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2023/11/30

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の筆蹟」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇は複数話を合わせてあり、かなり長い。また、以下の第一話には、底本で狸の描いた画が載る。しかし、底本のそれは小さく、『ちくま文芸文庫』のそれを読み取る気にもならない。されば、ここは引用元の、私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編・第五集) 古狸の筆蹟』に掲げたものを、第一話の底本で挿入してあるのは場所がずれていてよくないので、私の方で適切な位置に配することとした。

 

 狸の筆蹟【たぬきのひっせき】 〔兎園小説第五集〕世に奇事怪談をいひもて伝ふること、多くは狐狸のみ。貒(まみ)、狢《むじな》、猫の属ありといへども、これに及ばず。思ふに狐の人を魅(ばか)す事甚だ害あり。狸の害はしからず。かくて古狸のたまたま書画をよくすること、世人の普《あまね》くしるところにして、已に白雲子の蘆雁の図は、写山楼の蔵にあり、良恕のかける寒山の画は、蘆園主人示されき。その縮本今載せて『耽奇漫録』中に収めたり。これまさしく老狸の画けるものにして、諸君と共に目撃する所なり。しかるにその書をかけることを、予<山崎美成>嘗て聞けるは、武州多摩郡国分寺村<東京都国分寺市>名主儀兵衛といふ者の家に、狸のかきたりし筆跡あり。三社の託宣にて、篆字、真字、行字をまじへ、文章も違へる所ありて、いかにも狸などの書きたらんと見ゆるものなるよし、これは狸の僧のかたちに化けて、この家に止宿し、京都紫野大徳寺の勧化僧《くわんげそう》にて無言の行者と称し、用事はすべて書をもて通じたり。辺鄙の事故、在り難き聖のやうに思ひて、馳走して留めたりといふ。その後、武蔵の内にて犬に見咎められてくひ殺され、狸の形をあらはしゝとのことなりしとぞ。その頃、この事を人々にも語りしに、友人鹿山の同日の談ありとていへらく、予往年鎌倉に遊びしとき、川崎<神奈川県川崎市>の駅に止宿し、問屋某の家に蔵する所の狸の書といふものを見たり。「不騫不崩南山之寿」と書けり。その書体、八分にもあらず。真行にもあらず。奇怪言ふべからず。いかにも狸の書といふべし。問屋の話に、鎌倉辺の僧のよしにて、そのあたりを勧化せし事、五六年の間なり。果は鶴見生麦の辺にて犬に食はれしよし、この事はさのみ久しき事にあらず。予が遊びし十年も前の事なりといふ。この二条、その年月を詳《つまびらか》にせずといへども、今その墨跡の現にその家に存したれば疑ふべからず。〔同〕下総香取<千葉県香取郡>の大貫村藤堂家の陣屋隷《じんやれい》なる某甲の家に棲めりしといふ古狸の一くだりは、予もはやく聞きたることあり。当時その狸のありさまを見きといふ人のかたりしは、件の狸は彼家の天井の上にをり、その書を乞はまくほりするものは、みづからその家に赴きて、しかじかとこひねがへば、あるじそのこゝろを得て紙筆に火を鑽(き)りかけ、墨を筆にふくませて席上におくときは、しばらくしてその紙筆、おのづからに閃き飛びて天井の上に至り、又しばらくしてのぼりて見れば、必ず文字あり。或は鶴亀、或ひは松竹、一二字づつを大書して、田ぬき百八歳としるしゝが、その翌年に至りては百九歳とかきてけり。これによりて前年の百八歳は、そらごとならずと人みな思ひけるとなん。

 

Tanukinohisseki_20231130135401

 

されば狸は天井より折ふしはおりたちて、あるじに近づくこと常なり。また同藩の人はさらなり。近きわたりの里人の日ごろ親しみて来るものどもは、そのかたちを見るもありけり。ある時あるじ、戯れにかの狸にうちむかひて、なんぢ既に神通あり、この月の何日には、わが家に客をつどへん、その日に至らば何事にまれ、おもしろからんわざをして見せよかしといひにけり。かくて其日になりしかば、あるじ、まらうどらに告げていはく、某嚮(さき)に戯れに狸に云々といひしことあり、さればけふのもてなしぐさには、只これのみと思へども、渠よくせんや、今さらに心もとなくこそといふ。人々これをうち聞きて、そはめづらしき事になん、とくせよかしとのゝしりて、盃をめぐらしながら賓主かたらひくらす程に、その日も申(さる)の頃になりぬ。かゝりし程に、座敷の庭忽ち広き堤になりて、その院のほとりには、くさぐさの商人あり。或は葭簀張(よしず《ばり》)なる店をしつらひ、或ひはむしろのうへなどに物あまたならべたる、そを買はんとて、あちこちより来る人あり。かへるもあり。売り物のさはなる中に、ゆで蛸をいくらともなく簷《ひさし》にかけわたしさへ、いとあざやかに見えてけり。人々おどろき怪しみて、猶つらつらとながむるに、こはこの時の近きわたりにて、六才にたつ市にぞありける。珍らしげなき事ながら、陣屋の家中の庭もせの、かの市にしも見えたるを、人みな興じてのゝしる程に、漸々にきえうせしとぞ。これよりして狸の事、をちこちに聞えしかば、その書を求むるものはさらなり。病難利慾何くれとなく、祈れば応験ありけるにや。縁を求めて詣づるもののおびたゞしくなりしかば、遂に江戸にもそのよし聞えて、官府の御沙汰に及びけん。有司みそかに彼地に赴き、をさをさあなぐり糺ししかども、素より世にいふ山師などのたくみ設けし事にはあらぬに、且つ大諸侯の陣屋なる番士の家にての事なれば、さして咎むるよしなかりけん。いたづらにかへりまゐりきといふものありしが、虚実はしらず。これよりして、彼家にては紹介なきものを許さず。まいて狸にあはする事はいよいよせずと聞えたり。これらのよしを伝聞せしは、文化二三年のころなりしに、こののちはいかにかしけん。七十五日と世にいふ如く噂もきかずなりにけり。(このころ両国広巷路にて、狸の見せ物を出だしゝありしに、かの大貫村なる狸の風聞高きにより、官より禁ぜられしなり) 〔蕉斎筆記巻三〕 [やぶちゃん注:一字空けはママ。]当五月凡十子《はんじふし》(串田弥助なり)江戸よりの帰路、伊勢参宮の願ひありて、池鯉鮒(ちりう)の宿より南へあたり、亀浜と云ふ所有り。それより二見の浦へ参らんと、亀浜迄行きけるに、折節麦こなし[やぶちゃん注:農家で、収穫して干した麦の束から実を外し、麦粒にする作業を指す。現在の六月頃で、農事では稲刈りに次ぐ農繁期であり、木槌で打ったり、千歯扱きで引き梳くのに猫の手も借りたい時期で、普通に道端で盛んに行われた。或いは、そのために農家でない力自慢の船子(ふなこ)なども雇われたのであろう。続く以下の一文がそれを示唆しているようにも読める。]の時節なれば、一向に便船なく、其所の鳴田久兵衛と云ふものの所に止宿せり。元は酒造家なり豪家にても有りけるが、近来《ちかごろ》は百姓ばかりして追々身上《しんしやう》もよくなり、そのあたりにての家柄なり。さて亭主色々の咄有りけるに、その父禅学を好み京都へも出、大徳寺の和尚を帰依しけるが、或時和尚にもちと亀浜辺ヘも来り、御逗留あれかしなど云ひ置き帰りけるが、その後半年ばかりして大徳寺和尚一人ふらりつと見えたり。則ちこの座敷に逗留し給ひけるゆゑ、御気詰りにも有るべしなど色々慰め、筆硯など出しければ、一行物額字その外書写し楽しまれ、折節白地の屛風有りけるゆゑ、これへ御書き下さるべしなどいひければ、打付書《うちつけが》きに偈《げ》を書き、紫野大徳寺和尚と印迄居(す)ゑられたり。凡そ百三十日ばかりも逗留して帰り申されぬ。その後京都へ書状遣はし、よくこそ遠路御出御逗留ありしなど、念頃に礼を申遣はしけるに、和尚一円覚えなき事、定めて例のまいす坊主めなるべし、しかし亭主と馴染の事なれば不審なりと申しやられけるに、これは不思議なることなり、則ちその節の書き物なりとて、またまた遣はしけるに、和尚横手を打ち、これは不思議の事なり、狸の所為なるべし、既に夜中《やちゆう》座禅し偈を作り経をよみければ、縁先に古狸来り聞《きき》ける故、障子を明ければその儘立去りぬ、毎夜の事故、苦しからず、それにてきけかしといはれけれども、畜生の浅ましさには遂に逃行きぬ、その後また来《きた》ることなかりしに、その折柄《をりから》より机の上に置きたるこの石印《せきいん》見えず、右の古狸ぬすみ我に化けて参りたるなるべしと申す事なり。諸方より聞及びたるもの、一行物額字等皆々所望にあひけれども、この屛風ばかり残りたりとなむ。甚だ奇談なり。その後其狸にてあるべし。大津の先にて出家一人を駕籠に乗替《のりかへ》るに、犬に見付けられ喰殺され、正体をあらはしけるに、その石印を所持しけりとなん聞えし由、亭主咄しけるとなり。凡十子その屛風を見られけるに、見事なる手跡なりとなり。<『道聴塗説第三編』に同様の文章がある>〔真佐喜のかつら〕自在庵能阿は其角《きかく》座の俳諧師なり。狂ありてをかしみある句を好み、この叟《さう》狸の書《かき》たると言ふ短冊一葉を蔵す。「名月や畳のうへに桧のかげ」と云ふ句なり。予<青葱堂冬圃>過し[やぶちゃん注:ママ。後掲の活字本も不審としてママ注記を打つ。]事の有りしが、墨色筆勢甚だ奇なり。その子細をきくに、或年この叟房州へ杖を引き、戻りに上総国某の村に知れる家有り、二三日足をとゞむ。主も風雅の好人《すきびと》にて、俳談終夜なりしが、我家に去年冬より当夏までおかしき事のありぬ。故ありて狸一疋を助けしより、竃《へつつい》へ火をもさんとするに、薪木《たきぎ》の葉など入れあり。瓶へ水を汲まんとするに、いつしか水汲み入れありて下男どもが手助けとなり、されど只《ただ》火の事と座敷の事は少しもなさず。定めて狸の業《わざ》なるべしとおもしろがりしが、いつかその事やみて、また一夜夢みる事ありてより、一間の内へ墨摺り筆紙添へ、なににても手本を入れ置けば、その手本の通りに認《したため》かひぬ[やぶちゃん注:意味不明。同前でママ注記あり]。貴叟もこのみ給はゞ、何なりともかゝせ給へと云ふにより、まへの句かきて入れ置きしに、程なく書き置きたりとかたりぬ。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(右ページ上段から)で視認出来る。なお、この記事はパート標題『寬政七乙卯年拔書』であるから、「五月」は五月一日がグレゴリオ暦一七九五年六月十七日である。

「凡十子(串田弥助なり)」広島藩藩士で勘定所吟味役となっている。

「池鯉鮒(ちりう)の宿」東海道五十三次の三十九番目の宿場であった愛知県知立(ちりゅう)市にあった「池鯉鮒宿」(ちりゅうしゅく:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。歴史的仮名遣は「ちりふ」が正しい。

「亀浜」不詳。旧池鯉鮒宿の比較的近くなら、南南西に愛知県半田市亀崎町がある。

「二見の浦」伊勢市の二見が浦。亀崎港からなら、違和感はない。

「大徳寺」京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派大本山龍宝山大徳寺

「道聴塗説《だうちやうとせつ》第三編」儒者大郷信斎(おおごうしんさい 明和九(一七七二)年~天保一五(一八四四)年:名は良則。越前鯖江藩士。始め、芥川思堂に師事し、後、昌平黌で林述斎に学んだ。述斎が麻布に創建し学問所城南読書楼の教授とあった。文化一〇(一八一三)年には、藩が江戸に創設した稽古所(後の惜陰堂)でも教えた。著作に「心学臆見論」など)が、文政八(一八二五)・九年から、天保元(一八三〇)年にかけての風聞・雑説を記したもの。なお、この書名は一般名詞では、「論語」の「陽貨」にある「子曰、道聽而塗說、德之棄也。」に拠る語で、「路上で他人から聞いたことを、すぐに、その道でまた第三者に話す。」意で、「他人から、よい話を聞いても、それを心に留めて自分のものとしないままに、すぐ他に受け売りすること」を指す。転じて、「いい加減な世間の噂話・聴き齧りの話」の意である。

「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここ(左ページ)で正規表現で視認出来る。

 なお、私の「柴田宵曲 妖異博物館 狸の書」も参照のこと。――もう――飽きた、正直、ね…………]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「アガアト」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Agathe

 

     アガアト

 

 

 オノリイヌの代りには、その孫娘のアガアトが來ることになつた。

 物珍しさうに、にんじんは、この新來の客を觀察した。この數日間、ルビツク一家の注意は、彼から彼女の方へ移るわけである。

 「アガアトや」と、ルピツク夫人は云ふ――「部屋へはひる前には、叩いて合圖をするんだよ。だからつて、なにも、馬みたいな力で戶を蹴破らなくつたつていゝんだからね」

 「そろそろ始まつた」と、にんじんは心の中で云つた――「まあ、晝飯の時、どんなか見てゝやらう」[やぶちゃん注:この二ヶ所は二重鍵括弧とすべきところである。]

 食事は、廣い臺所でするのである。アガアトはナフキンを腕にかけ、竈(へつつい)から戶棚へ、戶棚から食卓へ、いつでも走る用意をしてゐる。といふのが、彼女はしずしずと步くなんていふことがほとんどできないのである。頰(ほつ)ぺたを眞赤(まつか)にし、呼吸をきらしてゐるほうがいいらしい。[やぶちゃん注:「竈」このままでは、多くの読者は「かまど」と読む。しかし、先行する「鍋」で岸田氏は「竈(へつつい)」とルビするので、それを採る。]

 そして、ものを言ふときは、あんまり早口だし、笑ふときは聲が大き過ぎ、それになんでも、あんまり一生懸命になりすぎるのである。

 ルピツク氏が一番先へ席に着き、ナフキンをほどき、自分の皿を正面にある大皿の方へ押しやり、肉をよそひ、ソースをかけ、またその皿を引寄せる。飮みものも自分で注ぐ。それから、背中を丸くし、眼を伏せたまゝ、つゝましく、今日も何時もと同じやうに、我れ關せずといふ風で食事をするのである。[やぶちゃん注:「注ぐ」戦後版では「注(つ)ぐ」とルビする。それに従う。]

 皿を更へるときは、彼は椅子の方へからだをそらし、尻をちよつと動かす。

 ルピツク夫人は、自分手づから、子供たちの皿につけてやる。第一番に兄貴のフエリツクス。これは、もう我慢ができないほど腹を空かしてゐるからだ。次は姉のエルネスチイヌ。年長の故にである。おしまひがにんじん。彼は食卓の一等隅つこにゐるのである。

 彼は固く禁じられてゞもゐるやうに、決してお代りをしない。一度よそつた分だけで滿足してゐるらしい。だが、もつと上げようと云へば、それは貰ふのである。飮みものなしで、彼は、嫌ひな米を頰張る。ルピツク夫人の御機嫌を取るつもりである。一家のうちで、たつた一人、彼女だけは米が大好きなのである。

 これに反して、誰に氣兼ねもいらない兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌは、お代りが欲しければ、ルピツク氏のやり方に慣つて、自分の皿を大皿の方へ押しやるのである。

 たゞ、誰も喋らない。

 「この人たちは一體どうしたんだらう」

 アガアトは、さう思つてゐる。

 彼らはどうもしないのである。さういふ風なのだ。たゞそれだけである。

 彼女は、誰の前でもかまはない、兩腕を伸ばして欠伸をしないではゐられない。

 ルピツク氏は、硝子のかけらでも嚙むやうに、ゆつくり食べてゐる。

 ルピツク夫人は、これはまた、食事の時以外は鵲よりもお饒舌なのだが、食卓につくと、手眞似と顏つきでものを云ひつけるのである。[やぶちゃん注:「お饒舌」戦後版を参考にするなら、「おしやべり」。]

 姉のエルネスチイヌは、眼を天井に向けてゐる。

 兄貴のフエリツクスはパンの屑で彫刻をこしらへ、にんじんは、湯吞がもうないので、皿についたソースを拭き取るのに、あんまり早すぎては食ひ心棒みたいだし、あんまり遲すぎても愚圖々々してゐたやうだし、そこをうまくやらうと、そのことばかりに心を遣つてゐる。この目的から、彼は、複雜な計算に沒頭する。

 だしぬけに、ルピツク氏が、水差しに水を入れに行く。

 「わたしが行きますのに・・・」

と、アガアトが云ふ。

 或は、寧ろ、そう云つたのではなく、たださう考へたゞけである。彼女は、それだけでもう、世の中のあらゆる不幸に見舞はれたやうに、舌が硬ばり、口をきくことができない。だが、自分の落度として、注意を倍加するのである。

 ルピツク氏のところには、もう殆どパンがない。アガアトは、今度こそ、先手を打たれないやうにしなければならぬ。彼女は、ほかの者のことを忘れるくらゐにまで、彼の方に氣をつけてゐる。そこで、ルピツク夫人は、突慳貪に、

 「アガアトや、お前、さうしてると、からだから枝が生えやしないかい」

 やつと、性根をつけられて、[やぶちゃん注:気合をいれられて。]

 「はい、なんでございます」

と、答へる。

 それでも、彼女は、ルピツク氏から眼を離さずに、心を四方に配つてゐるのである。彼女は、氣がきくといふ點で、彼を感心させ、自分の値打を認めてもらはうといふのだ。

 時こそ來れである。

 ルピツク氏がパンの最後の一口を、今や口へはうり込んだと思ふと、彼女は戶棚の方へ飛んで行き、まだ庖丁も入れてない五斤分の花輪形パンをもつて來て、それをいそいそと彼の方に差出した。主人の欲しいものが、默つてゐてもわかつたといふうれしさで、胸がいつぱいだ。

 ところが、ルピツク氏は、ナフキンを結び、食卓を離れ、帽子をかぶり、裏庭へ煙草を喫ひに行くのである。

 食事が濟んでから、またはじめるなんていふことを、彼はしない。

 釘づけみたいに、そこへ立つたまゝ、アガアトは、ぽかんとして、五斤かゝる花輪形パンをお腹(なか)の上に抱え[やぶちゃん注:ママ。]、浮袋會社の蠟細工看板そつくりである。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。私は文句なしに、「にんじん」の登場人物の中で、このアガアトを無条件で――「愛する」人種である。なお、「にんじん」がしでかした冤罪で暇を出された悔しいオノリイヌも、孫娘が代わりに女中に入ったから、絶望の果ての極みというわけでも、まあ、なかろうか。

「鵲」スズメ目カラス科カササギPica pica 。「カカカカッツ」「カチカチ」「カシャカシャ」といつたうるさい鳴き声を出す。本邦では、大伴家持の「かささぎのわたせる橋におく霜のしろきをみれば夜ぞふけにける」等で「七夕の橋」となるロマンティクな鳥であるが(但し、日本では佐賀県佐賀平野及び福岡県筑後平野にのみに棲息する。これが日本固有種か、半島からの渡来種かは、現在でも評価が分かれている)、ヨーロツパでは、キリストが架刑された際、カササギだけが嘆き悲しまなかつたといふ伝承からか、「お喋り」以外にも、「不幸」・「死の告知」・「悪魔」・「泥棒」(雑食性から。学名の“pica”自体がラテン語で「異食症の」といふ意味)と、シンボリックには極めて評価が悪い。

「落度」過ち・失敗。正しくは「越度」と書く(歴史的仮名遣では古くは「をつど」で、後に音変化で「をちど」となった。本来は、本邦で「通行手形を持たずに関所破りをして間道を越え抜ける罪」を指す語であった。戦後版では正しく『越度』となっている。

「花輪型パン」原文は“couronne” (音写「クロォンヌ」)で、「冠」の意。「王冠型の中央部が抜けた環状の丸いフランスパン」を指す。岸田氏はレンゲの花の冠などを想起したのであろうが、ここではそれなりに大きい(だから最後に「浮袋會社の蠟細工看板」にそつくりなのである。ちなみに「浮袋會社」といふのもやや不自然。「救命用具を製造している会社」の謂いである)から、「花輪」といふ訳では、本邦の葬花の花輪をイメージしてしまうので、私には余り良い訳語とは思われない。所持する他の訳者は孰れも「王冠パン」とする。それがよい。

「五斤」原文は“cinq livres”で“livre”(リーヴル)は「ポンド」に相当する重量単位である。一斤は約四百五十三グラムで、五掛けで二・二六五キログラムとなるから、当初、これはやや誇張表現かと注したが、調べて見ると、“couronne”には三キログラムの巨大なものもあることが判った。]

 

 

 

 

    Agathe

 

   C’est Agathe, une petite-fille d’Honorine, qui la remplace.

   Curieusement, Poil de Carotte observe la nouvelle venue qui, pendant quelques jours, détournera de lui sur elle, l’attention des Lepic.

   Agathe, dit madame Lepic, frappez avant d’entrer, ce qui ne signifie pas que vous devez défoncer les portes à coups de poing de cheval.

   Ça commence, se dit Poil de Carotte, mais je l’attends au déjeuner.

   On mange dans la grande cuisine. Agathe, une serviette sur le bras, se tient prête à courir du fourneau vers le placard, du placard vers la table, car elle ne sait guère marcher posément ; elle préfère haleter, le sang aux joues.

   Et elle parle trop vite, rit trop haut, a trop envie de bien faire.

  1. Lepic s’installe le premier, dénoue sa serviette, pousse son assiette vers le plat qu’il voit devant lui, prend de la viande, de la sauce et ramène l’assiette. Il se sert à boire, et le dos courbé, les yeux baissés, il se nourrit sobrement, aujourd’hui comme chaque jour, avec indifférence.

   Quand on change de plat, il se penche sur sa chaise et remue la cuisse.

   Madame Lepic sert elle-même les enfants, d’abord grand frère Félix parce que son estomac crie la faim, puis soeur Ernestine pour sa qualité d’aînée, enfin Poil de Carotte qui se trouve au bout de la table.

   Il n’en redemande jamais, comme si c’était formellement défendu. Une portion doit suffire. Si on lui fait des offres, il accepte, et sans boire, se gonfle de riz qu’il n’aime pas, pour flatter madame Lepic, qui, seule de la famille, l’aime beaucoup.

   Plus indépendants, grand frère Félix et soeur Ernestine veulent-ils une seconde portion, ils poussent, selon la méthode de M. Lepic, leur assiette du côté du plat.

   Mais personne ne parle.

   Qu’est-ce qu’ils ont donc ? se dit Agathe.

   Ils n’ont rien. Ils sont ainsi, voilà tout.

   Elle ne peut s’empêcher de bâiller, les bras écartés, devant l’un et devant l’autre.

  1. Lepic mange avec lenteur, comme s’il mâchait du verre pilé.

   Madame Lepic, pourtant plus bavarde, entre ses repas, qu’une agace, commande à table par gestes et signes de tête.

   Soeur Ernestine lève les yeux au plafond.

   Grand frère Félix sculpte sa mie de pain, et Poil de Carotte, qui n’a plus de timbale, ne se préoccupe que de ne pas nettoyer son assiette, trop tôt, par gourmandise, ou trop tard, par lambinerie. Dans ce but, il se livre à des calculs compliqués.

   Soudain M. Lepic va remplir une carafe d’eau.

   J’y serais bien allée, moi, dit Agathe.

   Ou plutôt, elle ne le dit pas, elle le pense seulement. Déjà atteinte du mal de tous, la langue lourde, elle n’ose parler, mais se croyant en faute, elle redouble d’attention.

  1. Lepic n’a presque plus de pain. Agathe cette fois ne se laissera pas devancer. Elle le surveille au point d’oublier les autres et que madame Lepic d’un sec :

   Agathe, est-ce qu’il vous pousse une branche ?

la rappelle à l’ordre.

   Voilà, madame, répond Agathe.

   Et elle se multiplie sans quitter de l’oeil M. Lepic. Elle veut le conquérir par ses prévenances et tâchera de se signaler.

   Il est temps.

   Comme M. Lepic mord sa dernière bouchée de pain, elle se précipite au placard et rapporte une couronne de cinq livres, non entamée, qu’elle lui offre de bon coeur, tout heureuse d’avoir deviné les désirs du maître.

   Or, M. Lepic noue sa serviette, se lève de table, met son chapeau et va dans le jardin fumer une cigarette.

   Quand il a fini de déjeuner, il ne recommence pas.

   Clouée, stupide, Agathe tenant sur son ventre la couronne qui pèse cinq livres, semble la réclame en cire d’une fabrique d’appareils de sauvetage.

 

ぎっくり腰になる

四日前の夜、父をベッドで起こす際に、自分の体を捩じってしまい、背骨の中央よりやや上に違和感を感じた。翌日から、そこが痛み出し、しゃがんだりする際、痛みが走る。湿布を張ったが、一向に痛みがとれないので、先ほど、主治医のところへ行ったら、「ぎっくり腰」と診断された。今まで「ぎっくり腰」になったことはなかった。年寄りのそれと思っていた。考えてみれば、六十六歳の私は、既にして立派な「年寄り」であることを痛感した次第である。

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「知らん顏」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Sirankao

 

     らん

 

 

「母さん! オノリイヌ!」

・・・・・・

 にんじんは、また、なにをしようといふのか? 彼は、折角の話を臺なしにしさうだ。幸ひ、ルピツク夫人の冷やかな視線の下で、彼は、ぴたりと口を噤んでしまふ。

 オノリイヌに、かう云ふ必要があるだらうか――

 「僕がしたんだよ」

 どんなにしても、この婆さんを助けることはできないのだ。彼女はもう眼が見へ[やぶちゃん注:ママ。]ない。もう眼が見えないのだ。氣の毒だが、しかたがない。早晚、彼女は、我を折らねばならぬだらう。こゝで、彼が自白をしても、それは彼女を一層悲しませるだけの話だ。出て行くなら出て行くがいゝ。そして、それがにんじんの仕業とは氣づかず、運命の避け難き兇手が、わが身に降りかゝつたものと思つてゐるがいゝ。

 それからまた、母親にかう云ふと、どういふことになるのだ――

 「母さん、僕がしたんだよ」

 自分の手柄を吹聽し、褒美の一笑にありつかうとしたところで、さあ、それが何になる? おまけに、うつかりすると、ひどい目に遭ふかも知れない。なぜなら、かういふ事件に、彼が喙を容れる資格はないなんていふことを、ルピツク夫人は誰の前でも云ひ兼ねないからだ。彼はそれを知つてゐるのである。寧ろ、母親とオノリイヌが鍋を探す、それを手傳ふやうな風をしてゐるに限る。[やぶちゃん注:「喙」「くち」。]

 で、いよいよ、三人が一緖になつて鍋を探しはじめると、彼は誰よりも熱心らしく見えるのである。

 ルピツク夫人は、うはの空で、眞先に斷念する。

 オノリイヌも、諦めて、なにかぶつぶつ云ひながら向うへ行つてしまふ。するとやがて、にんじんは、心配のあまり氣が遠くなりさうなのだつたのを、やつと我れに返るのである。それは丁度、正義の刄(やいば)用ふるに要なく、再び鞘に納まつた形だ。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。「にんじん」の捩じれたアンビナレントな母への思いが、最悪最下劣な――ルピック夫人にとっては最上見事にして「渡りに舟」の――結末を迎えるのであった。

 なお、原文は原本に従い、少しいじってある。]

 

 

 

 

    Réticence…

 

   Maman ! Honorine !

・・・・・・・・・・・・・・・・・

   Qu’est-ce qu’il veut encore, Poil de Carotte ? Il va tout gâter. Par bonheur, sous le regard froid de madame Lepic, il s’arrête court.

   Pourquoi dire à Honorine :

   C’est moi, Honorine !

   Rien ne peut sauver la vieille. Elle n’y voit plus, elle n’y voit plus. Tant pis pour elle. Tôt ou tard elle devait céder. Un aveu de lui ne la peinerait que davantage. Qu’elle parte et que, loin de soupçonner Poil de Carotte, elle s’imagine frappée par l’inévitable coup du sort.

   Et pourquoi dire à madame Lepic :

   Maman, c’est moi !

   À quoi bon se vanter d’une action méritoire, mendier un sourire d’honneur ? Outre qu’il courrait quelque danger, car il sait madame Lepic capable de le désavouer en public, qu’il se mêle donc de ses affaires, ou mieux, qu’il fasse mine d’aider sa mère et Honorine à chercher la marmite.

   Et lorsqu’un instant tous trois s’unissent pour la trouver, c’est lui qui montre le plus d’ardeur.

   Madame Lepic, désintéressée, y renonce la première.

   Honorine se résigne et s’éloigne, marmotteuse, et bientôt Poil de Carotte, qu’un scrupule faillit perdre, rentre en lui-même, comme dans une gaine, comme un instrument de justice dont on n’a plus besoin.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鍋」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Nabe

 

     

 

 

 家族のために何か役に立つといふ機會は、にんじんにとつて、めつたに來ないのである。何処かの隅に縮こまつてゐて、彼はそいつが通るのを待ち構え[やぶちゃん注:ママ。]てゐる。豫めこれといふ當てもなく、彼は耳を澄まし、いざといふ場合に、物蔭から現れ出ようといふのだ。そして、何れを見ても、煩惱に心を亂されてゐる人々の中で、たゞ一人、頭の働きを失つてゐない遠謀深慮ある人物のごとく、事件一切の始末を引受けようといふのだ。

 處で彼は、ルピツク夫人が、利巧で確かな助手を欲しがつてゐるといふことを感づいた。どうせ彼女は、それを口に出して云ふ筈はない。それほど負け惜しみが强いのだ。契約は暗默の裡(うち)に締べばいゝ。それで、にんじんは、今後、督促を俟たず、しかも、報酬を當てにしないで立ち働かなければならぬ。

 決心がついた。

 朝から晚まで、竈(かまど)の自在鉤(かぎ)に鍋が一つ懸かつてゐる。冬は、湯が澤山いるので、この鍋が幾度となく、いつぱいになつたり、空つぽになつたりする。鍋は燃え盛る火の上で、ぐらぐら音を立てゝゐる。

 夏は、食事の後で、皿を洗ふためにその湯を使ふだけである。ほかの時は絕えず小さな口笛を吹きながら、用もないのに沸いてゐるのだが、その鍋の罅(ひゞ)だらけの腹の下で、消えかゝつた二本の薪が燻(いぶ)つてゐる。

 どうかすると、オノリイヌは、その口笛が聞えなくなるのである。彼女は、こごんで耳を押しつける。

 「みんな湯氣になつちまつた」

 彼女は、鍋の中へ、柄杓(ひしやく)に一杯水を入れる。二本の薪をくつつけ、灰を搔きまわす。やがてまた、懷かしいしやんしやんいふ音が聞え出す。すると、オノリイヌは安心して、ほかの用事をしに行くのである。

 假に誰かが彼女にかう云つたとする――

 「オノリイヌ、もう使ひもしない湯を、どうして沸かすんだい。鍋をおろしておしまひ。火をお消し。お前さんは、只みたいに薪を燃すんだね。寒くなると、がたがた顫え[やぶちゃん注:ママ。]てる貧乏人がどれだけあるか知れないんだよ。お前さんは一體、締るところは締る女(ひと)なんだのにね」[やぶちゃん注:「燃す」は「もす」と訓じておく。私のサイト版の他の三篇の訳を確認したが、「燃」の漢字を含む篇では、「もやす」型の読みは一つもなく、総て「もす」型であるからである。「締る」戦後版では二ヶ所とも『しま』とルビする。それを採る。]

 彼女は、返事に困つて、頭をゆすぶるだらう。

 自在鉤の先に、鍋が一つ懸かつてゐるのを、彼女は年(ねん)が年ぢう見て來たのだ。

 彼女は、年が年中、湯が沸(たぎ)るのを聞き、鍋が空つぽになれば、たとへ雨が降らうが、風が吹かうが、また日が照らうが、年が年中、そいつをいつぱいにして來たのだ。

 で、今ではもう、鍋に手を觸れることは勿論、それを眼で見る必要もない。彼女は、諳(そら)で覺えてゐるのである。たゞ、耳を澄して音を聽けばいゝ。それでもし、鍋が音を立てゝいなかつたら、柄杓で一杯水を注ぎ込むのである。それは丁度、彼女が南京玉へ糸を通すやうに、これこそ慣れつこになつてゐて、未だ嘗て見當を外したことはないのだ。

 それが、今日はじめて、彼女は見當を外したのである。

 水が悉く火の上に落ち、灰の雲が、五月蠅いものに腹を立てた獸のやうに、オノリイヌ目がけて飛びかゝり、からだを包み、呼吸をつまらせ、皮膚を焦がした。

 彼女は、後すざりをしながら、叫び聲を立てた。嚔(くさ)めをした。唾を吐いた。そして云ふ――

 「地べたから鬼が飛び出したかと思つた」

 眼がくつつき、それがちくちくと痛む。だが彼女は、眞黑になつた手を伸ばして竈の闇を探つた。

 「あゝ、わかつた」と、彼女は、びつくりして云ふ――「鍋がなくなつてる」

 「いや、そんなはずはない。さつぱりわからん」と、また云ふ――「鍋は、さつきまでちやんとあつたんだ。たしかにあつた。蘆笛のやうに、ぴいぴい音を立てゝゐた」[やぶちゃん注:「蘆笛」私なら「あしぶえ」と読んでしまうが、戦後版では『よしぶえ』であるので、それを採る。]

 してみると、オノリイヌが、野菜の切り屑でいつぱいになつた前掛を窓からふるふために、向うをむいてゐる間に、誰かゞそれを外して行つたに違ひない。

 だが、それは、一體、誰だ?

 ルピツク夫人は、嚴めしく、そして落ち着きはらつた樣子で、寢室の靴拭ひの上へ現はれる――

 「なにを大騷ぎしてるんだい、オノリイヌ」

 「騷ぎも騷ぎも、大變なことが起つたから、騷いでるんですよ」と、彼女は叫ぶ――「もうちつとで、わしや丸焦げになるとこだ。まあ、この木履(きぐつ)を見ておくんなさい。このスカアトを、この手を・・・。下着は跳ねだらけだし、カクシの中へは炭の塊りが飛び込んでるだし・・・。」

 

ルピツク夫人――その水溜(みずたまり)はなにさ。竈(へつつい)がびしよびしよぢやないか。これで、奇麗になるこつたろう。

オノリイヌ――わしの鍋を、どうして默つて持つてくだね。どうせ、あんたが外したに違ひない。

ルピツク夫人――鍋は、この家ぢうみんなのものなんだからね。それとも、あたしにしろ、旦那樣にしろ、また子供たちにしろ、その鍋を使ふのに、いちいちお前さんの許しを受けなきやならないのかい?[やぶちゃん注:「家」前例に徴して「うち」と読んでおく。]

オノリイヌ――わしや、無茶を云ふかも知れませんよ。腹が立つてしやうがないんだから。

ルピツク夫人――あたしたちにかい、それともお前さん自身にかい? さうさ、どつちにだい? あたしや物好きぢやないが、それが知りたいもんだね。全く呆れた女(ひと)だよ、お前さんは、鍋がそこにないからつて、火の中へ柄杓にいつぱい水をぶつかけるとは、隨分思ひきつたことをするぢやないか。おまけに意地を張つてさ、自分の粗相は棚に上げて、他人(ひと)に、あたしに、罪をなすくろうとする。かうなつたら、あたしや、どこまでもお前さんをとつちめるよ。

オノリイヌ――にんじん坊つちやん、おれの鍋は、何處へ行つたか知りなさらんか?

ルピツク夫人――なにを知つてるもんか、あの子が。第一、子供には責任はない。お前さんの鍋はどうでもいゝから、それより、昨日お前さんはなんと云つたか、それを思ひ出してごらん。――「そのうちに、自分で、湯一つ沸かすことができなくなつたつていふことに氣がついたら、追ひ出されなくつても、勝手に獨りで出て行く」――かう云つたらう。現に、あたしには、お前さんの眼のわるいことはわかつてた。だが、それほどまでひどいとは思つてなかつたよ。もう、これ以上なんにも云はない。あたしの身になつて考へてごらん。お前さんも、あたし同樣、さつきからの事情はわかつてるんだからね。自分で始末をつけるがいゝ。あゝ、あゝ、遠慮はいらないから、いくらでも泣くさ。それだけのことはあるんだもの。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「南京玉」陶製やガラス等で出来た小さい玉。糸を通す穴が空いており、指輪・首飾り・刺繡の材料等にするビーズのことである。但し、原文では“perle”で、綴りから判る通り、この語は原義は「真珠」である。但し、他に「真珠に似た対象」を指して、「南京玉・ビーズ」や、或いは、文学的に「露」等を換喩することもある。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清氏の訳「にんじん」では、岸田氏の訳に敬意を以って従い、「南京玉」である。一九九五年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第三巻の佃裕文氏の訳は『真珠に糸でもとおすように』であるが、私はここは逐語訳は好まない。「南京玉」或いは「ビーズ」でよいと思う。

「蘆笛」単子葉植物綱イネ目イネ科ヨシ Phragmites australis の葉を丸く巻いて作つた笛。本来は「アシ」であったが、これが「悪し」に通じることから、古くに変名が生まれ、現行では標準和名は「アシ」である。但し、これは最初に当該種に名づけられたものを採用することになっている命名規約に反する行為である。

「下着は跳ねだらけ」この「下着」は原作は“caraco”(カラコ)で、私の辞書でも「短い婦人の上着」であり、前掲の倉田氏訳も、佃氏訳も、「下着」ではなく、「上着」と訳してゐる。特に後者では、『上着(カラコ)』とルビを振り、後注をつけられ、『十八世紀末から十九世紀にかけて着用された、腰丈まであるブラウス風の婦人用上着』とある。残念ながら、語訳の類いである。

「罪をなすくろうとする」「冤罪をなすりつけようとする」の意。]

 

 

 

 

    La Marmite

 

   Elles sont rares pour Poil de Carotte, les occasions de se rendre utile à sa famille. Tapi dans un coin, il les attend au passage. Il peut écouter, sans opinion préconçue, et, le moment venu, sortir de l’ombre, et, comme une personne réfléchie, qui seule garde toute sa tête au milieu de gens que les passions troublent, prendre en mains la direction des affaires.

   Or il devine que madame Lepic a besoin d’un aide intelligent et sûr. Certes, elle ne l’avouera pas, trop fière. L’accord se fera tacitement, et Poil de Carotte devra agir sans être encouragé, sans espérer une récompense.

   Il s’y décide.

   Du matin au soir, une marmite pend à la crémaillère de la cheminée. L’hiver, où il faut beaucoup d’eau chaude, on la remplit et on la vide souvent, et elle bouillonne sur un grand feu.

   L’été, on n’use de son eau qu’après chaque repas, pour laver la vaisselle, et le reste du temps, elle bout sans utilité, avec un petit sifflement continu, tandis que sous son ventre fendillé, deux bûches fument, presque éteintes.

   Parfois Honorine n’entend plus siffler. Elle se penche et prête l’oreille.

   Tout s’est évaporé, dit-elle.

   Elle verse un seau d’eau dans la marmite, rapproche les deux bûches et remue la cendre. Bientôt le doux chantonnement recommence et Honorine tranquillisée va s’occuper ailleurs.

   On lui dirait :

   Honorine, pourquoi faites-vous chauffer de l’eau qui ne vous sert plus ? Enlevez donc votre marmite ; éteignez le feu. Vous brûlez du bois comme s’il ne coûtait rien. Tant de pauvres gèlent, dès qu’arrive le froid. Vous êtes pourtant une femme économe.

   Elle secouerait la tête.

   Elle a toujours vu une marmite pendre au bout de la crémaillère.

   Elle a toujours entendu de l’eau bouillir et, la marmite vidée, qu’il pleuve, qu’il vente ou que le soleil tape, elle l’a toujours remplie.

   Et maintenant, il n’est même plus nécessaire qu’elle touche la marmite, ni qu’elle la voie ; elle la connaît par coeur. Il lui suffit de l’écouter, et si la marmite se tait, elle y jette un seau d’eau, comme elle enfilerait une perle, tellement habituée que jusqu’ici elle n’a jamais manqué son coup.

   Elle le manque aujourd’hui pour la première fois.

   Toute l’eau tombe dans le feu et un nuage de cendre, comme une bête dérangée qui se fâche, saute sur Honorine, l’enveloppe, l’étouffe et la brûle.

   Elle pousse un cri, éternue et crache en reculant.

   Châcre ! dit-elle, j’ai cru que le diable sortait de dessous terre.

   Les yeux collés et cuisants, elle tâtonne avec ses mains noircies dans la nuit de la cheminée.

   Ah ! je m’explique, dit-elle, stupéfaite. La marmite n’y est plus…

   Ma foi non, dit-elle, je ne m’explique pas. La marmite y était encore tout à l’heure. Sûrement, puisqu’elle sifflait comme un flûteau.

   On a dû l’enlever quand Honorine tournait le dos pour secouer par la fenêtre un plein tablier d’épluchures.

   Mais qui donc ?

   Madame Lepic paraît sévère et calme sur le paillasson de la chambre à coucher.

   Quel bruit, Honorine !

   Du bruit, du bruit ! s’écrie Honorine. Le beau malheur que je fasse du bruit ! un peu plus je me rôtissais. Regardez mes sabots, mon jupon, mes mains. J’ai de la boue sur mon caraco et des morceaux de charbon dans mes poches.

 

     MADAME LEPIC

   Je regarde cette mare qui dégouline de la cheminée, Honorine. Elle va faire du propre.

     HONORINE

   Pourquoi qu’on me vole ma marmite sans me prévenir ? C’est peut-être vous seulement qui l’avez prise ?

     MADAME LEPIC

   Cette marmite appartient à tout le monde ici, Honorine. Faut-il, par hasard, que moi ou monsieur Lepic, ou mes enfants, nous vous demandions la permission de nous en servir ?

     HONORINE

   Je dirais des sottises, tant je me sens colère.

     MADAME LEPIC

   Contre nous ou contre vous, ma brave Honorine ? Oui, contre qui ? Sans être curieuse, je voudrais le savoir. Vous me démontez. Sous prétexte que la marmite a disparu, vous jetez gaillardement un seau d’eau dans le feu, et têtue, loin d’avouer votre maladresse, vous vous en prenez aux autres, à moi-même. Je la trouve raide, ma parole !

     HONORINE

   Mon petit Poil de Carotte, sais-tu où est ma marmite ?

     MADAME LEPIC

   Comment le saurait-il, lui, un enfant irresponsable ? Laissez donc votre marmite. Rappelez-vous plutôt votre mot d’hier : « Le jour où je m’apercevrai que je ne peux même plus faire chauffer de l’eau, je m’en irai toute seule, sans qu’on me pousse. » Certes, je trouvais vos yeux malades, mais je ne croyais pas votre état désespéré. Je n’ajoute rien, Honorine ; mettez-vous à ma place. Vous êtes au courant, comme moi, de la situation ; jugez et concluez. Oh ! ne vous gênez point, pleurez. Il y a de quoi.

 

2023/11/29

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「オノリイヌ」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Onorinu

 

     オノリイヌ

 

 

ルピツク夫人――お前さんは、もう幾歲(いくつ)だつけ、オノリイヌ?

オノリイヌ――この萬聖節で、丁度六十七になりました、奧さん。

ルピツク夫人――そいぢや、もう、いい年だね。

オノリイヌ――だからつて、別にどうもありませんよ、まだ働けるだもの。病氣なんぞしたことはなしね。頑丈なことゝ來ちや馬にだつて負けやしませんからね。

ルピツク夫人――そんなこと云ふなら、あたしが考へてることを云つてあげようか。お前さんは、ぽくりと死ぬよ。どうかした日の晚方、川から歸りがけに、背負つてる籠がいつもの晚より重く、押してる車が思ふやうに動かないのさ。お前さんは、車の梶棒の間へ膝をついて倒れる。濡れた洗濯物の上へ顏を押しつけてね。それつきりさ。誰か行つて起してみると、もうお前さんは死んでるんだよ。

オノリイヌ――笑はしちや困るよ、奧さん。心配しないでおくんなさい。脚だつて、まだぴんぴんしてるんだもの。

ルピツク夫人――さう云や、少しばかり前こゞみになつてきたね。だけど背中が丸くなると、洗濯をする時に、腰が疲れなくつていい。たゞどうにも困ることは、お前さんの眼が、そろそろ弱つて來たことだよ。さうぢやないとは云はせないよ。この頃、それがちやんと、あたしにはわかるんだ。

オノリイヌ――そんなことはないね。嫁に行つた頃とおんなじに、眼ははつきり見えるがね。

ルピツク夫人――よし。それぢや、袋戶棚を開けて、お皿を一枚持つて來て御覽、どれでもいゝ、若しお前さんが、ちやんと皿拭布をかけたといふなら、この曇り方はどうしたんだらう。[やぶちゃん注:「皿拭布」戦後版では、『さらふきん』とルビする。それを採る。]

オノリイヌ――戶棚の中に、濕りつ氣があるだね。

ルピツク夫人――そんなら、戶棚の中に、指が幾本もあるのかねえ。さうして、お皿の上をあつちこつちうろつき廻つてるのかねえ。この跡はなにさ。

オノリイヌ――あれま、何處にね、奧さん。なんにも見えませんよ。

ルピツク夫人――さうだらう? そいつを、あたしが咎めてるんだよ。いゝかい、婆や、あたしは、なにも、お前さんが骨惜しみをしてるつて云ひやしないよ。そんなことでも云つたら、そりや、あたしが間違ひだ。この土地で、お前さんぐらい精を出して働く女は一人だつでゐやしない。たゞ、お前さんは、年を取つて來た。尤も、あたしだつて年は取る。誰だつてみんな年を取るのさ。かうもしよう、あゝもしようと思つたつて、それだけぢやどうすることも出來ないやうになる。だからさ、お前さんだつて、時折りは、眼の中が、布を張つたやうに霞むこともあるだらうつていふのさ。いくらこすつても、なんにもならない。さうなつてしまつたんだから・・・。

オノリイヌ――それにしたつて、わしや、ちやんと眼は開けてるだよ。水桶の中へ顏を突込んだ時みたいに、皆目方角もわからないなんてこたあないんですけどね。

ルピツク夫人――いや、いや、あたしの云ふことは間違ひなし。昨日(きのふ)だつてさうだよ、旦那さんに、よごれたコツプを差上げたらう。あたしはなんにも云やしなかつた。なんだかんだつていふことになつて、お前さんがまた氣に病むといけないと思つてさ。旦那さんも、さうだ。なんにもおつしやらなかつた。これはまた、普段から、なんにもおつしやらない方だからね。だけど、なに一つ見逃しはなさらない。世間では、無頓着な人だと思つてるけど、こりや間違ひだ。それや、氣がつくんだからね。なんでも額の奧へ刻み込んどく。だから、そのコツプだつて、指で押しやつて、たゞそれだけさ。お晝には、辛棒して、たうとうなんにもお飮みにならなかつた。あたしや、お前さんと、旦那さんと、二人分、辛い思ひをしたよ。

オノリイヌ――そんな馬鹿な話つてあるもんぢやない。旦那さんが女中に氣兼ねするなんて・・・。さう云ひなさればいゝのに・・・。コツプを代へるぐらゐなんでもありやしない。

ルピツク夫人――それもさうだらう。だが、お前さんよりもつと拔目のない女たちが、どうしたつてあの人に口を利かせることは出來ないんだよ。旦那さんは、物を言ふまいつて決心していらつしやるんだからね。あたしは、もう諦めてる、自分ぢや。ところで、今話してるのは、そんなことぢやない。一と口に云つてみれば、お前さんの眼は日一日に弱つて來る。これが、洗濯だとか、なんとか、さういふ大きな仕事は、まあ、半分の粗相で濟むにしたところで、細かな仕事になると、これやもう、お前さんの手にやおへない。入費(かゝり)は殖えるけれど、しかたがない。あたしや、誰か、お前さんの手助けになる人をみつけようと思ふんだよ・・・。

オノリイヌ――わしや、ほかの女に尻いくつついていられちや、一緖にやつて行けませんや、奧さん。

ルピツク夫人――それを、こつちで云はうと思つてるとこさ。だとすると、どうしよう。正直なところ、あたしやどうすればいゝかねえ。

オノリイヌ――わしが死ぬまで、かういふ風にして、結構やつて行けますよ。

ルピツク夫人――お前さんが死ぬつて・・・? ほんとにそんなことを考へてるのかい。あたし達を生憎みんなお墓へ送り兼ねないお前さんぢやないか。そのお前さんが死ぬなんてことを、人が當てにしてるとでも思つてゐるのかい。

オノリイヌ――奧さんは、だけど、布きんのあてやうがちよつくら間違つてたぐらゐで、わしに暇をくれようつていふつもりは多分おあんなさるまい。だいいち、わしや、奧さんが出て行けつて云ひなさらにや、この家から離れませんよ。いつたん外へ出りや、けつく、野たれ死をするだけのこつた。[やぶちゃん注:「家」前例に徴して「うち」と訓じたい。]

ルピツク夫人――誰が暇を出すなんて云つたい、オノリイヌ。なにさ、そんな眞赤な顏をして・・・。あたしたちは、今、お互に、心置きなく話をしてるんだ。すると、お前さんは腹を立てる。お寺の本堂よりとてつもない無茶を云ひ出す。

オノリイヌ――わしにそんなこと云つたつて、しやうがないでせう。

ルピツク夫人――ぢや、あたしはどうなのさ。お前さんの眼が見えなくなつたのはお前さんの罪でもなく、あたしの罪でもない。お醫者に治(なほ)して貰ふさ。治ることだつてあるんだから。それはさうと、あたしと、お前さんと、一體、どつちが餘計難儀をしてるだらう。お前さんは、自分で眼を患(わづら)つてることも知らずにゐる。家中のものが、そのために不自由をする。あたしや、お前さんが氣の毒だから、萬一の粗相がないやうに、さう云つてあげたまでだ。それに、言葉優しく何をかうしろつて云ふ權利は、こりや、あたしにあると思ふからさ。[やぶちゃん注:「家中」戦後版を参考に「うちぢゆう」と読んでおく。]

オノリイヌ――いくらでも云つとくんなさい。どうにでも好きなやうになさるがいゝさ。わしや、さつき、ちつとの間、町の眞中へおつぽり出されたやうな氣がしたゞけれど、奧さんがさう云ひなさるなら安心しましたよ。わしの方でも、これから皿のこたあ氣をつけます。うけ合ひました。

ルピツク夫人――さうして貰へれや、なんにも云ふことはないさ。あたしや、これで、評判よりやましな人間だからね。どうしても云ふことを聽かない時は、これや仕方がないが、さもなけりや、お前さんを手放すなんてことはしないよ。

オノリイヌ――そんなら、奧さん、もうなんにも云ひなさるな。今といふ今、わしや、自分がまだ役に立つつて氣がして來ましたよ。もしも奧さんが出て行けつて云ひなすつたら、わしや、そんな法はないつて怒鳴るから・・・。だけども、そのうちに、自分で厄介者だつていうことがわかつたら、さうして、水を容れた鍋を火へかけて沸かすこともできんやうになつたら、そん時や、さつさと、ひとりで、追ひ出される前に出て行きますよ。

ルピツク夫人――何時なんどきでも、この家へ來れや、スープの殘りがとつてあるつてことを忘れずにね、オノリイヌ。[やぶちゃん注:「來れや」「これや」或いは「くれや」。「こりゃ」「くりゃ」。]

オノリイヌ――いゝや、奧さん、スープはいりません。パンだけで結構。マイツト婆さんは、パンだけしか食はないやうになつてから、てんで死にさうもないからね。

ルピツク夫人――それがさ、あの婆さんは、もう百を越してるんだからね。ところで、お前さんは、まだかういふことを知つてるかい? 乞食つていふものは、あたしたちより仕合せなんだよ。あたしがさういふんだから、オノリイヌ。

オノリイヌ――奧さんがさう云ふんなら、わしもさう云つとかう。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。私は中学二年生の時に、ここを読んで、「慇懃無礼」という語を惨たらしくも理解したことを思い出す。しかも、私は永く、ヴァロトンの「にんじん」の挿絵の中で、選りによって、このオノリーヌの横顔のそれが、「にんじん」と言った瞬間、真っ先に想起されてしまうのである。それは、既に読者の方々が気づかれたであろう一点と、強烈に結びついているからだと思うのである。そう、小説「にんじん」の中で「にんじん」が名前さえも登場しないのは、この章だけなのである。実は、それはこの後にダイレクトな続篇として続く二篇「鍋」と「知らん顏」のある――厭な予感――「にんじん」の中の隠微な捩じれた闇――を無意識的に引き出させる効果を持っているからだと私は信じて疑わないのである。……いや!……このシークエンスの画面に映らぬ物陰に……「にんじん」は……いる!……息を潜めて……「にんじん」は、この二人の会話を聴いている「観客」なのである!…………

「萬聖節」キリスト教の祝日の一つ。これは日本での呼称で、原文の“Toussaint”という語の意味は「諸聖人の祝日」で、全ての聖人と殉敎者を記念する日。カトリツク教会礼暦では十一月一日である。

「お寺の本堂よりとてつもない無茶を云ひ出す」原文は“vous dites des bêtises plus grosses que l'église”で、“bêtises”(愚かなこと)、“grosses”(がさつな・ひどい)、“église”(カトリックの教会堂)であるから、確かに「あんたは、びっくりするほど大袈裟な教会堂みたいに、とんでもない愚かなことを言い出す。」といつた意味であるが、「お寺の本堂」ではちよつと日本人の比喩の感覚には相応しいとは言えない。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳「にんじん」では、教会の建物ではなく、厳格なカトリツク教会の組織の意味でとつて、『教会よりわけのわからない、くだらないことを言ったりしてさ。』と訳しておられる。但し、だとすると、原文の頭の“é”は、大文字で表わすのではないかとも思われる。一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』3では、意訳して、『それをおまえさん、息巻いて、やみくもな馬鹿を言い出すんだから。』と訳しておられる。佃氏の意訳がよいと思うが、相応の補注は必要だろう。]

 

 

 

 

     Honorine

 

     MADAME LEPIC

   Quel âge avez-vous donc, déjà, Honorine ?

     HONORINE

   Soixante-sept ans depuis la Toussaint, madame Lepic.

     MADAME LEPIC

   Vous voilà vieille, ma pauvre vieille !

     HONORINE

   Ça ne prouve rien, quand on peut travailler. Jamais je n’ai été malade. Je crois les chevaux moins durs que moi.

     MADAME LEPIC

   Voulez-vous que je vous dise une chose, Honorine ? Vous mourrez tout d’un coup. Quelque soir, en revenant de la rivière, vous sentirez votre hotte plus écrasante, votre brouette plus lourde à pousser que les autres soirs ; vous tomberez à genoux entre les brancards, le nez sur votre linge mouillé, et vous serez perdue. On vous relèvera morte.

     HONORINE

   Vous me faites rire, madame Lepic ; n’ayez crainte ; la jambe et le bras vont encore.

     MADAME LEPIC

   Vous vous courbez un peu, il est vrai, mais quand le dos s’arrondit, on lave avec moins de fatigue dans les reins. Quel dommage que votre vue baisse ! Ne dites pas non, Honorine ! Depuis quelque temps, je le remarque.

     HONORINE

   Oh ! j’y vois clair comme à mon mariage.

     MADAME LEPIC

   Bon ! ouvrez le placard, et donnez-moi une assiette, n’importe laquelle. Si vous essuyez comme il faut votre vaisselle, pourquoi cette buée ?

     HONORINE

   Il y a de l’humidité dans le placard.

     MADAME LEPIC

   Y a-t-il aussi, dans le placard, des doigts qui se promènent sur les assiettes ? Regardez cette trace.

     HONORINE

   Où donc, s’il vous plaît, madame ? je ne vois rien.

     MADAME LEPIC

   C’est ce que je vous reproche, Honorine. Entendez-moi. Je ne dis pas que vous vous relâchez, j’aurais tort ; je ne connais point de femme au pays qui vous vaille par l’énergie ; seulement vous vieillissez. Moi aussi, je vieillis ; nous vieillissons tous, et il arrive que la bonne volonté ne suffit plus. Je parie que des fois vous sentez une espèce de toile sur vos yeux. Et vous avez beau les frotter, elle reste.

     HONORINE

   Pourtant, je les écarquille bien et je ne vois pas trouble comme si j’avais la tête dans un seau d’eau.

     MADAME LEPIC

   Si, si, Honorine, vous pouvez me croire. Hier encore, vous avez donné à monsieur Lepic un verre sale. Je n’ai rien dit, par peur de vous chagriner en provoquant une histoire. Monsieur Lepic, non plus, n’a rien dit. Il ne dit jamais rien, mais rien ne lui échappe. On s’imagine qu’il est indifférent : erreur ! Il observe, et tout se grave derrière son front. Il a simplement repoussé du doigt votre verre, et il a eu le courage de déjeuner sans boire. Je souffrais pour vous et lui.

     HONORINE

   Diable aussi que monsieur Lepic se gêne avec sa domestique ! Il n’avait qu’à parler et je lui changeais son verre.

     MADAME LEPIC

   Possible, Honorine, mais de plus malignes que vous ne font pas parler monsieur Lepic décidé à se taire. J’y ai renoncé moi-même. D’ailleurs la question n’est pas là. Je me résume : votre vue faiblit chaque jour un peu. S’il n’y a que demi-mal, quand il s’agit d’un gros ouvrage, d’une lessive, les ouvrages de finesse ne sont plus votre affaire. Malgré le surcroît de dépense, je chercherais volontiers quelqu’un pour vous aider…

     HONORINE

   Je ne m’accorderais jamais avec une autre femme dans mes jambes, madame Lepic.

     MADAME LEPIC

   J’allais le dire. Alors quoi ? Franchement, que me conseillez-vous ?

     HONORINE

   Ça marchera bien ainsi jusqu’à ma mort.

     MADAME LEPIC

   Votre mort ! Y songez-vous, Honorine ? Capable de nous enterrer tous, comme je le souhaite, supposez-vous que je compte sur votre mort ?

     HONORINE

   Vous n’avez peut-être pas l’intention de me renvoyer à cause d’un coup de torchon de travers. D’abord je ne quitte votre maison que si vous me jetez à la porte. Et une fois dehors, il faudra donc crever ?

     MADAME LEPIC

   Qui parle de vous renvoyer, Honorine ? Vous voilà toute rouge. Nous causons l’une avec l’autre, amicalement, et puis vous vous fâchez, vous dites des bêtises plus grosses que l’église.

     HONORINE

   Dame ! est-ce que je sais, moi ?

     MADAME LEPIC

   Et moi ? Vous ne perdez la vue ni par votre faute, ni par la mienne. J’espère que le médecin vous guérira. Ça arrive. En attendant, laquelle de nous deux est la plus embarrassée ? Vous ne soupçonnez même pas que vos yeux prennent la maladie. Le ménage en souffre. Je vous avertis par charité, pour prévenir des accidents, et aussi parce que j’ai le droit, il me semble, de faire, avec douceur, une observation.

     HONORINE

   Tant que vous voudrez. Faites à votre aise, madame Lepic. Un moment je me voyais dans la rue ; vous me rassurez. De mon côté, je surveillerai mes assiettes, je le garantis.

     MADAME LEPIC

   Est-ce que je demande autre chose ? Je vaux mieux que ma réputation, Honorine, et je ne me priverai de vos services que si vous m’y obligez absolument.

     HONORINE

   Dans ce cas-là, madame Lepic, ne soufflez mot. Maintenant je me crois utile et je crierais à l’injustice si vous me chassiez. Mais le jour où je m’apercevrai que je deviens à charge et que je ne sais même plus faire chauffer une marmite d’eau sur le feu, je m’en irai tout de suite, toute seule, sans qu’on me pousse.

     MADAME LEPIC

   Et sans oublier, Honorine, que vous trouverez toujours un restant de soupe à la maison.

     HONORINE

   Non, madame Lepic, point de soupe ; seulement du pain. Depuis que la mère Maïtte ne mange que du pain, elle ne veut pas mourir.

     MADAME LEPIC

   Et savez-vous qu’elle a au moins cent ans ? et savez-vous encore une chose, Honorine ? les mendiants sont plus heureux que nous, c’est moi qui vous le dis.

     HONORINE

   Puisque vous le dites, je dis comme vous, madame Lepic.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「水浴び」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである(今回分には一箇所だけ「……」があるが、百%、誤植である)。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Mizuabi

 

     

 

 

 やがて時計が四時を打たうとしてゐるので、にんじんは、矢も楯もたまらず、ルピツク氏と、兄貴のフエリツクスを起すのである。二人は、裏庭の榛(はしばみ)の木の下で眠つていた。[やぶちゃん注:「榛」「はしばみ」。双子葉植物綱ブナ目カバノキ科ハシバミ属 Corylus の仲間を總稱するが、原作では“noisetiers”とあり、これは“Noisetier commun”で、ハシバミ属のヨーロツパの代表種であるヘーゼルナッツが穫れるところの、セイヨウハシバミCorylus avellanaと見てよい。]

 「出かけるんだらう」と、彼は云ふ。

 

 兄貴のフエリツクス――行かう。猿股を持つといで。

 ルピツク氏――まだ暑いぞ、きつと。

 兄貴のフエリツクス――僕あ、日が照つてる時の方がいゝや。

 にんじん――それに、父さんだつて、ここより水つ緣(ぷち)の方がいゝよ。草の上へ寢轉んどいでよ。

 ルピツク氏――さ、先へ步け。ゆつくりだぞ。死んぢまつちやなんにもならん。

 

 だが、にんじんは、早くなる足並みを、やつとのことで緩めてゐるのである。足の中を蟻が這つてゐるやうな氣持だ。肩には、模樣のない、嚴しい自分の猿股と、それから、兄貴の、赤と靑との縞の猿股をかついでゐる。元氣いつぱいといふ顏付で、彼は喋る。自分だけのために歌を唱ふ。木の枝へぶらさがつて跳ぶ。空中で泳ぐ眞似をする。さて兄貴に云ふ――[やぶちゃん注:「嚴しい」「いかめしい」。]

 「ねえ、兄(にい)さん、水へはいると、きつと好い氣持だね。うんと泳いでやらあ」

 「生意氣云へ!」

と、兄貴のフエリツクスは、馬鹿にしきつた返事をする。

 なるはど、にんじんは、ぴたりと鎭まる。

 彼は、今、乾きゝつた低い石垣を、眞つ先に、ひらりと飛び越えた。すると、忽ち、眼の前を小川が流れてゐるのである。はしやいでゐる暇もなかつた。

 魔性の水は、その表面に、寒々とした影を反射させてゐた。

 齒を嚙み合せるやうに、ひたひたと波の音を立て、臭ひともつかぬ臭ひが立ち昇つてゐる。

 この中へはひるわけである。ルビツク氏が、時計を眺めて、決めたゞけの時間を計つてゐる間、この中でぢつとしてゐ、この中で動きまはらなければならない。にんじんは、顫へ上る。元氣を出して、こんどこそはと思ふのだが、いよいよとなると、またその元氣がどつかへ行つてしまふ。水を見ると、遠くの方から引張られるやうで、つひ[やぶちゃん注:ママ。]ぐらぐらつとなるのである。

 にんじんは、一人離れて、着物を脫ぎはじめる。瘠せてゐるところや、足の恰好を見られるのがいやでもあるが、それより、獨りで、誰れ憚らず顫へたいのだ。[やぶちゃん注:「足の恰好を見られるのがいや」その真相は本章末で明らかにされる。]

 彼は、一枚二枚脫いで行つて、そいつを丁寧に草の上で疊む。靴の紐を結び合せ、それをまた、何時までもかゝつてほどく。

 猿股を穿く。短いシヤツを脫ぐ。だが、もうしばらく待つてゐるのである。彼は包み紙の中でべたべたになる林檎糖のやうに、汗をかいてゐるからだ。

 さうかうするうちに、兄貴のフエリツクスは、もう川を占領し、我がもの顏に荒しまはつてゐる。腕で擲り、踵で叩き、泡を立てる。そして、流れのまん中で、猛烈果敢に、騷ぎ狂ふ波の群れを、岸めがけて追い散らすのである。[やぶちゃん注:「擲り」「なぐり」。]

 「お前はもう、やめか」

 ルピツク氏はにんじんに云つた。

 「からだを乾かしてたんだよ」

 やつと、彼は決心する。地べたに坐る。そして、爪先を水に觸れてみる。その足の趾は、靴が小さ過ぎて擦りむけてゐた。さうしながら、また、胃の腑のあたりをさすつてみた。恐らく、食つたものがまだこなれてゐないだらう。それから木の根に沿つてからだを滑らせる。[やぶちゃん注:「趾」「ゆび」。この漢字は「足の指」を示す漢字である。本章末に出る方には『趾(ゆび)』とちゃんと振ってある。]

 木の根で、脛、腿、それから臀をひつかかれる。水が腹まで來ると、もう上へあがらうとする。逃げ出さうとする。濡れた糸が、獨樂の紐を捲くやうに、だんだんからだへ捲きついて行くやうな氣持だ。が、からだを支へてゐた土塊(つちくれ)が崩れる。すると、にんじんは滑り落ちる。姿を消す。水の底を逼ふ。やつと起ち上る。咳き込み、唾を吐き、息をつまらせ、眼がかすみ、頭がぼうつとする。[やぶちゃん注:「獨樂」老婆心ながら、「こま」と読む。「逼ふ」はママ。戦後版は『這う』で、「逼」には「迫る・近づく」や「狭まる・縮まる」の意味しかないので、誤記か誤植と思ったが、実は、後にも出るので、岸田氏の思い込みの誤用であることが判明した。

 「潜(もぐ)りはうまいぢやないか」

と、ルピツク氏は云ふ。

 にんじんは、すると、

 「あゝ、だけど、僕あ、きらひさ。耳ん中へ水が溜つちやつた。頭が痛くなるよ、きつと・・・」

 彼は、そこで、泳ぎの練習ができる場所、つまり、膝で砂の上を步きながら、兩腕を前の方へ動かせるところを探す。

 「あんまり急にやるからいけないんだ。手を振つたまゝ動かしちや駄目だよ、髮の毛を挘るんぢやあるまいし。その足を使ふんだ、足を……。どうもしてないぢやないか」[やぶちゃん注:「挘る」「むしる」。「……」は特異点の使用である。ここだけであるので、或いは植字工が、うっかり普通の六点リーダを誤植してしまったものだろう。]

 かうルピツク氏が云ふと、

 「足を使はないで泳ぐ方がむづかしいんだよ」

と、にんじんは云ふ。

 が、一生懸命にやつてみようとすると、兄貴のフエリツクスがそれをさせない。しよつちゆう邪魔をするのである。

 「こつちへおいでよ、にんじん。もつと深いところがあるぜ。こら、足がつかないや。沈むぜ。御覽よ、ほら、僕が見へる[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]だらう。そらこの通り・・・見えなくなるよ。そいぢや、こんだ、あの柳の木の方へ行つてろよ。動いちやいけないよ。そこまで十ぺんで行くからね」[やぶちゃん注:「こんだ」は「今度(こんど)」の変化した語で江戸時代からある語彙である。]

 「數へてるよ」

 と、にんじんは、がたがた顫へながら、肩を水から出し、まるで棒杭のやうに動かずにゐるのである。

 更に、彼は、泳がうとしてからだを屈める。ところが、兄貴のフエリツクスは、その背中へ攣ぢ登つて、飛び込みをやる。

 「こんだ、お前の番さ、ね、僕の背中へおあがりよ」

 「僕あ、自分で練習してるんだから、ほつといておくれよ」

 にんじんは、かう云ふのである。

 「もう、よし。みんな出ろ。ラムをひと口づゝ飮みに來い」

と、ルビツク氏は呼ぶ。

 「もう出るの?」

と、にんじんが云ふ。

 今になると、彼はまだ出るのが厭なのだ。水浴びに來たのに、これくらゐでは物足りない。出なければならないと思ふと、水がもう怖くはないのである。さつきは鉛、今は、羽根だ。獅子奮迅の勢で暴れまくる。危險など眼中にない。人を救ふために、自分の命を棄てゝかゝつたやうだ。おまけに、誰もしてみろと云はないのに水の中へ頭を突込む。溺れた人間の苦しみを味ふためである。

 「早くしろよ」 と、ルピツク氏は叫ぶ――「さもないと、兄さんがラムをみんな飮んヂまうぞ」[やぶちゃん注:前の台詞の後の字空けは、ママ。誤植であろう。戦後版は改行せず、繋がっている。]

 ラムなら、あんまり好きぢやないのだが、にんじんは、云ふ――

 「僕の分は、誰にもやらないよ」

 さうして、彼は、それを老兵の如く飮み干す。

 

ルピツク氏――よく洗はなかつたな。くるつぷしに、まだ垢がついてる。

にんじん――泥だよ、こりや。

ルピツク氏――いゝや、垢だ。

にんじん――もう一度水へはいつて來ようか。

ルピツク氏――明日除(と)ればいい。また來よう。

にんじん――うまい具合に天氣ならね。

 

 彼は、指の先へ、タオルの乾いたところを、つまり兄貴が濡らさずにおいてくれたところを捲きつけて、からだを拭く。頭が重く、喉はいがらつぽいのだが、彼は、大聲を立てゝ笑ふのである。といふのは、兄貴とルピツク氏が、彼の捻じくれた足の址(ゆび)を見て、へんてこな戲談をいつたからだ。[やぶちゃん注:「戲談」「じようだん」。]

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「猿股」原文は“calecons”で、「猿股」は誤りとは言えないが、下着の印象が強いから、単純に「パンツ」、若しくは「水泳パンツ」と譯した方が、若年層の読者の誤解を生まないであろう。因みに、ふと思つたが、袴の一種で例のドラマの「水戸黄門」の穿いている輕衫(かるさん)の語源は、ポルトガル語の「ズボン」に相当する“caçlão”であるが、これは同語源ように思われる。

「林檎糖」原文は“sucre de pomme”(シュクル・ド・ポム)。ルーアン特産の円柱状をしたリンゴ飴菓子。レモン汁や、キャラメル・エキス、リンゴのエキスをベースとして飴状に成し、それを冷やす際、巧みな手動で棒状に巻いて造る。長さは七センチメートル、直径一センチメートルの小さなものから、長さ三十四センチメートル、直径五センチメートルもの特大サイズのものまである(サイト「フランス菓子ラボ」のこちらを参照した)。

「ラム」サトウキビから採つた糖蜜を発酵させて造つた蒸留酒。アルコール度数は一般には約四十五パーセント程度と高いが、言わずもがなだが、ルピック氏は子供らの冷えた体を温めるために飲ませているのである。]

 

 

 

 

    Le Bain

 

   Comme quatre heures vont bientôt sonner, Poil de Carotte, fébrile, réveille M. Lepic et grand frère Félix qui dorment sous les noisetiers du jardin.

   Partons-nous ? dit-il.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Allons-y, porte les caleçons !

     MONSIEUR LEPIC

   Il doit faire encore trop chaud.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Moi, j’aime quand il y a du soleil.

     POIL DE CAROTTE

   Et tu seras mieux, papa, au bord de l’eau qu’ici. Tu te coucheras sur l’herbe.

     MONSIEUR LEPIC

   Marchez devant, et doucement, de peur d’attraper la mort.

 

   Mais Poil de Carotte modère son allure à grand-peine et se sent des fourmis dans les pieds. Il porte sur l’épaule son caleçon sévère et sans dessin et le caleçon rouge et bleu de grand frère Félix. La figure animée, il bavarde, il chante pour lui seul et il saute après les branches. Il nage dans l’air et il dit à grand frère Félix :

   Crois-tu qu’elle sera bonne, hein ? Ce qu’on va gigoter !

   Un malin ! répond grand frère Félix, dédaigneux et fixé.

   En effet, Poil de Carotte se calme tout à coup.

   Il vient d’enjamber, le premier, avec légèreté, un petit mur de pierres sèches, et la rivière brusquement apparue coule devant lui. L’instant est passé de rire.

   Des reflets glacés miroitent sur l’eau enchantée.

   Elle clapote comme des dents claquent et exhale une odeur fade.

   Il s’agit d’entrer là-dedans, d’y séjourner et de s’y occuper, tandis que M. Lepic comptera sur sa montre le nombre de minutes réglementaire. Poil de Carotte frissonne. Une fois de plus son courage, qu’il excitait pour le faire durer, lui manque au bon moment, et la vue de l’eau, attirante de loin, le met en détresse.

   Poil de Carotte commence de se déshabiller, à l’écart. Il veut moins cacher sa maigreur et ses pieds, que trembler seul, sans honte.

   Il ôte ses vêtements un à un et les plie avec soin sur l’herbe. Il noue ses cordons de souliers et n’en finit plus de les dénouer.

   Il met son caleçon, enlève sa chemise courte et, comme il transpire, pareil au sucre de pomme qui poisse dans sa ceinture de papier, il attend encore un peu.

   Déjà grand frère Félix a pris possession de la rivière et la saccage en maître. Il la bat à tour de bras, la frappe du talon, la fait écumer, et, terrible au milieu, chasse vers les bords le troupeau des vagues courroucées.

   Tu n’y penses plus, Poil de Carotte ? demande monsieur Lepic.

   Je me séchais, dit Poil de Carotte.

   Enfin il se décide, il s’assied par terre, et tâte l’eau d’un orteil que ses chaussures trop étroites ont écrasé. En même temps, il se frotte l’estomac qui peut-être n’a pas fini de digérer. Puis il se laisse glisser le long des racines.

   Elles lui égratignent les mollets, les cuisses, les fesses. Quand il a de l’eau jusqu’au ventre, il va remonter et se sauver. Il lui semble qu’une ficelle mouillée s’enroule peu à peu autour de son corps, comme autour d’une toupie. Mais la motte où il s’appuie cède, et Poil de Carotte tombe, disparaît, barbote et se redresse, toussant, crachant, suffoqué, aveuglé, étourdi.

   Tu plonges bien, mon garçon, lui dit monsieur Lepic.

   Oui, dit Poil de Carotte, quoique je n’aime pas beaucoup ça. L’eau reste dans mes oreilles, et j’aurai mal à la tête.

   Il cherche un endroit où il puisse apprendre à nager, c’est-à-dire faire aller ses bras, tandis que ses genoux marcheront sur le sable.

   Tu te presses trop, lui dit M. Lepic. N’agite donc pas tes poings fermés, comme si tu t’arrachais les cheveux. Remue tes jambes qui ne font rien.

   C’est plus difficile de nager sans se servir des jambes, dit Poil de Carotte.

   Mais grand frère Félix l’empêche de s’appliquer et le dérange toujours.

   Poil de Carotte, viens ici. Il y en a plus creux. Je perds pied, j’enfonce. Regarde donc. Tiens : tu me vois. Attention : tu ne me vois plus. À présent, mets-toi là vers le saule. Ne bouge pas. Je parie de te rejoindre en dix brassées.

   Je compte, dit Poil de Carotte grelottant, les épaules hors de l’eau, immobile comme une vraie borne.

   De nouveau, il s’accroupit pour nager. Mais grand frère Félix lui grimpe sur le dos, pique une tête et dit :

   À ton tour, si tu veux, grimpe sur le mien.

   Laisse-moi prendre ma leçon tranquille, dit Poil de Carotte.

   C’est bon, crie M. Lepic, sortez. Venez boire chacun une goutte de rhum.

   Déjà ! dit Poil de Carotte.

   Maintenant il ne voudrait plus sortir. Il n’a pas assez profité de son bain. L’eau qu’il faut quitter cesse de lui faire peur. De plomb tout à l’heure, à présent de plume, il s’y débat avec une sorte de vaillance frénétique, défiant le danger, prêt à risquer sa vie pour sauver quelqu’un, et il disparaît même volontairement sous l’eau, afin de goûter l’angoisse de ceux qui se noient.

   Dépêche-toi, s’écrie M. Lepic, ou grand frère Félix boira tout le rhum.

   Bien que Poil de Carotte n’aime pas le rhum, il dit :

   Je ne donne ma part à personne.

   Et il la boit comme un vieux soldat.

 

     MONSIEUR LEPIC

   Tu t’es mal lavé, il reste de la crasse à tes chevilles.

     POIL DE CAROTTE

   C’est de la terre, papa.

     MONSIEUR LEPIC

   Non, c’est de la crasse.

     POIL DE CAROTTE

   Veux-tu que je retourne, papa ?

     MONSIEUR LEPIC

   Tu ôteras ça demain, nous reviendrons.

     POIL DE CAROTTE

   Veine ! Pourvu qu’il fasse beau !

 

   Il s’essuie du bout du doigt, avec les coins secs de la serviette que grand frère Félix n’a pas mouillés, et la tête lourde, la gorge raclée, il rit aux éclats, tant son frère et M. Lepic plaisantent drôlement ses orteils boudinés.

 

譚海 卷之五 狐猫同類たる事 附武州越ケ谷にて猫おどる事 / 卷之五~了(ルーティン仕儀)

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。なお、この前の前の「譚海 卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事」、及び、前の「譚海 卷五 同國小田原最勝乘寺にて狸腹鼓うちし事」は孰れも既にフライング公開してある。標題の「おどる」はママ。

 なお、本篇を以って、「卷之五」は終わっている。]

 

○深川小奈木澤近き川邊に、或人、先祖より久敷(ひさしく)住居(すみゐ)て有(ある)宅あり。田畑近く、人氣(ひとけ)すくなき所成(なり)しに、ある夕暮、あるじ、庭を見てゐたれば、緣の下より、小(ちさ)き孤、壹つ、はひ出(いで)て、うづくまり居(ゐ)しを、家に飼置(かひおき)ける猫、見附(みつけ)て、あやしめる樣成(やうなる)が、頓(やが)て、行(ゆき)て、おづおづ、近寄(ちかより)、狐の匂ひを嗅(かぎ)て、うたがはず、なれ貌(がほ)に寄添(よりそひ)、後々は、時として、ともなひありきなどして、友達に成(なり)けるが、終(つひ)に、行方(ゆくへ)なく、かい失(うせ)ぬるとぞ。「元來、同じ陰獸なれば、同氣(どうき)相和(あひわ)して怪(あやし)まず、かく有(あり)けるにや。」と其人の語りぬ。すべて、猫は「狸奴(りど)」と號して、狐狸(こり)の爲(ため)、つかはるゝ物なれば、誘引せらるゝ時は、共に化(ばけ)て、をどりあるく事也。狐狸のつどふ所には、猫、必(かならず)、交(まぢは)る事あり。或人、越ケ谷に知音(ちいん)有(あり)て、行(ゆき)て、兩三日、宿りたるに、每夜、座敷の方(かた)に、人の立居(たちゐ)する如く、ひそかに手を打(うち)て、をどる聲、聞ゆる故、わびしく寢られぬまゝ、亭主に、「かく。」と語ければ、「さもあれ、心得ざる事。」とて、亭主、伺ひ行ければ、驚きて窓のれんじより、飛出(とびいづ)る物、あり。つゞきて飛出る物をはゝき[やぶちゃん注:箒(ほうき)。]にて打(うち)たれば、あやまたず、打落しぬ。火をともして見れば、家に久敷(ひさしく)ある猫、此客人の皮足袋(かはたび)をかしらにまとひて死(しし)て有(あり)。かゝれば、狐など、をどりさわぐは、猫なども交りて、かく有(あり)ける事と、其人、歸り、物語りぬ。

[やぶちゃん注:「深川小奈木澤」これは「深川小名木川(ふかがはおなきがは)」の誤りであろう。ここに現在もある(グーグル・マップ・データ)。「三井住友トラスト不動産」公式サイト内の「このまちアーカイブズ」の「東京都 深川・城東」に「江戸切絵図」から諸画像・近現代の写真と、当該地区の歴史的解説も豊富に書かれてあるので、是非、見られたい。

「狸奴」「貍奴」とも書き、漢語で猫の異称である。]

譚海 卷之五 尾州家士蝦蟇の怪を見る事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○尾州の家士何某、在所にありし時、來客のもてなしに、高つきに干菓子(ひがし)をもりて出(いだ)しける。客、歸りて後、亭主、睡(ねふり)を生じて、壁により、ねむりつゝ、しばし有(あり)て、ふと、目を開きたれば、高つきに有(ある)「こりん」と云(いふ)菓子、「ひらひら」と、おどりあがりて、明り障子の紙に穴あるより、飛出(とびいづ)る事、あまたなり。猶、つゞきて、いくらとなく、飛出ければ、『怪(あやし)。』と思ひ、心を留(とめ)て見れば、障子の穴より、高つきの上へ、白き絲の樣(やう)なる物、一筋、引(ひき)て、あり。「こりん」は、此白き絲の樣成(やうなる)物にひかれて、をどり出(いづ)る也。『いか成(なる)事にや。』と、ひそかに障子の破れよりみれば、年經(へ)たる大成(おほきなる)蟇がへる、庭の面(おもて)にうづくまりて有(あり)。夫(それ)が口より、此白き絲のやうなるを吐(はき)て、障子をうがちて高つきにいたり、ひきがへる、口を開けば、夫に吸(すは)れて、「こりん」、をどり出て、蟇の口に入(いる)なり。かやうの物も、年經たるは、あやしき事を、なす物と、いへり。

[やぶちゃん注:この手の蝦蟇(がま)の怪は、私の怪奇談集では枚挙に遑がない、というより、リンクを張り切れないほど、さわにある。

「こりん」「壱岐市」公式サイト内の「いきしまぐらし」のこちらに、画像入りで以下の説明がある。『ひなあられと同じような大きさですが』、『色はついていません。見た目はちょっと地味ですが、食べると』、『どこか懐かしい味がします。のし餅をサイコロ状に切って、寒の時期に』、『しっかりと干して』作るも『ので、保存食としても使えます』とあった。]

譚海 卷之五 遠州深山中松葉蘭を產する事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○松葉蘭といふ物、遠州より出(いづ)る、深山石上(しんざんせきしやう)に生ずる物にて、霧露の氣に和して、生成するゆゑ、土にうゝれば、なづみて、枯死す。唯(ただ)古き朽木(くちき)のぼろぼろする物を細末にして、夫(それ)にてうゝれば、長く、たもつ事とす。四時、葉、みどりにして、席上の盆翫(ぼんぐわん)には第一と稱すべし。日にあつる事を禁ず。時々、水をそゝげば、年を經て、叢生する事、尤(もつとも)繁く、書齋の淸賞には缺(かく)べからざる物也。石菖蒲、普通には、盆中の淸翫に供すれ共(ども)、松葉蘭、出(いで)て後は、比肩するにたらず、無下(むげ)に石菖蒲は下品の心地する也。近來(ちかごろ)、石菖のしんをば、薩摩より來(きた)る朽木のかたまりたる如きものを用ゆ。石菖を長ずるは、是に勝(まさ)る物なし。是又、昔、なき所の物なり。

[やぶちゃん注:「松葉蘭」シダ植物門マツバラン綱マツバラン目マツバラン科マツバラン属マツバラン Psilotum nudum 当該ウィキによれば、『マツバラン科』Psilotaceae『では日本唯一の種である。日本中部以南に分布する』。『茎だけで葉も根ももたない。胞子体の地上部には茎しかなく、よく育ったものは』三十センチメートル『ほどになる。茎は半ばから上の部分で何度か』二『又に分枝する。分枝した細い枝は稜があり、あちこちに小さな突起が出ている。枝はややくねりながら上を向き、株によっては先端が同じ方向になびいたようになっているものもある。その姿から、別名をホウキランとも言う。先端部の分岐した枝の側面のあちこちに粒のような胞子のうをつける。胞子のう(実際には胞子のう群)は』三『つに分かれており、熟すと』、『黄色くなる』。『胞子体の地下部も地下茎だけで』、『根はなく、あちこち枝分かれして、褐色の仮根(かこん)が毛のように一面にはえる。この地下茎には菌類が共生しており、一種の菌根のようなものである』。『地下や腐植の中で胞子が発芽して生じた配偶体には』、『葉緑素がなく、胞子体の地下茎によく似た姿をしている。光合成の代わりに』、『多くの陸上植物とアーバスキュラー菌根』(arbuscular mycorrhiza)『共生を営むグロムス』菌『門』(Glomeromycota)『の菌類と共生して栄養素をもらって成長し、一種の腐生植物として生活する。つまり』、『他の植物の菌根共生系に寄生して地下で成長する。配偶体には造卵器と造精器が生じ、ここで形成された卵と精子が受精して光合成をする地上部を持つ胞子体が誕生する』。本邦では『本州中部から以南に、海外では世界の熱帯に分布する』。『樹上や岩の上にはえる着生植物で、樹上にたまった腐植に根を広げて枝を立てていたり、岩の割れ目から枝を枝垂れさせたりといった姿で生育する。まれに、地上に生えることもある』。『日本では』、『その姿を珍しがって、栽培されてきた。特に変わりものについては、江戸時代から栽培の歴史があり、松葉蘭の名で、古典園芸植物の一つの分野として扱われる。柄物としては、枝に黄色や白の斑(ふ)が出るもの、形変わりとしては、枝先が一方にしだれて枝垂れ柳のようになるもの、枝が太くて短いものなどがある。特に形変わりでなくても採取の対象にされる場合がある。岩の隙間にはえるものを採取するために、岩を割ってしまう者さえいる。そのため、各地で大株が見られなくなっており、絶滅した地域や、絶滅が危惧されている地域もある』が、『他方、繁殖力そのものは低いものではなく、人工的環境にも進出し得る性質をもっており、公園の片隅で枝を広げているものが見つかるような場合や、植物園や家庭の観葉植物の鉢で、どこからか飛来した胞子から成長したものが見られる場合すらもある』とある。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。

「淸賞」「賞玩」に同じ。褒め愛でること。味わい珍重すること。

「石菖蒲」「石菖」単子葉植物綱ショウブ目ショウブ科ショウブ属セキショウ Acorus gramineus 学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。]

譚海 卷之五 下野日光山房にて碁を自慢せし人の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○下野國日光山は、天狗、常に住(すみ)ておそろしき處なり。一とせ、ある浪人、知音(ちいん)ありて、山中の院に寄宿し居《をり》けるが、一夜、院内の人々、集りて、碁を打たるに、この浪人、しきりに勝(かち)ほこりて、皆、手にあふもの、なかりしかば、浪人、心、おごりて、「此院中に、我に先(さき)させてうたんと云(いふ)人は、あらじ。」など自讚しける時、かたへの僧、「左樣成(なる)事、こゝにては、いはぬ事なり。鼻の高き人有(あり)て、ややもすれば、からきめ見する事、多し。」と、制しける詞に合せて、明り障子を隔てて、庭のかたに、からびたる聲して、「爰に、聞(きき)て居(を)るぞ。」と、いひつる聲、せしかば、浪人、顏の色も菜(な)のごとくに成(なり)て、ものもいはず、碁盤・碁石、打(うち)すて置て寢(いね)、翌日のあくるを待(まち)あへずして、急ぎ、下山して、走り去りぬとぞ。

[やぶちゃん注:本篇は、「柴田宵曲 妖異博物館 天狗(慢心)」でも取り上げており、そちらでも、電子化注してある。]

譚海 卷之五 江戶芝三田濟海寺竹柴寺なる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○江戶、芝三田の坂の上に、濟海寺(さいかいじ)と云(いふ)淨土宗の寺、有(あり)。其鄰(となり)は、何某國(なにがしのくに)の守(かみ)の下屋敷なり。此下屋しき、往古は、濟海寺の境内にてありしを、今、分れて鄰の地になれりとぞ。其下屋敷(しもやしき)の内に「龜塚」と號するもの有(あり)。玆(ここ)に觀世流外(そと)百番の謠(うたひ)に「瓶塚(かめづか)」と云(いふ)物ありて、其詞(そのことば)を見るに、「龜塚」にはあらで「瓶塚」と云(いふ)事を作りて、「さらしな日記」に云(いへ)る「竹柴寺(たけしばてら)」の事を作りたる者也。是によりて當時の住持和尙、初めて、「濟海寺は、古(いにしへ)の竹柴寺也。」と自讚して、人にも語りて、入興(にふきやう)せられける。彼(かの)日記には、『昔、むさしの國なる男、大内の役にさゝれて參て居(を)る程、「庭を、きよむる。」とて、故鄕の事を思ひ出でて、「あはれ、我國には、大なるもたひありて、それにそへたるひさごの、東風ふけば、西へなびき、西風ふけば、京へなびく。さもおもしろき事なるを、かく見もせで、遠き國にある事よ。」と、ひとりごとせしを、御門(みかど)のむすめ、ほの聞(きき)給ひて、みすをまきあげて、此男を、まねき給ひて、「いかで、我を、ともなひて、其ひさごのおもしろき、みせよ。せちに、ゆかしきに。」と、のたまへば、此男、おもひかけずながら、うちかしこまりて、みむすめを、脊(せ)におひて、都(みやこ)をにげ出(だし)、瀨田の橋を引(ひき)おとして、夜ひるとなく、にげて、あづまに、くだりける。御門より御使(おつかひ)ありて、「歸り給ふべき」よし、のたまはせしかど、すくせにや、「此所(ここ)にとゞまらまほしく、都へ歸らんとも、おもはず。」と、の給ひしかば、かさねて、此男をば、武藏守になされて、御門の御娘(おほんむすめ)と夫婦(めをと)になりて、暮しける。みむすめ、かくれ給ひし後(のち)、其家をば、やがて、寺になして、「竹柴寺」とて有(あり)けるよしを、しるせり。又、彼(かの)謠には、『此(この)もたひを埋(うづめ)ける所。』とて、「瓶塚」と、いへるよしを作れり。旁(つくり)よりどころある事にも覺ゆれど、今の濟海寺、去(さる)事あるにや、遙(はるか)なる世の事にて、覺束なし。

[やぶちゃん注:「江戶、芝三田の坂の上に、濟海寺と云土宗の寺、有」東京都港区三田にある浄土宗智恩院末寺であった周光山長壽院済海寺(グーグル・マップ・データ)。この伝承は、中世・近世の創作ではなく、非常に古くからあるらしい。「たけしば」が「竹柴」となり、それが「竹芝」に転じ、現在まで続く地名の「芝」となったとされる。

「外百番」これは「百番の外(ほか)の百番」の意で、江戸初期以来、謡曲「内百番」に対して、刊行された別の百番の謡曲を指す。但し、「百番」の曲には流派によっても出入りがあって、同一ではない。「瓶塚」は私は不詳。ネット検索でも見当たらないのだが?

『「さらしな日記」に云る「竹柴寺」』「更級日記」の「五」の「たけしば」。以下、所持する関根慶子訳注(講談社学術文庫昭和五二(一九七七)年刊)の「上」の本文を参考に、恣意的に正字化し、記号も添えて示す。

   *

 

   五 たけしば

 

 今は武藏の國になりぬ。ことにをかしき所も見えず。濱も砂子(すなご)白くなどもなく、こひぢ[やぶちゃん注:「泥」。]のやうにて、むらさき生ふと聞く野も、葦・荻のみ高く生ひて、馬(むま)に乘りて弓もたる末(すゑ)、見えぬまで高く生ひ茂りて、中をわけ行くに、「たけしば」といふ寺あり。はるかに、「ははさう」[やぶちゃん注:不詳。以下から、楼閣の名らしい。]などいふ所の、らうの跡の礎(いしずゑ)などあり。

「いかなる所ぞ。」

と問へば、

「これは、いにしへ、『たけしば』といふさか[やぶちゃん注:坂。]なり。國の人のありけるを、火燒屋(ひたきや)[やぶちゃん注:宮中に設けられた、夜間中、火を焚いて衛士が番をする小屋。]の火たく衞士(ゑじ)に、さしたてまつりたりけるに、御前(おほんまへ)の庭を掃くとて、

「などや、苦しきめを見るらむ。わが國に、七つ、三つ、つくり据えたる酒壺(さかつぼ)に、さし渡したる直柄(ひたえ)の瓢(ひさご)[やぶちゃん注:乾した瓢簞を二つに割り、柄を附けずに用いる柄杓。]の、南風(みなみかぜ)吹けば、北になびき、北風吹けば、南になびき、西吹けば、東になびき、東吹けば、西になびくを見で、かくてあるよ。」

と、ひとりごちつぶやきけるを、その時、帝(みかど)の御女(おほんむすめ)、いみじうかしづかれ給ふ。ただひとり、御簾(みす)のきはに、立ち出で給ひて、柱によりかかりて御覽ずるに、この男(をのこ)の、かく、ひとりごつを、

『いとあはれに、いかなる瓢の、いかになびくならむ。』

と、いみじうゆかしくおぼされければ、御簾をおし上げて、

「あのをのこ、こち、よれ。」

と仰せられければ、酒壺(さかつぼ)のことを、いま一(ひと)かへり、申しければ、

「われ、率(ゐ)て、行きて見せよ。さ、いふやう、あり。」[やぶちゃん注:最後の台詞は、「そのように言うのであれば、それなりの帰りたいわけがあろう。」の意。]

と仰せられければ、

『かしこく、おそろし。』

と思ひけれど、さるべきにやありけむ、おひ[やぶちゃん注:背負い。]奉りて下(くだ)るに、ろんなく[やぶちゃん注:「無論」。]、

『人、追ひて、來(く)らむ。』

と思ひて、その夜(よ)、「勢多の橋」のもとに、この宮を据(す)ゑ奉りて、「勢多の橋」を一間(ひとま)ばかり、こぼちて、それを、飛びこえて、この宮を、かきおひ奉りて、七日七夜(なぬかななよ)といふに、武藏の國にいきつきにけり。

 帝、后(きさき)、

「御子(みこ)、失せ給ひぬ。」

と、おぼしまどひ、求め給ふに、

「武藏の國の衞士の男なむ、いと香(かう)ばしき物を、首(くび)にひきかけて、飛ぶやうに逃げける。」

と申し出でて、この男を、尋ぬるに、なかりけり。

 ろんなく、

「もとの國にこそ行くらめ。」

と、公(おほやけ)より、使(つかひ)、下(くだ)りて追ふに、「勢多の橋」、こぼれて、えゆきやらず。

 三月(みつき)といふに、武藏の國にいきつきて、この男をたづぬるに、この御子、公使(おほやけづかひ)を召して、

「われ、さるべきにやありけむ、この男の家、ゆかしくて、『ゐて行け。』と、いひしかば、ゐて來たり。いみじく、ここあり、よく覺ゆ[やぶちゃん注:ここは、とても住み心地がよいと感じておる。]。この男、罪(つみ)し、れう[やぶちゃん注:「掠(れう)」でひどい罰を下すこと。]ぜられば、われはいかであれ、と。これも先(さき)の世に、この國に跡(あと)をたるべき宿世(すくせ)こそありけめ。はや、歸りて、公(おほやけ)に、此のよしを奏せよ。」

と仰せられければ、言はむ方(かた)なくて、のぼりて、帝に、

「かくなむありつる。」

と奏しければ、

「いふかひなし。その男を罪(つみ)しても、今は、この宮を、とり返し、都にかへしたてまつるべきにも、あらず。『たけしば』の男に、生(い)けらむ世の限り、武藏の國を預けとらせて、公事(おほやけごと)もなさせじ。ただ、宮に、その國を預け奉らせ給ふ[やぶちゃん注:自敬表現。]。」

よしの宣旨、下りにければ、この家を内裏(だいり)のごとく造りて、住ませ奉りける家を、宮など失せたまひにければ、寺になしたるを、「竹柴寺」と、いふなり。

 その宮の生み給へる子どもは、やがて、「武藏」といふ姓を得てなむ、ありける。

 それよりのち、「火たき屋」に、女はゐるなり。

……と語る。[やぶちゃん注:作者が聴き取りした、当地の里人が主語。]

   *]

譚海 卷之五 武州安立郡赤山村慈林寺の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○武州安立郡[やぶちゃん注:底本では「安」の字に編者傍注で『足』とある。]赤山村に、慈林寺の藥師とて、厚き御堂(みだう)あり。聖武天皇開基、文德天皇さいこう[やぶちゃん注:「再興」。]と云(いひ)、額に、えりて有(あり)。並木・松など、年ふる寺にて、閑寂の地也。「傍(かたはら)の茂りたる小山に入(いる)人あれば、再び歸らず。」あるは、「『藥師の眷屬』とて「三足(みつあし)の雉子」、ある。」よしなど、「七不思議」と云(いふ)事をかぞへて、所の者はいひ傳ふる也。邊地には、珍しき精舍(しやうじや)也。

[やぶちゃん注:「武州安立郡」(「足」立郡)「赤山村」現在は、埼玉県川口市赤山(旧足立郡)ではなく、現行の地区の南東直近の埼玉県川口市安行慈林(あんぎょうじりん)にある真言宗智山派医王山宝厳院慈林寺(グーグル・マップ・データ航空写真)。同寺と同寺の会館の間に小山らしきものが見える。にしても、寺院でありながら、禁足地があり、そこに入ったら、行方不明となるという魔所があるというのは、これ、いただけないね。今の同寺にも迷惑だろ。]

譚海 卷之五 和州初瀨の僧辨財天に値遇せし事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。「値遇」は「ちぐ」或いは「ちぐう」で、仏教では、「仏縁あるものにめぐりあうこと」の意で用いる。本篇は、頗る厭な展開を示すので、注意されたい。]

 

○和州長谷[やぶちゃん注:底本の編者傍注に『(初瀨)』とある。]の僧何某、勤修、多年に及(および)けるが、寺中に辨才天の木像を安置せる所有(あり)、時々、參りて、法施(ほふせ)奉り拜み奉りけるに、辨天女の形、殊に端麗に覺えて、いつとなく、なつかしく、忘れがたければ、しきりに參りて拜みまゐらするまゝ、おほけなく戀慕(れんぼ)の心、おこりて、『いかにもして、世中(よのなか)にかゝる女(をんな)あらば、一期(いちご)の思ひ出に逢見(あひみ)てまし。』など、あらぬ事に、心、移りて、破戒の事も思はず、今は、つやつや、物も覺えず、病(やまひ)にふして、あかしくらしけり。おもふあまりの心を、天女も、あはれみたまひけるにや、ある夜、うつゝの如く、辨財天、此僧にまみへ給ひて、「汝がよしなき心を起して、年頃の勤行(ごんぎやう)、いたづらにせん事、淺間敷(あさましき)おもふ儘(まま)、かく現じ來りたり。此事、かまへて、人にかたるな。」と、いたく口堅(くちがた)めましまして、天女、僧のふすまに入給ひぬ。僧、よろこびにたへず、夫婦(めをと)のかたらひを、なしつ。かくて、心も、のどまり[やぶちゃん注:「和(のど)まる」。落ち着き。]、病も、又、怠(おこた)り[やぶちゃん注:ここは「病気が癒える」というポジティヴな意。]ぬれば、勤修(ごんしゆ)、ますます、たゆみなく、はげみける。夫(それ)より後は、夜な夜な、天女、ましまして、僧と語(かたり)給ふ事、絕(たえ)ず。月目を經て、この僧、心にうれしく思ふ餘り、ふと、同法(どうほふ)のしたしき物語の序(ついで)に、「かゝる事も、ありける。」と、ほのめかしける其夜、又、天女、おはして、殊にいかり腹立(はらだち)給ひて、「汝がまよひをはらして、成佛(じやうぶつ)の緣をとげしめんためにこそ、かりそめに、かく、契(ちぎり)は、かはしつるを、はかなくも、人にもらしつる。今は、かひなし。汝がもらす所の慾水、かへしあたふるぞ。」とて、つまはぢきして去(さり)給ふ。其時、あまた、水の面(おもて)にかくると覺しが、やがて、此僧、らいびやうを、やみて、いく程もなく、身まかりぬ、と、いへり。ふしぎの事にこそ。

[やぶちゃん注:「和州長谷」「(初瀨)」現在の奈良県桜井市初瀬(はせ:グーグル・マップ・データ)。ここには知られた名刹長谷寺があるが、話しが話しなだけに、編者は、津村は地名を用いたのであろうから、「目次」の標題通り、「初瀨」とすべきだ、と考えたものと思われる。

「慾水」精液。

「らいびやう」「癩病」。ハンセン病の旧差別病名。私は何度も、繰り返し、近代以前、激しく差別されたこ病気について、詳細に注し、今も、その差別の亡霊が未だにいることを注意喚起してきた。たとえば、最近のそれの一つとして、『鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三 起請文の罰の事」』の私の注を必ず読まれたい。

譚海 卷之五 江戶深川靈光院塔中養壽院弟子俊雄事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。書付けの文は句読点を使わず、代わりに字空けをして読み易くした。]

 

○江戶深川靈光院地中(ぢちゆう)、養壽院といふに、俊雄(しゆんゆう)といふ所化(しよけ)あり。平生、正月廿五日圓光大師の御忌に、往生を遂度《とげたき》よし、人にもかたりけり。天明七年正月廿五日養壽院の住持、他行《たぎやう》の留守をせしに、俊雄、下部(しもべ)をたのみて、いふやう、「けふは、同寮の者に誘引せられて、據(よんどころ)なく、遊女の所へ行(ゆく)べきやくそくをせし也。今更、いなみがたければ、何とぞ、此衣類を、ひそかに典物(てんもつ)にして、金子壹兩壹步、こしらへくれよ。」とて、衣服を、あまた取出(とりいだ)して、あつらヘけるに、いなみけれど、再應、わりなくたのみければ、あるまじき事にもあらずと覺えて、此男、うけがひて、質屋へ持行(もちゆき)、右の金子、調へ來り、「小袖、金子の價(あたひ)より、おほかりし。」とて、「三つ、戾し侍りぬ。」と、いひければ、此僧、大によろこび、やがて金子を錢に兩替し、此男にも、酒・豆腐など求(もとめ)て、振舞(ふるまひ)て、扨、我が部屋に入(いり)て、轉寢(うたたね)などして、晚景に成(なり)て起出(おきい)で、「かならず、院主へ沙汰ししらすな。」と、堅く口がためして、出行(いでゆ)けり。其夜も歸らず、翌朝、俊雄の同伴、澄嚴といふ僧、この程は靈岸寺の地藏の守僧なるが、元來、養壽院にありし事なれば、いつも晨朝(しんてう)のつとめには、養壽院に來(きた)る事とて、廿六日早朝、來り、「院主は、いまだ臥(ふし)て起居(おきをら)ざれば、先(まづ)佛前に參じて禮をせん。」とて、見れば、かたわらに俊雄の位牌、立(たて)てあり。年月も願(ぐわん)の如く、昨日の事にしるし付(つけ)たれぱ、大に驚きながら、又、無常のはかなき事を思ひやり、多年、願ひ、成就せし事も、たのもしく覺えて、『いと、あやし。』と、おもひながら、「先(まづ)、禮せん。」とて、りんを打(うち)たるに、一向に、ひゞき出(いで)ず。又、打(うち)たれども、同じ事にて、何やらん、内に有(ある)やうにおぼへ[やぶちゃん注:ママ。]しかば、手を指入(さしいれ)て見れば、りんの底に、鳥目貳百文、紙につゝみて、有(あり)。取あげてみれば、俊雄の手跡にて、「くはしき事は 拙僧 單笥の引出しの内に有ㇾ之(これあり)」と書付あるゆゑ、いよいよ、驚き、いそぎ、院主をおこして尋(たづね)けるに、院主も、位牌を見て、初めて、おどろき、諸共(もろとも)に單笥の内を穿鑿しければ、書置(かきおき)の一紙あり。壹兩壹步の錢を、三百文づつに包(つつみ)わけ、同法知音(ちいん)の僧に分ちやるべき名を、殘りなく記し、小袖・帶の類(たぐひ)迄も、皆々、形見に配頌すべき書付、つまびらかに有(あり)。「年來(としごろ) 御忌の日に往生とげたき念願なりしが 年を經て もだしがたく 今日(けふ) しきりに往生の機(き) 進み侍れば 思ひ立(たち)て 本望をとげ侍る されども 死該は 決して見せまじき」よしをしるせり。皆々、殊に尊(たつと)く、哀(あはれ)を催して、感淚を押(おさ)へかねて、別時念佛など、いとなみて、後々のとぶらひまで、ねんごろにしけると、人のかたりし。

[やぶちゃん注:津村がかく記したによって、無名の俊雄の事績は、かく、残った。何か、私は非常に胸打たれた。

「江戶深川靈光院地中、養壽院」前者は東京都墨田区吾妻橋に現存する。浄土宗瑞松山榮隆院霊光寺(グーグル・マップ・データ)である。いつもお世話になる「猫の足あと」の同寺の解説によれば、『霊光寺は、木食重譽上人霊光和尚を開山として創建、寛永』三(一六二六)年、『寺院となしたと』伝えるとある。「養壽院」は現存しないようだが、「塔中」(塔頭(たっちゅう)に同じ)「地中」とあるから、この現在の霊光寺境内にあったものである。

「所化」修行中の僧を指す語。

「圓光大師」法然の没後四百八十六年後の元禄一〇(一六九七)年一月十八日、東山天皇より勅諡された法然の大師号。

「天明七年正月廿五日」グレゴリオ暦一七八七年三月四日。

「別時念佛」道場や期間を定めておいて、その間、只管、称名念仏行に励むこと。「WEB版新纂浄土宗大辞典」の当該項によれば、法然は「七箇条の起請文」で『「時時(ときどき)別時の念仏を修して心をも身をも励まし調え進むべきなり。日日に六万遍を申せば、七万遍を称うればとてただあるも、いわれたる事にてはあれども、人の心様はいたく目も慣れ耳も慣れぬれば、いそいそと進む心もなく、明暮あけくれは心忙しき様にてのみ疎略になりゆくなり。その心を矯め直さん料に、時時別時の念仏はすべきなり」(聖典四・三三八/昭法全八一二~三)といって、日々六万遍、七万遍の称名念仏を修することが望ましいと常に心得ていながらも、その気持ちは日々の生活の中で薄れてしまうものであるといい、その気持ちを正すために』、『時々』m『別時の念仏を修するべきであるとしている。また続けて、「道場をも引き繕い花香をも参らせん事、殊に力の堪えんに随いて飾り参らせて、我が身をも殊に浄めて道場に入りて、あるいは三時あるいは六時なんどに念仏すべし。もし同行なんど数多あらん時は、替る替る入りて不断念仏にも修すべし。かようの事は各事柄に随いて計らうべし。さて善導の仰せられたるは、月の一日より八日に至るまで、あるいは八日より十五日に至るまで、あるいは十五日より二十三日に至るまで、あるいは二十三日より晦日に至るまでと仰せられたり。各差し合わざらん時を計らいて七日の別時を常に修すべし。ゆめゆめすずろ事ともいうものにすかされて不善の心あるべからず」(聖典四・三三九/昭法全八一三)ともいい、道場も花を供えて』、『香をたくなど』、『できる限り整え、一日を六時間に分けたなかの』、『三時もしくは六時に念仏行をするとし、一日から八日、また八日から一五日など、期間を定め、不善の心を起こさずに念仏すべきであるとしている。また、聖光は』「授手印」を『記して』、『世に広まっていた誤った念仏義を正そうとした際に、肥後往生院と宇土西光院にて四十八日の別時念仏を修したとされている。また』、「西宗要」では、『「日を一日七日に限り、若しは九十日に限り、其の身を清浄にして清浄の道場に入り、余言無く、一向に相続無間に称名するを以て別時と云なり」(浄全一〇・二〇八上~下)といって、期間を決めて絶え間なく念仏行を修することであると細かく示しており、また』、「浄土宗名目問答」の下では、『道場を荘厳』(しょうごん)『し、自身を清浄にする方法が細かく示されている(浄全一〇・四一七下~八上)』とある。]

譚海 卷之五 單誓・澄禪兩上人の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○正德の比、單誓(たんせい)・澄禪(ちやうぜん)といへる兩上人、有(あり)。淨家の律師にて、いづれも生れながら成佛(じやうぶつ)の果(くわ)を得たる人なり。澄禪上人は俗成(なり)しとき、近江の日野と云(いふ)町に住居ありしが、そこにて出家して、專修念佛の行人(ぎやうにん)となり、後は駿河の富士山にこもりて、八年の間勤修(ごんしゆ)怠らず、生身(せいしん)の彌陀の來迎(らいがう)を、をがみし人也。八年の後、富士山より近江へ飛帰(とびかへ)りて、同所平子(ひらこ)と云(いふ)山中(さんちゆう)に籠られたり。單誓上人も、いづくの人たるを、しらず。是は、佐渡の國に渡りて、かしこの「だんどくせん」といふ山中の窟(いはや)に、こもり、千日修行して、みだの來迎を拜(おがま)れけるとぞ。その時、窟の中(うち)、ことごとく金色の淨土に變(かはり)、瑞相(ずいさう)、樣々成(なり)し事、木像に、えりて、「塔の峯」の寶藏に收(をさ)めあり。此兩上人、のちに、京都東風谷(こちだに)と云(いふ)所に住して知音と成(なり)、往來、殊に密也しとぞ。單誓上人は、其後、相州箱根の山中、「塔の峯」に一宇をひらきて、往生の地とせられ、終(つひ)に、かしこにて、臨終を遂(とげ)られける。澄禪上人の終(しゆう)はいかゞ有(あり)けん聞(きき)もらしぬ。東風谷の庵室をば遣命にて燒拂(やきはらひ)けるとぞ。共にかしこきひじりにて、存命の内、種々奇特多かりし事は、人口に殘りて記(しるす)にいとまあらずといふ。

[やぶちゃん注:「正德」一七一一年から一七一六年まで。徳川家宣・徳川家継の治世。しかし、以下登場人物の私の注で判る通り、これは少なくとも次の僧の没年から明らかに時制誤認である。

「單誓」「彈誓」の誤り。浄土宗の僧弾誓(たんぜい 天文二一(一五五二)~慶長一八(一六一三)年)。尾張国海辺村の人。幼名「弥釈丸」(これは「弥陀・釈迦」二尊を表わす名である)。九歳で出家し、名を弾誓と改めた。その後、美濃・近江・京都・摂津一の谷・紀州熊野三社など、各地を遊行(ゆぎょう)し、慶長二(一五九七)年、佐渡において、生身の阿弥陀仏を拝し、授記を受け、十方西清王法国光明満正弾誓阿弥陀仏となって「弾誓経」六巻を説法した。その後は、甲斐・信濃を経て、江戸に至り、学僧幡随意(ばんずいい)より、白旗一流の法を授かった後、再び京に戻った折り、古知谷(こちだに:本篇の「東風谷」は誤り)に、瑞雲が棚引くのを見、最後の修行地と定めた。そこで自身の頭髪を植えた本尊を刻み、光明山阿弥陀寺を建立した。六十二歳で入寂したが、その遺骸は、石棺に納め、本堂脇の巌窟に即身仏として安置されてある。長髪・草衣・木食という弾誓の僧風は、澄禅・念光らに受け継がれ、その流れは浄土宗において「捨世派」の一流と位置づけられている(「WEB版新纂浄土宗大辞典」の当該項に拠った)。

「澄禪」(承応元(一六五二)年~享保六(一七二一)年)。江戸中期の「捨世派」念仏聖。精蓮社進誉。近江国日野の人。十四歳の時、自ら剃髪し、日野大聖寺在心の下で受戒。十八歳で、増上寺に入り、宗戒両脈を相承するが、学問を求めず、専ら、坐禅称名に努めた。隠遁の心止み難く、貞享五(一六八八)年、遂に学林を逃れて、霊山聖跡を巡錫した。相模国曽我の岩窟を始め、塔の峰阿弥陀寺(後注する)の「遅岩洞」、富士山での修行を経て、近江平子山、京都大原山に籠り、苦修練行すること数十年、衣食住の禁欲に徹し、日課念仏十万遍、貴賤男女の帰依を集めた(同前に拠った)。

「淨家」浄土宗。

「近江の日野」滋賀県蒲生郡日野町(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「平子」滋賀県蒲生郡日野町平子

「だんどくせん」檀特山。「たんとくさん」「だんとくせん」とも呼ぶ。標高九〇七メートル。古い民謡に「お山・檀特山・米山薬師、三山かけます佐渡三宮」と歌われ、「金北(きんぽく)山(お山)」・「金剛山(米山薬師)」と並び、「大佐渡三霊山」と通称される。山頂までに四十八滝と言われる多くの滝があり、修験の霊場として名高い。

「塔の峯」現在の神奈川県足柄下郡箱根町塔之澤(標高三百メートル)にある浄土宗阿弥陀寺。慶長九(一六〇四)年創建。開山は弾誓上人、開基は当時小田原城主であった大久保忠隣(ただちか)。

「京都東風谷」「東風谷」は「古知谷」の誤り。現在の京都市左京区大原古知平町にある古知谷(こちだに)の浄土宗光明山法国院阿弥陀寺(こちだにあみだじ)。即身仏は公開されいないが、その封じられた石棺の扉までの写真が並ぶ、「こすもす」氏の「生きたままミイラになった即身仏を見に行ったら 京都大原 古知谷・阿弥陀寺」がお勧めである。]

譚海 卷之五 俱舍論鳳潭和尙より弘たる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。標題の「弘たる」は「ひろまりたる」と訓じておく。]

 

○倶舍論(くしやろん)は元綠の比迄、世の中に、解し、あきらむる人、なくて有(あり)ぬるを、鳳潭(ほうたん)和尙、殊に强力(きやうりよく)の人[やぶちゃん注:努力の人。]にて、奈良の興福寺に玄奘三藏傳來の註解善本ある事をしりて、かしこに至りて寶藏を守る僧にひそかにまひなひし、倶舍の註解拜見したきよしを約して、日々白き下帷子(したかたびら)を着て寶藏に入(いり)、披見の儘に祕註をかたびらに盡く寫しとめ、月日を經て、終(つひ)にのこりなく祕本を寫(うつし)とりて、扨(さて)、板行(はんぎやう)して世に出(いだ)されける。是より、漸々(やうやう)世中(よのなか)に解する事を得て、數人(すにん)の碩學、繼(つぎ)て、興行註解を加へ弘(ひろめ)しより、倶舍の文、明らかにわかれ、今は、世の中に、倶舍の講談せぬ人もなく、每年、月々、群儀の席(せき)を重(かさぬ)る事となりぬ。かく、あまねく、人の解する事に成(なり)ぬるも、然しながら、鳳潭師の賜ものと云(いふ)べしと、ある僧のかたりぬ。賓藏の守僧は、一泉院の宮の御科(おんとが)を得て、終に死刑に處せられぬとぞ、いと悲しき事也。

[やぶちゃん注:「俱舍論」詳しくは「阿毘達磨倶舎論」(あびだつまくしゃろん)という。インドの仏教論書。原名は「アビダルマコーシャ」(Abhidharmakośa:アビダルマの蔵)。著者は世親(せしん:Vasubandhu:バスバンドゥ)。成立は四~五世紀とされる。部派仏教(小乗仏教)中、最も有力な部派であった「説一切有部」(せついっさいうぶ:単に「有部」とも呼ぶ)の教義体系を整理・発展させて集大成したものである。しかし、作者の世親は有部の教義に必ずしも従わず、根本的立場に関して、処々に「経量部」(きょうりょうぶ)、または、自己の立場から、有部の主張を批判してもいる。構成は、約六百の「頌」(じゅ:kārikā:カーリカー:韻文)と、それらに対する長行釈(じょうごうしゃく:bhāya:バーシュヤ:散文による解説)からなる。全体は九品(くほん:章)に分かれ、初めの二品で、基本的な法(ダルマ)の定義と諸相を明かし、続く三品で迷いの世界を、その後の三品で悟りの世界を、それぞれ説明し、最後にある付録的性格を持つ一品では、無我を証明する。「倶舎論」は、先行する原始仏教の思想を体系化し、後の大乗仏教にも深い影響を与えたことから、仏教学の基礎として、後世、大いに用いられた。中国では、特に法相宗(ほっそうしゅう)で研究され、本邦では、奈良時代に教学宗派である「倶舎宗」が成立し、「南都六宗」の一つに数えられた。異訳としては真諦(しんだい)の漢訳「倶舎釈論」(くしゃくろん)と、チベット語訳がある。その原本を伝えるサンスクリット語本は、一九三七年にチベットで発見され、一九六七年にインドで校訂出版されている(小学館「日本大百科全書」に拠った)。嘗つて、同論の解説書を買ったが、理解して読み終わるのに、実に一ヶ月以上もかかった。

「鳳潭」(万治二(一六五九)年~元文三(一七三八)年)は江戸中期の華厳宗の僧。「僧濬(しゅん)」・「華嶺道人」・「幻虎道人」とも称した。鳳(「芳」とも)潭は字(あざな)。江戸前期の黄檗宗の僧鉄眼(てつげん)道光に師事し、中国・インドへの渡航を企てるも果たせず、興福寺・東大寺・比叡山で諸宗を修学した。華厳宗の再興に尽力し、浄土真宗。日蓮宗を攻撃して、仏教界に新風を起こした人物として知られる。]

2023/11/28

譚海 卷之五 京洛隱者琴を彈じ狸腹鼓うちたる事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。和歌のみ改行し、上句・下句に分け、後者を有意に下げた。]

 

○何某といへる洛外の邊土に住(すみ)ける隱者にて、常は筝(さう)を彈(ひき)て樂しみける。いかなる德ある人にや、堂上方も、ゆきむかひ給ひて、絕(たえ)ず往來ありしが、餘り、程遠ければ、洛中に移り住なば、よかるべし、などありしに付(つき)て、やがて便(たよ)りを求めて、洛中に住つきぬ。老女一人、召仕ひけり。此女、物とゝのヘに町へ出(いで)たるついで、人がいづかたにおはすと問ひければ、そこそこと語りしに、其人、聞(きき)怪(あやし)みて、其おはする所は、世にばけ物屋敷とて、恐ろしき所にいひ傳へたり。たぬきなど、折々、鼓(つづみ)打(うつ)など、人もいふなるは。と、あばめける[やぶちゃん注:意味不明。「噂をばらした」ということか?]を、女、聞(きき)、驚きて、急ぎ歸りて、主人に、しかじか、此所をば、人申侍る。早く住替させ給へと、諫(いさ)めけれど、承引なければ、さらば、みづからには御暇(おいとま)賜はりてよ。かゝる恐敷(おそろしき)所に、いかで、住つきて仕奉(つかまつりてまつ)らん、とて、終(つひ)に暇をこひ、去りたり。げに、其後(そののち)、或時は、夜中など、鼓、打(うつ)音、聞へける。又、絕(たえ)て聞(きこ)ヘざる事も、久敷(ひさしく)ありける。此何某(なにがし)、

 あなさびしたぬき鼓うて琴ひかん

    我琴ひかんたぬきつゞみうて

と、一首の歌を詠じける。是にめでけるにや、其後は、鼓打音も、聞えず、怪しきことも、絕てなかりしと、いへり。

[やぶちゃん注:この和歌は、本日、たまたま、全く偶然に電子化した、『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の腹鼓」』の中の、大田南畝の随筆「一話一言」の巻十三に載る、

   *

京に隠者あり、縫菴《ぬひあん》といふ。琴をよくひけり。信頰(のぶつら)といへるもの横笛をよくす。二人相和して楽しむに、狸庭に来りてその尾を股間にいれ、腹つゞみうちてたてり。

 やよやたぬましつゞみうて琴ひかん

    われことひかんましつゞみうて

                 縫菴

 はうしよくたぬつゞみうてわたつみの

      をきなことひきわれ笛ふかん

                 信頰

 福井立助の物語りのよし、鳴嶋氏(忠八)きけるとにて、鈴木氏(新右衛門)予にかたりき。

   *

とある、前の一首と酷似しているし、内容も異様に似ているから、本篇の「何某」とは、この「縫菴」なる人物であったと考えてよいだろう。]

譚海 卷之五 丹波國船井郡薗部村無年貢の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○丹波船井郡薗部は小出家の領地也。かしこに、往古より、一村、年貢を出(いだ)さざる所、有(あり)。是は、鎌倉の時、西明寺[やぶちゃん注:ママ。「最明寺」が正しい。以下同じ。]時賴朝臣、諸國を潛行ありて、此地に來り、老夫婦有(ある)者の許ヘ一宿せられしに、もてなし殊にねんごろ成(なる)をかんじて、我は鎌倉の者也。若(もし)かしこに下りたる事あらば、必(かならず)、訪(たづぬ)るべし。是を印(しるし)に、とて、切紙(きりがみ)に判を押たる物を殘して出(いで)られけり。其後(そののち)、年經て、老人、妻を先だてて詮方なく、廻國修行に出で、思ひがけず鎌倉に至りしに、前年の事を思ひ出で、判物を持(もち)て案内を尋(たづね)しかば、やがて西明寺殿に見參(けんざん)し、そのかみのもてなし、心ありける事抔(など)のたまひて、何事にても願ふ事あらんには、申べきよしありしに、かく、妻におくれ、世捨人と成(なり)侍りしかば、身に取(とり)ては一事(いちじ)も願ひ侍る事、なし。但(ただ)、本國の一村は、山谷(さんこく)の間にして、殊に、なりはひ、ともしく、年貢に窮し、年々の求めにたへず。願はくは、此儀をゆるさせ賜はば、我爲(わがため)、故鄕の者に取(とり)ても、いか斗りか、悅び思ひ侍らん事を、と申せしかば、願(ねがひ)の如く、ゆるし賜ひて、除地(よけち/のぞきち)に定められける。夫(それ)より、年代を經て、領主も、あまた、かはりたれども、有(あり)しまゝに舊例を追(おひ)て、今に除地にてある也。佐野源左衞門といへる事の、物語に能(よく)似たる事共なれど、是は、まさしく、今も除地にて、人のしりたる事なれば、慥成(たしかなる)事也と、人の語りし。

[やぶちゃん注:ここにある時頼廻国伝承は、全くの虚妄で、後代のデッチアゲに他ならない。私も調べたが、時頼は隠居後、基本、鎌倉を有意な日数、出た形跡は、これ、一切、ない。

「丹波國船井郡薗部村」現在の京都府南丹市園部町(そのべちょう)は、この通り、広域であるが(グーグル・マップ・データ)、狭義の旧「園部村」は「ひなたGPS」で見た結果、ここに限られることが判った。また、少なくとも、戦国時代までは、ここは「薗部村」であったことも確認出来た(サイト『「ムラの戸籍簿」データベース』の「丹波国」のページを参照した)。

「小出家」丹波国船井郡(現在の京都府南丹市園部町小桜町(こざくらまち)に藩庁(陣屋)の園部城(グーグル・マップ・データ)があった。この城は日本城郭史で最後の建築物であった)にあった園部藩藩主小出家。]

譚海 卷之五 蓮根をふやすの法の事

[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。]

 

○蓮根をふやすには、春彼岸の比(ころ)、蓮根、壹本、よくめを出すべきを、たゞし求めて、水がめの中へ、泥をたくはへて、植置(うゑおき)、大豆貳合を、三日程、水にひやし置(おき)て、泥にまぜ、こやしとすれば、其夏、花うるはしく開くのみならず、はす根、殊に多くふえて、用に遣ふに足れりといへり。

[やぶちゃん注:「蓮根」双子葉植物綱ヤマモガシ目ハス科ハス属ハス Nelumbo nucifera の地下茎。「ハス」とは別に「レンコン」のウィキもあるので、参照されたい。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「髮の毛」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Kaminoke

 

     

 

 

 日曜日には、子供たちが彌撒(ミサ)に行かないと、ルピツク夫人は承知しなかつた。そこで、子供たちを小ざつばりとさせるのだが、姉のエルネスチイヌが、みんなのおめかしを監督することになつてをり、そのために、自分のが遲れてしまふのである。彼女はそれぞれ襟飾ネクタイを選んでやり、爪を磨いてやり、祈禱書を持たせる。一番大きなのをにんじんに渡すのである。だが、なんといつても、仕事は、兄弟たちの頭ヘポマードを塗ることだ。[やぶちゃん注:「襟飾」原文は“cravates”。この場合は、「ネクタイ」である。戦後版では本文で「ネクタイ」と訳しているので、これも「ネクタイ」と当てても読んでも、問題はない。]

 これをやらないと、どうにも氣がすまぬらしい。

 にんじんは、それでも、おとなしくされるまゝになつてゐる。しかし、兄貴のフエリツクスは、豫め姉に向つて、しまひに怒るぞと念を押すのである。が、姉は姉で、かう云つて誤魔化すのである。

 「あゝ、また今日も忘れちやつた。わざとやつたんぢやないわよ。この次の日曜から、きつとつけない」

 で、相變らず、彼女は、その時になると、指の先でひと掬ひ、彼の頭へなすつてしまふのである。

 「覺へてろ」[やぶちゃん注:「へ」はママ。]

 と、兄貴は云ふ。

 今朝も、タオルにくるまり、頭を下へ向けてゐるところを、姉のエルネスチイヌは、またこつそりやつたのだが、彼は、氣がつかぬらしい。

 「さ、云ふことを聞いたげてよ。だから、ぶつぶつ云ひつこなしよ。あの通り、壜は蓋をしたまゝ煖爐の上に置いたるぢやないの。感心でしせう。だけど、あたし、自慢はできないわ。だつて、にんじんの髮の毛なら、セメントでなくちや駄目だけど、あんたのなら、ポマードもいらないくらゐだわ。ひとりで縮れて、ふつくらしてるわ。あんたの頭は、花キヤベツみたいよ。この分けたとこだつて、晚までそのまま持つわよ」[やぶちゃん注:「置いたる」旧のサイトの戦前版の注では、『「置いてある」の誤植か』と注したが、ここでも同じであるから、確信犯の用法であることが判った。これは「置いてある」の口語の縮約形である。考えて見ると、私なども、親しい間の者に対してぞんざいに言う時に、「置ぃたるじゃん」という言い方をすることがたまにある。但し、書物で見ると、甚だ違和感がある。岸田は東京生まれだから、違和感がないのであろう、戦後版の新仮名でも同じであるから、これが普通の口語表現と認識していたらしい。]

 「ありがたう」

 と、兄貴のフエリツクスは云つた。

 彼は、別に疑ふ樣子もなく起ち上つた。普斷のやうに、頭へ手をやつてほんとかどうか調べてもみない。[やぶちゃん注:「普斷」はこの表記が正しい。原義の「途絶えることなく続くこと」から転じて「日常」の意を持つ。実は現代では、多く、「普段」と書くが、こちらの方こそ当て字であることを、若い世代は認識していないかも知れない。]

 姉のエルネスチイヌは、彼に服を着せてしまふ。飾るところは飾つた。それから白い絹の手袋をはめさせる。

 「もういゝんだね」

と、兄貴のフエリツクスは云ふ。

 「素敵よ。丸でプリンスだわ」と、姉のエルネスチイヌは云ふ――「それで、帽子さへかぶればいゝんだわ。開き簞笥の中にあるから取つてらつしやい」[やぶちゃん注:「開き簞笥」老婆心ながら、「ひらきだんす」である。]

 だが、兄貴のフエリツクスは、間違へてゐる。彼は、開き簞笥の前を通り過ぎてしまふ。急いで食器戶棚の方へ行く。戶を開ける。水のいつぱいはひつた水差を取り上げる。そして、これを、平然と、頭へぶつかけたのである。

 「ちやんとさう云つといたらう、姉さん」彼は云ふのである――「僕あ、人から馬鹿にされるのは嫌ひなんだ。そんな小(ち)つぽけなくせして、この古强者をちよろまかさうつたつて、そりや無理だよ。こんどやつたら、ポマードの壜を川ん中へぶち込んぢやうから・・・」

 髮の毛はぺしやんこになり、日曜の晴着から滴がたれてゐる。そこで、びしよ濡れの彼は、着物を着替へさせてくれるか、日に當つて乾くか、そのどつちかを待つてゐるのである。彼は、どつちでもいゝ。

 「ひでえ奴・・・」と、にんじんは、じつと感心してゐる――「あいつあ、怖いものなしだ。おれがあの眞似をしたら、みんなで大笑ひをするだらう。ポマードが嫌ひぢやないつていふ風に思はせとく方が得だ」[やぶちゃん注:この二つの台詞は誰にも聴こえぬように呟いているとした方が映像的には素敵だ。]

 しかし、にんじんが、いつもの調子で諦めてゐても、髮の毛は、何時の間にか、彼の讐を打つてゐる。[やぶちゃん注:「讐」「かたき」。]

 ポマードで無理に寢かせつけられて、一つ時は死んだ眞似をしてゐるが、やがて、むくむくと起き上る。何處がどう押されてか、てかてかの輕い鑄型に、ところどころ凸凹ができ、龜裂(ひび)がはひり、ぱくりと口をあくのである。[やぶちゃん注:「一つ時」老婆心ながら、「いつとき」である。]

 藁葺屋根の氷が解けるやうだ。

 すると、間もなく、髮の毛の最初のひと束が、ぴんと空中に跳ね上る、眞つ直ぐに、自由に。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「おとなしくされるまゝになつてゐる」この「おとなしく」の部分は原文では“comme un Jean Fillou”と表現されている。“Jean Fillou”(ジャン・フィユー)というのは架空名で、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の「ジュール・ルナール全集3」のここの注には、『「間抜けな人間」の意味の代名詞』とある。

「花キヤベツ」:原文は“chou-fleur”で、これはカリフラワーやブロツコリー等の「花野菜」という広義の言い方である。しかし、私は双子葉植物綱フウチョウソウ目アブラナ科アブラナ属ヤセイカンラン(お馴染みの「キャベツ」は同属キャベツ Brassica oleracea var. capitata である)の変種であるハナヤサイ(花椰菜:これが標準和名であるが「カリフラワー」の方が圧倒的に知られる)Brassica oleracea var. botrytis を指しているように思われる。一般に我々が「ハナキャベツ」で想起するのは、原種であるヤセイカンラン Brassica oleracea 及びその仲間で、鑑賞用のキャベツを指すのであるが、あれらは、葉が立つており、ここでの、ふつくらとした感じや、きちっとした分け目といつた言い方は、これ、カリフラワーの形状こそ、比喩に相応しいと思われるのである。]

 

 

 

 

     La Mèche

 

   Le dimanche, madame Lepic exige que ses fils aillent à la messe. On les fait beaux et soeur Ernestine préside elle-même à leur toilette, au risque d’être en retard pour la sienne. Elle choisit les cravates, lime les ongles, distribue les paroissiens et donne le plus gros à Poil de Carotte. Mais surtout elle pommade ses frères.

