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2023/11/30

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の筆蹟」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇は複数話を合わせてあり、かなり長い。また、以下の第一話には、底本で狸の描いた画が載る。しかし、底本のそれは小さく、『ちくま文芸文庫』のそれを読み取る気にもならない。されば、ここは引用元の、私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編・第五集) 古狸の筆蹟』に掲げたものを、第一話の底本で挿入してあるのは場所がずれていてよくないので、私の方で適切な位置に配することとした。

 

 狸の筆蹟【たぬきのひっせき】 〔兎園小説第五集〕世に奇事怪談をいひもて伝ふること、多くは狐狸のみ。貒(まみ)、狢《むじな》、猫の属ありといへども、これに及ばず。思ふに狐の人を魅(ばか)す事甚だ害あり。狸の害はしからず。かくて古狸のたまたま書画をよくすること、世人の普《あまね》くしるところにして、已に白雲子の蘆雁の図は、写山楼の蔵にあり、良恕のかける寒山の画は、蘆園主人示されき。その縮本今載せて『耽奇漫録』中に収めたり。これまさしく老狸の画けるものにして、諸君と共に目撃する所なり。しかるにその書をかけることを、予<山崎美成>嘗て聞けるは、武州多摩郡国分寺村<東京都国分寺市>名主儀兵衛といふ者の家に、狸のかきたりし筆跡あり。三社の託宣にて、篆字、真字、行字をまじへ、文章も違へる所ありて、いかにも狸などの書きたらんと見ゆるものなるよし、これは狸の僧のかたちに化けて、この家に止宿し、京都紫野大徳寺の勧化僧《くわんげそう》にて無言の行者と称し、用事はすべて書をもて通じたり。辺鄙の事故、在り難き聖のやうに思ひて、馳走して留めたりといふ。その後、武蔵の内にて犬に見咎められてくひ殺され、狸の形をあらはしゝとのことなりしとぞ。その頃、この事を人々にも語りしに、友人鹿山の同日の談ありとていへらく、予往年鎌倉に遊びしとき、川崎<神奈川県川崎市>の駅に止宿し、問屋某の家に蔵する所の狸の書といふものを見たり。「不騫不崩南山之寿」と書けり。その書体、八分にもあらず。真行にもあらず。奇怪言ふべからず。いかにも狸の書といふべし。問屋の話に、鎌倉辺の僧のよしにて、そのあたりを勧化せし事、五六年の間なり。果は鶴見生麦の辺にて犬に食はれしよし、この事はさのみ久しき事にあらず。予が遊びし十年も前の事なりといふ。この二条、その年月を詳《つまびらか》にせずといへども、今その墨跡の現にその家に存したれば疑ふべからず。〔同〕下総香取<千葉県香取郡>の大貫村藤堂家の陣屋隷《じんやれい》なる某甲の家に棲めりしといふ古狸の一くだりは、予もはやく聞きたることあり。当時その狸のありさまを見きといふ人のかたりしは、件の狸は彼家の天井の上にをり、その書を乞はまくほりするものは、みづからその家に赴きて、しかじかとこひねがへば、あるじそのこゝろを得て紙筆に火を鑽(き)りかけ、墨を筆にふくませて席上におくときは、しばらくしてその紙筆、おのづからに閃き飛びて天井の上に至り、又しばらくしてのぼりて見れば、必ず文字あり。或は鶴亀、或ひは松竹、一二字づつを大書して、田ぬき百八歳としるしゝが、その翌年に至りては百九歳とかきてけり。これによりて前年の百八歳は、そらごとならずと人みな思ひけるとなん。

 

Tanukinohisseki_20231130135401

 

されば狸は天井より折ふしはおりたちて、あるじに近づくこと常なり。また同藩の人はさらなり。近きわたりの里人の日ごろ親しみて来るものどもは、そのかたちを見るもありけり。ある時あるじ、戯れにかの狸にうちむかひて、なんぢ既に神通あり、この月の何日には、わが家に客をつどへん、その日に至らば何事にまれ、おもしろからんわざをして見せよかしといひにけり。かくて其日になりしかば、あるじ、まらうどらに告げていはく、某嚮(さき)に戯れに狸に云々といひしことあり、さればけふのもてなしぐさには、只これのみと思へども、渠よくせんや、今さらに心もとなくこそといふ。人々これをうち聞きて、そはめづらしき事になん、とくせよかしとのゝしりて、盃をめぐらしながら賓主かたらひくらす程に、その日も申(さる)の頃になりぬ。かゝりし程に、座敷の庭忽ち広き堤になりて、その院のほとりには、くさぐさの商人あり。或は葭簀張(よしず《ばり》)なる店をしつらひ、或ひはむしろのうへなどに物あまたならべたる、そを買はんとて、あちこちより来る人あり。かへるもあり。売り物のさはなる中に、ゆで蛸をいくらともなく簷《ひさし》にかけわたしさへ、いとあざやかに見えてけり。人々おどろき怪しみて、猶つらつらとながむるに、こはこの時の近きわたりにて、六才にたつ市にぞありける。珍らしげなき事ながら、陣屋の家中の庭もせの、かの市にしも見えたるを、人みな興じてのゝしる程に、漸々にきえうせしとぞ。これよりして狸の事、をちこちに聞えしかば、その書を求むるものはさらなり。病難利慾何くれとなく、祈れば応験ありけるにや。縁を求めて詣づるもののおびたゞしくなりしかば、遂に江戸にもそのよし聞えて、官府の御沙汰に及びけん。有司みそかに彼地に赴き、をさをさあなぐり糺ししかども、素より世にいふ山師などのたくみ設けし事にはあらぬに、且つ大諸侯の陣屋なる番士の家にての事なれば、さして咎むるよしなかりけん。いたづらにかへりまゐりきといふものありしが、虚実はしらず。これよりして、彼家にては紹介なきものを許さず。まいて狸にあはする事はいよいよせずと聞えたり。これらのよしを伝聞せしは、文化二三年のころなりしに、こののちはいかにかしけん。七十五日と世にいふ如く噂もきかずなりにけり。(このころ両国広巷路にて、狸の見せ物を出だしゝありしに、かの大貫村なる狸の風聞高きにより、官より禁ぜられしなり) 〔蕉斎筆記巻三〕 [やぶちゃん注:一字空けはママ。]当五月凡十子《はんじふし》(串田弥助なり)江戸よりの帰路、伊勢参宮の願ひありて、池鯉鮒(ちりう)の宿より南へあたり、亀浜と云ふ所有り。それより二見の浦へ参らんと、亀浜迄行きけるに、折節麦こなし[やぶちゃん注:農家で、収穫して干した麦の束から実を外し、麦粒にする作業を指す。現在の六月頃で、農事では稲刈りに次ぐ農繁期であり、木槌で打ったり、千歯扱きで引き梳くのに猫の手も借りたい時期で、普通に道端で盛んに行われた。或いは、そのために農家でない力自慢の船子(ふなこ)なども雇われたのであろう。続く以下の一文がそれを示唆しているようにも読める。]の時節なれば、一向に便船なく、其所の鳴田久兵衛と云ふものの所に止宿せり。元は酒造家なり豪家にても有りけるが、近来《ちかごろ》は百姓ばかりして追々身上《しんしやう》もよくなり、そのあたりにての家柄なり。さて亭主色々の咄有りけるに、その父禅学を好み京都へも出、大徳寺の和尚を帰依しけるが、或時和尚にもちと亀浜辺ヘも来り、御逗留あれかしなど云ひ置き帰りけるが、その後半年ばかりして大徳寺和尚一人ふらりつと見えたり。則ちこの座敷に逗留し給ひけるゆゑ、御気詰りにも有るべしなど色々慰め、筆硯など出しければ、一行物額字その外書写し楽しまれ、折節白地の屛風有りけるゆゑ、これへ御書き下さるべしなどいひければ、打付書《うちつけが》きに偈《げ》を書き、紫野大徳寺和尚と印迄居(す)ゑられたり。凡そ百三十日ばかりも逗留して帰り申されぬ。その後京都へ書状遣はし、よくこそ遠路御出御逗留ありしなど、念頃に礼を申遣はしけるに、和尚一円覚えなき事、定めて例のまいす坊主めなるべし、しかし亭主と馴染の事なれば不審なりと申しやられけるに、これは不思議なることなり、則ちその節の書き物なりとて、またまた遣はしけるに、和尚横手を打ち、これは不思議の事なり、狸の所為なるべし、既に夜中《やちゆう》座禅し偈を作り経をよみければ、縁先に古狸来り聞《きき》ける故、障子を明ければその儘立去りぬ、毎夜の事故、苦しからず、それにてきけかしといはれけれども、畜生の浅ましさには遂に逃行きぬ、その後また来《きた》ることなかりしに、その折柄《をりから》より机の上に置きたるこの石印《せきいん》見えず、右の古狸ぬすみ我に化けて参りたるなるべしと申す事なり。諸方より聞及びたるもの、一行物額字等皆々所望にあひけれども、この屛風ばかり残りたりとなむ。甚だ奇談なり。その後其狸にてあるべし。大津の先にて出家一人を駕籠に乗替《のりかへ》るに、犬に見付けられ喰殺され、正体をあらはしけるに、その石印を所持しけりとなん聞えし由、亭主咄しけるとなり。凡十子その屛風を見られけるに、見事なる手跡なりとなり。<『道聴塗説第三編』に同様の文章がある>〔真佐喜のかつら〕自在庵能阿は其角《きかく》座の俳諧師なり。狂ありてをかしみある句を好み、この叟《さう》狸の書《かき》たると言ふ短冊一葉を蔵す。「名月や畳のうへに桧のかげ」と云ふ句なり。予<青葱堂冬圃>過し[やぶちゃん注:ママ。後掲の活字本も不審としてママ注記を打つ。]事の有りしが、墨色筆勢甚だ奇なり。その子細をきくに、或年この叟房州へ杖を引き、戻りに上総国某の村に知れる家有り、二三日足をとゞむ。主も風雅の好人《すきびと》にて、俳談終夜なりしが、我家に去年冬より当夏までおかしき事のありぬ。故ありて狸一疋を助けしより、竃《へつつい》へ火をもさんとするに、薪木《たきぎ》の葉など入れあり。瓶へ水を汲まんとするに、いつしか水汲み入れありて下男どもが手助けとなり、されど只《ただ》火の事と座敷の事は少しもなさず。定めて狸の業《わざ》なるべしとおもしろがりしが、いつかその事やみて、また一夜夢みる事ありてより、一間の内へ墨摺り筆紙添へ、なににても手本を入れ置けば、その手本の通りに認《したため》かひぬ[やぶちゃん注:意味不明。同前でママ注記あり]。貴叟もこのみ給はゞ、何なりともかゝせ給へと云ふにより、まへの句かきて入れ置きしに、程なく書き置きたりとかたりぬ。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(右ページ上段から)で視認出来る。なお、この記事はパート標題『寬政七乙卯年拔書』であるから、「五月」は五月一日がグレゴリオ暦一七九五年六月十七日である。

「凡十子(串田弥助なり)」広島藩藩士で勘定所吟味役となっている。

「池鯉鮒(ちりう)の宿」東海道五十三次の三十九番目の宿場であった愛知県知立(ちりゅう)市にあった「池鯉鮒宿」(ちりゅうしゅく:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。歴史的仮名遣は「ちりふ」が正しい。

「亀浜」不詳。旧池鯉鮒宿の比較的近くなら、南南西に愛知県半田市亀崎町がある。

「二見の浦」伊勢市の二見が浦。亀崎港からなら、違和感はない。

「大徳寺」京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派大本山龍宝山大徳寺

「道聴塗説《だうちやうとせつ》第三編」儒者大郷信斎(おおごうしんさい 明和九(一七七二)年~天保一五(一八四四)年:名は良則。越前鯖江藩士。始め、芥川思堂に師事し、後、昌平黌で林述斎に学んだ。述斎が麻布に創建し学問所城南読書楼の教授とあった。文化一〇(一八一三)年には、藩が江戸に創設した稽古所(後の惜陰堂)でも教えた。著作に「心学臆見論」など)が、文政八(一八二五)・九年から、天保元(一八三〇)年にかけての風聞・雑説を記したもの。なお、この書名は一般名詞では、「論語」の「陽貨」にある「子曰、道聽而塗說、德之棄也。」に拠る語で、「路上で他人から聞いたことを、すぐに、その道でまた第三者に話す。」意で、「他人から、よい話を聞いても、それを心に留めて自分のものとしないままに、すぐ他に受け売りすること」を指す。転じて、「いい加減な世間の噂話・聴き齧りの話」の意である。

「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここ(左ページ)で正規表現で視認出来る。

 なお、私の「柴田宵曲 妖異博物館 狸の書」も参照のこと。――もう――飽きた、正直、ね…………]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「アガアト」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Agathe

 

     アガアト

 

 

 オノリイヌの代りには、その孫娘のアガアトが來ることになつた。

 物珍しさうに、にんじんは、この新來の客を觀察した。この數日間、ルビツク一家の注意は、彼から彼女の方へ移るわけである。

 「アガアトや」と、ルピツク夫人は云ふ――「部屋へはひる前には、叩いて合圖をするんだよ。だからつて、なにも、馬みたいな力で戶を蹴破らなくつたつていゝんだからね」

 「そろそろ始まつた」と、にんじんは心の中で云つた――「まあ、晝飯の時、どんなか見てゝやらう」[やぶちゃん注:この二ヶ所は二重鍵括弧とすべきところである。]

 食事は、廣い臺所でするのである。アガアトはナフキンを腕にかけ、竈(へつつい)から戶棚へ、戶棚から食卓へ、いつでも走る用意をしてゐる。といふのが、彼女はしずしずと步くなんていふことがほとんどできないのである。頰(ほつ)ぺたを眞赤(まつか)にし、呼吸をきらしてゐるほうがいいらしい。[やぶちゃん注:「竈」このままでは、多くの読者は「かまど」と読む。しかし、先行する「鍋」で岸田氏は「竈(へつつい)」とルビするので、それを採る。]

 そして、ものを言ふときは、あんまり早口だし、笑ふときは聲が大き過ぎ、それになんでも、あんまり一生懸命になりすぎるのである。

 ルピツク氏が一番先へ席に着き、ナフキンをほどき、自分の皿を正面にある大皿の方へ押しやり、肉をよそひ、ソースをかけ、またその皿を引寄せる。飮みものも自分で注ぐ。それから、背中を丸くし、眼を伏せたまゝ、つゝましく、今日も何時もと同じやうに、我れ關せずといふ風で食事をするのである。[やぶちゃん注:「注ぐ」戦後版では「注(つ)ぐ」とルビする。それに従う。]

 皿を更へるときは、彼は椅子の方へからだをそらし、尻をちよつと動かす。

 ルピツク夫人は、自分手づから、子供たちの皿につけてやる。第一番に兄貴のフエリツクス。これは、もう我慢ができないほど腹を空かしてゐるからだ。次は姉のエルネスチイヌ。年長の故にである。おしまひがにんじん。彼は食卓の一等隅つこにゐるのである。

 彼は固く禁じられてゞもゐるやうに、決してお代りをしない。一度よそつた分だけで滿足してゐるらしい。だが、もつと上げようと云へば、それは貰ふのである。飮みものなしで、彼は、嫌ひな米を頰張る。ルピツク夫人の御機嫌を取るつもりである。一家のうちで、たつた一人、彼女だけは米が大好きなのである。

 これに反して、誰に氣兼ねもいらない兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌは、お代りが欲しければ、ルピツク氏のやり方に慣つて、自分の皿を大皿の方へ押しやるのである。

 たゞ、誰も喋らない。

 「この人たちは一體どうしたんだらう」

 アガアトは、さう思つてゐる。

 彼らはどうもしないのである。さういふ風なのだ。たゞそれだけである。

 彼女は、誰の前でもかまはない、兩腕を伸ばして欠伸をしないではゐられない。

 ルピツク氏は、硝子のかけらでも嚙むやうに、ゆつくり食べてゐる。

 ルピツク夫人は、これはまた、食事の時以外は鵲よりもお饒舌なのだが、食卓につくと、手眞似と顏つきでものを云ひつけるのである。[やぶちゃん注:「お饒舌」戦後版を参考にするなら、「おしやべり」。]

 姉のエルネスチイヌは、眼を天井に向けてゐる。

 兄貴のフエリツクスはパンの屑で彫刻をこしらへ、にんじんは、湯吞がもうないので、皿についたソースを拭き取るのに、あんまり早すぎては食ひ心棒みたいだし、あんまり遲すぎても愚圖々々してゐたやうだし、そこをうまくやらうと、そのことばかりに心を遣つてゐる。この目的から、彼は、複雜な計算に沒頭する。

 だしぬけに、ルピツク氏が、水差しに水を入れに行く。

 「わたしが行きますのに・・・」

と、アガアトが云ふ。

 或は、寧ろ、そう云つたのではなく、たださう考へたゞけである。彼女は、それだけでもう、世の中のあらゆる不幸に見舞はれたやうに、舌が硬ばり、口をきくことができない。だが、自分の落度として、注意を倍加するのである。

 ルピツク氏のところには、もう殆どパンがない。アガアトは、今度こそ、先手を打たれないやうにしなければならぬ。彼女は、ほかの者のことを忘れるくらゐにまで、彼の方に氣をつけてゐる。そこで、ルピツク夫人は、突慳貪に、

 「アガアトや、お前、さうしてると、からだから枝が生えやしないかい」

 やつと、性根をつけられて、[やぶちゃん注:気合をいれられて。]

 「はい、なんでございます」

と、答へる。

 それでも、彼女は、ルピツク氏から眼を離さずに、心を四方に配つてゐるのである。彼女は、氣がきくといふ點で、彼を感心させ、自分の値打を認めてもらはうといふのだ。

 時こそ來れである。

 ルピツク氏がパンの最後の一口を、今や口へはうり込んだと思ふと、彼女は戶棚の方へ飛んで行き、まだ庖丁も入れてない五斤分の花輪形パンをもつて來て、それをいそいそと彼の方に差出した。主人の欲しいものが、默つてゐてもわかつたといふうれしさで、胸がいつぱいだ。

 ところが、ルピツク氏は、ナフキンを結び、食卓を離れ、帽子をかぶり、裏庭へ煙草を喫ひに行くのである。

 食事が濟んでから、またはじめるなんていふことを、彼はしない。

 釘づけみたいに、そこへ立つたまゝ、アガアトは、ぽかんとして、五斤かゝる花輪形パンをお腹(なか)の上に抱え[やぶちゃん注:ママ。]、浮袋會社の蠟細工看板そつくりである。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。私は文句なしに、「にんじん」の登場人物の中で、このアガアトを無条件で――「愛する」人種である。なお、「にんじん」がしでかした冤罪で暇を出された悔しいオノリイヌも、孫娘が代わりに女中に入ったから、絶望の果ての極みというわけでも、まあ、なかろうか。

「鵲」スズメ目カラス科カササギPica pica 。「カカカカッツ」「カチカチ」「カシャカシャ」といつたうるさい鳴き声を出す。本邦では、大伴家持の「かささぎのわたせる橋におく霜のしろきをみれば夜ぞふけにける」等で「七夕の橋」となるロマンティクな鳥であるが(但し、日本では佐賀県佐賀平野及び福岡県筑後平野にのみに棲息する。これが日本固有種か、半島からの渡来種かは、現在でも評価が分かれている)、ヨーロツパでは、キリストが架刑された際、カササギだけが嘆き悲しまなかつたといふ伝承からか、「お喋り」以外にも、「不幸」・「死の告知」・「悪魔」・「泥棒」(雑食性から。学名の“pica”自体がラテン語で「異食症の」といふ意味)と、シンボリックには極めて評価が悪い。

「落度」過ち・失敗。正しくは「越度」と書く(歴史的仮名遣では古くは「をつど」で、後に音変化で「をちど」となった。本来は、本邦で「通行手形を持たずに関所破りをして間道を越え抜ける罪」を指す語であった。戦後版では正しく『越度』となっている。

「花輪型パン」原文は“couronne” (音写「クロォンヌ」)で、「冠」の意。「王冠型の中央部が抜けた環状の丸いフランスパン」を指す。岸田氏はレンゲの花の冠などを想起したのであろうが、ここではそれなりに大きい(だから最後に「浮袋會社の蠟細工看板」にそつくりなのである。ちなみに「浮袋會社」といふのもやや不自然。「救命用具を製造している会社」の謂いである)から、「花輪」といふ訳では、本邦の葬花の花輪をイメージしてしまうので、私には余り良い訳語とは思われない。所持する他の訳者は孰れも「王冠パン」とする。それがよい。

「五斤」原文は“cinq livres”で“livre”(リーヴル)は「ポンド」に相当する重量単位である。一斤は約四百五十三グラムで、五掛けで二・二六五キログラムとなるから、当初、これはやや誇張表現かと注したが、調べて見ると、“couronne”には三キログラムの巨大なものもあることが判った。]

 

 

 

 

    Agathe

 

   C’est Agathe, une petite-fille d’Honorine, qui la remplace.

   Curieusement, Poil de Carotte observe la nouvelle venue qui, pendant quelques jours, détournera de lui sur elle, l’attention des Lepic.

   Agathe, dit madame Lepic, frappez avant d’entrer, ce qui ne signifie pas que vous devez défoncer les portes à coups de poing de cheval.

   Ça commence, se dit Poil de Carotte, mais je l’attends au déjeuner.

   On mange dans la grande cuisine. Agathe, une serviette sur le bras, se tient prête à courir du fourneau vers le placard, du placard vers la table, car elle ne sait guère marcher posément ; elle préfère haleter, le sang aux joues.

   Et elle parle trop vite, rit trop haut, a trop envie de bien faire.

  1. Lepic s’installe le premier, dénoue sa serviette, pousse son assiette vers le plat qu’il voit devant lui, prend de la viande, de la sauce et ramène l’assiette. Il se sert à boire, et le dos courbé, les yeux baissés, il se nourrit sobrement, aujourd’hui comme chaque jour, avec indifférence.

   Quand on change de plat, il se penche sur sa chaise et remue la cuisse.

   Madame Lepic sert elle-même les enfants, d’abord grand frère Félix parce que son estomac crie la faim, puis soeur Ernestine pour sa qualité d’aînée, enfin Poil de Carotte qui se trouve au bout de la table.

   Il n’en redemande jamais, comme si c’était formellement défendu. Une portion doit suffire. Si on lui fait des offres, il accepte, et sans boire, se gonfle de riz qu’il n’aime pas, pour flatter madame Lepic, qui, seule de la famille, l’aime beaucoup.

   Plus indépendants, grand frère Félix et soeur Ernestine veulent-ils une seconde portion, ils poussent, selon la méthode de M. Lepic, leur assiette du côté du plat.

   Mais personne ne parle.

   Qu’est-ce qu’ils ont donc ? se dit Agathe.

   Ils n’ont rien. Ils sont ainsi, voilà tout.

   Elle ne peut s’empêcher de bâiller, les bras écartés, devant l’un et devant l’autre.

  1. Lepic mange avec lenteur, comme s’il mâchait du verre pilé.

   Madame Lepic, pourtant plus bavarde, entre ses repas, qu’une agace, commande à table par gestes et signes de tête.

   Soeur Ernestine lève les yeux au plafond.

   Grand frère Félix sculpte sa mie de pain, et Poil de Carotte, qui n’a plus de timbale, ne se préoccupe que de ne pas nettoyer son assiette, trop tôt, par gourmandise, ou trop tard, par lambinerie. Dans ce but, il se livre à des calculs compliqués.

   Soudain M. Lepic va remplir une carafe d’eau.

   J’y serais bien allée, moi, dit Agathe.

   Ou plutôt, elle ne le dit pas, elle le pense seulement. Déjà atteinte du mal de tous, la langue lourde, elle n’ose parler, mais se croyant en faute, elle redouble d’attention.

  1. Lepic n’a presque plus de pain. Agathe cette fois ne se laissera pas devancer. Elle le surveille au point d’oublier les autres et que madame Lepic d’un sec :

   Agathe, est-ce qu’il vous pousse une branche ?

la rappelle à l’ordre.

   Voilà, madame, répond Agathe.

   Et elle se multiplie sans quitter de l’oeil M. Lepic. Elle veut le conquérir par ses prévenances et tâchera de se signaler.

   Il est temps.

   Comme M. Lepic mord sa dernière bouchée de pain, elle se précipite au placard et rapporte une couronne de cinq livres, non entamée, qu’elle lui offre de bon coeur, tout heureuse d’avoir deviné les désirs du maître.

   Or, M. Lepic noue sa serviette, se lève de table, met son chapeau et va dans le jardin fumer une cigarette.

   Quand il a fini de déjeuner, il ne recommence pas.

   Clouée, stupide, Agathe tenant sur son ventre la couronne qui pèse cinq livres, semble la réclame en cire d’une fabrique d’appareils de sauvetage.

 

ぎっくり腰になる

四日前の夜、父をベッドで起こす際に、自分の体を捩じってしまい、背骨の中央よりやや上に違和感を感じた。翌日から、そこが痛み出し、しゃがんだりする際、痛みが走る。湿布を張ったが、一向に痛みがとれないので、先ほど、主治医のところへ行ったら、「ぎっくり腰」と診断された。今まで「ぎっくり腰」になったことはなかった。年寄りのそれと思っていた。考えてみれば、六十六歳の私は、既にして立派な「年寄り」であることを痛感した次第である。

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「知らん顏」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Sirankao

 

     らん

 

 

「母さん! オノリイヌ!」

・・・・・・

 にんじんは、また、なにをしようといふのか? 彼は、折角の話を臺なしにしさうだ。幸ひ、ルピツク夫人の冷やかな視線の下で、彼は、ぴたりと口を噤んでしまふ。

 オノリイヌに、かう云ふ必要があるだらうか――

 「僕がしたんだよ」

 どんなにしても、この婆さんを助けることはできないのだ。彼女はもう眼が見へ[やぶちゃん注:ママ。]ない。もう眼が見えないのだ。氣の毒だが、しかたがない。早晚、彼女は、我を折らねばならぬだらう。こゝで、彼が自白をしても、それは彼女を一層悲しませるだけの話だ。出て行くなら出て行くがいゝ。そして、それがにんじんの仕業とは氣づかず、運命の避け難き兇手が、わが身に降りかゝつたものと思つてゐるがいゝ。

 それからまた、母親にかう云ふと、どういふことになるのだ――

 「母さん、僕がしたんだよ」

 自分の手柄を吹聽し、褒美の一笑にありつかうとしたところで、さあ、それが何になる? おまけに、うつかりすると、ひどい目に遭ふかも知れない。なぜなら、かういふ事件に、彼が喙を容れる資格はないなんていふことを、ルピツク夫人は誰の前でも云ひ兼ねないからだ。彼はそれを知つてゐるのである。寧ろ、母親とオノリイヌが鍋を探す、それを手傳ふやうな風をしてゐるに限る。[やぶちゃん注:「喙」「くち」。]

 で、いよいよ、三人が一緖になつて鍋を探しはじめると、彼は誰よりも熱心らしく見えるのである。

 ルピツク夫人は、うはの空で、眞先に斷念する。

 オノリイヌも、諦めて、なにかぶつぶつ云ひながら向うへ行つてしまふ。するとやがて、にんじんは、心配のあまり氣が遠くなりさうなのだつたのを、やつと我れに返るのである。それは丁度、正義の刄(やいば)用ふるに要なく、再び鞘に納まつた形だ。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。「にんじん」の捩じれたアンビナレントな母への思いが、最悪最下劣な――ルピック夫人にとっては最上見事にして「渡りに舟」の――結末を迎えるのであった。

 なお、原文は原本に従い、少しいじってある。]

 

 

 

 

    Réticence…

 

   Maman ! Honorine !

・・・・・・・・・・・・・・・・・

   Qu’est-ce qu’il veut encore, Poil de Carotte ? Il va tout gâter. Par bonheur, sous le regard froid de madame Lepic, il s’arrête court.

   Pourquoi dire à Honorine :

   C’est moi, Honorine !

   Rien ne peut sauver la vieille. Elle n’y voit plus, elle n’y voit plus. Tant pis pour elle. Tôt ou tard elle devait céder. Un aveu de lui ne la peinerait que davantage. Qu’elle parte et que, loin de soupçonner Poil de Carotte, elle s’imagine frappée par l’inévitable coup du sort.

   Et pourquoi dire à madame Lepic :

   Maman, c’est moi !

   À quoi bon se vanter d’une action méritoire, mendier un sourire d’honneur ? Outre qu’il courrait quelque danger, car il sait madame Lepic capable de le désavouer en public, qu’il se mêle donc de ses affaires, ou mieux, qu’il fasse mine d’aider sa mère et Honorine à chercher la marmite.

   Et lorsqu’un instant tous trois s’unissent pour la trouver, c’est lui qui montre le plus d’ardeur.

   Madame Lepic, désintéressée, y renonce la première.

   Honorine se résigne et s’éloigne, marmotteuse, et bientôt Poil de Carotte, qu’un scrupule faillit perdre, rentre en lui-même, comme dans une gaine, comme un instrument de justice dont on n’a plus besoin.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鍋」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Nabe

 

     

 

 

 家族のために何か役に立つといふ機會は、にんじんにとつて、めつたに來ないのである。何処かの隅に縮こまつてゐて、彼はそいつが通るのを待ち構え[やぶちゃん注:ママ。]てゐる。豫めこれといふ當てもなく、彼は耳を澄まし、いざといふ場合に、物蔭から現れ出ようといふのだ。そして、何れを見ても、煩惱に心を亂されてゐる人々の中で、たゞ一人、頭の働きを失つてゐない遠謀深慮ある人物のごとく、事件一切の始末を引受けようといふのだ。

 處で彼は、ルピツク夫人が、利巧で確かな助手を欲しがつてゐるといふことを感づいた。どうせ彼女は、それを口に出して云ふ筈はない。それほど負け惜しみが强いのだ。契約は暗默の裡(うち)に締べばいゝ。それで、にんじんは、今後、督促を俟たず、しかも、報酬を當てにしないで立ち働かなければならぬ。

 決心がついた。

 朝から晚まで、竈(かまど)の自在鉤(かぎ)に鍋が一つ懸かつてゐる。冬は、湯が澤山いるので、この鍋が幾度となく、いつぱいになつたり、空つぽになつたりする。鍋は燃え盛る火の上で、ぐらぐら音を立てゝゐる。

 夏は、食事の後で、皿を洗ふためにその湯を使ふだけである。ほかの時は絕えず小さな口笛を吹きながら、用もないのに沸いてゐるのだが、その鍋の罅(ひゞ)だらけの腹の下で、消えかゝつた二本の薪が燻(いぶ)つてゐる。

 どうかすると、オノリイヌは、その口笛が聞えなくなるのである。彼女は、こごんで耳を押しつける。

 「みんな湯氣になつちまつた」

 彼女は、鍋の中へ、柄杓(ひしやく)に一杯水を入れる。二本の薪をくつつけ、灰を搔きまわす。やがてまた、懷かしいしやんしやんいふ音が聞え出す。すると、オノリイヌは安心して、ほかの用事をしに行くのである。

 假に誰かが彼女にかう云つたとする――

 「オノリイヌ、もう使ひもしない湯を、どうして沸かすんだい。鍋をおろしておしまひ。火をお消し。お前さんは、只みたいに薪を燃すんだね。寒くなると、がたがた顫え[やぶちゃん注:ママ。]てる貧乏人がどれだけあるか知れないんだよ。お前さんは一體、締るところは締る女(ひと)なんだのにね」[やぶちゃん注:「燃す」は「もす」と訓じておく。私のサイト版の他の三篇の訳を確認したが、「燃」の漢字を含む篇では、「もやす」型の読みは一つもなく、総て「もす」型であるからである。「締る」戦後版では二ヶ所とも『しま』とルビする。それを採る。]

 彼女は、返事に困つて、頭をゆすぶるだらう。

 自在鉤の先に、鍋が一つ懸かつてゐるのを、彼女は年(ねん)が年ぢう見て來たのだ。

 彼女は、年が年中、湯が沸(たぎ)るのを聞き、鍋が空つぽになれば、たとへ雨が降らうが、風が吹かうが、また日が照らうが、年が年中、そいつをいつぱいにして來たのだ。

 で、今ではもう、鍋に手を觸れることは勿論、それを眼で見る必要もない。彼女は、諳(そら)で覺えてゐるのである。たゞ、耳を澄して音を聽けばいゝ。それでもし、鍋が音を立てゝいなかつたら、柄杓で一杯水を注ぎ込むのである。それは丁度、彼女が南京玉へ糸を通すやうに、これこそ慣れつこになつてゐて、未だ嘗て見當を外したことはないのだ。

 それが、今日はじめて、彼女は見當を外したのである。

 水が悉く火の上に落ち、灰の雲が、五月蠅いものに腹を立てた獸のやうに、オノリイヌ目がけて飛びかゝり、からだを包み、呼吸をつまらせ、皮膚を焦がした。

 彼女は、後すざりをしながら、叫び聲を立てた。嚔(くさ)めをした。唾を吐いた。そして云ふ――

 「地べたから鬼が飛び出したかと思つた」

 眼がくつつき、それがちくちくと痛む。だが彼女は、眞黑になつた手を伸ばして竈の闇を探つた。

 「あゝ、わかつた」と、彼女は、びつくりして云ふ――「鍋がなくなつてる」

 「いや、そんなはずはない。さつぱりわからん」と、また云ふ――「鍋は、さつきまでちやんとあつたんだ。たしかにあつた。蘆笛のやうに、ぴいぴい音を立てゝゐた」[やぶちゃん注:「蘆笛」私なら「あしぶえ」と読んでしまうが、戦後版では『よしぶえ』であるので、それを採る。]

 してみると、オノリイヌが、野菜の切り屑でいつぱいになつた前掛を窓からふるふために、向うをむいてゐる間に、誰かゞそれを外して行つたに違ひない。

 だが、それは、一體、誰だ?

 ルピツク夫人は、嚴めしく、そして落ち着きはらつた樣子で、寢室の靴拭ひの上へ現はれる――

 「なにを大騷ぎしてるんだい、オノリイヌ」

 「騷ぎも騷ぎも、大變なことが起つたから、騷いでるんですよ」と、彼女は叫ぶ――「もうちつとで、わしや丸焦げになるとこだ。まあ、この木履(きぐつ)を見ておくんなさい。このスカアトを、この手を・・・。下着は跳ねだらけだし、カクシの中へは炭の塊りが飛び込んでるだし・・・。」

 

ルピツク夫人――その水溜(みずたまり)はなにさ。竈(へつつい)がびしよびしよぢやないか。これで、奇麗になるこつたろう。

オノリイヌ――わしの鍋を、どうして默つて持つてくだね。どうせ、あんたが外したに違ひない。

ルピツク夫人――鍋は、この家ぢうみんなのものなんだからね。それとも、あたしにしろ、旦那樣にしろ、また子供たちにしろ、その鍋を使ふのに、いちいちお前さんの許しを受けなきやならないのかい?[やぶちゃん注:「家」前例に徴して「うち」と読んでおく。]

オノリイヌ――わしや、無茶を云ふかも知れませんよ。腹が立つてしやうがないんだから。

ルピツク夫人――あたしたちにかい、それともお前さん自身にかい? さうさ、どつちにだい? あたしや物好きぢやないが、それが知りたいもんだね。全く呆れた女(ひと)だよ、お前さんは、鍋がそこにないからつて、火の中へ柄杓にいつぱい水をぶつかけるとは、隨分思ひきつたことをするぢやないか。おまけに意地を張つてさ、自分の粗相は棚に上げて、他人(ひと)に、あたしに、罪をなすくろうとする。かうなつたら、あたしや、どこまでもお前さんをとつちめるよ。

オノリイヌ――にんじん坊つちやん、おれの鍋は、何處へ行つたか知りなさらんか?

ルピツク夫人――なにを知つてるもんか、あの子が。第一、子供には責任はない。お前さんの鍋はどうでもいゝから、それより、昨日お前さんはなんと云つたか、それを思ひ出してごらん。――「そのうちに、自分で、湯一つ沸かすことができなくなつたつていふことに氣がついたら、追ひ出されなくつても、勝手に獨りで出て行く」――かう云つたらう。現に、あたしには、お前さんの眼のわるいことはわかつてた。だが、それほどまでひどいとは思つてなかつたよ。もう、これ以上なんにも云はない。あたしの身になつて考へてごらん。お前さんも、あたし同樣、さつきからの事情はわかつてるんだからね。自分で始末をつけるがいゝ。あゝ、あゝ、遠慮はいらないから、いくらでも泣くさ。それだけのことはあるんだもの。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「南京玉」陶製やガラス等で出来た小さい玉。糸を通す穴が空いており、指輪・首飾り・刺繡の材料等にするビーズのことである。但し、原文では“perle”で、綴りから判る通り、この語は原義は「真珠」である。但し、他に「真珠に似た対象」を指して、「南京玉・ビーズ」や、或いは、文学的に「露」等を換喩することもある。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清氏の訳「にんじん」では、岸田氏の訳に敬意を以って従い、「南京玉」である。一九九五年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第三巻の佃裕文氏の訳は『真珠に糸でもとおすように』であるが、私はここは逐語訳は好まない。「南京玉」或いは「ビーズ」でよいと思う。

「蘆笛」単子葉植物綱イネ目イネ科ヨシ Phragmites australis の葉を丸く巻いて作つた笛。本来は「アシ」であったが、これが「悪し」に通じることから、古くに変名が生まれ、現行では標準和名は「アシ」である。但し、これは最初に当該種に名づけられたものを採用することになっている命名規約に反する行為である。

「下着は跳ねだらけ」この「下着」は原作は“caraco”(カラコ)で、私の辞書でも「短い婦人の上着」であり、前掲の倉田氏訳も、佃氏訳も、「下着」ではなく、「上着」と訳してゐる。特に後者では、『上着(カラコ)』とルビを振り、後注をつけられ、『十八世紀末から十九世紀にかけて着用された、腰丈まであるブラウス風の婦人用上着』とある。残念ながら、語訳の類いである。

「罪をなすくろうとする」「冤罪をなすりつけようとする」の意。]

 

 

 

 

    La Marmite

 

   Elles sont rares pour Poil de Carotte, les occasions de se rendre utile à sa famille. Tapi dans un coin, il les attend au passage. Il peut écouter, sans opinion préconçue, et, le moment venu, sortir de l’ombre, et, comme une personne réfléchie, qui seule garde toute sa tête au milieu de gens que les passions troublent, prendre en mains la direction des affaires.

   Or il devine que madame Lepic a besoin d’un aide intelligent et sûr. Certes, elle ne l’avouera pas, trop fière. L’accord se fera tacitement, et Poil de Carotte devra agir sans être encouragé, sans espérer une récompense.

   Il s’y décide.

   Du matin au soir, une marmite pend à la crémaillère de la cheminée. L’hiver, où il faut beaucoup d’eau chaude, on la remplit et on la vide souvent, et elle bouillonne sur un grand feu.

   L’été, on n’use de son eau qu’après chaque repas, pour laver la vaisselle, et le reste du temps, elle bout sans utilité, avec un petit sifflement continu, tandis que sous son ventre fendillé, deux bûches fument, presque éteintes.

   Parfois Honorine n’entend plus siffler. Elle se penche et prête l’oreille.

   Tout s’est évaporé, dit-elle.

   Elle verse un seau d’eau dans la marmite, rapproche les deux bûches et remue la cendre. Bientôt le doux chantonnement recommence et Honorine tranquillisée va s’occuper ailleurs.

   On lui dirait :

   Honorine, pourquoi faites-vous chauffer de l’eau qui ne vous sert plus ? Enlevez donc votre marmite ; éteignez le feu. Vous brûlez du bois comme s’il ne coûtait rien. Tant de pauvres gèlent, dès qu’arrive le froid. Vous êtes pourtant une femme économe.

   Elle secouerait la tête.

   Elle a toujours vu une marmite pendre au bout de la crémaillère.

   Elle a toujours entendu de l’eau bouillir et, la marmite vidée, qu’il pleuve, qu’il vente ou que le soleil tape, elle l’a toujours remplie.

   Et maintenant, il n’est même plus nécessaire qu’elle touche la marmite, ni qu’elle la voie ; elle la connaît par coeur. Il lui suffit de l’écouter, et si la marmite se tait, elle y jette un seau d’eau, comme elle enfilerait une perle, tellement habituée que jusqu’ici elle n’a jamais manqué son coup.

   Elle le manque aujourd’hui pour la première fois.

   Toute l’eau tombe dans le feu et un nuage de cendre, comme une bête dérangée qui se fâche, saute sur Honorine, l’enveloppe, l’étouffe et la brûle.

   Elle pousse un cri, éternue et crache en reculant.

   Châcre ! dit-elle, j’ai cru que le diable sortait de dessous terre.

   Les yeux collés et cuisants, elle tâtonne avec ses mains noircies dans la nuit de la cheminée.

   Ah ! je m’explique, dit-elle, stupéfaite. La marmite n’y est plus…

   Ma foi non, dit-elle, je ne m’explique pas. La marmite y était encore tout à l’heure. Sûrement, puisqu’elle sifflait comme un flûteau.

   On a dû l’enlever quand Honorine tournait le dos pour secouer par la fenêtre un plein tablier d’épluchures.

   Mais qui donc ?

   Madame Lepic paraît sévère et calme sur le paillasson de la chambre à coucher.

   Quel bruit, Honorine !

   Du bruit, du bruit ! s’écrie Honorine. Le beau malheur que je fasse du bruit ! un peu plus je me rôtissais. Regardez mes sabots, mon jupon, mes mains. J’ai de la boue sur mon caraco et des morceaux de charbon dans mes poches.

 

     MADAME LEPIC

   Je regarde cette mare qui dégouline de la cheminée, Honorine. Elle va faire du propre.

     HONORINE

   Pourquoi qu’on me vole ma marmite sans me prévenir ? C’est peut-être vous seulement qui l’avez prise ?

     MADAME LEPIC

   Cette marmite appartient à tout le monde ici, Honorine. Faut-il, par hasard, que moi ou monsieur Lepic, ou mes enfants, nous vous demandions la permission de nous en servir ?

     HONORINE

   Je dirais des sottises, tant je me sens colère.

     MADAME LEPIC

   Contre nous ou contre vous, ma brave Honorine ? Oui, contre qui ? Sans être curieuse, je voudrais le savoir. Vous me démontez. Sous prétexte que la marmite a disparu, vous jetez gaillardement un seau d’eau dans le feu, et têtue, loin d’avouer votre maladresse, vous vous en prenez aux autres, à moi-même. Je la trouve raide, ma parole !

     HONORINE

   Mon petit Poil de Carotte, sais-tu où est ma marmite ?

     MADAME LEPIC

   Comment le saurait-il, lui, un enfant irresponsable ? Laissez donc votre marmite. Rappelez-vous plutôt votre mot d’hier : « Le jour où je m’apercevrai que je ne peux même plus faire chauffer de l’eau, je m’en irai toute seule, sans qu’on me pousse. » Certes, je trouvais vos yeux malades, mais je ne croyais pas votre état désespéré. Je n’ajoute rien, Honorine ; mettez-vous à ma place. Vous êtes au courant, comme moi, de la situation ; jugez et concluez. Oh ! ne vous gênez point, pleurez. Il y a de quoi.

 

2023/11/29

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「オノリイヌ」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Onorinu

 

     オノリイヌ

 

 

ルピツク夫人――お前さんは、もう幾歲(いくつ)だつけ、オノリイヌ?

オノリイヌ――この萬聖節で、丁度六十七になりました、奧さん。

ルピツク夫人――そいぢや、もう、いい年だね。

オノリイヌ――だからつて、別にどうもありませんよ、まだ働けるだもの。病氣なんぞしたことはなしね。頑丈なことゝ來ちや馬にだつて負けやしませんからね。

ルピツク夫人――そんなこと云ふなら、あたしが考へてることを云つてあげようか。お前さんは、ぽくりと死ぬよ。どうかした日の晚方、川から歸りがけに、背負つてる籠がいつもの晚より重く、押してる車が思ふやうに動かないのさ。お前さんは、車の梶棒の間へ膝をついて倒れる。濡れた洗濯物の上へ顏を押しつけてね。それつきりさ。誰か行つて起してみると、もうお前さんは死んでるんだよ。

オノリイヌ――笑はしちや困るよ、奧さん。心配しないでおくんなさい。脚だつて、まだぴんぴんしてるんだもの。

ルピツク夫人――さう云や、少しばかり前こゞみになつてきたね。だけど背中が丸くなると、洗濯をする時に、腰が疲れなくつていい。たゞどうにも困ることは、お前さんの眼が、そろそろ弱つて來たことだよ。さうぢやないとは云はせないよ。この頃、それがちやんと、あたしにはわかるんだ。

オノリイヌ――そんなことはないね。嫁に行つた頃とおんなじに、眼ははつきり見えるがね。

ルピツク夫人――よし。それぢや、袋戶棚を開けて、お皿を一枚持つて來て御覽、どれでもいゝ、若しお前さんが、ちやんと皿拭布をかけたといふなら、この曇り方はどうしたんだらう。[やぶちゃん注:「皿拭布」戦後版では、『さらふきん』とルビする。それを採る。]

オノリイヌ――戶棚の中に、濕りつ氣があるだね。

ルピツク夫人――そんなら、戶棚の中に、指が幾本もあるのかねえ。さうして、お皿の上をあつちこつちうろつき廻つてるのかねえ。この跡はなにさ。

オノリイヌ――あれま、何處にね、奧さん。なんにも見えませんよ。

ルピツク夫人――さうだらう? そいつを、あたしが咎めてるんだよ。いゝかい、婆や、あたしは、なにも、お前さんが骨惜しみをしてるつて云ひやしないよ。そんなことでも云つたら、そりや、あたしが間違ひだ。この土地で、お前さんぐらい精を出して働く女は一人だつでゐやしない。たゞ、お前さんは、年を取つて來た。尤も、あたしだつて年は取る。誰だつてみんな年を取るのさ。かうもしよう、あゝもしようと思つたつて、それだけぢやどうすることも出來ないやうになる。だからさ、お前さんだつて、時折りは、眼の中が、布を張つたやうに霞むこともあるだらうつていふのさ。いくらこすつても、なんにもならない。さうなつてしまつたんだから・・・。

オノリイヌ――それにしたつて、わしや、ちやんと眼は開けてるだよ。水桶の中へ顏を突込んだ時みたいに、皆目方角もわからないなんてこたあないんですけどね。

ルピツク夫人――いや、いや、あたしの云ふことは間違ひなし。昨日(きのふ)だつてさうだよ、旦那さんに、よごれたコツプを差上げたらう。あたしはなんにも云やしなかつた。なんだかんだつていふことになつて、お前さんがまた氣に病むといけないと思つてさ。旦那さんも、さうだ。なんにもおつしやらなかつた。これはまた、普段から、なんにもおつしやらない方だからね。だけど、なに一つ見逃しはなさらない。世間では、無頓着な人だと思つてるけど、こりや間違ひだ。それや、氣がつくんだからね。なんでも額の奧へ刻み込んどく。だから、そのコツプだつて、指で押しやつて、たゞそれだけさ。お晝には、辛棒して、たうとうなんにもお飮みにならなかつた。あたしや、お前さんと、旦那さんと、二人分、辛い思ひをしたよ。

オノリイヌ――そんな馬鹿な話つてあるもんぢやない。旦那さんが女中に氣兼ねするなんて・・・。さう云ひなさればいゝのに・・・。コツプを代へるぐらゐなんでもありやしない。

ルピツク夫人――それもさうだらう。だが、お前さんよりもつと拔目のない女たちが、どうしたつてあの人に口を利かせることは出來ないんだよ。旦那さんは、物を言ふまいつて決心していらつしやるんだからね。あたしは、もう諦めてる、自分ぢや。ところで、今話してるのは、そんなことぢやない。一と口に云つてみれば、お前さんの眼は日一日に弱つて來る。これが、洗濯だとか、なんとか、さういふ大きな仕事は、まあ、半分の粗相で濟むにしたところで、細かな仕事になると、これやもう、お前さんの手にやおへない。入費(かゝり)は殖えるけれど、しかたがない。あたしや、誰か、お前さんの手助けになる人をみつけようと思ふんだよ・・・。

オノリイヌ――わしや、ほかの女に尻いくつついていられちや、一緖にやつて行けませんや、奧さん。

ルピツク夫人――それを、こつちで云はうと思つてるとこさ。だとすると、どうしよう。正直なところ、あたしやどうすればいゝかねえ。

オノリイヌ――わしが死ぬまで、かういふ風にして、結構やつて行けますよ。

ルピツク夫人――お前さんが死ぬつて・・・? ほんとにそんなことを考へてるのかい。あたし達を生憎みんなお墓へ送り兼ねないお前さんぢやないか。そのお前さんが死ぬなんてことを、人が當てにしてるとでも思つてゐるのかい。

オノリイヌ――奧さんは、だけど、布きんのあてやうがちよつくら間違つてたぐらゐで、わしに暇をくれようつていふつもりは多分おあんなさるまい。だいいち、わしや、奧さんが出て行けつて云ひなさらにや、この家から離れませんよ。いつたん外へ出りや、けつく、野たれ死をするだけのこつた。[やぶちゃん注:「家」前例に徴して「うち」と訓じたい。]

ルピツク夫人――誰が暇を出すなんて云つたい、オノリイヌ。なにさ、そんな眞赤な顏をして・・・。あたしたちは、今、お互に、心置きなく話をしてるんだ。すると、お前さんは腹を立てる。お寺の本堂よりとてつもない無茶を云ひ出す。

オノリイヌ――わしにそんなこと云つたつて、しやうがないでせう。

ルピツク夫人――ぢや、あたしはどうなのさ。お前さんの眼が見えなくなつたのはお前さんの罪でもなく、あたしの罪でもない。お醫者に治(なほ)して貰ふさ。治ることだつてあるんだから。それはさうと、あたしと、お前さんと、一體、どつちが餘計難儀をしてるだらう。お前さんは、自分で眼を患(わづら)つてることも知らずにゐる。家中のものが、そのために不自由をする。あたしや、お前さんが氣の毒だから、萬一の粗相がないやうに、さう云つてあげたまでだ。それに、言葉優しく何をかうしろつて云ふ權利は、こりや、あたしにあると思ふからさ。[やぶちゃん注:「家中」戦後版を参考に「うちぢゆう」と読んでおく。]

オノリイヌ――いくらでも云つとくんなさい。どうにでも好きなやうになさるがいゝさ。わしや、さつき、ちつとの間、町の眞中へおつぽり出されたやうな氣がしたゞけれど、奧さんがさう云ひなさるなら安心しましたよ。わしの方でも、これから皿のこたあ氣をつけます。うけ合ひました。

ルピツク夫人――さうして貰へれや、なんにも云ふことはないさ。あたしや、これで、評判よりやましな人間だからね。どうしても云ふことを聽かない時は、これや仕方がないが、さもなけりや、お前さんを手放すなんてことはしないよ。

オノリイヌ――そんなら、奧さん、もうなんにも云ひなさるな。今といふ今、わしや、自分がまだ役に立つつて氣がして來ましたよ。もしも奧さんが出て行けつて云ひなすつたら、わしや、そんな法はないつて怒鳴るから・・・。だけども、そのうちに、自分で厄介者だつていうことがわかつたら、さうして、水を容れた鍋を火へかけて沸かすこともできんやうになつたら、そん時や、さつさと、ひとりで、追ひ出される前に出て行きますよ。

ルピツク夫人――何時なんどきでも、この家へ來れや、スープの殘りがとつてあるつてことを忘れずにね、オノリイヌ。[やぶちゃん注:「來れや」「これや」或いは「くれや」。「こりゃ」「くりゃ」。]

オノリイヌ――いゝや、奧さん、スープはいりません。パンだけで結構。マイツト婆さんは、パンだけしか食はないやうになつてから、てんで死にさうもないからね。

ルピツク夫人――それがさ、あの婆さんは、もう百を越してるんだからね。ところで、お前さんは、まだかういふことを知つてるかい? 乞食つていふものは、あたしたちより仕合せなんだよ。あたしがさういふんだから、オノリイヌ。

オノリイヌ――奧さんがさう云ふんなら、わしもさう云つとかう。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。私は中学二年生の時に、ここを読んで、「慇懃無礼」という語を惨たらしくも理解したことを思い出す。しかも、私は永く、ヴァロトンの「にんじん」の挿絵の中で、選りによって、このオノリーヌの横顔のそれが、「にんじん」と言った瞬間、真っ先に想起されてしまうのである。それは、既に読者の方々が気づかれたであろう一点と、強烈に結びついているからだと思うのである。そう、小説「にんじん」の中で「にんじん」が名前さえも登場しないのは、この章だけなのである。実は、それはこの後にダイレクトな続篇として続く二篇「鍋」と「知らん顏」のある――厭な予感――「にんじん」の中の隠微な捩じれた闇――を無意識的に引き出させる効果を持っているからだと私は信じて疑わないのである。……いや!……このシークエンスの画面に映らぬ物陰に……「にんじん」は……いる!……息を潜めて……「にんじん」は、この二人の会話を聴いている「観客」なのである!…………

「萬聖節」キリスト教の祝日の一つ。これは日本での呼称で、原文の“Toussaint”という語の意味は「諸聖人の祝日」で、全ての聖人と殉敎者を記念する日。カトリツク教会礼暦では十一月一日である。

「お寺の本堂よりとてつもない無茶を云ひ出す」原文は“vous dites des bêtises plus grosses que l'église”で、“bêtises”(愚かなこと)、“grosses”(がさつな・ひどい)、“église”(カトリックの教会堂)であるから、確かに「あんたは、びっくりするほど大袈裟な教会堂みたいに、とんでもない愚かなことを言い出す。」といつた意味であるが、「お寺の本堂」ではちよつと日本人の比喩の感覚には相応しいとは言えない。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳「にんじん」では、教会の建物ではなく、厳格なカトリツク教会の組織の意味でとつて、『教会よりわけのわからない、くだらないことを言ったりしてさ。』と訳しておられる。但し、だとすると、原文の頭の“é”は、大文字で表わすのではないかとも思われる。一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』3では、意訳して、『それをおまえさん、息巻いて、やみくもな馬鹿を言い出すんだから。』と訳しておられる。佃氏の意訳がよいと思うが、相応の補注は必要だろう。]

 

 

 

 

     Honorine

 

     MADAME LEPIC

   Quel âge avez-vous donc, déjà, Honorine ?

