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2023/10/14

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐火」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狐火【きつねび】 〔甲子夜話巻四〕狐は霊妙なる者なり。予<松浦静山>が平戸城下桜馬場と云ふ処の士、屋鋪にて狐の火の燃ゆるを見る。若士共とり囲に逐ければ、その人を飛越て逃去りたり。然るに物の落ちたる音あり。これを見れば人骨の如き物あり。皆言ふ、これ火を燃せしものなるべし。取置かば燃すこと能はじと、持帰りて屋内に置き、定めて取りに来らん、その時擒(とりこ)にすべしと云合《いひあは》せて、障子を少し明けて待居たり。果して狐来りて窺ひ見る体《てい》にして、障子の明たる所より面を入れては引くこと度々なり。人々今や入ると構へ居たるに、遂に屋内にかけ入る。待設けたる者、障子をしむれどもしまらず。その間に狐は走出けり。皆疑ひて閾《しきみ》を見るに、細き竹を溝に入れ置きたり。それ故障子たゝず、いつの間にか枯骨も取り返されたり。さきに窺ひたる体のとき、此細竹を入置しなるべし。 〔奥州波奈志〕七月半ば頃年魚(あゆ)しきりにとらるゝ時、夕方より雨いとまなく降りければ、今は川主《かはぬし》も魚とりには出じ、いざ徒《いたづ》らごとせばやと、小姓《こしやう》ども両人云ひあはせて、まこ沢の方ヘ河つがひに行きしに、狐火の多きこと、左右の川ふちをのぼり下り、いくそばくてふかずもしれざりしとぞ。この狐ども等が魚を食ひたがりてと、心中に悪《にく》みながらだんだん河をのぼるに、魚とらること夥たゞし。大ふごにみてなばやめんといひつゝ網打つに(川主の家の方なり)河上にて大かがりをたくかげみえたり。両人見つけて立どまり、もしやこの雨にもさはらず川主の出《いで》やつしらんとあやぶむあやぶむ今少しにてふごにもみちなんとて魚をとりつゝ暗きよなれば河中まではかがり火には照らされじと思ひゐしに、かがり火のもとより人《ひと》独りたいまつを照して川におり来りたり。夜ともしの体なり。(夜ともしはよる川中にかがりをふりて魚をとるなり)すはやと心さわぎしかど、あなたは一人、こなたは二人なれば、みとがめられてもいかゞしても逃れんと、心をしづめて見ゐたりしに(河右衛門がいふ)あれは人にはあらじ、持ちたる松の火の上にのみあがりて、下に落つる物なし、化物の証拠なりと見あらはしたり。いま壱人もこのことに心づきてよくみしに、実に火のさまのあやしかりしかば、両人川中にたちておどろかで有りしかば、一間ばかり真近く来りて立ちゐしが、化かしそこねしとや思ひつらん、人形《ひとがた》は、はたと消えて、あかしばかり、中(ちう)をとびて、岡へ、上りたり。まさしく狐の化したるを近くみしこと初めてなりと語りき。この見あらはせしは梅津河右衛門と云ふものなりし。真夜にひとり川をつかひて、更にものに驚ろかぬものなりし。

[やぶちゃん注:私の正規表現版注附きの「奥州ばなし 狐火」を見られたい。]

