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2023/10/28

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文)始動 / 箱表・本体表紙(推定カバー)・扉・扉二・目次・「影像の獵人」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)のアフォリズム的随想Histoires Naturelles ”は一八九六年に刊行された(ルナール三十三歳。フラマリオン版で、その時の挿絵は現代木版画発展期の重要な位置にあるスイスの画家フェリックス・ヴァロットン(Félix Edouard Vallotton  一八六五年~一九二五年)が担当した。彼の挿絵も素晴らしい。『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』を見られたい)。私は既に十六年前の二〇〇七年三月二十三日にサイトの「心朽窩新館」で、偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士』(くにお:歴史的仮名遣「くにを」)『訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している。そこでは初版昭和二九(一九五四)年新潮社刊の平成一三(二〇〇一)年四十六刷改版の新潮文庫版(新字新仮名)を用い、挿絵(「日本的なナビ派」(ナビ・ジャポナール:le nabi très japonard)と称された ピエール・ボナール(Pierre Bonnard 一八六七年~一九四七年)によるもので、これは一九〇四年のフラマリオン版新版で、カラー表紙と六十七枚の挿絵(テキスト添えの六十三枚を含む)を描いている。彼については、フランス語版の当該ウィキが恐ろしく詳しいので、是非、見られたい)は、基本、訳の項目名の後のフランス語項目名にブログのマイフォトの「Pierre Bonnard Histoires Naturelles」でリンクさせていたが(一部、複数の絵がある場合に限って本文中にリンクを組み込んで遊んだ)、これは、今の私としては、頗る不満である(そうした理由は、実は、当時、サイト版は無料タイプで、画像をどんどん入れると、容量がアップして一気に満杯になる虞れがあったという、専ら、実利的問題に発するに過ぎなかったことを暴露しておく)。更に、オリジナリティを出すために、 Jules Renard Histoires Naturelles ”の原文を、フランスのサイト“ In Libro Veritas ”版の該当部分をそのままコピー引用して添えた(現在は、このサイトは消失しているようである)。加えて、各文章中のおもな生物で、同定可能なものについては、その訳文の最後に分類学上のタクソン又は学名を注で附した(但し、それに就いては、当時、『これはちょっとした私の勝手な思い付きの洒落であって、それなりに調べはしたが、厳密な分類及び種同定ではない(というわけではないけれど、学名を正式な斜体字にしていないのもお許しあれ)。ただルナールの博物学者ビュフォンとの批判的な距離を考え合わせて、お楽しみ頂ければと思うのである』などと如何にも苦しい言い訳している(注に入れ込むと、中々、進まないからに過ぎなかった。なお、今回、前回の学名の斜体は順々に斜体に変える)。また、『その他、不識を承知の上で、訳文に疑義を抱いた部分について注を附してある』と言っているが、流石に注はリキが入っていないことに内心忸怩たる(と言うか、「ジュクジュク」した気持ちの悪さ)ものを感じてきたのである。

 そこで、今回、国立国会図書館デジタルコレクションの本登録(二〇二二年十二月二十六日登録完了)によって、正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとした。これは、芥川龍之介を除いて、このところ、古典籍ばかりの電子化注に、自身、やることの面白みに聊か不満を感じ始めていたからでもある。

 また、★ボナールの画像はこの底本にはないが、それに就いては、新潮文庫版にあるそれの配された箇所を参考に、適切と思われる位置に配した。また、その画像は十六年前のそれではなく(画像ソフトを使い切れていなかったため、汚損や「ぼやけ」、裏ページの透けが、そのままになっているため)、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。【二〇二三年十月二十八日 藪野直史】]

 

    ル ナ ア ル 作

    岸 田 國 士 譯

     白 水 社

 

Hakokaie

 

[やぶちゃん注:以上は函の表。底本では、無論、見ることは出来ない。そこで、古書店「古本よみた屋 おじいさんの本、買います。」のこちらにある同原本の箱の表画像と思われるものを視認して、似せて文字を配置した。新潮社刊の新潮文庫版の11ページ相当にある同じ絵を仮に配した。実際には御覧の通り、人物の向こうの低い丘陵背景と雲と空は除去されており、そこに上部の標題その他が配されてあるのだが、明らかにボナールの原画のそれらを抹消し、そこに以上の標題を入れ込んだ加工ものであるので、敢えてそのまま配した。]

 

 ル ナ ア ル  岸 田 國 士 訳

 

    博  物  誌

 