   C’est une rage qu’elle a.

   Si Poil de Carotte, comme un Jean Fillou, se laisse faire, grand frère Félix prévient sa soeur qu’il finira par se fâcher : aussi elle triche :

   Cette fois, dit-elle, je me suis oubliée, je ne l’ai pas fait exprès, et je te jure qu’à partir de dimanche prochain, tu n’en auras plus.

   Et toujours elle réussit à lui en mettre un doigt.

   Il arrivera malheur, dit grand frère Félix.

   Ce matin, roulé dans sa serviette, la tête basse, comme soeur Ernestine ruse encore, il ne s’aperçoit de rien.

   Là, dit-elle, je t’obéis, tu ne bougonneras point, regarde le pot fermé sur la cheminée. Suis-je gentille ? D’ailleurs, je n’ai aucun mérite. Il faudrait du ciment pour Poil de Carotte, mais avec toi, la pommade est inutile. Tes cheveux frisent et bouffent tout seuls. Ta tête ressemble à un chou-fleur et cette raie durera jusqu’à la nuit.

   Je te remercie, dit grand frère Félix.

   Il se lève sans défiance. Il néglige de vérifier comme d’ordinaire, en passant sa main sur ses cheveux.

   Soeur Ernestine achève de l’habiller, le pomponne et lui met des gants de filoselle blanche.

   Ça y est ? dit grand frère Félix.

   Tu brilles comme un prince, dit soeur Ernestine, il ne te manque que ta casquette. Va la chercher dans l’armoire.

   Mais grand frère Félix se trompe. Il passe devant l’armoire. Il court au buffet, l’ouvre, empoigne une carafe pleine d’eau et la vide sur sa tête, avec tranquillité.

   Je t’avais prévenue, ma soeur, dit-il. Je n’aime pas qu’on se moque de moi. Tu es encore trop petite pour rouler un vieux de la vieille. Si jamais tu recommences, j’irai noyer ta pommade dans la rivière.

   Ses cheveux aplatis, son costume du dimanche ruissellent, et tout trempé, il attend qu’on le change ou que le soleil le sèche, au choix : ça lui est égal.

   Quel type ! se dit Poil de Carotte, immobile d’admiration. Il ne craint personne, et si j’essayais de l’imiter, on rirait bien. Mieux vaut laisser croire que je ne déteste pas la pommade.

   Mais tandis que Poil de Carotte se résigne d’un coeur habitué, ses cheveux le vengent à son insu.

   Couchés de force, quelque temps, sous la pommade, ils font les morts ; puis ils se dégourdissent, et par une invisible poussée, bossellent leur léger moule luisant, le fendillent, le crèvent.

   On dirait un chaume qui dégèle.

   Et bientôt la première mèche se dresse en l’air, droite, libre.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の腹鼓」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の腹鼓【たぬきのはらつつみ[やぶちゃん注:ママ。「つづみ」の誤植であろう。]】 〔雲萍雑志巻四〕狐は奸智ありて、疑ひ多き故に、かれがよこしまにひがめる性《せい》を忌みて、人《ひと》愛《あい》せず。狸は痴鈍にして、暗愚なれば、人も憎まず。予<伝《でん》柳里恭>筑紫にまかりし頃、ある寺にやどりける夜《よ》、あるじの僧の、あれ聞きたまへ、今宵は月のさやけさに、狸どもの集まりて、腹つゞみをうつなりといふに、耳をすませば、その音、はるかに響《ひび》けり。砧《きぬた》の音にやあらんとうたがへば、左《さ》にもあらず。向ひたる岡のこなたに一むらの藪ありて、他《た》には人家なし。狸ども、そこに集まりゐて打つなり。住持云ふ、われこの寺に居《ゐ》ること、およそ九年《くねん》になりぬ、三《み》とせ過ぎぬる秋よりして、人々この音を聞きつけぬ、予もいぶかりて、そのところを尋ね見しに、只《ただ》狸が栖《す》める穴のみありといへり。あくる日行きて見侍るに、はたして人家は絶えてなかりし地(ところ)なり。太平の民は鼓腹《こふく》すなど、古語にもいへば、腹つゞみはめでたきためしにや。〔一話一言巻十三〕京に隠者あり、縫菴《ぬひあん》といふ。琴をよくひけり。信頰(のぶつら)といへるもの横笛をよくす。二人相和して楽しむに、狸庭に来りてその尾を股間にいれ、腹つゞみうちてたてり。

 やよやたぬましつゞみうて琴ひかん

    われことひかんましつゞみうて

                 縫菴

 はうしよくたぬつゞみうてわたつみの

      をきなことひきわれ笛ふかん

                 信頰

 福井立助の物語りのよし、鳴嶋氏(忠八)きけるとにて、鈴木氏(新右衛門)予にかたりき。 〔譚海巻五〕狸腹つゞみ打つといふ事、慈鎮和尚の歌にも見えて、昔より有る事なり。但かの鼓打つ事、人をまどはさんとてする事か、または独りつゞみ打ちて楽しと思へるにかなど、云ひあひけるに、或人さにあらず、この二ツの外の事なり、一とせ我箱根最乗寺に宿せしころ、狸つゞみ打つといふ事をまさしく見たり、これは狸一ツに非ず、二ツにてする事なり、そのころもをかしき事堪へがたき物なれば、必ず声たてず、息せず忍びて見よと申せしかば、ある月夜に客殿の戸のすき間より伺ひしに、頓(やが)て庭に狸二ツをどり出で、かなたこなたたはむれ遊ぶ、これ雌雄の狸なり、交合せんとてかくたはむれあふが、二ツの狸たはれて飛びちがふ時、腹と腹とを打ちあはすれば、さながらつゞみの様に聞ゆるなり、あまたたび打合する時は、誠に余所にては鼓打つともいひつべき程なり、そこののたまふたぐひにはあらざる事なりと語りし。珍しき物語りなり。

[やぶちゃん注:第二話の和歌は一字下げベタだが、ブラウザの不具合を考え、上句・下句を分離し、後者を有意に字下げにした。

「雲萍雑志」「鬼の面」で既出既注。文雅人柳沢淇園(きえん:好んだ唐風名は柳里恭(りゅうりきょう))の随筆とされるも、作者に疑問があり、偽作の可能性が強い。そのために宵曲の割注の頭に「伝」と附されてあるのである。国立国会図書館デジタルコレクションの「名家漫筆集」 『帝國文庫』第二十三篇(長谷川天渓校訂・昭和四(一九二九)年博文館刊)のこちらで当該部が正規表現で視認出来る(本篇は最終の『卷之四』の掉尾で、本書の大尾である)。読みは、主にそれに拠った。

「太平の民は鼓腹す」「鼓腹撃壌」のこと。中国の伝承で、聖王堯の時、一老人が腹鼓を打ち、大地を叩いて歌い、堯の徳を讃えたという「帝王世紀」などに見える故事から、正しい政治が行き届き、人々が太平を楽しむさまを言う。

「一話一言」は複数回既出既注。安永八(一七七九)年から文政三(一八二〇)年頃にかけて書いた大田南畝著の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『蜀山人全集』巻四(明治四〇(一九〇七)年吉川弘文館刊)のこちらで正字で視認出来る。というか、「譚海」以外の前の二篇は、実は既に「柴田宵曲 妖異博物館 狸囃子」の私の注で正字表現で電子化してあるのである。なお、「一話一言」中の「縫菴」・「信頰」・「福井立助」「鳴嶋氏(忠八)」・「鈴木氏(新右衛門)」の人物は、調べても意味を感じないので、注さない。悪しからず。

「譚海」のものは、事前に「譚海 卷五 同國小田原最勝乘寺にて狸腹鼓うちし事(フライング公開)」を公開しておいた。]

 

譚海 卷之五 同國小田原最勝乘寺にて狸腹鼓うちし事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]

 

 「狸、腹つゞみ、打(うつ)。」といふ事、慈鎭和尙の歌にも見えて、昔より有(ある)事也。

 但(ただし)、彼(かの)鼓打(うつ)事、人をまどはさんとてする事か、又は、獨ひとり)、つゞみ打ちて樂しと思へるにか、など、云(いひ)あひけるに、或人、

「さにあらず。此二ツの外の事也。一とせ、我、箱根最乘寺に宿せし比(ころ)、狸、つゞみ打(うつ)といふ事を、まさしく見たり。これは、狸、一つに非ず、二ツにて、する事なり。其比(そのころ)も、

『をかしき事、堪(たへ)がたき物なれば、必ず、聲たてず、息せず、忍びて、見よ。』

と申せしかば、有(ある)月夜に、客殿の戶のすき間より伺ひしに、頓(やが)て、庭に狸、二つ、をどり出(いで)、かなた、こなた、たはむれ、遊ぶ。是(これ)、雌雄の狸なり。『交合せん。』とて、かく、たはむれあふが、二つの狸、たはれて[やぶちゃん注:戯れて。]、飛(とび)ちがふ時、腹と、腹とを、打(うち)あはすれば、さながら、つゞみの樣に聞ゆるなり、あまたたび、打合(うちあひ)する時は、誠に、餘所にては、「鼓打(うつ)」ともいひつべき程也。そこの、のたまふたぐひには、あらざる事なり。」

と語りし。

 珍しき物語りなり。

[やぶちゃん注:いかにも面白い話だが、眉唾だな。

「同國」この前話が相模国の話であることに由る。

「小田原最勝乘寺」現在の神奈川県南足柄市大雄町(だいゆうまち)にある曹洞宗大雄山最乗寺(グーグル・マップ・データ)。山岳部の顧問をしていた頃、春登山で金時山へ登攀する際の登山口であったから、何度も行った。

「慈鎭和尙」天台僧で歌人・文人(史書「愚管抄」の作者)としても知られた慈円(久寿二(一一五五)年~嘉禄元(一二二五)年)。「慈鎭」は諡号。父は摂政関白藤原忠通、摂政関白九条兼実は同母兄。天台座主には四度就任している。

「慈鎭和尙の歌にも見えて」とあるが、和歌嫌いの私は、よう知らん。どなたか、御教授あれかし。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の幻術」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の幻術【たぬきのげんじゅつ】 〔甲子夜話巻十七〕領内にて猟夫ねらゐと云ひて暁前に山野に鹿を打ちに往く。そのをりしも待ちゐたる間に、一婦の紡車《つむぎぐるま》を廻し、木綿を引く体なり。猟夫怪しみ野外人家あらず。且暁前なり。女子《をなご》の居るべきやうなし。これ妖ならんと、持ちたる鳥銃《てつぱう》にてその女を打ちしに、胸のほどに中《あた》りけれども動かず。やはり車を廻すゆゑ、また二発打ちて中れども如ㇾ始。因て猟夫所存を替へ、この度は紡車をねらひ打ちたるに、物音して倒れたり。乃《すなは》ち走り往きて視れば、大なる老狸の鉛に中り斃《たふ》れて、其側《そのそば》に石立てり。女と見えしは石にて、狸は紡車に幻じて欺《あざむ》きしなり。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷十七 18 老狸紡車よなり殺さるゝ事」を正字表現で公開しておいた。]

フライング単発 甲子夜話卷十七 18 老狸紡車よなり殺さるゝ事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

17―18

 領内にて、獵夫、「ねらゐ」と云(いひ)て、曉前(あかつきまへ)に山野に鹿を打(うち)に往く。

 其をりしも、待(まち)ゐたる間に、一婦(いつぷ)の紡車(つむぎぐるま)を𢌞し、木綿を引(ひく)體(てい)なり。

 獵夫、怪しみ、

「野外、人家あらず。且、曉前なり。女子(をなご)の居るべきよう[やぶちゃん注:ママ。]なし。これ、妖ならん。」

と、持(もち)たる鳥銃(てつぱう)にて、その女を打(うち)しに、胸のほどに中(あたり)けれども、動かず、やはり、車を𢌞すゆゑ、又、二發、打(うち)て、中れども、如ㇾ始(はじめのごと)し。

 因(よつ)て、獵夫、所存を替(か)へ、この度は、紡車を、ねらひ打たるに、物音して、倒れたり。

 乃(すなはち)、走り往きて視れば、大(だい)なる老狸(らうり)の、鉛(なまり)に中り、斃(たふ)れて、其側(そのそば)に、石、立てり。

 女と見えしは、石にて、狸は、紡車に幻じて欺(あざむ)きしなり。

■やぶちゃんの呟き

「ねらゐ」不詳。「狙居」か。夜明けよりも前の真っ暗な暁時に山野に出向いて、凝っと隠れて動かずに居て、獲物の鹿を狙い待つことと採る。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸の金」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸の金【たぬきのかね】 〔積翠閑話巻三〕恩をうけて恩を知らざるは禽獣に等しと。這《こ》は世人の常語にて、恩を知らざるものを譏《そし》れり。然れども鳥獣《とりけもの》にして、よく人の恩を知れり。人として恩をしらぬは禽獣に劣れるなり。いとも恥づべきことならずや。こゝに常州行方(なめかた)の在、片山かげに庵を結び、させる知識といふにはあらねど、一心不動に行ひ澄して、年を経《ふ》る老僧あり。童《わらは》一人《ひとり》だにめし使はで、手づから食事を営みつつ、旦暮(あけくれ)に念仏して、更に他念なかりければ、その道徳だに聞えねど、近郷の人々尊崇して、折にふれ衣食を贈り、家根《やね》壁の破壊(くずれ)なんど繕ひてとらせければ、結句世は安く思ひけり。或とき寒夜《かんや》のことなるが、何者ともしらず外に来りて、老僧々々と呼ぶ声に、たち出《いで》てこれを見れば、年旧(としふる)る狸の徨(たたず)みたり。尋常《よのつね》の人ならば、大いに恐怖なすべきを、了得《さすが》件《くだん》の法師なれば、更に動じたるけはひもなく、何事ありて来れると問ふ。当下(そのとき)狸膝を屈めて、おのれ山中《さんちゆう》を宿《やど》として、雪霜《ゆきしも》も厭はぬ身なれど、年老いてこの程の寒気にほとほと堪へがたし、願ふはこの庵《いほり》の炉辺《ろへん》におきて、寒夜を凌がせ給へかしと、余儀もなくいふを聞き、僧は哀れと思ひつゝいと易きことなれば、疾く疾く来りて温まれよと、快よく諾《うけ》がふに、狸は歓びて裡《うち》に入り、炉の辺に蹲(つぐ)みつつ、身を温めて居《ゐ》るからに、僧は猶持仏に対《むか》ひ、看経《かんきん》して顧みず。二時《ふたおき》ばかりして礼を述べ、外《と》の方へ帰り去《さり》ぬ。かくて後《のち》夜毎に来り、一時《あるとき》は山中なる枯枝落葉など拾ひ集め、持来《もちきた》る事もあり。後には馴れて日暮《ひくる》れば、狸を俟(また)るゝ心地しつ、たまたま遅く来《きた》るときは、などて今宵はこざりけんと、おもひやるばかりなり。かくて冬去り春もやゝ如月(きさらぎ)<二月>の季《えゑ》よりは、弗(ふつ)に狸も見え来らず。その年の冬に至り、訪《と》ひ来《く》ること以前の如く、既にして十年《ととせ》も過ぎぬ。狸は一時《あうとき》僧に対ひ、師の蔭をもて年々《としどし》の寒夜を安く過ぎぬること、生々世々《しやうしやうよよ》の大恩にて、何を以てかこれに報いん。何なりとも望みあらば宣ふべしといひけるに、法師は聞《きき》てうち笑ひ、この身になりて何をか望み、何かねがひのあるべきぞ、志《こころざし》はうれしけれど、恃(たの)むべき事もなし、然《さ》ることに心をおかず、我この世にあらん限りは、冬毎に来《きた》るべしと聞て、狸はその心操(こころばえ)を、あさからず感じたる面持(おももち)してありけるが、恩を禀(うけ)てはその恩を、報いざるを念[やぶちゃん注:一途の思い。]とせるにや、かくいふこと数回(たびたび)なり。法師はまたそのこゝろざしを、哀れとおもひて言出でけるは、遁世捨身の老法師、何か望みのあるべきならねど、たゞ願はくは三両の黄金(こがね)を得まくおもふなり、我《われ》郷人《さとびと》の情《なさけ》をもて、当時衣食に縡(こと)を闕《か》かず、翌《あす》が日《ひ》往生の素懐を遂げなば、これもまたうち倚りて、骸(むくろ)を慝《かく》すまでの事は、取賄《とりまかな》うてくるゝ筈なり、されば他《ほか》に金銭の入るべき条《すぢ》はあらねども、若し三枚の金《こがね》あらば、尊《たふと》き[やぶちゃん注:後に示す活字本に拠る読み。]御寺《みてら》へ奉り、追福の御法《みのり》をうけて、後世《ごせ》[やぶちゃん注:同前だが、個人的には「ごぜ」と濁りたい。]の菩提となしたく思ふ、然れどもこの黄金《こがね》、強ひて索(もと)めんとにはあらず、若しあらばとおもふのみ、汝がこゝろざしの切なる故に、説話(はなし)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]聞ゆるまでなりと聞《きい》[やぶちゃん注:同前。]て、狸は小首をかたぶけ、物案じ気《げ》なる景勢(ありさま)なれば、僧はなまじひのこといひ出て、狸が心を労《らう》さすよと思ひにければ、またうち返して、後世をおもふも凡夫心のみ、かならず索めんとにはあらず、決して苦心すべからずと喩《さと》しに、狸は意得顔(こころえ《がほ》)にて、その夜は例の如く帰りしが、それより後は弗(ふつ)に来らず、僧は彼が来《こ》ぬを訝《いぶか》り、その金《こがね》の整《ととの》はで面目《めんぼく》なさに来らぬか、またそれを盗まんとして、うち殺されなどしつらんか、左(と)にも右(かく)にも益なき事を言ひ出《いで》て罪をましぬと、後悔すれど今さら返らず。若しも殺されたるらん歟と、かれが為に看経の数《かず》をまして行ひ澄し、図らず三年《みとせ》を過《すぐ》しけるが、一夜《あるよ》門《かど》の辺《ほとり》にて、老僧々々と呼ぶ声せり。狸が音《おん》[やぶちゃん注:同前。]に似たりしかば、聞きもあへずたち出《いで》て、戸を開けば狸なり。僧はほとほとうち歓び、いまだ無事にてありけるよ、何とて久しく来らぬぞ、この日来(ひごろ)まち佗びたりといはれて、狸は内に入り、先頃(いつぞや)宣ひし黄金のこと、徒らに用ゐ給ふなら、何ほど揪(とり)て参らすとも、いと易きことながら、後世菩提のため尊《たふと》き御寺ヘ奉ると聞きぬれば、人の秘めおく黄金を竊(ぬす)み、その人の念かゝるときは、菩提の御ン為にはなり難《がた》からんと思ふから、佐渡へ渡り、或ひは土砂《つちすな》に雑りつゝ、人の捨てたるを拾ひ集め、新(あらた)に吹かして参りたれば、斯く月日を費したりといひつゝ出《いだ》す黄金を見るに、いかにも輝々《きらきら》しき新金《しんきん》にて、いと清浄《しやうじやう》におぼえければ、僧はとりておし戴き、よしなきことを言ひしより、汝に幾干(いくそ)の苦労を懸けたり、さりながらわが望みを得て、志願満足辱《かたじけな》しと、叮嚀(ねんごろ)[やぶちゃん注:活字本では『ていねい』と振る。]に礼拝《らいはい》す。この時狸のまうす様《やう》、これにて己《おのれ》が志も達しては候へど、人にな語り給ひそといふに、法師がこれのみは人にかたらで止むべきならず、その故はこの黄金を、かく浅間しき庵におかば、賊の為に奪はれん、人に預くるか、さもあらずば直《すぐ》[やぶちゃん注:活字本に拠る。]に御寺へ納むべし、然る時はこの貧僧が身に応ぜぬ黄金にて、人の不審もあるべければ、在りのまゝいはでは協(なか)はじ[やぶちゃん注:ルビ「なか」はママ。「かな」の誤植。]、たゞ其後《そののち》彼《かの》狸は弗に来らずと包《つつ》みなば[やぶちゃん注:活字本に拠ったが、「くるみなば」の方が判りがよい。「誤魔化して、言いくるめたならば」の意。]、これにて仔細あらざるべし、但し汝は今までの如く、来りて寒を防ぐべしと聞《きい》て[やぶちゃん注:活字本に拠る。]、狸も点頭(うなづき)をり、それよりこの法師があるほどは、冬毎に絶えず来りしとなん。

[やぶちゃん注:「積翠閑話」松亭金水(しょうていきんすい 寛政九(一七九七)年~文久二(一八六三)年中村経年)著で、歌川国芳の門人梅の本鶯斎(おうさい)画になる全四冊から成る絵入本随筆。嘉永二(一八四九)年刊。作者は人情本に名を残しただけあって、本篇も、伝承はあったものかとも思われるが(後注参照)、非常によく作られた作品で、ほのぼのしてくる上出来の――人情+狸情本――である。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十四巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)で正字表現で視認出来る。本文はここからであるが、標題はここ(標題のみ)で、『狸(たぬき)の金(かね)』、次のページに見開きで素敵な挿絵がある。人情本作家ならではの、ルビがかなりつけられているもので、多くを、積極的にそれを用いて、読みを添えた。なお、原本では末尾に改行して全体が一字下げで、筆者の添書がある。以下に示しておく。記号は私の凡例に同じ。総て句点で読点はない(本文も同じ)。

   *

按《あんず》るに獸畜(じうちく)にて。よく恩を知るは狗(いぬ)にしかず。日本紀(にほんき)鳥捕萬(とりべよろづ)が狗(いぬ)より。往〻(わうわう)古書(こしよ)に見えたるなり。この頃(ころ)それを轉錄(てんろく)して。梓(あづさ)に鏤(ちりばめ)たりけれど。いまだその本を閲(けみ)せず。狸(たぬき)にしてかゝることは。珍しとするに足(たり)なん。

   *

宵曲が、これをカットしたのは、本篇が創作物であることを読者が感じてしまう(本書の「随筆」から外れてしまう)ことを避けたかったためののように思われる。

「常州行方(なめかた)」現在の茨城県南東部の行方(なめがた)市(グーグル・マップ・データ)。現行は、かく、濁る。

 なお、カットされた添書中の「鳥捕萬」は飛鳥時代の武人で物部守屋の資人(しじん:下級官人であった捕鳥部万(ととりべのよろず)。姓はない。当該ウィキによれば(太字は私が附した)、『捕鳥部(鳥取部)は鳥を捕捉することを職業とした品部』(しなべ/ともべ)で、『用明天皇』二(五八七)年の「丁未の乱」に『おいて物部方に属して戦い』、百『人を率いて守屋の難波の邸宅を守備した。主君の守屋が討たれたのを聞いて、茅渟県の有真香邑』『(ありまかむら。現在の大阪府貝塚市大久保近辺』『か)の妻の家を経由して山中に逃亡した。逃げた竹藪の中で、竹を縄でつないで動かし、自分の居場所をあざむいて、敵が近づいたところで弓矢を放ち』(「日本書紀」)、『衛士の攻撃を受けつつ、「自分は天皇の楯として勇武を示してきたけれども、取り調べを受けることがなく、追い詰められて、このような事態に陥った。自分が殺されるべきか、捕らえられるべきか、語るものがいたら、自分のところへ来い」と弓をつがえながら地に伏して大声で叫んだ。その後、膝に矢を受けるも』、『引き抜きながら』、『なおも剣で矢を払い』、三十『人ほど射殺し』、『朝廷の兵士を防ぎ続けるが、弓や剣を破壊後、首を小刀で刺して自害した』(「日本書紀」)。『朝廷は万の死体を八つに切り、串刺しにして八つの国にさらせと河内国司に命じた』。『そして、その死体を串刺しにしようとした時、突如』、『雷鳴し、大雨が降った。そして、万が飼っていた白犬は万の頭を咥えて古い墓に収めると、万の頭のそばに臥して横たわり、やがて飢死したと伝わる』。『この事を不思議に思った朝廷が調べさせ、哀れに思い、万の同族の者に命じて』、『万と白犬の墓を有真香邑のほど近くに並べて作らせた』『ものが、現在岸和田市天神山町の住宅地内にある天神山古墳』『であるとされている。また、そのうち』、一『号古墳が白犬の墓である「義犬塚古墳」』『であり、程なく離れた』二『号古墳が捕鳥部万の墓』『であるとされている。また、捕鳥部万の墓とされる』とあった。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「喇叭」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Rappa

 

     喇  叭

 

 

 ルビツク氏は、今朝、巴里から歸つて來たところである。鞄をあける。お土產が出る。兄貴のフエリツクスと姉のエルネステイヌへの素敵なお土產だ。それも丁度――なんといふ不思議なことだらう――彼等が一と晚中夢に見たといふものばかりだ。それからあとで、ルピツク氏は、兩手を後ろへまわし、にんじんの方を揶揄ふやうに見て云ふ――[やぶちゃん注:「揶揄ふ」「からかふ」。]

 「今度はお前だ、なにが一番欲しい。喇叭か、それともピストルか?」

 事實、にんじんは、それほど向う見ずではないのである。寧ろ、用心深い方である。そこで、彼は、どつちかといふと喇叭の方がいゝ。手に持つてゐて飛び出す心配がない。しかし、普段聞くところによると、自分くらゐの男の子は、飛び道具か劒か、戰爭で使ふ道具でなければ、遊んだつて本氣になれないらしい。年から云つても、火藥の臭いを嗅ぎ、物といふ物を粉碎したい年になつてゐるのだ。おやぢは子供を識つてゐる。誂(あつら)へ向きのものを持つて來てくれたに違ひない。

 「僕あ、ピストルの方がいゝや」

と、彼は、大膽に云つた。てつきり圖星を指したつもりなのだ。

 それだけならいゝが、彼は少し調子に乘り過ぎた。そして、かう附け加へた――

 「匿したつてだめだよ。ちやんと見えてるんだもの」

 「へえ、さうか」と、ルピツク氏は、當惑して云つた――「お前はピストルの方がいゝのか。ぢや、また變つたんだね」

 にんじんは、たちどころに、應へた。

 「うゝん、さうぢやないよ、ふざけて云つてみたんだよ。心配しないだつていゝよ。僕あ、大嫌ひだ、ピストルなんか。さ、早く、喇叭をおくれよ。吹いてみせるからさ。僕、喇叭を吹くの大好きさ」

 

ルピツク夫人――「そんなら、どうして噓を吐くんだい。お父さんを困らせようと思つてだらう。喇叭が好きなら、ピストルが好きだなんて云ふもんぢやない。おまけに、なんにも見えないくせに、ピストルが見えてるなんて云ふもんぢやない。だから、その罰に、ピストルも喇叭も、お前にはあげないよ。よくこれを見とくといゝ。赤い總と、金の緣飾のある旗がついてる。よく見たね。ぢや、もういゝから臺所へ行つて、母さんがゐるかどうか見といで。さつさと走つて! 指で口笛を吹いてるがいゝ」[やぶちゃん注:「吐く」「つく」。戦後版で、そう、ルビする。「緣飾」「ふちかざり」。]

 

 戶棚のてつぺんの、白い下着類を重ねた上で、三つの赤い總と、金の緣飾のある旗にくるまつて、にんじんの喇叭、手も屆かず、見えもせず、音も立てず、最後の審判のそれのやうに、誰かに吹かれるのを待つてゐる。

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。

「ぢや、もういゝから臺所へ行つて、母さんがゐるかどうか見といで。」原作は“Maintenant, va voir à la cuisine si j'y suis ;”となつてゐる。これは、逐語訳するなら、「私が、そこにいるなら、キッチンを見に行って御覧な、」であるが、まず、これは如何にもな言わずもがなの酷い嫌味であって、『私とは違つた、おぞましいお前を甘やかしてくれるような、もう一人の別な母さんが、いるかどうか、さっさと、探しに行っといで!』という意味であろう。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中學生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」では、この部分、同様に、『じや、もういいから、台所へ行って、あたしがそこにいるかどうか、見ておいで、早くお行き。』と訳されておられるが、一九九五年臨川書店刊『全集』第三巻の佃裕文訳では、全くあっさりと、『さあ、どこなとお行き。とっととお行きよ、』と訳しておられる。ここはしかし、子どもに読ませることを考えるなら、私のような意訳の方が躓かないと思うのだが? 如何か?

「最後の審判のそれ」「新約聖書」の「ヨハネの黙示録」の第八章から第十一章にかけて、神の御使い達が吹くラッパ。小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、最後の七つ目の封印が解かれた時に吹かれ、その度に様々なカタストロフ(災い)が起こる(例えば、第三のラツパが吹き鳴らされると、空から「苦よもぎ」という名の星が落下し、地上の川と、水源の上に落ちた。水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったため、多くの人が死んだ、とある。因みに、ウクライナ語で、キク科ヨモギ属のニガヨモギArtemisia absinthiumの近縁種オウシュウヨモギArtemisia vulgarisを「チョルノービリ」(“Чорно́биль”で、「茎の暗い色」を指す語。ロシア語では“Чернобыль”で、「チェルノブイリ」但し、現在の聖書研究では、これは、同属アルテミシア・ジュダイカ Artemisia Judaica とする説が有力)と言う。続く、善と悪の世界最終戦争たる「ハルマゲドン」の後、キリストが再臨し、あらゆる死者を蘇らせて、「最後の審判」が行われる。そこでは永遠の生命を与えられる者と、地獄へ墜ちる者とが、分けられるとするのである。チェルノブイリ原子力発電所事故では、ドニプロ(ドニエプル)川・ドニステール(ドニエストル)川、そして黒海が汚染された。私は無神論者であるが、この符合はぞっとする。而して、私は――誰が、ではなく、「人類」総てが「地獄に堕ちる者」と認識している――人種である。

 

 

 

 

    Le Trompette

 
   Lepic arrive de Paris ce matin même. Il ouvre sa malle. Des cadeaux en sortent pour grand frère Félix et soeur Ernestine, de beaux cadeaux, dont précisément (comme c’est drôle !) ils ont rêvé toute la nuit. Ensuite M. Lepic, les mains derrière son dos, regarde malignement Poil de Carotte et lui dit :

   Et toi, qu’est-ce que tu aimes le mieux : une trompette ou un pistolet ?

   En vérité, Poil de Carotte est plutôt prudent que téméraire. Il préférerait une trompette, parce que ça ne part pas dans les mains ; mais il a toujours entendu dire qu’un garçon de sa taille ne peut jouer sérieusement qu’avec des armes, des sabres, des engins de guerre. L’âge lui est venu de renifler de la poudre et d’exterminer des choses. Son père connaît les enfants : il a apporté ce qu’il faut.

   J’aime mieux un pistolet, dit-il hardiment, sûr de deviner.

   Il va même un peu loin et ajoute :

   Ce n’est plus la peine de le cacher ; je le vois !

   Ah ! dit monsieur Lepic embarrassé, tu aimes mieux un pistolet ! tu as donc bien changé ?

   Tout de suite Poil de Carotte se reprend :

   Mais non, va, mon papa, c’était pour rire. Sois tranquille, je les déteste, les pistolets. Donne-moi vite ma trompette, que je te montre comme ça m’amuse de souffler dedans.

 

     MADAME LEPIC

   Alors pourquoi mens-tu ? pour faire de la peine à ton père, n’est-ce pas ? Quand on aime les trompettes, on ne dit pas qu’on aime les pistolets, et surtout on ne dit pas qu’on voit des pistolets, quand on ne voit rien. Aussi, pour t’apprendre, tu n’auras ni pistolet ni trompette. Regarde-la bien : elle a trois pompons rouges et un drapeau à franges d’or. Tu l’as assez regardée. Maintenant, va voir à la cuisine si j’y suis ; déguerpis, trotte et flûte dans tes doigts.

   Tout en haut de l’armoire, sur une pile de linge blanc, roulée dans ses trois pompons rouges et son drapeau à franges d’or, la trompette de Poil de Carotte attend qui souffle, imprenable, invisible, muette, comme celle du jugement dernier.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「麵麭のかけら」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Pannokakera

 

    麵麭(パン)のかけら

 

 

 ルピツク氏は、それでも、機嫌のいゝ時には、自分から子供たちの相手になつて遊ぶやうなこともある。裏庭の小徑でいろんな噺をして聞かせるのである。すると、兄貴のフエリツクスとにんじんとが、しまひに地べたの上を轉がりまわる。彼等はそんなにはしやぐ。今朝も、さういふ風で、三人がへとへとになつてゐると、そこへ、姉のエルネスチイヌがやつて來て、お晝の用意ができたと云ふ。やつと、それで鎭まつた。家族が集まると、どの顏も、みんな苦蟲を嚙みつぶしたやうだ。

 何時もの通り、大急ぎで、口も利かずに飯を食ふ。若し、これが料理屋なら、そろそろ、テーブルを次のお客に明け渡しても差支ないのだが、その時分になつてルピツク夫人は ――

 「パンのかけらを一つ、こつちへ頂戴、砂糖煮を食べちまふんだから・・・」

 誰にさう云つたのか?

 大槪の場合、ルピツク夫人は、自分の食べるものは自分で取るのである。そして話をすると云へば犬相手である。彼女は、犬に野菜の値段を云つて聞かせる。そして、當節、僅かの金で、六人の人間と一匹の獸(けもの)とを養つて行くことが、どんなに困難かといふ說明をしたりする。

 「馬鹿お云ひ」と、彼女は、お愛想に喉を鳴らし、靴拭ひを尻尾で叩いてゐるピラムに向かつて云ふのである――「お前にはわからないんだよ、この家を持つて行くのに、あたしがどんなに苦勞してるか・・・。お前も、男の人たちみたいに、臺所で使ふものは、みんな只で手にはいると思つてるんだらう。バタが高くならうと、卵が法外な値にならうと、そんなことは一向平氣なんだらう」[やぶちゃん注:「家」先例通り、「うち」を採る。「値」は「ね」と読んでおく。]

 ところが、今日といふ今日、ルピツク夫人は、大變なことをしでかした。慣例を破つて、彼女は、ぢかにルピツク氏に言葉をかけたのだ。相手もあらうに、彼女が砂糖煮を食べてしまふためにパンのかけらを請求したのは、正しく彼に向つてだ。もう、誰も、それを疑ふ餘地はないのである。第一彼女はルピツク氏の顏を見つめてゐる。第二に、ルピツク氏のそばに、パンがあるのである。彼は愕いて躊躇してゐる。が、やがて、指の先で、自分の皿の底からパンのかけらを抓み上げ、眞面目に、無愛想に、そいつをルピツク夫人めがけて抛(はふ)つたものである。

 戲談か? 喧嘩か? それがわからない。

 姉のエルネスチイヌは、母親のために侮辱を感じ、なんとなく胸騷ぎがしてゐる。

 「おやぢは、あれで、今日は氣分がいゝんだ」

 兄貴のフエリツクスは、椅子の脚を傍若無人にがたがた云はわせながら、かう考へてゐる。[やぶちゃん注:前の鍵括弧は以上から、二重鍵括弧であるべきである。但し、戦後版でも鍵括弧ではある。]

 にんじんはどうかというと、ぴりつとも身動きをせず、唇を壁土のやうに固くさせ、耳の奧がごろごろ鳴り、頰つぺたを燒林檎で膨らませながら、ぢつとしてゐる。若しもルピツク夫人が、息子や娘の前で、人間の屑みたいに扱はれながら、すぐに食卓を離れずにゐたら、それこそ彼は、屁でもしてやりたかつたのだ。

 

[やぶちゃん注:原本ではここから。さて、このエピソードは、「にんじん」の中でも、極めて印象的なシーンである。映画やドラマでも、ここが一つの「にんじん」という物語世界の深い闇を覗かせる痛烈な転回点となるのシークエンスであるからである(私は知られた一九三二年のジュリアン・デュヴィヴィエ(Julien Duvivier)監督版は大学に入ってすぐに見たのだが、「フィルム・センター」の最後部からの立ち見で、実はあまり覚えていない(フランス・一九三二年公開)。ただ、アンリ・グラズィアーニ(Henri Graziani)監督で、ルピック氏を私の大好きなフィリップ・ノワレ(Philippe Noiret)が演じたそれ(フランス・一九七三年公開)を見たが、確かに、このパンを投げるシーンが、実に鮮やかに脳裡に刻まれている)。特にそれは、ここまでの「にんじん」に對するルピツク夫人の極めて意地悪い態度(それは、今ならば、明白な「兒童虐待」であり、「DV」である)に對して、読者の中に知らず知らずのうちに醸成された、ある種の「にんじん」への一体化による憤懣が、一瞬、浄化される場面だからである(しかし、それは同時に、この作品の書かれなかつた続篇への不吉な伏線とも言えるのであるが)。底本の全四十九篇の第十三番目に位置し、ほぼ冒頭から四分の一の箇所に配されている。これ以上の絶妙の配置は、ない。

○「馬鹿お云ひ」原文では、ただの“Non”である。犬のピラムへの、意味のない、いや、「犬畜生」へのおぞましい侮蔑を含んだ、呼びかけ語である。いや、実際には、後文の「お前にはわからないんだよ。」という否定表現を先取りする絶対否定の辞として、とっよい。しかも、その「台詞」(まさに犬に語りかけるという点で「芝居」である)は、言わずもがな、「男たち」=「にんじん」、フェリックス、そして何より、家長であるルピック氏を「馬鹿」「犬」「畜生」に換喩する形で痛烈な皮肉となっているのは言うまでもない。それを知りながら、岸田氏は、一見、ソフトに「だめね」とせず、かく、訳された(因みに、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」の訳は、直球の『だめだね。』である。また、臨川書店全集の佃氏の訳は、後の部分の直接話法を繋げて一つに纏め、流暢にストレートに訳しておられる。が、私は孰れも、岸田氏のここの訳に及ばないと思う)。しかし、この悪意に富んだ台詞を、冒頭でダイレクトな否定辞で示すのは、私は日本語訳の小説という条件に於いて、ちょっとアカラサマで馴染まない気がする。一見、奇異かも知れないが、私は岸田マジックの素敵な仕儀であると思うのである。

 

 

 

 

    La Mie de Pain

 

  1. Lepic, s’il est d’humeur gaie, ne dédaigne pas d’amuser lui-même ses enfants. Il leur raconte des histoires dans les allées du jardin, et il arrive que grand frère Félix et Poil de Carotte se roulent par terre, tant ils rient. Ce matin, ils n’en peuvent plus. Mais soeur Ernestine vient leur dire que le déjeuner est servi, et les voilà calmés. À chaque réunion de famille, les visages se renfrognent.

   On déjeune comme d’habitude, vite et sans souffler, et déjà rien n’empêcherait de passer la table à d’autres, si elle était louée, quand madame Lepic dit :

   Veux-tu me donner une mie de pain, s’il te plaît, pour finir ma compote ?

   À qui s’adresse-t-elle ?

   Le plus souvent, madame Lepic se sert seule, et elle ne parle qu’au chien. Elle le renseigne sur le prix des légumes, et lui explique la difficulté, par le temps qui court, de nourrir avec peu d’argent six personnes et une bête.

   Non, dit-elle à Pyrame qui grogne d’amitié et bat le paillasson de sa queue, tu ne sais pas le mal que j’ai à tenir cette maison. Tu te figures, comme les hommes, qu’une cuisinière a tout pour rien. Ça t’est bien égal que le beurre augmente et que les oeufs soient inabordables.

   Or, cette fois, madame Lepic fait événement. Par exception, elle s’adresse à M. Lepic d’une manière directe. C’est à lui, bien à lui qu’elle demande une mie de pain pour finir sa compote. Nul ne peut en douter. D’abord elle le regarde. Ensuite M. Lepic a le pain près de lui. Étonné, il hésite, puis, du bout des doigts, il prend au creux de son assiette une mie de pain, et, sérieux, noir, il la jette à madame Lepic.

   Farce ou drame ? Qui le sait ?

   Soeur Ernestine, humiliée pour sa mère, a vaguement le trac.

   Papa est dans un de ses bons jours, se dit grand frère Félix qui galope, effréné, sur les bâtons de sa chaise.

   Quant à Poil de Carotte, hermétique, des bousilles aux lèvres, l’oreille pleine de rumeurs et les joues gonflées de pommes cuites, il se contient, mais il va péter, si madame Lepic ne quitte à l’instant la table, parce qu’au nez de ses fils et de sa fille on la traite comme la dernière des dernières !

 

2023/11/27

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸と老女」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、和歌二首は一行ベタだが、ブラウザの不具合を考え、上句と下句を分離し、後者を有意に字下げした。]

 

 狸と老女【たぬきとろうじょ】 〔兎園小説拾遺巻三〕文政十一年三月中比、雲峯の家に久しく仕へし老女有り。名をやちといへり。年七十余りになりぬれば、名をよぶ人もなく、只婆々とぞいひける。婆々が親族皆たえて、引取り食ふ者なく、掛るべき便りなければ、千秋を主人の家に過せよとて憐みおきけり。かゝりし程に、この年の三月中頃より、何の病《やまひ》もなきに、俄かに気絶して、暫く息かよはざりしに、一時計《ばか》りありて、やゝ人心地付きにき。さばれ身体自由ならずして、只日にまして食餌《しよくじ》すゝみて、常に十倍し、且つその間に餅菓子を求めければ、渠がまにまに与へけり。かゝれば、みたびの食の外、しばしも物たうべぬいとまなかりき。死に近き者のかく健啖なるを、あやしとおもはざる者なし。渠《かれ》手足こそ自由ならね、夜毎にいとおもしろげに歌うたひ、或ひは友来れりとて、高らかに独りごとなどす。或ひは又はやしたてて拍子とるおとなども聞えし事有り。或ひはいたく酒にゑひたる如くにて熟睡し、日の登るまでさめざることも有りけり。主人いぶかりて、松本良輔てふくすしに、脈うかゞはせしに、脈は絶えてなし。少しくあるが如くなれども、脈にあらず。奇なる病ひなるかな。薬方つかず。全く老髦(たうもう)の致す所、心気を失ひて脈絡通ぜず。只補ふの外なしとて、時々来診してけり。かくて月日をふるまゝに、婆々が半身自然と減じて、後には骨出《いで》て穴をなし、その穴の内より、毛の生たるやうの者見ゆるとて、看病せし者、おどろきのゝしりけり。兎角する程に、春(文政十二年)になりければ、息気あるにより腰湯をあみせ、敷物など日々に敷き替へて、いたはらせけるに、婆々よろこびて、しばらく謝すること限りなし。食餌など養ひの為に、主人沙汰して小女を付け置きつ。とかうする程に又冬になりければ、きるもの皆脱ぎかへさせたるに、脱したるきる物に狸にや、毛物の毛多くつきてあり。またその臭気高く、鼻をうがつ計りなるに、人々いよいよあやしみけり。これよりして後、をりをり狸の婆々が枕辺を徘徊し、或ひは婆々が衾《ふすま》の間《あひだ》より尾など出すことありとて、かの小女いたくおそれて、寄りも得つかざりしを[やぶちゃん注:「得」は不可能の呼応の副詞「え」に漢字を当て字したもの。]、主人のねんごろに諭しなどするに、後には馴れておそれずなりぬ。されば夜毎に婆々が唄ふ歌などを聞き覚えて、こよひは又何をうたひやするとて、待ちがほなるもいとをかしかりき。後々に至りては、婆々のふしどに狸多くつどひたるにや、つづみ・笛・太鼓・三味せんにて、はやすが如き音聞え、婆々は声高やかに歌うたひけり。また一夜はやしに合《あは》して、をどる足音の聞えし事もありけり。またある朝婆々が枕辺に、柿を多くつみおきしこと有るよしを、婆々に問へば、こは昨夜の客が、わが身をよくいたはらせ給はするよろこびにとて、まゐらせしなりといふ。さばれ皆いぶかりて、くらふものもなし。こゝろみにさきて見るに誠の柿なり。看病せる小女に皆とらしつ。また一日《いちじつ》、切もちひを多く枕辺におかれしことあり。これも狸のおくりものなるべし。主の浅からずあはれめるを、友狸の感じて、かゝる事をしつるにや。禽獣(きんじう)もまた感ずるよしありて、仁に報ゆる心にやと人みないひけり。また一夕《いつせき》火の玉手まりのごとく、婆々の枕辺を飛びめぐりたり。かの小女おそるおそるこれを見しに、赤きまりの光り有る物にて、手にもとられず、忽ち消えうせてなかりしといふ。つぎの日、婆々にこれを問ひしに、この夜は女客ありて、まりをつきたりと答ふ。また一夜、火の玉桔槹<はねつるべ>せしことあり。これを婆々に問へば、羽子をつきたるなりと答ふ。また一日、婆々歌をよみしとて、紙筆を乞ひつゝ書きつくるを見るに、

 朝顔の朝は色よく咲ぬれど

     夕は尽るものとこそしれ

 婆々は無筆にて、歌などよむべき者にあらず。こもまた狸のわざなるべし。また一日、婆々が画《ゑ》をかきて、かの小女にあたへしを見るに、蝙蝠に旭《あさひ》をゑがきて賛あり。その賛に

 日にも身をひそめつゝしむかはほりの

     よをつゝがなくとびかよふなり

と有り。婆々画を書く者にあらず。これもまた古狸のわざなり。かくてますますものおほくたうべること、三たび毎に八九椀、その間は芳野団子五六本ほどもなく金鍔焼餅二三十など、かくの如く日々健啖なれども、病ひは聊かもおきる気色なし。かくて一夕、婆々がふしどに、光明赫奕(かくえき)として紫雲起り、三尊の弥陀あらはれて、婆々の手を引くがごとく、将(ゐ)てゆき給ふと見えければ、例の小女おどろきおそれ、あわてまどひ走り来りて、あるじ夫婦にしかじかと告げしかば、あるじ雲峯、その妻と共に走りて、其ふし戸にゆき見れば、婆々はうまい[やぶちゃん注:熟睡。]して、目にさへぎる者なし。さる程に、このとし(文政十二年)十一月二日の朝、雲峯の妻、良人に告ぐるやう、昨夜ふりたる狸の、婆々のふし戸より出《いで》て座中をめぐり、戸節《とふし》の透(すき)より出でゆきにきといふ。婆々はその儘いき絶えけり。思ふに始め婆々が頓死せし時、そのなきがらに老狸《らうり》のつきてありしなり。こは雲峯の話せられしを、そがまゝに書きしるすになん。

[やぶちゃん注:私の『曲亭馬琴「兎園小説拾遺」 第二 「麻布大番町奇談」』で正規表現で電子化注済み。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸と中間」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸と中間【たぬきとちゅうげん】 〔梅翁随筆巻二〕明和九年目黒行人坂《ぎやうにんざか》の火事とて、江戸中大半焼失せし大火事あり。その夜牛込若宮八幡宮の脇に住《すまひ》す加藤又兵衛が中間、市谷左内坂《さないざか》を通りしに、きれいなる女泣き居たるに逢ひけり。様子を尋ぬるに、焼出され行くべきかたもなしといふ。しからば我かたへ来り一夜を明かし、しれる人の行衛を尋ね給ふべしといふ。やすらかに得心してつれ立ち来りけり。ひとり男のことなれば、さし障る心遣ひなしと、中間心に大いに悦び、ともなひて部屋に入り、囲炉裏の火を沢山にさしくべて、こゝろ及ぶだけ馳走しけるが、覚えず少し居眠り目覚《めさま》しみれば、彼女も居眠りゐたりしが、目もとに長き毛の見ゆる如くなりしゆゑ、目をうちひらききつと見れば、いつか古狸となれり。大睾丸《おほきんたま》を広げて火にあぶり居《ゐ》るゆゑ、己れ狸めよく化《ばか》したり、打殺して汁の実にせんと打ちかゝれば、狸初めて驚き、窓より飛出で逃去りたりとかや。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は前回分を含めて既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる(二行目下方から)。但し、これは標題『○妖怪物語幷夜女に化』(ばけ)『し事』(前ページ開始)の後半部分を抄出したもの。最後の一文の『又兵衞今はやしき替』(がへ)『して一色聞多』(いつしきぶんた)『の屋敷と成る。』もカットされている。これは、幸い、「柴田宵曲 妖異博物館 異形の顏」の最後の私の注で、正規表現で同条全部を電子化しているので、見られたい。

「明和九年目黒行人坂の火事とて、江戸中大半焼失せし大火事あり」「明暦の大火」・「文化の大火」とともに「江戸三大大火」の一つとされる、「明和の大火」或いは「目黒行人坂大火」とも呼ばれる、明和九年二月二十九日(一七七二年四月一日)に目黒行人坂にある大圓寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)から出火したが、武州熊谷無宿の真秀という坊主が盗みのために庫裡に放火したことによる火付けであった。真秀は同年四月頃に捕縛、同年六月二十一日、市中引き回しの上、小塚原で火刑に処された。

「牛込若宮八幡宮」現在の神楽坂若宮八幡宮

「市谷左内坂」東京都新宿区市谷左内町(いちがやさないちょう)のここ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸と下女」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸と下女【たぬきとげじょ】 〔梅翁随筆巻一〕小倉侯の神田明神<東京都千代田区内>下の中屋敷に、女隠居《をんないんきよ》すみ給ふ。その附(つき)の下女の名は卯《う》の、八月頃より行衛知れず。いかゞいたせしにやと過ぐる処に、同年十一月のはじめ、長局《ながのつぼね》の縁の下より手を出して、貝殼にて水をすくひのむものあり。皆々あれはとたち出れば、奥深く逃込《にげこ》みける。化生《けしやう》のものにこそあらめとて、役人へ届けければ、則ち人を入れてさがしみるに、縁の下の隅にかくれ居たるものを引出し見れば、八月失せし下女なり。髪はみだれ、痩せおとろへて居たり。その子細を尋ぬるに、若衆三人に仕《つかうまつ》はれ[やぶちゃん注:仕えらえて。世話されて。]、日々おもしろき事のみなり。その中に壱人《ひとり》はむつかしくて苦しき事も有りし。食事は代る代るいろいろのものを持来りて、毎日好味《かうみ》ばかり食し、何ひとつ不足なる事なしといふ。一体ふぬけとなりて、言葉もさだかならず。やうやう右の趣を聞きとりしなり。されば早速宿へしらせ申すべしとて、当人をも遣はしけるが、程なく死《しに》けるとぞ。宿は神田辺にて、小酒《こざけ》をあきなふ者の娘なり。狸この屋しきには多し。まれにこれ等の事あるよし申す者ありし。この女を見出せし後おもひ合すれば、八月已来、神仏ヘ備へし品、または仕廻《しま》ひ置きたる喰《くひ》ものなど、自然と紛失せし事有りしが、これをぬすみて女にくはせ置きけるにやあらんといひあへり。さてこの事を見聞きし女ども、また見込まるゝ事もあらんかと、大かた暇《いとま》をねがひけるとぞ。その後日々祈禱など種々執行あれども、化ものの出たるといふにもあらねば、そのしるし見ゆべき事もあらず。たゞ心ならずとぞ。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は『○狸、下女を犯す事』。この話、現代語訳の怪談本では、かなりメジャーな話としてよく知られるものであるが、この下女、談話が、見かけ上は、一部が細かく奇妙ながらある種の現実的統一感を感じさせる。これはラポートを生じにくい難症の偏執的妄想体系を示す統合失調症辺りが疑われる。

「小倉侯の神田明神」「東京都千代田区内」「下の中屋敷」豊前小倉藩小笠原家中屋敷。現在の東京都千代田区外神田五丁目にある亀住稲荷神社(グーグル・マップ・データ)は、同中屋敷内にあったものである。

「卯の年、八月頃」リンク先の原話の前話『○山東京傳が事』の時制が、『寬政七卯年五月』とすることから、これも寛政七年乙卯、グレゴリオ暦で一七九五年、その旧暦八月一日はグレゴリオ暦八月十五日である。

「十一月のはじめ」グレゴリオ暦で既に十二月十一日から十二月二十日。暑い夏から、既に年末の寒い時期、ずっと縁の下にいたとしたら、ちょっと見るのも厭な様子であろう。

「貝殼」イタヤガイやホタテガイの片貝や、巻の非常に緩い腹足類のトコブシ・アワビなど貝殻に木の把手をつけた貝柄杓(かいびしゃく)のこと。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸油に酔う」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸宗固【たぬきそうこ】 〔譚海巻一〕下野飯沼弘教寺の後の山に、狸宗固が墓と云ふ物あり。これは往年古狸その寺の僧に化けて年久しくあり。寺の納所《なつしよ》などを預り謹慎につとめて、住持の替る度毎にも、寺の事しりの僧にて居《をり》けり。ある日ひるねせしとき、狸のかたちあらはし、住持に見顕《みあら》はされて、人間にあらざる事を知りたれども、年久しく有りて事になれ、用事を弁じければ給仕させけるが、死《しに》たる後葬りたる墓なりといヘリ。住持の望みに依て弥陀の来迎を現《あらは》しみせけることを、いひつたふれどもこれに贅せず。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之一 下野飯沼弘敎寺狸宗因が事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狸油に酔う」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狸油に酔う【たぬきあぶらによう】 〔耳囊巻一〕内藤宿の先に、井伊掃部頭屋鋪有り。抱屋敷《かかへやしき》にて、百姓家ありて、惣囲《そうがこ》ひの門番せる嘉兵衛といへるありしが、町へは余程間遠にて、燈し油壱升または五合程づつ、坪様のものに入れて、調へけるが、あるとき暮合(くれあひ)より出て、右油を調へ、夜に入りて立帰る途中、何遍となく同じ道を行きつ戻りつして、宿に至らず。ふつと心付きて、これはまさしく狐狸にたぶらかされしならんと思ひければ、その道顕然と別れし故、漸く宿に帰りしが、油は一滴もなかりけるゆゑ、さては狐狸のたぐひ、油を奪ふべきために化されけり、無念の事なりと臥《ふせ》しが、夜半に眼さめけるに、宿の脇なる物置部屋に、頻りにいびきするものありければ、驚き立出で聞くに、ものこそ有りていびきなすなり、盗賊にてあるべしとて、用心に棒を引《ひつ》さげ、よくよく見れば狸なり。憎き奴が仕業なりと、棒を以て打つに、彼物驚き起きたりしが、油に酔うて身体自在ならざる様子ゆゑ、ひた打ちに打ち殺しけるとなり。

[やぶちゃん注:私のものでは底本違いで、「耳嚢 巻之八 痴狸油に醉て致死を事」である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「棚谷家の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 棚谷家の怪【たなやけのかい】 〔黒甜瑣語巻四[やぶちゃん注:『ちくま文芸文庫』版では『一編ノ四』とある。]〕宿《やど》の老婆が兄たりし棚谷某の義父にてありし人、秋の夜のつれづれ独りごち家に居《ゐ》たりしが、席(たたみ)の縁池間(へちあひ)より卓筆《たくひつ》の長《たけ》ほどの駿馬武者[やぶちゃん注:「ちくま」版も同じだが、後掲する活字本原本では『騎馬武者(きばむしや)』となっているから、宵曲の当たった本の誤字、或いは、宵曲の誤字、或いは、底本の誤植である。]三四人出て、馳駆《ちく》[やぶちゃん注:「走りまわること」。或いは、「敢然と力を尽くすこと」。]して戦ふ。烟管(きせる)を以《も》ちてこれを打てば皆なし。茶頃(しばらく)してまた一人出《いで》たり。金甲焜燁《きんかふこんよう》[やぶちゃん注:立派で堅固な鎧が光り輝くこと。]、大将軍の風に以たり[やぶちゃん注:同活字本では『似たり』。誤植の可能性が大。]。弓に矢を搭(は)め引満《いんまん》しける[やぶちゃん注:ここは「十分に弓を引き絞った」の意。]。また烟管を上げて覗《ねら》ひて打ちしが、かの矢に射られしと思ひしは、定めて我烟管にて自傷《あやまち》せしなるべし。その時より一眼を失せり。心欝の祟りしならんか。『異聞録』に徐玄之が蚍蜉王(おほあり)を見し事もあり。

[やぶちゃん注:「黒甜瑣語」「空木の人」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本(明治二九(一八九六)年版)のこちらで視認出来る。これは本書の『第一編』の『第四卷』であるから「ちくま」版のそれが正しい。なお、そこでは、本文標題は『○棚谷家の怪事』であるが、「目次」では『棚谷家の怏事』。「怏事」とは通常では歴史的仮名遣では「やうじ」(ようじ)で、通常は「怨みごと」の意。結果すれば、それでもよいが、これは「怪事」の誤字であろう。

 

 思うに、これは、妄想性の強い統合失調症の幻覚か、或いは、慢性の重いアルコール性精神病の典型的なそれである。私は、偏愛する平安末期から鎌倉初期頃に描かれた奇病や治療法を描いた絵巻物「病草紙(やまひのさうし)」の中の、現在は仮に「小法師の幻覚を生ずる男」と解説されるそれを、いの一番に想起した。その画像は、林正樹氏のサイト「地獄草子 餓鬼草子 病草紙」の「病草紙」のページの下から二番目で視認出来る。私は高校時代には心理学科を志望しており(心理学科も受験したが、落ちた)、現在まで、精神病関係の諸本を読み続けているが、慢性アルコール中毒者の幻覚は驚くべきもので、患者が、病室の白い壁をいつまでも見て、時々、笑っているので、医師が「何が見えるのですか?」と尋ねるとと、「面白い映画を見てるのさ。」と答えるほどである。また、同疾患では、しばしば、小さな昆虫や蜘蛛・甲殻類(特に何故かカニ)が、わらわらと自分の身体に群がってくる幻覚を見るので、この話とも、或る程度の親和性が感じられるのである。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「湯呑」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Yunomi

 

     湯 

 

 

 にんじんは、これからもう、食事の時に、葡萄酒を飮まないことになつた。彼はこの數日の間に葡萄酒を飮む習慣をなくしてしまつたのだが、あんまり造作がないので、親同胞(きようだい)も、出入りの人たちも、これは意外に思つた。抑もの話はかうである。

 ある日の朝、母親のルピツク夫人が、何時ものやうに、彼の湯吞に葡萄酒を注がうとすると、彼はかう云つた――

 「僕いらないよ。喉渴いてないから」

 夕飯の時、彼はまた云つた――

 「僕いらないよ。喉渴いてないから」

 「なかなか經濟だね、この子は」ルピツク夫人は云ふ――「みんな大助かりだ」

 さういう風で、彼は、はじめの一日、朝から晚まで、葡萄酒を飮まずにゐた。陽氣が穩かで、それに、たゞ、なんといふことなしに、喉が渴かなかつたからである。

 翌日、ルピツク夫人は、食器を並べながら、彼に訊ねた――

 「今日は、葡萄酒を飮むかい、にんじん?」

 「さうだなあ」と彼はいつた――「まあ、どうだかわからない」

 「ぢや、好きなやうにおし」と、ルピツク夫人は云つた――「湯吞みが欲しかつたら自分で戶棚から出しといで」

 彼は、出しに行かない。億劫なのか、忘れたのか、それとも、自分で取りに行くのはいけないと思つてか?

 みんなが、そろそろ意外な顏をし出す。

 「えらくなつたもんさ」と、ルピツク夫人が云ふ――「お前には、そんな藝當もできるんだね」

 「珍(めずら)しい藝當だ」――ルピツク氏は云ふ――「そいつは、と、なんかの役に立つさ。殊におつつけ、一人つきりで、駱駝にも乘らず、砂漠の中で道に迷ひでもしたやうな時にはなほさらだ」

 兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌは、斷乎として云ひ放つた。

 

 姉のエルネスチイヌ――「きつと一週間ぐらゐ飮まないでゐられてよ」

 兄貴のフエリツクス――「なあに、この日曜まで、三日もてば、大したもんだ」

 

 「だつて」と、にんじんは、薄笑ひを浮かべながら云ふ――「だつて、喉が渴かなかつたら、僕、何時までだつて飮みやしないよ。兎や天竺鼠をみてごらん。あれの何處がえらいんだい」

 「天竺鼠とお前とは別だよ」

  兄貴のフエリツクスが云ふ。

 

 にんじんは、癪にさはつた。そこで彼等に、これでもかといふところをみせることになるのである。ルピツク夫人は、相變らず、湯吞みを出し忘れてゐる。彼は、決してそいつを催促しない。皮肉なお世辭を云はれても、眞面目に感心したやうな風をされても、彼は、等しく我れ關せずで聞き流してゐた。

 「病氣でなけりや、氣が狂つたんだ」

 あるものは、かう云つた。また、あるものは、かうも云つた――

 「内證で飮んでるんだ」

 だが、何事も、珍しいうちが花だ。舌がちつとも渴いてないといふ證據をみせるために、にんじんが、舌を出して見せる回數は、だんだんに減つて來る。

 兩親も、近所の人たちも、根氣負けがして來た。たゞ、なんでもない人が、どうかしてその話を聞くと、また兩腕を高く上げた――

 「冗談云つちやいけない。自然の要求といふものは、こりや、誰一人抑へることは出來ないんだから・・・」

 醫者に相談すると、さういふ例はどうも奇妙には奇妙だが、しかし、要するにあり得ないといふことは、なに一つないわけだと宣言した。

 ところで、にんじんは、自分ながら不思議だつた。そのうちに苦しくなりはせぬかと思つてゐたからである。彼は、規則正しく剛情を張りさへすれば、どんなことでも出來るという事實を確めた。彼は、最初から、苦しい缺乏に堪え、一大難關を突破しなければならぬと覺悟した。それが、一向、痛くも痒くもないのである。以前よりも、からだの調子はいゝくらゐだ。これなら、喉の渴きばかりでなく、腹が空くのだつて我慢できない筈はない! 飯なんか食はなくつたつてもいゝ。空氣だけで生きてゐてみせる。

 彼は、もう、自分の湯吞のことさへとつくに忘れてゐる。湯吞みは、長い間使はずにほうつてある。すると、女中のオノリイヌが、その中へ、ランプの金具を磨く赤い磨砂を容れてしまつた。[やぶちゃん注:「磨砂」「みがきずな」。]

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「湯呑」「湯吞」(混用はママ)であるが、本邦では非常に誤解が生まれている可能性が高いので(特にヴァロトンの挿絵のこちら側に座って「にんじん」に目を向けているルピック夫人の右手に持っているものがそれとすれば、多くの日本人は筒状の陶器の把手なしのカップに見えてしまう)のように、注記しておくと、標題の“La Timbale”は「金属製のコップ」であって、ワイン・グラスでも、陶器製の湯呑・コップ・カップでも、ない(なお、この単語は音写で「タバァル」で、第一義は半球形の銅の鑵(かん)に革を張ったお馴染みの楽器「ティンパニ」である)。

「食事の時に、葡萄酒を飮まないことになつた」想像出来ると思うが、一言言っておくと、フランスでは非常に永い間、葡萄酒は健康によいとされて、子どももワインを普通に飲んだ。現在でも、フランスの法定飲酒年齢(一九八一年規定)はワインは十四歳から飲める(蒸留酒は十八歳)。「真夜中のおなら」さん(日仏のカップル)のブログ「世界のユースセンターを巡る旅人 世界を旅する日本人とフランス人の話」の「子どもがワインを飲むのは健康に良いと信じられていたフランスの過去|給食にワイン」がよい。それによれば、『フランスでは長い間、アルコールは健康によく、体を強くさせると信じていました。これは、1860年代にルイ・パスツールが「ワインは飲み物の中で最も健康的で、最も衛生的なものです」と言ったことに起因します。そしてみんなが彼の言葉を聞き、長い間信じていました』。『そのため子供たちには、毎日食事の時にワインが与えられていました。フランス人は、水よりも健康的だと考えていたのです。それからも、アルコールは健康に良いという信念がどんどん広がっていきます。虫を殺す、消毒薬として使える、体を温める、妊娠中にビールを飲むと母乳が出やすくなる、などなどいろんなことが出てきました』。『以上のような状況から、1950年代までは』、『すべての子供たちが家庭や学校で毎日アルコールを飲んでいました。学校の食堂で、子供たちは水で薄めたワインを飲んでいました』。『しかしその頃、科学者たちが「アルコールは子供には良くない」と言い始め、14歳以下の子供は学校での飲酒が禁止され、その年齢以上の子供は、親の同意によってアルコール度数が3度までのお酒を飲むことができるように変更されました』。『しかし、ほとんどの親はワインは健康に良く、成長に必要なものだと考えているため、学校では飲めないことから、登校前、子供にワインを飲ませることにしました。そのため、子供たちはしばしば酔っ払って学校に来てしまい、学校に通うことに対しての問題が生まれてきました』。『その状況を見て1956年、ピエール・メンデス』(Pierre Mendès-France:前年までフランスの首相を務めた)『は、フランスの学校でワインをコップ一杯の牛乳と角砂糖に置き換えることを決めました。そこには牛乳が子供たちを強くし、勉強熱心にさせるという理由を添えたのです。なぜならその頃、子供たちの間で栄養不足とアルコール依存症が問題にあがっていたからです』。『1968年には、ある博士が妊娠している女性のアルコール依存症の危険性を示す研究を発表したとき、フランス人は彼のことを馬鹿にし、誰も信じなかったそうです。その後アメリカの研究者チームが、1973年にその問題を真剣に取りあげたことで、妊婦のアルコール摂取の危険性が一般的になっていきました』とある。本文は英語版であるが、“Were French Children Served Wine on School Lunch Breaks Until 1956?”が、画像・動画もあって素晴らしい。幼稚園児が幼稚園で、小学生が小学校で、給食の際にワインをガッツり飲んでいる様子が視認出来る。ワインを通常の飲み物とするのは、永く水道水の水質に問題があったことも影響しているが、一九七〇年代の新聞でも、フランスでのアルコール依存症が若者にも深刻であるという本邦の新聞記事を読んだ記憶があり、その元凶の一つは、やはり若者のワインの常飲であった。他にもネット上の記事では、フランスでは夜泣きする赤ん坊の哺乳瓶に微量のワインを入れるとぐっすり眠るという話や、子どものワイン飲酒は今も見て見ぬ振りをする傾向は残っているように見受けられる。まあ、私も親友と酒(専ら、ジンだった)・煙草を中二頃からこっそり嗜んだから、批判は出来ない。

「天竺鼠」齧歯(ネズミ)目ヤマアラシ亜目テンジクネズミ上科テンジクネズミ科 Caviidaeテンジクネズミ属Caviaの総称。代表種としての、所謂、モルモツトCavia porcellusを想起してよい。同種は実験動物の白色のそれとして専ら知られてしまったが、本来は、南米に棲息するテンジクネズミ科の野生種を古代インディオが食糧用に家畜化した種であって、病理学研究のために作り出された種ではない。体毛色も白が基本色であるが、ペットとしては、それに黒・茶色が入っているブチ等、多彩な個体が多い。確認したところ、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」、及び、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の「ジュール・ルナール全集3」でも『モルモット』で訳しておられる。

「兎や天竺鼠をみてごらん。あれの何處がえらいんだい」かなり長いこと、ウサギやモルモットは水を飲まないと言われたことがあった(今も知人女性が「ウサギは水を飲まない」というのを言って呆れたことがある)。無論、彼らの目と同じく真っ赤な嘘である。

「お世辭」私は幼少期から「おせいじ」と発音してきてしまった結果、「おせじ」とは決して発音しない。だから、仮にこれを朗読すると、百%、「おせいじ」と読んでしまう。しかし、それは「世」の別の音にある「セイ」に引かれ、また、発音上の個人的な、発音した際の言い心地の座りの好さを感じることによる訛りであり、あくまで「おせじ」が正しい読みである。戦後版で、正しく『せじ』と振っている。

「内證」「ないしよう」(現代仮名遣「ないしょう」)は、現在、「證」は「証」の旧字体とされているが、実は「證」と「証」は、本来は別字で、「證」が「明かし・明かす」の意であるのに対して、「証」は「諌める」の意である。実は、仏教で、「内証」は「自ら心の内に仏教の真理を悟ること・その悟った真理」を指したが、それは「通常は容易には知り得ない真理」であった、それを「ないしよ」(ないしょ)と発音したといったことが、辞書にはあった。そこから「容易に外部に知らてはならないこと」として「内證話・内証話」がこっそり隠している内輪のことを指す語にまで堕落して「内緒話(ないしよばなし)」となったのである。因みに、戦後版では岸田氏は、ちゃんと『ないしょう』と振っておられる。

「オノリイヌ」この年、六十七歳になるルピック家の老女中。五つ後の章に「オノリイヌ」があり、続く二章が彼女の顛末を描く話としてある。]

 

 

 

 

    La Timbale

 

   Poil de Carotte ne boira plus à table. Il perd l’habitude de boire, en quelques jours, avec une facilité qui surprend sa famille et ses amis. D’abord, il dit un matin à madame Lepic qui lui verse du vin comme d’ordinaire :

   Merci, maman, je n’ai pas soif.

   Au repas du soir, il dit encore :

   Merci, maman, je n’ai pas soif.

   Tu deviens économique, dit madame Lepic. Tant mieux pour les autres.

   Ainsi il reste toute cette première journée sans boire, parce que la température est douce et que simplement il n’a pas soif.

   Le lendemain, madame Lepic, qui met le couvert, lui demande :

   Boiras-tu aujourd’hui, Poil de Carotte ?

   Ma foi, dit-il, je n’en sais rien.

   Comme il te plaira, dit madame Lepic ; si tu veux ta timbale, tu iras la chercher dans le placard.

   Il ne va pas la chercher. Est-ce caprice, oubli ou peur de se servir soi-même ?

   On s’étonne déjà :

   Tu te perfectionnes, dit madame Lepic ; te voilà une faculté de plus.

   Une rare, dit M. Lepic. Elle te servira surtout plus tard, si tu te trouves seul, égaré dans un désert, sans chameau.

   Grand frère Félix et soeur Ernestine parient :

     SOEUR ERNESTINE

   Il restera une semaine sans boire.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Allons donc, s’il tient trois jours, jusqu’à dimanche, ce sera beau.

 

   Mais, dit Poil de Carotte qui sourit finement, je ne boirai plus jamais, si je n’ai jamais soif. Voyez les lapins et les cochons d’Inde, leur trouvez-vous du mérite ?

   Un cochon d’Inde et toi, ça fait deux, dit grand frère Félix.

   Poil de Carotte, piqué, leur montrera ce dont il est capable. Madame Lepic continue d’oublier sa timbale. Il se défend de la réclamer. Il accepte avec une égale indifférence les ironiques compliments et les témoignages d’admiration sincère.

   Il est malade ou fou, disent les uns.

   Les autres disent :

   Il boit en cachette.

   Mais tout nouveau, tout beau. Le nombre de fois que Poil de Carotte tire la langue, pour prouver qu’elle n’est point sèche, diminue peu à peu.

   Parents et voisins se blasent. Seuls quelques étrangers lèvent encore les bras au ciel, quand on les met au courant :

   Vous exagérez : nul n’échappe aux exigences de la nature.

   Le médecin consulté déclare que le cas lui semble bizarre, mais qu’en somme rien n’est impossible.

   Et Poil de Carotte surpris, qui craignait de souffrir, reconnaît qu’avec un entêtement régulier, on fait ce qu’on veut. Il avait cru s’imposer une privation douloureuse, accomplir un tour de force, et il ne se sent même pas incommodé. Il se porte mieux qu’avant. Que ne peut-il vaincre sa faim comme sa soif ! Il jeûnerait, il vivrait d’air.

   Il ne se souvient même plus de sa timbale. Longtemps elle est inutile. Puis la servante Honorine a l’idée de l’emplir de tripoli rouge pour nettoyer les chandeliers.

 

2023/11/26

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「苜蓿(うまごやし)」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Umagoyasi

  

     苜 蓿(うまごやし)

 

 

 にんじんと兄貴のフエリツクスは、夕方のお禱りから歸ると、急いで家へはひる。それは、四時のおやつだからである。

 兄貴のフエリツクスは、バタやジヤミをつけたパンを貰ふことになつてゐる。それから、にんじんは、なんにもつけないパンである。なぜなら、彼は、あんまり早く大人のふりをしようと思つて、みんなの前で、自分は食ひ心棒ぢやないと宣言したからである。彼はなんでも自然のまゝが好きだ。平生、好んで、パンを何もつけずに食ふのである。で、その晚もやはり、兄貴のフエリツクスより早く步く――自分が先に貰ひたいからである。

 時として、何んにもつけないパンは固い。すると、にんじんは、敵に向ふやうにそれにぶつかつて行くのである。ぎゆつと摑む。嚙りつく。頭をぶつける。粉ごなにする。そして、かけらを飛ばす。まわりに居並ぶ親同胞(きようだい)は、珍しさうにそれを見てゐる。

 駝鳥のやうな彼の胃の腑は、石だらうが、靑錆のついた古銅貨だらうが、わけなく消化するに違ひない。

 要するに、彼はちつとも食べ物の選り好みをしない。

 彼は戶の鐉(かけがね)を引く。閉まつてゐるのである。

 「父さんも母さんもゐないんだよ、きつと・・・。足で蹴つてごらん、よう」

と、彼が云ふ。

 兄貴のフエリツクスは、「こん畜生」と云ひながら、釘の頭が並んでゐる重い戶にぶつかつて行く。戶は暫く音を立てゝゐる。それから二人は、力を併せて、肩で押す。無駄である。

 

にんじん――たしかに、ゐないよ。

兄貴のフエリツクス――何處へ行つたんだらう。

にんじん――そこまではわからん。坐らう。

 

 階段の踏石が尻に冷たく二人は近來稀な空腹を感じる。欠伸をしたり、心落を握拳で叩いたりして、その激しさを訴へる。[やぶちゃん注:「心落」「みぞおち」。鳩尾。]

 

兄貴のフエリツクス――歸るまで待つてると思つたら間違ひだぞ。

にんじん――そいぢや、ほかにうまい工夫があるかい。

兄貴のフエリツクス――待つてなんかゐるもんか。飢え死をしたかないからなあ、おれは・・・。今すぐ食ひたいんだ。なんでもいゝ、草でもいゝ。

にんじん――草・・・! ぞいつあ面白い。父さんや母さんも、それを聞いたらぎやふんだ。[やぶちゃん注:「ぞいつ」はママ。誤植か。]

兄貴のフエリツクス――だつて、サラダを食べるぢやないか。此處だけの話だけど、苜蓿(うまごやし)なんか、サラダとおんなじに軟かいよ。つまり、油と酢をつけないサラダさ。

にんじん――搔きまわすこともいらないし・・・。

兄貴のフエリツクス――賭けをしよう。僕も、苜蓿(うまごやし)なら食べるよ。お前は食べられないぜ、きつと。

にんじん――どうして、兄さんに食べられて、僕に食べられないんだい?

兄貴のフエリツクス――さ、いゝから賭けをしよう。いやか?

にんじん――うん、だけど、その前に、お隣へ行つて、パンを一片(きれ)づゝと、それヘ凝乳(ヨーグルト)を少し貰つて來たら?

兄貴のフエリツクス――僕あ苜蓿の方がいゝ。

にんじん――行かう。

 

 やがて苜蓿の畑が、美味(うま)さうな綠の葉を、彼らの眼の下にひろげる。その中にはひつて行くと二人は、面白がつて靴を引き摺る。軟かい莖を踏み切る。細い道をつける。

 ――なんだらう、どんな獸だらう、此處を通つたのは・・・?

 何時までも、人は心配をして、かう云ふに違ひない。

 ぼつぼつ疲れ加減になつて來た脛(はぎ)のあたりへ、ズボンを透して、ひやりとしたものが滲み込んで來る。[やぶちゃん注:「滲み込んで」戦後版では『浸(し)み込んで』とある。ここもその読みを採る。]

 彼等は畑の眞中で止る。そして、べつたり、腹這ひになる。

 「好い氣持だね」と、兄貴のフエリツクスが云ふ。

 顏がくすぐつたい。それで二人は、むかし同じ寢床の中で寢た時のやうにふざけるのである。あの頃、すると、ルピツク氏が、隣の部屋から呶鳴つたものだ――

 「もう眠ろよ、餓鬼ども!」

 彼等は饑じさを忘れ、水夫の眞似をして泳ぎを始める。それから犬の眞似をし、蛙の眞似をする。二つの頭だけが浮き出てゐる。彼らは、碎け易い小さな綠の波を手で搔きわけ、足で押しのける。波は、崩れたまゝ、もとの形を取らない。[やぶちゃん注:「饑じさ」「ひもじさ」。]

 「僕、頤までつくよ」

と、兄貴のフエリツクスが云へば、

 「こら、こんなに進むぜ」

と、にんじんが云ふ。

 ひと息ついて、もつと靜かに、自分たちの幸福を味ふべきである。

 そこで、兩肱をついて、土龍の掘つた塜を見渡してみる。それは、老人の皮膚に盛り上る血管のやうに、電光形を描いて地面に盛り上つてゐる。時に見失つたかと思ふと、また空地へ行つてひよつこり顏を出してゐる。その空地には、上等な苜蓿を喰ひ荒す性(たち)のよくない寄生虫、コレラのような菟絲子(ねなしかづら)が、赤ちやけた纖維の髭を伸ばしてゐる。土龍(もぐら)の塜は、そこで、印度風に建てられた小屋そのまゝ、一塊りになつて小さな村を形づくつてゐる。

 「することはこれつきりぢやないぜ。おい、食べよう。はじめるよ。僕の領分にさわつちやいけないよ」

 兄貴のフエリツクスはかう云ふ。そして、片腕を半徑に、彼は圓弧を描く。

 「僕あ、殘つてるだけで澤山だ」

と、にんじんが云ふ。

 二つの頭がかくれる。もう何處にゐるかわからない。

 風が靜かな吐息を送つて、苜蓿の薄い葉をひるがへすと、蒼白いその裏が見える。そして、畑一面に身ぶるひが傳はる。

 兄貴のフエリツクスは、しこたま草を引き拔いて、そいつを頭の上に被り、盛に口の中へ詰め込むふりをする。そして、乳を放れたばかりの犢が、草を食ふ時に齒を嚙み合せる、その音の眞似までして見せる。彼は根でもなんでも食つてしまふやうに見せかける。世の中を識つてゐるからである。處が、にんじんは、それをほんとだと思ふ。たゞ、もつと上品に、美しい葉のところだけを撰るのである。[やぶちゃん注:「撰る」「える」。]

 鼻の先でそいつを曲げ、口ヘもつて來て、悠然と嚙みしめる。

 どうして急ぐ必要がある?

 テーブルを時間で借りたわけでもなく、橋の上に市が立つてゐるわけでもない。

 齒を軋(きし)ませ、舌を苦くし、胸をむかむかさせながら、彼は吞み込む。なるほど御馳走である。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「苜蓿(うまごやし)」被子植物門双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ウマゴヤシ属ウマゴヤシ Medicago polymorpha 若しくは、ウマゴヤシ属 Medicago の種。ヨーロッパ(地中海周辺)原産の牧草。江戸時代頃、国外の荷物に挟み込む緩衝材として本邦に渡来した帰化植物である。葉の形はシロツメクサ(クローバー:マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifoliastrum 節シロツメクサ Trifolium repens )に似ている(シロツメクサの若葉ならば、食用になる。それなら、私も食べたことがある)。『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でもお馴染みのアイテムである。

 「四時のおやつ」原文は“quatre heures”(音写はリエゾンで「キャトルール」となる。「四」を意味する“quatre”に、“heures”は「時間」)。フランスでは「おやつ」は午後四時である。

「駝鳥」ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ Struthio camelus であるが、ダチョウは基本は草食ながら、昆虫等も食べる雑食性。齒を持たず、丸呑みするため、ニワトリと同じく胃の下に砂肝があつて、そこに「グリッド」と稱する小石を蓄えておき、消化補助に用いている。しばしば、磨り減つたグリツドを補給するために、ダチョウが小石を飲む現象を見かけるという。直後に「石」を持ってきたルナールは、きつとそうした生態を知っていたのであろう。

「鐉」本字は音「セン・テン」で、門戸の開閉をするための樞(とぼそ・くるる=回転軸)を嵌め込むための半球状の金具を指す漢語である。私自身、その形状を明確にイメージすることが出来ずにゐるが、要はドアの壁面との接合金具を指すのであろう。原文は“le loquet”で、岸田氏は本字を「かけがね」と訓じており、仏和辞典でもそうあるが、しかし、「掛け金」というのは、二対一組の鍵の一方を指す語であり、もう一方の金具に掛けて開かないようにするための金具を指す。ここでは、明らかにそのようなものではない(門扉の「引く」部分では断じてないという意味で、である)。ドアの把手(とって)として打ち込まれた金具、大きな釘とか、手を掛けられる鎹(かすがい)のようなものを指していると私には思われる。

「菟絲子」双子葉植物綱キク亜綱ナス目ネナシカズラ科(ヒルガオ科ともする)ネナシカズラ属 Cuscuta の葉緑体を持たない寄生植物で、いろいろな植物に絡み付き、寄生根を出して宿主の栄養分を吸収し、枯死させる。ヨーロッパ固有種であるクシロネナシカズラ Cuscuta europaea としてよいように思われる。フランス語の当該種のウィキ“Cuscute d'Europeで草体・糸球体の画像を見ることが出来る。

「印度風に建てられた小屋」原文では、“à la mode indienne”であるが、ここは“indienne”の意味の取り方によつて、二つの考え方が出来る。一つは、岸田氏の訳のまさに「印度の」の意にとつて、墳墓としてのインドの“stûpa” (ストゥーパ:サンスクリツト語。「卒塔婆」の語源として知られる)をイメージし、所謂、土饅頭風の意味でとるのである。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清訳の「にんじん」も、これを採用している。一方、もう一つは、それを「アメリカ・インディアンの」の意に採って、お馴染みの円錐型テントのアメリカ・インディアンの簡易型住居である「ティピー」の意でとる方法である。岸田先生には悪いが、可能性としては、私は後者の方が当時の少年少女のイメージするものとしては、自然で判りがいいであろう。確認したところ、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の「ジュール・ルナール全集3」でも『インディアン風の小屋さながら微小な集落をかたちづくつてゐる。』と譯しておられる。但し、私のモグラの「塜」(「塚」「塚」の異体字)の映像的イメージとしては、前者の土饅頭の方が、断然、しっくりとは、くるのであるが。

 因みに、本章は私の「にんじん」初体験時で、最も印象的な章の一つであり、ヴァロトンの挿絵とともに、私には――幼少の頃、確かに、「にんじん」と「フェリックス」と三人で「苜蓿」をむしゃむしゃと食ったデジャ・ヴュ(déjà-vu":既視感)が――ある――のである!――

 以下の原文は、原本と比較して一部に一行空けを行った。但し、原本には一部、不審な箇所がある。]

 

 

 

    La Luzerne

 

   Poil de Carotte et grand frère Félix reviennent de vêpres et se hâtent d’arriver à la maison, car c’est l’heure du goûter de quatre heures.

   Grand frère Félix aura une tartine de beurre ou de confitures, et Poil de Carotte une tartine de rien, parce qu’il a voulu faire l’homme trop tôt, et déclaré, devant témoins, qu’il n’est pas gourmand. Il aime les choses nature, mange d’ordinaire son pain sec avec affectation et, ce soir encore, marche plus vite que grand frère Félix, afin d’être servi le premier.

   Parfois le pain sec semble dur. Alors Poil de Carotte se jette dessus, comme on attaque un ennemi, l’empoigne, lui donne des coups de dents, des coups de tête, le morcelle, et fait voler des éclats. Rangés autour de lui, ses parents le regardent avec curiosité.

   Son estomac d’autruche digérerait des pierres, un vieux sou taché de vert-de-gris.

   En résumé, il ne se montre point difficile à nourrir.

   Il pèse sur le loquet de la porte. Elle est fermée.

   Je crois que nos parents n’y sont pas. Frappe du pied, toi, dit-il.

   Grand frère Félix, jurant le nom de Dieu, se précipite sur la lourde porte garnie de clous et la fait longtemps retentir. Puis tous deux, unissant leurs efforts, se meurtrissent en vain les épaules.

 

     POIL DE CAROTTE

   Décidément, ils n’y sont pas.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Mais où sont-ils ?

     POIL DE CAROTTE

   On ne peut pas tout savoir. Asseyons-nous.

 

   Les marches de l’escalier froides sous leurs fesses, ils se sentent une faim inaccoutumée. Par des bâillements, des chocs de poing au creux de la poitrine, ils en expriment toute la violence.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   S’ils s’imaginent que je les attendrai !

     POIL DE CAROTTE

   C’est pourtant ce que nous avons de mieux à faire.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je ne les attendrai pas. Je ne veux pas mourir de faim, moi. Je veux manger tout de suite, n’importe quoi, de l’herbe.

     POIL DE CAROTTE

   De l’herbe ! c’est une idée, et nos parents seront attrapés.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Dame ! on mange bien de la salade. Entre nous, de la luzerne, par exemple, c’est aussi tendre que de la salade. C’est de la salade sans l’huile et le vinaigre.

     POIL DE CAROTTE

   On n’a pas besoin de la retourner.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Veux-tu parier que j’en mange, moi, de la luzerne, et que tu n’en manges pas, toi ?

     POIL DE CAROTTE

   Pourquoi toi et pas moi ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Blague à part, veux-tu parier ?

     POIL DE CAROTTE

   Mais si d’abord nous demandions aux voisins chacun une tranche de pain avec du lait caillé pour écarter dessus ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je préfère la luzerne.

     POIL DE CAROTTE

   Partons !

 

   Bientôt le champ de luzerne déploie sous leurs yeux sa verdure appétissante. Dès l’entrée, ils se réjouissent de traîner les souliers, d’écraser les tiges molles, de marquer d’étroits chemins qui inquiéteront longtemps et feront dire :

   Quelle bête a passé par ici ?

   À travers leurs culottes, une fraîcheur pénètre jusqu’aux mollets peu à peu engourdis.

   Ils s’arrêtent au milieu du champ et se laissent tomber à plat ventre.

   On est bien, dit grand frère Félix.

   Le visage chatouillé, ils rient comme autrefois quand ils couchaient ensemble dans le même lit et que M. Lepic leur criait de la chambre voisine :

   Dormirez-vous, sales gars ?

   Ils oublient leur faim et se mettent à nager en marin, en chien, en grenouille. Les deux têtes seules émergent. Ils coupent de la main, refoulent du pied les petites vagues vertes aisément brisées. Mortes, elles ne se referment plus.

   J’en ai jusqu’au menton, dit grand frère Félix.

   Regarde comme j’avance, dit Poil de Carotte.

   Ils doivent se reposer, savourer avec plus de calme leur bonheur.

   Accoudés, ils suivent du regard les galeries soufflées que creusent les taupes et qui zigzaguent à fleur de sol, comme à fleur de peau les veines des vieillards. Tantôt ils les perdent de vue, tantôt elles débouchent dans une clairière, où la cuscute rongeuse, parasite méchante, choléra des bonnes luzernes, étend sa barbe de filaments roux. Les taupinières y forment un minuscule village de huttes dressées à la mode indienne.

   Ce n’est pas tout ça, dit grand frère Félix, mangeons. Je commence. Prends garde de toucher à ma portion.

   Avec son bras comme rayon, il décrit un arc de cercle.

   J’ai assez du reste, dit Poil de Carotte.

   Les deux têtes disparaissent. Qui les devinerait ?

   Le vent souffle de douces haleines, retourne les minces feuilles de luzerne, en montre les dessous pâles, et le champ tout entier est parcouru de frissons.

   Grand frère Félix arrache des brassées de fourrage, s’en enveloppe la tête, feint de se bourrer, imite le bruit de mâchoires d’un veau inexpérimenté qui se gonfle. Et tandis qu’il fait semblant de dévorer tout, les racines même, car il connaît la vie, Poil de Carotte le prend au sérieux et, plus délicat, ne choisit que les belles feuilles.

   Du bout de son nez il les courbe, les amène à sa bouche et les mâche posément.

   Pourquoi se presser ?

   La table n’est pas louée. La foire n’est pas sur le pont.

   Et les dents crissantes, la langue amère, le coeur soulevé, il avale, se régale.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「土龍」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Mogura

 

     土 龍

 

 

 にんじんは道ばたで、煙突掃除のやうに黑い一匹の土龍を見つける。好い加減玩具にした揚句、そいつを殺さうと決心する。そこで、何んべんも空中へ放り上げるのであるが、それは石の上へ落ちるやうにうまく投げるのである。[やぶちゃん注:「玩具」「おもちや」。]

 初めは、なかなか具合よく、すらすら行く。

 土龍はもう脚が折れ、頭が割れ、背中が破れ、一向死太さうにはみえない。[やぶちゃん注:「一向死太さう」「いつかうしぶとさう」。戦後版では、意味が上手く伝わらないと思われたか、岸田氏は『根つからしぶとくもなさそうだ。』と改訳している。]

 すると、驚いた。にんじんは、土龍がどうしても死なゝいといふことに氣がつく。家の高さよりも高く、天まで屆くほどほうり上げても、さつぱり効き目がない。[やぶちゃん注:「家」は先行するものと同じく、「うち」と訓じておく。]

 「こね野郞(やろう)! 死なねえや。」[やぶちゃん注:最後に句点を打っているのは、本書では特異点である。]

 なるほど、血だらけになつた石の上で、土龍はぴくぴく動く。脂肪(あぶら)だらけの腹がこごりのやうに顫え、その顫え方が、さも生命のある證據のやうに見える。[やぶちゃん注:「脂肪」戦後版では『あぶら』とルビする。それを採。る「顫え」二ヶ所ともママ。歴史的仮名遣は「ふるへる」が正しい。「生命」戦後版では『いのち』と振るが、このままでは、「せいめい」と読んでしまう。「いのち」がよい。]

 「こね野郞!」と、にんじんは躍氣になつて呶鳴る――「まだ死なねえか」

 彼はまたそれを拾ひ上げる。罵倒する。そして、方法を變へる。

 顏を眞赤にし、眼に淚を溜め、彼は土龍に唾をひつかける。それから、すぐそばの石の上を目がけて、力まかせに投げつける。

 それでも、例の不恰好な腹は、相變らず動いてゐる。

 かうして、にんじんが、死にもの狂ひになつて、叩きつければ叩きつけるほど、土龍は、餘計死なゝいやうに見えて來る。

 

[やぶちゃん注:「土龍」は言わずもがな、哺乳綱食虫(モグラ)目 Insectivoraモグラ科 Talpidaeのモグラ類、或いは、タイプ種のモグラ族ヨーロッパモグラ属ヨーロッパモグラ Talpa europaea としておく。因みに、「土龍」は中國語では「ミミズ」を指し、どこかで誤伝されたものではないかと思われる(ミミズはモグラの主食という連関という点では不思議な誤りではある)。偶然だが、この一週間ほど、私の猫の額ほどの前庭に、モグラが何度もなかなか立派なコニーデを作り出し、この注の最中にも、亡き母の遺愛のバラの木の下の、その火山を崩して、平たくしてきたばかりである。

「こね野郞」如何にも憎たらしいといつた時に、「この野郎」を鼻にかかつてくぐもつた言い方をすることがあるが、その際、「の」の音が同じナ行の「ぬ」や「ね」のような音になる。その発音上の変異を、岸田氏は、そのまま、文字に写したものではないかと思われる。所持する小学館「日本国語大辞典」で引くと、「このやろう」の項の最後の『発音』の箇所に、『コノヤロー〈なまり〉コネァロ〔岩手・福島〕コネロ・コンナエロ〔山形〕』とあった。しかし、岸田氏の家系は東北ではなく、旧紀州藩士の家系である。どこかで誰か東北出身の知人からでも聴き覚えて、いかにも憎たらしい言い方で面白く思って、使われたものかも知れない。

 さて。私は中学二年の折り、これを読んで、本書の中で「にんじん」の残酷な加虐性に強く印象づけられた、というより、彼を『ちょっと気持ちの悪い奴だ。』と思ったのを思い出す。しかし、大半の読者はお判りであろうが、この、死にそうで、いっかな、死なない、しぶとい反骨の気魄でのみ生きているような「傷だらけモグラ」は、まさに家族はおろか、大半の人々から疎外されている「にんじん」自身のカリカチャア、いやさ、鏡像に、これ、他ならない。それに気づくには、高校時代に岸田訳で再読するまで、愚鈍な私は待たねばならなかったのであった。小学校六年生の頃から、ジグムント・フロイトの著作に親しんできた私であったが、そうした精神のアンビバレンツを、実際にはまるで理解していなかったのだと、今にして思う始末であった。

 

 

 

 

     La Taupe

 

   Poil de Carotte trouve dans son chemin une taupe, noire comme un ramonat. Quand il a bien joué avec, il se décide à la tuer. Il la lance en l’air plusieurs fois, adroitement, afin qu’elle puisse retomber sur une pierre.

   D’abord, tout va bien et rondement.

   Déjà la taupe s’est brisé les pattes, fendu la tête, cassé le dos, et elle semble n’avoir pas la vie dure.

   Puis, stupéfait, Poil de Carotte s’aperçoit qu’elle s’arrête de mourir. Il a beau la lancer assez haut pour couvrir une maison, jusqu’au ciel, ça n’avance plus.

   Mâtin de mâtin ! elle n’est pas morte, dit-il.

   En effet, sur la pierre tachée de sang, la taupe se pétrit ; son ventre plein de graisse tremble comme une gelée, et, par ce tremblement, donne l’illusion de la vie.

   Mâtin de mâtin ! crie Poil de Carotte qui s’acharne, elle n’est pas encore morte !

   Il la ramasse, l’injurie et change de méthode.

   Rouge, les larmes aux yeux, il crache sur la taupe et la jette de toutes ses forces, à bout portant, contre la pierre.

   Mais le ventre informe bouge toujours.

   Et plus Poil de Carotte enragé tape, moins la taupe lui paraît mourir.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「立山の幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 立山の幽霊【たてやまのゆうれい】 〔野乃舎随筆〕近きころ、板木彫《はんぎぼり》松五郎といふ、まどしき[やぶちゃん注:「貧(まど)しき」。]ものありけり。妻をむかへけるが、ほどなくわづらひて、なくなりにければ、かなしびの涙にくれて、あかしくらしけるほどに、ある時おもふやう、越中国立山<富山県立山>といふ所にゆけば、失せたる人にもあふといふなり。いでやかしこにまかりて、いかにもして今一度、失せたるつまに逢ひみばやと、心軽くも思ひたちて、家をも調度をも売りはらひつゝ旅のかりてとなし、かしこにたちこえ、麓の家にやどりて、しかじかのよしかたりければ、あるじいふやう、よくもおもひたち給へるものかな、むかしより此み山にのぽる人は、かならず失せたる人に逢ひ給ふなり、此《この》み山には、たふとき仏のおはしまして、かく無き人にあはせたてまつる、いざいらせ給へ、今夜よきほどにあない申しまゐらせんと、かひがひしうもてなしければ、松五郎よろこび日くるよざまちゐたるほどに、亥の時<午後十時>ばかりになりぬれば、今は折よし、み山に登らせたまひねと、主そゝのかしければ、やがてのぼりて、あるじのをしへしまゝに、堂坊など拝みつゝ念仏となへそここゝとさまよひけるに、いづくともなく女のけはひして、白ききぬをきて、髪長くさげたるが出できたれり。すはやこれぞ我つまの幽霊ならんと、世にうれしうおもひて、近付かんとすれば、幽霊あしばやにしりぞく。松五郎此方にきたれば、幽霊また跡よりしたひきたれり。とにかくに近づく事なければ、たゞつまの幽霊とおもふも、心あてなりけり。かくしつゝ同じやうに、あまたこびしけるあひだ、松五郎かたへなる杉の木のかげに、やをらかくれてうかゞひけるを、幽霊かくともしらず、木陰ちかくより来りけるを、松五郎えたりとかけ出《いで》て、あらなつかしや、うれしやと手をとらへければ、幽霊驚きさわぎ、ふり放たんとしけるを、松五郎しかといだきてうごかさねば、幽霊せんすべなく、わなゝきふるひながら、ゆるし給へゆるし給へといふをきけば、つまの声にも似ざりけり。松五郎興もさめはてゝ、いかなるものぞととひければ、幽霊しのびやかに答へいふやう、おのれはこの麓の、ぬしのやどり給へる家の下女なるが、こよひぬしのゆかりの幽霊になりて、此み山にのぼるべきよし、せちにあるじのきこえければ、いなみがたう、こゝにはまかでさぶらひぬといふ。折しも文月<七月>廿日ばかりの空なれば、木のまの月やうやうのぼりてけざやかなるに、幽霊の顔をみれば、年のころ二十ばかりにて、色白う、まみのほどらうたく、髪のさがりはうるはしう、たわやぎたる腰のあたり、夜目にも憎からずみえければ、松五郎そゞろに心うつりて、ありし妻の事をも忘れはてゝさまざまとあざれかゝりければ、さすがに女もこゝろおちゐて、うちほゝゑみていふやう、飛鳥川のふちせとやらん、をとこの心はたのみがたしと聞きつるに、なきあとまでもかくしたひ給ひて、はるばるとあの御江戸より、このこしのみ山まできたり給へる御心ざしまめまめしさ、天《あま》がけりても、さぞなよろこびたまひぬらん、かゝる夫をもたれたる女こそ、うら山しけれなどいひければ、をとこもあまえいたく、何くれといひかたらふほどに、夜も更けぬれば、女いふやう、いまは御江戸にもろともにいざなひてよ、世のたづきのなきまゝに、わづかのこがねに身をうりて、立山の幽霊となり、世をわたらんもうきわざなり、我はつかうまつるべき親もなし、はぐくむべき子もなし、いまよりこの身をぬしにまかさんといひければ、をとこさらばとて、その暁がた立山をしのび出て、この大城(おほき)[やぶちゃん注:江戸城。]のもとにいざなひ来れるが、さきに家をも調度をも売りてければ、両国橋(ふたくにばし)[やぶちゃん注:和歌風に訓読みしたもの。]の書肆(ふみや)山田何がし、元より親しかりければ、この人をたのもし人にて、女をばくすしのもとへやとひ仕へに出《いだ》し、おのれは山田が家に相《あひ》やどりして、板木を彫りてありけるが、ほどなく近きわたりに家を求めてもろともにむつまじう、相すみけるとなん。かの山田のとなりの、玉竜堂のあるじ語られけり。

[やぶちゃん注:「野乃舎随筆」(ののやずいひつ)は国学者大石千引(ちびき 明和七(一七七〇)年~天保五(一八三四)年)著・小山田与清(ともきよ:「松屋筆記」の著者として知られる国学者)序の随筆と歌集からなる。文政三(一八二〇)年成立。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻六(昭和二(一九二七)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで当該部が読める。標題はズバり、『○僞幽靈』である。本書では珍しい完全な擬似怪談である点で特異点であるが、読み終えて、何かほのぼのする点でも同じく特異点だ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「立山奇異」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 立山奇異【たてやまきい】 〔譚海巻十〕越中立山<富山県立山>は、加賀の城下より麓まで十八里有り。麓に行人《ぎやうにん》をやどす小屋あり。廿ケ所ほど有り。そこに宿するに、時々妖怪の事おほし。夜半にはかに小屋震動する事たえず。天狗の所為なりとて、その時は小屋にある行人、皆念仏をとなへ、死入りたるやうにて、天明をまちて登山す。それより山中は一切樹木なく、只柳のみあり。その余は灌木叢《くさむら》のやうに生ひたる中を行く二里、深谷にいたる。谷に藤かづらにて網《あみ》たる橋をかけたり。橋のながさ廿間ばかり、わたればはしゆらめきて、胆をひやすこといふばかりなし。谷は真黒にてそこをしらず、やうやくこれをわたりて山へ登る所に、火のもゆる所諸所に有り。火の色青くして甚だ異なり。またその辺の谷にそひて二三十間ほどつつ[やぶちゃん注:ママ。「づつ」の誤植。]の池みづあり。二つは血気[やぶちゃん注:原本は「血色」。誤植であろうあろうか。]、一つは常の水なり。血の池に手をひたせば、赤く肌へ染みて容易に脱せず。池熱湯にしてよほどあつく、こらへがたきほどの事たり。池より少し上にさうづ川といふ所あり。川はなくて小石をあつめて、塔のかたちにつみたる所多し。こゝにある姥の像はなはだ異なり。毛髪動く如く、眼睛《がんせい》いけるが如し。おそろしき事いふばかりなし。こゝはすでに山の中段にいたる所なり。こゝより無明といふにいたる。この間半里余あるべし。無明の橋を過ぐれば、山にのぼる事いよいよ嶮にして、道のはゞ一尺ばかりありて、鉄のくさりを引きはへて、くさりに取付てのぼるなり。立山権現の社はその絶頂にあり。本社の下に前の社といふあり。山中甚だ幽僻蕭寂として、幽冥の路を行く。参詣のものことごとく畏怖の懐(おもひ)に堪へず。多くは本社までいたるものなく、前の社にまうでて下向するなり。山はかけぬけにて越前三国のかたへくだる。この間三里ばかりあるべし。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷十 越中國立山の事(フライング公開)」を公開しておいた。]

譚海 卷之十 越中國立山の事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]

 

 越中立山は、加賀の城下より麓まで、十八里、有り。

 麓に行人(ぎやうにん)をやどす小屋あり。廿ケ所ほど有り。

 そこに宿するに、時々、妖怪の事おほし。

 夜半、にはかに、小屋、震動する事、たえず。

「天狗の所爲(しよゐ)なり。」

とて、その時は、小屋にある行人、皆、念佛をとなへ、死入(しにい)りたるやうにて、天明を、まちて、登山す。

 それより山中は、一切、樹木なく、只、柳のみ、あり。その餘は、灌木、叢(くさむら)のやうに生ひたる中を行(ゆき)、二里、深谷にいたる。

 谷に、藤かづらにて網(あみ)たる[やぶちゃん注:「編たる」の原本の誤字。]橋をかけたり。

 橋のながさ、廿間[やぶちゃん注:三十六・三六メートル。]ばかり、わたれば、はし、ゆらめきて、膽(きも)をひやすこと、いふばかりなし。

 谷は、眞黑にて、そこをしらず。

 やうやく、是を、わたりて、山へ登る所に、火のもゆる所、諸所に有り。

 火の色、靑くして、甚(はなはだ)、異なり。又、其邊(そのあたり)の谷にそひて、二、三十間[やぶちゃん注:三十六・三六~五十四・五四メートル。]ほどづつの、池みづ、あり。

 二つは血色、一つは常の水なり。「血の池」に手をひたせば、赤く、肌へ、染(そ)みて、容易に脫せず。

 池、熱湯にして、よほど、あつく、こらへがたきほどの事たり。

 池より少し上に「さうづ川」といふ所あり。

 川は、なくて、小石をあつめて、塔のかたちにつみたる所、多し。

 こゝにある姥(うば)の像、はなはだ、異なり。

 毛髮、動く如く、眼睛(がんせい)、いけるが如し。おそろしき事、いふばかりなし。

 こゝは、すでに山の中段にいたる所なり。

 こゝより、「無明(むみやう)」といふに、いたる。

 この間、半里餘(あまり)あるべし。

 「無明の橋」を過(すぐ)れば、山にのぼる事、いよいよ、嶮(けん)にして、道のはゞ、一尺ばかりありて、鐵のくさりを引(ひき)はへて[やぶちゃん注:ママ。「引き這(は)はして」の意か。]、くさりに取付(とりつき)てのぼるなり。

 立山權現の社(やしろ)は、その絕頂にあり。

 本社の下(した)に「前の社」といふあり。

 山中、甚だ、幽僻蕭寂(ゆうへきしやうじやく)として、幽冥の路(みち)を行く。

 參詣のもの、ことごとく、畏怖の懷(おもひ)に堪へず。

 多くは、本社までいたるものなく、「前の社」にまうでて、下向するなり。

 山は、かけぬけにて、越前三國のかたへ、くだる。この間、三里ばかりあるべし。

[やぶちゃん注:立山は霊場として古くから知られており、私の電子化した怪奇談にも枚挙に遑がない。ここはまず、オーソドックスの立山初級怪奇ガイドとして、「諸國里人談卷之三 立山」を第一に推しておく。食い足りない、立山の「そうづ川」=「葬頭河」やその「三途の渡し」にいる、「姥」=「葬頭婆」=奪衣婆の話に特化したものを、となら、「諸國里人談卷之二 姥石」、或いは、「三州奇談卷之五 邪宗殘ㇾ妖」を読まれたい。

「越前三國」現在、福井県に越前三国町があるが、立山とは隔たり過ぎて、違う。さすれば、「三國」は「さんごく」で「越後國」・「能登國」・「加賀國」を経て「越前」に至るの意か。にしても書き方がおかしい。よく判らんね。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「立石村の立石」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 立石村の立石【たていしむらのたていし】 〔兎園小説第十集〕下総国葛飾郡立石村(亀有村の近村なり)<現在の東京都葛飾区立石>の元名主新右衛門が畑の中に、むかしより高さ壱尺ばかりの丸き石一つあり。近きころ(年月未詳)当時のあるじ新右衛門相はかりて、さまで根入りもあるべくも見えず。この石なければ、耕作に便りよし。掘り出だしのぞきなんとて、掘れども掘れども、思ひの外に根入り深くて、その根を見ず。とかくして日も暮れければ、翌また掘るべしとて、その日は止みぬ。翌日ゆきて見れば、掘りしほど石ははるかに引き入りて、壱尺ばかり出でてあり。こは幸ひのことぞとて、そがまゝ埋みて帰りぬ。又その次の日ゆきて見れば、石はおのれと抜け出でて、地上にあらはるゝこと元の如し。こゝにおいて、且驚き且あやしみ、その凡ならざるをしりて、やがて祠を石の上に建て、稲荷としてあがめまつれりといふ。(一説に石のめぐりに只垣のみしてあり。祠を建てたるにはあらずとぞ)今も石を見んと乞ふ人あれば、見するとなん。右新右衛門は、木母寺境内にをる植木屋半右衛門が縁家にて、詳かに聞きしとて半右衛門かたりき。おもふにこの村にこの石あるをもて、古来村の名におはせけん。猶尋ぬべし。

[やぶちゃん注:私の正規表現注附きの『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 立石村の立石』を見られたい。なお、宵曲は「妖異博物館」でも「動く石」の中で抄訳して載せているので、そちらも参照されたい。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「獵銃」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Ryoujyuu

 

     獵 銃

 

 

 ルピツク氏は、息子たちに云ふ。

 「鐵砲は、二人で一挺あればたくさんさ。仲の善い兄弟は、なんでも催合(もあ)ひにするもんだ」[やぶちゃん注:「善い」戦後版は「いい」と呼んでいる。それを採る。最終章の「家」も同前。]

 「あゝ、それでいいよ」と兄貴のフエリツクスは答へる――「二人で代り番こに持つから・・・。なあに、時々にんじんが貸してくれゝや、僕、それでいゝんだよ」

 にんじんは、いゝとも、わるいともいわない。どうせ油斷はならないと思つてゐる。

 ルピツク氏は、綠色の袋から鐵砲を出して、訊ねる――

 「初めにどつちが持つんだ? それや、兄さんだらうな」

 

兄貴のフエリツクス――その光榮はにんじんに讓るよ。先へ持て。

ルピツク氏――フエリツクス、今日はなかなか感心だ。さうならさうで、父さんにも考へがあるぞ。

 

 ルピツク氏は、鐵砲をにんじんの肩にのつけてやる。

 

ルピツク氏――さ、行つて遊んで來い。喧嘩をするんぢやないぞ。

にんじん――犬は連れてくの?

ルピツク氏――連れて行かんでえゝ。お前たち、代りばんこに犬になれ。それに第一、お前たちほどの獵師が、獲物に傷だけ負はせるなんていふことはない。一發で仕止めるんだ。[やぶちゃん注:「代りばんこ」ここはママ。]

 

 にんじんと兄貴のフエリツクスは出かけて行く。服裝は簡單だ。不斷のまゝである。長靴がないことは少し殘念だが、ルピツク氏は常々、ほんとう[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]の獵師は、そんなものを眼中に置かないと云つてゐる。ほんとうの獵師は、ズボンを踵の上に引きずつてゐる。決してまくり上げたりなんぞしない。それで、泥の中や、耕した土の上やを步く。すると、長靴がひとりでに出來て、膝(ひざ)のところまで來る。この長靴は丈夫で、いや味がない。これは、女中が大事にするように云ひつかつてゐる。

 「手ぶらで歸るようなことはないよ、お前は・・・」

と、兄貴のフエリツクスが云ふ。

 「それや、大丈夫だよ」

と、にんじんも云ふ。

 肩が殺(そ)げてゐるので、なんだか窮屈だ。銃身がうまくのつかつてゐない。

 「そらね、いくらだつて持たしてやるから、飽きるほど・・・」

 兄貴のフエリツクスが云ふ。

 「やつぱり、兄さんだよ」

と、にんじんは云ふ。

 一群の雀が飛び立つと、彼は、兄貴のフエリツクスに動くなといふ合圖をする。雀の群れは生垣から生垣に飛びうつる。二人の獵師は、雀が眠つてゞもゐるかのやうに、背中を丸くして、そうつと近づいて行く。雀の群れはぢつとしていない。ちうちう啼きながら、またほかへ行つて止まる。二人の獵師は起ち上る。兄貴のフエリツクスは、それに惡口雜言を浴せかける。にんじんは、心臟がどきどきしてゐるにも拘はらず、それほどあせつてゐる樣子はない。自分の腕を見せなければならない瞬間を懼れてゐるからである。

 もしも失敗(しくじ)つたら! 延びるたびにほつとするのだ。

 處が、今度こそは、雀の方で、彼を待つてゐるらしい。

 

兄貴のフエリツクス――まだ擊つなよ。遠すぎるぞ。

にんじん――さうかなあ・・・。

兄貴のフエリツクス――當りよ。からだを低くすると勝手が違つて來るんだぜ。すぐそばだと思つても、實際は可なり遠いんだ。

 

 そこで、兄貴のフエリツクスは、自分の云つた通りだと云ふことを示すために、いきなり顏を出す。雀は、驚いて飛んで行つてしまふ。

 が、そのうち、一羽だけ、しなつた枝の先に止つたまゝ、その枝に搖られてゐる。尾をぴんと上げ、頭を左右にかしげ、腹をむきだしてゐる。

 

にんじん――しめたぞ、こいつなら擊てら、大丈夫・・・。

兄貴のフエリツクス――どら、どいてみろ。うん、なるほど、素敵なやつだ。さ、早く、鐵砲を貸せ。

 

 すると、もう、にんじんは、鐵砲を取り上げられ、兩手を空つぽにして、口を開けてゐるのである。その前で、兄貴のフエリツクスが、彼の代りに、鐵砲を肩に當て、狙ひを定め、引鐵を引く。そして、雀が落ちる。[やぶちゃん注:「引鐵」「ひきがね」。]

 それは、丸で手品のやうだ。にんじんは、さつきまで、この鐵砲を、それこそ、胸に抱き締めてゐた。突然、彼はそれを失つた。ところが、今また、それが彼の手に戾つてきた。云ふまでもなく、兄貴のフエリツクスが返したのである。兄貴のフエリツクスは、それから、自分で犬の代りもする。駈け出して行つて雀を拾ふ。さうして云ふ――

 「愚圖々々しちや駄目だよ。もつと急がなくつちや・・・」

  

にんじん――ゆつくり急ぐよ。

兄貴のフエリツクス――ようし、膨れツ面をするんだね。

にんじん――だつて・・・。ぢや、歌を唱へばいゝのかい。

兄貴のフエリツクス――雀がとれたんだから、なんにも云ふことはないぢやないか。若しか、中(あた)らなかつたらどうする!

にんじん――うゝん、僕あ、そんな・・・。

兄貴のフエリツクス――お前だつて、兄さんだつて、おんなじことさ。今日は兄さんがとつた、明日はお前がとる、それでいゝだらう。

にんじん――明日つたつて・・・。

兄貴のフエリツクス――きつとだよ。

にんじん――わかるもんか。きつとなんて、明日になれや・・・。

兄貴のフエリツクス――若し噓だつたら、なんでもやらあ。それでいゝだらう。

にんじん――まあいゝや・・・。それより、もつと獲(と)らうよ。僕が擊つて見ら・・・。

兄貴のフエリツクス――駄目だよ、もう遲いから。さ、歸つて、こいつを母さんに燒いて貰はう。そら、そつちヘやるよ。カクシヘ入れとけ。なんだい、馬鹿だなあ、おい、嘴を出しとけよ。

 

 二人の獵師は家へ歸つて行く。その途中で何處かの百姓に會ふと、その百姓はお辭儀をしてかう云ひかける――

 「坊つちやん、お前たちや、まさかお父つつあんを擊つたんぢやあるめえな」

 にんじんは、好い氣持になり、さつきからのことを忘れてしまふ。彼らは、仲善く、大威張りで歸つて來る。ルピツク氏は二人の姿を見かけると、驚いてかう云ふ――[やぶちゃん注:「好い」戦後版は『いい』。それを採る。]

 「おや、にんじん、まだ鐵砲をもつてゐるな。ずつとお前がもち通しか?」

 「うん、たいてい・・・」

と、にんじんは答へる。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「催合(もあ)ひにする」「催合ひ」の讀みは、正しくは「もやひ」(現代仮名遣「もやい」)。一緖に一つの事をしたり、一つの物を所有したりする。「最合ひ」とも書く。

「カクシ」原作は“poche”、「ポケット」のこと。

「二人の獵師は家へ歸つて行く。その途中で何處かの百姓に會ふと、その百姓はお辭儀をしてかう云ひかける――」「坊つちやん、お前たちや、まさかお父つつあんを擊つたんぢやあるめえな」ルナールの父フランソワ・ルナール(François Renard)は、ルナール家の出身地であったシトリー・レ・ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に一家で定住していたが、父フランソワはこの村の村長となった。だから、百姓はこのガキ共に挨拶をするのである。しかし、その台詞は、本作が書かれた二年後の一八九七年六月十九日、不治の病に冒されていることを知り、心臓に猟銃(ショットガン)を発射して自殺している(この「不治の病」の病名は年譜上では明確に示されてはいない。直前の同年年譜には肺鬱血とあり、重篤な心不全の心臓病等が想定される。ジュール三十三歳の時であった。その後、ジュールは亡父の後を慕うように狩猟に夢中になり、その年の十一月まで、創作活動から離れていることが年譜から窺われる、というのは既に注してある)事実をズラシして予言しているように読め、不気味である。

 なお、以下の原文は、原本に照らして、かなり微妙であるが、一部に行空けを行った。]

 

 

   *

 

 

    La Carabine

 

  1. Lepic dit à ses fils :

   Vous avez assez d’une carabine pour deux. Des frères qui s’aiment mettent tout en commun.

   Oui, papa, répond grand frère Félix, nous nous partagerons la carabine. Et même il suffira que Poil de Carotte me la prête de temps en temps.

   Poil de Carotte ne dit ni oui ni non, il se méfie.

  1. Lepic tire du fourreau vert la carabine et demande :

   Lequel des deux la portera le premier ? Il semble que ce doit être l’aîné.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je cède l’honneur à Poil de Carotte. Qu’il commence !

     MONSIEUR LEPIC

   Félix, tu te conduis gentiment ce matin. Je m’en souviendrai.

 

  1. Lepic installe la carabine sur l’épaule de Poil de Carotte.

     MONSIEUR LEPIC

   Allez, mes enfants, amusez-vous sans vous disputer.

     POIL DE CAROTTE

   Emmène-t-on le chien ?

     MONSIEUR LEPIC

   Inutile. Vous ferez le chien chacun à votre tour. D’ailleurs, des chasseurs comme vous ne blessent pas : ils tuent raide.

 

   Poil de Carotte et grand frère Félix s’éloignent. Leur costume simple est celui de tous les jours. Ils regrettent de n’avoir pas de bottes, mais M. Lepic leur déclare souvent que le vrai chasseur les méprise. La culotte du vrai chasseur traîne sur ses talons. Il ne la retrousse jamais. Il marche ainsi dans la patouille, les terres labourées, et des bottes se forment bientôt, montent jusqu’aux genoux, solides, naturelles, que la servante a la consigne de respecter.

