「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鳩」
[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。
また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。]
鳩
彼等は家の上で微かな太鼓のやうな音をたてるにしても――
日蔭から出て、とんぼ返りをし、ぱつと陽に輝き、また日蔭に歸るにしても――
彼らの落ち着きのない頸は、指に嵌めた猫眼石(オパール)のやうに、生きたり、死んだりするにしても――
夕方、森のなかで、ぎつしりかたまつて眠り、槲(かしわ)の一番てつぺんの枝がその彩色した果實の重みで今にも折れさうになるにしても――
そこの二羽が互に夢中になつて挨拶を交し、そして突然、互に絡み合ふやうに痙攣するにしても――
こつちの一羽が、異鄕の空から、一通の手紙を持つて歸つて來て、さながら遠く離れた女の友の思ひのあyうに飛んで來るにしても(ああ、これこそ一つの證據(あかし)!)――
そのさまざまの鳩も、初めは面白いが、しまひには退屈になつて來る。
彼等はひとところにぢつとしてゐろと云はれても、どうしてもそれができないだろらう。そのくせ、いくら旅をして來ても、一向利口にならない。
彼等は一生、いつまでたつてもちつとばかりお人好しである。
彼等は、嘴の先で子供が作れるものと頑固に思ひ込んでゐる。
それに、全くしまひにはやり切れなくなつて來る――しよつちゆう喉に何か詰つてゐるといふ、例の祖先傳來の妙な癖は。
[やぶちゃん注:新潮社刊の平成一三(二〇〇一)年四十六刷改版の新潮文庫版(新字新仮名)の前回のサイト版では、以上の後に、特殊な絵記号を挟んで(底本ではここに独特の飾り記号が入る。これが、「博物誌」の拠った原底本のフランスの版のものかどうかは、知らない。しかし、今回、この初期原型では無粋な「~」として置いていたのには、今の私は堪え得ない。されば、私の底本からOCRで読み込み、配することとした(以下、同じ)。仮に底本が特別に作ったデザイン記号であるとなら、新潮社から著作権侵害を申し込まれた時点で、何時でも無粋な「~」に戻す)、以下の附随条と岸田氏の補注(ポイント落ち)がある。
*
二羽の鳩が、ほら「さあ、こっちにきて、あんた(ビャン・モン・グルルロ)……さあ、
こっちにきて、あんた(ビャン・モン・グルルロ)……さあ、こっちにきて、あんた(ビャン・モン・グルルロ)……」
注 鳩の鳴き聲「モン・グルルロ」は、ここでは親しい者(雄鳩)
に呼びかける「モン・グロ」と似せている。
*
それぞれの「ビャン・モン・グルルロ」“Viens, mon grrros”(ハトの鳴き声の意図的なフランス語の諷刺的オノマトペイア)は、本文の「こっつちにきて、あんた」の部分のルビとなっている。なおルビは写植以前の御約束で拗音を小文字にしていないが、私の判断で「ビヤン」のみ小文字とした。なお、この「モン・グロ」は“mon gros”で、男性(時に女性にも)に親愛を込めて使うもので、原義は「私のおデブさん」である。なお、以下に示す原文では、『二羽の鳩が』に相当するのは、“LES DEUX PIGEONS.”で、「二羽の鳩」という標題であることが判る。因みに――つい最近まで腹が出ていた私のことを、連れ合いは客がいる時でも、躊躇なく「トドさん」と呼んでいた。最近、自分の腹部も出てきたので、彼女は、その呼称を使わなくなった。なお、以下の原文では、以上のパートも掲げておいた。
「鳩」ハト類は多種いるため、ここはまず、鳥綱ハト目ハト科 Columbidaeに留めるべきであろう。
「槲」これはフランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ族 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名はcommon oak)Quercus roburを挙げてもよいだろう。
「太鼓のやうな音をたてる」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、ここ注を附され、『フランスでは、葬儀のときに打つ太鼓は、布でつつんで、音が鈍く出るようにする』とあり、また、一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻所収の佃裕文訳「博物誌」の後注には、
《引用開始》
ボードレールも『悪の華』第九篇「悪運」の中で、
俺の心は、こもった太鼓(ドラム)のように、
葬送の行進曲を打ち鳴らして進む。
と歌っている。
《引用終了》
と記しておられる。さすれば、ルナールはボードレールと同じく、ハトの鳴き声にポジティヴでブラッキーな死の香りを感じ取っており、底本では載らない末尾のそれの、“mon gros”の呼びかけもまた、冥界へと誘う死の女神のいまわしい慫慂をも示唆していると言うべきではあるまいか?]
*
LES PIGEONS
Qu'ils fassent sur la maison un bruit de tambour voilé ; Qu'ils sortent de l'ombre, culbutent, éclatent au soleil et rentrent dans l'ombre ; Que leur col fugitif vive et meure comme l'opale au doigt ; Qu'ils s'endorment, le soir, dans la forêt, si pressés que la plus haute branche du chêne menace de rompre sous cette charge de fruits peints ; Que ces deux-là échangent des saluts frénétiques et brusquement, l'un à l'autre, se convulsent ; Que celui-ci revienne d'exil, avec une lettre, et vole comme la pensée de notre amie lointaine (Ah ! un gage !) ; Tous ces pigeons ; qui d'abord amusent, finissent par ennuyer.
Ils ne sauraient tenir en place et les voyages ne les forment point.
Ils restent toute la vie un peu niais. Ils s'obstinent à croire qu'on fait les enfants par le bec.
Et c'est insupportable à la longue, cette manie héréditaire d'avoir toujours dans la gorge quelque chose qui ne passe pas.
LES DEUX PIGEONS. - Viens, mon grrros... viens, mon grrros... viens, mon grrros...
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