   HISTOIRES

 

Hyousikabakari

 

   NATURELLES

 

       白 水 社

 

[やぶちゃん注:本体表紙カバーと思われるもの。底本では、経年劣化のために表紙が再製本されていて見ることが出来ない。底本のものではないが、まず、これと同じであろうかと勝手に踏んで、大阪の古書店「ナカオ書店」のこちらの、戦後の一九五一年白水社刊のそれの画像を視認して、文字は同前の仕儀とした。新潮社刊の新潮文庫版の1ページ相当にある同じ絵を仮に配した。但し、リンク先をご覧頂くと判る通り、原画像の挿絵は三色ほどの色で彩色されてある。また、「HISTOIRES」の下には、葉を持った木の枝の絵(二羽の雀のような小鳥が左端と「O」の部分にとまっている)が印刷されてあるが、これは調べたところ、全体がフランス語版(フラマリオン版新版)の表紙に使用されたものであることが判った。以下は、加入している「Pinterest」で入手した画像を加工せずに拝借したものである。

 

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また、一部、画像では、最上部の原作者が『ルナール』となっているが、底本の扉二に合わせ、「ルナアル」とした。画像が小さいので、よく判らないが、恐らくは「譯」も「訳」っぽく、最下段の「白水社」の「社」も「社」っぽく見えるが、敢えて、かく、しておいた。]

 

 

[やぶちゃん注:扉一の訳書名標題。]

 

 

博  物  誌

 

ジュウル・ルナアル

 

 岸 田 國 士 譯

 

 

1939

 

 

白 水 社

 

[やぶちゃん注:扉二の標題ページ。訳者と刊行年の間には、手前に垣根と、奥に小さな池塘を持った庭があり、左上には雀を大きくしたような鳥が飛んでいる(?)か。この絵は、タッチがボナールっぽくないので、本書のイラストとして「目次」の最後に載る明石哲三によって描かれたものであろう。明石氏(詳しい事績はサイト「HMV & BOOKS online」のこちらに詳しい)は一九七三年に逝去されており、著作権は継続しているので、掲げることはもともと出来ない。

 以下、「目次」となるが、リーダとノンブルはカットした。]

 

  博 物 誌  目 次

 

 

 影像(すがた)の狩人(かりうど)

 雌鷄

 雄鷄

 家鴨

 鵞鳥

 七面鳥

 小紋鳥

 鳩

 孔雀

 白鳥

 猫

 犬

 牝牛

 ブリュネットの死

 牛

 水の虻(あぶ)

 牡牛

 馬

 驢馬

 豚

 羊

 山羊

 兎

 鼠

 蜥蜴(とかげ)

 鼬(いたち)

 蚯蚓(みみず)

 やまかがし

 蛇

 蝸牛(かたつむり)

 蛙

 蟇

 蜘蛛

 毛蟲

 蝶

 小蜂

 蜻蛉(とんぼ)

 蟋蟀(きりぎりす)

 ばつた

 螢

 蟻(あり)

 蟻と鷓鴣(しやこ)の子

 あぶら蟲(むし)

 蚤

 栗鼠(りす)

 猿

 鹿

 かは沙魚(はぜ)

 鯨

 庭のなか

 ひなげし

 葡萄畑

 鶸(ひわ)の巢

 鳥のゐない鳥籠

 カナリヤ

 燕

 蝙蝠

 鵲(かささぎ)

 鶺鴒(せきれい)

 くろ鶫(つぐみ)!

 雲雀(ひばり)

 こま鶯(うぐひす)

 かはせみ

 隼(はやぶさ)

 鴉

 鷓鴣(しやこ)

 鴫(しぎ)

 猟期終る

 樹々の一家

挿繪 明 石 哲 三   

 

[やぶちゃん注:先に電子化した戦後のサイト版とは、配列に違いがあり、一部の標題も異なる。岸田は明らかに、この初版での訳を後の改訂版を採り、後に改訳していることが目次だけも判る。項目配列の違いは、煩瑣になるばかりで、特に指示する気はない。サイト版と読者の方々が比較されたい。

 以下、本文に入る。]

  

 

    影像(すがた)の狩人(かりうど)

 

 

 朝早くとび起きて、頭はすがすがしく、氣持は澄み、からだも夏の衣裝のやうに輕やかな時にだけ、彼は出かける。別に食ひ物などは持つて行かない。みちみち、新鮮な空氣を飮み、健康な香(かほり)を鼻いつぱいに吸い込む。獵具(えもの)も家へ置いて行く。彼はただしつかり眼をあけてゐさへすればいいのだ。その眼が網の代わりになり、そいつにいろいろなものの影像(すがた)がひとりでに引つかかって來る。