     HONORINE

   Soixante-sept ans depuis la Toussaint, madame Lepic.

     MADAME LEPIC

   Vous voilà vieille, ma pauvre vieille !

     HONORINE

   Ça ne prouve rien, quand on peut travailler. Jamais je n’ai été malade. Je crois les chevaux moins durs que moi.

     MADAME LEPIC

   Voulez-vous que je vous dise une chose, Honorine ? Vous mourrez tout d’un coup. Quelque soir, en revenant de la rivière, vous sentirez votre hotte plus écrasante, votre brouette plus lourde à pousser que les autres soirs ; vous tomberez à genoux entre les brancards, le nez sur votre linge mouillé, et vous serez perdue. On vous relèvera morte.

     HONORINE

   Vous me faites rire, madame Lepic ; n’ayez crainte ; la jambe et le bras vont encore.

     MADAME LEPIC

   Vous vous courbez un peu, il est vrai, mais quand le dos s’arrondit, on lave avec moins de fatigue dans les reins. Quel dommage que votre vue baisse ! Ne dites pas non, Honorine ! Depuis quelque temps, je le remarque.

     HONORINE

   Oh ! j’y vois clair comme à mon mariage.

     MADAME LEPIC

   Bon ! ouvrez le placard, et donnez-moi une assiette, n’importe laquelle. Si vous essuyez comme il faut votre vaisselle, pourquoi cette buée ?

     HONORINE

   Il y a de l’humidité dans le placard.

     MADAME LEPIC

   Y a-t-il aussi, dans le placard, des doigts qui se promènent sur les assiettes ? Regardez cette trace.

     HONORINE

   Où donc, s’il vous plaît, madame ? je ne vois rien.

     MADAME LEPIC

   C’est ce que je vous reproche, Honorine. Entendez-moi. Je ne dis pas que vous vous relâchez, j’aurais tort ; je ne connais point de femme au pays qui vous vaille par l’énergie ; seulement vous vieillissez. Moi aussi, je vieillis ; nous vieillissons tous, et il arrive que la bonne volonté ne suffit plus. Je parie que des fois vous sentez une espèce de toile sur vos yeux. Et vous avez beau les frotter, elle reste.

     HONORINE

   Pourtant, je les écarquille bien et je ne vois pas trouble comme si j’avais la tête dans un seau d’eau.

     MADAME LEPIC

   Si, si, Honorine, vous pouvez me croire. Hier encore, vous avez donné à monsieur Lepic un verre sale. Je n’ai rien dit, par peur de vous chagriner en provoquant une histoire. Monsieur Lepic, non plus, n’a rien dit. Il ne dit jamais rien, mais rien ne lui échappe. On s’imagine qu’il est indifférent : erreur ! Il observe, et tout se grave derrière son front. Il a simplement repoussé du doigt votre verre, et il a eu le courage de déjeuner sans boire. Je souffrais pour vous et lui.

     HONORINE

   Diable aussi que monsieur Lepic se gêne avec sa domestique ! Il n’avait qu’à parler et je lui changeais son verre.

     MADAME LEPIC

   Possible, Honorine, mais de plus malignes que vous ne font pas parler monsieur Lepic décidé à se taire. J’y ai renoncé moi-même. D’ailleurs la question n’est pas là. Je me résume : votre vue faiblit chaque jour un peu. S’il n’y a que demi-mal, quand il s’agit d’un gros ouvrage, d’une lessive, les ouvrages de finesse ne sont plus votre affaire. Malgré le surcroît de dépense, je chercherais volontiers quelqu’un pour vous aider…

     HONORINE

   Je ne m’accorderais jamais avec une autre femme dans mes jambes, madame Lepic.

     MADAME LEPIC

   J’allais le dire. Alors quoi ? Franchement, que me conseillez-vous ?

     HONORINE

   Ça marchera bien ainsi jusqu’à ma mort.

     MADAME LEPIC

   Votre mort ! Y songez-vous, Honorine ? Capable de nous enterrer tous, comme je le souhaite, supposez-vous que je compte sur votre mort ?

     HONORINE

   Vous n’avez peut-être pas l’intention de me renvoyer à cause d’un coup de torchon de travers. D’abord je ne quitte votre maison que si vous me jetez à la porte. Et une fois dehors, il faudra donc crever ?

     MADAME LEPIC

   Qui parle de vous renvoyer, Honorine ? Vous voilà toute rouge. Nous causons l’une avec l’autre, amicalement, et puis vous vous fâchez, vous dites des bêtises plus grosses que l’église.

     HONORINE

   Dame ! est-ce que je sais, moi ?

     MADAME LEPIC

   Et moi ? Vous ne perdez la vue ni par votre faute, ni par la mienne. J’espère que le médecin vous guérira. Ça arrive. En attendant, laquelle de nous deux est la plus embarrassée ? Vous ne soupçonnez même pas que vos yeux prennent la maladie. Le ménage en souffre. Je vous avertis par charité, pour prévenir des accidents, et aussi parce que j’ai le droit, il me semble, de faire, avec douceur, une observation.

     HONORINE

   Tant que vous voudrez. Faites à votre aise, madame Lepic. Un moment je me voyais dans la rue ; vous me rassurez. De mon côté, je surveillerai mes assiettes, je le garantis.

     MADAME LEPIC

   Est-ce que je demande autre chose ? Je vaux mieux que ma réputation, Honorine, et je ne me priverai de vos services que si vous m’y obligez absolument.

     HONORINE

   Dans ce cas-là, madame Lepic, ne soufflez mot. Maintenant je me crois utile et je crierais à l’injustice si vous me chassiez. Mais le jour où je m’apercevrai que je deviens à charge et que je ne sais même plus faire chauffer une marmite d’eau sur le feu, je m’en irai tout de suite, toute seule, sans qu’on me pousse.

     MADAME LEPIC

   Et sans oublier, Honorine, que vous trouverez toujours un restant de soupe à la maison.

     HONORINE

   Non, madame Lepic, point de soupe ; seulement du pain. Depuis que la mère Maïtte ne mange que du pain, elle ne veut pas mourir.

     MADAME LEPIC

   Et savez-vous qu’elle a au moins cent ans ? et savez-vous encore une chose, Honorine ? les mendiants sont plus heureux que nous, c’est moi qui vous le dis.

     HONORINE

   Puisque vous le dites, je dis comme vous, madame Lepic.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「水浴び」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである(今回分には一箇所だけ「……」があるが、百%、誤植である)。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Mizuabi

 

     

 

 

 やがて時計が四時を打たうとしてゐるので、にんじんは、矢も楯もたまらず、ルピツク氏と、兄貴のフエリツクスを起すのである。二人は、裏庭の榛(はしばみ)の木の下で眠つていた。[やぶちゃん注:「榛」「はしばみ」。双子葉植物綱ブナ目カバノキ科ハシバミ属 Corylus の仲間を總稱するが、原作では“noisetiers”とあり、これは“Noisetier commun”で、ハシバミ属のヨーロツパの代表種であるヘーゼルナッツが穫れるところの、セイヨウハシバミCorylus avellanaと見てよい。]

 「出かけるんだらう」と、彼は云ふ。

 

 兄貴のフエリツクス――行かう。猿股を持つといで。

 ルピツク氏――まだ暑いぞ、きつと。

 兄貴のフエリツクス――僕あ、日が照つてる時の方がいゝや。

 にんじん――それに、父さんだつて、ここより水つ緣(ぷち)の方がいゝよ。草の上へ寢轉んどいでよ。

 ルピツク氏――さ、先へ步け。ゆつくりだぞ。死んぢまつちやなんにもならん。

 

 だが、にんじんは、早くなる足並みを、やつとのことで緩めてゐるのである。足の中を蟻が這つてゐるやうな氣持だ。肩には、模樣のない、嚴しい自分の猿股と、それから、兄貴の、赤と靑との縞の猿股をかついでゐる。元氣いつぱいといふ顏付で、彼は喋る。自分だけのために歌を唱ふ。木の枝へぶらさがつて跳ぶ。空中で泳ぐ眞似をする。さて兄貴に云ふ――[やぶちゃん注:「嚴しい」「いかめしい」。]

 「ねえ、兄(にい)さん、水へはいると、きつと好い氣持だね。うんと泳いでやらあ」

 「生意氣云へ!」

と、兄貴のフエリツクスは、馬鹿にしきつた返事をする。

 なるはど、にんじんは、ぴたりと鎭まる。

 彼は、今、乾きゝつた低い石垣を、眞つ先に、ひらりと飛び越えた。すると、忽ち、眼の前を小川が流れてゐるのである。はしやいでゐる暇もなかつた。

 魔性の水は、その表面に、寒々とした影を反射させてゐた。

 齒を嚙み合せるやうに、ひたひたと波の音を立て、臭ひともつかぬ臭ひが立ち昇つてゐる。

 この中へはひるわけである。ルビツク氏が、時計を眺めて、決めたゞけの時間を計つてゐる間、この中でぢつとしてゐ、この中で動きまはらなければならない。にんじんは、顫へ上る。元氣を出して、こんどこそはと思ふのだが、いよいよとなると、またその元氣がどつかへ行つてしまふ。水を見ると、遠くの方から引張られるやうで、つひ[やぶちゃん注:ママ。]ぐらぐらつとなるのである。

 にんじんは、一人離れて、着物を脫ぎはじめる。瘠せてゐるところや、足の恰好を見られるのがいやでもあるが、それより、獨りで、誰れ憚らず顫へたいのだ。[やぶちゃん注:「足の恰好を見られるのがいや」その真相は本章末で明らかにされる。]

 彼は、一枚二枚脫いで行つて、そいつを丁寧に草の上で疊む。靴の紐を結び合せ、それをまた、何時までもかゝつてほどく。

 猿股を穿く。短いシヤツを脫ぐ。だが、もうしばらく待つてゐるのである。彼は包み紙の中でべたべたになる林檎糖のやうに、汗をかいてゐるからだ。

 さうかうするうちに、兄貴のフエリツクスは、もう川を占領し、我がもの顏に荒しまはつてゐる。腕で擲り、踵で叩き、泡を立てる。そして、流れのまん中で、猛烈果敢に、騷ぎ狂ふ波の群れを、岸めがけて追い散らすのである。[やぶちゃん注:「擲り」「なぐり」。]

 「お前はもう、やめか」

 ルピツク氏はにんじんに云つた。

 「からだを乾かしてたんだよ」

 やつと、彼は決心する。地べたに坐る。そして、爪先を水に觸れてみる。その足の趾は、靴が小さ過ぎて擦りむけてゐた。さうしながら、また、胃の腑のあたりをさすつてみた。恐らく、食つたものがまだこなれてゐないだらう。それから木の根に沿つてからだを滑らせる。[やぶちゃん注:「趾」「ゆび」。この漢字は「足の指」を示す漢字である。本章末に出る方には『趾(ゆび)』とちゃんと振ってある。]

 木の根で、脛、腿、それから臀をひつかかれる。水が腹まで來ると、もう上へあがらうとする。逃げ出さうとする。濡れた糸が、獨樂の紐を捲くやうに、だんだんからだへ捲きついて行くやうな氣持だ。が、からだを支へてゐた土塊(つちくれ)が崩れる。すると、にんじんは滑り落ちる。姿を消す。水の底を逼ふ。やつと起ち上る。咳き込み、唾を吐き、息をつまらせ、眼がかすみ、頭がぼうつとする。[やぶちゃん注:「獨樂」老婆心ながら、「こま」と読む。「逼ふ」はママ。戦後版は『這う』で、「逼」には「迫る・近づく」や「狭まる・縮まる」の意味しかないので、誤記か誤植と思ったが、実は、後にも出るので、岸田氏の思い込みの誤用であることが判明した。

 「潜(もぐ)りはうまいぢやないか」

と、ルピツク氏は云ふ。

 にんじんは、すると、

 「あゝ、だけど、僕あ、きらひさ。耳ん中へ水が溜つちやつた。頭が痛くなるよ、きつと・・・」

 彼は、そこで、泳ぎの練習ができる場所、つまり、膝で砂の上を步きながら、兩腕を前の方へ動かせるところを探す。

 「あんまり急にやるからいけないんだ。手を振つたまゝ動かしちや駄目だよ、髮の毛を挘るんぢやあるまいし。その足を使ふんだ、足を……。どうもしてないぢやないか」[やぶちゃん注:「挘る」「むしる」。「……」は特異点の使用である。ここだけであるので、或いは植字工が、うっかり普通の六点リーダを誤植してしまったものだろう。]

 かうルピツク氏が云ふと、

 「足を使はないで泳ぐ方がむづかしいんだよ」

と、にんじんは云ふ。

 が、一生懸命にやつてみようとすると、兄貴のフエリツクスがそれをさせない。しよつちゆう邪魔をするのである。

 「こつちへおいでよ、にんじん。もつと深いところがあるぜ。こら、足がつかないや。沈むぜ。御覽よ、ほら、僕が見へる[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]だらう。そらこの通り・・・見えなくなるよ。そいぢや、こんだ、あの柳の木の方へ行つてろよ。動いちやいけないよ。そこまで十ぺんで行くからね」[やぶちゃん注:「こんだ」は「今度(こんど)」の変化した語で江戸時代からある語彙である。]

 「數へてるよ」

 と、にんじんは、がたがた顫へながら、肩を水から出し、まるで棒杭のやうに動かずにゐるのである。

 更に、彼は、泳がうとしてからだを屈める。ところが、兄貴のフエリツクスは、その背中へ攣ぢ登つて、飛び込みをやる。

 「こんだ、お前の番さ、ね、僕の背中へおあがりよ」

 「僕あ、自分で練習してるんだから、ほつといておくれよ」

 にんじんは、かう云ふのである。

 「もう、よし。みんな出ろ。ラムをひと口づゝ飮みに來い」

と、ルビツク氏は呼ぶ。

 「もう出るの?」

と、にんじんが云ふ。

 今になると、彼はまだ出るのが厭なのだ。水浴びに來たのに、これくらゐでは物足りない。出なければならないと思ふと、水がもう怖くはないのである。さつきは鉛、今は、羽根だ。獅子奮迅の勢で暴れまくる。危險など眼中にない。人を救ふために、自分の命を棄てゝかゝつたやうだ。おまけに、誰もしてみろと云はないのに水の中へ頭を突込む。溺れた人間の苦しみを味ふためである。

 「早くしろよ」 と、ルピツク氏は叫ぶ――「さもないと、兄さんがラムをみんな飮んヂまうぞ」[やぶちゃん注:前の台詞の後の字空けは、ママ。誤植であろう。戦後版は改行せず、繋がっている。]

 ラムなら、あんまり好きぢやないのだが、にんじんは、云ふ――

 「僕の分は、誰にもやらないよ」

 さうして、彼は、それを老兵の如く飮み干す。

 

ルピツク氏――よく洗はなかつたな。くるつぷしに、まだ垢がついてる。

にんじん――泥だよ、こりや。

ルピツク氏――いゝや、垢だ。

にんじん――もう一度水へはいつて來ようか。

ルピツク氏――明日除(と)ればいい。また來よう。

にんじん――うまい具合に天氣ならね。

 

 彼は、指の先へ、タオルの乾いたところを、つまり兄貴が濡らさずにおいてくれたところを捲きつけて、からだを拭く。頭が重く、喉はいがらつぽいのだが、彼は、大聲を立てゝ笑ふのである。といふのは、兄貴とルピツク氏が、彼の捻じくれた足の址(ゆび)を見て、へんてこな戲談をいつたからだ。[やぶちゃん注:「戲談」「じようだん」。]

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「猿股」原文は“calecons”で、「猿股」は誤りとは言えないが、下着の印象が強いから、単純に「パンツ」、若しくは「水泳パンツ」と譯した方が、若年層の読者の誤解を生まないであろう。因みに、ふと思つたが、袴の一種で例のドラマの「水戸黄門」の穿いている輕衫(かるさん)の語源は、ポルトガル語の「ズボン」に相当する“caçlão”であるが、これは同語源ように思われる。

「林檎糖」原文は“sucre de pomme”(シュクル・ド・ポム)。ルーアン特産の円柱状をしたリンゴ飴菓子。レモン汁や、キャラメル・エキス、リンゴのエキスをベースとして飴状に成し、それを冷やす際、巧みな手動で棒状に巻いて造る。長さは七センチメートル、直径一センチメートルの小さなものから、長さ三十四センチメートル、直径五センチメートルもの特大サイズのものまである(サイト「フランス菓子ラボ」のこちらを参照した)。

「ラム」サトウキビから採つた糖蜜を発酵させて造つた蒸留酒。アルコール度数は一般には約四十五パーセント程度と高いが、言わずもがなだが、ルピック氏は子供らの冷えた体を温めるために飲ませているのである。]

 

 

 

 

    Le Bain

 

   Comme quatre heures vont bientôt sonner, Poil de Carotte, fébrile, réveille M. Lepic et grand frère Félix qui dorment sous les noisetiers du jardin.

   Partons-nous ? dit-il.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Allons-y, porte les caleçons !

     MONSIEUR LEPIC

   Il doit faire encore trop chaud.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Moi, j’aime quand il y a du soleil.

     POIL DE CAROTTE

   Et tu seras mieux, papa, au bord de l’eau qu’ici. Tu te coucheras sur l’herbe.

     MONSIEUR LEPIC

   Marchez devant, et doucement, de peur d’attraper la mort.

 

   Mais Poil de Carotte modère son allure à grand-peine et se sent des fourmis dans les pieds. Il porte sur l’épaule son caleçon sévère et sans dessin et le caleçon rouge et bleu de grand frère Félix. La figure animée, il bavarde, il chante pour lui seul et il saute après les branches. Il nage dans l’air et il dit à grand frère Félix :

   Crois-tu qu’elle sera bonne, hein ? Ce qu’on va gigoter !

   Un malin ! répond grand frère Félix, dédaigneux et fixé.

   En effet, Poil de Carotte se calme tout à coup.

   Il vient d’enjamber, le premier, avec légèreté, un petit mur de pierres sèches, et la rivière brusquement apparue coule devant lui. L’instant est passé de rire.

   Des reflets glacés miroitent sur l’eau enchantée.

   Elle clapote comme des dents claquent et exhale une odeur fade.

   Il s’agit d’entrer là-dedans, d’y séjourner et de s’y occuper, tandis que M. Lepic comptera sur sa montre le nombre de minutes réglementaire. Poil de Carotte frissonne. Une fois de plus son courage, qu’il excitait pour le faire durer, lui manque au bon moment, et la vue de l’eau, attirante de loin, le met en détresse.

   Poil de Carotte commence de se déshabiller, à l’écart. Il veut moins cacher sa maigreur et ses pieds, que trembler seul, sans honte.

   Il ôte ses vêtements un à un et les plie avec soin sur l’herbe. Il noue ses cordons de souliers et n’en finit plus de les dénouer.

   Il met son caleçon, enlève sa chemise courte et, comme il transpire, pareil au sucre de pomme qui poisse dans sa ceinture de papier, il attend encore un peu.

   Déjà grand frère Félix a pris possession de la rivière et la saccage en maître. Il la bat à tour de bras, la frappe du talon, la fait écumer, et, terrible au milieu, chasse vers les bords le troupeau des vagues courroucées.

   Tu n’y penses plus, Poil de Carotte ? demande monsieur Lepic.

   Je me séchais, dit Poil de Carotte.

   Enfin il se décide, il s’assied par terre, et tâte l’eau d’un orteil que ses chaussures trop étroites ont écrasé. En même temps, il se frotte l’estomac qui peut-être n’a pas fini de digérer. Puis il se laisse glisser le long des racines.

   Elles lui égratignent les mollets, les cuisses, les fesses. Quand il a de l’eau jusqu’au ventre, il va remonter et se sauver. Il lui semble qu’une ficelle mouillée s’enroule peu à peu autour de son corps, comme autour d’une toupie. Mais la motte où il s’appuie cède, et Poil de Carotte tombe, disparaît, barbote et se redresse, toussant, crachant, suffoqué, aveuglé, étourdi.

   Tu plonges bien, mon garçon, lui dit monsieur Lepic.

   Oui, dit Poil de Carotte, quoique je n’aime pas beaucoup ça. L’eau reste dans mes oreilles, et j’aurai mal à la tête.

   Il cherche un endroit où il puisse apprendre à nager, c’est-à-dire faire aller ses bras, tandis que ses genoux marcheront sur le sable.

   Tu te presses trop, lui dit M. Lepic. N’agite donc pas tes poings fermés, comme si tu t’arrachais les cheveux. Remue tes jambes qui ne font rien.

   C’est plus difficile de nager sans se servir des jambes, dit Poil de Carotte.

   Mais grand frère Félix l’empêche de s’appliquer et le dérange toujours.

   Poil de Carotte, viens ici. Il y en a plus creux. Je perds pied, j’enfonce. Regarde donc. Tiens : tu me vois. Attention : tu ne me vois plus. À présent, mets-toi là vers le saule. Ne bouge pas. Je parie de te rejoindre en dix brassées.

   Je compte, dit Poil de Carotte grelottant, les épaules hors de l’eau, immobile comme une vraie borne.

   De nouveau, il s’accroupit pour nager. Mais grand frère Félix lui grimpe sur le dos, pique une tête et dit :

   À ton tour, si tu veux, grimpe sur le mien.

   Laisse-moi prendre ma leçon tranquille, dit Poil de Carotte.

   C’est bon, crie M. Lepic, sortez. Venez boire chacun une goutte de rhum.

   Déjà ! dit Poil de Carotte.

   Maintenant il ne voudrait plus sortir. Il n’a pas assez profité de son bain. L’eau qu’il faut quitter cesse de lui faire peur. De plomb tout à l’heure, à présent de plume, il s’y débat avec une sorte de vaillance frénétique, défiant le danger, prêt à risquer sa vie pour sauver quelqu’un, et il disparaît même volontairement sous l’eau, afin de goûter l’angoisse de ceux qui se noient.

   Dépêche-toi, s’écrie M. Lepic, ou grand frère Félix boira tout le rhum.

   Bien que Poil de Carotte n’aime pas le rhum, il dit :

   Je ne donne ma part à personne.

   Et il la boit comme un vieux soldat.

 

     MONSIEUR LEPIC

   Tu t’es mal lavé, il reste de la crasse à tes chevilles.

     POIL DE CAROTTE

   C’est de la terre, papa.

     MONSIEUR LEPIC

   Non, c’est de la crasse.

     POIL DE CAROTTE

   Veux-tu que je retourne, papa ?

     MONSIEUR LEPIC

   Tu ôteras ça demain, nous reviendrons.

     POIL DE CAROTTE

   Veine ! Pourvu qu’il fasse beau !

 

   Il s’essuie du bout du doigt, avec les coins secs de la serviette que grand frère Félix n’a pas mouillés, et la tête lourde, la gorge raclée, il rit aux éclats, tant son frère et M. Lepic plaisantent drôlement ses orteils boudinés.

 

譚海 卷之五 狐猫同類たる事 附武州越ケ谷にて猫おどる事 / 卷之五~了(ルーティン仕儀)

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。なお、この前の前の「譚海 卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事」、及び、前の「譚海 卷五 同國小田原最勝乘寺にて狸腹鼓うちし事」は孰れも既にフライング公開してある。標題の「おどる」はママ。

 なお、本篇を以って、「卷之五」は終わっている。]

 

○深川小奈木澤近き川邊に、或人、先祖より久敷(ひさしく)住居(すみゐ)て有(ある)宅あり。田畑近く、人氣(ひとけ)すくなき所成(なり)しに、ある夕暮、あるじ、庭を見てゐたれば、緣の下より、小(ちさ)き孤、壹つ、はひ出(いで)て、うづくまり居(ゐ)しを、家に飼置(かひおき)ける猫、見附(みつけ)て、あやしめる樣成(やうなる)が、頓(やが)て、行(ゆき)て、おづおづ、近寄(ちかより)、狐の匂ひを嗅(かぎ)て、うたがはず、なれ貌(がほ)に寄添(よりそひ)、後々は、時として、ともなひありきなどして、友達に成(なり)けるが、終(つひ)に、行方(ゆくへ)なく、かい失(うせ)ぬるとぞ。「元來、同じ陰獸なれば、同氣(どうき)相和(あひわ)して怪(あやし)まず、かく有(あり)けるにや。」と其人の語りぬ。すべて、猫は「狸奴(りど)」と號して、狐狸(こり)の爲(ため)、つかはるゝ物なれば、誘引せらるゝ時は、共に化(ばけ)て、をどりあるく事也。狐狸のつどふ所には、猫、必(かならず)、交(まぢは)る事あり。或人、越ケ谷に知音(ちいん)有(あり)て、行(ゆき)て、兩三日、宿りたるに、每夜、座敷の方(かた)に、人の立居(たちゐ)する如く、ひそかに手を打(うち)て、をどる聲、聞ゆる故、わびしく寢られぬまゝ、亭主に、「かく。」と語ければ、「さもあれ、心得ざる事。」とて、亭主、伺ひ行ければ、驚きて窓のれんじより、飛出(とびいづ)る物、あり。つゞきて飛出る物をはゝき[やぶちゃん注:箒(ほうき)。]にて打(うち)たれば、あやまたず、打落しぬ。火をともして見れば、家に久敷(ひさしく)ある猫、此客人の皮足袋(かはたび)をかしらにまとひて死(しし)て有(あり)。かゝれば、狐など、をどりさわぐは、猫なども交りて、かく有(あり)ける事と、其人、歸り、物語りぬ。

[やぶちゃん注:「深川小奈木澤」これは「深川小名木川(ふかがはおなきがは)」の誤りであろう。ここに現在もある(グーグル・マップ・データ)。「三井住友トラスト不動産」公式サイト内の「このまちアーカイブズ」の「東京都 深川・城東」に「江戸切絵図」から諸画像・近現代の写真と、当該地区の歴史的解説も豊富に書かれてあるので、是非、見られたい。

「狸奴」「貍奴」とも書き、漢語で猫の異称である。]

譚海 卷之五 尾州家士蝦蟇の怪を見る事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○尾州の家士何某、在所にありし時、來客のもてなしに、高つきに干菓子(ひがし)をもりて出(いだ)しける。客、歸りて後、亭主、睡(ねふり)を生じて、壁により、ねむりつゝ、しばし有(あり)て、ふと、目を開きたれば、高つきに有(ある)「こりん」と云(いふ)菓子、「ひらひら」と、おどりあがりて、明り障子の紙に穴あるより、飛出(とびいづ)る事、あまたなり。猶、つゞきて、いくらとなく、飛出ければ、『怪(あやし)。』と思ひ、心を留(とめ)て見れば、障子の穴より、高つきの上へ、白き絲の樣(やう)なる物、一筋、引(ひき)て、あり。「こりん」は、此白き絲の樣成(やうなる)物にひかれて、をどり出(いづ)る也。『いか成(なる)事にや。』と、ひそかに障子の破れよりみれば、年經(へ)たる大成(おほきなる)蟇がへる、庭の面(おもて)にうづくまりて有(あり)。夫(それ)が口より、此白き絲のやうなるを吐(はき)て、障子をうがちて高つきにいたり、ひきがへる、口を開けば、夫に吸(すは)れて、「こりん」、をどり出て、蟇の口に入(いる)なり。かやうの物も、年經たるは、あやしき事を、なす物と、いへり。

[やぶちゃん注:この手の蝦蟇(がま)の怪は、私の怪奇談集では枚挙に遑がない、というより、リンクを張り切れないほど、さわにある。

「こりん」「壱岐市」公式サイト内の「いきしまぐらし」のこちらに、画像入りで以下の説明がある。『ひなあられと同じような大きさですが』、『色はついていません。見た目はちょっと地味ですが、食べると』、『どこか懐かしい味がします。のし餅をサイコロ状に切って、寒の時期に』、『しっかりと干して』作るも『ので、保存食としても使えます』とあった。]

譚海 卷之五 遠州深山中松葉蘭を產する事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○松葉蘭といふ物、遠州より出(いづ)る、深山石上(しんざんせきしやう)に生ずる物にて、霧露の氣に和して、生成するゆゑ、土にうゝれば、なづみて、枯死す。唯(ただ)古き朽木(くちき)のぼろぼろする物を細末にして、夫(それ)にてうゝれば、長く、たもつ事とす。四時、葉、みどりにして、席上の盆翫(ぼんぐわん)には第一と稱すべし。日にあつる事を禁ず。時々、水をそゝげば、年を經て、叢生する事、尤(もつとも)繁く、書齋の淸賞には缺(かく)べからざる物也。石菖蒲、普通には、盆中の淸翫に供すれ共(ども)、松葉蘭、出(いで)て後は、比肩するにたらず、無下(むげ)に石菖蒲は下品の心地する也。近來(ちかごろ)、石菖のしんをば、薩摩より來(きた)る朽木のかたまりたる如きものを用ゆ。石菖を長ずるは、是に勝(まさ)る物なし。是又、昔、なき所の物なり。

[やぶちゃん注:「松葉蘭」シダ植物門マツバラン綱マツバラン目マツバラン科マツバラン属マツバラン Psilotum nudum 当該ウィキによれば、『マツバラン科』Psilotaceae『では日本唯一の種である。日本中部以南に分布する』。『茎だけで葉も根ももたない。胞子体の地上部には茎しかなく、よく育ったものは』三十センチメートル『ほどになる。茎は半ばから上の部分で何度か』二『又に分枝する。分枝した細い枝は稜があり、あちこちに小さな突起が出ている。枝はややくねりながら上を向き、株によっては先端が同じ方向になびいたようになっているものもある。その姿から、別名をホウキランとも言う。先端部の分岐した枝の側面のあちこちに粒のような胞子のうをつける。胞子のう(実際には胞子のう群)は』三『つに分かれており、熟すと』、『黄色くなる』。『胞子体の地下部も地下茎だけで』、『根はなく、あちこち枝分かれして、褐色の仮根(かこん)が毛のように一面にはえる。この地下茎には菌類が共生しており、一種の菌根のようなものである』。『地下や腐植の中で胞子が発芽して生じた配偶体には』、『葉緑素がなく、胞子体の地下茎によく似た姿をしている。光合成の代わりに』、『多くの陸上植物とアーバスキュラー菌根』(arbuscular mycorrhiza)『共生を営むグロムス』菌『門』(Glomeromycota)『の菌類と共生して栄養素をもらって成長し、一種の腐生植物として生活する。つまり』、『他の植物の菌根共生系に寄生して地下で成長する。配偶体には造卵器と造精器が生じ、ここで形成された卵と精子が受精して光合成をする地上部を持つ胞子体が誕生する』。本邦では『本州中部から以南に、海外では世界の熱帯に分布する』。『樹上や岩の上にはえる着生植物で、樹上にたまった腐植に根を広げて枝を立てていたり、岩の割れ目から枝を枝垂れさせたりといった姿で生育する。まれに、地上に生えることもある』。『日本では』、『その姿を珍しがって、栽培されてきた。特に変わりものについては、江戸時代から栽培の歴史があり、松葉蘭の名で、古典園芸植物の一つの分野として扱われる。柄物としては、枝に黄色や白の斑(ふ)が出るもの、形変わりとしては、枝先が一方にしだれて枝垂れ柳のようになるもの、枝が太くて短いものなどがある。特に形変わりでなくても採取の対象にされる場合がある。岩の隙間にはえるものを採取するために、岩を割ってしまう者さえいる。そのため、各地で大株が見られなくなっており、絶滅した地域や、絶滅が危惧されている地域もある』が、『他方、繁殖力そのものは低いものではなく、人工的環境にも進出し得る性質をもっており、公園の片隅で枝を広げているものが見つかるような場合や、植物園や家庭の観葉植物の鉢で、どこからか飛来した胞子から成長したものが見られる場合すらもある』とある。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。

「淸賞」「賞玩」に同じ。褒め愛でること。味わい珍重すること。

「石菖蒲」「石菖」単子葉植物綱ショウブ目ショウブ科ショウブ属セキショウ Acorus gramineus 学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。]

譚海 卷之五 下野日光山房にて碁を自慢せし人の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○下野國日光山は、天狗、常に住(すみ)ておそろしき處なり。一とせ、ある浪人、知音(ちいん)ありて、山中の院に寄宿し居《をり》けるが、一夜、院内の人々、集りて、碁を打たるに、この浪人、しきりに勝(かち)ほこりて、皆、手にあふもの、なかりしかば、浪人、心、おごりて、「此院中に、我に先(さき)させてうたんと云(いふ)人は、あらじ。」など自讚しける時、かたへの僧、「左樣成(なる)事、こゝにては、いはぬ事なり。鼻の高き人有(あり)て、ややもすれば、からきめ見する事、多し。」と、制しける詞に合せて、明り障子を隔てて、庭のかたに、からびたる聲して、「爰に、聞(きき)て居(を)るぞ。」と、いひつる聲、せしかば、浪人、顏の色も菜(な)のごとくに成(なり)て、ものもいはず、碁盤・碁石、打(うち)すて置て寢(いね)、翌日のあくるを待(まち)あへずして、急ぎ、下山して、走り去りぬとぞ。

[やぶちゃん注:本篇は、「柴田宵曲 妖異博物館 天狗(慢心)」でも取り上げており、そちらでも、電子化注してある。]

譚海 卷之五 江戶芝三田濟海寺竹柴寺なる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○江戶、芝三田の坂の上に、濟海寺(さいかいじ)と云(いふ)淨土宗の寺、有(あり)。其鄰(となり)は、何某國(なにがしのくに)の守(かみ)の下屋敷なり。此下屋しき、往古は、濟海寺の境内にてありしを、今、分れて鄰の地になれりとぞ。其下屋敷(しもやしき)の内に「龜塚」と號するもの有(あり)。玆(ここ)に觀世流外(そと)百番の謠(うたひ)に「瓶塚(かめづか)」と云(いふ)物ありて、其詞(そのことば)を見るに、「龜塚」にはあらで「瓶塚」と云(いふ)事を作りて、「さらしな日記」に云(いへ)る「竹柴寺(たけしばてら)」の事を作りたる者也。是によりて當時の住持和尙、初めて、「濟海寺は、古(いにしへ)の竹柴寺也。」と自讚して、人にも語りて、入興(にふきやう)せられける。彼(かの)日記には、『昔、むさしの國なる男、大内の役にさゝれて參て居(を)る程、「庭を、きよむる。」とて、故鄕の事を思ひ出でて、「あはれ、我國には、大なるもたひありて、それにそへたるひさごの、東風ふけば、西へなびき、西風ふけば、京へなびく。さもおもしろき事なるを、かく見もせで、遠き國にある事よ。」と、ひとりごとせしを、御門(みかど)のむすめ、ほの聞(きき)給ひて、みすをまきあげて、此男を、まねき給ひて、「いかで、我を、ともなひて、其ひさごのおもしろき、みせよ。せちに、ゆかしきに。」と、のたまへば、此男、おもひかけずながら、うちかしこまりて、みむすめを、脊(せ)におひて、都(みやこ)をにげ出(だし)、瀨田の橋を引(ひき)おとして、夜ひるとなく、にげて、あづまに、くだりける。御門より御使(おつかひ)ありて、「歸り給ふべき」よし、のたまはせしかど、すくせにや、「此所(ここ)にとゞまらまほしく、都へ歸らんとも、おもはず。」と、の給ひしかば、かさねて、此男をば、武藏守になされて、御門の御娘(おほんむすめ)と夫婦(めをと)になりて、暮しける。みむすめ、かくれ給ひし後(のち)、其家をば、やがて、寺になして、「竹柴寺」とて有(あり)けるよしを、しるせり。又、彼(かの)謠には、『此(この)もたひを埋(うづめ)ける所。』とて、「瓶塚」と、いへるよしを作れり。旁(つくり)よりどころある事にも覺ゆれど、今の濟海寺、去(さる)事あるにや、遙(はるか)なる世の事にて、覺束なし。

[やぶちゃん注:「江戶、芝三田の坂の上に、濟海寺と云土宗の寺、有」東京都港区三田にある浄土宗智恩院末寺であった周光山長壽院済海寺(グーグル・マップ・データ)。この伝承は、中世・近世の創作ではなく、非常に古くからあるらしい。「たけしば」が「竹柴」となり、それが「竹芝」に転じ、現在まで続く地名の「芝」となったとされる。

「外百番」これは「百番の外(ほか)の百番」の意で、江戸初期以来、謡曲「内百番」に対して、刊行された別の百番の謡曲を指す。但し、「百番」の曲には流派によっても出入りがあって、同一ではない。「瓶塚」は私は不詳。ネット検索でも見当たらないのだが?

『「さらしな日記」に云る「竹柴寺」』「更級日記」の「五」の「たけしば」。以下、所持する関根慶子訳注(講談社学術文庫昭和五二(一九七七)年刊)の「上」の本文を参考に、恣意的に正字化し、記号も添えて示す。

   *

 

   五 たけしば

 

 今は武藏の國になりぬ。ことにをかしき所も見えず。濱も砂子(すなご)白くなどもなく、こひぢ[やぶちゃん注:「泥」。]のやうにて、むらさき生ふと聞く野も、葦・荻のみ高く生ひて、馬(むま)に乘りて弓もたる末(すゑ)、見えぬまで高く生ひ茂りて、中をわけ行くに、「たけしば」といふ寺あり。はるかに、「ははさう」[やぶちゃん注:不詳。以下から、楼閣の名らしい。]などいふ所の、らうの跡の礎(いしずゑ)などあり。

「いかなる所ぞ。」

と問へば、

「これは、いにしへ、『たけしば』といふさか[やぶちゃん注:坂。]なり。國の人のありけるを、火燒屋(ひたきや)[やぶちゃん注:宮中に設けられた、夜間中、火を焚いて衛士が番をする小屋。]の火たく衞士(ゑじ)に、さしたてまつりたりけるに、御前(おほんまへ)の庭を掃くとて、

「などや、苦しきめを見るらむ。わが國に、七つ、三つ、つくり据えたる酒壺(さかつぼ)に、さし渡したる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)[やぶちゃん注:乾した瓢簞を二つに割り、柄を附けずに用いる柄杓。]の、南風(みなみかぜ)吹けば、北になびき、北風吹けば、南になびき、西吹けば、東になびき、東吹けば、西になびくを見で、かくてあるよ。」

と、ひとりごちつぶやきけるを、その時、帝(みかど)の御女(おほんむすめ)、いみじうかしづかれ給ふ。ただひとり、御簾(みす)のきはに、立ち出で給ひて、柱によりかかりて御覽ずるに、この男(をのこ)の、かく、ひとりごつを、

『いとあはれに、いかなる瓢の、いかになびくならむ。』

と、いみじうゆかしくおぼされければ、御簾をおし上げて、

「あのをのこ、こち、よれ。」

と仰せられければ、酒壺(さかつぼ)のことを、いま一(ひと)かへり、申しければ、

「われ、率(ゐ)て、行きて見せよ。さ、いふやう、あり。」[やぶちゃん注:最後の台詞は、「そのように言うのであれば、それなりの帰りたいわけがあろう。」の意。]

と仰せられければ、

『かしこく、おそろし。』

と思ひけれど、さるべきにやありけむ、おひ[やぶちゃん注:背負い。]奉りて下(くだ)るに、ろんなく[やぶちゃん注:「無論」。]、

『人、追ひて、來(く)らむ。』

と思ひて、その夜(よ)、「勢多の橋」のもとに、この宮を据(す)ゑ奉りて、「勢多の橋」を一間(ひとま)ばかり、こぼちて、それを、飛びこえて、この宮を、かきおひ奉りて、七日七夜(なぬかななよ)といふに、武藏の國にいきつきにけり。

 帝、后(きさき)、

「御子(みこ)、失せ給ひぬ。」

と、おぼしまどひ、求め給ふに、

「武藏の國の衞士の男なむ、いと香(かう)ばしき物を、首(くび)にひきかけて、飛ぶやうに逃げける。」

と申し出でて、この男を、尋ぬるに、なかりけり。

 ろんなく、

「もとの國にこそ行くらめ。」

と、公(おほやけ)より、使(つかひ)、下(くだ)りて追ふに、「勢多の橋」、こぼれて、えゆきやらず。

 三月(みつき)といふに、武藏の國にいきつきて、この男をたづぬるに、この御子、公使(おほやけづかひ)を召して、

「われ、さるべきにやありけむ、この男の家、ゆかしくて、『ゐて行け。』と、いひしかば、ゐて來たり。いみじく、ここあり、よく覺ゆ[やぶちゃん注:ここは、とても住み心地がよいと感じておる。]。この男、罪(つみ)し、れう[やぶちゃん注:「掠(れう)」でひどい罰を下すこと。]ぜられば、われはいかであれ、と。これも先(さき)の世に、この國に跡(あと)をたるべき宿世(すくせ)こそありけめ。はや、歸りて、公(おほやけ)に、此のよしを奏せよ。」

と仰せられければ、言はむ方(かた)なくて、のぼりて、帝に、

「かくなむありつる。」

と奏しければ、

「いふかひなし。その男を罪(つみ)しても、今は、この宮を、とり返し、都にかへしたてまつるべきにも、あらず。『たけしば』の男に、生(い)けらむ世の限り、武藏の國を預けとらせて、公事(おほやけごと)もなさせじ。ただ、宮に、その國を預け奉らせ給ふ[やぶちゃん注:自敬表現。]。」

よしの宣旨、下りにければ、この家を内裏(だいり)のごとく造りて、住ませ奉りける家を、宮など失せたまひにければ、寺になしたるを、「竹柴寺」と、いふなり。

 その宮の生み給へる子どもは、やがて、「武藏」といふ姓を得てなむ、ありける。

 それよりのち、「火たき屋」に、女はゐるなり。

……と語る。[やぶちゃん注:作者が聴き取りした、当地の里人が主語。]

   *]

譚海 卷之五 武州安立郡赤山村慈林寺の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○武州安立郡[やぶちゃん注:底本では「安」の字に編者傍注で『足』とある。]赤山村に、慈林寺の藥師とて、厚き御堂(みだう)あり。聖武天皇開基、文德天皇さいこう[やぶちゃん注:「再興」。]と云(いひ)、額に、えりて有(あり)。並木・松など、年ふる寺にて、閑寂の地也。「傍(かたはら)の茂りたる小山に入(いる)人あれば、再び歸らず。」あるは、「『藥師の眷屬』とて「三足(みつあし)の雉子」、ある。」よしなど、「七不思議」と云(いふ)事をかぞへて、所の者はいひ傳ふる也。邊地には、珍しき精舍(しやうじや)也。

[やぶちゃん注:「武州安立郡」(「足」立郡)「赤山村」現在は、埼玉県川口市赤山(旧足立郡)ではなく、現行の地区の南東直近の埼玉県川口市安行慈林(あんぎょうじりん)にある真言宗智山派医王山宝厳院慈林寺(グーグル・マップ・データ航空写真)。同寺と同寺の会館の間に小山らしきものが見える。にしても、寺院でありながら、禁足地があり、そこに入ったら、行方不明となるという魔所があるというのは、これ、いただけないね。今の同寺にも迷惑だろ。]

譚海 卷之五 和州初瀨の僧辨財天に値遇せし事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。「値遇」は「ちぐ」或いは「ちぐう」で、仏教では、「仏縁あるものにめぐりあうこと」の意で用いる。本篇は、頗る厭な展開を示すので、注意されたい。]

 

○和州長谷[やぶちゃん注:底本の編者傍注に『(初瀨)』とある。]の僧何某、勤修、多年に及(および)けるが、寺中に辨才天の木像を安置せる所有(あり)、時々、參りて、法施(ほふせ)奉り拜み奉りけるに、辨天女の形、殊に端麗に覺えて、いつとなく、なつかしく、忘れがたければ、しきりに參りて拜みまゐらするまゝ、おほけなく戀慕(れんぼ)の心、おこりて、『いかにもして、世中(よのなか)にかゝる女(をんな)あらば、一期(いちご)の思ひ出に逢見(あひみ)てまし。』など、あらぬ事に、心、移りて、破戒の事も思はず、今は、つやつや、物も覺えず、病(やまひ)にふして、あかしくらしけり。おもふあまりの心を、天女も、あはれみたまひけるにや、ある夜、うつゝの如く、辨財天、此僧にまみへ給ひて、「汝がよしなき心を起して、年頃の勤行(ごんぎやう)、いたづらにせん事、淺間敷(あさましき)おもふ儘(まま)、かく現じ來りたり。此事、かまへて、人にかたるな。」と、いたく口堅(くちがた)めましまして、天女、僧のふすまに入給ひぬ。僧、よろこびにたへず、夫婦(めをと)のかたらひを、なしつ。かくて、心も、のどまり[やぶちゃん注:「和(のど)まる」。落ち着き。]、病も、又、怠(おこた)り[やぶちゃん注:ここは「病気が癒える」というポジティヴな意。]ぬれば、勤修(ごんしゆ)、ますます、たゆみなく、はげみける。夫(それ)より後は、夜な夜な、天女、ましまして、僧と語(かたり)給ふ事、絕(たえ)ず。月目を經て、この僧、心にうれしく思ふ餘り、ふと、同法(どうほふ)のしたしき物語の序(ついで)に、「かゝる事も、ありける。」と、ほのめかしける其夜、又、天女、おはして、殊にいかり腹立(はらだち)給ひて、「汝がまよひをはらして、成佛(じやうぶつ)の緣をとげしめんためにこそ、かりそめに、かく、契(ちぎり)は、かはしつるを、はかなくも、人にもらしつる。今は、かひなし。汝がもらす所の慾水、かへしあたふるぞ。」とて、つまはぢきして去(さり)給ふ。其時、あまた、水の面(おもて)にかくると覺しが、やがて、此僧、らいびやうを、やみて、いく程もなく、身まかりぬ、と、いへり。ふしぎの事にこそ。

[やぶちゃん注:「和州長谷」「(初瀨)」現在の奈良県桜井市初瀬(はせ:グーグル・マップ・データ)。ここには知られた名刹長谷寺があるが、話しが話しなだけに、編者は、津村は地名を用いたのであろうから、「目次」の標題通り、「初瀨」とすべきだ、と考えたものと思われる。

「慾水」精液。

「らいびやう」「癩病」。ハンセン病の旧差別病名。私は何度も、繰り返し、近代以前、激しく差別されたこ病気について、詳細に注し、今も、その差別の亡霊が未だにいることを注意喚起してきた。たとえば、最近のそれの一つとして、『鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三 起請文の罰の事」』の私の注を必ず読まれたい。

譚海 卷之五 江戶深川靈光院塔中養壽院弟子俊雄事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。書付けの文は句読点を使わず、代わりに字空けをして読み易くした。]

 

○江戶深川靈光院地中(ぢちゆう)、養壽院といふに、俊雄(しゆんゆう)といふ所化(しよけ)あり。平生、正月廿五日圓光大師の御忌に、往生を遂度《とげたき》よし、人にもかたりけり。天明七年正月廿五日養壽院の住持、他行《たぎやう》の留守をせしに、俊雄、下部(しもべ)をたのみて、いふやう、「けふは、同寮の者に誘引せられて、據(よんどころ)なく、遊女の所へ行(ゆく)べきやくそくをせし也。今更、いなみがたければ、何とぞ、此衣類を、ひそかに典物(てんもつ)にして、金子壹兩壹步、こしらへくれよ。」とて、衣服を、あまた取出(とりいだ)して、あつらヘけるに、いなみけれど、再應、わりなくたのみければ、あるまじき事にもあらずと覺えて、此男、うけがひて、質屋へ持行(もちゆき)、右の金子、調へ來り、「小袖、金子の價(あたひ)より、おほかりし。」とて、「三つ、戾し侍りぬ。」と、いひければ、此僧、大によろこび、やがて金子を錢に兩替し、此男にも、酒・豆腐など求(もとめ)て、振舞(ふるまひ)て、扨、我が部屋に入(いり)て、轉寢(うたたね)などして、晚景に成(なり)て起出(おきい)で、「かならず、院主へ沙汰ししらすな。」と、堅く口がためして、出行(いでゆ)けり。其夜も歸らず、翌朝、俊雄の同伴、澄嚴といふ僧、この程は靈岸寺の地藏の守僧なるが、元來、養壽院にありし事なれば、いつも晨朝(しんてう)のつとめには、養壽院に來(きた)る事とて、廿六日早朝、來り、「院主は、いまだ臥(ふし)て起居(おきをら)ざれば、先(まづ)佛前に參じて禮をせん。」とて、見れば、かたわらに俊雄の位牌、立(たて)てあり。年月も願(ぐわん)の如く、昨日の事にしるし付(つけ)たれぱ、大に驚きながら、又、無常のはかなき事を思ひやり、多年、願ひ、成就せし事も、たのもしく覺えて、『いと、あやし。』と、おもひながら、「先(まづ)、禮せん。」とて、りんを打(うち)たるに、一向に、ひゞき出(いで)ず。又、打(うち)たれども、同じ事にて、何やらん、内に有(ある)やうにおぼへ[やぶちゃん注:ママ。]しかば、手を指入(さしいれ)て見れば、りんの底に、鳥目貳百文、紙につゝみて、有(あり)。取あげてみれば、俊雄の手跡にて、「くはしき事は 拙僧 單笥の引出しの内に有ㇾ之(これあり)」と書付あるゆゑ、いよいよ、驚き、いそぎ、院主をおこして尋(たづね)けるに、院主も、位牌を見て、初めて、おどろき、諸共(もろとも)に單笥の内を穿鑿しければ、書置(かきおき)の一紙あり。壹兩壹步の錢を、三百文づつに包(つつみ)わけ、同法知音(ちいん)の僧に分ちやるべき名を、殘りなく記し、小袖・帶の類(たぐひ)迄も、皆々、形見に配頌すべき書付、つまびらかに有(あり)。「年來(としごろ) 御忌の日に往生とげたき念願なりしが 年を經て もだしがたく 今日(けふ) しきりに往生の機(き) 進み侍れば 思ひ立(たち)て 本望をとげ侍る されども 死該は 決して見せまじき」よしをしるせり。皆々、殊に尊(たつと)く、哀(あはれ)を催して、感淚を押(おさ)へかねて、別時念佛など、いとなみて、後々のとぶらひまで、ねんごろにしけると、人のかたりし。

[やぶちゃん注:津村がかく記したによって、無名の俊雄の事績は、かく、残った。何か、私は非常に胸打たれた。

「江戶深川靈光院地中、養壽院」前者は東京都墨田区吾妻橋に現存する。浄土宗瑞松山榮隆院霊光寺(グーグル・マップ・データ)である。いつもお世話になる「猫の足あと」の同寺の解説によれば、『霊光寺は、木食重譽上人霊光和尚を開山として創建、寛永』三(一六二六)年、『寺院となしたと』伝えるとある。「養壽院」は現存しないようだが、「塔中」(塔頭(たっちゅう)に同じ)「地中」とあるから、この現在の霊光寺境内にあったものである。

「所化」修行中の僧を指す語。

「圓光大師」法然の没後四百八十六年後の元禄一〇(一六九七)年一月十八日、東山天皇より勅諡された法然の大師号。

「天明七年正月廿五日」グレゴリオ暦一七八七年三月四日。

「別時念佛」道場や期間を定めておいて、その間、只管、称名念仏行に励むこと。「WEB版新纂浄土宗大辞典」の当該項によれば、法然は「七箇条の起請文」で『「時時(ときどき)別時の念仏を修して心をも身をも励まし調え進むべきなり。日日に六万遍を申せば、七万遍を称うればとてただあるも、いわれたる事にてはあれども、人の心様はいたく目も慣れ耳も慣れぬれば、いそいそと進む心もなく、明暮あけくれは心忙しき様にてのみ疎略になりゆくなり。その心を矯め直さん料に、時時別時の念仏はすべきなり」(聖典四・三三八/昭法全八一二~三)といって、日々六万遍、七万遍の称名念仏を修することが望ましいと常に心得ていながらも、その気持ちは日々の生活の中で薄れてしまうものであるといい、その気持ちを正すために』、『時々』m『別時の念仏を修するべきであるとしている。また続けて、「道場をも引き繕い花香をも参らせん事、殊に力の堪えんに随いて飾り参らせて、我が身をも殊に浄めて道場に入りて、あるいは三時あるいは六時なんどに念仏すべし。もし同行なんど数多あらん時は、替る替る入りて不断念仏にも修すべし。かようの事は各事柄に随いて計らうべし。さて善導の仰せられたるは、月の一日より八日に至るまで、あるいは八日より十五日に至るまで、あるいは十五日より二十三日に至るまで、あるいは二十三日より晦日に至るまでと仰せられたり。各差し合わざらん時を計らいて七日の別時を常に修すべし。ゆめゆめすずろ事ともいうものにすかされて不善の心あるべからず」(聖典四・三三九/昭法全八一三)ともいい、道場も花を供えて』、『香をたくなど』、『できる限り整え、一日を六時間に分けたなかの』、『三時もしくは六時に念仏行をするとし、一日から八日、また八日から一五日など、期間を定め、不善の心を起こさずに念仏すべきであるとしている。また、聖光は』「授手印」を『記して』、『世に広まっていた誤った念仏義を正そうとした際に、肥後往生院と宇土西光院にて四十八日の別時念仏を修したとされている。また』、「西宗要」では、『「日を一日七日に限り、若しは九十日に限り、其の身を清浄にして清浄の道場に入り、余言無く、一向に相続無間に称名するを以て別時と云なり」(浄全一〇・二〇八上~下)といって、期間を決めて絶え間なく念仏行を修することであると細かく示しており、また』、「浄土宗名目問答」の下では、『道場を荘厳』(しょうごん)『し、自身を清浄にする方法が細かく示されている(浄全一〇・四一七下~八上)』とある。]