   Je pense que tu ne reviendras pas bredouille, dit grand frère Félix.

   J’ai bon espoir, dit Poil de Carotte.

   Il éprouve une démangeaison au défaut de l’épaule et se refuse d’y coller la crosse de son arme à feu.

   Hein ! dit grand frère Félix, je te la laisse porter tout ton soûl !

   Tu es mon frère, dit Poil de Carotte.

   Quand une bande de moineaux s’envole, il s’arrête et fait signe à grand frère Félix de ne plus bouger. La bande passe d’une haie à l’autre. Le dos voûté, les deux chasseurs s’approchent sans bruit, comme si les moineaux dormaient. La bande tient mal, et pépiante, va se poser ailleurs. Les deux chasseurs se redressent ; grand frère Félix jette des insultes. Poil de Carotte, bien que son coeur batte, paraît moins impatient. Il redoute l’instant où il devra prouver son adresse.

   S’il manquait ! Chaque retard le soulage.

   Or, cette fois, les moineaux semblent l’attendre.

 

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Ne tire pas, tu es trop loin.

     POIL DE CAROTTE

   Crois-tu ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Pardine ! Ça trompe de se baisser. On se figure qu’on est dessus ; on en est très loin.

 

   Et grand frère Félix se démasque afin de montrer qu’il a raison. Les moineaux, effrayés, repartent.

Mais il en reste un, au bout d’une branche qui plie et le balance. Il hoche la queue, remue la tête, offre son ventre.

     POIL DE CAROTTE

   Vraiment, je peux le tirer, celui-là, j’en suis sûr.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

Ôte-toi voir. Oui, en effet, tu l’as beau. Vite, prête-moi ta carabine.

 

   Et déjà Poil de Carotte, les mains vides, désarmé, bâille : à sa place, devant lui, grand frère Félix épaule, vise, tire, et le moineau tombe.

   C’est comme un tour d’escamotage. Poil de Carotte tout à l’heure serrait la carabine sur son coeur. Brusquement, il l’a perdue, et maintenant il la retrouve, car grand frère Félix vient de la lui rendre, puis, faisant le chien, court ramasser le moineau et dit :

   Tu n’en finis pas, il faut te dépêcher un peu.

     POIL DE CAROTTE

   Un peu beaucoup.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Bon, tu boudes !

     POIL DE CAROTTE

   Dame, veux-tu que je chante ?

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Mais puisque nous avons le moineau, de quoi te plains-tu ? Imagine-toi que nous pouvions le manquer.

     POIL DE CAROTTE

   Oh ! moi…

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Toi ou moi, c’est la même chose. Je l’ai tué aujourd’hui, tu le tueras demain.

     POIL DE CAROTTE

   Ah ! demain.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je te le promets.

     POIL DE CAROTTE

   Je sais ! tu me le promets, la veille.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Je te le jure ; es-tu content ?

     POIL DE CAROTTE

   Enfin !… Mais si tout de suite nous cherchions un autre moineau ; j’essaierais la carabine.

     GRAND FRÈRE FÉLIX

   Non, il est trop tard. Rentrons, pour que maman fasse cuire celui-ci. Je te le donne. Fourre-le dans ta poche, gros bête, et laisse passer le bec.

 

   Les deux chasseurs retournent à la maison. Parfois ils rencontrent un paysan qui les salue et dit :

   Garçons, vous n’avez pas tué le père, au moins ?

   Poil de Carotte, flatté, oublie sa rancune. Ils arrivent, raccommodés, triomphants, et M. Lepic, dès qu’il les aperçoit, s’étonne :

   Comment, Poil de Carotte, tu portes encore la carabine ! Tu l’as donc portée tout le temps ?

   Presque, dit Poil de Carotte.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鶴嘴」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Turuhasi

 

     鶴 嘴

 

 

 兄貴のフエリツクスとにんじんとが、一緖に並んで働いてゐる。めいめい鶴嘴をもつてゐる。兄貴のは、蹄鐵屋に注文して鐵で作らせたのである。にんじんは、木で自分のやつを獨りで作つた。二人は庭作りをしてゐる。仕事はぐんぐん捗る[やぶちゃん注:「はかどる」。]。一所懸命の競爭である。突然、それは實に思ひ設けない瞬間に――災難にぶつかるのは、常にさういふ瞬間に限られてゐる――にんじんは、額の眞中に、鶴嘴の一擊を喰つたのである。

 すると間もなく、兄貴のフエリツクスを寢臺の上に運んで行き、そつと寢させなければならない。弟の血を見て、ふらふらツとなつたからである。家のものは、みんなそこへ來て、丈伸びをしてゐる。それから、恐る恐る溜息をつく。[やぶちゃん注:「家」戦後版では『うち』とルビする。それを採る。「丈伸び」「せのび」。]

 ――鹽は何處にある?

 ――冷たい水を少し・・・頭を冷やすんだから・・・。

 にんじんは、椅子の上にあがつてゐる。みんなの頭の間から、肩越しにのぞくためである。額は布片(きれ)で鉢卷をし、その布片(きれ)がもう赤くなつてゐる。血が滲み出して、ひろがつてゐるのである。

 ルピツク氏はにんじんにいつた――

 「ひどい目に遭やがつた」[やぶちゃん注:「遭やがつた」「あひやがつた」。]

 それから、姉のエルネスチイヌは、傷口に繃帶をしてやりながら――

 「バタの中へ孔を開けたやうだわ」

 彼は聲を立てなかつた。なぜなら、それは、何の役にも立たないといふことを、豫め警告されてゐたから。

 ところが、そのうちに、兄貴のフエリツクスが、片方の眼を開ける。それからもう一方の眼を開ける。怖かつたゞけで、無事にすんだのである。その顏色が、だんだん血の氣を帶びて來るにつれて、不安と驚愕が、人々の心から消えて行く。

 「何時でも此の通りだ」と、ルピツク夫人はにんじんに向かつて云ふ――「お前、氣をつけることはできなかつたのかい。しやうがないぼんつくだね」

 

[やぶちゃん注:原本はここ

「ぼんつく」「頭が良くない・馬鹿」の意味。方言としては中部地方に分布するようである(岸田國士は東京市四谷区(現在の東京都新宿区)に和歌山県出身の陸軍軍人岸田庄蔵の長男として生まれる。岸田家は旧紀州藩士の家系であったから、この方言の可能性は否定出来ない)。一說に、「愚鈍者」を意味する「ぼんとく」が訛つたものとするが、これでは語源説にならない。これは私は思うのだが、賭博用語の「ぼんくら」が訛つたものが語源ではなかろうか? 「ぼんくら」とは一説に「盆闇」で、「盆」は「骸子(さいころ)を伏せる壺」を言い、その中の骸子の目を見通す眼力がない「うつけ者・ぼんやりした奴」という意味である。]

 

 

 

 

    La Pioche

 

   Grand frère Félix et Poil de Carotte travaillent côte à côte. Chacun a sa pioche. Celle de grand frère Félix a été faite sur mesure, chez le maréchal-ferrant, avec du fer. Poil de Carotte a fait la sienne tout seul, avec du bois. Ils jardinent, abattent de la besogne et rivalisent d’ardeur. Soudain, au moment où il s’y attend le moins (c’est toujours à ce moment précis que les malheurs arrivent), Poil de Carotte reçoit un coup de pioche en plein front.

   Quelques instants après, il faut transporter, coucher avec précaution, sur le lit, grand frère Félix qui vient de se trouver mal à la vue du sang de son petit frère. Toute la famille est là, debout, sur la pointe du pied, et soupire, appréhensive.

   Où sont les sels ?

   Un peu d’eau bien fraîche, s’il vous plaît, pour mouiller les tempes.

   Poil de Carotte monte sur une chaise afin de voir par-dessus les épaules, entre les têtes. Il a le front bandé d’un linge déjà rouge, où le sang suinte et s’écarte.

  1. Lepic lui a dit :

   Tu t’es joliment fait moucher !

   Et sa soeur Ernestine, qui a pansé la blessure :

   C’est entré comme dans du beurre.

   Il n’a pas crié, car on lui a fait observer que cela ne sert à rien.

   Mais voici que grand frère Félix ouvre un oeil, puis l’autre. Il en est quitte pour la peur, et comme son teint graduellement se colore, l’inquiétude, l’effroi se retirent des coeurs.

   Toujours le même, donc ! dit madame Lepic à Poil de Carotte ; tu ne pouvais pas faire attention, petit imbécile !

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「竜巻」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 竜巻【たつまき】 〔甲子夜話巻八〕先年竜まきとて、暴風雨ありしとき、諸船この難に遭ふもの多し。或老侯家根舟《やねぶね》にて大川に遊び居しが、白鬚祠《》の辺とかこの風に遭ひたり。川水すさまじく巻かへり、その舟を空中にまき揚ぐること、一丈余にやありけんと云ふ。その時舟中に侯の妾《せう》もありしが、心かしこき者にて、わが腰帯を解き、侯を舟の柱に結《いはひ》つけたり。やがて舟は一と落しに川中に墜ちたるに、侯は何事もなかりしが、髪の元結切れたりと云ふ。同舟の人に溺者《おぼれるもの》もありと聞けり。 〔塵塚談〕不忍池<東京都台東区内>より天明年間[やぶちゃん注:一七八一年から一七八九年まで。]竜巻ありけり。佐渡・越後・越中の海中には、夏の日竜騰《のぼ》る事度々有りと。その節は虚空より黒雲下り来れば、海中の潮水滝を逆に掛けし如く、逆巻きのぼり黒雲中に入る。その雲の中に竜の形の如きもの見ゆると伝へ聞けり。その如く不忍池より黒雲逆巻きのぼり、竜騰りしと見え、近辺家屋を損し、火の見櫓など倒せしなり。その次第を聞くに、北海にて竜騰るの形勢に少しも替らず同様なり。これをもて見れば、小しき池底にも竜蟄伏《ちつぷく》し、池水時気に乗じて発達し、上よりは応じて雲下り、上下相感動し、竜昇るものなるべし。唐土《もろこし》には井中《ゐのうち》より竜飛び出し事『五雑俎』に見えたり。中古武州金沢<神奈川県横浜市金沢区のことか>に一寺の和尚、硯を所持す。或日大雨す。時に硯破れて竜昇りしとかや。これ等の事もあれど、不忍池などに潛蔵《せんざう》[やぶちゃん注:「潛」の正字はママ。]すべきものとは思はざりき。かく書きぬれど、竜は雷とひとしく奇なる物、吾党のさらに測り知る所に非ず。

[やぶちゃん注:前者は事前に「フライング単発 甲子夜話卷八 6 或老侯、隅田川にて竜まきに逢ふ事」として正字表現で公開しておいた。後者「塵塚談」は今まで出なかったのが、ちょっと意外であったが、江戸後期の医師小川顕道(元文二(一七三七)年~文化一三(一八一六)年)。江戸小石川白山御殿跡近くで生まれる。小石川養生所の初代の長(肝煎)となった小川笙船の孫とされる。三十七歳の安永二(一七七三)年、「養生囊」を刊行、医療に対する心得違いなどを諭している。「薬といふものは、皆、毒物にして、平日嗜むべき物にあらず。」など、常識的で理に叶った意見が多い。かく、大衆向けに医療の啓蒙書を書いた。一時は相模国藤沢に居住したらしい。本「塵塚談」は文化一一(一八一四)年に彼が書いた随筆で、当時の風俗を描写している。著書は他に「佐志茂草」・「民家養生訓」の医書二点が残る。国立国会図書館デジタルコレクションの『燕石十種』第一(岩本佐七編・明治四〇(一九〇七)年国書刊行会刊)のこちらで正字表現で視認出来る。

「五雑俎」「五雜組」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。不全本でも、本邦で本草学者に大いに活用されたのだから、「瓢簞から駒」のような事実があるのである。以上は、恐らくは同書の「卷九」の「物部一」の以下。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで採ったが(一部の漢字を正字化し、記号も変えた)、表記不能字は、「維基文庫」版でも同じで、影印本も見られないので、「■」とした。

   *

物之猛者、不能相下。如龍潛水中、以虎頭投之、則必驚怒簸騰、淘出之乃已。西域人獻獅子、有擊井傍樹者、獅子■徨不安、少頃、風雨晦冥、龍從井中飛出、是交相畏也。

   *

 なお、後者の、硯から龍が昇天する話柄は類話が多い。例えば、「耳嚢 巻之八 硯中龍の事」「耳嚢 巻之八 石中蟄龍の事」がそれで、他にも私の怪奇談集にはまだある。ただ、実は酷似するものに、「奇異雜談集巻第五」の「㊀硯われ龍の子出で天上せし事」があり、そこではロケーションを『武藏に「金河(かながは)の宿」と云ふ大所』とし、そこの『金河全世[やぶちゃん注:ママ。「全盛」。]のとき』の『禅宗の寺』とするのは、地名に不審があり(私の注を参照)、これが「武藏」が誤りで、「金河」が六浦の「金澤」の誤記とすれば、全くの同話のような気がしてならないのである。比較されたい。

フライング単発 甲子夜話卷八 6 或老侯、隅田川にて竜まきに逢ふ事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

8―6

 先年、竜まきとて、暴風雨ありしとき、諸船、この難に遭(あふ)もの、多し。

「或老侯、家根舟(やねぶね)にて大川に遊居(あそびをり)しが、白鬚祠(しらひげのほこら)の邊(あたり)とか、此風に遭(あひ)たり。川水、すさまじく、巻(まき)かへり、その舟を、空中に、まき揚(あげ)たること、一丈余にやありけん。」

と云(いふ)。

「其時、舟中に侯の妾(せう)もありしが、心かしこき者にて、わが腰帯(こしおび)を解き、侯を、舟の柱に、結(いはひ)つけたり。やがて、舟は一と落しに、川中(かはなか)に墜(おち)たるに、侯は、何事もなかりしが、髪の元結、切れたり。」

と云(いふ)。

「同舟の人に、溺者(おぼれるもの)もあり。」

と聞けり。

■やぶちゃんの呟き

「先年」不詳。前後で判りそうで、判らぬ。

「白鬚祠」現在の東京都墨田区東向島にある白鬚神社(グーグル・マップ・データ)。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「竜の雲」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 竜の雲【たつのくも】 〔一宵話巻二〕寛政八年[やぶちゃん注:一七九六年。]の事かとよ。常陸の国鹿嶋の浦<茨城県鹿島市辺の海岸>へ鯨よりければ、その辺三ケ村の百姓、天のあたへと喜び、それ船出《いだ》せといふやいな、男子とある分は、十五六より五十ばかりまで、船四艘におつとり[やぶちゃん注:落ち着いているさま。]のり、我おとらじとこぎ出す。折節海面に、黒雲一むれ見えしかば、老人、あの雲はゆだんがならぬぞ、風変りが計られぬぞ、しばし様子見合せよと制すれども、耳に少しも聞入れねば、かゝる時は飯の用心するものぢや、それやれと飯櫃《めしびつ》抱《いだ》て走り来て、岸より船へなげやりぬ。やがて。一里も出《いで》し時、はや手《て》[やぶちゃん注:「疾風(はやて)」。]どうと吹きおちて、彼《か》の黒雲はびこりわたり、海一面真黒《まくろ》になる。岸の者どもこれをみて、ハアハアヤレヤレといへども、すべき様なし。しばしありて風なぎ雲晴れても、船は竜《たつ》の雲の中へ巻上げしやらん、一艘も見えず。日数《ひかず》経てもおとづれなし。惣じてくツきやうの者五十四人ばかり、一時にさつぱりなくなりたり。この時、正明《まさあき》が書中に、足弱《あしよわ》ばかり残りしから、田地の耕作も出来ず、強盗は白昼にも押し入る。また江戸の中都(《なか》いち)と云ふ座頭が妻は、其所の者にて、兄弟従弟四人、一度になくせしをなげくよしを載せ、またその後、水戸の咸章主人《かんしやうしゆじん》よりは、雲に巻かれしものどもの、名も年も詳《つぶら》にしるして、年月ふれども竿一本だに帰らずとさへ申しこして、おのれみな記し置きぬ。或時、この事をいひ出《いで》て、かゝる時には、急に人々髪の毛をきり、烟《けむり》にたき立れば、雲を払ふものゝよし語れば、一人の医師、剃立(そりたて)の円頂《まるあたま》をなで廻し、我等が如きものはいかゞせんといふ。それこそ貴公持まヘの長き鼻毛をやき給へと戯れたり。これは戯れなり。洋中(わだなか[やぶちゃん注:後に示す活字本では「洋」にのみ『ワタ』と振る。])の船の様を聞くに、鳥の羽を多く貯ふるよしなり。これ急なるとき烟にたかん料《れう》なりとぞ。一年、江戸の栖原《すはら》や某《なにがし》が舟、かゝる難に逢ひし時、船中にあるとある刃物をぬき、船のへさき、船のへさきへ高くさし上げたりと云ふ。これもよろしきか。鳥の羽の事は書にも出たれば、用意ありたきものなり。

[やぶちゃん注:「一宵話」秦鼎(はたかなえ 宝暦一一(一七六一)年~天保二(一八三一)年:江戸後期の漢学者。美濃出身で尾張藩藩校明倫堂の教授として活躍したが、驕慢で失脚したという)の三巻三冊から成る随筆。以上は同書の「卷之二」の「龍 の 雲」の中の本文で、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十七巻(昭和三(一九二八)年国民図書刊)のこちらで視認出来る。実は、後に宵曲がカットした作者のかなり長い補注考証(但し、内容は高山に登って『風雨雲霧の変(ヘン)に逢ふ』という類似現象に基づくもの)があるが、カットされているので、見られたい。私は電子化する気はない。だいたい、大勢の死を齎した怪事の最後にお笑い(「剃立の圓頭をなで𢌞し」云々)を記す輩は、怪奇談を語る資格はない、厭な奴だとしか考えない私だからである。

「正明」不詳。

「水戸の咸章主人」岩田健文(けんぶん 宝暦一二(一七六二)年~文化一一(一八一四)年)は常陸水戸の薬種商人。幼い時に目を患い、後に失明した。立原翠軒に琴と法帖(ほうじょう:書の手本とすべき古人の筆跡を、石・木に刻して拓本に採り、折り本に仕立てたもの。広義には真跡・模写・碑文拓本などを、折り本にしたものも含む。墨帖。墨本)の模刻法を学び、墨本を数十種作っている。号は咸章堂。]

2023/11/25

2,040,000ブログ・アクセス突破

数秒前、2,040,000ブログ・アクセス突破したが、前回同様、全く以ってどうでもいい。一昨日、来やがれ!!!

というか、ブログ・アクセス切番テクストは、向後は、余程、たまたま相応な物がない限りは、作製しないことにした。自働作用のようで、「厭な感じ」が自身にするようになったからである。

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「兎」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 本篇は三章から成るが、底本では最初の章には「一」がない。戦後版では「一」がある。また、底本では第一章相当の後には、十二行(ここで、見返し左ページ一行目が最終行で、残りは丸々空白となっている)もの空けがあるのだが、流石に、異様であり、無駄でもあるので、一行空けとした。]

 

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 「メロンはもうないよ、お前の分は・・・」と、ルピツク夫人は云ふ――「それに、お前はあたしとおんなじで、メロンは嫌ひだね」

 「さうだつたかも知れない」

と、にんじんは考へるのである。

 好き嫌ひは、かうやつて、人が勝手に決めてくれる。大體に於て、母親が好きなものだけを好きとして置かなければならない。チーズが來る。

 「これや、にんじんは食べないにきまつてる」

と、かうルピツク夫人が云ふので、にんじんは――

 「母さんが、きまつてると云ふんだから、食べてみなくたつていゝ」

と思ふのである。

 第一、うつかり食べると、あとが恐ろしいことを知つてゐる。

 それに、もうぢき、誰も知らない場所で、此の上もなく奇妙な慾望を滿たす暇があるではないか。デザートになると、ルピツク夫人が彼に云ふのである――[やぶちゃん注:「暇」は「ひま」の読みを採る。後注参照。]

 「此のメロンの皮を兎に持つてつておやり」

 にんじんは、皿をひつくり返さないやうに、出來るだけ水平に持つて、小股で使ひに出かける。

 小舍にはいつて行くと、兎どもは、腕白小僧式に、耳の帽子を深く被り、鼻を仰ふ向け、太鼓でも叩くやうに前足を突き出し、がさがさ彼の周りにたかつて來る。

 「こら、待て、待て」と、にんじんは云ふ――「一寸待つてくれ、半分づゝにしよう」

 そこで先づ、糞(ふん)だとか、根だけ食い殘したのぼろ菊だとか、玉菜の芯(しん)だとか、葵の葉だとかいふものゝ堆高く積まれた上に、彼は腰をおろす。それから、兎どもにはメロンの種をやり、自分は汁を飮む。それは、葡萄液のやうに甘い。

 そこで今度は、みんなが殘した甘味のある黃色いところ、口ヘ入れて溶けるところを殘らず齒で嚙り取る。そして、綠色のところだけを、尻の上で丸まつてゐる兎にくれてやる。

 小舍の戶は閉まつてゐる。

 午睡の時間を照らす太陽が、屋根の孔(あな)を透(すか)して、その光線の一端を冷(ひ)えびえした蔭の中に浸してゐる。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「暇」を岸田氏の他の訳で調べてみると、まず、「いとま」ではなく、「ひま」の読みで使用しているらしい頻度が多いように見かけ上は見える。決定打は、戦後版で、本篇のずっと後にある「マチルド」の章の終りのごく近くで、『暇(ひま)は十分にある。』とルビを振っていることである。

「のぼろ菊」双子葉植物綱キク目キク科キオン属ノボロギク(野襤褸菊)Senecio vulgaris 。ヨーロツパ原産だが、日本へも明治初期に侵入した帰化植物。畑地・道端に普通に自生する。葉は光沢があり、ややシュンギク(キク科シュンギク属シュンギク Glebionis coronaria に似ている。一年を通じて開花し、約一センチメートル程の黄色の筒状の花を付ける。成熟した種子はタンポポ(キク科タンポポ属 Taraxacum )に似た長い白い冠毛(綿毛)を有する。如何にも哀れな和名ではある。

「玉菜」キャベツBrassica oleracea var. capitataのこと。この学名は双子葉植物綱フウチョウソウ目アブラナ科アブラナ属Brassicaのヤセイカンラン(野生甘藍)Brassica oleraceaの変種であることを示す。

「葵」原文の“mauve”はアオイを意味するが、幾つかの観点から考えると、これは我々がよく目にし、「葵」と呼んでいる双子葉植物綱アオイ目アオイ科ビロードアオイ属タチアオイ Althaea rosea ではなく、近縁のゼニアオイ属マロウ(ウスベニアオイ)Malva sylvestris や、その変種であるゼニアオイ Malva sylvestris var. mauritiana ではないかと私には思われる。確認したところ、一九九五年臨川書店刊の『ジュール・ルナール全集』第三巻の佃裕文訳のでも「ぜにあおい」(引用元では傍点「・」附きのひらがな)と訳しておられる。

「葡萄液」原文は“vin doux”。これは“VDN”(Vin Doux Naturel:ヴァン・ドゥ・ナチュレ)という甘味果実酒のこと。葡萄を通常のワイン醸造のように発酵させ、途中でブランデーを添加し、アルコール発酵を停止させて熟成させた酒。ブドウ本来の自然な(naturel)甘さ(doux)が残る。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」では『発酵まえのぶどう液』とするが、これは日本的発想であろうと思われる。]

 

 

 

 

    Les Lapins

 

   Il ne reste plus de melon pour toi, dit madame Lepic ; d’ailleurs, tu es comme moi, tu ne l’aimes pas.

   Ça se trouve bien, se dit Poil de Carotte.

   On lui impose ainsi ses goûts et ses dégoûts. En principe, il doit aimer seulement ce qu’aime sa mère. Quand arrive le fromage :

   Je suis bien sûre, dit madame Lepic, que Poil de Carotte n’en mangera pas.

   Et Poil de Carotte pense :

   Puisqu’elle en est sûre, ce n’est pas la peine d’essayer.

   En outre, il sait que ce serait dangereux.

   Et n’a-t-il pas le temps de satisfaire ses plus bizarres caprices dans des endroits connus de lui seul ? Au dessert, madame Lepic lui dit :

   Va porter ces tranches de melon à tes lapins.

   Poil de Carotte fait la commission au petit pas, en tenant l’assiette bien horizontale afin de ne rien renverser.

   À son entrée sous leur toit, les lapins, coiffés en tapageurs, les oreilles sur l’oreille, le nez en l’air, les pattes de devant raides comme s’ils allaient jouer du tambour, s’empressent autour de lui.

   Oh ! attendez, dit Poil de Carotte ; un moment, s’il vous plaît, partageons.

   S’étant assis d’abord sur un tas de crottes, de séneçon rongé jusqu’à la racine, de trognons de choux, de feuilles de mauves, il leur donne les graines de melon et boit le jus lui-même : c’est doux comme du vin doux.

   Puis il racle avec les dents ce que sa famille a laissé aux tranches de jaune sucré, tout ce qui peut fondre encore, et il passe le vert aux lapins en rond sur leur derrière.

   La porte du petit toit est fermée.

   Le soleil des siestes enfile les trous des tuiles et trempe le bout de ses rayons dans l’ombre fraîche.

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「壺」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 本篇は三章から成るが、ご覧の通り、底本では最初の章には「一」がない。戦後版では「一」がある。また、底本では第一章相当の後には、十二行(ここで、見返し左ページ一行目が最終行で、残りは丸々空白となっている)もの空けがあるのだが、流石に、異様であり、無駄でもあるので、一行空けとした。]

 

Omaru

 

     

 

 

 もう何度も、寢床(ねどこ)の中で不幸な出來事が起こつたので、にんじんは、每晚、警戒を怠らないやうにしてゐる。夏は、樂なもんだ。九時に、ルピツク夫人が寢ておいでと云ふと、にんじんは、自分から進んで、外をひとまはりして來る。それで、ひと晚中、安心である。

 冬は、この散步が、なかなか苦になる。日が暮れて、鷄小舍を閉めると、彼は、第一の用心をして置くのであるが、それも無駄で、明日の朝までは、とても持ちさうにない。晚飯を食ひ、愚圖々々してゐると、九時が鳴る。もうとつくに夜である。そして、その夜は、何時までも續くのである。にんじんは、第二の用心をして置かなければならない。

 で、その晚も、每晚のやうに、自分で自分に尋ねて見る――

 「したいか、したくないか?」

 平生は、「したい」と答へる。尤もそれは、いよいよ我慢が出來ないか、さもなければ、月が出てゐて、その光で元氣をつけられるやうな時である。時としては、ルピツク氏や兄貴のフエリツクスがお手本を示してくれる。それに、要求の程度から云つて、何時もそんなに遠くへ行くには及ばない。ほんとう[やぶちゃん注:ママ。]なら、通りの溝まで行くのである。それは、殆ど野原の眞中と云つていゝ。大抵は、階段の下まで降りるだけである。その時々で違ふ。[やぶちゃん注:「溝」戦後版では『どぶ』とルビする。]

 ところが、その晚は、雨が窓ガラスを叩き、風が星を消してしまひ、胡桃の木が牧場の中で暴れてゐる。

 「かういふこともあるんだ」――落着いて思案をした揚句、にんじんは結論を與へる ――「したくない!」

 彼はみんなに「お休みなさい」と云ひ、蠟燭に火をつけ、それから、廊下の突き當りで右側の、がらんとして、人つ氣のない自分の部屋にはひる。着物を脫ぐ。橫になる。ルピツク夫人の入來を待つ。彼女は、掛布團の緣をぎゆつと一と息に押し込むでくれる。それから蠟燭の火を消す。その蠟燭は置いて行くが、燐寸をてんで殘して行かない。戶を閉めて鍵をかける。彼が臆病だからである。にんじんは、その時まづ、一人でゐることの快樂を味ふのだ。彼は暗闇の中でいろんなことを考へるのが好きである。一日中の事を思ひ出してみる。幾度となく、危いところを助かつてよかつた。明日もやつぱり運がいゝやうに。彼は、二日續けて、母親が自分の方に注意を向けてくれなければいゝがと思ふ。さういふ空想をしながら、彼は眠りに就かうとする。[やぶちゃん注:「燐寸」言わずもがなだが、「マツチ」(マッチ)である。]

 と、眼をつぶるかつぶらないうちに、彼はまた例の張りつめて來るやうな氣持を感じ出す。

 ――やつぱり仕方がない。

 心の中で、にんじんは呟く。

 誰でも、普通なら起きるところだ。しかし、にんじんは、寢臺の下に、小便壺が置いてないことを知つてゐる。ルピツク夫人が、どんなに、そんな筈はないと頑張つても、彼女は、何時も、それを持つて來て置くのを忘れるのである。それに第一、壺があつたつて、なんの役にも立たないわけである。どうせ、にんじんは寢る前に用心をするんだから。

 で、にんじんは、起きるかはりに、理窟をこねる。

 ――晚かれ早かれ、降參しなければなるまい。ところが、我慢をすればするほど、溜るわけだ。今すぐやつちまへば、ぽつちりしか出ないんだ。すると、敷布が濡れても、からだのぬくもりで、乾くのに手間はかゝらない。これ迄の經驗で、さうすりやきつと、母さんに見つからずに濟むだらう。

 にんじんは、ほつとする。悠々と眼を閉ぢる。そして、ぐつすり眠り込んでしまふのである。

 

        

 

 遽かに、彼は眼を覺ます。そして、下腹の加減はどうかと耳を澄ましてみる。[やぶちゃん注:「遽かに」「にはかに」。「下腹」「したつぱら」と訓じておく。]

 ――やあ、こいつあ、怪しいぞ――

 さつきは、大丈夫だと思つた。話がうますぎた。昨晚(ゆふべ)、橫着をしたのがわるかつたのだ。天罰覿面である。

 彼は寢床の上に坐り、思案してみる。戶には鍵がかゝつてゐる。窓には鐵格子がはまつてゐる。外に出るわけに行かない。

 それでも、彼は起ち上がつて、戶と、窓の鐵格子にさわつて見る。それから床(ゆか)の上に腹這ひになり、兩手を寢臺の下に突つ込んで櫂のやうに動かす。無いことがわかつてゐる壺を探して見るのである。

 彼は寢床にはひる。そして、また起きる。眠るよりも、からだをゆすぶるか、步き廻るか、地團太を踏む方がいゝ。兩方の握り拳で、突つ張つてくる腹を抑へる。

 「母さん! 母さん!」

 聞えては困ると思ふので、力の拔けたやうな聲を出す。なぜなら、若し、ルピツク夫人が此處へ姿を現はさうものなら、にんじんは、けろりとなほつてしまひ、丸で彼女を馬鹿にしてるとしか思へないからである。明日になつて、呼んだと云ふことが噓をつくことにならなければ、それでいゝのである。

 それに、聲を立てると云つても、聲の立てやうがないではないか。全身の力は、悉く、禍(わざわひ[やぶちゃん注:ママ。])を延ばす爲めに使ひ盡してゐる。

 やがて、極度の苦痛が襲つて來て、にんじんは、踊りはじめる。壁にぶつかつて行く。それから、跳ね上る。寢臺の鐵具(かなぐ)にぶつかる。椅子にぶつかる。煖爐にぶつかる。そこで彼は、勢よく腹掛けをまくり上げる。そして、からだを捻ぢ曲げ、兜を脫いで、絕對の幸福に浸(ひた)りながら、煖爐の薪臺(たきゞだい)の上へ、全身を、根こそぎ、叩きつける。

 部屋の暗さが度を增して來る。

[やぶちゃん注:この終りから一つ前の段落中の「勢よく腹掛けをまくり上げる。」は誤訳である。原文の相当箇所は“dont il lève violemment le tablier”で、一見すると、「前掛け(寝具の所謂、「上っ張り」)を(もう我慢の極みを越えて)慌ただしく持ち上げる」の意味で、おかしくないように見えるのだが、実は、この“tablier”(音写「タブリュエ」)という名詞がとんだクセ者で、これには、前に訳した「前掛け・エプロン・上つ張り」を第一義とするものの、実は、この後のシークエンスにより相応しい「暖炉の前に下げて置いて室内からの風をある程度まで防いで調節するための鉄製の仕切り板(ばん)」の意があるのである。岸田氏も後にそれに気づかれて、戦後版では、『焚口(たきぐち)の仕切り戸を開(あ)ける。』と改訳しておられる。無論、私の所持する他者の訳でも、その「仕切り板」「開閉板」として訳しておられる。

 

        

 

 にんじんは、やつと朝がた、眠りに就いた。そして、寢坊をしてゐる。ルピツク夫人は戶を開けると、さも、どつちを向いていても鼻は利くと云ふやうに、顏をしかめながら云ふ――

 「なんて變な臭ひだい」

 「母さん、お早う」

と、にんじんは云ふ。

 ルピツク夫人は、敷布を引きずり出す。部屋の隅々を嗅いで廻る。見附けるのに雜作はない。

 「僕、病氣だつたの。それに壺がないんだもの」

 にんじんは、急いでかう云ふ。それが一番都合のいゝ辯解だと思つたからである。

 「噓つき! 噓つき!」

 ルピツク夫人はかう云ひながら何處かへ出て行く。やがて壺を匿して持つて來る。それを、手早く寢臺の下に押し込む。立つてゐるにんじんを突き倒す。家ぢうのものを呼ぶ。それから大聲で云ふ――

 「こんな子供をもつなんて、一體、何の因果だらう・・・」

 それから、今度は、雜巾とバケツとを持つて來る。火でも消すやうに煖爐へ水をかける。寢具をふるふ。そして、忙しさうに、訴へるやうに――

 「息がつまる、息がつまる」

と云ふのである。

 それから、また、にんじんの鼻先で、科(しぐさ)たつぷりの文句を並べる――

 「情ない子だね! まるで無神經だ。いよいよ當り前ぢやなくなつて來た! これぢや、畜生とおんなじだ! 畜生だつて、壺をやつとけば、その使ひ方ぐらゐわかる。それにお前どうさ。するにも事をかいて、煖爐の中なんぞへ、だらしがない・・・。あたしや、もう、お前のお蔭で頭が變になるよ。それこそ、氣が狂つて死んぢまふから、氣が狂つて・・・!」

 にんじんは、シヤツ一枚で、素足のまゝ、壺を見つめてゐる。夜中には、この壺はなかつた。それに、今になつて、そこの、寢臺の脚もとに壺がある。この空つぽの、白い壺を見てゐると、彼は眼が眩む。それでもまだ、そんなものはなかつたなんて云ひ張ると、今度は圖々しい奴だと云ふことになるのである。

 家(うち)のものが、やれやれといふ顏をしてゐる。口の惡い近所の奴等が列を作つてゐる。郵便屋まで來てゐる。さういふ連中が、うるさくいろんなことを問ひかけるので、たうとう――[やぶちゃん注:「家」戦後版では『うち』とルビする。私もそれを採る。]

 「噓だつたら首をやる」――かう、壺の上に眼を注ぎながら、にんじんは答へる――

 「僕あ、もう知らないよ。勝手にしろい」

 

[やぶちゃん注:「壺」本篇の原題も“le pot”であるが(料理のポトフ“pot-au-feu”の「ポ」である。“feu”私のHPでお分かりのように「火」、だから、「ポトフ」とは「火にかけた壺・鍋」の意味)、ここは勿論、“pot de chambre”(寢室の壺)で、「おまる・尿甁(しびん)」のことである。日本ではある種、幼児や病者の用具として、ネガティヴな印象だが、フランスの“pot de chambre”は、これ、結構、カラフルで、また、結婚式の披露宴に纏わる驚天動地のエグい風習(「フランス おまる 結婚式」のフレーズでネツト検索をかけてごらんなさい!)に用いられたりもするのである。個人的には、初めて読む若い読者のためには、私は岸田氏の「壺」がネタバレにならなくてよいと思う。

「母さん! 母さん!」「聞えては困ると思ふので、力の拔けたやうな聲を出す。なぜなら、若し、ルピツク夫人が此處へ姿を現はさうものなら、にんじんは、けろりとなほつてしまひ、丸で彼女を馬鹿にしてるとしか思へないからである。明日になつて、呼んだと云ふことが噓をつくことにならなければ、それでいゝのである。」という「二」章のそれが、切ない! 限りなく――切ない! こんなことが……私の少年期の私の母へのアンビバレンツな感情として――確かに――あったからである。

「あたしや、もう、お前のお蔭で頭が變になるよ。それこそ、氣が狂つて死んぢまふから、氣が狂つて・・・!」既に述べた通り、モデルであるルナールの母アンヌ=ローザ・ルナール(Anne-Rosa Renard)夫人は、一九〇九年八月五日、家の井戸で溺死した。『事故かあるいは自殺。――ルナールは書いている《…事故だと私は思う》(八月十日、エドモン・エセー宛て書簡)』(所持する臨川書店全集の年譜より引用)。

 

 

   *   *   *

 

 

    Le Pot

 

     I

 

   Comme il lui est arrivé déjà plus d’un malheur au lit, Poil de Carotte a bien soin de prendre ses précautions chaque soir. En été, c’est facile. À neuf heures, quand madame Lepic l’envoie se coucher, Poil de Carotte fait volontiers un tour dehors ; et il passe une nuit tranquille.

   L’hiver, la promenade devient une corvée. Il a beau prendre, dès que la nuit tombe et qu’il ferme les poules, une première précaution, il ne peut espérer qu’elle suffira jusqu’au lendemain matin. On dîne, on veille, neuf heures sonnent, il y a longtemps que c’est la nuit, et la nuit va durer encore une éternité. Il faut que Poil de Carotte prenne une deuxième précaution.

   Et ce soir, comme tous les soirs, il s’interroge :

   Ai-je envie ? se dit-il ; n’ai-je pas envie ?

   D’ordinaire il se répond « oui », soit que, sincèrement, il ne puisse reculer, soit que la lune l’encourage par son éclat. Quelquefois M. Lepic et grand frère Félix lui donnent l’exemple. D’ailleurs la nécessité ne l’oblige pas toujours à s’éloigner de la maison, jusqu’au fossé de la rue, presque en pleine campagne. Le plus souvent il s’arrête au bas de l’escalier ; c’est selon.

   Mais, ce soir, la pluie crible les carreaux, le vent a éteint les étoiles et les noyers ragent dans les prés.

   Ça se trouve bien, conclut Poil de Carotte, après avoir délibéré sans hâte, je n’ai pas envie.

   Il dit bonsoir à tout le monde, allume une bougie, et gagne au fond du corridor, à droite, sa chambre nue et solitaire. Il se déshabille, se couche et attend la visite de madame Lepic. Elle le borde serré, d’un unique renfoncement, et souffle la bougie. Elle lui laisse la bougie et ne lui laisse point d’allumettes. Et elle l’enferme à clef parce qu’il est peureux. Poil de Carotte goûte d’abord le plaisir d’être seul. Il se plaît à songer dans les ténèbres. Il repasse sa journée, se félicite de l’avoir fréquemment échappé belle, et compte, pour demain, sur une chance égale. Il se flatte que, deux jours de suite, madame Lepic ne fera pas attention à lui, et il essaie de s’endormir avec ce rêve.

   À peine a-t-il fermé les yeux qu’il éprouve un malaise connu.

   C’était inévitable, se dit Poil de Carotte.

   Un autre se lèverait. Mais Poil de Carotte sait qu’il n’y a pas de pot sous le lit. Quoique madame Lepic puisse jurer le contraire, elle oublie toujours d’en mettre un. D’ailleurs, à quoi bon ce pot, puisque Poil de Carotte prend ses précautions ?

   Et Poil de Carotte raisonne, au lieu de se lever.

   Tôt ou tard, il faudra que je cède, se dit-il. Or, plus je résiste, plus j’accumule. Mais si je fais pipi tout de suite, je ferai peu, et mes draps auront le temps de sécher à la chaleur de mon corps. Je suis sûr, par expérience, que maman n’y verra goutte.

   Poil de Carotte se soulage, referme ses yeux en toute sécurité et commence un bon somme.

 

     II

 

   Brusquement il s’éveille et écoute son ventre.

   Oh ! oh ! dit-il, ça se gâte !

   Tout à l’heure il se croyait quitte. C’était trop de veine. Il a péché par paresse hier soir. Sa vraie punition approche.

   Il s’assied sur son lit et tâche de réfléchir. La porte est fermée à clef. La fenêtre a des barreaux. Impossible de sortir.

   Pourtant il se lève et va tâter la porte et les barreaux de la fenêtre. Il rampe par terre et ses mains rament sous le lit à la recherche d’un pot qu’il sait absent.

   Il se couche et se lève encore. Il aime mieux remuer, marcher, trépigner que dormir et ses deux poings refoulent son ventre qui se dilate.

   Maman ! maman ! dit-il d’une voix molle, avec la crainte d’être entendu, car si madame Lepic surgissait, Poil de Carotte, guéri net, aurait l’air de se moquer d’elle. Il ne veut que pouvoir dire demain, sans mentir, qu’il appelait.

   Et comment crierait-il ? Toutes ses forces s’usent à retarder le désastre.

   Bientôt une douleur suprême met Poil de Carotte en danse. Il se cogne au mur et rebondit. Il se cogne au fer du lit. Il se cogne à la chaise, il se cogne à la cheminée, dont il lève violemment le tablier et il s’abat entre les chenets, tordu, vaincu, heureux d’un bonheur absolu.

   Le noir de la chambre s’épaissit.

 

     III

 

   Poil de Carotte ne s’est endormi qu’au petit jour, et il fait la grasse matinée, quand madame Lepic pousse la porte et grimace, comme si elle reniflait de travers.

   Quelle drôle d’odeur ! dit-elle.

   Bonjour, maman, dit Poil de Carotte.

   Madame Lepic arrache les draps, flaire les coins de la chambre et n’est pas longue à trouver.

   J’étais malade et il n’y avait pas de pot, se dépêche de dire Poil de Carotte, qui juge que c’est là son meilleur moyen de défense.

   Menteur ! menteur ! dit madame Lepic.

   Elle se sauve, rentre avec un pot qu’elle cache et qu’elle glisse prestement sous le lit, flanque Poil de Carotte debout, ameute la famille et s’écrie :

   Qu’est-ce que j’ai donc fait au Ciel pour avoir un enfant pareil ?

   Et tantôt elle apporte des torchons, un seau d’eau, elle inonde la cheminée comme si elle éteignait le feu, elle secoue la literie et elle demande de l’air ! de l’air ! affairée et plaintive.

   Et tantôt elle gesticule au nez de Poil de Carotte :

   Misérable ! tu perds donc le sens ! Te voilà donc dénaturé ! Tu vis donc comme les bêtes ! On donnerait un pot à une bête, qu’elle saurait s’en servir. Et toi, tu imagines de te vautrer dans les cheminées. Dieu m’est témoin que tu me rends imbécile, et que je mourrai folle, folle, folle !

   Poil de Carotte, en chemise et pieds nus, regarde le pot. Cette nuit il n’y avait pas de pot, et maintenant il y a un pot, là, au pied du lit. Ce pot vide et blanc l’aveugle, et s’il s’obstinait encore à ne rien voir, il aurait du toupet.

   Et, comme sa famille désolée, les voisins goguenards qui défilent, le facteur qui vient d’arriver, le tarabustent et le pressent de questions :

   Parole d’honneur ! répond enfin Poil de Carotte, les yeux sur le pot, moi je ne sais plus. Arrangez-vous.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「滝不動」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 滝不動【たきふどう】 〔譚海巻四〕紀州高野山奥の院山中に大滝と云ふ有り。常に人のいたらざる所なり。ある人山中に逗留せしに、けふはふしぎなる事を見せ申さんとて、院の僧侶伴ひて件の滝のもとに行きぬ。滝は高崖より落ちて幅三四。間も有り。その滝の半腹に向ひて谷に臨める大なる岩に坐せしめて後かの僧云く、壱心に光明真言を唱ふべし、真言ならではふしぎ有りがたしといひければ、同伴の者合掌して一心に神冗をとなふる事、半時ばかりありしに、この滝の水二つに分れて、その滝の石壁に不動尊をきざめる像ありありと拝まれたり。みなふしぎにおもふほどなく、また滝水合して一筋に落ちたり。かくてまたいよいよ真言を唱ふる間、また滝水わかれて尊像みえ給ふ。此の如くなる事三四度に及んで、今はとて下向しぬ。けふは天気よくてあざやかに拝まれ給ふなり、つねは霧ふかき所にして、たまさかにけふのごとく拝まるゝ事なりとかたりぬ。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之四 紀州高野山大瀧不動尊の事」を参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「宝の箱」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 宝の箱【たからのはこ】 〔梅翁随筆巻六〕このごろの事のよし、麻布<東京都港区内>辺に遠藤内記といふ欲ふかき神道者あり。祈禱をたのまれて行きけるが、その内のやうすを見るに、宮殿楼閣甍《いらか》をならべ、画《ゑ》にて見たる唐土《もろこし》の宮殿のごとく、終《つひ》に見馴れぬ家造りなり。爰に狂乱せしものありしを、只ひと祈りにて忽ち正気となりしかば、主人ふかく感悦して、一つの箱を携へて授けて云ふ。この品微少なりといへども、随分大切にもちなして崇敬し置くべし、長寿にして富貴こゝろのまゝなるべし、かならず箱のふたをひらく事なかれと、かたくいましめて渡しけり。斯くて我家へ帰りて見れば、大勢の居る様子。いかなる事やと尋ぬるに、歴々より御符貰ひ、あるひはおもひがけなき所より、謝礼として金銀巻もの山のごとくあつまりたり。跡よりも引続いて持ち来《きた》る。家内のものども余りの事ゆゑ、御こゝろ覚えありやと尋ねるに、今日よりは日々かくのごとく有るべきなり、この事いさゝか不審におもふべけれども、段々訳ある事なり、なんぢらはさてさて仕合せものなり、某《それがし》がかげをもつて安楽となるべしなど、髪をなでて大言して微笑し受納しけるが、後には家内のうちに置きあまり、次第に夜もふけ、みなみな草臥《くたぶ》れければ、跡より来《きた》る使《つかひ》は、先づ明日来《こ》らるべしと断りをいひかへして、種々の宝をつみ上げたる中に、家内一緒に臥したりける。夜あけてかの集りたる物をみれば、真《まこと》の宝はひとつもなく、古菰《ふるこも》・菰・鉄・瓦・木竹《きたけ/ぼくちく》の切はし・馬の沓《くつ》をはじめとして、種々無量の穢《けが》れたるものども山のごとく積みかさねたる、その中に臥し居《ゐ》たり。この事外聞悪《あ》しければとて、包みかくし掃溜《はきだめ》を持出し捨るやうに見せたり。さりながらあまりおびたゞしき事ゆゑ、近隣の人々不審して聞き出《いだ》しけるとぞ。この事誠しからぬ事といへども、またこれより先にも、これに類せし事を見聞きし事ありき。[やぶちゃん注:以下の改行段落成形はママ。本書では、ないわけではないが、珍しい。]

 宝暦のころ、表二番町に大岡吉之助といふ大御番あり。今新御番を勤むる大岡吉太郎が祖父なるべし。吉之助は宝暦二年部屋住《へやずみ》御番衆なり。また春田彦四郎といふは、その頃政八郎というて浅草千束村<東京都台東区千束>に住居《すまひ》せり。両人ともよし原の花に心とまりて、たえ間なく行き通ひし頃なりしが、或朝彦四郎かたへ吉之助来れり。例の如く後朝(きぬぎぬ)ならんと、すぐに居間へ通しけるに、吉之助衣類大小は勿論、面《おもて》も手足も泥に染《そ》み、空然として入り来《きた》るゆゑ、彦四郎大いに驚き、いかゞせしや、先づその姿は何事ぞと尋ぬれど、その答へはせで、さてさて夜分[やぶちゃん注:昨夜。]程おもしろき遊びはなかりし、同道なさで残り多し、これは跡の事にして、ゆるゆると咄すべし、甚だ空腹なり、何もなくて宜《よろ》し、茶漬をたまはれといふ。されども常ならぬ形相《ぎやうさう》ゆゑ、喧嘩にてもせしや、またはいたみ処はなきやと尋ぬれども、先づ先づ飯《めし》を出し給へ、跡にて昨夜の遊興山々咄すべし、その楽しみいはん方なしといふ。その容目(かたち)のうちなど常ならず。先づ先づのぞみにまかせ飯を出しければ、息をもつかず六七杯、のむやうに喰《く》ひをはる。やがて箸を置くかと見えしが、そのまゝたふれて正体もなく寝入りたり。いかさま狐狸に化されたるに九ららん七察しければ、夜著《よぎ》などかけて置きけるに、昼過ぐれども目も覚《さま》さず。ゆり起しければ、やうやう正気になりたる体《てい》ゆゑ、衣類大小などの事を申せしかば、大いにいぶかしく思ひながら、昨夜馴染の方《かた》へ行きて、種々の遊興を尽せしかば、忘れず面白かりし。それが夢か、今が夢か、さらに分兼《わかりかね》ぬるよしを申しける。この事をばその頃の相番《あひばん》は、皆々くはしく聞きたる事なりしとかや。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は『○寳の箱を授りし事』。しかし、確かに原本でも、『又是より先にも、是に類せし事を見聞し事ありき。』とあって、後半の話柄が続いているが、この標題の『○寳の箱を授りし事』とは、表示された題とは、狭義に於いては、何らの一致を見ない。狐狸に騙されたのであろうというだけでは、この後半を示すことは、羊頭狗肉の謗りを免れない。無駄であった。宵曲は、『この事誠しからぬ事といへども、またこれより先にも、これに類せし事を見聞きし事ありき。』以下、最後までをカットするべきであった。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大力の尼」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大力の尼【だいりきのあま】 〔譚海巻十二〕母の幼なかりしとき、向ひなる家に女子兄弟住むものあり。いづれの家中の娘にて有りけるか、浪人して住みわたるなり。姉は尼にて、妹は手習を女子どもにをしへ、世をわたる事なるに、この尼人折々むら気にて、ひとり言をいはるゝ時も有り。また常はものごしやさしく、うちむかひてかたらふときは、本性なる時、殊にうるはしく、なつかしき人なりしが、思ひかけず大ちからなる尼にて、それを知る人なかりしに、或時水をくみ入るゝ男、水がめの台をあしく置きたるよし、されど水をなかばくみ入れぬれば、いかがせんと妹の申しけるに、やがて姉あま立《たち》より、水くみの男をよびて、われこのかめをもてあげるまゝ、いふまゝになほしてよとて、水のたゝヘたるかめを、左右の手にて中(ちう)にもちあげ、台をなほさせければ、水くみの男おそるおそる台をなほしてにげ去りぬ。それをば母見たりしと物がたりなり。この尼うへさるべき方へ縁付きたりしが、夫のふるまひに腹たつ事ありて、やがて夫をうちふせて、大釜を引あげてかぶせつつさいなみければ、その兄弟聞き驚きて、あるまじき事とて、不縁に及びしかば、やがて親なる人の尼にせしより、かく妹の家に来居《きをり》たれども、折々本性のたがへる時は、妹をうちふせてさいなみける。力の強きまゝ妹なる人も殊にめいわくして、後々は別れ別れになりぬるとぞ。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷十二 狂人の尼勇力の事(フライング公開)」を公開しておいたので見られたい。]

譚海 卷之十二 狂人の尼勇力の事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]

 

 母のをさなかりしとき、向(むかひ)なる家に、女子(によし)兄弟[やぶちゃん注:ここは「姉妹」の意。]、住むものあり。いづれの家中の娘にて有(あり)けるか、浪人して、住みわたるなり。

 姊(あね)は尼にて、妹(いもと)は手習を女子(をんなこ)どもに、をしへ、世をわたる事なるに、此尼人(あまびと)、折々、むら氣(け)にて、ひとり言(ごと)をいはるゝ時も、有り。

 又、常は、ものごしやさしく、うちむかひて、かたらふときは、本性(ほんしやう)なる時、殊に、うるはしく、なつかしき人也しが、思ひかけず、大(だい)ぢからなる尼にて、夫(それ)を知る人、なかりしに、或時、水をくみ入るゝ男、水がめの臺を、あしく置きたるよし。

「されど、水を、なかば、くみ入(いれ)ぬれば、いかがせん。」

と、妹の申しけるに、やがて、姊あま、立(たち)より、水くみの男を、よびて、

「われ、このかめを、もてあげるまゝ、いふまゝに、なほしてよ。」

とて、水のたゝヘたるかめを、左右の手にて、中(ちゆう)にもちあげ、臺を、なほさせければ、水くみの男、おそるおそる、臺をなほして、にげ去りぬ。

 それをば、母、

「見たりし。」

と、物がたりなり。

 この尼うへ、さるべき方へ緣付きたりしが[やぶちゃん注:尼になる前の話である。]、夫(をつと)のふるまひに、腹たつ事ありて、やがて、夫を、うちふせて、大釜を引(ひき)あげて、かぶせつつ、さいなみければ、その兄弟[やぶちゃん注:ここは夫の実際の兄弟。]、聞き驚きて、

「あるまじき事。」

とて、不緣に及(および)しかば、やがて親なる人の、尼にせしより、かく、妹の家に居(をり)たれども、折々、本性のたがへる時は、妹を、うちふせて、さいなみける。力の强きまゝ、妹なる人も、殊にめいわくして、後々は、別れ別れになりぬるとぞ。

[やぶちゃん注:本譚海のルーティン電子化は未だ「卷五」の後半までだが、少なくとも、そこまでは、作者津村淙庵の個人的な親族を含む直(じ)き話(ばなし)は、まず、なかった。この「卷十二」には、しかし、そうした話柄が有意に見られる。その点で、今までの電子化注の特異点とは言える。なお、津村は京都生まれであるから、或いはこの話、江戸ではなく、京がロケーションか。この大力の尼、俗人であった時から、奇異な行動が突然出現するところからは、一種の脳内の細胞に発生する異常な神経活動に由来する癲癇発作をきたす神経疾患の持ち主であったかと思われる。数年前に故人となったが、私が小学校の頃、波状的な「いじめ」に合うのを、常に守って呉れた親友にSA君がいたが、彼は典型的な癲癇症であった(実は当時、彼のカウンセリングを担当していたのが、私の叔母であった。カウンセリングの最中でも私の名がよく出、その時は楽しそうに話したと、後年、聴いた)。突如、怪力を出して同級生の半グレ連中を、五、六人、投げ飛ばしたり、学校の高圧鉄塔にするすると攀じ登ったりした。何故か、私だけを「親友」と私に言い、「やぶ医者」と呼んでいた(私は小学生の時は医師になりたかった。一歳半から四歳半まで左肩関節結核性カリエスを患って、病院と医者は親しい憧れの存在だったからであろう)。私がいじめられているのを知ると、それ以降、毎日、下校は彼が一緒に帰ってくれた。病気のため、六年生の日光への修学旅行には彼だけが行けなかった。私がごくごく安い土産物屋の日光名所を描いた栞のセットを、彼の家を訪ねて、お土産にあげた。彼は、それを握って、彼が座ったまま、長く泣いていたのを、今も私は忘れられない……。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「尾籠ながら」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Birounagara

 

    尾籠ながら

 

 

 こんな話をしてもいゝだらうか。しなければならないだらうか。ほかの者が、心もからだも美白になつて、洗禮を受けようといふ年に、にんじんはまだ汚いところがあつた。ある晚は、いい出せずに我慢をしすぎたのである。

 からだをだんだん大きく捻つて、苦しい要求を抑へようと思つた。

 ちつと圖々しい量見だ!

 また、ある晚は、ちやんと、適當の距りを置いて、塀の角に陣取つてゐる夢を見た。その結果、なんにも知らずに、眠つたまゝ、敷布の中へしてしまつたのである。彼は眼をさました。

 自分のそばには、ある筈の塀がないので驚いた。

 ルピツク夫人は、怒るところを怒らない。穩(おだや)かに、寬大に、母親らしく、始末をしてやる。そればかりか、翌朝は、甘つたれた小僧のやうに、にんじんは、寢床を離れる前に食事をする。[やぶちゃん注:「怒る」は「おこる」と訓じておく。]

 さやう、寢床ヘスープを持つて來てくれるのである。それは、なかなか手のかゝつたスープで、ルピツク夫人が、木の箆でもつて、少しばかり例のものを溶かし込んだのである。なに、ほんの少しである。[やぶちゃん注:「箆」「へら」。]

 枕もとには、兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌが、陰險な顏附をしてにんじんを見張つてゐる。今にも、合圖さへあれば、大きな聲を立てゝ笑ふ用意をしてゐるのである。ルピツク夫人は、匙で少しづゝ、息子の口へ入れてやる。彼女は、橫目で、兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌに、かう云つてゐるらしい――

 「さ、いゝかい! 用意はできたね!」

 「ああ、いゝよ!」

 今からもう、二人は、そら、顰めつ面だと、面白がつてゐる。近所の人たちを招待できるものなら招待するところだつたに違ひない。さて、ルピツク夫人は、最後の眼くばせで、上の子供たちに問ひかける――[やぶちゃん注:「顰めつ面」「しかめつつら」。]

 「さ、いゝね!」

 ゆつくり、ゆつくり、最後の一と匙をあげる。それを、にんじんが大きく開けた口の中へ、喉の奧まで突つ込む。流し込む。押し込む。そして、嘲るやうに、顏をそむけながら、かういふ――

 「あゝ、汚ない。食べた、食べた。自分のだよ、おまけに・・・。昨夜(ゆうべ)のだよ」[やぶちゃん注:ルビの「ゆうべ」は誤りとは言えない。「夕べ」は古くは「ゆうへ」(「夕(ゆう)方(へ)」の意)と表記したからである。]

 「さうだらうと思つた」

かう、なんでもなく、にんじんは答へる。みんなが當てにしてゐたやうな顏附はしない。

 彼は、さういふことに慣れてゐる。或ることに慣れると、そのことはもう可笑しくもなんともない。

 

[やぶちゃん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。原標題の“Sauf votre Respect”は、この語はフランス語ごく普通に用いられる相手へ語りかける際の、特に謙遜めいて相手の言いに反論や注意をする際の見かけ上の謙辞で、「失礼だが」「憚りながら」と訳すのが、普通である(機械翻訳では「敬意を表して」とマンマで出るものもあるが)。「尾籠ながら」「おこ(癡・痴)」の発音に当てた漢字「尾籠」を音読みしたもので、一般に「礼儀を弁えないこと」・「恥ずべきこと」で訳に問題はないが、次いで「貧しいこと」、そして「話題として不適当なきたないこと・不潔であること」の意を持ち、現行では、私は最後の意味で用いることが多いように思われる。所謂、下半身に関わる汚ない内容を示唆することが殆んどであるということである。しかし、本篇はお読みになってお判りの通り、まさにその最後に示した狭義の意味で正しく「尾籠」なのである。臨川書院全集の佃裕文氏の訳も、この岸田氏を文字通り、「リスペクト」して『びろうな話』(下線は底本では傍点「﹅」)と訳されている。流石に、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」の訳では、「尾籠」が中学生には向かないからであろう、『失礼ながら』と訳しておられる。私は正直言うと、ルナールを始めて纏まって読んだ、倉田氏の訳の方が、いいと思う。「尾籠」の狭義の意を知ってしまっている大人や、題で躓いて調べた少年少女が、下ネタ話のことを「尾籠な話」と言うのだと知ってしまったなら、それは、標題でネタバレをしてしまうことに他ならないからである(そもそも「びろう」という語は「尾(尻)漏」という文字列を連想・想起させる厭な言葉で、私は六十六になる現在まで、自分で言葉として発したことも、日記に記したこともない)。私は倉田氏の訳で「にんじん」を読んで幸せ者だったと本気で思っているのである。

「洗禮を受けようといふ年」カトリツクでは、概ね、八歳以上の受洗を「成人洗礼」と言い、聖体拝受を受けることが出来る。

「さ、いゝね!」の部分の訳は、正確には、鍵括弧ではなく、二重鍵括弧で『さ、いゝね!』とすべきところである。直前に「さて、ルピツク夫人は、最後の眼くばせで、上の子供たちに問ひかける」とある通り、これはルピック夫人の無言のフェリックスとエルネスチーヌへの目配せの意味を示しているからである。 

「あゝ、汚ない。食べた、食べた。自分のだよ、おまけに・・・。昨夜(ゆうべ)のだよ」この部分、“Ah ! ma petite salissure, tu en as mangé, tu en as mangé, et de la tienne encore, de celle d’hier.”というのは、不全な訳である。この話者はルピック夫人で、それを概ね逐語しつつやや意訳するなら、

『あんれ! まあッ! あんたは私の小さな汚れものを、幾足りか飲んじまった、それにさ、あんたのそれも幾足りかね、しかも、さ、夕(ゆん)べの古いそれを、一緒にね。』

である。ルピック夫人は、昨夜の「にんじん」の「お漏らし」だけではなく、実に彼女自身がひった、恐らくは今朝(けさ)の小便をも、そのスープに仕込んだのである。流石に、この仕儀を岸田氏や倉田氏は、あまりに惨(むご)過ぎると感じられたものか、ルピック夫人の部分を訳してはいない。但し、一九九五年臨川書店刊の『全集』第三巻の「にんじん」で佃裕文氏は、正確に、

   《引用開始》』[やぶちゃん注:下線は原本では傍点「・」。]

「へへえ! 母さんのおしもを、おまえたべちゃったね、たべちゃったね。それに自分のやつもね、ゆうべのやつをね」

と訳しておられる。なお、古い民俗社会にあっては、罰や虐待のニュアンスではなく、夜尿症の子に、その尿を飲ませることで治すといった民間治療法があることは、私自身、聴いたことや、読んだことがある。佃氏の巻末の後注にも、『これは当時のフランス、ことに田舎では、たとえば病気のときなどこれを直すためというので大小便を飲んだりすることは、かならずしも珍しいことではなかつた。』とされ、さらにルナールの他作品(「怪鳥」の中の「訪問」の部分。当該全集第四巻所収)に『家畜の小便を飲むケースがあげられている』と記されている。……しかし……そうは言つても、これは、余りも――肉親によって行われた凄絶な惨い「いじめ」=虐待以外の――何ものでもない――。しかし、それに対して、「にんじん」平然と「さうだらうと思つた」と言い放ち、「みんなが當てにしてゐたやうな顏附はしない」し、「彼は、さういふことに慣れてゐる。或ることに慣れると、そのことはもう可笑しくもなんともない。」と心象を語る時、その心傷(トラウマ)の、計り知れない深さにこそ、読者は戦慄に似たものを感ずるであろう。少なくとも、小学生低学年の頃、毎日のように半グレの同級生から「いじめ」を受けてきた経験のある私には、その心の――「諦めて居直った内心の闇」が――よく判るのである――。

 

 

   *

 

 

    Sauf votre Respect

 

   Peut-on, doit-on le dire ? Poil de Carotte, à l’âge où les autres communient, blancs de coeur et de corps, est resté malpropre. Une nuit, il a trop attendu, n’osant demander.

   Il espérait, au moyen de tortillements gradués, calmer le malaise.

   Quelle prétention !

   Une autre nuit, il s’est rêvé commodément installé contre une borne, à l’écart, puis il a fait dans ses draps, tout innocent, bien endormi. Il s’éveille.

   Pas plus de borne près de lui qu’à son étonnement !

   Madame Lepic se garde de s’emporter. Elle nettoie, calme, indulgente, maternelle. Et même, le lendemain matin, comme un enfant gâté, Poil de Carotte déjeune avant de se lever.

   Oui, on lui apporte sa soupe au lit, une soupe soignée, où madame Lepic, avec une palette de bois, en a délayé un peu, oh ! très peu.

   À son chevet, grand frère Félix et soeur Ernestine observent Poil de Carotte d’un air sournois, prêts à éclater de rire au premier signal. Madame Lepic, petite cuillerée par petite cuillerée, donne la becquée à son enfant. Du coin de l’oeil, elle semble dire à grand frère Félix et à soeur Ernestine :

   Attention ! préparez-vous !

   Oui, maman.

   Par avance, ils s’amusent des grimaces futures. On aurait dû inviter quelques voisins. Enfin, madame Lepic, avec un dernier regard aux aînés comme pour leur demander :

   Y êtes-vous ?

lève lentement, lentement la dernière cuillerée, l’enfonce jusqu’à la gorge, dans la bouche grande ouverte de Poil de Carotte, le bourre, le gave, et lui dit, à la fois goguenarde et dégoûtée :

   Ah ! ma petite salissure, tu en as mangé, tu en as mangé, et de la tienne encore, de celle d’hier.

   Je m’en doutais, répond simplement Poil de Carotte, sans faire la figure espérée.

   Il s’y habitue, et quand on s’habitue à une chose, elle finit par n’être plus drôle du tout.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「惡夢」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Akumu

 

     惡 夢

 

 

 にんじんは泊り客が嫌ひである。部屋を追ひ出され、寢臺を占領され、そして、母親と一緖に寢なければならないからである。ところで、若し彼が、晝間あらゆる缺點を備へてゐるとすれば、夜は夜で、とりわけ、鼾をかくという缺點をもつてゐる。わざと鼾をかくんだとしか思へない。

 八月でさえ冷えびえする廣い部屋に、寢臺が二つ置いてある。一つはルピツク氏ので、もう一つの方へは、にんじんが母親と並んで、壁に近い奧のほうに寢ることになるのである。

 眠る前に、彼は掛布團をかぶつて、こんこん咳をする。喉を掃除するためである。しかし、鼾をかくのは、ことによると、鼻かもしれない。そこで、鼻の孔がつまつてゐないかどうか、そつと鼻から息を出して見る。それから、あんまり大きく呼吸をしない練習をする。

 それにも拘はらず、彼は、眠つたかと思ふと、もう鼾をかいてゐる。こればかりはどうしても止(や)められないとみえる。

 すると、ルピツク夫人は、彼の尻つぺたの一番肉附きのよさゝうなところを、爪で、血の出るほどつねる。彼女は、この方法に限ると思つてゐる。

 にんじんの悲鳴で、ルピツク氏はにはかに眼を覺ます。そして、かう尋ねる――

 「奴、どうしたんだ?」

 「夢でうなされてゐるんですよ」

と、ルピツク夫人は答へる。

 それから、彼女は、乳母がやるやうに、子守歌のひと節を口の中で唄ふ。これは印度の節らしい。

 にんじんは壁に額と臑(すね)とを押しつける。壁を突き破らんばかりに押しつける。兩手で尻つぺたを隱す。鳴動が始まると同時に襲來する爪の鋒先を防ぐためである。かうして、彼は、大きな寢臺の中で、再び眠りに就くのである――母親と並んで奧の方に寢る、その大きな寢臺の中で。

 

[やぶちゃん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。第三段落の「呼吸」は戦後版では『いき』とルビされる。ここもそう読みたい。]

 

 

 

 

    Le Cauchemar

 

   Poil de Carotte n’aime pas les amis de la maison. Ils le dérangent, lui prennent son lit et l’obligent à coucher avec sa mère. Or, si le jour il possède tous les défauts, la nuit il a principalement celui de ronfler. Il ronfle exprès, sans aucun doute.

   La grande chambre, glaciale même en août, contient deux lits. L’un est celui de M. Lepic, et dans l’autre Poil de Carotte va reposer, à côté de sa mère, au fond.

   Avant de s’endormir, il toussote sous le drap, pour déblayer sa gorge. Mais peut-être ronfle-t-il du nez ? Il fait souffler en douceur ses narines afin de s’assurer qu’elles ne sont pas bouchées. Il s’exerce à ne point respirer trop fort.

   Mais dès qu’il dort, il ronfle. C’est comme une passion.

   Aussitôt madame Lepic lui entre deux ongles, jusqu’au sang, dans le plus gras d’une fesse. Elle a fait choix de ce moyen.

   Le cri de Poil de Carotte réveille brusquement M. Lepic, qui demande :

   Qu’est-ce que tu as ?

   Il a le cauchemar, dit madame Lepic.

   Et elle chantonne, à la manière des nourrices, un air berceur qui semble indien.

   Du front, des genoux poussant le mur, comme s’il voulait l’abattre, les mains plaquées sur ses fesses pour parer le pinçon qui va venir au premier appel des vibrations sonores, Poil de Carotte se rendort dans le grand lit où il repose, à côté de sa mère, au fond.

 

2023/11/24

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大力」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大力【だいりき】 〔落栗物語後編〕近衛応山公は和歌道に誉れあり。その上能書の名世に聞えて、やんごとなき人におはせしが、その力の強きことは知る人なかりけり。或時里庭[やぶちゃん注:読みは「さとには」か「りてい」か不明。自然な里山を模した庭か。]を作らせ給ひしに、人多く参りて、こゝかしこ石どもを引散らし、しばし打休みたる間に、大なる石の八九人が力にもたやすくは動かしがたきほどなるを、はるか向うの透垣《すいがい》の際にもて行きてありしかば、誰かせしぞと問へども、しる者なかりき。また或時侍一人供して、真菅《ますげ》の笠をまぶかに著《つけ》つゝ、物へおはせしに、そのあたりを守る雑色《ざふしき》どもの怪しみて、鉄杖《てつじやう》にて打たんとしけるを、やがて引取《ひきとつ》て、雑色が首をまとひ、桶なんどに輪を入れたるやうにして立帰らせ給ひしを、とかくしてぬかんとすれども叶はず。せんすべなくして在りし程に、この事隠れなくて、或公達《きんだち》の殿にかくと物語りせられしかば、聞《きこ》し召して、何者の仕業にや、便(びん)なき態かな、その者召せとて、やがて御前にすゑ、かなつえの左右の端を取《とつ》て、きりきりとねぢ戻し給ひしかば、事もなく解けけるにぞ、人々大いに驚きぬ。扨こそさきの殿の戯れにし給へることならんと申しける。 〔窓のすさみ〕高木右馬介《たかぎうまのすけ》、初めは美作国に中小姓やうの体《てい》にて仕へけり。忠政朝臣野がけに出でられしが、道に川ありて、雨後《うご》にて水強く出《いで》て渡りがたし、道を替へんとすれば程遠し、如何とありし時、右馬介進み出て、某《それがし》御馬をば渡し候はんとて、朝臣乗られたる馬の四足を差上げて、安々と渡りければ、甚だ賞せられ、五百石を与へられしが、後に家中にまた剛力《がうりき》の士ありければ、腕押をさせられしに、右馬介はやすく思ひて押しあひ、終に勝ちけれども、右の指二本地へつきければ、甚だ無興《ぶきやう》せられ、終に暇《いとま》を給はりて京に住みける。祗園祭にやありけん、見物に出でけるが、雑仕《ざつし》[やぶちゃん注:ここは、宮中や公家・武家などで雑役を勤める男。]と争ひ出来《いでき》て、鉄棒《かなぼう》をひらめかしければ、そのまゝ奪ひ取り、鉄棒をひきまげ、領(えり)を廻し、前にて二つ三つより合せて帰りける。これを放し取らんとするに、仕かたなし。与力の士云ふやう、如ㇾ此の業《わざ》何者かせん、定めて右馬介なるべし、われ謀(はかりごと)にて彼に解(とか)せんとて、高木が許に往きて、何者にかあらん、この事なしたり、足下《そこもと》ならではこれを頼むべき様なし、御出ありて解き給はり候ヘと云ひしかば、心得候とてすなはち来り、本の如くにほどきてけると、作州出の士語りしとぞ。 〔甲子夜話巻五十四〕安部川の下前浜辺に萩原と云ふ処あり。こゝに古百姓あり。その先祖に大力ありて、神君<徳川家康>御在城のとき、御成の途中にて荷附け牛を両手にて抱へ、道脇に除(の)き居《をり》し故に、上意に何者か尋ね見よとあるに付き、何村の某と申上候へば、珍しき力なり、何ぞ望みあらば取らすべしとなり。その頃は家富み居しゆゑ、望みとてはなし、何卒四つ柱の門を建てたくと願ひ候へば、御免を蒙る。又その余に望はと上意あるに、苗字を称し家紋に日丸(ひのまる)をつけたしと申上候へば、それも御免にて、今に四足門を建て居るとぞ。併し昔より門明放しにて戸は無きよし。当時はこの家貧窮せしとなり。また昔其所に土手を築きたり。それを今は萩原土手と称し、その家も萩原と呼ぶ由。(菊庵所聞)

[やぶちゃん注:第一話の「落栗物語」は豊臣時代から江戸後期にかけての見聞・逸話を集めた大炊御門家の家士侍松井成教(?~天明六(一七八六)年)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『百家隨筆』第一 (大正六(一九一七)年国書刊行会刊)のこちらで当該部が正字表現で視認出来る(左ページ下段三行目以降)。

「近衛応山」江戸前期の公卿近衛信尋(のぶひろ 慶長四(一五九九)年~慶安二(一六四九)年)。後陽成天皇の第四皇子で近衛信尹(のぶただ)の養子となった。左大臣を経て、元和(げんな)九(一六二三)年に関白・氏長者となった。書は養父信尹の三藐院(さんみゃくいん)流を能くし、茶の湯を古田織部に学び、沢庵宗彭らと交流した。連歌では「梧」の一字名を用い、佳作が多い。宮中の学芸文化面で活躍した人物である。応山は法名。日記に「本源自性院記」(ほんげんじしょういんき)がある。

「雑色」近世のそれは「四座雑色」と称、五十嵐・松村・松尾・荻野の四氏(上雑色)が分掌して京都所司代に属し、京都の行政・警察・司法の業務を補佐した半官半民的な役人組織。上雑色の下に、下雑色・見座・中座・穢多・非人が属した。

   *

第二話の「窓のすさみ」は松崎尭臣(ぎょうしん 天和(てんな)二(一六八二)年~宝暦三(一七五三)年:江戸中期の儒者。丹波篠山(ささやま)藩家老。中野撝謙(ぎけん)・伊藤東涯に学び、荻生徂徠門の太宰春台らと親交があった。別号に白圭(はっけい)・観瀾)の随筆(伝本によって巻冊数は異なる)。国立国会図書館デジタルコレクションの「有朋堂文庫」(昭和二年刊)の当該本文で正規表現で視認出来る。同書の「目錄」によれば、標題は『高木右馬介』。幾つか、ルビがあるのを参考にした。

「高木右馬介」江戸前・中期の武術家高木右馬助(明暦二(一六五六)年~延享三(一七四六)年:享年九十一)。元は美作津山藩士。十六歳で高木折右衛門より高木流体術の極意を受け、後、竹内流を学んで、「高木流体術腰回り」を創始した。自らの号をとって「格外流」とも称した。後に浪人し、美濃に住んだ。名は「馬之助」「右馬之助」「馬之輔」などとも。本名は重貞。

   *

第三話は、事前に『フライング単発 甲子夜話卷五十四「駿州雜記」上の中の一条』として正字表現で公開しておいた。]

フライング単発 甲子夜話卷五十四「駿州雜記」上の中の一条

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。同五十四巻は全体が、松浦静山の親しい同姓の人物が、文政六(一八二三)年に駿府城の加番を命ぜられて参ることとなった折り、その人物に、静山が、神君家康公の駿府ならではの『古今の異聞』があるであろうから、それを見聞して書信で送るように頼んだものを纏めた「駿州雜記」の上である。相当する一条のみを以下に示す。則ち、ここは、原話は静山の筆になるものではなく、書信で書かれたものを、静山が整理したものであるからして、句読点の変更・追加と一部の記号、及び、読みのみを加えたベタとした。

 

●阿部川[やぶちゃん注:ママ。安倍川。]の下(しも)前濱(まへはま)邊(へん)に「萩原」と云(いふ)處あり。こゝに古百姓あり。其先祖に大力(だいりき)ありて、神君御在城のとき、御成(おなり)の途中にて荷附け牛を、兩手にて抱(だきかか)へ、道脇に除(の)き居(をり)し故に、上意に、「何者か、尋ね見よ。」とあるに付(つき)、「何村の某(なにがし)。」と申上候得(さふらえ)ば、「珍しき力なり。何ぞ、望みあらば、取らすべし。」となり。其頃は、家、冨み居(をり)しゆゑ、「望(のぞみ)とては、なし。何卒(なにとぞ)、四つ柱の門を建度(たてた)く。」と願ひ候へば、蒙御免(ごめんをかうむる)[やぶちゃん注:許諾を与えた。]。又、「其餘に、望は。」と上意あるに、「苗字を稱し、家紋に『日丸(ひのまる)』をつけ度(たく)。」と申上候得ば、夫(それ)も御免にて、今に、四足門(よつあしもん)を建て居(を)るとぞ。倂(しか)し、昔より、門、明放(あけはなし)にて、戶は無きよし。當時は、この家、貧窮せし、となり。又、昔、其所(そこ)に土手を築(きづき)たり。夫を、今は、「萩原土手」と稱し、其家も「萩原」と呼ぶ由。(菊庵、所聞(きくところ)。)

■やぶちゃんの呟き

「阿部川の下前濱邊に萩原と云處あり」「萩原」の地名は現認出来ないが、「ひなたGIS」の戦前の地図で、安倍川河口の左岸の海岸に『濱村』という村名を見出せるので、ここを有力候補としておく。

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「犬」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

 

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 ルピツク氏と姉のエルネスチイヌは、ランプの下で、肱をついて、一人は新聞を一人は賞與の本を讀んでゐる。ルピツク夫人は編物をし、兄貴のフエリツクスは暖爐で兩脚をあぶつてゐる。それから、にんじんは、床の上に坐つて、何か考っへ事をしてゐる。

 だしぬけに、靴拭ひの下で眠つてゐたピラムが、ごろごろ喉を鳴らしだす。

 「しツ!」と、ルピツク氏が云つた。

 ピラムは、一段と聲を張り上げる。

 「馬鹿!」と、ルピツク夫人は云ふ。

 が、ピラムは、それこそ、みんなが飛び上るほど猛烈な聲で吠える。ルピツク夫人は心臟へ手をあてる。ルピツク氏は、齒を喰ひしばつて、橫目で犬を睨む。兄貴のフエリツクスは怒鳴りつける。もう、お互の云ふことすら耳にはひらない。

 「默らないかい、しようがない犬だね。お默りツたら、畜生!」

 ピラムは益々調子を上げる。ルピツク夫人は手の平でぶつ。ルピツク氏は新聞で擲る。それから、足で蹴る。ピラムは、毆られるのが怖さに、腹を床にすりつけ、鼻を下に向け、やたらに吠える。見てゐると、まるで氣が狂つて、自分の口を靴拭ひにぶつけ、聲を微塵に叩き割つてゐるとしか思へない。[やぶちゃん注:「擲る」「毆られる」孰れも戦後版では「なぐる」、「なぐられる」とルビを振る。]

 ルピツク一家はかんかんに怒る。みんな總だちになり、一方腹ばいになつたまゝ、頑として云ふことをきかない犬に剛を煮やす。[やぶちゃん注:「剛を煮やす」はママ。通常ならば、「業を煮やす」で、歴史的仮名遣では「ごふをにやす」となる。この表記では「剛」は「がう」となるが、この表記は意味として明らかな誤字である。戦後版では、正しく『業を煮やす』となっている。]

 窓硝子が軋(きし)む。煖爐の煙突が音を立てる。姉のエルネスチイヌまでが金切聲をしぼる。

 にんじんは、云ひつけられもしないのに、外の樣子を見に行つた。たぶん退(ひ)けのおそい驛員が表を通るのだらう。それも、ゆつくり自分の家に歸つて行く途中に違ひない。まさか泥坊をしに庭の塀を攣登(よぢのぼ)つてゐるのではあるまい。

 にんじんは、暗い、長い廊下を、兩手を戶の方につき出して、步いて行く。閂(かんぬき)を探り、がたがた音を立てて、引つぱつてみる。然し、戶は開けない。

 昔なら、危險を冐してでも外に出て、口笛を吹いたり、歌を唱つたり、足を踏みならしたりして、盛んに相手を脅さうとしたものだ。[やぶちゃん注:「脅さう」「おどさう」「おびやかさう」の二様に読めるが、戦後版では『威(おど)かそう』としているので、前者で採っておく。]

 近頃は、要領がいゝ。

 兩親は、彼が勇敢に隅から隅を探り、忠實な番人として、屋敷のまわりを見廻つてゐるものと思つてゐる。ところが、それは大間違ひである。彼は戶のうしろに身を寄せて、ぢつとしてゐるのである。

 いつかは思い知ることがあるだらう。しかし、もう餘程前から彼の計略が圖にあたつてゐる。

 心配なのは、嚔(くさめ)と咳をすることだ。彼は息をころす。そして、目をあげると、戶の上の小さな窓から、星が三つ四つ見える。澄み切つた煌きが、彼を縮み上らせる。[やぶちゃん注:「煌」星のそれであるから、「きらめき」或いは「かがやき」であろうが、戦後版ではこの最後の一文は『冴(さ)え渡った煌(きらめ)きに、彼は竦(すく)みあがる。』と大きく訳を改訂しているので、まず「きらめき」であろうと採っておく。]

 さて、戾つてもいゝ時間だ。お芝居に暇をかけ過ぎてはよくない。怪しいと思はれたらそれまでだ。

 再び、か細い手で、重い閂をゆすぶる。門は錆びついた鎹(かすがい)の中で軋(きし)む。それから、そいつを溝の奧まで騷々(そうぞう)しく押し込む。この物音で、みなの者は、彼が遠いところから歸つて來たのだな、もう務(つと)めをすませたのだなと思う! 背中の眞中(まんなか)が擽(くすぐ)つたいような氣持で、彼は、みんなを安心させに飛んで行く。[やぶちゃん注:「閂」は「かんぬき」。「鎹は「かすがひ」(現代仮名遣「かすがい」)。]

 ところで、やつとこさ、ピラムは、彼の留守の間に默つてしまつたので、安心したルピツク一家は、また、めいめい、きまりの場所に着いてゐた。で、誰も尋ねもしないのに、にんじんは、ともかく、いつもの通りに云ふ――

 「犬が寢とぼけたんだよ」

 

 [やぶちゃん注:本章の題名は“ C'est le Chien ”で、「これが犬だ」「犬は所詮こげなもの」といつた謂いであるが、これは綴りから見ても、“ C'est le Vie ”(「セ・ラ・ヴィ」/「人生なんてこんなもんさ」「何とかなるさ」)というフランス語の常套句に引つ掛けた洒落ではなかろうか。

「犬」父ルピック氏の趣味から猟犬であろう。フランスのブルターニュ地方原産の中型の鳥猟犬「ブリタニー・スパニエル」(英語:Brittany Spaniel)が知られ、フランス語では「エパニュール・ブルトン」(Epagneul Breton)とするのが、相応しいか。

「賞與の本」原作は“livre de prix”で、文字通りなのだが、やや意味が判りにくい訳である。これはエルネスチイヌが学校等で成績や無遅刻無欠席・善行といつた理由で表彰され、その「賞與」=褒美・副賞品として貰つた本のことを指すと思われる。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」では『賞品の本』、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻では『優等の賞品に貰つた本』と訳しておられる(因みに、佃氏はこの一篇の標題を『犬の夢』と訳しておられる。これは本篇の最後の「にんじん」の台詞に基づくのだが、私が前注で述べたニュアンスをも含んでいるように感じられて面白い)。]

 

 

   *

 

    C’est le Chien


   Lepic et soeur Ernestine, accoudés sous la lampe, lisent, l’un le journal, l’autre son livre de prix ; madame Lepic tricote, grand frère Félix grille ses jambes au feu et Poil de Carotte par terre se rappelle des choses.

   Tout à coup Pyrame, qui dort sous le paillasson, pousse un grognement sourd.

   – Chtt ! fait M. Lepic.

   Pyrame grogne plus fort.

   – Imbécile ! dit madame Lepic.

   Mais Pyrame aboie avec une telle brusquerie que chacun sursaute. Madame Lepic porte la main à son coeur. M. Lepic regarde le chien de travers, les dents serrées. Grand frère Félix jure et bientôt on ne s’entend plus.

   – Veux-tu te taire, sale chien ! tais-toi donc, bougre !

   Pyrame redouble. Madame Lepic lui donne des claques. M. Lepic le frappe de son journal, puis du pied. Pyrame hurle à plat ventre, le nez bas, par peur des coups, et on dirait que rageur, la gueule heurtant le paillasson, il casse sa voix en éclats.

   La colère suffoque les Lepic. Ils s’acharnent, debout, contre le chien couché qui leur tient tête.

   Les vitres crissent, le tuyau du poêle chevrote et soeur Ernestine même jappe.

   Mais Poil de Carotte, sans qu’on le lui ordonne, est allé voir ce qu’il y a. Un chemineau attardé passe dans la rue peut-être et rentre tranquillement chez lui, à moins qu’il n’escalade le mur du jardin pour voler.

   Poil de Carotte, par le long corridor noir, s’avance, les bras tendus vers la porte. Il trouve le verrou et le tire avec fracas, mais il n’ouvre pas la porte.

   Autrefois il s’exposait, sortait dehors, et sifflant, chantant, tapant du pied, il s’efforçait d’effrayer l’ennemi.

   Aujourd’hui il triche.

   Tandis que ses parents s’imaginent qu’il fouille hardiment les coins et tourne autour de la maison en gardien fidèle, il les trompe et reste collé derrière la porte.

   Un jour il se fera pincer, mais depuis longtemps sa ruse lui réussit.

   Il n’a peur que d’éternuer et de tousser. Il retient son souffle et s’il lève les yeux, il aperçoit par une petite fenêtre, au-dessus de la porte, trois ou quatre étoiles dont l’étincelante pureté le glace.

   Mais l’instant est venu de rentrer. Il ne faut pas que le jeu se prolonge trop. Les soupçons s’éveilleraient.

   De nouveau, il secoue avec ses mains frêles le lourd verrou qui grince dans les crampons rouillés et il le pousse bruyamment jusqu’au fond de la gorge. À ce tapage, qu’on juge s’il revient de loin et s’il a fait son devoir ! Chatouillé au creux du dos, il court vite rassurer sa famille.

   Or, comme la dernière fois, pendant son absence, Pyrame s’est tu, les Lepic calmés ont repris leurs places inamovibles et, quoiqu’on ne lui demande rien, Poil de Carotte dit tout de même par habitude :

   – C’est le chien qui rêvait.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大木怪異」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大木怪異【たいぼくかいい】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻五〕下総国関宿<千葉県野田市内>に大木の松杉ありしが、享保の頃とかや、一夜の内に二本の梢を結合《むすびあは》せ置きしとなり。俗にいふ天狗などいへるもののなしけるにや。今に残りあると、かの城主に勤めし者の物語りなり。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之五 怪異の事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大髑髏」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大髑髏【だいどくろ】 〔一話一言巻十〕水戸府城より西北に祠あり。大きなる髑髏を以て神体とす。悪路(あくろ)王の髑髏なりといへり。近き頃松前と蝦夷地との堺なる熊石《くまぜき》<北海道檜山支庁爾志郡内>といふ所にても、大きなる髑髏をほり出せり。かたはらに所謂雷斧《らいふ》のごときもの多くありしとぞ。今雷斧といへるものをみるに、質は蠟石の如く、人工のなすところに似たり。(以上村上嶋之丞・秦檍麿話)

[やぶちゃん注:「一話一言」は複数回既出既注。安永八(一七七九)年から文政三(一八二〇)年頃にかけて書いた大田南畝著の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『蜀山人全集』巻四(明治四〇(一九〇七)年吉川弘文館刊)のこちらで正字で視認出来る。そこでの標題は「○大髑髏」である。水戸の悪路王の髑髏の話は、「柴田宵曲 妖異博物館 怪火」でも紹介している。そこで、私は、『これは現在の水戸市の西北の、茨城県東茨城郡城里町(しろさとまち)北方(きたかた)にある鹿嶋神社のことであろう』と注しておいた(「悪路王」もそちらの私の注を見られたい)。ここ(グーグル・マップ・データ。そこでは「鹿島神社」となっているが、以下のリンク先の神社銘石碑の写真に拠った)である。そこで紹介した個人サイト「300年の歴史の里<石岡ロマン紀行>」の「鹿嶋神社」の、詳しい解説と画像(但し、髑髏ではなく、首の彫像である)の載るページも是非、参照されたい。

「北海道檜山支庁爾志郡内」(これは『ちくま文芸文庫』では『渡島支庁二海《ふたみ》郡内』に変更されている)「熊石」(「くまぜき」の読みは上記活字本原本に拠ったが、以下に示す通り、二〇〇五年の合併以前は「くまいし」である)現在の北海道二海郡八雲町(やくもまち)熊石(くまいし)地区。ここ(グーグル・マップ・データ)だが、かなりの広域である。因みに、言っておくと、北海道では、渡島総合振興局北海道茅部(かやべ)郡森町(もりまち:グーグル・マップ・データ)。以外に「町」を「まち」と読む地名はないので、覚えておかれるとよい。但し、この地区に「大きなる髑髏」が現存するという記載はネット上にはない

「雷斧」石器時代の遺物である石斧(せきふ)や石槌(せきつい)などを指す古語。雷雨の後などに地表に露出して発見されたところから、雷神の持ち物と考えて名づけられたもの。「雷斧石」「雷鎚(らいつい)・「かみなりのまさかり」とも呼んだ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大石落ちる」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大石落ちる【たいせきおちる】 〔半日閑話巻十六〕十月八日夜、牛込<東京都新宿区内>辺へ壱間半[やぶちゃん注:二・七二メートル。]程の石落ち候由、先年は八王寺<都下八王子市>辺ヘ石落ち候由、疑ふらくは異国より員数を計る為ならんやと。この度も益〻雷鳴有ㇾ之、夜に入り光り物通るよしなり。

[やぶちゃん注:「青山妖婆」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。標題は「○兩國橋巷說」である。

「異国より員数を計る為」意味不明。公儀が、江戸以外の地から移り込んで来た民草を人為的に減らして、人口を減らすためにやっている卑劣な行為という意味か。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大蛇に吞まれた人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大蛇に吞まれた人【だいじゃにのまれたひと】 〔醍醐随筆〕近江国甲賀《こうか》<滋賀県甲賀市>あたりの在家とかや、わらはべとも多くともなひ、深林に入りて雀の子をとらへぬるに、大木の上より大蛇下りて、十二三ばかりなるわらべをのみてけり。残りの童子にげはしりて、家にかへりてこの事を語るに、のまれたる童の父、きくとひとしく行きてみれば、大蛇頭《かしら》をさげて谷の水を飲み居たる。かの父飛びかゝり、刀を以て二つにきりぬ。きられて口をひらきて童を吐出す。つく息につれて一丈ばかり前へとび出たり。されども父つゞいて蛇をきりころす。その長三丈にあまり、ふとさは抱くばかりなり。さて飛出たる童は死せる如くなれども、呼吸はとまらず。家にともなひ帰りて、修養して安全なれども、頭潰れてゆがみくぼむ。髪ことごとくぬけてふたゝび生ぜず。この人七十有余の時、みづから語りぬるとたしかに伝へけらし。また京の人広沢へ月みんとて出たるに、くもりて月みえず。水の上に雞卵《けいらん》ほどのひかり物二つあらはれたり。人々いぶかしくながめ居るに、一人衣をぬぎて水に入り、これをみんと行きむかひければ、大蛇眼をいからしにらみ居たるなりけり。たちかへらんとせしに、蛇のび出《いで》てこの男の肩に頭をうちかけぬ。男とらへて曳きぬれば、蛇頭をしゞめてしさる。男かへらんとすればまた頭をうちかく。又ひけば又しゞむ。かやうに三四度しけるが、後は頭をさゞりけり。男まぬかれてかへりぬ。五躰つゝがなしやととへば、少しもくるしむところなしと答ふ。さて家にかへりてやすみぬる中《うち》に、かの頭をうちかけたる肩次第にいたみ出て、くすりやうのものかずかずつけぬれどもやまず。二二日過ぎてくさり、骨に入て終に死けるとぞ。毒蛇にやありけん。

[やぶちゃん注:「吞」はママ。「呑」の正字で、「康熙字典」に載るが、現在、本邦では、この字体を多用するのは恐らく正規表現を旨とする私ぐらいなもので、まず、見かけない。私はこの字を正統な「呑」の正字と考えている。

「醍醐随筆」は大和国の医師・儒者中山三柳の随筆。初版は寛文一〇(一六七〇)年(徳川家綱の治世)。国立国会図書館デジタルコレクションの『杏林叢書』第三輯(富士川游等編・大正一三(一九三八)年吐鳳堂書店刊)のこちらで正字版の当該部を視認出来る(但し、この底本は文化年間(一八〇四年~一八一八年:徳川家斉の治世)の抄録写本底本である)。]

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鷓鴣(しやこ)」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

 

Syako

 

 

     鷓 鴣(しやこ)

 

 

 何時ものやうに、ルピツク氏は、テーブルの上で、獵の獲物を始末し、膓(はら)を拔くのである。獲物は、二羽の鷓鴣(しやこ)だ。兄貴のフエリツクスは、壁にぶらさげてある石板に、そいつを書きつける。それが彼の役目である。子供たちは、めいめい仕事を割當てられてゐる。姉のエルネスチイヌは、毛をむしり、羽根を拔くのである。ところで、にんじんは怪我をしたまゝ生きてゐるやつの、最後の息の根をとめるのである。この特權は、冷い心の持主であるといふところから來てゐる。彼の殘忍性は、みんなの認めるところとなつてゐるからである。

 二羽の鷓鴣は、じたばたする。首を振る。

 

ルピツク夫人――どうして、さつさと殺さないんだい。

にんじん――母さん、僕、石板へ書く方がいゝなあ。

ルピツク夫人――石板は、お前には、丈(せ)がとゞかないよ。

にんじん――そいぢや、羽根をむしるほうがいゝや。

ルピツク夫人――そんなことは、男のすることぢやない。

 

 にんじんは、二羽の鷓鴣を取り上げる。そばから、親切にやり方を敎へるものがある。

 「ぎゆつと締めるんだよ、さうさ、頭んところを、羽根を逆まに持つて……」

 兩手に、一羽づゝ、それをうしろへかくして、彼はやり出す。

 

ルピツク氏――二羽一度にか。無茶しよる。

にんじん――早くやつちやいたいからさ。

ルピツク夫人――神經家ぶるのはよしとくれ。心ん中ぢや、うれしくつてたまらないくせに・・・。

 

 鷓鴣は痙攣したやうに、もがく。翼をばたばたさせる。羽根を飛ばす。金輪際くたばりさうにもない。彼は、友達の一人ぐらゐ、もつと樂に、それこそ片手で締め殺せるだらうに。――今度は兩膝の間に挾んで、しつかり押へ、赤くなつたり、白くなつたり、汗までかいて、なほも締めつゞける。顏は、なんにも見ないやうに上を向いてゐるのである。

 鷓鴣は、頑强だ。

 どうしても駄目なので、癇癪をおこし、二羽とも、脚をもつたまゝ、靴の先で、頭を踏みつける。

 「やあ、冷血! 冷血!」

 兄貴のフエリツクスと、姉のエルネスチイヌが叫んだ。

 「なに、あれで、うまくやつたつもりなのさ」と、ルピツク夫人は云ふ――「可哀さうに・・・。あたしがこんなめにあふんだつたら、まつぴらだ。あゝ怖い、怖い」

 ルピツク氏は、年功を經た獵人(かりうど)だが、流石に、胸を惡くして、どつかへ出て行く。

 「これでいゝだらう」

 にんじんは、死んだ鷓鴣をテーブルの上に投げ出す。

 ルピツク夫人は、それを、こつちへ引つくり返し、あつちへ引つくり返しゝて見る。小さな頭蓋骨が、碎けて、血と少しばかりの腦味噌が流れ出してゐる。

 「あん時、取り上げちまへばよかつたのさ。これぢや、目もあてられやしない・・・」

 ルピツク夫人は云ふ。

 すると、兄貴のフエリツクスが――

 「たしかに、いつもよりや、まづいや」

 

[やぶちゃん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。「鷓鴣」まず、本邦のシャコという呼称は、狭義には、キジ科Phasianidaeシャコ属Francolinusに属する鳥を言い、広義には、キジ科の中のウズラ( Coturnix 属)よりも大きく、キジ( Phasianus 属)よりも小さい鳥類をも言う。但し、原作では“perdreau”(ペルドロー)とあり、これは一般的に、フランスの鳥料理で、ヤマウズラ Perdix 属、及び、その類似種の雛を指す語である(親鳥の場合は「ペルドリ」“perdrix”)。食材としては“grise”(グリース。「灰色」という意味)と呼ぶヤマウズラ属ヨーロツパヤマウズラ Perdix perdix と、“rouge”(ルージュ。「赤」)と呼ぶアカアシイワシャコ Alectoris rufa が挙げられ、特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる後者が、上物として扱われることが、先般の「博物誌」の戦前版改訂の注の再検討の最中に新たに知り得たので言い添えおく。

「ルピツク氏」「にんじん」の実の父。一九九九年臨川書店刊の佃裕文の『ジュール・ルナール全集』第十六巻の年譜によれば、モデルであるジュール・ルナールの父フランソワ・ルナール(François Renard)氏は、ルナール家の出身地であったシトリー・レ・ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に一家で定住していたが(父はこの村の村長となった)、後の一八九七年六月十九日、不治の病に冒されていることを知り、心臓に猟銃(ショットガン)を発射して自殺している(この「不治の病」の病名は年譜上では明確に示されてはいない。直前の同年年譜には肺鬱血とあり、重篤な心不全の心臓病等が想定される)。ジュール三十三歳、「にんじん」出版の二年後のことであった。その後、ジュールは亡父の後を慕うように狩猟に夢中になり、その年の十一月まで、創作活動から離れていることが年譜から窺われる。

「石板」現在の黒板の前身。粘板岩(ねんばんがん)や黒色頁岩(けつがん)等を、薄い板状に加工し、木の枠等をつけた黒板。蠟石(ろうせき)を丸く削った石筆を用いて書き、布で拭けば、消えた。ルピック氏は自分の猟の結果を細めに記録させていたのであり、寡黙な彼の几帳面な性格が垣間見えるところである。

「神經家ぶる」「纖細な神経の持ち主を気取る」の意味であろう。]

 

 

 

 

    LES PERDRIX

 

Comme à l’ordinaire, M. Lepic vide sur la table sa carnassière. Elle contient deux perdrix. Grand frère Félix les inscrit sur une ardoise pendue au mur. C’est sa fonction. Chacun des enfants a la sienne. Soeur Ernestine dépouille et plume le gibier. Quant à Poil de Carotte, il est spécialement chargé d’achever les pièces blessées. Il doit ce privilège à la dureté bien connue de son coeur sec.

   Les deux perdrix s’agitent, remuent le col.

     MADAME LEPIC

   Qu’est-ce que tu attends pour les tuer ?

     POIL DE CAROTTE

   Maman, j’aimerais autant les marquer sur l’ardoise, à mon tour.

     MADAME LEPIC

   L’ardoise est trop haute pour toi.

     POIL DE CAROTTE

   Alors, j’aimerais autant les plumer.

     MADAME LEPIC

   Ce n’est pas l’affaire des hommes.

   Poil de Carotte prend les deux perdrix. On lui donne obligeamment les indications d’usage :

   – Serre-les là, tu sais bien, au cou, à rebrousse-plume.

   Une pièce dans chaque main derrière son dos, il commence.

     MONSIEUR LEPIC

   Deux à la fois, mâtin !

     POIL DE CAROTTE

   C’est pour aller plus vite.

     MADAME LEPIC

   Ne fais donc pas ta sensitive ; en dedans, tu savoures ta joie.

 

   Les perdrix se défendent, convulsives, et, les ailes battantes, éparpillent leurs plumes. Jamais elles ne voudront mourir. Il étranglerait plus aisément, d’une main, un camarade. Il les met entre ses deux genoux, pour les contenir, et, tantôt rouge, tantôt blanc, en sueur, la tête haute afin de ne rien voir, il serre plus fort.

   Elles s’obstinent.

   Pris de la rage d’en finir, il les saisit par les pattes et leur cogne la tête sur le bout de son soulier.

   – Oh ! le bourreau ! le bourreau ! s’écrient grand frère Félix et soeur Ernestine.

   – Le fait est qu’il raffine, dit madame Lepic. Les pauvres bêtes ! je ne voudrais pas être à leur place, entre ses griffes.

  1. Lepic, un vieux chasseur pourtant, sort écoeuré.

   – Voilà ! dit Poil de Carotte, en jetant les perdrix mortes sur la table.

   Madame Lepic les tourne, les retourne. Des petits crânes brisés du sang coule, un peu de cervelle.

   – Il était temps de les lui arracher, dit-elle. Est-ce assez cochonné ?

   Grand frère Félix dit :

   – C’est positif qu’il ne les a pas réussies comme les autres fois.

 

2023/11/23

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 始動 / 扉表紙・装幀者記載・「目次」・「鷄」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士(くにお:歴史的仮名遣「くにを」)による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。なお、これについては文化庁の著作権のQ&A等により、保護期間の過ぎた絵画作品の平面的な写真複製と見做され、それに著作権は発生しない。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。これは言っておくと、フランス語では“Points de suspension”と言い、私の好きなフランスの作家ルイ=フェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Céline 一八九四年~一九六一年)が好んで使ったので、私は当たり前に日本語で何気なく、皆が好んで使う「……」「…」と同じくらいメジャーなものかと思っていたのだが、これ、俗に「トロン・ポワン」等と呼び、日常的に普通によく使われるわけではないらしい。所謂、繰り返しや、続く感じの代わりの他、明確な断言を暗に避けたり、意味深長な余韻の匂わせ、言い淀み、或いは不服を示唆するものとして、これ、はっきりと表現し物事を主張することを正しいとする欧米人、特に誇り高きフランス人は、平気で誰もが、平生、頻繁に使うわけでは――ない――ようなのである。また、漢字については、極力、底本の字体を使用するが、異体字の中で、Unicodeでも、表記出来ないものについては、最も近い異体字を選んでおいた。特殊な場合を除き、その異体字ついては、注記しないので、悪しからず。また、底本は子細に見ると、段落内の句点の後に、半角、時には全角、まれには全角+半角分にもなる字空けがあるが、これは植字工の誤植か、或いは、版組み上、行末の禁則処理が出来ない場合、こうした処理を施すことがあったので、無視することとした。

 各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。

 先の戦後版では、「目次」の標題の下に小さくある「にんじん」の絵をトップに掲げたが、この挿絵は、本来の初版本の表紙に添えられたものであった。そこで、今回は、パブリックド・メインの上記「Internet archive」の表紙の画像(標題の“P”が一寸欠けているが、カラー版である)をダウン・ロードして、補正せず、そのままに、この注の次に掲げておいた。

 また、戦後版では、岩波版にはない、「にんじん」とルピック夫人がベンチに座っている挿絵を、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」の中表紙に当たる箇所に配されてあったものを掲げた(因みに、この本は、本当に、ホントに、懐かしい! 私が最初に出逢った「にんじん」及び「博物誌」(抄録)であったから)が、これ、幾つかの「にんじん」のフランス語版を調べてみたが、見当たらない。しかし、明らかにヴァロトンのサインがあり、絵も確かに「にんじん」の挿絵として描かれたもので間違いない。出所不明だが、これも「目次」の前に挿入することにした。

 なお、底本では、国立国会図書館によって、冒頭に『挾込』(はさみこみ)の「譯稿を終へて」と題した岸田氏の「昭和八年七月」のクレジットの文章が貼り附けてあるが、これは内容から、本作の本文の最後に電子化することとする。

 また、底本は箱と表紙があるが、箱は勿論、表紙も国立国会図書館によって補強改変されているため、見ることが出来ない。たまたまサイト「日本の古本屋」の「湧書館」の記載に箱と表紙・背・裏表紙の写真が載っているので、それでよすがを味わって頂きたい。戯画的なそれは、「目次」前の右ページによって、岡本一平の装幀になるものである。

 最後に。この小説「にんじん」はジュール・ルナール自身の実際の体験と心情に基づいたものである。臨川書店二〇一一年刊の『臨川選書』の柏木隆雄著「イメージの狩人 評伝ジュール・ルナール」の「第十章 『にんじん』の世界」の「4 子と母と」の冒頭部によれば、『ルナール自身、自分を「にんじん」と『日記』に記しているし、彼が母親や兄姉たちからもそう呼ばれて、中学校においてもそれがあだ名だった。ルナール自身の子供たち、ファンテク、バイィ』(実は小説「にんじん」はこの二人に捧げられているのである)『も父親のことを「にんじん」と呼んだ』とあるのである。

 

 

Poildecarotte1902bnf_0010

 

 

    POIL DE CAROTTE

 

                JULES RENARD

 

[やぶちゃん注:以上は扉のフランス語標題で、実際には、見開き左ページで、書名はもっと丸みを帯びた字体で、かなり右寄せに印刷されてある。

 以上の次の見開きの左ページに、ルナールの肖像写真のみがある。本書の原本刊行時は彼は満三十歳であるから、恐らくは印象から、二十代中後期の写真かと思われる。]

 

 

 ジユウル ルナアル

 岸  田  國  士   譯

 

  に ん じ ん

 

              白 水 社 版

 

[やぶちゃん注:標題扉。「にんじん」らしき子どもと、それより大きい白豚が組み合っている戯画が作・譯の下方にあり、左上方には実をつけた果樹の絵がある。而して、文字も総てが手書きである。無論、装幀の岡本一平になるものであろう。如何にも毒のある彼らしい絵ではある。私は彼の絵は嫌いだが。]

 

 

           装  幀  岡 本 一 平

 

[やぶちゃん注:先の扉を捲った見開きの右ページ中央やや下方にある装幀者の明記(活字。ややポイント落ち)。

 以下、その左ページから「目次」。リーダとページ表記はカットした。因みに、ページ表記は漢数字で、後に総てに『頁』の漢字が附されある。例えば、標題が二字の場合には、三字分が空けになっているようになっているが、総て詰めた。]

 

Ninjinhumeinoitimai

 

       目   次

 

 

鷓鴣(しやこ)

惡夢

尾籠(びろう)ながら

鶴嘴(つるはし)

獵銃

土龍(もぐら)

苜蓿(うまごやし)

湯吞

麵麭(パン)のかけら

喇叭

髮の毛

水浴び

オノリイヌ

知らん顏

アガアト

日課

盲人(めくら)

元日

行きと歸り

ペン

赤い頰つぺた

ブルタスの如く

にんじんよりルピツクへの書簡集

   並にルピツク氏よりにんじんへの返事若干

[やぶちゃん注:以上字下げ二行目は少しポイントが小さく、リーダとノンブルはない。]

小屋

名づけ親

マチルド

金庫

蝌蚪(おたまじやくし)

大事出來

獵にて

最初の鴫(しぎ)

釣針

銀貨

自分の意見

木の葉の嵐

叛旗

終局の言葉

にんじんのアルバム

 

 

     に  ん  じ  ん

 

[やぶちゃん注:中標題。印刷。以下、本文となる。]

 

 

Tori

 

 

     

 

 

 ルピツク夫人は云ふ――

 「はゝあ・・・ オノリイヌは、きつとまた鷄小舍(とりごや)の戶を閉めるのを忘れたね」

 その通りだ。窓から見ればちやんとわかるのである。向ふの、廣い中庭のずつと奧の方に、鷄小舍の小さな屋根が、暗闇の中に、戶の開(あ)いてゐる處だけ、黑く、四角く、區切つてゐる。

 「フエリツクスや、お前ちよつと行って、閉めて來るかい」

と、ルピツク夫人は、三人の子供のうち、一番上の男の子に云ふ。

 「僕あ、鷄の世話をしに此處にゐるんぢやないよ」

 蒼白い顏をした、無精で、臆病なフエリツクスが云ふ。

 「ぢや、お前は、エルネスチイヌ?」

 「あら、母さん、あたし、こわいわ」

 兄貴のフエリツクスも、姉のエルネスチイヌも、ろくろく顏さへ上げないで返事をする。二人ともテーブルに肱を突いて、殆んど額と額とをくつ附けるやうにしながら、夢中で本を讀んでゐる。

 「さうさう、なんてあたしや馬鹿なんだらう」と、ルピツク夫人は云ふ――「すつかり忘れてゐた。にんじん、お前行つて鷄小舍を閉めておいで」

 彼女は、かういふ愛稱で末つ子を呼んでゐた。――といふのは、髮の毛が赤く、顏ぢうに雀斑(そばかす)があるからである。テーブルの下で、何もせずに遊んでゐたにんじんは、突立ちあがる。そして、おどおどしながら、[やぶちゃん注:「突立ちあがる」「つきたちあがる」で「急いで立ち上がる」ことを言う語。]

 「だつて、母さん、僕だつてこわいよ」

 「なに?」と、ルピツク夫人は答へる――「大きななりをして・・・。噓だらう。さ、早く行くんですよ」

 「わかつてるわ。それや、强いつたらないのよ。まるで牡羊みたい・・・」

 姉のエルネスチイヌが云ふ。

 「こわいものなしさ、こいつは・・・。こわい人だつてないんだ」

と、これは兄貴のフエリツクスである。

 おだてられて、にんじんは反り返つた。さう云はれて、できなければ恥ぢだ。彼は怯(ひる)む心と鬪ふ。最後に、元氣をつけるために、母親は、痛いめに遭はすと云ひ出した。そこで、たうとう、

 「そんなら、明りを見せてよ」

 ルピツク夫人は、知らないよといふ恰好をする。フエリツクスは、鼻で笑つてゐる。エルネスチイヌが、それでも、可哀さうになつて、蠟燭をとり上げる。そしてにんじんを廊下のとつぱなまで送つて行く。

 「こゝで待つてゝあげるわ」

 が、彼女は、怖ぢ氣づいて、すぐ逃げ出す。風が、ぱつと來て、蠟燭の火をゆすぶり、消してしまつたからである。にんじんは、尻つぺたに力を籠め、踵(かゝと)を地べたにめり込ませて、闇の中で、ぶるぶる顫へ出す。暗いことゝ云つたら、それこそ、盲になつたとしか思へない。折々、北風が、冷たい敷布のやうにからだを包んで、どこかへ持つて行かうとする。狐か、それとも或は狼が、指の間や頰つぺたに息をふきかけるやうなことはないか。いつそ、頭を前へ突き出し、鷄小舍めがけて、いゝ加減に駈け出した方がましだ。そこには、隱れるところがあるからだ。手探りで、戶の鈞をつかむ。と、その跫音(あしおと)に愕いた鷄(とり)どもは、宿木の上で、きやあきやあ騷ぐ。にんじんは呶鳴る――[やぶちやん注:「鈞」はママ。「鈎」「鉤」(かぎ)の誤字か誤植である。「宿木」は「とまりぎ」と読む。「呶鳴る」「どなる」。]

 「やかましいな。おれだよ」

 戶を閉めて走り出す――手にも、足にも、羽根が生えたやうに。やがて、暖かな、明るいところへ歸つて來ると、息をはづませ、内心得意だ。雨と泥で重くなつた着物を、新しい輕いやつと着換へたやうだ。そこで、反り身になり、突つ立つたまゝ、昂然と笑つて見せる。みんなが褒めてくれるのを待つてゐる。危險はもう過ぎた。兩親の顏色のどこかに、心配をした跡が見えはせぬかと、それを搜してゐる。

 ところが、兄貴のフエリツクスも、姉のエルネスチイヌも、平氣で本を讀みつゞけてゐる。ルピツク夫人は落ちつき拂つた聲で、彼に云ふ――

 「にんじん、これから、每晚、お前が閉めに行きなさい」

 

[やぶちやん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。「ルピツク夫人」主人公「にんじん」の母親。本書を未読の方には、ネタばらしになるが、本作では、まるで「継子虐め」のように、彼女は本作の中で、徹頭徹尾、「にんじん」に辛く当たるが、彼女は「にんじん」の実の母である。倉田清訳の「にんじん」の最後に附された「ジュール=ルナールとその作品について」の「『にんじん』について」に(読みは中学生向けであるため、ここではカットした)、『実際にルナールが育った家庭は、両親と姉と五人家族で、『にんじん』はこの家庭をそのまま描いたものと言えます。ルナールの母は、かなり口うるさいヒステリー気味の人で、彼につらくあたったようです。それが感受性の強い子どもの心の中に深くしみこんでいったことも確かです。一生涯、この幼少のころの忘れられない不幸感と、自分の母親に対する悪感情から生みだされたのあ、この小説です』と断言されておられ、さらに、『ルナールがパリで結婚して、妻』(マリー・モルノー(Marie Morneau 一八七一年~一九三八年:結婚は一八八八年四月二十八日。恐らくは前年一八八七年の夏の旅先で彼女と邂逅したものと考えられている)『といっしょに故郷へ帰ったとき』(二人がルナール家の故郷であるシトリー=レ=ミーヌ(Chitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)村の父母のもとに里帰りしたのは一八八九年一月)、『母が自分の妻に示した敵意を見て、子どものころの不幸を思いだし、この小説を書き始めたのでした。ルナールは、「わたしに『にんじん』を書かせたのは、自分の妻に対する母の意地悪な態度だった。」と書いています』とあるのである。先の本書のポートレイト写真の年代を私が二十五歳辺りを上限としたのは、このことに拠る。ジュールの母アンヌ=ローザ・ルナール(Anne-Rosa Renard)夫人は、一九〇九年八月五日、家の井戸で溺死した。『事故かあるいは自殺。――ルナールは書いている《…事故だと私は思う》(八月十日、エドモン・エセー宛て書簡)』(所持する臨川書店全集の年譜より引用)。ジュール四十五歳、これに先立つ一九〇七年のカルマン・レヴィ社から刊行された、この「にんじん」は、ジュール自身の書簡によれば、一九〇八年七月六日現在で、実に八万部も売っていた――ジュール・ルナールは、母の亡くなった翌年、一九一〇年五月二十二日、亡くなった。彼は、母の亡くなった直後、「あの」思い出の両親の家を改装し、そこに住むことを心待ちにしていたのであった、が、それは遂に叶わなかったのである……

「オノリイヌ」ルナールの実姉アメリー・ルナール(Amélie Renard)がモデル。ルナールより五つ年上。

「フエリツクス」ルナールの実兄モーリス・ルナール(Maurice Renard)がモデル。成人して土木監督官となった。一九九九年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第十六巻の「人名索引」に拠れば、ルナールは日記の『中で』『兄をしばしばフェリックスの名で示している』ともあった。ルナールより二つ年上。

「雀斑(そばかす)」米粒の半分の薄茶・黒茶色の色素斑が、おもに、目の周りや頬等の顔面部に多数できる色素沈着症の一種。「雀卵斑(じゃくらんはん)」とも言う。主因は遺伝的体質によるものが多く、三歳ぐらいから発症し、思春期に顕著になる。なお、体表の色素が少ない白人は紫外線に対して脆弱であり、紫外線から皮膚を守るために雀斑を形成しやすい傾向がある。「そばかす」という呼称は、ソバの実を製粉する際に出る「蕎麦殻」、則ち、「ソバのかす」が、本症の色素斑と類似していることによる症名であり、「雀斑」「雀卵斑」の方は、スズメの羽にある黒斑やスズメの卵の殻にある斑紋と類似していることからの命名である。

「兩親の顏色のどこかに、心配をした跡が見えはせぬかと、それを搜してゐる。」読む者は、この巻頭の初篇中のこの一文に着目しなくてはならない。この時、ここには、「にんじん」の父ルピック氏が無言のまま、ちゃんと、登場しているのである!

 

 

 

 

    LES POULES

 

   – Je parie, dit madame Lepic, qu’Honorine a encore oublié de fermer les poules.

   C’est vrai. On peut s’en assurer par la fenêtre. Là-bas, tout au fond de la grande cour, le petit toit aux poules découpe, dans la nuit, le carré noir de sa porte ouverte.

   – Félix, si tu allais les fermer ? dit madame Lepic à l’aîné de ses trois enfants.

   – Je ne suis pas ici pour m’occuper des poules, dit Félix, garçon pâle, indolent et poltron.

   – Et toi, Ernestine ?

   – Oh ! moi, maman, j’aurais trop peur !

   Grand frère Félix et soeur Ernestine lèvent à peine la tête pour répondre. Ils lisent, très intéressés, les coudes sur la table, presque front contre front.

   – Dieu, que je suis bête ! dit madame Lepic. Je n’y pensais plus. Poil de Carotte, va fermer les poules !

   Elle donne ce petit nom d’amour à son dernier-né, parce qu’il a les cheveux roux et la peau tachée. Poil de Carotte, qui joue à rien sous la table, se dresse et dit avec timidité :

   – Mais, maman, j’ai peur aussi, moi.

   – Comment ? répond madame Lepic, un grand gars comme toi ! c’est pour rire. Dépêchez-vous, s’il te plaît !

   – On le connaît ; il est hardi comme un bouc, dit sa soeur Ernestine.

   – Il ne craint rien ni personne, dit Félix, son grand frère.

   Ces compliments enorgueillissent Poil de Carotte, et, honteux d’en être indigne, il lutte déjà contre sa couardise. Pour l’encourager définitivement, sa mère lui promet une gifle.

   – Au moins, éclairez-moi, dit-il.

   Madame Lepic hausse les épaules, Félix sourit avec mépris. Seule pitoyable, Ernestine prend une bougie et accompagne petit frère jusqu’au bout du corridor.

   – Je t’attendrai là, dit-elle.

   Mais elle s’enfuit tout de suite, terrifiée, parce qu’un fort coup de vent fait vaciller la lumière et l’éteint.

   Poil de Carotte, les fesses collées, les talons plantés, se met à trembler dans les ténèbres. Elles sont si épaisses qu’il se croit aveugle. Parfois une rafale l’enveloppe, comme un drap glacé, pour l’emporter. Des renards, des loups même, ne lui soufflent-ils pas dans ses doigts, sur sa joue ? Le mieux est de se précipiter, au juger, vers les poules, la tête en avant, afin de trouer l’ombre. Tâtonnant, il saisit le crochet de la porte. Au bruit de ses pas, les poules effarées s’agitent en gloussant sur leur perchoir. Poil de Carotte leur crie :

   – Taisez-vous donc, c’est moi !

   Ferme la porte et se sauve, les jambes, les bras comme ailés. Quand il rentre, haletant, fier de lui, dans la chaleur et la lumière, il lui semble qu’il échange des loques pesantes de boue et de pluie contre un vêtement neuf et léger. Il sourit, se tient droit, dans son orgueil, attend les félicitations, et maintenant hors de danger, cherche sur le visage de ses parents la trace des inquiétudes qu’ils ont eues.