 最初に網にかかる影像(すがた)は、道のそれである。野梅と桑の實の豐かにみのつた二つの生垣に挾まれて、すべすべした砂利が骨のやうに露出し、破れた血管のやうに轍の跡がついてゐる。

 それから今度は小川の影像(すがた)をつかまへる。それは曲り角ごとに白く泡だちながら、柳の愛撫の下で眠つてゐる。魚が一匹腹を返すと、銀貨を投げこんだやうにきらきら光り、細かい雨が降りだすと、小川は忽ち鳥肌をたてる。

 彼は動く麥畑の影像(すがた)を捕へる。食慾をそそる苜蓿(うまごやし)や、小川に緣どられた牧場の影像(すがた)を捕へる。通りすがりに、一羽の雲雀が、或は鶸(ひわ)が飛び立つのをつかまへる。

 それから、彼は林のなかへはいる。すると、われながらこんな纖細な感覺があつたのかと思ふやうだ。好い香(にほひ)がもう全身にしみわたり、どんな鈍いざわめきも聞き逃さない。そしてすべての樹木と相通じるために、彼の神經は木の葉の葉脈に結びつく。

 やがて、昂奮の餘り氣持がへんになつてくる。何もかもはつきりしすぎる。からだのなかが醱酵したやうになる。どうも氣分がわるい。そこで林を出て、鑄型作りの職人たちが村へ歸つて行く、その後ろを遠くからつける。

 林の外へ出ると、恰度いま沈まうとする太陽が、その燦然たる雲の衣裳を地平線のうへに脫ぎすて、それが入り交り折り重なつてひろがつてゐるのを、いつとき、眼がつぶれるほど見つめてゐる。

 さて、頭のなかをいつぱいにして家へ歸つて來ると、部屋のランプを消しておいて、眠る前に永い間、それらの影像(すがた)を一つ一つ數へ擧げるのが樂しみだ。

 影像(すがた)は、素直に、思ひ出のまにまに蘇つて來る。その一つ一つがまた別の一つを呼び覺し、そしてその燐光の群は、ひつきりなしに新手が加はつてふえて行く――地恰も、一日ぢゆう追ひ囘廻され、散り散りになつてゐた鷓鴣のむれが、夕方、もう危險も去つて、鳴きながら畦(あぜ)の窪みに互に呼び交してゐるやうに。

 

[やぶちゃん注:本篇は底本のここから。

「狩人」主人公 Jules Renard は動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱正獣(サル)下綱霊長(サル)目真猿(サル)亜目狭鼻(サル)下目ヒト上科ヒト科ヒト属ヒト Homo sapiens

「野梅」植物界被子植物門双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属 Cerasus 或いはスモモ属 Prunus スピノサスモモ Prunus spinosa 。本邦には植生しない。

「桑の實」バラ目クワ科クワ属 Morus 。フランスで見られる種はフランス語の同種のウィキの“Noms français et noms scientifiques correspondant”(フランス語の俗語のそれぞれに対応する学名)には八種が挙がっている。所謂、甘いけれど、舌が不気味に青黒くなり、実の間の毛が舌に刺さってエラエラする(私の少年期の忘れらない記憶)「野桑の実」である。

「柳」双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属 Salix 。日本と同様、フランスでは中国原産のシダレヤナギ Salix babylonica が公園などに多く植えられているが、ヤナギは種が多く、判別も難しい。敢えて言っておくと、フランスの場合、一般的な柳は、セイヨウシロヤナ Salix alba ではなかろうかとも思う。フランスの「Van den Berk UK Limited」公式サイト内の同種のページに多数の画像があるので、見られたいが、凡そ、「しだれ柳」とは似ても似つかぬ、おフランス向きの姿である。