譚海 卷之五 單誓・澄禪兩上人の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○正德の比、單誓(たんせい)・澄禪(ちやうぜん)といへる兩上人、有(あり)。淨家の律師にて、いづれも生れながら成佛(じやうぶつ)の果(くわ)を得たる人なり。澄禪上人は俗成(なり)しとき、近江の日野と云(いふ)町に住居ありしが、そこにて出家して、專修念佛の行人(ぎやうにん)となり、後は駿河の富士山にこもりて、八年の間勤修(ごんしゆ)怠らず、生身(せいしん)の彌陀の來迎(らいがう)を、をがみし人也。八年の後、富士山より近江へ飛帰(とびかへ)りて、同所平子(ひらこ)と云(いふ)山中(さんちゆう)に籠られたり。單誓上人も、いづくの人たるを、しらず。是は、佐渡の國に渡りて、かしこの「だんどくせん」といふ山中の窟(いはや)に、こもり、千日修行して、みだの來迎を拜(おがま)れけるとぞ。その時、窟の中(うち)、ことごとく金色の淨土に變(かはり)、瑞相(ずいさう)、樣々成(なり)し事、木像に、えりて、「塔の峯」の寶藏に收(をさ)めあり。此兩上人、のちに、京都東風谷(こちだに)と云(いふ)所に住して知音と成(なり)、往來、殊に密也しとぞ。單誓上人は、其後、相州箱根の山中、「塔の峯」に一宇をひらきて、往生の地とせられ、終(つひ)に、かしこにて、臨終を遂(とげ)られける。澄禪上人の終(しゆう)はいかゞ有(あり)けん聞(きき)もらしぬ。東風谷の庵室をば遣命にて燒拂(やきはらひ)けるとぞ。共にかしこきひじりにて、存命の内、種々奇特多かりし事は、人口に殘りて記(しるす)にいとまあらずといふ。

[やぶちゃん注:「正德」一七一一年から一七一六年まで。徳川家宣・徳川家継の治世。しかし、以下登場人物の私の注で判る通り、これは少なくとも次の僧の没年から明らかに時制誤認である。

「單誓」「彈誓」の誤り。浄土宗の僧弾誓(たんぜい 天文二一(一五五二)~慶長一八(一六一三)年)。尾張国海辺村の人。幼名「弥釈丸」(これは「弥陀・釈迦」二尊を表わす名である)。九歳で出家し、名を弾誓と改めた。その後、美濃・近江・京都・摂津一の谷・紀州熊野三社など、各地を遊行(ゆぎょう)し、慶長二(一五九七)年、佐渡において、生身の阿弥陀仏を拝し、授記を受け、十方西清王法国光明満正弾誓阿弥陀仏となって「弾誓経」六巻を説法した。その後は、甲斐・信濃を経て、江戸に至り、学僧幡随意(ばんずいい)より、白旗一流の法を授かった後、再び京に戻った折り、古知谷(こちだに:本篇の「東風谷」は誤り)に、瑞雲が棚引くのを見、最後の修行地と定めた。そこで自身の頭髪を植えた本尊を刻み、光明山阿弥陀寺を建立した。六十二歳で入寂したが、その遺骸は、石棺に納め、本堂脇の巌窟に即身仏として安置されてある。長髪・草衣・木食という弾誓の僧風は、澄禅・念光らに受け継がれ、その流れは浄土宗において「捨世派」の一流と位置づけられている(「WEB版新纂浄土宗大辞典」の当該項に拠った)。

「澄禪」(承応元(一六五二)年~享保六(一七二一)年)。江戸中期の「捨世派」念仏聖。精蓮社進誉。近江国日野の人。十四歳の時、自ら剃髪し、日野大聖寺在心の下で受戒。十八歳で、増上寺に入り、宗戒両脈を相承するが、学問を求めず、専ら、坐禅称名に努めた。隠遁の心止み難く、貞享五(一六八八)年、遂に学林を逃れて、霊山聖跡を巡錫した。相模国曽我の岩窟を始め、塔の峰阿弥陀寺(後注する)の「遅岩洞」、富士山での修行を経て、近江平子山、京都大原山に籠り、苦修練行すること数十年、衣食住の禁欲に徹し、日課念仏十万遍、貴賤男女の帰依を集めた(同前に拠った)。

「淨家」浄土宗。

「近江の日野」滋賀県蒲生郡日野町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「平子」滋賀県蒲生郡日野町平子

「だんどくせん」檀特山。「たんとくさん」「だんとくせん」とも呼ぶ。標高九〇七メートル。古い民謡に「お山・檀特山・米山薬師、三山かけます佐渡三宮」と歌われ、「金北(きんぽく)山(お山)」・「金剛山(米山薬師)」と並び、「大佐渡三霊山」と通称される。山頂までに四十八滝と言われる多くの滝があり、修験の霊場として名高い。

「塔の峯」現在の神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤(標高三百メートル)にある浄土宗阿弥陀寺。慶長九(一六〇四)年創建。開山は弾誓上人、開基は当時小田原城主であった大久保忠隣(ただちか)。

「京都東風谷」「東風谷」は「古知谷」の誤り。現在の京都市左京区大原古知平町にある古知谷(こちだに)の浄土宗光明山法国院阿弥陀寺(こちだにあみだじ)。即身仏は公開されいないが、その封じられた石棺の扉までの写真が並ぶ、「こすもす」氏の「生きたままミイラになった即身仏を見に行ったら 京都大原 古知谷・阿弥陀寺」がお勧めである。]

譚海 卷之五 俱舍論鳳潭和尙より弘たる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。標題の「弘たる」は「ひろまりたる」と訓じておく。]

 

○倶舍論(くしやろん)は元綠の比迄、世の中に、解し、あきらむる人、なくて有(あり)ぬるを、鳳潭(ほうたん)和尙、殊に强力(きやうりよく)の人[やぶちゃん注:努力の人。]にて、奈良の興福寺に玄奘三藏傳來の註解善本ある事をしりて、かしこに至りて寶藏を守る僧にひそかにまひなひし、倶舍の註解拜見したきよしを約して、日々白き下帷子(したかたびら)を着て寶藏に入(いり)、披見の儘に祕註をかたびらに盡く寫しとめ、月日を經て、終(つひ)にのこりなく祕本を寫(うつし)とりて、扨(さて)、板行(はんぎやう)して世に出(いだ)されける。是より、漸々(やうやう)世中(よのなか)に解する事を得て、數人(すにん)の碩學、繼(つぎ)て、興行註解を加へ弘(ひろめ)しより、倶舍の文、明らかにわかれ、今は、世の中に、倶舍の講談せぬ人もなく、每年、月々、群儀の席(せき)を重(かさぬ)る事となりぬ。かく、あまねく、人の解する事に成(なり)ぬるも、然しながら、鳳潭師の賜ものと云(いふ)べしと、ある僧のかたりぬ。賓藏の守僧は、一泉院の宮の御科(おんとが)を得て、終に死刑に處せられぬとぞ、いと悲しき事也。

[やぶちゃん注:「俱舍論」詳しくは「阿毘達磨倶舎論」(あびだつまくしゃろん)という。インドの仏教論書。原名は「アビダルマコーシャ」(Abhidharmakośa:アビダルマの蔵)。著者は世親(せしん:Vasubandhu:バスバンドゥ)。成立は四~五世紀とされる。部派仏教(小乗仏教)中、最も有力な部派であった「説一切有部」(せついっさいうぶ:単に「有部」とも呼ぶ)の教義体系を整理・発展させて集大成したものである。しかし、作者の世親は有部の教義に必ずしも従わず、根本的立場に関して、処々に「経量部」(きょうりょうぶ)、または、自己の立場から、有部の主張を批判してもいる。構成は、約六百の「頌」(じゅ:kārikā:カーリカー:韻文)と、それらに対する長行釈(じょうごうしゃく:bhāya:バーシュヤ:散文による解説)からなる。全体は九品(くほん:章)に分かれ、初めの二品で、基本的な法(ダルマ)の定義と諸相を明かし、続く三品で迷いの世界を、その後の三品で悟りの世界を、それぞれ説明し、最後にある付録的性格を持つ一品では、無我を証明する。「倶舎論」は、先行する原始仏教の思想を体系化し、後の大乗仏教にも深い影響を与えたことから、仏教学の基礎として、後世、大いに用いられた。中国では、特に法相宗(ほっそうしゅう)で研究され、本邦では、奈良時代に教学宗派である「倶舎宗」が成立し、「南都六宗」の一つに数えられた。異訳としては真諦(しんだい)の漢訳「倶舎釈論」(くしゃくろん)と、チベット語訳がある。その原本を伝えるサンスクリット語本は、一九三七年にチベットで発見され、一九六七年にインドで校訂出版されている(小学館「日本大百科全書」に拠った)。嘗つて、同論の解説書を買ったが、理解して読み終わるのに、実に一ヶ月以上もかかった。

「鳳潭」(万治二(一六五九)年~元文三(一七三八)年)は江戸中期の華厳宗の僧。「僧濬(しゅん)」・「華嶺道人」・「幻虎道人」とも称した。鳳(「芳」とも)潭は字(あざな)。江戸前期の黄檗宗の僧鉄眼(てつげん)道光に師事し、中国・インドへの渡航を企てるも果たせず、興福寺・東大寺・比叡山で諸宗を修学した。華厳宗の再興に尽力し、浄土真宗。日蓮宗を攻撃して、仏教界に新風を起こした人物として知られる。]

2023/11/28

譚海 卷之五 京洛隱者琴を彈じ狸腹鼓うちたる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。和歌のみ改行し、上句・下句に分け、後者を有意に下げた。]

 

○何某といへる洛外の邊土に住(すみ)ける隱者にて、常は筝(さう)を彈(ひき)て樂しみける。いかなる德ある人にや、堂上方も、ゆきむかひ給ひて、絕(たえ)ず往來ありしが、餘り、程遠ければ、洛中に移り住なば、よかるべし、などありしに付(つき)て、やがて便(たよ)りを求めて、洛中に住つきぬ。老女一人、召仕ひけり。此女、物とゝのヘに町へ出(いで)たるついで、人がいづかたにおはすと問ひければ、そこそこと語りしに、其人、聞(きき)怪(あやし)みて、其おはする所は、世にばけ物屋敷とて、恐ろしき所にいひ傳へたり。たぬきなど、折々、鼓(つづみ)打(うつ)など、人もいふなるは。と、あばめける[やぶちゃん注:意味不明。「噂をばらした」ということか?]を、女、聞(きき)、驚きて、急ぎ歸りて、主人に、しかじか、此所をば、人申侍る。早く住替させ給へと、諫(いさ)めけれど、承引なければ、さらば、みづからには御暇(おいとま)賜はりてよ。かゝる恐敷(おそろしき)所に、いかで、住つきて仕奉(つかまつりてまつ)らん、とて、終(つひ)に暇をこひ、去りたり。げに、其後(そののち)、或時は、夜中など、鼓、打(うつ)音、聞へける。又、絕(たえ)て聞(きこ)ヘざる事も、久敷(ひさしく)ありける。此何某(なにがし)、

 あなさびしたぬき鼓うて琴ひかん

    我琴ひかんたぬきつゞみうて

と、一首の歌を詠じける。是にめでけるにや、其後は、鼓打音も、聞えず、怪しきことも、絕てなかりしと、いへり。

[やぶちゃん注:この和歌は、本日、たまたま、全く偶然に電子化した、『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の腹鼓」』の中の、大田南畝の随筆「一話一言」の巻十三に載る、

   *

京に隠者あり、縫菴《ぬひあん》といふ。琴をよくひけり。信頰(のぶつら)といへるもの横笛をよくす。二人相和して楽しむに、狸庭に来りてその尾を股間にいれ、腹つゞみうちてたてり。

 やよやたぬましつゞみうて琴ひかん

    われことひかんましつゞみうて

                 縫菴

 はうしよくたぬつゞみうてわたつみの

      をきなことひきわれ笛ふかん

                 信頰

 福井立助の物語りのよし、鳴嶋氏(忠八)きけるとにて、鈴木氏(新右衛門)予にかたりき。

   *

とある、前の一首と酷似しているし、内容も異様に似ているから、本篇の「何某」とは、この「縫菴」なる人物であったと考えてよいだろう。]

譚海 卷之五 丹波國船井郡薗部村無年貢の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○丹波船井郡薗部は小出家の領地也。かしこに、往古より、一村、年貢を出(いだ)さざる所、有(あり)。是は、鎌倉の時、西明寺[やぶちゃん注:ママ。「最明寺」が正しい。以下同じ。]時賴朝臣、諸國を潛行ありて、此地に來り、老夫婦有(ある)者の許ヘ一宿せられしに、もてなし殊にねんごろ成(なる)をかんじて、我は鎌倉の者也。若(もし)かしこに下りたる事あらば、必(かならず)、訪(たづぬ)るべし。是を印(しるし)に、とて、切紙(きりがみ)に判を押たる物を殘して出(いで)られけり。其後(そののち)、年經て、老人、妻を先だてて詮方なく、廻國修行に出で、思ひがけず鎌倉に至りしに、前年の事を思ひ出で、判物を持(もち)て案内を尋(たづね)しかば、やがて西明寺殿に見參(けんざん)し、そのかみのもてなし、心ありける事抔(など)のたまひて、何事にても願ふ事あらんには、申べきよしありしに、かく、妻におくれ、世捨人と成(なり)侍りしかば、身に取(とり)ては一事(いちじ)も願ひ侍る事、なし。但(ただ)、本國の一村は、山谷(さんこく)の間にして、殊に、なりはひ、ともしく、年貢に窮し、年々の求めにたへず。願はくは、此儀をゆるさせ賜はば、我爲(わがため)、故鄕の者に取(とり)ても、いか斗りか、悅び思ひ侍らん事を、と申せしかば、願(ねがひ)の如く、ゆるし賜ひて、除地(よけち/のぞきち)に定められける。夫(それ)より、年代を經て、領主も、あまた、かはりたれども、有(あり)しまゝに舊例を追(おひ)て、今に除地にてある也。佐野源左衞門といへる事の、物語に能(よく)似たる事共なれど、是は、まさしく、今も除地にて、人のしりたる事なれば、慥成(たしかなる)事也と、人の語りし。

[やぶちゃん注:ここにある時頼廻国伝承は、全くの虚妄で、後代のデッチアゲに他ならない。私も調べたが、時頼は隠居後、基本、鎌倉を有意な日数、出た形跡は、これ、一切、ない。

「丹波國船井郡薗部村」現在の京都府南丹市園部町(そのべちょう)は、この通り、広域であるが(グーグル・マップ・データ)、狭義の旧「園部村」は「ひなたGPS」で見た結果、ここに限られることが判った。また、少なくとも、戦国時代までは、ここは「薗部村」であったことも確認出来た(サイト『「ムラの戸籍簿」データベース』の「丹波国」のページを参照した)。

「小出家」丹波国船井郡(現在の京都府南丹市園部町小桜町(こざくらまち)に藩庁(陣屋)の園部城(グーグル・マップ・データ)があった。この城は日本城郭史で最後の建築物であった)にあった園部藩藩主小出家。]

譚海 卷之五 蓮根をふやすの法の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○蓮根をふやすには、春彼岸の比(ころ)、蓮根、壹本、よくめを出すべきを、たゞし求めて、水がめの中へ、泥をたくはへて、植置(うゑおき)、大豆貳合を、三日程、水にひやし置(おき)て、泥にまぜ、こやしとすれば、其夏、花うるはしく開くのみならず、はす根、殊に多くふえて、用に遣ふに足れりといへり。

[やぶちゃん注:「蓮根」双子葉植物綱ヤマモガシ目ハス科ハス属ハス Nelumbo nucifera の地下茎。「ハス」とは別に「レンコン」のウィキもあるので、参照されたい。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「髮の毛」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Kaminoke

 

     

 

 

 日曜日には、子供たちが彌撒(ミサ)に行かないと、ルピツク夫人は承知しなかつた。そこで、子供たちを小ざつばりとさせるのだが、姉のエルネスチイヌが、みんなのおめかしを監督することになつてをり、そのために、自分のが遲れてしまふのである。彼女はそれぞれ襟飾ネクタイを選んでやり、爪を磨いてやり、祈禱書を持たせる。一番大きなのをにんじんに渡すのである。だが、なんといつても、仕事は、兄弟たちの頭ヘポマードを塗ることだ。[やぶちゃん注:「襟飾」原文は“cravates”。この場合は、「ネクタイ」である。戦後版では本文で「ネクタイ」と訳しているので、これも「ネクタイ」と当てても読んでも、問題はない。]

 これをやらないと、どうにも氣がすまぬらしい。

 にんじんは、それでも、おとなしくされるまゝになつてゐる。しかし、兄貴のフエリツクスは、豫め姉に向つて、しまひに怒るぞと念を押すのである。が、姉は姉で、かう云つて誤魔化すのである。

 「あゝ、また今日も忘れちやつた。わざとやつたんぢやないわよ。この次の日曜から、きつとつけない」

 で、相變らず、彼女は、その時になると、指の先でひと掬ひ、彼の頭へなすつてしまふのである。

 「覺へてろ」[やぶちゃん注:「へ」はママ。]

 と、兄貴は云ふ。

 今朝も、タオルにくるまり、頭を下へ向けてゐるところを、姉のエルネスチイヌは、またこつそりやつたのだが、彼は、氣がつかぬらしい。

 「さ、云ふことを聞いたげてよ。だから、ぶつぶつ云ひつこなしよ。あの通り、壜は蓋をしたまゝ煖爐の上に置いたるぢやないの。感心でしせう。だけど、あたし、自慢はできないわ。だつて、にんじんの髮の毛なら、セメントでなくちや駄目だけど、あんたのなら、ポマードもいらないくらゐだわ。ひとりで縮れて、ふつくらしてるわ。あんたの頭は、花キヤベツみたいよ。この分けたとこだつて、晚までそのまま持つわよ」[やぶちゃん注:「置いたる」旧のサイトの戦前版の注では、『「置いてある」の誤植か』と注したが、ここでも同じであるから、確信犯の用法であることが判った。これは「置いてある」の口語の縮約形である。考えて見ると、私なども、親しい間の者に対してぞんざいに言う時に、「置ぃたるじゃん」という言い方をすることがたまにある。但し、書物で見ると、甚だ違和感がある。岸田は東京生まれだから、違和感がないのであろう、戦後版の新仮名でも同じであるから、これが普通の口語表現と認識していたらしい。]

 「ありがたう」

 と、兄貴のフエリツクスは云つた。

 彼は、別に疑ふ樣子もなく起ち上つた。普斷のやうに、頭へ手をやつてほんとかどうか調べてもみない。[やぶちゃん注:「普斷」はこの表記が正しい。原義の「途絶えることなく続くこと」から転じて「日常」の意を持つ。実は現代では、多く、「普段」と書くが、こちらの方こそ当て字であることを、若い世代は認識していないかも知れない。]

 姉のエルネスチイヌは、彼に服を着せてしまふ。飾るところは飾つた。それから白い絹の手袋をはめさせる。

 「もういゝんだね」

と、兄貴のフエリツクスは云ふ。

 「素敵よ。丸でプリンスだわ」と、姉のエルネスチイヌは云ふ――「それで、帽子さへかぶればいゝんだわ。開き簞笥の中にあるから取つてらつしやい」[やぶちゃん注:「開き簞笥」老婆心ながら、「ひらきだんす」である。]

 だが、兄貴のフエリツクスは、間違へてゐる。彼は、開き簞笥の前を通り過ぎてしまふ。急いで食器戶棚の方へ行く。戶を開ける。水のいつぱいはひつた水差を取り上げる。そして、これを、平然と、頭へぶつかけたのである。

 「ちやんとさう云つといたらう、姉さん」彼は云ふのである――「僕あ、人から馬鹿にされるのは嫌ひなんだ。そんな小(ち)つぽけなくせして、この古强者をちよろまかさうつたつて、そりや無理だよ。こんどやつたら、ポマードの壜を川ん中へぶち込んぢやうから・・・」

 髮の毛はぺしやんこになり、日曜の晴着から滴がたれてゐる。そこで、びしよ濡れの彼は、着物を着替へさせてくれるか、日に當つて乾くか、そのどつちかを待つてゐるのである。彼は、どつちでもいゝ。

 「ひでえ奴・・・」と、にんじんは、じつと感心してゐる――「あいつあ、怖いものなしだ。おれがあの眞似をしたら、みんなで大笑ひをするだらう。ポマードが嫌ひぢやないつていふ風に思はせとく方が得だ」[やぶちゃん注:この二つの台詞は誰にも聴こえぬように呟いているとした方が映像的には素敵だ。]

 しかし、にんじんが、いつもの調子で諦めてゐても、髮の毛は、何時の間にか、彼の讐を打つてゐる。[やぶちゃん注:「讐」「かたき」。]

 ポマードで無理に寢かせつけられて、一つ時は死んだ眞似をしてゐるが、やがて、むくむくと起き上る。何處がどう押されてか、てかてかの輕い鑄型に、ところどころ凸凹ができ、龜裂(ひび)がはひり、ぱくりと口をあくのである。[やぶちゃん注:「一つ時」老婆心ながら、「いつとき」である。]

 藁葺屋根の氷が解けるやうだ。

 すると、間もなく、髮の毛の最初のひと束が、ぴんと空中に跳ね上る、眞つ直ぐに、自由に。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「おとなしくされるまゝになつてゐる」この「おとなしく」の部分は原文では“comme un Jean Fillou”と表現されている。“Jean Fillou”(ジャン・フィユー)というのは架空名で、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の「ジュール・ルナール全集3」のここの注には、『「間抜けな人間」の意味の代名詞』とある。

「花キヤベツ」:原文は“chou-fleur”で、これはカリフラワーやブロツコリー等の「花野菜」という広義の言い方である。しかし、私は双子葉植物綱フウチョウソウ目アブラナ科アブラナ属ヤセイカンラン(お馴染みの「キャベツ」は同属キャベツ Brassica oleracea var. capitata である)の変種であるハナヤサイ(花椰菜:これが標準和名であるが「カリフラワー」の方が圧倒的に知られる)Brassica oleracea var. botrytis を指しているように思われる。一般に我々が「ハナキャベツ」で想起するのは、原種であるヤセイカンラン Brassica oleracea 及びその仲間で、鑑賞用のキャベツを指すのであるが、あれらは、葉が立つており、ここでの、ふつくらとした感じや、きちっとした分け目といつた言い方は、これ、カリフラワーの形状こそ、比喩に相応しいと思われるのである。]

 

 

 

 

     La Mèche

 

   Le dimanche, madame Lepic exige que ses fils aillent à la messe. On les fait beaux et soeur Ernestine préside elle-même à leur toilette, au risque d’être en retard pour la sienne. Elle choisit les cravates, lime les ongles, distribue les paroissiens et donne le plus gros à Poil de Carotte. Mais surtout elle pommade ses frères.

   C’est une rage qu’elle a.

   Si Poil de Carotte, comme un Jean Fillou, se laisse faire, grand frère Félix prévient sa soeur qu’il finira par se fâcher : aussi elle triche :

   Cette fois, dit-elle, je me suis oubliée, je ne l’ai pas fait exprès, et je te jure qu’à partir de dimanche prochain, tu n’en auras plus.

   Et toujours elle réussit à lui en mettre un doigt.

   Il arrivera malheur, dit grand frère Félix.

   Ce matin, roulé dans sa serviette, la tête basse, comme soeur Ernestine ruse encore, il ne s’aperçoit de rien.

   Là, dit-elle, je t’obéis, tu ne bougonneras point, regarde le pot fermé sur la cheminée. Suis-je gentille ? D’ailleurs, je n’ai aucun mérite. Il faudrait du ciment pour Poil de Carotte, mais avec toi, la pommade est inutile. Tes cheveux frisent et bouffent tout seuls. Ta tête ressemble à un chou-fleur et cette raie durera jusqu’à la nuit.

   Je te remercie, dit grand frère Félix.

   Il se lève sans défiance. Il néglige de vérifier comme d’ordinaire, en passant sa main sur ses cheveux.

   Soeur Ernestine achève de l’habiller, le pomponne et lui met des gants de filoselle blanche.

   Ça y est ? dit grand frère Félix.

   Tu brilles comme un prince, dit soeur Ernestine, il ne te manque que ta casquette. Va la chercher dans l’armoire.

   Mais grand frère Félix se trompe. Il passe devant l’armoire. Il court au buffet, l’ouvre, empoigne une carafe pleine d’eau et la vide sur sa tête, avec tranquillité.

   Je t’avais prévenue, ma soeur, dit-il. Je n’aime pas qu’on se moque de moi. Tu es encore trop petite pour rouler un vieux de la vieille. Si jamais tu recommences, j’irai noyer ta pommade dans la rivière.

   Ses cheveux aplatis, son costume du dimanche ruissellent, et tout trempé, il attend qu’on le change ou que le soleil le sèche, au choix : ça lui est égal.

   Quel type ! se dit Poil de Carotte, immobile d’admiration. Il ne craint personne, et si j’essayais de l’imiter, on rirait bien. Mieux vaut laisser croire que je ne déteste pas la pommade.

   Mais tandis que Poil de Carotte se résigne d’un coeur habitué, ses cheveux le vengent à son insu.

   Couchés de force, quelque temps, sous la pommade, ils font les morts ; puis ils se dégourdissent, et par une invisible poussée, bossellent leur léger moule luisant, le fendillent, le crèvent.

   On dirait un chaume qui dégèle.

   Et bientôt la première mèche se dresse en l’air, droite, libre.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の腹鼓」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の腹鼓【たぬきのはらつつみ[やぶちゃん注:ママ。「つづみ」の誤植であろう。]】 〔雲萍雑志巻四〕狐は奸智ありて、疑ひ多き故に、かれがよこしまにひがめる性《せい》を忌みて、人《ひと》愛《あい》せず。狸は痴鈍にして、暗愚なれば、人も憎まず。予<伝《でん》柳里恭>筑紫にまかりし頃、ある寺にやどりける夜《よ》、あるじの僧の、あれ聞きたまへ、今宵は月のさやけさに、狸どもの集まりて、腹つゞみをうつなりといふに、耳をすませば、その音、はるかに響《ひび》けり。砧《きぬた》の音にやあらんとうたがへば、左《さ》にもあらず。向ひたる岡のこなたに一むらの藪ありて、他《た》には人家なし。狸ども、そこに集まりゐて打つなり。住持云ふ、われこの寺に居《ゐ》ること、およそ九年《くねん》になりぬ、三《み》とせ過ぎぬる秋よりして、人々この音を聞きつけぬ、予もいぶかりて、そのところを尋ね見しに、只《ただ》狸が栖《す》める穴のみありといへり。あくる日行きて見侍るに、はたして人家は絶えてなかりし地(ところ)なり。太平の民は鼓腹《こふく》すなど、古語にもいへば、腹つゞみはめでたきためしにや。〔一話一言巻十三〕京に隠者あり、縫菴《ぬひあん》といふ。琴をよくひけり。信頰(のぶつら)といへるもの横笛をよくす。二人相和して楽しむに、狸庭に来りてその尾を股間にいれ、腹つゞみうちてたてり。

 やよやたぬましつゞみうて琴ひかん

    われことひかんましつゞみうて

                 縫菴

 はうしよくたぬつゞみうてわたつみの

      をきなことひきわれ笛ふかん

                 信頰

 福井立助の物語りのよし、鳴嶋氏(忠八)きけるとにて、鈴木氏(新右衛門)予にかたりき。 〔譚海巻五〕狸腹つゞみ打つといふ事、慈鎮和尚の歌にも見えて、昔より有る事なり。但かの鼓打つ事、人をまどはさんとてする事か、または独りつゞみ打ちて楽しと思へるにかなど、云ひあひけるに、或人さにあらず、この二ツの外の事なり、一とせ我箱根最乗寺に宿せしころ、狸つゞみ打つといふ事をまさしく見たり、これは狸一ツに非ず、二ツにてする事なり、そのころもをかしき事堪へがたき物なれば、必ず声たてず、息せず忍びて見よと申せしかば、ある月夜に客殿の戸のすき間より伺ひしに、頓(やが)て庭に狸二ツをどり出で、かなたこなたたはむれ遊ぶ、これ雌雄の狸なり、交合せんとてかくたはむれあふが、二ツの狸たはれて飛びちがふ時、腹と腹とを打ちあはすれば、さながらつゞみの様に聞ゆるなり、あまたたび打合する時は、誠に余所にては鼓打つともいひつべき程なり、そこののたまふたぐひにはあらざる事なりと語りし。珍しき物語りなり。

[やぶちゃん注:第二話の和歌は一字下げベタだが、ブラウザの不具合を考え、上句・下句を分離し、後者を有意に字下げにした。

「雲萍雑志」「鬼の面」で既出既注。文雅人柳沢淇園(きえん:好んだ唐風名は柳里恭(りゅうりきょう))の随筆とされるも、作者に疑問があり、偽作の可能性が強い。そのために宵曲の割注の頭に「伝」と附されてあるのである。国立国会図書館デジタルコレクションの「名家漫筆集」 『帝國文庫』第二十三篇(長谷川天渓校訂・昭和四(一九二九)年博文館刊)のこちらで当該部が正規表現で視認出来る(本篇は最終の『卷之四』の掉尾で、本書の大尾である)。読みは、主にそれに拠った。

「太平の民は鼓腹す」「鼓腹撃壌」のこと。中国の伝承で、聖王堯の時、一老人が腹鼓を打ち、大地を叩いて歌い、堯の徳を讃えたという「帝王世紀」などに見える故事から、正しい政治が行き届き、人々が太平を楽しむさまを言う。

「一話一言」は複数回既出既注。安永八(一七七九)年から文政三(一八二〇)年頃にかけて書いた大田南畝著の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『蜀山人全集』巻四(明治四〇(一九〇七)年吉川弘文館刊)のこちらで正字で視認出来る。というか、「譚海」以外の前の二篇は、実は既に「柴田宵曲 妖異博物館 狸囃子」の私の注で正字表現で電子化してあるのである。なお、「一話一言」中の「縫菴」・「信頰」・「福井立助」「鳴嶋氏(忠八)」・「鈴木氏(新右衛門)」の人物は、調べても意味を感じないので、注さない。悪しからず。

「譚海」のものは、事前に「譚海 卷五 同國小田原最勝乘寺にて狸腹鼓うちし事(フライング公開)」を公開しておいた。]

 

譚海 卷之五 同國小田原最勝乘寺にて狸腹鼓うちし事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]

 

 「狸、腹つゞみ、打(うつ)。」といふ事、慈鎭和尙の歌にも見えて、昔より有(ある)事也。

 但(ただし)、彼(かの)鼓打(うつ)事、人をまどはさんとてする事か、又は、獨ひとり)、つゞみ打ちて樂しと思へるにか、など、云(いひ)あひけるに、或人、

「さにあらず。此二ツの外の事也。一とせ、我、箱根最乘寺に宿せし比(ころ)、狸、つゞみ打(うつ)といふ事を、まさしく見たり。これは、狸、一つに非ず、二ツにて、する事なり。其比(そのころ)も、

『をかしき事、堪(たへ)がたき物なれば、必ず、聲たてず、息せず、忍びて、見よ。』

と申せしかば、有(ある)月夜に、客殿の戶のすき間より伺ひしに、頓(やが)て、庭に狸、二つ、をどり出(いで)、かなた、こなた、たはむれ、遊ぶ。是(これ)、雌雄の狸なり。『交合せん。』とて、かく、たはむれあふが、二つの狸、たはれて[やぶちゃん注:戯れて。]、飛(とび)ちがふ時、腹と、腹とを、打(うち)あはすれば、さながら、つゞみの樣に聞ゆるなり、あまたたび、打合(うちあひ)する時は、誠に、餘所にては、「鼓打(うつ)」ともいひつべき程也。そこの、のたまふたぐひには、あらざる事なり。」

と語りし。

 珍しき物語りなり。

[やぶちゃん注:いかにも面白い話だが、眉唾だな。

「同國」この前話が相模国の話であることに由る。

「小田原最勝乘寺」現在の神奈川県南足柄市大雄町(だいゆうまち)にある曹洞宗大雄山最乗寺(グーグル・マップ・データ)。山岳部の顧問をしていた頃、春登山で金時山へ登攀する際の登山口であったから、何度も行った。

「慈鎭和尙」天台僧で歌人・文人(史書「愚管抄」の作者)としても知られた慈円(久寿二(一一五五)年~嘉禄元(一二二五)年)。「慈鎭」は諡号。父は摂政関白藤原忠通、摂政関白九条兼実は同母兄。天台座主には四度就任している。

「慈鎭和尙の歌にも見えて」とあるが、和歌嫌いの私は、よう知らん。どなたか、御教授あれかし。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の幻術」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の幻術【たぬきのげんじゅつ】 〔甲子夜話巻十七〕領内にて猟夫ねらゐと云ひて暁前に山野に鹿を打ちに往く。そのをりしも待ちゐたる間に、一婦の紡車《つむぎぐるま》を廻し、木綿を引く体なり。猟夫怪しみ野外人家あらず。且暁前なり。女子《をなご》の居るべきやうなし。これ妖ならんと、持ちたる鳥銃《てつぱう》にてその女を打ちしに、胸のほどに中《あた》りけれども動かず。やはり車を廻すゆゑ、また二発打ちて中れども如ㇾ始。因て猟夫所存を替へ、この度は紡車をねらひ打ちたるに、物音して倒れたり。乃《すなは》ち走り往きて視れば、大なる老狸の鉛に中り斃《たふ》れて、其側《そのそば》に石立てり。女と見えしは石にて、狸は紡車に幻じて欺《あざむ》きしなり。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷十七 18 老狸紡車よなり殺さるゝ事」を正字表現で公開しておいた。]

フライング単発 甲子夜話卷十七 18 老狸紡車よなり殺さるゝ事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

17―18

 領内にて、獵夫、「ねらゐ」と云(いひ)て、曉前(あかつきまへ)に山野に鹿を打(うち)に往く。

 其をりしも、待(まち)ゐたる間に、一婦(いつぷ)の紡車(つむぎぐるま)を𢌞し、木綿を引(ひく)體(てい)なり。

 獵夫、怪しみ、

「野外、人家あらず。且、曉前なり。女子(をなご)の居るべきよう[やぶちゃん注:ママ。]なし。これ、妖ならん。」

と、持(もち)たる鳥銃(てつぱう)にて、その女を打(うち)しに、胸のほどに中(あたり)けれども、動かず、やはり、車を𢌞すゆゑ、又、二發、打(うち)て、中れども、如ㇾ始(はじめのごと)し。

 因(よつ)て、獵夫、所存を替(か)へ、この度は、紡車を、ねらひ打たるに、物音して、倒れたり。

 乃(すなはち)、走り往きて視れば、大(だい)なる老狸(らうり)の、鉛(なまり)に中り、斃(たふ)れて、其側(そのそば)に、石、立てり。

 女と見えしは、石にて、狸は、紡車に幻じて欺(あざむ)きしなり。

■やぶちゃんの呟き

「ねらゐ」不詳。「狙居」か。夜明けよりも前の真っ暗な暁時に山野に出向いて、凝っと隠れて動かずに居て、獲物の鹿を狙い待つことと採る。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の金」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の金【たぬきのかね】 〔積翠閑話巻三〕恩をうけて恩を知らざるは禽獣に等しと。這《こ》は世人の常語にて、恩を知らざるものを譏《そし》れり。然れども鳥獣《とりけもの》にして、よく人の恩を知れり。人として恩をしらぬは禽獣に劣れるなり。いとも恥づべきことならずや。こゝに常州行方(なめかた)の在、片山かげに庵を結び、させる知識といふにはあらねど、一心不動に行ひ澄して、年を経《ふ》る老僧あり。童《わらは》一人《ひとり》だにめし使はで、手づから食事を営みつつ、旦暮(あけくれ)に念仏して、更に他念なかりければ、その道徳だに聞えねど、近郷の人々尊崇して、折にふれ衣食を贈り、家根《やね》壁の破壊(くずれ)なんど繕ひてとらせければ、結句世は安く思ひけり。或とき寒夜《かんや》のことなるが、何者ともしらず外に来りて、老僧々々と呼ぶ声に、たち出《いで》てこれを見れば、年旧(としふる)る狸の徨(たたず)みたり。尋常《よのつね》の人ならば、大いに恐怖なすべきを、了得《さすが》件《くだん》の法師なれば、更に動じたるけはひもなく、何事ありて来れると問ふ。当下(そのとき)狸膝を屈めて、おのれ山中《さんちゆう》を宿《やど》として、雪霜《ゆきしも》も厭はぬ身なれど、年老いてこの程の寒気にほとほと堪へがたし、願ふはこの庵《いほり》の炉辺《ろへん》におきて、寒夜を凌がせ給へかしと、余儀もなくいふを聞き、僧は哀れと思ひつゝいと易きことなれば、疾く疾く来りて温まれよと、快よく諾《うけ》がふに、狸は歓びて裡《うち》に入り、炉の辺に蹲(つぐ)みつつ、身を温めて居《ゐ》るからに、僧は猶持仏に対《むか》ひ、看経《かんきん》して顧みず。二時《ふたおき》ばかりして礼を述べ、外《と》の方へ帰り去《さり》ぬ。かくて後《のち》夜毎に来り、一時《あるとき》は山中なる枯枝落葉など拾ひ集め、持来《もちきた》る事もあり。後には馴れて日暮《ひくる》れば、狸を俟(また)るゝ心地しつ、たまたま遅く来《きた》るときは、などて今宵はこざりけんと、おもひやるばかりなり。かくて冬去り春もやゝ如月(きさらぎ)<二月>の季《えゑ》よりは、弗(ふつ)に狸も見え来らず。その年の冬に至り、訪《と》ひ来《く》ること以前の如く、既にして十年《ととせ》も過ぎぬ。狸は一時《あうとき》僧に対ひ、師の蔭をもて年々《としどし》の寒夜を安く過ぎぬること、生々世々《しやうしやうよよ》の大恩にて、何を以てかこれに報いん。何なりとも望みあらば宣ふべしといひけるに、法師は聞《きき》てうち笑ひ、この身になりて何をか望み、何かねがひのあるべきぞ、志《こころざし》はうれしけれど、恃(たの)むべき事もなし、然《さ》ることに心をおかず、我この世にあらん限りは、冬毎に来《きた》るべしと聞て、狸はその心操(こころばえ)を、あさからず感じたる面持(おももち)してありけるが、恩を禀(うけ)てはその恩を、報いざるを念[やぶちゃん注:一途の思い。]とせるにや、かくいふこと数回(たびたび)なり。法師はまたそのこゝろざしを、哀れとおもひて言出でけるは、遁世捨身の老法師、何か望みのあるべきならねど、たゞ願はくは三両の黄金(こがね)を得まくおもふなり、我《われ》郷人《さとびと》の情《なさけ》をもて、当時衣食に縡(こと)を闕《か》かず、翌《あす》が日《ひ》往生の素懐を遂げなば、これもまたうち倚りて、骸(むくろ)を慝《かく》すまでの事は、取賄《とりまかな》うてくるゝ筈なり、されば他《ほか》に金銭の入るべき条《すぢ》はあらねども、若し三枚の金《こがね》あらば、尊《たふと》き[やぶちゃん注:後に示す活字本に拠る読み。]御寺《みてら》へ奉り、追福の御法《みのり》をうけて、後世《ごせ》[やぶちゃん注:同前だが、個人的には「ごぜ」と濁りたい。]の菩提となしたく思ふ、然れどもこの黄金《こがね》、強ひて索(もと)めんとにはあらず、若しあらばとおもふのみ、汝がこゝろざしの切なる故に、説話(はなし)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]聞ゆるまでなりと聞《きい》[やぶちゃん注:同前。]て、狸は小首をかたぶけ、物案じ気《げ》なる景勢(ありさま)なれば、僧はなまじひのこといひ出て、狸が心を労《らう》さすよと思ひにければ、またうち返して、後世をおもふも凡夫心のみ、かならず索めんとにはあらず、決して苦心すべからずと喩《さと》しに、狸は意得顔(こころえ《がほ》)にて、その夜は例の如く帰りしが、それより後は弗(ふつ)に来らず、僧は彼が来《こ》ぬを訝《いぶか》り、その金《こがね》の整《ととの》はで面目《めんぼく》なさに来らぬか、またそれを盗まんとして、うち殺されなどしつらんか、左(と)にも右(かく)にも益なき事を言ひ出《いで》て罪をましぬと、後悔すれど今さら返らず。若しも殺されたるらん歟と、かれが為に看経の数《かず》をまして行ひ澄し、図らず三年《みとせ》を過《すぐ》しけるが、一夜《あるよ》門《かど》の辺《ほとり》にて、老僧々々と呼ぶ声せり。狸が音《おん》[やぶちゃん注:同前。]に似たりしかば、聞きもあへずたち出《いで》て、戸を開けば狸なり。僧はほとほとうち歓び、いまだ無事にてありけるよ、何とて久しく来らぬぞ、この日来(ひごろ)まち佗びたりといはれて、狸は内に入り、先頃(いつぞや)宣ひし黄金のこと、徒らに用ゐ給ふなら、何ほど揪(とり)て参らすとも、いと易きことながら、後世菩提のため尊《たふと》き御寺ヘ奉ると聞きぬれば、人の秘めおく黄金を竊(ぬす)み、その人の念かゝるときは、菩提の御ン為にはなり難《がた》からんと思ふから、佐渡へ渡り、或ひは土砂《つちすな》に雑りつゝ、人の捨てたるを拾ひ集め、新(あらた)に吹かして参りたれば、斯く月日を費したりといひつゝ出《いだ》す黄金を見るに、いかにも輝々《きらきら》しき新金《しんきん》にて、いと清浄《しやうじやう》におぼえければ、僧はとりておし戴き、よしなきことを言ひしより、汝に幾干(いくそ)の苦労を懸けたり、さりながらわが望みを得て、志願満足辱《かたじけな》しと、叮嚀(ねんごろ)[やぶちゃん注:活字本では『ていねい』と振る。]に礼拝《らいはい》す。この時狸のまうす様《やう》、これにて己《おのれ》が志も達しては候へど、人にな語り給ひそといふに、法師がこれのみは人にかたらで止むべきならず、その故はこの黄金を、かく浅間しき庵におかば、賊の為に奪はれん、人に預くるか、さもあらずば直《すぐ》[やぶちゃん注:活字本に拠る。]に御寺へ納むべし、然る時はこの貧僧が身に応ぜぬ黄金にて、人の不審もあるべければ、在りのまゝいはでは協(なか)はじ[やぶちゃん注:ルビ「なか」はママ。「かな」の誤植。]、たゞ其後《そののち》彼《かの》狸は弗に来らずと包《つつ》みなば[やぶちゃん注:活字本に拠ったが、「くるみなば」の方が判りがよい。「誤魔化して、言いくるめたならば」の意。]、これにて仔細あらざるべし、但し汝は今までの如く、来りて寒を防ぐべしと聞《きい》て[やぶちゃん注:活字本に拠る。]、狸も点頭(うなづき)をり、それよりこの法師があるほどは、冬毎に絶えず来りしとなん。

[やぶちゃん注:「積翠閑話」松亭金水(しょうていきんすい 寛政九(一七九七)年~文久二(一八六三)年中村経年)著で、歌川国芳の門人梅の本鶯斎(おうさい)画になる全四冊から成る絵入本随筆。嘉永二(一八四九)年刊。作者は人情本に名を残しただけあって、本篇も、伝承はあったものかとも思われるが(後注参照)、非常によく作られた作品で、ほのぼのしてくる上出来の――人情+狸情本――である。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十四巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)で正字表現で視認出来る。本文はここからであるが、標題はここ(標題のみ)で、『狸(たぬき)の金(かね)』、次のページに見開きで素敵な挿絵がある。人情本作家ならではの、ルビがかなりつけられているもので、多くを、積極的にそれを用いて、読みを添えた。なお、原本では末尾に改行して全体が一字下げで、筆者の添書がある。以下に示しておく。記号は私の凡例に同じ。総て句点で読点はない(本文も同じ)。

   *

按《あんず》るに獸畜(じうちく)にて。よく恩を知るは狗(いぬ)にしかず。日本紀(にほんき)鳥捕萬(とりべよろづ)が狗(いぬ)より。往〻(わうわう)古書(こしよ)に見えたるなり。この頃(ころ)それを轉錄(てんろく)して。梓(あづさ)に鏤(ちりばめ)たりけれど。いまだその本を閲(けみ)せず。狸(たぬき)にしてかゝることは。珍しとするに足(たり)なん。

   *

宵曲が、これをカットしたのは、本篇が創作物であることを読者が感じてしまう(本書の「随筆」から外れてしまう)ことを避けたかったためののように思われる。

「常州行方(なめかた)」現在の茨城県南東部の行方(なめがた)市(グーグル・マップ・データ)。現行は、かく、濁る。

 なお、カットされた添書中の「鳥捕萬」は飛鳥時代の武人で物部守屋の資人(しじん:下級官人であった捕鳥部万(ととりべのよろず)。姓はない。当該ウィキによれば(太字は私が附した)、『捕鳥部(鳥取部)は鳥を捕捉することを職業とした品部』(しなべ/ともべ)で、『用明天皇』二(五八七)年の「丁未の乱」に『おいて物部方に属して戦い』、百『人を率いて守屋の難波の邸宅を守備した。主君の守屋が討たれたのを聞いて、茅渟県の有真香邑』『(ありまかむら。現在の大阪府貝塚市大久保近辺』『か)の妻の家を経由して山中に逃亡した。逃げた竹藪の中で、竹を縄でつないで動かし、自分の居場所をあざむいて、敵が近づいたところで弓矢を放ち』(「日本書紀」)、『衛士の攻撃を受けつつ、「自分は天皇の楯として勇武を示してきたけれども、取り調べを受けることがなく、追い詰められて、このような事態に陥った。自分が殺されるべきか、捕らえられるべきか、語るものがいたら、自分のところへ来い」と弓をつがえながら地に伏して大声で叫んだ。その後、膝に矢を受けるも』、『引き抜きながら』、『なおも剣で矢を払い』、三十『人ほど射殺し』、『朝廷の兵士を防ぎ続けるが、弓や剣を破壊後、首を小刀で刺して自害した』(「日本書紀」)。『朝廷は万の死体を八つに切り、串刺しにして八つの国にさらせと河内国司に命じた』。『そして、その死体を串刺しにしようとした時、突如』、『雷鳴し、大雨が降った。そして、万が飼っていた白犬は万の頭を咥えて古い墓に収めると、万の頭のそばに臥して横たわり、やがて飢死したと伝わる』。『この事を不思議に思った朝廷が調べさせ、哀れに思い、万の同族の者に命じて』、『万と白犬の墓を有真香邑のほど近くに並べて作らせた』『ものが、現在岸和田市天神山町の住宅地内にある天神山古墳』『であるとされている。また、そのうち』、一『号古墳が白犬の墓である「義犬塚古墳」』『であり、程なく離れた』二『号古墳が捕鳥部万の墓』『であるとされている。また、捕鳥部万の墓とされる』とあった。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「喇叭」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Rappa

 

     喇  叭

 

 

 ルビツク氏は、今朝、巴里から歸つて來たところである。鞄をあける。お土產が出る。兄貴のフエリツクスと姉のエルネステイヌへの素敵なお土產だ。それも丁度――なんといふ不思議なことだらう――彼等が一と晚中夢に見たといふものばかりだ。それからあとで、ルピツク氏は、兩手を後ろへまわし、にんじんの方を揶揄ふやうに見て云ふ――[やぶちゃん注:「揶揄ふ」「からかふ」。]

 「今度はお前だ、なにが一番欲しい。喇叭か、それともピストルか?」

 事實、にんじんは、それほど向う見ずではないのである。寧ろ、用心深い方である。そこで、彼は、どつちかといふと喇叭の方がいゝ。手に持つてゐて飛び出す心配がない。しかし、普段聞くところによると、自分くらゐの男の子は、飛び道具か劒か、戰爭で使ふ道具でなければ、遊んだつて本氣になれないらしい。年から云つても、火藥の臭いを嗅ぎ、物といふ物を粉碎したい年になつてゐるのだ。おやぢは子供を識つてゐる。誂(あつら)へ向きのものを持つて來てくれたに違ひない。

 「僕あ、ピストルの方がいゝや」

と、彼は、大膽に云つた。てつきり圖星を指したつもりなのだ。

 それだけならいゝが、彼は少し調子に乘り過ぎた。そして、かう附け加へた――

 「匿したつてだめだよ。ちやんと見えてるんだもの」

 「へえ、さうか」と、ルピツク氏は、當惑して云つた――「お前はピストルの方がいゝのか。ぢや、また變つたんだね」

 にんじんは、たちどころに、應へた。

 「うゝん、さうぢやないよ、ふざけて云つてみたんだよ。心配しないだつていゝよ。僕あ、大嫌ひだ、ピストルなんか。さ、早く、喇叭をおくれよ。吹いてみせるからさ。僕、喇叭を吹くの大好きさ」

 

ルピツク夫人――「そんなら、どうして噓を吐くんだい。お父さんを困らせようと思つてだらう。喇叭が好きなら、ピストルが好きだなんて云ふもんぢやない。おまけに、なんにも見えないくせに、ピストルが見えてるなんて云ふもんぢやない。だから、その罰に、ピストルも喇叭も、お前にはあげないよ。よくこれを見とくといゝ。赤い總と、金の緣飾のある旗がついてる。よく見たね。ぢや、もういゝから臺所へ行つて、母さんがゐるかどうか見といで。さつさと走つて! 指で口笛を吹いてるがいゝ」[やぶちゃん注:「吐く」「つく」。戦後版で、そう、ルビする。「緣飾」「ふちかざり」。]

 

 戶棚のてつぺんの、白い下着類を重ねた上で、三つの赤い總と、金の緣飾のある旗にくるまつて、にんじんの喇叭、手も屆かず、見えもせず、音も立てず、最後の審判のそれのやうに、誰かに吹かれるのを待つてゐる。

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。

「ぢや、もういゝから臺所へ行つて、母さんがゐるかどうか見といで。」原作は“Maintenant, va voir à la cuisine si j'y suis ;”となつてゐる。これは、逐語訳するなら、「私が、そこにいるなら、キッチンを見に行って御覧な、」であるが、まず、これは如何にもな言わずもがなの酷い嫌味であって、『私とは違つた、おぞましいお前を甘やかしてくれるような、もう一人の別な母さんが、いるかどうか、さっさと、探しに行っといで!』という意味であろう。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中學生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」では、この部分、同様に、『じや、もういいから、台所へ行って、あたしがそこにいるかどうか、見ておいで、早くお行き。』と訳されておられるが、一九九五年臨川書店刊『全集』第三巻の佃裕文訳では、全くあっさりと、『さあ、どこなとお行き。とっととお行きよ、』と訳しておられる。ここはしかし、子どもに読ませることを考えるなら、私のような意訳の方が躓かないと思うのだが? 如何か?

「最後の審判のそれ」「新約聖書」の「ヨハネの黙示録」の第八章から第十一章にかけて、神の御使い達が吹くラッパ。小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、最後の七つ目の封印が解かれた時に吹かれ、その度に様々なカタストロフ(災い)が起こる(例えば、第三のラツパが吹き鳴らされると、空から「苦よもぎ」という名の星が落下し、地上の川と、水源の上に落ちた。水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったため、多くの人が死んだ、とある。因みに、ウクライナ語で、キク科ヨモギ属のニガヨモギArtemisia absinthiumの近縁種オウシュウヨモギArtemisia vulgarisを「チョルノービリ」(“Чорно́биль”で、「茎の暗い色」を指す語。ロシア語では“Чернобыль”で、「チェルノブイリ」但し、現在の聖書研究では、これは、同属アルテミシア・ジュダイカ Artemisia Judaica とする説が有力)と言う。続く、善と悪の世界最終戦争たる「ハルマゲドン」の後、キリストが再臨し、あらゆる死者を蘇らせて、「最後の審判」が行われる。そこでは永遠の生命を与えられる者と、地獄へ墜ちる者とが、分けられるとするのである。チェルノブイリ原子力発電所事故では、ドニプロ(ドニエプル)川・ドニステール(ドニエストル)川、そして黒海が汚染された。私は無神論者であるが、この符合はぞっとする。而して、私は――誰が、ではなく、「人類」総てが「地獄に堕ちる者」と認識している――人種である。

 

 

 

 

    Le Trompette

 
   Lepic arrive de Paris ce matin même. Il ouvre sa malle. Des cadeaux en sortent pour grand frère Félix et soeur Ernestine, de beaux cadeaux, dont précisément (comme c’est drôle !) ils ont rêvé toute la nuit. Ensuite M. Lepic, les mains derrière son dos, regarde malignement Poil de Carotte et lui dit :

   Et toi, qu’est-ce que tu aimes le mieux : une trompette ou un pistolet ?

   En vérité, Poil de Carotte est plutôt prudent que téméraire. Il préférerait une trompette, parce que ça ne part pas dans les mains ; mais il a toujours entendu dire qu’un garçon de sa taille ne peut jouer sérieusement qu’avec des armes, des sabres, des engins de guerre. L’âge lui est venu de renifler de la poudre et d’exterminer des choses. Son père connaît les enfants : il a apporté ce qu’il faut.

   J’aime mieux un pistolet, dit-il hardiment, sûr de deviner.

   Il va même un peu loin et ajoute :

   Ce n’est plus la peine de le cacher ; je le vois !

   Ah ! dit monsieur Lepic embarrassé, tu aimes mieux un pistolet ! tu as donc bien changé ?

   Tout de suite Poil de Carotte se reprend :

   Mais non, va, mon papa, c’était pour rire. Sois tranquille, je les déteste, les pistolets. Donne-moi vite ma trompette, que je te montre comme ça m’amuse de souffler dedans.

 

     MADAME LEPIC

   Alors pourquoi mens-tu ? pour faire de la peine à ton père, n’est-ce pas ? Quand on aime les trompettes, on ne dit pas qu’on aime les pistolets, et surtout on ne dit pas qu’on voit des pistolets, quand on ne voit rien. Aussi, pour t’apprendre, tu n’auras ni pistolet ni trompette. Regarde-la bien : elle a trois pompons rouges et un drapeau à franges d’or. Tu l’as assez regardée. Maintenant, va voir à la cuisine si j’y suis ; déguerpis, trotte et flûte dans tes doigts.