 〔四不語録巻一〕加州金沢<石川県金沢市>に真長寺と云ふ真言寺有り。稲荷の社僧なり。或時心易き友達の侍中、四五人打伴ひて白山(下の白山なり。城下より四里余なり)へ参詣し、帰路に趣く時、四十万村(しゝまむら)と云ふあたりより暮に及ぶ。松明(たいまつ)の用意もなければ、暗夜の星の光りを道しるべとして、たどりだどり帰りけり。主従共に人数《にんず》四十に余れり。然る所に久保の河原に来れば、行く先の河原に燃ゆる火二つ三つ見えたり。何れも申すは、これは定めて狐火ならん、稲荷の杜僧のこれに居給ふ知らずして、さてさて愚《おろか》なる狐どもかな、法印これをしめし給へと云ひければ、心得たりとて印を結び呪(じゆ)を唱へられければ、忽ち火ども消えぬ。何れもこれはと感ずる所に、また向うの方に火四つ五つ現はれたり。また出《いで》たるぞ、法印いかにと云へば、法印こゝは我に任せよと、種々《しゆじゆ》手を尽し給へども、この度はそのしるしなく、次第に火の数多くなり、道の左右前後、とかく目の及ぶ処までは尽(ことごと)く火となりて、その数《かず》幾千万ともしれず。法印もその術に忘却し、四十余人の者どもは、火の多きに心をとられて、うかうかと何れも足をば空にして歩み行くうちに、右の火どもそろそろと消え失せて一つもなくなる。その時皆々正気になりて、互ひに心を付けて、爰は何処《いづこ》のほどぞと、何れもその辺りの道筋に目をくばれば、大きなる竹の林に行きかゝりて、その辺には道路たるもの見えず。こはいづこへ来《きた》るぞと、何れも仰天す。しばらく心をしづめて見まはしたれば、白山路よりは東の方十町余もこれ有る野田桃雲寺の後庭の竹林なり。何れも驚き、こは口惜しき事哉、狐に妖(ばか)されたるならん。さすがの法印も面目《めんぼく》失ひ給ひしなり。

[やぶちゃん注:「四不語録」「家焼くる前兆」で既出既注。写本でしか残っておらず、原本には当たれない。

「真長寺」ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「白山」当地の白山神社は非常に多い。「下の白山なり。城下より四里余なり」というのを考え、さらに以下の「四十万村」の推定位置から、この中央附近の白山神社であろう。

「四十万村」現在の石川県金沢市四十万町しじままち)と思われる。

「野田桃雲寺」現在の石川県金沢市野田町(のだまち)にある高徳山桃雲寺であろう。前注の四十万町より、有意に東北の城下に近い位置にある。]

 〔一宵話巻二〕狐火の説、古《いにしへ》より種々ある事なり。或人、少年のころ、山中に目前に見し事あり。七月廿五日の暁、隣村へ行かんとする時、途中三四町隔てて、山の麓に炬火《たいまつ》のちらめくを見付け、さては狐火なり、いで試みんと、稲田の畷道(あぜみち)を、稲葉がくれに這ひゆくに、狐はかゝる時、人来《くる》べしとはしらで、大小二三十疋、叢祠(やしろ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]の広前にて、逐《おひ》つ逐はれつ、息を限りに戯れ居《をり》けり。近くよりて見るに、火とみゆるものは、彼が息(いき)なりけり。狐火の類は、地に這うて見るものなりと、俗言には虚言ならぬか。ヒヨウト飛上る時、口中よりフツト息吹き出づ。その息、火の如くヒラくヒラと光る。大抵《たちてい》口より二三尺前にて光るなり。光りつゞけに光る事なし。勢ひにのり、ヒヨツと飛び出す時のみちらつく。遠方より見れば、明滅継続するも理《ことわ》りなり。やがて人声聞えたれば、それ驚き、はらはらちりぢりに、山の奥へ逃げ入りぬ。尾を撃ち火を出《いだ》すなどと、古書にいひしは、口と尻との違ひなりと笑ひしも、今は昔の茶のみ話になれりと語る。これは口《くち》気《き》を吹けば火の如しといふによく合へり。

[やぶちゃん注:「一宵話」秦鼎(はたかなえ 宝暦一一(一七六一)年~天保二(一八三一)年:江戸後期の漢学者。美濃出身で尾張藩藩校明倫堂の教授として活躍したが、驕慢で失脚したという)の三巻三冊から成る随筆。以上は同書の「卷之二」の「稻荷の狐」の中の一節で、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十七巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)のこちらで視認出来る。実は、前後に宵曲がカットした考証があるので、見られたい。また、挿絵もある。

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