譚海 卷之六 武州千住驛北蒲生領の人に托せし狐の事 / 卷之八 江戶本所にて人に托せし狐にまちんをくはせし事(フライング公開二話)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。別々な巻に載るが、孰れも「狐憑き」で共通するので、カップリングして示す。間に「*」を入れた。なお、標題の孰れにもある「托せし」は「よせし」と訓ずるか。「憑(つ)く」の意。]
武州千住驛の北、蒲生領にて、狐の人に付きたる有しが、種々の厭呪(えんじゆ)等なしけれども、この狐もつとも高妙のものにて何事にも恐れず、踊りたけり、のゝしりけり。
折節、四月、仙臺陸奧守殿、下國《げこく》にて、供人の内に半弓など、美々敷(びびしく)もたせ通行する侍、有(あり)。
此狐付きたる家のものども、相談して、
「あの弓箭、結構に拵へもたれたる仁(ひと)は、定めて、弓も上手なるべし。さらば、蟇目(ひきめ)もしられたるべきゆゑ、何卒、この仁をたのみ、ひきめいて、狐を落しもらふべし。」
とて、晝休(ひるやすみ)の旅館へ參(まゐり)、
「狐付、有りて、久々難儀仕候。見懸(みかけ)候へば、弓箭(きゆうぜん)も御攜(おんたづさ)への事、何とぞ、御苦勞千萬には候へども、蟇目、御もちひ、この狐、落し下され候はば、誠に、病人一人、御すくひ下され候御事(おんこと)、偏(ひとへ)に難ㇾ有仕合(しあはせ)なるべし。」
と、折入(をりいつ)て願(ねがひ)ければ、此侍、無ㇾ據(よんどころなく)おぼえ、右の次第を陸奧守殿へ申上げければ、
「左程に願ふ事、餘儀なき次第、殊に武士の本望にも候間、早々、罷越(まかりこし)、興行致すべし。供には、道路(みちみち)おくれ候ても、くるしからざる。」
よし申付られければ、この侍、許諾し、百姓とともに、その家に至りけり。
狐、この侍を見るより、大(おほい)にあざけり笑ひ、
「不屆成(なる)奴、蟇目も、ろくろくしらずして、我を、おとさんとする事、をかしき事なり。汝、射術にて、我をおとさんとせば、おとしみよ。いかで、おつべき。」
など、したたかにあざけりければ、此侍、大いに赤面して、一言にも及ばず。
しかしながら、
『主君にも申斷(まふしことわり)、暇(いとま)もらひ來るほどの事にて、この狐おとさずば、何をもちて主人へ申譯すべき次第。』
と、一圖におもひ切(きり)、
『とても生(いき)て歸るべき場ならねば、よしよし、この狐付きを切殺(きりころ)し、自害する外なし。』
と心中に決斷し、怒りを起し、奮ひ立(たつ)て、刀に手をかけ、
『只一打。』
と、つめよせければ、狐つき、俄かに、驚き恐れ、大聲を出して、詑言をいひ、
「誤入候(あやまりいりさふらふ)、只今、落(おち)て、爰(ここ)を立去申(たちさりまふ)すべし、ゆるし給へ。」
と、手をあはせ、ふるひ、わなゝき、病人、たふれけるまゝ、悶絕して、狐、卽時に落ちたるとぞ。
されば、
「狐も、かしこきものにて、此侍の必死を極めたるいきほひを見て、にげ去りけるにこそ。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「北蒲生領」藤原北家秀郷流を汲むと称した近江蒲生氏の領地。但し、当主の夭折が続き、徳川幕府の大名として存続することには成功したものの、孫の蒲生忠知(ただとも/ただちか 慶長九(一六〇四)年~寛永一一(一六三四)年)の代に後継がなく、絶家したから、この話、えらく古い話と言うことになる。
「厭呪」咒(まじない)。