   Tout en haut de l’armoire, sur une pile de linge blanc, roulée dans ses trois pompons rouges et son drapeau à franges d’or, la trompette de Poil de Carotte attend qui souffle, imprenable, invisible, muette, comme celle du jugement dernier.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「麵麭のかけら」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Pannokakera

 

    麵麭(パン)のかけら

 

 

 ルピツク氏は、それでも、機嫌のいゝ時には、自分から子供たちの相手になつて遊ぶやうなこともある。裏庭の小徑でいろんな噺をして聞かせるのである。すると、兄貴のフエリツクスとにんじんとが、しまひに地べたの上を轉がりまわる。彼等はそんなにはしやぐ。今朝も、さういふ風で、三人がへとへとになつてゐると、そこへ、姉のエルネスチイヌがやつて來て、お晝の用意ができたと云ふ。やつと、それで鎭まつた。家族が集まると、どの顏も、みんな苦蟲を嚙みつぶしたやうだ。

 何時もの通り、大急ぎで、口も利かずに飯を食ふ。若し、これが料理屋なら、そろそろ、テーブルを次のお客に明け渡しても差支ないのだが、その時分になつてルピツク夫人は ――

 「パンのかけらを一つ、こつちへ頂戴、砂糖煮を食べちまふんだから・・・」

 誰にさう云つたのか?

 大槪の場合、ルピツク夫人は、自分の食べるものは自分で取るのである。そして話をすると云へば犬相手である。彼女は、犬に野菜の値段を云つて聞かせる。そして、當節、僅かの金で、六人の人間と一匹の獸(けもの)とを養つて行くことが、どんなに困難かといふ說明をしたりする。

 「馬鹿お云ひ」と、彼女は、お愛想に喉を鳴らし、靴拭ひを尻尾で叩いてゐるピラムに向かつて云ふのである――「お前にはわからないんだよ、この家を持つて行くのに、あたしがどんなに苦勞してるか・・・。お前も、男の人たちみたいに、臺所で使ふものは、みんな只で手にはいると思つてるんだらう。バタが高くならうと、卵が法外な値にならうと、そんなことは一向平氣なんだらう」[やぶちゃん注:「家」先例通り、「うち」を採る。「値」は「ね」と読んでおく。]

 ところが、今日といふ今日、ルピツク夫人は、大變なことをしでかした。慣例を破つて、彼女は、ぢかにルピツク氏に言葉をかけたのだ。相手もあらうに、彼女が砂糖煮を食べてしまふためにパンのかけらを請求したのは、正しく彼に向つてだ。もう、誰も、それを疑ふ餘地はないのである。第一彼女はルピツク氏の顏を見つめてゐる。第二に、ルピツク氏のそばに、パンがあるのである。彼は愕いて躊躇してゐる。が、やがて、指の先で、自分の皿の底からパンのかけらを抓み上げ、眞面目に、無愛想に、そいつをルピツク夫人めがけて抛(はふ)つたものである。

 戲談か? 喧嘩か? それがわからない。

 姉のエルネスチイヌは、母親のために侮辱を感じ、なんとなく胸騷ぎがしてゐる。

 「おやぢは、あれで、今日は氣分がいゝんだ」

 兄貴のフエリツクスは、椅子の脚を傍若無人にがたがた云はわせながら、かう考へてゐる。[やぶちゃん注:前の鍵括弧は以上から、二重鍵括弧であるべきである。但し、戦後版でも鍵括弧ではある。]

 にんじんはどうかというと、ぴりつとも身動きをせず、唇を壁土のやうに固くさせ、耳の奧がごろごろ鳴り、頰つぺたを燒林檎で膨らませながら、ぢつとしてゐる。若しもルピツク夫人が、息子や娘の前で、人間の屑みたいに扱はれながら、すぐに食卓を離れずにゐたら、それこそ彼は、屁でもしてやりたかつたのだ。

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。さて、このエピソードは、「にんじん」の中でも、極めて印象的なシーンである。映画やドラマでも、ここが一つの「にんじん」という物語世界の深い闇を覗かせる痛烈な転回点となるのシークエンスであるからである(私は知られた一九三二年のジュリアン・デュヴィヴィエ(Julien Duvivier)監督版は大学に入ってすぐに見たのだが、「フィルム・センター」の最後部からの立ち見で、実はあまり覚えていない(フランス・一九三二年公開)。ただ、アンリ・グラズィアーニ(Henri Graziani)監督で、ルピック氏を私の大好きなフィリップ・ノワレ(Philippe Noiret)が演じたそれ(フランス・一九七三年公開)を見たが、確かに、このパンを投げるシーンが、実に鮮やかに脳裡に刻まれている)。特にそれは、ここまでの「にんじん」に對するルピツク夫人の極めて意地悪い態度(それは、今ならば、明白な「兒童虐待」であり、「DV」である)に對して、読者の中に知らず知らずのうちに醸成された、ある種の「にんじん」への一体化による憤懣が、一瞬、浄化される場面だからである(しかし、それは同時に、この作品の書かれなかつた続篇への不吉な伏線とも言えるのであるが)。底本の全四十九篇の第十三番目に位置し、ほぼ冒頭から四分の一の箇所に配されている。これ以上の絶妙の配置は、ない。

○「馬鹿お云ひ」原文では、ただの“Non”である。犬のピラムへの、意味のない、いや、「犬畜生」へのおぞましい侮蔑を含んだ、呼びかけ語である。いや、実際には、後文の「お前にはわからないんだよ。」という否定表現を先取りする絶対否定の辞として、とっよい。しかも、その「台詞」(まさに犬に語りかけるという点で「芝居」である)は、言わずもがな、「男たち」=「にんじん」、フェリックス、そして何より、家長であるルピック氏を「馬鹿」「犬」「畜生」に換喩する形で痛烈な皮肉となっているのは言うまでもない。それを知りながら、岸田氏は、一見、ソフトに「だめね」とせず、かく、訳された(因みに、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」の訳は、直球の『だめだね。』である。また、臨川書店全集の佃氏の訳は、後の部分の直接話法を繋げて一つに纏め、流暢にストレートに訳しておられる。が、私は孰れも、岸田氏のここの訳に及ばないと思う)。しかし、この悪意に富んだ台詞を、冒頭でダイレクトな否定辞で示すのは、私は日本語訳の小説という条件に於いて、ちょっとアカラサマで馴染まない気がする。一見、奇異かも知れないが、私は岸田マジックの素敵な仕儀であると思うのである。

 

 

 

 

    La Mie de Pain

 

  1. Lepic, s’il est d’humeur gaie, ne dédaigne pas d’amuser lui-même ses enfants. Il leur raconte des histoires dans les allées du jardin, et il arrive que grand frère Félix et Poil de Carotte se roulent par terre, tant ils rient. Ce matin, ils n’en peuvent plus. Mais soeur Ernestine vient leur dire que le déjeuner est servi, et les voilà calmés. À chaque réunion de famille, les visages se renfrognent.

   On déjeune comme d’habitude, vite et sans souffler, et déjà rien n’empêcherait de passer la table à d’autres, si elle était louée, quand madame Lepic dit :

   Veux-tu me donner une mie de pain, s’il te plaît, pour finir ma compote ?

   À qui s’adresse-t-elle ?

   Le plus souvent, madame Lepic se sert seule, et elle ne parle qu’au chien. Elle le renseigne sur le prix des légumes, et lui explique la difficulté, par le temps qui court, de nourrir avec peu d’argent six personnes et une bête.

   Non, dit-elle à Pyrame qui grogne d’amitié et bat le paillasson de sa queue, tu ne sais pas le mal que j’ai à tenir cette maison. Tu te figures, comme les hommes, qu’une cuisinière a tout pour rien. Ça t’est bien égal que le beurre augmente et que les oeufs soient inabordables.

   Or, cette fois, madame Lepic fait événement. Par exception, elle s’adresse à M. Lepic d’une manière directe. C’est à lui, bien à lui qu’elle demande une mie de pain pour finir sa compote. Nul ne peut en douter. D’abord elle le regarde. Ensuite M. Lepic a le pain près de lui. Étonné, il hésite, puis, du bout des doigts, il prend au creux de son assiette une mie de pain, et, sérieux, noir, il la jette à madame Lepic.

   Farce ou drame ? Qui le sait ?

   Soeur Ernestine, humiliée pour sa mère, a vaguement le trac.

   Papa est dans un de ses bons jours, se dit grand frère Félix qui galope, effréné, sur les bâtons de sa chaise.

   Quant à Poil de Carotte, hermétique, des bousilles aux lèvres, l’oreille pleine de rumeurs et les joues gonflées de pommes cuites, il se contient, mais il va péter, si madame Lepic ne quitte à l’instant la table, parce qu’au nez de ses fils et de sa fille on la traite comme la dernière des dernières !

 

2023/11/27

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸と老女」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、和歌二首は一行ベタだが、ブラウザの不具合を考え、上句と下句を分離し、後者を有意に字下げした。]

 

 狸と老女【たぬきとろうじょ】 〔兎園小説拾遺巻三〕文政十一年三月中比、雲峯の家に久しく仕へし老女有り。名をやちといへり。年七十余りになりぬれば、名をよぶ人もなく、只婆々とぞいひける。婆々が親族皆たえて、引取り食ふ者なく、掛るべき便りなければ、千秋を主人の家に過せよとて憐みおきけり。かゝりし程に、この年の三月中頃より、何の病《やまひ》もなきに、俄かに気絶して、暫く息かよはざりしに、一時計《ばか》りありて、やゝ人心地付きにき。さばれ身体自由ならずして、只日にまして食餌《しよくじ》すゝみて、常に十倍し、且つその間に餅菓子を求めければ、渠がまにまに与へけり。かゝれば、みたびの食の外、しばしも物たうべぬいとまなかりき。死に近き者のかく健啖なるを、あやしとおもはざる者なし。渠《かれ》手足こそ自由ならね、夜毎にいとおもしろげに歌うたひ、或ひは友来れりとて、高らかに独りごとなどす。或ひは又はやしたてて拍子とるおとなども聞えし事有り。或ひはいたく酒にゑひたる如くにて熟睡し、日の登るまでさめざることも有りけり。主人いぶかりて、松本良輔てふくすしに、脈うかゞはせしに、脈は絶えてなし。少しくあるが如くなれども、脈にあらず。奇なる病ひなるかな。薬方つかず。全く老髦(たうもう)の致す所、心気を失ひて脈絡通ぜず。只補ふの外なしとて、時々来診してけり。かくて月日をふるまゝに、婆々が半身自然と減じて、後には骨出《いで》て穴をなし、その穴の内より、毛の生たるやうの者見ゆるとて、看病せし者、おどろきのゝしりけり。兎角する程に、春(文政十二年)になりければ、息気あるにより腰湯をあみせ、敷物など日々に敷き替へて、いたはらせけるに、婆々よろこびて、しばらく謝すること限りなし。食餌など養ひの為に、主人沙汰して小女を付け置きつ。とかうする程に又冬になりければ、きるもの皆脱ぎかへさせたるに、脱したるきる物に狸にや、毛物の毛多くつきてあり。またその臭気高く、鼻をうがつ計りなるに、人々いよいよあやしみけり。これよりして後、をりをり狸の婆々が枕辺を徘徊し、或ひは婆々が衾《ふすま》の間《あひだ》より尾など出すことありとて、かの小女いたくおそれて、寄りも得つかざりしを[やぶちゃん注:「得」は不可能の呼応の副詞「え」に漢字を当て字したもの。]、主人のねんごろに諭しなどするに、後には馴れておそれずなりぬ。されば夜毎に婆々が唄ふ歌などを聞き覚えて、こよひは又何をうたひやするとて、待ちがほなるもいとをかしかりき。後々に至りては、婆々のふしどに狸多くつどひたるにや、つづみ・笛・太鼓・三味せんにて、はやすが如き音聞え、婆々は声高やかに歌うたひけり。また一夜はやしに合《あは》して、をどる足音の聞えし事もありけり。またある朝婆々が枕辺に、柿を多くつみおきしこと有るよしを、婆々に問へば、こは昨夜の客が、わが身をよくいたはらせ給はするよろこびにとて、まゐらせしなりといふ。さばれ皆いぶかりて、くらふものもなし。こゝろみにさきて見るに誠の柿なり。看病せる小女に皆とらしつ。また一日《いちじつ》、切もちひを多く枕辺におかれしことあり。これも狸のおくりものなるべし。主の浅からずあはれめるを、友狸の感じて、かゝる事をしつるにや。禽獣(きんじう)もまた感ずるよしありて、仁に報ゆる心にやと人みないひけり。また一夕《いつせき》火の玉手まりのごとく、婆々の枕辺を飛びめぐりたり。かの小女おそるおそるこれを見しに、赤きまりの光り有る物にて、手にもとられず、忽ち消えうせてなかりしといふ。つぎの日、婆々にこれを問ひしに、この夜は女客ありて、まりをつきたりと答ふ。また一夜、火の玉桔槹<はねつるべ>せしことあり。これを婆々に問へば、羽子をつきたるなりと答ふ。また一日、婆々歌をよみしとて、紙筆を乞ひつゝ書きつくるを見るに、

 朝顔の朝は色よく咲ぬれど

     夕は尽るものとこそしれ

 婆々は無筆にて、歌などよむべき者にあらず。こもまた狸のわざなるべし。また一日、婆々が画《ゑ》をかきて、かの小女にあたへしを見るに、蝙蝠に旭《あさひ》をゑがきて賛あり。その賛に

 日にも身をひそめつゝしむかはほりの

     よをつゝがなくとびかよふなり

と有り。婆々画を書く者にあらず。これもまた古狸のわざなり。かくてますますものおほくたうべること、三たび毎に八九椀、その間は芳野団子五六本ほどもなく金鍔焼餅二三十など、かくの如く日々健啖なれども、病ひは聊かもおきる気色なし。かくて一夕、婆々がふしどに、光明赫奕(かくえき)として紫雲起り、三尊の弥陀あらはれて、婆々の手を引くがごとく、将(ゐ)てゆき給ふと見えければ、例の小女おどろきおそれ、あわてまどひ走り来りて、あるじ夫婦にしかじかと告げしかば、あるじ雲峯、その妻と共に走りて、其ふし戸にゆき見れば、婆々はうまい[やぶちゃん注:熟睡。]して、目にさへぎる者なし。さる程に、このとし(文政十二年)十一月二日の朝、雲峯の妻、良人に告ぐるやう、昨夜ふりたる狸の、婆々のふし戸より出《いで》て座中をめぐり、戸節《とふし》の透(すき)より出でゆきにきといふ。婆々はその儘いき絶えけり。思ふに始め婆々が頓死せし時、そのなきがらに老狸《らうり》のつきてありしなり。こは雲峯の話せられしを、そがまゝに書きしるすになん。

[やぶちゃん注:私の『曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「麻布大番町奇談」』で正規表現で電子化注済み。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸と中間」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸と中間【たぬきとちゅうげん】 〔梅翁随筆巻二〕明和九年目黒行人坂《ぎやうにんざか》の火事とて、江戸中大半焼失せし大火事あり。その夜牛込若宮八幡宮の脇に住《すまひ》す加藤又兵衛が中間、市谷左内坂《さないざか》を通りしに、きれいなる女泣き居たるに逢ひけり。様子を尋ぬるに、焼出され行くべきかたもなしといふ。しからば我かたへ来り一夜を明かし、しれる人の行衛を尋ね給ふべしといふ。やすらかに得心してつれ立ち来りけり。ひとり男のことなれば、さし障る心遣ひなしと、中間心に大いに悦び、ともなひて部屋に入り、囲炉裏の火を沢山にさしくべて、こゝろ及ぶだけ馳走しけるが、覚えず少し居眠り目覚《めさま》しみれば、彼女も居眠りゐたりしが、目もとに長き毛の見ゆる如くなりしゆゑ、目をうちひらききつと見れば、いつか古狸となれり。大睾丸《おほきんたま》を広げて火にあぶり居《ゐ》るゆゑ、己れ狸めよく化《ばか》したり、打殺して汁の実にせんと打ちかゝれば、狸初めて驚き、窓より飛出で逃去りたりとかや。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は前回分を含めて既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる(二行目下方から)。但し、これは標題『○妖怪物語幷夜女に化』(ばけ)『し事』(前ページ開始)の後半部分を抄出したもの。最後の一文の『又兵衞今はやしき替』(がへ)『して一色聞多』(いつしきぶんた)『の屋敷と成る。』もカットされている。これは、幸い、「柴田宵曲 妖異博物館 異形の顏」の最後の私の注で、正規表現で同条全部を電子化しているので、見られたい。

「明和九年目黒行人坂の火事とて、江戸中大半焼失せし大火事あり」「明暦の大火」・「文化の大火」とともに「江戸三大大火」の一つとされる、「明和の大火」或いは「目黒行人坂大火」とも呼ばれる、明和九年二月二十九日(一七七二年四月一日)に目黒行人坂にある大圓寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)から出火したが、武州熊谷無宿の真秀という坊主が盗みのために庫裡に放火したことによる火付けであった。真秀は同年四月頃に捕縛、同年六月二十一日、市中引き回しの上、小塚原で火刑に処された。

「牛込若宮八幡宮」現在の神楽坂若宮八幡宮

「市谷左内坂」東京都新宿区市谷左内町(いちがやさないちょう)のここ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸と下女」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸と下女【たぬきとげじょ】 〔梅翁随筆巻一〕小倉侯の神田明神<東京都千代田区内>下の中屋敷に、女隠居《をんないんきよ》すみ給ふ。その附(つき)の下女の名は卯《う》の、八月頃より行衛知れず。いかゞいたせしにやと過ぐる処に、同年十一月のはじめ、長局《ながのつぼね》の縁の下より手を出して、貝殼にて水をすくひのむものあり。皆々あれはとたち出れば、奥深く逃込《にげこ》みける。化生《けしやう》のものにこそあらめとて、役人へ届けければ、則ち人を入れてさがしみるに、縁の下の隅にかくれ居たるものを引出し見れば、八月失せし下女なり。髪はみだれ、痩せおとろへて居たり。その子細を尋ぬるに、若衆三人に仕《つかうまつ》はれ[やぶちゃん注:仕えらえて。世話されて。]、日々おもしろき事のみなり。その中に壱人《ひとり》はむつかしくて苦しき事も有りし。食事は代る代るいろいろのものを持来りて、毎日好味《かうみ》ばかり食し、何ひとつ不足なる事なしといふ。一体ふぬけとなりて、言葉もさだかならず。やうやう右の趣を聞きとりしなり。されば早速宿へしらせ申すべしとて、当人をも遣はしけるが、程なく死《しに》けるとぞ。宿は神田辺にて、小酒《こざけ》をあきなふ者の娘なり。狸この屋しきには多し。まれにこれ等の事あるよし申す者ありし。この女を見出せし後おもひ合すれば、八月已来、神仏ヘ備へし品、または仕廻《しま》ひ置きたる喰《くひ》ものなど、自然と紛失せし事有りしが、これをぬすみて女にくはせ置きけるにやあらんといひあへり。さてこの事を見聞きし女ども、また見込まるゝ事もあらんかと、大かた暇《いとま》をねがひけるとぞ。その後日々祈禱など種々執行あれども、化ものの出たるといふにもあらねば、そのしるし見ゆべき事もあらず。たゞ心ならずとぞ。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は『○狸、下女を犯す事』。この話、現代語訳の怪談本では、かなりメジャーな話としてよく知られるものであるが、この下女、談話が、見かけ上は、一部が細かく奇妙ながらある種の現実的統一感を感じさせる。これはラポートを生じにくい難症の偏執的妄想体系を示す統合失調症辺りが疑われる。

「小倉侯の神田明神」「東京都千代田区内」「下の中屋敷」豊前小倉藩小笠原家中屋敷。現在の東京都千代田区外神田五丁目にある亀住稲荷神社(グーグル・マップ・データ)は、同中屋敷内にあったものである。

「卯の年、八月頃」リンク先の原話の前話『○山東京傳が事』の時制が、『寬政七卯年五月』とすることから、これも寛政七年乙卯、グレゴリオ暦で一七九五年、その旧暦八月一日はグレゴリオ暦八月十五日である。

「十一月のはじめ」グレゴリオ暦で既に十二月十一日から十二月二十日。暑い夏から、既に年末の寒い時期、ずっと縁の下にいたとしたら、ちょっと見るのも厭な様子であろう。

「貝殼」イタヤガイやホタテガイの片貝や、巻の非常に緩い腹足類のトコブシ・アワビなど貝殻に木の把手をつけた貝柄杓(かいびしゃく)のこと。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸油に酔う」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸宗固【たぬきそうこ】 〔譚海巻一〕下野飯沼弘教寺の後の山に、狸宗固が墓と云ふ物あり。これは往年古狸その寺の僧に化けて年久しくあり。寺の納所《なつしよ》などを預り謹慎につとめて、住持の替る度毎にも、寺の事しりの僧にて居《をり》けり。ある日ひるねせしとき、狸のかたちあらはし、住持に見顕《みあら》はされて、人間にあらざる事を知りたれども、年久しく有りて事になれ、用事を弁じければ給仕させけるが、死《しに》たる後葬りたる墓なりといヘリ。住持の望みに依て弥陀の来迎を現《あらは》しみせけることを、いひつたふれどもこれに贅せず。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之一 下野飯沼弘敎寺狸宗因が事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸油に酔う」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸油に酔う【たぬきあぶらによう】 〔耳囊巻一〕内藤宿の先に、井伊掃部頭屋鋪有り。抱屋敷《かかへやしき》にて、百姓家ありて、惣囲《そうがこ》ひの門番せる嘉兵衛といへるありしが、町へは余程間遠にて、燈し油壱升または五合程づつ、坪様のものに入れて、調へけるが、あるとき暮合(くれあひ)より出て、右油を調へ、夜に入りて立帰る途中、何遍となく同じ道を行きつ戻りつして、宿に至らず。ふつと心付きて、これはまさしく狐狸にたぶらかされしならんと思ひければ、その道顕然と別れし故、漸く宿に帰りしが、油は一滴もなかりけるゆゑ、さては狐狸のたぐひ、油を奪ふべきために化されけり、無念の事なりと臥《ふせ》しが、夜半に眼さめけるに、宿の脇なる物置部屋に、頻りにいびきするものありければ、驚き立出で聞くに、ものこそ有りていびきなすなり、盗賊にてあるべしとて、用心に棒を引《ひつ》さげ、よくよく見れば狸なり。憎き奴が仕業なりと、棒を以て打つに、彼物驚き起きたりしが、油に酔うて身体自在ならざる様子ゆゑ、ひた打ちに打ち殺しけるとなり。

[やぶちゃん注:私のものでは底本違いで、「耳嚢 巻之八 痴狸油に醉て致死を事」である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「棚谷家の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 棚谷家の怪【たなやけのかい】 〔黒甜瑣語巻四[やぶちゃん注:『ちくま文芸文庫』版では『一編ノ四』とある。]〕宿《やど》の老婆が兄たりし棚谷某の義父にてありし人、秋の夜のつれづれ独りごち家に居《ゐ》たりしが、席(たたみ)の縁池間(へちあひ)より卓筆《たくひつ》の長《たけ》ほどの駿馬武者[やぶちゃん注:「ちくま」版も同じだが、後掲する活字本原本では『騎馬武者(きばむしや)』となっているから、宵曲の当たった本の誤字、或いは、宵曲の誤字、或いは、底本の誤植である。]三四人出て、馳駆《ちく》[やぶちゃん注:「走りまわること」。或いは、「敢然と力を尽くすこと」。]して戦ふ。烟管(きせる)を以《も》ちてこれを打てば皆なし。茶頃(しばらく)してまた一人出《いで》たり。金甲焜燁《きんかふこんよう》[やぶちゃん注:立派で堅固な鎧が光り輝くこと。]、大将軍の風に以たり[やぶちゃん注:同活字本では『似たり』。誤植の可能性が大。]。弓に矢を搭(は)め引満《いんまん》しける[やぶちゃん注:ここは「十分に弓を引き絞った」の意。]。また烟管を上げて覗《ねら》ひて打ちしが、かの矢に射られしと思ひしは、定めて我烟管にて自傷《あやまち》せしなるべし。その時より一眼を失せり。心欝の祟りしならんか。『異聞録』に徐玄之が蚍蜉王(おほあり)を見し事もあり。

[やぶちゃん注:「黒甜瑣語」「空木の人」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本(明治二九(一八九六)年版)のこちらで視認出来る。これは本書の『第一編』の『第四卷』であるから「ちくま」版のそれが正しい。なお、そこでは、本文標題は『○棚谷家の怪事』であるが、「目次」では『棚谷家の怏事』。「怏事」とは通常では歴史的仮名遣では「やうじ」(ようじ)で、通常は「怨みごと」の意。結果すれば、それでもよいが、これは「怪事」の誤字であろう。

 

 思うに、これは、妄想性の強い統合失調症の幻覚か、或いは、慢性の重いアルコール性精神病の典型的なそれである。私は、偏愛する平安末期から鎌倉初期頃に描かれた奇病や治療法を描いた絵巻物「病草紙(やまひのさうし)」の中の、現在は仮に「小法師の幻覚を生ずる男」と解説されるそれを、いの一番に想起した。その画像は、林正樹氏のサイト「地獄草子 餓鬼草子 病草紙」の「病草紙」のページの下から二番目で視認出来る。私は高校時代には心理学科を志望しており(心理学科も受験したが、落ちた)、現在まで、精神病関係の諸本を読み続けているが、慢性アルコール中毒者の幻覚は驚くべきもので、患者が、病室の白い壁をいつまでも見て、時々、笑っているので、医師が「何が見えるのですか?」と尋ねるとと、「面白い映画を見てるのさ。」と答えるほどである。また、同疾患では、しばしば、小さな昆虫や蜘蛛・甲殻類(特に何故かカニ)が、わらわらと自分の身体に群がってくる幻覚を見るので、この話とも、或る程度の親和性が感じられるのである。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「湯呑」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Yunomi

 

     湯 

 

 

 にんじんは、これからもう、食事の時に、葡萄酒を飮まないことになつた。彼はこの數日の間に葡萄酒を飮む習慣をなくしてしまつたのだが、あんまり造作がないので、親同胞(きようだい)も、出入りの人たちも、これは意外に思つた。抑もの話はかうである。

 ある日の朝、母親のルピツク夫人が、何時ものやうに、彼の湯吞に葡萄酒を注がうとすると、彼はかう云つた――

 「僕いらないよ。喉渴いてないから」

 夕飯の時、彼はまた云つた――

 「僕いらないよ。喉渴いてないから」

 「なかなか經濟だね、この子は」ルピツク夫人は云ふ――「みんな大助かりだ」

 さういう風で、彼は、はじめの一日、朝から晚まで、葡萄酒を飮まずにゐた。陽氣が穩かで、それに、たゞ、なんといふことなしに、喉が渴かなかつたからである。

 翌日、ルピツク夫人は、食器を並べながら、彼に訊ねた――

 「今日は、葡萄酒を飮むかい、にんじん?」

 「さうだなあ」と彼はいつた――「まあ、どうだかわからない」

 「ぢや、好きなやうにおし」と、ルピツク夫人は云つた――「湯吞みが欲しかつたら自分で戶棚から出しといで」

 彼は、出しに行かない。億劫なのか、忘れたのか、それとも、自分で取りに行くのはいけないと思つてか?

 みんなが、そろそろ意外な顏をし出す。

 「えらくなつたもんさ」と、ルピツク夫人が云ふ――「お前には、そんな藝當もできるんだね」

 「珍(めずら)しい藝當だ」――ルピツク氏は云ふ――「そいつは、と、なんかの役に立つさ。殊におつつけ、一人つきりで、駱駝にも乘らず、砂漠の中で道に迷ひでもしたやうな時にはなほさらだ」

 兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌは、斷乎として云ひ放つた。

 

 姉のエルネスチイヌ――「きつと一週間ぐらゐ飮まないでゐられてよ」

 兄貴のフエリツクス――「なあに、この日曜まで、三日もてば、大したもんだ」

 

 「だつて」と、にんじんは、薄笑ひを浮かべながら云ふ――「だつて、喉が渴かなかつたら、僕、何時までだつて飮みやしないよ。兎や天竺鼠をみてごらん。あれの何處がえらいんだい」

 「天竺鼠とお前とは別だよ」

  兄貴のフエリツクスが云ふ。

 

 にんじんは、癪にさはつた。そこで彼等に、これでもかといふところをみせることになるのである。ルピツク夫人は、相變らず、湯吞みを出し忘れてゐる。彼は、決してそいつを催促しない。皮肉なお世辭を云はれても、眞面目に感心したやうな風をされても、彼は、等しく我れ關せずで聞き流してゐた。

 「病氣でなけりや、氣が狂つたんだ」

 あるものは、かう云つた。また、あるものは、かうも云つた――

 「内證で飮んでるんだ」

 だが、何事も、珍しいうちが花だ。舌がちつとも渴いてないといふ證據をみせるために、にんじんが、舌を出して見せる回數は、だんだんに減つて來る。

 兩親も、近所の人たちも、根氣負けがして來た。たゞ、なんでもない人が、どうかしてその話を聞くと、また兩腕を高く上げた――

 「冗談云つちやいけない。自然の要求といふものは、こりや、誰一人抑へることは出來ないんだから・・・」

 醫者に相談すると、さういふ例はどうも奇妙には奇妙だが、しかし、要するにあり得ないといふことは、なに一つないわけだと宣言した。

 ところで、にんじんは、自分ながら不思議だつた。そのうちに苦しくなりはせぬかと思つてゐたからである。彼は、規則正しく剛情を張りさへすれば、どんなことでも出來るという事實を確めた。彼は、最初から、苦しい缺乏に堪え、一大難關を突破しなければならぬと覺悟した。それが、一向、痛くも痒くもないのである。以前よりも、からだの調子はいゝくらゐだ。これなら、喉の渴きばかりでなく、腹が空くのだつて我慢できない筈はない! 飯なんか食はなくつたつてもいゝ。空氣だけで生きてゐてみせる。

 彼は、もう、自分の湯吞のことさへとつくに忘れてゐる。湯吞みは、長い間使はずにほうつてある。すると、女中のオノリイヌが、その中へ、ランプの金具を磨く赤い磨砂を容れてしまつた。[やぶちゃん注:「磨砂」「みがきずな」。]

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「湯呑」「湯吞」(混用はママ)であるが、本邦では非常に誤解が生まれている可能性が高いので(特にヴァロトンの挿絵のこちら側に座って「にんじん」に目を向けているルピック夫人の右手に持っているものがそれとすれば、多くの日本人は筒状の陶器の把手なしのカップに見えてしまう)のように、注記しておくと、標題の“La Timbale”は「金属製のコップ」であって、ワイン・グラスでも、陶器製の湯呑・コップ・カップでも、ない(なお、この単語は音写で「タバァル」で、第一義は半球形の銅の鑵(かん)に革を張ったお馴染みの楽器「ティンパニ」である)。

「食事の時に、葡萄酒を飮まないことになつた」想像出来ると思うが、一言言っておくと、フランスでは非常に永い間、葡萄酒は健康によいとされて、子どももワインを普通に飲んだ。現在でも、フランスの法定飲酒年齢(一九八一年規定)はワインは十四歳から飲める(蒸留酒は十八歳)。「真夜中のおなら」さん(日仏のカップル)のブログ「世界のユースセンターを巡る旅人 世界を旅する日本人とフランス人の話」の「子どもがワインを飲むのは健康に良いと信じられていたフランスの過去|給食にワイン」がよい。それによれば、『フランスでは長い間、アルコールは健康によく、体を強くさせると信じていました。これは、1860年代にルイ・パスツールが「ワインは飲み物の中で最も健康的で、最も衛生的なものです」と言ったことに起因します。そしてみんなが彼の言葉を聞き、長い間信じていました』。『そのため子供たちには、毎日食事の時にワインが与えられていました。フランス人は、水よりも健康的だと考えていたのです。それからも、アルコールは健康に良いという信念がどんどん広がっていきます。虫を殺す、消毒薬として使える、体を温める、妊娠中にビールを飲むと母乳が出やすくなる、などなどいろんなことが出てきました』。『以上のような状況から、1950年代までは』、『すべての子供たちが家庭や学校で毎日アルコールを飲んでいました。学校の食堂で、子供たちは水で薄めたワインを飲んでいました』。『しかしその頃、科学者たちが「アルコールは子供には良くない」と言い始め、14歳以下の子供は学校での飲酒が禁止され、その年齢以上の子供は、親の同意によってアルコール度数が3度までのお酒を飲むことができるように変更されました』。『しかし、ほとんどの親はワインは健康に良く、成長に必要なものだと考えているため、学校では飲めないことから、登校前、子供にワインを飲ませることにしました。そのため、子供たちはしばしば酔っ払って学校に来てしまい、学校に通うことに対しての問題が生まれてきました』。『その状況を見て1956年、ピエール・メンデス』(Pierre Mendès-France:前年までフランスの首相を務めた)『は、フランスの学校でワインをコップ一杯の牛乳と角砂糖に置き換えることを決めました。そこには牛乳が子供たちを強くし、勉強熱心にさせるという理由を添えたのです。なぜならその頃、子供たちの間で栄養不足とアルコール依存症が問題にあがっていたからです』。『1968年には、ある博士が妊娠している女性のアルコール依存症の危険性を示す研究を発表したとき、フランス人は彼のことを馬鹿にし、誰も信じなかったそうです。その後アメリカの研究者チームが、1973年にその問題を真剣に取りあげたことで、妊婦のアルコール摂取の危険性が一般的になっていきました』とある。本文は英語版であるが、“Were French Children Served Wine on School Lunch Breaks Until 1956?”が、画像・動画もあって素晴らしい。幼稚園児が幼稚園で、小学生が小学校で、給食の際にワインをガッツり飲んでいる様子が視認出来る。ワインを通常の飲み物とするのは、永く水道水の水質に問題があったことも影響しているが、一九七〇年代の新聞でも、フランスでのアルコール依存症が若者にも深刻であるという本邦の新聞記事を読んだ記憶があり、その元凶の一つは、やはり若者のワインの常飲であった。他にもネット上の記事では、フランスでは夜泣きする赤ん坊の哺乳瓶に微量のワインを入れるとぐっすり眠るという話や、子どものワイン飲酒は今も見て見ぬ振りをする傾向は残っているように見受けられる。まあ、私も親友と酒(専ら、ジンだった)・煙草を中二頃からこっそり嗜んだから、批判は出来ない。

「天竺鼠」齧歯(ネズミ)目ヤマアラシ亜目テンジクネズミ上科テンジクネズミ科 Caviidaeテンジクネズミ属Caviaの総称。代表種としての、所謂、モルモツトCavia porcellusを想起してよい。同種は実験動物の白色のそれとして専ら知られてしまったが、本来は、南米に棲息するテンジクネズミ科の野生種を古代インディオが食糧用に家畜化した種であって、病理学研究のために作り出された種ではない。体毛色も白が基本色であるが、ペットとしては、それに黒・茶色が入っているブチ等、多彩な個体が多い。確認したところ、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」、及び、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の「ジュール・ルナール全集3」でも『モルモット』で訳しておられる。

「兎や天竺鼠をみてごらん。あれの何處がえらいんだい」かなり長いこと、ウサギやモルモットは水を飲まないと言われたことがあった(今も知人女性が「ウサギは水を飲まない」というのを言って呆れたことがある)。無論、彼らの目と同じく真っ赤な嘘である。

「お世辭」私は幼少期から「おせいじ」と発音してきてしまった結果、「おせじ」とは決して発音しない。だから、仮にこれを朗読すると、百%、「おせいじ」と読んでしまう。しかし、それは「世」の別の音にある「セイ」に引かれ、また、発音上の個人的な、発音した際の言い心地の座りの好さを感じることによる訛りであり、あくまで「おせじ」が正しい読みである。戦後版で、正しく『せじ』と振っている。

「内證」「ないしよう」(現代仮名遣「ないしょう」)は、現在、「證」は「証」の旧字体とされているが、実は「證」と「証」は、本来は別字で、「證」が「明かし・明かす」の意であるのに対して、「証」は「諌める」の意である。実は、仏教で、「内証」は「自ら心の内に仏教の真理を悟ること・その悟った真理」を指したが、それは「通常は容易には知り得ない真理」であった、それを「ないしよ」(ないしょ)と発音したといったことが、辞書にはあった。そこから「容易に外部に知らてはならないこと」として「内證話・内証話」がこっそり隠している内輪のことを指す語にまで堕落して「内緒話(ないしよばなし)」となったのである。因みに、戦後版では岸田氏は、ちゃんと『ないしょう』と振っておられる。

「オノリイヌ」この年、六十七歳になるルピック家の老女中。五つ後の章に「オノリイヌ」があり、続く二章が彼女の顛末を描く話としてある。]

 

 

 

 

    La Timbale

 

   Poil de Carotte ne boira plus à table. Il perd l’habitude de boire, en quelques jours, avec une facilité qui surprend sa famille et ses amis. D’abord, il dit un matin à madame Lepic qui lui verse du vin comme d’ordinaire :

   Merci, maman, je n’ai pas soif.

   Au repas du soir, il dit encore :

   Merci, maman, je n’ai pas soif.

   Tu deviens économique, dit madame Lepic. Tant mieux pour les autres.

   Ainsi il reste toute cette première journée sans boire, parce que la température est douce et que simplement il n’a pas soif.

   Le lendemain, madame Lepic, qui met le couvert, lui demande :

   Boiras-tu aujourd’hui, Poil de Carotte ?

   Ma foi, dit-il, je n’en sais rien.

   Comme il te plaira, dit madame Lepic ; si tu veux ta timbale, tu iras la chercher dans le placard.

   Il ne va pas la chercher. Est-ce caprice, oubli ou peur de se servir soi-même ?

   On s’étonne déjà :

   Tu te perfectionnes, dit madame Lepic ; te voilà une faculté de plus.

   Une rare, dit M. Lepic. Elle te servira surtout plus tard, si tu te trouves seul, égaré dans un désert, sans chameau.

   Grand frère Félix et soeur Ernestine parient :

     SOEUR ERNESTINE

   Il restera une semaine sans boire.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Allons donc, s’il tient trois jours, jusqu’à dimanche, ce sera beau.

 

   Mais, dit Poil de Carotte qui sourit finement, je ne boirai plus jamais, si je n’ai jamais soif. Voyez les lapins et les cochons d’Inde, leur trouvez-vous du mérite ?

   Un cochon d’Inde et toi, ça fait deux, dit grand frère Félix.

   Poil de Carotte, piqué, leur montrera ce dont il est capable. Madame Lepic continue d’oublier sa timbale. Il se défend de la réclamer. Il accepte avec une égale indifférence les ironiques compliments et les témoignages d’admiration sincère.

   Il est malade ou fou, disent les uns.

   Les autres disent :

   Il boit en cachette.

   Mais tout nouveau, tout beau. Le nombre de fois que Poil de Carotte tire la langue, pour prouver qu’elle n’est point sèche, diminue peu à peu.

   Parents et voisins se blasent. Seuls quelques étrangers lèvent encore les bras au ciel, quand on les met au courant :

   Vous exagérez : nul n’échappe aux exigences de la nature.

   Le médecin consulté déclare que le cas lui semble bizarre, mais qu’en somme rien n’est impossible.

   Et Poil de Carotte surpris, qui craignait de souffrir, reconnaît qu’avec un entêtement régulier, on fait ce qu’on veut. Il avait cru s’imposer une privation douloureuse, accomplir un tour de force, et il ne se sent même pas incommodé. Il se porte mieux qu’avant. Que ne peut-il vaincre sa faim comme sa soif ! Il jeûnerait, il vivrait d’air.

   Il ne se souvient même plus de sa timbale. Longtemps elle est inutile. Puis la servante Honorine a l’idée de l’emplir de tripoli rouge pour nettoyer les chandeliers.

 

2023/11/26

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「苜蓿(うまごやし)」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Umagoyasi

  

     苜 蓿(うまごやし)

 

 

 にんじんと兄貴のフエリツクスは、夕方のお禱りから歸ると、急いで家へはひる。それは、四時のおやつだからである。

 兄貴のフエリツクスは、バタやジヤミをつけたパンを貰ふことになつてゐる。それから、にんじんは、なんにもつけないパンである。なぜなら、彼は、あんまり早く大人のふりをしようと思つて、みんなの前で、自分は食ひ心棒ぢやないと宣言したからである。彼はなんでも自然のまゝが好きだ。平生、好んで、パンを何もつけずに食ふのである。で、その晚もやはり、兄貴のフエリツクスより早く步く――自分が先に貰ひたいからである。

 時として、何んにもつけないパンは固い。すると、にんじんは、敵に向ふやうにそれにぶつかつて行くのである。ぎゆつと摑む。嚙りつく。頭をぶつける。粉ごなにする。そして、かけらを飛ばす。まわりに居並ぶ親同胞(きようだい)は、珍しさうにそれを見てゐる。

 駝鳥のやうな彼の胃の腑は、石だらうが、靑錆のついた古銅貨だらうが、わけなく消化するに違ひない。

 要するに、彼はちつとも食べ物の選り好みをしない。

 彼は戶の鐉(かけがね)を引く。閉まつてゐるのである。

 「父さんも母さんもゐないんだよ、きつと・・・。足で蹴つてごらん、よう」

と、彼が云ふ。

 兄貴のフエリツクスは、「こん畜生」と云ひながら、釘の頭が並んでゐる重い戶にぶつかつて行く。戶は暫く音を立てゝゐる。それから二人は、力を併せて、肩で押す。無駄である。

 

にんじん――たしかに、ゐないよ。

兄貴のフエリツクス――何處へ行つたんだらう。

にんじん――そこまではわからん。坐らう。

 

 階段の踏石が尻に冷たく二人は近來稀な空腹を感じる。欠伸をしたり、心落を握拳で叩いたりして、その激しさを訴へる。[やぶちゃん注:「心落」「みぞおち」。鳩尾。]

 

兄貴のフエリツクス――歸るまで待つてると思つたら間違ひだぞ。

にんじん――そいぢや、ほかにうまい工夫があるかい。

兄貴のフエリツクス――待つてなんかゐるもんか。飢え死をしたかないからなあ、おれは・・・。今すぐ食ひたいんだ。なんでもいゝ、草でもいゝ。

にんじん――草・・・! ぞいつあ面白い。父さんや母さんも、それを聞いたらぎやふんだ。[やぶちゃん注:「ぞいつ」はママ。誤植か。]

兄貴のフエリツクス――だつて、サラダを食べるぢやないか。此處だけの話だけど、苜蓿(うまごやし)なんか、サラダとおんなじに軟かいよ。つまり、油と酢をつけないサラダさ。

にんじん――搔きまわすこともいらないし・・・。

兄貴のフエリツクス――賭けをしよう。僕も、苜蓿(うまごやし)なら食べるよ。お前は食べられないぜ、きつと。

にんじん――どうして、兄さんに食べられて、僕に食べられないんだい?

兄貴のフエリツクス――さ、いゝから賭けをしよう。いやか?

にんじん――うん、だけど、その前に、お隣へ行つて、パンを一片(きれ)づゝと、それヘ凝乳(ヨーグルト)を少し貰つて來たら?

兄貴のフエリツクス――僕あ苜蓿の方がいゝ。

にんじん――行かう。

 

 やがて苜蓿の畑が、美味(うま)さうな綠の葉を、彼らの眼の下にひろげる。その中にはひつて行くと二人は、面白がつて靴を引き摺る。軟かい莖を踏み切る。細い道をつける。

 ――なんだらう、どんな獸だらう、此處を通つたのは・・・?

 何時までも、人は心配をして、かう云ふに違ひない。

 ぼつぼつ疲れ加減になつて來た脛(はぎ)のあたりへ、ズボンを透して、ひやりとしたものが滲み込んで來る。[やぶちゃん注:「滲み込んで」戦後版では『浸(し)み込んで』とある。ここもその読みを採る。]

 彼等は畑の眞中で止る。そして、べつたり、腹這ひになる。

 「好い氣持だね」と、兄貴のフエリツクスが云ふ。

 顏がくすぐつたい。それで二人は、むかし同じ寢床の中で寢た時のやうにふざけるのである。あの頃、すると、ルピツク氏が、隣の部屋から呶鳴つたものだ――

 「もう眠ろよ、餓鬼ども!」

 彼等は饑じさを忘れ、水夫の眞似をして泳ぎを始める。それから犬の眞似をし、蛙の眞似をする。二つの頭だけが浮き出てゐる。彼らは、碎け易い小さな綠の波を手で搔きわけ、足で押しのける。波は、崩れたまゝ、もとの形を取らない。[やぶちゃん注:「饑じさ」「ひもじさ」。]

 「僕、頤までつくよ」

と、兄貴のフエリツクスが云へば、

 「こら、こんなに進むぜ」

と、にんじんが云ふ。

 ひと息ついて、もつと靜かに、自分たちの幸福を味ふべきである。

 そこで、兩肱をついて、土龍の掘つた塜を見渡してみる。それは、老人の皮膚に盛り上る血管のやうに、電光形を描いて地面に盛り上つてゐる。時に見失つたかと思ふと、また空地へ行つてひよつこり顏を出してゐる。その空地には、上等な苜蓿を喰ひ荒す性(たち)のよくない寄生虫、コレラのような菟絲子(ねなしかづら)が、赤ちやけた纖維の髭を伸ばしてゐる。土龍(もぐら)の塜は、そこで、印度風に建てられた小屋そのまゝ、一塊りになつて小さな村を形づくつてゐる。

 「することはこれつきりぢやないぜ。おい、食べよう。はじめるよ。僕の領分にさわつちやいけないよ」

 兄貴のフエリツクスはかう云ふ。そして、片腕を半徑に、彼は圓弧を描く。

 「僕あ、殘つてるだけで澤山だ」

と、にんじんが云ふ。

 二つの頭がかくれる。もう何處にゐるかわからない。

 風が靜かな吐息を送つて、苜蓿の薄い葉をひるがへすと、蒼白いその裏が見える。そして、畑一面に身ぶるひが傳はる。

 兄貴のフエリツクスは、しこたま草を引き拔いて、そいつを頭の上に被り、盛に口の中へ詰め込むふりをする。そして、乳を放れたばかりの犢が、草を食ふ時に齒を嚙み合せる、その音の眞似までして見せる。彼は根でもなんでも食つてしまふやうに見せかける。世の中を識つてゐるからである。處が、にんじんは、それをほんとだと思ふ。たゞ、もつと上品に、美しい葉のところだけを撰るのである。[やぶちゃん注:「撰る」「える」。]

 鼻の先でそいつを曲げ、口ヘもつて來て、悠然と嚙みしめる。

 どうして急ぐ必要がある?

 テーブルを時間で借りたわけでもなく、橋の上に市が立つてゐるわけでもない。

 齒を軋(きし)ませ、舌を苦くし、胸をむかむかさせながら、彼は吞み込む。なるほど御馳走である。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「苜蓿(うまごやし)」被子植物門双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ウマゴヤシ属ウマゴヤシ Medicago polymorpha 若しくは、ウマゴヤシ属 Medicago の種。ヨーロッパ(地中海周辺)原産の牧草。江戸時代頃、国外の荷物に挟み込む緩衝材として本邦に渡来した帰化植物である。葉の形はシロツメクサ(クローバー:マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節シロツメクサ Trifolium repens )に似ている(シロツメクサの若葉ならば、食用になる。それなら、私も食べたことがある)。『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でもお馴染みのアイテムである。

 「四時のおやつ」原文は“quatre heures”(音写はリエゾンで「キャトルール」となる。「四」を意味する“quatre”に、“heures”は「時間」)。フランスでは「おやつ」は午後四時である。

「駝鳥」ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ Struthio camelus であるが、ダチョウは基本は草食ながら、昆虫等も食べる雑食性。齒を持たず、丸呑みするため、ニワトリと同じく胃の下に砂肝があつて、そこに「グリッド」と稱する小石を蓄えておき、消化補助に用いている。しばしば、磨り減つたグリツドを補給するために、ダチョウが小石を飲む現象を見かけるという。直後に「石」を持ってきたルナールは、きつとそうした生態を知っていたのであろう。

「鐉」本字は音「セン・テン」で、門戸の開閉をするための樞(とぼそ・くるる=回転軸)を嵌め込むための半球状の金具を指す漢語である。私自身、その形状を明確にイメージすることが出来ずにゐるが、要はドアの壁面との接合金具を指すのであろう。原文は“le loquet”で、岸田氏は本字を「かけがね」と訓じており、仏和辞典でもそうあるが、しかし、「掛け金」というのは、二対一組の鍵の一方を指す語であり、もう一方の金具に掛けて開かないようにするための金具を指す。ここでは、明らかにそのようなものではない(門扉の「引く」部分では断じてないという意味で、である)。ドアの把手(とって)として打ち込まれた金具、大きな釘とか、手を掛けられる鎹(かすがい)のようなものを指していると私には思われる。

「菟絲子」双子葉植物綱キク亜綱ナス目ネナシカズラ科(ヒルガオ科ともする)ネナシカズラ属 Cuscuta の葉緑体を持たない寄生植物で、いろいろな植物に絡み付き、寄生根を出して宿主の栄養分を吸収し、枯死させる。ヨーロッパ固有種であるクシロネナシカズラ Cuscuta europaea としてよいように思われる。フランス語の当該種のウィキ“Cuscute d'Europeで草体・糸球体の画像を見ることが出来る。

「印度風に建てられた小屋」原文では、“à la mode indienne”であるが、ここは“indienne”の意味の取り方によつて、二つの考え方が出来る。一つは、岸田氏の訳のまさに「印度の」の意にとつて、墳墓としてのインドの“stûpa” (ストゥーパ:サンスクリツト語。「卒塔婆」の語源として知られる)をイメージし、所謂、土饅頭風の意味でとるのである。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」も、これを採用している。一方、もう一つは、それを「アメリカ・インディアンの」の意に採って、お馴染みの円錐型テントのアメリカ・インディアンの簡易型住居である「ティピー」の意でとる方法である。岸田先生には悪いが、可能性としては、私は後者の方が当時の少年少女のイメージするものとしては、自然で判りがいいであろう。確認したところ、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の「ジュール・ルナール全集3」でも『インディアン風の小屋さながら微小な集落をかたちづくつてゐる。』と譯しておられる。但し、私のモグラの「塜」(「塚」「塚」の異体字)の映像的イメージとしては、前者の土饅頭の方が、断然、しっくりとは、くるのであるが。

 因みに、本章は私の「にんじん」初体験時で、最も印象的な章の一つであり、ヴァロトンの挿絵とともに、私には――幼少の頃、確かに、「にんじん」と「フェリックス」と三人で「苜蓿」をむしゃむしゃと食ったデジャ・ヴュ(déjà-vu":既視感)が――ある――のである!――

 以下の原文は、原本と比較して一部に一行空けを行った。但し、原本には一部、不審な箇所がある。]

 

 

 

    La Luzerne

 

   Poil de Carotte et grand frère Félix reviennent de vêpres et se hâtent d’arriver à la maison, car c’est l’heure du goûter de quatre heures.

   Grand frère Félix aura une tartine de beurre ou de confitures, et Poil de Carotte une tartine de rien, parce qu’il a voulu faire l’homme trop tôt, et déclaré, devant témoins, qu’il n’est pas gourmand. Il aime les choses nature, mange d’ordinaire son pain sec avec affectation et, ce soir encore, marche plus vite que grand frère Félix, afin d’être servi le premier.

   Parfois le pain sec semble dur. Alors Poil de Carotte se jette dessus, comme on attaque un ennemi, l’empoigne, lui donne des coups de dents, des coups de tête, le morcelle, et fait voler des éclats. Rangés autour de lui, ses parents le regardent avec curiosité.

   Son estomac d’autruche digérerait des pierres, un vieux sou taché de vert-de-gris.

   En résumé, il ne se montre point difficile à nourrir.

   Il pèse sur le loquet de la porte. Elle est fermée.

   Je crois que nos parents n’y sont pas. Frappe du pied, toi, dit-il.

   Grand frère Félix, jurant le nom de Dieu, se précipite sur la lourde porte garnie de clous et la fait longtemps retentir. Puis tous deux, unissant leurs efforts, se meurtrissent en vain les épaules.

 

     POIL DE CAROTTE

   Décidément, ils n’y sont pas.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Mais où sont-ils ?

     POIL DE CAROTTE

   On ne peut pas tout savoir. Asseyons-nous.

 

   Les marches de l’escalier froides sous leurs fesses, ils se sentent une faim inaccoutumée. Par des bâillements, des chocs de poing au creux de la poitrine, ils en expriment toute la violence.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   S’ils s’imaginent que je les attendrai !

     POIL DE CAROTTE

   C’est pourtant ce que nous avons de mieux à faire.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je ne les attendrai pas. Je ne veux pas mourir de faim, moi. Je veux manger tout de suite, n’importe quoi, de l’herbe.

     POIL DE CAROTTE

   De l’herbe ! c’est une idée, et nos parents seront attrapés.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Dame ! on mange bien de la salade. Entre nous, de la luzerne, par exemple, c’est aussi tendre que de la salade. C’est de la salade sans l’huile et le vinaigre.

     POIL DE CAROTTE

   On n’a pas besoin de la retourner.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Veux-tu parier que j’en mange, moi, de la luzerne, et que tu n’en manges pas, toi ?

     POIL DE CAROTTE

   Pourquoi toi et pas moi ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Blague à part, veux-tu parier ?

     POIL DE CAROTTE

   Mais si d’abord nous demandions aux voisins chacun une tranche de pain avec du lait caillé pour écarter dessus ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je préfère la luzerne.

     POIL DE CAROTTE

   Partons !

 

   Bientôt le champ de luzerne déploie sous leurs yeux sa verdure appétissante. Dès l’entrée, ils se réjouissent de traîner les souliers, d’écraser les tiges molles, de marquer d’étroits chemins qui inquiéteront longtemps et feront dire :

   Quelle bête a passé par ici ?

   À travers leurs culottes, une fraîcheur pénètre jusqu’aux mollets peu à peu engourdis.

   Ils s’arrêtent au milieu du champ et se laissent tomber à plat ventre.

   On est bien, dit grand frère Félix.

   Le visage chatouillé, ils rient comme autrefois quand ils couchaient ensemble dans le même lit et que M. Lepic leur criait de la chambre voisine :

   Dormirez-vous, sales gars ?

   Ils oublient leur faim et se mettent à nager en marin, en chien, en grenouille. Les deux têtes seules émergent. Ils coupent de la main, refoulent du pied les petites vagues vertes aisément brisées. Mortes, elles ne se referment plus.

   J’en ai jusqu’au menton, dit grand frère Félix.

   Regarde comme j’avance, dit Poil de Carotte.

   Ils doivent se reposer, savourer avec plus de calme leur bonheur.

