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2023/10/15

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狂言茶碗割」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狂言茶碗割【きょうげんちゃわんわり】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻五〕いつの頃にや、大坂にて有福の町人、家内を召連れ花見に出で、小袖幕など打たせて酒宴なしける。最愛の小児幕の内のみに居兼ね、乳母抱いてその辺を立廻りしが、相応の武士かの小児を見て、殊に愛して抱き取り、有合せ候由にて、僕《しもべ》に持たせし菓子・手遊びなど遣はしければ、乳母は悦びて幕の内の主人夫婦へ語りければ、夫婦も悦びて幕の内へ迎へ、断りをも聞入れず、酒瓶の饗応などなしける故、厚く礼謝して立別れぬ。然してより日数十日程も過ぎて、かの侍右町人の門口を一倹連れて、あれこれと尋ぬる鉢《てい》を、かの乳母見付けて、立寄り候様申しければ、我等もこの程の饗応《きやうおう》の礼ながら、そこ爰と尋ねし由にて、立派なる肴菓子折等、持参せし趣にて居宅へ通りければ、夫婦出迎へて、この程知る人になりし事申し出して、酒食等を出し饗応(もてなし)ける処、暫く過ぎて一人の町人、手に風呂敷包を提げて、かの僕を以て申込み、何某殿是れに御出で候はゞ対面致したき旨申しける故、則ち亭主の差図にて、右町人も一席へ通りしに、かの町人懐中より百両包一つと右箱を出し、さて御手附(てつけ)も請取り候儀に候へども、右道具差合有ㇾ之由故、残金賜はり候とも差上げ難く候間、手附金返上致候旨申しけるに、かの侍以ての外憤り、一旦直段取極め、手附迄も渡し置き、今更返替《へんがへ》候とありて、跡金差支へ候様にて主人迄も相済まざる儀、全く外に高直の売口出来し故なるべしと、顔色を変へ申しければ、右手代躰の町人申しけるは、町人と申すものは商売躰《しやうばいてい》にては甚だ未練なる者にて、殊に親方は生来欲深き者故、さてさて御気の毒には候へども、右の通り申候由を述べければ、何れにも金子跡渡しさへ致し候へば、証文もこれある事ゆゑ、難渋致すべき筯これなくとて、懐中より金子三十両出して、右手代百両と共に相渡し、残金百両は明朝迄に渡すべくと申しければ、左様にて承知致し候親方に候へば、何しに私これ迄御尋ね申し持参仕るべきやと申しける故、弥〻《いよいよ》かの侍憤り、所詮汝が親方ゆゑ主人の外聞をも失はせ、我らが武士も相立たざる事に付き、これより汝主人方へ行きて目に物見せんと、顔色替りて申しける故、亭主夫婦も気の毒に思ひ、この程のかの侍の仕方、貞実極真の様子故、子を誉められし所にも迷ひけるや、右金子百両を用立て申すべしと申しければ、未だ馴染もなき人より、多分の金子借り受くべき謂《いは》れなしと、一且は断りしが、彼れ是れ考へ候躰にて、右金子借受の証文致すべき由申しけれど、証文にも及ばざる由故、然らばこの茶碗は主人懇望に付き、この度相求め候儀由、明日は右百両返金致すべき間、それ迄預り給はるべしとて、達《たつ》て断りしを無理に亭主へ相渡し、代金はかの手代へ渡して立帰りぬ。然るに翌日になりても、翌々日にも右侍相越(あひこ)さず、四五日も経《た》ちける故、不審に思ひ、かの茶碗を取出し改め見しに、二百三十両の価あるべき品にもあらざれば、道具屋または目利者(めききしや)など招きて見せけるに、これは五三匁の品にて、貴むべき品にはあらず、全くかたりに逢ひしならん、かの侍が居所主人等は何といふやと尋ねられて大いに驚き、名は聞きしが、主人並びに所は聞かざる由故、これは如何なる事にやと笑はれける故、かの者大いに怒り、さてさて憎きかたりめが仕業哉、残念なる事かなと憤りに堪へず。奉行所へ願ひ出しに、奉行所にても手掛りこれなき願ひ故、たはけ者の沙汰になり、先づ右茶碗は預けになりしが、その節奉行、名は忘れたる由、深く工夫有りて、歌舞妓座の座元を呼び寄せ、先づかくの事あり、この趣を新狂言に取組み致すべき由、申付けこれある故、有難き由にて右狂言をせしに、殊の外評判にて繁昌せしを、かの富豪の町人も芝居見物に至りしに、その身のかたりに逢ひし一部始終を、面白く狂言になし、かたりの侍は実悪の立者《たてもの》中村歌右衛門などにて、かたり取られし我身は道外方の役者、いかにも馬鹿らしき仕打どもなりしを見て弥〻憤り、宿へ帰りて食事もならざる程にて、かの茶碗を取出し、さるにても無念なりとて、煙管《きせる》にて打ちこはしけるを、家内の者その外大いに驚き、奉行所より預りの品なれば、その通りなり難きとて訴へ出ける故、奉行所よりなほまた箱に砕けたるまゝ入れて預け置き、なほまた歌舞妓座へ申付け、かの打砕きたる所をも狂言に仕組みたりしに、大きに後日狂言の評判よく流行りしが、それより日数十日ばかり経つと、かのかたりの侍右の富家へ至り、さて思はざる事にて江戸へ急に罷り越し、代金返済、茶碗請取りも延引せしと、打ちこはせしを知りて、なほまたゆすりせんと来りけるを、兼ねて手組せし事ゆゑ、召捕りて刑罰に行ひしとや。

[やぶちゃん注:正規表現と注と訳は、私の「耳嚢 巻之五 手段を以かたりを顯せし事」を見られたい。]

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