   Mais grand frère Félix et soeur Ernestine continuent tranquillement leur lecture, et madame Lepic lui dit, de sa voix naturelle :

   – Poil de Carotte, tu iras les fermer tous les soirs.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大師の利生」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大師の利生【だいしのりしょう】 〔譚海巻六〕四国には弘法大師常に化現し給ふよしにて、人偽りを抱き姦をなす事なし。それゆゑ八拾八ケ所参詣のもの、一宿をのぞめば快くとめてもてなしけり。春夏の比などは田畑にいとまなければ、一家こぞりて未明より家を明けて、一宿せしものにかまはず出で行くなり。その跡にて少しにても旅人姦計なる事をなせば、忽ちその事あらはるゝゆゑ、いづれの家にても、旅人にこころおかず、うちまかせて出あるく事なり。一とせ一宿の旅人、その家にて味噌をくひけるが、殊の外味ひよきまま、明くるあした、一家の人みな田へ行きて居ざるまゝ、この旅人この味噌を少し盗んで、今宵の旅食にせんと懐中せしほどに、宵にぬぎ置きたる笠うせたり。さまざまに尋ね求めけれども得ざれば、せんかたなくそこを立出でけるに、三四町行きたる時、後より一宿せし家の亭主追付きて笠をもち来りて、何か盗みておはせしならん、それを置て行き給へ、それがために笠をばこれまでもちてきたるよしをいひしかば、この旅人あやまちを悔いて、懐中せしみそをとり出して返しけるとぞ。その外人をとゞむる所にて、日の高ければと、とゞまらで行きたるもの、よもすがらまどひありきて、とゞむべしといひける家のあたりに、立もどりける事などありしといへり。ふしぎなる事なり。皆大師のさはせ賜ふ事と人の物がたりぬ。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之六 長州にて石を焚薪にかふる事 附四國弘法大師利生の事(フライング公開)」を正規表現で電子化しておいた。]

譚海 卷之六 長州にて石を焚薪にかふる事 附四國弘法大師利生の事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。なお、本篇本文は、目次では、『長州にて石を焚薪にかふる事 附』(つけたり)『四國弘法大師利生の事』となっている。しかし、本体の前者の部分はごく僅かたった一文のみであるので、一緒に電子化した。二話を区別するために、間に「*」を入れた。]

 

 長門國にては、石を燒(やき)て薪(たきぎ)にかへ、用(もちひ)る所、有(あり)。

   *

 四國には、

「弘法大師、常に化現(けげん)し給ふ。」

よしにて、人、僞(いつはり)を抱(いだ)き、姦(カン/よこしま)をなす事、なし。

 夫(それ)ゆゑ、八拾八ケ所參詣のもの、一宿をのぞめば、快くとめてもてなしけり。

 春夏の比などは、田畑に、いとまなければ、一家こぞりて、未明より、家を明(あけ)て、一宿せしものに、かまはず、出行(いでゆく)なり。

 その跡にて、少しにても、旅人、姦計なる事をなせば、忽(たちまち)、その事、あらはるゝゆゑ、いづれの家にても、旅人に、こころおかず、うちまかせて、出(いで)あるく事なり。

 一とせ、一宿の旅人、其家にて、味噌をくひけるが、殊の外、味(あぢは)ひ、よきまゝ、あくるあした、一家の人、みな、田へ行(ゆき)て居(をら)ざるまゝ、此旅人、此味噌を、少し、盜(ぬすん)で、

『今宵の、旅食にせん。』

と、懷中せしほどに、宵に、ぬぎ置(おき)たる笠、うせたり。

 さまざまに尋ね求めけれども、得ざれば、せんかたなく、そこを立出(たちい)でけるに、三、四町、行きたる時、後(うしろ)より、一宿せし家の亭主、追付(おひつき)て、笠をもち來りて、

「何か、盜みておはせしならん。それを、置(おき)て行(ゆき)給へ。それがために、かさをば、是まで、もちて、きたる。」

よしを、いひしかば、此旅人、あやまちを悔(くい)て、懷中せしみそを、とり出(いだ)して歸し[やぶちゃん注:「返し」。]けるとぞ。

 其外、人をとゞむる所にて、

「日の高ければ。」

と、とゞまらで行(ゆき)たるもの、よもすがら、まどひありきて、

「とゞむべし。」

と、いひける家のあたりに、立(たち)もどりける事など、ありし、と、いへり。

「ふしぎなる事也。皆、大師の、さは、せ給ふ事。」

と、人の物がたりぬ。

[やぶちゃん注:津村が前の短い話と、何故、カップリングしたのかを考えてみると、これ、全国に認められる弘法大師伝承の摩訶不思議な呪力の話柄群と関連があるように思われる。恐らく、長州の『石を燒て薪にかへ、用る所、有』というのは、事実上は、石炭を指しているように思われる。「燃える石」を弘法大師が呪力で創り出し、長州の民に恩恵として与えたということではあるまいか? と私は推定する。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「大字」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 大字【だいじ】 〔きゝのまにまに〕十月廿二日<天保二年>京都より不退堂と云ふ人来て、日暮里<東京都荒川区内>にて大きなる霽《セイ/サイ/はれ》字を書く。竪廿六間[やぶちゃん注:四十七・二七メートル。]、横十九間[やぶちゃん注:三十四・五四メートル。]に紙を継ぎて、仙過紙二千枚と云ふ。当人筆をかつぎて廻る。介錯人墨汁を手桶に入れ、柄杓にて洒《そそ》ぐ。紙の下に隈笹有りて、墨溜りしかば、筆にて紙をやぶり墨を下に流したり。はたらきたるはこれのみなりと見し人の話なり。書終りて一同に手を打つとき、介錯の両人戯れ倒れ、墨に染《そま》りてかけ歩行(あるき)しと云ふ。殺風景の事どもなり。(この人上方にても大字書きたりとぞ)

[やぶちゃん注:「きゝのまにまに」「聞きの間に間に」の意で、風俗百科事典とも言うべき「嬉遊笑覧」で知られる喜多村信節(のぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の雑記随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十一(三田村鳶魚・校訂/随筆同好会編/昭和三(一九二八)年米山堂刊)のこちらで正字で視認出来る。二つ前のページ冒頭にある条の頭のクレジットが『天保二年辛卯』とある。天保二年十月二十二日はグレゴリオ暦一八三一年十一月二十五日で、もう少し寒い中で、ご苦労なこって。

「不退堂」サイト「黄虎洞中國文物ギャラリー」のこちら(彼の草書の画像あり)の記載によれば、『藤原不退堂は京の人で、名は聖純、通称は倉田耕之進、号を不退堂と称し、天保五年』(一八三四年)に『に二宮尊徳と問答し、以後』、『尊徳の傍らに在って書記兼家庭教師的役割を果した能書家の儒者で、山岳行者小谷三志』『の書の師としても有名であるが、生卒は不明である』とあった。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「太鼓の張替」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 太鼓の張替【たいこのはりかえ】 〔耳嚢巻四〕寛政八年の初午《はつうま》は、二月六日なりけるが、それ以前太鼓の張替など渡世とせるもの、本郷<東京都文京区内>辺を通りしに、前田信濃守屋鋪前にて、家僕とも見える侍、太鼓の張替を申付け、則ち破れし太鼓を渡しけるゆゑ、その価《あたひ》を極めて、右の侍は何の又左衛門と申すものの由申しけるゆゑ、右のもの太鼓を張替へ、初午前日とかやに、前田の屋鋪へ至り、又左衛門と申す人より誂へ給ふ太鼓出来《しゆつらい》の由、門にて断りければ、又左衛門といへる用人はあれど、としかつかうなどは、右のもの申す所とは相違せし上、太鼓張替への儀、又左衛門より申付け候事なし、さるにても稲荷の太鼓を改め見るべしとて、社頭において捜しければ、太鼓なし。兼ねて破れ古びし太鼓の新しくなりし事の不思議なりと、とりどり申しけるが、百疋余の極めを右不思議にて、直段《ねだん》を引下げしと人のかたりし。狐などの仕業や、或ひは右前田家の家士の仕業にや。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之四 初午奇談の事」を参照。

「寛政八年の初午は、二月六日なりける」「初午」は旧暦二月最初の午の日で、奈良時代、京の伏見稲荷大社に祀られている五穀豊穣を司る農事の神が、稲荷大社に鎮座されたのが初午の日であったことから、毎年その日に同社で「初午祭」が催されるようになり、民草も「初午詣」として豊穣祈願をするようになった。実用的にも、この日は「農事始め」と一致する。寛政八年の初午は壬午(みずのえうま)で、確かに二月六日で、グレゴリオ暦では一七九六年三月十四日に相当する。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「太鼓の剝革」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 太鼓の剝革【たいこのはぎかわ】 〔真佐喜のかつら〕遠き国の穢多《ゑた》、江府《えど》へ出《いで》、いかゞとか拵へしや、火消与力といふ家を相譲《さうじやう》す。ある年火の見櫓の太鼓はり替《かへ》しをみて、この革、剥革なるよし言ふ。しかし誰にても一枚革にて、はぎたる物とは更にみえず。殊に音も替りし事なけれど、そのよし太鼓造りし者の方へ申遣はしけるに、職人来りて決してはぎ革にては無きよし申しけれど、かの与力達て、はぎ革たる由申すに付き、鋲を抜《ぬき》て改めみるに刷(はぎ)革なりければ、職人の偽りあらはれ、改め張替へけるが、かの太鼓造り遺恨におもひて、与力の身分探索致しける処、遠国の穢多なるよし露顕なし、終に死罪に行はれけるとぞ。

[やぶちゃん注:「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここから正字表現で視認出来る。

「死罪」差別された穢多(彼らに就いては、次の話の原話である「耳嚢 巻之四 初午奇談の事」の私の注を参照されたい)などの被差別部落民は、子々孫々まで、その身分から離れることが出来なかった。彼らが武士と詐称することだけで、既にして死罪の絶対要件なのである。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「太閤異聞」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

     

 

 太閤異聞【たいこういぶん】 〔真佐喜のかつら〕大河内茂左衛門、筑前中納言秀詮《ひであき》公に仕官の頃、北の政所殿へ御使に参り候節、後に御返事待ちけるうち、カウブウスと云ふ女中に逢ひ、四方山の物語りし、序に問ひけるは、大名高家のうヘにさへ、ひとにより珍しき事候と承る、ましてや大君(秀吉公をさして云ふ)御在世の御時など、恐れ乍ら奇異の御事もましましけるやと尋ねければ、さしてかはらせ給ふ御事もましまさず、只折として一間なる御寝所にいらせられ、御まどろみの節は、内よりかけ鉄を御かけ遊ばされ、御目さめ給ふ迄起し奉るべからずと仰せ置かるれど、余り永く御まどろみには諸卿御用是れあり、伺ひ度《たき》など申されける時は、是非なく御障子の外より御やうす伺ひなどする時もあり、その節針にて穴を明け、ひそかに伺ひ奉るに、御姿広き御座一ぱいにならせ給ふ時もあり。三四畳敷にをがまれ給ふ事もましまして、誠に身の毛もよだち候ばかりに覚え侍る、兎角つねの君にはなかりけりとかたりけると、茂左衛門が記に見えたり。

[やぶちゃん注:「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここから正字表現で視認出来る。

「大河内茂左衛門」安土桃山から江戸前期の武将大河内秀元(天正四(一五七六)年~寛文六(一六六六)年)。

「筑前中納言秀詮」小早川秀秋(天正一〇(一五八二)年~慶長七(一六〇二)年)のこと。彼が東軍勝利のキー・マンとなった「関ヶ原の戦い」の後、改名した。当初、大河内は小早川秀秋の家臣であった。

「北の政所殿」豊臣秀吉の正室「おね」、高台院(天文一八(一五四九)年~寛永元(一六二四)年)のこと。杉原(木下)家定の実妹であったが、浅野家に養女として入った。秀吉の養子となって後に小早川家を継いだ小早川秀秋(羽柴秀俊)は、兄家定の子で彼女の甥に当たる。

「カウブウスと云ふ女中」日本人侍女のキリシタン名であろうが、確認出来ない。]

2023/11/22

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「尊号の入墨」 / 「そ」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇を以って「そ」の部は終わっている。]

 

 尊号の入墨【そんごうのいれずみ】 〔甲子夜話巻十八〕世に嗚呼(おこ)の者も有りけるもの哉《かな》。日光山の尊号を頸より肩さきに大文字《だいもんじ》に入墨を為《し》たるものあり。罪ありて死刑に処し、首を刎ねんとせしとき、尊号へ刀を当ててはとて、先づその日免《まぬか》れ、遂に永牢になりしと云ふ。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷十八  28 尊號を入墨したる者取計の事」を正字表現で公開しておいた。]

フライング単発 甲子夜話卷十八  28 尊號を入墨したる者取計の事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。注はいらんだろう。]

 

18―28 尊號を入墨したる者(もの)取計(とりはからひ)の事

 世に嗚呼(おこ)の者も有りけるもの哉(かな)。

 日光山の尊號を、頸より、肩さきに、大文字(だいもんじ)に入墨に爲(し)たるものあり。

 罪ありて、死刑に處し、首を刎(はね)んとせしとき、

「尊號へ、刀を當(あて)ては。」

とて、先づ、其日、免(まぬか)れ、遂に永牢(えいらう)になりし、と云(いふ)。

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「空に吹上げられる」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 空に吹上げられる【そらにふきあげられる】 〔奇遊談巻三ノ下〕予<川口好和>が母の物がたりけるついでに、たしか成る人に聞きしこととて語られしは、享保の末の頃かとよ。堀川出水《ほりかはでみづ》の辻《つぢ》にて、俄かにつじ風起りたりしに、一人の老人杖つき歩行(あるき)ながら、二丈ばかり空に吹きあげられしを、人々あはやと立さわぎ見るまゝに、たゞ一葉《いちえふ》の風に吹きあげられしやうにて、やすやすと元の地上に立ちたりしと、まのあたり見し者の語りしと。かゝること、伊勢の外宮にもありし。これ風も吹かざりしに、参宮人の男、老杉《ふるきすぎ》の木末《こずゑ》に吹きあげられ、暫し留《とどま》りしかば、同道の人々、外《ほか》の人も空を詠《なが》めて、とやせんかくやせんと云ふまゝに、これもやすやすと鳥などの飛びおるゝやうに、ふはふはとまへの地に下りつきしと、彼《か》の神職某のかたりき。かゝることは奇病を集めたる医書にありし。なほ近江にかゝることありき。

[やぶちゃん注:「奇遊談」川口好和著が山城国の珍奇の見聞を集めた随筆。全三巻四冊。寛政一一(一七九九)年京で板行された。旅行好きだった以外の事績は未詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻十一(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊のここで当該部が視認出来る(よくルビが振られてあるので一部を参考にした)。標題は『○堀川(ほりかは)老人(らうじん)上ㇾ天(てんにのぼる)』。但し、リンク先では「とやせんかくやせんと云ふまゝに、」の後に『外宮の神役人(じんやくにん)もこゝら出合(いであひ)て、杣人(そま)をやとひのぼらせんとて、其(その)あたりやとひあるくほどに、』とある部分が、カットされてある。旋風(つむじかぜ)で説明出来そうだが、二例ともに極めて軟着陸して無事であったというところは、やや作話性が疑われる。

「享保の末の頃」享保は二十一年四月二十八日(グレゴリオ暦一七三六年六月七日)に元文に改元している。

「堀川出水の辻」京都のこの附近(グーグル・マップ・データ)。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「空飛ぶ物」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 空飛ぶ物【そらとぶもの】 〔我衣十九巻本巻十一〕空中を有形のものの飛行《ひぎやう》する事、仏説などには確かに有りといへり。先年本郷五丁目の伊勢屋吉兵衛、物干にて仰向《あふむき》て昼寝し、空中をながめ居たるに、その日は誠に晴天にして、一点の白雲もなし。東の方より空中を通行するもの、背その高き事しるべからず。しかれども形はよく見えたり。四足ある獣の尾の方、馬の如くにして画《ゑ》に見る所の騏麟(きりん)の如き物ゆうゆうと歩み行く。誰ぞ呼びて見せん物と思へども、傍に人なければ、たゞ己れのみながめ居たり。北西の方へ行きて、漸々《ぜんぜん》に形を見失ひぬ。それは廿年以前の事なり。

[やぶちゃん注:「我衣」前の前の「杣小屋怪事」で述べた通りで、原本に当たれない。蜃気楼・逆転層の類いで、遠くの馬の疾走するのが、反射投影されたに過ぎまい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「空飛ぶ異人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 空飛ぶ異人【そらとぶいじん】 〔四不語録巻一〕寛永年中[やぶちゃん注:一六二四年から一六四四年まで。]のころかとよ、武州江戸に於て、或日甲冑を帯したる武士、馬に乗りて虚空を飛びめぐるを見たる者数多有りしとなり。予<浅香山井>が亡父も目のあたり見給ひしと、常に語り給ひしなり。年月をも聞きけれども、失念したり。

[やぶちゃん注:「家焼くる前兆」で既出既注。写本でしか残っておらず、原本には当たれない。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「杣小屋怪事」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 杣小屋怪事【そまごやかいじ】 〔我衣十九巻本巻八〕十月の始めころ<文化六年>[やぶちゃん注:一八〇五年。旧暦十月一日は十一月二十一日。]豊前小倉領<福岡県小倉市>に変事あり。その訳は杣(きこり)ども大勢深山へ入りて、大木を伐りけるには三十余も住居する事ゆゑ、小屋をしつらひ、五六人ヅツ住むなり。その日は五人の杣ども、山を下りて酒を呑まんとて打連れて行きける。一人跡に残りたる杣は、日ごろ病身にて、しかじか家業も出来ず。至つて柔弱ものにて有りける。日くれ比(ころ)に至り、五人の者山へ立帰り来る。残り居たる一人の者いへるは、さてさて貴殿達を待ち兼ねたり、今日各〻方留主《るす》の内、徒然たる折から、この軒口ヘ大サ鳩程に見えたるもの、惣身の毛色五彩にして、その見事なるもの言語に及ばず、軒口を放れもやらず、飛びもせず、我傍《かたはら》に有る所の小石を取て打付けたるに、あやまたずかの鳥の胸のあたりを打ちたりと覚えて、軒より転び落ちて死したり。則ち毛を引き料理て、さて煎《いり》て喰ひしに、その美味中々たとふるに物なし、いかなる鳥かはしらねど、各〻にも参らせんと、少し残し置きたり、いざ食し給へといへり。五人の者どもいふやう、見なれざる鳥は喰はぬ物のよし、いひ伝へ侍れば、我々は喰ふまじといふ。イヤこれ程の甘味なる物をくはぬといふ事やあると、この事口論に及びしが、日比の柔弱なるにも似ず、勢ひ甚だ強く、後《のち》は立さわぎて、五人の者を相手につかみ付かんずけしきゆゑ、人々おどろき、こはけしからずと取すくめんとすれども、中々五人の力に及ばず。投付け、はりのけなどして大いにくるひ廻る。のちは五人の者も恐ろしく思ひて、家の外へ迯出《にげいづ》るを、追欠《おひか》け出るやうす、とても叶はぬと覚悟して、山を下りに迯げのびたり。彼者大いにいかりのゝしり、大木をねぢ切てふりままはしふりまはし追ひくるゆゑ、命を限りと、山を下りにやうやうと逃げおほせ、日も暮れけり。その夜山鳴り鳴動して、恐ろしさいふ計りなし。打捨ておかれず、地頭へ訴へ、それより所々相談に及び、役人の指図を待つて、日数《ひかず》七八日も過しけり。さて役人大ぜい、猟人《かりうど》七八人、鉄炮を持たせ、先きの杣五人、人足三十人ばかり催して、かの山をさして登りゆく。半腹迄登り見るに、人のかひな、或ひは首足など、所々にちぎれちぎれになりて数多《あまた》あり。その衣服に見覚えある物あり。これは脇の山を挊(かせ)ぐ[やぶちゃん注:ここは「稼ぐ」に同じ。]杣のこの事もしらず、山伝ひにこの小屋に来りて災ひにあひつらんと思へば、中々一足も登ることならず、衆人爰から下りける。いかなる事かしらねども、実に不思議の怪事なりと、小笠原侯の役人、中川常春院殿へ物語られしを、西丸御前に於て常春院演説いたされしは、十二月朔日の夜なりとぞ。

[やぶちゃん注:「我衣」(わがころも)は文人・医師で俳諧宗匠でもあった加藤曳尾庵(えびあん/えいびあん 宝暦一三(一七六三)年~?)の風俗図絵・随筆。国立国会図書館デジタルコレクションに抄本写本を見つけたが、ざっとみたところでは、どれかは判らなかった。悪しからず。

「小笠原侯」豊前国小倉藩の第六代藩主小笠原忠固(ただかた)。事件の前年に藩主となっている。

「中川常春院」幕医。さる論文で、文化六(一八○九)年より天保二(一八三一)年まで法印となっていることが判った。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「蘇生奇談」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 蘇生奇談【そせいきだん】 〔耳囊巻六〕文化七年七月廿二日の事の由、同八月或人来り語りけるは、田安御屋形御馬飼の由、相部《あひべ》や六七人ある事なるに、右の内壱人、寒かくらんにて殊の外苦しみける故、相部やのものども、色々介抱いたし、医師を所々へ申遣し候へども、時節やあしかりけん、一向医師も来らず。終日苦しみて、終にはかなくなりしに、彼《かの》あひ部屋の者ども、評議しけるは、かく傍輩の死に及ぶ病、一貼《いちてふ》の薬をも呑まざる儀、いづれ上役人へ願ひて、只今にても薬を飲ませ、せめて心晴しにいたしたき由にて、上役の者へ願ひければ、程近き所とて小嶋活庵方へ申遣しけるに、活庵は在宿無ㇾ之、子息安順見廻(みまひ)て、かの病人を見けるに、事切れて時刻も漸《やうや》くうつりければ、四肢もつめたく、療治沙汰も無ㇾ之由ゆゑ、断り申述べければ、右傍輩ども時刻も相立ち候事ゆゑ、仰せの趣御尤もながら、急病ながら薬一貼も用ひずと申すも心苦しければ、たとへ蘇生等致さずとも、御薬一貼給はり、無理に吹込み申したき由、達而《たつて》願ひけるゆゑ、安順もその意にまかせ、薬一貼あたへ帰りぬ。さて傍輩ども打寄り、薬を煎じ口を割りつぎ込みしに、口を洩れ或はのどに溜り居り候ばかりにて、しるしあるべきやうもなければ、片脇へ寄せ置きけるに、二三時過ぎて息吹返しける故、早速粥湯(かゆゆ)などのませ、安順方へも早速申遣しければ、これも蘇生に驚き、早速罷り越し、その様子を見て、これなれば療治なり候とて薬をあたへ、今は全快なしけるに、傍輩の内、さるにても、いかなる様子なりしやと尋ねければ、最初煩ひ付き候節、苦しさいはんかたなく、それよりは夢中となり、何か広き原へ出て、むかうへ行かんと思ひしに、二筋に道わかれあり、壱ツは登りざか、壱ツは下り候道ながら、下りの方けんそにして、彼男の了簡には、登り坂の方へ行くべしと思ひしに、ふと本郷辺米屋にて、その娘へこの御馬方、心を懸けしが、右娘に行逢ひ、我もひとりにては心細し、つれ立たんといふに、同意なしけるが、娘は下り道の方を行くべしといふ。この男は登り坂の方へ行かんと申し争ひ、立別れしに、向うの方より赤衣《しやくえ》きたる僧一人参り、なんぢはいづ方より何方へ通るやと尋ねける故、あらましを語り、我等は死せしにやと申しければ、爾(なんぢ)思ひのこす事もなきやと尋ねし故、何もおもひ残す事はなけれど、未だ在所に両親もありて、久しく逢ひ申さゞる間、これへ対面致したき由と申しければ、しからば帰し遣すべしとて、跡へ戻ると思ひしに、何か咽に薬がつくりと内へ入りて蘇りしと、予<根岸鎮衛>が元へ来る云栄《うんえい》かたりぬ。

[やぶちゃん注:私のものでは、底本違いで、「耳嚢 巻之十 蘇生奇談の事」である。]

 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻二〕香町<東京都千代田区内>小林氏の方に年久しく召遣ひし老女ありけるが、以ての外煩ひて、急に差重《さしおも》り[やぶちゃん注:急激に症状が悪化し。]相果てけるが、呼びなどして辺(あた)りの者立騒ぎける内、蘇生しけるが、程なく快気して語りけるは、我等事誠に夢の如く、旅にても致し候心得にて広き野へ出けるが、何地《いづち》へ行くべきや知れず、人家ある方へ至らんと思へども、方角知れざるに、一人の出家通りける故、呼掛けぬれど答へず。いづれ右出家の跡に付きて行きたらんに、悪しき事はあらじと頻りに跡を追行きしに、右出家足早くして、中々追付く事叶はず、その内に跡より声を掛けし者ありと覚えて蘇りぬと咄しける由、小林の親友牛奥子《うしおくし》語りぬ。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之二 鄙姥冥途へ至り立歸りし事 又は 僕が俳優木之元亮が好きな理由」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「曾我の目貫」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 曾我の目貫【そがのめぬき】 〔裏見寒話巻三〕爰に天桂和尚、富士の麓を通られしに、俄かに日暮れぬ。一草庵を得て宿を乞ふに、婦人出《いで》て云ふ。夫は留守なり、暫く待たれよと云ふ内に、甲冑の士来《きた》る。女告げて宿を貸す。夫云ふ。我は曽我十郎祐成なり、弟五郎時致《ときむね》は在世の時、箱根にて誦経持仏の功徳により、今甲州大守の子と産る、我は作善なく苦患《くげん》あり、願くば信虎へ告げて、法華経一万部読誦給はれと。そのしるしに家宝の目貫一箇を渡す。一箇は時致、右の手に握る、彼所《かのところ》に大泉と云ふ池あり、この水にて洗はゞその手開くべしと。忽ち姿失せて未だ近午《きんご》[やぶちゃん注:昼近くのこと。]の天なりければ、それより甲州に来り、竜王村<山梨県甲斐市内>慈照寺に止宿す。信虎より招かれて件の物語りあり。大泉の水にて勝千代の手を洗ふに、忽ち開くに目貫あり。合せて見れば一具なり。<勝千代は武田信玄の幼名、右の手を開かないという伝説がある>山の陰にては富士は見えざるに、かの大泉へ山影移りて見ゆ。依てこの流水を富士川と号す。信虎睡られし山を夢見山と云ふ。信虎則ち禅院を創営し、大泉寺と号す。尚天桂和尚開基たり。偖《さて》法華経一万部を営まる。曽我兄弟の位牌今に在り。宝物夥多《くわた》なり。雄《ゆう》[やぶちゃん注:一人称男性代名詞。]按ずるに、曽我兄弟は、亡父の仇《かたき》を数年《すねん》ねらひ、終《つひ》に本意《ほい》を達し、孝養して死《しし》たる人なり。何を仏果を願ひ、再誕を悦ばんや。これは浮屠《ふと》[やぶちゃん注:仏僧。]の説ならん。

[やぶちゃん注:「裏見寒話」「小豆洗」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『甲斐志料集成』第三(昭和八(一九三三)年甲斐志料刊行会刊)のここの右四行目から正字で視認出来る。

「目貫」刀の、手で握る部位である柄(つか)の中央付近に附けられた刀装具の一種。表裏に附けられ、茎(なかご)に開けられた穴に通し、柄と茎を固定するために用いられる小さな金具。滑り止めと、手溜まりを良くする機能を備える一方で、時代が下るにつれ、装飾性が高められ、縁起の良い動物や植物など、様々な意匠が施されるようになった(サイト「名古屋刀剣ワールド」のこちらに拠った)。

「天桂和尚」現在の長野県下諏訪町にある臨済宗妙心寺派白華山慈雲寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)の第七世住持であった天桂玄長(てんけいげんちょう)。武田信玄が私淑した僧として知られる。

「信虎」武田信玄の父武田信虎(のぶとら 明応三(一四九四)年~天正二(一五七四)年)。永正五(一五〇八)年十月四日の「勝山城の戦い」(笛吹市境川町坊ヶ峰)に於いて叔父武田(油川)信恵(のぶよし/のぶさと)を撃破し、これと同時に同族で覇者を競っていた者たちも多く戦死し、武田宗家の統一が達成されたが、天文一〇(一五四一)年六月十四日、実子晴信(後の信玄)によって強制的に隠居させられ、追放されてしまう。

「大泉と云ふ池」現在、信虎の像がある寺が。曹洞宗万年山大泉寺(だいせんじ)で、当該ウィキによれば(太字は私が附した)、『境内には富士見池(大泉)があり』、「甲州巡見記」に『拠れば』、『甲斐国繁栄の様子が映ったという伝承を持つ。また、文政』一〇(一八二七)年の『大泉寺縁起(「甲州文庫」)や』、本「裏見寒話」、文化一一(一八四一)年の「甲斐国志」、嘉永二(一八四九)年の「懐宝甲府絵図」『等に拠れば、富士見池の水面には富士山の姿が写ったという。特に』「甲斐国志」では、『富士見池には「士峰寒影」が映ったと記され、「士峰」は富士の意味であるが、「寒影」は漢詩における月光の意味のほかに「冬の姿」と解釈されることも指摘され』、『富士見池には冠雪した冬の富士の姿が映ったとする伝承であるとも考えられている』。『甲斐国において水面に冬の富士が映ったとする類例は他にもあり』、やはり「裏見寒話」に拠れば、『現在の甲府市太田町に所在する時宗寺院』である『一蓮寺境内の池や、一蓮寺の旧地である一条小山に築城された甲府城の堀にも』、『冬の富士が映ったとする伝承を記録している』。『こうした伝承を踏まえて、江戸後期に浮世絵師の歌川国芳は弘化』四(一八四七)年から嘉永五(一八五一)年にかけて刊行された「甲州一蓮寺地内 正木稲荷之略図」に『おいて』、『一蓮寺を描き、和歌において一蓮寺の池に映る冬の富士を暗示させていることが指摘されている』。『また、同じ浮世絵師の葛飾北斎は』、「冨嶽三十六景」の一図である「甲州三坂水面」に『おいて』、『鎌倉往還の御坂峠から見える河口湖と富士の姿を描いており、実景の富士が夏山なのに対し、湖面に映る逆さ富士は冠雪した冬の姿として描かれている。北斎は甲斐を訪れた確実な記録がなく、大泉寺縁起や』、『他の甲斐における水面に映る富士の伝承を知っていたのかは不明であるが、北斎は水面には隠された本当の姿が映るという近世期の一般的感性を共有していたことが指摘される』とあった。さらに、後に出る「夢見山」は、この大泉寺の南東の直近のここにあり(標高四百三十九メートル)、「甲府市」公式サイトの「夢見山(夢山)」に、『夢見山は』、『昔は夢山と呼ばれていました』。『よい夢を見る山として、武田信虎・信玄にまつわる伝説があります』。『戦国時代、信虎が夢山に登り、山頂でうたた寝をしていると、信玄が誕生する夢を見ました』が、『目が覚めると、城から若君誕生の知らせが届き、大変喜んだそうです』。。『また、ある日、信玄が夢山の山頂にある大石に腰を下ろし眠っていると、夢の中に、三味線を』一『曲奏でてくれるという美女が現れました。しかし、弾き始める前に目が覚め、気がつくと』、『信玄の体中に蜘蛛の糸が巻かれていました。それ以来、蜘蛛はいつも信玄の枕元に現れて、戦』さ『の吉凶を占ってくれたそうです。この石は夢見石と言われ、石の上で寝ると、誰でもよい夢を見ると伝えられています』。『古くは、平安時代後期の歌枕の解説書』「能因歌枕」に『「夢山」が書かれているほか、鎌倉時代後期の和歌集』「夫木和歌抄」には、『「都人 おぼつかなしや 夢山を みる甲斐ありて 行きかへるらん」と詠まれ、夢見山は甲斐の名所として、昔から知られていたことがわかります』とあった。

「竜王村」「山梨県甲斐市内」「慈照寺」山梨県甲斐市竜王にある曹洞宗有富山(ゆうふざん)慈照寺。ここ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「双頭蛇」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 双頭蛇【そうとうだ】 〔兎園小説第六集〕文化十二年乙亥秋九月上旬、越後魚沼郡六日町の近村余川村<新潟県南魚沼市六日町内>の民金蔵、双頭蛇をとらへ得たり。この金蔵が隣人を太左衛門といふ。この日金蔵、所要ありて門辺《かどべ》にをり。その時件《くだん》の蛇、地上より走りて隣堺《となりさかひ》なる垣に跂(ふし)登るを[やぶちゃん注:私は宵曲のルビには従わない。「つまだちのぼるを」と訓じておく。「伸び上がるように立ち登ったのを」の意。]、金蔵はやく見だして、箒《はうき》をもて払ひ落としつゝやがてとらへしなり。この蛇、長さ纔かに六寸あまり、全身黒く、只その中央は薄黒にして、腹は青かり、則ち桶に入れて養(かひ)おきけり。近郷伝へ聞きて、老弱《らうじやく》日毎に来たりて観るもの甚だ多し。はじめこの蛇の肢出《つまだちい》でんとするとき、双頭をふりわけ、左の頭《かしら》は左にゆかんとするごとく、右の頭は右にゆかんとするがごとし。既にして双頭一心に定むる時は、真直に走るといふ。また桶に入れて屈蟠(わだかまる)ときは、双頭かさなりてよのつねの小蛇の如し。時に近郷の香具師《やし》、これを数金《すきん》に買ひとりもて、見せものにせんとはかる。その事いまだ熟談せざりし程に、忽ち猫に銜《ふく》み去られて、これを追へども終に及ばず。主客望《のぞみ》を失ひしといふ。当時同郡塩沢の質屋義惣治《ぎそうぢ》、その略図をつくりて家厳《かげん》[やぶちゃん注:他人に自分の父を言う語。この報告は「琴峯舎」によるもので、琴峯舎とは、馬琴の一人息子で陸奥国梁川藩主松前章広出入りの医員であった滝沢興継(おきつぐ:医名は「宗伯」)ことである。但し、彼の報告の多くは父馬琴が代作したものと考えられている。但し、絵の才能はあり、この話に添えた絵も興継の描いたものであると思われる。彼は馬琴が元の武士に戻る熱望を一身に受けた愛息であったが、病弱で、父に先立って数え三十九歳で天保六(一八三五)年に死去してしまう。]におくりぬ。かの金蔵は、義惣治が亡息の乳母の子なり。これによりてその蛇をとりよして、よく見て図したり。こは伝聞にまかせたるそゞろごとにはあらずとぞ。<『兎園小説第二集』に文政七年江戸本所の話がある>

[やぶちゃん注:私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 双頭蛇』を参照。挿絵はこれ。宵曲! なんで絵を載せない!?!

「『兎園小説第二集』に文政七年江戸本所の話がある」私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 兩頭蛇』(第二集の掉尾)を参照。そちらにも図がある。因みに、こちらの報告は「海棠庵」。本名は関思亮(せきしりょう)。書家関其寧(きねい)の孫。祖父とも合わせて馬琴と親しかった。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「三途河の婆子」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 三途河の婆子【そうずかのばし】 〔甲子夜話巻六十二〕行弁が(修験行智が父)行脚のとき親しく見しとて語《かたれ》るは、越後国蒲原郡でよと云ふ処に、十二間四面の広堂あり。その中物なくして、中央に大像あり。(長《た》け人の立てるが如し)三途河《さうづがは》の婆子にして独坐なり。またこの堂のあるあたり、古木陰欝、幽邃云ふばかりなし。またかの像甚だ霊応あり。時として彼《か》の怒りに逢ひたる者か、一夜の中《うち》に人の衣服を剝ぎて、堂辺の樹杪《じゆべう》に懸けあること往々ありとぞ。また彼国でよの地は温泉の出る所とぞ。然ればでよは出湯《でゆ》の訛りならん。

[やぶちゃん注:「三途河」の宵曲の読みには従わない。事前に「フライング単発 甲子夜話卷六十二 6 三途河姥大像【越後國】」で正字表現で公開しておいたので、見られたい。]

フライング単発 甲子夜話卷六十二 6 三途河姥大像【越後國】

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。最後の「出湯(デユ)」の読みは、珍しい静山のルビである。

 

62-4 三途河姥(さうづがはうば)大像(だいざう)【越後國】

 行辨(ぎやうべん)が【修驗(しゆげん)、行智が父。】、

「行脚のとき、親しく見し。」

とて語れるは、

「越後國蒲原郡デヨと云ふ處に、十二間四面の廣堂(くわうだう)あり。その中、物、なくして、中央に大像あり【長(た)け人(びと)の立(たて)るが如し。】。

 三途河(さうづがは)の婆子(ばし)にして、獨坐なり。

 又、この堂の在る邊り、古木、陰欝、幽邃、云(いふ)ばかりなし。

 又、かの像、甚(はなはだ)、靈應あり。

 時として、彼之(かの)怒(いかり)に逢(あひ)たる者か、一夜の中(うち)に、人の衣服を剝ぎて、堂邊の樹杪(じゆべう)に懸(かけ)あること、往々、あり。」

とぞ。

 又、彼國、デヨの地は、溫泉の出(いづ)る所。」

とぞ。

 然れば、「デヨ」は「出湯(デユ)」の訛(なまり)ならん。

■やぶちゃんの呟き

「行辨」「修驗(しゆげん)」「行智が父」「朝日日本歴史人物事典」の息子の「行智」(安永七(一七七八)~天保一二(一八四一)年)の解説を引くと、『江戸後期の山伏』で、『修験道の教学者』にして『悉曇(梵学)学者』であった。『俗称を松沼』、『字を慧日』、『阿光房と称した。父の行弁のあとを継いで』、『江戸浅草福井町の銀杏八幡宮の覚吽院を住持した。祖父の行春と父について』、『内外の典籍を学び』、『冷泉家歌道』や『書道によく通じ』、『特に悉曇学にすぐれ』、『平田篤胤に教授した。真言宗系修験道の当山派の惣学頭』、『法印大僧都に任じられ』てい『る。修験道の信仰や修行が衰退したため』、『復興しようとする意図のもとに』、『修験道の来歴・故事伝承・教学に関する著作を多く著し』、『今日に伝えている』とあった。

「三途河姥大像」「越後國蒲原郡デヨ」現在は新潟県阿賀野市羽黒にある髙徳寺の管理となっている羽黒優婆尊(グーグル・マップ・データ)である。東直近の阿賀野市出湯(でゆ)の「出湯温泉」が確認出来る。「ZIPANG TOKIO 2020 編集局」のサイト内の「全国の姥神像行脚(その13)新潟五頭山麓 羽黒地区『優婆堂』優婆尊縁起によると…【寄稿文】廣谷知行」の解説と画像があるので参照されたい。但し、肝心の「三途河姥大像」=奪衣婆の像は、『幕の下ろされた厨子に祀られて』おり、『中にある姥神像は基本的に秘仏であり、常には公開してい』ないとあり、『しかし』、『毎月』二十『日にご祈祷するときに公開してい』るとあった。写真撮影は許されていないらしく、ネットで画像を探したが、見当たらなかった。上記ページでは本篇が抄出ながら、紹介されており、その後に、『長身の人が立ったぐらいの大きさの、坐った状態の姥像があるとされていますが、現在の像はそこまで大きくはないようです』とあったので、或いは、江戸後期に作り直された可能性もあるか。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「相学的中」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

    

 

 相学的中【そうがくてきちゅう】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻五〕予<根岸鎮衛>が許へ来る栗原某は相術を心掛けしが、誠に的中といへる事も、未熟ながら有る事なりと退譲して語りけるは、近頃夏の事なりしが、築地<東京都中央区内>辺へ行きて帰りける時、護持院原の茶店に腰掛けて、暫し暑を凌ぎけるに、町人躰の者両人、これも茶店に寄りて汗など入れて、何か用事有りてこれより戸塚<神奈川県横浜市>とやらん、川崎<神奈川県川崎市>とやらんヘ出立する由咄合ひしを、栗原つくづくと彼者の面を見るに、誠に相法に合はすれば剣難の相顕然たる故、見るに忍びず立寄りて、御身は旅の用事、如何様なる事なりやと尋ねければ、我等遁れざる者の、娘を誘はれ引出して、川崎宿の食盛(めしもり)に売りし由、これに依つてかしこへ至りて、取戻す手段なす事なりと語りけるにぞ、さあらば人を頼みて遣はし候とも、または知る人もあらば、書通にてよくよく礼してその後行き給ふべし、我等相術を少々心掛けけるが、御身の相剣難の愁ひ歴然に顕れたれば、見るに忍びず語り申すなりと言ひしに、彼者大いに驚き、厚く礼謝して住所など尋ねけれど、礼を請けんとの事にあらずとて立別れしが、かの栗原は施薬をもなしける故、右町人にも限らず、同じく凉みし者へ施薬など致しけるが、右包紙に宅をも記し置ける故にや、五七日過ぎて右町人、小肴《こざかな》を籠に入れて栗原が許へ来り、誠に御影にて危難をまぬかれしなり。その日の事なりしが、かの旅龍屋にては右女の事に付き、大きに物いひありて、怪我などせし者ありしと跡にて聞きけるが、我等も彼所へ至りなば、果して変死をもなさん、偏《ひとへ》に御影なりと厚く礼を述べて帰りし。これ等近頃の的中といふべしと自讃して咄しぬ。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之五 相學的中の事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「千両箱掘出し」 / 「せ」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇を以って「せ」の部は終わっている。]

 

 千両箱掘出し【せんりょうばこほりだし】 〔蕉斎筆記〕大坂に法花津屋《ほけづや》といふ豪富家有り。また伊予にも法花津屋とて富家有り。その先祖を尋ねけるに、法花津の城主の末孫にて、その後苗《こうべう》に至り衰微し、誠に日々を鰷(どじやう)[やぶちゃん注:ママ。この漢字は通常は「はや」と読み、複数の淡水魚を指すもので、これをドジョウに当てる読みを私は本邦の本草書でも見たことがない。(つくり)の「條」に引かれた誤字であろう。]を掘《ほり》て年月を送りけるが、大坂の先祖と伊予の先祖と、毎夜々々申合せて鰷掘りに出でけるに、或夜大坂の先祖より誘ひければ、今宵はあまり寒しとて断りける故、一人行きけるが、土橋の下にて千両入りの金箱を掘出せり。年号月日法花津城主何某と書付け有り。さては先祖の我に給はりし金なりと、直に大坂へ趣き商売に取付き、後には豊饒《ほうぜう》に暮しけるに、右一緒に行かざる伊予の法花津屋の先祖を呼び登せ云ひけるは、さて只今迄は沙汰をせざりしが、このまへ寒夜の時分、鰷掘りに一人行きしに、この金箱を掘出せり、それより直に大坂ヘ来り、段々立身したり、その時分そなたと一緒に行くならば、半分分けにすべきなり、今はそなたも難儀にくらすべし、この方にて安楽に養ひ申すべしと申しければ、伊予の者もその金箱を見けるに、二つの内と書付け有りける故、断りいひて直に立帰り、その土橋の下を掘りけるに、また一箱据出せり。それよりこれも身上《しんしやう》に取付き、今に繁昌して大坂伊予とも数代《すだい》相続《あひつ》ぎ、その時より今に至る迄、一家同姓のよしみをなす。不思議なる事ども也。誠に先祖の陽徳、この両人へ授けたまひしなり。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(右ページ上段七行目から)で視認出来る。なお、この記事はパート標題『寬政六寅年拔書』で、グレゴリオ暦一七九四年一月三十一日から一七九五年二月十八日の間に書かれたものであることが判る。

「伊予にも法花津屋とて富家有り」「宇和島市役所」公式サイト内の「吉田ふれあい国安の郷」の『代表的な建造物 商家「法花津屋(ほけづや)」』に以下のようにあった(一部の不審な字空けを詰めた)。

   《引用開始》

法花津屋は、伊予吉田藩の御用商人である三引高月甚十郎の店舗として使われていた建物です。建築されたのは安政6年(1859年)。役柱に約45cmもの材木が使われているなどの豪壮な商家建築で、幕末のこの地方の建築様式を今に伝える貴重な建造物といえます。法花津屋は酒や紙を中心とした問屋業で、帆船を所有し、手広く商いを行っていました。質屋、網、金融などの事業まで幅広く行っていたと言われています。法花津屋の主であった三引高月家は、吉田藩の開藩とともに吉田に住み、現在の宇和島市吉田町魚棚に店を構えていました。当主は代々「甚十郎」の名を踏襲し、御用商人として藩の財政に関与したり、町年寄を務める等、伊予吉田藩の藩政にも強い影響力を持っていたといわれています。高月家当主のうち、三代目当主 高月狸兄(たかつきりけい 生年不詳~1762)と、六代目当主 高月虹器(たかつきこうき 17531825)は、愛媛県における俳諧史にその名を残す文化人であり、特に虹器は、書道や茶道などにも通じ、「吉田先家流」と称する挿花の一派を興して多くの門人を育てました。門人の数は時に400名近くに及び、現在の高知県佐川町あたりからの門人も多くいたとされます。また、虹器のまとめた「年賀集」という図録兼文芸集は、愛媛県南予地方から発信された化政文化の精華といえます。

   《引用終了》

調べてみると、この伊予の法花津屋は大阪方面へも手広く商いをし、財を築いたという記載がネット上にあるから、「大坂に法花津屋といふ豪富家有り」とあるのも、親族か手堅い暖簾分けの人物であろう。と言うより、この話自体が、大坂・伊予の法花津屋の繁栄の伝説そのものなのであろう。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「先夫の幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 先夫の幽霊【せんぷのゆうれい】 〔反古のうらがき巻一〕友人斎藤朴園が続従(のちぞひ)の妻は、これも新たに寡(やもめ)にして、再び朴園へ嫁せしなり。様子がらもよろしく在るに、按堵のおもひをなせしに、一日忽ち吾に暇《いとま》くれ候へとせちにこひけり。固《もと》より留むべき辞もなければ、その意に任せて帰しけるが、跡にて聞けば、或夕暮庭より内に入りしに、前の夫が座敷の内に居《をり》しとて、里付の婢に語りしよし。その後再び何方へか嫁せしよしなりしが、この度は井に入りて死せしよし、はたして狂気に疑ひなし。朴園も早く帰せし故、この禍《わざはひ》を免れたりと語りあへり。

[やぶちゃん注:「反古のうらがき」複数回既出既注。私は既にブログ・カテゴリ「怪奇談集」で全電子化注を終わっている。当該話は「反古のうらがき 卷之一 幽靈」であるが、恐らく、国立国会図書館デジタルコレクションの国書刊行会編の「鼠璞十種 第一」(大正五(一九一六)年刊)に所収するものに宵曲は従ったのであろうが、リンク先は多分、編者が編集して、逆に話しをつまらなくしてしまっているのである。私の正字表現のものを見て欲しいが、怪異を語る彼女の台詞は、本来は――「或夕暮、庭より内に入しに、前の夫と座敷の内に居し」――なのである! ただ一字、「と」を「が」に代えた辻褄合わせが、逆に話を糞つまらなくしてしまっているのである。彼女は妄想性の強い統合失調症かとは思われるが、真の本篇の恐怖は、「夫と自分とが座敷の内に並んでいた」というところにあるのであって、この編者は怪談の核心を理解していない救いようのない阿呆と言わざるを得ない。

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「樹々の一家」(+奥書・奥附) / 「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文)~了

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 本記事を以って以上のブログ版新版電子化注を終了する。

 

 

   樹々の一家

 

 

 太陽の烈(はげ)しく照りつける野原を橫切つてしまふと、初めて彼等に遇ふことができる。

 彼等は道のほとりには住まはない。物音がうるさいからである。彼等は未墾の野のなかに、小鳥だけが知つてゐる泉のへりを住處(すみか)としてゐる。

 遠くからは、はいり込む隙間もないやうに見える。が、近づいて行くと、彼等の幹は間隔をゆるめる。彼等は用心深く私を迎へ入れる。私はひと息つき、肌を冷やすことができる。然し、私には、彼らぢつとこちらを眺めながら警戒してゐるらしい樣子がわかる。

 彼等は一家を成して生活してゐる。一番年長のものを眞ん中に、子供たち、やつと最初の葉が生えたばかりの子供たちは、ただなんとなくあたり一面に居竝び、決して離れ合ふことなく生活してゐる。

 彼等はゆつくり時間をかけて死んで行く。そして、死んでからも、塵となつて崩れ落ちるまでは、突つ立つたまま、みんから見張りをされてゐる。

 彼等は、盲人(めくら)のやうに、その長い枝でそつと觸れ合つて、みんな其處にゐるのを確める。風が吹き荒んで、彼等を根こそぎにしようとすると、彼等は怒つて身をくねらす。然し、お互の間では、口論ひとつ起らない。彼らは和合の聲しか囁かないのである。

 私は、彼等こそ自分の本當の家族でなければならぬといふ氣がする。もう一つの家族などは、直ぐ忘れてしまへるだらう。この樹木たちも、次第に私を家族として遇してくれるやうになるだらう。その資格が出來るやうに、私は、自分の知らなければならぬことを學んでゐる――

 私はもう、過ぎ行く雲を眺めることを知つてゐる。

 私はまた、ひとところにぢつとしてゐることもできる。

 そして、默つてゐることも、まづまづ心得てゐる。

 

Kiginoikka

 

[やぶちやん注:樹種は不明。主人公「私」は動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱正獣(サル)下綱霊長(サル)目真猿(サル)亜目狭鼻(サル)下目ヒト上科ヒト科ヒト属ヒト Homo sapiens 。臨川書店全集の佃裕文氏の後注に、ルナールの日記の『一九〇五年十月二十三日』(満四十一歳)『のつぎの文章を参照のこと。』とあり、訳が示される(全集の日記の巻の別な訳者のものよりも理解し易いので、佃氏の訳をそのまま引く。〔 〕は佃氏の割注)。

   《引用開始》

「もし私が神お折り合いをつけることが出来るなら、彼に私を樹に変身させてくれるよう頼むであろう。クロアゼット岬〔マルセイユ南方の岬〕の上から我が村を眺められるような樹にである。そうとも、私には彫像なぞよりその方がいい」

   《引用終了》

この「クロアゼット岬」(Cap Croisette)はここ(グーグル・マップ・データ航空写真)である。注意が必要だが、この「村」は一般普通名詞の「村」であって、同岬から見渡せる「村」の意で、特定の村を意識しているものではあるまい。因みに、彼は「私には彫像なぞよりその方がいい」と言っているが、一九一〇年五月二十二日に四十六で没した彼は、ブルゴーニュのニエーヴル県シトリー=レ=ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ:ルナールはこの村の村長となった)の墓地に埋葬されたが、フランス語の同地のウィキには、ルナールの像の記念碑が建立されてある。]

 

 

 

 

UNE FAMILLE D'ARBRES

 

C'est après avoir traversé une plaine brûlée de soleil que je les rencontre.

Ils ne demeurent pas au bord de la route, à cause du bruit. Ils habitent les champs incultes, sur une source connue des oiseaux seuls.

De loin, ils semblent impénétrables. Dès que j'approche, leurs troncs se desserrent. Ils m'accueillent avec prudence. Je peux me reposer, me rafraîchir, mais je devine qu'ils m'observent et se défient.

Ils vivent en famille, les plus âgés au milieu et les petits, ceux dont les premières feuilles viennent de naître, un peu partout, sans jamais s'écarter.

Ils mettent longtemps à mourir, et ils gardent les morts debout jusqu'à la chute en poussière.

Ils se flattent de leurs longues branches, pour s'assurer qu'ils sont tous là, comme les aveugles. Ils gesticulent de colère si le vent s'essouffle à les déraciner.

Mais entre eux aucune dispute. Ils ne murmurent que d'accord.

Je sens qu'ils doivent être ma vraie famille. l'oublierai vite l'autre. Ces arbres m'adopteront peu à peu, et pour le mériter j'apprends ce qu'il faut savoir :

Je sais déjà regarder les nuages qui passent.

Je sais aussi rester en place.

Et je sais presque me taire.

 

 

 

[やぶちゃん注:以下、底本の奥書。本文の四字下げ位置からポイント落ちで上部にある。電子化しないが、下方には印刷で「第」とあり、ブルー・インクのスタンプ印字で限定番号がアラビア数字「12」(重なっているため明確でないが、ガンマ補正して見ると、「12」と判る)先に打たれ、その下方に重なって、「10」と打ち直してある。

 

 本書は限定印行部數一千一百部。

 その一百部は越前國今立郡岡本村

山田九兵衞別漉透入鳥子程村紙印刷、

挿繪木版刷十一葉オフセット刷二葉

凸版刷一葉を附し、漢字番號壹より

百に至る。

 その一千部は極上質紙印刷、挿繪

木版刷五葉オフセット刷二葉凸版刷

一葉を附し、亞剌比亞數字番號1よ

1000に至る。

 他に非賣本各若干部を刊行す。而

して本書はその

 

 

 

[やぶちゃん注:以下、奥附。枠等は一切、ない。ブラウザの不具合を考えてポイントを落とした。]

 

譯者 岸田國士

發行者 福 岡 淸 發行所 株式會社白水社 東京市神田區小川町三丁目八番地

印刷者 白井赫太郞 印刷所 精興社 東京市神田區錦町三丁目十一番地

製本者 中野和一 製本所 中野製本所 東京市京橋區越前堀三丁目二番地

印刷擔當者 橫井作次老製本擔當者 麻生勇助

挿繪 木版印刷室田欣二 オフセット印刷上原昇 凸版印刷今井萬之助

 昭和十四年七月五日印刷 同年七月十五日發行

                                     頒價三圓五十錢

 

 

[やぶちゃん注:因みに、愛する芥川龍之介は彼自身の複数の作品中のアフォリズムで、明らかにルナールの「博物誌」を意図的に意識して参考にしている。中でも、大正九(一九二〇)年一月及び十月発行の雑誌『サンエス』に分割掲載され、後に『夜來の花』に所収(初出の内の一部を削除している)された「動物園」は、私には『そこまでやるか?』と感じてしまうほど、本書を剽窃・改竄したとしか思われないアフォリズムが頻出している。私は大学時代の深夜、岩波の全集で読んで、何となく哀しい気になったことを忘れない。リンク先の私のサイト版を見られたい。

[やぶちゃん追記:因みに、近々、同じ仕儀を、サイト版『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』を元に、やらかそうと画策している。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「獵期終る」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    獵期終る

 

 

 どんよりした、短い、まるで頭と尻尾(しつぽ)を齧(かぢ)り取られたやうな、みじめな一日である。

 晝ごろ、佛頂面をした太陽が、霧の晴れ間から覗きかけて、蒼白い眼を薄目にあけたが、また直ぐつぶつてしまふ。

 私は當てもなく步き廻る。持つてゐる鐵砲も、もう役にたたぬ。いつもは夢中になつてはしやぐ犬も、私のそばを離れない。

 河の水は、あんまり透きとほつてゐて眼が痛いくらゐだ。そのなかに指を突つ込んだら、きつと硝子のかけらのやうに切れるだらう。

 切株畑のなかでは、私が一足踏み出すごとに、ものうげな雲雀が一羽飛び出す。彼等はみんな一緖になり、ぐるぐる飛び廻る。が、その羽搏きも、凍りついた空氣を殆ど搔き亂すか亂さないかである。

 向ふの方では、鴉の修道僧の群れが、秋蒔きの種子(たね)を嘴で掘り返してゐる。

 牧場の眞ん中で、鷓鴣が三羽起ち上る。綺麗に刈られた牧場の草は、もう彼女らの姿を隱さない。

 まつたく、彼女らも大きくなつたものだ。かうして見ると、もう立派な貴婦人である。彼女らは不安さうに、ぢつと耳を澄ましてゐる。私はちやんと彼女らの姿を見た。が、そのまま默つて、通り過ぎて行く。そして何處かでは、恐らく、顫へあがつてゐた一匹の兎が、ほつと安心して、また巢の緣に鼻を出したことだらう。

 この生垣で(ところどころに、散り殘つた葉が一枚、足をとられた小鳥のやうに羽搏いてゐる)に沿つて行くと、一羽のくろ鶫が、私の近づくたびに逃げ出しては、もつと先の方へ行つて隱れ、やがてまた犬の鼻つ先から飛び出し、もうなんの危險もなく、私たちをからかつてゐる。

 次第に、霧が濃くなつて來る。道に迷つたやうな氣持だ。鐵砲も、かうして持つてゐると、もう爆發力のある杖に過ぎない。いつたい何處から聞えて來るのだ、あの微かなもの音、あの羊の啼き聲、あの鐘の音、あの人の叫び聲は?

 どれ、歸る時刻だ。既に消え果てた道を辿つて、私は村へ戾る。村の名はその村だけが知つてゐる。つつましい百姓たちが、其處に住んでゐて、誰一人、彼等を訪れて來るものはない――この私よりほかには。

 

Ryoukiowwaru

 

[やぶちやん注:オール・スター・キャストを各個提示する。なお、ルナールの狩猟に就いては、「鷓鴣」の私の後注の最初の部分を必ず参照されたい。

「雲雀」脊椎動物亜門鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis

「鴉」スズメ目カラス科カラス属 Corvus sp.

「鷓鴣」鳥綱キジ目キジ亜目キジ科キジ亜科Phasianinaeの内、「シャコ」と名を持つ属種群を指す。特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる、イワシャコ属アカアシイワシャコ Alectoris rufa に同定しても構わないだろう。本篇でも多出し、『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でも取り上げられることが多い、ルナールに親しい鳥である。

「兎」哺乳綱兎形目ウサギ科ウサギ亜科 Leporinaeの多様な種を指すが、まずここはノウサギLpues sp. としてよいであろう。種が多く、分布が複雑で、種まで限定することは難しい。

「くろ鶫」既に何度も述べたが、ここで言う“merle”は、スズメ目ツグミ科ツグミ属クロツグミTurdus cardisではなく、同属のクロウタドリTurdus merulaではないかと思われる。

「犬」哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イヌCanis lupus familiaris

「羊」哺乳綱鯨偶蹄目ウシ亜目ウシ科ヤギ亜科ヒツジ属ヒツジ Ovis aries 。]

  

 

 

 

FERMETURE DE LA CHASSE

 

C'est une pauvre journée, grise et courte, comme rognée à ses deux bouts.

vers midi, le soleil maussade essaie de percer la brume et entr'ouvre un oeil pâle tout de suite refermé.

Je marche au hasard. Mon fusil m'est inutile, et le chien, si fou d'ordinaire, ne s'écarte pas.

L'eau de la rivière est d'une transparence qui fait mal : si on y plongeait les doigts, elle couperait comme une vitre cassée.

Dans l'éteule, à chacun de mes pas jaillit une alouette engourdie. Elles se réunissent, tourbillonnent et leur vol trouble à peine l'air gelé.

Là-bas, des congrégations de corbeaux déterrent du bec des semences d'automne.

Trois perdrix se dressent au milieu d'un pré dont l'herbe rase ne les abrite plus.

Comme les voilà grandies ! Ce sont de vraies dames maintenant. Elles écoutent, inquiètes. Je les ai bien vues, mais je les laisse tranquilles et m'éloigne. Et quelque part, sans doute, un lièvre qui tremblait se rassure et remet son nez au bord du gîte.

Tout le long de cette haie (ça et là une dernière feuille bat de l'aile comme un oiseau dont la patte est prise), un merle fuit à mon approche, va se cacher plus loin, puis ressort sous le nez du chien et, sans risque, se moque de nous.

Peu à peu, la brume s'épaissit. Je me croirais perdu.

Mon fusil n'est plus, dans mes mains, qu'un bâton qui peut éclater. D'où partent ce bruit vague, ce bêlement, ce son de cloche, ce cri humain ?

Il faut rentrer. Par une route déjà effacée, je retourne au village. Lui seul connaît son nom. D'humbles paysans l'habitent, que personne ne vient jamais voir, excepté moi.

 

2023/11/21

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「千人の昼幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 千人の昼幽霊【せんにんのひるゆうれい】 〔奇異珍事録〕我等小普請方勤役の内、手代組頭に山下幸八郎と云ふ者あり。渠《かれ》あまり老年にあらざれども、両足叶はざるゆゑ、勤にさゝはり、常々苦労したり。上州草津へ二度迄湯治しけるが、その印《しる》しなかりしまゝ我等月番の節、幸八願ひけるは、私《わたくし》痛所《いたむところ》両度迄の湯治印し無ㇾ之間、この度豆州熱海へ湯治致度候、乍ㇾ然《さりながら》最早三度の事ゆゑ、内々相伺ひ候なり。我等言へるは、病気の事に付き、苦しかるまじとは思へども、上《かみ》の事は如何あるべきやも知れざる事ゆゑ、内々奉行迄承り遣《つかは》すべしと、則ちその節の小普請奉行小幡山城守へ内々申し達すに、時の若年寄小出信濃守殿へ御内々伺はれし所、それは病気の事に付き苦しからず、然し書面に度数認(したた)むるは如何なれば、三度と云ふ事は認めず、書附出《いだ》すべしとの御事ゆゑ、その趣に書附出させ差上げて、事故なく御暇《おんいとま》相済み、湯治し帰りけり。我等東海道は、巡見の節并《ならび》に鎌倉鶴ケ岡御修復御用の節、駿州清水湊へ御材木の請取方に相越し、江尻迄行きたれば案内しれり。これによりて幸八、道中の咄しあり。さして珍事も無ㇾ之候へども、替りたる咄し箱根にて承りたるとて咄しけるは、今年七月十六日に二子山を、昼八ツ時頃[やぶちゃん注:不定時法で午後二時過ぎ。]、幽霊千人ばかり幡《はた》天蓋をかざし通りし由、右峠の者も皆々見候由、駕籠の者咄したりしとなり。その後我等京都の御普請御用にて登る節、箱根人足の内、甚だ口を聞くやつあり。落し咄しまたは狂歌など咄して、中々道のなぐさみになりけるまゝ、近く呼びて聞くに、この者いふは、旦那をば久しくて供《とも》するとなり。それは如何の事と問ふに、見知れる事あり、具足櫃の紋などは違《たが》はず、然し鑓の鞘、むかしは赤かりしが、今は白しといふ。成程もと赤うるしを、京都へ出立前《いでたつまへ》、白うるしにて塗直《ぬりなほ》したり。さるにても覚えよき男なり。我等此所を通りしは、巡見御用の節にて二十二年前なり、近頃鎌倉鶴岡御修復御用の節、駿州清水湊へ御材木の事に付き往来せしも、早十四年なり、それに鑓の鞘迄覚え居《を》るはいぶかし、慥《たしか》に汝は江戸の者にて、常に我を知れるなるべし、道中往来の諸士、その数量るべからず、十年も経し事、覚ゆべき謂(いは)れなしと云ひしに、この者笑ひて、供すれば忘るゝ事なし、私成程むかし江戸浅草の蔵前に有りしが、今この商売せり、故に名をも蔵前々々と人々呼ぶとなり。さあらば覚えよき汝、尋ねたき事あり、あれなる二子山に、近き頃昼幽霊余多(あまた)出し事ありやと聞く。彼《かの》男答ふは、その年地震して往来も道違《たが》ひ、外《ほか》の道通ひ路《ぢ》、湖水も乾きなどして色々の怪有り、七月十八日昼八ツ時<午後二時>頃、成程人数《にんず》あまた幽霊、二子山を通りしと語る。幸八が物語りせしに寸分違はず、蔵前が覚えも奇なり。幽霊は夜の物にて、二人出たるを聞かず。これはさにあらず。凡そ千人程と云へるは、珍らしき事なれば爰に記す。

[やぶちゃん注:「奇異珍事録」は既出既注だが、再掲すると、幕臣で戯作者にして俳人・狂歌師でもあった木室卯雲(きむろぼううん 正徳四(一七一四)年~天明三(一七八三)年:彼の狂歌一首が幕府高官の目にとまった縁で御広敷番頭(おひろしきばんがしら)に昇進したとされる。四方赤良らの天明狂歌に参加した。噺本「鹿(か)の子餅」は江戸小咄流行の濫觴となった)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『鼠璞十種』第一(大正五(一九一六)年国書刊行会刊)のこちら(「二の卷」の『○幽靈』)で視認出来る。何だか怖くも、面白くも糞くもない話だが、千人の幽霊というのは、確かに読んだことも、聴いたこともなく、古今東西の怪談の中でもトビっきりの特異点の話ではある。この話の欠点は、事実であることを証明するためのくだくだしい信憑性を語る前振りが、だらだらと続き過ぎていて、肝心の「千人の昼幽霊」が、霞んでしまい、読者に、よく想起されないところにある、と私は考える。但し、芦ノ湖に近く、しかも標高が千九十九メートルと高いことから、ブロッケン現象・蜃気楼・逆転層反射等が起こって、参勤交代の大名行列のそれが、たまさか、映ったに過ぎないものであろう。

「小出信濃守」小出英持(ふさよし)は丹波国園部藩五代藩主。伊勢守から信濃守に叙任している。寛延元(一七四八)年七月一日、若年寄に就任しており、明和四(一七六七)年十月十五日に現職のまま、六十二歳で死去しているから、この閉区間(約十九年)が本話の時制となる。

「二子山」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「二人出たるを聞かず。」「二人は勿論、一人でも出たということも、これ、聴いたことがない。」という強調形か。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「善通寺狸」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 善通寺狸【ぜんつうじたぬき】 〔耳囊巻一〕讃州松山善通寺<香川県善通寺市>、大地の禅林にてありしが、文化一、二の年にもありしよし、彼寺に暫く納所といふべき事せし僧あり。至つて律儀篤実の僧にて、寺中諸勘定の事預かりしが、元来算勘等不案内の僧徒の事なれば、潔白正路に執り行ふといへども、金子弐拾両程の勘定何分相立たず、朝夕この事を思ひなやみて、色々改むるといへども、その出る所なし。兼ねて律儀の僧ゆゑ、所詮生きて居《ゐ》ば恥辱なりと、一途に思ひつめて、所詮死すべしと思ひ極め、その事認(したた)め置きて、今宵は死すべしと、坐を組みてありけるに、戸さしの外にて暫く待ち給へと声懸けし故、心中の事なれば、人の知るべき謂れなし、何者なりやと咎めぬれば、先づ表へ出《いで》給へ、申すべき事ありといふ故、不思議の事なりと立出で見れば、古狸にて、恐れ給ひそ、御身も聞き及びなん、我はこの山に数年《すねん》住めるものなり、御身何故心志《しんし》を労し、死すべきと思ひ極めしぞととふ故、かく心決せし上は、隠すべきにあらず、しかじかの事にて、我死を決せり、兼ねて山中に年久しく住める狸ありとは聞きしが、いかなる故にか、我死をとゞむるやと尋ねければ、何程の事なりやと尋ねて、二十金の由を聞き、何卒明後日までに調達なさんと約して立帰りしが、かの僧心に思ひけるは、狸の金子所持すべきやうなし、全く盗み取りてわれを救はん心なるべし、我手を出さずとも、彼《か》れが盗みとりし金にて間を合せんは、盗も同じ事なりと存じ返し、狸を呼び止めて、志は過分至極なれど、この事止めにすべし、汝がもつべき金にあらざれば、定めて他より盗み取るなるべしと、いさいに断りければ、尤もなる事なれど、さらさらその如くの事にあらず、心を安んじ給へといひて出で去りぬ。さて翌々日に至り、夜に入りて待ちけるに、狸来りて金二十両渡しぬ。うれしくも約をたがへざる事と歓び謝して、かの金改め見るに、常の小判にあらず。いかなる金なりやと尋ねければ、かの狸答へけるは、これは土佐の境、人倫たえたる幽谷へ、長曾我部没落の時、器財金銀を押埋め取捨てたるなり、これを取らんとする我党のものも、容易に取得《とりえ》がたし、漸《やうや》くこの通りの数を揃へし也、善通寺の山に年久しく住みて、子孫も多く食にも不足の事ありしが、御身納所にて、仏へ備ふる食物等を山へ捨て給ふゆゑ、我眷属を養ふ事を得たり、この恩をも報じたく、また御身退き給はゞ、いかなる納所か出で来て、我等が為にもあしかるべしと、かくこそ思ひつゞけ、眷属(みうち)共を催して、漸く右埋金を取得しなりと語りてさりぬ。さてかの金を見るに、通用の品にあらざれば、引替へんにもし方《かた》なく、今は隠すべきにあらざれば、住僧ヘしかじかの事、一部始終かたりければ、住僧大いに驚き、年中の勘定ゆゑ、不足あらばその訳申せしとて、死に及ぶ事、夢々あるべき事ならずと、彼が貞実を感じ、さて右の金子、住僧の取計らひにもなり難きゆゑ、事の訳を領主役所へ訴へければ、領主にても奇異の事に思ひ、かの金子通用金子に直せば、いか程ならんと、その職の者へ尋ねしに、百金余になるべき由ゆゑ、右の金子は領主に留め置き、百金余を善通寺ヘ与へけるとなり。

[やぶちゃん注:私のものでは、底本違いで、「耳嚢 巻之八 讚岐高松善通寺狸の事」である。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鴫(しぎ)」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

   (しぎ)

 

 

 四月の太陽は既に沈み、行き着く所に行き着いたやうに、ぢつと動かない雲の上に、薔薇色の輝きが殘つてゐるばかりだつた。

 夜が地面から這ひ上がつて來て、次第に私たちを包んだ。林の中の狹い空地で、父は鴫の來るのを待つてゐたのである。

 そばに立つてゐる私も、やつと父の顏だけがはつきり見えてゐた。私より背の高い父には、私の姿さへ見えるか見えないくらゐだつた。犬も私たちの足元で、姿は見えず、ただ喘ぐ息遣ひだけが聞えてゐた。

 鶫は、林の中に歸ることを急いでゐた。くろ鶫は、例の喉を押しつけたやうな叫び聲を頻りにあげてゐた。その馬の嘶きのやうな鳴き聲は、すべての小鳥たちにとつて、もう囀るのをやめて寢ろと命令する聲である。

 鴫は、ほどなく、その枯葉の中の隱れ家(が)を出て、舞ひ上つて來るだらう。今晚のやうな穩かな天氣の日には、鴫は、平地へやつて行く前に、途中でゆつくり道草を喰ふ。林の上を廻りながら、頻りに道連れを搜し求める。その微かな叫び聲で、こつちへやつて來るのか、遠くへ行つてしまふのかわかるのである。彼は大きな槲(かしは)の樹の間を縫つて、重たげに飛んで行く。長い嘴が低く垂れ下り、恰度、小さなステッキを突いて、空中を散步してゐるやうに見える。

 私が八方に眼を配りながら、ぢつと耳を澄ましてゐると、その時突然、父がぶつぱなした。然し、いきなり跳び出して行つた犬のあとを父は追はなかつた。

 「駄目だつたの?」と、私は言つた。

 「擊つたんじやないんだ」と、父は云つた。「彈丸(たま)が出ちまつたのさ、持つてゐるうちに」

 「ひとりでに?」

 「うん」

 「ふうん……。木の枝にでも引つかかつたんだね、きつと?」

 「さあ、どうだか」

 父が空になつた藥莢を外してゐるのが聞えた。

 「いつたい、どういふ風に持つてたの?」

 その意味がわからなかつたのだろうか?

 「つまりさ、銃先(つつさき)はどつちに向いてたの?」

 父がもう返事をしないので、私もそれ以上云ふ勇氣がなかつた。が、たうとう私は云つた――

 「よく當らなかつたもんだ……犬に」

 「もう歸らう」と、父は云つた。

 

[やぶちやん注:ボナールの絵はない。「鴫」はシギ科 Scolopacidaeの模式種であるチドリ目シギ科ヤマシギ属ヤマシギ Scolopax rusticola としてよい。

「鶇」だが、「鳥のゐない鳥籠」に出る「茶色の鶫」で注したが、再掲すると、そちらの原文は『“grive brune”で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ヒタキ上科ツグミ科ツグミ属 Turdus だが、異様に種が多い。別に、ヨーロッパで広く棲息する茶色のツグミに似た種を調べてみたところ、ツグミ科にチャツグミ属  Catharus があり、その中のチャイロコツグミ Catharus guttatus が名にし負うことが判ったので、有力候補として掲げておく。学名のグーグル画像検索もリンクさせておく。「茶色の鶫」と呼ぶに相応しいという気はする』としたのに従う。

「くろ鶫」も、また、「くろ鶇(つぐみ)!」で注したのを再掲すると、merle”は私の辞書では、確かに『鶇』とあるのだが、スズメ目ツグミ科ツグミ属クロツグミ Turdus cardisは名の割には、腹部が白く(丸い黒斑点はある)、「のべつ黑裝束で」というのに違和感がある。これは「クロツグミ」ではなく、が全身真黒で、黄色い嘴と、目の周りが黄色い同じツグミ属のクロウタドリTurdus merulaではないかと思われる』としたのに従う。

「槲(かしは)」これも既に述べたが、再度、示すと、フランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名はcommon oakQuercus roburを挙げてもよいだろう。

 なお、この一篇は、『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』の「最初の鴫(しぎ)」も、このシークエンスを下敷きにしているように見える。参照されたい。

 さて。この一篇には、ある非常に深いネガティヴな不吉な雰囲気が漂っている。前に述べたが、ルナールは、一八六四年にマイエンヌ県シャロン=デュ=メーヌ(Châlons-du-Maine)で生まれたが、二年後、一家は市長となった父の出生地であったシトリー・レ・ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に定住したので、このロケーションはそちらである(後、十七歳の時、パリに出、四区のリセ・シャルルマーニュに入っている)。父フランソワ・ルナール(François Renard 一八二四年~一八九七年)は、かねてより病気を患っており、自分が不治の病であることを知っていて、一八九七年六月十九日、猟銃(ショットガン)で心臓を撃ち抜き、自殺している。ルナール三十三歳の時であった。本「博物誌」初版を刊行した翌年のことであった。この一篇に銃の暴発の一件は、事実であると思って問題ないが、ルナールにとっては後に起こった、父の、この猟銃自殺が、結果して、《偶然のトラウマの翳》を落としていることになるのである。

「彼は大きな槲(かしは)の樹の間を縫つて、重たげに飛んで行く。」誤訳である。原文は“Elle passe d'un vol lourd entre les gros chênes et son long bec pend si bas qu'elle semble se promener en l'air avec une petite canne.”で“Elle”は「彼女」の意。題名の“LA BÉCASSE”の通り、“Bécasse”(山鴫)は女性名詞である。]

 

 

 

 

LA BÉCASSE

 

Il ne restait, d'un soleil d'avril, que des lueurs roses aux nuages qui ne bougeaient plus, comme arrivés.

La nuit montait du sol et nous vêtait peu à peu, dans la clairière étroite où mon père attendait les bécasses.

Debout près de lui, je ne distinguais nettement que sa figure. Plus grand que moi, il me voyait à peine, et le chien soufflait, invisible à nos pieds.

Les grives se dépêchaient de rentrer au bois où le merle jetait son cri guttural, cette espèce de hennissement qui est un ordre à tous les oiseaux de se taire et de dormir.

La bécasse allait bientôt quitter ses retraites de feuilles mortes et s'élever. Quand il fait doux, comme ce soir-là, elle s'attarde, avant de gagner la plaine. Elle tourne sur le bois et se cherche une compagne. On devine, à son appel léger, qu'elle s'approche ou s'éloigne. Elle passe d'un vol lourd entre les gros chênes et son long bec pend si bas qu'elle semble se promener en l'air avec une petite canne.

Comme j'écoutais et regardais en tous sens, mon père brusquement fit feu, mais il ne suivit pas le chien qui s'élançait.

- Tu l'as manquée ? lui dis-je.

- Je n'ai pas tiré, dit-il. Mon fusil vient de partir dans mes mains.

- Tout seul ?

- Oui.

- Ah !... une branche peut-être ?

- Je ne sais pas.

Je l'entendais ôter sa cartouche vide.

- Comment le tenais-tu ?

N'avait-il pas compris ?

- Je te demande de quel côté était le canon ?

Comme il ne répondait plus, je n'osais plus parler.

Enfin je lui dis :

- Tu aurais pu tuer... le chien.

- Allons-nous-en, dit mon père.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「善光寺の棟木」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 善光寺の棟木【ぜんこうじのむなぎ】 棟木とは棟に用いる材木[やぶちゃん注:ママ。宵曲の注なのに括弧も内にもない。そもそもこんな注はいらないと私は思う。]〔裏見寒話附録〕善光寺の本堂は撞木造《しゆもくづくり》にして、横十五町、奥行廿五間、永禄年中武田信玄建立、飛驒の工《たくみ》の造営とかや。その頃甲信両国を尋ぬれども、廿五間の棟木に用ゆべき良材なし。爰に中郡筋《なかごほりすぢ》高畑村に一株の古柳あり。数百年を歴《へ》れども、朽る事なし。寔(まこと)に牛を蔽ふ老樹、この木ならでは棟木に用ゆべき木なしとぞ。已に伐る事に究りぬ。その頃隣里《となりざと》遠光寺村の農家に一人の娘ありける。齢《よはひ》二八[やぶちゃん注:十六歳。]ばかりにして、埴生の内に育つといへども、容貌美しくて心優し。その上裁縫の𨻶々《ひまひま》には、いつとなく敷嶋の道[やぶちゃん注:歌道。]にも入りしかば、両親も別して愛する事切なりけり。しかるに人目を忍び、彼女の許へ夜毎に通ひくる人あり。始めの程は女もこれを恥かしき事に思ひけるが、いつとなく馴染けるに、遠寺の入相《いりあひ》に暮を急ぎ、近村の雞鳴に袂を湿《しめら》す。しかるに或夜この男、頻りに涙にむせびて申しけるは、我其方と契りを結ぶ事、已に二とせに余りぬといへども、今は今生《こんじやう》の縁尽きて、偕老のさだめ、比翼の誓も今夜限りと、名残惜しく覚ゆと云ひければ、女大いに驚き、こは情なき事を云ひ玉ふ物哉《かな》、思はずも君に引かれまゐらせ、仇にたつ名の難波潟、蘆の仮寝の一夜をも、二世のえにしと聞くものを、ましてや年月のつもる、その中今さら斯《かく》もわすらるゝ身をぞ思はず、ちかひてし君が命の惜しければ、只この上虎伏す野辺、鯨よる浦迄も是非に付そひ玉はんと、袖や袂にすがりつき、涙にむせぶ有様に、男も猶さら泪に沈み、一樹の陰に宿り、一河のながれを汲むだに、他生の縁と聞くなれば、君が誠の心にめでて、我身の上を語るべし、我誠は人間にあらず、高畑村の古柳の精、この女《むすめ》の艶色を愛《め》で、仮に人体《じんてい》と化《け》し、夫婦《めをと》の約《ちぎり》をなす処に、明日は善光寺の棟木の為に、千年の命を失ふなり、然りと雖も仏法道場の良材となれば、悉皆《しつかい》成仏疑ひなし、我伐り取らるゝと雖も、千二千の人力を以て動かすとも動かじ、その時はそちらが立出《たちいで》て、一声の音頭を上げて呉《くれ》れば、難なく板垣の里に至るべし、必ず忘れ玉ふなと、いふかと思へば、その姿忽然として消失《きえう》せぬ。女は名残ををしみながら、今さら斯《かか》る化生《けしやう》と契りし事のおそろしく、忙然として居《ゐ》たりしが、翌日彼《かの》柳倒し、数千《すせん》の人数《にんず》を以て板垣の里へ引付けんとするに、少しも動かず。奉行長吏《ちやうり》[やぶちゃん注:ここは「寺の長」として寺務を統轄した役僧のことであろう。]大に当惑して居《をり》たる所へ、彼女《かのむすめ》立出て柳に向ひ、今様を唄ふと否《いなや》、動揺して難なく善光寺へ引付け、本堂も成就し、無双の伽藍となりしとぞ。信玄この因縁の咄を聞き、彼女に手厚き褒美を賜ひしとぞ。

[やぶちゃん注:「裏見寒話」「小豆洗」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『甲斐志料集成』第三(昭和八(一九三三)年甲斐志料刊行会刊)のここの「追加」巻頭の「○善光寺の棟木」がそれ。本話は、恐らく後の、私の好きな、文楽の「三十三間堂棟由来」(本来は浄瑠璃「祇園女御九重錦(ぎおんにょうごここのえにしき)」の三段目「平太郎住家の段」のみの上演外題)に影響を与えた話であろう。三十三間堂建立のために切られることになった柳の精お柳が、横曾根平太郎と契ってもうけた一子「緑丸」と別れを告げる場。段末の、柳を都へ送る木遣音頭(きやりおんど)が名高い。

「善光寺」当該ウィキによれば、『戦国時代の、善光寺平は信濃侵攻を行う甲斐国の武田晴信(信玄)と北信国衆を庇護する越後国の上杉謙信の争いの舞台となり(川中島の戦い)、寺は兵火を被り荒廃した。この後、善光寺如来は寺地を地方に流転することになるが、行く先については諸説ある。通説では、上杉氏による戦災からの保護を口実として、武田信玄により善光寺は善光寺別当の栗田氏と共に、寺ごと武田氏居館のある甲斐国甲府へ移され、この時に建てられたのが今日の山梨県甲府市にある甲斐善光寺であるとする。別の説では、善光寺を保護したのは上杉謙信であり、本尊や仏具は高梨氏によって越後国の十念寺(浜善光寺)に移された後、上杉景勝の米沢藩への国替えによって現在は法音寺 (米沢市)と熊野神社(南陽市)にあるとされる』とある。甲斐善光寺はここ。但し、現在の本堂は寛政元(一七八九)年の上棟で、竣工は寛政八(一七九六)年と伝える。詳しい寺歴は、当該ウィキを見られたい。

「十五町」一・六三六キロメートル。

「廿五間」四十五・四五メートル。

「永禄年中」弘治四年二月二十八日(ユリウス暦一五五八年三月十八日、「永禄」に改元) 正一五五八年から永禄十三年四月二十三日(同前一五七〇年五月二十七日) 元亀に改元。

「武田信玄」彼は元亀四年四月十二日(同前一五七三年五月十三日)没。

「中郡筋」広域旧地名。戦国末期から江戸時代に使用された現在の山梨県内の広域の旧称で、「九筋二領」の一つ。甲府盆地の中央部を占め、巨摩郡・山梨郡・八代郡に跨る。

「高畑村」山梨県甲府市高畑(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。

「遠光寺村」高畑の東で荒川を挟んだ対岸に日蓮宗遠光寺がある。現在の地名は山梨県甲府市伊勢。

「板垣の里」現在の地名では見当たらないが、「ひなたGPS」の戦前の地図で甲斐善光寺のある箇所が『里垣村』とあり、その中に『板垣』の地名を確認出来る。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鷓鴣」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

Syako1

 

 

     (しやこ)

 

 

 

 鷓鴣と農夫とは、一方は鋤車(すきぐるま)の後ろに、一方は近所の苜蓿(うまごやし)の中に、お互に邪魔にならないくらゐの距離を隔てて、平和に暮らしてゐる。鷓鴣は農夫の聲を識つてゐる。怒鳴つたり喚いたりしても怖がらない。

 鋤車が軋(きし)つても、牛が咳をしても、または驢馬が啼き出しても、それは別になんでもないのである。

 で、この平和は、私が行つてそれを亂すまで續くのである。

 ところが、私がやつて來る。すると鷓鴣は飛んでしまふ。農夫も落着かぬ樣子である。牛も驢馬もその通りである。私は鐵砲を擊つ。すると、この狼藉者の放つた爆音によつて、あたりの自然は悉く調子を亂してしまふ。

 

 

 これらの鷓鴣を、私は先づ切株の間から追ひ立てる。次に苜蓿のなかから追ひ立てる。それから、草原のなか、それから生垣(いけがき)に沿つて追ひ立てる。ついでなほ、林の出つ張りから追ひ立てる。それからあそこ、それから此處……。

 それで、突然、私は汗をびつしよりかいて立ち停る。そして怒鳴る――

「ああ、畜生、可愛げのないやつだ。人をさんざん走らせやがる!」

 

 

 遠くから、草原のまんなかの一本の木の根に、何か見える。

 私は生垣に近づいて、その上から覗いてみる。

 どうしてもその樹の蔭に鳥の頸が一つ突き出てゐるやうに思はれる。さう思ふと、もう心臟の鼓動が激しくなる。この草のなかに、鷓鴣がゐなくて何がいよう。親鳥が、私の跫音を聞きつけて、早速いつもの合圖をしたに違ひない。そして子供たちを腹這ひに寢させて、自分もからだを低くしてゐるのだ。頭だけが眞つ直に立つてゐる。それは見張りをしてゐるのだ。が、私は躊躇する。なぜなら、その首が動かないのである。間違へて、木の根を擊つても馬鹿馬鹿しい。

 ところどころ、樹のまはりには、黃色い斑點が、鷓鴣のやうでもあり、また土くれのやうでもあり、私の眼はすつかり迷つてしまふ。

 うつかり追ひ立てて、ほんとに鷓鴣が飛び出したら、樹の枝が邪魔になつて追ひ擊ちはできない。それよりも、そのまま地上にゐるのを擊つ、つまり玄人の獵師の所謂「人殺し」をやつた方がいい。

 ところが、その鷓鴣の首らしいものが、いつまでたつても動かない。

 永い間、私は隙を覘つてゐる。[やぶちゃん注:「覘つて」「うかがつて」。]

 果してそれが鷓鴣であるとすれば、その動かないこと、警戒の周密なことは、まつたく驚くべきものである。それに、ほかのが、また、よくいふことを聽いて、この護衞者に恥ぢない見事な警戒ぶりである。どれ一つ動かない。

 私は、そこで驅引をしてみるのである。私は、からだぐるみ、生籬のうしろに隱れて、しばらくその方を見ないでゐる。といふのは、こつちで見てゐるうちは、向ふでも見てゐるわけだからである。

 これでもう、どつちも姿が見えなくなつた。死の沈默が續く。

 やがて、私は顏を上げて見た。

 今度こそは確かである。鷓鴣は私がゐなくなつたと思つたに違ひない。首が以前より高くなつてゐる。そして、それを急に引つこめた動作が、もう疑ひの餘地を與へない。

 私は、おもむろに銃尾を肩に當てる……。

 

 

 夕方、からだは疲れてゐる。腹はふくれてゐる。すると、私は、多くの獲物のあつた快い眠りに就く前に、その日一日追い廻した鷓鴣のことを考へる。そして、彼等がどんなにして今夜を過すだらうかといふことを想像してみる。

 彼等は氣違ひのやうになつて騷いでゐるに違ひない。

 どうしてみんな揃はないのだろう、いつも集る時刻に?

 どうして、苦しがつてゐるものがあるのだらう――それから、傷口を嘴で押さへながら、どうしてもぢつと立つてゐられないものが?

 どうして、またあんなに、みんなを怖がらせるやうなことをやり始めたんだらう?

 やつと、休み場所に落着いたと思ふと、直ぐもう見張りのものが警報を傳へる。また飛んで行かなければならない。草なり株なりを離れなければならない。

 彼等は逃げてばかりゐるのである。聞き慣れた音にさへ驚くのである。

 彼等はもう遊んではゐられない。喰ふものも喰つてゐられない。眠つてゐられない。

 彼等は何がなんだかわからない。

 

 

 傷ついた鷓鴣の羽が落ちて來て、ひとりでに、この誇らかな獵師の帽子に刺さつたとしても、私はそれがあんまりだとは思はない。

 

 

 雨が降り過ぎたり、旱天(ひでり)が續き過ぎたりして、犬の鼻が利かなくなり、私の銃先(つつさき)が狂ふやうになり、鷓鴣のそばへも寄りつけなくなると、私はもう正當防衞の權利でも與へられたやうな氣になる。

 

 

 鳥の中でも、鵲とか、樫鳥(かけす)とか、くろ鶫(つぐみ)とか、鶫とか、腕に覺えのある獵師なら相手にしない鳥がある。私は腕に覺えがある。

 私は、鷓鴣以外に好敵手を見出さない。

 彼等は實に小ざかしい。

 その小ざかしさは、遠くから逃げることである。然し、それを逃がさないで、とつちめるのである。

 それはまた、そつと獵師をやり過すことである。が、そのうしろから、あんまり早く飛び出して、獵師がうしろを振返るのである。

 それは、深い苜蓿の中に隱れることである。然し、獵師は眞つ直にそこへ行くのである。

 それは、飛ぶ時に、急に方向を變へることである。然し、そのために間隔が詰るのである。

 それは、飛ぶ代りに走るのである。人間より早く走るのである。然し、犬がゐるのである。

 それは、追はれて離れ離れになると、互に呼び合ふのである。然し、それが獵師を呼ぶことにもなるのである。獵師にとつて、彼等の歌を聞くほど氣持のいいものはない。

 

 

 その若い一組は、もう親鳥から離れて、新しい生活を始めてゐた。私は、夕方、畑のそばで、それを見つけたのである。彼等は、ぴつたり寄り添つて、それこそ翼(はね)を組んでといふ格好で舞ひ上がつた。で、一方を殺した彈丸(たま)は、そのままもう一方を突き落としたのである。

 一方は何も見なかつた。何も感じなかつた。然し、もう一方は、自分の連れ合ひが死ぬのを見、そのそばで自分も死んで行くのを感じるだけのひまがあつた。

 この二羽の鷓鴣は、いづれも地上の同じ場所に、幾らかの愛と、幾らかの血と、そして何枚かの羽とを殘したのである。

 獵師よ、お前は一發で、見事に二羽をしとめた。早く歸つて、うちのものにその鷓鴣の話を聞かせてやれ。

 

 

 あの年を取つた去年の鳥、折角育てた雛を殺された親鳥、彼等も若いのに劣らず愛し合つてゐた。いつ見ても、彼等は一緖にゐた。いつ見ても、彼らは一緖にゐた。彼等は逃げることが上手だつた。私は、强ひてそのあとを追ひ驅けようとはしなかつた。その一方を殺したのも、全く偶然であつた。で、それから、私はもう一方を搜した――可哀さうだから一緖に殺してやたうと思つて!

 

 

 或るものは、折れた片脚をだらりと下げて、まるで私が絲で括つてつかまへてでもゐるやうな恰好だ。

 或るものは、最初はほかのもののあとについて行くが、たうとう翼(はね)が利かなくなる。地上に落ちる。ちよこちよこ走りをする。犬に追はれながら、身輕に、半ば畝を離れて、走れるだけ走るのである。[やぶちゃん注:「畝」戦後版では『うね』のルビがある。]

 或るものは、頭のなかに鉛の彈丸(たま)を擊ち込まれる。ほかのものから離れる。狂ほしく、空の方に舞ひ上がる。樹よりも高く、鐘樓の雄鷄よりも高く、太陽を目がけて舞ひ上るのである。すると、獵師は氣が氣ではない。しまひにそれを見失つてしまふ。が、その時、鳥は重い頭の重量をたうとう支へきれなくなる。翼を閉じる。遙か向ふへ、嘴を地に向けて、矢のやうに落ちて來る。

 或るものは、犬を仕込むとき鼻先へ投げてやる襤褸つきれのやうに、ぎゆつとも云はず落ちる。

 或るものは、彈丸(たま)が飛び出すと同時に、小舟のやうにぐらつく。そして、ひつくり返る。

 また或るものは、どうして死んだのかわからないほど、傷口が羽のなかに深くひそんでゐる。

 或るものは、急いでポケットに押し込む――人にも自分にも見られまいとするやうに。

 或るものはなかなか死なない。さういふのは絞(し)め殺す必要がある。私の指の間で、空(くう)をつかむ。嘴を開く。細い舌がぴりぴりと動く。すると、ホメロスの言葉を借りれば、その目の中に死の影が降りて來る。

 

 

 向ふで、百姓が、私の鐵砲の音を聞きつけて、頭を上げる。そして、私の方を見る。

 つまり私たちの審判者なのだ。この働いてゐる男は……。彼は私に話をするつもりなのだ。そして、嚴かな聲で、私を恥ぢ入らせるだらう。

 ところが、さうでない、それは、時としては、私のやうに獵ができないのが癪で、業を煑やしてゐる百姓である。時としては、私のやることを面白がつて見てゐるばかりでなく、鷓鴣がどつちへ行つたかを敎へてくれるお人好しの百姓である。

 決して、それが義憤に燃えた自然の代辯者であつたためしはない。

 

 

 私は、今朝、五時間も步き廻つた揚句、空(から)の獲物囊を提げ、頭をうなだれ、重い鐵砲を擔いで歸つて來た。暴風雨(あらし)の來さうな暑さである。私の犬は、疲れ切つて、小走りに私の前を步きながら、ずつと生垣に沿つて行く。そして、何度となく、木蔭に坐つて、私の追ひつくのを待つてゐる。

 すると、恰度、私がすがすがしい苜蓿の中を通つてゐると、突然、彼はぱつと立ち停つた。といふよりは、腹這ひになつた。それが實に一生懸命なとまり方で、植物のやうに動かない。ただ、尻尾(しつぽ)の先だけが顫へてゐる。てつきり、彼の鼻先に、鷓鴣が何羽かゐるのだ。直ぐそこに、互にからだをすりつけて、風と陽(ひ)とをよけてゐるのだ。彼等の方ではちやんと犬の姿が見えてゐる。私の姿も見えてゐる。多分、私の顏に見覺えがあるかも知れない。で、すつかり怯えきつて、飛び立たうともしないのだ。

 ぐつたりしてゐた氣持が急に引き緊つて、私は身構へる。そしてぢつと待つ。

 犬も私も、決してこつちから先には動かない。

 と、遽(にはか)に、前後して、鷓鴣は飛び出す。どこまでも寄り添つて、ひとかたまりになつてゐる。私はそのかたまりのなかへ、拳骨で毆るように、彈丸(たま)を擊ち込む。そのうちの一羽が、見事に彈丸(たま)を喰つて、宙に舞ふ。犬が跳びつく。そして血だらけの襤褸みたいな、半分になつた鷓鴣を持つて來る。拳骨が、殘りの半分をふつ飛ばしてしまつたのである。[やぶちゃん注:「拳骨」言わずもがなだが、弾丸の換喩である。]

 さあ、行はう。これでもう空手(からて)で歸らないでも濟む。犬が雀躍(こをどり)する。私も得得としてからだをゆすぶる。

 

 

 まつたく、この尻つぺたに、一發、彈丸(たま)を擊ち込んでやつてもいい。

 

Syako2

 

[やぶちやん注:「鷓鴣」鳥綱キジ目キジ亜目キジ科キジ亜科Phasianinaeの内、「シャコ」と名を持つ属種群を指す。特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる、イワシャコ属アカアシイワシャコ Alectoris rufa に同定しても構わないだろう。本篇でも多出し、『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でも取り上げられることが多い、ルナールに親しい鳥である。なお、岩波の辻昶氏も臨川書店全集の佃裕文氏も、ともに『山うづら』と訳しておられるが、これは全く従えない。何故なら、標準和名ヤマウヅラは、キジ亜科ヤマウズラ属ヤマウズラ Perdix dauuricae であるが、同種はウズベキスタン・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・中国北部或いは北東部・トルキスタン・モンゴル・ロシア(ウスリー)にしか分布しないからである。バイ・プレーヤーの「犬」は哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イヌCanis lupus familiaris 。本篇は既に二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがあり、全集の佃氏の後注に、その『初出は一八九九年一月二日「エコール・ド・パリ」』であるとあり、続けて、『ルナールは一八九七年ころから『日記』や書簡で狩猟にたいする嫌悪を表明しはじめ、一九〇〇年十二月二十二日の日記には栗鼠を一匹殺した後で、「殺害の嫌悪」という表題で何か書こうと考え、「大決心。私はもう狩猟はしない。そして一年後にはフィリップにもそれを止めさせる」と記すにいたった。』(既注であるが、「フィリップ」(Philipppe)というのは、ルナールの多くの著作に登場する主人公の使用人のモデルとなった、ショーモとシトリーで、ルナール家の使用人であったシモン・シャリュモーのこと)『しかしこれ以降にも野生の動物を殺した記述が見られるが、一九〇五年八月三十日』(死の五年前)『の狩猟の記述が最後のものと思われる。一九〇九年八月三十日』(死の九月前)『の書簡で「私はもう狩猟はやらない」と書いている』とある。日記は全集で確認した。

「苜蓿(うまごやし)」被子植物門双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ウマゴヤシ属ウマゴヤシ Medicago polymorpha 若しくは、ウマゴヤシ属Medicagoの種。ヨーロッパ(地中海周辺)原産の牧草。江戸時代頃、国外の荷物に挟み込む緩衝材として本邦に渡来した帰化植物である。葉の形はシロツメクサ(クローバー:マメ科シャジクソウ属 Trifolium亜属Trifoliastrum節シロツメクサ Trifolium repens )に似ている。『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でもお馴染みのアイテムである。

「鵲」鳥綱スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica

「樫鳥(かけす)」スズメ目カラス科カケス属カケス Garrulus glandarius 。但し、約三十もの亜種がいるのでカケスGarrulus sp. とすべきか。

「くろ鶫(つぐみ)」「くろ鶇(つぐみ)!」で既注であるが、そのまま再掲すると、“Merle”は私の辞書では、確かに『鶇』とあるのだが、スズメ目ツグミ科ツグミ属クロツグミ Turdus cardisは名の割には、腹部が白く(丸い黒斑点はある)、「のべつ黑裝束で」というのに違和感がある。これは「クロツグミ」ではなく、が全身真黒で、黄色い嘴と、目の周りが黄色い同じツグミ属のクロウタドリTurdus merulaではないかと思われる。

「鶫」「鳥のゐない鳥籠」で既注であるが、そこに出る「茶色の鶇」に注して、私は、『原文は“grive brune”で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ヒタキ上科ツグミ科ツグミ属 Turdus だが、異様に種が多い。別に、ヨーロッパで広く棲息する茶色のツグミに似た種を調べてみたところ、ツグミ科にチャツグミ属  Catharus があり、その中のチャイロコツグミ Catharus guttatus が名にし負うことが判ったので、有力候補として掲げておく。学名のグーグル画像検索もリンクさせておく。「茶色の鶫」と呼ぶに相応しいという気はする。』とした。ここも同種である可能性がすこぶる高いと思う。

「或るものはなかなか死なない。さういふのは絞(し)め殺す必要がある。私の指の間で、空(くう)をつかむ。嘴を開く。細い舌がぴりぴりと動く。すると、ホメロスの言葉を借りれば、その目の中に死の影が降りて來る。」。『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』の「鷓 鴣(しゃこ)」を参照されたい。また、「ホメロスの言葉を借りれば、その目の中に死の影が降りて來る」全集の佃氏は『彼の眼にはホメロスの言う「死の闇が降り」る』と訳され、後注に、『ホメロス』(紀元前八世紀末の古代ギリシャのアオイドス(吟遊詩人))『の『イリアッド』や『オデッセイ』によく出て来る表現』とある。

 なお、以下の原文は、原本に従い、行空けを施した。]

 

 

 

 

LES PERDRIX

 

La perdrix et le laboureur vivent en paix, lui derrière sa charrue, elle dans la luzerne voisine, à la distance qu'il faut l'un de l'autre pour ne pas se gêner. La perdrix connaît la voix du laboureur, elle ne le redoute pas quand il crie ou qu'il jure.

Que la charrue grince, que le boeuf tousse et que l'âne se mette à braire, elle sait que ce n'est rien.

Et cette paix dure jusqu'à ce que je la trouble.

Mais j'arrive et la perdrix s'envole, le laboureur n'est pas tranquille, le boeuf non plus, l'âne non plus. Je tire, et au fracas d'un importun, toute la nature se désordonne.

 

Ces perdrix, je les lève d'abord dans une éteule, puis je les relève dans une luzerne, puis je les relève dans un pré, puis le long d'une haie ; puis à la corne d'un bois, puis...

Et tout à coup je m'arrête, en sueur, et je m'écrie :

- Ah ! les sauvages, me font-elles courir !

 

De loin, j'ai aperçu quelque chose au pied d'un arbre, au milieu du pré.

Je m'approche de la haie et je regarde par-dessus.

Il me semble qu'un col d'oiseau se dresse à l'ombre de l'arbre. Aussitôt mes battements de coeur s'accélèrent. Il ne peut y avoir dans cette herbe que des perdrix. Par un signal familier, la mère, en m'entendant, les a fait se coucher à plat. Elle-même s'est baissée. Son col seul reste droit et elle veille. Mais j'hésite, car le col ne remue pas et j'ai peur de me tromper, de tirer sur une racine.

Ça et là, autour de l'arbre, des taches, jaunes, perdrix ou motte de terre, achèvent de me troubler la vue.

Si je fais partir les perdrix, les branches de l'arbre m'empêcheront de tirer au vol, et j'aime mieux, en tirant par terre, commettre ce que les chasseurs sérieux appellent un assassinat.

Mais ce que je prends pour un col de perdrix ne remue toujours pas.

Longtemps j'épie.

Si c'est bien une perdrix, elle est admirable d'immobilité et de vigilance, et toutes les autres, par leur façon de lui obéir, méritent cette gardienne. Pas une ne bouge.

Je fais une feinte. Je me cache tout entier derrière la haie et je cesse d'observer, car tant que je vois la perdrix, elle me voit.

Maintenant nous sommes tous invisibles, dans un silence de mort.

Puis, de nouveau, je regarde.

Oh ! cette fois, je suis sûr ! La perdrix a cru à ma disparition. Le col s'est haussé et le mouvement qu'elle fait pour le raccourcir la dénonce.

l'applique lentement à mon épaule ma crosse de fusil...

 

Le soir, las et repu, avant de m'endormir d'un sommeil giboyeux, je pense aux perdrix que j'ai chassées tout le jour, et j'imagine la nuit qu'elles passent.

Elles sont affolées.

Pourquoi en manque-t-il à l'appel ?

Pourquoi en est-il qui souffrent et qui, becquetant leurs blessures, ne peuvent tenir en place ?

Et pourquoi s'est-on mis à leur faire peur à toutes ?

A peine se posent-elles maintenant, que celle qui guette sonne l'alarme. Il faut repartir, quitter l'herbe ou l'éteule.

Elles ne font que se sauver, et elles s'effraient même des bruits dont elles avaient l'habitude.

Elles ne s'ébattent plus, ne mangent plus, ne dorment plus.

Elles n'y comprennent rien.

 

Si la plume qui tombe d'une perdrix blessée venait se piquer d'elle-même à mon chapeau de fier chasseur, je ne trouverais pas que c'est exagéré.

Dès qu'il pleut trop ou qu'il fait trop sec, que mon chien ne sent plus, que je tire mal et que les perdrix deviennent inabordables, je me crois en état de légitime défense.

Il y a des oiseaux, la pie, le geai, le merle, la grive avec lesquels un chasseur qui se respecte ne se bat pas, et je me respecte.

Je n'aime me battre qu'avec les perdrix ! .

Elles sont si rusées !

Leurs ruses, c'est de partir de loin, mais on les rattrape et on les corrige.

C'est d'attendre que le chasseur ait passé, mais derrière lui elles s'envolent trop tôt et il se retourne.

C'est de se cacher dans une luzerne profonde, mais il y va tout droit.

C'est de faire un crochet au vol, mais ainsi elles se rapprochent.

C'est de courir au lieu de voler, et elles courent plus vite que l'homme, mais il y a le chien.

C'est de s'appeler quand on les divise, mais elles appellent aussi le chasseur et rien ne lui est plus agréable que leur chant.

 

Déjà ce couple de jeunes commençait de vivre à part.

Je les surpris, le soir, au bord d'un labouré. Elles s'envolèrent si étroitement jointes, aile dessus, aile dessous je peux dire, que le coup de fusil qui tua l'une démonta l'autre.

L'une ne vit rien et ne sentit rien, mais l'autre eut le temps de voir sa compagne morte et de se sentir mourir près d'elle.

Toutes deux, au même endroit de la terre, elles ont laissé un peu d'amour, un peu de sang et quelques plumes.

Chasseur, d'un coup de fusil tu as fait deux beaux coups : va les conter à ta famille.

 

Ces deux vieilles de l'année dernière dont la couvée avait été détruite, ne s'aimaient pas moins que des jeunes. Je les voyais toujours ensemble. Elles étaient habiles à m'éviter et je ne m'acharnais pas à leur poursuite. C'est par hasard que j'en ai tué une. Et puis j'ai cherché l'autre, pour la tuer, elle aussi, par pitié !

 

Celle-ci a une patte cassée qui pend, comme si je la retenais par un fil.

Celle-là suit d'abord les autres jusqu'à ce que ses ailes la trahissent ; elle s'abat, et elle piète ; elle court tant qu'elle peut, devant le chien, légère et à demi hors des sillons.

Celle-ci a reçu un grain de plomb dans la tête. Elle se détache des autres. Elle pointe en l'air, étourdie, elle monte plus haut que les arbres, plus haut qu'un coq de clocher, vers le soleil. Et le chasseur, plein d'angoisse, la perd de vue, quand elle cède enfin au poids de sa tête lourde. Elle ferme ses ailes, et va piquer du bec le sol, là-bas, comme une flèche.

Celle-là tombe, sans faire ouf ! comme un chiffon qu'on jette au nez du chien pour le dresser.

Celle-là, au coup de feu, oscille comme une petite barque et chavire.

On ne sait pas pourquoi celle-ci est morte, tant la blessure est secrète sous les plumes.

Je fourre vite celle-là dans ma poche, comme si j'avais peur d'être vu, de me voir.

Mais il faut que j'étrangle celle qui ne veut pas mourir. Entre mes doigts, elle griffe l'air, elle ouvre le bec, sa fine langue palpite, et sur les yeux, dit Homère, descend l'ombre de la mort.

 

Là-bas, le paysan lève la tête à mon coup de feu et me regarde.

C'est un juge, cet homme de travail ; il va me parler ; il va me faire honte d'une voix grave.

Mais non : tantôt c'est un paysan jaloux qui bisque de ne pas chasser comme moi, tantôt c'est un brave paysan que j'amuse et qui m'indique où sont allées mes perdrix.

Jamais ce n'est l'interprète indigné de la nature.

 

Je rentre ce matin, après cinq heures de marche, la carnassière vide, la tête basse et le fusil lourd. Il fait une chaleur d'orage et mon chien, éreinté, va devant moi, à petits pas, suit les haies, et fréquemment, s'assied à l'ombre d'un arbre où il m'attend.

Soudain, comme je traverse une luzerne fraîche, il tombe ou plutôt il s'aplatit en arrêt : c'est un arrêt ferme, une immobilité de végétal. Seuls les poils du bout de sa queue tremblent. Il y a, je le jurerais, des perdrix sous son nez. Elles sont là, collées les unes aux autres, à l'abri du vent et du soleil. Elles voient le chien, elles me voient, elles me reconnaissent peut-être, et, terrifiées, elles ne partent pas.

Réveillé de ma torpeur, je suis prêt et j'attends.

Mon chien et moi, nous ne bougerons pas les premiers.

Brusquement et simultanément, les perdrix partent :

toujours collées, elles ne font qu'une, et je flanque dans le tas mon coup de fusil comme un coup de poing. L'une d'elles, assommée, pirouette. Le chien saute dessus et me rapporte une loque sanglante, une moitié de perdrix.

Le coup de poing a emporté le reste.

Allons ! nous ne sommes pas bredouille ! Le chien gambade et je me dandine d'orgueil.

 

Ah ! je mériterais un bon coup de fusil dans les fesses !

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「全家死脈」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 全家死脈【ぜんかしみゃく】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻五〕或医の語りけるは、道三<曲直瀬道三(まなせどうさん)>諸国遍歴の時、或浦方少廻りしに、一人の漁家の男、その血色甚だ衰へたる故、その家に立寄り家内の者を見るにいづれも面色枯衰せし故、脈を取り見るに、いづれも死脈なれば、その身の脈を取りて見るに、これもまた死脈なり。大きに驚き、かく数人死脈の有るべき様なし。浦方なれば津浪などの愁ひあらん。早々此所を立去りて、山方へなりとも引越すべしと、右漁夫が家内を進めて連れ退きしが、果してその夜津浪にて、右浦の家々は流れ失せ、多く溺死せるものありしと也。病だに知れ難きに、かかる神脈は誠に神仙とも云ふべきやと語りぬ。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之五 道三神脈の事」を見られたい。]

2023/11/20

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「銭降る」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 銭降る【ぜにふる】 〔真佐喜のかつら〕同国<出羽>仙北郡斎内村<秋田県大仙市内か>百姓嘉兵衛と言ふ者の家に(年暦不ㇾ知、寛政・享和頃)銭のふりし事ありき。みとせ程前五月の頃、女房或夜の夢に、一人の翁来りて袋をあたふべき間、この方へこよと言ふにまかせ、かしこへ行くに袋落ちて有り。拾ひたると見て目覚たり。枕元に一の袋有り。ふしぎにとり揚げみれば、六寸程の木綿袋にて、銭八十文入りありたり。かの夢に見たる神様の授け給ひしと、大切になし置けるが、或時老母の他へ行くに、折あしく銭なければ、袋の銭半ばをあたふ。その後子供の銭ほしと云ふにまかせ、また少しをあたふ。残れる銭を以て寺へ参り、帰りにかの袋を失ひぬ。残りをしさ限りなく過ぎ行くうち、また夢みる事あり。或川辺にて六七人の僧にあふ。その僧等のいふ、この舟に乗れといふに任せ乗りけるに、うた唄へといへど、唄ふ事しらざれば、いなみけれど、せちにせむるに是非なく、ひとふし唄ひければ、僧みなうれしがりて、いましは心直(すぐ)なる者なれば、これをあたふべしと小袋ひとつめぐむ。またひとふし唄へと言ふに、また歌ふ。その声に夫おどろき、何かおそはるゝにやといふに、目覚みるに、袋ひとつ枕辺にあり。中に銭拾八文を入れたり。不思議なる事と思ふに付、先に失ひし袋残りをしく、こたびは失はじと箱に入置きけるに、誰言ふとなく、人しりて見たき旨望むもあり。隠すべき事にもなければ、箱を開きけるに銭三文ましたり。またあきれて箱に納めしが、その頃より二文三文ツヽ[やぶちゃん注:ママ。]何所よりか降る事、昼夜絶えず。またこれを聞きて見に来る者増増《ますます》[やぶちゃん注:ここの後半は底本では踊り字「〱」。]多く、しだいに銭も降りまして凡そ三貫文余りになりぬ。心直ぐなる者なれば、その銭にて米を求め、酒を造り来《きた》る者に振舞ふ。かくする事神仏も悦び給ふか、銭増〻ふる事夥しかりしかば、日にまし家ゆたかになりしが、いつしかその事やみたり。右喜兵衛が妻、心すなほにして母に孝あり、夫に貞なる故、かゝる不思議もありけると皆もてはやしつ。<『雪のふる道』にこの話がある>

[やぶちゃん注:以上は行末で終わっており、普通、新たに改行した場合は、一字空けがあるはずだが、ないので、繋がっているものと思われるが、『ちくま文芸文庫』に従い、改行した。

「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここから正字表現で視認出来る。

「出羽」「仙北郡斎内村」「秋田県大仙市内か」現在の秋田県大仙(だいせん)市太田町(おおおたちょう)斉内(さいない:グーグル・マップ・データ)。

「寛政・享和」一七八九年から一八〇五年一月まで。

「雪のふる道」この後の「譚海」の作者である津村正恭(まさやす)の紀行。天明八年十一月十五日(グレゴリオ暦一七八八年十二月十二日)に江戸を立ち、秋田に赴き、年を越えて滞在、寛政二年四月(天明九年一月二十五日(グレゴリオ暦一七八九年二月十九日に「寛政」に改元。因みに寛政二年四月一日は一七九〇年五月十四日)の初めに江戸に帰るまでのそれ(二度目の秋田への旅であった)。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第二十(三田村鳶魚校訂/随筆同好会編/昭和三(一九二八)年米山堂刊)のこちらで正字表現で視認出来る。なお、リンク先では書名は「雪の降道」となっている。以上の話と表現も酷似するので、「真佐喜のかつら」の作者青葱堂冬圃(せいそうどうとうほ)は、この話を剽窃したものであろう。それが判っているのであるから、宵曲はこちらの方を話として引くべきであった。

〔譚海巻三〕十二所(じふにしよ)と云ふ所は、其世臣茂木氏代々預り支配する城下なり。支配の給人《きふにん》に正直なるものあり。宝暦五年正月二日[やぶちゃん注:グレゴリオ暦一七五五年二月十一日。]、妻にかたりて云ふ。昨夜大黒天にあたまを槌にてうたるゝと夢見たりと。妻もよき事なるべしといへるに、七種の粥くふ時に[やぶちゃん注:本邦では五節句の最初である旧暦一月七日。]、銭五六文たたみのうへに有り。後《のち》にはいろりの灰にまじりてあり。また土蔵の内に銭おほく出来《いでき》てあり。日々にいづくよりもてくる事ともなく、只家の内にそこらこゝらにあり。時々は銭のふる音すれば、それを見るに誠に銭おちてあり。此を聞き伝へて群集をなせり。国守の聴《ちやう》に達し、検使を付けてたゞされけるに偽りにあらず。かくして五六か月もヘて拾ひ集めたる銭七十貫文に及べり。その後主人歿したれば銭のふる事も止みたりとぞ。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之二 同領地十二所の人家に錢をふらす事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「石妖」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。 

 

 石妖【せきよう】 〔中陵漫録巻十三〕豆州の人嘗て云く、豆州の山中に多く石を出す。此所石工数人《すにん》皆昼休息す。この時に一の婦人来て、此石工に謂つて云く、終日働いて労る(つか)べし、爾が按摩し進ずべしと云ひて、一人の肩を按摩す。その心《ここち》常に異《ことな》りてよし。故に能く寝る。また一人を按摩す。これもまた眠る。此《かく》の如くして眠る事数人、残りの一人熟視して、思ふにこの婦《をんな》甚だ美麗にして凡婦に非ず。これ妖婦なるべしとて、此処を去る。幸ひに猟人《かりうど》に逢ふ。この事を語る。猟人果して狐狸なるべしとて、共に来り見れば、その婦立去つてその石を取る所に至りて猶逃廻《にげまは》す。猟人鉄丸《たま》二つを入れてこれを打つ時は、石の折れて散るが如し。さて怪しと思ひて共に行きて見れば、堅石皆折れて飛散したるのみなり。按ずるにこの婦人即ち石気《せきき》の怪なるべしと云ひて、その眠りたる人を見るに、皆背上《せのうへ》石にて按摩したるが如く、縦横に引疵《ひききず》あり。その人皆気を絶して大病の形の如し。各〻家に還《かへ》して医薬を加へて漸く治すと云ふ。この後も往々妖人出づる事ありと云ふ。予<佐藤成裕>按ずるに『物理小識』曰く、石者気之授土之骨なりと云ふ。この骨《ほね》神の化して婦人となる物なり。

[やぶちゃん注:「会津の老猿」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで(『日本隨筆大成』第三期第二巻昭和四(一九二九)年刊)当該部が正字で視認出来るが、実は私は既に「柴田宵曲 妖異博物館 動く石」で正字で電子化注しているのでそちらを見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「関守の情」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 関守の情【せきもりのじょう】 〔梅翁随筆巻四〕寛政のはじめ、朝大に雨ふりて程なく晴天となり、春色いと長閑(のどか)にして、浪人の体《てい》の者、十二三歳と十歳とばかりの男子弐人連れて、箱根を越して休み居ける所に、雲助来り金五両合力《がふりき》すべしといふ。侍は思ひも寄らぬ事なれば、不埒なるよし答へければ、しからば汝が伴ひし子壱人、女子を男の姿に似せて関を越しゝ事訴ふべしと云ふ。この侍大におどろき、身貧しければ持合せ少なし、金壱両遣はすべしといへども、雲助は得心せずして、つひに訴へに行きけるまゝ侍は進退こゝに極りて、いかんともすべき様なき所に、百姓体《てい》なる旅人来り、このよしを聞き、ひそかに我連れたる男子と、侍の子と衣類を替へ置きける。其所へ雲助に案内させ役人来り、侍の子を改むるに、二人とも男子に相違なければ、虎口の程をのがれ、百姓の子と替へてわかれ行きけり。此百姓体のものは土地の人なるが、内々役人の下知によつて斯く計らひけるとなり。この浪人運つよく役人の情にあひ、必死の程をのがれたり。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」作者不詳の寛政年間を中心とした見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のここ(左ページの「『○箱根の關守情ある事』)で正規表現版が視認出来る。この話、何か、まさに春陽の景の中で、最後にほのぼのとして、実際のショート・フィルムを見るような気がした。

「寛政のはじめ」寛政元(一七八九)年で、寛政は十三年まで。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鴉」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

   

 

 

「なんだ(コア)? なんだ(コア)? なんだ(コア)?」

「なんでもない」

 

Karasu

 

[やぶちやん注:スズメ目カラス科カラス属 Corvus sp.

「なんだ(コア)?」「コア」は「なんだ」へのルビ。“QUOI”という語は発音が「クゥワァ」で、カラスの鳴き声のオノマトペイアを狙いつつ、実際の疑問代名詞の単語“quoi”、「何が?」「何だぁ?」「えっ?」という意味を掛けたもの。俗語では単なる聴き返しにも用いるが、卑語・不服な相手に挑戦的に反問したり、軽蔑的ニュアンスで口を尖らして言う際に用いるから、カラスの太々しい風貌と厭な鳴き声に、これまた、まっこと相応しいのである。]

 

 

 

 

LE CORBEAU

 

- QUOI ? QUOI ? QUOI ?

- Rien.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「隼(はやぶさ)」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

Hayabusahahaitaka

 

 

    (はやぶさ)

 

 

 彼は先づ村の上で何度も圓を描く。

 さつきまでは、ほんの蠅一匹、煤一粒の大きさだつた。

 その姿が次第に大きくなるにつれて、描く園が狹(せば)まつて來る。

 時々、彼はぢつと動かなくなる。庭の鳥どもは不安さうな樣子を見せ始める。鳩は小屋へはいる。一羽の雌鷄はけたたましく鳴きながら、雛鷄(ひよこ)たちを呼び集める。用心堅固な鵞鳥どもが、裏庭から裏庭へがあがあ鳴き立ててゐる聲が聞える。

 隼は躊(ためら)ふように、ぢつと同じ高さのところを飛んでゐる。恐らく、彼は鐘樓の雄鷄を狙つてゐるだけなのかも知れない。

 恰度、一本の絲で空に吊り下げられてゐるやうだ。

 突然、その絲が切れ、隼はさつと落ちて來る。獲物がきまつたのである。下界は、まさに慘劇の一瞬だ。

 が、一同が驚いたことには、彼はまるで重さでも足りなかつたやうに、まだ地面へ着かないうちにぱつたりとまり、そこでひと羽搏きして、また空へ昇つて行く。

 彼は、私が家の戶口でそつと彼の樣子をうかがひながら、からだの後ろに、なんだかぴかぴか光る長いものを隱してゐるのを見たのである。

 

[やぶちやん注:「隼」は鳥綱ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ属ハヤブサFalco peregrinusであるが、問題がある。ハヤブサはフランスにも棲息するが、通常、フランス語では“Faucon pèlerin”と呼び、原文の“ÉPERVIER”というのは、ハヤブサではなく、タカ目タカ科ハイタカ属 ハイタカ Accipiter nisus を指すからである。実際、所持する辻昶訳や臨川書店全集の佃裕文訳も、孰れも『はいたか』(前者)・『ハイタカ』(後者)と訳している。目レベルで異なる全くの異種であるから、これは致命的な誤訳であり、戦後版でも訂正されていない。

「蠅」双翅(ハエ)目短角(ハエ)亜目ハエ下目 Muscomorpha

「鳩」ハト目ハト科 Columbidae のハト類。

「雌鷄」(めんどり)キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ(野鶏)属セキショクヤケイ亜種ニワトリ(庭鶏)ニワトリ Gallus gallus domesticus の♀。

「鵞鳥」鳥綱カモ目カモ科ガン亜科マガン属ハイイロガン Anser anser  とサカツラガン Anser cygnoides の系統に属する品種を基本とするものが、本来のガチョウである。当該ウィキによれば、『現在』、『飼養されているガチョウは』、『ハイイロガンを原種とするヨーロッパ系種』(☜本篇のものはこちら)『と、サカツラガンを原種とする中国系のシナガチョウ』『に大別される。シナガチョウは』、『上』の嘴の『付け根に瘤のような隆起が見られ、この特徴によりヨーロッパ系種と区別することができる』とある。]

 

 

 

 

 

L'ÉPERVIER

 

Il décrit d'abord des ronds sur le village.

Il n'était qu'une mouche, un grain de suie.

Il grossit à mesure que son vol se resserre.

Parfois il demeure immobile. Les volailles donnent des signes d'inquiétude. Les pigeons rentrent au toit.

Une poule, d'un cri bref, rappelle ses petits, et on entend cacarder les oies vigilantes d'une basse-cour à l'autre.

L'épervier hésite et plane à la même hauteur. Peut-être n'en veut-il qu'au coq du clocher.

On le croirait pendu au ciel, par un fil.

Brusquement le fil casse, l'épervier tombe, sa victime choisie. C'est l'heure d'un drame ici-bas.

Mais, à la surprise générale, il s'arrête avant de toucher terre, comme s'il manquait de poids, et il remonte d'un coup d'aile.

Il a vu que je le guette de ma porte, et que je cache, derrière moi, quelque chose de long qui brille.