   Accoudés, ils suivent du regard les galeries soufflées que creusent les taupes et qui zigzaguent à fleur de sol, comme à fleur de peau les veines des vieillards. Tantôt ils les perdent de vue, tantôt elles débouchent dans une clairière, où la cuscute rongeuse, parasite méchante, choléra des bonnes luzernes, étend sa barbe de filaments roux. Les taupinières y forment un minuscule village de huttes dressées à la mode indienne.

   Ce n’est pas tout ça, dit grand frère Félix, mangeons. Je commence. Prends garde de toucher à ma portion.

   Avec son bras comme rayon, il décrit un arc de cercle.

   J’ai assez du reste, dit Poil de Carotte.

   Les deux têtes disparaissent. Qui les devinerait ?

   Le vent souffle de douces haleines, retourne les minces feuilles de luzerne, en montre les dessous pâles, et le champ tout entier est parcouru de frissons.

   Grand frère Félix arrache des brassées de fourrage, s’en enveloppe la tête, feint de se bourrer, imite le bruit de mâchoires d’un veau inexpérimenté qui se gonfle. Et tandis qu’il fait semblant de dévorer tout, les racines même, car il connaît la vie, Poil de Carotte le prend au sérieux et, plus délicat, ne choisit que les belles feuilles.

   Du bout de son nez il les courbe, les amène à sa bouche et les mâche posément.

   Pourquoi se presser ?

   La table n’est pas louée. La foire n’est pas sur le pont.

   Et les dents crissantes, la langue amère, le coeur soulevé, il avale, se régale.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「土龍」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Mogura

 

     土 龍

 

 

 にんじんは道ばたで、煙突掃除のやうに黑い一匹の土龍を見つける。好い加減玩具にした揚句、そいつを殺さうと決心する。そこで、何んべんも空中へ放り上げるのであるが、それは石の上へ落ちるやうにうまく投げるのである。[やぶちゃん注:「玩具」「おもちや」。]

 初めは、なかなか具合よく、すらすら行く。

 土龍はもう脚が折れ、頭が割れ、背中が破れ、一向死太さうにはみえない。[やぶちゃん注:「一向死太さう」「いつかうしぶとさう」。戦後版では、意味が上手く伝わらないと思われたか、岸田氏は『根つからしぶとくもなさそうだ。』と改訳している。]

 すると、驚いた。にんじんは、土龍がどうしても死なゝいといふことに氣がつく。家の高さよりも高く、天まで屆くほどほうり上げても、さつぱり効き目がない。[やぶちゃん注:「家」は先行するものと同じく、「うち」と訓じておく。]

 「こね野郞(やろう)! 死なねえや。」[やぶちゃん注:最後に句点を打っているのは、本書では特異点である。]

 なるほど、血だらけになつた石の上で、土龍はぴくぴく動く。脂肪(あぶら)だらけの腹がこごりのやうに顫え、その顫え方が、さも生命のある證據のやうに見える。[やぶちゃん注:「脂肪」戦後版では『あぶら』とルビする。それを採。る「顫え」二ヶ所ともママ。歴史的仮名遣は「ふるへる」が正しい。「生命」戦後版では『いのち』と振るが、このままでは、「せいめい」と読んでしまう。「いのち」がよい。]

 「こね野郞!」と、にんじんは躍氣になつて呶鳴る――「まだ死なねえか」

 彼はまたそれを拾ひ上げる。罵倒する。そして、方法を變へる。

 顏を眞赤にし、眼に淚を溜め、彼は土龍に唾をひつかける。それから、すぐそばの石の上を目がけて、力まかせに投げつける。

 それでも、例の不恰好な腹は、相變らず動いてゐる。

 かうして、にんじんが、死にもの狂ひになつて、叩きつければ叩きつけるほど、土龍は、餘計死なゝいやうに見えて來る。

 

[やぶちゃん注:「土龍」は言わずもがな、哺乳綱食虫(モグラ)目 Insectivoraモグラ科 Talpidaeのモグラ類、或いは、タイプ種のモグラ族ヨーロッパモグラ属ヨーロッパモグラ Talpa europaea としておく。因みに、「土龍」は中國語では「ミミズ」を指し、どこかで誤伝されたものではないかと思われる(ミミズはモグラの主食という連関という点では不思議な誤りではある)。偶然だが、この一週間ほど、私の猫の額ほどの前庭に、モグラが何度もなかなか立派なコニーデを作り出し、この注の最中にも、亡き母の遺愛のバラの木の下の、その火山を崩して、平たくしてきたばかりである。

「こね野郞」如何にも憎たらしいといつた時に、「この野郎」を鼻にかかつてくぐもつた言い方をすることがあるが、その際、「の」の音が同じナ行の「ぬ」や「ね」のような音になる。その発音上の変異を、岸田氏は、そのまま、文字に写したものではないかと思われる。所持する小学館「日本国語大辞典」で引くと、「このやろう」の項の最後の『発音』の箇所に、『コノヤロー〈なまり〉コネァロ〔岩手・福島〕コネロ・コンナエロ〔山形〕』とあった。しかし、岸田氏の家系は東北ではなく、旧紀州藩士の家系である。どこかで誰か東北出身の知人からでも聴き覚えて、いかにも憎たらしい言い方で面白く思って、使われたものかも知れない。

 さて。私は中学二年の折り、これを読んで、本書の中で「にんじん」の残酷な加虐性に強く印象づけられた、というより、彼を『ちょっと気持ちの悪い奴だ。』と思ったのを思い出す。しかし、大半の読者はお判りであろうが、この、死にそうで、いっかな、死なない、しぶとい反骨の気魄でのみ生きているような「傷だらけモグラ」は、まさに家族はおろか、大半の人々から疎外されている「にんじん」自身のカリカチャア、いやさ、鏡像に、これ、他ならない。それに気づくには、高校時代に岸田訳で再読するまで、愚鈍な私は待たねばならなかったのであった。小学校六年生の頃から、ジグムント・フロイトの著作に親しんできた私であったが、そうした精神のアンビバレンツを、実際にはまるで理解していなかったのだと、今にして思う始末であった。

 

 

 

 

     La Taupe

 

   Poil de Carotte trouve dans son chemin une taupe, noire comme un ramonat. Quand il a bien joué avec, il se décide à la tuer. Il la lance en l’air plusieurs fois, adroitement, afin qu’elle puisse retomber sur une pierre.

   D’abord, tout va bien et rondement.

   Déjà la taupe s’est brisé les pattes, fendu la tête, cassé le dos, et elle semble n’avoir pas la vie dure.

   Puis, stupéfait, Poil de Carotte s’aperçoit qu’elle s’arrête de mourir. Il a beau la lancer assez haut pour couvrir une maison, jusqu’au ciel, ça n’avance plus.

   Mâtin de mâtin ! elle n’est pas morte, dit-il.

   En effet, sur la pierre tachée de sang, la taupe se pétrit ; son ventre plein de graisse tremble comme une gelée, et, par ce tremblement, donne l’illusion de la vie.

   Mâtin de mâtin ! crie Poil de Carotte qui s’acharne, elle n’est pas encore morte !

   Il la ramasse, l’injurie et change de méthode.

   Rouge, les larmes aux yeux, il crache sur la taupe et la jette de toutes ses forces, à bout portant, contre la pierre.

   Mais le ventre informe bouge toujours.

   Et plus Poil de Carotte enragé tape, moins la taupe lui paraît mourir.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「立山の幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 立山の幽霊【たてやまのゆうれい】 〔野乃舎随筆〕近きころ、板木彫《はんぎぼり》松五郎といふ、まどしき[やぶちゃん注:「貧(まど)しき」。]ものありけり。妻をむかへけるが、ほどなくわづらひて、なくなりにければ、かなしびの涙にくれて、あかしくらしけるほどに、ある時おもふやう、越中国立山<富山県立山>といふ所にゆけば、失せたる人にもあふといふなり。いでやかしこにまかりて、いかにもして今一度、失せたるつまに逢ひみばやと、心軽くも思ひたちて、家をも調度をも売りはらひつゝ旅のかりてとなし、かしこにたちこえ、麓の家にやどりて、しかじかのよしかたりければ、あるじいふやう、よくもおもひたち給へるものかな、むかしより此み山にのぽる人は、かならず失せたる人に逢ひ給ふなり、此《この》み山には、たふとき仏のおはしまして、かく無き人にあはせたてまつる、いざいらせ給へ、今夜よきほどにあない申しまゐらせんと、かひがひしうもてなしければ、松五郎よろこび日くるよざまちゐたるほどに、亥の時<午後十時>ばかりになりぬれば、今は折よし、み山に登らせたまひねと、主そゝのかしければ、やがてのぼりて、あるじのをしへしまゝに、堂坊など拝みつゝ念仏となへそここゝとさまよひけるに、いづくともなく女のけはひして、白ききぬをきて、髪長くさげたるが出できたれり。すはやこれぞ我つまの幽霊ならんと、世にうれしうおもひて、近付かんとすれば、幽霊あしばやにしりぞく。松五郎此方にきたれば、幽霊また跡よりしたひきたれり。とにかくに近づく事なければ、たゞつまの幽霊とおもふも、心あてなりけり。かくしつゝ同じやうに、あまたこびしけるあひだ、松五郎かたへなる杉の木のかげに、やをらかくれてうかゞひけるを、幽霊かくともしらず、木陰ちかくより来りけるを、松五郎えたりとかけ出《いで》て、あらなつかしや、うれしやと手をとらへければ、幽霊驚きさわぎ、ふり放たんとしけるを、松五郎しかといだきてうごかさねば、幽霊せんすべなく、わなゝきふるひながら、ゆるし給へゆるし給へといふをきけば、つまの声にも似ざりけり。松五郎興もさめはてゝ、いかなるものぞととひければ、幽霊しのびやかに答へいふやう、おのれはこの麓の、ぬしのやどり給へる家の下女なるが、こよひぬしのゆかりの幽霊になりて、此み山にのぼるべきよし、せちにあるじのきこえければ、いなみがたう、こゝにはまかでさぶらひぬといふ。折しも文月<七月>廿日ばかりの空なれば、木のまの月やうやうのぼりてけざやかなるに、幽霊の顔をみれば、年のころ二十ばかりにて、色白う、まみのほどらうたく、髪のさがりはうるはしう、たわやぎたる腰のあたり、夜目にも憎からずみえければ、松五郎そゞろに心うつりて、ありし妻の事をも忘れはてゝさまざまとあざれかゝりければ、さすがに女もこゝろおちゐて、うちほゝゑみていふやう、飛鳥川のふちせとやらん、をとこの心はたのみがたしと聞きつるに、なきあとまでもかくしたひ給ひて、はるばるとあの御江戸より、このこしのみ山まできたり給へる御心ざしまめまめしさ、天《あま》がけりても、さぞなよろこびたまひぬらん、かゝる夫をもたれたる女こそ、うら山しけれなどいひければ、をとこもあまえいたく、何くれといひかたらふほどに、夜も更けぬれば、女いふやう、いまは御江戸にもろともにいざなひてよ、世のたづきのなきまゝに、わづかのこがねに身をうりて、立山の幽霊となり、世をわたらんもうきわざなり、我はつかうまつるべき親もなし、はぐくむべき子もなし、いまよりこの身をぬしにまかさんといひければ、をとこさらばとて、その暁がた立山をしのび出て、この大城(おほき)[やぶちゃん注:江戸城。]のもとにいざなひ来れるが、さきに家をも調度をも売りてければ、両国橋(ふたくにばし)[やぶちゃん注:和歌風に訓読みしたもの。]の書肆(ふみや)山田何がし、元より親しかりければ、この人をたのもし人にて、女をばくすしのもとへやとひ仕へに出《いだ》し、おのれは山田が家に相《あひ》やどりして、板木を彫りてありけるが、ほどなく近きわたりに家を求めてもろともにむつまじう、相すみけるとなん。かの山田のとなりの、玉竜堂のあるじ語られけり。

[やぶちゃん注:「野乃舎随筆」(ののやずいひつ)は国学者大石千引(ちびき 明和七(一七七〇)年~天保五(一八三四)年)著・小山田与清(ともきよ:「松屋筆記」の著者として知られる国学者)序の随筆と歌集からなる。文政三(一八二〇)年成立。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻六(昭和二(一九二七)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで当該部が読める。標題はズバり、『○僞幽靈』である。本書では珍しい完全な擬似怪談である点で特異点であるが、読み終えて、何かほのぼのする点でも同じく特異点だ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「立山奇異」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 立山奇異【たてやまきい】 〔譚海巻十〕越中立山<富山県立山>は、加賀の城下より麓まで十八里有り。麓に行人《ぎやうにん》をやどす小屋あり。廿ケ所ほど有り。そこに宿するに、時々妖怪の事おほし。夜半にはかに小屋震動する事たえず。天狗の所為なりとて、その時は小屋にある行人、皆念仏をとなへ、死入りたるやうにて、天明をまちて登山す。それより山中は一切樹木なく、只柳のみあり。その余は灌木叢《くさむら》のやうに生ひたる中を行く二里、深谷にいたる。谷に藤かづらにて網《あみ》たる橋をかけたり。橋のながさ廿間ばかり、わたればはしゆらめきて、胆をひやすこといふばかりなし。谷は真黒にてそこをしらず、やうやくこれをわたりて山へ登る所に、火のもゆる所諸所に有り。火の色青くして甚だ異なり。またその辺の谷にそひて二三十間ほどつつ[やぶちゃん注:ママ。「づつ」の誤植。]の池みづあり。二つは血気[やぶちゃん注:原本は「血色」。誤植であろうあろうか。]、一つは常の水なり。血の池に手をひたせば、赤く肌へ染みて容易に脱せず。池熱湯にしてよほどあつく、こらへがたきほどの事たり。池より少し上にさうづ川といふ所あり。川はなくて小石をあつめて、塔のかたちにつみたる所多し。こゝにある姥の像はなはだ異なり。毛髪動く如く、眼睛《がんせい》いけるが如し。おそろしき事いふばかりなし。こゝはすでに山の中段にいたる所なり。こゝより無明といふにいたる。この間半里余あるべし。無明の橋を過ぐれば、山にのぼる事いよいよ嶮にして、道のはゞ一尺ばかりありて、鉄のくさりを引きはへて、くさりに取付てのぼるなり。立山権現の社はその絶頂にあり。本社の下に前の社といふあり。山中甚だ幽僻蕭寂として、幽冥の路を行く。参詣のものことごとく畏怖の懐(おもひ)に堪へず。多くは本社までいたるものなく、前の社にまうでて下向するなり。山はかけぬけにて越前三国のかたへくだる。この間三里ばかりあるべし。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷十 越中國立山の事(フライング公開)」を公開しておいた。]

譚海 卷之十 越中國立山の事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]

 

 越中立山は、加賀の城下より麓まで、十八里、有り。

 麓に行人(ぎやうにん)をやどす小屋あり。廿ケ所ほど有り。

 そこに宿するに、時々、妖怪の事おほし。

 夜半、にはかに、小屋、震動する事、たえず。

「天狗の所爲(しよゐ)なり。」

とて、その時は、小屋にある行人、皆、念佛をとなへ、死入(しにい)りたるやうにて、天明を、まちて、登山す。

 それより山中は、一切、樹木なく、只、柳のみ、あり。その餘は、灌木、叢(くさむら)のやうに生ひたる中を行(ゆき)、二里、深谷にいたる。

 谷に、藤かづらにて網(あみ)たる[やぶちゃん注:「編たる」の原本の誤字。]橋をかけたり。

 橋のながさ、廿間[やぶちゃん注:三十六・三六メートル。]ばかり、わたれば、はし、ゆらめきて、膽(きも)をひやすこと、いふばかりなし。

 谷は、眞黑にて、そこをしらず。

 やうやく、是を、わたりて、山へ登る所に、火のもゆる所、諸所に有り。

 火の色、靑くして、甚(はなはだ)、異なり。又、其邊(そのあたり)の谷にそひて、二、三十間[やぶちゃん注:三十六・三六~五十四・五四メートル。]ほどづつの、池みづ、あり。

 二つは血色、一つは常の水なり。「血の池」に手をひたせば、赤く、肌へ、染(そ)みて、容易に脫せず。

 池、熱湯にして、よほど、あつく、こらへがたきほどの事たり。

 池より少し上に「さうづ川」といふ所あり。

 川は、なくて、小石をあつめて、塔のかたちにつみたる所、多し。

 こゝにある姥(うば)の像、はなはだ、異なり。

 毛髮、動く如く、眼睛(がんせい)、いけるが如し。おそろしき事、いふばかりなし。

 こゝは、すでに山の中段にいたる所なり。

 こゝより、「無明(むみやう)」といふに、いたる。

 この間、半里餘(あまり)あるべし。

 「無明の橋」を過(すぐ)れば、山にのぼる事、いよいよ、嶮(けん)にして、道のはゞ、一尺ばかりありて、鐵のくさりを引(ひき)はへて[やぶちゃん注:ママ。「引き這(は)はして」の意か。]、くさりに取付(とりつき)てのぼるなり。

 立山權現の社(やしろ)は、その絕頂にあり。

 本社の下(した)に「前の社」といふあり。

 山中、甚だ、幽僻蕭寂(ゆうへきしやうじやく)として、幽冥の路(みち)を行く。

 參詣のもの、ことごとく、畏怖の懷(おもひ)に堪へず。

 多くは、本社までいたるものなく、「前の社」にまうでて、下向するなり。

 山は、かけぬけにて、越前三國のかたへ、くだる。この間、三里ばかりあるべし。

[やぶちゃん注:立山は霊場として古くから知られており、私の電子化した怪奇談にも枚挙に遑がない。ここはまず、オーソドックスの立山初級怪奇ガイドとして、「諸國里人談卷之三 立山」を第一に推しておく。食い足りない、立山の「そうづ川」=「葬頭河」やその「三途の渡し」にいる、「姥」=「葬頭婆」=奪衣婆の話に特化したものを、となら、「諸國里人談卷之二 姥石」、或いは、「三州奇談卷之五 邪宗殘ㇾ妖」を読まれたい。

「越前三國」現在、福井県に越前三国町があるが、立山とは隔たり過ぎて、違う。さすれば、「三國」は「さんごく」で「越後國」・「能登國」・「加賀國」を経て「越前」に至るの意か。にしても書き方がおかしい。よく判らんね。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「立石村の立石」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 立石村の立石【たていしむらのたていし】 〔兎園小説第十集〕下総国葛飾郡立石村(亀有村の近村なり)<現在の東京都葛飾区立石>の元名主新右衛門が畑の中に、むかしより高さ壱尺ばかりの丸き石一つあり。近きころ(年月未詳)当時のあるじ新右衛門相はかりて、さまで根入りもあるべくも見えず。この石なければ、耕作に便りよし。掘り出だしのぞきなんとて、掘れども掘れども、思ひの外に根入り深くて、その根を見ず。とかくして日も暮れければ、翌また掘るべしとて、その日は止みぬ。翌日ゆきて見れば、掘りしほど石ははるかに引き入りて、壱尺ばかり出でてあり。こは幸ひのことぞとて、そがまゝ埋みて帰りぬ。又その次の日ゆきて見れば、石はおのれと抜け出でて、地上にあらはるゝこと元の如し。こゝにおいて、且驚き且あやしみ、その凡ならざるをしりて、やがて祠を石の上に建て、稲荷としてあがめまつれりといふ。(一説に石のめぐりに只垣のみしてあり。祠を建てたるにはあらずとぞ)今も石を見んと乞ふ人あれば、見するとなん。右新右衛門は、木母寺境内にをる植木屋半右衛門が縁家にて、詳かに聞きしとて半右衛門かたりき。おもふにこの村にこの石あるをもて、古来村の名におはせけん。猶尋ぬべし。

[やぶちゃん注:私の正規表現注附きの『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 立石村の立石』を見られたい。なお、宵曲は「妖異博物館」でも「動く石」の中で抄訳して載せているので、そちらも参照されたい。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「獵銃」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Ryoujyuu

 

     獵 銃

 

 

 ルピツク氏は、息子たちに云ふ。

 「鐵砲は、二人で一挺あればたくさんさ。仲の善い兄弟は、なんでも催合(もあ)ひにするもんだ」[やぶちゃん注:「善い」戦後版は「いい」と呼んでいる。それを採る。最終章の「家」も同前。]

 「あゝ、それでいいよ」と兄貴のフエリツクスは答へる――「二人で代り番こに持つから・・・。なあに、時々にんじんが貸してくれゝや、僕、それでいゝんだよ」

 にんじんは、いゝとも、わるいともいわない。どうせ油斷はならないと思つてゐる。

 ルピツク氏は、綠色の袋から鐵砲を出して、訊ねる――

 「初めにどつちが持つんだ? それや、兄さんだらうな」

 

兄貴のフエリツクス――その光榮はにんじんに讓るよ。先へ持て。

ルピツク氏――フエリツクス、今日はなかなか感心だ。さうならさうで、父さんにも考へがあるぞ。

 

 ルピツク氏は、鐵砲をにんじんの肩にのつけてやる。

 

ルピツク氏――さ、行つて遊んで來い。喧嘩をするんぢやないぞ。

にんじん――犬は連れてくの?

ルピツク氏――連れて行かんでえゝ。お前たち、代りばんこに犬になれ。それに第一、お前たちほどの獵師が、獲物に傷だけ負はせるなんていふことはない。一發で仕止めるんだ。[やぶちゃん注:「代りばんこ」ここはママ。]

 

 にんじんと兄貴のフエリツクスは出かけて行く。服裝は簡單だ。不斷のまゝである。長靴がないことは少し殘念だが、ルピツク氏は常々、ほんとう[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]の獵師は、そんなものを眼中に置かないと云つてゐる。ほんとうの獵師は、ズボンを踵の上に引きずつてゐる。決してまくり上げたりなんぞしない。それで、泥の中や、耕した土の上やを步く。すると、長靴がひとりでに出來て、膝(ひざ)のところまで來る。この長靴は丈夫で、いや味がない。これは、女中が大事にするように云ひつかつてゐる。

 「手ぶらで歸るようなことはないよ、お前は・・・」

と、兄貴のフエリツクスが云ふ。

 「それや、大丈夫だよ」

と、にんじんも云ふ。

 肩が殺(そ)げてゐるので、なんだか窮屈だ。銃身がうまくのつかつてゐない。

 「そらね、いくらだつて持たしてやるから、飽きるほど・・・」

 兄貴のフエリツクスが云ふ。

 「やつぱり、兄さんだよ」

と、にんじんは云ふ。

 一群の雀が飛び立つと、彼は、兄貴のフエリツクスに動くなといふ合圖をする。雀の群れは生垣から生垣に飛びうつる。二人の獵師は、雀が眠つてゞもゐるかのやうに、背中を丸くして、そうつと近づいて行く。雀の群れはぢつとしていない。ちうちう啼きながら、またほかへ行つて止まる。二人の獵師は起ち上る。兄貴のフエリツクスは、それに惡口雜言を浴せかける。にんじんは、心臟がどきどきしてゐるにも拘はらず、それほどあせつてゐる樣子はない。自分の腕を見せなければならない瞬間を懼れてゐるからである。

 もしも失敗(しくじ)つたら! 延びるたびにほつとするのだ。

 處が、今度こそは、雀の方で、彼を待つてゐるらしい。

 

兄貴のフエリツクス――まだ擊つなよ。遠すぎるぞ。

にんじん――さうかなあ・・・。

兄貴のフエリツクス――當りよ。からだを低くすると勝手が違つて來るんだぜ。すぐそばだと思つても、實際は可なり遠いんだ。

 

 そこで、兄貴のフエリツクスは、自分の云つた通りだと云ふことを示すために、いきなり顏を出す。雀は、驚いて飛んで行つてしまふ。

 が、そのうち、一羽だけ、しなつた枝の先に止つたまゝ、その枝に搖られてゐる。尾をぴんと上げ、頭を左右にかしげ、腹をむきだしてゐる。

 

にんじん――しめたぞ、こいつなら擊てら、大丈夫・・・。

兄貴のフエリツクス――どら、どいてみろ。うん、なるほど、素敵なやつだ。さ、早く、鐵砲を貸せ。

 

 すると、もう、にんじんは、鐵砲を取り上げられ、兩手を空つぽにして、口を開けてゐるのである。その前で、兄貴のフエリツクスが、彼の代りに、鐵砲を肩に當て、狙ひを定め、引鐵を引く。そして、雀が落ちる。[やぶちゃん注:「引鐵」「ひきがね」。]

 それは、丸で手品のやうだ。にんじんは、さつきまで、この鐵砲を、それこそ、胸に抱き締めてゐた。突然、彼はそれを失つた。ところが、今また、それが彼の手に戾つてきた。云ふまでもなく、兄貴のフエリツクスが返したのである。兄貴のフエリツクスは、それから、自分で犬の代りもする。駈け出して行つて雀を拾ふ。さうして云ふ――

 「愚圖々々しちや駄目だよ。もつと急がなくつちや・・・」

  

にんじん――ゆつくり急ぐよ。

兄貴のフエリツクス――ようし、膨れツ面をするんだね。

にんじん――だつて・・・。ぢや、歌を唱へばいゝのかい。

兄貴のフエリツクス――雀がとれたんだから、なんにも云ふことはないぢやないか。若しか、中(あた)らなかつたらどうする!

にんじん――うゝん、僕あ、そんな・・・。

兄貴のフエリツクス――お前だつて、兄さんだつて、おんなじことさ。今日は兄さんがとつた、明日はお前がとる、それでいゝだらう。

にんじん――明日つたつて・・・。

兄貴のフエリツクス――きつとだよ。

にんじん――わかるもんか。きつとなんて、明日になれや・・・。

兄貴のフエリツクス――若し噓だつたら、なんでもやらあ。それでいゝだらう。

にんじん――まあいゝや・・・。それより、もつと獲(と)らうよ。僕が擊つて見ら・・・。

兄貴のフエリツクス――駄目だよ、もう遲いから。さ、歸つて、こいつを母さんに燒いて貰はう。そら、そつちヘやるよ。カクシヘ入れとけ。なんだい、馬鹿だなあ、おい、嘴を出しとけよ。

 

 二人の獵師は家へ歸つて行く。その途中で何處かの百姓に會ふと、その百姓はお辭儀をしてかう云ひかける――

 「坊つちやん、お前たちや、まさかお父つつあんを擊つたんぢやあるめえな」

 にんじんは、好い氣持になり、さつきからのことを忘れてしまふ。彼らは、仲善く、大威張りで歸つて來る。ルピツク氏は二人の姿を見かけると、驚いてかう云ふ――[やぶちゃん注:「好い」戦後版は『いい』。それを採る。]

 「おや、にんじん、まだ鐵砲をもつてゐるな。ずつとお前がもち通しか?」

 「うん、たいてい・・・」

と、にんじんは答へる。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「催合(もあ)ひにする」「催合ひ」の讀みは、正しくは「もやひ」(現代仮名遣「もやい」)。一緖に一つの事をしたり、一つの物を所有したりする。「最合ひ」とも書く。

「カクシ」原作は“poche”、「ポケット」のこと。

「二人の獵師は家へ歸つて行く。その途中で何處かの百姓に會ふと、その百姓はお辭儀をしてかう云ひかける――」「坊つちやん、お前たちや、まさかお父つつあんを擊つたんぢやあるめえな」ルナールの父フランソワ・ルナール(François Renard)は、ルナール家の出身地であったシトリー・レ・ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に一家で定住していたが、父フランソワはこの村の村長となった。だから、百姓はこのガキ共に挨拶をするのである。しかし、その台詞は、本作が書かれた二年後の一八九七年六月十九日、不治の病に冒されていることを知り、心臓に猟銃(ショットガン)を発射して自殺している(この「不治の病」の病名は年譜上では明確に示されてはいない。直前の同年年譜には肺鬱血とあり、重篤な心不全の心臓病等が想定される。ジュール三十三歳の時であった。その後、ジュールは亡父の後を慕うように狩猟に夢中になり、その年の十一月まで、創作活動から離れていることが年譜から窺われる、というのは既に注してある)事実をズラシして予言しているように読め、不気味である。

 なお、以下の原文は、原本に照らして、かなり微妙であるが、一部に行空けを行った。]

 

 

   *

 

 

    La Carabine

 

  1. Lepic dit à ses fils :

   Vous avez assez d’une carabine pour deux. Des frères qui s’aiment mettent tout en commun.

   Oui, papa, répond grand frère Félix, nous nous partagerons la carabine. Et même il suffira que Poil de Carotte me la prête de temps en temps.

   Poil de Carotte ne dit ni oui ni non, il se méfie.

  1. Lepic tire du fourreau vert la carabine et demande :

   Lequel des deux la portera le premier ? Il semble que ce doit être l’aîné.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je cède l’honneur à Poil de Carotte. Qu’il commence !

     MONSIEUR LEPIC

   Félix, tu te conduis gentiment ce matin. Je m’en souviendrai.

 

  1. Lepic installe la carabine sur l’épaule de Poil de Carotte.

     MONSIEUR LEPIC

   Allez, mes enfants, amusez-vous sans vous disputer.

     POIL DE CAROTTE

   Emmène-t-on le chien ?

     MONSIEUR LEPIC

   Inutile. Vous ferez le chien chacun à votre tour. D’ailleurs, des chasseurs comme vous ne blessent pas : ils tuent raide.

 

   Poil de Carotte et grand frère Félix s’éloignent. Leur costume simple est celui de tous les jours. Ils regrettent de n’avoir pas de bottes, mais M. Lepic leur déclare souvent que le vrai chasseur les méprise. La culotte du vrai chasseur traîne sur ses talons. Il ne la retrousse jamais. Il marche ainsi dans la patouille, les terres labourées, et des bottes se forment bientôt, montent jusqu’aux genoux, solides, naturelles, que la servante a la consigne de respecter.

   Je pense que tu ne reviendras pas bredouille, dit grand frère Félix.

   J’ai bon espoir, dit Poil de Carotte.

   Il éprouve une démangeaison au défaut de l’épaule et se refuse d’y coller la crosse de son arme à feu.

   Hein ! dit grand frère Félix, je te la laisse porter tout ton soûl !

   Tu es mon frère, dit Poil de Carotte.

   Quand une bande de moineaux s’envole, il s’arrête et fait signe à grand frère Félix de ne plus bouger. La bande passe d’une haie à l’autre. Le dos voûté, les deux chasseurs s’approchent sans bruit, comme si les moineaux dormaient. La bande tient mal, et pépiante, va se poser ailleurs. Les deux chasseurs se redressent ; grand frère Félix jette des insultes. Poil de Carotte, bien que son coeur batte, paraît moins impatient. Il redoute l’instant où il devra prouver son adresse.

   S’il manquait ! Chaque retard le soulage.

   Or, cette fois, les moineaux semblent l’attendre.

 

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Ne tire pas, tu es trop loin.

     POIL DE CAROTTE

   Crois-tu ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Pardine ! Ça trompe de se baisser. On se figure qu’on est dessus ; on en est très loin.

 

   Et grand frère Félix se démasque afin de montrer qu’il a raison. Les moineaux, effrayés, repartent.

Mais il en reste un, au bout d’une branche qui plie et le balance. Il hoche la queue, remue la tête, offre son ventre.

     POIL DE CAROTTE

   Vraiment, je peux le tirer, celui-là, j’en suis sûr.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

Ôte-toi voir. Oui, en effet, tu l’as beau. Vite, prête-moi ta carabine.

 

   Et déjà Poil de Carotte, les mains vides, désarmé, bâille : à sa place, devant lui, grand frère Félix épaule, vise, tire, et le moineau tombe.

   C’est comme un tour d’escamotage. Poil de Carotte tout à l’heure serrait la carabine sur son coeur. Brusquement, il l’a perdue, et maintenant il la retrouve, car grand frère Félix vient de la lui rendre, puis, faisant le chien, court ramasser le moineau et dit :

   Tu n’en finis pas, il faut te dépêcher un peu.

     POIL DE CAROTTE

   Un peu beaucoup.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Bon, tu boudes !

     POIL DE CAROTTE

   Dame, veux-tu que je chante ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Mais puisque nous avons le moineau, de quoi te plains-tu ? Imagine-toi que nous pouvions le manquer.

     POIL DE CAROTTE

   Oh ! moi…

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Toi ou moi, c’est la même chose. Je l’ai tué aujourd’hui, tu le tueras demain.

     POIL DE CAROTTE

   Ah ! demain.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je te le promets.

     POIL DE CAROTTE

   Je sais ! tu me le promets, la veille.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je te le jure ; es-tu content ?

     POIL DE CAROTTE

   Enfin !… Mais si tout de suite nous cherchions un autre moineau ; j’essaierais la carabine.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Non, il est trop tard. Rentrons, pour que maman fasse cuire celui-ci. Je te le donne. Fourre-le dans ta poche, gros bête, et laisse passer le bec.

 

   Les deux chasseurs retournent à la maison. Parfois ils rencontrent un paysan qui les salue et dit :

   Garçons, vous n’avez pas tué le père, au moins ?

   Poil de Carotte, flatté, oublie sa rancune. Ils arrivent, raccommodés, triomphants, et M. Lepic, dès qu’il les aperçoit, s’étonne :

   Comment, Poil de Carotte, tu portes encore la carabine ! Tu l’as donc portée tout le temps ?

   Presque, dit Poil de Carotte.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鶴嘴」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Turuhasi

 

     鶴 嘴

 

 

 兄貴のフエリツクスとにんじんとが、一緖に並んで働いてゐる。めいめい鶴嘴をもつてゐる。兄貴のは、蹄鐵屋に注文して鐵で作らせたのである。にんじんは、木で自分のやつを獨りで作つた。二人は庭作りをしてゐる。仕事はぐんぐん捗る[やぶちゃん注:「はかどる」。]。一所懸命の競爭である。突然、それは實に思ひ設けない瞬間に――災難にぶつかるのは、常にさういふ瞬間に限られてゐる――にんじんは、額の眞中に、鶴嘴の一擊を喰つたのである。

 すると間もなく、兄貴のフエリツクスを寢臺の上に運んで行き、そつと寢させなければならない。弟の血を見て、ふらふらツとなつたからである。家のものは、みんなそこへ來て、丈伸びをしてゐる。それから、恐る恐る溜息をつく。[やぶちゃん注:「家」戦後版では『うち』とルビする。それを採る。「丈伸び」「せのび」。]

 ――鹽は何處にある?

 ――冷たい水を少し・・・頭を冷やすんだから・・・。

 にんじんは、椅子の上にあがつてゐる。みんなの頭の間から、肩越しにのぞくためである。額は布片(きれ)で鉢卷をし、その布片(きれ)がもう赤くなつてゐる。血が滲み出して、ひろがつてゐるのである。

 ルピツク氏はにんじんにいつた――

 「ひどい目に遭やがつた」[やぶちゃん注:「遭やがつた」「あひやがつた」。]

 それから、姉のエルネスチイヌは、傷口に繃帶をしてやりながら――

 「バタの中へ孔を開けたやうだわ」

 彼は聲を立てなかつた。なぜなら、それは、何の役にも立たないといふことを、豫め警告されてゐたから。

 ところが、そのうちに、兄貴のフエリツクスが、片方の眼を開ける。それからもう一方の眼を開ける。怖かつたゞけで、無事にすんだのである。その顏色が、だんだん血の氣を帶びて來るにつれて、不安と驚愕が、人々の心から消えて行く。

 「何時でも此の通りだ」と、ルピツク夫人はにんじんに向かつて云ふ――「お前、氣をつけることはできなかつたのかい。しやうがないぼんつくだね」

 

[やぶちゃん注:原本はここ

「ぼんつく」「頭が良くない・馬鹿」の意味。方言としては中部地方に分布するようである(岸田國士は東京市四谷区(現在の東京都新宿区)に和歌山県出身の陸軍軍人岸田庄蔵の長男として生まれる。岸田家は旧紀州藩士の家系であったから、この方言の可能性は否定出来ない)。一說に、「愚鈍者」を意味する「ぼんとく」が訛つたものとするが、これでは語源説にならない。これは私は思うのだが、賭博用語の「ぼんくら」が訛つたものが語源ではなかろうか? 「ぼんくら」とは一説に「盆闇」で、「盆」は「骸子(さいころ)を伏せる壺」を言い、その中の骸子の目を見通す眼力がない「うつけ者・ぼんやりした奴」という意味である。]

 

 

 

 

    La Pioche

 

   Grand frère Félix et Poil de Carotte travaillent côte à côte. Chacun a sa pioche. Celle de grand frère Félix a été faite sur mesure, chez le maréchal-ferrant, avec du fer. Poil de Carotte a fait la sienne tout seul, avec du bois. Ils jardinent, abattent de la besogne et rivalisent d’ardeur. Soudain, au moment où il s’y attend le moins (c’est toujours à ce moment précis que les malheurs arrivent), Poil de Carotte reçoit un coup de pioche en plein front.

   Quelques instants après, il faut transporter, coucher avec précaution, sur le lit, grand frère Félix qui vient de se trouver mal à la vue du sang de son petit frère. Toute la famille est là, debout, sur la pointe du pied, et soupire, appréhensive.

   Où sont les sels ?

   Un peu d’eau bien fraîche, s’il vous plaît, pour mouiller les tempes.

   Poil de Carotte monte sur une chaise afin de voir par-dessus les épaules, entre les têtes. Il a le front bandé d’un linge déjà rouge, où le sang suinte et s’écarte.

  1. Lepic lui a dit :

   Tu t’es joliment fait moucher !

   Et sa soeur Ernestine, qui a pansé la blessure :

   C’est entré comme dans du beurre.

   Il n’a pas crié, car on lui a fait observer que cela ne sert à rien.

   Mais voici que grand frère Félix ouvre un oeil, puis l’autre. Il en est quitte pour la peur, et comme son teint graduellement se colore, l’inquiétude, l’effroi se retirent des coeurs.

   Toujours le même, donc ! dit madame Lepic à Poil de Carotte ; tu ne pouvais pas faire attention, petit imbécile !

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「竜巻」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 竜巻【たつまき】 〔甲子夜話巻八〕先年竜まきとて、暴風雨ありしとき、諸船この難に遭ふもの多し。或老侯家根舟《やねぶね》にて大川に遊び居しが、白鬚祠《》の辺とかこの風に遭ひたり。川水すさまじく巻かへり、その舟を空中にまき揚ぐること、一丈余にやありけんと云ふ。その時舟中に侯の妾《せう》もありしが、心かしこき者にて、わが腰帯を解き、侯を舟の柱に結《いはひ》つけたり。やがて舟は一と落しに川中に墜ちたるに、侯は何事もなかりしが、髪の元結切れたりと云ふ。同舟の人に溺者《おぼれるもの》もありと聞けり。 〔塵塚談〕不忍池<東京都台東区内>より天明年間[やぶちゃん注:一七八一年から一七八九年まで。]竜巻ありけり。佐渡・越後・越中の海中には、夏の日竜騰《のぼ》る事度々有りと。その節は虚空より黒雲下り来れば、海中の潮水滝を逆に掛けし如く、逆巻きのぼり黒雲中に入る。その雲の中に竜の形の如きもの見ゆると伝へ聞けり。その如く不忍池より黒雲逆巻きのぼり、竜騰りしと見え、近辺家屋を損し、火の見櫓など倒せしなり。その次第を聞くに、北海にて竜騰るの形勢に少しも替らず同様なり。これをもて見れば、小しき池底にも竜蟄伏《ちつぷく》し、池水時気に乗じて発達し、上よりは応じて雲下り、上下相感動し、竜昇るものなるべし。唐土《もろこし》には井中《ゐのうち》より竜飛び出し事『五雑俎』に見えたり。中古武州金沢<神奈川県横浜市金沢区のことか>に一寺の和尚、硯を所持す。或日大雨す。時に硯破れて竜昇りしとかや。これ等の事もあれど、不忍池などに潛蔵《せんざう》[やぶちゃん注:「潛」の正字はママ。]すべきものとは思はざりき。かく書きぬれど、竜は雷とひとしく奇なる物、吾党のさらに測り知る所に非ず。

[やぶちゃん注:前者は事前に「フライング単発 甲子夜話卷八 6 或老侯、隅田川にて竜まきに逢ふ事」として正字表現で公開しておいた。後者「塵塚談」は今まで出なかったのが、ちょっと意外であったが、江戸後期の医師小川顕道(元文二(一七三七)年~文化一三(一八一六)年)。江戸小石川白山御殿跡近くで生まれる。小石川養生所の初代の長(肝煎)となった小川笙船の孫とされる。三十七歳の安永二(一七七三)年、「養生囊」を刊行、医療に対する心得違いなどを諭している。「薬といふものは、皆、毒物にして、平日嗜むべき物にあらず。」など、常識的で理に叶った意見が多い。かく、大衆向けに医療の啓蒙書を書いた。一時は相模国藤沢に居住したらしい。本「塵塚談」は文化一一(一八一四)年に彼が書いた随筆で、当時の風俗を描写している。著書は他に「佐志茂草」・「民家養生訓」の医書二点が残る。国立国会図書館デジタルコレクションの『燕石十種』第一(岩本佐七編・明治四〇(一九〇七)年国書刊行会刊)のこちらで正字表現で視認出来る。

「五雑俎」「五雜組」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。不全本でも、本邦で本草学者に大いに活用されたのだから、「瓢簞から駒」のような事実があるのである。以上は、恐らくは同書の「卷九」の「物部一」の以下。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで採ったが(一部の漢字を正字化し、記号も変えた)、表記不能字は、「維基文庫」版でも同じで、影印本も見られないので、「■」とした。

   *

物之猛者、不能相下。如龍潛水中、以虎頭投之、則必驚怒簸騰、淘出之乃已。西域人獻獅子、有擊井傍樹者、獅子■徨不安、少頃、風雨晦冥、龍從井中飛出、是交相畏也。

   *

 なお、後者の、硯から龍が昇天する話柄は類話が多い。例えば、「耳嚢 巻之八 硯中龍の事」「耳嚢 巻之八 石中蟄龍の事」がそれで、他にも私の怪奇談集にはまだある。ただ、実は酷似するものに、「奇異雜談集巻第五」の「㊀硯われ龍の子出で天上せし事」があり、そこではロケーションを『武藏に「金河(かながは)の宿」と云ふ大所』とし、そこの『金河全世[やぶちゃん注:ママ。「全盛」。]のとき』の『禅宗の寺』とするのは、地名に不審があり(私の注を参照)、これが「武藏」が誤りで、「金河」が六浦の「金澤」の誤記とすれば、全くの同話のような気がしてならないのである。比較されたい。

フライング単発 甲子夜話卷八 6 或老侯、隅田川にて竜まきに逢ふ事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

8―6

 先年、竜まきとて、暴風雨ありしとき、諸船、この難に遭(あふ)もの、多し。

「或老侯、家根舟(やねぶね)にて大川に遊居(あそびをり)しが、白鬚祠(しらひげのほこら)の邊(あたり)とか、此風に遭(あひ)たり。川水、すさまじく、巻(まき)かへり、その舟を、空中に、まき揚(あげ)たること、一丈余にやありけん。」

と云(いふ)。

「其時、舟中に侯の妾(せう)もありしが、心かしこき者にて、わが腰帯(こしおび)を解き、侯を、舟の柱に、結(いはひ)つけたり。やがて、舟は一と落しに、川中(かはなか)に墜(おち)たるに、侯は、何事もなかりしが、髪の元結、切れたり。」

と云(いふ)。

「同舟の人に、溺者(おぼれるもの)もあり。」

と聞けり。

■やぶちゃんの呟き

「先年」不詳。前後で判りそうで、判らぬ。

「白鬚祠」現在の東京都墨田区東向島にある白鬚神社(グーグル・マップ・データ)。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「竜の雲」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 竜の雲【たつのくも】 〔一宵話巻二〕寛政八年[やぶちゃん注:一七九六年。]の事かとよ。常陸の国鹿嶋の浦<茨城県鹿島市辺の海岸>へ鯨よりければ、その辺三ケ村の百姓、天のあたへと喜び、それ船出《いだ》せといふやいな、男子とある分は、十五六より五十ばかりまで、船四艘におつとり[やぶちゃん注:落ち着いているさま。]のり、我おとらじとこぎ出す。折節海面に、黒雲一むれ見えしかば、老人、あの雲はゆだんがならぬぞ、風変りが計られぬぞ、しばし様子見合せよと制すれども、耳に少しも聞入れねば、かゝる時は飯の用心するものぢや、それやれと飯櫃《めしびつ》抱《いだ》て走り来て、岸より船へなげやりぬ。やがて。一里も出《いで》し時、はや手《て》[やぶちゃん注:「疾風(はやて)」。]どうと吹きおちて、彼《か》の黒雲はびこりわたり、海一面真黒《まくろ》になる。岸の者どもこれをみて、ハアハアヤレヤレといへども、すべき様なし。しばしありて風なぎ雲晴れても、船は竜《たつ》の雲の中へ巻上げしやらん、一艘も見えず。日数《ひかず》経てもおとづれなし。惣じてくツきやうの者五十四人ばかり、一時にさつぱりなくなりたり。この時、正明《まさあき》が書中に、足弱《あしよわ》ばかり残りしから、田地の耕作も出来ず、強盗は白昼にも押し入る。また江戸の中都(《なか》いち)と云ふ座頭が妻は、其所の者にて、兄弟従弟四人、一度になくせしをなげくよしを載せ、またその後、水戸の咸章主人《かんしやうしゆじん》よりは、雲に巻かれしものどもの、名も年も詳《つぶら》にしるして、年月ふれども竿一本だに帰らずとさへ申しこして、おのれみな記し置きぬ。或時、この事をいひ出《いで》て、かゝる時には、急に人々髪の毛をきり、烟《けむり》にたき立れば、雲を払ふものゝよし語れば、一人の医師、剃立(そりたて)の円頂《まるあたま》をなで廻し、我等が如きものはいかゞせんといふ。それこそ貴公持まヘの長き鼻毛をやき給へと戯れたり。これは戯れなり。洋中(わだなか[やぶちゃん注:後に示す活字本では「洋」にのみ『ワタ』と振る。])の船の様を聞くに、鳥の羽を多く貯ふるよしなり。これ急なるとき烟にたかん料《れう》なりとぞ。一年、江戸の栖原《すはら》や某《なにがし》が舟、かゝる難に逢ひし時、船中にあるとある刃物をぬき、船のへさき、船のへさきへ高くさし上げたりと云ふ。これもよろしきか。鳥の羽の事は書にも出たれば、用意ありたきものなり。

[やぶちゃん注:「一宵話」秦鼎(はたかなえ 宝暦一一(一七六一)年~天保二(一八三一)年:江戸後期の漢学者。美濃出身で尾張藩藩校明倫堂の教授として活躍したが、驕慢で失脚したという)の三巻三冊から成る随筆。以上は同書の「卷之二」の「龍 の 雲」の中の本文で、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十七巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)のこちらで視認出来る。実は、後に宵曲がカットした作者のかなり長い補注考証(但し、内容は高山に登って『風雨雲霧の変(ヘン)に逢ふ』という類似現象に基づくもの)があるが、カットされているので、見られたい。私は電子化する気はない。だいたい、大勢の死を齎した怪事の最後にお笑い(「剃立の圓頭をなで𢌞し」云々)を記す輩は、怪奇談を語る資格はない、厭な奴だとしか考えない私だからである。

「正明」不詳。

「水戸の咸章主人」岩田健文(けんぶん 宝暦一二(一七六二)年~文化一一(一八一四)年)は常陸水戸の薬種商人。幼い時に目を患い、後に失明した。立原翠軒に琴と法帖(ほうじょう:書の手本とすべき古人の筆跡を、石・木に刻して拓本に採り、折り本に仕立てたもの。広義には真跡・模写・碑文拓本などを、折り本にしたものも含む。墨帖。墨本)の模刻法を学び、墨本を数十種作っている。号は咸章堂。]

2023/11/25

2,040,000ブログ・アクセス突破

数秒前、2,040,000ブログ・アクセス突破したが、前回同様、全く以ってどうでもいい。一昨日、来やがれ!!!

というか、ブログ・アクセス切番テクストは、向後は、余程、たまたま相応な物がない限りは、作製しないことにした。自働作用のようで、「厭な感じ」が自身にするようになったからである。

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「兎」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 本篇は三章から成るが、底本では最初の章には「一」がない。戦後版では「一」がある。また、底本では第一章相当の後には、十二行(ここで、見返し左ページ一行目が最終行で、残りは丸々空白となっている)もの空けがあるのだが、流石に、異様であり、無駄でもあるので、一行空けとした。]

 

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 「メロンはもうないよ、お前の分は・・・」と、ルピツク夫人は云ふ――「それに、お前はあたしとおんなじで、メロンは嫌ひだね」

 「さうだつたかも知れない」

と、にんじんは考へるのである。

 好き嫌ひは、かうやつて、人が勝手に決めてくれる。大體に於て、母親が好きなものだけを好きとして置かなければならない。チーズが來る。

 「これや、にんじんは食べないにきまつてる」

と、かうルピツク夫人が云ふので、にんじんは――

 「母さんが、きまつてると云ふんだから、食べてみなくたつていゝ」

と思ふのである。

 第一、うつかり食べると、あとが恐ろしいことを知つてゐる。

 それに、もうぢき、誰も知らない場所で、此の上もなく奇妙な慾望を滿たす暇があるではないか。デザートになると、ルピツク夫人が彼に云ふのである――[やぶちゃん注:「暇」は「ひま」の読みを採る。後注参照。]

 「此のメロンの皮を兎に持つてつておやり」

 にんじんは、皿をひつくり返さないやうに、出來るだけ水平に持つて、小股で使ひに出かける。

 小舍にはいつて行くと、兎どもは、腕白小僧式に、耳の帽子を深く被り、鼻を仰ふ向け、太鼓でも叩くやうに前足を突き出し、がさがさ彼の周りにたかつて來る。

 「こら、待て、待て」と、にんじんは云ふ――「一寸待つてくれ、半分づゝにしよう」

 そこで先づ、糞(ふん)だとか、根だけ食い殘したのぼろ菊だとか、玉菜の芯(しん)だとか、葵の葉だとかいふものゝ堆高く積まれた上に、彼は腰をおろす。それから、兎どもにはメロンの種をやり、自分は汁を飮む。それは、葡萄液のやうに甘い。

 そこで今度は、みんなが殘した甘味のある黃色いところ、口ヘ入れて溶けるところを殘らず齒で嚙り取る。そして、綠色のところだけを、尻の上で丸まつてゐる兎にくれてやる。

 小舍の戶は閉まつてゐる。

 午睡の時間を照らす太陽が、屋根の孔(あな)を透(すか)して、その光線の一端を冷(ひ)えびえした蔭の中に浸してゐる。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「暇」を岸田氏の他の訳で調べてみると、まず、「いとま」ではなく、「ひま」の読みで使用しているらしい頻度が多いように見かけ上は見える。決定打は、戦後版で、本篇のずっと後にある「マチルド」の章の終りのごく近くで、『暇(ひま)は十分にある。』とルビを振っていることである。

「のぼろ菊」双子葉植物綱キク目キク科キオン属ノボロギク(野襤褸菊)Senecio vulgaris 。ヨーロツパ原産だが、日本へも明治初期に侵入した帰化植物。畑地・道端に普通に自生する。葉は光沢があり、ややシュンギク(キク科シュンギク属シュンギク Glebionis coronaria に似ている。一年を通じて開花し、約一センチメートル程の黄色の筒状の花を付ける。成熟した種子はタンポポ(キク科タンポポ属 Taraxacum )に似た長い白い冠毛(綿毛)を有する。如何にも哀れな和名ではある。

「玉菜」キャベツBrassica oleracea var. capitataのこと。この学名は双子葉植物綱フウチョウソウ目アブラナ科アブラナ属Brassicaのヤセイカンラン(野生甘藍)Brassica oleraceaの変種であることを示す。

「葵」原文の“mauve”はアオイを意味するが、幾つかの観点から考えると、これは我々がよく目にし、「葵」と呼んでいる双子葉植物綱アオイ目アオイ科ビロードアオイ属タチアオイ Althaea rosea ではなく、近縁のゼニアオイ属マロウ(ウスベニアオイ)Malva sylvestris や、その変種であるゼニアオイ Malva sylvestris var. mauritiana ではないかと私には思われる。確認したところ、一九九五年臨川書店刊の『ジュール・ルナール全集』第三巻の佃裕文訳のでも「ぜにあおい」(引用元では傍点「・」附きのひらがな)と訳しておられる。

「葡萄液」原文は“vin doux”。これは“VDN”(Vin Doux Naturel:ヴァン・ドゥ・ナチュレ)という甘味果実酒のこと。葡萄を通常のワイン醸造のように発酵させ、途中でブランデーを添加し、アルコール発酵を停止させて熟成させた酒。ブドウ本来の自然な(naturel)甘さ(doux)が残る。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」では『発酵まえのぶどう液』とするが、これは日本的発想であろうと思われる。]

 

 

 

 

    Les Lapins

 

   Il ne reste plus de melon pour toi, dit madame Lepic ; d’ailleurs, tu es comme moi, tu ne l’aimes pas.

   Ça se trouve bien, se dit Poil de Carotte.

   On lui impose ainsi ses goûts et ses dégoûts. En principe, il doit aimer seulement ce qu’aime sa mère. Quand arrive le fromage :

   Je suis bien sûre, dit madame Lepic, que Poil de Carotte n’en mangera pas.

   Et Poil de Carotte pense :

   Puisqu’elle en est sûre, ce n’est pas la peine d’essayer.

   En outre, il sait que ce serait dangereux.

   Et n’a-t-il pas le temps de satisfaire ses plus bizarres caprices dans des endroits connus de lui seul ? Au dessert, madame Lepic lui dit :

   Va porter ces tranches de melon à tes lapins.

   Poil de Carotte fait la commission au petit pas, en tenant l’assiette bien horizontale afin de ne rien renverser.

   À son entrée sous leur toit, les lapins, coiffés en tapageurs, les oreilles sur l’oreille, le nez en l’air, les pattes de devant raides comme s’ils allaient jouer du tambour, s’empressent autour de lui.

   Oh ! attendez, dit Poil de Carotte ; un moment, s’il vous plaît, partageons.

   S’étant assis d’abord sur un tas de crottes, de séneçon rongé jusqu’à la racine, de trognons de choux, de feuilles de mauves, il leur donne les graines de melon et boit le jus lui-même : c’est doux comme du vin doux.

