大陸からは化石が出土していない。そのためケブカサイはマンモスと異なり、ベーリング地峡を渡る機会がなかったのだと思われるが、その理由は不明である』。『シベリア北東部では約』三『万年前に進出してきた人間と』、『数千年間』、『共生していたが、最終氷期の終わりごろに個体数が激減、絶滅した』とある。

「グリフィン」英語読み( griffin)。フランス語のグリフォン(griffon, gryphon)の方が親しい。詳しくは当該ウィキを見られたい。

『一目民「アリマスピアンス」』Arimaspians 。アジアの遙か北の山脈に住んでいるとされた、額に一つだけ目を持つという民族。ヘロドトスの著作に、黄金を守るグリフォンと戦ったことが記されてある。英文ウィキ「Arimaspi」(アリマスポイ)を参照した。

「莊子」のそれは冒頭を飾る有名な部分。私は、中国古典の思想書で、唯一、大学時代、テツテ的に全文を読んだほど、好きな書物である。]

 

「淵鑑類函」卷四三二、「東方朔『神異經』にいわく、東方朔神異經曰、北方有曾冰萬里、厚百丈、有碩(?予の藏本、字、摩滅せり[やぶちゃん注:「磎」が正しい。])鼠在冰下出焉、其形如鼠、食草木、肉重萬斤、可以作脯食之已熱、其毛長八尺、可以爲蓐臥之、可以却寒、其皮可以蒙皷、其聲千里、有美尾、可來鼠(此尾所在、鼠輙入此聚)〔北方に、層冰(そうひよう)[やぶちゃん注:層を成した氷。]、萬里、厚さ、百丈なるあり。磎鼠(けいそ)有りて、氷下より出づ。其の形、鼠のごとく、草木を食らふ。肉の重さ、萬斤(ばんきん)、以つて「脯(ほじし)」と作(な)すべし。之れを食らへば、熱を已(や)む。其の毛、長さ、八尺ばかり。以つて、「蓐(しとね)」と爲(な)すべく、之れに臥(ふ)せば、以つて、寒を却(しりぞ)くべし。其の皮、以つて、皷(つづみ)に蒙(は)るべく、其れ、千里に聲(おとせ)り。美しき尾、有り。鼠を來(まね)くべし(此の尾の在る所、鼠、輙(すなは)ち、此(ここ)に入りて、聚(あつ)まるなり。)〕。氷、厚さ百丈、氷下の大鼠、肉の重さ、萬斤など、大層な談《はなし》ながら、全文の要は、「マンモス」を意味するに似たり。百年斗り前、西伯利[やぶちゃん注:「亞」の脱字。]で一「マンモス」の全軀《ぜんく》、氷下より出《いで》し時、熊、集まり來《きたり》て、其肉、啖《くらひ》しと聞けば、『可以作脯食之』〔「脯(ほじし)」と作(な)すべし。之れを食らへば、〕の一句、さまで怪しむに足《たら》ず。『毛皮を蓐とす』と云ふも、又、然り。北方の古人、象を見しこと無ければ、之を鼠の類とせしならん。

[やぶちゃん注:「淵鑑類函」は「漢籍リポジトリ」の当該巻の影印本([437-21a][437-21b])を参考に校合した。

 以下の一段落は、底本では、全体が一字下げとなっているが、引き上げた。その代り、前後を一行空けた。]

 

「晉書」に「驢鼠」の記あり。『驢山の君なり。第如水牛、灰色卑脚、脚類象、  胷[やぶちゃん注:「胸」の異体字。]前尾上皆白、大力而遲鈍。〔大いさ、水牛のごとく、灰色にして卑(ひく)き脚(あし)たり。脚は象に類す。              胷(むね)の前・尾の上、皆、白く、大力にして遲鈍たり。〕。來《きたつ》て、宣城下に到りしを、太守殷浩、人をして生擒《いけどり》せしめ、郭璞(かくはく)に卜《うらなは》せしむ。』と。予、惟《おも》ふに、「晉書」は、「二十史」中、尤も、無稽の談に富めるものと稱せらるれども、凡て全く種《たね》なきうそはつけぬものにて、上文、記載する所、正に、今日、マラツカ及印度諸島に產する「獏《ばく》」に恰當(かふたう)[やぶちゃん注:よく一致すること。]せるは、現に大阪動物園に畜ふ所を觀て、首肯すべし。「本草綱目」など、二者を別條に出《いだ》せるは、實物を見ざりしによる。此「獏」いふもの、現今、全く、足底《そくてい》[やぶちゃん注:棲息地の意であろう。]相對《あひたい》する最遠距離の二地方(上に記する所と中南米)を限りて、僅々《きんきん》數種を存するのみなれど、以前は、廣く、北半球に瀰漫《びまん》[やぶちゃん注:広がり蔓延ること。]し、種數も多かりしこと、化石學の證する所たり。因《よつ》て察するに、「梁書」云《はく》、『倭國有山鼠如、又有大蛇能吞之。〔「倭國」に山鼠の、牛のごとき有り。又、大蛇、能く、之れを吞む有り。〕』も、多少、據るべき事實有《あり》しにて、其獸は、今日、迹を絕《たつ》て、空しく外國の史籍に留《とど》めたるならん。

[やぶちゃん注:「獏」哺乳綱奇蹄目有角亜目バク科 Tapiridae のバク類(現生種は五種で、北アメリカ大陸・南アメリカ大陸・東南アジアに分布する)の内、日中に近場の種は、インドネシア(スマトラ島)・タイ南部・マレーシア(マレー半島)・ミャンマーに棲息するマレーバク Tapirus indicus がいる。江戸時代、既にバクらしきものが記されたものがある。私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 貘(ばく) (マレーバク・ジャイアントパンダその他をモデルとした仮想獣)」を見られたい。]

 

「マンモス」牙が、わが國に齎《もたら》さる〻は、今日に始まるに非ず。二十餘年前、日光山に詣でし折《をり》、幕政の時代、蘭人、將來せるもの〻由にて、たしか、二本、神庫に在《あり》しを見たり。

[やぶちゃん注:原稿或いは他者の筆写草稿に基づいた平凡社「選集」版には、この後に、丸括弧で附記がある。それを、恣意的に正字化・歴史的仮名遣にして示す。

   *

(明治十八年七月十六日、自分、參詣の記に、『拜殿を出《いで》て右し、舞屋に如《ゆ》く。ここに、寶物を陳列して衆に示す』云々とあつて、次に、その名目を擧げた中に、「前世界大象牙」とある。)

   *

 以下の「後記」は、底本では、全体が一字下げとなっているが、引き上げた。その代り、前後を一行空けた。]

 

後記、古え[やぶちゃん注:ママ。]中國の人、象を見し者、無く、其形を、色々、想像せし故、「象」と名づくといふ事、「呂覧」か、「韓非子」にて見しと覚え、象を見しことなき者が、「マンモス」や「獏」を「鼠」の属とするは、止むを得ざることにて、八丈島の人が、「馬」を「大きな猫なり。」といひしに等し。

 

編輯委員曰、右の一編は人類學會に發送し來れるものなれども本誌に登錄することとなれり、寄稿者及び讀者是を諒せよ。

[やぶちゃん注:以上は、『動物學會雜誌』の編輯者の附言。]

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