 

2023/11/19

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「石麵」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 石麵【せきめん】 〔北国奇談巡杖記巻一〕石川郡《いしかはこほり》<加州>に鶴来《つるぎ》といふところあり。いにしへは剱と書けり。こはこのところの氏神《うぢのかみ》を、金劒宮《きんけんぐう》と申し奉りて、巌洞《がんとう》にたゝせ玉ふ故にかく号(なづけ)けるが、中古改めて鶴来と称す。一とせ大飢饉の事ありしに、土民はなはだ愁ひ、この神の祠前《しぜん》にまうでて、活命《くわつめい》をいのること日《ひ》あり。或日、俄かに空かきくもり、石のごとくなる真白《ましろ》きものふりける。これを喰《くら》ふに甘味にして乳《にゆう》のごとし。これにて続命《ぞくめい》すること幾ばくといふ数をしらず。不思議の感応とおもはる。私曰、『本草綱目』に時珍がいへる石麵のたぐひなるべし。越中守江(もりえ)の山中より出るといへり。これらのたぐひか。その後もたびたび降るとぞ。今にこの品をたもつ人ありき。

[やぶちゃん注:「北国奇談巡杖記」加賀の俳人鳥翠台北茎(ちょうすいだい ほっけい)著になる越前から越後を対象とした紀行見聞集。かの伴蒿蹊が序と校閲も担当しており、文化三(一八〇六)年十一月の書肆の跋がある(刊行は翌年)。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第九巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで、正字活字で読める。但し、標題はそちらでは『石※』(「※」=「麪」(=「麵」)の異体字の「グリフウィキ」のこれ)。但し、お薦めは、「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」の原版本のここからである。読みが添えられてあるからである(但し、こちらも同じく『石※』である)。以上の読みも、一部は、それを参考に正しい歴史的仮名遣で振った。

「鶴来」現在の石川県白山市鶴来地区(グーグル・マップ・データ)。

「守江」は京都大学版では『安江(やすえ)』となっている。但し、現在の富山県内には、孰れの地名も見当たらない。

「『本草綱目』に時珍がいへる石麵」と言っても、実は、「本草綱目」巻三の上「百病主治藥上」に『太乙餘糧 白石脂 石麪 代赭石』と石様の薬物の中に並べ、巻九の「金石之三」の末の方に、「石麫」として出る。「漢籍リポジトリ」の当該巻の部分を以下に引用しておく。ガイド・ナンバー[030-72b]で影印画像も視認出来る。

   *

石麫【綱目】

 集解【時珍曰石麫不常生亦瑞物也或曰饑荒則生之虐𤣥宗天寳三戴武威畨禾縣醴泉涌出石化為麫貧民取食之憲宗元和四年山西雲蔚代三州山谷間石化為麫人取食之宋真宗祥符五年四月慈州民饑鄉寧縣山生石脂如麫可作餅餌仁宗嘉祐七年三月彭城地生麫五月鍾離縣地生麫哲宗元豐三年五月青州臨昫益都石皆化麫人取食之捜集於此以備食者考求云氣味甘平無毒主治益氣調中食之止饑時珍】

   *

何だか、対象物の実際の形や性質が少しもはっきりしてこない。幸い、高野昂氏のブログ「綺談夜想」の「天の恵みの食事」で、この「石麪」をかなりディグしておられ、興味深く読んだ。高野氏が本話と、幾つかの類似話を出しておられるが、その中のものでは、私のブログ版の『佐々木喜善「聽耳草紙」 一二七番 土喰婆』と、サイト版の「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類   寺島良安」(最近、リニューアルした)の「馬勃(ぼうべいし) きつねのふくろ [オニフスベ・ホコリタケ類]」(最後は私の同定比定対象である菌類)が参考になるはずである。なお、高野氏も最終的にはオニフスベ辺りを「石麵」の正体として考えられておられるようだ(但し、私の後者は二〇〇八年に元原稿を書いたものであり、二〇一六年の高野氏の記事を参考にしたわけではないので、お間違えなく)。後者の私の注を引いておく。

   *

オニフスベ(鬼燻・鬼瘤)という和名は、菌界担子菌門菌蕈(きんじん)亜門真正担子菌綱ハラタケ目ハラタケ科ノウタケ属オニフスベ Calvatia nipponica に与えられている。良安の「竹林」の記載に呼応するかのようなヤブダマ(藪玉:何だか気になる名前じゃん!)という異名もあり、江戸時代には、他の旧ホコリタケ目 Lycoperdales =担子菌門ハラタケ科ホコリタケ属 Lycoperdon のホコリタケ類と一緒くたにされて「馬勃」(馬の勃起した陰茎)と呼ばれた。但し、本種は日本特産であるから、以下の引用記載からも、時珍の言う種は、ノウタケ属、又は、ホコリタケ属というに留めておく必要がある。以下、ウィキの「オニフスベ」から引用する(改行・注記番号は省略し、欧文フォントは私のものに代えた)。

   《引用開始》

日本特産で、夏から秋、庭先や畑、雑木林、竹林などにの地上に大型の子実体を生じる。一夜にして発生するので驚かれるが珍しいものではない。子実体は白色の球状で、直径は2050cmにも達し、あたかもバレーボールが転がっているように見える。幼菌の内部は白色で弾力があるが、次第に褐色の液を出して紫褐色の古綿状になる。これは弾糸と呼ばれる乾燥した菌糸組織(弾糸)と担子胞子から成る胞子塊である。成熟すると外皮がはがれて中の胞子塊があらわれ異様な臭いを発生する。胞子塊が風に吹かれると次第に弾糸がほぐれて胞子を飛ばし、跡形もなく消滅する。胞子は球状で突起がある。子実体は腐らずに残る事も多く、その場合、長期間に渡り胞子を放出し続ける。[やぶちゃん注:中略。]『和漢三才図会』には「煮て食べると味は淡く甘い」とあり、昔から食べる人はいたようである』。『肉が白い幼菌は皮をむいて調理すれば食用になる。柔らかいはんぺんのような食感とわずかな風味を持ち、美味ではないが不味でもない。成熟していると内部は黄褐色や紫褐色に変色しアンモニア臭がきつく、食用にはできない。また、馬勃の名前で漢方薬としても利用されている。[やぶちゃん注:以下、「近縁種」の項。]近縁種は地球上に広く分布するが、地域によって別の種に分かれる。オセアニア、ヨーロッパ、北米、中国に広く分布する種 C. gigantea は、ジャイアント・パフボール("Giant puffball"、「巨大なほこり玉」)と呼ばれる。実際、日本の Calvatia nipponica は同種と当初は混同されていた。Calvatia nipponica はアフリカ、インドに分布するLanopila wahlbergii Fr. に近縁との説もあったが、Lanopila がノウタケ属に編入された現在では、同属になると思われる。

   《引用終了》

   *]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「石塔の飛行」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 石塔の飛行【せきとうのひぎょう】〔怪談老の杖巻一〕武州多摩郡に本郷村<現在の東京都中野区内か>といふ所あり。此所に西心といふ道心すみけり。本(もと)は江戸にてせんざいもの[やぶちゃん注:「前栽物」で青物・野菜類のこと。]など売りし棒手振(ぼてふ)りにて、若きときは達者なる者なりしが、いかがしてか発心して、なまじひもの知りだてする出家より、殊勝に勤めける。この本郷村は中野の南にて、田などすこしつゞきたる処あり。その東の方の小高き岡ある処より、小さき提灯ほどの光り物飛びいでて、向うの山へ行くとて、日くるればなはて<田圃(あぜ)道>のうちは人通りなし。誰は江戸よりの帰りに見たり、誰は用事ありて隣村へ行くとて見付けしが、おびただしき光りなど云ひふらし、西心庵などにより合ひて、ひたと噂したり。かの坊いふ様は、近きあたりに左様の噂あるこそやすからね、いつはりとも誠とも見極めぬといふ事は、まづ村の若い衆の大きなる恥辱なり、なんと今宵われらに随ひて行きたまひ、とくと正体を見届け給ふまじきやといひければ、尤もなり、さらば今よりたんぼに出て、光り物を待つべしと、若きもの三四人酒など引かけ、かの道心を先にたてて、いかなる変化なりともからめとつて、手柄をみせんなど、血気の者ども出で行きけるが、なはての中にむしろなど敷きて、今や今やと待ちけれど、四ツ[やぶちゃん注:午後十時頃。]過ぎまでも化物出でず。その内夜は段々更けければ、せんなき事なり、帰るべしといふものありけるを、西心しかりて、旁(かたがた)はともかくも、愚僧におきては夜あくるまで、この縄手にありて実否を糺すべしと、なほ十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]も先の方へ出てむずと坐し、虚空を白眼(にら)んで居《をり》たるさまに、皆々も力を得て、四方山のもの語りして居り候間、九ツ時<真夜中の十二時>とも覚ゆるころ、かの岡の木の中より、大きなる光りもの、ぱつと飛びいづるとひとしく、わつというてにげるもあり。それ西心坊、出たは出たはとさわぐものも有りけるを、西心はかねて皆よりははるか脇にしづまり返りて居たりしが、いつの間に才覚して来りけん、大きなるたけのこ笠をもて、かの光りものを目あてに、をどりあがりてうちかぶせければ、光りは消えて何やらん田の中へうち落したり。やれしとめたるぞ、おりあへやつと呼《よば》はつて、かさのうへよりおさへ居けり。皆々かけあつまりて、てうちんなどとりよせて見ければ、大きなる石塔のかけを田の中へ落《おとし》てあり。扨はこのものなるべしとて、すぐに西心かるがると引《ひつ》かたげ来りて、持仏の前へなほし、夜すがら念仏して、夜あけて見ければ、年号かすかに見えて、よほどふるき石碑なり。年号を見るもの、東山どの時代の年号なりといへり。今にかの西心が持仏のむかうに、かの石塔のかけあり。西心が庵は中野のとりつきなりと、大和屋なにがしもの語りなり。

[やぶちゃん注:私の「怪談老の杖卷之一 石塔の飛行」を見られたい。しっかり注もつけてある。

「東山どの時代の年号」足利義政のこと。将軍職を子義尚に譲って東山に隠居したところからかく称し、これは生前から既にあった。彼の在位中の年号となら、宝徳・享徳・康正(こうしょう)・長禄・寛正(かんしょう)・文正(ぶんしょう)・応仁・文明(彼の正式な在職は文安六年七月二十八日(ユリウス暦一四四九年八月十六日)の宝徳への改元後から、文明の途中の文明五(一四七三)年十二月十九日(義政が次男の義尚に将軍職を移譲)までが厳密な閉区間となる)となる。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「石塔奇瑞」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 石塔奇瑞【せきとうきずい】 〔思出草紙巻三〕芝かはしげ町<東京都港区内>五丁目善長寺といへる浄土宗の境内、小堂の内に安置なす、良樹院殿珊誉昌栄大禅定尼と有りて、寛永十一年きのえ寅八月八日と印《しる》せし石塔あり。これは其頃、備後の国福山<広島県福山市>の城主たりし水野日向守が奥方、おさんの方といへる人のなき跡の印しなり。此婦人、世にいませかりし時、幼年の頃より口中の痛みの病つよくして、一日も安き事なく、医療手を尽して本ぷくなさんとすれども、そのしるしなく、此病ひの為に一命已に終らんとする時に、家臣近藤に向つて遺言ありしは、世の中に歯牙の煩ひ程、たへがたき事はなし。我既に生涯、この病の為に苦しみて今死に至る。このすゑ口痛あるもの、われを祈り怠らずば、その病ひ平愈なさしめんとの誓言して世を去り給ふ。この院中に安置せる事は、去る明和年中、当寺の住持、諸国行脚なせしをり、備後の国福山<広島県福山市>の城中に至る所に、幼年よりの持病たる口痛起りて難儀せしを、中村が教ヘにより、右の良樹院殿の墓に至る。通夜《つや》なしつゝ読経して平愈を祈願せしに、積年の病苦ぬぐつたるが如し。それよりいたみを覚えず、さつぱりと平愈せり。その後、当寺に入院し、その霊験を感ずるの余りに、福山の良樹院殿の墓所の土を取寄せて、石塔の下に敷《しき》て、その霊を安置なす所に、諸人立願《りふぐわん》するに、口痛の病ひいゆる事奇妙なり。願《ぐわん》成就なしたるかたより、絵馬・のぼりの類ひ、小堂に寄進多くなしぬ。われ一とせ心願のありて、江都《えど》の神仏一万拝なさんと、所々の寺社順礼せし折から、計らずもこの寺に詣で、縁起を得てより、後に諸人《しよにん》に教ヘて立願《りふぐわん》なさしむるに、忽ちその病ひ本ぷくすること神の如し。水野家は今《いま》国がへ有りて、武州岩附《いはつき》の城主たり。寛永十一年より今二百年近き春秋を経《ふる》といへども、人は万物の霊なり。命終《みやうじゆう》の一念誓ひの詞、世にくちざる者有難き事にこそ。神とも仏ともなるべき人の一心を、顚倒《てんたう》なして浅ましき終りをなすは、歎かはしき事ならずや。右の墳墓は、福山城下の定福寺にあり。此所の草創<善長寺>は明和年中釈の実誉なり。

[やぶちゃん注:「思出草紙」「古今雜談思出草紙」が正式名で、牛込に住む栗原東随舎(詳細事績不詳)の古今の諸国奇談珍説を記したもの。『○石塔に奇瑞ある事』がそれ。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここから正規表現で視認出来る。

「芝かはしげ町」「東京都港区内」「五丁目善長寺」東京都港区芝公園四丁目にある浄土宗三縁山鑑蓮社(かんれんしゃ)善長寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。所持する「江戸切絵図集(『ちくま学芸文庫』の「『新訂 江戸名所図会』別巻1」)の寛永期に刊行された「近江屋板切絵図」を調べたところ、善長寺のある場所周辺を『◦里俗ニ土器町ト云』とあるのを発見した。この本文の「かはしげ町」というのは、「かはらけ町」の誤認ではあるまいか?

「寛永十一年きのえ寅」不審。寛永十一年は甲戌(きのえいぬ)である。西暦一六三四年。干支を誤った記載は史的事実資料としては価値を全く認められないのが古文書学での常識である。

「良樹院殿珊誉昌栄大禅定尼」「備後の国福山」「広島県福山市」「の城主たりし水野日向守が奥方、おさんの方」備後国福山藩初代藩主水野勝成(永禄七(一五六四)年~慶安四(一六五一)年)の正室は三村家親の娘で、三村親成の養女となって勝成に嫁入りした、「お珊」(於珊・良樹院)の方で間違いない。

「明和年中」一七六四年から一七七二年まで。

「武州岩附」武蔵国埼玉郡岩槻(現在の埼玉県さいたま市岩槻区)にあった岩槻藩。

「寛永十一年より今二百年近き」機械的換算をすると、この記事が書かれたのは、文政末頃となる。

「神とも仏ともなるべき人の一心を、顚倒《てんたう》なして浅ましき終りをなすは、歎かはしき事ならずや」こんな世間への警鐘だか何だか判らぬ感想を添える作者の神経が私には判らない。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「かはせみ」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

   かはせみ

 

Kawasemi

 

 今日の夕方は、魚が一向かからなかつた。が、その代り、私は近來稀(まれ)な興奮を獲物にして歸つて來た。

 私がぢつと釣竿を出してゐると、一羽の翡翠(かはせみ)が來てその上にとまつた。

 これくらゐ派手な鳥はない。

 それは、大きな靑い花が長い莖の先に咲いてゐるやうだつた。竿は重みでしなつた。私は、翡翠に樹と間違へられた、それが大いに得意で、息を殺した。

 怖がつて飛んで行つたのでないことは請け合ひである。一本の枝から別の枝に跳び移るつもりでゐたに違ひない。

 

[やぶちゃん注:鳥綱ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ亜科カワセミ属カワセミAlcedo atthis 。]

 

 

 

 

LE MARTIN-PECHEUR

 

Ça n'a pas mordu, ce soir, mais je rapporte une rare émotion.

Comme je tenais ma perche de ligne tendue, un martin-pêcheur est venu s'y poser.

Nous n'avons pas d'oiseau plus éclatant.

Il semblait une grosse fleur bleue au bout d'une longue tige. La perche pliait sous le poids. Je ne respirais plus, tout fier d'être pris pour un arbre par un martin-pêcheur.

Et je suis sûr qu'il ne s'est pas envolé de peur, mais qu'il a cru qu'il ne faisait que passer d'une branche à une autre.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「こま鶯(うぐひす)」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    こま鶯(うぐひす)

 

 

 私は彼に云ふ――

 「さあ、返せ、その櫻んぼを、いま直ぐに」

 「返すよ」と、こま鶯は答える。

 彼は櫻んぼを返す。が、その櫻んぼと一緖に、彼が一年間に嚥(の)み込む害蟲の三萬の幼蟲も返して寄越す。

 

[やぶちゃん注:本篇にはボナールの絵はない。分布域から考えて、これはスズメ目コウライウグイス科ニシコウライウグイス Oriolus oriolus ととつてよい。辻氏は標題を『こうらいうぐいす』とし、佃氏も『高麗鶯(こうらいうぐいす)』とされておられる。

「櫻んぼ」双子葉植物綱バラ亜綱バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属  Prunus sp.。]

 

 

 

 

LE LORIOT

 

Je lui dis :

- Rends-moi cette cerise, tout de suite.

- Bien, répond le loriot.

Il rend la cerise et, avec la cerise, les trois cent mille larves d'insectes nuisibles, qu'il avale dans une année.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「雲雀(ひばり)」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    (ひばり)

 

 

 私は嘗て雲雀といふものを見たことがない。夜明けと同時に起きてみても無駄である。雲雀は地上の鳥ではないのだ。

 今朝から、私は土くれや枯草を頻りに踏み廻つてゐる。

 灰色の雀や、ペンキ色のなまなましい鶸(ひわ)が群れをなして、茨の生垣の上で波打つてゐる。

 樫鳥(かけす)は公式の服裝で木から木へ閱兵して廻る。

 一羽の鶉(うづら)が、苜蓿畑をすれすれに掠めながら、墨繩を張つたやうな直線を描いて飛んで行く。[やぶちゃん注:「苜蓿畑」「うまごやしばたけ」。]

 女よりも上手に編物をやつてゐる羊飼のうしろには、羊どもがぞろぞろ從ひ、どれもこれも似通つてゐる。

 そして、なに一ついい前觸れをもつてこない鴉さへほほゑましいほど、すべてが新鮮な光のなかに浸る。

 まあ、私とおんなじやうにして、ぢつと耳を澄ましてみるがいい。

 そら、聞えはせぬか――何處はるかに高く、金の杯のなかで水晶のかけらを搗き碎いてゐるのが……。

 雲雀がどこで囀つてゐるのか、それを誰が知らう?

 空を見つめてゐると、太陽が眼を焦がす。

 雲雀の姿を見ることはあきらめなければならない。

 雲雀は天上に棲んでゐる。そして、天上の鳥のうち、この鳥だけが、我々のところまで屆く聲で歌ふのである。

 

Hibari

 

[やぶちゃん注:鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科ヒバリ科ヒバリ属ヒバリ Alauda arvensis

「雀」スズメ上科スズメ科スズメ属スズメ基亜種 Passer montanus  montanus (ヨーロッパからアフリカ北部・モンゴル北部・満州・オホーツク海に分布する)。

「鶸(ひわ)」何度も出た通り、これはスズメ上科ヒワ亜科ヒワ族ヒワ属ゴシキヒワ Carduelis carduelis

「茨」フランスで垣根等する野茨は、バラ目バラ科バラ属イヌバラ(犬薔薇)Rosa canina である。

「樫鳥(かけす)」スズメ目カラス科カケス属カケス Garrulus glandarius 。但し、約三十もの亜種がいるのでカケスGarrulus sp. とすべきか。

「鶉(うづら)」フランスのウズラはウズラの基準種であるキジ目キジ科ウズラ属ウズラCoturnix coturnix である。「ヨーロッパウズラ」等とも呼ぶが、こちらが正統なフランスの「ウズラ」である。ジビエ料理には、それを改良した本邦でお馴染みのウズラ Coturnix japonica が使用されているようではある。

「苜蓿」被子植物門双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ウマゴヤシ属ウマゴヤシ Medicago polymorpha 若しくは、ウマゴヤシ属Medicagoの種。ヨーロッパ(地中海周辺)原産の牧草。江戸時代頃、国外の荷物に挟み込む緩衝材として本邦に渡来した帰化植物である。葉の形はシロツメクサ(クローバー:マメ科シャジクソウ属 Trifolium亜属Trifoliastrum節シロツメクサ Trifolium repens )に似ている。『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でもお馴染みのアイテムである。

「羊」哺乳綱鯨偶蹄目ウシ亜目ウシ科ヤギ亜科ヒツジ属ヒツジ Ovis aries

「鴉」スズメ目カラス科カラス属 Corvus sp.

 因みに……私は雲雀(ひばり)というと、原民喜の遺書を思い出すのを常としている。古いものでは、二〇〇六年三月十三日附の「花幻忌」、最も新しいものでは、今年の祥月命日に公開した『――七十二年目の花幻忌に――原民喜「心願の國」(昭和二八(一九五三)年角川書店刊「原民喜作品集」第二巻による《特殊》な正規表現版)』を見られたい……。

 

 

 

 

L'ALOUETTE

 

Je n'ai jamais vu d'alouette et je me lève inutilement avec l'aurore. L'alouette n'est pas un oiseau de la terre.

Depuis ce matin, je foule les mottes et les herbes sèches.

Des bandes de moineaux gris ou de chardonnerets peints à vif flottent sur les haies d'épines.

Le geai passe la revue des arbres dans un costume officiel.

Une caille rase des luzernes et trace au cordeau la ligne droite de son vol.

Derrière le berger qui tricote mieux qu'une femme, les moutons se suivent et se ressemblent.

Et tout s'imprègne d'une lumière si neuve que le corbeau, qui ne présage rien de bon, fait sourire.

Mais écoutez comme j'écoute.

Entendez-vous quelque part, là-haut, piler dans une coupe d'or des morceaux de cristal ?

Qui peut me dire où l'alouette chante ?

Si je regarde en l'air, le soleil brûle mes yeux.

Il me faut renoncer à la voir.

L'alouette vit au ciel, et c'est le seul oiseau du ciel qui chante jusqu'à nous.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「石塔怪異」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 石塔怪異【せきとうかいい】 〔奇遊談巻三ノ上〕下鳥羽《しもとば》の南、横大路村<京都府紀伊郡の村>街道の東、当所飛鳥田《あすかだ》神社の例祭の御旅所《おたびしょ》の傍《かたはら》、榎木《えのき》の老樹(おいしげり)の下《もと》に高さ五尺余の細く長き五輪の塔婆あり。古へこの村の邑長(しやうや)の塔にして、夜な夜な怪異をなせし石塔なりといふ。あるとき勇猛の人ありて、太刀《たち》にて切伏せしと、その後《のち》この塔のうヘに流れかゝりし血液の跡残れりと。今に上《かみ》の方《かた》に赤き色見ゆ。されど石の性《しやう》によりて、かゝる色はあることなれば、さしてあやしきことにはあらず。さて中央に文永年中と彫刻せる古き塔婆なり。かたはらに古き石碑ども見ゆ。いかさまゆゑある人の立てしものと覚えたり。

[やぶちゃん注:「奇遊談」川口好和著が山城国の珍奇の見聞を集めた随筆。全三巻四冊。寛政一一(一七九九)年京で板行された。旅行好きだった以外の事績は未詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻十一(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊のここで当該部が視認出来る(よくルビが振られてあるので一部を参考にした)。標題は『○怪異(ばけものの)石塔(せきたふ)』。

「横大路村」「京都府紀伊郡の村」現在の京都府京都市伏見区横大路附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「飛鳥田神社」飛鳥田神社(下鳥羽飛鳥田神社)。但し、ここは橫大路の北であるから、「例祭の御旅所」は別で、調べるのに手間取ったが、たかふみ氏のサイト「開運日和」の「飛鳥田神社の紹介│京都市伏見区」のページで画像を発見、橫大路の東の横大路中之庄町(よこおおじなかのしょうちょう)内のここにある(グーグル・ストリートビュー)事が判明した。右近くに大きな木があるが、榎かどうかは不詳。石塔群があるかどうかも、不詳。但し、この御旅所の裏手は浄貞院(グーグル・マップ・データ航空写真)という寺で、残っていてもおかしくはない気がする。

「文永年中」一二六四年~一二七五年。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「赤気」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

     

 

 赤気【せきき】 〔甲子夜話巻廿〕また廿二日宵間のことと云ふ。時に天色陰冥、黒雲多し。赤気あり、南方より出て東方に至る。其気始めは高からずして次第に高くなり、終《つひ》に黒雲に入る。その状縦五尺余ばかり、横六尺余、終りに至ては漸々大きく見えて、横は一丈にもこえたり。その行くこと蝶飛のごとく、軽くして疾《はや》からず。或ひは弘くまた縮まり、明かにてまた朧《おぼろ》なり。その光火は映ずる如し。人視ること一時に足らず。東天黒雲の中に在て消滅すと云ふ。いかなる気にや。〔折々草秋の部〕七月末の八日、いと暑かりしかば、我が友垣《ともがき》来りて、東山の高き所に行きて涼み響(とよ)む。いざと聞えしほどに、妹《いも》と率(ゐ)て参りける。その家は左阿弥《さあみ》といふ甚(いと)好《よ》き家にて、何辺《いづべ》も隈《くま》なく見渡さるゝに、少しき風の吹き入りて、人々心地よく酒打飲みてあるに、戌の時[やぶちゃん注:午後八時前後。]ばかりにも侍らむ。此所《ここ》にも麓にも人たち騒ぎて、北の方の山に火附きて燃え出でたりと言ふに、欄《おばしま》に立出でて見れば、北と覚ゆる空は真(ひた)赤くなりて、家村の事にはあらず、高山の林どもに火附きて、燃え上るならむと見ゆ。さは何方《いづべ》ならむ、鞍馬の山かと見れば少し遠き方なり。また若狭路《わかさぢ》の山かと見れば近しとて、とりどり言ひ騒ぐ間に、かゞよふ光の幾条(いくすぢ)も立上《たちのぼ》りて、天《あめ》の限りは南をさしてたな引きたるには、火にはあらず、天の気(きざし)なりと言ひ出づるに、この先いかならむと思ひ量られて人々怖ぢたり。さてをかしかりつる心ずさみも無くなりたれば、皆帰り去なむと思ふ心のみして走り出でける。かく赤き気の立上りし例(ためし)は、古き記(ふみ)にも見え、近き御代御代にも侍りし事とて、物にも書留《かいとど》め、また近き程なるは覚え居りつる翁どもゝ侍れとて、物語りするなどは聞きしが、眼前(まのあたり)に斯く見つるは、いと珍らかなりける。都の町々は殊更に立騒ぎて、人は西東に馳せ通り、時守(ときもり)[やぶちゃん注:時の鐘を打つ者。]は鼓《つづみ》を早めて打歩く。これらも暫時して、かの天《そら》の光《ひかり》なりと思ひしより騒ぎは止みぬれど、人皆外に立交りて、こは如何なる事ぞとて見るなり。我が家に帰りても、これが末《すゑ》を見まほしくて、寝《い》ねで見てあるに、赤気《あかききざし》は東の空にあぐる様《さま》に見えて、かの光り出でたる条《すぢ》も薄くなり行くに、この儘にて事もなく消え失すなめりと思ひて、子(ね)二つ<夜半十二時>ばかり迄は起き居て寝《いね》つ。そが後《のち》若狭人《わかさびと》の来たりしに聞けば、その日の酉の時<午後六時>ばかりより、薄紅《うすくれなゐ》に侍る気の北の方に見えて侍る程に、夕日の名残《なごり》にて侍るらむと思ひ居りしに、戌の前(かしら)よりいと赤くなるまゝに、かの耀(かがよ)ひ出づる条も弥増(いやまさ)りて侍りき、河の上は唯血を濺《そそ》ぎて侍る様《さま》なれば、北の海の様《さま》を見むとて、舟を出《いだ》し漕出でて見れば、三里ばかりよりこの方の事にて、それより先へはさる気《きざし》は見え侍らざりしとなむ。また大和の人来たるに問へば、かの空の赤くなりたるを見しより、国中(くぬち)の人立騒ぎて、都は直焼《ひたや》けに焼け失《う》するなり、その中にいと赤く立上る光は、盧舎那仏(るしや《なぼとけ》)の堂に火附きたるなりとて、氏族(うからやから)の京《みやこ》に侍るは、それ訪《と》はむと俄かに装《よそ》ひ立ちて、走り登らむ構《かま》へす。又さなきは、火の雨といふ物の降り来て、生きたる限りは亡くなる時なり[やぶちゃん注:生きとし生きるもの生類(しょうるい)総てが絶滅する時がやってきた。]、はかなく恐ろしき時ぞ来にける、これを免《のが》れむに、土の室(むろ)に隠るゝぞよきとて、古くて侍る穴どもの中に、幾日(いくか)も幾日も隠れ居て、食(たう)べむ物の構へなども、心ぎたなくして持運びつゝ立響(たつとよ)む。これは異国《ことくに》にはなき事にて侍るが、皆古(いにしへ)に人の住《すま》ひける所なり。石もて打囲み、出入の便り始めて、水など流れ入るまじき方便(てだて)までも、只今作り立てたるばかりにて、幾所《いくところ》も侍るなり。それを人伝ヘて言ふ、昔火の雨の降り来し時、人皆この穴に隠れて命を免れしなりと。またその火の雨の事は、書《ふみ》どもにしかと記して侍るといふ。げに氷雨(ひさめ)と侍る事と耳伝(みみづて[やぶちゃん注:私の所持するもの(後掲する)では『ミヽヅタヘ』とルビする。])に、火雨[やぶちゃん注:同前で本文は『火の雨』である。]と覚えつるぞことわりぞかし。さて斯く泣き騒ぐ間に、事もなき事なりとて、やうやうに静まりしとなり。その外、東は松前<北海道渡島支庁>の人の語るも、同じ時同じ様《さま》なり。西は長崎の人の語れるもまた然れり[やぶちゃん注:同前で本文は『しかり』である。]。唯加賀の人の語れるぞ少し異《こと》なりける。そはその日暮れむず頃、黒き雲の一群(ひとむら)、海の上にたなびきて侍るに、赤色《あかきいろ》したる光のほのぼのと見えけるを、夕日の影のさしわたるにもあらず、鳴神の光にもおはさずよなど見る中に、やうやう夜に入りて、かの光り出づる気《きざし》の、天に上《のぼ》り海に下《くだ》ると見しより、北や[やぶちゃん注:同前で本文は『北ゆ』(「ゆ」は動作起点を指す上代の格助詞。]南に立満ちにけりとぞいふ。さは昔よりかゝりし事の例《ためし》を物知りだちてかやかく言へど、或翁の、己れよく覚えて侍る、これに違はぬ気《きざし》の侍りし年は、稲よく栄えて、国中《くになか》豊《ゆた》けく侍りしなり、いとよき事にて侍りしと語りき。

[やぶちゃん注:前者の「甲子夜話巻廿」は事前に「フライング単発 甲子夜話卷二十 29 壬午年白氣の事圖 / 甲子夜話卷二十 37 壬午の秋夜、赤氣の圖」で、同時期に発生した条とカップリングし、さらに、松浦静山の描いたそれぞれの天体異常現象の図(但し、モノクローム)をも挿入しておいたので、見られたい。

「折々草」俳人・小説家・国学者にして絵師。片歌を好み、その復興に努めた建部綾足(たけべあやたり 享保四(一七一九)年~安永三(一七七四)年:津軽弘前の人。本名は喜多村久域(ひさむら)。俳号は涼袋。画号は寒葉斎。賀茂真淵の門人。江戸で俳諧を業としたが、後、和歌に転じた。晩年は読本の作者となり、また文人画をよくした。読本「本朝水滸伝」・「西山物語」や、画集「寒葉斎画譜」などで知られる)の紀行・考証・記録・巷説などの様々な内容を持つ作品である。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第十一巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで正規表現で視認出来る。標題は『○同じ七月の末の八日の夜の光をいふ條』である。私は「新日本古典文学大系」版(一九九二年刊)で所持し、これは宵曲の見たものとは、版本が異なるらしく、各所に表記上の異同があるが、読みがかなりしっかりと附されてあるので、それを参考に読みを振った。直前の条(「秋の部」の冒頭)が『○明和七年庚寅の年の秋の事をいふ條』であるから、これは明和七(一七七〇)年のことと判る。

「七月末の八日」明和七年七月二十八日はグレゴリオ暦一七七〇年九月十七日で、ウィキの「明和」によれば、この日、『全国でオーロラが観測される』とあった(太字は私が附した)。

「妹」同前「新日本古典文学大系」版脚注(高田衛氏注)によれば、実の妹ではなく、遊興の『女たち』である。

「左阿弥といふ甚(いと)好き家」同前注で、『現存。丸山公園の中の山の料亭』とある。「左阿彌」でここ(グーグル・マップ・データ)。公式サイトによれば、建物自体は元和(げんな)元(一六一五)年で、織田信長の甥織田頼長によって、安養寺末寺として創建されたもので、料亭としての実際の創業は、本話のずっと後の嘉永二(一八四九)年である。

「をかしかりつる心ずさみ」高田氏注に、『興にまかせて、詩歌など作りたのしむこと』とある。

「古き記(ふみ)にも見え」同前で、『推古二十八年(六二〇)十二月の記述に「天に赤気有り、長一丈余、形雉尾に似たり」(日本書紀・推古)などあり、史上類例は多い』とある。

「鼓を早めて打歩く」同前で、『早鐘(はやがね)、早太鼓などといって、火事など危急の時、続けさまに打ち鳴らす』ことを指すとある。

「子(ね)二つ」「夜半十二時」高田氏は『午前一時半ごろ』とされる。

「酉の時」「午後六時」同じく『午前六―七時』とされる。

「戌の前(かしら)」午後八時頃。

「盧舎那仏(るしや)の堂」高田氏注に、『京都方広寺の大仏殿をさす』とある。

「心ぎたなくして」高田氏注に、『意地汚く。執着心のあらわなさま。「心きたなし」は源氏物語に見られる用語』とある。

「げに氷雨(ひさめ)と侍る事」「新日本古典文学大系」版では、本文は『実(マコト)に氷雨(ヒサメ)と侍る事』となっており、注で、『古代、「ひさめ」を「ひ降る」といったことがあったらしい。「日本紀私記云、大雨 比佐女、雨水 同上、今案俗云比布留」(十巻本和名抄)』とある。]

フライング単発 甲子夜話卷二十 29 壬午年白氣の事幷圖 / 甲子夜話卷二十 37 壬午の秋夜、赤氣の圖

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために後者が必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。別にある二篇をカップリングして採ったのは、同様の空中の光学的変異をほぼ近日で、二回、静山が見、同じ巻に記してあり、それぞれにモノクロームの静山の図が載るからで、記事の連関性が甚だ強いからである。図は底本の東洋文庫からOCRで読み取り、補正を加えて添えておいた。キャプションは殆んど視認出来るので電子化はせず、やや見え難い一部を注で記した。]

 

20―29 壬午年(みずづのえうまどし)白氣(はくき)の事(ならびに)圖

 壬午九月十四日未の刻に、白氣、天に亙(わた)れり。予及(および)侍人(じじん)、皆、視たり。尋(つい)で、消盡せり。

 夜に至(いたり)て、又、見ゆ。酉の刻に過(すぎ)て、これも亦、消(け)す。

 共に其圖を作る。

 予、因(よつ)て、或る識者に問ふ。答に曰(いはく)。

「雲氣、心づかず。久旱(きうかん)、淫霖(いんりん)、大風(たいふう)などは孰(いづ)れか兆朕(てうちん)ある者なり。其餘は何事も無きものに侯。」

 則(すなはち)、これを記(しるす)とす。

 

Hakuki

 

■やぶちゃんの呟き

図は上が最初に発生した「晝」間に発生した「白氣」の図で、下が「夜」発生したそれである。「夜」の方の「丑寅」(正しく北東)から南及び「未申」(南西)にかけて走る二本の線の右から二番目と、最も左にある文字が判読し難い。頭の二字は「氣光」で決まりだが、最後は推定で「線」ととっておく。因みに、「白氣」は、箒星・彗星の類いの出現を指す語である。

「壬午九月十四日」文政五年、静山満六十二歳の秋である。グレゴリオ暦一八二二年十月二十八日。

「未の刻」午後二時前後各一時間。

「酉の刻」午後六時前後各一時間。

「雲氣、心づかず」「雲気という現象は、決定的な前兆現象とするには当たらぬものと思う。」の意か。

「久旱」長く続く深刻な旱魃(かんばつ)。

「淫霖」長期間に降り続く異常な長雨。

「大風」強力な颱風(たいふう)。

「兆朕」(現代仮名遣「ちょうちん」)は何らかの起こる兆(きざ)しの意。

 

20―37 壬午の秋夜、赤氣の圖

 又、廿二日、宵間(よひのま)のことと云(いふ)。

 時に、天色、陰冥、黑雲、多し。

 赤氣あり、南方より出(いで)て、東方に至る。其氣、始めは、高からずして、次第に高くなり、終(つひ)に黑雲に入る。

 其狀、縱五尺餘ばかり、橫六尺餘、終(をは)りに至(いたり)ては、漸々(やうやう)、大きく見えて、橫は、一丈にも、こえたり。

 その行くこと、蝶飛(てふひ)のごとく、輕くして、疾(はや)からず。或(あるひ)は、弘(ひろ)く、また、縮まり、明(あきらか)にて、亦、朧(おぼろ)なり。

 その光火(かうくわ)は、映ずる如し。

 人、視ること、一時に足らず、東天、黑雲の中(うち)に在(あり)て消滅す、と云ふ。

 いかなる氣にや。別に圖を作る。

 

Sekiki

 

■やぶちゃんの呟き

上が「始」(はじめ)「見ル所」の図。下の図は「終」(をはり)「ニ見ル所」の図。後者のやや見え難い右下方の「此所雲隱」のさらに濃い色に被さってある下方のそれは、「黑雲」「堤ノ如シ」であると思う。なお、「赤氣」は〙 夜或いは夕方、空に現われる赤色の雲気を指し、何らかの光の反射などで生ずるもの。別に彗星、或いは、太陽活動と地磁気の変動が作用して生じたオーロラ現象(実際に発生しており、複数の記録が残っている。サイト「国立極地研究所」の『日本の古典籍中の「赤気」(オーロラ)の記載から発見された宇宙変動パターンの周期性と人々の反応に関する記述』を見られたい)と考えられる。

「壬午の秋夜」「又」「廿二日」「又」は言うまでもなく、「3―29」の「白氣」があったからであり、そうすると、これは、「白氣」現象の発生した「壬午九月十四日」(文政五年/グレゴリオ暦一八二二年十月二十八日)から、僅か八日後の文政五年九月二十二日(グレゴリオ暦一八二二年十一月五日)に「赤氣」が発生したことになる。これは偶然ではないように思われる。因みに、それかどうかは、判らないが(日本で普通に視認出来る光学現象が起こったかどうかは判らないということ)、この一八二二年には、かのハレー彗星に次いで周期彗星と断定された「エンケ彗星」(Comet Encke)が、一八二二年六月二日、はシドニー天文台』で『観測』が行われている、と当該ウィキにあった。

 

2023/11/18

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「掏摸と瘤」 / 「す」の部~了(底本本文の半分まで達成した)

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 ここで「す」の部は終わっている。なお、『ちくま文芸文庫』は本文が「5」ページから始まり、本文は「709」ページで終わっており、以下の話は「354」と「355」にある。則ち、本書の本文の半分を超えたことを御報告しておく(後にある『引用書目一覧表』はオリジナルに私の注でより詳しく述べているので、電子化しないし、「索引」も必要がないので同前である)。この調子だと、来年の三月には完遂出来そうである。]

 

 掏摸と瘤【すりとこぶ】 〔真佐喜のかつら〕馬喰町<中央区日本橋内>なる旅籠屋何某が家にやどり居たる常陸の国人、腰に大なる瘤あり。夏のゆふ暮帷子を著し、両国のあたりあちこち遊び、果《はて》は橋上にて欄干にもたれ涼みゐたるを、スリ(昼の小盗賊)[やぶちゃん注:原本の割注。]といふ物、かの瘤の帯に高く出《いで》たるを、物入りし財布とや見たりけん、えものにて切りとりしかば、アと叫んで血ほとばしりける故、すりもおどろき、いづれへか迯行《にげゆ》きたり。彼《かの》人は気絶なし、橋の群集、スハひと殺しぞと立騒ぎ、混雑大方ならず。橋番人来り介抱して、漸《やうや》く宿屋へ連行《つれゆ》き、医師に相懸り療養にて、やゝ気もたしかになりて宿へ戻り、猶医師を撰《えら》み薬用なしけるに、疵口愈えて、常のひとになりたり。年来邪魔なる瘤の血は思はざる事より治しけるは、よき支合《しあはせ》よと、その人のことに嬉しくかたりける。

[やぶちゃん注:「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここから(「八」の巻頭)正規表現で視認出来る。

「馬喰町」「中央区日本橋内」東京都中央区日本橋馬喰町(グーグル・マップ・データ)。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「鼈の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 鼈の怪【すっぽんのかい】 〔閑田耕筆巻三〕鼈を薬用にすべしと医の教へたるに、その人、殺すに忍びず、鼈にむかひて、その由をいひ含めて放ちたるに、その病《やまひ》はたして愈えたりとなん。この類《たぐひ》の話あまたあれど、これはおのれしる人の、浪花にて交《まじは》りたる人、この事をなし、この験(しるし)を得たりと語りし旨なり。病は痔疾にてありしとなん。凡そ鼈は執念深きものにて、折ふし奇なることも聞ゆ。中京の者三人、鼈を喰はんといひ合せて、それ売家《うるいへ》へ行きたるに、中に一人門をさし入るより、俄かにわれは喰ふまじといひしに、二人もまた、げにとて連れ立ちて出たり。さて帰るさ、なぞ俄かに喰ふまじき意には成りたるやととひしに、その男身を戦栗(ふるはし)て[やぶちゃん注:「戰慄」はこうも書く。]、我立入りて見れば、鼈火炉(こたつ)によりて寝《いね》たるが、あやしくて能く見れば、亭主なりしほどに、おそろしく成りたりといひしに、二人も、そよ我々も同じことにてありしに、吾子(ごし)[やぶちゃん注:親しみを込めた二人称代名詞。]喰ふまじといひ出しかば、うれしくて速かに応じたるなりと語りあひ、この後は永くこの物を喰はず。これも正しきことなり。

[やぶちゃん注:「閑田耕筆」「青木明神奇話」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第六巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここ(右ページ四行目から)で当該部が正字で視認出来る。

「鼈」の博物誌は、私のブログの「大和本草卷之十四 水蟲 介類 鼈(スッポン)」、或いは、サイト版の『「和漢三才圖會」卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類』の「すつぽん 鼈」を見られたい(後者は、最近、リニューアルしたばかり)。また、スッポン怪談も私のブログにかなりあるが、挿絵がおぞましい「北越奇談 巻之五 怪談 其五(すっぽん怪)」に匹敵するものは、ちょっと他にはあるまい。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「鈴石」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 鈴石【すずいし】 〔譚海巻九〕駿河国に吉川吉実といふ者有り。先祖は頼朝卿富士の狩場に供奉せしとぞ。吉実世に惣左衛門と称して、富士郡伝法村<静岡県富士市内か>に住居す。宅のうしろに鏡塚とて、大なる楠樹生ひたるあり。吉実より百五十年ほど以前、祖父法順といふもののとき、一夜大風吹きたる事ありしに、塚の楠を吹きたふしたる下より石槨《せつかく》を得たり。据出してひらき見しかば、その内に径七八寸ばかりの石一あり。その外には一物ある事なし。この石真中に穴ありて、穴の内に丸き石ふくみてあり。ふりならせば鈴の声に違ふ事なし。それよりこれをすゞ石と号し家に秘蔵し、事ある時は祈禱するに、その応あり。近き年に至りて、石の霊漸くうすらぎたるにや、その験もまたまれなりとぞ。今年天明八年、公儀御奥方御用承る中村景連といふもの、久能御普請の事によりて、駿河へおもむきしに、富士川に逗留せしほど、吉実方へ行きてこの石を見て、殊に賞翫せしかば、かゝる田舎のはて埋みおかんよりは、江戸へ出して人にしられんは、石にも面目なるべしとて、あるじ終にこの石を景連にあたへけり。悦びにたヘずもちかへりて、はじめて人々にも見せ興ずる事になり、この石のためにあまねく詩歌を人にもとむるよし、人の語りしまゝしるしぬ。

[やぶちゃん注:以上は、本年六月に、『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「南方雜記」パート 鷲石考』で必要となり、既に「譚海 卷之九 駿州吉川吉實家藏鈴石の事 /(フライング公開)」としてフライング電子化注してある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「菅谷の狐」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 菅谷の狐【すがやのきつね】 〔中陵漫録巻八〕下毛《しもつけ》の菅谷<今の栃木県下である>と云ふ処に悪狐《わるぎつね》あり。いかなる人にても、この狐に迷はさる。この村中に一の俠子あつて、常に云く、我に於て何の怪を為す事なし。或夜、この野を過る路にて妹に相逢ふ。俠子これ狐なり。我が妹は先日より、度々来るも何用なし。しかれども相語りてやむ事なし。その間、気を付け見れども、我が妹に少しも相違ある事なし。しかれども、これを切らずんば本性になるまじとて、大刀をぬき真二つに切る。血出て苦しむ。しばらくすれども、即ち妹なり。これはと思ひ、山の下に空地を見立て埋む。この夜思ふに、人を殺しては先づ帰り居りがたし、二三年も他国すべしと思ひ、この夜の中に大田原《おほたはら》<栃木県大田原市>の辺に行き、一年半ばかり住す。時に故郷の人に相逢ふ。妻子甚だ尋ぬるに、今ここに在るは、如何なる事なりしと云へば、我れ我が妹を殺したり、この故に家に帰りがたし、この近郷に隠れ忍べりと云ふ。その人云く、妹は恙なし、時々兄の存亡を尋ね来る、妹に於て恐る事なしと聞きて、始めて驚き、しかればこれより同道すべしとて、家に帰る。或日、妹にこの故を問ひ尋ぬるに、更にしる事なしと云ふ。しかればその埋めたる処に狐骨あるべしとて、俠子の交友共《とも》に携へて行き、その山下を尋ねて、埋めたる地を穿て見れば、更に何もなし。この時始めてしる、即ちその狐に迷はされて、他郷に行きて一年余の苦心を為すとて怒れども、只人の為に笑はるゝのみ。

[やぶちゃん注:「中陵漫録」「会津の老猿」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで(『日本隨筆大成』第三期第二巻昭和四(一九二九)年刊)当該部が正字で視認出来る。

「下毛の菅谷」「今の栃木県下である」不詳。現在の栃木県にはこの地名はない。南東で接する茨城県になら、茨城県筑西市菅谷や、茨城県結城郡八千代町菅谷(グーグル・マップ・データ)等はあるが、これらは旧下野(しもつけ)ではない。さらに、上記活字本では『管谷』となっているが、その名も存在しない。宵曲は珍しく断定して『である』とまで丁寧につけているのだが? はてさて?

「大田原」「栃木県大田原市」(おおたわらし)はここ(グーグル・マップ・データ)。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「水難者の霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 水難者の霊【すいなんしゃのれい】 〔笈埃随筆巻二〕去る元文年中、若狭国常神村<福井県三方三方郡三方町内>上中郡若狭町完徳寺といふに、仙霊和尚とて智識有り。本は丹後国の産にして、隣国を往来有りて人よく知れり。九月廿三日陰雨簷《ひさし》に滴り、寂寞として無人場のごとく、この日も黄昏に及ばんとす。和尚終日積欝(せきうつ)に、几案(つくえ)に書を広げながら打まどろみけるに、適々(たまたま)客一人来て庫裡に入る。和尚現(うつつ)に思へらく、僕(しもべ)などの旧知の者なるやと細心に見廻しけるに、暫くしてかの人前に進んで拝をなす。いかなるものかと夢心に見れども、一向知らざるが如し。時にかの者告げて曰く、和尚は見知り給ふまじ、我は但馬国小嶋村<兵庫県下なのであるが不明>八兵衛と申すものなり、昔豊岡の府にて屢〻(しばしば)師に謁せり、今我主人鍋屋五郎右衛門は、船の船頭として売買の為に海に浮んで他国へ行き、はからずも難風に逢ひて船覆《くつがへ》り、身も俱(とも)に死して魚腹に葬らる、然りといヘども、宿報の致す所なれば、何も愁ふべけんや、只心を傷ましむる事は、主人五郎右衛門銭財を費し失ふ事多きをいかんかせん、やうやう櫃の内に貯ふ所の銀三貫目未だ恙なし、願はくは尊師の手を借りて、五郎右衛門に帰納し候はゞ、我願ひ足れりなんといひ終つて見えず。和尚さても不思議なるかな、夢を見つるよと忙然として坐せり。斯くて翌日は早朝より檀家の斎《とき》[やぶちゃん注:ここでは「法事」の代わりに用いている。]に趣ける中、路に川有り。頓て渡し船に乗りて江上《こうしやう》に浮ぶに、何か箱の如きもの水中に出没し、船端《ふなばた》近く寄る。船人漕ぎ寄せ引揚げ見れば、海舶に所持する櫃なり。則ち所の役人に達し開かんとす。和尚先づ留めて云ふ。昨日我かやうかやうの事を夢見たり、若しその事に符合せば、我計らひに任さるべし、若し相違せば村方の掟に任せ取計らはるべしと云ふに、村人許諾し、やがて櫃を開き見れば、往来切手有り。和尚の曰く、誠に小嶋村長源寺主の手跡なり、また亡霊の申せしごとく、三貫目の銀子封の儘あり、また衣類あり。和尚のいへるは、昨夕八郎兵衛が著《ちやく》したる木綿袷《もめんあはせ》にて、紋《もん》染色《そめいろ》まで、先に聞く所に露違ふ事なし。爰に於て人々奇異のおもひをなし、万事心に任せ、よきに計らひ給へと和尚に与ヘければ、即ち使をもつて小嶋村に告げしかば、舎兄九郎兵衛走り来り、或ひは感じ或ひは歎き、櫃《ひつ》物《もの》悉く請取り帰る。銀子は早速鍋屋へ納めて、俱に跡念頃(ねんごろ)に弔へり。此事跡は我友髭風[やぶちゃん注:「しふう」と読んでおく。]といふ人、目のあたり見て語りぬ。[やぶちゃん注:以下の改行はママ。後掲する原文には改行はない。]

 予<百井塘雨>先年日向国宮崎といふ処に留錫《りうしやく》せし度《たび》、村々より参官の人あり。赤江川といふ湊より船出しけり。かくて例年の事なれば、上下の日数も同事なるに、如何しけん、期を過ぎても帰国なし。その内大風の事有りて、所々の海上難船の沙汰聞えて、右の参宮の家々、いと心ならず案じ居たり。大坂を出船したりし船、我等は兵庫に用事有りて、その時の風は内海の間なりしかば、早く湊へ入りて避けたり。それよりこれまでの海路所々の船数多《あまた》破船せり。その同者船《どうもののふね》はいかゞなりしや見当らずといふ。余の船々を聞合はするに、我船は荷船にて足軽く、はやく湊へ懸りてさへ、左右の垣楯《かいだて》[やぶちゃん注:木製の楯板を船縁に垣根のように並び立てて、波浪や浸水を抑えるもの。]も打折り、表は捨てやうやう助かりし。思ふに六十余人の乗合、中々船は乗捨てずとも助命の者は少なからん。但し壱人にても生残る者あらば、早速其所の領主より告げ来るべきに、今日迄その沙汰なきはふしぎなり。考ふるに伊予路土佐の間に至る頃なれば、若し南海へ漂流しけんなどいふに、その同者の親子兄弟は大声立てて泣きぬ。しかれども先使の舟なきも、たのみなればと云ひすかしあへり。その夜ある村の参宮せしものの家に、夜更けて戸をたゝきければ、誰なるやとおどろき出て戸を明くれば、参宮せし息子のいとしをしをとして、物をもいはず立ち居たり。こは下向せしかと詞を懸けんとするに、彷彿として見えず。径しや昼夜この事のみ案じおもふ故に、かゝる事もあるやらんと、戸を閉ぢて臥床に入りぬ。翌日人にも語りて歎きける。その夜もまた更けて来りたれども、内へ這入らず失せぬ。また外村《ほかむら》にも参宮の間、毎夜燈明を上げ置きたる神棚の、何の障りもなくて崩れ落ちたり。家内もさてはと思ひ合せながら、余《よ》の事に取なし紛れ居たるなど、そこにも爰にも斯くこそ噂して、みな亡命せしに究(きはま)り、内々仏事をもなす家も有りけり。或日村人ひとり二人予に尋ね来て問ふやう、その許《もと》には内々承る事あり。今度かやうかやうの仕合せにて、村々六十人余の家々の者、只愁傷に打《うち》しめりて作事も手に付き難し、所々修験巫祝《しゆげんぶしゆく》にて吉凶生死を考へもらひ、または祈禱宿願立てざる所もなし、然れども百に百吉事なし、爰にさる人居て、その許に一応考へ給はん事を教へたり、何卒明らかに告げ給はらんやう、頻りに乞ひ望む。予由来その由縁をしらずといへども、あながちに責む。予云ふ。我等曾て左様の芸術[やぶちゃん注:占いの知識とその実践力。]あるに非ず、少し易《えき》の事を聞きし事あれど、久しく筮《ぜい》せし事なければ、八卦八爻《はつけはつかう》の象《かたち》も見がたく、繫辞《けいじ》も忘れぬといへど、例の田舎人、つかうとに[やぶちゃん注:意味不明。「ひどく」の意か。]腹あしく罵れば、今は是非に及びがたく、頓《やが》て筮をして山雷《さんらい》の六爻を得たり。つくづく思ふに、山雷は順なり、順は養なり、雷は動く物なり、死物《しぶつ》なんぞ動く食を得ん、又反爻は復なり、復は陽の帰来なり、一陽衆陰をすべたるは古なり、しかれば少しも凶見えず、定めて程なく無難の告(しらせ)あるべしといふに、その人大いに力を得て、うち勇みて帰りぬ。三日ばかり過ぎて無事の便り先づ聞え、その後廿日ばかりして帰国す。様子を聞くに、其月其日難風に逢ひて、帆綱も切揖《きりかぢ》も痛みしかば、せんすべなく運に任せて風にひかれ行きしに、不思議に土佐の出崎にうち寄せられ、助け船に引寄せられ、万死に一生を得て、乗合一人も損せず、船は所々の痛みを修復して、かくの如く日数を経たり、便りすべき事もまゝならずして、おもひながらこの節《せつ》となりぬと語りければ、これ等家毎に死したりとおもひ究めしより、その

気に乗じ物の託して怪をなせしものにや。

[やぶちゃん注:「笈埃随筆」著者百井塘雨と当該書については、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』その冒頭注を参照されたい。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧二期卷六・日昭和三(一九二八)年日本隨筆大成刊行会刊)所収の同作の当該部で正規表現で視認出来る。標題は『○幽霊』であるが、宵曲は初めの部分をカットしている。題を含めて十行目以降から最後までが相当する。なお、文中の易の八卦等の知識は私は全く持っていないし、興味も全くないので注さない。私は生涯、一度もお神籤をさえ引いたことのない人種である。悪しからず。

「若狭国常神村」「福井県三方三方郡三方町内」(注記は『ちくま文芸文庫』では、『上中郡若狭町内』に変更されている)「完徳寺」同地区内にはこの名の寺はない。福井県三方上中郡若狭町にある高野山真言宗宝篋山天徳寺(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)の誤りか。この寺には名水「瓜割の滝」があり、この湧水が古くからの水神信仰があったというから、話柄との親和性もある。

「但馬国小嶋村」「兵庫県下なのであるが不明」宵曲! 調べ方が足らん! 現在の兵庫県豊岡市小島だろう! 「豊岡の府」、則ち、現在の豊岡市街は南の近くにあるじゃないか! そもそも「長源寺」だって、小島に現存してるぞッツ!!!

「赤江川」現在の大淀川の河口附近での古い呼称。地名として河口の右岸に宮崎市赤江の地名が残る。「ひなたGPS」の戦前の地図に、河口の突先に『赤江港』として⚓マークが大淀川の上に記されてある。

「参宮」単にこう言った場合、江戸時代は圧倒的に伊勢参宮を指す。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「くろ鶇(つぐみ)!」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 標題の“!”は、この「博物誌」中、ここのみに附してある特異点である。これは後注の冒頭を参照されたい。また、ボナールの挿絵であるが、今回は「Internet archive」の原本に従い、標題の前に配した。]

 

 

Kurotugumi

 

 

    くろ鶫(つぐみ)

 

 

 私の庭に、殆ど枯れかけた古い胡桃(くるみ)の樹があるが、小鳥どもは氣味惡がつて寄りつかない。たつた一羽、黑い鳥がその最後の葉の中に住んでゐる。

 然し、庭のそのほかの部分は、花の咲いた若い樹がいつぱいに植わつてゐて、陽氣な、いきいきした、色とりどりの小鳥どもが巢を掛けてゐる。

 そして、これらの若い樹はその老いぼれの胡桃の樹を馬鹿にしてゐるらしい。ひつきりなしに、彼に向つて、まるで惡態をつくやうに、おしやべりの小鳥の群れを投げつける。

 雀、岩燕、山雀、かわら鶸(ひわ)などが、入り交り、立ち交り、彼を惱ます。彼らはその翼で彼の枝の先をこづく。あたりの空氣は、彼らのきれぎれの鳴き聲で沸き返る。やがて、彼らは退散する。すると、また別の小うるさい一團が若樹のなかから飛び立つて來る。[やぶちゃん注:「山雀」は「やまがら」と読む。]

 彼らは、精の續く限り、挑みかけ、鳴き立て、金切聲をあげ、喉を嗄らす。

 そんな風にして、明けがたから日暮れ時まで、まるで惡態をつくやうに、かはら鶸、山雀、岩燕、雀などが、その老いぼれの胡桃の樹を目がけて、若樹のなかから飛び出して行く。

 然し、時々は胡桃の樹も堪忍袋の緖をきらし、その最後の葉をゆすぶり、わが家の黑い鳥を放し、そしてかう云ひ返す――

 「くそつぐみ!」[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。但し、原本では特に斜体・下線などの附帯はない以下、五行空けは底本のママ。]

 

 

 

 

 

 樫鳥――「のべつ黑裝束で、見苦しいやつだ、くろ鶫(つぐみ)つて!」[やぶちゃん注:「樫鳥」「かしどり」。戦後版では『かけす』とルビする。]

 くろ鶫――「群長閣下、わたしはこれしか着るものがないのです」

 

[やぶちゃん注:五行空けはママ。臨川書店版全集注(ちなみにこちらは私の後述するのと同じく、この鳥をクロウタドリに同定してゐる)によれば、“merle”(音写「メェハラ」。「クロウタドリ」(黒歌鳥))と“merde”(同前「メェハドゥ」。「糞ったれ」の意)は音通であるとする(岩波文庫の辻昶氏の注では、後者を『少しお上品にしてメルルということがある』と解説されておられる。ちなみに、私の愛するピアニスト、靑柳いづみこさんのズバり、『メルド!日記』の冒頭によれば、『「MERDE/メルド」は、フランス語で「糞ったれ」という意味で』、『このアクの强い下品な言葉を、フランス人は紳士淑女でさえ使』い、『また、ここ一番という時に幸運をもたらしてくれる、緣起かつぎの言葉』でもあると記されてある。そうして、靑柳さんは『身の引きしまるような難關に立ち向かう時、「糞つたれ!」の强烈な一言が、絕大な勇氣を與えてくれるのでしょう。』と述べておられる。ここで表題の特異点「!」が「糞ったれ!」として鮮やかに生きてくるのである。

 さて、「くろ鶇」だが、“Merle”は私の辞書では、確かに『鶇』とあるのだが、スズメ目ツグミ科ツグミ属クロツグミ Turdus cardisは名の割には、腹部が白く(丸い黒斑点はある)、「のべつ黑裝束で」というのに違和感がある。これは「クロツグミ」ではなく、が全身真黒で、黄色い嘴と、目の周りが黄色い同じツグミ属のクロウタドリTurdus merulaではないかと思われる。

 以下、脇役その他大勢も比定しておく。

「胡桃(くるみ)」はヨーロッパに広く分布するブナ目クルミ科ジュグランス属カシグルミ(ジュグランス・ニグラ) Juglans regia であろう。

「雀」スズメ目スズメ科スズメ属スズメ基亜種 Passer montanus  montanus (ヨーロッパからアフリカ北部・モンゴル北部・満州・オホーツク海に分布する)。

「岩燕」はスズメ目スズメ亜目ツバメ科ツバメ亜科 Delichon 属イワツバメDelichon dasypus ではなく(ヨーロッパには分布しない)、恐らくは、スズメ目ムクドリ科ムクドリ属ホシムクドリ Sturnus vulgaris であろう。全集の佃氏の訳でも、『椋鳥』と訳されてある。

「山雀」もおかしい。スズメ目スズメ亜目シジュウカラ科ヤマガラ属ヤマガラ Sittiparus varius はヨーロッパには棲息しない。これはスズメ目シジュウカラ科シジュウカラ属(標準和名は未記載であるが、通俗和名は「ヨーロッパシジュウカラ」) Parus major であろう。全集でも、『四十雀』と訳されてある。

「かわら鶸(ひわ)」もダメ。スズメ目アトリ科ヒワ属カワラヒワ Carduelis sinica もヨーロッパに棲息しない。全集では『アトリ』と訳されてある。これはスズメ目アトリ科アトリ属アトリ Fringilla montifringilla である(漢字では「花鶏」でこれを「あとり」と読む)。

「樫鳥」スズメ目カラス科カケス属カケス Garrulus glandarius 。但し、約三十もの亜種がいるのでカケスGarrulus sp. とすべきか。

「見苦しいやつだ、くろ鶫(つぐみ)つて!」岩波の辻氏の訳では、『いやなやつだ!』と訳され、『いやなやつだ』に『ヴイ』(ィ)『ラン・メルル』とルビされておられ、後注で、『フランスのつぐみの羽はつやのある黒色である。とても不愉快な人間のことをフランス語で「いやなつぐみ」(ヴイ』(ィ)『ラン・メルル)という』とあった。

 なお、最後の二行のアフォリズムは二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の「囁(ささや)き」の中に既に出ている。また、全集の佃氏の後注によれば、この「くろ鶫」の冒頭の「群長閣下」は、『アルフォンス・ドーデ』かの名作で私も大好きな『『風車小屋だより』「散文の幻想詩Ⅱ野原の郡長殿」への賛辞である』とある。]

 

 

 

 

MERLE !

 

Dans mon jardin il y a un vieux noyer presque mort qui fait peur aux petits oiseaux. Seul un oiseau noir habite ses dernières feuilles.

Mais le reste du jardin est plein de jeunes arbres fleuris où nichent des oiseaux gais, vifs et de toutes les couleurs.

Et il semble que ces jeunes arbres se moquent du vieux noyer. A chaque instant, ils lui lancent, comme des paroles taquines, une volée d'oiseaux babillards.

Tour à tour, pierrots, martins, mésanges et pinsons le harcèlent. Ils choquent de l'aile la pointe de ses branches. L'air crépite de leurs cris menus ; puis ils se sauvent, et c'est une autre bande importune qui part des jeunes arbres.

Tant qu'elle peut, elle nargue, piaille, siffle et s'égosille.

Ainsi de l'aube au crépuscule, comme des mots railleurs, pinsons, mésanges, martins et pierrots s'échappent des jeunes arbres vers le vieux noyer.

Mais parfois il s'impatiente, il remue ses dernières feuilles, lâche son oiseau noir et répond : “ Merle ! ”

 

 

 

LE GEAI. - Toujours en noir, vilain merle !

LE MERLE. - Monsieur le sous-préfet, je n'ai que ça à me mettre.

 

[やぶちやん後注:“TEXTES LIBRES”の“MERLE !”は“La Pie”の項に付隨する形であり、項目として獨立していない。戦後版で依拠した“In Libro Veritas”版でも、やはり同じであり、これで、“TEXTES LIBRES”は“In Libro Veritas”版をコピー・ペーストして一部を修正したに過ぎないサイトであることがほぼ断定出来るように思う。なお、後の二行は原本を参考に三行空けた。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鶺鴒(せきれい)」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる(但し、本項にはボナールの絵はない)。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

     (せきれい)

 

 

 よく飛びもするが、よく走ることも走る。いつもわれわれの脚の間で、馴れ馴れしくするかと思ふと、なかなかつかまらいない。小さな叫び聲を立てながら、自分の尻尾(しつぽ)を踏めるなら踏んでみろと云はんばかりである。

 

[やぶちゃん注:スズメ目スズメ亜目セキレイ科セキレイ属 Motacilla sp. 。色々調べてみたが、フランスに棲息する確かな一般的な種はキセキレイ Motacilla cinerea と、タイリクハクセキレイ亜種 Motacilla alba alba と考えられる。]

 

 

 

 

LA BERGERONNETTE

 

Elle court autant qu'elle vole, et toujours dans nos jambes, familière, imprenable, elle nous défie, avec ses petits cris, de marcher sur sa queue.

 

2023/11/17

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鵲(かささぎ)」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

Kasasagi1

 

    (かささぎ)

 

 

 彼女の羽根には、いつでも去年の雪が幾らか消え殘つてゐる。

 彼女は兩脚を揃へて地べたの上を跳び廻り、それから、例の一直線な機械的な飛び方で、一本の樹を目がけて飛んで行く。

 時々はその樹にとまり損ね、隣の樹のところまで行つて、やつとそこでとまる。

 俗つぽく、てんで見向きもされないために不死の鳥とも見え、朝から燕尾服を着込んで夕方までしやべり廻り、例の「尻尾(しつぽ)つき」を着て全く我慢のならないこの鳥、これこそこの佛蘭西の最も佛蘭西的な鳥である。

 

 

Kasasagi2

 

 

 鵲――「カカカカカカ……」

 蛙――「何を云つてやがるんだ、あの女(あま)は」

 鵲――「歌をうたつてるのよ」

 蛙――「ゲエツ!」

 土龍――「靜かにしろ、やい、上のやつ。仕事をしてゐるのが聞えやしねえ」

 

[やぶちゃん注:鳥綱スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica と、両生綱無尾目 Anuraカエル類と、哺乳綱真無盲腸目モグラ科 モグラ族ヨーロッパモグラ属 Talpa 、或いは、タイプ種のヨーロッパモグラ Talpa europaea としておく。「Internet archive」の原本を参考に、底本通り、後半の対話部分は五行分開け、そこにボナールの二枚目の絵を挟んだ。

「燕尾服」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、注があり、『燕尾服をフランス語では、かささぎの尾(ク=ド=ビー)ともいうが、これは、上着の背中の裾(すそ)がかささぎの尾に似ているからである。』とある。

「ゲエツ!」原文は“Couac !”で、音写すると、「クワック」或いは「クワッキィ」。辻氏は注をされて(彼は『クワック!』と音写されて訳しておられる)、『フランス語のクワックという言葉は、かえるの鳴き声の擬音(ぎおん)になりうると同時に、「調子はずれ(だぞ)」という意味にもなる』と記しておられる。私の所持する日仏辞書(大修館書店)を引くと、“couac”は、まず、第一義に音楽用語として『調子はずれの音』とした後に、第二義で『からすの鳴き声』とある。カササギはカラス科Corvidae である。]

 

 

 

 

LA PIE

 

Il lui reste toujours, du dernier hiver, un peu de neige.

Elle sautille à pieds joints par terre, puis, de son vol droit et mécanique, elle se dirige vers un arbre.

Quelquefois elle le manque et ne peut s'arrêter que sur l'arbre voisin.

Commune, si dédaignée qu'elle semble immortelle, en habit dès le matin pour bavarder jusqu'au soir, insupportable avec sa queue-de-pie, c'est notre oiseau le plus français.

 

LA PIE. - Cacacacacaca.

LA GRENOUILLE. - Qu'est-ce qu'elle dit ?

LA PIE. - Je ne dis pas, je chante.

LA GRENOUILLE. - Couac !

LA TAUPE. - Taisez-vous donc là-haut, on ne s'entend plus travailler !

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蝙蝠」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 每日使つてゐるうちに夜もだんだん摺り切れて來る。

 上の方の、星を鏤めたあたりは摺り切れない。恰度、裾を引く着物と同じやうに、砂利や木立の隙間から、不健康なトンネルや、じめじめした穴倉の奧まで摺り切れる。[やぶちゃん注:「鏤めた」「ちりばめた」。]

 どんなところでも、夜の帷(とばり)の裾のはいり込まないところはない。そして茨に引掛かつては破れ、寒さに會つては裂け、泥によごれては傷(いた)む。で、每朝、夜の帷(とばり)が引き上げられる度に、襤褸つきれがちぎれ落ちて、あつちこつちに引つかかる。

 かうして、蝙蝠は生れて來る。

 で、かういふ素姓(すじやう)があるために、彼女らは晝の光には耐へられないのである。太陽が沈んで、私たちが涼みに出る時分になると、彼女らは、昏睡狀態のまま一方の爪の先でぶら下がつてゐた古い梁(はり)から剝がれ落ちて來る。

 彼女らのぎこちない飛び方は私たちをひやひやさせる。鯨の骨のはいつた毛のない翼(つばさ)で、私たちの周圍を跳ね踊る。彼女らは、役にも立たない傷ついた眼よりも、寧ろ耳を賴りに飛ぶのである。

 私の女友達は顏を隱す。私は私で、不潔なものにぶつつかられるのを恐れて、頭を外らす。[やぶちゃん注:「外らす」「そらす」。]

 人々のいふところに依れば、彼女らは、我々人間の戀にも勝る熱情をもつて私たちの血を吸ひ、遂に死に至らしめるといふ。

 とんでもない話である!

 彼女らはちつとも惡いことはしない。私たちのからだには決してさはらないのである。

 夜の娘である彼女らは、ただ光を嫌ふだけである。そして、そのちつぽけな葬式用の襟卷でそばを掠めて飛びながら、蠟燭の灯(ひ)を搜し出してはそれを吹き消すのである。

 

Koumori

 

[やぶちゃん注:哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目 Laurasiatheria翼手目 Chiropteraフランス語の当該(翼手目)ウィキを見ても、三十三種がフランスに棲息しているとあるので、これ以上は限定は出来ない。]

 

 

 

 

CHAUVES-SOURIS

 

La nuit s'use à force de servir.

Elle ne s'use point par le haut, dans ses étoiles. Elle s'use comme une robe qui traîne à terre, entre les cailloux et les arbres, jusqu'au fond des tunnels malsains et des caves humides.

Il n'est pas de coin où ne pénètre un pan de nuit.

L'épine le crève, les froids le gercent, la boue le gâte.

Et chaque matin, quand la nuit remonte, des loques s'en détachent, accrochées au hasard.

Ainsi naissent les chauves-souris.

Et elles doivent à cette origine de ne pouvoir supporter l'éclat du jour.

Le soleil couché, quand nous prenons le frais, elles se décollent des vieilles poutres où, léthargiques, elles pendaient d'une griffe.

Leur vol gauche nous inquiète. D'une aile baleinée et sans plumes, elles palpitent autour de nous. Elles se dirigent moins avec d'inutiles yeux blessés qu'avec l'oreille.

Mon amie cache son visage, et moi je détourne la tête par peur du choc impur.

On dit qu'avec plus d'ardeur que notre amour même, elles nous suceraient le sang jusqu'à la mort.

Comme on exagère !

Elles ne sont pas méchantes. Elles ne nous touchent jamais.

Filles de la nuit, elles ne détestent que les lumières, et, du frôlement de leurs petits châles funèbres, elles cherchent des bougies à souffler.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「水中の蜘蛛」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 水中の蜘蛛【すいちゅうのくも】 〔裏見寒話巻三〕或説に、人ありて中郡《なかのごほり》辺の淵に釣を垂《たる》るに、大なる蜘蛛、水中より上つて、釣をたるゝ男の足元へ来りて、また水に入り、この人何の気も付かず。煙管《きせる》を取らんとして足を探り見れば、左足の大指に蜘糸を巻く事七重八重なり。大いに驚き、この糸をとりて、密かに側《そば》なる古き柳の切株に捲付け置きたれば、忽然水上浪を上げ、澗底《たにぞこ》より彼《か》の蜘の巣を引《ひい》て、件《くだん》の切株を水底に引落す。依てこの人驚《おどろき》て逃去る。古老の云ふ、水中の蜘、人を喰ふと。心得べき事なり。

[やぶちゃん注:「裏見寒話」「小豆洗」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『甲斐志料集成』第三(昭和八(一九三三)年甲斐志料刊行会刊)のここの左ページ後ろから八行目がそれ。実は、この話をリンクするのは二度目。「柴田宵曲 妖異博物館 蜘蛛の網」を見られたい。そこで私が注したが、これは本邦で広汎に存在する池化け蜘蛛譚の典型。私の住まう鎌倉の源平池にさえあるポピュラーなものである。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「水死僧亡霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇は、底本では、ここであるが、ご覧の通り、「水死僧亡霊」と「水神の夢」の後にあって、明らかに配置が誤っているので、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)の順に入れ替えた。

 

 水死僧亡霊【すいしそうぼうれい】 〔甲子夜話続篇巻四〕この頃のこととよ。僧あり、御厩河岸の船渡しを渡り、またこなたの岸に遷《うつ》る。顔色常ならず、船人に何か言ひて復(ま)た向うの岸に船を頼む。察するに懐中の金子を墜《おと》し、衣中にも無ければ、こなたの岸の船人の拾ひ取りたるかと、再三往来して索《もと》むれども、獲《え》ざれば遂に去りぬ。良(やや)久しくありて、河中に溺死人あつて流れ行く。泛泛《はんぱん/はんはん》として[やぶちゃん注:浮かび漂うさま。]かの船渡しの所に著く。視れば嚮(さき)にさまよひし僧なり。観者《みるもの》思ふには、金子を失ひ何か申訳なき故ありて水死せしなるべし、執念離れず、その岸に漂著せしならんと。船人速かに棹を以て中流《なかながれ》に押出《おしいだ》すに、泛々として復(また)故処《もとのところ》に来る。またその夜更けて船人の舎の戸を敲く者あり、開《あけ》て見れば小坊主なるが言ふには、今昼金子を失ひし者あり、その金は舟子の手に有るべし、船人曰く、汝何を証としてかく我等に問ふや。小坊主渡口の水屍を指ざして、これ即ち証なりと云ふ。船人皆駭けば小坊主忽ち消えて形なし。船人怨霊なりとて恐れ、かの漂骸を寺に送り、葬を厚くせしと。一両日前のことなり。(于亥<文政十年>八月下旬)

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話續篇卷四 7 御厩河岸、僧の怨靈」を正字表現で公開し、注も附しておいたので、見られたい。]

フライング単発 甲子夜話續篇卷四 7 御厩河岸、僧の怨靈

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

22―30

 この頃のこととよ。

 僧あり、御厩河岸(おんまやがし)の船渡(ふなわた)しを渡り、又、こなたの岸(きし)に遷(うつ)る。

 顏色、常ならず。

 船人に、何か言(いひ)て、復(ま)た向(むかひ)の岸に船を賴む。

 察するに、懷中の金子を墜(おと)し、衣中にも無ければ、こなたの岸の船人の拾ひ取りたるかと、再三、往來して索(もと)むれども、獲(え)ざれば、遂に去りぬ。

 良(やや)久しくありて、河中(かはなか)に、溺死人、あつて、流れ行く。

 泛泛(はんぱん/はんはん)として[やぶちゃん注:浮かび漂うさま。]、かの船渡の所に著く。

 視れば、嚮(さき)にさまよひし僧なり。

 觀者(みるもの)思ふには、

『金子を失ひ、何か申譯なき故ありて水死せしなるべし。執念、離れず、その岸に漂著せしならん。』

と。

 船人、速かに、棹を以て、中流(なかながれ)に押出(おしいだ)すに、泛々として、復(また)、故處(もとのところ)に來(きた)る。

 又、其夜、更(ふけ)て、船人の舍(いへ)の戶を敲く者、あり。

 開(あけ)て見れば、小坊主なるが、言ふには、

「今晝(こんひる)、金子を失ひし者あり。その金は舟子(ふなこ)の手に有るべし。」

 船人曰(いはく)、

「汝、何を證として、かく、我等に問ふや。」

 小坊主、渡口(わたしぐち)の水屍(すいし)を指さして、

「これ、卽ち、證なり。」

と云ふ。

 船人、皆、駭(おどろ)けば、小坊主、忽(たちまち)、消(きえ)て、形、なし。

 船人、

「怨靈なり。」

とて、恐れ、かの漂骸(へうがい)を、寺に送り、葬(ほふり)を厚くせし、と。

 一兩日前のことなり。【于亥(ひのとゐ)八月下旬。】

■やぶちゃんの呟き

「御厩河岸の船渡し」しばしばお世話になるサイト「江戸町巡り」の「御厩河岸」によれば、『「御厩河岸の渡し」とは、台東区蔵前二丁目と墨田区本所一丁目とを結んでいた隅田川の渡し。「おんまやがしのわたし」とも。また「御厩(おうまや・おんまい)の渡し」ともいう。古くは「文珠院の渡し」ともいった。『備考』に「御米蔵の北より本所石原へ達する大川の渡し船なり。昔此辺に御厩ありしゆえの名なり。又古くは文珠院渡とも称せり。こはここより西の方なる八幡宮の別当』、『昔は文珠院と号せしゆえなり」とある』。明治七(一八七四)年、『ここに』現在の『厩橋が架設されて姿を消した。安藤広重の』「名所江戸百景」に『描かれている』とあった。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「于亥八月下旬」柴田宵曲の当該本の注に従うなら、文政十年八月下旬となる。グレゴリオ暦ではこの年の旧暦は閏六月があったため、一八二七年十月十日から二十日までの間となる。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「水死者哭声」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇は、底本では、ここであるが、以上の通り、「水死僧亡霊」「水神の夢」の後にあって、明らかに配置が誤っているので、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)の順に入れ替えた。

 

 水死者哭声【すいししゃこくせい】 〔譚海巻二〕相知りたる上人、遠州大井河の川下に草庵をむすびて居たりしころの物語りせしは、年々洪水に逢ひて溺死の人五人か十人、川こすものを始め、行旅《かうりよ》の人たゆる事なし。その死骸ながれくる度ごとに、この草庵にて引揚げ葬収《そうしう》する事なり。何国《いづこ》いかなる者といふ事もしらねば、塔婆などまうくる事もなし。只河原に埋めて、その身にそヘる杖笠などを、しるしになし収め置く事なり。哀れなる事いふばかりなし。毎年秋に至れば、月夜或は雨陰《ういん》の夜など、鬼哭(きこく)<浮ばれぬ亡霊の泣き声>を聞く事あり。これ溺死のもののゆう霊なり。甚だ凄然として聞くにたへず。川上川下と聞き定めず。但《ただ》よもすがら哀々としてたえずとぞ。かゝる事連夜に及ぶ時は、川の辺の民いひ合せ、集銭して施餓鬼会(せがき《ゑ》)<無縁の亡者に飯食を回施する会>を執行する。さすればその夜より鬼哭きこゆる事なしと。打捨て法事等なさゞれば、秋の末必ず大水《おほみづ》有り。田畑を損じ迷惑に及ぶ事とぞ。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之二 遠州大井河の川下溺死死亡靈施餓鬼の事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「水虎」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇は、四話構成で、かなり長い。

 

 水虎【すいこ】 〔三養雑記巻三〕水虎、俗に河太郎、またかつぱといふ。江戸にては川水に浴する童《わらは》などの、時として、かのかつぱにひかるゝことありし、などいふを聞けど、いと稀れにて、そのかつぱといふものを、確かに見たるものなし。西国《さいこく》の所によりては、水辺《すいへん》などにて、常に見ることありとぞ。怪をなすも、狐狸《こり》とは、おのづからことなり。正しくきける、ひとつふたつをいはゞ、畠《はたけ》の茄子《なすび》に一つごとに、歯がた三四枚《さんしまい》づつ残らずつけたりしことありと、その畠のぬしよりきゝたり。仇《あた》をなすこと、執念ことさらにふかくして、筑紫《つくし》がたにての仇を、その人《ひと》江戸にきたりても、猶怪のありしことなどもきけり。かのかつぱの写真とて見しは、背腹ともに鼈《すつぽん》の甲《かふ》の如きものありて、手足首のやうす、鼈にいとよく似たり。世人《よひと》のスツポンの年経たるもののなれりといふもうべなり。越後国《えちごのくに》蛎崎《かきざき》<新潟県中頸城郡柿崎町か>のほとりにてのこととかや。ある夏のころ、農家のわらはべ、家の内にあそび居《ゐ》けるに、友だちの童きたり、いざ河辺《かはべ》に行きて水あみして遊ばんと、いざなひ行きしに、かの誘ひに来りし童の親の、ほどなくいり来《きた》りしかば、家あるじの云ふ、今すこしまへ、そのかたの子息の遊びに来れりといひければ、いやとよ、せがれは風《かぜ》のこゝちにて、今朝《けさ》より家に臥し居《を》りぬ、いと怪しきこととぞいひあへりとぞ。後《のち》にきけば、かつぱの童に化けて[やぶちゃん注:後に示す板本では『化(かり)て』とある。]、いざなひ出《いだ》したるなりといへり。また上総国《かづさのくに》にも、ある家の童《わらべ》を、その友の童《わらべ》が来りて、川辺にあそばんとて、呼び出《いだ》しにきたりしかば、その母のいふ、川辺に行かば、まじなひに仏壇にそなヘし飯をくひて行けといひつけければ、友のわらはべ、そんならいやだといひつゝはしり逃げ行きぬとぞ。これもかつぱにてやあらん。先祖まつりは厚くすべきことといへるとかや。

[やぶちゃん注:「三養雑記」山崎美成の随筆。天保一一(一八四〇)年刊。「三養」は彼の号の一つである「三養居」をとったもの。当該話の標題は『和歌にて狐狸(きつねたぬき)を伏(ふくす)』で、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらの後刷元板本の画像の、第三巻の『水虎』が、ここと、ここと、ここで視認出来る。総ルビなので、以上の読みの参考にした。なお、宵曲はこの「三養雑記」がお好みだったらしく、「妖異博物立館」でも、四つほど取り上げており、本篇を私は「柴田宵曲 妖異博物館 河童の藥」で類話として正規表現で電子化しているので、見られたい。

「越後国蛎崎」「新潟県中頸城郡柿崎町か」ここは現在は新潟県上越市柿崎区(グーグル・マップ・データ)で、かなりの広域である。しかし、「ひなたGPSの戦前の地図を見るに、旧「柿崎村」は現在の柿崎市街を含む海辺と北東の山間部の比較的狭い地区である。ただ、「川辺」とあるから、この旧村域の相対的に内陸の部分がロケーションであろうと推察する。九州の河童は盛んに海もテリトリーとするが、私の知る限りでは、東日本の河童は海ではなく、河川を主なテリトリーとするからである。

 〔笈埃随筆巻一〕右の佐伯<豊後杵築の産、佐伯玄仙>の曰く、豊前の国中津の府<大分県中津市>と云ふ城医の家に書生たりし時、その家の次男、或時川岸を通りけるに、水虎の水上に出て遊び居たり。思ふに此ものを得んは獺肝などの及ぶべきかはとて、頓て手ごろなる石をひとつ提げ、何気なく彼の出る所をばねらひ済して打落しけるに、何かはもつてたまるべき。キヤツト叫び沈みけり。さては中(あた)りぬる事と見廻すに、水中動揺して水逆巻き、怖ろしかりしかば逃げて帰りぬ。それよりかのものに取付きて物狂はしくなり、家根(やね)にかけり木にのぼりて、種々と狂ひて手に合はず。細引もて括り置きけれども、すぐに切てければ、鉄の輪を首に入れて、鉄鎖をもて牛部屋の柱にしばり付けたり。既に一月余になりしかば、鉄輪にて首筋も裂け破れたりしが、さらに退くべき気色なし。彼れ是れ五十日ばかりなり。或時近き寺に大般若有りて、その札を家毎に受けたり。この家にも受け来り、先づかのものに戴かせければ、身震ひして即時に除きたり。誠に不思議の奇特、尊き事いふばかりなし。始めてこの経広大の功徳を目前に見たりしと語りける。

 予<百井塘雨>もまたまのあたり知りたりしは、日向下北方村<宮崎県延岡市北方町>の常右衛門といふ人、十二三歳の頃、川に遊びて河童に引込まれしと、連れの子供走り来て親に告げたり。をりふし神武の宮の社人何の河内と云ふ人、その座に聞きて、頓(やが)てその川に走り行き、裸になりて脇差を口にくはへて、かの空洞に飛入り、水底に暫く有て、其子を引出し来り、水を吐かせ薬を与へ、やうやうにして常に返り、今に存命なり。然るに翌日その空洞の所、忽ち浅瀬となりにけり。所々の川には必ず空洞の所あり。深さを知らぬほどなり。そこには必ず鯉鮒も夥しく集れども、捕る事を恐る。また卒爾に石などを打込む事を禁ずるなり。彼辺の川渡らんとするものは、河童の来りたる、往きたるをよく知るなり。また曰く、このものは誠に神変なるものなり。生きたるに逢へば必ず病む。知らずといへども身の毛立つなり。たとへ石鉄砲などに不意に打当る事あれど、その死骸を見たるものなし。常にその類を同して行き来り、または一所に住むものと見ゆ。死せざる事もあるまじきに、つひに人の手に渡らざると覚えたりと語る。かく恐ろしきものなれど、またそれを圧(お)すものあり。猿を見れば自ら動く事能はず。猿もまたそのものありと見れば必ず捕へんとす。故に猿引《さるひき》[やぶちゃん注:猿回しの業者。]川を渡る時は、是非に猿の顔を包むといへり。日薩[やぶちゃん注:日向国と薩摩国。]の間にては、水神と号して誠に恐る。田畑の実入りたる時刈取るに、初めに一かまばかり除け置き、これを水神に奉るといふ。彼辺は水へんばかりにあらず。夜は田畑にも出るなり。土人ヒヤウズエとも云ふ。これは菅神の御詠歌なるよし、この歌を吟じてあれば、その障りなしといふ。

  兵揃《ひやうすへ》に川立せしを忘れなよ

             川立男われも菅はら

 肥前諌早兵揃村<長崎市諌早市内か>に鎮座ある天満宮の社家に申し伝へたり。さて此社を守る人に渋江久太夫といふ人あり。都(すべ)て水の符を出す故に、もし川童の取付きたるなれば、この人に頼みて退くるなり。こゝに一奇事有り。然れども我慥かにその時其所にあらず。後年聞伝へたるなれば、聊か附会の疑心なきにもあらず。かの飛驒山の天狗、桶の輪にはじかれし類ひにも近ければ、云はずしてやまん事勝らんとおもへども、またよき理の一条あり。見ん人これを以てその余の虚説とする事なかれ。只この一事、気機の発動は鬼神も識得せず、一念の心頭に芽(きざ)すは、我も不ㇾ知の理をとりて、無念無想の当体を悟人すべし。同州<日向>宮崎花が嶋の人語りしは、先年佐土原の家中何某、常々殺生を好みて、鳥獣を打ち歩きて山野を家とせり。或日例の鳥銃《てつぱう》を携へて、水鳥を心がけ山間の池に行く。坂を上りて池を見れば、鳥多く見ゆ。得たりと心によろこび、矢頃よき所に下り居て、既にねらひをかけるに、かの水神水上に出て、余念なく人ありとも知らず、戯れ遊び居たり。さては折あしき事哉と、にがにがしくおもひ、頓て鉄砲をもち待ち居たり。きせるをくはへながら筒先を当て、この矢先ならんには、たとひ悪鬼邪神、もしは竜虎の猛きとても、何かははづすべきと独り念じて居たりしが、いやいやよしなき事なりと取直すに、如何はしけん、計らずもふつと引がねに障るや心や、どうと響きてねらひはづれず。かのものの胴腹へ中りしと見えて、はつと火煙立ちのぼる。こは叶はじと打捨て、飛ぶが如くに立帰りけり。帰宅の後もさして異変も無かりしかば、心に秘して人にも語らず。また彼地へも年を越しても行かざりけり。かくて何の障りもなく、或時友達打寄りて酒呑み遊びて、たがひに何かの物語りに、この人思はずこの事を語り出し、世にはおそろしき事もあるものかな、それにより二三年一向彼所へ至らず、さらに打つべき心もなかりけるに、不運なる水神かな、自然と引がねにさはり、放れ出たるには我も驚きたりと語るや否、ウンとのつけに反り返り、また起直りて云ふやう、さてさて今日唯今はいかなるものの所為なる事を知らざりしに、この者の仕業と聞きて、その仇を報ずるなりと罵りかゝり、終に病となりて死したりと云ふ。誠にこの事は論ぜずして口外にせざれば人も知らず、況んや鬼においてをや。かの豆を握つて鬼に問ふに、問ふ人その数を知れば鬼も知り、無心に摑んで人その数を知らざれば、鬼もまたその数を知らずといふも、同日の談なり。

[やぶちゃん注:以上の本文注の改行段落成形は底本のママ。本書では珍しい特異点である。「笈埃随筆」の著者百井塘雨と当該書については、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』その冒頭注を参照されたい。以上の本文は、国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧二期卷六・日昭和三(一九二八)年日本隨筆大成刊行会刊)所収の同作の当該部で正規表現で視認出来る。標題は『○水 虎』である。呪(まじな)いの和歌は、一行ベタであるが、ブラウザの不具合を考え、上句と下句を分離し、後を有意に下げた。

「佐伯玄仙」不詳。但し、同書の他の話柄にも三箇所ほど出るので、百井塘雨の知人の医師である。

「豊前の国中津の府」「大分県中津市」「府」とあるので、現在の大分県中津市市街、旧中津城(グーグル・マップ・データ)の近辺であろう。さすれば、ロケーションの川は城を右岸河口にする山国川(やまくにがわ)であろう。

「大般若」「大般若経」(だいはんにゃぎょう)。大乗仏教初期の経典。サンスクリット原典・チベット語訳ともに現存する。全六百巻。唐の玄奘は六六〇年元旦から約四年をかけて翻訳した。空(くう)を説く般若経典類を集大成したもので、四処十六会(え)に分かれる。「大般若波羅蜜多経」とも呼ぶ。

「日向下北方村」「宮崎県延岡市北方町」現在の北方町(きたがたちょう)は広域(グーグル・マップ・データ。以下同じ)だが、後に出る「神武の宮」は同じ北方町横小路にある皇宮屋(こぐや)皇宮神社のことであるから、この附近がロケーションとなる。従って川はその神社の東直近を流れる大淀川と比定出来るであろう。

「肥前諌早兵揃村」「長崎市諌早市内か」ウィキの「ひょうすべ」によれば、『肥前国(長崎県)諫早には兵揃(ひょうすべ)村という地があり、そこで天満宮』『をあずかっていた渋江久太夫(文太夫)は河童除けの札を出していたとする記述も』、「和漢三才図会」(巻第八十・「肥前」の内)『などの書物や』、「笈埃随筆」の本篇『などをはじめとした近世の随筆などにしばしば見られる』のだが、『諫早は肥前国高来郡などに属するが、柳田國男』『が指摘するように兵揃村という村名は確認されていないため、兵揃が正式な村名であったのかどうかは不明』であるとある。この柳田の指摘は、私の『柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「河童駒引」(3) 「河童家傳ノ金創藥」(1)』の中の一節であるが、私はこれに疑問を持って調べた。その結果、以下のような注を附した。

   *

(前略)柳田は前で「自分の知る限りに於いては、肥前には「兵輔(ひやうすへ)」と云ふ村の名、無し。恐くは亦、傳聞の誤りならん」と言っているのであるが、ここにははっきりと「兵揃(ひやうすべ)村に在り」とし、しかも「諫早より、十里、南」とまで記している。これは如何にも不審である。そこで調べてみたところ、個人ブログ「仮称リアス式」の「肥前諌早の兵揃村」で、長崎県長崎市多以良町に「兵頭」(読み不明だが、「ひょうず」と読みたくなること請け合い)という地名があり、ここは現在の長崎市内で『俗に東長崎と呼ばれている』が、この『地域は昔は諌早領だった』と記されてある。諫早市街からは、西で二十五キロメートルほどしか離れてはいないけれど、これは気になる。そこに示された「電子国土ポータル」には確かに「兵頭」の地名を確認出来、しかも近くのごくごく川沿いにぽつんと神社があるではないか。いよいよ気になるが、この神社、よく判らぬ。まんず、私の力ではここまでだ。

   *

と書いた。現在は長崎市多以良町(たいらまち)内で、長い「兵頭トンネル」があったので、読みを調べると、残念ながら「ひょうどうトンネル」であった。しかし、古く、ここを「ひやうず」と呼んだ可能性は無効には出来まい。国土地理院図を見ると、川を隔てた対岸直近に神社があり、その東北にも神社がある。但し、この回もまたしても、この神社が天満宮であるかどうかも、というより、何もかも、判らず終いであった。郷土史研究家の御教授を乞うものである。

「同州」「日向」「宮崎花が嶋」宮崎県宮崎市花ケ島町(はながしまちょう)。島ではないので注意。先の注で示した大淀川に近い。

「佐土原」日向国那珂(なか)郡及び児湯(こゆ)郡を領有した佐土原藩(さどわらはん)。藩庁は佐土原城(現在の宮崎県宮崎市佐土原町。花ケ島町の北方直近)。藩主家は島津氏支族の佐土原島津家であり、薩摩藩の支藩とされる。]

〔閑窻自語〕近江なりけるもののかたりしは、湖水にかはら(水虎、俗にかはたらう、あるひはかつぱなどいふなり)おほくあり。人をとり、あるはかどはかし、または夜ふけて、人の門戸にきたりて、人をよびなどするなり。これをさくるには、麻《を》がらをおけばきたらず。またさゝげ(大角豆)をいむ。これを帯ぶる人にちかよらず。又舟に鎌をかくるも、これをさくるまじなひといへり。肥前の島原<長崎県島原市>の社司某かたりていふ。かの国にもかはたらう多くあり。年に一両度ばかりは、かならず人を海中に引き入れて、精血をすひてのち、形をかならずかへすなり。いかなるもののさとりしめけるやらん。かの亡屍を棺に入れず、葬らず、たゞ板のうへにのせ、草庵をむすびて取り入れ、かならずしも香花をそなへずおけば、この屍のくつるあひだに、かの人をとりしかはたらうの身体爛壊して、おのづから斃《たふ》る。しからざればかはたらう人間の手にとらふべきものにあらず。いはんや、いづれのとりしといふ事をもしりがたし。いと奇術なりとぞ。かはたらう身のらんゑする間かの死がいをおくやのほとりを、悲しみなきめぐる。人その形を見ず。ただ声を聞くとなん。もしあやまちて香花をそなへしむれば、かはたらうかの香花をとりかへり食すれば、その身らんゑせずといへり。棺に入れ葬れば、これも斃るゝにおよばずとぞ。およそかはたらう身をかくす術をえて、死せざれば見る事あたはず。多力にして姦悪の水獣なりといへり。

[やぶちゃん注:「閑窻自語」(かんさうじご:歴史的仮名遣)は公卿柳原紀光(やなぎわらもとみつ 延享三(一七四六)年~寛政一二(一八〇〇)年)の随筆。権大納言光綱の子。初名は光房、出家して「暁寂」と号した。宝暦六(一七五六)年元服し、累進して安永四(一七七五)年、権大納言。順調な昇進を遂げたが、安永七年六月、事により、解官勅勘を被った。翌々月には許されたが、自ら官途を絶って、出仕することなく、亡父の遺志を継いで国史の編纂に力を尽くし、寛政一〇(一七九八)年まで前後二十二年間を要して「続史愚抄」禅全八十一冊を著した。国立国会図書館デジタルコレクションの『隨筆三十種』第五集(今泉定介・畠山健校訂編纂/明三〇(一八九七)年青山堂刊)のここで視認出来る。標題は『肥前水虎語』である。

「麻がら」皮をはいだ麻(あさ:バラ目アサ科アサ属アサ Cannabis sativa )の茎。盂蘭盆の飾りや、迎え火・送り火を焚くのに用いるから、それが河童の忌避と関係するように思われる。「あさがら」とも読む。

「さゝげ(大角豆)」マメ目マメ科ササゲ属ササゲ亜属ササゲ Vigna unguiculata 。河童の嫌いな物として、各地で語られているが、その由来は不詳のようである。

「精血」精気と血液。]

 〔蕉斎筆記〕九州にて筑摩川辺には水虎(かつぱ)多く住みて、人を取りまた妖(ばけ)などする事度々有り。或時川辺に馬をつなぎ置きしに、水虎水中より出て、その馬のたづなをとき、我手にくるくると巻き、水中へ追ひ込まんとしけるに、この馬水虎を引ずりて我家へもどりければ、何れも悦び水虎を散々に戒め、後手にしばり上げ置きけるに、その家の女房椀器の洗汁を持ち、にくき水虎のつらがまへかなとて、その汁をあびせかければ、忽ち頭上に水溜りけるにや、直に縄を引切り逃げ帰りけるとなり。頭上に水なきときは、自由に働きならずといひ伝へける。さも有りしにや。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(右ページ下段から)で視認出来る。なお、この記事は『寬政七乙卯年拔書』(グレゴリオ暦一七九五年二月十九日から一七九六年二月八日の間)に書かれたものであることが、パート標題によって判った。

「筑摩川」ママ。筑後川の誤りであろう。河童伝承がある。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「燕」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

   (つばめ)

 

 

 彼女らは私に課業を授けてくれる。

 先づ、その小刻みな啼き聲で、空中に點線を描く。

 一本の直線を引き、その最後にコンマを打つたと思ふと、そこで急に行を變へる。

 途方もなく大きな括弧を描いて、私の住んでゐる家をその中に入れてしまふ。

 庭の泉水もその飛ぶ姿を寫しとることができないほど、素早く、それこそ穴倉から屋根裏へ眞つ直に飛び上つて行く。

 翼の羽根ペンも輕やかに、彼女らはぐるぐると誰にも眞似できない花押(かきはん)を書きなぐる。

 それから、今度は二羽づつ抱き合つたまま、みんな一緖に集り、ごちやごちやに塊つて、空の靑地の上へ、べつたりインクの汚點(しみ)をつける。

 然し、ただ一人の友達の眼だけが、彼女らの姿を殘りなく捉へることができる。そして、諸君が希臘語や羅典語を知つてゐるといふのなら、私の方は、煙突の燕どもが空に書くヘブライ語を讀み分けることができる。

 

 

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 かはら鶸(ひわ)――「燕つてやつは馬鹿だなあ。煙突を樹だと思つてやがる」

 蝙蝠――「いくら人がなんと云つたつて、あいつとあたしぢや、あいつの方が飛ぶのはまづいよ。晝の日なか、しよつちゆう道を間違へてるんだもの。あたしみたいに、夜にでも飛んでごらん。ひつきりなしに死ぬやうな目にあふから」

 

[やぶちゃん注:スズメ目ツバメ科ツバメ属ツバメ Hirundo rustica 。第二条の「かはら鶸」は♂、「蝙蝠」は♀だが、原文で判る通り、前者は男性名詞、後者は女性名詞であることに基づいた訳となっている。但し、残念ながら、「かわらひわ」の訳は正しくない。“PINSON”は、所謂、英語のダーウィンの観察による個体変異で知られる英語“Finch”(フィンチ)で知られるスズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科 Fringillidaeの多数の属群の一種であるから「あとり」と訳すのが正しい。「かわらひわ」はアトリ科で、ヒワ属カワラヒワ Chloris sinica であるが、カワラヒワは東アジア(中国・モンゴル。ロシア東南部・朝鮮半島。日本)にしか分布しないからである。フランス語の同科のページには多数の属が掲げられている。「蝙蝠」は哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目翼手(コウモリ)目 Chiroptera。フランスだけでも三十四種が確認されているので、種の同定は不能である。

「そして、諸君が希臘語や羅典語を知つてゐるといふのなら、私の方は、煙突の燕どもが空に書くヘブライ語を讀み分けることができる。」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、注があり、『ギリシア語やラテン語を知っているというのは、むづかし言葉を知っている、もの知りだということになるが、ヘブライ語はそれ以上にむづかしい言葉』であることから、『「それは私にとってはヘブライ語だ」というと、「私にはちんぷんかんぷんだ」という意味になる』とあった。]

 以下の原文は、「Internet archive」の原本の当該部を参考に、「Ⅰ」「Ⅱ」を除去し、前半との間を三行空けた。]

 

 

 

 

LES HIRONDELLES

 

Elles me donnent ma leçon de chaque jour.

Elles pointillent l'air de petits cris.

Elles tracent une raie droite, posent une virgule au bout, et, brusquement, vont à la ligne.

Elles mettent entre folles parenthèses la maison où j'habite.

Trop vives pour que la pièce d'eau du jardin prenne copie de leur vol, elles montent de la cave au grenier.

D'une plume d'aile légère, elles bouclent d'inimitables parafes.

Puis, deux à deux, en accolade, elles se joignent, se mêlent, et, sur le bleu du ciel, elles font tache d'encre.

Mais l'oeil d'un ami peut seul les suivre, et si vous savez le grec et le latin, moi je sais lire l'hébreu que décrivent dans l'air les hirondelles de cheminée.

 

 

 

LE PINSON. - Je trouve l'hirondelle stupide : elle croit qu'une cheminée, c'est un arbre.

LA CHAUVE-SOURIS. - Et on a beau dire, de nous deux c'est elle qui vole le plus mal : en plein jour, elle ne fait que se tromper de chemin ; si elle volait la nuit, comme moi, elle se tuerait à chaque instant.

 

2023/11/16

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「カナリヤ」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 私はどういふ氣で、わざわざこんな鳥を買つて來たのだらう?

 小鳥屋は私に云つた――「これは雄です。一週間もすりや馴れます。そうすれや鳴きだしますよ」

 ところが、小鳥はいつまでも强情に默りこんでゐる。それに、やることが何から何まであべこべだ。

 餌壺に餌を入れてやると、いきなり嘴の先でとびかかつて、あたり一面に撒き散らしてしまふ。[やぶちゃん注:「餌壺」は戦後版を参考にすると、読みは「ゑつぼ」である。]

 ビスケットを籠の橫木の間に絲で結びつけてやる。すると、彼が喰ふのはその絲だけだ。彼はまるで金鎚のやうな勢で、そのビスケットを押したり突つついたりする。で、ビスケットは落ちてしまふ。

 綺麗な飮み水のなかでは水浴びをし、水浴びをする器で水を飮む。そして、その時の都合に委(まか)せて、その兩方のどちらにでも糞(ふん)をたれる。

 練り餌をやると、自分たち同類の鳥が巢を作る、至極誂へ向きの捏土(こねつち)だと思いこんで、ただ本能的にその上に蹲る。[やぶちゃん注:「捏土」戦後版によれば、読みは「こねつち」である。「蹲る」は「うずくまる」。]

 彼はまだサラダ菜の效能を知らない。で、面白がつて引裂くだけだ。

 彼が、ほんとにその氣で、餌をつついて吞み込まうとする時は、まつたく氣の毒になる。彼はそれを嘴のなかであつちこつち轉がし廻り、押しつけてみたり、潰してみたり、まるで齒ぬけの爺さんみたいに、頻りに首をひねつてゐる。

 棒砂糖の切れつぱしを入れてあるのに、どうしようともない。こりやなんだ。石がとび出したのか? それとも、露臺か、テーブルか、どつちみち、實用には遠い。

 彼はそれよりも木片(きぎれ)の方が好きだ。木片(きぎれ)は二本あつて、上下に交り合つてゐる。彼がぴよんぴよん跳んでゐるのを見ると、私は胸が惡くなる。その樣子は、さながら、時間もなにも分からない振子時計の機械的な無駄骨折にひとしいものである。何が面白くてあんな跳び方をし、なんの欲求に驅られて跳ね廻るのだらう?

 その陰鬱な體操がすんで休む時でも、片脚で一方の止り木をしつかり握り締めてとまりながら、もう一つの脚で、機械的に、その同じ止り木を搜してゐる。

 冬になつて、ストーブを焚き始めると、彼は早速もう春の脫毛の時期が來たのだと思つて、羽を毟りだす。

 私のランプの輝きは、彼の夜を搔き亂し、その睡眠の時刻を混亂させる。彼は日の暮れがたに眠りに就く。私は、彼のまはりに闇が次第に濃くなつて行くのを、ぢつとそのままにしておく。恐らく、彼は夢でも見てゐるのだらう。突然、私はランプを籠に近づける。彼はぱつと眼をあける。なんだ、もう夜が明けたのか! で、早速、彼はまた動き廻り始め、跳ねたり、葉つぱを突つつき廻したりしながら、尻尾(しつぽ)を扇型に擴げ、翼(はね)を伸ばす。

 ところが、私はランプを吹き消してしまふ。で、殘念ながら、彼のうろたへた顏つきは見えない。

 やがて、私は、しよつちゆうあべこべなことばかりやつて暮らしてるこの啞の鳥に、すつかり愛想を盡かしてしまつて、窓から外へ放してやる……。が、彼は籠の中の自由以外にもはや自由の使ひ方を知らないのである。今に、誰かが手でつかまへてしまふだらう。

 そいつを私のところへ屆けてくれるのはやめた方がいい。

 私はなんにもお禮なんか出さないばかりではない。私はそんな鳥は一向識らぬと言ひきつてやる。

 

Kanariya

 

[やぶちゃん注:鳥綱スズメ目アトリ科カナリア属カナリア Serinus canaria 。しかし、これ、ルナール先生、まんまと小鳥屋に騙されて、♂ではなく、♀を買わされたのではあるまいか? という気がしてくる(カナリアは普通の見た目では雌雄の区別はつかない。総排泄腔に附随する生殖器が突き出ており、その先端に窪みがあるのが♂で、出ていないものが♀)。なお、♀も時にときおり、「ピィピィ」と鳴くことはある。「サラダ菜」はキク目キク科アキノノゲシ(秋野芥子)属チシャ(萵苣) Lactuca sativa 。所謂、「レタス」(英語:Lettuce/フランス語:。なお、和名の「チシャ」は古くは「ちさ」で、これは植わっているその茎を切った際、滲み出る白い液体に基づく「乳草(ちちくさ)」の略とされる。

「練り餌」原文“échaudé”は、辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、そのまま『エショーデ』とあり、注で、『お菓子の一種。練り物を熱湯の中にしばらく入れておいたものに卵白(らんぱく)バターと塩をまぜて焼く。胃腸のよわい人や鳥に食べさせる』とある。調べてみると、クロワッサン型のもののようである。]

 

 

 

 

LE SERIN

 

Quelle idée ai-je eue d'acheter cet oiseau ?

L'oiselier me dit : “ C'est un mâle. Attendez une semaine qu'il s'habitue, et il chantera. ” Or, l'oiseau s'obstine à se taire et il fait tout de travers.

Dès que je remplis son gobelet de graines, il les pille du bec et les jette aux quatre vents.

J'attache, avec une ficelle, un biscuit entre deux barreaux. Il ne mange que la ficelle. Il repousse et frappe, comme d'un marteau, le biscuit et le biscuit tombe.

Il se baigne dans son eau pure et il boit dans sa baignoire. Il crotte au petit bonheur dans les deux.

Il s'imagine que l'échaudé est une pâte toute prête où les oiseaux de son espèce se creusent des nids et il s'y blottit d'instinct.

Il n'a pas encore compris l'utilité des feuilles de salade et ne s'amuse qu'à les déchirer.

Quand il pique une graine pour de bon, pour l'avaler, il fait peine. Il la roule d'un coin à l'autre du bec, et la presse et l'écrase, et tortille sa tête, comme un petit vieux qui n'a plus de dents.

Son bout de sucre ne lui sert jamais. Est-ce une pierre qui dépasse, un balcon ou une table peu pratique ?

Il lui préfère ses morceaux de bois. Il en a deux qui se superposent et se croisent et je m'écoeure à le regarder sauter. Il égale la stupidité mécanique d'une pendule qui ne marquerait rien. Pour quel plaisir saute-t-il ainsi, sautillant par quelle nécessité ?

S'il se repose de sa gymnastique morne, perché d'une patte sur un bâton qu'il étrangle, il cherche de l'autre patte, machinalement, le même bâton.

Aussitôt que, l'hiver venu, on allume le poêle, il croit que c'est le printemps, l'époque de sa mue, et il se dépouille de ses plumes.

L'éclat de ma lampe trouble ses nuits, désordonne ses heures de sommeil. Il se couche au crépuscule. Je laisse les ténèbres s'épaissir autour de lui. Peut-être rêve-t-il ?

Brusquement, j'approche la lampe de sa cage. Il rouvre les yeux. Quoi ! c'est déjà le jour ? Et vite, il recommence de s'agiter, danser, cribler une feuille, et il écarte sa queue en éventail, décolle ses ailes.

Mais je souffle la lampe et je regrette de ne pas voir sa mine ahurie.

J'ai bientôt assez de cet oiseau muet qui ne vit qu'à rebours, et je le mets dehors par la fenêtre... Il ne sait pas plus se servir de la liberté que d'une cage. On va le reprendre avec la main.

Qu'on se garde de me le rapporter !

Non seulement je n'offre aucune récompense, mais je jure que je ne connais pas cet oiseau.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「水居の人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 水居の人【すいきょのひと】 〔譚海巻二〕下総国利根川水中に住居する人有り。その所布施より大宝と云ふ際にて、時々見かくる事あり。その人、魚などを取りてくひつゝ五六十日づつほどは都(すべ)て水居すといへり。余り飢ゑたると覚ゆる時は、水泊の舟に近付て、ひそかに食物をこひ、餐余のものなどもらふ事有り。往来の船頭正しく見たる事にて、魑魅のたぐひにもあらず、人間なり。陸には住居する様子にもあらざりしとぞ。安永の初めの事なり。その後何方へ行きたりけん、在所をしらずといへり。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之二 下總國利根川水中に住居せし男の事」を見られたい。]

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「水怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

         

 

 水怪【すいかい】 〔落栗物語後編〕主計頭《かづへのかみ》藤原清正朝臣は、隠れたる武勇の人なり。肥後国を攻め取て領せられしが、或時河のほとりに出て、従者どもに魚をとらせて興ぜられしに、その中に清げなる童のありしを、海より怪しき者出《いで》て引入れんとす。清正きつと見て、やをれくせものよ、我前にて何とてかかる事はすると怒られければ、かの者大いに驚きたるさまにて、童を打すて、清正に向ひ、ぬかづき拝みて遁げ去りぬ。

[やぶちゃん注:「落栗物語」豊臣時代から江戸後期にかけての見聞・逸話を集めた大炊御門家の家士侍松井成教(?~天明六(一七八六)年)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『百家隨筆』第一 (大正六(一九一七)年国書刊行会刊)のこちらで当該部が正字表現で視認出来る(左ページ後ろから六行目以降)。なお、この話、別な藤原清正が飼っている猿に纏わる異譚(笑話)が添えてあるので、見られたい。

「藤原清正」かの猛将で肥後熊本藩初代藩主加藤清正(永禄五(一五六二)年~慶長一六(一六一一)年)のこと。彼は天正一三(一五八五)年七月、秀吉が関白に就任すると同時に、従五位下・主計頭に叙任している。

「肥後国「河のほとり」「従者どもに魚をとらせて興ぜられし」「その中に清げなる童のありしを、海より怪しき者出て引入れんとす」言わずもがなだが、このロケーションといい、童子を水に引き入れるというデーティルから、この妖怪は百二十%、河童である。

「やおれ」「やうれ」「やをれ」とも書く。上記活字本では『やをれ』となっている。感動詞で「やい、おまえ。」「おい、こら。」で、尊大な態度で、相手に呼びかける際に発する語である。]

2023/11/15

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「神竜」 / 「し」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇を以って、「し」の部は終わっている。]

 神領の鹿【しんりょうのしか】 〔甲子夜話巻廿二〕肥前の領内に沖の神嶋<長崎県西彼杵郡内か>と云ふ古蹟の霊場あり。此処鹿多し。里俗相伝ふ、神の使令にして、殊に愛せらるゝ町なりと。因て農夫猟師曽て神境に入て捕殺することなし。この辺り鹿を得るに鳥銃を以てすること常なり。吾士に某なる者あり。曰く、神領の中と雖ども、もと獣類、これを取る何ぞ妨げあらん。その友固く止むれども不ㇾ聴。一日鳥銃を持てかの神領の中に入るに、鹿忽ち出来る。即ち一発するにその腹に中つ。鹿驚くことなし。士以て不ㇾ中と為し、再び放してまたその腹に中るに、鹿自若たり。士愈〻疑ひ、またこれをうたんとす。然るに鹿の山中より出るもの、無数にして算ふべからざるに至る。士始めて駭く。神の所為にしてその罰あらんかと。乃ち鳥銃を負ひ走帰る。その友見てあやしみ云ふ。汝何事にか遭ふ。士曰く、異ることなし。友曰く、勿れ、面色土の如し、惟ふに山中怪魅に遇ふならん。士明かに前事を告ぐと。かゝる奇異の事あれば、此処の鹿は神の使令する所と云はんも然るべきのみ。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷二十二 30 沖の神嶋、鹿の事」で正字表現のものを公開しておいた。

「沖の神嶋」「長崎県西彼杵郡内か」の「彼杵」は「そのぎ」と読み、郡としては今も一部が残っているが、以下に示す「野崎島」は同郡内であったことはない。ここは、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)では、この割注が、『長崎県北松浦郡小値賀町野崎島内か』に変更されている。ここ(グーグル・マップ・データ)である。小値賀町は「おぢかちょう」、野崎島は「のざきじま」と読む。これは宵曲の誤りである。]

フライング単発 甲子夜話卷二十二 30 沖の神嶋、鹿の事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

22―30

 肥前の領内に沖の神嶋と云(いふ)古蹟の靈場あり。

 此處(このところ)、鹿、多し。里俗、相傳ふ、

「神の使令にして、殊に愛せらるゝ町なり。」

と。

 因(よつ)て、農夫・獵師、曾(かつ)て神境に入(いり)て捕殺すること、なし。

 この邊り、鹿を得るに、鳥銃(てつぱう)を以てすること、常なり。

 吾(わが)士に、某なる者、あり。曰く、

「神領の中(うち)と雖ども、もと、獸類、これを取る、何ぞ妨げあらん。」

 その友、固く止むれども、不ㇾ聽(きかず)。

 一日、鳥銃を持(もち)て、かの神領の中に入るに、鹿、忽(たちまち)、出來(いでく)る。

 士、卽(すなはち)、一發するに、その腹に中(あ)つ。

 鹿、驚くこと、なし。

 士、以爲(おもへらく)、

「不ㇾ中(あたらず)。」

と。

 再び、放して、又、其腹に中るに、鹿、自若たり。

 士、愈(いよいよ)、疑ひ、又、これをうたんとす。

 然るに、鹿の、山中より出(いづ)るもの、無數にして、算ふべからざるに至る。

 士、始(はじめ)て駭(おどろ)く。

『神の所爲にして、その罰、あらんか。』

と。

 乃(すなはち)、鳥銃を負ひ、走歸(はしりかへ)る。

 その友、見て、あやしみ、云ふ。

「汝、何ごとにか遭ふ。」

 士、曰く、

「異(ことな)ること、なし。」

 友、曰く、

「勿(なか)れ。面色(めんしよく)、土の如し。惟(おもふ)に、山中、怪魅(かいび)に遇ふならん。」

 士、明かに前事を告ぐ、と。

 かゝる奇異のことあれば、此處(ここ)の鹿は、「神の使令する所」と云はんも、然るべきのみ。

■やぶちゃんの呟き

「沖の神嶋」これは、現在の長崎県北松浦郡小値賀町野崎島である。ここ(グーグル・マップ・データ)。小値賀町は「おぢかちょう」、野崎島は「のざきじま」と読む。「ひなたGPS」で見たところ、野崎に神社があり、ここは現在、長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷で、「沖ノ神島神社」(沖ノ神嶋神社・神島(嶋)神社:おきのこうじまじんじゃ)である。当該ウィキによれば、『境内の奇岩「王位石」で知られる。島内北端、標高』三百五メートルの『山の中腹の斜面(標高』二百メートル『超)に建てられ、五島列島に所在する神社では最古の』一『つとされる。旧社格は郷社』。『野崎島では江戸時代末期に移住してきた隠れキリシタンを除く』、殆んどの『島民が同社の氏子であり、非キリスト教徒集落の野崎集落では』「親家(おやけ)」と『称する神官家を中心として、住民が非常に強い絆で結ばれていた。神官家は、野崎島の各集落が島外へ移住した後も残り続け、同島が無人島になる』(ウィキの「野崎島」によれば、二〇〇七年より、『野崎島自然学塾村の管理人(教会等の案内人を兼ねる)として駐在している人物がおり、以降は国勢調査では』一『世帯』一『人の常住者が記録されている』とあるので、厳密な意味では無人島ではない)『前の最後の住人となった』。『本来は、本社を沖津宮、前方湾を挟んで対岸の小値賀島』(おじかしま)『(本島)前方郷』(まえがたごう)『にある地ノ神島神社を本宮(辺津宮)とし』、二『社を合わせた』一『社として神島神社(または神島宮)と呼ばれた。主祭神は神島大明神(鴨分一速王命)で、志自岐』(しじき)『大明神(十城別王命』(ときわけのみこ)『)と七郎』(しちろう)『大明神(七郎氏廣王』(しちろううじひろのきみ)『)を併祭する。なお、十城別王命は、長崎県本土唯一の式内社として高い格式をもっていた志自岐神社(平戸島)の主祭神であり、鴨分一速王命』(かもわけいちはやおうのみこと)『の兄とされる。また、七郎氏廣王は二人の部下と伝える』。創建は慶雲元(七〇四)年で、『小値賀島の地ノ神島神社から分祀』された。『直前の』大宝二(七〇二)年には、『南路(五島列島経由)に経路変更して遣唐使の再開がされていることから、遣唐使の安全を祈願する意図があったものとも言われている』とある。『拝殿の後背には、王位石(おゑ石、おえいし)と呼ばれる巨大な盤座が存在する。頂上までの高さ』二十四メートル『、両柱の端から端までの幅』十二メートル、『頂上テーブルの広さ』は五メートル『×』三メートルという『非常に大きなものであり、自然の産物か』、『人の手によるものか』、『その成り立ちは定かでない。神社創建以前の古代から』、『原始祭壇として本来の神島信仰の対象となった巨石ともされ』、『かつてはこの石の上で神楽が舞われたとも言われている』とある。

「鹿」ウィキの「野崎島」には、『現在、島には』四百『頭ほどの野生の鹿(キュウシュウジカ)が生息している。過疎化によって耕作地が放棄されたため』、『害獣とされた鹿の駆除が行われなくなり、天敵となる動物が存在しないため』、『一時は』七百~九百『頭ほどまで増加したが、自然淘汰により』、『現在の数まで減少したとされる』とあって、鹿は、今も、いる。そこに添えられた「長崎県小値賀町野崎島の野首」(のくび)『教会と、野生の鹿(九州鹿)」の写真もある。因みに、九州鹿は、  学名は哺乳綱鯨偶蹄目シカ科シカ属ニホンジカ(本種は日本固有種ではなく、中国大陸・ロシアにも棲息する)亜種キュウシュウジカ Cervus nippon nippon である(九州・四国などに分布し、ニホンジカの基亜種ともなっている)。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「神竜」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 神竜【しんりょう】 〔閑田次筆巻四〕但馬豊岡<兵庫県豊岡市>の人鷺橋おくれる文に曰く、其国氷(ひ)の山といふは、播磨・美作・因幡に根張《ねは》るゆゑに、四箇(《し》か)の山ともいへり。登ること五拾丁にして、六十六体の地蔵尊あり。霊験の地といふ。その麓鵜縄(うなは)村<兵庫県養父《やぶ》市内>といふところの女と童二人つれて、草籠負ひて谷筋に入りしが、橋の下に長さ七尺ばかりのおぞきもの居《をり》たれば、魂《たま》を消して逃帰り、しかじかのよしを語るに、もとよりその辺のものは、猛獣を捉《とらふ》ることを常とすれば、手ごとに獲物を携へて至るに、彼者驚くけしきもなく、また怒れるさまもなければ、つくづく窺ふに、角一つ手足有りて、身は木の葉の色に金の光を帯び、うつしゑの青竜のごとくうつくしければ、橋より下り角を撫でたるに、喜ぶ風情なりしとなん。この後また少し奥の澗(たに)に河を少し隔てて、凡そ八間ばかりの白き皮に金色あるが脱ぎ捨《すて》てありし。これもさきの神竜の所為なるべしといひき。悪竜、毒虵《どくじや》の類ひにあらず。治《をさま》る御代の瑞《ずい》なるべし。まさにことしの秋の実のりよきも、思ひ合されてたふとしといヘり。

[やぶちゃん注:「閑田次筆」「応声蟲」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』 第七巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちら(左ページ後ろから四行目以降)で正規表現で視認出来る(因みに、右ページの挿絵は二つ前の雷獣の図(但し、孫引き)「雷獣」は本書にも「ら」の部に出、最後に本書に載るものを指示してある)。

「但馬豊岡」「兵庫県豊岡市」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「鷺橋」南条鷺橋(「ろきょう」と読むか? 明和四(一七六七)年~天保五(一八三四)年。歌人で俳人。和歌の師が作者伴蒿蹊であった。

「氷(ひ)の山」氷ノ山(ひょうのせん:但し、古くは「ひょうのやま」・「ひょうやま」と呼んだ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「六十六体の地蔵尊」不詳。現在、兵庫県養父市からの登攀ルートの途中に「地蔵堂」はあるが、そんな多くの地蔵尊像のある場所は見当たらない。「養父市」公式サイト内の「まちの文化財(103) 氷ノ山の地蔵堂」を見られたい。因みに、先の山の古い読み方はここの解説に拠った。グーグル・マップ・データのサイド・パネルの登山地図のここで、位置的には合っているように見える。

「麓鵜縄(うなは)村」「兵庫県養父市内」現在の兵庫県養父市鵜縄(グーグル・マップ・データ航空写真)。氷ノ山の東南東直近の尾根先の山間の渓流地である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「神竜」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 神竜【しんりょう】 〔閑田次筆巻四〕但馬豊岡<兵庫県豊岡市>の人鷺橋おくれる文に曰く、其国氷(ひ)の山といふは、播磨・美作・因幡に根張《ねは》るゆゑに、四箇(《し》か)の山ともいへり。登ること五拾丁にして、六十六体の地蔵尊あり。霊験の地といふ。その麓鵜縄(うなは)村<兵庫県養父《やぶ》市内>といふところの女と童二人つれて、草籠負ひて谷筋に入りしが、橋の下に長さ七尺ばかりのおぞきもの居《をり》たれば、魂《たま》を消して逃帰り、しかじかのよしを語るに、もとよりその辺のものは、猛獣を捉《とらふ》ることを常とすれば、手ごとに獲物を携へて至るに、彼者驚くけしきもなく、また怒れるさまもなければ、つくづく窺ふに、角一つ手足有りて、身は木の葉の色に金の光を帯び、うつしゑの青竜のごとくうつくしければ、橋より下り角を撫でたるに、喜ぶ風情なりしとなん。この後また少し奥の澗(たに)に河を少し隔てて、凡そ八間ばかりの白き皮に金色あるが脱ぎ捨《すて》てありし。これもさきの神竜の所為なるべしといひき。悪竜、毒虵《どくじや》の類ひにあらず。治《をさま》る御代の瑞《ずい》なるべし。まさにことしの秋の実のりよきも、思ひ合されてたふとしといヘり。

[やぶちゃん注:「閑田次筆」「応声蟲」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』 第七巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちら(左ページ後ろから四行目以降)で正規表現で視認出来る(因みに、右ページの挿絵は二つ前の雷獣の図(但し、孫引き)「雷獣」は本書にも「ら」の部に出、最後に本書に載るものを指示してある)。

「但馬豊岡」「兵庫県豊岡市」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「鷺橋」南条鷺橋(「ろきょう」と読むか? 明和四(一七六七)年~天保五(一八三四)年。歌人で俳人。和歌の師が作者伴蒿蹊であった。

「氷(ひ)の山」氷ノ山(ひょうのせん:但し、古くは「ひょうのやま」・「ひょうやま」と呼んだ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「六十六体の地蔵尊」不詳。現在、兵庫県養父市からの登攀ルートの途中に「地蔵堂」はあるが、そんな多くの地蔵尊像のある場所は見当たらない。「養父市」公式サイト内の「まちの文化財(103) 氷ノ山の地蔵堂」を見られたい。因みに、先の山の古い読み方はここの解説に拠った。グーグル・マップ・データのサイド・パネルの登山地図のここで、位置的には合っているように見える。

「麓鵜縄(うなは)村」「兵庫県養父市内」現在の兵庫県養父市鵜縄(グーグル・マップ・データ航空写真)。氷ノ山の東南東直近の尾根先の山間の渓流地である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「神竜」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 神竜【しんりょう】 〔閑田次筆巻四〕但馬豊岡<兵庫県豊岡市>の人鷺橋おくれる文に曰く、其国氷(ひ)の山といふは、播磨・美作・因幡に根張《ねは》るゆゑに、四箇(《し》か)の山ともいへり。登ること五拾丁にして、六十六体の地蔵尊あり。霊験の地といふ。その麓鵜縄(うなは)村<兵庫県養父《やぶ》市内>といふところの女と童二人つれて、草籠負ひて谷筋に入りしが、橋の下に長さ七尺ばかりのおぞきもの居《をり》たれば、魂《たま》を消して逃帰り、しかじかのよしを語るに、もとよりその辺のものは、猛獣を捉《とらふ》ることを常とすれば、手ごとに獲物を携へて至るに、彼者驚くけしきもなく、また怒れるさまもなければ、つくづく窺ふに、角一つ手足有りて、身は木の葉の色に金の光を帯び、うつしゑの青竜のごとくうつくしければ、橋より下り角を撫でたるに、喜ぶ風情なりしとなん。この後また少し奥の澗(たに)に河を少し隔てて、凡そ八間ばかりの白き皮に金色あるが脱ぎ捨《すて》てありし。これもさきの神竜の所為なるべしといひき。悪竜、毒虵《どくじや》の類ひにあらず。治《をさま》る御代の瑞《ずい》なるべし。まさにことしの秋の実のりよきも、思ひ合されてたふとしといヘり。

[やぶちゃん注:「閑田次筆」「応声蟲」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』 第七巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちら(左ページ後ろから四行目以降)で正規表現で視認出来る(因みに、右ページの挿絵は二つ前の雷獣の図(但し、孫引き)「雷獣」は本書にも「ら」の部に出、最後に本書に載るものを指示してある)。

「但馬豊岡」「兵庫県豊岡市」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「鷺橋」南条鷺橋(「ろきょう」と読むか? 明和四(一七六七)年~天保五(一八三四)年。歌人で俳人。和歌の師が作者伴蒿蹊であった。

「氷(ひ)の山」氷ノ山(ひょうのせん:但し、古くは「ひょうのやま」・「ひょうやま」と呼んだ)。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「六十六体の地蔵尊」不詳。現在、兵庫県養父市からの登攀ルートの途中に「地蔵堂」はあるが、そんな多くの地蔵尊像のある場所は見当たらない。「養父市」公式サイト内の「まちの文化財(103) 氷ノ山の地蔵堂」を見られたい。因みに、先の山の古い読み方はここの解説に拠った。

「麓鵜縄(うなは)村」「兵庫県養父市内」現在の兵庫県養父市鵜縄(グーグル・マップ・データ航空写真)。氷ノ山の東南東直近の尾根先の山間の渓流地である。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鳥のゐない鳥籠」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    鳥のゐない鳥籠

 

 

 フェリックスは、人が鳥を籠のなかなんかに閉ぢ籠めておく氣持がわからないと云ふ。

 「誰でも云ふぢやないか、花を折り取るのは罪惡だつて」と、彼は云ふ。「兎に角、僕などは、莖についたままでなけや、花を眺めたいとは思はないね。だから、それとおんなじさ。鳥つてやつは飛ぶやうに出來てるんだ」

 そんなことを云ひながら、彼は鳥籠を一つ買ふ。それを自分の窓に掛けておく。籠のなかには、毛綿で作つた巢と、草の實を入れた皿と、綺麗な水をしよつちゆう取換へてあるコップとが置いてある。おまけに、ぶらんこや小さな鏡まで取りつけてある。

 で、人が驚き顏で訊ねると――

 「僕はこの鳥籠を見るたんびに、自分の寬大さを嬉しく思うのさ」と、彼は云ふ。「この籠には鳥を一羽入れたつていいわけだ。それをかうして空つぽにしとく。萬一、僕がその氣になつたら、例へば茶色の鶫とか、ぴよいぴよい跳び廻るおめかし屋の鷽(うそ)とか、そのほか佛蘭西ぢゆうにいろいろゐる鳥のどれかが、奴隷の境遇に落ち込んでしまふんだ。ところが、僕のお蔭で、そのうちの少くとも一羽だけは自由の身でゐられるんだ。つまり、さういふことになるんだ」

 

Torinoinaitorikago

 

[やぶちゃん注:「フェリックス」『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』で、「にんじん」の兄として「フェリックス」が登場するが、これはルナールの兄のモーリス(Maurice)がモデルであるので、ここも同じ。一九九九年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第十六巻の「人名索引」に拠れば、彼の日記の『中でルナールは兄をしばしばフェリックスの名で示している』ともあった。

「茶色の鶫」原文は“grive brune”で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ヒタキ上科ツグミ科ツグミ属 Turdus だが、異様に種が多い。別に、ヨーロッパで広く棲息する茶色のツグミに似た種を調べてみたところ、ツグミ科にチャツグミ属  Catharus があり、その中のチャイロコツグミ Catharus guttatus が名にし負うことが判ったので、有力候補として掲げておく。学名のグーグル画像検索もリンクさせておく。「茶色の鶫」と呼ぶに相応しいという気はする。

「鷽(うそ)」スズメ目アトリ科ウソ属ウソ Pyrrhula pyrrhula 。本種はヨーロッパからアジアの北部にかけて広く分布するので同定比定してよいだろう。]

 

 

 

 

LA CAGE SANS OISEAUX

 

Félix ne comprend pas qu'on tienne des oiseaux prisonniers dans une cage.