   Puis il racle avec les dents ce que sa famille a laissé aux tranches de jaune sucré, tout ce qui peut fondre encore, et il passe le vert aux lapins en rond sur leur derrière.

   La porte du petit toit est fermée.

   Le soleil des siestes enfile les trous des tuiles et trempe le bout de ses rayons dans l’ombre fraîche.

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「壺」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 本篇は三章から成るが、ご覧の通り、底本では最初の章には「一」がない。戦後版では「一」がある。また、底本では第一章相当の後には、十二行(ここで、見返し左ページ一行目が最終行で、残りは丸々空白となっている)もの空けがあるのだが、流石に、異様であり、無駄でもあるので、一行空けとした。]

 

Omaru

 

     

 

 

 もう何度も、寢床(ねどこ)の中で不幸な出來事が起こつたので、にんじんは、每晚、警戒を怠らないやうにしてゐる。夏は、樂なもんだ。九時に、ルピツク夫人が寢ておいでと云ふと、にんじんは、自分から進んで、外をひとまはりして來る。それで、ひと晚中、安心である。

 冬は、この散步が、なかなか苦になる。日が暮れて、鷄小舍を閉めると、彼は、第一の用心をして置くのであるが、それも無駄で、明日の朝までは、とても持ちさうにない。晚飯を食ひ、愚圖々々してゐると、九時が鳴る。もうとつくに夜である。そして、その夜は、何時までも續くのである。にんじんは、第二の用心をして置かなければならない。

 で、その晚も、每晚のやうに、自分で自分に尋ねて見る――

 「したいか、したくないか?」

 平生は、「したい」と答へる。尤もそれは、いよいよ我慢が出來ないか、さもなければ、月が出てゐて、その光で元氣をつけられるやうな時である。時としては、ルピツク氏や兄貴のフエリツクスがお手本を示してくれる。それに、要求の程度から云つて、何時もそんなに遠くへ行くには及ばない。ほんとう[やぶちゃん注:ママ。]なら、通りの溝まで行くのである。それは、殆ど野原の眞中と云つていゝ。大抵は、階段の下まで降りるだけである。その時々で違ふ。[やぶちゃん注:「溝」戦後版では『どぶ』とルビする。]

 ところが、その晚は、雨が窓ガラスを叩き、風が星を消してしまひ、胡桃の木が牧場の中で暴れてゐる。

 「かういふこともあるんだ」――落着いて思案をした揚句、にんじんは結論を與へる ――「したくない!」

 彼はみんなに「お休みなさい」と云ひ、蠟燭に火をつけ、それから、廊下の突き當りで右側の、がらんとして、人つ氣のない自分の部屋にはひる。着物を脫ぐ。橫になる。ルピツク夫人の入來を待つ。彼女は、掛布團の緣をぎゆつと一と息に押し込むでくれる。それから蠟燭の火を消す。その蠟燭は置いて行くが、燐寸をてんで殘して行かない。戶を閉めて鍵をかける。彼が臆病だからである。にんじんは、その時まづ、一人でゐることの快樂を味ふのだ。彼は暗闇の中でいろんなことを考へるのが好きである。一日中の事を思ひ出してみる。幾度となく、危いところを助かつてよかつた。明日もやつぱり運がいゝやうに。彼は、二日續けて、母親が自分の方に注意を向けてくれなければいゝがと思ふ。さういふ空想をしながら、彼は眠りに就かうとする。[やぶちゃん注:「燐寸」言わずもがなだが、「マツチ」(マッチ)である。]

 と、眼をつぶるかつぶらないうちに、彼はまた例の張りつめて來るやうな氣持を感じ出す。

 ――やつぱり仕方がない。

 心の中で、にんじんは呟く。

 誰でも、普通なら起きるところだ。しかし、にんじんは、寢臺の下に、小便壺が置いてないことを知つてゐる。ルピツク夫人が、どんなに、そんな筈はないと頑張つても、彼女は、何時も、それを持つて來て置くのを忘れるのである。それに第一、壺があつたつて、なんの役にも立たないわけである。どうせ、にんじんは寢る前に用心をするんだから。

 で、にんじんは、起きるかはりに、理窟をこねる。

 ――晚かれ早かれ、降參しなければなるまい。ところが、我慢をすればするほど、溜るわけだ。今すぐやつちまへば、ぽつちりしか出ないんだ。すると、敷布が濡れても、からだのぬくもりで、乾くのに手間はかゝらない。これ迄の經驗で、さうすりやきつと、母さんに見つからずに濟むだらう。

 にんじんは、ほつとする。悠々と眼を閉ぢる。そして、ぐつすり眠り込んでしまふのである。

 

        

 

 遽かに、彼は眼を覺ます。そして、下腹の加減はどうかと耳を澄ましてみる。[やぶちゃん注:「遽かに」「にはかに」。「下腹」「したつぱら」と訓じておく。]

 ――やあ、こいつあ、怪しいぞ――

 さつきは、大丈夫だと思つた。話がうますぎた。昨晚(ゆふべ)、橫着をしたのがわるかつたのだ。天罰覿面である。

 彼は寢床の上に坐り、思案してみる。戶には鍵がかゝつてゐる。窓には鐵格子がはまつてゐる。外に出るわけに行かない。

 それでも、彼は起ち上がつて、戶と、窓の鐵格子にさわつて見る。それから床(ゆか)の上に腹這ひになり、兩手を寢臺の下に突つ込んで櫂のやうに動かす。無いことがわかつてゐる壺を探して見るのである。

 彼は寢床にはひる。そして、また起きる。眠るよりも、からだをゆすぶるか、步き廻るか、地團太を踏む方がいゝ。兩方の握り拳で、突つ張つてくる腹を抑へる。

 「母さん! 母さん!」

 聞えては困ると思ふので、力の拔けたやうな聲を出す。なぜなら、若し、ルピツク夫人が此處へ姿を現はさうものなら、にんじんは、けろりとなほつてしまひ、丸で彼女を馬鹿にしてるとしか思へないからである。明日になつて、呼んだと云ふことが噓をつくことにならなければ、それでいゝのである。

 それに、聲を立てると云つても、聲の立てやうがないではないか。全身の力は、悉く、禍(わざわひ[やぶちゃん注:ママ。])を延ばす爲めに使ひ盡してゐる。

 やがて、極度の苦痛が襲つて來て、にんじんは、踊りはじめる。壁にぶつかつて行く。それから、跳ね上る。寢臺の鐵具(かなぐ)にぶつかる。椅子にぶつかる。煖爐にぶつかる。そこで彼は、勢よく腹掛けをまくり上げる。そして、からだを捻ぢ曲げ、兜を脫いで、絕對の幸福に浸(ひた)りながら、煖爐の薪臺(たきゞだい)の上へ、全身を、根こそぎ、叩きつける。

 部屋の暗さが度を增して來る。

[やぶちゃん注:この終りから一つ前の段落中の「勢よく腹掛けをまくり上げる。」は誤訳である。原文の相当箇所は“dont il lève violemment le tablier”で、一見すると、「前掛け(寝具の所謂、「上っ張り」)を(もう我慢の極みを越えて)慌ただしく持ち上げる」の意味で、おかしくないように見えるのだが、実は、この“tablier”(音写「タブリュエ」)という名詞がとんだクセ者で、これには、前に訳した「前掛け・エプロン・上つ張り」を第一義とするものの、実は、この後のシークエンスにより相応しい「暖炉の前に下げて置いて室内からの風をある程度まで防いで調節するための鉄製の仕切り板(ばん)」の意があるのである。岸田氏も後にそれに気づかれて、戦後版では、『焚口(たきぐち)の仕切り戸を開(あ)ける。』と改訳しておられる。無論、私の所持する他者の訳でも、その「仕切り板」「開閉板」として訳しておられる。

 

        

 

 にんじんは、やつと朝がた、眠りに就いた。そして、寢坊をしてゐる。ルピツク夫人は戶を開けると、さも、どつちを向いていても鼻は利くと云ふやうに、顏をしかめながら云ふ――

 「なんて變な臭ひだい」

 「母さん、お早う」

と、にんじんは云ふ。

 ルピツク夫人は、敷布を引きずり出す。部屋の隅々を嗅いで廻る。見附けるのに雜作はない。

 「僕、病氣だつたの。それに壺がないんだもの」

 にんじんは、急いでかう云ふ。それが一番都合のいゝ辯解だと思つたからである。

 「噓つき! 噓つき!」

 ルピツク夫人はかう云ひながら何處かへ出て行く。やがて壺を匿して持つて來る。それを、手早く寢臺の下に押し込む。立つてゐるにんじんを突き倒す。家ぢうのものを呼ぶ。それから大聲で云ふ――

 「こんな子供をもつなんて、一體、何の因果だらう・・・」

 それから、今度は、雜巾とバケツとを持つて來る。火でも消すやうに煖爐へ水をかける。寢具をふるふ。そして、忙しさうに、訴へるやうに――

 「息がつまる、息がつまる」

と云ふのである。

 それから、また、にんじんの鼻先で、科(しぐさ)たつぷりの文句を並べる――

 「情ない子だね! まるで無神經だ。いよいよ當り前ぢやなくなつて來た! これぢや、畜生とおんなじだ! 畜生だつて、壺をやつとけば、その使ひ方ぐらゐわかる。それにお前どうさ。するにも事をかいて、煖爐の中なんぞへ、だらしがない・・・。あたしや、もう、お前のお蔭で頭が變になるよ。それこそ、氣が狂つて死んぢまふから、氣が狂つて・・・!」

 にんじんは、シヤツ一枚で、素足のまゝ、壺を見つめてゐる。夜中には、この壺はなかつた。それに、今になつて、そこの、寢臺の脚もとに壺がある。この空つぽの、白い壺を見てゐると、彼は眼が眩む。それでもまだ、そんなものはなかつたなんて云ひ張ると、今度は圖々しい奴だと云ふことになるのである。

 家(うち)のものが、やれやれといふ顏をしてゐる。口の惡い近所の奴等が列を作つてゐる。郵便屋まで來てゐる。さういふ連中が、うるさくいろんなことを問ひかけるので、たうとう――[やぶちゃん注:「家」戦後版では『うち』とルビする。私もそれを採る。]

 「噓だつたら首をやる」――かう、壺の上に眼を注ぎながら、にんじんは答へる――

 「僕あ、もう知らないよ。勝手にしろい」

 

[やぶちゃん注:「壺」本篇の原題も“le pot”であるが(料理のポトフ“pot-au-feu”の「ポ」である。“feu”私のHPでお分かりのように「火」、だから、「ポトフ」とは「火にかけた壺・鍋」の意味)、ここは勿論、“pot de chambre”(寢室の壺)で、「おまる・尿甁(しびん)」のことである。日本ではある種、幼児や病者の用具として、ネガティヴな印象だが、フランスの“pot de chambre”は、これ、結構、カラフルで、また、結婚式の披露宴に纏わる驚天動地のエグい風習(「フランス おまる 結婚式」のフレーズでネツト検索をかけてごらんなさい!)に用いられたりもするのである。個人的には、初めて読む若い読者のためには、私は岸田氏の「壺」がネタバレにならなくてよいと思う。

「母さん! 母さん!」「聞えては困ると思ふので、力の拔けたやうな聲を出す。なぜなら、若し、ルピツク夫人が此處へ姿を現はさうものなら、にんじんは、けろりとなほつてしまひ、丸で彼女を馬鹿にしてるとしか思へないからである。明日になつて、呼んだと云ふことが噓をつくことにならなければ、それでいゝのである。」という「二」章のそれが、切ない! 限りなく――切ない! こんなことが……私の少年期の私の母へのアンビバレンツな感情として――確かに――あったからである。

「あたしや、もう、お前のお蔭で頭が變になるよ。それこそ、氣が狂つて死んぢまふから、氣が狂つて・・・!」既に述べた通り、モデルであるルナールの母アンヌ=ローザ・ルナール(Anne-Rosa Renard)夫人は、一九〇九年八月五日、家の井戸で溺死した。『事故かあるいは自殺。――ルナールは書いている《…事故だと私は思う》(八月十日、エドモン・エセー宛て書簡)』(所持する臨川書店全集の年譜より引用)。

 

 

   *   *   *

 

 

    Le Pot

 

     I

 

   Comme il lui est arrivé déjà plus d’un malheur au lit, Poil de Carotte a bien soin de prendre ses précautions chaque soir. En été, c’est facile. À neuf heures, quand madame Lepic l’envoie se coucher, Poil de Carotte fait volontiers un tour dehors ; et il passe une nuit tranquille.

   L’hiver, la promenade devient une corvée. Il a beau prendre, dès que la nuit tombe et qu’il ferme les poules, une première précaution, il ne peut espérer qu’elle suffira jusqu’au lendemain matin. On dîne, on veille, neuf heures sonnent, il y a longtemps que c’est la nuit, et la nuit va durer encore une éternité. Il faut que Poil de Carotte prenne une deuxième précaution.

   Et ce soir, comme tous les soirs, il s’interroge :

   Ai-je envie ? se dit-il ; n’ai-je pas envie ?

   D’ordinaire il se répond « oui », soit que, sincèrement, il ne puisse reculer, soit que la lune l’encourage par son éclat. Quelquefois M. Lepic et grand frère Félix lui donnent l’exemple. D’ailleurs la nécessité ne l’oblige pas toujours à s’éloigner de la maison, jusqu’au fossé de la rue, presque en pleine campagne. Le plus souvent il s’arrête au bas de l’escalier ; c’est selon.

   Mais, ce soir, la pluie crible les carreaux, le vent a éteint les étoiles et les noyers ragent dans les prés.

   Ça se trouve bien, conclut Poil de Carotte, après avoir délibéré sans hâte, je n’ai pas envie.

   Il dit bonsoir à tout le monde, allume une bougie, et gagne au fond du corridor, à droite, sa chambre nue et solitaire. Il se déshabille, se couche et attend la visite de madame Lepic. Elle le borde serré, d’un unique renfoncement, et souffle la bougie. Elle lui laisse la bougie et ne lui laisse point d’allumettes. Et elle l’enferme à clef parce qu’il est peureux. Poil de Carotte goûte d’abord le plaisir d’être seul. Il se plaît à songer dans les ténèbres. Il repasse sa journée, se félicite de l’avoir fréquemment échappé belle, et compte, pour demain, sur une chance égale. Il se flatte que, deux jours de suite, madame Lepic ne fera pas attention à lui, et il essaie de s’endormir avec ce rêve.

   À peine a-t-il fermé les yeux qu’il éprouve un malaise connu.

   C’était inévitable, se dit Poil de Carotte.

   Un autre se lèverait. Mais Poil de Carotte sait qu’il n’y a pas de pot sous le lit. Quoique madame Lepic puisse jurer le contraire, elle oublie toujours d’en mettre un. D’ailleurs, à quoi bon ce pot, puisque Poil de Carotte prend ses précautions ?

   Et Poil de Carotte raisonne, au lieu de se lever.

   Tôt ou tard, il faudra que je cède, se dit-il. Or, plus je résiste, plus j’accumule. Mais si je fais pipi tout de suite, je ferai peu, et mes draps auront le temps de sécher à la chaleur de mon corps. Je suis sûr, par expérience, que maman n’y verra goutte.

   Poil de Carotte se soulage, referme ses yeux en toute sécurité et commence un bon somme.

 

     II

 

   Brusquement il s’éveille et écoute son ventre.

   Oh ! oh ! dit-il, ça se gâte !

   Tout à l’heure il se croyait quitte. C’était trop de veine. Il a péché par paresse hier soir. Sa vraie punition approche.

   Il s’assied sur son lit et tâche de réfléchir. La porte est fermée à clef. La fenêtre a des barreaux. Impossible de sortir.

   Pourtant il se lève et va tâter la porte et les barreaux de la fenêtre. Il rampe par terre et ses mains rament sous le lit à la recherche d’un pot qu’il sait absent.

   Il se couche et se lève encore. Il aime mieux remuer, marcher, trépigner que dormir et ses deux poings refoulent son ventre qui se dilate.

   Maman ! maman ! dit-il d’une voix molle, avec la crainte d’être entendu, car si madame Lepic surgissait, Poil de Carotte, guéri net, aurait l’air de se moquer d’elle. Il ne veut que pouvoir dire demain, sans mentir, qu’il appelait.

   Et comment crierait-il ? Toutes ses forces s’usent à retarder le désastre.

   Bientôt une douleur suprême met Poil de Carotte en danse. Il se cogne au mur et rebondit. Il se cogne au fer du lit. Il se cogne à la chaise, il se cogne à la cheminée, dont il lève violemment le tablier et il s’abat entre les chenets, tordu, vaincu, heureux d’un bonheur absolu.

   Le noir de la chambre s’épaissit.

 

     III

 

   Poil de Carotte ne s’est endormi qu’au petit jour, et il fait la grasse matinée, quand madame Lepic pousse la porte et grimace, comme si elle reniflait de travers.

   Quelle drôle d’odeur ! dit-elle.

   Bonjour, maman, dit Poil de Carotte.

   Madame Lepic arrache les draps, flaire les coins de la chambre et n’est pas longue à trouver.

   J’étais malade et il n’y avait pas de pot, se dépêche de dire Poil de Carotte, qui juge que c’est là son meilleur moyen de défense.

   Menteur ! menteur ! dit madame Lepic.

   Elle se sauve, rentre avec un pot qu’elle cache et qu’elle glisse prestement sous le lit, flanque Poil de Carotte debout, ameute la famille et s’écrie :

   Qu’est-ce que j’ai donc fait au Ciel pour avoir un enfant pareil ?

   Et tantôt elle apporte des torchons, un seau d’eau, elle inonde la cheminée comme si elle éteignait le feu, elle secoue la literie et elle demande de l’air ! de l’air ! affairée et plaintive.

   Et tantôt elle gesticule au nez de Poil de Carotte :

   Misérable ! tu perds donc le sens ! Te voilà donc dénaturé ! Tu vis donc comme les bêtes ! On donnerait un pot à une bête, qu’elle saurait s’en servir. Et toi, tu imagines de te vautrer dans les cheminées. Dieu m’est témoin que tu me rends imbécile, et que je mourrai folle, folle, folle !

   Poil de Carotte, en chemise et pieds nus, regarde le pot. Cette nuit il n’y avait pas de pot, et maintenant il y a un pot, là, au pied du lit. Ce pot vide et blanc l’aveugle, et s’il s’obstinait encore à ne rien voir, il aurait du toupet.

   Et, comme sa famille désolée, les voisins goguenards qui défilent, le facteur qui vient d’arriver, le tarabustent et le pressent de questions :

   Parole d’honneur ! répond enfin Poil de Carotte, les yeux sur le pot, moi je ne sais plus. Arrangez-vous.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「滝不動」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 滝不動【たきふどう】 〔譚海巻四〕紀州高野山奥の院山中に大滝と云ふ有り。常に人のいたらざる所なり。ある人山中に逗留せしに、けふはふしぎなる事を見せ申さんとて、院の僧侶伴ひて件の滝のもとに行きぬ。滝は高崖より落ちて幅三四。間も有り。その滝の半腹に向ひて谷に臨める大なる岩に坐せしめて後かの僧云く、壱心に光明真言を唱ふべし、真言ならではふしぎ有りがたしといひければ、同伴の者合掌して一心に神冗をとなふる事、半時ばかりありしに、この滝の水二つに分れて、その滝の石壁に不動尊をきざめる像ありありと拝まれたり。みなふしぎにおもふほどなく、また滝水合して一筋に落ちたり。かくてまたいよいよ真言を唱ふる間、また滝水わかれて尊像みえ給ふ。此の如くなる事三四度に及んで、今はとて下向しぬ。けふは天気よくてあざやかに拝まれ給ふなり、つねは霧ふかき所にして、たまさかにけふのごとく拝まるゝ事なりとかたりぬ。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之四 紀州高野山大瀧不動尊の事」を参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「宝の箱」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 宝の箱【たからのはこ】 〔梅翁随筆巻六〕このごろの事のよし、麻布<東京都港区内>辺に遠藤内記といふ欲ふかき神道者あり。祈禱をたのまれて行きけるが、その内のやうすを見るに、宮殿楼閣甍《いらか》をならべ、画《ゑ》にて見たる唐土《もろこし》の宮殿のごとく、終《つひ》に見馴れぬ家造りなり。爰に狂乱せしものありしを、只ひと祈りにて忽ち正気となりしかば、主人ふかく感悦して、一つの箱を携へて授けて云ふ。この品微少なりといへども、随分大切にもちなして崇敬し置くべし、長寿にして富貴こゝろのまゝなるべし、かならず箱のふたをひらく事なかれと、かたくいましめて渡しけり。斯くて我家へ帰りて見れば、大勢の居る様子。いかなる事やと尋ぬるに、歴々より御符貰ひ、あるひはおもひがけなき所より、謝礼として金銀巻もの山のごとくあつまりたり。跡よりも引続いて持ち来《きた》る。家内のものども余りの事ゆゑ、御こゝろ覚えありやと尋ねるに、今日よりは日々かくのごとく有るべきなり、この事いさゝか不審におもふべけれども、段々訳ある事なり、なんぢらはさてさて仕合せものなり、某《それがし》がかげをもつて安楽となるべしなど、髪をなでて大言して微笑し受納しけるが、後には家内のうちに置きあまり、次第に夜もふけ、みなみな草臥《くたぶ》れければ、跡より来《きた》る使《つかひ》は、先づ明日来《こ》らるべしと断りをいひかへして、種々の宝をつみ上げたる中に、家内一緒に臥したりける。夜あけてかの集りたる物をみれば、真《まこと》の宝はひとつもなく、古菰《ふるこも》・菰・鉄・瓦・木竹《きたけ/ぼくちく》の切はし・馬の沓《くつ》をはじめとして、種々無量の穢《けが》れたるものども山のごとく積みかさねたる、その中に臥し居《ゐ》たり。この事外聞悪《あ》しければとて、包みかくし掃溜《はきだめ》を持出し捨るやうに見せたり。さりながらあまりおびたゞしき事ゆゑ、近隣の人々不審して聞き出《いだ》しけるとぞ。この事誠しからぬ事といへども、またこれより先にも、これに類せし事を見聞きし事ありき。[やぶちゃん注:以下の改行段落成形はママ。本書では、ないわけではないが、珍しい。]

 宝暦のころ、表二番町に大岡吉之助といふ大御番あり。今新御番を勤むる大岡吉太郎が祖父なるべし。吉之助は宝暦二年部屋住《へやずみ》御番衆なり。また春田彦四郎といふは、その頃政八郎というて浅草千束村<東京都台東区千束>に住居《すまひ》せり。両人ともよし原の花に心とまりて、たえ間なく行き通ひし頃なりしが、或朝彦四郎かたへ吉之助来れり。例の如く後朝(きぬぎぬ)ならんと、すぐに居間へ通しけるに、吉之助衣類大小は勿論、面《おもて》も手足も泥に染《そ》み、空然として入り来《きた》るゆゑ、彦四郎大いに驚き、いかゞせしや、先づその姿は何事ぞと尋ぬれど、その答へはせで、さてさて夜分[やぶちゃん注:昨夜。]程おもしろき遊びはなかりし、同道なさで残り多し、これは跡の事にして、ゆるゆると咄すべし、甚だ空腹なり、何もなくて宜《よろ》し、茶漬をたまはれといふ。されども常ならぬ形相《ぎやうさう》ゆゑ、喧嘩にてもせしや、またはいたみ処はなきやと尋ぬれども、先づ先づ飯《めし》を出し給へ、跡にて昨夜の遊興山々咄すべし、その楽しみいはん方なしといふ。その容目(かたち)のうちなど常ならず。先づ先づのぞみにまかせ飯を出しければ、息をもつかず六七杯、のむやうに喰《く》ひをはる。やがて箸を置くかと見えしが、そのまゝたふれて正体もなく寝入りたり。いかさま狐狸に化されたるに九ららん七察しければ、夜著《よぎ》などかけて置きけるに、昼過ぐれども目も覚《さま》さず。ゆり起しければ、やうやう正気になりたる体《てい》ゆゑ、衣類大小などの事を申せしかば、大いにいぶかしく思ひながら、昨夜馴染の方《かた》へ行きて、種々の遊興を尽せしかば、忘れず面白かりし。それが夢か、今が夢か、さらに分兼《わかりかね》ぬるよしを申しける。この事をばその頃の相番《あひばん》は、皆々くはしく聞きたる事なりしとかや。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は『○寳の箱を授りし事』。しかし、確かに原本でも、『又是より先にも、是に類せし事を見聞し事ありき。』とあって、後半の話柄が続いているが、この標題の『○寳の箱を授りし事』とは、表示された題とは、狭義に於いては、何らの一致を見ない。狐狸に騙されたのであろうというだけでは、この後半を示すことは、羊頭狗肉の謗りを免れない。無駄であった。宵曲は、『この事誠しからぬ事といへども、またこれより先にも、これに類せし事を見聞きし事ありき。』以下、最後までをカットするべきであった。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大力の尼」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大力の尼【だいりきのあま】 〔譚海巻十二〕母の幼なかりしとき、向ひなる家に女子兄弟住むものあり。いづれの家中の娘にて有りけるか、浪人して住みわたるなり。姉は尼にて、妹は手習を女子どもにをしへ、世をわたる事なるに、この尼人折々むら気にて、ひとり言をいはるゝ時も有り。また常はものごしやさしく、うちむかひてかたらふときは、本性なる時、殊にうるはしく、なつかしき人なりしが、思ひかけず大ちからなる尼にて、それを知る人なかりしに、或時水をくみ入るゝ男、水がめの台をあしく置きたるよし、されど水をなかばくみ入れぬれば、いかがせんと妹の申しけるに、やがて姉あま立《たち》より、水くみの男をよびて、われこのかめをもてあげるまゝ、いふまゝになほしてよとて、水のたゝヘたるかめを、左右の手にて中(ちう)にもちあげ、台をなほさせければ、水くみの男おそるおそる台をなほしてにげ去りぬ。それをば母見たりしと物がたりなり。この尼うへさるべき方へ縁付きたりしが、夫のふるまひに腹たつ事ありて、やがて夫をうちふせて、大釜を引あげてかぶせつつさいなみければ、その兄弟聞き驚きて、あるまじき事とて、不縁に及びしかば、やがて親なる人の尼にせしより、かく妹の家に来居《きをり》たれども、折々本性のたがへる時は、妹をうちふせてさいなみける。力の強きまゝ妹なる人も殊にめいわくして、後々は別れ別れになりぬるとぞ。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷十二 狂人の尼勇力の事(フライング公開)」を公開しておいたので見られたい。]

譚海 卷之十二 狂人の尼勇力の事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]

 

 母のをさなかりしとき、向(むかひ)なる家に、女子(によし)兄弟[やぶちゃん注:ここは「姉妹」の意。]、住むものあり。いづれの家中の娘にて有(あり)けるか、浪人して、住みわたるなり。

 姊(あね)は尼にて、妹(いもと)は手習を女子(をんなこ)どもに、をしへ、世をわたる事なるに、此尼人(あまびと)、折々、むら氣(け)にて、ひとり言(ごと)をいはるゝ時も、有り。

 又、常は、ものごしやさしく、うちむかひて、かたらふときは、本性(ほんしやう)なる時、殊に、うるはしく、なつかしき人也しが、思ひかけず、大(だい)ぢからなる尼にて、夫(それ)を知る人、なかりしに、或時、水をくみ入るゝ男、水がめの臺を、あしく置きたるよし。

「されど、水を、なかば、くみ入(いれ)ぬれば、いかがせん。」

と、妹の申しけるに、やがて、姊あま、立(たち)より、水くみの男を、よびて、

「われ、このかめを、もてあげるまゝ、いふまゝに、なほしてよ。」

とて、水のたゝヘたるかめを、左右の手にて、中(ちゆう)にもちあげ、臺を、なほさせければ、水くみの男、おそるおそる、臺をなほして、にげ去りぬ。

 それをば、母、

「見たりし。」

と、物がたりなり。

 この尼うへ、さるべき方へ緣付きたりしが[やぶちゃん注:尼になる前の話である。]、夫(をつと)のふるまひに、腹たつ事ありて、やがて、夫を、うちふせて、大釜を引(ひき)あげて、かぶせつつ、さいなみければ、その兄弟[やぶちゃん注:ここは夫の実際の兄弟。]、聞き驚きて、

「あるまじき事。」

とて、不緣に及(および)しかば、やがて親なる人の、尼にせしより、かく、妹の家に居(をり)たれども、折々、本性のたがへる時は、妹を、うちふせて、さいなみける。力の强きまゝ、妹なる人も、殊にめいわくして、後々は、別れ別れになりぬるとぞ。

[やぶちゃん注:本譚海のルーティン電子化は未だ「卷五」の後半までだが、少なくとも、そこまでは、作者津村淙庵の個人的な親族を含む直(じ)き話(ばなし)は、まず、なかった。この「卷十二」には、しかし、そうした話柄が有意に見られる。その点で、今までの電子化注の特異点とは言える。なお、津村は京都生まれであるから、或いはこの話、江戸ではなく、京がロケーションか。この大力の尼、俗人であった時から、奇異な行動が突然出現するところからは、一種の脳内の細胞に発生する異常な神経活動に由来する癲癇発作をきたす神経疾患の持ち主であったかと思われる。数年前に故人となったが、私が小学校の頃、波状的な「いじめ」に合うのを、常に守って呉れた親友にSA君がいたが、彼は典型的な癲癇症であった(実は当時、彼のカウンセリングを担当していたのが、私の叔母であった。カウンセリングの最中でも私の名がよく出、その時は楽しそうに話したと、後年、聴いた)。突如、怪力を出して同級生の半グレ連中を、五、六人、投げ飛ばしたり、学校の高圧鉄塔にするすると攀じ登ったりした。何故か、私だけを「親友」と私に言い、「やぶ医者」と呼んでいた(私は小学生の時は医師になりたかった。一歳半から四歳半まで左肩関節結核性カリエスを患って、病院と医者は親しい憧れの存在だったからであろう)。私がいじめられているのを知ると、それ以降、毎日、下校は彼が一緒に帰ってくれた。病気のため、六年生の日光への修学旅行には彼だけが行けなかった。私がごくごく安い土産物屋の日光名所を描いた栞のセットを、彼の家を訪ねて、お土産にあげた。彼は、それを握って、彼が座ったまま、長く泣いていたのを、今も私は忘れられない……。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「尾籠ながら」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Birounagara

 

    尾籠ながら

 

 

 こんな話をしてもいゝだらうか。しなければならないだらうか。ほかの者が、心もからだも美白になつて、洗禮を受けようといふ年に、にんじんはまだ汚いところがあつた。ある晚は、いい出せずに我慢をしすぎたのである。

 からだをだんだん大きく捻つて、苦しい要求を抑へようと思つた。

 ちつと圖々しい量見だ!

 また、ある晚は、ちやんと、適當の距りを置いて、塀の角に陣取つてゐる夢を見た。その結果、なんにも知らずに、眠つたまゝ、敷布の中へしてしまつたのである。彼は眼をさました。

 自分のそばには、ある筈の塀がないので驚いた。

 ルピツク夫人は、怒るところを怒らない。穩(おだや)かに、寬大に、母親らしく、始末をしてやる。そればかりか、翌朝は、甘つたれた小僧のやうに、にんじんは、寢床を離れる前に食事をする。[やぶちゃん注:「怒る」は「おこる」と訓じておく。]

 さやう、寢床ヘスープを持つて來てくれるのである。それは、なかなか手のかゝつたスープで、ルピツク夫人が、木の箆でもつて、少しばかり例のものを溶かし込んだのである。なに、ほんの少しである。[やぶちゃん注:「箆」「へら」。]

 枕もとには、兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌが、陰險な顏附をしてにんじんを見張つてゐる。今にも、合圖さへあれば、大きな聲を立てゝ笑ふ用意をしてゐるのである。ルピツク夫人は、匙で少しづゝ、息子の口へ入れてやる。彼女は、橫目で、兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌに、かう云つてゐるらしい――

 「さ、いゝかい! 用意はできたね!」

 「ああ、いゝよ!」

 今からもう、二人は、そら、顰めつ面だと、面白がつてゐる。近所の人たちを招待できるものなら招待するところだつたに違ひない。さて、ルピツク夫人は、最後の眼くばせで、上の子供たちに問ひかける――[やぶちゃん注:「顰めつ面」「しかめつつら」。]

 「さ、いゝね!」

 ゆつくり、ゆつくり、最後の一と匙をあげる。それを、にんじんが大きく開けた口の中へ、喉の奧まで突つ込む。流し込む。押し込む。そして、嘲るやうに、顏をそむけながら、かういふ――

 「あゝ、汚ない。食べた、食べた。自分のだよ、おまけに・・・。昨夜(ゆうべ)のだよ」[やぶちゃん注:ルビの「ゆうべ」は誤りとは言えない。「夕べ」は古くは「ゆうへ」(「夕(ゆう)方(へ)」の意)と表記したからである。]

 「さうだらうと思つた」

かう、なんでもなく、にんじんは答へる。みんなが當てにしてゐたやうな顏附はしない。

 彼は、さういふことに慣れてゐる。或ることに慣れると、そのことはもう可笑しくもなんともない。

 

[やぶちゃん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。原標題の“Sauf votre Respect”は、この語はフランス語ごく普通に用いられる相手へ語りかける際の、特に謙遜めいて相手の言いに反論や注意をする際の見かけ上の謙辞で、「失礼だが」「憚りながら」と訳すのが、普通である(機械翻訳では「敬意を表して」とマンマで出るものもあるが)。「尾籠ながら」「おこ(癡・痴)」の発音に当てた漢字「尾籠」を音読みしたもので、一般に「礼儀を弁えないこと」・「恥ずべきこと」で訳に問題はないが、次いで「貧しいこと」、そして「話題として不適当なきたないこと・不潔であること」の意を持ち、現行では、私は最後の意味で用いることが多いように思われる。所謂、下半身に関わる汚ない内容を示唆することが殆んどであるということである。しかし、本篇はお読みになってお判りの通り、まさにその最後に示した狭義の意味で正しく「尾籠」なのである。臨川書院全集の佃裕文氏の訳も、この岸田氏を文字通り、「リスペクト」して『びろうな話』(下線は底本では傍点「﹅」)と訳されている。流石に、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」の訳では、「尾籠」が中学生には向かないからであろう、『失礼ながら』と訳しておられる。私は正直言うと、ルナールを始めて纏まって読んだ、倉田氏の訳の方が、いいと思う。「尾籠」の狭義の意を知ってしまっている大人や、題で躓いて調べた少年少女が、下ネタ話のことを「尾籠な話」と言うのだと知ってしまったなら、それは、標題でネタバレをしてしまうことに他ならないからである(そもそも「びろう」という語は「尾(尻)漏」という文字列を連想・想起させる厭な言葉で、私は六十六になる現在まで、自分で言葉として発したことも、日記に記したこともない)。私は倉田氏の訳で「にんじん」を読んで幸せ者だったと本気で思っているのである。

「洗禮を受けようといふ年」カトリツクでは、概ね、八歳以上の受洗を「成人洗礼」と言い、聖体拝受を受けることが出来る。

「さ、いゝね!」の部分の訳は、正確には、鍵括弧ではなく、二重鍵括弧で『さ、いゝね!』とすべきところである。直前に「さて、ルピツク夫人は、最後の眼くばせで、上の子供たちに問ひかける」とある通り、これはルピック夫人の無言のフェリックスとエルネスチーヌへの目配せの意味を示しているからである。 

「あゝ、汚ない。食べた、食べた。自分のだよ、おまけに・・・。昨夜(ゆうべ)のだよ」この部分、“Ah ! ma petite salissure, tu en as mangé, tu en as mangé, et de la tienne encore, de celle d’hier.”というのは、不全な訳である。この話者はルピック夫人で、それを概ね逐語しつつやや意訳するなら、

『あんれ! まあッ! あんたは私の小さな汚れものを、幾足りか飲んじまった、それにさ、あんたのそれも幾足りかね、しかも、さ、夕(ゆん)べの古いそれを、一緒にね。』

である。ルピック夫人は、昨夜の「にんじん」の「お漏らし」だけではなく、実に彼女自身がひった、恐らくは今朝(けさ)の小便をも、そのスープに仕込んだのである。流石に、この仕儀を岸田氏や倉田氏は、あまりに惨(むご)過ぎると感じられたものか、ルピック夫人の部分を訳してはいない。但し、一九九五年臨川書店刊の『全集』第三巻の「にんじん」で佃裕文氏は、正確に、

   《引用開始》』[やぶちゃん注:下線は原本では傍点「・」。]

「へへえ! 母さんのおしもを、おまえたべちゃったね、たべちゃったね。それに自分のやつもね、ゆうべのやつをね」

と訳しておられる。なお、古い民俗社会にあっては、罰や虐待のニュアンスではなく、夜尿症の子に、その尿を飲ませることで治すといった民間治療法があることは、私自身、聴いたことや、読んだことがある。佃氏の巻末の後注にも、『これは当時のフランス、ことに田舎では、たとえば病気のときなどこれを直すためというので大小便を飲んだりすることは、かならずしも珍しいことではなかつた。』とされ、さらにルナールの他作品(「怪鳥」の中の「訪問」の部分。当該全集第四巻所収)に『家畜の小便を飲むケースがあげられている』と記されている。……しかし……そうは言つても、これは、余りも――肉親によって行われた凄絶な惨い「いじめ」=虐待以外の――何ものでもない――。しかし、それに対して、「にんじん」平然と「さうだらうと思つた」と言い放ち、「みんなが當てにしてゐたやうな顏附はしない」し、「彼は、さういふことに慣れてゐる。或ることに慣れると、そのことはもう可笑しくもなんともない。」と心象を語る時、その心傷(トラウマ)の、計り知れない深さにこそ、読者は戦慄に似たものを感ずるであろう。少なくとも、小学生低学年の頃、毎日のように半グレの同級生から「いじめ」を受けてきた経験のある私には、その心の――「諦めて居直った内心の闇」が――よく判るのである――。

 

 

   *

 

 

    Sauf votre Respect

 

   Peut-on, doit-on le dire ? Poil de Carotte, à l’âge où les autres communient, blancs de coeur et de corps, est resté malpropre. Une nuit, il a trop attendu, n’osant demander.

   Il espérait, au moyen de tortillements gradués, calmer le malaise.

   Quelle prétention !

   Une autre nuit, il s’est rêvé commodément installé contre une borne, à l’écart, puis il a fait dans ses draps, tout innocent, bien endormi. Il s’éveille.

   Pas plus de borne près de lui qu’à son étonnement !

   Madame Lepic se garde de s’emporter. Elle nettoie, calme, indulgente, maternelle. Et même, le lendemain matin, comme un enfant gâté, Poil de Carotte déjeune avant de se lever.

   Oui, on lui apporte sa soupe au lit, une soupe soignée, où madame Lepic, avec une palette de bois, en a délayé un peu, oh ! très peu.

   À son chevet, grand frère Félix et soeur Ernestine observent Poil de Carotte d’un air sournois, prêts à éclater de rire au premier signal. Madame Lepic, petite cuillerée par petite cuillerée, donne la becquée à son enfant. Du coin de l’oeil, elle semble dire à grand frère Félix et à soeur Ernestine :

   Attention ! préparez-vous !

   Oui, maman.

   Par avance, ils s’amusent des grimaces futures. On aurait dû inviter quelques voisins. Enfin, madame Lepic, avec un dernier regard aux aînés comme pour leur demander :

   Y êtes-vous ?

lève lentement, lentement la dernière cuillerée, l’enfonce jusqu’à la gorge, dans la bouche grande ouverte de Poil de Carotte, le bourre, le gave, et lui dit, à la fois goguenarde et dégoûtée :

   Ah ! ma petite salissure, tu en as mangé, tu en as mangé, et de la tienne encore, de celle d’hier.

   Je m’en doutais, répond simplement Poil de Carotte, sans faire la figure espérée.

   Il s’y habitue, et quand on s’habitue à une chose, elle finit par n’être plus drôle du tout.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「惡夢」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Akumu

 

     惡 夢

 

 

 にんじんは泊り客が嫌ひである。部屋を追ひ出され、寢臺を占領され、そして、母親と一緖に寢なければならないからである。ところで、若し彼が、晝間あらゆる缺點を備へてゐるとすれば、夜は夜で、とりわけ、鼾をかくという缺點をもつてゐる。わざと鼾をかくんだとしか思へない。

 八月でさえ冷えびえする廣い部屋に、寢臺が二つ置いてある。一つはルピツク氏ので、もう一つの方へは、にんじんが母親と並んで、壁に近い奧のほうに寢ることになるのである。

 眠る前に、彼は掛布團をかぶつて、こんこん咳をする。喉を掃除するためである。しかし、鼾をかくのは、ことによると、鼻かもしれない。そこで、鼻の孔がつまつてゐないかどうか、そつと鼻から息を出して見る。それから、あんまり大きく呼吸をしない練習をする。

 それにも拘はらず、彼は、眠つたかと思ふと、もう鼾をかいてゐる。こればかりはどうしても止(や)められないとみえる。

 すると、ルピツク夫人は、彼の尻つぺたの一番肉附きのよさゝうなところを、爪で、血の出るほどつねる。彼女は、この方法に限ると思つてゐる。

 にんじんの悲鳴で、ルピツク氏はにはかに眼を覺ます。そして、かう尋ねる――

 「奴、どうしたんだ?」

 「夢でうなされてゐるんですよ」

と、ルピツク夫人は答へる。

 それから、彼女は、乳母がやるやうに、子守歌のひと節を口の中で唄ふ。これは印度の節らしい。

 にんじんは壁に額と臑(すね)とを押しつける。壁を突き破らんばかりに押しつける。兩手で尻つぺたを隱す。鳴動が始まると同時に襲來する爪の鋒先を防ぐためである。かうして、彼は、大きな寢臺の中で、再び眠りに就くのである――母親と並んで奧の方に寢る、その大きな寢臺の中で。

 

[やぶちゃん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。第三段落の「呼吸」は戦後版では『いき』とルビされる。ここもそう読みたい。]

 

 

 

 

    Le Cauchemar

 

   Poil de Carotte n’aime pas les amis de la maison. Ils le dérangent, lui prennent son lit et l’obligent à coucher avec sa mère. Or, si le jour il possède tous les défauts, la nuit il a principalement celui de ronfler. Il ronfle exprès, sans aucun doute.

   La grande chambre, glaciale même en août, contient deux lits. L’un est celui de M. Lepic, et dans l’autre Poil de Carotte va reposer, à côté de sa mère, au fond.

   Avant de s’endormir, il toussote sous le drap, pour déblayer sa gorge. Mais peut-être ronfle-t-il du nez ? Il fait souffler en douceur ses narines afin de s’assurer qu’elles ne sont pas bouchées. Il s’exerce à ne point respirer trop fort.

   Mais dès qu’il dort, il ronfle. C’est comme une passion.

   Aussitôt madame Lepic lui entre deux ongles, jusqu’au sang, dans le plus gras d’une fesse. Elle a fait choix de ce moyen.

   Le cri de Poil de Carotte réveille brusquement M. Lepic, qui demande :

   Qu’est-ce que tu as ?

   Il a le cauchemar, dit madame Lepic.

   Et elle chantonne, à la manière des nourrices, un air berceur qui semble indien.

   Du front, des genoux poussant le mur, comme s’il voulait l’abattre, les mains plaquées sur ses fesses pour parer le pinçon qui va venir au premier appel des vibrations sonores, Poil de Carotte se rendort dans le grand lit où il repose, à côté de sa mère, au fond.

 

2023/11/24

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大力」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大力【だいりき】 〔落栗物語後編〕近衛応山公は和歌道に誉れあり。その上能書の名世に聞えて、やんごとなき人におはせしが、その力の強きことは知る人なかりけり。或時里庭[やぶちゃん注:読みは「さとには」か「りてい」か不明。自然な里山を模した庭か。]を作らせ給ひしに、人多く参りて、こゝかしこ石どもを引散らし、しばし打休みたる間に、大なる石の八九人が力にもたやすくは動かしがたきほどなるを、はるか向うの透垣《すいがい》の際にもて行きてありしかば、誰かせしぞと問へども、しる者なかりき。また或時侍一人供して、真菅《ますげ》の笠をまぶかに著《つけ》つゝ、物へおはせしに、そのあたりを守る雑色《ざふしき》どもの怪しみて、鉄杖《てつじやう》にて打たんとしけるを、やがて引取《ひきとつ》て、雑色が首をまとひ、桶なんどに輪を入れたるやうにして立帰らせ給ひしを、とかくしてぬかんとすれども叶はず。せんすべなくして在りし程に、この事隠れなくて、或公達《きんだち》の殿にかくと物語りせられしかば、聞《きこ》し召して、何者の仕業にや、便(びん)なき態かな、その者召せとて、やがて御前にすゑ、かなつえの左右の端を取《とつ》て、きりきりとねぢ戻し給ひしかば、事もなく解けけるにぞ、人々大いに驚きぬ。扨こそさきの殿の戯れにし給へることならんと申しける。 〔窓のすさみ〕高木右馬介《たかぎうまのすけ》、初めは美作国に中小姓やうの体《てい》にて仕へけり。忠政朝臣野がけに出でられしが、道に川ありて、雨後《うご》にて水強く出《いで》て渡りがたし、道を替へんとすれば程遠し、如何とありし時、右馬介進み出て、某《それがし》御馬をば渡し候はんとて、朝臣乗られたる馬の四足を差上げて、安々と渡りければ、甚だ賞せられ、五百石を与へられしが、後に家中にまた剛力《がうりき》の士ありければ、腕押をさせられしに、右馬介はやすく思ひて押しあひ、終に勝ちけれども、右の指二本地へつきければ、甚だ無興《ぶきやう》せられ、終に暇《いとま》を給はりて京に住みける。祗園祭にやありけん、見物に出でけるが、雑仕《ざつし》[やぶちゃん注:ここは、宮中や公家・武家などで雑役を勤める男。]と争ひ出来《いでき》て、鉄棒《かなぼう》をひらめかしければ、そのまゝ奪ひ取り、鉄棒をひきまげ、領(えり)を廻し、前にて二つ三つより合せて帰りける。これを放し取らんとするに、仕かたなし。与力の士云ふやう、如ㇾ此の業《わざ》何者かせん、定めて右馬介なるべし、われ謀(はかりごと)にて彼に解(とか)せんとて、高木が許に往きて、何者にかあらん、この事なしたり、足下《そこもと》ならではこれを頼むべき様なし、御出ありて解き給はり候ヘと云ひしかば、心得候とてすなはち来り、本の如くにほどきてけると、作州出の士語りしとぞ。 〔甲子夜話巻五十四〕安部川の下前浜辺に萩原と云ふ処あり。こゝに古百姓あり。その先祖に大力ありて、神君<徳川家康>御在城のとき、御成の途中にて荷附け牛を両手にて抱へ、道脇に除(の)き居《をり》し故に、上意に何者か尋ね見よとあるに付き、何村の某と申上候へば、珍しき力なり、何ぞ望みあらば取らすべしとなり。その頃は家富み居しゆゑ、望みとてはなし、何卒四つ柱の門を建てたくと願ひ候へば、御免を蒙る。又その余に望はと上意あるに、苗字を称し家紋に日丸(ひのまる)をつけたしと申上候へば、それも御免にて、今に四足門を建て居るとぞ。併し昔より門明放しにて戸は無きよし。当時はこの家貧窮せしとなり。また昔其所に土手を築きたり。それを今は萩原土手と称し、その家も萩原と呼ぶ由。(菊庵所聞)

[やぶちゃん注:第一話の「落栗物語」は豊臣時代から江戸後期にかけての見聞・逸話を集めた大炊御門家の家士侍松井成教(?~天明六(一七八六)年)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『百家隨筆』第一 (大正六(一九一七)年国書刊行会刊)のこちらで当該部が正字表現で視認出来る(左ページ下段三行目以降)。

「近衛応山」江戸前期の公卿近衛信尋(のぶひろ 慶長四(一五九九)年~慶安二(一六四九)年)。後陽成天皇の第四皇子で近衛信尹(のぶただ)の養子となった。左大臣を経て、元和(げんな)九(一六二三)年に関白・氏長者となった。書は養父信尹の三藐院(さんみゃくいん)流を能くし、茶の湯を古田織部に学び、沢庵宗彭らと交流した。連歌では「梧」の一字名を用い、佳作が多い。宮中の学芸文化面で活躍した人物である。応山は法名。日記に「本源自性院記」(ほんげんじしょういんき)がある。

「雑色」近世のそれは「四座雑色」と称、五十嵐・松村・松尾・荻野の四氏(上雑色)が分掌して京都所司代に属し、京都の行政・警察・司法の業務を補佐した半官半民的な役人組織。上雑色の下に、下雑色・見座・中座・穢多・非人が属した。

   *

第二話の「窓のすさみ」は松崎尭臣(ぎょうしん 天和(てんな)二(一六八二)年~宝暦三(一七五三)年:江戸中期の儒者。丹波篠山(ささやま)藩家老。中野撝謙(ぎけん)・伊藤東涯に学び、荻生徂徠門の太宰春台らと親交があった。別号に白圭(はっけい)・観瀾)の随筆(伝本によって巻冊数は異なる)。国立国会図書館デジタルコレクションの「有朋堂文庫」(昭和二年刊)の当該本文で正規表現で視認出来る。同書の「目錄」によれば、標題は『高木右馬介』。幾つか、ルビがあるのを参考にした。

「高木右馬介」江戸前・中期の武術家高木右馬助(明暦二(一六五六)年~延享三(一七四六)年:享年九十一)。元は美作津山藩士。十六歳で高木折右衛門より高木流体術の極意を受け、後、竹内流を学んで、「高木流体術腰回り」を創始した。自らの号をとって「格外流」とも称した。後に浪人し、美濃に住んだ。名は「馬之助」「右馬之助」「馬之輔」などとも。本名は重貞。

   *

第三話は、事前に『フライング単発 甲子夜話卷五十四「駿州雜記」上の中の一条』として正字表現で公開しておいた。]

フライング単発 甲子夜話卷五十四「駿州雜記」上の中の一条

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。同五十四巻は全体が、松浦静山の親しい同姓の人物が、文政六(一八二三)年に駿府城の加番を命ぜられて参ることとなった折り、その人物に、静山が、神君家康公の駿府ならではの『古今の異聞』があるであろうから、それを見聞して書信で送るように頼んだものを纏めた「駿州雜記」の上である。相当する一条のみを以下に示す。則ち、ここは、原話は静山の筆になるものではなく、書信で書かれたものを、静山が整理したものであるからして、句読点の変更・追加と一部の記号、及び、読みのみを加えたベタとした。

 

●阿部川[やぶちゃん注:ママ。安倍川。]の下(しも)前濱(まへはま)邊(へん)に「萩原」と云(いふ)處あり。こゝに古百姓あり。其先祖に大力(だいりき)ありて、神君御在城のとき、御成(おなり)の途中にて荷附け牛を、兩手にて抱(だきかか)へ、道脇に除(の)き居(をり)し故に、上意に、「何者か、尋ね見よ。」とあるに付(つき)、「何村の某(なにがし)。」と申上候得(さふらえ)ば、「珍しき力なり。何ぞ、望みあらば、取らすべし。」となり。其頃は、家、冨み居(をり)しゆゑ、「望(のぞみ)とては、なし。何卒(なにとぞ)、四つ柱の門を建度(たてた)く。」と願ひ候へば、蒙御免(ごめんをかうむる)[やぶちゃん注:許諾を与えた。]。又、「其餘に、望は。」と上意あるに、「苗字を稱し、家紋に『日丸(ひのまる)』をつけ度(たく)。」と申上候得ば、夫(それ)も御免にて、今に、四足門(よつあしもん)を建て居(を)るとぞ。倂(しか)し、昔より、門、明放(あけはなし)にて、戶は無きよし。當時は、この家、貧窮せし、となり。又、昔、其所(そこ)に土手を築(きづき)たり。夫を、今は、「萩原土手」と稱し、其家も「萩原」と呼ぶ由。(菊庵、所聞(きくところ)。)

■やぶちゃんの呟き

「阿部川の下前濱邊に萩原と云處あり」「萩原」の地名は現認出来ないが、「ひなたGPS」の戦前の地図で、安倍川河口の左岸の海岸に『濱村』という村名を見出せるので、ここを有力候補としておく。

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「犬」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

 

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 ルピツク氏と姉のエルネスチイヌは、ランプの下で、肱をついて、一人は新聞を一人は賞與の本を讀んでゐる。ルピツク夫人は編物をし、兄貴のフエリツクスは暖爐で兩脚をあぶつてゐる。それから、にんじんは、床の上に坐つて、何か考っへ事をしてゐる。

 だしぬけに、靴拭ひの下で眠つてゐたピラムが、ごろごろ喉を鳴らしだす。

 「しツ!」と、ルピツク氏が云つた。

 ピラムは、一段と聲を張り上げる。

 「馬鹿!」と、ルピツク夫人は云ふ。

 が、ピラムは、それこそ、みんなが飛び上るほど猛烈な聲で吠える。ルピツク夫人は心臟へ手をあてる。ルピツク氏は、齒を喰ひしばつて、橫目で犬を睨む。兄貴のフエリツクスは怒鳴りつける。もう、お互の云ふことすら耳にはひらない。

 「默らないかい、しようがない犬だね。お默りツたら、畜生!」

 ピラムは益々調子を上げる。ルピツク夫人は手の平でぶつ。ルピツク氏は新聞で擲る。それから、足で蹴る。ピラムは、毆られるのが怖さに、腹を床にすりつけ、鼻を下に向け、やたらに吠える。見てゐると、まるで氣が狂つて、自分の口を靴拭ひにぶつけ、聲を微塵に叩き割つてゐるとしか思へない。[やぶちゃん注:「擲る」「毆られる」孰れも戦後版では「なぐる」、「なぐられる」とルビを振る。]

 ルピツク一家はかんかんに怒る。みんな總だちになり、一方腹ばいになつたまゝ、頑として云ふことをきかない犬に剛を煮やす。[やぶちゃん注:「剛を煮やす」はママ。通常ならば、「業を煮やす」で、歴史的仮名遣では「ごふをにやす」となる。この表記では「剛」は「がう」となるが、この表記は意味として明らかな誤字である。戦後版では、正しく『業を煮やす』となっている。]

 窓硝子が軋(きし)む。煖爐の煙突が音を立てる。姉のエルネスチイヌまでが金切聲をしぼる。

 にんじんは、云ひつけられもしないのに、外の樣子を見に行つた。たぶん退(ひ)けのおそい驛員が表を通るのだらう。それも、ゆつくり自分の家に歸つて行く途中に違ひない。まさか泥坊をしに庭の塀を攣登(よぢのぼ)つてゐるのではあるまい。

 にんじんは、暗い、長い廊下を、兩手を戶の方につき出して、步いて行く。閂(かんぬき)を探り、がたがた音を立てて、引つぱつてみる。然し、戶は開けない。

 昔なら、危險を冐してでも外に出て、口笛を吹いたり、歌を唱つたり、足を踏みならしたりして、盛んに相手を脅さうとしたものだ。[やぶちゃん注:「脅さう」「おどさう」「おびやかさう」の二様に読めるが、戦後版では『威(おど)かそう』としているので、前者で採っておく。]

 近頃は、要領がいゝ。

 兩親は、彼が勇敢に隅から隅を探り、忠實な番人として、屋敷のまわりを見廻つてゐるものと思つてゐる。ところが、それは大間違ひである。彼は戶のうしろに身を寄せて、ぢつとしてゐるのである。

 いつかは思い知ることがあるだらう。しかし、もう餘程前から彼の計略が圖にあたつてゐる。

 心配なのは、嚔(くさめ)と咳をすることだ。彼は息をころす。そして、目をあげると、戶の上の小さな窓から、星が三つ四つ見える。澄み切つた煌きが、彼を縮み上らせる。[やぶちゃん注:「煌」星のそれであるから、「きらめき」或いは「かがやき」であろうが、戦後版ではこの最後の一文は『冴(さ)え渡った煌(きらめ)きに、彼は竦(すく)みあがる。』と大きく訳を改訂しているので、まず「きらめき」であろうと採っておく。]

 さて、戾つてもいゝ時間だ。お芝居に暇をかけ過ぎてはよくない。怪しいと思はれたらそれまでだ。

 再び、か細い手で、重い閂をゆすぶる。門は錆びついた鎹(かすがい)の中で軋(きし)む。それから、そいつを溝の奧まで騷々(そうぞう)しく押し込む。この物音で、みなの者は、彼が遠いところから歸つて來たのだな、もう務(つと)めをすませたのだなと思う! 背中の眞中(まんなか)が擽(くすぐ)つたいような氣持で、彼は、みんなを安心させに飛んで行く。[やぶちゃん注:「閂」は「かんぬき」。「鎹は「かすがひ」(現代仮名遣「かすがい」)。]

 ところで、やつとこさ、ピラムは、彼の留守の間に默つてしまつたので、安心したルピツク一家は、また、めいめい、きまりの場所に着いてゐた。で、誰も尋ねもしないのに、にんじんは、ともかく、いつもの通りに云ふ――

 「犬が寢とぼけたんだよ」

 

 [やぶちゃん注:本章の題名は“ C'est le Chien ”で、「これが犬だ」「犬は所詮こげなもの」といつた謂いであるが、これは綴りから見ても、“ C'est le Vie ”(「セ・ラ・ヴィ」/「人生なんてこんなもんさ」「何とかなるさ」)というフランス語の常套句に引つ掛けた洒落ではなかろうか。

「犬」父ルピック氏の趣味から猟犬であろう。フランスのブルターニュ地方原産の中型の鳥猟犬「ブリタニー・スパニエル」(英語:Brittany Spaniel)が知られ、フランス語では「エパニュール・ブルトン」(Epagneul Breton)とするのが、相応しいか。

「賞與の本」原作は“livre de prix”で、文字通りなのだが、やや意味が判りにくい訳である。これはエルネスチイヌが学校等で成績や無遅刻無欠席・善行といつた理由で表彰され、その「賞與」=褒美・副賞品として貰つた本のことを指すと思われる。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」では『賞品の本』、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻では『優等の賞品に貰つた本』と訳しておられる(因みに、佃氏はこの一篇の標題を『犬の夢』と訳しておられる。これは本篇の最後の「にんじん」の台詞に基づくのだが、私が前注で述べたニュアンスをも含んでいるように感じられて面白い)。]

 

 

   *

 

    C’est le Chien


   Lepic et soeur Ernestine, accoudés sous la lampe, lisent, l’un le journal, l’autre son livre de prix ; madame Lepic tricote, grand frère Félix grille ses jambes au feu et Poil de Carotte par terre se rappelle des choses.