「蟇目」朴(ほお)又は桐製の大形の鏑(かぶら)矢。犬追物(いぬおうもの)・笠懸けなどに於いて射る対象を傷つけないようにするために用いた矢の先が鈍体となったもの。矢先の本体には数個の穴が開けられてあって、射た際に、この穴から空気が入って、音を発するところから、妖魔を退散させるとも考えられ、多くの怪奇談で登場する。呼称は、射た際に音を響かせることに由来する「響目(ひびきめ)」の略とも、鏑の穴の形が蟇の目に似ているからともいう。]
*
江戶本所に、狐の人に付(つき)て、口ばしり、さわがしき有(あり)しに、ある老人、
「よき藥、あり。」
とて、あたへけり。
「何にても、食物に、まぜて、狐付に食はすべき。」
よし、成(なり)ければ、種々(しゆじゆ)に、調じまぜて、食せけれども、その藥の匂(にほひ)をかぎて、さらに、食はず。
せんかたなくて、老人に、物がたりせしかば、
「それならば、その藥を、汁のうちへ、粉(こ)にして、少し、入れて、食はすべし。汁にては、匂ひ、しれぬゆゑ、くらふ事もあるべし。」
と、いひしかば、そのごとくはからひしに、狐付、知らずして、汁を一口のみて、大きに驚ろき、
「南無三、はかられたり。」
とて、狐付、その座にて、七轉八倒して、苦しみ、終(つひ)に、悶絕して、臥(ふし)たり。
しばらく有(あり)て、その狐付、息出(いきいで)て、狐、さりて、正氣に成たり。
後(のち)、老人に、
「いかなる藥ぞ。」
と、尋ねたれば、
「まちんなる。」
よしを、答(こたへ)けり。
「然れば、まちんは、すべて鳥獸のるい[やぶちゃん注:ママ。]、畜生には毒なるものと、しられたり。」
と、いへり。
[やぶちゃん注:「まちん」リンドウ目マチン科マチン属マチン Strychnos nux-vomica 。ウィキの「マチン」より引く(アラビア数字を漢数字に代え、一部の記号を変更した)。『アルカロイドのストリキニーネを含む有毒植物及び薬用植物として知られる。種小名(ヌックス―フォミカ)から、ホミカともいう』。『インド原産と言われ、インドやスリランカ、東南アジアやオーストラリア北部などに成育する。高さは十五メートルから三十メートル以上になる。冬に白い花を付け、直径六~十三センチメートルの橙色の果実を実らせる。果実の中には数個の平らな灰色の種子がある。マチンの学名(Strychnos nux-vomica)は、一六三七年にマチンがヨーロッパにもたらされたとき、カール・フォン・リンネにより命名された。種小名の“nux-vomica”は「嘔吐を起こさせる木の実」という意味だが、マチンの種子には催嘔吐作用は無いとされている』。『マチンの毒の主成分はストリキニーネ及びブルシンで、種子一個でヒトの致死量に達する。同じマチン属の S. ignatia の種子(イグナチア子、呂宋果(るそんか))にもストリキニーネ及びブルシンが含まれる。こちらはフィリピン原産。マチン科には他に、ゲルセミウム属(代表種はカロライナジャスミン)などがある』。『漢方では生薬としてマチンの種子を馬銭子(まちんし)、蕃木鼈子(ばんぼくべつし、蕃は草冠に番)、またはホミカ子と称し苦味健胃薬として用いられる。インドでは、木部を熱病、消化不良の薬に用いる。日本薬局方では、ホミカの名で収録されている。ただし、前述の通りマチンは有毒であり素人による処方は慎むべきである』とある。因みに、岩波の長谷川氏注では、本種を『フジウツギ科の常緑喬木』とするが、ウィキの「マチン科」によれば、『マチン科はかつてはフジウツギ科(Buddlejaceae)と一緒にされていた(学名は Loganiaceae、和名はフジウツギ科だった)が、分離された。アイナエ属は分離当初はフジウツギ科とされていた。現在でも文献に混乱が見られ』、二つの科は系統的にはかなり異なるとされている、とある。]
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