柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐の使者」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
狐の使者【きつねのししゃ】 〔窓のすさみ追加の下〕中川の家に伝へて、疱瘡の薬を製せられしに、狐生胆《いきぎも》取りて調ずる事なりけり。延宝[やぶちゃん注:一六七三年から一六八一年まで。徳川家綱・徳川綱吉の治世。]の頃とや、今年は国に帰りたらば、薬を調《てう》ぜんと有りける春、君帰らせ給ひなば、十五以上の児の生胆をとらせ給ひなんと、誰とはなく国中にふれければ、子を持ちたる農商、皆所を去りて他国へ移り往き、郡中人なきが如し。止みがたくて、その由を公けにも訴へ、さて虚言(そらごと)なる由をこまやかにふれ知らせければ、漸《やうや》うにして民も帰りけり。これは狐のしわざとて、その年は薬の沙汰はなくて事過ぎけり。またの年になりて、物頭《ものがしら》の勇壮なるが申しけるは、さきには狐の祟りとて、薬をも調ぜられざりし、府下に居侍る狐の所為《しわざ》とて、数代《すだい》調ぜられたる薬の絶えなんも、君威の薄きに似候間、某に命ぜられ候へ、狐狩してさやうの類(たぐひ)こらしめ申すべし、と申しければ、然るべしと有りて、またその事の外には知られざりけるに、ある朝、第一の重臣中川何がし、とみの事有りとて、物頭の許に来りしかば、渴仰《かつがう》して亭《やしき》に請じ、さて如何様《いかやう》の御事にやと申ししかば、わどのが昔そゞろなりし事ども、法の許しがたき事どもなり、この書付を見て、申し披《ひら》きあるべしと、一通を渡しければ、これを見るに、まだ若かりしより年盛《としさか》りまで、若気《わかげ》にて有りし過失(あやまち)を書きつゞけたり。披き終りて云ふやう、これは皆若き頃の血気にて、仕損じたりしあやまちどもなり、只今の事にてはなく候へども、申し披くべき様《やう》なし、と答へければ、さらば切腹候へとの命なり、疾く疾くと有りければ、力及ばぬ事なり、その用意いたすべし、しばらく御待ち候へとて、奥に入りてこの由を妻女に告げければ、驚き入りて、思ひもよらぬ事と、あひ歎き悲しむ事限りなし。かくて、早く事をへぬべし、沐浴《もくよく》の湯沸かせよとて、その用意するうちに、家のうち挙(こぞ)りて、兎角の事はわかたず、絶え入るばかりなりけるに、湯を焼(た)く下部《しもべ》の亭の庭を見やるに、塀の上に数多《あまた》の狐、頭《かしら》をならべて窺《のぞ》き居たり。亭の方をむきて、今や今やと云ふに、供にありける士、手を振りて、いまだしと答へけり。このよしを見附けて、急ぎ主人に私語(さゝや)きければ、これを聞きて、さこそあらめ、この上は立ち出でて使者を切り捨て、もし事違ひなば、その時こそ我兎も角もならんと独り言して、今こそ自殺し侍らめとて、亭へ出でければ、はやその気を知りけるか、悉く逃げ失せけり。頓(やが)てこの由を申して、山々を狩して、多くの狐を取りければ、何事もなくて止みけり。
[やぶちゃん注:「窓のすさみ」松崎尭臣(ぎょうしん 天和(てんな)二(一六八二)年~宝暦三(一七五三)年:江戸中期の儒者。丹波篠山(ささやま)藩家老。中野撝謙(ぎけん)・伊藤東涯に学び、荻生徂徠門の太宰春台らと親交があった。別号に白圭(はっけい)・観瀾)の随筆(伝本によって巻冊数は異なる)。国立国会図書館デジタルコレクションの「有朋堂文庫」(昭和二年刊)の当該本文で正規表現で視認出来る。なお、「柴田宵曲 續妖異博物館 狐の化け損ね」でも取り上げているが、かなり訳を圧縮してある。]
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