「魚」脊椎動物亜門顎口上綱 Gnathostomata に属する魚類。現在は軟骨魚綱 Chondrichthyes と硬骨魚綱 Osteichthyes に分かれるが、まあ、この条では、ロケーションから後者の「川魚」、淡水魚類としてよい。なお、次の注に示した本篇の原風景の体験を記したと思われる一八八九年の日記には、『ギンヒラウオ』・『すずき(パーチ)[やぶちゃん注:ルビ。]』・『コイ科の淡水魚』(佃裕文訳)と具体な魚が記されている。『ギンヒラウオ』硬骨魚綱条鰭亜綱コイ目コイ科ウグイ亜科アルブルヌス族アルブルヌス属 Alburnus alburnus (フランス語でアブレッテ(Ablette)。英語でブリーク(bleak))のことであろう(当該ウィキあり。「ギンヒラウオ」は和名として認定されたものではないようである)。『すずき(パーチ)』条鰭亜綱棘鰭上目スズキ目スズキ亜目スズキ科スズキ属スズキ Lateolabrax japonicus で、『コイ科の淡水魚』は条鰭亜綱コイ目コイ科 Cyprinidae となる。

「魚が一匹腹を返すと、銀貨を投げこんだやうにきらきら光り」所持する臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻(一九九四年刊)所収の「博物誌」の注によれば、ここに注して、「日記」の一文を指示してある。同全集第十一巻「日記Ⅰ」(一九九六年刊・佃裕文訳)の当該部は、二十四最歳の一八八九年七月二十二日のもので、日記全文が、川辺を散策した際の耳目したものを描写しているが、その描写の最後に、『一匹の魚が身を返し、どろりとした水面に銀板のような影を見せる』とある。

「麥」通常に指すところの単子葉植物綱イネ目イネ科イチゴツナギ亜科コムギ連コムギ属パンコムギ Triticum aestivum としておく。

「苜蓿(うまごやし)」被子植物門双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ウマゴヤシ属ウマゴヤシ Medicago polymorpha 若しくは、ウマゴヤシ属 Medicago の種。ヨーロッパ(地中海周辺)原産の牧草。江戸時代頃、国外の荷物に挟み込む緩衝材として本邦に渡来した帰化植物である。葉の形はシロツメクサ(クローバー:マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節シロツメクサ Trifolium repens )に似ている。『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でもお馴染みのアイテムである。

「雲雀」脊椎動物亜門鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis

「鶸」同スズメ上科ヒワ亜科ヒワ族ヒワ属ゴシキヒワ Carduelis carduelis 

「鷓鴣」鳥綱キジ目キジ亜目キジ科キジ亜科Phasianinaeの内、「シャコ」と名を持つ属種群を指す。特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる、イワシャコ属アカアシイワシャコ Alectoris rufa に同定しても構わないだろう。]

 

 

LE CHASSEUR D'IMAGES

 

II saute du lit de bon matin, et ne part que si son esprit est net, son coeur pur, son corps léger comme un vêtement d'été. Il n'emporte point de provisions. Il boira l'air frais en route et reniflera les odeurs salubres.

Il laisse ses armes à la maison et se contente d'ouvrir les yeux. Les yeux servent de filets où les images s'emprisonnent d'elles-mêmes.

La première qu'il fait captive est celle du chemin qui montre ses os, cailloux polis, et ses ornières, veines crevées, entre deux haies riches de prunelles et de mûres.

Il prend ensuite l'image de la rivière. Elle blanchit aux coudes et dort sous la caresse des saules. Elle miroite quand un poisson tourne le ventre, comme si on jetait une pièce d'argent, et, dès que tombe une pluie fine, la rivière a la chair de poule.

Il lève l'image des blés mobiles, des luzernes appétissantes et des prairies ourlées de ruisseaux. Il saisit au passage le vol d'une alouette ou d'un chardonneret.

Puis il entre au bois. Il ne se savait pas doué de sens si délicats. Vite imprégné de parfums, il ne perd aucune sourde rumeur, et, pour qu'il communique avec les arbres, ses nerfs se lient aux nervures des feuilles.

Bientôt, vibrant jusqu'au malaise, il perçoit trop, il fermente, il a peur, quitte le bois et suit de loin les paysans mouleurs regagnant le village.

Dehors, il fixe un moment, au point que son oeil éclate, le soleil qui se couche et dévêt sur l'horizon ses lumineux habits, ses nuages répandus pêle-mêle.

Enfin, rentré chez lui, la tête pleine, il éteint sa lampe et longuement, avant de s'endormir, il se plaît à compter ses images.

Dociles, elles renaissent au gré du souvenir. Chacune d'elles en éveille une autre, et sans cesse leur troupe phosphorescente s'accroît de nouvelles venues, comme des perdrix poursuivies et divisées tout le jour chantent le soir, à l'abri du danger, et se rappellent aux creux des sillons.

 

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