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2023/10/20

甲子夜話卷之七 15 神祖御終焉のとき藤堂高虎改宗幷その葬地の事

[やぶちゃん注:目録では「神祖御終焉のとき藤堂高虎改宗その葬地の事」。「幷」は「ならびに」と読む。]

 

7-15

 上野神祖御宮の處は寒松院と隣れり。この院は、卽(すなはち)、藤堂高虎の【「寒松院」は高虎の法號。】〕葬地なり。この故は神祖御在世の中、高虎、忠勤あり。後神祖、御病、重らせ給ふとき、高虎、御床の下に候ず。時に神祖の曰(のたまは)く、

「はや、今生(このじやう)に別れば、再び、逢(あふ)こと、無(なか)らん。」

 高虎、答(こたへ)奉るは、

「臣、又、地下に於て、謁し奉らんこと不ㇾ難(かたからず)。」

と。

 神祖、再、曰く、

「然り。但(ただし)、汝と、宗旨、違(ちが)へり。恐(おそら)くは、同所に往生せじ。」

と。

 高虎、曰(いは)く、

「尊慮を、煩(わづらは)し給ふべからず。」

 卽、御次(おつぎ)に退(しりぞ)き、改宗して、天海僧正の弟子となり、復(また)、御前に出(いで)て、そのことを、言上(ごんじやう)す。

 神祖、殊に喜び玉ひし、となり。

 高虎、卒(そつす)るに逮(および)て、遺命して、上野に葬らしむ。

 これ、地下に於て、永く御側に侍するの御約を奉ぜし所なり、と。

 及ㇾ聞(ききおよん)で、人を使して[やぶちゃん注:ママ。]淚を催さしむ。

■やぶちゃんの呟き

「上野神祖御宮」徳川家康(元和二年四月十七日(一六一六年六月一日没)を祀る上野東照宮(グーグル・マップ・データ。以下、同じ)。「東照宮」公式サイトのこちらによれば、元和二年二月四日、『天海僧正と藤堂高虎は』、『危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました』。『天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山』し、『境内には多くの伽藍が建立されました』。寛永四(一六二七)年、『その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりで』、正保三(一六四六)年には、『朝廷より正式に宮号を授けられ』、『「東照宮」となりました』とある。少々、この話とは違う。

「寒松院」上野東照宮造営の際、東照宮の法要を行うために、伊予今治藩主、後に伊勢津藩初代藩主で、外様でありながら、家康の信頼が高かった藤堂高虎(弘治二(一五五六)年~寛永七年十月五日(一六三〇年十一月九日)が、下屋敷の地所を明け渡し、寒松院を別当寺として建立した。元は東照宮の隣りにあったが、後に現在の東北のここに移った。

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