柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「古銭掘出し」
[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。
また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。
なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。]
古銭掘出し【こせんほりだし】 〔一話一言巻二〕天明元年十月廿日過ぎの頃、青山隠田(おんでん)の名主佐平次といへるもの、鉢植の桂木を蔵めんとて、人夫に命じて大きな窖(むろ)をつくらしむ。人夫庭をうがちて、一ツの茶釜と数十貫文(百貫に近しといふ)をほり出せり。その銭多く開元・洪武・永楽の類にて、唐宋以後の銭なり。主人田舎のものなれば、古銭の貴きをしらず。則ち人夫の雇銭にあたへしを持ち来りて、青山善光寺前の酒屋にて酒をのむ。酒屋の主人これを怪しみて問へば、しかしかのよしをいふ。そのうち三十貫文は駒場道玄坂<東京都目黒区内>の酒家亀屋源四郎といへるものにうり、弐拾貫文は青山善光寺門前の酒家にうりしといふ。終にその風説甚しければ、公(おほや)けに訴へしといふ。予<大田南畝>もつてを求めて一二文もらひ置けり。ある人のいふ。去々年《おととし》もこの庭より二椀の朱をほり出せしを、あへてとらず川水に流せしに、川の水二三日これがために赤かりしとかや。惜しむべき事なり。思ふにいにしへ渋谷長者の家の跡なりかし。
[やぶちゃん注:「一話一言」は複数回既出既注。安永八(一七七九)年から文政三(一八二〇)年頃にかけて書いた大田南畝著の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『蜀山人全集』巻四(明治四〇(一九〇七)年吉川弘文館刊)のこちらで正字で視認出来る。そこでの標題は「靑山隱田掘得錢の事」である。
「天明元年十月廿日過ぎの頃」十月二十日はグレゴリオ暦では一七八一年十二月五日。
「青山隠田」恐らくはこの中央附近のどこかであろう(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「駒場道玄坂」この中央附近。
「青山善光寺」ここ。
「渋谷長者」「白金長者」のことか、或いは、その縁族か。ウィキの「白金長者屋敷」によれば、東京都港区白金台の「国立科学博物館附属自然教育園」内に所在する中世の城館跡とされる遺跡に通称「白金長者屋敷」があり、『城館跡は、渋谷区から港区に向けて東流する古川(渋谷川)』『南岸に面した標高』三十二『メートルの武蔵野台地上に位置する』とある。ここ。]
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