   Tout à coup Pyrame, qui dort sous le paillasson, pousse un grognement sourd.

   – Chtt ! fait M. Lepic.

   Pyrame grogne plus fort.

   – Imbécile ! dit madame Lepic.

   Mais Pyrame aboie avec une telle brusquerie que chacun sursaute. Madame Lepic porte la main à son coeur. M. Lepic regarde le chien de travers, les dents serrées. Grand frère Félix jure et bientôt on ne s’entend plus.

   – Veux-tu te taire, sale chien ! tais-toi donc, bougre !

   Pyrame redouble. Madame Lepic lui donne des claques. M. Lepic le frappe de son journal, puis du pied. Pyrame hurle à plat ventre, le nez bas, par peur des coups, et on dirait que rageur, la gueule heurtant le paillasson, il casse sa voix en éclats.

   La colère suffoque les Lepic. Ils s’acharnent, debout, contre le chien couché qui leur tient tête.

   Les vitres crissent, le tuyau du poêle chevrote et soeur Ernestine même jappe.

   Mais Poil de Carotte, sans qu’on le lui ordonne, est allé voir ce qu’il y a. Un chemineau attardé passe dans la rue peut-être et rentre tranquillement chez lui, à moins qu’il n’escalade le mur du jardin pour voler.

   Poil de Carotte, par le long corridor noir, s’avance, les bras tendus vers la porte. Il trouve le verrou et le tire avec fracas, mais il n’ouvre pas la porte.

   Autrefois il s’exposait, sortait dehors, et sifflant, chantant, tapant du pied, il s’efforçait d’effrayer l’ennemi.

   Aujourd’hui il triche.

   Tandis que ses parents s’imaginent qu’il fouille hardiment les coins et tourne autour de la maison en gardien fidèle, il les trompe et reste collé derrière la porte.

   Un jour il se fera pincer, mais depuis longtemps sa ruse lui réussit.

   Il n’a peur que d’éternuer et de tousser. Il retient son souffle et s’il lève les yeux, il aperçoit par une petite fenêtre, au-dessus de la porte, trois ou quatre étoiles dont l’étincelante pureté le glace.

   Mais l’instant est venu de rentrer. Il ne faut pas que le jeu se prolonge trop. Les soupçons s’éveilleraient.

   De nouveau, il secoue avec ses mains frêles le lourd verrou qui grince dans les crampons rouillés et il le pousse bruyamment jusqu’au fond de la gorge. À ce tapage, qu’on juge s’il revient de loin et s’il a fait son devoir ! Chatouillé au creux du dos, il court vite rassurer sa famille.

   Or, comme la dernière fois, pendant son absence, Pyrame s’est tu, les Lepic calmés ont repris leurs places inamovibles et, quoiqu’on ne lui demande rien, Poil de Carotte dit tout de même par habitude :

   – C’est le chien qui rêvait.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大木怪異」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大木怪異【たいぼくかいい】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻五〕下総国関宿<千葉県野田市内>に大木の松杉ありしが、享保の頃とかや、一夜の内に二本の梢を結合《むすびあは》せ置きしとなり。俗にいふ天狗などいへるもののなしけるにや。今に残りあると、かの城主に勤めし者の物語りなり。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之五 怪異の事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大髑髏」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大髑髏【だいどくろ】 〔一話一言巻十〕水戸府城より西北に祠あり。大きなる髑髏を以て神体とす。悪路(あくろ)王の髑髏なりといへり。近き頃松前と蝦夷地との堺なる熊石《くまぜき》<北海道檜山支庁爾志郡内>といふ所にても、大きなる髑髏をほり出せり。かたはらに所謂雷斧《らいふ》のごときもの多くありしとぞ。今雷斧といへるものをみるに、質は蠟石の如く、人工のなすところに似たり。(以上村上嶋之丞・秦檍麿話)

[やぶちゃん注:「一話一言」は複数回既出既注。安永八(一七七九)年から文政三(一八二〇)年頃にかけて書いた大田南畝著の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『蜀山人全集』巻四(明治四〇(一九〇七)年吉川弘文館刊)のこちらで正字で視認出来る。そこでの標題は「○大髑髏」である。水戸の悪路王の髑髏の話は、「柴田宵曲 妖異博物館 怪火」でも紹介している。そこで、私は、『これは現在の水戸市の西北の、茨城県東茨城郡城里町(しろさとまち)北方(きたかた)にある鹿嶋神社のことであろう』と注しておいた(「悪路王」もそちらの私の注を見られたい)。ここ(グーグル・マップ・データ。そこでは「鹿島神社」となっているが、以下のリンク先の神社銘石碑の写真に拠った)である。そこで紹介した個人サイト「300年の歴史の里<石岡ロマン紀行>」の「鹿嶋神社」の、詳しい解説と画像(但し、髑髏ではなく、首の彫像である)の載るページも是非、参照されたい。

「北海道檜山支庁爾志郡内」(これは『ちくま文芸文庫』では『渡島支庁二海《ふたみ》郡内』に変更されている)「熊石」(「くまぜき」の読みは上記活字本原本に拠ったが、以下に示す通り、二〇〇五年の合併以前は「くまいし」である)現在の北海道二海郡八雲町(やくもまち)熊石(くまいし)地区。ここ(グーグル・マップ・データ)だが、かなりの広域である。因みに、言っておくと、北海道では、渡島総合振興局北海道茅部(かやべ)郡森町(もりまち:グーグル・マップ・データ)。以外に「町」を「まち」と読む地名はないので、覚えておかれるとよい。但し、この地区に「大きなる髑髏」が現存するという記載はネット上にはない

「雷斧」石器時代の遺物である石斧(せきふ)や石槌(せきつい)などを指す古語。雷雨の後などに地表に露出して発見されたところから、雷神の持ち物と考えて名づけられたもの。「雷斧石」「雷鎚(らいつい)・「かみなりのまさかり」とも呼んだ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大石落ちる」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大石落ちる【たいせきおちる】 〔半日閑話巻十六〕十月八日夜、牛込<東京都新宿区内>辺へ壱間半[やぶちゃん注:二・七二メートル。]程の石落ち候由、先年は八王寺<都下八王子市>辺ヘ石落ち候由、疑ふらくは異国より員数を計る為ならんやと。この度も益〻雷鳴有ㇾ之、夜に入り光り物通るよしなり。

[やぶちゃん注:「青山妖婆」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。標題は「○兩國橋巷說」である。

「異国より員数を計る為」意味不明。公儀が、江戸以外の地から移り込んで来た民草を人為的に減らして、人口を減らすためにやっている卑劣な行為という意味か。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大蛇に吞まれた人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大蛇に吞まれた人【だいじゃにのまれたひと】 〔醍醐随筆〕近江国甲賀《こうか》<滋賀県甲賀市>あたりの在家とかや、わらはべとも多くともなひ、深林に入りて雀の子をとらへぬるに、大木の上より大蛇下りて、十二三ばかりなるわらべをのみてけり。残りの童子にげはしりて、家にかへりてこの事を語るに、のまれたる童の父、きくとひとしく行きてみれば、大蛇頭《かしら》をさげて谷の水を飲み居たる。かの父飛びかゝり、刀を以て二つにきりぬ。きられて口をひらきて童を吐出す。つく息につれて一丈ばかり前へとび出たり。されども父つゞいて蛇をきりころす。その長三丈にあまり、ふとさは抱くばかりなり。さて飛出たる童は死せる如くなれども、呼吸はとまらず。家にともなひ帰りて、修養して安全なれども、頭潰れてゆがみくぼむ。髪ことごとくぬけてふたゝび生ぜず。この人七十有余の時、みづから語りぬるとたしかに伝へけらし。また京の人広沢へ月みんとて出たるに、くもりて月みえず。水の上に雞卵《けいらん》ほどのひかり物二つあらはれたり。人々いぶかしくながめ居るに、一人衣をぬぎて水に入り、これをみんと行きむかひければ、大蛇眼をいからしにらみ居たるなりけり。たちかへらんとせしに、蛇のび出《いで》てこの男の肩に頭をうちかけぬ。男とらへて曳きぬれば、蛇頭をしゞめてしさる。男かへらんとすればまた頭をうちかく。又ひけば又しゞむ。かやうに三四度しけるが、後は頭をさゞりけり。男まぬかれてかへりぬ。五躰つゝがなしやととへば、少しもくるしむところなしと答ふ。さて家にかへりてやすみぬる中《うち》に、かの頭をうちかけたる肩次第にいたみ出て、くすりやうのものかずかずつけぬれどもやまず。二二日過ぎてくさり、骨に入て終に死けるとぞ。毒蛇にやありけん。

[やぶちゃん注:「吞」はママ。「呑」の正字で、「康熙字典」に載るが、現在、本邦では、この字体を多用するのは恐らく正規表現を旨とする私ぐらいなもので、まず、見かけない。私はこの字を正統な「呑」の正字と考えている。

「醍醐随筆」は大和国の医師・儒者中山三柳の随筆。初版は寛文一〇(一六七〇)年(徳川家綱の治世)。国立国会図書館デジタルコレクションの『杏林叢書』第三輯(富士川游等編・大正一三(一九三八)年吐鳳堂書店刊)のこちらで正字版の当該部を視認出来る(但し、この底本は文化年間(一八〇四年~一八一八年:徳川家斉の治世)の抄録写本底本である)。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鷓鴣(しやこ)」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

 

Syako

 

 

     鷓 鴣(しやこ)

 

 

 何時ものやうに、ルピツク氏は、テーブルの上で、獵の獲物を始末し、膓(はら)を拔くのである。獲物は、二羽の鷓鴣(しやこ)だ。兄貴のフエリツクスは、壁にぶらさげてある石板に、そいつを書きつける。それが彼の役目である。子供たちは、めいめい仕事を割當てられてゐる。姉のエルネスチイヌは、毛をむしり、羽根を拔くのである。ところで、にんじんは怪我をしたまゝ生きてゐるやつの、最後の息の根をとめるのである。この特權は、冷い心の持主であるといふところから來てゐる。彼の殘忍性は、みんなの認めるところとなつてゐるからである。

 二羽の鷓鴣は、じたばたする。首を振る。

 

ルピツク夫人――どうして、さつさと殺さないんだい。

にんじん――母さん、僕、石板へ書く方がいゝなあ。

ルピツク夫人――石板は、お前には、丈(せ)がとゞかないよ。

にんじん――そいぢや、羽根をむしるほうがいゝや。

ルピツク夫人――そんなことは、男のすることぢやない。

 

 にんじんは、二羽の鷓鴣を取り上げる。そばから、親切にやり方を敎へるものがある。

 「ぎゆつと締めるんだよ、さうさ、頭んところを、羽根を逆まに持つて……」

 兩手に、一羽づゝ、それをうしろへかくして、彼はやり出す。

 

ルピツク氏――二羽一度にか。無茶しよる。

にんじん――早くやつちやいたいからさ。

ルピツク夫人――神經家ぶるのはよしとくれ。心ん中ぢや、うれしくつてたまらないくせに・・・。

 

 鷓鴣は痙攣したやうに、もがく。翼をばたばたさせる。羽根を飛ばす。金輪際くたばりさうにもない。彼は、友達の一人ぐらゐ、もつと樂に、それこそ片手で締め殺せるだらうに。――今度は兩膝の間に挾んで、しつかり押へ、赤くなつたり、白くなつたり、汗までかいて、なほも締めつゞける。顏は、なんにも見ないやうに上を向いてゐるのである。

 鷓鴣は、頑强だ。

 どうしても駄目なので、癇癪をおこし、二羽とも、脚をもつたまゝ、靴の先で、頭を踏みつける。

 「やあ、冷血! 冷血!」

 兄貴のフエリツクスと、姉のエルネスチイヌが叫んだ。

 「なに、あれで、うまくやつたつもりなのさ」と、ルピツク夫人は云ふ――「可哀さうに・・・。あたしがこんなめにあふんだつたら、まつぴらだ。あゝ怖い、怖い」

 ルピツク氏は、年功を經た獵人(かりうど)だが、流石に、胸を惡くして、どつかへ出て行く。

 「これでいゝだらう」

 にんじんは、死んだ鷓鴣をテーブルの上に投げ出す。

 ルピツク夫人は、それを、こつちへ引つくり返し、あつちへ引つくり返しゝて見る。小さな頭蓋骨が、碎けて、血と少しばかりの腦味噌が流れ出してゐる。

 「あん時、取り上げちまへばよかつたのさ。これぢや、目もあてられやしない・・・」

 ルピツク夫人は云ふ。

 すると、兄貴のフエリツクスが――

 「たしかに、いつもよりや、まづいや」

 

[やぶちゃん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。「鷓鴣」まず、本邦のシャコという呼称は、狭義には、キジ科Phasianidaeシャコ属Francolinusに属する鳥を言い、広義には、キジ科の中のウズラ( Coturnix 属)よりも大きく、キジ( Phasianus 属)よりも小さい鳥類をも言う。但し、原作では“perdreau”(ペルドロー)とあり、これは一般的に、フランスの鳥料理で、ヤマウズラ Perdix 属、及び、その類似種の雛を指す語である(親鳥の場合は「ペルドリ」“perdrix”)。食材としては“grise”(グリース。「灰色」という意味)と呼ぶヤマウズラ属ヨーロツパヤマウズラ Perdix perdix と、“rouge”(ルージュ。「赤」)と呼ぶアカアシイワシャコ Alectoris rufa が挙げられ、特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる後者が、上物として扱われることが、先般の「博物誌」の戦前版改訂の注の再検討の最中に新たに知り得たので言い添えおく。

「ルピツク氏」「にんじん」の実の父。一九九九年臨川書店刊の佃裕文の『ジュール・ルナール全集』第十六巻の年譜によれば、モデルであるジュール・ルナールの父フランソワ・ルナール(François Renard)氏は、ルナール家の出身地であったシトリー・レ・ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に一家で定住していたが(父はこの村の村長となった)、後の一八九七年六月十九日、不治の病に冒されていることを知り、心臓に猟銃(ショットガン)を発射して自殺している(この「不治の病」の病名は年譜上では明確に示されてはいない。直前の同年年譜には肺鬱血とあり、重篤な心不全の心臓病等が想定される)。ジュール三十三歳、「にんじん」出版の二年後のことであった。その後、ジュールは亡父の後を慕うように狩猟に夢中になり、その年の十一月まで、創作活動から離れていることが年譜から窺われる。

「石板」現在の黒板の前身。粘板岩(ねんばんがん)や黒色頁岩(けつがん)等を、薄い板状に加工し、木の枠等をつけた黒板。蠟石(ろうせき)を丸く削った石筆を用いて書き、布で拭けば、消えた。ルピック氏は自分の猟の結果を細めに記録させていたのであり、寡黙な彼の几帳面な性格が垣間見えるところである。

「神經家ぶる」「纖細な神経の持ち主を気取る」の意味であろう。]

 

 

 

 

    LES PERDRIX

 

Comme à l’ordinaire, M. Lepic vide sur la table sa carnassière. Elle contient deux perdrix. Grand frère Félix les inscrit sur une ardoise pendue au mur. C’est sa fonction. Chacun des enfants a la sienne. Soeur Ernestine dépouille et plume le gibier. Quant à Poil de Carotte, il est spécialement chargé d’achever les pièces blessées. Il doit ce privilège à la dureté bien connue de son coeur sec.

   Les deux perdrix s’agitent, remuent le col.

     MADAME LEPIC

   Qu’est-ce que tu attends pour les tuer ?

     POIL DE CAROTTE

   Maman, j’aimerais autant les marquer sur l’ardoise, à mon tour.

     MADAME LEPIC

   L’ardoise est trop haute pour toi.

     POIL DE CAROTTE

   Alors, j’aimerais autant les plumer.

     MADAME LEPIC

   Ce n’est pas l’affaire des hommes.

   Poil de Carotte prend les deux perdrix. On lui donne obligeamment les indications d’usage :

   – Serre-les là, tu sais bien, au cou, à rebrousse-plume.

   Une pièce dans chaque main derrière son dos, il commence.

     MONSIEUR LEPIC

   Deux à la fois, mâtin !

     POIL DE CAROTTE

   C’est pour aller plus vite.

     MADAME LEPIC

   Ne fais donc pas ta sensitive ; en dedans, tu savoures ta joie.

 

   Les perdrix se défendent, convulsives, et, les ailes battantes, éparpillent leurs plumes. Jamais elles ne voudront mourir. Il étranglerait plus aisément, d’une main, un camarade. Il les met entre ses deux genoux, pour les contenir, et, tantôt rouge, tantôt blanc, en sueur, la tête haute afin de ne rien voir, il serre plus fort.

   Elles s’obstinent.

   Pris de la rage d’en finir, il les saisit par les pattes et leur cogne la tête sur le bout de son soulier.

   – Oh ! le bourreau ! le bourreau ! s’écrient grand frère Félix et soeur Ernestine.

   – Le fait est qu’il raffine, dit madame Lepic. Les pauvres bêtes ! je ne voudrais pas être à leur place, entre ses griffes.

  1. Lepic, un vieux chasseur pourtant, sort écoeuré.

   – Voilà ! dit Poil de Carotte, en jetant les perdrix mortes sur la table.

   Madame Lepic les tourne, les retourne. Des petits crânes brisés du sang coule, un peu de cervelle.

   – Il était temps de les lui arracher, dit-elle. Est-ce assez cochonné ?

   Grand frère Félix dit :

   – C’est positif qu’il ne les a pas réussies comme les autres fois.

 

2023/11/23

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 始動 / 扉表紙・装幀者記載・「目次」・「鷄」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士(くにお:歴史的仮名遣「くにを」)による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。なお、これについては文化庁の著作権のQ&A等により、保護期間の過ぎた絵画作品の平面的な写真複製と見做され、それに著作権は発生しない。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。これは言っておくと、フランス語では“Points de suspension”と言い、私の好きなフランスの作家ルイ=フェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Céline 一八九四年~一九六一年)が好んで使ったので、私は当たり前に日本語で何気なく、皆が好んで使う「……」「…」と同じくらいメジャーなものかと思っていたのだが、これ、俗に「トロン・ポワン」等と呼び、日常的に普通によく使われるわけではないらしい。所謂、繰り返しや、続く感じの代わりの他、明確な断言を暗に避けたり、意味深長な余韻の匂わせ、言い淀み、或いは不服を示唆するものとして、これ、はっきりと表現し物事を主張することを正しいとする欧米人、特に誇り高きフランス人は、平気で誰もが、平生、頻繁に使うわけでは――ない――ようなのである。また、漢字については、極力、底本の字体を使用するが、異体字の中で、Unicodeでも、表記出来ないものについては、最も近い異体字を選んでおいた。特殊な場合を除き、その異体字ついては、注記しないので、悪しからず。また、底本は子細に見ると、段落内の句点の後に、半角、時には全角、まれには全角+半角分にもなる字空けがあるが、これは植字工の誤植か、或いは、版組み上、行末の禁則処理が出来ない場合、こうした処理を施すことがあったので、無視することとした。

 各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。

 先の戦後版では、「目次」の標題の下に小さくある「にんじん」の絵をトップに掲げたが、この挿絵は、本来の初版本の表紙に添えられたものであった。そこで、今回は、パブリックド・メインの上記「Internet archive」の表紙の画像(標題の“P”が一寸欠けているが、カラー版である)をダウン・ロードして、補正せず、そのままに、この注の次に掲げておいた。

 また、戦後版では、岩波版にはない、「にんじん」とルピック夫人がベンチに座っている挿絵を、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」の中表紙に当たる箇所に配されてあったものを掲げた(因みに、この本は、本当に、ホントに、懐かしい! 私が最初に出逢った「にんじん」及び「博物誌」(抄録)であったから)が、これ、幾つかの「にんじん」のフランス語版を調べてみたが、見当たらない。しかし、明らかにヴァロトンのサインがあり、絵も確かに「にんじん」の挿絵として描かれたもので間違いない。出所不明だが、これも「目次」の前に挿入することにした。

 なお、底本では、国立国会図書館によって、冒頭に『挾込』(はさみこみ)の「譯稿を終へて」と題した岸田氏の「昭和八年七月」のクレジットの文章が貼り附けてあるが、これは内容から、本作の本文の最後に電子化することとする。

 また、底本は箱と表紙があるが、箱は勿論、表紙も国立国会図書館によって補強改変されているため、見ることが出来ない。たまたまサイト「日本の古本屋」の「湧書館」の記載に箱と表紙・背・裏表紙の写真が載っているので、それでよすがを味わって頂きたい。戯画的なそれは、「目次」前の右ページによって、岡本一平の装幀になるものである。

 最後に。この小説「にんじん」はジュール・ルナール自身の実際の体験と心情に基づいたものである。臨川書店二〇一一年刊の『臨川選書』の柏木隆雄著「イメージの狩人 評伝ジュール・ルナール」の「第十章 『にんじん』の世界」の「4 子と母と」の冒頭部によれば、『ルナール自身、自分を「にんじん」と『日記』に記しているし、彼が母親や兄姉たちからもそう呼ばれて、中学校においてもそれがあだ名だった。ルナール自身の子供たち、ファンテク、バイィ』(実は小説「にんじん」はこの二人に捧げられているのである)『も父親のことを「にんじん」と呼んだ』とあるのである。

 

 

Poildecarotte1902bnf_0010

 

 

    POIL DE CAROTTE

 

                JULES RENARD

 

[やぶちゃん注:以上は扉のフランス語標題で、実際には、見開き左ページで、書名はもっと丸みを帯びた字体で、かなり右寄せに印刷されてある。

 以上の次の見開きの左ページに、ルナールの肖像写真のみがある。本書の原本刊行時は彼は満三十歳であるから、恐らくは印象から、二十代中後期の写真かと思われる。]

 

 

 ジユウル ルナアル

 岸  田  國  士   譯

 

  に ん じ ん

 

              白 水 社 版

 

[やぶちゃん注:標題扉。「にんじん」らしき子どもと、それより大きい白豚が組み合っている戯画が作・譯の下方にあり、左上方には実をつけた果樹の絵がある。而して、文字も総てが手書きである。無論、装幀の岡本一平になるものであろう。如何にも毒のある彼らしい絵ではある。私は彼の絵は嫌いだが。]

 

 

           装  幀  岡 本 一 平

 

[やぶちゃん注:先の扉を捲った見開きの右ページ中央やや下方にある装幀者の明記(活字。ややポイント落ち)。

 以下、その左ページから「目次」。リーダとページ表記はカットした。因みに、ページ表記は漢数字で、後に総てに『頁』の漢字が附されある。例えば、標題が二字の場合には、三字分が空けになっているようになっているが、総て詰めた。]

 

Ninjinhumeinoitimai

 

       目   次

 

 

鷓鴣(しやこ)

惡夢

尾籠(びろう)ながら

鶴嘴(つるはし)

獵銃

土龍(もぐら)

苜蓿(うまごやし)

湯吞

麵麭(パン)のかけら

喇叭

髮の毛

水浴び

オノリイヌ

知らん顏

アガアト

日課

盲人(めくら)

元日

行きと歸り

ペン

赤い頰つぺた

ブルタスの如く

にんじんよりルピツクへの書簡集

   並にルピツク氏よりにんじんへの返事若干

[やぶちゃん注:以上字下げ二行目は少しポイントが小さく、リーダとノンブルはない。]

小屋

名づけ親

マチルド

金庫

蝌蚪(おたまじやくし)

大事出來

獵にて

最初の鴫(しぎ)

釣針

銀貨

自分の意見

木の葉の嵐

叛旗

終局の言葉

にんじんのアルバム

 

 

     に  ん  じ  ん

 

[やぶちゃん注:中標題。印刷。以下、本文となる。]

 

 

Tori

 

 

     

 

 

 ルピツク夫人は云ふ――

 「はゝあ・・・ オノリイヌは、きつとまた鷄小舍(とりごや)の戶を閉めるのを忘れたね」

 その通りだ。窓から見ればちやんとわかるのである。向ふの、廣い中庭のずつと奧の方に、鷄小舍の小さな屋根が、暗闇の中に、戶の開(あ)いてゐる處だけ、黑く、四角く、區切つてゐる。

 「フエリツクスや、お前ちよつと行って、閉めて來るかい」

と、ルピツク夫人は、三人の子供のうち、一番上の男の子に云ふ。

 「僕あ、鷄の世話をしに此處にゐるんぢやないよ」

 蒼白い顏をした、無精で、臆病なフエリツクスが云ふ。

 「ぢや、お前は、エルネスチイヌ?」

 「あら、母さん、あたし、こわいわ」

 兄貴のフエリツクスも、姉のエルネスチイヌも、ろくろく顏さへ上げないで返事をする。二人ともテーブルに肱を突いて、殆んど額と額とをくつ附けるやうにしながら、夢中で本を讀んでゐる。

 「さうさう、なんてあたしや馬鹿なんだらう」と、ルピツク夫人は云ふ――「すつかり忘れてゐた。にんじん、お前行つて鷄小舍を閉めておいで」

 彼女は、かういふ愛稱で末つ子を呼んでゐた。――といふのは、髮の毛が赤く、顏ぢうに雀斑(そばかす)があるからである。テーブルの下で、何もせずに遊んでゐたにんじんは、突立ちあがる。そして、おどおどしながら、[やぶちゃん注:「突立ちあがる」「つきたちあがる」で「急いで立ち上がる」ことを言う語。]

 「だつて、母さん、僕だつてこわいよ」

 「なに?」と、ルピツク夫人は答へる――「大きななりをして・・・。噓だらう。さ、早く行くんですよ」

 「わかつてるわ。それや、强いつたらないのよ。まるで牡羊みたい・・・」

 姉のエルネスチイヌが云ふ。

 「こわいものなしさ、こいつは・・・。こわい人だつてないんだ」

と、これは兄貴のフエリツクスである。

 おだてられて、にんじんは反り返つた。さう云はれて、できなければ恥ぢだ。彼は怯(ひる)む心と鬪ふ。最後に、元氣をつけるために、母親は、痛いめに遭はすと云ひ出した。そこで、たうとう、

 「そんなら、明りを見せてよ」

 ルピツク夫人は、知らないよといふ恰好をする。フエリツクスは、鼻で笑つてゐる。エルネスチイヌが、それでも、可哀さうになつて、蠟燭をとり上げる。そしてにんじんを廊下のとつぱなまで送つて行く。

 「こゝで待つてゝあげるわ」

 が、彼女は、怖ぢ氣づいて、すぐ逃げ出す。風が、ぱつと來て、蠟燭の火をゆすぶり、消してしまつたからである。にんじんは、尻つぺたに力を籠め、踵(かゝと)を地べたにめり込ませて、闇の中で、ぶるぶる顫へ出す。暗いことゝ云つたら、それこそ、盲になつたとしか思へない。折々、北風が、冷たい敷布のやうにからだを包んで、どこかへ持つて行かうとする。狐か、それとも或は狼が、指の間や頰つぺたに息をふきかけるやうなことはないか。いつそ、頭を前へ突き出し、鷄小舍めがけて、いゝ加減に駈け出した方がましだ。そこには、隱れるところがあるからだ。手探りで、戶の鈞をつかむ。と、その跫音(あしおと)に愕いた鷄(とり)どもは、宿木の上で、きやあきやあ騷ぐ。にんじんは呶鳴る――[やぶちやん注:「鈞」はママ。「鈎」「鉤」(かぎ)の誤字か誤植である。「宿木」は「とまりぎ」と読む。「呶鳴る」「どなる」。]

 「やかましいな。おれだよ」

 戶を閉めて走り出す――手にも、足にも、羽根が生えたやうに。やがて、暖かな、明るいところへ歸つて來ると、息をはづませ、内心得意だ。雨と泥で重くなつた着物を、新しい輕いやつと着換へたやうだ。そこで、反り身になり、突つ立つたまゝ、昂然と笑つて見せる。みんなが褒めてくれるのを待つてゐる。危險はもう過ぎた。兩親の顏色のどこかに、心配をした跡が見えはせぬかと、それを搜してゐる。

 ところが、兄貴のフエリツクスも、姉のエルネスチイヌも、平氣で本を讀みつゞけてゐる。ルピツク夫人は落ちつき拂つた聲で、彼に云ふ――

 「にんじん、これから、每晚、お前が閉めに行きなさい」

 

[やぶちやん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。「ルピツク夫人」主人公「にんじん」の母親。本書を未読の方には、ネタばらしになるが、本作では、まるで「継子虐め」のように、彼女は本作の中で、徹頭徹尾、「にんじん」に辛く当たるが、彼女は「にんじん」の実の母である。倉田清訳の「にんじん」の最後に附された「ジュール=ルナールとその作品について」の「『にんじん』について」に(読みは中学生向けであるため、ここではカットした)、『実際にルナールが育った家庭は、両親と姉と五人家族で、『にんじん』はこの家庭をそのまま描いたものと言えます。ルナールの母は、かなり口うるさいヒステリー気味の人で、彼につらくあたったようです。それが感受性の強い子どもの心の中に深くしみこんでいったことも確かです。一生涯、この幼少のころの忘れられない不幸感と、自分の母親に対する悪感情から生みだされたのあ、この小説です』と断言されておられ、さらに、『ルナールがパリで結婚して、妻』(マリー・モルノー(Marie Morneau 一八七一年~一九三八年:結婚は一八八八年四月二十八日。恐らくは前年一八八七年の夏の旅先で彼女と邂逅したものと考えられている)『といっしょに故郷へ帰ったとき』(二人がルナール家の故郷であるシトリー=レ=ミーヌ(Chitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)村の父母のもとに里帰りしたのは一八八九年一月)、『母が自分の妻に示した敵意を見て、子どものころの不幸を思いだし、この小説を書き始めたのでした。ルナールは、「わたしに『にんじん』を書かせたのは、自分の妻に対する母の意地悪な態度だった。」と書いています』とあるのである。先の本書のポートレイト写真の年代を私が二十五歳辺りを上限としたのは、このことに拠る。ジュールの母アンヌ=ローザ・ルナール(Anne-Rosa Renard)夫人は、一九〇九年八月五日、家の井戸で溺死した。『事故かあるいは自殺。――ルナールは書いている《…事故だと私は思う》(八月十日、エドモン・エセー宛て書簡)』(所持する臨川書店全集の年譜より引用)。ジュール四十五歳、これに先立つ一九〇七年のカルマン・レヴィ社から刊行された、この「にんじん」は、ジュール自身の書簡によれば、一九〇八年七月六日現在で、実に八万部も売っていた――ジュール・ルナールは、母の亡くなった翌年、一九一〇年五月二十二日、亡くなった。彼は、母の亡くなった直後、「あの」思い出の両親の家を改装し、そこに住むことを心待ちにしていたのであった、が、それは遂に叶わなかったのである……

「オノリイヌ」ルナールの実姉アメリー・ルナール(Amélie Renard)がモデル。ルナールより五つ年上。

「フエリツクス」ルナールの実兄モーリス・ルナール(Maurice Renard)がモデル。成人して土木監督官となった。一九九九年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第十六巻の「人名索引」に拠れば、ルナールは日記の『中で』『兄をしばしばフェリックスの名で示している』ともあった。ルナールより二つ年上。

「雀斑(そばかす)」米粒の半分の薄茶・黒茶色の色素斑が、おもに、目の周りや頬等の顔面部に多数できる色素沈着症の一種。「雀卵斑(じゃくらんはん)」とも言う。主因は遺伝的体質によるものが多く、三歳ぐらいから発症し、思春期に顕著になる。なお、体表の色素が少ない白人は紫外線に対して脆弱であり、紫外線から皮膚を守るために雀斑を形成しやすい傾向がある。「そばかす」という呼称は、ソバの実を製粉する際に出る「蕎麦殻」、則ち、「ソバのかす」が、本症の色素斑と類似していることによる症名であり、「雀斑」「雀卵斑」の方は、スズメの羽にある黒斑やスズメの卵の殻にある斑紋と類似していることからの命名である。

「兩親の顏色のどこかに、心配をした跡が見えはせぬかと、それを搜してゐる。」読む者は、この巻頭の初篇中のこの一文に着目しなくてはならない。この時、ここには、「にんじん」の父ルピック氏が無言のまま、ちゃんと、登場しているのである!

 

 

 

 

    LES POULES

 

   – Je parie, dit madame Lepic, qu’Honorine a encore oublié de fermer les poules.

   C’est vrai. On peut s’en assurer par la fenêtre. Là-bas, tout au fond de la grande cour, le petit toit aux poules découpe, dans la nuit, le carré noir de sa porte ouverte.

   – Félix, si tu allais les fermer ? dit madame Lepic à l’aîné de ses trois enfants.

   – Je ne suis pas ici pour m’occuper des poules, dit Félix, garçon pâle, indolent et poltron.

   – Et toi, Ernestine ?

   – Oh ! moi, maman, j’aurais trop peur !

   Grand frère Félix et soeur Ernestine lèvent à peine la tête pour répondre. Ils lisent, très intéressés, les coudes sur la table, presque front contre front.

   – Dieu, que je suis bête ! dit madame Lepic. Je n’y pensais plus. Poil de Carotte, va fermer les poules !

   Elle donne ce petit nom d’amour à son dernier-né, parce qu’il a les cheveux roux et la peau tachée. Poil de Carotte, qui joue à rien sous la table, se dresse et dit avec timidité :

   – Mais, maman, j’ai peur aussi, moi.

   – Comment ? répond madame Lepic, un grand gars comme toi ! c’est pour rire. Dépêchez-vous, s’il te plaît !

   – On le connaît ; il est hardi comme un bouc, dit sa soeur Ernestine.

   – Il ne craint rien ni personne, dit Félix, son grand frère.

   Ces compliments enorgueillissent Poil de Carotte, et, honteux d’en être indigne, il lutte déjà contre sa couardise. Pour l’encourager définitivement, sa mère lui promet une gifle.

   – Au moins, éclairez-moi, dit-il.

   Madame Lepic hausse les épaules, Félix sourit avec mépris. Seule pitoyable, Ernestine prend une bougie et accompagne petit frère jusqu’au bout du corridor.

   – Je t’attendrai là, dit-elle.

   Mais elle s’enfuit tout de suite, terrifiée, parce qu’un fort coup de vent fait vaciller la lumière et l’éteint.

   Poil de Carotte, les fesses collées, les talons plantés, se met à trembler dans les ténèbres. Elles sont si épaisses qu’il se croit aveugle. Parfois une rafale l’enveloppe, comme un drap glacé, pour l’emporter. Des renards, des loups même, ne lui soufflent-ils pas dans ses doigts, sur sa joue ? Le mieux est de se précipiter, au juger, vers les poules, la tête en avant, afin de trouer l’ombre. Tâtonnant, il saisit le crochet de la porte. Au bruit de ses pas, les poules effarées s’agitent en gloussant sur leur perchoir. Poil de Carotte leur crie :

   – Taisez-vous donc, c’est moi !

   Ferme la porte et se sauve, les jambes, les bras comme ailés. Quand il rentre, haletant, fier de lui, dans la chaleur et la lumière, il lui semble qu’il échange des loques pesantes de boue et de pluie contre un vêtement neuf et léger. Il sourit, se tient droit, dans son orgueil, attend les félicitations, et maintenant hors de danger, cherche sur le visage de ses parents la trace des inquiétudes qu’ils ont eues.

   Mais grand frère Félix et soeur Ernestine continuent tranquillement leur lecture, et madame Lepic lui dit, de sa voix naturelle :

   – Poil de Carotte, tu iras les fermer tous les soirs.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大師の利生」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大師の利生【だいしのりしょう】 〔譚海巻六〕四国には弘法大師常に化現し給ふよしにて、人偽りを抱き姦をなす事なし。それゆゑ八拾八ケ所参詣のもの、一宿をのぞめば快くとめてもてなしけり。春夏の比などは田畑にいとまなければ、一家こぞりて未明より家を明けて、一宿せしものにかまはず出で行くなり。その跡にて少しにても旅人姦計なる事をなせば、忽ちその事あらはるゝゆゑ、いづれの家にても、旅人にこころおかず、うちまかせて出あるく事なり。一とせ一宿の旅人、その家にて味噌をくひけるが、殊の外味ひよきまま、明くるあした、一家の人みな田へ行きて居ざるまゝ、この旅人この味噌を少し盗んで、今宵の旅食にせんと懐中せしほどに、宵にぬぎ置きたる笠うせたり。さまざまに尋ね求めけれども得ざれば、せんかたなくそこを立出でけるに、三四町行きたる時、後より一宿せし家の亭主追付きて笠をもち来りて、何か盗みておはせしならん、それを置て行き給へ、それがために笠をばこれまでもちてきたるよしをいひしかば、この旅人あやまちを悔いて、懐中せしみそをとり出して返しけるとぞ。その外人をとゞむる所にて、日の高ければと、とゞまらで行きたるもの、よもすがらまどひありきて、とゞむべしといひける家のあたりに、立もどりける事などありしといへり。ふしぎなる事なり。皆大師のさはせ賜ふ事と人の物がたりぬ。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之六 長州にて石を焚薪にかふる事 附四國弘法大師利生の事(フライング公開)」を正規表現で電子化しておいた。]

譚海 卷之六 長州にて石を焚薪にかふる事 附四國弘法大師利生の事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。なお、本篇本文は、目次では、『長州にて石を焚薪にかふる事 附』(つけたり)『四國弘法大師利生の事』となっている。しかし、本体の前者の部分はごく僅かたった一文のみであるので、一緒に電子化した。二話を区別するために、間に「*」を入れた。]

 

 長門國にては、石を燒(やき)て薪(たきぎ)にかへ、用(もちひ)る所、有(あり)。

   *

 四國には、

「弘法大師、常に化現(けげん)し給ふ。」

よしにて、人、僞(いつはり)を抱(いだ)き、姦(カン/よこしま)をなす事、なし。

 夫(それ)ゆゑ、八拾八ケ所參詣のもの、一宿をのぞめば、快くとめてもてなしけり。

 春夏の比などは、田畑に、いとまなければ、一家こぞりて、未明より、家を明(あけ)て、一宿せしものに、かまはず、出行(いでゆく)なり。

 その跡にて、少しにても、旅人、姦計なる事をなせば、忽(たちまち)、その事、あらはるゝゆゑ、いづれの家にても、旅人に、こころおかず、うちまかせて、出(いで)あるく事なり。

 一とせ、一宿の旅人、其家にて、味噌をくひけるが、殊の外、味(あぢは)ひ、よきまゝ、あくるあした、一家の人、みな、田へ行(ゆき)て居(をら)ざるまゝ、此旅人、此味噌を、少し、盜(ぬすん)で、

『今宵の、旅食にせん。』

と、懷中せしほどに、宵に、ぬぎ置(おき)たる笠、うせたり。

 さまざまに尋ね求めけれども、得ざれば、せんかたなく、そこを立出(たちい)でけるに、三、四町、行きたる時、後(うしろ)より、一宿せし家の亭主、追付(おひつき)て、笠をもち來りて、

「何か、盜みておはせしならん。それを、置(おき)て行(ゆき)給へ。それがために、かさをば、是まで、もちて、きたる。」

よしを、いひしかば、此旅人、あやまちを悔(くい)て、懷中せしみそを、とり出(いだ)して歸し[やぶちゃん注:「返し」。]けるとぞ。

 其外、人をとゞむる所にて、

「日の高ければ。」

と、とゞまらで行(ゆき)たるもの、よもすがら、まどひありきて、

「とゞむべし。」

と、いひける家のあたりに、立(たち)もどりける事など、ありし、と、いへり。

「ふしぎなる事也。皆、大師の、さは、せ給ふ事。」

と、人の物がたりぬ。

[やぶちゃん注:津村が前の短い話と、何故、カップリングしたのかを考えてみると、これ、全国に認められる弘法大師伝承の摩訶不思議な呪力の話柄群と関連があるように思われる。恐らく、長州の『石を燒て薪にかへ、用る所、有』というのは、事実上は、石炭を指しているように思われる。「燃える石」を弘法大師が呪力で創り出し、長州の民に恩恵として与えたということではあるまいか? と私は推定する。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大字」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大字【だいじ】 〔きゝのまにまに〕十月廿二日<天保二年>京都より不退堂と云ふ人来て、日暮里<東京都荒川区内>にて大きなる霽《セイ/サイ/はれ》字を書く。竪廿六間[やぶちゃん注:四十七・二七メートル。]、横十九間[やぶちゃん注:三十四・五四メートル。]に紙を継ぎて、仙過紙二千枚と云ふ。当人筆をかつぎて廻る。介錯人墨汁を手桶に入れ、柄杓にて洒《そそ》ぐ。紙の下に隈笹有りて、墨溜りしかば、筆にて紙をやぶり墨を下に流したり。はたらきたるはこれのみなりと見し人の話なり。書終りて一同に手を打つとき、介錯の両人戯れ倒れ、墨に染《そま》りてかけ歩行(あるき)しと云ふ。殺風景の事どもなり。(この人上方にても大字書きたりとぞ)

[やぶちゃん注:「きゝのまにまに」「聞きの間に間に」の意で、風俗百科事典とも言うべき「嬉遊笑覧」で知られる喜多村信節(のぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の雑記随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十一(三田村鳶魚・校訂/随筆同好会編/昭和三(一九二八)年米山堂刊)のこちらで正字で視認出来る。二つ前のページ冒頭にある条の頭のクレジットが『天保二年辛卯』とある。天保二年十月二十二日はグレゴリオ暦一八三一年十一月二十五日で、もう少し寒い中で、ご苦労なこって。

「不退堂」サイト「黄虎洞中國文物ギャラリー」のこちら(彼の草書の画像あり)の記載によれば、『藤原不退堂は京の人で、名は聖純、通称は倉田耕之進、号を不退堂と称し、天保五年』(一八三四年)に『に二宮尊徳と問答し、以後』、『尊徳の傍らに在って書記兼家庭教師的役割を果した能書家の儒者で、山岳行者小谷三志』『の書の師としても有名であるが、生卒は不明である』とあった。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「太鼓の張替」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 太鼓の張替【たいこのはりかえ】 〔耳嚢巻四〕寛政八年の初午《はつうま》は、二月六日なりけるが、それ以前太鼓の張替など渡世とせるもの、本郷<東京都文京区内>辺を通りしに、前田信濃守屋鋪前にて、家僕とも見える侍、太鼓の張替を申付け、則ち破れし太鼓を渡しけるゆゑ、その価《あたひ》を極めて、右の侍は何の又左衛門と申すものの由申しけるゆゑ、右のもの太鼓を張替へ、初午前日とかやに、前田の屋鋪へ至り、又左衛門と申す人より誂へ給ふ太鼓出来《しゆつらい》の由、門にて断りければ、又左衛門といへる用人はあれど、としかつかうなどは、右のもの申す所とは相違せし上、太鼓張替への儀、又左衛門より申付け候事なし、さるにても稲荷の太鼓を改め見るべしとて、社頭において捜しければ、太鼓なし。兼ねて破れ古びし太鼓の新しくなりし事の不思議なりと、とりどり申しけるが、百疋余の極めを右不思議にて、直段《ねだん》を引下げしと人のかたりし。狐などの仕業や、或ひは右前田家の家士の仕業にや。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之四 初午奇談の事」を参照。

「寛政八年の初午は、二月六日なりける」「初午」は旧暦二月最初の午の日で、奈良時代、京の伏見稲荷大社に祀られている五穀豊穣を司る農事の神が、稲荷大社に鎮座されたのが初午の日であったことから、毎年その日に同社で「初午祭」が催されるようになり、民草も「初午詣」として豊穣祈願をするようになった。実用的にも、この日は「農事始め」と一致する。寛政八年の初午は壬午(みずのえうま)で、確かに二月六日で、グレゴリオ暦では一七九六年三月十四日に相当する。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「太鼓の剝革」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 太鼓の剝革【たいこのはぎかわ】 〔真佐喜のかつら〕遠き国の穢多《ゑた》、江府《えど》へ出《いで》、いかゞとか拵へしや、火消与力といふ家を相譲《さうじやう》す。ある年火の見櫓の太鼓はり替《かへ》しをみて、この革、剥革なるよし言ふ。しかし誰にても一枚革にて、はぎたる物とは更にみえず。殊に音も替りし事なけれど、そのよし太鼓造りし者の方へ申遣はしけるに、職人来りて決してはぎ革にては無きよし申しけれど、かの与力達て、はぎ革たる由申すに付き、鋲を抜《ぬき》て改めみるに刷(はぎ)革なりければ、職人の偽りあらはれ、改め張替へけるが、かの太鼓造り遺恨におもひて、与力の身分探索致しける処、遠国の穢多なるよし露顕なし、終に死罪に行はれけるとぞ。

[やぶちゃん注:「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここから正字表現で視認出来る。

「死罪」差別された穢多(彼らに就いては、次の話の原話である「耳嚢 巻之四 初午奇談の事」の私の注を参照されたい)などの被差別部落民は、子々孫々まで、その身分から離れることが出来なかった。彼らが武士と詐称することだけで、既にして死罪の絶対要件なのである。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「太閤異聞」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

     

 

 太閤異聞【たいこういぶん】 〔真佐喜のかつら〕大河内茂左衛門、筑前中納言秀詮《ひであき》公に仕官の頃、北の政所殿へ御使に参り候節、後に御返事待ちけるうち、カウブウスと云ふ女中に逢ひ、四方山の物語りし、序に問ひけるは、大名高家のうヘにさへ、ひとにより珍しき事候と承る、ましてや大君(秀吉公をさして云ふ)御在世の御時など、恐れ乍ら奇異の御事もましましけるやと尋ねければ、さしてかはらせ給ふ御事もましまさず、只折として一間なる御寝所にいらせられ、御まどろみの節は、内よりかけ鉄を御かけ遊ばされ、御目さめ給ふ迄起し奉るべからずと仰せ置かるれど、余り永く御まどろみには諸卿御用是れあり、伺ひ度《たき》など申されける時は、是非なく御障子の外より御やうす伺ひなどする時もあり、その節針にて穴を明け、ひそかに伺ひ奉るに、御姿広き御座一ぱいにならせ給ふ時もあり。三四畳敷にをがまれ給ふ事もましまして、誠に身の毛もよだち候ばかりに覚え侍る、兎角つねの君にはなかりけりとかたりけると、茂左衛門が記に見えたり。

[やぶちゃん注:「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここから正字表現で視認出来る。

「大河内茂左衛門」安土桃山から江戸前期の武将大河内秀元(天正四(一五七六)年~寛文六(一六六六)年)。

「筑前中納言秀詮」小早川秀秋(天正一〇(一五八二)年~慶長七(一六〇二)年)のこと。彼が東軍勝利のキー・マンとなった「関ヶ原の戦い」の後、改名した。当初、大河内は小早川秀秋の家臣であった。

「北の政所殿」豊臣秀吉の正室「おね」、高台院(天文一八(一五四九)年~寛永元(一六二四)年)のこと。杉原(木下)家定の実妹であったが、浅野家に養女として入った。秀吉の養子となって後に小早川家を継いだ小早川秀秋(羽柴秀俊)は、兄家定の子で彼女の甥に当たる。

「カウブウスと云ふ女中」日本人侍女のキリシタン名であろうが、確認出来ない。]

2023/11/22

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「尊号の入墨」 / 「そ」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇を以って「そ」の部は終わっている。]

 

 尊号の入墨【そんごうのいれずみ】 〔甲子夜話巻十八〕世に嗚呼(おこ)の者も有りけるもの哉《かな》。日光山の尊号を頸より肩さきに大文字《だいもんじ》に入墨を為《し》たるものあり。罪ありて死刑に処し、首を刎ねんとせしとき、尊号へ刀を当ててはとて、先づその日免《まぬか》れ、遂に永牢になりしと云ふ。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷十八  28 尊號を入墨したる者取計の事」を正字表現で公開しておいた。]

フライング単発 甲子夜話卷十八  28 尊號を入墨したる者取計の事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。注はいらんだろう。]

 

18―28 尊號を入墨したる者(もの)取計(とりはからひ)の事

 世に嗚呼(おこ)の者も有りけるもの哉(かな)。

 日光山の尊號を、頸より、肩さきに、大文字(だいもんじ)に入墨に爲(し)たるものあり。

 罪ありて、死刑に處し、首を刎(はね)んとせしとき、

「尊號へ、刀を當(あて)ては。」

とて、先づ、其日、免(まぬか)れ、遂に永牢(えいらう)になりし、と云(いふ)。

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「空に吹上げられる」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 空に吹上げられる【そらにふきあげられる】 〔奇遊談巻三ノ下〕予<川口好和>が母の物がたりけるついでに、たしか成る人に聞きしこととて語られしは、享保の末の頃かとよ。堀川出水《ほりかはでみづ》の辻《つぢ》にて、俄かにつじ風起りたりしに、一人の老人杖つき歩行(あるき)ながら、二丈ばかり空に吹きあげられしを、人々あはやと立さわぎ見るまゝに、たゞ一葉《いちえふ》の風に吹きあげられしやうにて、やすやすと元の地上に立ちたりしと、まのあたり見し者の語りしと。かゝること、伊勢の外宮にもありし。これ風も吹かざりしに、参宮人の男、老杉《ふるきすぎ》の木末《こずゑ》に吹きあげられ、暫し留《とどま》りしかば、同道の人々、外《ほか》の人も空を詠《なが》めて、とやせんかくやせんと云ふまゝに、これもやすやすと鳥などの飛びおるゝやうに、ふはふはとまへの地に下りつきしと、彼《か》の神職某のかたりき。かゝることは奇病を集めたる医書にありし。なほ近江にかゝることありき。

[やぶちゃん注:「奇遊談」川口好和著が山城国の珍奇の見聞を集めた随筆。全三巻四冊。寛政一一(一七九九)年京で板行された。旅行好きだった以外の事績は未詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻十一(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊のここで当該部が視認出来る(よくルビが振られてあるので一部を参考にした)。標題は『○堀川(ほりかは)老人(らうじん)上ㇾ天(てんにのぼる)』。但し、リンク先では「とやせんかくやせんと云ふまゝに、」の後に『外宮の神役人(じんやくにん)もこゝら出合(いであひ)て、杣人(そま)をやとひのぼらせんとて、其(その)あたりやとひあるくほどに、』とある部分が、カットされてある。旋風(つむじかぜ)で説明出来そうだが、二例ともに極めて軟着陸して無事であったというところは、やや作話性が疑われる。

