フライング単発 甲子夜話續篇卷之六十四 6 野州黑羽城内【大關領所】、狐の事
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]
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大關括齋(おほせきかつさい)、訪(おとな)はれしときの話に、
「吾が城内に【括齋が居所は黑羽と云(いひ)て、城主に非ざれど、其處は山上にして全く城地(じやうち)なり。「昔、下野國造(しもつけのくにつきり)が住(すみ)し所ならん。」と。因(よつ)て、彼(かの)地には、かく、稱すれば、話言(わげん)のまゝに、爰に「城内」とは記せり。】、時の鐘を撞く人あり。
最も下賤にして、農夫にはあらぬばかりの者なり。
その居處(きよしよ)に、いつしか、狐、來り、後(のち)は、甚だ、馴れ、懇ろになりて、屢々(しばしば)、往來せり。
其(その)狐、純白なり。
其(それ)、來(きた)るときは、從狐(じゆうこ)數(す)十匹ありて、奴僕(ぬぼく)の如し。
白狐(びやくこ)、よく古昔(ふるむかし)のことを語り、且(かつ)、世上、異變あれば、必ず、告ぐ。
彼(かの)狐、馴(なる)るまゝに、或(あるい)は、彼の男の膝上(ひざうへ)に登ることあるに、其體(そのからだ)、殊に重し。
その群狐、來(きた)るとき、人、至れば、忽ち、烟盆(たばこぼん)等のかげに、身を隱すに、來人(くるひと)の目には、曾て、視ゆることなし。
又、時としては、菓子など持來(もちきた)ることあり。黑羽の城下にて賣る所の物なり。されば、賣店(うりみせ)の菓子、亡失(ばうしつ)すかと思へば、さはなくして、狐、人と化(ばけ)て來り買(かひ)求むるなり。又、持來る菓子の紙袋に、土痕(ツチアト[やぶちゃん注:珍しい静山のルビ。])あること、有り。これは、狐の、口にくはへ、途上を曳來(ひききた)る者か。」
と云ふ。
いかにも、奇談なり。
■やぶちゃんの呟き
「大關括齋」下野国黒羽藩十一代藩主大関増業(おほせきますなり 天明元(一七八一)年~弘化二(一八四五)年)であろう。彼の戒名は「括囊院殿通理美中大居士」である。伊予大洲藩主加藤泰衑(やすみち)の八男で、下野黒羽藩十代藩主大関増陽(ますはる)の養子となり、文化八(一八一一)年、藩主となった。藩校「何陋(かろう)館」を設立し、「練武館」をひらいた。隠居後、科学・医学などの研究に努めた学者肌の人物で、医学書「乗化亭奇方」や、後世に於いて、科学史・技術史書として高く評価された故実書「止戈枢要」(しかすうよう)など、多くのジャンルに及ぶ著作を残している。同藩庁は黒羽陣屋で、現在の栃木県大田原市前田(グーグル・マップ・データ)にあった。
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