- De même, dit-il, que c'est un crime de cueillir une fleur, et, personnellement, je ne veux la respirer que sur sa tige, de même les oiseaux sont faits pour voler.

Cependant il achète une cage ; il l'accroche à sa fenêtre. Il y dépose un nid d'ouate, une soucoupe de graines, une tasse d'eau pure et renouvelable. Il y suspend une balançoire et une petite glace.

Et comme on l'interroge avec surprise :

- Je me félicite de ma générosité, dit-il, chaque fois que je regarde cette cage. Je pourrais y mettre un oiseau et je la laisse vide. Si je voulais, telle grive brune, tel bouvreuil pimpant, qui sautille, ou tel autre de nos petits oiseaux variés serait esclave. Mais grâce à moi, l'un d'eux au moins reste libre. C'est toujours ça.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鶸(ひわ)の巢」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    (ひわ)の巢

 

 

 庭の櫻の叉(また)になつた枝の上に、鶸の巢があつた。見るからに綺麗な、まん丸によく出來た巢で、外側は一面に毛で固め、内側はまんべんなく生毛(うぶげ)で包んである。そのなかで、雛が四羽、卵から孵(かへ)つた。私は父にかう云つた――

 「あれを捕つて來て、自分で育てたいんだけれどなあ」

 父は、これまで度々、鳥を籠に入れて置くことは罪惡だと說いたことがある。が、今度は、多分同じことを繰り返すのがうるさかつたのだらう、別になんとも返事をしなかつた。數日後、私は彼に云つた――

 「しようと思や、わけないよ。はじめ、巢を籠の中に入れて置くの。その籠を櫻の木に括りつけて置くだらう。さうすると、親鳥が籠の目から餌をやるよ。そのうちに親鳥の必要がなくなるから」[やぶちゃん注:「思や」「おもひや」。]

 父は、この方法について、自分の考へを述べようとしなかつた。

 さういふわけで、私は籠のなかに巢を入れて、それを櫻の木に取りつけた。私の想像は外れなかつた。年を取つた鶸は、靑蟲を嘴にいつぱい銜へて來ては、わるびれる樣子もなく、雛に喰はせた。すると、父は、遠くの方から、私と同じやうに面白がつて、彼等の華やかな行き來、血のやうに赤い、また硫黃のやうに黃色い色の飛び交ふさまを眺めてゐた。

 ある日の夕方、私は云つた――

 「雛はもうかなりしつかりして來たよ。放しといたら飛んで行つてしまふぜ。親子揃つて過すのは今夜つきりだ。明日は、家の中へ持つて來よう。僕の窓へ吊るしとくよ。世のなかに、これ以上大事にされる鶸はきつとないから、お父さん、さう思つてゐておくれ」

 父は、この言葉に逆らはうとしなかつた。

 翌日になつて、私は籠が空になつてゐるのを發見した。父もそこにいて、私のびつくりした樣子をちやんと見てゐた。

 「もの好きで云ふんぢやないが」と、私は云つた。「どこの馬鹿野郞が、この籠の戶をあけたのか、そいつが知りたいもんだ」

 

Hiwanosu

 

 

[やぶちゃん注:「鶸」脊椎動物亜門鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科ヒワ亜科ヒワ族ヒワ属ゴシキヒワ Carduelis carduelis と、双子葉植物綱バラ亜綱バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属 Cerasus sp.、若しくは、スモモ属 Prunus sp.(上位分類をスモモ属とした場合はサクラ亜属 subg. Cerasus )。ゴシキヒワは当該ウィキによれば、『姿形がよく、さえずりが美しいので』、『世界中で愛玩鳥として飼われている。本種のオスとカナリアのメスを掛け合わせ、ミュールと呼ばれる』、『より美しいさえずりを奏でるオスの交雑種を得ることもよく行われ、しばしば期待通り』、『両種のさえずりの長所をあわせもつ個体が得られることがある。』とあり、また、『キリスト教において受難の象徴とされるアザミの種子を食べるので、本種もまた民間信仰においてキリストの受難の象徴に用いられ、茨の冠などと関連付けられた。絵画においては聖母子像に頻出し、幼子イエスと聖母マリアの迎える運命であるキリストの磔刑を暗示する。フェデリコ・バロッチの聖家族を描いた絵画では洗礼者ヨハネの掌中に本種が握られ、猫の興味をひかないようにその手は高くに掲げられている。チマ・ダ・コネリアーノの聖母子像では、本種が幼子イエスの手の中で羽ばたく様子が描かれている。本種はまた、忍耐と豊穣、継続の象徴としても用いられる。受難の象徴から転じてさらに本種は救世主を意味する鳥とも考えられ、罪悪や疫病の象徴であるハエとともに描かれた。これには主イエスがそういった厄災から救ってくださるようにとの、信者の願いが込められている。中世においては本種は疫病よけのお守りやまじないに用いられた』とある。なお、本篇は二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがある。

「父」ルナールは、一八六四年にマイエンヌ県シャロン=デュ=メーヌ(Châlons-du-Maine)で生まれたが、二年後、一家は市長となった父の出生地であったシトリー・レ・ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に定住したので、このロケーションはそちらである(後、十七歳の時、パリに出、四区のリセ・シャルルマーニュに入っている)。父フランソワ・ルナール(François Renard 一八二四年~一八九七年)は、かねてより病気を患っており、自分が不治の病であることを知っていて、一八九七年六月十九日、猟銃(ショットガン)で心臓を撃ち抜き、自殺している。ルナール三十三歳の時であった。本「博物誌」初版を刊行した翌年のことであった。

 

 

 

 

LE NID DE CHARDONNERETS

 

Il y avait, sur une branche fourchue de notre cerisier, un nid de chardonnerets joli à voir, rond, parfait, tous crins au-dehors, tout duvet au-dedans, et quatre petits venaient d'y éclore. Je dis à mon père :

- J'ai presque envie de les prendre pour les élever.

Mon père m'avait expliqué souvent que c'est un crime de mettre des oiseaux en cage. Mais, cette fois, las sans doute de répéter la même chose, il ne trouva rien à me répondre. Quelques jours après, je lui dis :

- Si je veux, ce sera facile. Je placerai d'abord le nid dans une cage, j'attacherai la cage au cerisier et la mère nourrira les petits par les barreaux, jusqu'à ce qu'ils n'aient plus besoin d'elle.

Mon père ne me dit pas ce qu'il pensait de ce moyen.

C'est pourquoi j'installai le nid dans une cage, la cage sur le cerisier et ce que j'avais prévu arriva : les vieux chardonnerets, sans hésiter, apportèrent aux petits des pleins becs de chenilles. Et mon père observait de loin, amusé comme moi, leur va-et-vient fleuri, leur vol teint de rouge sang et de jaune soufre.

Je dis un soir :

- Les petits sont assez drus. S'ils étaient libres, ils s'envoleraient. Qu'ils passent une dernière nuit en famille et demain je les porterai à la maison, je les pendrai à ma fenêtre, et je te prie de croire qu'il n'y aura pas beaucoup de chardonnerets au monde mieux soignés.

Mon père ne me dit pas le contraire.

Le lendemain, je trouvai la cage vide. Mon père était là, témoin de ma stupeur.

- Je ne suis pas curieux, dis-je, mais je voudrais bien savoir quel est l'imbécile qui a ouvert cette cage !

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「葡萄畑」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    葡萄畑

 

 

 どの株も、添へ木を杖に、武器携帶者。

 いつたい、何を待つてゐるのだ。葡萄の實は、今年はまだなかなか生(な)るまい。そして葡萄の葉は、もう裸體にしか使はれない。

 

[やぶちゃん注:ボナールの絵はない。ブドウ目ブドウ科ブドウ属 Vitis sp.フランス語のウィキ(“Raisin”(ルェゾン))には、『何百もの種・交雑種・亜種・変種、そして特に栽培品種があ』るとし、実に二十五もの種が掲げられてある。]

 

 

 

 

LA VIGNE

 

Tous ses ceps, l'échalas droit, sont au port d'armes.

Qu'attendent-ils ? le raisin ne sortira pas encore cette année, et les feuilles de vigne ne servent plus qu'aux statues.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「ひなげし」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    ひなげし

 

 

 彼等は麥の中で、小さな兵士の一隊のやうに、ぱつと目立つてゐる。しかし、もつとずつと綺麗な赤い色をしてゐて、おまけに、物騷でない。

 彼等の劍は穗である。

 風が吹くと、彼らは飛んで行く。そして、めいめい、氣が向けば、畝(うね)のへりで、同鄕出身の女、矢車草とつい話が長くなる。

 

[やぶちゃん注:ボナールの挿絵はない。但し、底本では彩色された明石哲三氏の挿絵がここ(本文の前の「庭のなか」の終わった見開き左ページ)に挿入されているので、是非、見られたい。双子葉植物綱キンポウゲ目ケシ科ケシ属ヒナゲシ Papaver rhoeas (雛罌粟)と、ヤグルマソウ=キク目キク科ヤグルマギク属ヤグルマギク Centaurea cyanus 。後者は、当該ウィキによれば、『一部でヤグルマソウとも呼ばれた時期もあったが、ユキノシタ科のヤグルマソウと混同しないように現在ではヤグルマギクと統一されて呼ばれ、最新の図鑑等の出版物もヤグルマギクの名称で統一されている』とあった。原文では、“bleuet”で、フランス語のウィキでは Cyanus segetum で標題するも、これはヤグルマギクのシノニムであるので、間違いない。いやいや、何より、ヤグルマギクはフランスの国花の一種なのである。フランス語のウィキ“Emblème végétal”(「植物の紋章」)のフランスの条に、『ヤグルマギク、デ​​イジー、ポピーはフランスの花の象徴である(ヤグルマギクは第一次世界大戦のフランス退役軍人のシンボルであ』る、と記されてある。これは、フランス語のウィキでは、『ボタン・ホールに附けられたフランスのヤグルマギクは、退役軍人、戦争犠牲者、未亡人、孤児 に対する記憶と連帯の象徴である』とある。本種の花は、正確には青というより、明るい紫色である。なお、本篇は二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題(但し、表記は「雛(ひな)げし」)の同じものがある。

「矢車草」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、注があり、『ひなげしと矢車草はどちらも、ヨーロッパではよく麦畑に生え、麦畑に縁(えん)のある言い伝えをもっている』ともあった。]

 

 

 

 

LES COQUELICOTS

 

Ils éclatent dans le blé, comme une armée de petits soldats ; mais d'un bien plus beau rouge, ils sont inoffensifs.

Leur épée, c'est un épi.

C'est le vent qui les fait courir, et chaque coquelicot s'attarde, quand il veut, au bord du sillon, avec le bleuet, sa payse.

 

最近三カ月余りのブログ・アクセス・ランキングの不思議解明

後の数字はPV――

1 鮎川信夫 「死んだ男」 附 藪野直史 授業ノート(追記附) 1041

2 柴田天馬訳 蒲松齢 聊斎志異 酒虫: Blog鬼火~日々の迷走  1009

3 Blog鬼火~日々の迷走 863

4 ダンカンの疾患及び特別出演ブラックジャックについての注釈 671

5 耳囊 卷之四 原文・語注・現代語訳 始動 / 耳へ虫の入りし事 526

6 カテゴリ「諸國百物語」 433

7 耳囊 卷之六 陰德危難を遁し事 312

8 柴田宵曲 俳諧博物誌(13) 狸 二 238

9 諸國里人談卷之四 高野の毒水 216

10 ノース2号論ノート2 作品構造分析(完全版) 188

11 「想山著聞奇集 卷の貮」 「辨才天契りを叶へ給ふ事 附 夜這地藏の事」 183

12  耳囊 卷之八 實心盜賊を令感伏事 180

13 芥川龍之介が自身のドッペルゲンガーを見たと発言した原拠の座談会記録「芥川龍之介氏の座談」(葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」版) 166

  *
 1と2は、高校の授業か、予備校のそれで、5・7・9・11・12は後者か(凡そ授業でやることは、かつての私以外には、まず、あるまい。大学でやるにはアカデミックなレベルでなく、ただの先生の私並みの変態趣味レベルだ)。8は蕪村好きなら見に来るだろう。10は私の芥川龍之介の電子化の内、他で見れない特異点だから、当然の永遠のランキング王。

 不思議だったのは、4と10だったが、理由判明。「PLUTO(プルートゥ)」がアニメになって、十月二十六日に「Netflix」で全世界独占配信中なわけだ。16年も前の私の拙論をお読み戴き、御礼申し上げる――

2023/11/14

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「神木の祟り」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 神木の祟り【しんぼくのたたり】 〔閑田耕筆巻一〕先年伊予国宇和嶋領<愛媛県宇和島市>上之灘[やぶちゃん注:後に示す活字本では『灘尾(ナタヲ)』とある。]端串浦(はなくしうらの)社《やしろ》の神木を伐らんとする時、白衣《びやくえ》の人四百人ばかり来り止《と》むれどもきかず、伐りて船に積みたる時、この四百人、やがて船を乗り沈め、吏及び人夫共に没死すと、或人語れり。また吉野上市の上《か》ミにて、俗称いもせ山といふに社あり。その神木を伐りて売りしに、伐りたる者をはじめ、その材を買ひしものまで祟りをうけ、或ひは狂乱し、或ひは病悩して、数家皆死絶えたりと、其所の人話せり。右靑木明神の奇霊とひとし。凡そ神霊は疑ふまじきものなり。

[やぶちゃん注:「閑田耕筆」「青木明神奇話」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第六巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。

「宇和嶋領」「愛媛県宇和島市」「上之灘」「(『灘尾(ナタヲ)』)」「端串浦(はなくしうらの)社」これだけのデータがありながら、宇和島市には、まったく近似した神社さえ存在しない。お手上げである。郷土史研究家の方の御教授を乞うものである。

「吉野上市の上ミにて、俗称いもせ山といふに社あり」現在の奈良県吉野郡吉野町上市(よしのちょうかみいち)はここ(グーグル・マップ・データ)で、同地区内の東北に「上之町集会所」がある。而して、ウィキの「妹背山(奈良県)」によれば、妹背山(いもせやま)とは、奈良県中部の吉野郡吉野町上市の東方にある』二『つの山の総称』とあり、『吉野川を挟んで相対する孤立丘陵で、北岸の山は妹山』(標高二百六十メートル)『南岸の山は背山』(同二百七十二メートル)『で』、『浄瑠璃・歌舞伎の』「妹背山婦女庭訓」(私の好きな文楽)『で知られている』。『妹山は黒雲母・絹雲母千枚岩・石英片岩などの石からなる山で、全山が照葉樹の原生林に覆われる。山麓には大名持』(おおなもち)『神社が鎮座するため』、貞観元(八五九)年『以前から信仰の対象の「忌み山」として入山を禁止された。これにより』、『妹山での人工林の開発が不可能となったため、原始林的な樹叢』が『残っている』とあった。その二つの山の写真もあるが、グーグル・マップ・データのここにある。而して、この附近の神社となると、妹山を神体山とする原始信仰が創祀になると推測される、妹山の西麓にある大名持神社のことであろう。非常に古い樹木群が保存されていることからも、本話と親和性が頗る強い。現在、この神社のある地名は吉野町河原屋(かはらや)であるが、非常に古くは、この附近を広く「上市」と呼んでいたものと思われる。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「清人の幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 清人の幽霊【しんじんのゆうれい】 〔かしのしづ枝〕清国人は死して幽霊になりて出《いづ》るを、尊《たつと》き事にして、さる事もなき人をば、幽霊にもえならぬこととて、いたくいやしめおとすめり。長崎の清館中にも、また幽霊堂といふあり。幽霊祭とて餅(これをも幽霊餅といふ)などつくりて、をりをり手向くる事あり。その霊、皇国(みくに)の人の目にはたえて見えず。したしく起臥する遊女などもしらぬを、彼《かの》国人の目には、おもかげ見えて、沓音《くつおと》なども聞ゆといへり。かくて一とせこなたよりかへる船の、洋中にてあらき洋中(わたなか)にあひて、覆《くつが》へりぬといふこと、たれいふとなくかたりちらししかば、やがてその人々の幽霊もいでて、祭などしたりしに、またのとしの入船に、その船も人々も、つゝみなくて荷を積み来りしかば、幽霊祭いたづらになりて、かつよろこび、かつわらひたりき。これにて清人の幽霊のさたのあとなし事をも、その心のをさなきほどをもしるべきなり。さてかくかなたのおもひなしよりいづる幽霊は、清人にはかぎらず、愚人の懼るゝにつけては、狐などのあざむきはかれる事、この国にも多き事ぞかし。

[やぶちゃん注:「かしのしづ枝」「橿のしづ枝」とも。熊本藩士で国学者・歌人の中島広足(ひろたり 寛政四(一七九二)年~文久四(一八六四)年)の随筆。寛永六(一六二九)年刊。新字で吉川弘文館『随筆大成』版で所持しているのだが、調べるのに少し手古摺ったものの、国立国会図書館デジタルコレクションの『中島広足全集』第二篇(弥富破摩雄・横山重/校・昭和八(一九三三)年大岡山書店刊)のこちらで当該部が正規表現で視認出来る。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「庭のなか」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

    庭のなか

 

Niwanonaka

 

 鍬――サクサクサク……稼ぐに追ひつく貧乏なし。

 鶴嘴――同感!

 

 

 花――今日は日が照るかしら。

 向日葵――ええ、あたしさえその氣になれば。

 如露――さうは行くめえ。おいらの料簡ひとつで、雨が降るんだ。おまけに、蓮果(はちす)でも外してみろ。それこそ土砂降りさ。

 

 

 薔薇――まあ、なんてひどい風……!

 添へ木――わしが附いてゐる。

 

 

 木苺――なぜ薔薇には棘(とげ)があるんだろう。薔薇の花なんて、喰べられやしないわ。

 生簀の鯉――うまいことを云ふぞ。だから、おれも、人が喰やがつたら骨を立ててやるんだ。

 薊――そさうねえ、だけど、それぢやもう遲すぎるわ。

 

 

 薔薇の花――あんた、あたしを綺麗だと思つて……?

 黃蜂(くまばち)――下の方を見せなくつちや……。

 薔薇の花――おはいりよ。

 

 

 蜜蜂――さ、元氣を出さう。みんな、あたしがよく働くつて云つてくれるわ。今月の末には、賣場の取締になれるといいけれど……。

 

 

 堇――おや、あたしたちは、みんな橄欖章をもらつてるのね。

 白い堇――だからさ、なほさら、控へ目にしなくつちやならないのよ、あんたたちは。

 葱――あたしをごらん。あたしが威張つたりして?

 

 

 菠薐草(はうれんさう)――酸模(すかんぽ)つていふのは、あたしのことよ。

 酸模――うそよ、あたしが酸模よ。

 

 

 分葱(わけぎ)――くせえなあ!

 大蒜(にんにく)――きつと、また石竹の奴だ。

 

 

 アスパラガス――あたしの小指に訊(き)けば、なんでもわかるわ。

 

 

 馬鈴薯――わしや、子供が生まれたやうだ。

 

 

 林檎の木(向ひ側の梨の木に)――お前さんの梨さ、その梨、その梨、……お前さんのその梨だよ、あたしがこさへたいのは。

 

[やぶちゃん注:ボナールの絵は、何故か、本原本の中でも私の好きな挿絵の一つである。以下、登場するオール・スター・キャストを挙げておく。流石に、「花」は拘ると大変な記載になるので、外した。

「向日葵」双子葉類植物綱キク目キク科キク亜科ヒマワリ属ヒマワリHelianthus annuus

「薔薇」バラ目バラ科バラ属 Rosa sp.

「木苺」バラ科バラ亜科キイチゴ属 Rubus sp.

「鯉」条鰭綱コイ目コイ科コイ属コイ Cyprinus carpio だが、特にヨーロッパ原産(特にドナウ川とヴォルガ川)の Cyprinus carpio carpio としておく。

「薊」キク目キク科アザミ亜科アザミ連アザミ属 Cirsium sp.。余談だが、諸君が寿司屋で巻物にしてもらう「ヤマゴボウ(山牛蒡)」と呼んでいるもの、山菜売りが「山ごぼう」として売っているもののは、実は、ヤマゴボウという植物ではないことを御存知か?(ナデシコ目ヤマゴボウ科ヤマゴボウ属 Phytolacca があるが、これは有毒で食用にならない) あれは、アザミ類の根っこなのだよ。

「黃蜂(くまばち)」昆虫綱膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ科クマバチ亜科クマバチ族クマバチ属クマバチ Xylocopa sp.。「クマンバチ」とも呼び、私は「クマバチ」と呼んだことはない。但し、本邦では、地方の方言でスズメバチを指すところも多いので、それには注意が必要である。本邦の種は顔面後部に黄色部があるものをよく見かけるが、あれは概ねクマバチ Xylocopa appendiculata circumvolans (別名をまさに「キムネクマバチ」とも言う)である。クマバチ類は完全な蜜食で、性質は極めて温厚である、ヒトには殆んど関心を示さない。♂は比較的、行動的ではあるが、針を持たないため、刺すことはない。毒針を持つのは♀のみであり、巣があることを知らずに近づいたり、個体を急に握ったり、脅かしたりすると、刺すことはあるが、アナフィラキシー・ショックを起こさない限りは、刺されても、重症に至ることは極めて少ない。

「蜜蜂」膜翅目細腰亜目ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属セイヨウミツバチ Apis mellifera

「堇」キントラノオ目スミレ科スミレ属 Viola sp.

「葱」(ねぎ)だが、これは本邦のネギ(単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ属ネギ  Allium fistulosum var. giganteum )ではなく、地中海原産のネギ属の一種である「リーキ」(英語:leek)=「ポワロー」(フランス語:poireau)=「セイヨウネギ」(意訳であって和名ではない) Allium ampeloprasum を指す。

「菠薐草(はうれんさう)」ナデシコ目ヒユ科アカザ亜科ホウレンソウ属ホウレンソウ Spinacia oleracea 。我々の世代までは「ポパイ」の影響で、エネルギの源のように思っている者が多いが、ホウレンソウの灰汁の主成分はシュウ酸(HOOC–COOH)であり、多量に摂取し続けた場合は、鉄分やカルシウムの吸収を阻害したり、シュウ酸が体内でカルシウムと結合し、腎臓や尿路にシュウ酸カルシウム(Calcium oxalate CaC2O4 、又は、(COO2Ca )の結石を引き起こすことがあるので、要注意である(注意記載は当該ウィキを参照した)。

「酸模(すかんぽ)」ナデシコ目タデ科スイバ属スイバ Rumex acetosa 。私は「すっかんぽ」と呼び、幼少の時から、田圃周辺や野山を散策する際に、しょっちゅうしゃぶったものだった。なお、「すかんぽ」は若芽を食用にすると、やはり酸っぱい味がするナデシコ目タデ科ソバカズラ属イタドリ変種イタドリ Fallopia japonica ver. japonica の別名でもあるが、原文の“OSEILLE”(オザィエ)は、確かにスイバを指す。

「分葱(わけぎ)」原文の“ÉCHALOTE”(イシヤラォゥト)でお判りの通り、単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ属タマネギ変種エシャロット Allium cepa var. aggregatum 。タマネギの一種であることから、知られるニンニク(後出)・リーキ(前出)・チャイブ(別名セイヨウアサツキ(西洋浅葱): Allium schoenoprasum var. schoenoprasum )・ラッキョウ( Allium chinense )などは、総て近縁種である。

「大蒜(にんにく)」同前でネギ属ニンニク Allium sativum

「石竹」双子葉植物綱ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis

「アスパラガス」単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科クサスギカズラ属アスパラガス Asparagus officinalis

「馬鈴薯」双子葉植物綱ナス目ナス科ナス属ジャガイモ Solanum tuberosum

「林檎の木」バラ目バラ科サクラ亜科リンゴ属セイヨウリンゴ Malus domestica

 以下、注する。

「サクサクサク……稼ぐに追ひつく貧乏なし。」これはかなりの意訳翻案で、原文は“Fac et spera.”で、これはラテン語であって(ファク・エ・スペラ)「人事を尽くして天命を待つ。」といった意味である。辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、『一生懸命はたらいて、あとは神さままかせだ。』と訳された上で、注されておられ、私が以上で述べた内容と同様なことが示された後に、『イギリスのプロテスタント殉教者アスキュー(一五二一~四六)の言った言葉。またフランスの著名な出版者アルフォンス・ルメールが編集した本の表紙に記したことわざ。』とあった。

「向日葵――ええ、あたしさえその氣になれば。」原文ではヒマワリは“TOURNESOL” (トゥルヌソル)であるが、この綴りはまさに「向日葵」と同義で、「向きを変える・ターンをする」の意の動詞“tourner”(トゥルネ)と、「太陽」を意味する名詞“soleil”(ソレイユ)を合成して作ったものであり、フランス語では“soleil”自体に「ヒマワリ」の意がある(ヒマワリは“grand soleil”(グロン・ソレイユ)とも言われる)。さればこそ、日本語でも容易に判る通り、向日葵は太陽を自在に動かせるという自惚れに嵌まっているのである。

「蓮果(はちす)」言わずもがなだが、これは、無論、「蓮の臺(うてな)」なんどではない。ボナールの挿絵でお判りの通り、如雨露(ジョウロ)の先に嵌めてある散水用の金属製キャップのことである。

「賣場の取締」原文は“chef de rayon” この“rayon”は養蜂業で言う「巣板」(すばん)の意味があるので、「巣板主任(部長)」であるが、辻氏(彼は本文では、ここを『蜜窩(みつぶさ)主任』と訳しておられる)は注で、『この言葉にはほかに、デパートなどの売場主任という意味がある』と記しておられる。

「堇」の花言葉は「慎み深さ・謙虚」である。さればこそ「白い堇」は自分は白いからその勲章とは縁がないから幸いだが、「だからさ、なほさら、控へ目にしなくつちやならないのよ、あんたたちは。」と言っているのである。

「橄欖章」臨川書店版全集の佃裕文氏の訳に拠ると、これはフランスの「教育功労章二等勲章」を指す。これは“Ordre des Palmes académiques”で、当該ウィキによれば、これは当時の勲章の意匠は、英知・平和・豊穣・栄光の象徴たる「オリーブ」(橄欖)の木と、成功の象徴たる月桂樹をデザインしたものであったが、現在は棕櫚(シュロ)の枝二本に変えられている。当時の「オフィシエ」二等の徽章の画像がある。さらに、勲章のリボンはヴァイオレット(菫色)である。

「葱」ここは既に注した通り、リーキ(西洋葱・ポロ葱)であるが、臨川書店版全集注によれば、『俗語で農事功労章も意味する』とある。これは“Ordre du Mérite agricole”である。フランス語の当該ウィキがあり、そこに「この徽章は、リボンからぶら下がる白いエナメルの星形で構成されており、そのリボンの大部分が緑色を呈しているため、『ネギ』“Poireau”(前の「葱」の注参照)というニック・ネームが付けられた。『ポワローを付ける』という表現は、この受賞した勲章のリボンの色に由来する。」といった内容が書かれてある。ただ、他の勲章に比べると、相対的にそれほど名誉的価値のあるものでもなかったらしく、この“Poireau”という呼び名も田舎の農業人に相応しいという「けなし」のニュアンスも感じられる。事実、以下の「葱」の台詞「あたしをごらん。あたしが威張つたりして?」という部分対し、辻氏は注して、『大した価値のある勲章ではないので、ポロねぎのこの気負った言葉はこっけいである』という辛口の字背をも透かしておられるのである。

「菠薐草(はうれんさう)――酸模(すかんぽ)つていふのは、あたしのことよ。」臨川書店版全集注等を参考にすると、ここは「酸模」=スカンポ=スイバを示すフランス語“oseille”に俗語で「錢金(ぜにかね)」という意味を合わせ持ち、さらにスイバは、その葉がホウレンソウに似ている。ホウレンソウは鉄分を含んでいることから、ホウレンソウは「俺さまこそ、正真正銘の金(かね)を持ったスカンポだ!」と詐称しているらしいのである。

「アスパラガス――あたしの小指に訊(き)けば、なんでもわかるわ。」この原文“L'ASPERGE. - Mon petit doigt me dit tout.”の台詞を直訳すると、「私の小指は私にすべてを教えてくれる。」という意味である。これについて、辻氏は、『この表現はフランスで、子供にむかって、おまえが隠していることを知っているぞ(顔に書いてあるぞ)と言って白状させるときに使う。アスパラガスは小指に似ているので、ルナールはこんな言葉を言わせているのである。』とあった。

「梨」臨川書店版全集注によれば、「梨」“poire”という語は、「梨」の他に「顏」の意味も持つとし、本文訳でも佃氏は、林檎の台詞の「梨」の部分に、わざわざ、四箇所総てに、『かお』というルビを振つておられる。これは、前掲の辻氏訳本にも注があり、『りんごよりもなしの実の方があまくて高く評価されるので、りんごの木はなしの木をうらやんでいるのである。なお、このりんごの言葉は、ルナールの時代にはやったシャンソンをもじったものらしいが、よくわからない。』と記しておられる。これにて、消化不良、解消だ!

 なお、以下の原文は、「Internet archive」の原本の当該章を参考に、標題後を二行、各パートの間を一行、空けた。また、一部に不審な箇所があるので、原本に従い、カット、或いは、変更を加えた。

 

 

 

 

AU JARDIN

 

 

LA BICHE. - Fac et spera.

LA PIOCHE. - Moi aussi.

 

LES FLEURS. - Fera-t-il soleil aujourd'hui ?

LE TOURNESOL. - Oui, si je veux.

L'ARROSOIR. - Pardon, si je veux, il pleuvra, j'ôte ma pomme, à torrents.

 

LE ROSIER. - Oh ! quel vent !

LE TUTEUR. - Je suis là.

 

LA FRAMBOISE. - Pourquoi les roses ont-elles des épines ? Ça ne se mange pas, une rose.

LA CARPE DU VIVIER. - Bien dit ! C'est parce qu'on me mange que je pique, moi, avec mes arêtes.

LE CHARDON. - Oui, mais trop tard.

 

LA ROSE. - Me trouves-tu belle ?

LE FRELON. - Il faudrait voir les dessous.

LA ROSE. - Entre.

 

L'ABEILLE. - Du courage ! Tout le monde me dit que je travaille bien. J'espère, à la fin du mois, passer chef de rayon.

 

LES VIOLETTES. - Nous sommes toutes officiers d'académie.

LES VIOLETTES BLANCHES. - Raison de plus pour être modestes, mes soeurs.

LE POIREAU. - Sans doute. Est-ce que je me vante ?

 

L'ÉPINARD. - C'est moi qui suis l'oseille.

L'OSEILLE. - Mais non, c'est moi.

 

L'ÉCHALOTE. - Oh ! que ça sent mauvais!

L'AIL. - Je parie que c'est encore l'oeillet.

 

L'ASPERGE. - Mon petit doigt me dit tout.

 

LA POMME DE TERRE. - Je crois que je viens de faire mes petits.

 

LE POMMIER, au Poirier d'en face. - C'est ta poire, ta poire, ta poire... c'est ta poire que je voudrais produire.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鯨」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

   

 

 

 コルセットを作るだけの材料は、ちやんと口に中に持つてゐる。が、なにしろ、この胴まはりぢや……!

 

[やぶちゃん注:「コルセット」から、哺乳綱鯨偶蹄目正鯨類 Autoceta(現生鯨類 Neoceti )の内、ヒゲクジラ小目 Mysticeti のヒゲクジラ類に同定される(言っておくと、しばしば誤認された記載があるが、コルセットに用いたのは、クジラの「骨」ではなく、「ひげ」である(ルナールがここで「ちやんと口に中に持つてゐる」と証明している)ので注意されたい)。ウィキの「鯨ひげ」によれば、『ヒゲクジラ亜目の動物の上顎部に見られる、繊維が板状となった器官で』、『ひげ板とも言う。口腔内の皮膚がヒゲクジラ類で独自に変化したもので、髭や毛とは由来が異なる。濾過摂食のためのフィルターとしての役割を持つ。弾力性などに優れることから、プラスチックなどの普及以前には各種工業素材に利用され、捕鯨の重要な目的にもなった』とあり、『素材としての鯨ひげ』の項に、『加工しやすい程度の硬さで、引っ張り強度があり、軽く、弾力性があるなどの優れた性質があるため、エンバ板とも呼ばれ、古くから様々な製品の素材に用いられてきた。古い例としては、正倉院に鯨ひげ製の如意が宝物として収められている。特にセミクジラ科』Balaenidae『のものは、長くて非常に柔軟かつ弾力があることから重宝され、結果としてセミクジラ科の乱獲の一因ともなった』(☜)『その後、弾力のある金属線やプラスチックが普及したため、現在では工芸的な用途を除いては需要は殆どない』とし、『衣服』の条に、『整形用の骨に用い』た。『西洋ではコルセットやクリノリン』(crinoline:一八五〇年代後半に欧米でスカートを膨らませるために発明された鯨ひげや針金を輪状にして重ねた骨組みの下着)『などの女性用下着やドレスの腰部、日本では裃』(かみしも)『の肩など』に使われたとあるので、サイト版では、『なにしろ、この胴まわりだけじゃ……同定しかねる!』と私は洒落たのだが、以上の記載から、

セミクジラ上科セミクジラ科ホッキョククジラ属ホッキョククジラ Balaena mysticetus

 同セミクジラ科セミクジラ属ミナミセミクジラ Eubalaena Australia

  同セミクジラ属タイセイヨウセミクジラ Eubalaena glacialis

  同セミクジラ属セミクジラ Eubalaena japonica

の四種に絞ってよいようである。ボナールの絵はない。]

 

 

 

 

LA BALEINE

 

Elle a bien dans la bouche de quoi se faire un corset, mais avec ce tour de taille !...

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「かは沙魚」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

   かは沙魚(はぜ)

 

 

 彼は速い水の流れを遡つて、小石傳ひの道をやつて來る。といふのが、彼は泥も水草も好きではない。

 彼は、河底の砂の上に壜が一本轉がつてゐるのを見つける。中には水がいつぱいはつてゐるだけだ。私はわざと餌を入れておかなかつたのである。かわ沙魚(はぜ)はそのまはりを廻つて、頻りに入口を搜してゐたと思ふと、早速そいつにかかつてしまふ。[やぶちゃん注:戦後版では「餌」には『え』のルビがある。歴史的仮名遣では『ゑ』である。]

 私は壜を引上げて、かは沙魚を放してやる。

 川をのぼると、今度は物音が聞えて來る。彼は逃げ出すどころか、物好きにも、そのそばへ寄つて行く。それは、私が面白半分に水の中を踏みまくりながら、網を張つたそばで、水底を竿で搔き廻してゐるのである。かは沙魚は强情だ。網の目を突き拔けようとする。で、ひつかかる。

 私は網をあげて、かは沙魚を放してやる。

 その下流(しも)の方で、急にぐいぐい私の釣絲を引つ張るやつがあり、二色に塗つた浮子(うき)が水を切つて走る。

 引上げてみると、またしても彼である。

 私は彼を釣針から外して、放してやる。

 今度こそ、もうひつかかりはすまい。

 彼は直ぐそこに、私の足元の澄んだ水の中でぢつとしてゐる。その橫つ廣い頭や、頓馬な大きな眼や、二本の髯がよく見える。

 彼は裂けた脣で欠伸をし、今しがたの激しい興奮で、まだ息を彈ませてゐる。

 それでも、彼はいつかう性懲りがない。

 私はさつきの蚯蚓(みみず)をつけたまま、また釣絲をおろす。

 すると、早速、かわ沙魚は喰ひつく。

 いつたい、私たちはどちらが先に根負けするのだらう。

 

 

Kawahaze

 

 

 さては、いよいよ、かからないな。おほかた、今日が漁の解禁日だといふことを御存じないと見える。

 

[やぶちゃん注:最後の一文の前は五行空け。そこにボナールの絵を入れておいた。サイト版では条鰭綱スズキ目ハゼ亜目 Gobioidei(淡水産ということで、ドンコ科 Odontobutidaeまで狭めることが出来るかどうかまでは、フランスの淡水産魚類には暗いので、私には判断しかねる)としたのだが、今回、ネットでフランスで“goujon”を調べたところ、「仏和海洋生物辞典」を見出し、そこに、

   《引用開始》

goujon: n.m.[魚]河ハゼ、川ハゼ、カワハゼ;  [魚]タイリクスナモグリ[属][コイ科の淡水魚; 食用となる].

   《引用終了》

とあったことから、これは、条鰭綱コイ目コイ科カマツカ亜科 Gobionini 群ゴビオ属タイリクスナモグリ Gobio gobio であることが判明した(本邦には分布しない)。フランス語の同種のウィキをリンクさせておく。そこにある画像を見ると、しっかり「髯」が確認出来る。因みに、この魚、英語で調べてみると、“gudgeon”(ガジョン)で意味に『タイリクスナモグリ』とあって解説に『ヨーロッパ産のコイ科の小魚』で、『たやすく捕まえられ』、『食用や魚釣の餌(えさ)用』となると記した後に、『だまされやすい人』とあって、大いに納得! なお、最後の一文のアフォリズムは、二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に『魚』という題で、同じものがある。

 なお、原文の最後の一文は「Internet archive」の原本の当該部を参考に、三行空けを施した。]

 

 

 

 

LE GOUJON

 

Il remonte le courant d'eau vive et suit le chemin que tracent les cailloux : car il n'aime ni la vase, ni les herbes.

Il aperçoit une bouteille couchée sur un lit de sable.

Elle n'est pleine que d'eau. J'ai oublié à dessein d'y mettre une amorce. Le goujon tourne autour, cherche l'entrée et le voilà pris.

Je ramène la bouteille et rejette le goujon.

Plus haut, il entend du bruit. Loin de fuir, il s'approche, par curiosité. C'est moi qui m'amuse, piétine dans l'eau et remue le fond avec une perche, au bord d'un filet. Le goujon têtu veut passer par une maille. Il

y reste.

Je lève le filet et rejette le goujon.

Plus bas, une brusque secousse tend ma ligne et le bouchon bicolore file entre deux eaux.

Je tire et c'est encore lui.

Je le décroche de l'hameçon et le rejette. Cette fois, je ne l'aurai plus.

Il est là, immobile, à mes pieds, sous l'eau claire. Je distingue sa tête élargie, son gros oeil stupide et sa paire de barbillons.

Il bâille, la lèvre déchirée, et il respire fort, après une telle émotion.

Mais rien ne le corrige.

Je laisse de nouveau tremper ma ligne avec le même ver.

Et aussitôt le goujon mord.

Lequel de nous deux se lassera le premier ?

 

 

 

Décidément, ils ne veulent pas mordre. Ils ne savent donc pas que c'est aujourd'hui l'ouverture de la pêche !

 

2023/11/13

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「真定山の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 真定山の怪【しんじょうざんのかい】 〔耳嚢巻二〕芸州の家士、苗字は忘れたり。五太夫は、文化五年八拾三歳にて、江戸屋鋪へ勤番致し、至つてすこやかなる者の由、右五太夫十五歳の時の由、同家中に、何の三左衛門とか云へる者ありしが、これは壮年の若者にて、同人申しけるは、当国真定山には、石川悪四郎と云へる化もの住める由、誰有つて高山の悪所ゆゑ、見届けし者なし。罷り越し見届けまじくやと、三左衛門申しけれど、古来より申し伝へる悪所、無益の事と断りけれど、なんじやうの事か有るべきとて、三左衛門すゝめけるゆゑ、五太夫も臆したれと云はれんも口をしく、ともなひ登りしに、なん所いふばかりなく、からうじて絶頂に至りけるに、ぼう風時々におこり、黒雲ひまなく通行し、或ひは雨降り或ひはしんどうし、そのおそろしさいはんかたなく、三左衛門は最早絶頂まで来れば帰るべしといふ。五太夫は夜もふけぬれば、足場も心元なし、夜あけて帰るべしといひ、三左衛門とたち分れ、五太夫は岩のはざまに一宿なしぬれど、色々の怪しきことども有りて、夜中ろくろくにいねず。翌朝下山なしけるが、三左衛門は大熱いでて、無中となりて暫くわづらひける由、然るに五太夫方へ、妖怪ありといへること度々なり。或ひは鬼の形をなし、または山臥(やまぶし)、外品々の変化(へんげ)など出て、甚だおそろしさ云はん方なけれど、強勇の五太夫少しも恐れず、或ひはのゝしり、或ひは笑ひなどしてありければ、七日八日たちて、一人の出家と化して来り、さてさて御身は強勇なる人哉、この上は我等も真定山をたちさるべしと云ひければ、もつともの事なり、然れども御身と咄し合ひし事、しやうこなくては如何なり、何ぞしやうこになるべき品を給はるべしと望みければ、しばらく形を隠しけるが、外より何とも知れず、物をなげ込みけるゆゑ、これを見れば、三尺余有るべき、木性知れざるねぢ棒なり。右棒は広嶋の慈光寺と云へる寺へ、右の五太夫宅へ度々いでしばけ物の姿を、巻ものに絵書き添へて納め置きしと、右五太夫語りけるとなり。右文化六年、齢七十ばかりにて勤番に出で、直に噺しけると、或人語りぬ。

[やぶちゃん注:私のものでは底本違いで、「耳嚢 巻之九 怪棒の事」である。なお、一読されれば、お判りの通り、これは知られた「稻生物怪錄」(いのうもののけろく/いのうぶっかいろく)にヴァリアントであることが分かる。「耳囊」には、実は、同系の話が、この他に二話ある。「耳嚢 巻之五 藝州引馬山妖怪の事」と、「耳嚢 巻之九 妖も剛勇に伏する事」である。合せて、お読みあれかし。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「針術老狐を斃す」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 針術老狐を斃す【しんじゅつろうこをたおす】 〔耳嚢巻五〕二尾検校城栄は針術に妙を得て、元禄の頃、紀州侯へ召出され、五拾人扶持を給はり、なほ役金等も給はりしが、一生無妻にて、聊か欲を知らず。常に遊所へ至りて、遊女を楽しみとなし、公辺に出ても、いさゝか隠す所なく、その気性剛傑ともいふべし。紀州家の愛臣、気病にて久しく不快なるを療治せしに、検校針をおろす夜は何事もなし。当番その外君用にてまからざる時は、其病ひ危し。これを君も聞き給ひて、検校へ夜詰の勤番仰せ付けられざる故、夜毎にかの病人の許に至りぬ。或日座敷に検校ひとり休息しけるに、女の声にて頼みたき事ありといふ。いかなる事哉と尋ねければ、この主(あるじ)には恨むる筋ありて、取付き悩ますなり、我は野狐なり、我願ひ御身の鍼故に成就せざる間、重ねては鍼を用ふる事、容捨あるべし、若しいなみ給はば、御身の為にもなるまじといひける故、検校答ヘけるは、汝人の命をとらんとす、我は人の命を救ふを業とす、況んや君命を請けて療治する上は、汝が望み決して承知しがたし、我に仇なさば勝手次第、命と業とはかへしがたしと申しければ、彼もの大に憤り、検校の側へ来り、かきむしりて奥の方へ入ると覚えしに、病人以ての外の由、奥より申し来りし故、早速立入り、検校も右の事を聞きし故、心命を加へて鍼を下し、療養なしけるに、早速ひらき快かりしが、翌朝大庭へ、年古る狐斃《たふ》れ居たりしは、誠に検校の心術の一鍼、其妖は退治せると、その徒のもの、今にかたり伝へしとなり。

[やぶちゃん注:私のものでは底本違いで、「耳嚢 巻之六 二尾檢校針術名譽の事」である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「信玄の墓」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 信玄の墓【しんげんのはか】 〔真佐喜のかつら〕甲州山梨郡岩窪村<山梨県甲府市内>地内に古松有り。其樹下に小さき卒都婆を立て、表に信玄墓と記し、辺りは芝生にて作附《さくづけ》もなく、地を蹈《ふ》むものもなかりし。一体当国は信玄の墓と唱ふる所多く、いづれを真なる物としらず。然るに天保の末、御代官松坂三郎左衛門甲府詰の砌《みぎり》、支配所順見致され候序《ついで》、其場へ来り、里老を集め、子細をとひ給ふに、往古より只信玄の墓と申伝ヘ候のみにて、何にても心得候義無ㇾ之、しかしこの芝生の辺に、馬上にて往来する者、かならず落馬すとて皆恐れ申候と述べければ、三郎左衛門どの人歩(にぷ)を集め、松の根を掘りうがつに、大なる石ありて鋤鍬もおよびがたく、よつて広く掘りて石をとり除けんとなす時、不思議や三郎左衛門どのはじめ、人歩皆眼くらみ、前後を失ひ、絶え入るばかりなり。此あり様を見ておどろき恐れ、三郎左衛門どの差図にて、元の如く土を置きならし、あらたに芝を植ゑ、廻《まは》り石のたま垣を補理、悉く武田菱を彫り玉ふ故、猶国人はおそれかしこみぬ。

[やぶちゃん注:「真佐喜のかつら」「大坂城中の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十六(三田村鳶魚校・山田清作編・昭和三(一九二八)年米山堂刊)のここから正規表現で視認出来る。

「甲州山梨郡岩窪村」山梨県甲府市岩窪町のここに「武田信玄公の墓」が現存する(グーグル・マップ・データ)。

「御代官松坂三郎左衛門甲府詰」松坂三郎左衛門久齋は天保九(一八三八)年から天保一三(一八四二)年まで甲府代官であった。なお、彼は勝海舟の伯父(勝小吉の兄)である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「蜃気楼」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 蜃気楼【しんきろう】 〔卯花園漫録巻三〕蜃気の楼台をなす事、和名をなかふといへり。長門の海中にまゝありと聞けり。吾国の伊勢の海も、昔よりその名あり。二三月の頃、天気暖和にして、風浪なき日に多くあらはるゝなり。これ蛤蜊《かふり》の気なりといひ伝ふ。然れども蜃と蛤蜊と同じく介類にして別なり。ことに蛤蜊に名を得たるは、桑名の地なれども、なかふの見ゆる事を聞かず。但《ただし》羽津《はづ》・楠邑《くすむら》等の海辺に多し。吾友の楠邑の南川《みなみがは》といへる里に、山本甚右衛門といへる老翁あり。この人の弱年の時より両度見たり。後に見たるは楼閣の中に色々の飾りありて、甚だ奇巧なりしと物語りせり。羽津・楠などにも蛤あれども、桑名にくらぶれば劣れり。然れば蛤の気にてなれるにはあらざるべし。楠の南一里ばかりに郷《さと》あり。その名を長大と書《かき》て、なかふと訓ぜり。蜃気によつて名づけたるなり。天地の間には理外の事多し。虹の日に映じて、青紫の色を示すがごとく、海中の春秋の気日に映じて、色を現はすなるべけれども、楼閣の形象をなすはあやしむべし。〔神代余波〕文化八九年の頃の秋、魚釣に行かんとて佃嶋住吉の神社の神主平岡日向守好弘、同舎人《とねり》の助好祖《すけかうそ》は父子共に門人なれば、供に打つれて船にのりて、未明に漕出でたるに、海づら一面に霧立渡りて、おくれ先だつ舟どもも見えぬばかりなるに、朝日ほのぼのと出《いづ》る頃、霧に映じて五色に彩《いろどり》たるが如くなる中に、いかめしき宮殿楼閣あらはれたり。人々あはやとおどろきて、口々に物いふ声聞ゆれど、霧にてあまたの船どもは見えず。船人の云はく、こは蛤の息吹きたるにて、むかしもかゝる事ありしとなりと語れり。とかくするほどに霧もやゝ晴れゆくにしたがひて、かの楼閣もうすれうすれと見えずなりにけり。よく見れば蛤の気にはあらず、大江戸の大御城に朝日のうつろひたるが海面にうつり、やがて霧に映じたるなり。今の箱目鏡《はこめがね》向うの穴より山海の景地をうつし、中なる鏡にうけて上なる玉板を移す工夫は、かゝる事よりや思ひよりて造り初めけんと、その時不斗(ふと)思ひしなり。好弘は六十余りにて身うせ、好祖は三十にたらで身まかりぬ。我は今ながらへて、当主讃岐守好貞もつゞきて門弟なれば、我ぞ好貞にはかたりきかせぬる。

[やぶちゃん注:「卯花園漫録」読みは現代仮名遣で「うのはなぞのまんろく」或いは「ぼうかえんまんろく」。作者は江戸の故実家であった石上宣続(いそのかみのぶつぐ)で文化文政期の人(詳細事績不詳)。同書は史伝・故実・言語その他の起源・沿革を記した随筆で、『文政六年』(一八二三年)『夏日』と記す序がある。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第十二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで当該部が正規表現で視認出来る。

「なかふ」小学館「日本国語大辞典」で見つけた。但し、「ながふ」であった。『蜃気楼(しんきろう)を言う。*改正増補和英語林集成』(初版は明治五(一八七二)年刊であるが、国立国会図書館デジタルコレクションで調べたが、それには載っていない)『「Nagafu ナガフ」』とあり、『語源説』に『ナガフキ(長吹)の義(名言通)』とする。「名言通」(めいげんつう)は辞書で著者は服部大方著。天保六(一八三五)年刊。ここまでしか判らなかったが、「長吹」というのは、蜃気楼を産み出す蜃(おおはまぐり)が、長い妖気を吹き出して高楼の幻しを見せるとした古くからの絵に親和性が認められるように私には思われた。

「吾国の伊勢の海」石上宣続は伊勢出身らしい。

「蛤蜊」ハマグリとアサリ、或いはシオフキを指すとするが、ここは古くからのこの怪異を齎す正体とされる「蜃」、大きなハマグリの化け物「おおはまぐり」のことであろう。筆者は訳も判らず、実際のハマグリを語り出す。どうもこの作者、信ずるに堪えない衒学者である。

「羽津」現在の三重県四日市市羽津町(はづちょう:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「楠邑」現在の四日市市内に楠《くす》地区がある。

「楠邑の南川」三重県四日市市楠町南川(くすちょうみなみがわ)。

「楠の南一里ばかりに郷あり。その名を長大と書て、なかふと訓ぜり」楠地区から南南西一里の位置に、現在、三重県鈴鹿市南長太町(みなみなごちょう)がある。この周辺は古く「長太(なご)」と呼ばれた地区であることが、「ひなたGPS」でも確認出来る。「長大」は「長太」の誤字であろう。

「神代余波」国学者斎藤彦麿(明和五(一七六八)年~安政元 (一八五四)年)の随筆。齋藤は三河の矢作(現在の愛知県岡崎市)生まれ。本姓は荻野。寛政八(一七九六)年に斎藤家の相続に伴い、改姓した。後に江戸に入り、石見浜田藩士となり、松平康任に仕えた。その後、伊勢貞丈の門人となり、有職故実を、賀茂季鷹に入門して和歌を学んだ。後に本居大平から古学等の国学を学ぶ。なお、その頃、彦麿は本居宣長の門人と自称していたことがあった。この学びを活かして、神道・古学。随筆等を執筆・刊行し、同時期に活動していた村田春海を痛烈に批判するなど、堂々たる活躍を展開した。また、山東京伝ら戯作者とも親交を持っていたされる。彦麿の門人は数多く、五百人ほどあったされる(当該ウィキに拠った)。国立国会図書館デジタルコレクションの『燕石十種』第二(岩本佐七編・明治四〇(一九〇七)年国書刊行会刊)のこちらで、挿絵入りで、視認出来る(左ページ下段最終行から)。また、早稲田大学図書館「古典総合データベース」で嘉永三(一八五〇)年跋の写本画像があり、ここで、より良く描かれた挿絵を見ることが出来る。

「文化八九年の頃」一八一一年~一八一二年。

「佃嶋住吉の神社」東京都中央区佃にある住吉神社

「平岡日向守好弘」サイト「note」の吉野啓史氏の「どうする家康と佃煮 大阪・田蓑神社と東京・佃住吉神社の歴史を探る Part 1」に、寛政八(一七九六)年三月一日に『江戸佃住吉神社の宮司・津守日向守好弘が平岡日向に改名した』とある。

「舎人」ここは単に「家来」の意。

「助好祖」不詳。

「箱目鏡」所謂、幻灯機のことであろう。

「当主讃岐守好貞」前の吉野氏の記載に、天保三(一八三二)年十一月一日に、『江戸佃住吉神社の宮司・平岡好貞が『大江戸佃島住吉神社略縁起』を起草した』とある人物であろう。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鹿」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    鹿

 

 

 私がその小徑から林の中へ足を踏み入れた時、恰度その小徑の向ふの口から、彼がやつて來た。

 私は、最初、誰か見知らぬ人間が、頭の上に植木でも載つけてやつてくるのかと思つた。

 やがて、枝が橫に張つて、ちつとも葉のついていない、いぢけた小さな樹が見えて來た。

 たうとう、はつきり鹿の姿が現れ、そこで私たちはどちらも立ち停つた。

 私は彼に云つた――

 「こつちへ來給へ。なにも怖(こは)がることはないんだ。鐵砲なんか、持つてたつて、こいつは體裁だけだ。いつぱし、腕に覺えのある人間の眞似をしてゐるだけさ。こんなものは使やしない。藥莢は抽斗(ひきだし)の中へ入れたままだ」

 鹿はぢつと耳をかしげて、胡散(うさん)臭さうに私の言葉を聽いてゐた。私が口を噤むと、彼はもう躊躇しなかつた。一陣の風に、樹々の梢が互に交差してはまた離れるやうに、彼の脚は動いた。彼は逃げ去つた。

 「實に殘念だよ!」と、私は彼に向つて叫んだ。「僕はもう、二人で一緖に道を步いて行くところを空想してゐたんだぜ。僕の方は、君の好きな草を、自分で手づから君に食はせてやる。すると、君は、散步でもするやうな足どりで、僕の鐵砲をその角の枝に掛けたまま運んで行つてくれるんだ」

 

Sika_20231113103901

 

[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目反芻亜目シカ科 Cervidae のシカの♂。原題“cerf” はフランス語では男性名詞だが、鹿総体をまず指しつつも、雄鹿をも指す。雌鹿は“biche”、子鹿は “faon” と言う。ここは、呼びかけとりっぱな角から、♂となる。さらに、Deslys ☆ デリス氏のブログ「生きたフランス語見聞録」の「フランスで馴染がある鹿たちの呼び名」では、『フランスで最も馴染のある鹿として』四種を挙げておられるが、『「鹿」として代表的だと思えるのはアカシカの cerf/biche だが、野原などで最もよく見かけるのはノロジカの chevreuil だ。chevreuilの雌である chevrette でも、フランス人たちは chevreuil と言っているような気がする』と述べておられる。ボナールの描く角は、先端が三つに分岐するシカ科ノロ亜科ノロ属ノロ Capreolus capreolus の♂の角に近いように見える。一方、シカ亜科シカ属アカシカ Cervus elaphus の♂の角は、かなり派手にいかついて枝分かれしており、やはり私は第一同定はノロとしたい。]

 

 

 

 

LE CERF

 

J'entrai au bois par un bout de l'allée, comme il arrivait par l'autre bout.

Je crus d'abord qu'une personne étrangère s'avançait avec une plante sur la tête.

Puis je distinguai le petit arbre nain, aux branches écartées et sans feuilles.

Enfin le cerf apparut net et nous nous arrêtâmes tous deux.

Je lui dis :

- Approche. Ne crains rien. Si j'ai un fusil, c'est par contenance, pour imiter les hommes qui se prennent au sérieux. Je ne m'en sers jamais et je laisse ses cartouches dans leur tiroir.

Le cerf écoutait et flairait mes paroles. Dès que je me tus, il n'hésita point : ses jambes remuèrent comme des tiges qu'un souffle d'air croise et décroise. Il s'enfuit.

- Quel dommage ! lui criai-je. Je rêvais déjà que nous faisions route ensemble. Moi, je t'offrais, de ma main, les herbes que tu aimes, et toi, d'un pas de promenade, tu portais mon fusil couché sur ta ramure.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「深淵の黄牛」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 深淵の黄牛【しんえんのこうぎゅう】 〔煙霞綺談巻四〕吉田より四里北東上村といふところあり。この村の北六七町に本宮山《ほんぐうさん》より落る大飛泉(《おほ》たき)あり。高サ四五丈、落る所は谷底《たにそこ》草木《さうもく》繁茂し、昼も暗く凌兢(ものすごき)ところなり。飛泉の壺は盤渦(うづまき)かへりて人寄り得ず。それより二間程下へ落る、これを雌滝《めだき》といふ。こゝも至りて深淵たれども、東上村六左衛門といふもの、水に馴れたるゆゑ、常にこの雌滝の壺に潜《くぐ》りて魚を捕る。享保中[やぶちゃん注:一七一六年~一七三六年。]ある日、此所に至り年魚(あゆ)を捕らんとせしに、水大《おほき》に逆浪《げきらう》せし故、暫く見居《みをり》たれば、淵の中より大なる黄牛湧出《ゆうしゆつ》し、角を振立《ふりた》て吽々(うんうん)と吼えて、六左衛門を目がけ来《きた》る。六左衛門剛強の者なれども、手に何も持たざるゆゑ、早々上の道へ上り宿へかへりぬ。時に忽ち発熱し、譫語(うはごと)など𠳂(しやべ)りて、三日目に相果てたり。深淵より大蛇《だいじや》にても出《いづ》べきに、牛の出たるは奇事なり。淵の主霊なるべし。またこの東上村と新城《しんしろ》との間に、一鋤田(ひとくはだ)村と云ふあり。この村の川筋に(今の吉田大川の上なり)皆鞍(かいくら)が淵とて、川筋第一の深淵あり。世俗この淵は竜宮城なりと云ひ伝ふ。彼の六左衛門、常にこの淵へ潜《くぐ》つて漁猟す。常に語るに、この水底《みなそこ》何もなし、上よりは只水の寒冷《つめたき》ばかりなり。深さ七尋二尺ありといふ。また河水は十尋より深き淵はなきもののよし。それより深き所へは、息切れ潜《くぐ》る事なりがたしとなり。海には二十尋も三十尋もある所あり。海は川と違ひ十五六尋潜りても息切れずといふ。

[やぶちゃん注:「池の満干」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』卷二(昭和二(一九二七)年日本隨筆大成刊行会刊)のここで正字で視認出来る。ルビがかなり振られてあるので、一部で参考にした。実は、これ、先行する「大入道」の続き部分であって、そちらの注で私が紹介している。

「吉田」諸条件から見て、愛知県豊橋市今橋町にあった吉田城跡(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)であろう。

「東上村」愛知県豊川市東上町(とうじょうちょう)。

「本宮山」ここ。愛知県岡崎市・新城市・豊川市に跨る標高七百八十九メートルの山。別名を「三河富士」と呼ぶ。古来より山岳信仰の対象とされてきた山で、山頂近くには砥鹿(とが)神社奥宮が鎮座し、地元東三河の人々に親しまれている。

「大飛泉」話の「黄牛」にあやかるなら、「牛の滝」がある。ここは東上町と新城市川田本宮道(かわだほんぐうみち)との境に当たる。

「一鋤田(ひとくはだ)村」「ひなたGPS」の戦前の地図で探しても、見当たらない。しかし、「牛の滝」から新城市街に向かう東北東に愛知県新城市川田一丁田(かわだいっちょうでん)の地名を見出した。或いは、この附近か。

「吉田大川」これは現在の豊川の古称である。過去に「吉田川」と呼ばれたことが確認出来た。

「皆鞍(かいくら)が淵」不詳。

「世俗この淵は竜宮城なりと云ひ伝ふ」ここより東北に遡るが、寒狭川に同様の伝承がある。私の『早川孝太郞「三州橫山話」 川に沿つた話 「鮎の登れぬ瀧」・「龍宮へ行つて來た男」・「人と鮎の智惠競べ」』を読まれたい。

「七尋二尺」一尋は水深の場合は、六尺=約一・八二メートル弱。十八・二七メートル。仮に豊川としても、洪水時でない限り、こんなに水深は、ない。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「猿………」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 私は、以下の本篇に対しては、岸田氏の訳文に幾つかの読解上の違和感と強い疑問部分を、複数、感じてきた。それは、読んだその場で生じ、他のアフォリズムに比して、ソリッドでやや長いことから、読者の大半は動物園の周回見物よろしく、不思議、不審に感じた箇所を行き過ぎるばかりで、そこで振り返って凝っと観察する余裕を持つ人は、案外、少ないものと思っている。そのため、そうした私が疑義を持った箇所を、本文の各段落の後に太字(一部に下線)で疑義注として附すことで、今回の読者には、じっくりと立ち止まって見廻って貰いたく、五月蠅い仕儀を敢えて挿入した。

 

 

   ………

 

Saru

 

 猿を見に行つてやり給へ。(しやうのない腕白どもだ。ズボンの股(また)をすつかり破いてしまつてゐる)。どこへでも攀ぢ登り、新鮮な日光の下で踊り、むかつ腹を立て、からだぢゆうを搔き、なんでも摘みあげ、そしていかにも原始的な風情で水を飮む。その間、彼等の眼は、時々かき曇ることはあつても、それも永くは續かず、きらりと光つてはまた直ぐ鈍く澱んでしまふ。[やぶちゃん疑義注:「むかつ腹」「むかつぱら」。「その間、彼等の眼は、時々かき曇ることはあつても、それも永くは續かず、きらりと光つてはまた直ぐ鈍く澱んでしまふ。」この最終文の中の「時々」という副詞と、「も」の逆接の接続助詞によって挟まれた「かき曇る」というネガティヴな現象が、「永く続かず」と否定され、「また」「すぐ」という副詞と「しまう」という動作完了の動詞によって挟まれた、同じようにしか見えない、これまたネガティヴな「鈍く澱んで」いる状態が畳み込まれいるのは、読者にピンと来ないというか、イメージが上手く想起出来ないように思われる。少なくともここは日本語としてはおかしいという気が強くしている。臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻では、佃裕文氏は、最後の一文を以下のように訳しておられる。『それらの間、しばし表情のうせた彼らの眼から、光が発せられてはたちまち消える。』。これなら、猿の眼の様子の神経症的な変異が瞬時に垣間見える様子が、腑に落ちるように、というか、躓かずに読めるのである。]

 紅鶴(フレミンゴ)を見に行つてやり給へ。薔薇色の下着の裾が泉水の水に濡れるのを心配して、ピンセットの上に乘つて步いてゐる。白鳥と、その樣子ぶつた鉛の頸。駝鳥。雛鷄(ひよつこ)の翼(はね)、役目重大な驛長のやうな帽子。ひつきりなしに肩を聳やかしてゐる鸛(こふづる)(しまひに、その科(しぐさ)はなんの意味もないことがわかる)。みすぼらしいモオニングを着た、寒がりのアフリカ鶴。袖なしの外套を着込んだペンギン鳥。嘴を木刀のやうに構へてゐるペリカン。それから、鸚鵡。その一番よく仕込まれたやつでも、現在彼等の番人には遠く及ばない。番人は、なんとかして、結局私たちの手から十スウ銀貨を一枚捲き上げてしまふ。[やぶちゃん疑義注:「紅鶴(フレミンゴ)」「フレミンゴ」のルビはママ。英米語でも、「レ」には決して聴こえない。しかし、岸田氏は戦後版でも「フレミンゴ」のままである。また、臨川書店版全集では、本文後注で、原文の“flamants”(フラマン(ト):フラミンゴ)は“Flamand”(フラマン(ト):フランドル人)と掛けてゐる、という注記があるのであるが、私には、このフラミンゴの描写のどこが掛けられている(風刺されている)のかが、よく分からない(発音が全く同じになることは馬鹿でも判る)。例えば、フラミンゴの優雅さや暢気さが、バルザックが言うところの『最も優雅な物質性がすべてのフランドル人の習慣の中に刻印されている。』(但し、この引用は宮本百合子の「バルザックに對する評價」からの孫引き。『いる』はママ。引用は国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二四(一九四九)年近代思想社刊の彼女の「文藝評論集」のこちらから)ということか? 御存知の方は御教授願いたい。「白鳥と、その樣子ぶつた鉛の頸。」ここも、意味が通りにくくなっていることは明白である。臨川書店版全集では、本文後注で、『白鳥の頸のように二重に曲ったグーネック水栓 col-de-cygne がある。』と記されてはあるが、この注記でも、未だやや不親切である。直にフランス語原文と比較してみないと、ルナールがそれに掛けていることが判然としない点で達意でないことは変わらないからである。佃裕文氏はここを『白鳥と、その頸の気取つた鉛管工事を。』と訳しておられ、これは私より年上の者(冬に家の外壁から出た鉛製の水道管が凍った経験を持つ者)なら、誰もが、瞬時に換喩が判る達意の訳である。]

 重たげに有史以前の思想で目方のついてゐる犂牛(ヤツク[やぶちゃん注:ママ。])を見に行つてやり給へ。麒麟は鐵栅の橫木の上から、槍の先につけたやうな頭を覗かせてゐる。象は猫背を作り、鼻の先を低くたれて、戶口の前を舞踏靴を引き摺りながら步いてゐる。彼のからだには、乘馬ズボンをあんまり上へ引つ張り上げたやうな袋の中におほかた隱れ、そして後ろの方にはちよつぴり紐の先が垂れてゐる。

 ペン軸を身につけた豪猪(やまあらし)もついでに見に行つてやり給へ。そのペン軸は、彼にとつても、彼の女友達にとつても、甚だ邪魔つけなしろものだ。縞馬、これはほかのすべての縞馬の透(すか)し繪の標本だ。寢臺の足元にべつたりと降りた豹。私たちを樂しませ、自分は一向樂しまない熊。自分でも欠伸をし、人にも欠伸を催させるライオン。[やぶちゃん注:『寢臺の足元にべつたりと降りた豹。』臨川書店版全集では、本文後注で、『豹の毛皮はベッド・マットによく使用された。』とある。]

 

[やぶちゃん注:底本では、中間部に明石哲三氏の猿の挿絵が挿入されている。これはしかし、見るからに、哺乳綱霊長目オナガザル科マカク属ニホンザル Macaca fuscata である。

 さて。標題「猿」の後の九点リーダは、原文では ”(Points de suspension:音写「ポント・デ・サスペンシォン」。私の好きなフランスの作家ルイ=フェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Céline 一八九四年~一九六一年)が好んで使ったので、私は当たり前に日本語で何気なく、皆が好んで使う「……」「…」と同じくらいメジャーなものかと思っていたのだが、これ、俗に「トロン・ポワン」等と呼び、日常的に普通によく使われるわけではないらしい。所謂、繰り返しや、続く感じの代わりの他、明確な断言を暗に避けたり、意味深長な余韻の匂わせ、言い淀み、或いは不服を示唆するものとして、これ、はっきりと表現し物事を主張することを正しいとする欧米人、特に誇り高きフランス人は、平気で誰もが、平生、頻繁に使うわけでは――ない――ようなのである。本「博物誌」では、標題では、ここのみに附随している(本文内では、よく見かける)。但し、岸田の戦後版では、このリーダは除去されている。

 以下、登場するオール・スター・キャストを挙げておく。

「猿」ボナールの挿絵から見るなら、哺乳綱霊長目直鼻亜目真猿型下目狭鼻小目オナガザル上科オナガザル科 Cercopithecidae のオナガザルの一種と私には見える。ボナールの絵はモノクロームで毛が黒いのだが、顔が逆三角形で小振りであるのに対し、ルナールの本文では、目がそれなりにはっきりと視認出来るという点からは、私は全身が白っぽぃ灰褐色の体毛で覆われていて、体型が細長いオナガザル科コロブス亜科ハヌマンラングール属ハヌマンラングール Semnopithecus entellus を一つの候補としたい。

「紅鶴(フレミンゴ)」鳥綱フラミンゴ目フラミンゴ科 Phoenicopteridae に三属あるが、一般的な我々が想起するそれはフラミンゴ属 Phoenicopterus 。「紅鶴」は訳語ではあるが、実際に直後に「薔薇色の下着の裾」と言っている点からは、最も親しいフラミンゴ属ベニイロフラミンゴ Phoenicopterus ruber でよいだろう。

「白鳥」カモ目カモ科ハクチョウ属 Cygnus であるが、ここは動物園のそれであるから、オオハクチョウ Cygnus cygnus としてよかろう。

「駝鳥」ダチョウ目ダチョウ科ダチョウ属ダチョウ Struthio camelus

「鸛(こふづる)」コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属コウノトリ Ciconia boyciana

「アフリカ鶴」これは「アフリカ禿鸛(はげこう)」、コウノトリの仲間で、サハラ砂漠以南のアフリカ全域に棲息し、水辺でも内陸でも活動し、人間の居住地域近辺(特にゴミ捨て場)でも普通に見られる、コウノトリ科 Leptoptilos 属アフリカハゲコウ Leptoptilos crumeniferus

「ペンギン鳥」ペンギン目ペンギン科 Spheniscidae 。当時の動物園がどの程度の飼育設備を持っていたか判らないので、ここに留めておく。

「ペリカン」 ペリカン目ペリカン科ペリカン属 Pelecanus sp.。現行では八種を有する。

「オウム」オウム目オウム科 Cacatuidae 。現在、二十一種を数える。

「犁牛(ヤツク)」(このルビの「ヤツク」は「ヤック」のつもりである可能性が高いか)哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ウシ亜科ウシ属ヤク Bos grunniens Linnaeus, 1766(家畜種)、及び、野生種ノヤク Bos mutus Przewalski, 1883当該ウィキによれば、『インド北西部、モンゴル、中華人民共和国(甘粛省、チベット自治区)、パキスタン北東部に自然分布』し、『ロシアでは』十七『世紀前後に絶滅したとされる。ネパールでは絶滅していたとされていたが』、二〇一四『年に再発見され』ているとあった。

「麒麟」哺乳綱鯨偶蹄目キリン科キリン属キリン Giraffa camelopardalis 、又は、複数種(当該ウィキを参照)。

「象」哺乳綱長鼻(ゾウ)目ゾウ上科ゾウ科 Elephantidae の、アフリカゾウ属アフリカゾウ Loxodonta Africana 、又は、同種の亜種であるサバンナゾウ Loxodonta africana Africana 、又は、マルミミゾウ Loxodonta africana cyclotis 。又は、アジアゾウ Elephas maximus 、又は、同種の亜種であるインドゾウ Elephas maximus bengalensis 、又は、セイロンゾウ Elephas maximus maximus 、又は、スマトラゾウ Elephas maximus sumatrana 、又は、マレーゾウ Elephas maximus hirsutus 象牙の描写が全く見られないので、アジアゾウ及びその四亜種が可能性としては高いと思われる。

「豪猪(やまあらし)」哺乳綱齧歯(ネズミ)目ヤマアラシ亜目 Hystricomorpha には、地上性のヤマアラシ科 Hystricidae と、木登りを得意とするアメリカヤマアラシ科 Erethizontidae がいるが(孰れも夜行性)、動物園で飼い易いものとしては、後者の可能性の方が高いようにも思われる。

「縞馬」哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属シマウマ亜属 Hippotigris には、現在、ヤマシマウマ Equus zebra ・サバンナシマウマ  Equus quagga ・グレビーシマウマ  Equus grevyi がいる。

「豹」哺乳綱食肉目ネコ科ヒョウ属ヒョウ Panthera pardus当該ウィキを見ると、かなりの亜種がいる。

「熊」食肉目イヌ型亜目クマ下目クマ小目クマ科 Ursidae 

「ライオン」食肉目ネコ科ヒョウ属 ライオン Panthera leo 。アフリカ大陸北部・西部・中部、及び、インドに棲息するPanthera leo leo と、アフリカ大陸南部・東部に棲息する Panthera leo melanochaita の二亜種がいる。

「象は猫背を作り、鼻の先を低くたれて、戶口の前を舞踏靴を引き摺りながら步いてゐる」この「舞踏靴」の部分、他の訳者では、「ズック」(辻氏)・「スリッパ」(佃氏)となっている。原文では“chausson”である。辞書を引くと、『(体操・試合・ダンス用の)布靴』が第一義で、二番目に『スリッパ』と出る。後者は「室内履き」の意のそれで、ネット上を調べると、フランスでは特に乳児用の毛糸で作った可愛らしい靴の写真が出てきた。しかして、どの訳がルナールの意を汲んでいるか? 私は断然、岸田氏の訳が適確と考える。ゾウの巨大な分厚いそれは、でっかいズック、或いは、それを普段は物憂げにずるずると引き摺りながら歩くんだからスリッパだ、などと考える向きは、読みが浅いと私は思う。「これは、巧みな身体を支える、精巧にして華麗な舞踏用のシューズ、いやさ! まさにバレリーナの、かのトゥ・シューズさ!」と私は叫びたいのである。「どこが?!?」という御仁のために、サイト「UPALI.CH 象の百科事典」のジョージ・フレイ氏の「ゾウの足と蹄のケアー」を見られたい。さあ、動物園の出口は、あっちですよ!

 なお、以下の原文標題のあとの“”は“TEXTES LIBRES”の電子化ではなくなっているため、「Internet archive」の原本(一九〇四年版)の当該章の画像で確認して添えた。

 

 

 

 

SINGES…

 

Allez voir les singes (maudits gamins, ils ont tout déchiré leur fond de culotte !) grimper, danser au soleil neuf, se fâcher, se gratter, éplucher des choses, et boire avec une grâce primitive, tandis que de leurs yeux, troubles parfois, mais pas longtemps, s'échappent des lueurs vite éteintes.

Allez voir les flamants qui marchent sur des pincettes, de peur de mouiller, dans l'eau du bassin, leurs jupons roses ; les cygnes et la vaniteuse plomberie de leur col ; l'autruche, ses ailes de poussin, et sa casquette de chef de gare responsable ; les cigognes qui haussent tout le temps les épaules (à la fin, ça ne signifie plus rien) ; le marabout frileux dans sa pauvre jaquette, les pingouins en macfarlane ; le pélican qui tient son bec comme un sabre de bois, et les perruches, dont les plus apprivoisées le sont moins que leur gardien lui-même qui finit par nous prendre une pièce de dix sous dans la main.

Allez voir le yack lourd de pensées préhistoriques ; la girafe qui nous montre, par-dessus les barreaux de la grille, sa tête au bout d'une pique ; l'éléphant qui traîne ses chaussons devant sa porte, courbé, le nez bas : il disparaît presque dans le sac d'une culotte trop remontée, et, derrière, un petit bout de corde pend.

Allez donc voir le porc-épic garni de porte-plume bien gênants pour lui et son amie ; le zèbre, modèle à transparent de tous les autres zèbres ; la panthère descendue au pied de son lit ; l'ours qui nous amuse et ne s'amuse guère, et le lion qui bâille, à nous faire bâiller.

 

2023/11/12

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「白鷲」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 白鷲【しろわし】 〔奥州波奈志〕近きころまでこの国の家老をつとめたりし中村日向といふ人の在所、岩ケ崎といふ所の百姓に、山狩をこのみて春夏秋冬ともに山にのみ日をおくる者有りし。外に狩人といはれて世をわたるともがらも四五人ありつれど、山路の達者およびがたくて友とする人なく、いつも壱人にてかりありきしに、ある夕方うしろよりししウ引といふ音して頭をはたかれしと思ひしか、のけさまに倒れたりき。耳のわきより血出しかば、こは確かにわしにかけられたるならんときばやくさとりて、終に出合ひしことはなけれど、かゝる時はうごかぬぞよきと聞くをと思ひて、即死のていにもてなしてゐたりしは、物なれしふるまひなりき。眼をほそく明けてあたりをみめぐらせば、ほど遠からぬ木の枝に白羽なる大わしの、すはともいはゞ飛びかゝらんずと思へるさまにて、尾羽をひらきてとまりゐたり。(わしの一あて当ててうごかねば、打ころしたりと思ひて又かゝらず、うごく時はしなずとて又かけらるゝ改、終にいのちうしなふものとぞ)扨こそかれめがなすわざなれと。い。つくづくと思へども、動かばかけんのおそれ有り。さりとてむなしく見過さんやと、ひそかに鉄砲を廻せしに、鷲の運やつきつらん、さらにおどろかで有りし故、一うちに打おとしてみれば、世に稀なる大鷲にて、足のふとさ一束《いつそく》有りしとぞ。この羽を国主に奉りしかば、天下一の羽なりとてことにめでさせ給ひしとぞ。鉄山公御代のことなり。このをとこは一年に熊十の余をいつもえたり。すべて鉄砲をかつぎて山を行く時は、鳥獣も懼《お》ぢおそれてかげかくすを、このわしあまり猛意にほこりて狩人にあだなせし故、かへりてやすくうたれしぞこゝちよき。

[やぶちゃん注:私のブログ版「奥州ばなし 白わし」を参照。同一のPDF一括版「奥州ばなし」(サイト版)もある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「白き鴉」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 白き鴉【しろきからす】 〔譚海巻八〕羽州横手の城は、佐竹の家司戸村氏守る所なり。城中に白鴉雌雄二羽あり。年久しく住んで、土人よく知りたる事なり。農夫あるとき城下の酒屋へ白き鴉を一羽持ち来ぬ。酒のむもの皆めづらしがり興ずるに、農夫いふやう、白き鴉はこの城下まゝおほく有り、我等山かせぎするときは、常に見る事にて珍しき物にもあらず、只平日は高き樹のうへにのみあるを見れど、これはたまたま近き所に居たる故、取り得たるなり。亭主聞て、今日目ぢかく見る事珍しきことなり、百姓の家に飼ひて無益なる事、我等に玉はれ、さらば見物にくる人多く酒も売れぬべしといへば、農夫ことわりなる事とて、亭主に此鴉をあたへぬ。それよりのち此からすみんとて、酒のみにくる人、はたして日毎に賑ひ、酒屋大いにとく付て悦び居たるに、いくほどもなくて鴉死《しし》たれば、また酒かひにくる人も減じぬといへり。〔翁草巻百九〕天明六丙午十二月、山科郷に於て、猟師異なる鳥を獲たり。見世物師ども、これを聞伝へて、価貴くこれを求めんと欲するよしを、座主の宮(妙法院殿)聞し召及ばれ御覧ずるに、毛羽所々白く、全身赤紫色なり。即ち叡覧に供へらるゝ処に、白鳥にても有るべきやとの御沙汰にて、菅家《かんけ》、清家《せいけ》并《ならび》に両局《つぼね》の面々ヘ勘《かんが》へ仰せられ、瑞鳥なるや否や、遠慮なく申上ぐべきよし、勅掟《ちよくぢやう》なり。仍《より》て右の面々、各〻勘文《かんもん》を上らる。<下略>

[やぶちゃん注:前者は事前に「譚海 卷之八 羽州橫手しろき烏の事(フライング公開)」を公開しておいた。後者の「翁草」は「石臼の火」で既出既注。正字の当該部は国立国会図書館デジタルコレクションの「翁草」校訂十一(池辺義象校・明三九(一三〇六)年五車楼書店刊)のここから視認出来る。標題は「白烏」。但し、原本では、以上の後に、続けて漢文の勘文八篇が載り、更に、最後に、後の御放ちを御下命された際の指図に関わる文章が添えられてある。

「天明六丙午十二月」同年の旧暦十二月一日は、既にグレゴリオ暦では一七八七年一月十九日。

「山科郷」京都の山科。

「座主の宮(妙法院殿)」妙本院門跡から出た天台座主であるが、調べる気にならない。

「菅家」菅原道真の系統の菅原氏の家系。

「清家」明経道の儒家である清原家(きよはらけ)のこと。

「勘文」諸事を考え調べ、先例・日時・方角・吉凶などを調べて上申する文書のこと。普通でない「白い鴉」であったための措置である。]

譚海 卷之八 羽州橫手しろき烏の事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]

 

 羽州橫手の城は、佐竹の家司、戶村氏、守る所なり。

 城中に、白鴉、雌雄二羽有り、年久しく住んで、土人、能(よく)知(しり)たる事なり。

 農夫、あるとき、城下の酒屋へ、白き鴉を一羽、持ち來(き)ぬ。

 酒のむもの、皆、めづらしがり、興ずるに、農夫、いふ樣(やう)、

「白き鴉は、此城下、まゝ、おほく、有(あり)。我等、山かせぎするときは、常に見る事にて、珍敷(めづらしき)物にもあらず。只、平日は、高き樹のうへにのみあるを見れど、是は、たまたま近き所に居(をり)たる故、取得(とりえ)たるなり。」

 亭主、聞(きき)て、

「今日(けふ)、目(め)ちかく見る事、珍敷ことなり。百姓の家に飼ひて、無益なる事。我等に、給はれ。さらば、見物にくる人、多く、酒も、賣れぬべし。」

と、いへば、農夫、

「ことわりなる事。」

とて、亭主に此鴉をあたへぬ。

 それよりのち、此(この)、

「からすみん。」

とて、酒のみにくる人、はたして日每(ひごと)に賑はひ、酒屋、大(おほい)にとく付(づき)て、悅居(よろこびをり)たるに、いくほどもなくて、鴉、死(しし)たれば、また、酒かひにくる人も、減じぬ、と、いへり。

[やぶちゃん注:「羽州橫手の城は、佐竹の家司、戶村氏、守る所なり」現在の秋田県横手市城山町にある山城であった横手城跡(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキによれば、『横手城の築城時期は、諸説ある。戦国時代には、小野寺配下の横手氏・大和田氏・金沢氏が横手城を拠点にして反抗したが、これは鎮圧されている。その後、小野寺氏は横手に本拠を移した』。「関ヶ原の戦い」の際、『当時の城主であった小野寺義道は、上杉景勝に通じたことから』、『徳川家康に』、『西軍方とみなされたため、慶長』六(一六〇一)年に『改易され、一時的に最上氏の手に渡る。慶長』七(一六〇二)年、『久保田城に佐竹義宣が転封されてくると』、『横手城も佐竹氏の所有となり、城代が入れられた。城代には伊達盛重、伊達宣宗に続いて須田盛秀が入り、寛文』一二(一六七二)年に『佐竹氏一門の戸村義連(戸村義国の嫡孫)が入城して以降、代々「十太夫」を称す戸村氏の宗家(戸村十太夫家)が明治まで務めた。元和』六(一六二〇)年の「一国一城令」によって『久保田藩領でも支城が破却されたが、横手城を重要な拠点と考えた佐竹義宣が幕府に働きかけたため、破却を免れた』とある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「白犬の使」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 白犬の使【しろいぬのつかい】 〔譚海巻六〕武州越ケ谷<埼玉県越谷市>金剛寺といふ真言宗の寺に、従来養ひ来《きた》る白犬二疋有り。住持江戸の支配所本所弥勒寺へ用ある時は、文かきてこのふたつの犬をよび、ひとつに文をえりにむすびつけ、ひとつには銭二百文えりに結び付けてやれば、やがて出で行きて、二時ばかりには江戸より帰りて、みろくじの返書えりにくゝり付けて帰るなり。但あす江戸へやらんとするときは、宵に其由を犬にいひつけ置き、あしたにいたり白米二升飯にたきてあたふれば、二ツ犬それをくひ尽して出《いづ》るなり。みろくじにて此犬の来るを見れば、かたの如く飯を焚てくはする間に、返書を書きて犬のえりにむすび付れば、犬飯をくひをはりて、また立いでかへるさには、いつも蒲生《がまふ》の辺の酒屋へこの犬立寄るなり。酒屋にてもこの犬の来るを見れば、金剛寺の使なる事をしりて、やがて犬のえりにむすび付けたる銭を取りて、代りに白米を二升飯に焚きてあたふる事、いつも定まりたる事に人々も覚えたるとぞ。奇特なる事なり。その犬ふたつとも今は死《しし》たるべし。年久しくなりぬる事なれば、いかがなど人のいひし。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之六 武州越ケ谷金剛寺二犬の事(フライング公開)」を正字表現で注も附して公開しておいた。]

譚海 卷之六 武州越ケ谷金剛寺二犬の事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]

 

 武州越ケ谷金剛寺といふ眞言宗の寺に、從來、養ひ來(きた)る白犬、二疋、有り。

 住持、江戶の支配所、本所彌勒寺へ用ある時は、文、かきて、このふたつの犬をよび、ひとつに、文を、えりに、結び付(つけ)て、ひとつに、錢二百文、えりにむすびつけて、やれば、やがて、出行(いでゆき)て、二時(ふたとき)ばかりには、江戶より歸りて、みろくじの返書、えりにくゝり付て、歸るなり。

 但(ただし)、

「あす、江戶へ、やらん。」

と、するときは、宵(よひ)に、其(その)由(よし)を、犬に、いひつけ置(おき)、あしたに、いたり、白米二升飯(めし)にたきて、あたふれば、二つ犬、それを、くひ盡して、出(いづ)る也。

 みろくじにて、此犬の來(きた)るを見れば、かたの如く、飯を焚(たき)て、くはする間に、返書を書きて、犬のえりに、むすび付(つけ)れば、犬、めしを、くひをはりて、又、立いで、かへるさには、いつも、蒲生(がまふ)の邊の酒屋へ、この犬、立寄(たちよる)也。

 酒屋にても、此犬の來るを見れば、金剛寺の使(つかひ)なる事をしりて、やがて、犬のえりに、むすび付(つけ)たる錢(ぜに)を取(とり)て、代りに、白米を二升飯に焚きて、あたふる事、いつも、さだまりたる事に、人々も覺えたるとぞ。

 奇特なる事也。

「其犬、ふたつとも、今は死(しし)たるべし。年久しくなりぬる事なれば、いかが。」

など、人の、いひし。

[やぶちゃん注:「武州越ケ谷金剛寺といふ眞言宗の寺」現在の埼玉県越谷市東町にある真言宗豊山派稲荷山金剛寺(グーグル・マップ・データ)。

「江戶の支配所、本所彌勒寺」東京都墨田区立川(旧地区名は本所)にある真言宗豊山派万徳山聖宝院弥勒寺(グーグル・マップ・データ)。江戸時代には新義真言宗の触頭寺院で、寺領百石の朱印状が与えられ、「関東四ヶ寺」の一寺として格の高い寺院であった。金剛寺からは、直線でも二十キロメートルを超える。

「蒲生」埼玉県越谷市蒲生であろう。北東に金剛寺のある東町を配した。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「虱と盗人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 虱と盗人【しらみとぬすびと】 〔海西漫録〕むかし田舎の僧房に、殺生戒をたもちて小蟲をも殺さぬ法師有りけり。この法師身に虱の湧きて、あゆる[やぶちゃん注:「落(あ)ゆ」の連体形で「体から零れ落ちる」。]ばかりけれども、ひとつも取らずて、身をば虱にゆだねてぞ有りける。かくてある夜熟睡しけるに、虱のいたく喰ひけるに驚かされけるに、枕辺に物音するをあやしみ、眼を開きて見れば、調度どもぬすみて持行くなんめり。法師つと《たち》て、貧道《ひんだう》が庵には、わぬし等《ら》の為になる物は有るまい、折角入来《にふらい》せられし事いと恥かし、せめてこれにても持行き給へとて、寝巻にしたる古布子《ふるぬのこ》、衣桁《いげた》に掛けたる袈裟などを、一人一人にかづけけるに、あまたの虱みなかの賊どもに移りて、何がさてこゝを瀬に喰立てければ、賊等は皆々癢(かゆき)に堪へず。あなかゆがゆと言ひて、こヽを搔けばそこ癢く、そこに手をやればここ堪へられず。ぬすみたるものをば皆棄て、唯からだをのみぞ搔く。法師はなほ夜具持出て、さもさもこれをも遣はすべし、かづきて帰り給ヘとて、各々にかづけんとするに、賊等は声をあげ、和尚さまよ、何分免し給はるべしとて、物一ツ取りえず、からだを搔き搔き逃げ去りけるとかや。こは虱の報謝にてぞ有りつらん。げにや錦繍の衾《ふすま》なりとも、虱の住所《すみどころ》となりたるをば何とかせん。

[やぶちゃん注:「海西漫録」(かいせいまんろく)は国学者鶴峯戊申(つるみねしげのぶ 天明八(一七八八)年~安政六(一八五九)年)の随筆。彼は豊後国臼杵(現在の大分県臼杵)に八坂神社神主鶴峯宜綱の子として生まれ、江戸で没した。著作は多く、中でも「語學新書」はオランダ語文法書に倣って当時の日本語の文法を編纂したもので、近代的国語文法書の嚆矢とされる(当該ウィキに拠った)。国立国会図書館デジタルコレクションの『百家隨筆』第三(大正七(一九一八)年国書刊行会刊)のこちらで当該部が正規表現で視認出来る。標題は『○蝨逐二小偸』(蝨、小偸(せうちゆう)を逐(お)ふ)である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「不知火」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 不知火【しらぬい】 〔笈埃随筆巻三〕筑紫の不知火は、肥前・肥後の海にあり。国名とするも宜《むべ》なるかな。その怪しきこと、まのあたり見る所をいはん。毎年七月の晦日《みそか》にあり。肥後八代辺、宇土辺<共に熊本県にあり>の浦には更なり。海辺に臨める処は、貴賤老少をいはず、これを見んとて昼より来り遊ぶ。かくて夜半の頃、海上寂寥《せきれう》として誠に闇夜の気色更にもの凄く、今や出んとうち守り居るに、忽然として一火を現じ、また三火となる。あはやと見るうちに、火の数多くなりて、果は海面遠く燃え連《つらな》る事数里に及ぶ。既にして夜将に明けなんとする程より、いつしか次第に消え失せぬ。浦人のいふ。その火のもとを見んとて、小舟を乗出して、かの連なれる火の中へ舟をさし入れば、忽然として前後三度ばかりは火退く。頓《やが》て先の火の間へ漕ぎ行けば、また跡よりは次第に燃えて、行先は次第に退《しりぞ》くなれば、いかにしてもその火近く見る事なしといへり。誠に上古より不知火の名あれば、後世誰《たれ》か論ぜん。またこの夜にかぎりてあるも一奇事なり。

[やぶちゃん注:漁火が大気光学現象によって異常屈折したものである。

「笈埃随筆」著者百井塘雨と当該書については、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』その冒頭注を参照されたい。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧二期卷六・日昭和三(一九二八)年日本隨筆大成刊行会刊)所収の同作の当該部で正規表現で視認出来る。標題は『○不知火』である。

「国名」この場合は、周縁の肥前・肥後の国でその海の名を「有明海」や「不知火海」(現在も「八代海」の別名として残る。高校時代、三年間、地理Bまでみっちり総て学んだ私でも前者の方が親しいぐらいである)。或いは、地名としての不知火町を指しているのかも知れない。現行でも二ヶ所ある。熊本県宇城(うき)市不知火町と、福岡県大牟田市不知火町である。「諸國里人談卷之三 不知火」の私の注を見られたい。

「晦日」とあるが、その日に限る現象ではないので、要注意。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「白髪畑の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 白髪畑の怪【しらがばたのかい】 〔遊京漫録巻二〕やよひ<三月>十日、高野山のふもと矢立《やたて》といふすく[やぶちゃん注:「宿(しゆく)」。]を、つとめてたちいで、高野辻《かうやのつじ》と云ふ所より舟にて、紀の川をくだすに、川瀬はやくして、こなたかなたの岸の、猿なく声みゝにとゞまらずとも、いはまほしき所なり。五里ばかりくだりて、左に高くそばえたる山を、白髪畑といふ。かぢとりの物語るを聞くに、此ほど此嶺にあやしのもの出でて、人をとる事有りければ、紀の殿より、うての人たち、をとつひの日、此処にきたりて、とかくあなぐり[やぶちゃん注:探し求めること。]せらるれども、いまだとらへ得ずといふ。そはいかなる怪しのものにかと問ふに、舟人《ふなびと》くはしくかたり聞かするは、きさらぎ<二月>末つ方よりの事なりけり。この山の麓の村々の女、ともすればゆくりなく[やぶちゃん注:不意に。]うすることあり。はじめのほどはみそか男などのありて、心をあはせぬすみいにたるならんといひて、さがしもとめしかど、誰《たれ》ひとりさがし出でたるなかりければ、まよはし神《がみ》に誘はれつらんなど、いぶかりあへるほどに、誰いふとなく、白髪畑の山陰には、怪しのもの出でて、人をとり食らふとなりといひ騒ぎしかど、たしかに見たりといふものもなくて、日頃ふるに、此山のふもとに、某村とかいふありて、そこの村長(むらをさ)のむすめ、年はたちばかりなるが、ゐなかめづらしき容姿(すがたかたち)なりければ、とかくよばふ[やぶちゃん注:言い寄る。]人もおほかりけり。さるにはやくけさう[やぶちゃん注:「懸想」。]じける男ありければ、親のゆるさぬ中《なか》にて、にはかにこと男《をとこ》をむこにとらんとしけるを、女くるしいことに思ひて、みそか男[やぶちゃん注:「密男」。]とはかりて、夕月《ゆふづき》のたどだどしき[やぶちゃん注:おぼつかないさま。]にまぎれてあくがれ出でにけり。追ひくる人あらんをしのびて、山路《やまぢ》を経てのがれ行くに、うしろよりくるもの有り。男にやあらむ、女にやあらん、丈ひくき顔いとしわみて、かしらには、はりをうゑたるやうなる髪を、尺ばかりふりみだして、みる[やぶちゃん注:後に示す活字本は『海松(みる)』。海藻の緑藻植物門アオサ藻綱イワズタ目ミル科ミル属ミル Codium fragile のこと。私の「大和本草卷之八 草之四 水松(ミル)」を参照されたい。学名のグーグル画像検索をリンクさせておく。]のやうにさけわゝけたるつゞれ[やぶちゃん注:「襤褸」。]をきたるが、ゆきすがふまゝに、女をつとかき抱《いだ》きてはしり行くを、男おどろきて追ひかくるに、鳥のかけるやうにて、追ひつきがたし。この妖(あや)しのものは、いくたびかかへり見て、笑ふ笑ふゆくに、いつか行方《ゆくへ》を見うしなひぬ。男くやしさいはんかたなく、猶いかで女をとりかへさばやと、木の根、岩かど、たゞこえにふみこえて、山路《やまぢ》ふかくわけいるに、月なほ山の端《は》に残りて、木《こ》の間もるかげすごし。谷川の岸にいたりたるに、岸の向ひに、女ついゐたり[やぶちゃん注:佇(たたず)んで座っていた。]。うれしさいはんかたなし。声をあげてよぶに、かしこにもよぶ声す。見ればあやしのものもをらず。わたせる板橋《いたばし》をば、かしこの岸に引きあげおきたれば、渡るべきてだてなし。男大声に、その橋はや渡せといへど、女たゞ手をあげて、こなたをさしまねぐのみなり。男心いらだちて、いかでとくとくといふに、女物《もの》をたよりにて、たちあがらむとすれど足たゝず。こなたを見て泣くこと限りなし。男いとかひなきことといらだちて、いかにもしてその橋渡せとさけぶに、女またかしらのうへにおほへる松の大木《たいぼく》を指さして泣く。男目をさだめてよく見れば、松のうへに、妖しのもの登りゐて、下なる女をにらまへてをり。見るに恐ろしとは物かは。身の毛いよだちてわなゝかるゝよりほかなし。せむかたなく守りゐたるに、あやしのもの、木末《こずゑ》よりすらすらとおりて、女のもとゞりかいつかみて、あふのけにおしたふしぬ。女やゝとさけぶを、たしかにおさへて、つるぎのやうなる長き爪にて、乳《ち》のあたりより下へ二かへりばかりなづるやうにするに、きたるものも、むすびたる帯も、ずたずたにさけて、はだへのあらはるゝを、胸先《むなさき》にくちさしあつるやうにみゆるに、女あと一声《ひとこゑ》さけびて、のけざまにそるを、うごかしもあへず血をすふ。手足をわなゝかしてなきさけぶ声、いとかなし。男もたましひきえて、われさへ腰たゝずうつぶしぬ。やうやう血をすふにつけて、よわり行く声かすかなり。はては腹わたをかき出でてくひつくしぬ。さてなきがらをさかしまに松の枝に引きかけたるを、男一目見るより、まことにたえ入りぬ。つとめて[やぶちゃん注:翌朝。]逐《お》ひくる人々、此所まできたりて、男のたえ入りたる[やぶちゃん注:失神・気絶しているのである。]を、とかく見あつかふに、いき出でて、ありし事かたり聞えければ、人々おぢおそれて、つひにこの山に分け入ることたえにけり。そもそもこの山は、薪多くきり出だす山にて、殿《との》の御《おん》はやしも有りければ、かゝる事のありて、木こりども山にいる事かたきよし、うれへ申したりしかば、そのあやしのものとりて参らすべしとて、弓矢の道にかしこきもの、二十人ばかり遣はされにたり。きのふ見出でたりとて、とよみ[やぶちゃん注:「響(とよ)み」。大声で騒いで。]あへりしが、また見うしなひぬ。ひゝ[やぶちゃん注:「狒々」。猿の年経た妖獣。。]といふけものの、年経たるなるべしといふ人もあるを、かたへより、否あらじ、ひゝは人をとり食らふものにはあらず、猶ことものならむといへり。とまれかくまれ、殿のつはものかこみたれば、近きうちにたやすくうちとりなまし。今二日三日《ふつかみか》もおそくおはせば、とらへたるを見給はんにとかたりぬ。けしかる事をも聞くものか。かゝることは、そゞろなる昔物語にこそ聞きしか。[やぶちゃん注:ここは「こそ(已然形)、……」の用法であるから、読点であるべきところで、活字本もちゃんとそうなっている。]まのあたり見聞すべき事とは思はざりしを、片田舎には、今もなほあやしきことの有りけるはと、とかくもの語らふほどに、若山《わかやま》[やぶちゃん注:「和歌山」。]の城のべ近く舟はてにけり[やぶちゃん注:到着したのだった。]。

[やぶちゃん注:「遊京漫録」は医師で歌人・国学者でもあった清水浜臣(はまおみ 安永五(一七七六)年~文政七(一八二四)年)の文政二(一九一九)年二月から九月初旬に行った京阪・奈良・伊勢などを巡った際の紀行。文政三(一八二〇)年成立。国立国会図書館デジタルコレクションの「閑田耕筆 年々隨筆 遊京漫錄 花月草紙」(有朋堂文庫・昭和二(一九二七)年有朋堂書店刊)のここで正字で視認出来る。標題は『○白髮畑(しらがはたけ)の恠(くわい)』である。宵曲の標題と微妙に異なる。読みがかなり振られてあるので、一部、参考にした。

「やよひ十日」実は、この話、先の「上酒有りの貼紙」の次に配されてある譚であるから、文政二年三月と知れる。

「矢立」和歌山県伊都(いと)郡高野町(こうやちょう)花坂(はなさか)にある矢立であろうか(グーグル・マップ・データ)。

「高野辻」この附近にその地名があるが(グーグル・マップ・データ)、「紀の川」はずっと北の位置なので、恐らく、現行では地名は残っていないもっと北のようである。

「こなたかなたの岸の、猿なく声みゝにとゞまらず……」言わずもがなだが、上記の活字本の頭注にも、「唐詩選」でよく知られる李白の七絶「早發白帝城」(早(つと)に白帝城を發す)の転句「兩岸猿聲啼不」(兩岸の猿声(えんせい) 啼(な)いて住(や)まざるに)を洒落たもの。

「白髪畑」舟に乗った位置が判らないので、不詳。この名の山は現在はないようである。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「女鬼」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 女鬼【じょき】 〔甲子夜話巻五十一〕房州農夫の妻鬼となりたるが、ふと夫を喰殺して出奔し、相州に渡り小坪の光明寺辺にて大に人家を驚かし、後は墓地にゆき墓を発《あば》き、死者を三人まで喰ひ、それより雪の下に馳せゆきたる所、大蔵大町小町柄《え》がら二階堂宅間小袋谷建長寺等の十二坊も残らず門戸を閉ざし、鼓を打ち鐘を鳴らし、拍子木など響き渡りて、今や敵《かたき》の由井ケ浜へ寄するかと騒乱大方ならず。されども誰一人も退治に出る輩《やから》もなく、薄暮より暁天に到りて、狂婦は何方へ往きたる、蹤《あと》かたも無くなりしと。右は七月初旬大山参詣の者、彼辺に廻りて聞きたるとぞ。珍説なり。 〔煙霞綺談巻三〕元文三年西三河にてある女《をんな》鬼となり、葬所《すしよ》へ行き死人《しにん》を喰《く》ひたる事あり。乱心ともいへど、そのまゝ捨置《すてお》きがたく、村のもの大勢あつまり、打殺さんとせしが山へにげ入り、行がたしらずとなり。

[やぶちゃん注:前者は事前に「フライング単発 甲子夜話卷五十一 13 農夫の妻人を喰ふ事」として正字表現で公開しておいた。後者の「煙霞綺談」は「池の満干」で既出既注。で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』卷二(昭和二(一九二七)年日本隨筆大成刊行会刊)のここで正字で視認出来る。]

フライング単発 甲子夜話卷五十一 13 農夫の妻人を喰ふ事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]

 

51-13

 房州農夫の妻、鬼となりたるが、ふと、夫を喰殺(くひころ)して、出奔し、相州に渡り、小坪の光明寺邊(あたり)にて、大(おほい)に人家を驚かし、後は、墓地にゆき、墓を發(あば)き、死者を、三人まで喰ひ、それより、「雪の下」に馳(はせ)ゆきたる所、「大藏」・「大町」・「小町」・「柄(え)がら」・「二階堂」・「宅間」・「小袋谷(こぶくろや)」・「建長寺」等の、「十二坊」も殘らず、門戶(もんこ)を閉ざし、鼓(たいこ)を打(うち)、鐘を鳴(なら)し、拍子木など響(ひびき)わだりて、

「今や敵(かたき)の、由井ヶ濱へ寄するか。」

と、騷亂、大方ならず。

 されども、誰(たれ)一人も、退治に出(いづ)る輩(やから)もなく、薄暮より、曉天に到(いたり)て、狂婦は、何(い)づ方へゆきたる、蹤(あと)かたも無くなりし、と。

 右は、七月初旬、大山參詣の者、彼邊(かのあたり)に廻りて、聞きたるとぞ。

 珍說なり。

■やぶちゃんの呟き

ここに出る鎌倉の寺や地名は私には目を瞑っても行け、事績も諳んじている(そもそも私は荏柄天神の境内の中の大工屋の二階で生まれたのだ)。判らぬ方は、私のサイト内の「心朽窩主人旧館」にある「新編鎌倉志」及び「鎌倉攬勝考」を見られたい。但し、静山の謂いの内、『……等の、「十二坊」も殘らず』という表現はおかしい。「十二坊」は鶴岡八幡宮寺の東北の谷戸に存在した別当寺群の名称であり(最終的に廃仏毀釈で総て廃絶して現存しない)、前に並ぶ地名は「十二坊」ではないからである。読者はそのようにとってしまうであろうから、厳に指摘しておく。鎌倉フリークの私としては、静山が書いたこの怪事の時制を特定しようと前後を調べたが、よく判らなかった。悔しい。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「小児の幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 小児の幽霊【しょうにのゆうれい】 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻五〕予<根岸鎮衛>が許へ来る栗原某といへる者、小日向に住居して近隣の御旗本へ常に立入りしが、わけて懇意に奥迄行きしが、一人の子息ありてその年五歳になりしが、至つて愛らしき生れ故、栗原甚だ愛して、往き通ふ時は土産など携へ至りしが、暫く音信れざりし所、屋敷より今晩は是非来るべしと申越しける故、玄関より上りて勝手の方廊下へ行きしに、かの小児例の如く出て、栗原が袖を引き勝手の方に行きしに、勝手の方に何かしめやかに屛風など建てありし故、病人にてもありしやと何心なく通りしに、主人出て、兼ねて不便がりし伜五歳になりしが、疱瘡にて相果てしと語りければ、驚きしのみにもあらず、こはけ立ちしと、直々右栗原語りぬ。

[やぶちゃん注:私の「耳嚢 巻之五 幽靈なきとも難申事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「小児前生を語る」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 小児前生を語る【しょうにぜんしょうをかたる】 〔梅翁随筆巻三〕上総国望陀《まうだ》郡戸崎村に佐兵衛といふ百姓の伜《せがれ》、五歳の時その父母にかたりけるは、我は相模国矢部村六右衛門といふものの子なりしが、七歳の時馬にふまれて死たりといふ。誠《まこと》しからぬ事には思ひしかども、成長の後咄聞かせんと書付け置きしが、その後相模国より出たる廻国のものを一宿させし時、ふとこのことを咄せしに、このもの矢部村近き辺りのものにて、六右衛門も相しれり。その子の馬にふまれて死たるといふ事も聞及びしよし申す。矢部村は三浦郡の内なりとかや。これを聞きて、さては実事にて、父母はじめて驚きしとぞ。かく前生の事をおぼえ知りて、しらする事もあるものにや、いぶかし。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は「○小兒前生を語りし事」。

「上総国望陀郡戸崎村」現在の千葉県君津市戸崎(グーグル・マップ・データ)。

「相模国矢部村」現在の神奈川県横須賀市大矢部(グーグル・マップ・データ)かと思われる。浦賀水道を隔てて戸崎とは、比較娣的近い位置にある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「浄土寺の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 浄土寺の怪【じょうどじのかい】 〔四不語録巻六〕延宝年中の事かとよ。加州に常念仏懈(おこた)らざる寺有り。或夜深更に及びて、一人の僧鳧鐘《ふしよう》[やぶちゃん注:釣り鐘の意もあるが、ここは「念仏に用いる小型の鉦(かね)」のこと。]を扣《たた》き念仏し、うつらくうつら眠り居ける所に、何ものとはしらず、かの僧の面《おもて》をしたゝかに打つ。うたれて大きに驚き、打仰ぎてみれども、そのわたりに何物もみえず。その後毎夜かくする事度々なり。寺中いぶかしく思ひて、夜中念仏申すべきと云ふ僧一人もなし。和尚この事を歎き給ひ、今夜は我一人念仏申し居るべし、かの物来らば何とぞ見届くべしとて、和尚一人他の僧を交へず、念仏を申されたり。かの者を早く招くべきとて、態《わざ》と眠れる真似をして、心中にはいさゝかも油断し給はず。案のごとくかの者来りて、長き手を以て和尚の半首(つぶり)[やぶちゃん注:頭部の中部から上半分。]を扣く、和尚そのまゝかの手を捕へ給へば、手にてはこれなく長き柄杓《ひしやく》なり。かのものそのまゝ柄杓を放し、けらけらと㗛声《わらひごゑ》して、天井の脇に有りし窓より外へ出《いづ》る。その形猿の如くに見ゆ。鳴声も猿なりとて、猿の業《しわざ》なるべしとて、夜の明《あく》るを待ちて、寺中残る所もなく捜し見けるに、後《うしろ》の山陰に大なる猿一疋居《ゐ》たり。そのまゝ捕へ、程とほき山へ放ちければ、その後は何事もなかりけり。

[やぶちゃん注:「四不語録」「家焼くる前兆」で既出既注。写本でしか残っておらず、原本には当たれない。

「延宝」一六七三年から一六八一年まで。

「加州」加賀国。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「小蛇昇天」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 小蛇昇天【しょうだしょうてん】 〔寓意草〕いたこの里に、庄兵衛といふをのこ有けり。その庭に桃の木あり。小《ちひ》さき蛇の、するするとのぼりて、ほそきずはえのたれにのぼりて、枝の裏にをばかりつけて、棹のごとくたちけり。たちまちけぶりはき、風ふきて、いづちいぬらん見えずなりぬ。またけなることなしとなん。これらはみな竜(たつ)の化したるになん。〔四不語録巻三〕寛永の比、豊前国小倉<福岡県北九州市小倉区>の侍、夏のいとあつきに庭に水うたせ、縁に腰を懸け、すゞみ居ける。三間[やぶちゃん注:五・四五メートル。]程向うに竹がき有りしに、一尺ばかりの小蛇するすると登り、中にもすこし高き竹の末に五六寸もあがるよと見れば、するりと落ちまた上り、このたびは蛇の尾竹の末にはづるゝほどに登りて落ち、かくすること四五度に及ぶ時、東西俄かにくらくなり、風雨しきりにして、蛇終《つひ》に竹のすゑより一尺ばかりひらひらとはなれ登ると見えしより、黒雲たちまちおほひ、雨ふり風はげしければ、見るべきやうもなくして、戸を立て内に入る。しばらく有りて雨風止みし時、近隣より使を遣はして、足下の屋敷より只今竜上りぬ、家内別条なきやと問ふ。其後近所の者ども申しけるは、風雨しきりなる時、足下の屋鋪の上に雲おほひしかば、不思議に思ひみる所に、一間余[やぶちゃん注:二メートル弱。]ほどの物ひらひらとあがると見えて、次第に大きになり、地より十間も上れる時は、四五間ほどなりしに、黒雲くだりて巻上げぬと語りぬ。よくあらはれよくかくると古人の云ひけんやうに、いとちひさくなりて隠れ居《をり》、時を待ちてかたちをあらはし天に登ると見えたり。

[やぶちゃん注:「鼬の怪」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの「三十輻」の「第三」(大田覃編・大正六(一九一七)年国書刊行会刊)で活字に起こしたものがここで(右ページ下段最後の譚)視認出来る。

「いたこの里」現在の茨城県南東部潮来市(いたこし)か(グーグル・マップ・データ)。

「四不語録」「家焼くる前兆」で既出既注。写本でしか残っておらず、原本には当たれない。

「寛永」一六二四年から一六四四年まで。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「栗鼠」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    (りす)

 

 

 羽飾りだ! 羽飾りだ! さやう、それに違ひない。だがね、君、そいつはそんなところへ着けるもんぢやないよ。

 

Risu_20231112082001

 

[やぶちゃん注:ボナールの影絵から、広くユーラシア大陸北部に棲息する小型の樹上性昼行性齧歯類と特定してよいだろうから、哺乳綱獣亜綱ネズミ目リス亜目リス科リス属キタリス Sciurus vulgaris としてよい(なお、本邦には知られた北海道固有種であるキタリス亜種エゾリス Sciurus vulgaris orientis がいる)。]

 

 

 

 

L'ÉCUREUIL

 

Du panache ! du panache ! oui, sans doute ; mais, mon petit ami, ce n'est pas là que ça se met.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蚤」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 彈機(ばね)仕掛けの煙草の粉(こな)。

 

Nomi

 

[やぶちゃん注:広く動物に寄生し吸血するそれならば、隠翅(ノミ)目Siphonaptera のノミ類。ボナールの絵のようにヒトからも吸血する種ならば、代表種はヒトノミ Pulex irritans となる。]

 

 

 

 

LA PUCE

 

Un grain de tabac à ressort.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「あぶら蟲」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

     あぶら

 

 

 鍵穴のやうに、黑く、ぺしやんこだ。

 

[やぶちゃん注:節足動物門昆虫綱網翅(ゴキブリ)目 Blattodea のオオゴキブリ上科 Blaberoidea ・ゴキブリ上科 Blattoidea のゴキブリ(アブラムシ)類。当該ウィキによれば、『ゴキブリは全世界に約』四千『種いると言われ、うち日本には』九科二十五属五十種『余りが記録される』。二〇一四年の学術的記載によれば、『約』四千六百『種が記録されている』。『世界に生息するゴキブリの総数は熱帯と亜熱帯の森林を中心に』一兆四千八百五十三億『匹といわれており、日本には』二百三十六『億匹が生息するものと推定されている』。『特に熱帯・亜熱帯域に多いが、世界中に広く分布し、人の手を介して拡散されることも少なくない』とあり、『定説では、ゴキブリが出現したのは、今から約』三『億年前の古生代石炭紀で、「生きている化石」とも言われてきた』、『しかし後の研究では約』二『億』六千『万年前にゴキブリ目とカマキリ目が分岐し、現生ゴキブリ目は約』二『億年前のペルム紀に出現し、その後白亜紀』(一億五千万年~六千六百万年前)『に現在の科が出揃ったことが分かっている』とある。但し、ネットのQ&Aサイトの『フランスやドイツは日本に比べて家住性のゴキブリは少ないですか? 夏に普通に生活していてゴキブリを見つけてしまうということはなかなかありませんか?』という質問に対して、]『ベストアンサー』とされた回答には、『ドイツとフランスの中部以北ではまず見ることはありません(中華系の飲食店の厨房などでごくたまにいるという話を聞いたことがあります。北海道も同じです)』。『ただフランスは、地中海沿岸は温暖なのでゴキブリはいます。特にアフリカの移民が多いせいか、アフリカ原産の巨大なゴキブリの話をよく聞きます。移民の方々は衛生状態も良くないところに住んでいることが多いのと、物資の行き来が多いので、船や荷物に紛れて入り込むのだと思います』とあった。ルナールは拠点としたパリ以外では、概ねフランス中部より有意に南には長期滞在はしていないので、巨大なオオゴキブリの類を見ることは少なかったであろうという推定は可能であろうから、概ね、サイズは我々日本人の見るサイズとしてよいように思われる。なお、ボナールの挿絵はない。まあ、個人的には見たくはない。なお、本篇は、二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがある。但し、岸田氏の戦後の訳では、標題が『蜚虫(あぶらむし)』という表記になっている。]

 

 

 

 

LE CAFARD

 

Noir et collé comme un trou de serrure.

 

2023/11/11

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「城主の幽霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 城主の幽霊【じょうしゅのゆうれい】 〔煙霞綺談巻二〕慶長年間、ある城主千沢(ちざは)某死して後、その妻に執心こそ残りつらめ、夜毎に来りて枕をならべ、閨中《けいちゆう》現在の時にかはることなし。度かさなりければ、乳母《めのと》の女房これを聞きとがめ、不審に思ひければ、憚らず尋ねけるに、かの後室隠さずのたまひけるは、さればとよ、千沢殿比日(このごろ)夜《よ》がれせず[やぶちゃん注:夜来ないことが一度もなく。]吾を訪ひ給ふなり、この世におはせぬ人とは思ひけれども、つゆばかり恐懼《きやうく》する事もなくして、益〻《ますます》御いとをしみ深き思ひなりと語りける。ほどなく身ごもりたまひける。乳母の女房或夜千沢幽霊にむかひて申しけるは、殿様はかくあさましき御心にて、御執著のふかくおはしませば、奥様の御名も立ち、御導師も疎(おろ)そかにあるゆゑなどと人のさたし申さんも、偏《ひとへ》に君《くん》の御心からなさしめたまふ所なりと、かきくどき申しければ、千沢答へていはく、その儀汝が申す所至極せり、さりながら我娑婆にありしときより、一子のなかりし事をのみ朝暮《てうぼ》念じわびしが、その執心のつみふかくして、なほも止む事を得ず、今かくのごとしと懺悔(ざんげ)[やぶちゃん注:ママ。原活字本もママ。しかし、「ざんげ」の読みは、明治のキリスト教の拡大に伴ってからの読みであり、「さんげ」が正しい。]したまひしが、本意《ほい》のごとく玉のやうなる男子を出生あり。それより後には執著の念絶えし故にや、かの幽霊二度来らず。実《じつ》に希代の珍事なり。その後かの後室は、高木何がしへ嫁しければ、高木迎へとりて養育し、成人の後千沢の家督を相続させけるとぞ。

[やぶちゃん注:「煙霞綺談」「池の満干」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』卷二(昭和二(一九二七)年日本隨筆大成刊行会刊)のここ(左ページ最終行)で正字で視認出来る。「目錄」を見ると、『○千澤の幽靈一子生ず』である。

「慶長」一五九六年から一六一五年まで。慶長八(一六〇三)年二月十二日に徳川家康が征夷大将軍に任ぜられ、江戸幕府開府。

「ある城主千沢(ちざは)某」凡て不詳。

「高木何がし」不詳。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「上酒有りの貼紙」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 上酒有りの貼紙【じょうしゅありのはりがみ】 〔遊京漫録巻二〕四月はじめつ方より、京におしなべて、上酒有りといふ三字を紙のはしに書きて、門《かど》ごとにおしはることあり。たがいひ出《い》でしともなく、せまりたる[やぶちゃん注:困窮した。]あやしのうばが、酒売り歩行《あり》くことあるべし。もし其酒を買はゞ必ず悪しき病《やまひ》をわづらはん。よしかはずとも、門にいたらば悪しかりなまし。さるからに、上酒有りと書きておしはりおけば、酒売るうば来ずといふ。やんごとなきみつばよつばののきば[やぶちゃん注:幾重にも宮殿が連なる貴顕の屋敷。]より、賤《しづ》がふせやにいたるまで、門といふ門に、此三字[やぶちゃん注:「上酒有」。]かきておしはらぬなし。折しも、江門《えど》の太田博士《おほたはかせ》、都にのぼり来てをられしが、門におしはらせたるは、

 有ㇾ酒如ㇾ池

 有ㇾ肉如ㇾ坡

 謹謝妖婆

 勿ㇾ過我家

 後に聞けば、難波《なには》よりいひつたへ来しなりとぞ。難波にては、そのうば来る家には、もがさ<疱瘡>をやむといひのゝしりて、門ごとに赤き紙にしか書きて出だせりとぞ。それを伝へあやまりて、たゞにえやみの事と思ひて、白紙には書き伝へしなりとぞ。もとよりあとなしごと[やぶちゃん注:「跡無事」。根拠のない話。流言飛語。]は、心とむべきことならねど、何事をたねとして、かゝる言葉をばいひ散らしけん。誘はれやすき人ごころ、かばかりはかなきものは、なかりけりかし。<『きゝのまにまに』文政三年の条に同じ記載がある>

[やぶちゃん注:漢詩部分は底本では二字空け二句で二行だが、返り点で不具合が生ずるので、一句一行で示した。「遊京漫録」は医師で歌人・国学者でもあった清水浜臣(はまおみ 安永五(一七七六)年~文政七(一八二四)年)の文政二(一九一九)年二月から九月初旬に行った京阪・奈良・伊勢などを巡った際の紀行。文政三(一八二〇)年成立。国立国会図書館デジタルコレクションの「閑田耕筆 年々隨筆 遊京漫錄 花月草紙」(有朋堂文庫・昭和二(一九二七)年有朋堂書店刊)のここで正字で視認出来る。標題は『○酒賣(さけう)る媼(おうな)』。戯漢詩を上記活字本で訓読しておく。

 酒 有り 池(いけ)のごとく

 肉 有り 坡(つつみ)のごとし

 謹(つつし)んで妖婆に謝(しや)す

 我が家を過(す)ぐる勿(なか)れ

「太田博士」最後にある「きゝのまにまに」で、この『太田といへるは才助錦城にや』とある。これは儒学者大田錦城(おおたきんじょう 明和二(一七六五)年~文政八(一八二五)年)のことである。彼は通称を「才佐」と言い、時に姓は「太田」とも表記される。

「四月」前注から文政二年四月と知れる。

「赤い紙」古くより「赤」には「魔よけ」の呪力があると考えられてきた。疱瘡神も、「赤い物を苦手とする」という伝承があったことから、子どもに赤い着物を着せたり、布団や身の回りの小物も赤い物尽しとする風習があり、赤い紙を門や戸に貼る習慣も広くあった。

「きゝのまにまに」「聞きの間に間に」の意で、風俗百科事典とも言うべき「嬉遊笑覧」で知られる喜多村信節(のぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の雑記随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『未刊隨筆百種』第十一(三田村鳶魚・校訂/随筆同好会編/昭和三(一九二八)年米山堂刊)のこちらで正字で視認出来る。但し、確かにそれは文政三年の条の記載であるが、その後半部分には、『江戶には文政元年三月頃、醴《あまざけ》をうる老婆ありく、是にあへば疫《えやみ》をやむといへりき、異同はあれ共、是より轉傳したりと見ゆ』とあり、流石に博覧強記のオリジナリティが垣間見える。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蟻」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

      

 

 

 一匹一匹が、3という數字に似てゐる。

 それも、ゐること、ゐること!

 どれくらいかといふと、333333333333……ああ、きりがない。

 

 

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      蟻と鷓鴣(しやこ)の子

 

 一匹の蟻が、雨上りの轍の中に落ち込んで、溺れかけてゐた。その時、恰度水を飮んでゐた一羽の鷓鴣の子が、それを嘴で挾んで、命を助けてやつた。

 「この御恩はきつと返します」と、蟻が云つた。

 「僕たちはもうラ・フォンテエヌの時代に住んでるんぢやないからね」と、懷疑主義者の鷓鴣の子が云ふ。「勿論、君が恩知らずだつていふんぢやないよ。だけど僕を擊ち殺さうとしてる獵師の踵に、いつたいどうして喰ひつくつもりだい。今時の獵師は、跣足ぢや步かないぜ」[やぶちゃん注:「踵」戦後版では、『かかと』とルビする。]

 蟻は、餘計な議論はせず、そのまま急いで自分の仲間に追ひついた。仲間は、一列に並べた黑い眞珠のやうに、同じ道をぞろぞろ步いてゐた。

 ところが、獵師は遠くにゐなかつた。

 彼は、恰度、一本の木の蔭に、橫向きになつて寢てゐた。すると、件の鷓鴣の子が、れんげ畑を橫切りながら、ちよこちよこ、餌を拾つてゐるのが眼についた。彼は起ち上つて、擊たうとした。ところが、右の腕が痺れて、「蟻が這つてゐるやうに」むづむづする。鐵砲を構へることができない。腕はまたぐつたり垂れ、そして鷓鴣の子はその痺れがなほるまで待つてゐない。

 

[やぶちゃん注:底本では「二」の文の途中に、明石哲三氏の蟻の墨絵と思われる味わいのある挿絵が入っている。膜翅(ハチ)目有剣ハチ下目アリ上科アリ科 Formicidae のアリ類と、「鷓鴣」鳥綱キジ目キジ亜目キジ科キジ亜科 Phasianinae の内、「シャコ」と名を持つ属種群を指す。特にフランス料理のジビエ料理でマガモと並んで知られる、イワシャコ属アカアシイワシャコ Alectoris rufa に同定しても構わないだろう。本篇でも多出し、ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』や、『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』でも取り上げられることが多い、ルナールに親しい鳥である。

 「一」は私が本“ Histoires Naturelles ”中、最も偏愛するアフォリズムである。ボナールの絵と相俟って、「無量大数」の眩暈が、読者を魅了する。但し、これは二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがある。

 また、この「二」のパートは、原作“ Histoires Naturelles ”では、一九〇四年版で採録されたものの、一九〇九年版では削除されている(一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』の第五巻の佃裕文訳「博物誌」の後注に拠った)。ルナールはあまりに寓話臭が強過ぎるので、後年、気に入らなくなってしまったものかも知れない。私自身、ちょっと本書の中では、違和感を感ずるものではある。

「ラ・フォンテエヌ」十七世紀のフランスの詩人ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ(Jean de la Fontaine 一六二一年~一六九五年)。「イソップ寓話」を元にした「寓話詩」( Fables :一六六八年刊)で知られる(有名なものに「北風と太陽」「金のタマゴを産む牝鶏」などがある)。辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、注があり、その『『寓話詩』のなかに、おぼれかかったありを救ったはとを、ありがあとですくって恩返しをする話がある(二の一二)』とある。

「蟻が這つてゐるやうに」同じく辻氏の注に、『フランス語の「(からだのある部分に)ありがいる」という表現は、その部分がありが走っているみたいにちくちくするという意味。したがって、ここでは、実際にありが刺したわけではなく、「あり」という言葉を使った』洒落であると、されておられる。しかし、どうだろう? 獵師は木蔭で、地面に横になって寝ていた。季節は春か夏、彼は袖裾を巻き上げていたであろう。この話を読んだ少年少女たちは、きっと、十人が十人、「やっぱり、蟻さんは、ちゃんと辛気臭い頭でっかちの鷓鴣さんを助けたんだよ!」と、口をそろえて声を挙げると思う。]

 

 

 

 

LES FOURMIS

 

I

 

Chacune d'elles ressemble au chiffre 3.