「享保の末の頃」享保は二十一年四月二十八日(グレゴリオ暦一七三六年六月七日)に元文に改元している。

「堀川出水の辻」京都のこの附近(グーグル・マップ・データ)。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「空飛ぶ物」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 空飛ぶ物【そらとぶもの】 〔我衣十九巻本巻十一〕空中を有形のものの飛行《ひぎやう》する事、仏説などには確かに有りといへり。先年本郷五丁目の伊勢屋吉兵衛、物干にて仰向《あふむき》て昼寝し、空中をながめ居たるに、その日は誠に晴天にして、一点の白雲もなし。東の方より空中を通行するもの、背その高き事しるべからず。しかれども形はよく見えたり。四足ある獣の尾の方、馬の如くにして画《ゑ》に見る所の騏麟(きりん)の如き物ゆうゆうと歩み行く。誰ぞ呼びて見せん物と思へども、傍に人なければ、たゞ己れのみながめ居たり。北西の方へ行きて、漸々《ぜんぜん》に形を見失ひぬ。それは廿年以前の事なり。

[やぶちゃん注:「我衣」前の前の「杣小屋怪事」で述べた通りで、原本に当たれない。蜃気楼・逆転層の類いで、遠くの馬の疾走するのが、反射投影されたに過ぎまい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「空飛ぶ異人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 空飛ぶ異人【そらとぶいじん】 〔四不語録巻一〕寛永年中[やぶちゃん注:一六二四年から一六四四年まで。]のころかとよ、武州江戸に於て、或日甲冑を帯したる武士、馬に乗りて虚空を飛びめぐるを見たる者数多有りしとなり。予<浅香山井>が亡父も目のあたり見給ひしと、常に語り給ひしなり。年月をも聞きけれども、失念したり。

[やぶちゃん注:「家焼くる前兆」で既出既注。写本でしか残っておらず、原本には当たれない。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「杣小屋怪事」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 杣小屋怪事【そまごやかいじ】 〔我衣十九巻本巻八〕十月の始めころ<文化六年>[やぶちゃん注:一八〇五年。旧暦十月一日は十一月二十一日。]豊前小倉領<福岡県小倉市>に変事あり。その訳は杣(きこり)ども大勢深山へ入りて、大木を伐りけるには三十余も住居する事ゆゑ、小屋をしつらひ、五六人ヅツ住むなり。その日は五人の杣ども、山を下りて酒を呑まんとて打連れて行きける。一人跡に残りたる杣は、日ごろ病身にて、しかじか家業も出来ず。至つて柔弱ものにて有りける。日くれ比(ころ)に至り、五人の者山へ立帰り来る。残り居たる一人の者いへるは、さてさて貴殿達を待ち兼ねたり、今日各〻方留主《るす》の内、徒然たる折から、この軒口ヘ大サ鳩程に見えたるもの、惣身の毛色五彩にして、その見事なるもの言語に及ばず、軒口を放れもやらず、飛びもせず、我傍《かたはら》に有る所の小石を取て打付けたるに、あやまたずかの鳥の胸のあたりを打ちたりと覚えて、軒より転び落ちて死したり。則ち毛を引き料理て、さて煎《いり》て喰ひしに、その美味中々たとふるに物なし、いかなる鳥かはしらねど、各〻にも参らせんと、少し残し置きたり、いざ食し給へといへり。五人の者どもいふやう、見なれざる鳥は喰はぬ物のよし、いひ伝へ侍れば、我々は喰ふまじといふ。イヤこれ程の甘味なる物をくはぬといふ事やあると、この事口論に及びしが、日比の柔弱なるにも似ず、勢ひ甚だ強く、後《のち》は立さわぎて、五人の者を相手につかみ付かんずけしきゆゑ、人々おどろき、こはけしからずと取すくめんとすれども、中々五人の力に及ばず。投付け、はりのけなどして大いにくるひ廻る。のちは五人の者も恐ろしく思ひて、家の外へ迯出《にげいづ》るを、追欠《おひか》け出るやうす、とても叶はぬと覚悟して、山を下りに迯げのびたり。彼者大いにいかりのゝしり、大木をねぢ切てふりままはしふりまはし追ひくるゆゑ、命を限りと、山を下りにやうやうと逃げおほせ、日も暮れけり。その夜山鳴り鳴動して、恐ろしさいふ計りなし。打捨ておかれず、地頭へ訴へ、それより所々相談に及び、役人の指図を待つて、日数《ひかず》七八日も過しけり。さて役人大ぜい、猟人《かりうど》七八人、鉄炮を持たせ、先きの杣五人、人足三十人ばかり催して、かの山をさして登りゆく。半腹迄登り見るに、人のかひな、或ひは首足など、所々にちぎれちぎれになりて数多《あまた》あり。その衣服に見覚えある物あり。これは脇の山を挊(かせ)ぐ[やぶちゃん注:ここは「稼ぐ」に同じ。]杣のこの事もしらず、山伝ひにこの小屋に来りて災ひにあひつらんと思へば、中々一足も登ることならず、衆人爰から下りける。いかなる事かしらねども、実に不思議の怪事なりと、小笠原侯の役人、中川常春院殿へ物語られしを、西丸御前に於て常春院演説いたされしは、十二月朔日の夜なりとぞ。

[やぶちゃん注:「我衣」(わがころも)は文人・医師で俳諧宗匠でもあった加藤曳尾庵(えびあん/えいびあん 宝暦一三(一七六三)年~?)の風俗図絵・随筆。国立国会図書館デジタルコレクションに抄本写本を見つけたが、ざっとみたところでは、どれかは判らなかった。悪しからず。

「小笠原侯」豊前国小倉藩の第六代藩主小笠原忠固(ただかた)。事件の前年に藩主となっている。

「中川常春院」幕医。さる論文で、文化六(一八○九)年より天保二(一八三一)年まで法印となっていることが判った。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「蘇生奇談」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 蘇生奇談【そせいきだん】 〔耳囊巻六〕文化七年七月廿二日の事の由、同八月或人来り語りけるは、田安御屋形御馬飼の由、相部《あひべ》や六七人ある事なるに、右の内壱人、寒かくらんにて殊の外苦しみける故、相部やのものども、色々介抱いたし、医師を所々へ申遣し候へども、時節やあしかりけん、一向医師も来らず。終日苦しみて、終にはかなくなりしに、彼《かの》あひ部屋の者ども、評議しけるは、かく傍輩の死に及ぶ病、一貼《いちてふ》の薬をも呑まざる儀、いづれ上役人へ願ひて、只今にても薬を飲ませ、せめて心晴しにいたしたき由にて、上役の者へ願ひければ、程近き所とて小嶋活庵方へ申遣しけるに、活庵は在宿無ㇾ之、子息安順見廻(みまひ)て、かの病人を見けるに、事切れて時刻も漸《やうや》くうつりければ、四肢もつめたく、療治沙汰も無ㇾ之由ゆゑ、断り申述べければ、右傍輩ども時刻も相立ち候事ゆゑ、仰せの趣御尤もながら、急病ながら薬一貼も用ひずと申すも心苦しければ、たとへ蘇生等致さずとも、御薬一貼給はり、無理に吹込み申したき由、達而《たつて》願ひけるゆゑ、安順もその意にまかせ、薬一貼あたへ帰りぬ。さて傍輩ども打寄り、薬を煎じ口を割りつぎ込みしに、口を洩れ或はのどに溜り居り候ばかりにて、しるしあるべきやうもなければ、片脇へ寄せ置きけるに、二三時過ぎて息吹返しける故、早速粥湯(かゆゆ)などのませ、安順方へも早速申遣しければ、これも蘇生に驚き、早速罷り越し、その様子を見て、これなれば療治なり候とて薬をあたへ、今は全快なしけるに、傍輩の内、さるにても、いかなる様子なりしやと尋ねければ、最初煩ひ付き候節、苦しさいはんかたなく、それよりは夢中となり、何か広き原へ出て、むかうへ行かんと思ひしに、二筋に道わかれあり、壱ツは登りざか、壱ツは下り候道ながら、下りの方けんそにして、彼男の了簡には、登り坂の方へ行くべしと思ひしに、ふと本郷辺米屋にて、その娘へこの御馬方、心を懸けしが、右娘に行逢ひ、我もひとりにては心細し、つれ立たんといふに、同意なしけるが、娘は下り道の方を行くべしといふ。この男は登り坂の方へ行かんと申し争ひ、立別れしに、向うの方より赤衣《しやくえ》きたる僧一人参り、なんぢはいづ方より何方へ通るやと尋ねける故、あらましを語り、我等は死せしにやと申しければ、爾(なんぢ)思ひのこす事もなきやと尋ねし故、何もおもひ残す事はなけれど、未だ在所に両親もありて、久しく逢ひ申さゞる間、これへ対面致したき由と申しければ、しからば帰し遣すべしとて、跡へ戻ると思ひしに、何か咽に薬がつくりと内へ入りて蘇りしと、予<根岸鎮衛>が元へ来る云栄《うんえい》かたりぬ。

[やぶちゃん注:私のものでは、底本違いで、「耳嚢 巻之十 蘇生奇談の事」である。]

 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻二〕香町<東京都千代田区内>小林氏の方に年久しく召遣ひし老女ありけるが、以ての外煩ひて、急に差重《さしおも》り[やぶちゃん注:急激に症状が悪化し。]相果てけるが、呼びなどして辺(あた)りの者立騒ぎける内、蘇生しけるが、程なく快気して語りけるは、我等事誠に夢の如く、旅にても致し候心得にて広き野へ出けるが、何地《いづち》へ行くべきや知れず、人家ある方へ至らんと思へども、方角知れざるに、一人の出家通りける故、呼掛けぬれど答へず。いづれ右出家の跡に付きて行きたらんに、悪しき事はあらじと頻りに跡を追行きしに、右出家足早くして、中々追付く事叶はず、その内に跡より声を掛けし者ありと覚えて蘇りぬと咄しける由、小林の親友牛奥子《うしおくし》語りぬ。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之二 鄙姥冥途へ至り立歸りし事 又は 僕が俳優木之元亮が好きな理由」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「曾我の目貫」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 曾我の目貫【そがのめぬき】 〔裏見寒話巻三〕爰に天桂和尚、富士の麓を通られしに、俄かに日暮れぬ。一草庵を得て宿を乞ふに、婦人出《いで》て云ふ。夫は留守なり、暫く待たれよと云ふ内に、甲冑の士来《きた》る。女告げて宿を貸す。夫云ふ。我は曽我十郎祐成なり、弟五郎時致《ときむね》は在世の時、箱根にて誦経持仏の功徳により、今甲州大守の子と産る、我は作善なく苦患《くげん》あり、願くば信虎へ告げて、法華経一万部読誦給はれと。そのしるしに家宝の目貫一箇を渡す。一箇は時致、右の手に握る、彼所《かのところ》に大泉と云ふ池あり、この水にて洗はゞその手開くべしと。忽ち姿失せて未だ近午《きんご》[やぶちゃん注:昼近くのこと。]の天なりければ、それより甲州に来り、竜王村<山梨県甲斐市内>慈照寺に止宿す。信虎より招かれて件の物語りあり。大泉の水にて勝千代の手を洗ふに、忽ち開くに目貫あり。合せて見れば一具なり。<勝千代は武田信玄の幼名、右の手を開かないという伝説がある>山の陰にては富士は見えざるに、かの大泉へ山影移りて見ゆ。依てこの流水を富士川と号す。信虎睡られし山を夢見山と云ふ。信虎則ち禅院を創営し、大泉寺と号す。尚天桂和尚開基たり。偖《さて》法華経一万部を営まる。曽我兄弟の位牌今に在り。宝物夥多《くわた》なり。雄《ゆう》[やぶちゃん注:一人称男性代名詞。]按ずるに、曽我兄弟は、亡父の仇《かたき》を数年《すねん》ねらひ、終《つひ》に本意《ほい》を達し、孝養して死《しし》たる人なり。何を仏果を願ひ、再誕を悦ばんや。これは浮屠《ふと》[やぶちゃん注:仏僧。]の説ならん。

[やぶちゃん注:「裏見寒話」「小豆洗」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『甲斐志料集成』第三(昭和八(一九三三)年甲斐志料刊行会刊)のここの右四行目から正字で視認出来る。

「目貫」刀の、手で握る部位である柄(つか)の中央付近に附けられた刀装具の一種。表裏に附けられ、茎(なかご)に開けられた穴に通し、柄と茎を固定するために用いられる小さな金具。滑り止めと、手溜まりを良くする機能を備える一方で、時代が下るにつれ、装飾性が高められ、縁起の良い動物や植物など、様々な意匠が施されるようになった(サイト「名古屋刀剣ワールド」のこちらに拠った)。

「天桂和尚」現在の長野県下諏訪町にある臨済宗妙心寺派白華山慈雲寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)の第七世住持であった天桂玄長(てんけいげんちょう)。武田信玄が私淑した僧として知られる。

「信虎」武田信玄の父武田信虎(のぶとら 明応三(一四九四)年~天正二(一五七四)年)。永正五(一五〇八)年十月四日の「勝山城の戦い」(笛吹市境川町坊ヶ峰)に於いて叔父武田(油川)信恵(のぶよし/のぶさと)を撃破し、これと同時に同族で覇者を競っていた者たちも多く戦死し、武田宗家の統一が達成されたが、天文一〇(一五四一)年六月十四日、実子晴信(後の信玄)によって強制的に隠居させられ、追放されてしまう。

「大泉と云ふ池」現在、信虎の像がある寺が。曹洞宗万年山大泉寺(だいせんじ)で、当該ウィキによれば(太字は私が附した)、『境内には富士見池(大泉)があり』、「甲州巡見記」に『拠れば』、『甲斐国繁栄の様子が映ったという伝承を持つ。また、文政』一〇(一八二七)年の『大泉寺縁起(「甲州文庫」)や』、本「裏見寒話」、文化一一(一八四一)年の「甲斐国志」、嘉永二(一八四九)年の「懐宝甲府絵図」『等に拠れば、富士見池の水面には富士山の姿が写ったという。特に』「甲斐国志」では、『富士見池には「士峰寒影」が映ったと記され、「士峰」は富士の意味であるが、「寒影」は漢詩における月光の意味のほかに「冬の姿」と解釈されることも指摘され』、『富士見池には冠雪した冬の富士の姿が映ったとする伝承であるとも考えられている』。『甲斐国において水面に冬の富士が映ったとする類例は他にもあり』、やはり「裏見寒話」に拠れば、『現在の甲府市太田町に所在する時宗寺院』である『一蓮寺境内の池や、一蓮寺の旧地である一条小山に築城された甲府城の堀にも』、『冬の富士が映ったとする伝承を記録している』。『こうした伝承を踏まえて、江戸後期に浮世絵師の歌川国芳は弘化』四(一八四七)年から嘉永五(一八五一)年にかけて刊行された「甲州一蓮寺地内 正木稲荷之略図」に『おいて』、『一蓮寺を描き、和歌において一蓮寺の池に映る冬の富士を暗示させていることが指摘されている』。『また、同じ浮世絵師の葛飾北斎は』、「冨嶽三十六景」の一図である「甲州三坂水面」に『おいて』、『鎌倉往還の御坂峠から見える河口湖と富士の姿を描いており、実景の富士が夏山なのに対し、湖面に映る逆さ富士は冠雪した冬の姿として描かれている。北斎は甲斐を訪れた確実な記録がなく、大泉寺縁起や』、『他の甲斐における水面に映る富士の伝承を知っていたのかは不明であるが、北斎は水面には隠された本当の姿が映るという近世期の一般的感性を共有していたことが指摘される』とあった。さらに、後に出る「夢見山」は、この大泉寺の南東の直近のここにあり(標高四百三十九メートル)、「甲府市」公式サイトの「夢見山(夢山)」に、『夢見山は』、『昔は夢山と呼ばれていました』。『よい夢を見る山として、武田信虎・信玄にまつわる伝説があります』。『戦国時代、信虎が夢山に登り、山頂でうたた寝をしていると、信玄が誕生する夢を見ました』が、『目が覚めると、城から若君誕生の知らせが届き、大変喜んだそうです』。。『また、ある日、信玄が夢山の山頂にある大石に腰を下ろし眠っていると、夢の中に、三味線を』一『曲奏でてくれるという美女が現れました。しかし、弾き始める前に目が覚め、気がつくと』、『信玄の体中に蜘蛛の糸が巻かれていました。それ以来、蜘蛛はいつも信玄の枕元に現れて、戦』さ『の吉凶を占ってくれたそうです。この石は夢見石と言われ、石の上で寝ると、誰でもよい夢を見ると伝えられています』。『古くは、平安時代後期の歌枕の解説書』「能因歌枕」に『「夢山」が書かれているほか、鎌倉時代後期の和歌集』「夫木和歌抄」には、『「都人 おぼつかなしや 夢山を みる甲斐ありて 行きかへるらん」と詠まれ、夢見山は甲斐の名所として、昔から知られていたことがわかります』とあった。

「竜王村」「山梨県甲斐市内」「慈照寺」山梨県甲斐市竜王にある曹洞宗有富山(ゆうふざん)慈照寺。ここ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「双頭蛇」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 双頭蛇【そうとうだ】 〔兎園小説第六集〕文化十二年乙亥秋九月上旬、越後魚沼郡六日町の近村余川村<新潟県南魚沼市六日町内>の民金蔵、双頭蛇をとらへ得たり。この金蔵が隣人を太左衛門といふ。この日金蔵、所要ありて門辺《かどべ》にをり。その時件《くだん》の蛇、地上より走りて隣堺《となりさかひ》なる垣に跂(ふし)登るを[やぶちゃん注:私は宵曲のルビには従わない。「つまだちのぼるを」と訓じておく。「伸び上がるように立ち登ったのを」の意。]、金蔵はやく見だして、箒《はうき》をもて払ひ落としつゝやがてとらへしなり。この蛇、長さ纔かに六寸あまり、全身黒く、只その中央は薄黒にして、腹は青かり、則ち桶に入れて養(かひ)おきけり。近郷伝へ聞きて、老弱《らうじやく》日毎に来たりて観るもの甚だ多し。はじめこの蛇の肢出《つまだちい》でんとするとき、双頭をふりわけ、左の頭《かしら》は左にゆかんとするごとく、右の頭は右にゆかんとするがごとし。既にして双頭一心に定むる時は、真直に走るといふ。また桶に入れて屈蟠(わだかまる)ときは、双頭かさなりてよのつねの小蛇の如し。時に近郷の香具師《やし》、これを数金《すきん》に買ひとりもて、見せものにせんとはかる。その事いまだ熟談せざりし程に、忽ち猫に銜《ふく》み去られて、これを追へども終に及ばず。主客望《のぞみ》を失ひしといふ。当時同郡塩沢の質屋義惣治《ぎそうぢ》、その略図をつくりて家厳《かげん》[やぶちゃん注:他人に自分の父を言う語。この報告は「琴峯舎」によるもので、琴峯舎とは、馬琴の一人息子で陸奥国梁川藩主松前章広出入りの医員であった滝沢興継(おきつぐ:医名は「宗伯」)ことである。但し、彼の報告の多くは父馬琴が代作したものと考えられている。但し、絵の才能はあり、この話に添えた絵も興継の描いたものであると思われる。彼は馬琴が元の武士に戻る熱望を一身に受けた愛息であったが、病弱で、父に先立って数え三十九歳で天保六(一八三五)年に死去してしまう。]におくりぬ。かの金蔵は、義惣治が亡息の乳母の子なり。これによりてその蛇をとりよして、よく見て図したり。こは伝聞にまかせたるそゞろごとにはあらずとぞ。<『兎園小説第二集』に文政七年江戸本所の話がある>

[やぶちゃん注:私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 双頭蛇』を参照。挿絵はこれ。宵曲! なんで絵を載せない!?!

「『兎園小説第二集』に文政七年江戸本所の話がある」私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 兩頭蛇』(第二集の掉尾)を参照。そちらにも図がある。因みに、こちらの報告は「海棠庵」。本名は関思亮(せきしりょう)。書家関其寧(きねい)の孫。祖父とも合わせて馬琴と親しかった。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「三途河の婆子」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 三途河の婆子【そうずかのばし】 〔甲子夜話巻六十二〕行弁が(修験行智が父)行脚のとき親しく見しとて語《かたれ》るは、越後国蒲原郡でよと云ふ処に、十二間四面の広堂あり。その中物なくして、中央に大像あり。(長《た》け人の立てるが如し)三途河《さうづがは》の婆子にして独坐なり。またこの堂のあるあたり、古木陰欝、幽邃云ふばかりなし。またかの像甚だ霊応あり。時として彼《か》の怒りに逢ひたる者か、一夜の中《うち》に人の衣服を剝ぎて、堂辺の樹杪《じゆべう》に懸けあること往々ありとぞ。また彼国でよの地は温泉の出る所とぞ。然ればでよは出湯《でゆ》の訛りならん。

[やぶちゃん注:「三途河」の宵曲の読みには従わない。事前に「フライング単発 甲子夜話卷六十二 6 三途河姥大像【越後國】」で正字表現で公開しておいたので、見られたい。]

フライング単発 甲子夜話卷六十二 6 三途河姥大像【越後國】

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。最後の「出湯(デユ)」の読みは、珍しい静山のルビである。

 

62-4 三途河姥(さうづがはうば)大像(だいざう)【越後國】

 行辨(ぎやうべん)が【修驗(しゆげん)、行智が父。】、

「行脚のとき、親しく見し。」

とて語れるは、

「越後國蒲原郡デヨと云ふ處に、十二間四面の廣堂(くわうだう)あり。その中、物、なくして、中央に大像あり【長(た)け人(びと)の立(たて)るが如し。】。

 三途河(さうづがは)の婆子(ばし)にして、獨坐なり。

 又、この堂の在る邊り、古木、陰欝、幽邃、云(いふ)ばかりなし。

 又、かの像、甚(はなはだ)、靈應あり。

 時として、彼之(かの)怒(いかり)に逢(あひ)たる者か、一夜の中(うち)に、人の衣服を剝ぎて、堂邊の樹杪(じゆべう)に懸(かけ)あること、往々、あり。」

とぞ。

 又、彼國、デヨの地は、溫泉の出(いづ)る所。」

とぞ。

 然れば、「デヨ」は「出湯(デユ)」の訛(なまり)ならん。

■やぶちゃんの呟き

「行辨」「修驗(しゆげん)」「行智が父」「朝日日本歴史人物事典」の息子の「行智」(安永七(一七七八)~天保一二(一八四一)年)の解説を引くと、『江戸後期の山伏』で、『修験道の教学者』にして『悉曇(梵学)学者』であった。『俗称を松沼』、『字を慧日』、『阿光房と称した。父の行弁のあとを継いで』、『江戸浅草福井町の銀杏八幡宮の覚吽院を住持した。祖父の行春と父について』、『内外の典籍を学び』、『冷泉家歌道』や『書道によく通じ』、『特に悉曇学にすぐれ』、『平田篤胤に教授した。真言宗系修験道の当山派の惣学頭』、『法印大僧都に任じられ』てい『る。修験道の信仰や修行が衰退したため』、『復興しようとする意図のもとに』、『修験道の来歴・故事伝承・教学に関する著作を多く著し』、『今日に伝えている』とあった。

「三途河姥大像」「越後國蒲原郡デヨ」現在は新潟県阿賀野市羽黒にある髙徳寺の管理となっている羽黒優婆尊(グーグル・マップ・データ)である。東直近の阿賀野市出湯(でゆ)の「出湯温泉」が確認出来る。「ZIPANG TOKIO 2020 編集局」のサイト内の「全国の姥神像行脚(その13)新潟五頭山麓 羽黒地区『優婆堂』優婆尊縁起によると…【寄稿文】廣谷知行」の解説と画像があるので参照されたい。但し、肝心の「三途河姥大像」=奪衣婆の像は、『幕の下ろされた厨子に祀られて』おり、『中にある姥神像は基本的に秘仏であり、常には公開してい』ないとあり、『しかし』、『毎月』二十『日にご祈祷するときに公開してい』るとあった。写真撮影は許されていないらしく、ネットで画像を探したが、見当たらなかった。上記ページでは本篇が抄出ながら、紹介されており、その後に、『長身の人が立ったぐらいの大きさの、坐った状態の姥像があるとされていますが、現在の像はそこまで大きくはないようです』とあったので、或いは、江戸後期に作り直された可能性もあるか。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「相学的中」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

    

 

 相学的中【そうがくてきちゅう】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻五〕予<根岸鎮衛>が許へ来る栗原某は相術を心掛けしが、誠に的中といへる事も、未熟ながら有る事なりと退譲して語りけるは、近頃夏の事なりしが、築地<東京都中央区内>辺へ行きて帰りける時、護持院原の茶店に腰掛けて、暫し暑を凌ぎけるに、町人躰の者両人、これも茶店に寄りて汗など入れて、何か用事有りてこれより戸塚<神奈川県横浜市>とやらん、川崎<神奈川県川崎市>とやらんヘ出立する由咄合ひしを、栗原つくづくと彼者の面を見るに、誠に相法に合はすれば剣難の相顕然たる故、見るに忍びず立寄りて、御身は旅の用事、如何様なる事なりやと尋ねければ、我等遁れざる者の、娘を誘はれ引出して、川崎宿の食盛(めしもり)に売りし由、これに依つてかしこへ至りて、取戻す手段なす事なりと語りけるにぞ、さあらば人を頼みて遣はし候とも、または知る人もあらば、書通にてよくよく礼してその後行き給ふべし、我等相術を少々心掛けけるが、御身の相剣難の愁ひ歴然に顕れたれば、見るに忍びず語り申すなりと言ひしに、彼者大いに驚き、厚く礼謝して住所など尋ねけれど、礼を請けんとの事にあらずとて立別れしが、かの栗原は施薬をもなしける故、右町人にも限らず、同じく凉みし者へ施薬など致しけるが、右包紙に宅をも記し置ける故にや、五七日過ぎて右町人、小肴《こざかな》を籠に入れて栗原が許へ来り、誠に御影にて危難をまぬかれしなり。その日の事なりしが、かの旅龍屋にては右女の事に付き、大きに物いひありて、怪我などせし者ありしと跡にて聞きけるが、我等も彼所へ至りなば、果して変死をもなさん、偏《ひとへ》に御影なりと厚く礼を述べて帰りし。これ等近頃の的中といふべしと自讃して咄しぬ。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之五 相學的中の事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「千両箱掘出し」 / 「せ」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇を以って「せ」の部は終わっている。]

 

 千両箱掘出し【せんりょうばこほりだし】 〔蕉斎筆記〕大坂に法花津屋《ほけづや》といふ豪富家有り。また伊予にも法花津屋とて富家有り。その先祖を尋ねけるに、法花津の城主の末孫にて、その後苗《こうべう》に至り衰微し、誠に日々を鰷(どじやう)[やぶちゃん注:ママ。この漢字は通常は「はや」と読み、複数の淡水魚を指すもので、これをドジョウに当てる読みを私は本邦の本草書でも見たことがない。(つくり)の「條」に引かれた誤字であろう。]を掘《ほり》て年月を送りけるが、大坂の先祖と伊予の先祖と、毎夜々々申合せて鰷掘りに出でけるに、或夜大坂の先祖より誘ひければ、今宵はあまり寒しとて断りける故、一人行きけるが、土橋の下にて千両入りの金箱を掘出せり。年号月日法花津城主何某と書付け有り。さては先祖の我に給はりし金なりと、直に大坂へ趣き商売に取付き、後には豊饒《ほうぜう》に暮しけるに、右一緒に行かざる伊予の法花津屋の先祖を呼び登せ云ひけるは、さて只今迄は沙汰をせざりしが、このまへ寒夜の時分、鰷掘りに一人行きしに、この金箱を掘出せり、それより直に大坂ヘ来り、段々立身したり、その時分そなたと一緒に行くならば、半分分けにすべきなり、今はそなたも難儀にくらすべし、この方にて安楽に養ひ申すべしと申しければ、伊予の者もその金箱を見けるに、二つの内と書付け有りける故、断りいひて直に立帰り、その土橋の下を掘りけるに、また一箱据出せり。それよりこれも身上《しんしやう》に取付き、今に繁昌して大坂伊予とも数代《すだい》相続《あひつ》ぎ、その時より今に至る迄、一家同姓のよしみをなす。不思議なる事ども也。誠に先祖の陽徳、この両人へ授けたまひしなり。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(右ページ上段七行目から)で視認出来る。なお、この記事はパート標題『寬政六寅年拔書』で、グレゴリオ暦一七九四年一月三十一日から一七九五年二月十八日の間に書かれたものであることが判る。

「伊予にも法花津屋とて富家有り」「宇和島市役所」公式サイト内の「吉田ふれあい国安の郷」の『代表的な建造物 商家「法花津屋(ほけづや)」』に以下のようにあった(一部の不審な字空けを詰めた)。

   《引用開始》

法花津屋は、伊予吉田藩の御用商人である三引高月甚十郎の店舗として使われていた建物です。建築されたのは安政6年(1859年)。役柱に約45cmもの材木が使われているなどの豪壮な商家建築で、幕末のこの地方の建築様式を今に伝える貴重な建造物といえます。法花津屋は酒や紙を中心とした問屋業で、帆船を所有し、手広く商いを行っていました。質屋、網、金融などの事業まで幅広く行っていたと言われています。法花津屋の主であった三引高月家は、吉田藩の開藩とともに吉田に住み、現在の宇和島市吉田町魚棚に店を構えていました。当主は代々「甚十郎」の名を踏襲し、御用商人として藩の財政に関与したり、町年寄を務める等、伊予吉田藩の藩政にも強い影響力を持っていたといわれています。高月家当主のうち、三代目当主 高月狸兄(たかつきりけい 生年不詳~1762)と、六代目当主 高月虹器(たかつきこうき 17531825)は、愛媛県における俳諧史にその名を残す文化人であり、特に虹器は、書道や茶道などにも通じ、「吉田先家流」と称する挿花の一派を興して多くの門人を育てました。門人の数は時に400名近くに及び、現在の高知県佐川町あたりからの門人も多くいたとされます。また、虹器のまとめた「年賀集」という図録兼文芸集は、愛媛県南予地方から発信された化政文化の精華といえます。

   《引用終了》

調べてみると、この伊予の法花津屋は大阪方面へも手広く商いをし、財を築いたという記載がネット上にあるから、「大坂に法花津屋といふ豪富家有り」とあるのも、親族か手堅い暖簾分けの人物であろう。と言うより、この話自体が、大坂・伊予の法花津屋の繁栄の伝説そのものなのであろう。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「先夫の幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 先夫の幽霊【せんぷのゆうれい】 〔反古のうらがき巻一〕友人斎藤朴園が続従(のちぞひ)の妻は、これも新たに寡(やもめ)にして、再び朴園へ嫁せしなり。様子がらもよろしく在るに、按堵のおもひをなせしに、一日忽ち吾に暇《いとま》くれ候へとせちにこひけり。固《もと》より留むべき辞もなければ、その意に任せて帰しけるが、跡にて聞けば、或夕暮庭より内に入りしに、前の夫が座敷の内に居《をり》しとて、里付の婢に語りしよし。その後再び何方へか嫁せしよしなりしが、この度は井に入りて死せしよし、はたして狂気に疑ひなし。朴園も早く帰せし故、この禍《わざはひ》を免れたりと語りあへり。

[やぶちゃん注:「反古のうらがき」複数回既出既注。私は既にブログ・カテゴリ「怪奇談集」で全電子化注を終わっている。当該話は「反古のうらがき 卷之一 幽靈」であるが、恐らく、国立国会図書館デジタルコレクションの国書刊行会編の「鼠璞十種 第一」(大正五(一九一六)年刊)に所収するものに宵曲は従ったのであろうが、リンク先は多分、編者が編集して、逆に話しをつまらなくしてしまっているのである。私の正字表現のものを見て欲しいが、怪異を語る彼女の台詞は、本来は――「或夕暮、庭より内に入しに、前の夫と座敷の内に居し」――なのである! ただ一字、「と」を「が」に代えた辻褄合わせが、逆に話を糞つまらなくしてしまっているのである。彼女は妄想性の強い統合失調症かとは思われるが、真の本篇の恐怖は、「夫と自分とが座敷の内に並んでいた」というところにあるのであって、この編者は怪談の核心を理解していない救いようのない阿呆と言わざるを得ない。

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「樹々の一家」(+奥書・奥附) / 「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文)~了

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 本記事を以って以上のブログ版新版電子化注を終了する。

 

 

   樹々の一家

 

 

 太陽の烈(はげ)しく照りつける野原を橫切つてしまふと、初めて彼等に遇ふことができる。

 彼等は道のほとりには住まはない。物音がうるさいからである。彼等は未墾の野のなかに、小鳥だけが知つてゐる泉のへりを住處(すみか)としてゐる。

 遠くからは、はいり込む隙間もないやうに見える。が、近づいて行くと、彼等の幹は間隔をゆるめる。彼等は用心深く私を迎へ入れる。私はひと息つき、肌を冷やすことができる。然し、私には、彼らぢつとこちらを眺めながら警戒してゐるらしい樣子がわかる。

 彼等は一家を成して生活してゐる。一番年長のものを眞ん中に、子供たち、やつと最初の葉が生えたばかりの子供たちは、ただなんとなくあたり一面に居竝び、決して離れ合ふことなく生活してゐる。

 彼等はゆつくり時間をかけて死んで行く。そして、死んでからも、塵となつて崩れ落ちるまでは、突つ立つたまま、みんから見張りをされてゐる。

 彼等は、盲人(めくら)のやうに、その長い枝でそつと觸れ合つて、みんな其處にゐるのを確める。風が吹き荒んで、彼等を根こそぎにしようとすると、彼等は怒つて身をくねらす。然し、お互の間では、口論ひとつ起らない。彼らは和合の聲しか囁かないのである。

 私は、彼等こそ自分の本當の家族でなければならぬといふ氣がする。もう一つの家族などは、直ぐ忘れてしまへるだらう。この樹木たちも、次第に私を家族として遇してくれるやうになるだらう。その資格が出來るやうに、私は、自分の知らなければならぬことを學んでゐる――

 私はもう、過ぎ行く雲を眺めることを知つてゐる。

 私はまた、ひとところにぢつとしてゐることもできる。

 そして、默つてゐることも、まづまづ心得てゐる。

 

Kiginoikka

 

[やぶちやん注:樹種は不明。主人公「私」は動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱正獣(サル)下綱霊長(サル)目真猿(サル)亜目狭鼻(サル)下目ヒト上科ヒト科ヒト属ヒト Homo sapiens 。臨川書店全集の佃裕文氏の後注に、ルナールの日記の『一九〇五年十月二十三日』(満四十一歳)『のつぎの文章を参照のこと。』とあり、訳が示される(全集の日記の巻の別な訳者のものよりも理解し易いので、佃氏の訳をそのまま引く。〔 〕は佃氏の割注)。

   《引用開始》

「もし私が神お折り合いをつけることが出来るなら、彼に私を樹に変身させてくれるよう頼むであろう。クロアゼット岬〔マルセイユ南方の岬〕の上から我が村を眺められるような樹にである。そうとも、私には彫像なぞよりその方がいい」

   《引用終了》

この「クロアゼット岬」(Cap Croisette)はここ(グーグル・マップ・データ航空写真)である。注意が必要だが、この「村」は一般普通名詞の「村」であって、同岬から見渡せる「村」の意で、特定の村を意識しているものではあるまい。因みに、彼は「私には彫像なぞよりその方がいい」と言っているが、一九一〇年五月二十二日に四十六で没した彼は、ブルゴーニュのニエーヴル県シトリー=レ=ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ:ルナールはこの村の村長となった)の墓地に埋葬されたが、フランス語の同地のウィキには、ルナールの像の記念碑が建立されてある。]

 

 

 

 

UNE FAMILLE D'ARBRES

 

C'est après avoir traversé une plaine brûlée de soleil que je les rencontre.

Ils ne demeurent pas au bord de la route, à cause du bruit. Ils habitent les champs incultes, sur une source connue des oiseaux seuls.

De loin, ils semblent impénétrables. Dès que j'approche, leurs troncs se desserrent. Ils m'accueillent avec prudence. Je peux me reposer, me rafraîchir, mais je devine qu'ils m'observent et se défient.

Ils vivent en famille, les plus âgés au milieu et les petits, ceux dont les premières feuilles viennent de naître, un peu partout, sans jamais s'écarter.

Ils mettent longtemps à mourir, et ils gardent les morts debout jusqu'à la chute en poussière.

Ils se flattent de leurs longues branches, pour s'assurer qu'ils sont tous là, comme les aveugles. Ils gesticulent de colère si le vent s'essouffle à les déraciner.

Mais entre eux aucune dispute. Ils ne murmurent que d'accord.

Je sens qu'ils doivent être ma vraie famille. l'oublierai vite l'autre. Ces arbres m'adopteront peu à peu, et pour le mériter j'apprends ce qu'il faut savoir :

Je sais déjà regarder les nuages qui passent.

Je sais aussi rester en place.

Et je sais presque me taire.

 

 

 

[やぶちゃん注:以下、底本の奥書。本文の四字下げ位置からポイント落ちで上部にある。電子化しないが、下方には印刷で「第」とあり、ブルー・インクのスタンプ印字で限定番号がアラビア数字「12」(重なっているため明確でないが、ガンマ補正して見ると、「12」と判る)先に打たれ、その下方に重なって、「10」と打ち直してある。

 

 本書は限定印行部數一千一百部。

 その一百部は越前國今立郡岡本村

山田九兵衞別漉透入鳥子程村紙印刷、

挿繪木版刷十一葉オフセット刷二葉

凸版刷一葉を附し、漢字番號壹より

百に至る。

 その一千部は極上質紙印刷、挿繪

木版刷五葉オフセット刷二葉凸版刷

一葉を附し、亞剌比亞數字番號1よ

1000に至る。

 他に非賣本各若干部を刊行す。而

して本書はその

 

 

 

[やぶちゃん注:以下、奥附。枠等は一切、ない。ブラウザの不具合を考えてポイントを落とした。]

 

譯者 岸田國士

發行者 福 岡 淸 發行所 株式會社白水社 東京市神田區小川町三丁目八番地

印刷者 白井赫太郞 印刷所 精興社 東京市神田區錦町三丁目十一番地

製本者 中野和一 製本所 中野製本所 東京市京橋區越前堀三丁目二番地

印刷擔當者 橫井作次老製本擔當者 麻生勇助

挿繪 木版印刷室田欣二 オフセット印刷上原昇 凸版印刷今井萬之助

 昭和十四年七月五日印刷 同年七月十五日發行

                                     頒價三圓五十錢

 

 

[やぶちゃん注:因みに、愛する芥川龍之介は彼自身の複数の作品中のアフォリズムで、明らかにルナールの「博物誌」を意図的に意識して参考にしている。中でも、大正九(一九二〇)年一月及び十月発行の雑誌『サンエス』に分割掲載され、後に『夜來の花』に所収(初出の内の一部を削除している)された「動物園」は、私には『そこまでやるか?』と感じてしまうほど、本書を剽窃・改竄したとしか思われないアフォリズムが頻出している。私は大学時代の深夜、岩波の全集で読んで、何となく哀しい気になったことを忘れない。リンク先の私のサイト版を見られたい。

[やぶちゃん追記:因みに、近々、同じ仕儀を、サイト版『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』を元に、やらかそうと画策している。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「獵期終る」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    獵期終る

 

 

 どんよりした、短い、まるで頭と尻尾(しつぽ)を齧(かぢ)り取られたやうな、みじめな一日である。

 晝ごろ、佛頂面をした太陽が、霧の晴れ間から覗きかけて、蒼白い眼を薄目にあけたが、また直ぐつぶつてしまふ。

 私は當てもなく步き廻る。持つてゐる鐵砲も、もう役にたたぬ。いつもは夢中になつてはしやぐ犬も、私のそばを離れない。

 河の水は、あんまり透きとほつてゐて眼が痛いくらゐだ。そのなかに指を突つ込んだら、きつと硝子のかけらのやうに切れるだらう。

 切株畑のなかでは、私が一足踏み出すごとに、ものうげな雲雀が一羽飛び出す。彼等はみんな一緖になり、ぐるぐる飛び廻る。が、その羽搏きも、凍りついた空氣を殆ど搔き亂すか亂さないかである。

 向ふの方では、鴉の修道僧の群れが、秋蒔きの種子(たね)を嘴で掘り返してゐる。

 牧場の眞ん中で、鷓鴣が三羽起ち上る。綺麗に刈られた牧場の草は、もう彼女らの姿を隱さない。

 まつたく、彼女らも大きくなつたものだ。かうして見ると、もう立派な貴婦人である。彼女らは不安さうに、ぢつと耳を澄ましてゐる。私はちやんと彼女らの姿を見た。が、そのまま默つて、通り過ぎて行く。そして何處かでは、恐らく、顫へあがつてゐた一匹の兎が、ほつと安心して、また巢の緣に鼻を出したことだらう。

 この生垣で(ところどころに、散り殘つた葉が一枚、足をとられた小鳥のやうに羽搏いてゐる)に沿つて行くと、一羽のくろ鶫が、私の近づくたびに逃げ出しては、もつと先の方へ行つて隱れ、やがてまた犬の鼻つ先から飛び出し、もうなんの危險もなく、私たちをからかつてゐる。

 次第に、霧が濃くなつて來る。道に迷つたやうな氣持だ。鐵砲も、かうして持つてゐると、もう爆發力のある杖に過ぎない。いつたい何處から聞えて來るのだ、あの微かなもの音、あの羊の啼き聲、あの鐘の音、あの人の叫び聲は?

 どれ、歸る時刻だ。既に消え果てた道を辿つて、私は村へ戾る。村の名はその村だけが知つてゐる。つつましい百姓たちが、其處に住んでゐて、誰一人、彼等を訪れて來るものはない――この私よりほかには。

 

Ryoukiowwaru

 

[やぶちやん注:オール・スター・キャストを各個提示する。なお、ルナールの狩猟に就いては、「鷓鴣」の私の後注の最初の部分を必ず参照されたい。

「雲雀」脊椎動物亜門鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis

「鴉」スズメ目カラス科カラス属 Corvus sp.

「鷓鴣」鳥綱キジ目キジ亜目キジ科キジ亜科Phasianinaeの内、「シャコ」と名を持つ属種群を指す。特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる、イワシャコ属アカアシイワシャコ Alectoris rufa に同定しても構わないだろう。本篇でも多出し、『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でも取り上げられることが多い、ルナールに親しい鳥である。

「兎」哺乳綱兎形目ウサギ科ウサギ亜科 Leporinaeの多様な種を指すが、まずここはノウサギLpues sp. としてよいであろう。種が多く、分布が複雑で、種まで限定することは難しい。

「くろ鶫」既に何度も述べたが、ここで言う“merle”は、スズメ目ツグミ科ツグミ属クロツグミTurdus cardisではなく、同属のクロウタドリTurdus merulaではないかと思われる。

「犬」哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イヌCanis lupus familiaris

「羊」哺乳綱鯨偶蹄目ウシ亜目ウシ科ヤギ亜科ヒツジ属ヒツジ Ovis aries 。]

  

 

 

 

FERMETURE DE LA CHASSE

 

C'est une pauvre journée, grise et courte, comme rognée à ses deux bouts.

vers midi, le soleil maussade essaie de percer la brume et entr'ouvre un oeil pâle tout de suite refermé.

Je marche au hasard. Mon fusil m'est inutile, et le chien, si fou d'ordinaire, ne s'écarte pas.

L'eau de la rivière est d'une transparence qui fait mal : si on y plongeait les doigts, elle couperait comme une vitre cassée.

Dans l'éteule, à chacun de mes pas jaillit une alouette engourdie. Elles se réunissent, tourbillonnent et leur vol trouble à peine l'air gelé.

Là-bas, des congrégations de corbeaux déterrent du bec des semences d'automne.

Trois perdrix se dressent au milieu d'un pré dont l'herbe rase ne les abrite plus.

Comme les voilà grandies ! Ce sont de vraies dames maintenant. Elles écoutent, inquiètes. Je les ai bien vues, mais je les laisse tranquilles et m'éloigne. Et quelque part, sans doute, un lièvre qui tremblait se rassure et remet son nez au bord du gîte.

Tout le long de cette haie (ça et là une dernière feuille bat de l'aile comme un oiseau dont la patte est prise), un merle fuit à mon approche, va se cacher plus loin, puis ressort sous le nez du chien et, sans risque, se moque de nous.

Peu à peu, la brume s'épaissit. Je me croirais perdu.

Mon fusil n'est plus, dans mes mains, qu'un bâton qui peut éclater. D'où partent ce bruit vague, ce bêlement, ce son de cloche, ce cri humain ?

Il faut rentrer. Par une route déjà effacée, je retourne au village. Lui seul connaît son nom. D'humbles paysans l'habitent, que personne ne vient jamais voir, excepté moi.

 

2023/11/21

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「千人の昼幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 千人の昼幽霊【せんにんのひるゆうれい】 〔奇異珍事録〕我等小普請方勤役の内、手代組頭に山下幸八郎と云ふ者あり。渠《かれ》あまり老年にあらざれども、両足叶はざるゆゑ、勤にさゝはり、常々苦労したり。上州草津へ二度迄湯治しけるが、その印《しる》しなかりしまゝ我等月番の節、幸八願ひけるは、私《わたくし》痛所《いたむところ》両度迄の湯治印し無ㇾ之間、この度豆州熱海へ湯治致度候、乍ㇾ然《さりながら》最早三度の事ゆゑ、内々相伺ひ候なり。我等言へるは、病気の事に付き、苦しかるまじとは思へども、上《かみ》の事は如何あるべきやも知れざる事ゆゑ、内々奉行迄承り遣《つかは》すべしと、則ちその節の小普請奉行小幡山城守へ内々申し達すに、時の若年寄小出信濃守殿へ御内々伺はれし所、それは病気の事に付き苦しからず、然し書面に度数認(したた)むるは如何なれば、三度と云ふ事は認めず、書附出《いだ》すべしとの御事ゆゑ、その趣に書附出させ差上げて、事故なく御暇《おんいとま》相済み、湯治し帰りけり。我等東海道は、巡見の節并《ならび》に鎌倉鶴ケ岡御修復御用の節、駿州清水湊へ御材木の請取方に相越し、江尻迄行きたれば案内しれり。これによりて幸八、道中の咄しあり。さして珍事も無ㇾ之候へども、替りたる咄し箱根にて承りたるとて咄しけるは、今年七月十六日に二子山を、昼八ツ時頃[やぶちゃん注:不定時法で午後二時過ぎ。]、幽霊千人ばかり幡《はた》天蓋をかざし通りし由、右峠の者も皆々見候由、駕籠の者咄したりしとなり。その後我等京都の御普請御用にて登る節、箱根人足の内、甚だ口を聞くやつあり。落し咄しまたは狂歌など咄して、中々道のなぐさみになりけるまゝ、近く呼びて聞くに、この者いふは、旦那をば久しくて供《とも》するとなり。それは如何の事と問ふに、見知れる事あり、具足櫃の紋などは違《たが》はず、然し鑓の鞘、むかしは赤かりしが、今は白しといふ。成程もと赤うるしを、京都へ出立前《いでたつまへ》、白うるしにて塗直《ぬりなほ》したり。さるにても覚えよき男なり。我等此所を通りしは、巡見御用の節にて二十二年前なり、近頃鎌倉鶴岡御修復御用の節、駿州清水湊へ御材木の事に付き往来せしも、早十四年なり、それに鑓の鞘迄覚え居《を》るはいぶかし、慥《たしか》に汝は江戸の者にて、常に我を知れるなるべし、道中往来の諸士、その数量るべからず、十年も経し事、覚ゆべき謂(いは)れなしと云ひしに、この者笑ひて、供すれば忘るゝ事なし、私成程むかし江戸浅草の蔵前に有りしが、今この商売せり、故に名をも蔵前々々と人々呼ぶとなり。さあらば覚えよき汝、尋ねたき事あり、あれなる二子山に、近き頃昼幽霊余多(あまた)出し事ありやと聞く。彼《かの》男答ふは、その年地震して往来も道違《たが》ひ、外《ほか》の道通ひ路《ぢ》、湖水も乾きなどして色々の怪有り、七月十八日昼八ツ時<午後二時>頃、成程人数《にんず》あまた幽霊、二子山を通りしと語る。幸八が物語りせしに寸分違はず、蔵前が覚えも奇なり。幽霊は夜の物にて、二人出たるを聞かず。これはさにあらず。凡そ千人程と云へるは、珍らしき事なれば爰に記す。

[やぶちゃん注:「奇異珍事録」は既出既注だが、再掲すると、幕臣で戯作者にして俳人・狂歌師でもあった木室卯雲(きむろぼううん 正徳四(一七一四)年~天明三(一七八三)年:彼の狂歌一首が幕府高官の目にとまった縁で御広敷番頭(おひろしきばんがしら)に昇進したとされる。四方赤良らの天明狂歌に参加した。噺本「鹿(か)の子餅」は江戸小咄流行の濫觴となった)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『鼠璞十種』第一(大正五(一九一六)年国書刊行会刊)のこちら(「二の卷」の『○幽靈』)で視認出来る。何だか怖くも、面白くも糞くもない話だが、千人の幽霊というのは、確かに読んだことも、聴いたこともなく、古今東西の怪談の中でもトビっきりの特異点の話ではある。この話の欠点は、事実であることを証明するためのくだくだしい信憑性を語る前振りが、だらだらと続き過ぎていて、肝心の「千人の昼幽霊」が、霞んでしまい、読者に、よく想起されないところにある、と私は考える。但し、芦ノ湖に近く、しかも標高が千九十九メートルと高いことから、ブロッケン現象・蜃気楼・逆転層反射等が起こって、参勤交代の大名行列のそれが、たまさか、映ったに過ぎないものであろう。

「小出信濃守」小出英持(ふさよし)は丹波国園部藩五代藩主。伊勢守から信濃守に叙任している。寛延元(一七四八)年七月一日、若年寄に就任しており、明和四(一七六七)年十月十五日に現職のまま、六十二歳で死去しているから、この閉区間(約十九年)が本話の時制となる。

「二子山」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「二人出たるを聞かず。」「二人は勿論、一人でも出たということも、これ、聴いたことがない。」という強調形か。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「善通寺狸」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 善通寺狸【ぜんつうじたぬき】 〔耳囊巻一〕讃州松山善通寺<香川県善通寺市>、大地の禅林にてありしが、文化一、二の年にもありしよし、彼寺に暫く納所といふべき事せし僧あり。至つて律儀篤実の僧にて、寺中諸勘定の事預かりしが、元来算勘等不案内の僧徒の事なれば、潔白正路に執り行ふといへども、金子弐拾両程の勘定何分相立たず、朝夕この事を思ひなやみて、色々改むるといへども、その出る所なし。兼ねて律儀の僧ゆゑ、所詮生きて居《ゐ》ば恥辱なりと、一途に思ひつめて、所詮死すべしと思ひ極め、その事認(したた)め置きて、今宵は死すべしと、坐を組みてありけるに、戸さしの外にて暫く待ち給へと声懸けし故、心中の事なれば、人の知るべき謂れなし、何者なりやと咎めぬれば、先づ表へ出《いで》給へ、申すべき事ありといふ故、不思議の事なりと立出で見れば、古狸にて、恐れ給ひそ、御身も聞き及びなん、我はこの山に数年《すねん》住めるものなり、御身何故心志《しんし》を労し、死すべきと思ひ極めしぞととふ故、かく心決せし上は、隠すべきにあらず、しかじかの事にて、我死を決せり、兼ねて山中に年久しく住める狸ありとは聞きしが、いかなる故にか、我死をとゞむるやと尋ねければ、何程の事なりやと尋ねて、二十金の由を聞き、何卒明後日までに調達なさんと約して立帰りしが、かの僧心に思ひけるは、狸の金子所持すべきやうなし、全く盗み取りてわれを救はん心なるべし、我手を出さずとも、彼《か》れが盗みとりし金にて間を合せんは、盗も同じ事なりと存じ返し、狸を呼び止めて、志は過分至極なれど、この事止めにすべし、汝がもつべき金にあらざれば、定めて他より盗み取るなるべしと、いさいに断りければ、尤もなる事なれど、さらさらその如くの事にあらず、心を安んじ給へといひて出で去りぬ。さて翌々日に至り、夜に入りて待ちけるに、狸来りて金二十両渡しぬ。うれしくも約をたがへざる事と歓び謝して、かの金改め見るに、常の小判にあらず。いかなる金なりやと尋ねければ、かの狸答へけるは、これは土佐の境、人倫たえたる幽谷へ、長曾我部没落の時、器財金銀を押埋め取捨てたるなり、これを取らんとする我党のものも、容易に取得《とりえ》がたし、漸《やうや》くこの通りの数を揃へし也、善通寺の山に年久しく住みて、子孫も多く食にも不足の事ありしが、御身納所にて、仏へ備ふる食物等を山へ捨て給ふゆゑ、我眷属を養ふ事を得たり、この恩をも報じたく、また御身退き給はゞ、いかなる納所か出で来て、我等が為にもあしかるべしと、かくこそ思ひつゞけ、眷属(みうち)共を催して、漸く右埋金を取得しなりと語りてさりぬ。さてかの金を見るに、通用の品にあらざれば、引替へんにもし方《かた》なく、今は隠すべきにあらざれば、住僧ヘしかじかの事、一部始終かたりければ、住僧大いに驚き、年中の勘定ゆゑ、不足あらばその訳申せしとて、死に及ぶ事、夢々あるべき事ならずと、彼が貞実を感じ、さて右の金子、住僧の取計らひにもなり難きゆゑ、事の訳を領主役所へ訴へければ、領主にても奇異の事に思ひ、かの金子通用金子に直せば、いか程ならんと、その職の者へ尋ねしに、百金余になるべき由ゆゑ、右の金子は領主に留め置き、百金余を善通寺ヘ与へけるとなり。

[やぶちゃん注:私のものでは、底本違いで、「耳嚢 巻之八 讚岐高松善通寺狸の事」である。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鴫(しぎ)」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとした