甲子夜話卷之七 13 飛驒一揆のとき、岩村侯の物頭兩人の事
[やぶちゃん注:ルーティンに戻るが、今までは、読みを総て後の注で示したが、あまりに煩瑣なので、今回以降は、底本の東洋文庫にあるものはそれを参考にし、必要と思われるものの、そちらにない読みは、推定で歴史的仮名遣で入れ込み読みを入れることとし(原本にごくたまにある静山の読みはカタカナである)、句読点・記号・段落も変更したり、挿入したりした。]
7-13
述齋云(いふ)。
『明・安の頃、聚斂(しゆうれん)の新法起り、國々の代官等、掊克(ほうこく)の所爲、多かりき。飛驒の國民、その郡代大原某が苛政に苦しみ、遂に徒黨して、一揆を企(くはだて)、その官廳を取圍(とりかこ)む。某、大に恐れ、近國の大名へ、檄(げき)を飛(とば)せて、人數(にんず)を出(いだ)さしむ。その中の一は美濃の岩村なり。彼(かの)實父能州乘薀のときなりしが、折ふし、在府なりければ、家老より達して、物頭(ものがしら)二組を、速(すみやか)に出勢(しゆつせい)せしむ。前日の黃昏(たそがれ)に飛檄(ひげき)到來せしに、翌朝の五時(いつつどき)頃、人數は岩村を發しけり。物頭は三好源大夫・岩松藤市の二人なり。前夜、家老、そのことを傳(つたふ)れば、畏(かしこま)り申(まふし)て、歸宅し、源大夫は、日頃、貧寠(ひんる)極りしものなりしが、兼て貯置(たくはへおき)しと見へて、具足櫃(ぐそくびつ)より、金、とり出(いだ)し、組の足輕どもに分ち與へ、妻子の手當とせしむ。扨、夜中、會所【城下にあり。】にて、家老初(はじめ)、集議し、夜もやゝ明(あけ)んとする程、源大夫、人を市に馳(はせ)て酒樽を取寄せ、
「いざ、出陣の盃せん。」
とて、自身、持鑓(もちやり)の石突(いしづき)を以て、樽の鏡を打破(うちやぶ)き、柄杓にて、互に、酒、酌(くみ)かはし、組の者ども迄に飮せ、高らかに、
「强者(つはもの)の交り、賴(たのみ)ある中の酒宴哉。」
と謠ひしかば、一同、これがために、氣勢を添(そへ)し。』
となり。
『既に飛州に至れば、隣境、二、三候の人數も、追々、到着す。
その内、某侯、人數の隊長、輕卒にて、百姓ども、鋤・鍬を擁して陣取しを見るより、鳥砲(てつぱう)を放(はなち)て數人を打殺しければ、ますます激して、騷擾し、却(かへつ)て鬪戰に及ばんとす。
源大夫は、獨り、一揆の村がりたる中へ入り、聲色(せいしよく)從容(しやうよう)として、說くに、大義を以てせしかば、悉皆(しつかい)、感服して、各(おのおの)、その營所に來り就(つき)て、縛(ばく)を受く。又、處々に散在せる一揆等も、
「岩村候の下知をこそ、受(うく)べきものよ。」
とて、陸續、相到(あひいた)る。源大夫、その罪の首從(しゆじゆう)を糺(ただ)して、魁首(かいしゆ)數人(すにん)を面縛(めんばく)し、脅從(けふしよう)の者は放還して、立所(たちどころ)に靜謐(せいひつ)す。
それより、二、三候の頭役(かしらやく)に會議し、
「各(おのおの)、手を空しくして、人數を收めば、面目(めんぼく)あるべからず。」
とて、縛せる所を、それぞれに分ちて、互に功を均(ひとし)くし、官吏に引渡して歸りけり。
此行(おこなひ)、源大夫が幹事の才、もとより采(と)るべくして、藤市も、源大夫が材略を盡させ、よく、和協して、偏(ひとへに)私を挾まず。これ亦、棄(すつ)べからず。此事、世上の美談となり、浪華(なには)にて、演劇に作り、一時(いつとき)、流行(はやり)に至りしと云(いふ)。
■やぶちゃんの呟き
本話の現代語訳が、「百合の若」氏のブログ「甲子夜話のお稽古」の「巻之7 〔13〕 飛騨一揆のときのこと」で読める。
「述齋」お馴染みの親友林述斎。
「明・安」「・」は底本にない。明和(一七六四年~一七七二年)と、それに続く安永(一七七二年~一七八一年)のことであろう。
「掊克」漢語の文語。「重税を課して民から搾り取ること・重税を課して民から搾り取る人」を指す。
「聚斂」支配階級に属する者が、人民に対して、苛酷な取り立てを行なうこと。
「彼實父能州乘薀」美濃国岩村藩主(同藩は美濃国(現在の岐阜県)の岩村城を拠点として美濃国と駿河国の一部を支配した)。乗政流大給松平家四代の能登守松平乗薀(のりもり 享保元(一七一六)年~天明三(一七八三)年)。「彼」の三男松平乗衡(のりひら)は、林信敬の没後、林家の養子に入り、林述斎として第八代当主を継いだのである。
「五時」不定時法で、季節が判らぬので、夏至で午前七時頃、春分・秋分で午前八時少し前頃、冬至で八時半頃となる。
「貧寠」非常に貧乏なこと。
「脅從」脅迫されて強制的に従った者。
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