Et il y en a ! il y en a !

Il y en a 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3 3... jusqu'à l'infini.

 

II

 

La fourmi et le perdreau

 

Une fourmi tombe dans une ornière où il a plu et elle va se noyer, quand un perdreau, qui buvait, la pince du bec et la sauve.

- Je vous la revaudrai, dit la fourmi.

- Nous ne sommes plus, répond le perdreau sceptique, au temps de La Fontaine. Non que je doute de votre gratitude, mais comment piqueriez-vous au talon le chasseur prêt à me tuer ! Les chasseurs aujourd'hui ne marchent point pieds nus.

La fourmi ne perd pas sa peine à discuter et elle se hâte de rejoindre ses soeurs qui suivent toutes le même chemin, semblables à des perles noires qu'on enfile.

Or, le chasseur n'est pas loin.

Il se reposait, sur le flanc, à l'ombre d'un arbre. Il aperçoit le perdreau piétant et picotant à travers le chaume. Il se dresse et veut tirer, mais il a des fourmis dans le bras droit. Il ne peut lever son arme. Le bras retombe inerte et le perdreau n'attend pas qu'il se dégourdisse.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「螢」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 いつたい、何事があるんだらう? もう夜の九時、それにあそこの家(うち)では、まだ明りがついてゐる。

 

[やぶちゃん注:昆虫綱 鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コメツキムシ下目ホタル上科ホタル科 Lampyridae 。フランスで一般的なものは、ホタル科マドボタル亜科 Lampyrini 族 Lampyris 属 Lampyris noctiluca である。一般に「土蛍」(つちぼたる)と呼ぶ、ホタル科の昆虫の幼虫、又は、翅(はね)が退化した♀成虫で、地表にいて、光るものを指す。本邦ではマドボタル亜科 Lampyrinae に属するマドボタル属 Pyrocoelia の幼虫と♀がこれに相当するが、海外では、種類が、かなり多い。なお、本篇は、本篇は二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題同文のものがある。ボナールの挿絵はない。]

 

 

 

 

LE VER LUISANT

 

Que se passe-t-il ? Neuf heures du soir et il y a encore de la lumière chez lui.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「ばつた」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    ばつた

 

 

 こいつは蟲の世界の憲兵といふところか?

 一日ぢゆう跳び廻つては、影なき密獵者の搜索に躍起になつてゐるが、それがどうしてもつかまらない。

 どんなに高く伸びた草も、彼の行動を遮ることははできない。

 彼は何ものも恐れない。彼には七里ひと跳びの長靴があり、牡牛のやうな頸、天才的な額、船の龍骨のような腹があり、セルロイドの翅(はね)と惡鬼のような角があり、そして後ろには大きな軍刀を吊してゐる。

 憲兵として立派な働きをするやうな人間には、必ずまたいろんな惡癖があるものだが、打明けたところ、ばつたは嚙み煙草をやるのである。

 噓だと思ふなら、指で追ひ駈けてみ給へ。彼を相手に鬼ごつこをやり、そして跳ねる隙を狙つて、うまく苜蓿の葉の上でつかまへたら、その口をよく見てみ給へ。恐ろしい格好をした吻(くち)の先から、煙草の嚙み汁のような黑い泡を滲ませる。[やぶちゃん注:「苜蓿」「うまごやし」。]

 然し、さう云つてゐる間に、もう彼をつかまへてゐられなくなる。彼は死にもの狂ひになつて跳ね出さうとする。綠色の怪物は、急に激しく身をもがいて君の手を摺り拔け、脆い、取り外し自在のからだが、可憐な腿(もも)を一本、君の手の中に殘して行く。

 

Batuta

 

[やぶちゃん注:叙述内容は、例えば本邦の昆虫綱直翅(バッタ)目雑弁(バッタ)亜目バッタ科トノサマバッタ属トノサマバッタ Locusta migratoria を髣髴させるが(同種はフランスにも棲息する)、底本のボナールの挿絵を見ると、これはもう、イナゴ(バッタ科 Acrididae の内、イナゴ亜科 Oxyinae などに属する種の総称。狭義にはイナゴ属 Oxya にのようにも見受けられる。標題の“SAUTERELLE”は、辞書では「バッタ・イナゴ」で出るので以上二比定で留めておく。但し、臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻所収の佃裕文訳「博物誌」の標題訳は、ズバり、『きりぎりす』となっている。しかし、前の「蟋蟀(きりぎりす)」の注で述べた通り、フランスに棲息するキリギリスは、我々が普通に知っている本邦産のキリギリスとは似ていない、キリギリス亜科 Ephippiger  Ephippiger ephippiger という種のようである。フランス語の当該種のページを参照されたい。

「七里ひと跳びの長靴」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、注があり、『フランスの文学者ペロー』(Charles Perrault 一六二八年~一七〇三年)『の『童話』(「親指小僧」)の中に出てくる、ひと足で二十八キロメートル(約七里)進める靴』とある。所持する訳本によれば、「人食い鬼」が逃げた「親指小僧」を探して捕まえるためのアイテムとして登場する。

「鬼ごつこ」前掲書で辻氏は『陣取りごっこ』と訳され、注して、『四角いところの四すみに陣取った四人が、陣を交換しようとして走っているあいだに、まん中にいるもうひとりが、急いであいている陣をとるあそび。』とある。

「恐ろしい格好をした吻(くち)の先」ペンチのような大顎を指す。大型のバッタ類の場合、噛まれると、かなり痛い。出血に及ぶこともある。私も少年期に体験した。]

 

 

 

 

LA SAUTERELLE

 

Serait-ce le gendarme des insectes ?

Tout le jour, elle saute et s'acharne aux trousses d'invisibles braconniers qu'elle n'attrape jamais.

Les plus hautes herbes ne l'arrêtent pas.

Rien ne lui fait peur, car elle a des bottes de sept lieues, un cou de taureau, le front génial, le ventre d'une carène, des ailes en Celluloïd, des cornes diaboliques et un grand sabre au derrière.

Comme on ne peut avoir les vertus d'un gendarme sans les vices, il faut bien le dire, la sauterelle chique.

Si je mens, poursuis-la de tes doigts, joue avec elle à quatre coins, et quand tu l'auras saisie, entre deux bonds, sur une feuille de luzerne, observe sa bouche :

par ses terribles mandibules, elle sécrète une mousse noire comme du jus de tabac.

Mais déjà tu ne la tiens plus. Sa rage de sauter la reprend. Le monstre vert t'échappe d'un brusque effort et, fragile, démontable, te laisse une petite cuisse dans la main.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蟋蟀」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    (きりぎりす)

 

 

 この時刻になると、步きくたびれて、黑んぼの蟲は散步から歸つて來、自分の屋敷の取散らかされてゐる所を念入りに片附ける。

 彼は先づ狹い砂の道を綺麗にならす。

 鋸屑をこしらえて、それを隱れ家(が)の入口のところに撒く。

 どうも邪魔になるそこの大きな草の根を鑢(やすり)で削る。

 ひと息つく。

 それから、例のちつぽけな懷中時計を出して、ねぢを卷く。

 すつかり片附いたのか、それとも時計が毀れたのか、彼はまたしばらくぢつと休んでゐる。

 彼は家の中へはいつて戶を閉める。

 永い間、手のこんだ錠前へ鍵を突つこんでみる。

 それから、耳を澄す――

 外には、なんの氣配もない。

 然し、彼はまだ安心できないらしい。

 で、滑車の軋む鎖で、地の底へ降りる。

 あとはなんにも聞えない。

 靜まり返つた野原には、ポプラの並木が指のやうに空に聳えて、ぢつと月の方を指さしてゐる。

 

Koorogi

 

[やぶちゃん注:岸田の戦後版では「蟋蟀」には「こおろぎ」と振られている。ルナールの述べている対象も、ボナールの描いているのも、明らかに「蟋蟀(シッシュ/こおろぎ)」である。則ち、昆虫綱直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科コオロギ亜科 Gryllinae で止めるまでもなく、鳴き声とボナールの絵からは、西ヨーロッパに広く棲息する、フタホシコオロギ属ヨーロッパクロコオロギ Gryllus campestris と同定したい。概要は同種のフランス語のウィキを見られたい。音声ファイルもある。

 問題は、岸田の「きりぎりす」のルビである。結論から言うと、戦前の作家は十把一絡げで「きりぎりす」と「こほろぎ」は近代まで相互に入れ変わって呼ばれていたと多くの学者・作家、大衆の中の自称「知識人」の殆んどは、それを鵜呑みにしていた。岸田もそれに洩れなかったのである。これは、私が甚だ拘る問題対象で、かなりの電子化注で従来の定説(近代以前の本邦ではキリギリス(剣弁亜目キリギリス下目キリギリス上科キリギリス科キリギリス亜科キリギリス属 Gampsocleis :現在は少なくとも日本には四種が棲息する)とコオロギが相互に入れ替わっていたというまことしやかな国文学者の脳の皺のない非科学的妄説)の問題を取り上げて批判してきた。決定版は「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蟋蟀(こほろぎ)」にブチ挙げた私の注の長いマニアックな考証である(よく見られたい。「近世以前はコオロギとキリギリスは名が逆転していた」という国文学者は「和漢三才圖會」さえろくに検証していないことがバレるのだ。寺島良安はちゃんと「蟋蟀」の漢字の読みに「こほろぎ」と振っているのだ! 江戸時代初期にはちゃんと正しく「こほろぎ」と読んでコオロギに同定しているのだ!)そもそも、これは、大多数の日本国民は、芥川龍之介の「羅生門」の冒頭の第四文(第二段落内)の、

   *

唯、所々丹塗(にぬり)の剝げた、大きな圓柱(まるばしら)に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまつてゐる。

   *

であり、羅生門下の第一シークエンスの終り(第八段落末尾。次の段落で楼上へと通ずる梯子を見出す)では、

   *

丹塗の柱にとまつてゐた蟋蟀(きりぎりす)も、もうどこかへ行つてしまつた。

   *

とある部分で、鬼の首を取ったような教科書注で『今のコオロギの古名』なんどとやらかして、戦中の絶対主義国家教科書よろしく伝家の宝刀として偉そうに定説として掲げていた(多分、現在もそうだろう)。しかし、私はこのシークエンスの虫を「コオロギ」とするのは、あり得ない虚妄、致命的大勘違いであると断言する。詳しくはリンク先を見られたいのだが、要は、私は「羅生門」の好きなシーンを四クラスの総ての生徒に自由に思った通りにコンテを描かせたのである。その際、敢えて「教科書の注を無視してよい。」と告げた。すると、冒頭を選んだ生徒が、かなり、いた。ところが、『唯、所々丹塗の剝げた、大きな圓柱に、蟋蟀(きりぎりす)が一匹とまつてゐる』のに対して、コオロギを描く者と、キリギリスを描く者が出てきたのである。それを見て、私は、考えた。

①コオロギでは丸柱にはとまりにくかろう。いるなら、丸柱の根である。とまれるのはキリギリスである。

②カメラが丸柱の下に寄ったとしてもエンマコオロギでは体色から絵にならない。絵になるのはモノクロームの画面に一点彩色のキリギリスに若(し)くはない。

③柱にとまっているという描写、それがいなくなるという描写、というのは時間経過を示すための小道具であるが、それを認知出来るのは、聴覚的な虫の鳴き声よりも(それは無論あってもよい)、緑色の体色によって初めて際だって成功する。

であった。この確信は今も変わらない。なお、私の『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信訳) / 「五」の「ハタオリムシ」・「うまおひ」・「キリギリス」』も見られたい。そこで私は小泉八雲が鳴き声を致命的に誤認していることに気づいて、迂遠な考証をブチ挙げている。そこでも便宜上、「蟋蟀(きりぎりす)」問題も掲げてある。因みに、昆虫嫌いの私は、例外的に小さな頃からコオロギを偏愛している。しかし、キリギリスは、その頭部を暫く見ている内、気持ちが悪くなるを常としている。なお、一応、言っておくと、フランスに棲息するキリギリスは、我々が普通に知っているキリギリスとは似ていない、キリギリス亜科 Ephippiger Ephippiger ephippiger という種のようである。フランス語の当該種のページを参照されたい。

 辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、注があり、『この章でルナールはこおろぎの鳴き声をいろいろに表現しようとして、こおろぎに六つの動作をやらせている。ここでは、生態もある程度描かれているが、それよりも音が問題なのである。』と述べておられる。]

 

 

 

 

LE GRILLON

 

C'est l'heure où, las d'errer, l'insecte nègre revient de promenade et répare avec soin le désordre de son domaine.

D'abord il ratisse ses étroites allées de sable.

Il fait du bran de scie qu'il écarte au seuil de sa retraite.

Il lime la racine de cette grande herbe propre à le harceler.

Il se repose.

Puis il remonte sa minuscule montre.

A-t-il fini ? Est-elle cassée ? Il se repose encore un peu.

Il rentre chez lui et ferme sa porte.

Longtemps il tourne sa clé dans la serrure délicate.

Et il écoute :

Point d'alarme dehors.

Mais il ne se trouve pas en sûreté.

Et comme par une chaînette dont la poulie grince, il descend jusqu'au fond de la terre.

On n'entend plus rien.

Dans la campagne muette, les peupliers se dressent comme des doigts en l'air et désignent la lune.

 

2023/11/10

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「鉦鼓が淵」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 鉦鼓が淵【しょうごがふち】 〔北国奇談巡杖記巻一〕おなじく<加州>茶臼山《ちやうすやま》のほとりに、貝《かひ》やき渓《だに》とて、としどし貝の灰《はひ》をこしらふ。その上に囲《わた》り二丁[やぶちゃん注:約二百十八メートル。]あまりの深池《しんち》あり。濁水《ぢよくすい》をたゝへ、草繁茂したる古境《こきやう》なるが、毎夜《まいや》々々初夜過ぎ[やぶちゃん注:午後八時頃。]より、丑みつ<午前二時>過《すぐ》るころまでも、鉦鼓《しやうご》を叩き、池の汀《みぎは》をめぐる音せり。里人等《さとひとら》あやしみのぼりて求むるに、何等の人も見えず。しばしばくだりて聞くに、またもとのごとく、鉦鼓うちならしめぐる声のありありと聞ゆ。この故は往昔《むかし》のことにてありけん。山隣《やまとなり》に《はせさん》観音院とて、真言古義の密閣あり。十一面の尊像ましくける。この堂守に大円とかやいへる老沙門ありしが、生前《しやうぜん》毎夜々々、この山々を廻順《くわいじゆん》し奉り、大悲の称号を修《しゆ》せられけるに、山賊ども、この僧の衣服を剝ぎ、法施《ほふせ》をうばひとりて、死骸をこの池に沈めけるとなん。されば殊勝の僧にして、賊徒に身をまかせ、則ち即害水定《そくがいすいぢやう》の念をいたし、この願望《ぐわんまう》を果さずんば、生々世々《しやうじやうせゝ》怠るまじとて、命《いのち》終られけるとぞ。今にその執願《しふぐわん》のこりけるが、かゝる奇特《きどく》をなしけるぞ、いとあはれなることにこそ侍れ。

[やぶちゃん注:「北国奇談巡杖記」加賀の俳人鳥翠台北茎(ちょうすいだい ほっけい)著になる越前から越後を対象とした紀行見聞集。かの伴蒿蹊が序と校閲も担当しており、文化三(一八〇六)年十一月の書肆の跋がある(刊行は翌年)。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第九巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで、正字活字で読める。標題は『鉦鼓』(しやうご)『が淵』(ふち)。但し、お薦めは、「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」の原版本のここからである。読みが添えられてあるからである。以上の読みも、一部は、それを参考に正しい歴史的仮名遣で振った。

「同じく」とあるが、実は、これ、先行する『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「九人橋」』の次の話なのである。

「茶臼山」現在の石川県かほく市鉢伏にある「茶臼山城跡」(グーグル・マップ・データ)がそれ。試みに「ひなたGPS」で見たところ、茶臼山ピークの東北に小さな池が、また、西南の山麓近くにも、もっと小さなものがある。前者か。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蜻蛉」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

     (とんぼ)

 

 

 彼女は眼病の養生をしてゐる。

 川べりを、あつちの岸へ行つたり、こつちの岸へ來たり、そして腫(は)れ上がつた眼を水で冷やしてばかりゐる。

 じいじい音を立てて、まるで電氣仕掛けで飛んでゐるやうだ。

 

Tonbo

 

[やぶちゃん注:本文とボナールの絵から、昆虫綱蜻蛉(トンボ)目不均翅亜目トンボ下目 Epiprocta まで絞ってよいだろう。何故か知らんが、私は小学生の高学年の時、図書室でこれを読み、何故か、すっかり気に入ってしまい、秋、独りで、田圃の畦道を歩きつつ、実際の蜻蛉らを眺めながら、声に出して暗誦していたのを思い出すのである。]

 

 

 

 

LA DEMOISELLE

 

Elle soigne son ophtalmie.

D'un bord à l'autre de la rivière, elle ne fait que tremper dans l'eau fraîche ses yeux gonflés.

Et elle grésille, comme si elle volait à l'électricité.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「小蜂」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

   

 

 

 いくらなんでも、それでは自慢の腰つきが臺なしになる。

 

Kobati

 

[やぶちゃん注:昆虫綱膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目コバチ上科 Chalcidoidea というグループを形成する寄生蜂の一群が存在するが、これは数ミリメートルから一ミリメートル以下の極めて小型の種群である。原文の標題の“La Guêpe”は英語の“wasp”に相當するもので、これはベッコウバチ(クモバチ)科 Pompilidae ・アナバチ科 Sphecidae ・セナガアナバチ科 Ampulicidae ・スズメバチ科 Vespidae などの大形のハチ類の総称であり、コルセットをした女性の比喩という叙述内容の推定からも、「小蜂」という譯語は不適切と言わざるを得ない。臨川書店刊ジュール・ルナール全集第五巻所収の佃裕文訳「博物誌」では、標題を『すずめ蜂』と訳している。しかし乍ら、スズメバチでは、挿絵のようなフルーツと思われるようなものに群がることは、ちょっと考え難い上に(彼らは基本は肉食である。但し、開けられたジュースなどにも潜り込むからあり得ないわけではない)、形状もスズメバチには私には見えないし、スズメバチ類が食卓に飛来したら、こんな落ち着き払ったユーモアを口にする余裕はない。通常、人を刺さないアナバチ科ジガバチ亜科は、この「自慢の腰つき」のフォルムとの親和性が高いが、彼らは、所謂、「狩バチ」の典型的種群であって、やはり、このように食卓に「群れる」ことはないと思われるから(但し、通常時には花の蜜を吸うようだから、あり得ないわけではない)、同定は膜翅目 Hymenoptera で留めておくしかないかとも思われる。但し、個人的には、最もスマートで、腹部前半分が赤茶色の素敵な色をした、あの細腰亜目アナバチ科ジガバチ亜科ジガバチ族ジガバチ属サトジガバチ(ヤマジガバチ・ジガバチ)Ammophila sabulosa を掲げておきたい気持ちは、私には、あるのである。しかも同種はフランスに広く棲息しているのである。但し、一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻所収の佃裕文訳「博物誌」の後注によれば、『「彼女はすずめ蜂のような(細くくびれた)腰をしてる」というのは当時のコルセット使用の時代には広く行われた表現であった』とあるからには、やっぱり、細腰亜目スズメバチ上科スズメバチ科スズメバチ亜科 Vespinae のホオナガスズメバチ属 Dolichovespula ・ヤミスズメバチ属 Provespa ・スズメバチ属 Vespa ・クロスズメバチ属 Vespula を挙げざるを得ないか。

 辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、本文全体に対して注があり、『女が男から男へとびまわっていると、子供ができて、ウエストが太くなってしまうぞ、ということをにおわせている。』とあった。眼からウエスト!]

 

 

 

 

LA GUEPE

 

Elle finira pourtant par s'abîmer la taille !

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「春夢仙遊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 春夢仙遊【しゅんむせんゅう】 〔黒甜瑣語一編ノ四〕我藩の一郎生《せい》某は聞えし董賢《とうけん》・潘岳《はんがく》が風韵《ふういん》[やぶちゃん注:風流な趣き。]をかねたり。一年、君《くん》に従ひて東都に祗役《しえき》す[やぶちゃん注:君主の命令で赴いた。]。この都は古《いにしへ》より綿面萍腸《めんめんへうちやう》[やぶちゃん注:よく判らんが、「絶えることなく、長く栄えて盛んに続くこと。」の意であろう。]の郷と称せり。叡岳(うへの)の花、墨水《すみだかは》の舟、人情を勾引して春風のごとし。生この境《きやう》に入りてより、日として遨遊《がういう》[やぶちゃん注:遊ぶこと。]せざるはなし。或日両国橋<東京都墨田区内>辺の憩亭《ちやや》に遊びしに、亭の主人生《せい》を人なき所に招きて低声《ひきごゑ》に云へるは、僕(やつがれ)が知れる侯門に一娘子《いちぢやうし》のはべる、深窻《しんさう》に成長して清春二八[やぶちゃん注:青い美空の十六歳。]、生れ得て韵度妖嬈《いんどやうでう》[やぶちゃん注:風雅に富み、艶かしく美しいこと。]なり。君を金竜山[やぶちゃん注:浅草寺の山号。]の麓に見しより、風彩に懸想して恋慕の情止むべからず。傅母僕《かしつぎ》[やぶちゃん注:乳母。]に命じて針児(はりくち)の線(いと)を曳かしむ、君唯諾《ゆいだく》せば僕《ぼく》[やぶちゃん注:亭の主人の謙遜語。]幇襯(とりもち)をなして、一窠《ひとむれ》の錦世界《はなのせかい》に遊ばしめんと云ふ。生聞きて神魂既に飛ぶ遽爾《きょじ》として[やぶちゃん注:不意に。]許諾す。其時主人一つの古櫃《ふるびつ》を出《いだ》して、生にこの中に隠れよと云ふ。生少しく疑惑の想ひをなして、若し不慮の事あらばいかんすべき。主人笑つて、君は鴛鴦債中《ゑんあうせきちゆう》の粋俊《すいしゆん》、これより危き事もなしつらん、不慮の事あらば他日我命を以て君に贖《あがな》はんと、空《そら》だのみなる一言《ひとこと》に、生は莞爾《にこ》と笑ひ、意を決して櫃中に入る。主人家の一管家(おもてだい)[やぶちゃん注:筆頭の手代。]なる者に委しく分附(いひつけ)して、二人の担夫《たんぷ》にこの櫃を昇《か》かせ、きびしく扁鎖して送り出す。担九途を急く事迅速飛ぶがごとし。橋を過《すぐ》る時あり、阪に上る時あり、前竿(まへかた)相呼《あひよ》び、後竿(うしろかた)これに応じ、勉強して走る。生櫃中に屛息《へいそく》[やぶちゃん注:凝っと静かにしていること。]して考へ量るに、凡そ三時[やぶちゃん注:約六時間。]ばかりもやあるらん。侯家邸第の辺《ほとり》にや、関門の側《かたはら》を過るに、忽ち誰呵《すいか》の声を聞く。管家前(すす)みて呸々(へいへい)慇懃すれども、関吏聞かず、櫃を開きて査点(ぎんみ)すべしと云ふ。管家の云く、僕は両国橋辺の漆匠家(うるしや)、今邸第の内家叢(だいかそう)より誂らへられし家具を収むる者なり、嚮《むかひ》には曲房(おく)の幹吏(やくにん)来られ、厳しく鎖を封ぜられ、鑰匙(かぎ)は腰にして帰られはべると答ふ。関吏極めて曲房の吏を怖る。故に允(ゆる)して通しけり。生櫃中に在《あり》て殆ど生気なし。百悔《ひやくくわい》臍《へそ》を噬《か》む。端なく曲房の東廂《ひがしびさし》に至れば、女伴《ぢよはん》数多《あまた》ありてこれを接す。一老女の声として管家に叮嚀に返命しければ、管家担夫を連れて帰る。女伴この櫃を挙げて遙かの閑所に至り、席上にすゑ置きしやうなるが、女伴も亦悉く去れり。後は少しも人声跫音なく、幽寂として深山に夜《よる》坐して在るがごとし。日の暮るゝや、夜も明けしや、幾時の更漏を移せしや、知らずなりけり。時に廡廊《ぶらう》[やぶちゃん注:主な建物を、囲み廻らす回廊。]の方、剝啄《はくたく》の声[やぶちゃん注:戸などを叩く音。]を聞く。忽ち爰に来る。生思ふに今や好消息(よすが)ならんかと。来りし者鎖を解きて蓋を少しく揚げ、一の紙裹(かみづつみ)をなげこみ、また鎖を扃《とざ》してはしり去る。これを索(さぐ)れば温煖甘味の気紙上に透《とほ》れり。生午《ひる》より少しも点心せざれば、腹中の空如(へり)いはん方なし。依てこれを喰ふに、今蒸《む》せしと覚ゆる豆沙糕(やうかん)、炒米糕(らくがん)、片纒麪堛(みとりせんへい)、その佗《た》環餅(けんぴ)、捻頭(ぼうる)、浮石糖(かるめいら)の類《たぐひ》なり。ますます殿中沈々《しんしん》として人音なし。暫くありて廡廊の方ざわざわの声を聞く。人来て鎖に鑰(かぎ)して生を出《いだ》す。これを見れば一老女打扮(いでたち)整斉にして、引燈(ぼんぼり)を携へ至れり。女伴多く明り障子の外にあり。紙を鑽《き》り穴《あな》して、生が風彩を見て絮々喃々、その舌雀《すずめ》のごとし。老女慇懃に午よりの状を慰《い》し、御寮人《ごれうにん》遅(また)せ給ふ事久し、老婦に尾(したが)ひて来らるべしと、また一層深邃の所に至る。雲母の屛、水晶の窗《まど》、沈檀《ぢんだん》[やぶちゃん注:沈香と白檀。]四囲に薫ず。老女簾内に向ひて声を伝へ、生をかしこに推しやる。<略>時に外面《そとも》老女の声として、既に黎明に及べり、重会を約して牽牛《ひこぼし》を送り還すべし。二人これを聞て恍惚として失する所あるがごとし。一つの袱裒(ふくさ)を別に贐(はなむけ)す。老女生を引てはじめの席へ至り、懇ろに附属して再び櫃中へ匿し扃鎖《とざ》[やぶちゃん注:二字に対して。]して、女伴これを東廂に持出せば、管家担夫既に在りてこれを接す。老女関門の符券(きつて)をわたす。管家これを関吏に見せ、それより途《みち》を急ぐ事きのふに倍し、ほどなく憩亭へ至り、直《ただち》に奥の間へ舁く。主人櫃を明くれば、生頬痩せ眉重く、鬢髪髼鬆(ふさふさ)にし、欠伸《あくびのび》して出づ。時既に停午《ひる》[やぶちゃん注:二字に対して。]に近し。主人茶飯を喫せしめ、仔細を訊《と》ふ。生一々物語りて、懐中よりかの一套を出《いだ》し解けば、一套《いつたう/ひとかさね》[やぶちゃん注:後に示す活字本の左右にあるものを参考にした。]の朱提《しゆばん》[やぶちゃん注:]坐辺《そこら》に晃々《きらきら》たり。其半ばを配(わ)けて与ふ。主人眼に仏なく[やぶちゃん注:「ほとけなく」か。意味不明。]笑《ゑみ》を含み、必ず再期を誤り給ふな、この事に於ては僕いく度も左袒《さたん》せん。生唯諾して帰る。藩邸に生の同僚数輩《すはい》あり。大に恚(ふづく)み[やぶちゃん注:怒り、腹を立て。]、生を責めて云く、弟《てい》きのふより何処《いづこ》に去れりや、邸門の厳法は弟も元より知る所なり、吾儕《わなみ》にこの首尾を繕はせける事幾回《いくたび》ぞや、遁辞《なまらか》する事なく白地(あからさま)に其実を告(のる)べし。生また同僚に向ひて一五一十(はじめをはり)を語る。同僚大驚して云ふ。この都古《みやこ》より浮華《ふくわ》[やぶちゃん注:上辺(うわべ)が華やかであるが、実質は乏しいこと。]を以て聞ゆ。矧(いは)んや貴顕侯家の令愛、醜声《うきな》外に顕はるゝ時は禍《わざはひ》蕭墻《せうしやう》にあり[やぶちゃん注:一家の内部にもめ事が起こること。うちわもめが起こるさま。「韓非子」の「用人」が出典。]、在昔《ざいせき》唐の則天女主頗る淫風あり、常に麗譙《ものみちん》[やぶちゃん注:美しい高楼。]に上りて巷街を眺(のぞ)み、往来に標致の郎子あれば、靚粧《せいさう》[やぶちゃん注:美しく飾り装おうこと。きれいに化粧すること。]の冶女《やぢよ》[やぶちゃん注:艶めかしい女。]をしてこれを嫌《すか》し招き、恣《ほしいまま》に淫しまた発覚を怖れてこれを縊《くび》り死《じに》し、麹町<東京都千代田区内>の古井の故事も似かよひし事、必ずしも重会に趣く事なかれ、若しこの言を用ひずんば審かにその状を挙げて国許へ送り届けんと云へば、生も始めて悟り大いに畏縮し、陽台の重期に負けりと。<略>

[やぶちゃん注:「黒甜瑣語」「空木の人」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本(明治二九(一八九六)年版)のこちらの右丁の六行目下方から、正規表現で視認出来る。全体の標題は「蕉雨齋の夜話」という長い話の一部である(始まりはここから。「蕉雨齋」は著者で久保田藩藩士人見蕉雨のこと)。また、ここには、三行分に当たる、墨塗りの伏字部分がある。閨での交合のさまを描いたものらしいが、殆んど見えないように潰してあり、判読は出来ない(なお、宵曲はその伏字の前の視認可能な箇所も省略してしまっている)。この欠損部は国立国会図書館デジタルコレクションの別の戦後の活字本でも『(欠)』とあって判らぬ。それに加えて、これ、かなり漢字の読みが難しい。一部は前掲の読みに従い、また、『ちくま文芸文庫』で追加された読みも参考にした(同書のルビは新仮名遣でお話しにならないのだが)。それでも読み不明、意味不明の箇所が私にはあった。失礼乍ら、柴田宵曲がルビを振っていない箇所には、彼自身が読みも意味も分からない部分が含まれてあるように思われる。私は私が知り得る部分を文中で注し、全体のストーリーは把握出来たと信ずる。一部は無視したので、後は、どうぞ、ご勝手に。この一篇(抜粋)は、ちょっと原作者の衒学趣味のイヤみが見え隠れして、イヤな感じな上に、少々、疲れた。これで擲つ。悪しからず。

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蝶」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

  

 

 二つ折りの戀文が、花の番地を搜してゐる。

 

Tyou

 

[やぶちゃん注:鱗翅目 Lepidoptera アゲハチョウ上科 Papilionoidea 、又は、セセリチョウ上科 Hesperioidea 、又は、シャクガモドキ上科 Hedyloidea 古今東西のアフォリズムの中で最も美しい一文である。]

 

 

 

 

LE PAPILLON

 

Ce billet doux plié en deux cherche une adresse de fleur.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「毛蟲」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 彼女は、暑い間かくまつて貰つていた草の茂みから這ひ出して來る。先づ、大きな起伏の續いてゐる砂道を橫切つて行く。用心して、途中で止らないやうにしながら、植木屋の木靴の足跡のなかでは、いつとき道に迷つたのではないかと心配する。

 苺の所まで辿りつくと、ちよつとひと休みして、鼻を左右に突き出しながら嗅いでみる。それからまた動きだすと、葉の下に潜つたり、葉の上へ出たり、今度はもうちやんと行先を心得てゐる。

 まつたく見事な毛蟲である。でつぷりとして、毛深くて、立派な毛皮にくるまつて、栗色のからだには金色の斑點があり、その眼は黑ぐろとしてゐる。

 嗅覺を賴りに、彼女は濃い眉毛のやうに、ぴくぴく動いたり、ぎゆつと縮んだりする。

 彼女は一本の薔薇の木の下でとまる。

 例の細かいホックの先で、その幹のごつごつした肌をさはつてみ、生れたばかりの仔犬のやうな小さな頭を振りたてながら、やがて決心して攀ぢ登り始める。

 で、今度は、彼女の樣子は、道の長さをくぎりくぎり喉へ押し込むやうにして、苦しげに嚥(の)み込んでいくとでも云はうか。

 薔薇の木のてつぺんには、無垢の乙女の色をした薔薇の花が咲いてゐる。その花が惜し氣もなく撒き散らす芳香に、彼女は醉つてしまふ。花は決して人を警戒しない。どんな毛蟲でも、來さへすれば默つてその莖を登らせる。贈物のやうにそれを受ける。そして、今夜は寒さうだと思ひながら、機嫌よく毛皮の襟卷を頸に卷きつけるのである。

 

Kemusi

 

[やぶちゃん注:節足動物門昆虫綱鱗翅目 Lepidoptera の幼虫の総称。私は「鱗翅目」を「チョウ目」と呼ぶのを好まない。ガの類の方が遙かに種数が多いからである。これは主体たる蛾に対する差別呼称であると信じて疑わない。この記載からは、恐らくインセクタ―の方は、一瞬にして種を特定するであろうが、私は実は、昆虫は概ね生理的に苦手で、小さなバッタが飛んできても、虫唾が走る人種であるため、同定出来ない。何方か、お教え下さると嬉しい。]

 

 

 

 

LA CHENILLE

 

Elle sort d'une touffe d'herbe qui l'avait cachée pendant la chaleur. Elle traverse l'allée de sable à grandes ondulations. Elle se garde d'y faire halte et un moment elle se croit perdue dans une trace de sabot du jardinier.

Arrivée aux fraises, elle se repose, lève le nez de droite et de gauche pour flairer ; puis elle repart et sous les feuilles, sur les feuilles, elle sait maintenant où elle va.

Quelle belle chenille, grasse, velue, fourrée, brune avec des points d'or et ses yeux noirs !

Guidée par l'odorat ; elle se trémousse et se fronce comme un épais sourcil.

Elle s'arrête au bas d'un rosier.

De ses fines agrafes, elle tâte l'écorce rude, balance sa petite tête de chien nouveau-né et se décide à grimper.

Et, cette fois, vous diriez qu'elle avale péniblement chaque longueur de chemin par déglutition.

Tout en haut du rosier, s'épanouit une rose au teint de candide fillette. Ses parfums qu'elle prodigue la grisent. Elle ne se défie de personne. Elle laisse monter par sa tige la première chenille venue. Elle l'accueille comme un cadeau.

Et, pressentant qu'il fera froid cette nuit, elle est bien aise de se mettre un boa autour du cou.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蜘蛛」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 髮の毛をつかんで硬直してゐる、眞つ黑な毛むくじやらの小さい手。

 

 

Kumo

 

 

 一晚ぢゆう、月の名によつて、彼女は封印を貼りつけてゐる。

 

[やぶちゃん注:二条の間には五行分の空きがあるが、そこにボナールの挿絵を配した。節足動物門鋏角亜門蛛形(しゅけい・ちゅうけい・クモガタ・クモ)綱クモ目 Araneae 。第一条のニュアンスでは、私は大好きな家屋内で普通に見られる、クモ目ハエトリグモ科オビジロハエトリグモ属アダンソンハエトリ Hasarius adansoni を想起した。但し、ボナールの絵はそれではない。全身が黒く、脚が長く、網を張るクモでフランスに棲息する種……何方か、種候補をお教え下さると嬉しい。なお、後者のアフォリズムは、既に二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中の「囁(ささや)き」の中に類型のものがある。

   *

Au nom de la loi, j'appose mes, scellés.

   *

と一人称の直接話法であるが、「博物誌」では、三人称となって客観表現となり、下に示した形となっている。因みに、上記の訳を、岸田氏は、

   *

蜘蛛(くも)――法律の名によって、封印を貼りつけます。

   *

と訳しておられる。なお、辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、この二条目を、『ひと晩じゅう、月の命令で、封印をそこらじゅうに貼(は)りつける。』と訳されており、私は、この辻氏の訳の方が好きだ。因みに、以前から、この条の月と蜘蛛と封印(蜘蛛の巣の換喩)の関係を蜘蛛の神話・伝説・伝承に基づくものではないかと思い、今回もかなり調べたのだが、やはり見つからなかった(生態としてクモ類は概ね夜行性で、蜘蛛の巣は夜間に張る種が多いのは知っている)。探索は今後も行なう。]

 

 

 

 

L'ARAIGNÉE

 

Une petite main noire et poilue crispée sur des cheveux.

Toute la nuit, au nom de la lune, elle appose ses scellés.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蟇」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 なお、標題の「蟇」の読みは、戦後版を参考にするなら、「ひきがへる」ではなく、「がまである。私は「ひきがえる」の方が好きだが。

 

 

    

 

 

 石から生まれた彼は、石の下に棲み、そして石の下に墓穴を掘るだらう。

 私は屢々この先生を訪ねる。で、その石をあげるたんびに、其處にもうゐなければいいがと思ひ、また、ゐてくれればいいがとも思ふ。

 彼は其處にゐる。

 このよく乾いた、淸潔な、狹苦しい自分だけの住居(すまひ)に隱れ、彼は家(うち)いつぱいに場所を取り、吝嗇坊(けちんばう)の巾着みたいに膨れてゐる。

 雨が降つて匐ひ出した時には、ちやんと私を迎へにやつて來る。二三度、大儀さうに跳んで、太股を地につけてとまり、赤い眼を私に向ける。

 世間のわからず屋が、彼を癩病やみのやうに扱ふなら、私は平氣で先生のそばへしやがみ、その顏へ、この人間の顏を近寄せてやる。

 それから、いくらかの氣味惡さを押し隱して、お前を手でさすつてやるよ、蟇君!

 人間は、この世の中で、もつと胸糞惡くなるようなものを、いくらでも吞み込んでゐるんだ。

 それはさうと、昨日、私はすつかりしくじつてしまつた。といふのは、先方のからだを見ると、疣(いぼ)がみんな潰れて、醱酵したようにぬらぬらしていた。そこで、私は――

 「なあ、おい、蟇君……。こんなことを云つて、君に悲しい思ひをさせたかないんだが、然し、どう見ても、君は不細工だね」

 かう云ふと、彼は、例のあどけない、しかも齒の拔けた口をあけ、熱い息を吐きながら、心もち英語式のアクセントで――

 「ぢや、君はどうだい?」

と、やり返した。

 

Hikigaeru

 

[やぶちやん注:ここには明白なハンセン病(旧病名「癩病」)に対する偏見と誤解に基づいた叙述がなされている。この点を十分に理解されて、原文訳文の差別認識への批判的な視点を忘れることなく、お読み頂きたい。私は何度も語っているが、「癩病」は誤った甚だしい差別観念を纏っているので、現在は使ってはならない。「ハンセン病」である。にも拘らず、その病原菌を「らい菌」と今も呼び続けているのは、私には納得できないでいる。「ハンセン病菌」とすべきである。同疾患とその差別史については、繰り返し、注を附してきたが、一番新しい『鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「三 起請文の罰の事」』の『「白癩黑癩(びやくらいこくらい)」の文(もん)を書入れたり』の私の注を、必ず、参照されたい。

 ここでは、ヨーロッパ(アイルランドなどを除く)では一般的な代表的ヒキガエルである両生綱無尾目カエル亜目ヒキガエル科ヒキガエル属ヨーロッパヒキガエル Bufo bufo としてよいだろう。なお、同種はニホンヒキガエルと同様な毒物を持っている。詳しくは、「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蟾蜍(ひきがへる)」の私の注を参照されたい。ここで「疣(いぼ)がみんな潰れて、醱酵したようにぬらぬらしていた。」とあるのは、まさにその毒液を背部の疣(いぼ)から滲出させている毒液(ブフォトキシン(bufotoxin:激しい薬理作用を持つ強心配糖体の一種。主として心筋(その収縮)や迷走神経中枢に作用する)などの数種類の強心性ステロイドで、他に発痛作用のあるセロトニン(serotonin:血管の緊張を調節する。ヒトでは生体リズム・神経内分泌・睡眠・体温調節など重要な機序に関与する、ホルモンとしても働く物質である)のような神経伝達物質なども含む)それである。則ち、ルナールは優しくヒキガエルに語りかけているのだが、実際には、当のひきがえる君は、彼を大いに警戒して、乳液状の毒液を滲ませて構えているいるという皮肉である。因みに、私の家の猫の額ほどの庭の片隅の、水道受けのブロックの間に、十数年前まで、ずっとニホンヒキガエルが一匹棲んでいた。そこから動くことなく、何年も何年もそこに凝っとしていた。ヤモリの一家(これは三十年来、同一祖先の一族が今も繁栄している)とともに、私には親しい存在だった。ある夏、ふと見ると、いなくなっていた。何かひどく寂しい気がした。

「人間は、この世の中で、もつと胸糞惡くなるようなものを、いくらでも吞み込んでゐるんだ。」この一行、原文を見ても、私には特に仕掛けがあるようには見えなかったのだが(私は英語が嫌いなので、大学ではフランス語を第一外国語にした)、実は所持する大修館書店の「スタンダード佛和辭典」(鈴木信太郎他編・一九七五年増補改訂版)で“crapaud(e)”を引くと、

冒頭に『①(a)【動物】ひき蛙.』としたのに直ちに続けて『avaler un ~〘俗〙1)つらいことをする. 2)侮辱を忍ぶ.』

とあるのである。則ち、フランス人が、この“LE CRAPAUD ”というアフォリズムの、この一行を見た瞬間、誰もが、この“avaler un Crapaud”(「蟇蛙(ひきがえる)を飲み込む」)というフレーズが直ちに自動的に想起されるらしいのである。岸田氏は特に何も注していないが、所持する別の複数の訳本では、その点を考慮して、注で以上の言い回しを示したり、訳自体を『人生にはひきがえるを食べることがあるが、それにはもっと胸が痛む。』(『全集』佃裕文氏の訳)としているものもあるほどである。

 

 

 

 

LE CRAPAUD

 

Né d'une pierre, il vit sous une pierre et s'y creusera un tombeau.

Je le visite fréquemment, et chaque fois que je lève sa pierre, j'ai peur de le retrouver et peur qu'il n'y soit plus.

Il y est.

Caché dans ce gîte sec, propre, étroit, bien à lui, il l'occupe pleinement, gonflé comme une bourse d'avare.

Qu'une pluie le fasse sortir, il vient au-devant de moi.

Quelques sauts lourds, et il me regarde de ses yeux rougis.

Si le monde injuste le traite en lépreux, je ne crains pas de m'accroupir près de lui et d'approcher du sien mon visage d'homme.

Puis je dompterai un reste de dégoût, et je te caresserai de ma main, crapaud !

On en avale dans la vie qui font plus mal au coeur.

Pourtant, hier, j'ai manqué de tact. Il fermentait et suintait, toutes ses verrues crevées.

- Mon pauvre ami, lui dis-je, je ne veux pas te faire de peine, mais, Dieu ! que tu es laid !

Il ouvrit sa bouche puérile et sans dents, à l'haleine chaude, et me répondit avec un léger accent anglais :

- Et toi ?

 

2023/11/09

2,030,000ブログ・アクセス突破

2,030,000ブログ・アクセス突破したが、切り番テクストは、あまりに現実の痙攣的煩瑣が波状的に襲ってくるので、全くやる気がないから、行わない。向後も、お前たちを、別段、歓喜していないので、気が向かない以上、やる気は――ない――あばよ!

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蛙」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 ぱつと留め金が外れたやうに、彼女らはその彈機(ばね)をはずませる。

 彼女らは、煮立つたフライ油のねつとりした雫のやうに、草のなかから跳ね上る。

 彼女らは、睡蓮の廣い葉の上に、靑銅の文鎭のやうにかしこまつてゐる。

 一匹のやつは、喉をいつぱいにあけて空氣を飮み込んでゐる。その口から、腹の貯金箱の中へ、一錢入れてやれさうだ。

 彼女らは、水底の泥のなかから、溜息のやうに昇つて來る。

 ぢつとしてゐると、水面に覗いてゐる大きな眼のやうでもあり、どんより澱んだ沼の腫物(できもの)のやうでもある。

 茫然として、石切り職人のやうに坐りこんだまま、彼女らは夕日に向つて欠伸をする。

 それから、うるさく喚(わめ)きたてる露天商人のやうに、その日の耳新しい出來事を聲高に話す。

 今晚、彼女らのところでは、お客をするらしい。君には聞えるか、彼女らがコップを洗つてゐる音が?

 時おり、彼女らはぱつと蟲を銜(くは)へる。

 また或る連中は、ただ戀愛だけに沒頭してゐる。

 どれもこれも、それらは、釣り好きの男を誘惑する。

 私はその邊の枝を折つて、なんなく釣竿をこしらへる。外套にピンが一本揷してある、それを曲げて釣針にする。

 釣絲にも困りはしない。

 然し、それだけは揃つても、まだ毛絲の屑か何か、なんでもいい、赤い物の切れつぱしを手に入れなければならぬ。

 私は自分のからだを搜し、地面を搜し、空を搜す。

 たうとうなんにも見つからず、私はつくづく自分の上着の釦孔を眺める。ちやんと口をあいて、すつかり用意のできてゐるその釦孔は、別に不平をいふわけではないが、さう直ぐには例の赤リボン[後注*参照]で飾つてもらへさうにもない。[やぶちゃん後注*:この部分には以下の筆者の二行の割注が本文同ポイント丸括弧で入る。『(註・レジヨン・ドヌウル勳章の略章)』とある。]

 

Kaeru

 

[やぶちやん注:ここは主人公(ルナール)が蛙を釣ることに躍起となっていることから、これはフランス料理の“Cuisse de grenouille”(「グルヌイユの腿肉」)で使われている、脊索動物門脊椎動物亜門両生綱無尾目カエル亜目アカガエル科アカガエル亜科アカガエル属ヨーロッパトノサマガエル Rana esculenta ととってよい。私は何度か食したが、普通の鶏肉より遙かに美味である。なお、サイト「カエル動画図鑑」の「ヨーロッパトノサマガエル」で、鳴き声とともに動画が視認出来る。

「睡蓮」被子植物門双子葉植物綱スイレン目スイレン科スイレン属 Nymphaea 。世界中に分布し、五十種ほどが知られる(因みに、日本にはスイレン属スイレン亜属ヒツジグサ Nymphaea tetragona 一種のみしか自生しない)。

「まだ毛絲の屑か何か、なんでもいい、赤い物の切れつぱしを手に入れなければならぬ。」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、注があり、『かえるをつるとき、針先になにか目につきやすい物をひっかけて目の前動かすと、かえるは虫とまちがえてそれにとびつく』とある。

「レジヨン・ドヌウル勳章」レジオン・ドヌール勲章(Ordre national de la Légion d'honneur:「名誉軍団国家勲章」)はナポレオン・ボナパルトにより一八〇二年に制定されたフランスの栄典。当該ウィキによれば、『フランスはナポレオン時代以後に政体が幾度か変化し』て、その都度、『章飾の意匠が変更されるなどしたものの』、本『勲章は運用が続けられ、第五共和政下の現在でも同国の最高位勲章に位置付けられている』とあり、最高位のグランクロワ(Grand-Croix:大十字)級の正章と副章(ここで岸田が註しているところの――赤いリボン――に附された下の物)の写真もある。一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻所収の佃裕文訳「博物誌」の「蛙」の後注によれば、『レオン・ギシャールによれば』、『ヌーヴェル・ルヴュ』『誌では、この作品は「諸大臣に」献じられ、叙勲については、ルナールはアントワーヌ座の『にんじん』が大当たりした後の、一九〇〇年八月十五日まで待たねばならなかった』とある。ルナールはその日、レジオン・ドヌール勲章の五位ある内の第五位の「シュヴァリエ」級(Chevalier,:騎士・勲爵士)を授与されている。]

 

 

 

 

LES GRENOUILLES

 

Par brusques détentes, elles exercent leurs ressorts.

Elles sautent de l'herbe comme de lourdes gouttes d'huile frite.

Elles se posent, presse-papiers de bronze, sur les larges feuilles du nénuphar.

L'une se gorge d'air. On mettrait un sou, par sa bouche, dans la tirelire de son ventre.

Elles montent, comme des soupirs, de la vase.

Immobiles, elles semblent, les gros yeux à fleur d'eau, les tumeurs de la mare plate.

Assises en tailleur, stupéfiées, elles bâillent au soleil couchant.

Puis, comme les camelots assourdissants des rues, elles crient les dernières nouvelles du jour.

Il y aura réception chez elles ce soir ; les entendez-vous rincer leurs verres ?

Parfois, elles happent un insecte.

Et d'autres ne s'occupent que d'amour.

Et toutes, elles tentent le pêcheur à la ligne.

Je casse, sans difficulté, une gaule. J'ai, piquée à mon paletot, une épingle que je recourbe en hameçon.

La ficelle ne me manque pas.

Mais il me faudrait encore un brin de laine, un bout de n'importe quoi rouge.

Je cherche sur moi, par terre, au ciel.

Je ne trouve rien et je regarde mélancoliquement ma boutonnière fendue, toute prête, que, sans reproche, on ne se hâte guère d'orner du ruban rouge.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蝸牛」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    蝸牛(かたつむり)

 

 

      

 

 

 風邪(かぜ)の季節には出嫌ひで、例の麒麟のやうな頸をひつこめたまま、蝸牛は、つまつた鼻のやうにぐつぐつと煑えてゐる。

 

 いい天氣になると、精いつぱい步き廻る。それでも、舌で步くだけのことだ。

 

[やぶちゃん注:ここには九行分の空きがあり(118ページは以上の一行のみ)、左ページには、明石哲三氏の二匹の単色黒のカタツムリの絵が添えられてある。行空けを再現すると間が抜けるので、ここにボナールの絵の一枚目を挟んでおく。]

 

Katatumuri1

 

      

 

 

 私の小さな仲間のアベルは、よく蝸牛と遊んでゐた。

 彼はそいつを箱にいつぱい飼つてゐて、おまけにそれがみんなちやんと見分けがつくやうに、殼のところに鉛筆で番號がつけてある。

 あんまり乾いた日には、蝸牛は箱の中で眠つてゐる。雨が降りさうになつて來ると、アベルは早速彼等を外に出して整列させる。で、直ぐに雨が降らなければ、上から水をいつぱいひつかけて目を覺まさせる。すると、箱の底で巢籠りをしてゐる母親の蝸牛――と、さう彼は云ふのだが、その蝸牛のほかは、みんなバルバアルといふ犬に護衞されて、ぞろぞろ步き出す。バルバアルといふのは鉛の板でできてゐて、それをアベルが指の先で押して行くのである。

 そこで、私は彼と一緖に、蝸牛を仕込むのはなかなか骨が折れるといふことを頻りに話し合ひながら、ふと氣がつくと、彼は「うん」と返事をする時でも、「いいや」といふ身振りをしてゐる。

 「おい、アベル」と私は云つた――「どうしてそんなに首を動かすんだい、右へやつたり、左へやつたり?」

 「砂糖があるんだよ」

 「なんだい、砂糖つて?」

 「そら、ここんとこさ」

 で、彼が四つん這ひになつて、第八號が仲間にはぐれさうになつてゐるのを引き戾してゐる最中、その頸に、肌とシャツの間に角砂糖が一つ、恰度メタルのやうに、絲で吊(つる)してあるのが眼についた。[やぶちゃん注:「メタル」はママ。原文は“médaille”(メダィル)で、所謂、「メダル」のことであり、英語の“medal”(メダル)と同義であり、戦後版でも『メダル』となっているから、これは誤植と断定してよい。]

 「ママがこんなものを結(ゆは)へつけたんだ」と彼は云ふ。「言ふことをきかないと、いつでもかうするんだよ」

 「氣持が惡いだらう?」

 「ごそごそすらあ」

 「ひりひりもするだろう、え! 眞つ赤になつてるぜ」

 「その代り、ママが勘辨してやるつて云つたら、こいつが喰へらあ」とアベルは云つた。

 

Katatumuri2

 

[やぶちやん注:カタツムリについては、恐るべきことに腹足綱 Gastropoda のレベルで表示することしか出来ないほど種が多いが、この標題の“ESCARGOT”(エスカルゴ)をフランスで最も食用に用いる種と限定するのなら、

軟体動物門腹足綱柄眼下目マイマイ上科マイマイ科ヘリックス属リンゴマイマイHelix pomatia(別名“escargot de Bourgogne”(エスカルゴ・ド・ブルゴーニュ/ブルゴーニュ種))

同属Helix aspersapetit-gris(プティ・グリ))

同属Helix aspersa maximagros-gris(グロ・グリ))

の三種となる。ボナールの挿絵は二つある。

「蝸牛は、つまつた鼻のやうにぐつぐつと煑えてゐる。」ルナールの亡くなる前年の(高血圧と動脈硬化が激しく、健康は悪化の一途を辿っていた)、一九〇九年十二月十日の日記(この年の最後の日記:一九九八年臨川書店刊・同全集第十五巻・打田・柏木・北村・小谷・七尾共訳)の終りから一つ前の文章に、『病気になって、喉の奥でエスカルゴがゆだっているような気がする。』とある(第五巻の佃裕文訳「博物誌」の後注で探した)。]

 

 

 

 

L'ESCARGOT

 

 

I

 

Casanier dans la saison des rhumes, son cou de girafe rentré, l'escargot bout comme un nez plein.

Il se promène dès les beaux jours, mais il ne sait marcher que sur la langue.

 

 

II

 

Mon petit camarade Abel jouait avec ses escargots.

Il en élève une pleine boîte et il a soin, pour les reconnaître, de numéroter au crayon la coquille.

S'il fait trop sec, les escargots dorment dans la boîte.

Dès que la pluie menace, Abel les aligne dehors, et si elle tarde à tomber, il les réveille en versant dessus un pot d'eau. Et tous, sauf les mères qui couvent, dit-il, au fond de la boîte, se promènent sous la garde d'un chien appelé Barbare et qui est une lame de plomb qu'Abel pousse du doigt.

Comme je causais avec lui du mal que donne leur dressage, je m'aperçus qu'il me faisait signe que non, même quand il me répondait oui.

- Abel, lui dis-je, pourquoi ta tête remue-t-elle ainsi de droite et de gauche ?

- C'est mon sucre, dit Abel.

- Quel sucre ?

- Tiens, là.

Tandis qu'à quatre pattes il ramenait le numéro 8 près de s'égarer, je vis au cou d'Abel, entre la peau et la chemise, un morceau de sucre qui pendait à un fil, comme une médaille.

- Maman me l'attache, dit-il, quand elle veut me punir.

- Ça te gêne ?

- Ça gratte.

- Et ça cuit, hein ! c'est tout rouge.

- Mais quand elle me pardonne, dit Abel, je le mange.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「酒石」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 酒石【しゅせき】 〔九桂草堂随筆巻八〕別府の僧蘭谷は我親交なり。[やぶちゃん注:後に示す原活字本では、ここに『數年前死したり、』とある。]その生平《せいへい》[やぶちゃん注:日頃。普段。]酒を嗜み、他に招かれたる時、盃の出ること遅き時は、口癖に焼石《やけいし》将《まさ》に出んとすと云ひしことは、予<広瀬旭荘>も匯で聞けり[やぶちゃん注:「焼石」は中国の妖獣でオランウータンをモデルとした架空動物である猩々(しょうじょう)の腹中にあって、酒を吸い込むという石。後注も参照。]。安政丁巳<四年>その同里の友矢田孝治来りて話しけるは、蘭谷酒を飲む数升にして酔はず、一日頻りに酒を欲したれども酒出《いで》ず、待ち兼ねて頻りに呼ぶ中に、忽ち咽《のど》より一片の石を吐き出《いだ》せり。その長さ二寸なるべし。幅は六七分、それより一向に酒を飲みえず。六七年は一滴も唇に付けず。また梢〻《やや》飲み始めしが、幾《いくばく》ならずして死せり。さてその石所謂《いはゆる》酒石ならんとて、これを盆中に置き、澆《そそ》ぐに酒を以てするに、忽ちに吸ひ乾かし、幾升にても已まず。奇なる物とて、家兄淳其半ばを乞ひたり。半ばにても酒を吸ふこと易(かは)らずと。

[やぶちゃん注:「奇石」で既出既注。国立国会図書館デジタル化資料の国書刊行会大正七(一九一八)年刊「百家随筆」のここで、正規表現で視認出来る。なお、私が割注した「猩々」に就いては、私の「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類  寺島良安」(最近、全面リニューアルした)の「猩々」の項を見られたい。「焼石」のことは出ていないが、『性、好みて、酒を飮む。』とある。私の偏愛する木内石亭の石の博物誌「雲根志」を調べたが、「酒石」はなく、「燒石」はあったが、ここに書かれているものとは全く別物の実在する石であったそれは「三編」の「二十四」で、美濃国の池田郡藤代村の上にある池田山の山上にある石で、『常に溫(あたゝか)にして人肌(ひとはだ)のごとく雪中にも此石にのみ雪溜らず暑寒(しよかん)ともに石の溫なる事同じよつて里民燒石(やけいし)と号すと。』とあった。直下に温泉等があったものか。石亭は愛石家である故に、奇怪な石の伝承などは記すが、ここにあるような如何にも絶対にあり得ない「酒石」だの「燒石」などというシロモノには食指が動かなかったものと思われる。

「一片の石を吐き出せり」何らかの結石か。後、数年、飲まず、幾許もなくして亡くなったのは飲酒による肝硬変或いは肝臓癌が死因か。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蛇」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

Hebi_20231109063301

 

 

    

 

 

 ながすぎる。

 

[やぶちやん注:動物のアフォリズムの金字塔! 前の「やまかがし」の私の注を、必ず、先に読まれたい。爬虫綱有鱗目ヘビ亜目 Serpentes。……懐かしい生徒もいよう。私が好んでやった「現代文」の随想、安倍公房の「日常性の壁」だよ……。]

 

 

 

 

LE SERPENT

 

Trop long.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「やまかがし」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    やまかがし

 

 

 いつたい誰の腹から轉がり出たのだ、この腹痛は?

 

[やぶちやん注:ルナールは、項目立てを、この“La Couleuvre”(本「やまかがし」がそれ。フランス語ではこの単語は「無毒の蛇」一般を指す汎称である。但し、後で述べる通り、岸田の「やまかがし」は訳としては誤りである)、次に出る“Le Sepent”として並べながらも、それぞれを独立させてある。而して、ボナールの絵は一つきりで、その挿絵は、「Internet archive」のフラマリオン版では明確に次の“Le Sepent(正確には、大文字の前標題“LE SERPENT”の次で、“Le Sepent”と小文字で記す本文一発の“Trop long.”の前)に配されてあるのである。しかし、これを、後者の絵と見、“La Couleuvre”には絵がないと考えると、この二つがボナールに挿絵を依頼した際に存在しなかつたとも考えられる(「鼬」で先に述べたように後半部「蛍」以降には挿絵のない項が散見されるので確かな推測ではない)のだが、しかし、この尾籠極まりない叙述とのマッチングを考えると、私は、次の「蛇」の絵は、実は、この“La Couleuvre”の方にこそ相応しいと考えるのである。読者のご判断を、是非、請いたいものである。はっきり言おう。岸田訳は、ここでは、余りにもお上品にして美麗に過ぎているのではなかろうか? 臨川書店刊ジュール・ルナール全集第五巻で佃裕文氏は「この腹痛は?」の部分を、明確に『この下痢便は!』と訳しておられるのである。原文の最後の“colique(コォリキ)は「下痢・腹下し・仙痛・腹痛」「下痢している」の意であり、岸田の綺麗に過ぎたお洒落さは、何時か伝わらなくなってしまう時代が来る気が私にはしている。言葉を「十全に透徹して玩味出来ない」子どもたちのために、佃氏の訳をここでは、私は圧倒的に支持するものである。

 さらに言うと、これがフランスの自然景観の中で描写された以上、岸田の「やまかがし」という訳は不適切どころか、誤訳であると断言出来る。我々が「ヤマカガシ」と称している種は、

爬虫綱有鱗目ユウダ(游蛇)科ヤマカガシ属ヤマカガシ Rhabdophis tigrinus

であるが、本種は北海道を除く日本固有種であって、ヨーロッパには棲息しないから、これは全く別種のヘビである点で、第一の誤りである。

 次に、その第一の誤りに包含するのだが、岸田はヤマカガシを無毒蛇と考えている点が誤りだからである。但し、戦前と戦後も長く、本邦では「やまかがし」は無毒蛇と誤認されてきたから、岸田個人の責任ではないとも言えるのだが、危険性に於いてこれは誤りであることを言わねばならぬのである。何故なら、

フランス語の“couleuvre”(クレヴォル)はあくまで「無毒の複数のヘビ類」を指す語

だからである(フランス語ウィキの“Couleuvre”を参照されたい)。しかし、本邦では、一九七四年に(私は高校一年だったが、その死亡事故の記事を読んだ記憶が鮮明にある(私は実は幼稚園の頃から大のヘビ好きだったのである)。中学生で確か太腿を深く咬まれたと記憶する)。

ヤマカガシは有毒種と変更

されており、現在まで、

四例の咬傷死亡事故、重症例三十例以上が確認されている

からである。これが第二の誤りである。毒牙は奥歯にあり、深く咬まれた場合は危険が非常に高くなる。なお、死には至らないが、ヤマカガシには別な毒が、頸部皮下にある毒頸腺があって、頸部を圧迫すると毒が飛び散り、目に入った場合、刺激痛・結膜炎・充血・角膜混濁等の症状が現れる。但し、こちらの頸腺の毒成分は、ヤマカガシが好んで捕食する両生綱無尾目ヒキガエル科ヒキガエル属ニホンヒキガエル Bufo japonicus の持つブフォトキシン(bufotoxin)由来であることが判っている。

 なお、臨川書店刊ジュール・ルナール全集第5巻で佃裕文氏は『なみへび』と訳してゐる。これは生物学的にはヤマカガシの上位タクソンであるナミヘビ科Colubridaeを用いてゐる点、ややマシではあるが、同科には有毒種も複数いるので完全な相応の安全圏ではない

 而して、私は敢えて、

ナミヘビ科ユウダ属ヨーロッパヤマカガシ Natrix natrix

辺りまで迫りたい気がする。和名にヤマカガシが入っているのが悩ましいが、ヤマカガシとは全くの別種であり、本邦のヤマカガシのような毒を持たず、本邦でもペットとして飼っている蛇だからである当該ウィキを見られたい)。]

 

 

 

 

LA COULEUVRE

 

De quel ventre est-elle tombée, cette colique ?

 

2023/11/08

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蚯蚓」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    (みみず)

 

 

 こいつはまた精いつぱい伸びをして、長々と寢そべつてゐる――上出來の卵饂飩のやうに。

 

Mimizu

 

[やぶちやん注:思いの外、下位のタクソンが多い。この敍述では、環形動物門貧毛綱 Oligochaeta 止まりである。フランス語の「貧毛綱」相当の記載には、全世界で十三科及び七千種以上の記載種がいるとある。

「卵饂飩」は原文は“nouille”で、英語の“noodle” 、「ヌードル」のことである。]

 

 

 

 

LE VER

 

En voilà un qui s'étire et qui s'allonge comme une belle nouille.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鼬」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    (いたち)

 

 

 貧乏な、然し、さつぱりした品のいい鼬先生。ひよこひよこと、道の上を往つたり來たり、溝から溝へ、また穴から穴へ、時間ぎめの出張敎授。

 

[やぶちゃん注:新潮文庫版にはボナールの該当する絵はない。「Internet archive」のフラマリオン版(一九〇四年版)でも絵はない。これは後の「やまかがし」の欠落と奇妙な合致点と言える(勿論、すべての話に挿絵がついていると言うわけではないのだが)。なお、先行する「ぶどう畑のぶどう作り ジュウル・ルナアル 岸田国士訳」の中に既にある。哺乳綱食肉目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属ヨーロッパケナガイタチ Mustela putorius を挙げておくのが無難か。]

 

 

 

 

LA BELETTE

 

Pauvre, mais propre, distinguée, elle passe et repasse, par petits bonds, sur la route, et va, d'un fossé à l'autre, donner, de trou en trou, ses leçons au cachet.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蜥蜴」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

     蜥蜴(とかげ)

 

 

 私がもたれてゐる石垣の割れ目からひとりでに生まれて來た子供のやうに、彼は私の肩に匍(は)い上つて來る。私が石垣の續きだと思つてゐるらしい。なるほど、私はぢつとしてゐる。それに、石と同じ色の外套を着てゐるからである。それにしても、ちよつと私は得意である。

 

 

Tokage

 

 

 塀――「なんだらう、背中がぞくぞくするのは……」

 蜥蜴――「俺だい」

 

[やぶちゃん注:前者と後者は間五行分空けで、後者は独立ページとなっている。爬虫綱有鱗目トカゲ亜目 Lacertilia 。但し、臨川書店刊ジュール・ルナール全集第五卷では、本項目を「青蜥蜴(ミドリカナヘビ)」と訳してゐる。この種同定が正しければ、ヨーロッパに広く分布する(本邦には棲息しない)トカゲ亜目カナヘビ下目カナヘビ科 Lacerta 属ミドリカナヘビ Lacerta viridis である。なお、底本では、上記本文の後に、明石哲三氏による、ベンチの背凭れに、とりついている水色がかったトカゲの彩色画が挿入されてある。また、後者の二行のアフォリズムは、先行する「ぶどう畑のぶどう作り ジュウル・ルナアル 岸田国士訳」の「囁(ささや)き」の中に既にある。]

 

 

 

 

LE LÉZARD

 

Fils spontané de la pierre fendue où je m'appuie, il me grimpe sur l'épaule. Il a cru que je continuais le mur parce que je reste immobile et que j'ai un paletot couleur de muraille. Ça flatte tout de même.

 

LE MUR. - Je ne sais quel frisson me passe sur le dos.

LE LÉZARD. - C'est moi.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「樹梢の声」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 樹梢の声【じゅしょうのこえ】 〔九桂草堂随筆〕漢人の書に、往々蛇《へび》人の姓名を呼ぶ。これに応ずれば即ち死すとあり。思ふに漢土は音を以て呼ぶ国故、鳥の名など声よりして号するもの多し。我邦の人名は迚《とて》も蛇の呼ぶ所にあらず。大村に在りし時、俊助と云ふ人あり。晨《よあけ》に官太夫と云ふ人の門前を過ぎしに、俊助と呼ぶこゑを聞く。四方を顧りみるに人なし。声樹梢よりするやうなり。仰ぎ視るに貍《たぬき》枝間《しかん》に蹲《うずくま》れり。乃《すなは》ち捕へて殺せしよし。余その人より直《ぢき》にこれをきけり。その時に余<広瀬旭荘>笑うて、君が名呼び易き故に狸よぶなり、もし官太夫君ならば、呼ばるゝこと必ずなしと云ふ。その人絶倒せり。

[やぶちゃん注:「九桂草堂随筆」「奇石」で既出既注。国立国会図書館デジタル化資料の国書刊行会大正七(一九一八)年刊「百家随筆」のここで、正規表現で視認出来る。

「漢人の書に、往々蛇《へび》人の姓名を呼ぶ。これに応ずれば即ち死すとあり」「埤雅」(ひが:北宋の陸佃によって編集された辞典。全二十巻。主に動植物について説明したもの)、或いは、それを引用した「淵鑑類函」(清の聖祖康熙帝の勅撰により編纂された類書(百科事典)。一七一〇年成立)の巻四百三十九の以下(後者のものを「漢籍リポジトリ」にあるものを、幾つか正字に直して示した)。

   *

「埤雅」、『南方、多蛇精、嘗化爲人以呼行旅姓名。若顧應之、夜必至棲所、傷人。土人養蜈蚣於枕中、臥、覺有聲、則啓枕放之。蜈蚣乃疾馳蛇所㗖其腦。』。

○やぶちゃんの書き下し文

「埤雅」に、『南方、蛇の精(せい)多く、嘗つて人と爲(なり)に化して、以つて、行旅(かうりよ)せるものの姓名を呼ぶ。若(も)し、顧みて、之れに應ぜば、夜、必ず、棲(す)める所に至り、人を傷つく。土人、蜈蚣(むかで)を枕の中に養ひ、臥すに、聲(こゑ)有るを覺えれば、則ち、枕を啓(ひら)き、之れを放つ。蜈蚣、乃(すなは)ち、疾(と)く蛇の所へ馳(は)せ、其の腦を㗖(くら)ふ。』と。

   *

この話、私は、実は南方熊楠の所謂、『十二支考』の「蛇に關する民俗と傳說」で読んだ(以上の訓読は、その現代語訳を参考に試みた)。国立国会図書館デジタルコレクションの『南方熊楠全集』第一巻(渋沢敬三編・昭和二六(一九五一)年乾元社刊)のここで、正字正仮名で視認出来る。因みに、南方熊楠は、無論、以上の話を『大眉唾物だ』と退けている。

「大村」長崎県大村市か。作者広瀬旭荘(ぎょくそう)は豊後国日田郡豆田町(大分県日田市)生まれで、各地を旅している。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「修験と武士との喧嘩」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 修験と武士との喧嘩【しゅげんとぶしとのけんか】 〔甲子夜話巻十〕近年の事か、柳原の土手にて修験と士と口論し、追々言ひつのり喧嘩に及ぶ。因てあたりの人寄集りて如ㇾ堵《かきねのごとし》。かくする中《うち》、修験云ふには、汝武士と雖ども、我《われ》加持力《かぢりき》あり。これを用ひるときは、刀も抜くこと不ㇾ能。士憤りて曰く、若しそのごとくならば我を祈れ、即座に汝を斬らん。修験心得たりとて、輙(すなは)ち印を結び呪文を誦ふ。士怒りて柄《つか》に手をかけ、刀を抜かんとするに不ㇾ抜。見る者伝へ聞きて弥〻《いよいよ》囲《かこみ》をなす。土手に軒を比する肆店《してん》の商賈《しやうか/あきんど》も皆来り視る。かくする中、士怒ること甚しく、力を励まして刀を抜くに、刀鞘を出ること三四寸、祈ㇾ之れば復《また》鞘中《さやなか》に躍り入る。如ㇾ此なること屢〻《しばしば》なる。修験乃《すなは》ち祈りて不ㇾ止。士竟《つひ》に抜くこと不ㇾ能。これを慙《は》ぢて衆人の中に逃入り不ㇾ見。見る者相顧み、大《おほい》に笑つて分散す。商賈各〻その店に還りて見るに、肆中《しちゆう》の宝物失せて亡きもの数多《あまた》なり。然《さ》ればさきの口論は盗《ぬすみ》の奸計にして、肆店の物はその党類謀り合せて奪ひたるなり。真《まこと》に奇策、咲(わら)ふも余りあり。

[やぶちゃん注:事前に正規表現で「フライング単発 甲子夜話卷十 25 盜、僧俗となり相爭て人を欺く事」を公開しておいた。東洋文庫版とは細かな表記の異同が複数見られる。]

フライング単発 甲子夜話卷十 25 盜、僧俗となり相爭て人を欺く事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。標題は「ぬすつと、そう・ぞくとなり、あひあらそひて、ひとを、あざむくこと」と読んでおく。]

 

 近年の事か、柳原の土手にて、修驗(しゆげん)と士と、口論し、追々、言(いひ)つのり、喧嘩に及ぶ。

 因(よつ)て、あたりの人、寄集(よりあつまり)て如ㇾ堵(かきねのごとし)。

 かくする中(うち)、修驗、云(いふ)には、

「汝、武士と雖ども、我(われ)、加持力(かぢりき)あり。これを用(もちひ)るときは、刃(やいば)も、拔くこと、不ㇾ能。」

 士、憤(いかり)て曰(いはく)、

「若(もし)、そのごとくならば、我を祈れ。卽座に、汝を斬(きら)ん。」

 修驗、

「心得たり。」

迚(とて)、輙(すなはち)、印を結び、呪文を誦ふ。

 士、怒(いかり)て、柄(つか)に手をかけ、刀を拔(ぬか)んとするに、不ㇾ拔。

 見(みる)者、傳聞(つたへきき)て、彌々(いよいよ)、囲(かこみ)をなす。

 土手に軒(のき)を比(ひ)する肆店(してん)の商賈(しやうか/あきんど)も、皆、來り、視る。

 かくする中(うち)、士、怒ること、甚しく、力を励(はげま)して、刀を拔くに、刃、鞘を出ること、三、四寸。

 祈ㇾ之れば、復(また)、鞘中(さやなか)に躍り入る。

 如ㇾ此なること、屢〻(しばしば)なり。

 修驗、乃(すなはち)、祈りて、不ㇾ止(やまず)。

 士、竟(つひ)に、拔くこと、不ㇾ能。

 これを慙(はぢ)て、衆人の中に逃入(にげい)り、不ㇾ見。

 見者(みるもの)、相顧(あひかへり)み、大(おほい)に笑(わらひ)て、分散す。

 商賈、各(おのおの)、その店に還(かへり)て視るに、肆中(しちゆう)の買物(うりもの)、失(うせ)て、亡きもの、數多(あまた)なり。

 然(さ)れば、さきの口論は、盗(ぬすみ)の奸計にして、肆店の物は、その党類(たうるゐ)、謀り合せて、奪(うばひ)たるなり。

 眞(まこと)に奇策、咲(わら)ふも、餘りあり。

■やぶちゃんの呟き

「柳原」東京都千代田区の北東部で、神田川南岸の万世橋から浅草橋に至る地域の古くからの通称(グーグル・マップ・データ)。神田川右岸の通り。現在も「通り」名として「柳原通り」が残る。

「土手に軒を比する肆店」「肆店」はものを売る店。しかも、土手の高さに同じくらい軒が高いのであるから、金持ちの高級品を売買する商家である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「樹怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 樹怪【じゅかい】 〔譚海巻八〕上総国大久保<千葉県市原郡内>と云ふ所には、樹の化物出づるなり。山のすそのにて、かたそばは田につゞきたる道のほとりに、大木あまた生ひて有り。この道を深夜に人過《すぐ》る時、大なる木いくらともなく道に横たはりふして、一向通りがたき事毎年有り。これに行きあふ人は、いつも心得て跡へしりぞき、しばらく有りてゆく時は、先の木ども皆々うせて、常の道の如くなりて往還にさはる事なし。木の倒れふしたる時、無理にこえ過ぎんとすれば、必ずあしき事有りといひ伝へたり。また同国□□といふ所にもあやしき事ありて、夜行《やかう》には時々人のなげらるゝ事あり。狐狸の所為にや、こゝろえぬ事なり。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之八 上總國大久保に樹の化物出る事(フライング公開)」を公開しておいた。]

譚海 卷之八 上總國大久保に樹の化物出る事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。「□」は欠字。]

 

 上總國大久保と云(いふ)所には、樹の化物、出(いづ)るなり。

 山のすそのにて、かたそばは、田につゞきたる道のほとりに、大木、あまた生ひて有り。

 此道を、深夜に、人、過(すぐ)る時、大(おほき)なる木、いくらともなく、道に、橫たはりふして、一向、通りがたき事、每年、有り。

 是に行きあふ人は、いつも心得て、跡へ、しりぞき、しばらく有(あり)て、ゆく時は、先の木ども、皆々、うせて、常の道の如く成(なり)て、往還に、さはる事、なし。

「木の倒れふしたる時、無理に、こえ過ぎんとすれば、必(かならず)、あしき事、有(あり)。」

と、いひ傳へたり。又、同國□□といふ所にも、あやしき事ありて、夜行(やかう)には、時々、人の、なげらるゝ事、あり。狐狸の所爲にや、こゝろえぬ事なり。

[やぶちゃん注:「上總國大久保」現在の千葉県市原市大久保(グーグル・マップ・データ)。ほぼ房総半島の真ん中である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「獣面人心」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 獣面人心【じゅうめんじんしん】 〔甲子夜話巻十七〕獣《けもの》に人心あり。人にして獣心あるはいかなることにや。予<松浦静山>が領国にて作事奉行川上沢次郎、神崎と云ふ処の茅地《かやち》を、役所と農夫との仕分見分《しわけけんぶん》に往きしとき、山下の海浜に猿居たり。心得ざることに思ひ、近より見れども不ㇾ去。そのうへ手を揚げて招くゆゑ、弥〻《いよいよ》怪しく寄付《よりつき》たるに、猿片手を潮《うしほ》の中に入れたり。諦視《ていし》[やぶちゃん注:じっと見つめること。子細に見ること。]すれば猿石間《いしま》の鮑(あはび)を取らんとせしを、鮑その手をしめつけて、岩にはさまり動くこと協《かな》はざるなり。沢次郎むごきことに思ひて、その鮑を引はなしたれば、猿喜びたる体《てい》にて頭を下げ、両手を地につき平伏して去れり。これ拝謝の意なるべしと、人聞きてこれを憐《あはれ》めり。また領分の東界《ひがしさかひ》は西嶽《にしたけ》と云ひて深山なり。その麓の村を世知原《せちばる》と云ふ。或日この処の人家の前に、山狗《やまいぬ》(狼なり、山狗は方言)出《いで》て口をあきて居るゆゑ、農夫これを見て訝(いぶか)り思ふには、この獣山を離れて村里に来るべきやうなし。且つ口をあきて居《を》れど、人を食ふ体《てい》もなしと、近よりたるに少しも動かざれば、農も懼(おそろ)しければ、片手に鎌を持ちながら、その口中を窺ひみるに、咽(のど)の中に白きもの見ゆ。能く能く視れば鹿を取り食ひ、その脇骨咽の奥にたちて悩めるなり。農乃《すなは》ち鎌をかの口に当てゝ、齧《かま》れぬ用心して手を口中にさし入れ、その骨を取のけければ、山狗うれしき体にて静かに去りたり。翌朝農起出たるに、戸外に牛に手綱つけたるを、誰つれ来りたるとも知らず放ちて有り。剰《あまつさ》へその綱に雉子一羽つなぎ付けて有り。これ思ふに前日の山狗酬礼の為に、他の耕牛を奪ひて報いたるならんと人云ひ合へり。またこれは江戸の話なり。旗下の御番士一色熊蔵と云ひしが物語せしは、某と云へる旗下人《はたもとにん》の領地にて、これも狼出て口をあきて人に近づくゆゑ、口中を見たるに、何か獣骨をたてたるを見て抜てやりたれば、狼喜びたる体にて去る。その明日《あくるひ》一小児門外に棄てありと云ふ。何れの者なるを知らず。健かに見えしとて、某憐んで己が子の如く育てたるに、盛長して後は嗣子《しし》とせしとなり。某もとより子無くして、常に憂ひ居《ゐ》けるを、狼よくも知りて報謝の意もて、この児を何方《いづかた》よりか奪ひ来りしものと覚ゆ。狼の連れ来りたるに違ひなきは、其肩さきに歯痕《はきず》あり。然《さ》ればくはへ来れる証《あかし》なり。その児《こ》年長《としちやう》じて子孫も出来て、今に至りて連綿と相続きて勤め居るが、その肩には歯痕の如きもの有りと云ふ。その家の名は聞かず。

[やぶちゃん注:事前に正規表現で「フライング単発 甲子夜話卷十七 13 獸、人心ある事」を公開しておいたので、そちらを見られたい。]

フライング単発 甲子夜話卷十七 13 獸、人心ある事

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。この話、三話からなるので、そこを一行空けた。]

 

17―13

 獸(けもの)に人心あり。人にして獸心あるはいかなることにや。

 予が領國にて、作事奉行川上澤次郞、神崎(かうざき)と云ふ處の茅地(かやち)を、役所と農夫との仕分見分(しわけけんぶん)に往(ゆき)しとき、山下の海濱に、猿、居《ゐ》たり。

『心得ざること。』

に思ひ、近より見れども、不ㇾ去。

 そのうへ、手を揚げて、招くゆゑ、彌(いよいよ)怪(あやし)く、寄付(よりつき)たるに、猿、片手を、潮(うしほ)の中に入れたり。

 諦視(ていし)[やぶちゃん注:じっと見つめること。子細に見ること。]すれば、猿、石間(いしま)の蚫(あはび)を取らんとせしを、蚫、その手を、しめつけて、岩にはさまり、動くこと、協(かな)はざるなり。澤次郞、

『むごきこと。』

に思(おもひ)て、その蚫を、引(ひき)はなしたれば、猿、喜びたる體(てい)にて、頭を下げ、兩手を地につき、平伏して、去れり。

「これ、拜謝の意なるべし。」

と、人、聞きて、これを憐(あはれ)めり。

 

 又、領分の東界(ひがしさかひ)は西嶽(にしのたけ)と云(いひ)て、深山なり。

 その麓の村を「世知原(せちばる)」と云(いふ)。

 或日、この處の人家の前に、山狗(やまいぬ)【狼なり。「山狗」は方言。】出(いで)て、口をあきて居《を》るゆゑ、農夫、これを見て訝(いぶか)り思(おもふ)には、

『この獸、山を離れて村里に來(きた)るべきやう、なし。且つ、口をあきて居(を)れど、人を食ふ體(てい)も、なし。』

と、近よりたるに、少しも動かざれば、農も懼(おそろ)しければ、片手に鎌を持ちながら、其口中を窺(うかがひ)みるに、咽(のど)の中に、白きもの、見ゆ。

 能く能く視れば、鹿を取り食ひ、其脇骨、咽の奧にたちて、惱めるなり。

 農、乃(すなはち)、鎌を、かの口に當てゝ、齧(かま)れぬ用心して、手を、口中にさし入れ、其骨を、取(とり)のけければ、山狗、うれしき體(てい)にて、靜(しづか)に去りたり。

 翌朝、農、起出(おきいで)たるに、戶外(こがい)に、牛に、牽綱(ひきづな)つけたるを、誰(たれ)つれ來りたるとも知(しれ)ず、放ちて、有り。

 剩(あまつさ)へ、その綱に、雉子(きじ)一羽、つなぎ付けて、有り。

「是(これ)、思ふに、前日の山狗、酬禮(しうれい)の爲に、他の耕牛を奪ひて、報(むくい)たるならん。」

と、人、云合(いひあ)へり。

 

 又、これは江戶の話なり。旗下(はたもと)の御番士、一色熊藏と云(いひ)しが、物語せしは、

「某(なにがし)と云へる旗下人(はたもとにん)の領地にて、これも、狼、出(いで)て、口をあきて、人に近づくゆゑ、口中を見たるに、何か、獸骨を、たてたるを見て、拔(ぬき)てやりたれば、狼、喜(よろこび)たる體にて、去る。その明日(あくるひ)、一小兒(いちしやうに)、門外に棄てあり、と云ふ。何(いづ)れの者なるを知らず。健(すこやか)に見えしとて、某、憐んで。己(おの)が子の如く育(そだて)たるに、盛長して後は、嗣子(しし)とせし、となり。某、もとより、子、無(なく)して、常に憂居(うれひゐ)けるを、狼、よくも知りて、報謝の意もて、此兒を、いつ方[やぶちゃん注:ママ。]よりか、奪來(うばひきた)りしもの、と覺ゆ。狼の連來(つれきた)りたるに違(ちがひ)なきは、其肩さきに、齒痕(はきず)あり。然(さ)れば、くわへ[やぶちゃん注:ママ。]來れる證(あかし)なり。其兒(こ)、年長(としちやう)じて、子孫も出來(でき)て、今に至(いたり)て、連綿と相續(あひつづき)て勤居(つとめを)るが、其肩には、齒痕の如きもの、有り、と云ふ。」

 其家の名は、聞かず。

■やぶちゃんの呟き

「作事奉行」殿舎の造営・修理などの建築、及び、広く土木工事を掌った藩の役人。

「神崎」長崎県長崎市木鉢町に神崎(こうざき)神社(金貸稲荷)があり(グーグル・マップ・データ)、ここは長崎湾の奥、長崎港の入り口に当たる。

「西嶽」現在の長崎県佐世保市世知原町(せちばるちょう)西ノ岳(にしのたけ)であろう(グーグル・マップ・データ航空写真)。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「執念の怪火」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 執念の怪火【しゅうねんのかいか】 〔閑田次筆巻四〕予<伴蒿蹊>怪談を好むの誚《そし》りあらめど、さもあらばあれ、奇話の正しきまた二条を挙ぐ。上野人《かうづけのひと》僧良融来話に、去ル辛酉上野吾妻郡(あがつまの《こほり》)猿《さる》が橋《けう》(猿以ㇾ訓、橋以ㇾ音呼ㇾ之、越後街道とぞ)兵馬(ひやうま)といふものの母、某の月囲炉《ゐろり》によりゐたるに、炉にくべたる藁の火もえつきて身に及ぶ。婆苦悩甚し。人々つどひゐければ、立騒ぎてうちけちつれば、忽ち消えしが、衣類事故なく、身も火傷なし。

唯指にておしたるほどの疵あるのみ。かくてそののちは、日々かくのごとし。極月<十二月>二十八日に厠に行きたるが、厠にて火発《おこ》り、身は恙なくて、厠は焼失せり。本年正月二十二日まで、某の寺にあり。彼《か》の怪異ののちは、尼になりて寺に入りし。然るに二十二日衣類を取りきたらんため、かり初《そめ》に宅へ帰りしが、例の火発りて、その家および近隣連焼、二十七軒に及べり。自らはこと故《ゆゑ》なく山へ入りて、一日を経て出来《いでく》る。その後善光寺へ詣でんとて出でされりとぞ。いと怪しきこと、たぐひ稀なり。この婆氏《ばばうぢ》[やぶちゃん注:このような使い方は見たことがない。仮にかく訓じておいた。]まだ若き時、他より智どりせしその聟、篤実の者なりしかども、女きらひてこれを出《いだ》す、密かに通ずる男ありし故なり。さるにその出されたる男、これをしりて忿怒甚しく、その家は出しかども、いまだ女との縁切れざるを幸《さひはひ》に、或ル夜彼《か》の密夫その家にいたりしときゝて、俄かにゆきて見るに、囲炉によりゐたるものあり。くらまぎれにこれなりと思ひて打切りたるが、それにはあらで、女の父なりしかば、これは舅《しうと》を殺せるに罪《つみ》せられて、梟首(さらしくび)となりぬ。そののち女はおもふまゝに密夫を迎へて、今の兵馬はこれに出来し子なり。この執念にて、この苦悩にあひ、家もうしなへる成るべしといへりとぞ。(私《わたくし》按《あんずるに》、はじめ炉のもとにて、人たがへにて舅を殺せり。その念このところにあり。婆氏が初めの禍《わざはひ》、炉より生ずるは、そのよし成るべしや)

[やぶちゃん注:「閑田次筆」「応声蟲」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』 第七巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちら(右ページ後ろから四行目以降)で正規表現で視認出来る。

「去辛酉」「閑田次筆」の出版年は文化三(一八〇六)年刊であるから、直近の辛酉は享和元(一八〇一)年である。この年は寛政十三年二月五日(グレゴリオ暦一八〇一年三月十九日に享和に改元している。

「上野吾妻(あがつまの)郡猿が橋」現在の群馬県吾妻(あがつま)郡東吾妻町(ひがしあがつままち)原町にある猿橋(グーグル・マップ・データ航空写真。地図の方では橋が示されていないため。それどころか、上流の八ッ場ダムさえ存在していない。ひどい地図だ)。但し、少なくとも、現行の橋の名は「さるはし」であり(サイド・パネルのこの写真を見よ)、「猿が橋」「さるがきょう」という地名は存在しない。「ひなたGPS」の戦前の地図でも確認出来ない。

「極月」「十二月」「二十八日」この年の十二月は大の月で大晦日の二日前。グレゴリオ暦では、既に一八〇七年一月三十一日である。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鼠」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 ランプの光で、書きものの今日の頁を綴つてゐると、微かな物音が聞えてくる。書く手を休めると、もの音もやむ。紙をごそごそやり始めると、また聞えて來る。

 鼠が一匹、眼を覺ましてゐるのである。

 女中が布巾やブラシを入れて置く暗い穴の緣を、行つたり來たりしてゐるのがわかる。

 やがて床(ゆか)へ飛び降り、臺所の敷石の上を驅け廻る。それから竈のそばへ移り、流しの下へ移り、皿の中へ紛れ込む。で、次々に、だんだん遠くへ偵察を進めながら、次第に私の方へ近づいて來る。

 私がペンを置くと、その度にその靜けさが彼を不安にする。私がペンを動かし始めると、多分何處かにもう一匹鼠がゐるだらうと思つて、彼は安心する。

 やがて、彼の姿は見えなくなる。テーブルの下にはいつて、私の足の間にゐるのである。彼は椅子の脚から脚へ驅け廻る。私の木靴をすれすれに掠め、その木のところをちよつと齧つてみ、或は大膽不敵にも、たうとうその上に登る。

 さうなると、私は足を動かすこともできなければ、あんまり大きな息もできない。それこそ、彼は逃げてしまふだらう。

 然し、私は書くのをやめるわけにはいかぬ。で、彼に見棄てられて、いつもの獨りぽつちの退屈に落ち込むのが怖(こは)さに、私は句讀點をつけてみたり、ほんのちよつと線を引いてみたり、少しづつ、ちびちびと、恰度彼がものを齧るのとおんなじ調子で書いて行く。

 

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[やぶちゃん注:哺乳綱齧歯(ネズミ)目ネズミ亜目ネズミ上科ネズミ科 Muridae のネズミ類。人家や、その周辺に棲息する「家ネズミ」類のヨーロッパでの(日本も変わらない)代表種は、クマネズミ属ドブネズミ Rattus norvegicus 、或いは  Rattus sp. となるが、フランス語の“souris”は第一次的意義では、「二十日鼠」を指し、本篇のそれも雰囲気から、「家ネズミ」の代表種の一つである、ネズミ科ハツカネズミ属ハツカネズミ Mus musculus (棲息域からは亜種イエハツカネズミ Mus musculus domesticus(ヨーロッパ西部・アジア南西部・アメリカ・アフリカ・オセアニア)に限定してもよいか)ととるべきであろう。ボナールの絵もそれっぽい。実際、一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』の第五巻の佃裕文訳「博物誌」では標題を『はつかねずみ』と訳しておられる。なお、俗語で“souris d'hôtel”と言うと、「ホテル専門の女泥棒」の意があり、ルナールはそこも暗に比喩的に示唆しているようにも思われる。]

 

 

 

 

LA SOURIS

 

Comme, à la clarté d'une lampe, je fais ma quotidienne page d'écriture, j'entends un léger bruit. Si je m'arrête, il cesse. Il recommence, dès que je gratte le papier.

C'est une souris qui s'éveille.

Je devine ses va-et-vient au bord du trou obscur où notre servante met ses torchons et ses brosses.

Elle saute par terre et trotte sur les carreaux de la cuisine. Elle passe près de la cheminée, sous l'évier, se perd dans la vaisselle, et par une série de reconnaissances qu'elle pousse de plus en plus loin, elle se rapproche de moi.

Chaque fois que je pose mon porte-plume, ce silence l'inquiète. Chaque fois que je m'en sers, elle croit peut-être qu'il y a une autre souris quelque part, et elle se rassure.

Puis je ne la vois plus. Elle est sous ma table, dans mes jambes. Elle circule d'un pied de chaise à l'autre.

Elle frôle mes sabots, en mordille le bois, ou hardiment, la voilà dessus !

Et il ne faut pas que je bouge la jambe, que je respire trop fort : elle filerait.

Mais il faut que je continue d'écrire, et de peur qu'elle ne m'abandonne à mon ennui de solitaire, j'écris des signes, des riens, petitement, menu, menu, comme elle grignote.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「兎」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 半分に切つた酒樽の中で、ルノワアルとルグリは、毛皮で溫かく足をくるんだまま、牝牛のやうに喰ふ。彼らはたつた一度食事をするだけだが、その食事が一日ぢゆう續くのである。

 新しい草をついやらずにゐると、彼等は古いやつを根元まで齧り、それから根さへも嚙みちぎる。

 ところが、恰度いま、一株のサラダ菜が彼等の眼の前へ落ちて來た。ルノワアルとルグリは、一緖に、早速喰ひ始める。

 鼻と鼻を突き合せ、一生懸命喰ひながら、頭を振りふり、耳に驅け足をさせる。

 たうとう葉が一枚だけになつてしまふと、彼らはめいめいその一方の端を銜(くは)へて、競爭で喰ひ始める。

 彼等は、笑つてこそゐないが、どうやらふざけ合つてゐるやうに見え、葉つぱをすつかり喰つてしまふと、兄弟の愛撫で脣をよせ合ふやうに見えるかもしれない。

 然し、ルグリは急に氣分が惡くなつて來る。昨日からむやみに腹が張つて、胃袋がへんにだぶついてゐる。で、まつたくのところ、喰ひ過ぎてゐた。サラダ菜の一枚ぐらゐは、別に腹が減つてなくても喰へるものだが、彼はもうなんとしても喰へない。彼はその葉を放すと、いきなり自分の糞(ふん)の上に橫に寢轉がつて、小刻みに痙攣しだす。

 忽ち彼のからだは硬ばり、脚を左右に擴げ、恰度、銃砲店の廣告繪みたいになる。――「生かさぬ一發、狂わぬ一發」

 いつとき、ルノワアルはびつくりして、口を休める。燭臺のやうな形に坐り、柔かく息をしながら、しつかり脣(くち)を閉ぢ、眼の緣を薔薇色にして、彼はぢつと眼を据ゑる。

 彼の樣子は、ちようど[やぶちゃん注:ママ。]魔法使が神祕の世界へ足を踏み込むやうだ。

 眞つ直に立つた二つの耳が臨終を告げ知らす。

 やがて、その耳が垂れる。

 と、彼はそのサラダの葉をゆつくり平らげる。

 

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[やぶちゃん注:哺乳綱兎形目ウサギ科ウサギ亜科 Leporinae の多様な種を指すが、まずここはノウサギ Lpues sp. としてよいであろう。種が多く、分布が複雑で、種まで限定することは難しい。そして、「サラダ菜」はレタス(lettuce:英名)である双子葉植物綱キク目キク科アキノノゲシ属チシャ(萵苣)Lactuca sativa 。属名はラテン語で「牛乳」の意の「Lac」で、和名(古名「ちさ」、「ちちくさ(乳草)」)とともに、茎部分を切った際にその切り口から出る白い液体の見た目に基づいた命名である。

 なお、ここで描寫されている「ルグリ」の死に至る症状は、「毛球症」(ウサギは嘔吐が出来ないため、自身が毛繕いによつて、飮み込んだ毛が、胃の中で「毛球」となつて溜まり、閉塞障害を起こす病気)か、「鼓腸症」或いは「盲腸便秘」(ウィルス・細菌・寄生虫、及び、腐敗した餌の採餌や、生育環境のストレス等に拠って、腸の運動が鈍り、腸内にガスが多量に発生してしまう病気。兎の病気としては、かなり一般的である)かと思われる。]

 

 

 

 

LES LAPINS

 

Dans une moitié de futaille, Lenoir et Legris, les pattes au chaud sous la fourrure, mangent comme des vaches. Ils ne font qu'un seul repas qui dure toute la journée.

Si l'on tarde à leur jeter une herbe fraîche, ils rongent l'ancienne jusqu'à la racine, et la racine même occupe les dents.

Or il vient de leur tomber un pied de salade. Ensemble Lenoir et Legris se mettent après.

Nez à nez, ils s'évertuent, hochent la tête, et les oreilles trottent.

Quand il ne reste qu'une feuille, ils la prennent, chacun par un bout, et luttent de vitesse.

Vous croiriez qu'ils jouent, s'ils ne rient pas, et que, la feuille avalée, une caresse fraternelle unira les becs.

Mais Legris se sent faiblir. Depuis hier il a le gros ventre et une poche d'eau le ballonne. Vraiment il se bourrait trop. Bien qu'une feuille de salade passe sans qu'on ait faim, il n'en peut plus. Il lâche la feuille et se couche à côté, sur ses crottes, avec des convulsions brèves.

Le voilà rigide, les pattes écartées, comme pour une réclame d'armurier : On tue net, on tue loin.

Un instant, Lenoir s'arrête de surprise. Assis en chandelier, le souffle doux, les lèvres jointes et l'oeil cerclé de rose, il regarde.

Il a l'air d'un sorcier qui pénètre un mystère.

Ses deux oreilles droites marquent l'heure suprême.

Puis elles se cassent.

Et il achève la feuille de salade.

 

2023/11/07

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「執心の蛇」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 執心の蛇【しゅうしんのへび】 〔譚海巻五〕相摸の国小池<神奈川県内>の辺に、真言寺の住持に入暁といふ僧有り。その師遷化の後、頓てその寺をゆづり受けて住みける。もとよりその師倹約なる人なりしかば、田園も多く金子も有りければ、楽しく有りしに、半年ばかり住持して居けるに、いつとなく庭の隅に、小さき蛇ひとつ出《いで》てうづくまり居《ゐ》けり。追ひやればまた立かへりてあり。此の如くなる事数月に及んで、その出て居る所も替らず、同じ所と見定めつ。漸々不思議に思ひて、蛇の居ざるあひだを伺ひて地を掘りみれば、小がめの内に金子を納めて埋《うづ》めあり。よくよく思惟するに、師の存生《ぞんしやう》の程、倹嗇(けんしよく)なる人なれば、かく構へて埋みおかれたるなり。その執心残りて猶蛇となりて、これを守りける事の浅ましき事など思ひめぐらすに、しきりに物うき心おこりて、世の中の事も万(よろづ)はかなく思ひなりしかば、寺にある物金銭を始めて、残りなく人にわかちやり、我はいづちともなく、うかれ出て行方なくなりぬ。その後年を経て、この入暁上総の国に在りて非人にまじり、むしろを著《き》つゝ人家に物ごひあるきけるを見たりと人のいへりしが、猶出離の心深くなりぬるにや、終《つひ》に本国に帰りて山中にいり、入定せりといへり。 〔同巻七〕江戸神田<東京都千代田区内>の三四人、用事ありて上州へ行《ゆき》ける道、川越に至りしに、暑強き頃にて、ある庵室の有りけるに入りて休らひけるに、あるじの僧壱人有り。ねもごろにあいさつして、しばし縁に尻かけてある程、あるじの僧はやがて転寝(うたたね)せしに、神田の者壱人雪隠を求めて、庭のうしろへ行きてみれば、井の有りける側の石の上に、小さき蛇とぐろ巻きてあり。おづおづ追ひけれど退かざりければ、石をもちて打付けたるに、その石蛇のかしらに打あてたり。さて用事終りてもとの縁に尻かけてをるに、僧目をさまし大いに怒りて、何れも暑中故休息せらるゝはその分なり、何とて我等がかしらへ疵付けられたるぞ、了簡ならずといひつのりけるに、皆々心得ぬ事とて、一向左様のわざせし事なし、ひたすら御免有るべしと詫びけれど、僧のかしらより血も出でけるまゝいといと腹立て堪忍せざれば、詫事をも聞かず、さりとて誰《たれ》手をおろし打ちたる事もなければ、甚だ不審に思ひけるに、雪隠へ行きたる男詫びかねて是非なく、我等先ほど用有りて庭の後ヘ行きたる時、へびの石の上にゐたるに、石をこそ投げうちけれ、その外にかまへてあしき事はせずと詫びけるに、この僧この物語りを聞きて、そのまゝ頭をさげ慚愧の体《てい》にて、やゝしばし物もいはず。やうやう頭をもたげて、さてさて今の御物語りを承りて恥入りて候、誠に後生の罪障ともなりぬべくおそろしき事、返す返す身にしみはづかしく覚え候、各々井のもとへおはして御覧あれとて、この人々を伴ひ、井の側の石を取除ければ、小き瀬戸物のふた茶椀有り。内に金子七両ありけるを取出してこの人々にみせつゝ、我等事思ひかけず、この七両の金子をまうけためたれども、盗人にとられぬべき事を思量して、かく人しれぬ所に埋め置きたるなり、されども我等こと、心常にこの金子にまよひしまゝ、さては我等へびになりてこゝにありしにて候、さてさて恥づかしき事、各〻へもこの次第ざんげのために見せしなり、今より後は金子も何も用事にあらず、各〻へこの金子進じ申したく、何用にもつかひ玉はれとて、涙玉をなして物語りけると、その人のかたりし。

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事 / 卷七 武州河越庵室の僧藏金に執心せし事(カップリング・フライング公開)」を公開しておいた。但し、私は嘗つて、『柴田宵曲 續妖異博物館 「錢と蛇」 ~柴田宵曲「妖異博物館」(全)電子化注~完結!』の注で、既に二篇とも、正規表現で電子化してある。そちらも見られたい。]

譚海 卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事 / 卷七 武州河越庵室の僧藏金に執心せし事(カップリング・フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。異なった巻のものであるが、面倒なので(柴田の著作では、一項目に一緒に出るため)、カップリングした。]

 

卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事

 相摸の國小池の邊に、眞言寺の住持に入曉(にふげう)といふ僧、有(あり)。

 その師、遷化の後、頓(やが)て、其寺を、ゆづり受(うけ)て住(すみ)ける。

 もとより、其師、儉約成(なる)人なりしかば、田園も多く、金子も有(あり)ければ、樂しく有(あり)しに、半年ばかり住持して居けるに、いつとなく、庭の隅に、小(ちさき)蛇、ひとつ、出(いで)て、うづくまり居(ゐ)けり。

 追(おひ)やれば、また、立(たち)かへりて、あり。

 如ㇾ此(かくのごとく)成(なる)事、數月(すげつ)に及(およん)で、其出(いで)て居(を)る所も替らず、同じ所と見定めつ。

 漸々(やうやう)、不思議に思ひて、蛇の居《をら》ざるあひだを伺ひて、地を掘(ほり)みれば、小がめの内に、金子を納めて、埋《うづ》めあり。

 能々(よくよく)思惟するに、師の存生(ぞんしやう)の程、儉嗇(けんしよく)成(なる)人なれば、かく、構へて、埋みおかれたる也。

 其執心、殘りて、猶、蛇と成(なり)て、是を守りける事の淺間敷(あさましき)事など、思ひめぐらすに、しきりに、物うき心起りて、世の中の事も、萬(よろづ)、はかなく思ひしかば、寺にある物、金錢を始(はじめ)て、殘りなく、人にわかちやり、我はいづちともなく、うかれ出(いで)て、行方(ゆくゑ)なく成(なり)ぬ。

 其後(そののち)、年を經て、この入曉、

「上總の國に在(あり)て、非人に、まじり、むしろを着つゝ、人家に、物ごひあるきけるを見たり。」

と、人のいへりしが、猶、出離(しゆつり)の心、深く成(なり)ぬるにや、終(つひ)に、本國に歸りて、山中にいり、入定せりといへり。

[やぶちゃん注:「相摸の國小池」不詳。神奈川県座間市に小池大橋(グーグル・マップ・データ)はあるが、ここかどうかは判らぬ。]

 

卷之七 武州河越庵室の僧藏金に執心せし事

 江戸神田の三、四人、用事ありて上州へ行(ゆき)ける道、川越に至りしに、暑(あつさ)强き頃にて、ある庵室の有(あり)けるに入(いり)て休らひけるに、あるじの僧、壹人、有り。

 ねもごろにあいさつして、しばし、緣に尻かけてある程、あるじの僧は、やがて、轉寢(うたたね)せしに、神田の者、壹人、雪隱を求(もとめ)て、庵のうしろへ行てみれば、井の有(あり)ける側(そば)の石の上に、ちいさき蛇、とぐろ卷(まき)て、あり。

 おづおづ追ひけれど、退(の)かざりければ、石をもちて、打付(うちつけ)たるに、その石、蛇のかしらに打(うち)あてたり。

 扨、用事、終(をはり)て、もとの緣に尻かけてをるに、僧、目をさまし、大(おほい)に怒(いかり)て、

「何れも、暑中故、休息せらるゝは、其分なり。何とて、我等がかしらへ、疵、付(つけ)られたるぞ。了簡、ならず。」

と、いひつのりけるに、皆々、

「心得ぬ事。」

とて、

「一向、左樣のわざ、せし事、なし。ひたすら、御免有(ある)べし。」

と詫びけれど、僧のかしらより、血も出でけるまゝ、いといと、腹立(はらた)て、堪忍せざれば、詫事(わびごと)をも聞(きか)ず、さりとて、誰(たれ)手をおろし打(うち)たる事もなければ、甚だ、不審に思ひけるに、雪隱へ行きたる男、詫(わび)かねて、是非なく、

「我等、先ほど、用、有りて、庵の後(うしろ)ヘ行(ゆき)たる時、へびの、石の上にゐたるに、石をこそ、投げうちけれ、其外に、かまへて、あしき事は、せず。」

と詫けるに、此僧、此物語りを聞(きき)て、其まま、頭(かしら)をさげ、慚愧の體(てい)にて、やゝしばし、物も、いはず。

 やうやう、頭を、もたげて、

「扨々(さてさて)、今の御物語りを承(うけたまはり)て、恥入(いり)て候。誠に、後生」(ごしやう)の罪障(ざいしやう)とも成(なり)ぬべく、おそろしき事。返々(かへすがへす)、身にしみ、はづかしく覺え候。各(おのおの)、井のもとへ、おはして、御覽あれ。」

とて、此人々を伴ひ、井の側の石を取除(とりの)ければ、小(ちいさ)き瀨戶物の、ふた茶椀、有り。

 内に、金子(きんす)七兩、ありけるを、取出(とりいだ)して、この人々に、みせつゝ、

「我等事、思ひかけず、此七兩の金子を、まふけ、ためたれども、『盜人(ぬすつと)にとられぬべき事』を思量して、かく、人しれぬ所に、埋置(うめお)きたる也。されども、我等こと、心、常に、此金子に、まよひしまゝ、さては、我等、へびに成(なり)て、こゝにありしにて候。扨々、はづかしき事、各(おのおの)へも、この次第、ざんげ[やぶちゃん注:ママ。本邦近世には「さんげ」が正しい。]のために見せしなり。今より後(のち)は、金子も何も、用事にあらず。各へ、此金子、進じ申度(まふしたく)、何用にも、つかひ給はれ。」

とて、淚、玉をなして、物語りけると、その人の、かたりし。

[やぶちゃん注:注は必要を感じない。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「住持天狗となる」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 住持天狗となる【じゅうじてんぐとなる】 〔甲子夜話巻五十〕また永禄の頃とか、喜多院の住持天狗となりて、妙義山中の嶽<群馬県内>と云ふに飛去りたりとぞ。因て住職代々の墓の中に、この住持の墓ばかりは無しとなり。またこの住持の使ひし小僧も天狗となり、飛立ちしが、庭前に墜ちて死す。故にその処は今小祠を建てあり。この小僧飛去る前に味噌を摺りゐたるが、摺《すり》こ木《ぎ》を擲捨《なげすて》て飛びたりとぞ。その故か、今にこの院にて味噌を摺れば、必ず物有りて摺こ木を取去ると。因て味噌を摺ることならざれば、槌《つち》にて打ち汁にするとぞ。これも亦如何なる者の斯くは為る乎。

[やぶちゃん注:事前に当該原話を正規表現で「フライング単発 甲子夜話卷五十二 14 同院に味噌をすること成らず」として電子化しておいた。]

フライング単発 甲子夜話卷五十二 14 同院に味噌をすること成らず

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。標題の「同院」は前の「仙波北院鐸(レイ)を禁ず」を受ける。たまたまそれは、やはり「フライング単発 甲子夜話卷之五十二 13 仙波喜多院鐸を禁ず / 甲子夜話卷之五十三 2 喜多院禁鐸【再起】」の前者としてフライング公開しているので見られたい。後注はいらないと判断した。]

 

52―14

 また、永祿の頃[やぶちゃん注:一五五八年から一五七〇年まで。戦国前期。]とか、喜多院の住持、天狗となりて、妙義山中の嶽《なかのだけ》と云(いふ)に飛去(とびさ)りたりとぞ。

「因(よつ)て、住職代々の墓の中に、この住持の墓ばかりは、無し。」

と、なり。

 また、この住持の使ひし小僧も天狗となり、飛立(とびたち)しが、庭前に墜ちて、死す。故に、その處に、今、小祠(しやうし)を建てあり。

 この小僧、飛去る前に、味噌を搨(す)りゐたるが、摺(すり)こ木(ぎ)を擲捨(なげすて)て飛びたり、とぞ。

 その故か、今に、この院内にて、味噌を搨れば、必ず、物、有(あり)て、摺こ木を、取去る、と。

 因て、味噌を搨(する)ことならざれば、槌(つち)にて打(うつ)て汁にするとぞ。

 是も亦、如何なる者の、斯くは爲(す)る乎(か)。

■やぶちゃんの呟き

「妙義山中の嶽」これは群馬県の妙義山の南南西直近にある「中之嶽神社」(なかのだけじんじゃ)のことであろう(グーグル・マップ・データ)。公式サイトをリンクしておく。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「蛇毒と脂」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 蛇毒と脂【じやどくとやに】 〔北窻瑣談後編巻一〕備後福山<広島県福山市>の家中内藤何某といふ人、或時、庭に蛇出たりしかば、杖もて強く打ちけるに、そのまゝ走りて巣中《さうちゆう》[やぶちゃん注:以下に掲げる活字本では『草中(さうちう)』である。]に入りければ、草の上より頻りに打ち尋ね求めけれども、つひに見失ひぬ。暫く程へて奴僕《ぬぼく》見当りて、草中に蛇死し居《ゐ》れりと告げしかば、内藤出《いで》て杖もてかきのけんとしける時、その蛇《じや》、頭《かしら》をあげ、煙草の煙《けぶり》のごときものを吹きかけゝるが、その烟内藤が左の目に当りて、蛇はそのまゝ倒れ死しける。内藤が眼《まなこ》、俄かに痛みてはれあがり、寒熱出て苦悩言はんかたなし。既に命も失ふべく見えし程に、内藤、煙草のやにの蛇に毒なることを思ひ出して、煙管《きせる》のやにを眼中《がんちゆう》に入れしに、漸々《やうやう》に腫(はれ)消(せう)し痛みやはらぎて、一日中[やぶちゃん注:原本では『一日斗』(ばかり)である。]に苦悩退《しりぞ》き、眼赤きばかりなりしかば、日々にやにを入れたるに、五六日して全く癒えたり。その翌年、その時節また眼《め》痛み出したるに、色々の眼科医《めいしや》の治療を施しけれども、癒えざりしかば、蛇毒の事を思ひ出し、また煙管のやにを入れしに、忽ち癒えたり。二三年もその時節には、必ず眼目《がんもく》痛ければ、いつもその後《のち》はやにを入れて癒えぬ。この事、村上彦峻(むらかみげんしゆん)物語なりき。また云ふ、蛇《じや》を打ちし人は助左衛門と云ふ人にて、毒に当りし人は、その庭に居合《ゐあは》せし内藤なりとぞ。

[やぶちゃん注:「北窻瑣談」は「網に掛った銘刀」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちらで当該箇所が視認出来る(右ページ三行目から)が、実は「柴田宵曲 妖異博物館 煙草の效用」の私の注で正規表現で電子化してあるので、見られたい。読みは、前者のルビを大いに参考にした。

「蛇」原本では『烏蛇(うじや)』とする。一般にかく古くから呼び慣わす(訓で「からすへび」)のは無毒の有鱗目ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata の黒変個体である。

「煙草のやにの蛇に毒なる」古くから民間で伝わる説であるが、QAサイトで実際に試したところ、蛇が退散したというアンサーがあったので、実際に蛇の忌避物質であるようである。

「村上彦峻」は「平安人物志」(文化一〇(一八一三)年版)に、京の東洞院御池南で医師をしていた人物で、俗名は村上左衛門権大尉とあった。本書の著者橘南谿は医師であったから、医者仲間なったようである。但し、南谿は文化二年に亡くなっているから、村上は橘より若かった可能性が高いように思われる。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「寂光院本尊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 寂光院本尊【じゃっこういんほんぞん】 〔蕉斎筆記〕この昔江戸に在りし時、仲英先生の咄しに、已前金華先生と一緒に上京せし事有り。嵯峨の寂光院へ詣でぬ。この本尊は昔建礼門院平家一門菩提の為に、張抜(はりぬき)にて拵へ給ふと云ひ伝ふ。百文出し候へば開帳して拝まする。両人ながら不審に思ひけるは、源平時代の物にあらず、余程新仏に見えたりとおもひ、近所の茶屋へ寄り、亭主に尋ねられければ、よくこそ御心付かれたり、これはこの昔京都より山師ども来り、内仏殿の金箔を置きかへいたし、とてもの事に本尊のみだ如来も御煤をぬき、金箔のつくろひいたし度《たく》、何とぞ御寄進申すべしと申しければ、その時和尚もその意にまかせられ、京都より職ども参り再厳し終りぬ。その間に山師ども、それに似たるあみだ如来をすりかへたるとなん。今の本尊これなり。山師どもは下地のみだ如来を水に入れ、その反古《ほうぐ》を取出《とりいだ》しければ、皆々平家一門の文《ふみ》がらの反古にて、夥しき金を設けたりとなん語りし由、山師の工夫驚き入《いり》たる工《たく》みなり。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(右ページ上段の九行目から)で視認出来る。なお、この記事は『寬政五癸丑年拔書』(グレゴリオ暦一七九三年二月十一日から一七九四年一月中)に書かれたものである。

「仲英先生」漢詩人服部仲英(正徳三(一七一三)年~明和四(一七六七)年)。摂津西宮の人。名は元雄。本姓は中西氏。西宮神社の祝人(ほうり:下級神宮)中西平次右衛門の次男。正徳四(一七一四)年、父親が神社の内紛に巻き込まれて追放を受け、一家は摂津池田に移り住んだ。この頃、田中桐江に入門し、後に江戸に出て、服部南郭に師事した。南郭の二人の息子が相次いで亡くなったため、宝暦三(一七五三)年に末娘の登免子と結婚して服部家を継いだ。詩をよくし、家名を落とすことがなかったという(朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「金華先生」漢学者平野金華(元禄元(一六八八)年~享保一七(一七三二)年)江戸時代中期の。陸奥国(福島県)三春の人。名は玄中(玄仲)。金華は号。初め、江戸に出て、医学を千田大円堂に学ぶ。後に儒学を志し、荻生徂徠に師事して古文辞学を修めた。先に三河刈谷藩に仕え、後に水戸家の支藩守山藩に仕えた。放蕩で酒癖が悪く、諧謔を好んだが、義気に富み、真率さが愛された。服部南郭と仲がよく、文辞で名を残すが、本来の志はあくまでも経学にあったと言える。その学問の一端をかいまみせる「金華雑譚」に、金華の嗜好を窺うことが出来る(同前に拠った。下線は私が振った)。

「嵯峨の寂光院」天台宗の尼寺である清香山寂光院玉泉寺。ここ(グーグル・マップ・データ)。平清盛の娘建礼門院徳子が、平家滅亡後、隠棲した場所であり、「平家物語」所縁の寺として知られる。旧本尊は木造地蔵菩薩立像(重要文化財)として残るが、新本尊像は財団法人美術院国宝修理所によって三年半をかけて再製作され、二〇〇五年に完成した。ヒノキ材の寄木造で、旧本尊の新造時の姿を忠実に模してある。当該ウィキによれば、『旧本堂内にあった建礼門院と阿波内侍の像は張り子像であったが、本堂再建に際し』、『木造で作り直された』とあり、この山師どもの作製になるものなのかも知れないね。ともかくも、現在の寂光院には阿弥陀像は本尊ではなく、阿弥陀像も同寺の文化財リストにない。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「山羊」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 その臭が、彼より先ににほつて來る。彼の姿はまだ見えないのに、臭はとつくに來てゐる。

 彼は一團の先頭に立つて進み、そのあとから牝山羊の群れが、ごちやごちやひと塊になつて、雲のやうな埃の中をついて來る。

 彼の毛は長く、ぱさぱさしてゐて、それを背中のところできちんと分けてゐる。

 彼は自分の頤鬚よりも、寧ろその堂々たる體格の方を自慢にしてゐる。といふのが、牝山羊も頤の下にちやんと鬚を生やしてゐるからである。

 彼が通ると、或る連中は鼻をつまむ。或る連中は却つてその風情(ふぜい)を愛する。

 彼は右も左も見ない。尖つた耳と短い尻尾(しつぽ)で、まつしぐらに進んで行く。人間どもが彼に罪をなすりつけたところで、それは彼の知つたことではない。彼はしかつめらしい顏をして、數珠つなぎの糞(ふん)を落して行くのである。

 アレクサンドルというのが彼の名前であり、その名は犬の仲間にまで響き渡つてゐる。

 一日が終つて、太陽が隱れてしまふと、彼は刈入れの男たちと一緖に村へ歸つて來る。そして彼の角は、寄る年波に撓みながら、次第に鎌のやうに反りかへつて來る。

 

Osuyagi

 

[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ヤギ亜科ヤギ族ヤギ属の家畜種ヤギ Capra hircus(分類によっては Capra hircus の亜種ヤギ Capra aegagrus hircus )で先頭に立つアレクサンドルは♂で、それに従う「牝山羊」(めすやぎ)が同種の♀。

「人間どもが彼に罪をなすりつけた」贖罪の山羊である。辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」でここに注されて、『古代ユダヤ教では、贖罪(しょくざい)の日』(ユダヤ教に於ける最大の休日の一つで、ユダヤ暦でティシュレー月十日に当たり、ザドク暦では第七のホデシュの十日で、グレゴリオ暦では毎年九月末から十月半ばの間の一日に相当する。以上はウィキの「ヨム・キプル」(贖罪の日)に拠った)『に、大祭司(だいさいし)が、雄やぎにイスラエルじゅうの人々の罪を負わせえ、荒野に放った』とある。また、ウィキの「ヤギ」の「犠牲(生贄)のヤギ」の項によれば、『ヤギは古くから犠牲にささげる獣(生贄)として使われることが多い。古代のユダヤ教では年に』一『度、』二『匹の牡ヤギを選び、くじを引いて』一『匹を生贄とし、もう』一『匹を「アザゼルのヤギ」(贖罪山羊)と呼んで荒野に放った』(「旧約聖書」の「レビ記」第十六章)。『贖罪』の『山羊は礼拝者の全ての罪を背負わされ、生きたまま捨てられる点で生け贄と異なる。特定の人間に問題の責任を負わせ』、『犠牲とすることをスケープゴート(scapegoat、生け贄のヤギ)と言うのは、これにちなんだ表現である』とある。さしずめ、今の忌まわしいイスラエルが、パレスチナの民を虐殺し、また、「沙漠へ行け!」と命ずるのは、おぞましいイスラエル国家が、彼らを「贖罪の山羊」に強引に擬え、血塗られた自身のホロコースト(ポグロム)を正当化しているのと同じである!

 

 

 

 

LE BOUC

 

Son odeur le précède. On ne le voit pas encore qu'elle est arrivée.

Il s'avance en tête du troupeau et les brebis le suivent, pêle-mêle, dans un nuage de poussière.

Il a des poils longs et secs qu'une raie partage sur le dos.

Il est moins fier de sa barbe que de sa taille, parce que la chèvre aussi porte une barbe sous le menton.

Quand il passe, les uns se bouchent le nez, les autres aiment ce goût-là.

Il ne regarde ni à droite ni à gauche : il marche raide, les oreilles pointues et la queue courte. Si les hommes l'ont chargé de leurs péchés, il n'en sait rien, et il laisse, sérieux, tomber un chapelet de crottes.

Alexandre est son nom, connu même des chiens.

La journée finie, le soleil disparu, il rentre au village, avec les moissonneurs, et ses cornes, fléchissant de vieillesse, prennent peu à peu la courbe des faucilles.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「羊」

 

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 彼等はれんげ畑から歸つて來る。今朝から、そこで、からだの影に鼻をくつつけて草を喰つてゐたのである。

 不精な羊飼の合圖で、お決りの犬が、羊のむれをそつちと思ふ方から追ひ立てる。

 そのむれは、道をいつぱいに占領し、溝から溝へ波を打ち、溢れ出る。或る時はまた、密集して一體となり、ぶよつき、老婆のやうな小刻みな足どりで、地べたを踏みならす。それが駈け出し始めると、その無數の脚が蘆の葉のやうな音を立て、道の上の埃は蜂の巢をつついたやうに舞ひ上る。

 こつちの方では、縮れ毛の、たつぷり毛のついた羊が、丸い荷物の包みを空中に投げ上げたやうに跳び上る。すると、その漏斗型の耳から練香(ねりかう)が轉げ落ちる。

 向ふでは、別のやつが眩暈(めまひ)を起して、坐りの惡い頭に膝をぶつつける。

 彼等は村に侵入する。恰も、今日が彼らのお祭りといふ風である。で、騷ぎ犇めいて、街(まち)なかを嬉しさうに啼き廻つてゐるやうだ。

 然し、彼等は村で止つてしまふのではない。見てゐると、遙か向ふに、また彼等の姿が現れる。彼等は遠く地平線に辿りつく。丘を攀ぢながら、輕やかに、太陽の方へ登つて行く。彼等は太陽に近づき、少し離れて寢る。

 遲れた連中は、空に、思ひがけない最後の姿を描き、それから、絲毬(いとだま)のやうに丸く寄り合つた群れのなかに一緖になつてしまうふ。

 一房の羊毛がまた群れを離れたと思ふと、白い泡となつて空を翔(かけ)りながら、やがて煙となり、蒸氣となり、遂になんにもなくなつてしまふ。

 もう脚が一本外に出てゐるだけだ。

 その脚は長く伸び、紡錘(つむ)のやうに次第に細くなりながら、何處までも續いてゐる。

 寒がりの羊どもは、太陽のまはりに眠る。太陽は大儀さうに冠を脫ぐと、明日まで、その後光を彼らの毛綿の中に突き刺しておくのである。

 

 

 

Hituji

 

 

 

 羊たち――「しかし(メエ)……しかし(メエ)……しかし(メエ)」

 牧犬――「然し(メエ)も糞もねえ!」

 

[やぶちゃん注:前篇と短い後篇の間の五行空けはママである。ここではそこにボナールの絵を配した。哺乳綱鯨偶蹄目ウシ亜目ウシ科ヤギ亜科ヒツジ属ヒツジ Ovis aries と、「れんげ畑」で双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ゲンゲ属ゲンゲ Astragalus sinicus と、哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イヌ Canis lupus familiaris 。但し、「れんげ畑」に相当するのは、“chaumes”で、これは単に「麦などの農作物を刈り取った刈り株畑」で、「れんげ畑」という訳が穏当であるかどうかは疑問がある。寧ろ、ゲンゲも含むが、多種の雑草類をイメージした方が正しい。

 比喩であるが、「蘆」で単子葉植物綱イネ目イネ科ダンチク(葮竹・暖竹)亜科ヨシ(蘆・葭)属ヨシ Phragmites australis 。「道の上の埃は蜂の巢をつついたやうに舞ひ上る」の「蜂の巢」は明らかに蜂養箱の中の整然としたそれであるから蜜蜂で、昆虫綱膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ミツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科ミツバチ族ミツバチ属セイヨウミツバチ Apis mellifera

「練香(ねりかう)」耳糞。

「もう脚が一本外に出てゐるだけだ」さらに遅れた羊の群れの換喩。

「紡錘(つむ)」糸巻などの心棒。或いは、糸をつむぐ機械の部品。鉄製の細い棒で、これを管に差し込んで回転させ、糸を巻くと同時によりをかける用をするもの。ここは太陽光の温みを、それに喩えて羊たちの体にそれを刺し添えたという換喩・寓喩である。また、ルナールの一九〇一年五月十三日の日記(一九七七年臨川書店刊・同全集第十三巻・打田・柏木・北村・小谷・松田共訳)に、『雲を突き抜ける太陽光は、毛糸に刺さる針のようだ。』とある(第五巻の佃裕文訳「博物誌」の後注で探した)。

「しかし(メエ)」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」で注されている通り、『「メ(ー)」というのは、フランス語で「だけど」という意味』を掛けている。接続詞で綴りは、“mais”、発音は「メ」。]

  

 

 

 

LES MOUTONS

 

Ils reviennent des chaumes, où, depuis ce matin, ils paissaient, le nez à l'ombre de leur corps.

Selon les signes d'un berger indolent, le chien nécessaire attaque la bande du côté qu'il faut.

Elle tient toute la route, ondule d'un fossé à l'autre et déborde, ou tassée, unie, moelleuse, piétine le sol, à petits pas de vieilles femmes. Quand elle se met à courir, les pattes font le bruit des roseaux et criblent la poussière du chemin de nids-d'abeilles.

Ce mouton frisé, bien garni, saute comme un ballot jeté en l'air, et du cornet de son oreille s'échappent des pastilles.

Cet autre a le vertige et heurte du genou sa tête mal vissée.

Ils envahissent le village. On dirait que c'est aujourd'hui leur fête et qu'avec pétulance, ils bêlent de joie par les rues.

Mais ils ne s'arrêtent pas au village, et je les vois reparaître, là-bas. Ils gagnent l'horizon. Par le coteau, ils montent, légers, vers le soleil. Ils s'en approchent et se couchent à distance.

Des traînards prennent, sur le ciel, une dernière forme imprévue, et rejoignent la troupe pelotonnée.

Un flocon se détache encore et plane, mousse blanche, puis fumée, vapeur, puis rien.

Il ne reste plus qu'une patte dehors.

Elle s'allonge, elle s'effile comme une quenouille, à l'infini.

Les moutons frileux s'endorment autour du soleil las qui défait sa couronne et pique, jusqu'à demain, ses rayons dans leur laine.

LES MOUTONS. - Mée... Mée... Mée...

LE CHIEN DE BERGER. - Il n'y a pas de mais !

 

2023/11/06

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「嶋原の殺鬼」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 嶋原の殺鬼【しまならのさつき】 〔中陵漫録巻十〕去年、肥前の嶋原北有村<長崎県島原市>と云ふに農人あり。年二十七歳、幼《をさなき》より癲癇《てんかん》の病《やまひ》に苦しむ。或人云く、死人を火葬する時、飯を握りてその火中に入れて焼き食すれば、その病治《ぢ》すと云ふ。父母これを作り与ふれども、臭気ありとて食せず。数度進め与ふるに至つて、却つて好む事甚し。若し村中に死人あれば、掘出《ほりいだ》して食ふ。また三四歳の小児を見る時は、取つて食せんとす。或時国中に人多く集りたる中、人一人裸にてあるを両手にて相抱《あひかか》へ食せんとす。その大勢にてこれを引分《ひきわ》くれども、真《まこと》に大力《だいりき》にて、数人《すにん》の手にて及ばず。漸《やうや》くの事にて其手をはづし、椶櫚《しゆろ》にて縛り絡(から)めてその家に連れ行く。その父斧を持つてその咽を打敗りて殺す。その時の声天に響き、真に恐るべき有様なり。国主より有司《ゆうし》[やぶちゃん注:「役人」に同じ。]来りて委曲を具して上(たてまつ)る。その後は是非の命下る事なしと云ふ[やぶちゃん注:父に対する咎めのことであろう。]。この時人皆《ひとみな》云く、嶋原の人《ひと》鬼《おに》と化したりと云ふ。或ひは角を生じ牙を生ずと云ふ。聞くもの丹波の大江山の鬼の如く思ふもの多し。余その村人に尋ぬる処、此《か》の如く身躰《しんたい》はまだ人なれども、心は化して鬼たる疑ひなし。仏法の鬼を図《づ》すは、この人の心を形容するなるべし。世の人《ひと》鬼と云ひし事、実《まこと》にしかり。

[やぶちゃん注:「中陵漫録」「会津の老猿」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで(『日本隨筆大成』第三期第二巻昭和四(一九二九)年刊)当該部が正字で視認出来る。

「去年」原本の前後から見ても、特定出来ない。

「肥前の嶋原北有村」現在の長崎県南島原市北有馬町(きたありまちょう:グーグル・マップ・データ)であろう。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「嶋遊び」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 嶋遊び【しまあそび】 〔諸国里人談巻四〕西国の海上に廻船夜沖掛りとて、沖中に碇をおろして泊る事あり。深更におよんで、間近きに一の嶋出来《しゆつらい》して、樹木民屋立ちつらなり、行きかふ人あまたにして、商人《あきびと》の物売る体《てい》など髣髴と見ゆる。いつの間にかは磯ちかきに船や寄りけんとうたがふに、明くれば嶋はなく、渺々たる海原なり。たゞ夢に見たるがごとし。これを嶋の遊びといへり。この事多くはなし。稀の事なり。案ずるに蜃気楼の類ひなるべし。

[やぶちゃん注:私の「諸國里人談卷之四 嶋遊」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「芝居者怪死」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 芝居者怪死【しばいものかいし】 〔耳嚢巻四〕寛政八辰年、春より夏へ移る時なりしが、伝馬町<東京都中央区内>に住居せる、旅芝居等の座元などして、国々をあるきけるもの、行徳にて芝居興行なし、殊の外当り、繁昌して余程金儲けせしとて、同志の者も歓びて、芝居も済みて四人連れにて、海上を船にて行徳河岸<東京都中央区日本橋小網町>を心懸け、渡海なしけるが、かの座元の者、この度は仕合せもよしとて、酒肴などを調へ、四人にて酔を催しけるに、如何なしけん、右座元海中へ落ちしや、纔(わづ)かの船中にて、行衛なくなりし故、残る三人の者、船頭ともに大いに驚き、又々行徳へ乗戻し、海士を懸け、網を入れて、くまなくさがしけれども、死骸も見えず。詮方なければ、同船の内、跡に残して猶尋ね捜し、三人の者は彼座元が家内へもしらせんと、江戸表へ使船《つかひぶね》にて立帰り、その日の昼過ぎに、まづかの座元の住居せる、伝馬町の裏店《うらだな》へ入らんとせしが、三人ともしきりに物凄く、恐ろしさに互ひに譲り合ひて、まづ誰入り候へとて争ひしが、所詮よき事を告るにもあらざれば、迷惑もあり内《うち》なり[やぶちゃん注:「ありがちなり」に同じ。]。さらば酒飲みて行かんとて、程近き酒店へ立より、一盃を傾けて、又々立向ひしが、同じく三人とも尻込みなしけるを、中に年嵩なるをのこ、さきに立ちて入りし故、跡に付て残る者も立入りしが、この座元の女房は、門口に洗濯をなして居《ゐ》たりしが、三人を見て、何故遅く帰り給ふや、内にては今朝戻られたりといふに驚きて、滞りなく帰り給ふや、御目に懸りたき間、案内なし給へといひしに、先刻帰りて酒食をなし、二階に臥り給ふ間、直《ぢき》に二階へ上り給へといひし故、弥〻《いよいよ》不審にて、先づ行て起し給へといへど、兼ねて芝居ものの仲間突合、案内にも及ばざる事ゆゑ、女房一円承知せず、火など焚附け居《をり》けるを、無理に勧めて、二階へ女房を遣しけるに、わつというて倒れ臥しける様子ゆゑ、近所の者も驚きて駈付け、右の人もあきれて、しかじかの事をかたり、家主をも呼びて、一同二階へ上りしに、いづれ帰りて臥《ふせ》り居《をり》しと見えて、調度など取ちらし、その脇に女房絶死してありける故、水など顔へかけて、漸《やうや》く正気付きし故、いかなる事と尋ねければ、今朝かへりて後、何も常にかはる事もなかりしが、今更不思議と存ずるは、人間は老少不定といへば、先立つものもあるならひ、我らも死しなば、相応に跡弔ひて、何方《いづかた》へも再嫁すべしといひしが疑はしき事と思ひしが、その外にも不思議の咄しせしが、これは外へはもらしがたき由云ひけるゆゑ、夫婦間の事には、咄し難き事もあるべけれど、くるしからぬ事ならば、かたり給へと切に問ひしに、夫婦合《あひ》の事にてもなし、かたるにも面《おも》てふせなることならねど、この事はかたく外へ洩すまじき由、口留めせし故とてさゞりしを、取込みて無理に尋ねければ、然らばとて、二言三言語り出しける頃、二階の上にて大石を落せし如き音のしければ、女房はわつというて倒れ、何れもそら恐ろしくて聞きはてず、己が家々へ帰りし由。かの三人のものの内、宇田川何某の方へ出入せし故、かの咄しをなしけるに、かの座元の妻が二こと三こと申出せしは、いかなる事と、せちに責め問ひければ、拠(よんどころ)なく咄し出さんとせしに、次の間にて磐石(ばんじやく)を落しけるごとき音なしける故、驚き止(やめ)しと人の語りけるなり。<『日本芸林叢書』の註に「此の話、こはだ小平次の話と附会するか」とある>

[やぶちゃん注:私は「耳嚢 巻之四 戲場者爲怪死の事」でかなり考証を行い、「こはだ小平次」との類話性も考察してある。現代語訳もちょっと凝った形にしてあるので、是非、読まれたい。

『日本芸林叢書』国立国会図書館デジタルコレクションの同叢書の第十巻(三村清三郎等編・昭和三(一九二八)年六合館刊)の「耳囊」の当該話の最後の頭書に確かにある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「不忍池の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 不忍池の怪【しのばずのいけのかい】 〔塩尻巻六十八〕忍ばずの池<東京都台東区内>は慶長の頃より水谷氏の別業《べつぎやう》なりし。東叡山御建立の時、寄附し参らせらる。其後池の端在家やゝ立そめし、山名勘十郎といへるすゑ物切《ものぎり》、世渡る者ありし。彼が母容《かたち》うるはしかりけれど、心猛き女にて、人のなま首を見ざれば、食もすゝまずとて、我子にいひて、毎《つね》に人の屍骸を側にかさね置きしかば、山名ももてあつかひける。或時下部に乗物させ打乗り、城西を廻り、今の山王の西なる池辺に乗物おろさせ、やうこそあれ、汝等は帰り去れとて強ひて帰せし。僕等《しもべら》帰るまねしてその辺にかくれうかゞひしに、俄かに空かきくもり、夕立雷電はげしく、浪立さわぎて水《みづ》路《みち》をひたせし。かの乗りし馬の主《あるじ》(浅草の馬子《まご》)跡より息も続ぎ[やぶちゃん注:ママ。後注のリンク先の活字本では『續あへす』(「ず」)であるから、「き」の誤字か誤植である。]あへず馳来《はせきた》り、我《われ》赤坂溜池の辺を通りしに、怪しげなる女房、水中より浮き出《いで》馬をひかへ、我をこの馬にのせよとて飛乗りしかば、さるにても何方《いづかた》へ行きたまふぞと問へば、我里は此あたりなりし故、この池の主《ぬし》とならんと思ひしに、先に鯉ありて主となり、我を拒《こば》めり。さらば住馴《すみな》れし辺りなる忍ばずの池へとて馳出《はせい》で侍りしが、得《え》追つかで追《おひ》参りし。その女房は如何にと問ふ。人々物恐ろしく、この池にとて騒ぎあヘり。その後まゝ怪異の事もありしに、勧学院の了翁僧都、嶋を築き弁才天を安置し、悪霊を鎮《ちん》せられし。然るに一旦地震して、鐘楼倒れ、鐘池中に沈みし。房州の海士《あま》を将《ゐ》て[やぶちゃん注:率(ひき)いて。]きたり、かづき求めしに、泥深く底を尽し入る事を得ず。これもまた彼《かの》霊の取りしにやといへり。了翁一切経を彼嶋に安置せられし後は、怪しき事も絶えしとかや。

[やぶちゃん注:「鼬の火柱」で既出既注国立国会図書館デジタルコレクションの「隨筆 塩尻」下巻(室松岩雄校・明治四〇(一九〇七)年帝國書院刊)のここ(右ページ下段)で正字で視認出来る。にしても、この「山名勘十郎」の母親というのが、何故、かくした大異変を起こしたのか、その正体は何か、というところが(多分、龍の変化らしいが)、全くのブラック・ボックスで、私には消化不良も大抵にしてくれ! と叫びたくなった。

「勧学院」鎌倉時代以後、諸大寺で、堂舎を建てて、宗学を教授したところ。最古は弘安四(一二八一)年創建の高野山の勧学院。「勧学講院」とも呼ぶ。ここは、次の注に出る、不忍池に近い寛永寺の中に了翁が創建した「勧学寮」のこと。

「了翁僧都」江戸前期の黄檗宗の名僧了翁道覚(りょうおうどうかく 寛永七(一六三〇)年~宝永四(一七〇七)年)。出羽国雄勝郡八幡村生まれ。当該ウィキによれば、寛文五(一六六五)年)、三十六歳の時、『了翁は黄檗山萬福寺を下り、寺塔の建立と蔵経の奉納の誓願を立て、そのための募金の旅に出、畿内を発して奥羽地方から関東に及び、多くの人々から喜捨をうけた。江戸では旗本の松平孝石邸に滞泊していたが、そのとき指灯の旧痕が再び痛み出した。一心に観世音菩薩を念じて平癒を祈ったある日、了翁は霊夢をみたという』、『それは、長崎興福寺を開いた明の高僧黙子如定が夢枕に現れ、霊薬の製法を与えるという夢だった。そのとおり』、『薬を調整して患部に塗ると間もなく指痛は鎮まった。その後、羅切の痛みが再発したときも、如定の霊薬により平癒した。また、飲用すると心身爽快になったといわれる。この妙薬を人々に施せば功徳があると考えた了翁は、浅草の観世音菩薩に祈念し、籤を』三『度ひいて「錦袋円(きんたいえん)」と名づけた。薬の効能は素晴らしいもので、傷病に苦しむ多くの人を救ったとされる』。『錦袋円は、江戸上野の不忍池』(☜)『のほとり(現池之端仲町)に構えられた店舗でも売られた。甥の大助に経営を任せたところ、これが評判を呼んで飛ぶように売れ、江戸土産にまでなり、寛文』一〇(一六七〇)年には、『金』三千『両を蓄えるまでに至った。「勧学里坊(勧学屋)」と名付けられた薬舗の看板は、水戸光圀の直筆の文字を左甚五郎が彫ったものともいわれており、『江戸名所図会』にも「池之端錦袋円店舗の景」が描かれている』。彼は同年、その金をもとに、三百『両で宿願の大蔵経(天海版大蔵経)六千三百二十三『巻)を購入した。さらに輪王寺宮初代の守澄法親王の許可を得て、不忍池に小島(「経堂島」)を築き、そこに』二『階建の経堂を建てて』、『大蔵経を納めた。その後、京都の東福寺塔頭普門院に行き、聖一国師円爾の像を礼拝し、座元を務めた。また、号を了然より』、『了翁に改めた』。翌寛文十一年には、『水面に近い位置に建てられた経堂を上部に移築し、広く内外の典籍を蒐集、識者の披閲に供し、堂内に如定将来の三聖像を安置した。また、伊勢の安養寺の門前に施薬館を建てたほか、京都の泉涌寺の門前にも施薬所を設置して』五万五『千袋余に及ぶ錦袋円を処方した』。漢文十二年には、『棄児十数人の養育をはじめている。また、同年、上野寛永寺のなかに勧学寮』(☜)『を建立し、教学の専任となった。並立した文庫』六『棟には和漢の書籍を収蔵し、僧侶ばかりではなく、一般にも公開した。これは、日本初の一般公開図書館であったばかりでなく、閲覧者のなかで貧困の者や遠来の者には』、『飯粥や宿を与えるという画期的な教育文化施設であった』とある。初期と後年の事績はリンク先を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「篠崎狐」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 篠崎狐【しのざきぎつね】 〔梅翁随筆巻五〕小松川の先に篠崎村<東京都江戸川区内>といふ所に、至りていたづらなる狐すみて、人をたぶらかす事毎度なり。この村より中山の東へ塩肴《しほざかな》を商ふものあり。午八月廿七日早朝、例のごとく魚を荷ひて出けるが、道に四疋とも白き大狐、いういうと昼寐して居たるを、日ごろ魚をとられ、憎しと思ひ居《をり》ければ、近々としのび寄り、大声を出しおどしければ、狐は大いにうろたへて一さんににげ行きけるを、心よく見やりて行きけるに、さしも快晴なりし天気、俄かにかはりて雨ふり出して、次第に強くなり、衣類もひたぬれて難儀なれば、いつも休みける野中の家を心ざし急ぎける内に、早《はや》入相《いりあひ》<日暮れ>の鐘ほそく聞えて、黄昏《たそがれ》にいたりし頃、やうやうとして行著《ゆきつ》きけるに、この家の女房死して、今は棺桶を荷ひ出《いだ》す所なり。亭主いふやう、留守をしながらゆるりと休み給へと云捨て出で行きける。只壱人残りゐて、火の傍《かたはら》により、ぬれたる著ものをあぶり居る所、一陣の風ふき来りて、かの女房の幽霊、忽然とあらはれ出たり。気味あしき事いふばかりなく、一心に念仏を念ずるより外はなし。しかるに幽霊次第に側ちかく来《きた》ると見えしが、飛びかゝつてこの男の腕をしたゝか喰付きたり。にげ出づべき透間《すきま》もなければ、命をかぎり防ぎ働きけれども、その霧のごとく姿はみゆれども、手にこたへなければ、詮かた尽きてすでに喰殺されんとしける。この時篠崎村の百姓農業に出て、かの方をみれば、同村の肴売り、川除堤《かはよけつつみ》を上りつ下りつ、種々《しゆじゆ》無量《ぶりやう》[やぶちゃん注:はかり知ることが出来ぬほどひどい状態。]になりて、身をもみ血だらけになりてさわぎ居るゆゑ、例の狐に化されたるなるべしとて、押しすくめて天窓(あたま)より水をあぶせければ、これにてはじめて正気となり、今のありさまを語りけり。只雨にぬれたるをいとひて、先へ急ぐのみにこゝろを奪はれ、朝早く宿を出たるに、忽ち日の暮れける事にも心付かず。さてさて怖ろしき目にあひしと、早速小豆飯を焚き、油揚を添へて狐の昼寐せし処へ持ちゆき、さし置きてわび事して、以後をつゝしみけるとなり。誠にふるき咄しに語り伝へしごとき古格《こかく》なる事なり。これは目前にたしかにみたるとて、この村のものはなしけるなり。もつともこの日雨はふらねども、降るごとくの術をなし、それよりばかし入れたるなり。腕を喰ひつかれたるはまことにて、しばらくはそのいたみに難儀したるとぞ。

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字表現のものが見られる。標題は「○篠崎きつねの事」。

「小松川の先」「篠崎村」「東京都江戸川区内」東京都江戸川区篠崎町(しのざきまち:グーグル・マップ・データ)。

「中山」前の地図を見て頂くと、江戸川を挟んだ対岸に千葉県市川市中山、及び、船橋市の中山地区があるから、本話のロケーションはこっちの江戸川左岸附近である。

「古格なる事なり」ここは非常に古くから言い伝えられている型の狐の化かし方のまんまであるの意。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「嫉妬の火の玉」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 嫉妬の火の玉【しっとのひのたま】 〔思出草紙巻六〕正徳初年の頃、上総の国望陀郡《まうだのこほり》青柳村といふ所に、百姓権平といふものあり。その妻久々煩らひて死したり。近辺の寺に葬りぬ。程なく後妻を呼び迎へたり。この女しつと深くして、亡妻の残し置きたる調度など疎みきらひつゝ、ましてその忌日など弔ふ事は思ひもよらず。心ざし片ましく[やぶちゃん注:心が拗(ねじ)けているさま。]、何事も夫たるものの心にそむきけるまゝ権平もある時は、先妻は左様なる心にてはなかりしものをなど云ふを聞きて、後妻は妬み僻《ひが》める事多く、常々中《なか》あしかりしが、或時同村の百姓八右衛門といふもの、かの寺に仏事ありて働きに雇はれて、夜を更《ふか》して墓所を過ぎて我宿に帰る。この寺は村より放れたり。また墓所は野中にて寺より放れてあり。かの墓所を通る所に、石塔のうしろより、八右衛門殿と女子の声にて呼ぶ。この八右衛門、したゝかものなれば、少しも恐れず。何事なるぞといふ。彼女が曰く、我はその元、同村権平が亡妻なり、今の妻、もの妬み深く、われを嫉妬する故、夜毎にたましひ爰《ここ》に来て我とたゝかふ、これを除きて我苦しみを助けてたべ。八右衛門が曰く、心得たり、然らばいかにして宜しきぞ。亡妻が曰く、其元(そのもと)明夜爰に来りて待《まち》たるべし、東の方より飛び来《きた》る青き火の玉こそ、後妻の生霊なり、赤き火の玉は我《わが》霊魂なり、此生霊を除きくれられよ。八右衛門申しけるは、成程如何にも心得たりとて、よべ請合ひ帰りて、その翌日夜に入りて、八右衛門は大脇ざしを帯し、かの墓所に至りて、今や今やと侍ちける処に、夜半頃、案の如く東の方より青き火の玉飛び来りて、かの墓の上にかゝると見えしが、墓中《はかうち》より赤き火の王出《いで》て、上になり下になりたゝかふ体《てい》なり。八右衛門、脇差を抜《ぬき》て飛びかゝり、青き火の玉を真二ツに切割るとおもへば、二ツながら消えうせてやみとなり、跡方もなし。不思議なる事におもひつゝ急ぎ我村に帰り、直《ただち》にかの権平が方へ至り見るに、夜中ながら殊の外騒動せり。八右衛門、何事なるぞと問ひければ、権平が曰く、後妻常の如く臥所《ふしど》によく寝入りて居たりしに、俄かに一声さけんで息たえたり。八右衛門が曰く、それは気の毒千万なりと、さりげなき体にもてなし、宿所に帰り思案を極め、その翌日権平が方へ行きて、ありし事の始末を物語り、其元の為には妻の敵《かたき》なれば、我を討つて亡霊へ手向《たむ》け給へといひければ、権平大きに驚き怪しみ、涙をながしていはく、我かゝる不祥にあふ事、過去の因果たるべし、然れば仇《あだ》をむくふ心なし、これぞ菩提なりとて、直ちに出家になりしかば、八右衛門も大いに歎き、同じく出家してともに廻国修行に出《いで》たりける。この談はその村に語り伝ヘし事にて、其所《そこ》の者の咄なり。

[やぶちゃん注:「思出草紙」「古今雜談思出草紙」が正式名で、牛込に住む栗原東随舎(詳細事績不詳)の古今の諸国奇談珍説を記したもの。『○嫉妬深き女の事』がそれ。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで正規表現で視認出来る。

「望陀郡青柳村」「もうだのこおり/ぐん(現代仮名遣)」と読む。現在の千葉県君津市青柳(グーグル・マップ・データ)。上記原本で『望院郡』とあるのは誤植であろう。

「近辺の寺」青柳地区内であるなら、真言宗智山派不動院(大日堂)がある(グーグル・マップ・データ)。また、地区外でも、その寺の青柳にごく近い寺として、円覚寺や円如寺もある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「嫉妬の智慧」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 嫉妬の智慧【しっとのちえ】 〔譚海巻八〕芸州にある家司、婢を愛して密会せしに、男婢の寝所へ行きたるあしたは、その妻必ず知りて口舌(くぜつ)たえざりけり。男も妻のやかましきをいとひて、よく寝たるほどをうかゞひ、深夜に随分おとせずゆけども、翌日妻のことをしりて、責めのゝしる事神の如くなれば、この男あやしく思ひて年月経たるに、ある夜婢の寝所へゆかんとて、閨のふすまをひそかに明けたれば、ふすまのしりにおされて、豆ひとつまろび出たり。男おもふやう、さればこの豆をかくのごとく戸尻におきて、豆の戸じりになき折は、それとさとりてかくいふ事と思ひよりて、その夜婢のところより帰りて、ふすまを明《あく》るとき、もとのごとく、豆をふすまのしりに置きていねければ、翌日妻の口舌もなく柔和なる体《てい》なれば、いよいよこの豆のゆゑにさとらる事をしりて、婢の寝所よりもどる時は、豆を元のごとく戸じりに置きたるに、やゝしばしは口舌もなく、男よろこびて、仕すましたりと思ひしに、月ごろふる後は、豆をいつものごとく置きていぬれども、妻また密会をしりて、やかましく口舌いふ事、前時《まへのとき》にこえたり。男心を留めて見るに、その後は豆をもおかざれど、よく知る事、甚だ不思議なる事と怪しみしに、ある夜又婢のもとへゆかんとて、ふすまのかけがねをひそかにはづす時、かけ金《がね》を髪の毛一すぢにて結びとぢてあり。男さればこそ、この頃豆もおかざれどこの事をしるは、此《かく》の如くかけがねを髪の毛にて結び置きたるが、引き切れてあるよりは、我《わが》密会をさとりしりていふなりと推量して、心友《しんいう》に物語りて笑ひけるとぞ。女の愚かなる智も、嫉妬のかたに用《もちふ》れば、かくの如く奇妙なる働きはする事といへりけるとぞ。

[やぶちゃん注:事前に正規表現で「譚海 卷之八 藝州家士の妻奸智ある事(フライング公開)」を公開しておいた。]

譚海 卷之八 藝州家士の妻奸智ある事(フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。注は不要と判断した。]

 

 藝州にある家司、婢(ひ/はしため)を愛して、密會せしに、男、婢の寢所へ行(ゆき)たるあしたは、其妻、必ず、知りて、口舌(くぜつ)たえざりけり。

 男も、妻のやかましきをいとひて、能(よく)寢たるほどをうかゞひ、深夜に、隨分、おとせずゆけども、翌日、妻の是(これ)をしりて、責めのゝしる事、神(かみ)の如くなれば、此男、あやしく思ひて、年月、經たるに、ある夜、

『婢の寢所へ、ゆかん。』

とて、閨(ねや)のふすまを、ひそかに明(あけ)たれば、ふすまのしりに、おされて、豆、ひとつ、まろび出たり。

 男、おもふやう、

『されば、この豆を、かくのごとく戶尻におきて、豆の戶じりになき折(をり)は、それと、さとりて、かく、いふ事。』

と、思ひよりて、そのよ、婢のところより歸りて、ふすまを明(あく)るとき、もとのごとく、豆を、ふすまのしりに、置きて、いねければ、翌日、妻の口舌もなく、柔和なる體(てい)なれば、いよいよ、此豆のゆゑに、さとらる事をしりて、婢の寢所よりもどる時は、豆を元のごとく戶じりに置(おき)たるに、やゝしばしは、口舌もなく、男、よろこびて、

『仕(し)すましたり。』

と、思ひしに、月ごろ、ふる後(のち)は、豆を、いつものごとく置きていぬれども、妻、又、密會をしりて、やかましく口舌いふ事、前時(まへのとき)に、こえたり。

 男、心を留(と)めて見るに、

『その後は、豆をも、おかざれど、能(よく)知る事、甚(はなはだ)、不思議なる事。』

と、怪しみしに、ある夜、又、

『婢のもとへ、ゆかん。』

とて、ふすまのかけがねを、ひそかに、はづす時、かけ金(がね)を髮の毛一すぢにて、結びとぢて、あり。

 男、

『さればこそ。此頃、豆もおかざれど、此事をしるは、如ㇾ此(かくのごとく)かけがねを、髮の毛にて結び置(おき)たるが、引ききれてある夜(よ)は、我(わが)密會をさとりしりて、いふなりけり。』

と推量して、心友(しんいう)に物語(ものがた)りて、笑ひけるとぞ。

「女の、をろかなる[やぶちゃん注:ママ。]智も、嫉妬のかたに用(もちふ)れば、かくの如く、奇妙成(なる)はたらきは、する事。」

と、いへりけるとぞ。

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「豚」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 ぶうぶう云ひながら、しかも、我々みんなでお前の世話をしたかのやうに、人に馴れきつて、お前は何處へでも鼻を突つ込み、脚と一緖にその鼻で步いてる。

 お前は蕪(かぶら)の葉のやうな耳の蔭に、黑すぐりの小さな眼を隱してゐる。

 お前はまるすぐりのやうに便々たる腹をしてゐる。

 お前はまたまるすぐりのやうに長い毛を生やし、またまるすぐりのやうに透き通つた肌をし、先の卷いた短い尻尾(しつぽ)を付けてゐる。

 ところで、意地の惡い連中は、お前のことを「穢ならしい豚!」と云ふのだ。

 彼等は云ふ――なに一つお前つ方ではこれが嫌ひと云ふものがないのに、みんなに嫌はれ、その上、お前は水を飮んでも、脂肪(あぶら)ぎつた皿の水ばかり飮みたがる、と。[やぶちゃん注:「お前つ方」は「おまえつがた」と読ませてゐると思われる。近世以降の二人称複数であるが、促音が間に挾まる表記法は珍しいと思われる。]

 だがそれは全くの誹謗だ。

 そんなことを云ふ奴は、ひとつお前の顏を洗つてみるがいい。お前は血色のいい顏になる。

 お前が不精つたらしいのは、彼等の罪である。

 床の延べやうで寢方も違ふ。不潔はお前の第二の天性に過ぎない。

 

 

 

Buta

 

 

 

[やぶちゃん注:底本ではこの題名のみゴシック體太字で、ポイント落ち。ここは底本では、前のパートから改ページとなっているため、前のアフォリズムの後は八行空けがある。なお、以下の「豚と眞珠」の開始ページの左に明石哲三氏の豚の絵がある。代わりに、ボナールの絵を挟んだ。]

 

 

     豚と眞珠

 

 

 草原に放すが否や、豚は喰ひはじめる。その鼻はもう決して地べたを離れない。

 彼は柔らかい草を選ぶわけではない。一番近くにあるのにぶつかつて行く。鋤(すき)の刅のやうに、または盲の土龍(もぐら)のやうに、行き當たりばつたりに、その不撓不屈の鼻を前へ押し出す。[やぶちゃん注:「刅」は実際には最終画がない「グリフウィキ」のこれ。]

 それでなくても漬物樽のやうな形をした腹を、もつと丸くすることより考へてゐない。天氣がどうであらうと、そんなことは一向お構ひなしである。

 さつき、肌の生毛(うぶげ)が、正午の陽ざしに燃えやうとしたことも平氣なら、今また、霰を含んだあの重い雲が、草原の上に擴がりかぶさらうとしてゐても、そんなことには頓着しない。

 さう云へば、鵲(かささぎ)は、彈機(ばね)仕掛けのやうな飛び方をして逃げて行く。七面鳥は生垣のなかに隱れ、初(うひ)々しい仔馬は槲の木陰に身を寄せる。

 然し、豚は喰ひかけたもののある所を動かない。

 彼は、ひと口も殘すまいとする。

 落着かなくなつて尻尾(しつぽ)を振るでもない。

 雹がからだにばらばらと當ると、やうやく、それも不承不承唸る――

 「うるせえやつだな、また眞珠をぶつつけやがる!」

 

[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシ亜種ブタ scrofa domesticus 。因みに、私は幼少期からブタを見るのが、大好きだった。その他、実際に登場するのは、他に「鵲」鳥綱スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica と、既出の鳥綱キジ目キジ科シチメンチョウ亜科シチメンチョウ属シチメンチョウ Meleagris gallopavo と、「仔馬」哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ウマ(ノウマ) Equus caballus(或いはノウマの亜種とする場合は、Equus ferus caballus )、そして、「槲」だが、これはフランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ族 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名は common oakQuercus robur を挙げてもよいだろう。

 「黑すぐり」比喩で現れるこれは、双子葉植物綱ユキノシタ目スグリ科スグリ属クロスグリ Ribes nigrum 。「まるすぐり」も同前であるが、これは、「グーズベリー」で、スグリ属セイヨウスグリ Ribes uva-crispa である。「土龍」やはり比喩に過ぎないのだが、一応、示すと、哺乳綱真無盲腸目モグラ科 モグラ族ヨーロッパモグラ属 Talpa 、或いは、タイプ種のヨーロッパモグラ Talpa europaea としておく。

「我々みんなでお前の世話をしたかのやうに」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、ここを以下のように、一文で訳しておられる。『私が、豚であるおまえといっしょに豚を飼ってでもきたみたいに。』で、それに注があり、『フランス語で「いっしょに豚を飼う」というと、「とても親しい仲だ」という意味にある。ここは、それをなれなれしくしてくる相手が当の豚なので、おもしろい』と評しておられる。

「お前は蕪(かぶら)の葉のやうな耳の蔭に、黑すぐりの小さな眼を隱してゐる。」私の『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』の「十九」に以下のようにある。

   *

 母親が自分のほうを向いて笑っていると思い、にんじんは、うれしくなり、こっちからも笑ってみせる。

 が、ルピック夫人は、漠然と、自分自身に笑いかけていたのだ。それで、急に、彼女の顔は、黒すぐりの眼を並べた暗い林になる。

 にんじんは、どぎまぎして、隠れる場所さえわからずにいる。

   *

これによっても、「黑すぐりの小さな眼を隱してゐる」には、ルナールのネガティヴなイメージが隠れていることが判る。

『「穢ならしい豚!」』前掲の辻氏の注に、『人にむかって「きたないやつめ』!『」というときに、フランスでは「きたない豚め』!『」ということがある。この表現をもとに意味にもどして、豚自身に』対して『使っている』ところが、確かに面白い。

「だがそれは全くの誹謗だ」一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』の第五巻の佃裕文訳「博物誌」の注によれば、『このユーモラスな話はレオン・ギシャールによれば、ビュフォンにたいするルナールの抗議のひとつである』とのことである。

「床の延べやうで寢方も違ふ。」ここは辻氏は『おまえは、人間がしつらえたベッドどおりに寝てるんだ。』と訳され、注で、『フランスに、「人間は自分のしつらえたベッドどおりに寝るものだ」(自業自得(じごうじとく)ということわざがあるが、それをもじったもの』とあった。

「豚と眞珠」の一篇は、先行する「ぶどう畑のぶどう作り ジュウル・ルナアル 岸田国士訳」に同題で既に出ている。この題名に就いては、辻氏が注で、『「豚に真珠」(値うちのわからぬものにりっぱな物をやっても無意味である)ということわざ(『新約聖書』「マタイによる福音書」(七の六)をもじったもの』とある。「ウィキソース」の永井直治氏の一九二八年訳「マタイ傳聖福音(新契約聖書) 」第七章第六節を引く。

   *

犬に聖なるものを與ふる勿れ。また豚(ぶた)の前に汝等の眞珠を投ぐる勿れ。恐らくは彼等これをその足にて蹈みつけ、ふり返りて汝等を裂かん。

   *]

 

 

 

 

LE COCHON

 

Grognon, mais familier comme si nous t'avions gardé ensemble, tu fourres le nez partout et tu marches autant avec lui qu'avec les pattes.

Tu caches sous des oreilles en feuilles de betterave

tes petits yeux cassis.

Tu es ventru comme une groseille à maquereau.

Tu as de longs poils comme elle, comme elle la peau claire et une courte queue bouclée.

Et les méchants t'appellent : “ Sale cochon ! ” Ils disent que, si rien ne te dégoûte, tu dégoûtes tout le monde et que tu n'aimes que l'eau de vaisselle grasse.

Mais ils te calomnient.

Qu'ils te débarbouillent et tu auras bonne mine.

Tu te négliges par leur faute.

Comme on fait ton lit, tu te couches, et la malpropreté n'est que ta seconde nature.

 

 

 

LE COCHON ET LES PERLES

Dés qu'on le lâche au pré, le cochon se met à manger et son groin ne quitte plus la terre.

Il ne choisit pas l'herbe fine. Il attaque la première venue et pousse au hasard, devant lui, comme un soc ou comme une taupe aveugle, son nez infatigable.

Il ne s'occupe que d'arrondir un ventre qui prend déjà la forme du saloir, et jamais il n'a souci du temps qu'il fait.

Qu'importe que ses soies aient failli s'allumer tout à l'heure au soleil de midi, et qu'importe maintenant que ce nuage lourd, gonflé de grêle, s'étale et crève sur le pré.

La pie, il est vrai, d'un vol automatique se sauve ; les dindes se cachent dans la haie, et le poulain puéril s'abrite sous un chêne.

Mais le cochon reste où il mange.

Il ne perd pas une bouchée.

Il ne remue pas, avec moins d'aise, la queue.

Tout criblé de grêlons, c'est à peine s'il grogne :

- Encore leurs sales perles !

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「日月の石」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 日月の石【じつげつのいし】 〔道聴塗説十編〕麻布広尾祥雲寺前の橋爪に、森川家の別荘あり。爰に住める下部茂左衛門といふ者、今年正月霊夢により、其郷里越後国頸城郡荒井東吉城村<新潟県東久富木郡牧村内上越市>にて、三月二日長さ二尺余、広さ一尺計り、その形少しく烏帽子の如く、左右に日月の象(かたち)凸起せるを掘出《ほりいだ》し、これを負うて江戸に来り、件《くだん》の別荘に安置しければ、近隣聞き伝へて聚《あつま》り観る者多し。目出度き石と申すべきか。

[やぶちゃん注:(だいちやう(別に「だいてい」とも読む)とせつ)一般名詞では「道聴途説」とも書く。「論語」の「陽貨」篇の「子曰、道聽而塗說、德之棄也。」(子曰はく、「道に聽きて塗(みち)に說(と)くは、德を之れ棄つるなり。」と。)による語で、路上で他人から聞いたことを、すぐにその道でまた第三者に話す意で、「他人からよい話を聞いても、それを心にとどめて、しっかりと自分のものとせぬままに、すぐ、他に受けうりすること」で、転じて、「いいかげんな世間のうわさばなし・ききかじりの話」を指す。この書は、越前鯖江藩士で儒者であった大郷信斎(おおごうしんさい 明和九(一七七二)年~天保一五(一八四四)年:当初は芥川思堂に、後、昌平黌で林述斎に学んだ。述斎が麻布に創った学問所「城南読書楼」の教授となった。文化一〇(一八一三)年には、藩が江戸に創設した「稽古所」(後に「惜陰堂」と名のった)でも教えた。名は良則。著作に「心学臆見論」などがある。国立国会図書館デジタルコレクションの『鼠璞十種』第二(大正五(一九一六)年国書刊行会)のこちらで正規表現で視認出来る。標題は『○日月の石』。この石に就いては、『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 麻布の異石』でも言及されているので、見られたい。

「麻布広尾祥雲寺前の橋爪」現在の東京都渋谷区広尾のここ(グーグル・マップ・データ)。江戸切絵図を見るに、現在の「山下橋」北詰(グーグル・マップ・データ)である可能性が高い。

「今年正月」原本に本篇の七つ前に『文政六年六月』とあり、四つ前には『十一月朔日』とある。さすれば、この今年は文政七(一八二四)年一月のことと思われる。

「越後国頸城郡荒井東吉城村」「新潟県東久富木郡牧村内」現在は上越市上越市牧区(グーグル・マップ・データ)であるが、「ひなたGPS」で見ると、その牧区の山間部のここが、狭義の『牧村』であることが判る。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「地縮」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 地縮【じちじみ】 〔北国奇談巡杖記巻二〕礪並郡《となみこほり》<越中>俱利迦羅山の辺《へん》に、地《ぢ》ちゞみといふことあり。晴れやかにもあらず、曇もなき静かなるころ、常に見も聞きもせざる、遠谷幽峯《ゑんこくゆうはう》おのづかに、眼《ま》のあたりに見なすことにして、山樹《さんじゆ》の数々、谷水の流るゝ音までも、手にとるごとく聞えて、鳥獣《てうじう》のすがた、行人《かうじん》の行方《ゆくゑ》まで、ことごとく知られける。誠に仙境に飛行《ひぎやう》して、真人《しんじん》どものいふに相似《あひに》たり。按ずるに、陰気《いんき》水煙《すいえん》の気をかりて成る故にや。雨降らんとする時、遠嶋《ゑんたう》などの近々とみゆる類ひなるべし。されどいぶかしきは、松声水音《しやうせいすいおん》の聞ゆるのみ。いまだ他邦《たごく》になきことなり。

[やぶちゃん注:加賀の俳人鳥翠台北茎(ちょうすいだい ほっけい)著になる越前から越後を対象とした紀行見聞集。かの伴蒿蹊が序と校閲も担当しており、文化三(一八〇六)年十一月の書肆の跋がある(刊行は翌年)。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第九巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで、正字活字で読める(標題は『○地 縮』)が、お薦めは、「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」の原版本のここからである。読みが添えられてあるからである。以上の読みも、一部は、それを参考に正しい歴史的仮名遣で振った。この現象は、山谿の形状と、風・温度・湿気が、複雑に組み合わさって、下降する風が発生し(或いは逆転層の発生も考えられる)、ずっと奥の音が、直ぐ間近に聴こえることで、説明出来る。遙かの山の頂きで遙か彼方に見える町の自動車の走行や人の騒めきが聴こえることは、山岳部の顧問をしていた関係上、たびたび体験した(因みに、その場合、私の経験では天候が悪くなることが多かった)。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「七ケ浜の怪獣」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 七ケ浜の怪獣【しちがはまのかいじゅう】 〔奥州波奈志〕いにし文化のはじめ、えぞ松前<北海道渡島支庁松前郡>に防人をいだされし間のことなりき。七ケ浜の内大須といふ所にて(十五か浜・七ケ浜と云ひて又その小名ありと。取あつかふ人の爰よりこゝ迄と切ためにわけたり)もがさ<疱瘡(ほうそう)のこと>おこりて、うれふるものは大方死たり。そのころこゝかしこの墓を掘りて何もののわざにや、死人をくひしとぞ。稀有のこと故、所のもの寄合ひて、死せし子共の菩提、または悪魔よけの為とて祈禱などして、いと大きなる角《かく》たうばを山の頭にたてたりし。下は大石にてたヽみ上げたりしを、夜の間にたうばを引ぬき、石をもなげのけて、土を深くほりかへして有りしとぞ。いかなる大力もののいたづらならんといひて有りしが、それよりほうそう[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]のなみいよいよ悪しく、日々死人数々有るを、あらたに土をうがちし所は掘りかへしてくはれぬことなし。か?れば親々は歎きうれひて、これをふせがん為に随分重き石を墓におけども、とりのけてくふことやまず。その食らへるさま、きせたるものを残せしのみ、ほね髪ともにあともなし。たゞ手首をひとつ石のうへに残しおきしことありき。諸人おぢ恐るゝことかしがまし。雨後に行きて見れば足跡とおぼしく、人のうでにておしたる如くなる形に壱尺余のあと有り。(足跡の形)

 

Asigata_20231106061801

 

Syoukyokuhanasiato

 

[やぶちゃん注:最初のものは、後掲する「奥州波奈志」の原本からの画像。後者は柴田宵曲が写したものであるが、通常に足先を上にした標準位置に書き換えてあり、彼は普通の人の足の形のように改変してしまっている。極めてよろしくない。

 

これにて化生の大さも知れたり。あるは狩人の打ちたる鹿の皮を、剥ぎし肉を外に置きしをも、一夜の中に骨まで食ひたり。これしゝむじなのわざならじ。甚だ大食なるものなりと、いやまし恐れたりき。そのころ誰いふともなく、ほうそうばばといふ物ありきて、死人を喰らはん為に、おもくやませて人を殺すととなへしかば、公《おほやけ》に訴へて、鉄砲打の人をくだし給はらんことを願ひ申したりし。さる間に所のきもいりをつとむるものの忰三人(十五・十三・十一なり)一度にほうそうにとりつかれしか、只一夜の内に一時に死《しし》たりしかば、父狂気の如くなりて、しせしことはぜひもなし、このなきがらをむざむざ化生(けしやう)の食《じき》とはなさじとて、ひとつ所に埋めて、十七人してもちし平めなる大石《おほいし》を上におき、たいまつを両方にたて〻、きびしく番人をつけ、外《ほか》にものなれたる猟師を二人、一よ百疋のあたひにやとひてまもらせけり。二二日有りて狩人の云ひ出づるは、かくあかしを置きては化生のよりつくこと有るべからず、暗くして両人めぐりありきてこゝろみたしといひしかば、それにまかせてともしを引てありしに、夜中に何やらん土をうかがつやうなる[やぶちゃん注:ママ。『ちくま文芸文庫』も同じだが、この「か」は衍字であろう。後に示す原文の方では、『うがつやうなる』となっている。]音の聞えしかば、さてこそあやしき者よござんなれと、忍びてよせしが、かねての手なみにおぢ恐れて、今さら物すごく、両人ひとつにかたまりて近づきみれば、あんやにてものの色めはみえわかど、なにか動くやうなりしかば、かくし持たる火縄を出せしをみるやいなや、驚きてはねかへり、柴山を分けて逃去りし勢ひ、翼はなけれど飛ぶが如し。しうウ引となる音して柴木立の折《をり》ひしぐる音すさましく、そのあふる余風に両人共引動かされて、前にのめらんとせしほどなりしとぞ。十七人してやうやうもちし石もとりのけて有りしが、番せし人の音を聞かざりしは、木の葉の如くとり廻せし力のほどもしられたり。されど親の念や届きつらん、埋《うづ》めし子は食はれざりし。夜明けてのち、その逃去りし跡を人々行きてみるに、一丈五六尺ばかりなる柴木立の左右へわかれてなびきふしたるさまいと物すごし。いつまでかく有りしや、往きてみねばしらず。これ迄こゝより来つらんと心づくほどの跡もなかりしが、火縄におぢてまどひ逃げし故、かく荒れしなるべし。そののち絶えて来らず。柴の分れしあとは二三年はたしかにみえしとぞ。その頃まちの市日に用たさんとて、二人づれにて女の来りしが(五十ばかりの女一人、又三十ばかりにて子をおひたるが一人)五十ばかりの女ものにおぢたる如くのていにて気絶したり。市人《いちびと》驚きさわぎて薬よ水よといたはりしが、ほど有りていき出でたりしを、つれの女介ほうして伴なひゆきしこと有りつれど、何の故といふことをしる人なかりき。さて三年をへてのち、気絶したる女語り出でたるは、さいつころ市町《いちまち》にゆきしに、ふと向ひの山をみたれば、そのたけ一丈余りもやあらんと思はるゝ毛ものの、大木の切口にこしをかけて有しが、頭には白髪ふさふさと生ひたるが山風に吹きみだれ、つらの色は赤くしてめんてい[やぶちゃん注:「面體」。]ばばの如し、眼の光きらきらとして恐ろしきこといふ計りなし、これや此頃死人を掘出して食らひし獣《けだもの》ならんとおもふやいな、五たいすくみて気も消えて有りしが、其ほどに語りいでなば身に禍ひもやあらんと、恐ろしさにつゝしみて有りしが、獣の通りし跡さへなくなりし故、いま語るなりといひしとぞ。これをもて思へばほうそうばばといひしもより所あることなりき。たうばを抜きしも、かゝるへん土にてかばかりのことせし人あらば、誰と名のしれぬことなし。あらたに土を掘り石をすゑなどせし故、ものやあらんとほりみしことなるべし。死人の有無をだにさとらぬは、いきほひはあれども神通《じんつう》を得しものにはあらざるべし。いづちより来りしや。古来前後聞きおよばぬこととぞ人かたりし。

[やぶちゃん注:ブログ版「奥州ばなし 七ケ濱」で十全に考証して注を附してある。東北の人肉を食う婆の化した鬼婆の話の画像と活字化も添えてある。なお、「奥州ばなし」はサイトで全一括PDF縦書版でも公開しているので見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「死女芝居見物」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 死女芝居見物【しじょしばいけんぶつ】 〔即事考〕八町堀地蔵橋<東京都中央区内>に住む谷口月窻は、月仙上人の画弟にて、その名頗る高し。自身殊に独寂黙直故、薩摩中将<嶋津>栄翁殊に召寄せられ、毎年二十両づつを扶持せらる。この母芝居へ行きしに、心安き近所の(銀座二丁目住)妻、平生芝居好成りしに、谷口の母隣桟敷にて見物し、言語平生《へいぜい》に替る事なかりしとなり。その翌日その宅へ尋ね行きしに、その妻は百日程前に死亡せしなりと云ふ。これを聞き身の毛よだちけるとぞ。

[やぶちゃん注:「即事考」増上寺の僧侶であった竹尾善筑(ぜんちく 安永一〇・天明元(一七八一)年~天保一〇(一八三九)年)の随筆。彼は「明和事件」で刑死した思想家山縣大弐の孫で、増上寺の寺誌「三縁寺志」や、「十八檀林誌」なども著している。国立国会図書館デジタルコレクションの『鼠璞十種』第一(国書刊行会編・大正五(一九一六)年刊)のこちらで正字表現で視認出来る。標題は『死女芝居へ行』(ゆく)。

「八町堀地蔵橋」グーグル・マップ・データのこの交差点附近がそこ。

「谷口月窻」(安永三(一七七四)年~慶応元(一八六五)年)は江戸後期の画家。伊勢の生まれ。以下の画僧月僊に学び、山水・人物・花鳥画をよくした。のち江戸に出て、神田・芝高輪に住んだ。俳人谷口鶏口の娘婿となった。名は世達。別号に痴絶庵(講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」に拠った)。

「月仙上人」画僧月僊(げっせん 元文六(一七四一)年~文化六(一八〇九)年)のこと。詳しくは、当該ウィキを見られたい。その作品リストに二つ、「款記」に「月僊」、印に「月僊」を認める。

「薩摩中将」「嶋津」「栄翁」薩摩藩第八代藩主島津重豪(しげひで 延享二(一七四五)年~天保四(一八三三)年)。第十一代将軍徳川家斉の正室である広大院の父で、将軍の岳父として「高輪下馬将軍」と称されるほどの権勢を振るう一方、学問・ヨーロッパ文化に強い関心を寄せ、「蘭癖大名」「学者大名」としても知られた。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「驢馬」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 何があらうと、彼は平氣だ。每朝、彼は小役人のやうにせかせかせした、ごつい、小刻みな足どりで、配達夫のジャッコを車に載せて行き、ジャッコは、町で賴まれて來たことづけや、香料とか、麺麭とか、肉屋の肉とか、二三の新聞、一通の手紙などを村々の家へ屆けて廻る。

 この巡囘が了ると、ジャッコと驢馬は今度は自分たちのために働く。馬車が荷車の代りになる。彼等は一緖に葡萄畑、林や、馬鈴薯畑に出掛けて行く。そして或る時は野菜を、或る時はまだ綠(あを)[やぶちゃん注:ママ。]い箒草をといふ風に、あれや、これや、日によつていろんなものを積んで歸る。

 ジャッコはひつきりなしに、なんの意味もなく、まるで鼾でもかくやうに、「ほい! ほい!」と云つてゐる。時々、驢馬はふつと薊の葉を嗅いでみたり、急に何か氣紛れを起したりすると、もう步かなくなる。するとジャッコは彼の頸を抱きながら、前へ押し出さうとする。それでも驢馬がいふことを聽かないと、ジャッコは彼の耳に嚙みつく。

 彼等は堀のなかで食事をする。主人は喰ひ殘しの麵麭と玉葱を喰ひ、驢馬は勝手に好きなものを喰ふ。

 彼等が歸る時は、もう夜になつてゐる。彼等の影が、樹から樹へ、のろのろと通り過ぎて行く。

 突然、ものみながその底に沈み、そして既に眠つてゐたあたりの靜寂の湖が、けたたましく崩れ落ちる。

 いつたい何處の女房が、こんな時間に、錆びついた井戶車を軋ませながら一生懸命井戶の水を汲み上げてゐるのだらう?

 それは、驢馬が歸つて來ながら、ありつたけの聲を振絞つて、なに平氣だ、なに平氣だと、聲が嗄(か)れるほど啼き續けてゐるのである。

 

 

 

 

 

     驢馬

 

 

 大人になつた兎。

 

Roba

 

[やぶちゃん注:五行空け(次のページで独立した格好に見かけ上は見える。但し、標題の「驢馬」は本文と同じ大きさで、太字でもなく、字間もない)はママ。哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ロバ亜属アフリカノロバ亜種ロバ Equus africanus asinus

「ジャッコ」“Jacquot”は男性名「ジャック」(“Jacques”)の愛称であるが、一般名詞では西アフリカ産の鸚鵡(おうむ)を指し、“grand Jacquot”(グラン・ジャッコ)は卑称語で「お喋りな馬鹿者」の意もある。]

 

 

 

 

L'ANE

 

I

Tout lui est égal. Chaque matin, il voiture, d'un petit pas sec et dru de fonctionnaire, le facteur Jacquot qui distribue aux villages les commissions faites en ville, les épices, le pain, la viande de boucherie, quelques journaux, une lettre.

Cette tournée finie, Jacquot et l'âne travaillent pour leur compte. La voiture sert de charrette. Ils vont ensemble à la vigne, au bois, aux pommes de terre. Ils ramènent tantôt des légumes, tantôt des balais verts, ça ou autre chose, selon le jour.

Jacquot ne cesse de dire : “ Hue ! hue ! ” sans motif, comme il ronflerait. Parfois l'âne, à cause d'un chardon qu'il flaire, ou d'une idée qui le prend, ne marche plus.

Jacquot lui met un bras autour du cou et pousse. Si l'âne résiste, Jacquot lui mord l'oreille.

Ils mangent dans les fossés, le maître une croûte et des oignons, la bête ce qu'elle veut.

Ils ne rentrent qu'à la nuit. Leurs ombres passent avec lenteur d'un arbre à l'autre.

Subitement, le lac de silence où les choses baignent et dorment déjà, se rompt, bouleversé.

Quelle ménagère tire, à cette heure, par un treuil rouillé et criard, des pleins seaux d'eau de son puits ?

C'est l'âne qui remonte et jette toute sa voix dehors et brait, jusqu'à extinction, qu'il s'en fiche, qu'il s'en fiche.

 

II

Le lapin devenu grand.

 

[やぶちゃん注:標題“L'ANE”では、 “A”の上のアクサン・シルコンフレックス(「^」:accent circonflexe)がないが、現在は知らないが、古くは、大文字では表記しないのが普通のようである。「Internet archive」の原書の一つ(初版は一八九六年版であるが、これは、後の一九〇四年のフラマリオン版)の当該項を見ても、“L'Ane”で、アクサン・シルコンフレックスは、ない。]

2023/11/05

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「馬」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 決して立派ではない、私の馬は、むやみに節くれ立つて、眼の上がいやに落ち窪み、胸は平べつたく、鼠みたいな尻尾と英吉利女のやうな絲切齒を持つてゐる。しかし、こいつは、私をしんみりさせる。いつまでも私の用を勤めながら、一向逆らひもせず、默つて勝手に引き廻されてゐるといふことが、考へれば考へるほど不思議でしやうがないのである。

 彼を車につける度每に、私は、彼が今にも唐突な身振りで「いやだ」と云つて、車を外してしまひはせぬかと思ふ。

 どうして、どうして。彼は矯正帽でもかぶるやうに、その大きな頭を上げ下げして、素直にあとすさりをしながら、轅の間にはゐる。

 だから、私も彼には燕麥でも玉蜀黍でもちつとも惜しまず、たらふく喰はせてやる。からだにはうんとブラシをかけ、毛の色の櫻んぼのやうな光澤(つや)が出るくらゐにしてやる。鬣(たてがみ)も梳(す)くし、細い尻尾も編む。手で、また聲で、機嫌をとる。眼を海綿で洗ひ、蹄に蠟を引く。

 いつたい、こんなことが彼には嬉しいだらうか?

 わからない。

 彼は屁をひる。

 特に、彼が私を車に載せて引いて行つてくれる時に、私はつくづく彼に感心する。私が鞭で毆りつけると、彼は足を早める。私が止まれと云ふと、ちやんと私の車を止めてくれる。私が手綱を左に引くと、おとなしく左へ曲る。わざと右へ曲るやうなこともせず、私を何處か蹴とばして溝へ叩き込むやうなこともしない。

 彼を見てゐると、私は心配になり、恥ずかしくなり、そして可哀さうになる。

 彼はやがてその半睡狀態から覺めるのではあるまいか? そして、容赦なく私の地位を奪ひ取り、私を彼の地位に追ひ落すのではあるまいか?

 彼は何を考えてゐるのだらう。

 彼は屁をひる。續けざまに屁をひる。

 

Uma

 

[やぶちゃん注:哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ウマ(ノウマ) Equus caballus(或いはノウマの亜種とする場合は、Equus ferus caballus )。但し、フランス語の“cheval”は、特に♂の馬を指す。辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、標題の訳を『雄馬』とされておられる。エンディングの一行が大好きだ。私もしょっちゅう、屁をひる。続けざまに屁をひるからである。

「英吉利女のやうな絲切齒」辻氏は訳で『イギリスおんなのみたいな門歯(もんし)』と訳され、後注で、『フランス人はよく、やせていて「長いとがった歯をもった」イギリス女の姿を頭に浮べる。』とされる。馬の糸切り歯に対して、ということであろう。]

 

 

 

 

LE CHEVAL

 

Il n'est pas beau, mon cheval. Il a trop de noeuds et de salières, les côtes plates, une queue de rat et des incisives d'Anglaise. Mais il m'attendrit. Je n'en reviens pas qu'il reste à mon service et se laisse, sans révolte, tourner et retourner.

Chaque fois que je l'attelle, je m'attends qu'il me dise :

“ non ”, d'un signe brusque, et détale.

Point. Il baisse et lève sa grosse tête comme pour remettre un chapeau d'aplomb, recule avec docilité entre les brancards.

Aussi je ne lui ménage ni l'avoine ni le maïs. Je le brosse jusqu'à ce que le poil brille comme une cerise.

Je peigne sa crinière, je tresse sa queue maigre. Je le flatte de la main et de la voix. J'éponge ses yeux, je cire ses pieds.

Est-ce que ça le touche ?

On ne sait pas.

Il pète.

C'est surtout quand il me promène en voiture que je l'admire. Je le fouette et il accélère son allure. Je l'arrête et il m'arrête. Je tire la guide à gauche et il oblique à gauche, au lieu d'aller à droite et de me jeter dans le fossé avec des coups de sabots quelque part.

Il me fait peur, il me fait honte et il me fait pitié.

Est-ce qu'il ne va pas bientôt se réveiller de son demi sommeil, et, prenant d'autorité ma place, me réduire à la sienne ?

A quoi pense-t-il ?

Il pète, pète, pète.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「止宿の危難」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 止宿の危難【ししゅくのきなん】 〔耳嚢巻四〕駿河の国に呉服商売しける、鯛や源助といへる有徳の町人ありしが、雪中庵蓼太が門人にて、風雅の道に執心し、頃は秋の中ばに、鳳来寺のあたりを尋ねんと、一僕はさはる事ありて先へ帰し、一人にてこゝかしこ、しらぬ山路をも路み分けしに、折ふしの急雨にて、立よるべき雨やどりの影もなく、漸《やうや》くにとある人家へよりて、雨具をとゝのへんとせしに、売るべき雨具ももたず、気の毒にはあれど、いたしかたなし、旅のそらさこそ難儀なるべし、これより一二町先に、長屋門の家あり、これに立よりて雨具など乞はゞ施し申すべしと、壱人かたはらにて語りけるゆゑ、幸ひの事と思ひ、壱弐町袖かさに雨を凌いで、かの長屋門へ立より、雨具を乞ひしかば、安き事なりとて、雨具を持出しが、内より五十にあまる男出で、これより先き山道にて、殊に日夕陽なれば、難儀し給はん事なれば、こよひは此処に泊り給へといひければ、幸ひの事と思ひ、一宿なしけるが、外より見しとは格別に違ひ、ゆたかに暮したる様子にて、膳部など、かたのごとく奇麗にて、夜もすがら百韻など主ともども口ずさみて、翌日も朝より降りしきり、深切にとゞめけるゆゑ、その心に随ひ足を留めけるに、一間隔てたる放れ座敷にて、琴の調べなど気高く聞えけるゆゑ、かよひする女子に尋ねければ、あれはこの宿の隠居にて、琴は娘なる人の弾けるよし、かたるも奥ゆかし。夜に入て人なき折から、五十ばかりの老いたる局らしき老女出で、四方山の咄しの上、此あるじ娘ばかりにて男子なし、兼ねて聟を求め給ふが、御身の様子、娘とも相応にて、此処にくらし給はんは、行末安き事なりと進めければ、源助も心に思ひけるは、駿河の身上《しんしやう》は弟へ譲り、此所に住居《すまひ》せんは、商売の道に心を苦しめんよりは、増しやせんと思へば、我らは駿河にて呉服商ひせる者なるが、帰りて親其外親類へも相談して、追《おつ》てその趣意に随はんと、翌(あく)れば暇《いとま》を告げて立出でしに、帰りには必ず立より給へと、厚くもてなしける故、立分れ、山路を多葉粉のみながら通りしに、右道筋にて、村名はわすれたり。孝行奇特の儀、公儀より御褒ありし、善七といへるものの居《をる》村を通り、門先《かどさき》に多葉粉呑み居り候ものへ、火を乞ひければ、かしがたきよしを断る。善七家並の家に至り、火を乞ひければ、もえさしを表へ投出して与へける故、その訳を尋ねしに、訳あればこそとて取合はず。かの善七右の様子を見て、年若なる人いたはしき事なり、全く欺かれしものならん、訳をいひて聞かせよといへども、外々《ほかほか》の者どもも、不便(ふびん)にはあれども、訳をいひても仕方なしとて、皆々立去りぬ。その跡にて、いかやうの訳あるやと、右善七に歎き尋ねければ、御身一両夜止宿し給ふ処は、この辺の火の穢れたる人なれば、最早御身の宿せんものもなく、痛はしさに語り申すなりと聞きて大いに驚き、この難は如何して免れんと歎きければ、いたはしき事ながら、彼は素人を聟などにとるを外分にもいたし、最早口々へも目附を付けて、御身のこの山路を出で候を伺ふならんと語りければ、弥〻《いよいよ》身の上の難儀を悲しみ、涙をながして頼みければ、しからば某《それがし》老母ありて、日毎に里の薬師へ参詣する間、これも仏の知遇なれば、かの老母に形を似せ給へと、しかじかの衣類などを上へ著せて、壱人の僕《しもべ》に負はせ、面《おもて》をも飽くまで包みて、翌朝里へ送りしが、必ず道すがら声ばし立てそと、深く誡めけるが、実(げに)や途中にて若きものなど五六人立集り、いかに昨日の旅人はいづ方へ行きしや、不思議に見えざる由を、咄し合ふ声を聞きても、犬狼の吠る声かと怖ろしく思ひ、漸く里へ出で、我宿へ帰りて厚くかの善七かたへも礼をなしけるとなり。<『譚海巻七』に同様の文章がある>

[やぶちゃん注:事前に「譚海 卷之七 俳諧師某備中穢多の所に止宿せし事(フライング公開)」を作成しておいた。なお、本篇は、宵曲の言う通り。同内容のものが、「耳囊 卷之四 鯛屋源介危難の事」としてある。]

譚海 卷之七 俳諧師某備中穢多の所に止宿せし事(フライング公開)

 

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。かなり、長い。]

 

○俳諧師蓼太といへるものの弟子宿願ありて、備中の國、吉備津宮(きびつのみや)にまうでけるに、其國にいたつて不ㇾ知案内故、日暮ぬれど宿かさぬ事をしらで、只壹人たどりたどり往(ゆき)けるが、ある家に入て切に一宿を乞けれど、一人旅のものは宿かさゞるをきて[やぶちゃん注:ママ。「掟」は「おきて」でよい。]のよしにていなみけるが、その人敎(をしへ)ていふやう、

「此先、二町餘りゆけば、河(かは)、有(あり)、わたしもあり。御宮(おみや)へ參詣のもののよし申給はば、いつにても、わたしくれるなり。扨、其川をこえ、右のかたに、美々敷(びびしき)屋作(やさく)あるべし。其家に入(いり)て賴(たのみ)給はば、もし、宿(やど)をかし申べくや。」

と、敎へけるまゝ、力を得て、行(ゆき)たるに、いひしごとく、川、あり。川をも、渡守を賴(たのみ)て、こへつゝ、むかひにいたれば、案の如く、いかめしき家あり。

 門をたゝきて、

「行暮(ゆきくれ)たる者なるが、宿をかしたぶべき。」

よし、いひ、入(いり)ければ、そのもの、

「しばし、またせ給へ。」

とて内に入て、やゝ有(あり)て、出來て、

「こなたへ。」

と請じければ、うれしくて、ともなひ入てみるに、玄關よりはじめ、住居、いみじく、

『諸侯の如く、もしくは、素封(そほう)の人にや。』

と、うたがひけるに、あなひ[やぶちゃん注:ママ。「案内」。]せしかば、それにしたがひて、書院に入、旅よそひ、解(とき)てくつろぎ居(ゐ)たるに、ほどなく、人、きたりて、

「あるじ、御目にかゝり申度(まうしたく)。」

と申せしかば、

『いかなる事。』

と、ひかへい[やぶちゃん注:ママ。]たるに、とし頃、四十斗りの總髮のあるじ、名乘して出《いで》て、對面せしに、事がら品藻(ひんさう)[やぶちゃん注:対象者の様子を品定めすること。]、有(あり)て、おもおもしく見えける。

「幸の事にて、とはせ給ふ、我等事、旅人をやどしまいらする念願ゆえ、よき事におもひ侍る。少しも心置(こころおき)給ふべからず。御宮もうでのよし、是よりは一日にちかく侍るまゝ、先々(まづまづ)、われらかたに、ゆるりと休息ありて、くたびれを、いこひ、さて、參詣し給ふべし。さるにても江戶より、はるばるおはせしが、何を業(なりはひ)にし給ふ。」

など、ねもごろに、とひければ、

「我等事。はいかいを業とし侍りて、一所不往同前の事にて侯。」

など、かたりあひて、あるじ、入(いり)て後、ほどなく、

「風呂に入(いる)ベき。」

由、人、來りて、いひければ、行(ゆき)てみるに、座敷、二間・三間、いと廣き所を過(すぎ)て、湯殿の容體(ようたい)もいときらゝかに、あたらしきゆかたなど、もふけて、もてなし、殊にあつき體(てい)なれば、かへりて痛入(いたみいり)、やうやう、ことはりいひて、わがあるふるゆかたにて、事を調へ、もとの座敷へ歸(かへり)たれば、又、

「夕飯、めせ。」

とて、調味(てうみ)數事(すうじ)、好(よく)とゝのへたるを出(いだ)して、食せしめたり。

 其後(そののち)、夜の物までも、きよげに仕立たるをもて出(いで)て寢させなどすれば、いとおもひかけぬ心地ながら、たのもしく覺えて、其夜は、そこにふしたり。

 あくる朝も、膳部、おなじさまにて調(ととの)へ、ねもごろにもてなしぬる後、あるじ、又、出來て、しばらく物語りて、入(いり)て後、壹人、又、出來て、

「あへ、しらひつゝ、あるじ、申付候。『けふは、必(かならず)、こゝに、とまり給ふべし。俳諧を好(このみ)給ふ由、承(うけたまはり)候まゝ、拙者に御相手に參るべき。』由、申付られぬるまま、參りたり。」[やぶちゃん注:「あへ」は「饗」。食事のもてなしを言う語。]

とて、やがて、ひとつ、ふたつ、物語りに、發句(ほつく)など出來て、それを始にして脇第三句など、いひつゞけぬれば、たがひに、つけあひて、百韻にさへなりぬれば、其日も、夕陽にいたりぬるまゝ、其儘に、そこにとまりたるに、夜に入て、はるかに琴の音(ね)の聞ゆるを、ふと、聞(きき)つけたるに、唱歌も、いとやさしく、おもひかけぬ心地して、獨(ひとり)聞居(ききゐ)たるに、初夜過る頃、老たる女、壹人、出來て、こまやかに物とひ、かたらへなどして、

「いと、おもひかけぬやうにあるべけれども、ぬしの年も、まだ、いとわかきよしに見へ給ふにつけて、こなたのあるじ、はじめ、對面ありしより、殊に心をとめ給ふ事になん、聞(きき)まゐらすれば、殊に、はいかいを業として、一所不住の御身にもましますよし。あるじの、殊更に、ねがひ侍る所なり。同じくは、御主(ごしゆ)、今宵より、こなたのむこ君(ぎみ)になしまゐらせたく、うちうち、思ひより給ふにつけて、みづからに此由物がたれと有しまゝ、かく、まゐりしなり。宵より聞せ給ふ琴、引給ふ娘、則(すなはち)、あるじの獨子(ひとりご)にて、見(み)めも、ことにすぐれ、心ばへも、なだらかに有(あり)。ことし、十八に成(なり)給へど、今迄、むこがねをえらびて[やぶちゃん注:聟殿を殊に厳しく詮議して選んでおりました結果。]、ひとりにておはせば、是まで、かく、旅の人々をとめて、もてなしまゐらするは、誠は、むこがねをえらび給ふなり。かく侍る上は、御(おん)ぬしなん、うけがひ給はば、わらは、しるべ、まゐらせて、今宵、此娘のかたへ行(ゆき)て、とまり給ふべし。此事、御心(みこころ)にうけがひ給はば、けふよりして、世の中の事、何事も、御心にねがはしき事は、かなへまゐらすべし。まして、こかね[やぶちゃん注:黄金。]など取つかはせ給はん事は、年に千萬兩ついやし給ふとも、御心のまゝなるべし。あへて、まづしきふる廻(まひ)は、せさせ給まじ。」

など、さまざま、事よく、いひすゝむるに、此男、いと心得ぬ事に覺(おぼえ)て、

『いづれ、樣(やう)ある事、なるべし。』

と、おもひければ、とみにうけひかず、

「かくしらぬ國のものを、かうまで、の給ふあるじの御心(みこころ)、何かは、もだし侍るべきならず、忝(かたじけ)なくは覺えぬれど、ひたすら江戶より思ひ立(たち)ぬるは、御宮參詣の事を、年比(としごろ)の念願にてあれば、ここまできて、その參詣もはたさず、わたくしの事に、とどこほらんも、心ならねば、先(まづ)、あしたに御宮に參(まゐり)て念願をとげ、さて、歸路に、又、とひまゐらせてこそ、の給はすやうは、いかにも、うけこひ侍るべし。」

と、いらへければ、老女、打悅(うちよろこび)て、

「さては。わらは、申事(まふすこと)得心し給ふ。いと、嬉敷(うれしき)事になん。先(まづ)、あるじにも、其由、申して、悅ばせ侍らん。」

とて、かたらひさして、立(ちち)て行(ゆき)ぬ。[やぶちゃん注:以下は底本でも改行して段落がある。]

 さるにても、

『此一儀、心得がたき事。』

と、とかく思ひつゞくるに、夜も、いと、ねられず、

『とく、夜のあくるを待(まち)て、先(まづ)、御宮參詣をはたさば、夫(それ)につけて、おのづから、事のよしも、しらるる事、あるべし。』

など、夜一よ、ふしわびて、夜の明ぬれば、うれしく、いそぎ、立出(たちいで)んとするに、例の如く、朝飯など、てうじ出(いだ)し、あるじも出て、心よく、あへしらひ、

「けふのほど、御宮參詣し給はば、必(かならず)、今宵は、こゝに、歸り、とまり給へ。」

など、ねもごろに、いひ契りて、わかれいでぬ。

 此家を出(いで)て、四、五町、行(ゆき)ぬれば、すこしの町家ある所に至(いたり)ぬ。

 そこにある見世(みせ)に老女の居(ゐ)たるに、立寄(たちより)て、しばらく物語し、

「此跡(こあと)の、川のちかき所なる大(おほき)なる家ある人は、何ものに侍るか。」

と、とひしに、老女、打笑ひて、

「さては。旅人は、昨夜、かしこに、とまり給ふにや。」

といふ。

 猶々、

「いぶかしく思ひ侍るに付(つけ)て、心得ぬ事のあれば、問參(もんさん)するなり。猶、敎(をしへ)て給へ。」

と、いへば、又、老女、打わらひ、

「何かは、かわりたる人にも侍らず。只、有德成(うとくなる)人に侍るになん。」

と答(こたへ)て、こまかにもあへしらはねば、せんかたなくて、立出(たちいで)つゝ、又、町家を過(すぐ)るに、若きもの、五、六人、居て、箱、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、棒(ぼう)抔、造りて、ひさぐ家、有(あり)。

 こゝに立寄(たちより)て、やすらひ、火をもらひて、たばこ抔、すひつゝ、さて、かしこの家の事をとひしに、皆々、顏見合(みあはせ)て、打笑ひて、答へず。

「しひて[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、ひければ、

「さては。かしこに、とまり給ふ人成(なる)べし。さのみ、かはりたる家にもあらず。有德なる者に侍る。」

と答て、何事もいはずあれば、いよいよ、いぶかしながら、先(まづ)、こゝをいでて、晝の程、吉備津宮に參詣をとげ、夕づけて、又、たばこ、すひたる家の前を過(すぎ)て、若者は、皆々、出行(でゆき)て、あるじ獨(ひとり)居(をり)たれば、殊更に立入(たちいり)て、

「今朝(けさ)、こゝにて、かしこの家の事、とひまひらせしかど、人々、只、打笑(うちわらひ)て、はかばかしき答(こたへ)も、なし給はず。さるにても、我等事、かしこに一宿せしにつけて、いと心得ぬ事の侍れば、又、押返し、かく、とひまゐらするなり。あはれ、何事も、かくさず、敎へ給へ。」

と、ねもごろにいひければ、あるじ、

「しからば、そこのきのふの夜、かしこにとまり給ひし時、むこにせんとは、申さずや。」

と、いひければ、猶々、あやしみて、

「いかにも。申給ふごとく、われを『達(たつ)て、むこにせん。』と。いなみがたくありしかば、『先(まづ)、けふは、宮へ參りてこそ、とも、かふも、侍らん。』と、申せし。」と、いへば、

「さればこそ、しかあるべしとおもひ侍れ、あしき事にも有(あら)ず、其むこに成(なり)給はば、よからん。」

と云(いふ)に、

「かくの給ふにつけて、ふしん、はれず。『何しに、我等如き、行衞(ゆくへ)もしらぬ旅人を、かくは申(まふす)事にや。』と、おもへば、とかく、つゝまず、敎へ、しらせ給ひて、われらがふしん、はらさせ給へ。」

と、ひたぶるに、いふ時、

「何か惡敷(あしき)事、侍らん。彼者(かのもの)は、此國の穢多(ゑた)の頭(かしら)に侍りて、金銀は、巨萬にあまり、中國には並(ならび)なき有德(ゆうとく)の聞えあるものなり。夫(それ)につけて、渠(かれ)が娘、只、ひとり、あるうへに、みめも、人にすぐれ、いとほしうおもひ侍りて、『何とぞ、此娘、ゑたの家、つがせんも、口をし。何とぞ、いかなるものにてもあれ、只の人の妻になして、穢多のはづかしめをうけさせじ。』と、常々、願ひ侍るにつけて、放人をとゞめては、よき人あらば、むこにし侍(はべら)んとかまふる事は、人も、しり侍る事なり。そこの、かく思ひこまれ給ふも、緣ある事なるべし。えた[やぶちゃん注:ママ。]のむこに成(なり)たる斗(ばか)りにて、其家を、つがむ事にも、あらず。何事にても、業(なりはひ)をたて、此國に成(なり)とも、京・大坂・故鄕の江戶成(なり)とも、おはさんに、あしき事、ならず。」

と、いへば、是を聞(きき)て、宵よりの疑ひ、殘りなく、はれたるに付(つき)て、

『いかにあればとて、穢多の黨(たう)に緣をむすばん事、くやしき事。』

に、おもへば、

「われは、中々、さようには成(なる)まじ。」

と、いふに、

「愚成(おろかなる)事の給ふ哉(かな)。かく、ゆるし給しかば、もはや、そこの往來(わうらい)に人を付(つけ)て、とりにがさぬやうに、かまへて、たとへ、今宵、いづくにかくれ給ふとも、よも、見出(みいだ)されずしては、あるべからず。今は、のがれがたき所なれば、いそぎ、其むこに成(なり)給へ。」

と、いふに、いよいよ、おそろしく、口惜しく覺(おぼえ)て、

「いかにの給ふとも、我等、えたのむこに成(なり)ぬべしと、おぼえず。此上は、ひとへに、たのみ奉るまゝ、何卒(なにとぞ)、此なんぎを、すくひて、事なく、こゝを、のがるゝやうに、なして、たべ。」

と、ひたふる、なげき、いふに、此あるじ、承引せず、

「今は、我等が力にも及(および)がたき事なり。」

とて、辭退して、時をうつし、うけこはざるを、あるじの母、聞つけて、

「旅人、の給ふ事、しらずして、此なんに逢(あひ)給ふ事を、すくひまゐらせぬも、いとほし。是を、すくひまゐらするも、又、善根を加ふるなり。其身、何とぞ、力をつくし、たすけまゐらせよ。」

と、いふに、さすがに、此あるじ、孝(かう)なるものにて、

「さらば、なるまじき事ながら、なしいでて、見侍らん。先(まづ)、かく、はしにおはしては、人の目にかゝりては、あしゝ。」

とて、奧へ、いざなひ、戶棚の内へ、かくし置(おき)、

「我等、出(いで)給へといはんまでは、かまへて、聲もせず、かくれて、ここに居(ゐ)給ふべし。」

と敎(をしへ)て、あるじは、又、見世(みせ)に出す細工、造り居(をり)たり。[やぶちゃん注:以下は底本でも改行して段落がある。]

 日の、暮行(くれゆく)まゝに、往來の道、人聲、しげく、人を尋(たづぬ)るさまなるは、みな彼(かの)えた[やぶちゃん注:ママ。]の支配のものの、此俳諧師を、あなぐりもとむるなり。

 初夜のかぎりは、あるかぎりの家、打たゝき、此人を尋ね、此あるじの家にも、入來(いりきた)りて、

「かゝる人、こゝに、かくしとゞめずや、ある。」

と、尋(たづね)とふ事、二、三人、入替(いれかはり)、絕(たえ)ず。

 あるじは、何心なきさまに、

「しらず。」

と、のみ、答(こたへ)て居(をり)たるが、夜もふけ、人聲も、しづまりて後(のち)、あるじ、此男を、戶棚より、呼出(よびいだ)して、

「今は、早(はや)、心安し。我(わが)するまゝに成(なり)て、我とともに、出おはせ。」

とて、母の衣服を上着につけさせ、顏をつゝみて、ひたぶる女の姿に粧ひ、あるじは、燈火とり、棒、取(とり)て、先に進(すすん)で、田畑の道を、はるばる、一里ばかりも過(すぎ)るに、其道も、折々、とがむる穢多ありて、

「何事によりてか、かく、夜ふけに、おはす。」

と、いふに、あるじ、

「母の妹なん、にはかに、なやむよし、告來(つげきた)れば、それを見舞むとて、母をつれたちて行(ゆく)なり。」

と答て、やうやうに、ありし川上へ出て、そこにて、

「もはや、こゝよりは、心遣(こころづかひ)、なし。此道を、右へ、をれて行けば、一筋の道にて、ありし往還の道へ出(いで)らるゝなり。」

とて、敎へつゝ、わかれぬ。

 かくて、備中の國より歸りて、

「かうかう、あやしき事にあひたり。めづらしき事にも有(あり)ける。」

と、かたりつるを聞けるとて、ある人の、いへりし。

[やぶちゃん注:本篇は、同内容のものが、「耳囊 卷之四 鯛屋源介危難の事」としてある。

「穢多」平凡社「世界大百科事典」の横井清氏の解説より引用する(アラビア数字を漢数字に代え、コンマを読点にし、記号・ルビの一部を変更・省略した)。『江戸時代の身分制度において賤民身分として位置づけられた人々に対する身分呼称の一種であり、幕府の身分統制策の強化によって十七世紀後半から十八世紀にかけて全国にわたり統一的に普及した蔑称である。一八七一年(明治四)八月二十八日、明治新政府は太政官布告を発して、「非人」の呼称とともにこの呼称も廃止した。しかし、被差別部落への根強い偏見、きびしい差別は残存しつづけたために、現代にいたるもなお被差別部落の出身者に対する蔑称として脈々たる生命を保ち、差別の温存・助長に重要な役割をになっている。漢字では「穢多」と表記されるが、これは江戸幕府・諸藩が公式に適用したために普及したものである。ただ、「えた」の語、ならびに「穢多」の表記の例は江戸時代以前、中世をつうじて各種の文献にすでにみうけられた。「えた」の語の初見資料としては、鎌倉時代中期の文永~弘安年間(一二六四~八八)に成立したとみられる辞書「塵袋(ちりぶくろ)」の記事が名高い。それによると『一、キヨメヲエタト云フハ何ナル詞バ(ことば)ゾ 穢多』とあり、おもに清掃を任務・生業とした人々である「キヨメ」が「エタ」と称されていたことがわかる。また、ここでは「エタ=穢多」とするのが当時の社会通念であったかのような表現になっていたので、特別の疑問ももたれなかったが、末尾の「穢多」の二字は後世の筆による補記かとみられるふしもあるので、この点についてはなお慎重な検討がのぞましい。「えた」が明確に「穢多」と表記された初見資料は、鎌倉時代末期の永仁年間(一二九三~九九)の成立とみられる絵巻物「天狗草紙」の伝三井寺巻第5段の詞書(ことばがき)と図中の書込み文であり、「穢多」「穢多童」の表記がみえている。これ以降、中世をつうじて「えた」「えんた」「えった」等の語が各種の文献にしきりにあらわれ、これに「穢多」の漢字が充当されるのが一般的になった。この「えた」の語そのものは、ごく初期には都とその周辺地域において流布していたと推察され、また「穢多」の表記も都の公家や僧侶の社会で考案されたのではないかと思われるが、両者がしだいに世間に広まっていった歴史的事情をふまえて江戸幕府は新たな賤民身分の確立のために両者を公式に採択・適用し、各種賤民身分の中心部分にすえた人々の呼称としたのであろう。「えた」の語源は明確ではない。前出の「塵袋」では、鷹や猟犬の品肉の採取・確保に従事した「品取(えとり)」の称が転訛し略称されたと説いているので、これがほぼ定説となってきたが、民俗学・国語学からの異見・批判もあり、なお検討の余地をのこしている。文献上はじめてその存在が確認される鎌倉時代中・末期に、「えた」がすでに屠殺を主たる生業としたために仏教的な不浄の観念でみられていたのはきわめて重要である。しかし、ずっと以前から一貫して同様にみられていたと断ずるのは早計であり、日本における生業(職業)観の歴史的変遷をたどりなおすなかで客観的に確認さるべき問題である。ただし、「えた」の語に「穢多」の漢字が充当されたこと、その表記がしだいに流布していったことは、「えた」が従事した仕事の内容・性質を賤視する見方をきわだたせたのみならず、「えた」自身を穢れ多きものとする深刻な偏見を助長し、差別の固定化に少なからず働いたと考えられる』とある。

「俳諧師蓼太」御用縫物師で俳諧師であった大島蓼太(享保三(一七一八)年~天明七(一七八七)年)。信濃国那郡大島出身。二十三歳の時に服部嵐雪門の雪中庵二世桜井吏登に入門。その後剃髪て行脚、延享四(一七四七)年、三十歳で雪中庵三世となった。江戸座宗匠連を批判、芭蕉復帰を唱えて天明の中興の大きな推進力となった。生涯に行脚すること三十余、選句編集二百余、免許した判者四十余、門人三千と言われ、豪奢な生活をしたことで知られる。以下、数句を示しておく。 

 たましひの入れものひとつ種ふくべ 

 夏瘦の我骨さぐる寢覺かな 

 世の中は三日見ぬ間に櫻かな 

 擲てば瓦もかなし秋のこゑ 

 更くる夜や炭もて炭をくだく音 

 夕暮は鯛に勝たる小鰺かな 

「吉備津宮」現在の岡山県岡山市北区吉備津(岡山市西部、備前国と備中国の境の吉備の中山(標高百七十五メートル)の北西麓に北面して鎮座する吉備津神社。吉備の中山は古来より神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座し、当社と吉備津彦神社ともに主祭神に当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、また、命の一族を配祀している)にある吉備津神社。ここ(グーグル・マップ・データ)。社史は参照したウィキの「吉備津神社」を見られたい。ここで語られるのは、そこで行われる(現在も金曜日を除く毎日、行われている)鳴釜神事(なるかましんじ)である。ウィキの「鳴釜神事」によれば、この特殊な『神事は、釜の上に蒸篭(せいろ)を置いて』、『その中にお米を入れ、蓋を乗せた状態で釜を焚いた』際、『鳴る音の強弱・長短等で吉凶を占う神事。吉備津の釜、御釜祓い、釜占い、等ともいう。元々』、『吉備国で発生したと考えられる神事』で、『一般に、強く長く鳴るほど良いとされる。原則的に、音を聞いた者が、各人で判断する』という。『女装した神職が行う場合があるが、盟神探湯』(くか(が)だち:真偽・祈誓を試す対象者に神仏に対して潔白などを誓わせた後に「探湯瓮(くかへ)」という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせて判じる呪法(うらない)。正しい者は火傷をせず、罪のある者は大火傷を負うとされる)・湯立(湯立(ゆだて/ゆだち:神前に大きな釜を据えて湯を沸かし、神がかり(トランス)状態にある巫女が持っている笹・幣串をこれに浸した後、自身や周囲に振りかける儀式。現在では単にお祓いの形式的儀礼として行われているが、古くは神事の大切なプレの儀式としての「禊(みそぎ)」の要素が大きく、同時に、神意を伺うための「占卜(ぼくせん)」の手段として「問湯(といゆ)」などと呼ばれてもいた。前の「盟神探湯」は、ここから発生したと考えられ、この流れを汲む中世に於ける湯起請(ゆぎしょう:室町記に正式な訴訟上の立証方法として認められた裁判法。原告・被告に起請文を書かせた上、熱湯中の石を摑み出させ、三日又は七日の間、神社などに籠らせて後、火傷の有無を以って正否を決したもの。有罪とされるべき反応を「湯起請失(ゆぎしょうしつ)」と称した)のことを「湯立」とも称した)『等と同じく、最初は、巫女が行っていた可能性が高い』。『現在でも一部の神社の祭典時や修験道の行者、伏見稲荷の稲荷講社の指導者などが鳴釜神事を行う姿が見られる』が、『いつの頃から始まったかは不明』で、『古くは宮中でも行われたという。吉備津神社の伝説では、古代からあったとする』。以下、「吉備津神社の鳴釜神事」の項。『同神社には御釜殿があり、古くは鋳物師の村である阿曽郷(現在の岡山県総社市阿曽地域。住所では同市東阿曽および西阿曽の地域に相当する)から阿曽女(あそめ、あぞめ。伝承では「阿曽の祝(ほふり)の娘」とされ、いわゆる阿曽地域に在する神社における神職の娘、即ち巫女とされる)を呼んで、神職と共に神事を執り行った。現在も神職と共に女性が奉祀しており、その女性を阿曽女と呼ぶ』。『まず、釜で水を沸かし、神職が祝詞を奏上、阿曽女が米を釜の蒸籠(せいろ)の上に入れ、混ぜると、大きな炊飯器やボイラーがうなる様な音がする。この音は「おどうじ」と呼ばれる。神職が祝詞を読み終える頃には音はしなくなる。絶妙なバランスが不思議さをかもし出すが、この音は、米と蒸気等の温度差により生じる熱音響』『とよばれる現象と考えられている。』百『ヘルツぐらいの低い周波数の振動が高い音圧を伴って』一ミリメートル『ぐらいの穴を通ると』、『この現象が起きるとされ』る。『吉備津神社には鳴釜神事の起源として以下の伝説が伝えられている。吉備国に、温羅(うら)という名の鬼が悪事を働いたため、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人、吉備津彦命に首を刎ねられた。首は死んでも』、『うなり声をあげ続け、犬に食わせて骸骨にしても』、『うなり続け、御釜殿の下に埋葬しても』、『うなり続けた。これに困った吉備津彦命に、ある日』、『温羅が夢に現れ、温羅の妻である阿曽郷の祝の娘である阿曽媛に神饌を炊かしめれば、温羅自身が吉備津彦命の使いとなって、吉凶を告げようと答え、神事が始まったという』とある。]

2023/11/04

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「死者の人違い」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 死者の人違い【ししゃのひとちがい】 〔梅翁随筆巻三〕深川<東京都江東区内>の材木問屋大和廻りせんとて、雇ひのもの壱人召つれて、午《うま》の春過ぐるころ旅立ちけるが、金沢より鎌倉・江の嶋<神奈川県内>を廻り、箱根へかゝりし時、その体《てい》いやしからぬ男、真裸にて石に腰をかけ居たり。不審におもひ其よしを問ふに、江戸芝辺のものなるが、刻限をとり違へ、いまだ夜深きに此所へ来りしに、大の男四五人とり巻《まき》て、荷物衣類残りなく奪ひとられたり、湯治に参るものにて候へども、かやうの難に逢ひ、いかゞ致さんと途方にくれ罷り在るといふ。材木屋これを聞き、旅は相互《あひたがひ》の事、某は大和廻りと志す、旅も後世《ごぜ》願ふがためなれば、人の災難を救ふも善根のはしともならんとて、衣類并に金子を遣はし、これにて湯治をもしられよといひければ、かの男まことにおもひ計らざる御恩、この上や有るべきと歓び、姓名宿所をも尋ねしゆゑ、金をつつみたる帋(かみ)へ書付け遣はしければ、この御礼は江戸にてこそ申すべけれと別れて、かの男は温泉場へゆきしが、その夜頓死せり。死体を改ためけるに、懐中に姓名書付けある故、頓《やが》て江戸深川へこの段申しつかはしける。家内にはおもひ寄らぬ事なれば、愁傷いふばかりなし。早速手代を湯治場へ遣はし様子を尋ねるに、仮埋《かりうめ》にしたり。死体は日数重なり面体《めんてい》かはりたり。衣類は主人の品にまがひなし。供につれたる雇ひのものの事尋ぬるに、供人はなしといふ。これは逃げもやしつらんと料簡して、我主人に違ひなしときはめて死体を葬りけり。頓て形見の衣類を持ちて深川へ帰り、このよしを申せば、せめてもとたのみし事も甲斐なくて、家内の嘆きいはん方なし。さらでだに夫婦の別れは哀しきに、これはましてや思ひもよらぬ愁ひにかゝり、俄かに無常を身に観じ、世をいとふ心ふかく、尼になりて後世をたのまばやと申しけるを、一族より合ひ、子供は七歳の娘をかしらとして、男子はいまだ幼少なり。このまゝにては相続しがたし、幸ひ重手代(おもてだい)は実体《じつてい》なるものなれば、これを後家入《ごけいり》[やぶちゃん注:後家の家に婿入りすること。]として後見させ、子供成長の後《のち》家督を続(つが)する事、家繁昌のもとゐなりとて、女房にも納得させ、町内のひろめもなしける。斯くて亭主は大和めぐりよりよき序(ついで)なりとて、四国中国の辺までも見物して、百日あまりを経て深川へ帰りける所に、おもひもよらぬ事出来《いでき》て、手代の妻となり、町内の弘《ひろ》めも済みければ、これも因縁なるべしとて、それより直《すぐ》に隠居して別宅に暮しけるとなり。<『続蓬窻夜話上』に同様の文章がある>

[やぶちゃん注:「梅翁随筆」は既に複数回既出。著者不詳。寛政(一七八九年~一八〇一年)年間の見聞巷談を集めた随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第六巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらから正字表現のものが見られる。標題は『○材木屋思はず隱居せし事』。

「午の春」上記活字本の二つ前の項目の本文冒頭に『寬政十戊午年』とあるので、寛政十年戊午(グレゴリオ暦一七九八年であることが判る。

「続蓬窻夜話上」「続蓬窻夜話」「蟒」で既出既注だが、本書の「引用書目一覽表」のこちらによれば、作者は「矼(こう)某」で、享保十一年跋。写本しかないようである。原本に当たれない。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「死者の帰宅」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 死者の帰宅【ししゃのきたく】 〔窓のすさみ〕二条押小路《おしこうぢ》<京都市内>に米屋治兵衛といふものあり。痼疾(こしつ)<持病のこと>ありしかば、但馬なる城崎《きのさき》<兵庫県豊岡市内>の温泉に入る事三四年なりけり。八月の末、また行きていつもの宿に著きしかば、主人云ふやう、いつもの頃なれば、八月の初めより人をも宿せずして待ち居しが、今年《こんねん》は遙かに遅くありし故、待ちわびてありしに、河内の人来て宿求めし故、此頃とゞめおけり、相宿《あひやどり》もむづかしかりなん、我が知る人の許に宿らるべくば申しやらん、といひしかば、いやとよ、我一人宿《やど》りなんに、いづくの隅にても事たりぬべし、幸ひ一人は淋しからんに、其人いむまじくば相宿して、朝夕《てうせき》語らひ申さん、といひし程に、その由を河内の人に告げしかば、これ亦うち頷《うなづ》き、それこそ望みにあり、この程いと淋しくて友待ちわびしころなり、とくこなたへ入れ給ヘとて、招きよせてうらなく語らひて、此処に宿(とま)りぬ。かくて一廻りといふに、河内の人は、もはや日数《ひかず》終りたれば帰らんとて、この程ふしぎに親しみつる喜こび、永くおとなひていひかはさん、と云ひ合ひて帰りぬ。九月十三夜のころ、桂川《かつらがは》の人、京なる治兵衛が家に来りて、この家のあるじ治兵衛とかいふ人、頃日の大水《おほみづ》に溺れて死し給ふなり、そのたぐひ多き故、大方《おほかた》引きあげて名と所とを窺ひ見しに、懐中なる書附に附きて知らせ申す、と云ひしほどに、その子理兵衛驚きさわぎて、急ぎ川辺《かはべ》に行き見れば、水に入りて程経《ほどへ》し故、面《おもて》の形さだかならず、衣裳はまさしくそれなりけり。懐中の縫目(ぬひめ)に米を売りたるしるしの書附あり。疑ふ所もなく父なりしかば、棺を調《てう》じて京に帰り、河原町《かはらまち》なる万福寺《まんぷくじ》に葬り行ふ。思ひがけぬ別れを悲しみ、母子《おやこ》なくなく跡のわざして、明日は一七日(ひとなぬか)とて、仏会(ぶつゑ)など執り行ひ、一しほ嘆きあへり。よひ過ぐる頃門《かど》をたゝきて、治兵衛帰りぬ。こゝを開けよといふ。家人驚き、思ひがけぬ死《しに》をなせし故、亡魂《まうこん》の迷ひ来れるにこそ、いと悲しき事かなとて、経念仏高く唱へ、いよいよなげき悲しみけり。子一(ねひとつ)[やぶちゃん注:午後十一時過ぎ頃。]に及ぶころ、隣家《りんか》の門をたゝき、大《おほき》に呼び、物云ふ声す。治兵衛今夜帰りぬ、我家《わがいへ》に入らんとすれども、門をつよく閉ぢてなげき叫ぶ声して、しきりに念仏のみ唱へて、とかく門を開かず、せんかたなさにこゝに来れり、しばらくこゝあけてたべ、と云ふ。かの家々大に恐れ、水うちかけなどして錠《ぢやう》を強くさし、なかなかなる様《さま》なりければ、しばらくして門の呼声《よぶこゑ》はやみぬ。丑三(うしみつ)<午前二時>の頃、万福寺の門につかれたる声して、押小路の治兵衛、和尚に対面して申すべき旨あり、夜更けぬれど、此由《このよし》申してたべ、といふ。まもりの男初めは答へざりしが、しきりに云ふに驚きて、わなわな和尚に告げければ、暫く思案して後《のち》いふやう、あゝ幽魂輪廻して三途に迷ふなるか、さらずば狐狸《こり》の人をたぶらかさんとて来れるならん、衆僧《しゆそう》どもよく観念して迷ふべからず、と戒めて、さてかの客を仏前に入れて、寺僧一同に鐘をならし、三部経を読む事しきりなり。客云ふやう、何事のおはしますにや、しきりに法事したまへる事覚束なくこそ、まづ昼のかたしたゝめせざれば[やぶちゃん注:「まんず、昼の飯を食しておりませぬので、」。]、ことの外飢ゑ候ぞ、何にても給はり候へ、と度々《たびたび》望みければ、仏餉(ぶつしやう)[やぶちゃん注:仏に備える仏飯(ぶっぱん)。但し、後に示す活字本では『ぶつげ』とルビする。]を与へしに、三四盃食して飽きぬ。時に和尚これに向つて、輪廻得脱の意をいと懇ろに説き聞せしかど、客猶心得ぬ気色《けしき》なりければ、廿五条の、袈裟をうちかけけるに、客大に驚きて、そもそもこれは何と申したる事にや、と云ひければ、汝は先に溺死して一七日になりぬ、業因《ごふいん》にひかれて出離する事あたはず、転倒迷妄かくのごとくなるぞ、早々《はやはや》成仏して去れとて、珠数をもて頭をしかと打つ。客大いに歎じて、あな哀れや、河内の人溺死してけり、はかなの事よと涙を流し、さて云ひけるは、先づ心をしづめて御聞き候へ、某《それがし》城崎にて河内の人と相宿《あひやどり》して、一七日が程うらなく云ひかはしぬ、その人辞《じ》して帰るとて、賊《ぞく》に旅支度を奪ひ取られし故、わが著たるものと帯とを与へて去らしめしが、桂川にて水《みづ》出《いで》て溺死したるならん、我が衣裳を著たる故に、皆人《みなひと》見まがへて我等が死たりと思ひたるならん、さるにてもおもひがけず亡《う》せたりし不便(ふびん)さよ、と繰返しなげきける。和尚はじめて得心して、理兵衛が許に人を遣はして、父御《ちちご》のながらへて爰《ここ》におはするなり、とく来てあひてよ、と云ひやりけれど、初めは信ぜざりしに、度々いひやりて、やうやう理兵衛来て見れば、父在りて前の如くさまざま語りしにぞ、初めて心解《こころと》けてうちつれて帰りぬ。さて河内の人の故郷《こきやう》へ帰らざる事久しかりしが、その子城崎に往きて問ふに、先に帰りぬと云ひしほどに、道すがら尋ねもて桂川にいたつて事の様《さま》を聞き、京なる治兵衛が許に尋ねて、しかじかの由をいふ。治兵衛始終を語りしかば、直《ただち》に万福寺に行き、墓をかへして父かあらぬか、顔見たきよし云ひしに、寺法に私《わたくし》として墓を開かん事は堅き戒めなり、奉行所に達したらば、ともかくもあらん、と云ふほどに、奉行所へ訴へて後《のち》棺を開き見れば、疑ひなき父なりけり。これにて初めよりのうたがひやうやう解けしとぞ。

[やぶちゃん注:「窓のすさみ」松崎尭臣(ぎょうしん 天和(てんな)二(一六八二)年~宝暦三(一七五三)年:江戸中期の儒者。丹波篠山(ささやま)藩家老。中野撝謙(ぎけん)・伊藤東涯に学び、荻生徂徠門の太宰春台らと親交があった。別号に白圭(はっけい)・観瀾)の随筆(伝本によって巻冊数は異なる)。国立国会図書館デジタルコレクションの「有朋堂文庫」(昭和二年刊)の当該本文で正規表現で視認出来る。

「押小路」ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「河原町なる万福寺」京都府京都市中京区六角通大宮西入三条大宮町にある満福寺か。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「死者蘇生」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 死者蘇生【ししゃそせい】 〔蕉斎筆記巻三〕去年の事かとよ。江戸芝<東京都港区内>の辺《あたり》貧しき者、久々《ひさびさ》痰喘(たんぜん)を疾《やま》ひ相果てけるに、朝五ツ<午前八時>時分の事なりしが、その夜に至り葬式も済み、夜半時分に蘇生して、墓の下より声を立てけるを、諸人《しよにん》聞付け早速掘出《ほりいだ》しけるに、蘇生したもの追々また養生を加へ、遂に快気しけり。その後口書《くちがき》を以て申出けるに、小田切の御番所へ出けるに、凡そ一日半程の事、何ぞ変りたる事はなしやと御尋ね有りけるに、只夢ともなく人事は曾て覚え申さず、京都清水<京都市東山>へ到り又天王寺へ参りたると存ずる内に、大井川を渡り我屋へ帰りたると思ひけるに、一向闇の夜のごとくなりし故、斯く旅行して帰りたるに、火を灯さず、誰《たれ》も挨拶なしと思ひ、妻子供を大声を上げ呼びかけしと存候へば、掘出され正気に相成候よし、御咄申上けるとぞ。これ実説にて、その口書の写しを見たりと、或人の咄しぬ。<『耳袋巻五』に略〻《ほぼ》同様の記載がある。寛政六年の頃、芝辺の軽き日雇など取りて暮しける男等、稍〻《やや》委しい説明がある>

[やぶちゃん注:儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(左ページ上段の後方から)で視認出来る。なお、これは『寬政七卯同八辰年』(グレゴリオ暦一七九五年二月十九日から一七九七年三月八日まで)の条にあるので、「去年」は寛政六(一七九四~一七九五)年である。

「小田切の御番所」北町奉行所(北番所)が東京駅の八重洲北口付近に置かれており、この時期、北町奉行は小田切土佐守直年(寛政四(一七九二)年~文化八(一八一一)年ではあった。奉行の名を呼び捨てにするのは、如何にもおかしいのだが、以下の「耳囊」の話で、彼の名が出ているので、間違いない。

「『耳袋巻五』に略〻同様の記載がある。寛政六年の頃、芝辺の軽き日雇など取りて暮しける男等、稍〻委しい説明がある」これは「耳嚢 巻之五 蘇生の人の事」である(本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある)。 ]

)。これは、小田切から根岸鎮衛が直接聴いた話であるから、この墓場で蘇生の驚くべき話はまごうかたなき実話であることが明らかとなる。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「磁石」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 磁石【じしゃく】 〔筱舎漫筆巻十一〕中村常行、栄井《さかゐ/まさゐ》武兵衛(常安町《じやうあんまち》にをる磁石屋なり)が物語りとて、磁石の上品は北国より来る。元来北方の異国より出るものなり。これをとるに、鷲の子をとらへて鉄の籠にこめおく時は、親鷲、北方の異国にゆきて磁石をくはへて帰り、かの籠をすりて鉄をすり破り、中の子をつれ行くなり。其跡に落ち残りし磁石、誠に最上なり。直《あた》ひ一握り程の石にて、八九両もするなり。一つあるときは数代これにて商売出来るなり。五寸釘をすはせて、そのしりに又五寸釘をつけつけする時は、百五十本もつながるゝとぞ。さてこの磁石といふものの事、西学する人に究理すべし。奇なるものなり。

[やぶちゃん注:前半の話は奇抜で面白いが、凡そ作り話で注する気にはならない。

「筱舎漫筆」(ささのやまんぴつ)は「牛と女」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第二巻(昭和三(一九二八)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで正字で当該部が視認出来る。標題は『○磁 石』である。

「常安町」現在の大阪府大阪市北区中之島四~六丁目(グーグル・マップ・データ)。文字通り、堂島川と土佐堀の間にある完全な中洲である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「寺院埋没」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 

   

 

 

 寺院埋没【じいんまいぼつ】 〔甲子夜話巻五十七〕寛政四年四月朔日、肥前嶋原<長崎県島原市>の城外温泉嶽、俄かに裂崩して城下人数百を圧没す。このとき海向うの肥後領遙かに相対せし方二十里ばかりの程、𭰤波の為に民居人家尽く漂散し、或は汀沙に埋れたり。この時最も奇なりしは、海岸の上にありし一寺(今名不詳)海浪に仍て漂没せしが、その辺の喬松二三樹もまた仆れ偃て、寺屋に覆ひたるに、汀沙これが上に積んで岡をなせり。此の如くして二十余日を経たり。然るに後この辺を往く者、地底に鐘響《かねのひびき》の幽かなるを聞く。人訝りてその地を掘ること丈余にして、遂に屋脊《をくせき》を見る。稍〻《やや》掘るに寺屋松樹の下に在りて僧輩恙なし。因て免るゝを得たりと。奇と云ふべし。そもそもまた仏助か。このこと肥後侯(細川氏)の菩提所竜田山泰勝寺の住持、その翌年の直話なりと印宗語る。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷五十七 6 地底の寺顯る」を公開しておいた。

「𭰤波」読みも意味も不詳。以上に示した通り、私の東洋文庫版では『𣹝波』となっている。これなら「しやうは(しょうは)」で、「海の波が高くそそり立つこと」を言う。]

フライング単発 甲子夜話卷五十七 6 地底の寺顯る

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。標題は「ちていのてら、あらはる」。]

 

57-6

 寬政四年四月朔日、肥前嶋原の城外、溫泉嶽(うんぜんだけ)、俄(にはか)に裂崩(さけくずれ)て、城下、人數(にんず)百を壓沒(あつぼつ)す。

 このとき、海向《うみむかひ》の肥後領、遙(はるか)に相對(あひたい)せし方(かた)、二十里ばかりの程、𣹝波(しやうは)の爲に民居・人家、盡く漂散(へうさん)し、或は汀沙(ていさ)に埋(うづも)れたり。

 此時、最(もつとも)奇なりしは、海岸の上にありし一寺【名、今、不詳。】、海𣹝に仍(よつ)て漂沒(へうぼつ)せしが、其邊(あたり)の喬松(きやうまつ)、二、三樹も又、仆(たふ)れ、偃(ふせ)て、寺屋(てらをく)に覆ひたるに、汀沙、これが上に積(つみ)て岡をなせり。

 此(この)如くして、二十餘日を經ふ[やぶちゃん注:読みの衍字であろう。]。

 然るに、後、この邊を往(ゆく)者、地底に鐘響(かねのひびき)の幽(かすか)なるを聞く。

 人、訝(いぶか)りて、その地を掘ること、丈餘にして、遂に、屋脊(をくせき)を見る。

 稍稍(やや)掘るに、寺屋(てらをく)、松樹の下に在(あり)て、僧輩、恙なし。

 因(よつて)、免(まぬか)るゝことを得たり、と。

 奇と云(いふ)べし。そもそも、また、佛助(ぶつじよ)か。

「このこと、肥後侯【細川氏。】の菩提所、龍田山泰勝寺の住持、その翌年の直話(ぢきわ)なり。」

と、印宗、語る。

■やぶちゃんの呟き

「寬政四年四月朔日」「島原大変肥後迷惑」の発生日。寛政四年四月一日(グレゴリオ暦一七九二年五月二十一日)に肥前国島原で発生した雲仙岳の火山性地震、及び、その後の雲仙岳東方にある眉山(まゆやま:孰れもグーグル・マップ・データ)の山体崩壊(「島原大変」)と、それに起因する津波が、島原や対岸の肥後国を襲ったこと(「肥後迷惑」)による大災害。詳しくは、当該ウィキを見られたい。また、「国立公文書館」公式サイト内の「天下大変 資料に見る江戸時代の災害」の「13. 肥州島原焼崩(『視聴草』6集の10)」

に「『視聴草』には、「肥州島原焼崩」と題する噴火の図と、島原藩主松平主殿頭とのものかみから幕府に出された被害報告や熊本から江戸の熊本(細川)藩邸に届いた手紙の写しなどが収録されてい」るとあり、画像も見られる。

「肥前嶋原の城外、溫泉嶽」雲仙岳のこと。

「𣹝波」(現代仮名遣「しょうは」)は「海の波が高くそそり立つこと」を言う。

「肥後侯【細川氏。】の菩提所、龍田山泰勝寺」現存しないが、跡地に立田自然公園があり、細川家廟所も残る。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「印宗」静山と馴染みの禅僧であるが、不詳。「甲子夜話」には、しばしば登場する。例えば、私の「柴田宵曲 妖異博物館 天狗の夜宴」を見られたい。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山霊の祟」 / 「さ」の部~了

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 なお、本篇を以って「さ」部は終わっている。]

 

 山霊の崇【さんれいのたたり】 〔甲子夜話巻六〕山嶽は霊あるものなり。嘗て我内の一小吏、人と共に相州の大山《おほやま》に登り、麓の旅店に憩ひたるに、また二人づれにて来るものあり。この時已(すで)に夕七つ<午後四時>に過ぐ。二人山に陟(のぼ)らんとして、阪を歩むこと常ならず。逶迤(ゐい)として[やぶちゃん注:道が曲がりくねって続くさま。]不ㇾ進、かくすること両三度なり。店主及び諸人の曰く、暮に及んで山に入ること有るべからず、必ず異事あらんと。二人曰く、今夕山半《やまなかば》に宿し、明日頂上に登らん為《ため》なりと、遂に陟る。そのあとにて人皆《ひとみな》言ふ。必ず変を招かん、察するに人を害する者にして、登山に託して遁《のが》るゝならんと云ひしに、山行《さんかう》四五町[やぶちゃん注:約三百四十七~五百四十五メートル。]も上らんと思ふ頃(ころほ)ひに、俄かに雷鳴あつて大雨盆を傾くるが如し。暫時にして天晴る。時已に黄昏(たそがれ)に過ぐ。皆言ふ。これ直事(たゞごと)ならずとて、明朝山に陟り行くに、半途に至らざる中《うち》、前日二人の著《ちやく》せしおひずりと云ふもの、山樹の梢に懸り有《あり》て二人は在らず。皆云ふ、果して山霊の為に失はれしならんと。これ小吏諸人と同伴して目撃せし所なり。彼の二人、内一人は女なりしと云ひき。

[やぶちゃん注:本篇は既にルーティンで「甲子夜話卷之六 6-8 相州大山の怪異の事」として電子化注してある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山門修復中の異変」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山門修復中の異変【さんもんしゅうふくちゅうのいへん】 〔翁草巻百二十〕宝暦四戌年冬[やぶちゃん注:一七五四年だが、旧暦十一月中旬には一七五五年になっている。]、山門<叡山>御修復あり。京町奉行、土屋越前守御用掛りにて御修復中、組与力同心を彼地へ付け置きける。与力は別宿、同心は一所に同宿して有りしが、或夜所がら烈寒の砌《みぎり》故、各〻《おのおの》一つの巨燵《こたつ》にあたり、臥しながら本などを読み居たりしに、相川又四郎と云ふ同心、傍輩の佐伯吉五郎といふ者を呼びよせて、吉五郎何心なく来る所を、一刀に水もたまらず首を打落す。残る者ども驚き騒ぐ処を、両人に手疵を負はせ、一人は辛うじてその場を避《さ》く。右の内一人は重創にて後日に死す。仍《よつ》て別宿したる同心支配の与力本多金蔵へ急を告ぐ。御普請の事なれば、捕手《とりて》の手当を為す事も克《あた》はず。金蔵自ら鎗を提げて、彼所《かのところ》へ馳せ行きみれば、はや又四郎は自身吭(のど)を刎ね斬つて自殺せり。主意奈何とも知れず、乱心に決して事済みぬ。山門は場所柄の事故、人々逗留中潔斎して、物毎《ものごと》慎みぬるが、この又四郎は平日放逸無慙の僻《ひが》有りし者なれば、究めて何ぞ法外《ほふぐわい》の事有て罰せられしにやと、人皆咡《ささや》き合へり。余<神沢貞幹>も右御普請取懸りの最初には、右の御用掛りを勤め、因《よつて》玆《この》破損点検の為に、三塔幷に坂本の間に、前後九日逗留して、三塔所々に止宿せり。飯室谷《いむろ》の一坊(名失念)に止宿の時、案内の衆徒の曰く、一昨夜当院騒動の事有り。その所以は、深更の頃、何とは知れず、百千雷《かみなり》の落ちかゝり、坤軸《こんぢく》[やぶちゃん注:「坤」は地の意で、大地の中心を貫いて大地を支えていると想像された地軸のこと。]も砕くるばかり震動す。院内の者周章(あわて)起き出《いで》て、院内を改むるに別条なし。門前へ出て見れば、路傍の大杉微塵に成《なり》て谷へ落ち、小径《こみち》これが為に頽《くづ》れ潰《つい》えて、谷を隔《へだて》て通路を絶つ。各〻こはいかにとあきれ果て、変を告げんにも道なし。梯《はしご》とても人力及ばず、翅《はね》なければいかにせんと各〻惑ひて、所詮夜明けてこそ評議せめと明《あく》るを待ち、夜明けて其所を見れば、大杉も元の如く、崩れたりと見し道も常の通りにて、何事もなし。再びあきれて安堵致しぬ。かゝる事折々有りて、かねて心得たる者も惑ふ事度々なり。公用とても変の程は測りがたく、その心得有ㇾ之様にと教喩す。余輩之を諾して伏しけるが、その夜何の怪も無かりし。既に横川《よかは》の大師の拝殿には、天狗の間と称して、一間四面釘〆にして板囲《いたがこひ》有り。時に寄ては、その囲の内に羽音ありと衆徒語れり。かゝる場所なれば、変異有るまじきに非ず。

[やぶちゃん注:「翁草」「石臼の火」で既出既注。正字の当該部は国立国会図書館デジタルコレクションの「翁草」校訂十二(池辺義象校・明三九(一三〇六)年五車楼書店刊)のここで視認出来る。標題は「山門修復中相川某の亂心及怪異の咄」。同書百二十巻「雜話」の冒頭である。

「京町奉行、土屋越前守」旗本土屋正方(宝永六(一七〇九)年~明和五(一七六八)年)は、この二年前の宝暦二(一七五二)年二月に京都町奉行(東町奉行)に昇任し、同四月十五日に従五位下・越前守に叙任している。宝暦三(一七五四)年に江戸町奉行(南町奉行)に転任。

「余」「神沢貞幹」「も右御普請取懸りの最初には、右の御用掛りを勤め」本書の著者は、京都町奉行所の与力を務めた後、四十過ぎで職を辞し、随筆などの著述活動に余生を送った。

「飯室谷」ここ(グーグル・マップ・データ)。

「横川の大師の拝殿」恐らく現在の「四季講堂」。ここは本来は「元三(がんさん)大師堂」である。珍しく私も行ったことがあり、平安の昔、元三大師が鬼の姿となり、疫病神を退散したときの姿を写し取った降魔(ごうま)の御札「角大師」(つのだいし)も気入ったので、買って、今も居間に飾ってある。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「牡牛」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    牡 牛(おうし)

 

 

 釣師は足どりも輕く、イヨンヌ河の岸を步きながら、絲の先に銀蠅を水面にぴよいぴよい躍らせてゐる。

 その銀蠅は、ポプラの並木の幹にとまつてるやつをつかまへる。ポプラの幹は、しよつちゆう家畜どもにからだをこすりつけられて、てらてら光つてゐる。

 彼は素つ氣なく釣絲を投げこみ、それをまた悠々と引き上げる。

 新しく場所を變へるたびに、そこが一番いい場所のやうな氣がする。が、しばらくすると、またそこを離れて、生垣に渡してある梯子を跨ぎ、牧場から牧場へ移つて行く。

 突然、恰度太陽がじりじり照りつけてゐる大きな牧場を橫切つて行く途中で、彼は立ち停る。

 向ふの方で、牝牛どもがのんびりと寢そべつてゐるなかから、牡牛がのつそり起ち上がつたのである。

 こいつは有名な牡牛で、その堂々たる體格には道を通る人々が眼をみはるくらゐだ。人々は遠くからそつと感心して眺め入る。そして、これまでのところはまだそんなことはなかつたにしても、彼がその氣になれば、牛飼などは角の弓にかけて、矢でも飛ばすやうに空中に抛り上げるかも知れない。なんでもない時は、それこそ仔羊よりもおとなしいが、何かのはずみで、いきなり猛烈に暴れ出す。で、そばにゐると、いつどんな目に會ふかもわからない。

 釣師は、橫眼で彼の樣子を觀察する。

 「逃げ出してみたところで、牧場の外へ出ないうちに、きつとあの牡牛のやつに追ひつかれちまうだらう」と、彼は考へる。「さうかと云つて、泳ぎも知らないで川へ飛び込めば、溺れるにきまつてる。地べたに轉がつて死んだ眞似をしてゐると、牡牛はこつちのからだを嗅ぎ廻すだけで、なんにもしないといふ話だ。ほんとにさうだらうか? 萬一やつがいつまでたつてもそばを離れなかつたら、それこそ氣が氣ぢやあるまい。それよりは、そつと知らん顏してやり過した方がいい」

 そこで、釣師は、相變らず釣を續けながら、牡牛など何處にゐるかといふやうな樣子をしてゐる。さうやつて、うまく相手の眼をくらますつもりである。

 襟首は麥藁帽の蔭で、じりじり灼(や)けつくやうだ。

 彼は、駈け出したくてうづうづしてゐる足を無理に引き止とめて、わざとゆつくり草を踏みつけて行く。彼は英雄氣どりで、絲の先の銀蠅を水のなかに浸す。隱れるにしても、ほんの時々ポプラの蔭に隱れるだけだ。彼は重々しく生垣に渡してある梯子の所へ辿りつく。此處まで來れば、くたくたになつた手足に最後の努力をこめて、無事に牧場の外へ飛び降りられるわけだ。

 それに、何も慌(あわ)てることはない。

 牡牛はこんな男に用はない。ちやんと牝牛たちのそばにゐるのである。

 彼が起ち上つたのは、氣(け)だるさのあまり動いてみたまでで、云はばわれわれが伸びをするやうなものである。

 彼はその縮れ毛の頭を夕風にふり向ける。

 眼を半分つぶつたまま、時々思ひ出したやうに啼く。

 一聲もの憂げに吼えては、その聲にぢつと耳を澄ます。

 

 

 

 

 

 女どもは、彼の額にある捲き毛で、それが牡牛だといふことを見分ける。

 

Ousi

 

[やぶちゃん注:最終行の前の五行空けはママ。哺乳綱鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜ウシ科ウシ亜科ウシ族ウシ属オーロックス(英語:Aurochs:家畜牛の祖先。一六二七年に世界で最後の一頭がポーランドで死に、絶滅した)亜種ウシ Bos primigenius taurus の♂♀。「銀蠅」はキンバエ(節足動物門昆虫綱有翅昆虫亜綱双翅(ハエ)目短角(環縫・ハエ)亜目ハエ下目クロバエ科キンバエ属 Lucilia )・クロバエ(前者及びオオクロバエ属 Calliphora などがよく知られる)・ニクバエ(ハエ下目ヒツジバエ上科ニクバエ科 Sarcophagidae のヤドリニクバエ亜科 MiltogramminaeParamacronychiinae 亜科・ニクバエ亜科 Sarcophaginae に属するハエ)などのハエの種のうち、特に概ね金属的光沢を持った個体などに対して用いられる通称の呼び名で、これらのハエの個体の中には、銀色と形容し得る暗い青みがかった金属光沢を持つ個体が少なからず見られる。「ギンバエ」という呼び名は通称であって、ギンバエという種や科があるわけではない。「ポプラ」は双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属ヨーロッパクロヤマナラシ変種セイヨウハコヤナギ Populus nigra var. italica の異名。英語では“Lombardy Poplar”と呼ぶ。なお、底本では、ここに明石哲三氏の牡牛の挿絵が載る。

「イヨンヌ河」ヨンヌ川Yonne:グーグル・マップ・データ)は、フランスを流れるセーヌ川の支流。長さは約二百九十三キロメートルで、「ヨンヌ県」の名の由来ともなっている。ルナールは生まれてすぐ、ルナール家の故郷であるシトリー=レ=ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に移っている。

「生垣に渡してある梯子」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」の注によれば、『生垣(いけがき)などの所々についている』、本来は人が『垣をのりこえるための踏み段』とある。]

 

 

 

 

LE TAUREAU

 

Le pêcheur à la ligne volante marche d'un pas léger au bord de l'Yonne et fait sautiller sur l'eau sa mouche verte.

Les mouches vertes, il les attrape aux troncs des peupliers polis par le frottement du bétail.

Il jette sa ligne d'un coup sec et tire d'autorité.

Il s'imagine que chaque place nouvelle est la meilleure, et bientôt il la quitte, enjambe un échalier et de ce pré passe dans l'autre.

Soudain, comme il traverse un grand pré que grille le soleil, il s'arrête.

Là-bas, du milieu des vaches paisibles et couchées, le taureau vient de se lever pesamment.

C'est un taureau fameux et sa taille étonne les passants sur la route. On l'admire à distance et, s'il ne l'a fait déjà, il pourrait lancer son homme au ciel, ainsi qu'une flèche, avec l'arc de ses cornes. Plus doux qu'un agneau tant qu'il veut, il se met tout à coup en fureur, quand ça le prend, et près de lui, on ne sait jamais ce qui arrivera.

Le pêcheur l'observe obliquement.

- Si je fuis, pense-t-il, le taureau sera sur moi avant que je ne sorte du pré. Si, sans savoir nager, je plonge dans la rivière, je me noie. Si je fais le mort par terre, le taureau, dit-on, me flairera et ne me touchera pas.

Est-ce bien sûr ? Et, s'il ne s'en va plus, quelle angoisse !

Mieux vaut feindre une indifférence trompeuse.

Et le pêcheur à la ligne volante continue de pêcher, comme si le taureau était absent. Il espère ainsi lui donner le change.

Sa nuque cuit sous son chapeau de paille.

Il retient ses pieds qui brûlent de courir et les oblige à fouler l'herbe. Il a l'héroïsme de tremper dans l'eau sa mouche verte.

D'ailleurs, qui le presse ?

Le taureau ne s'occupe pas de lui et reste avec les vaches.

Il ne s'est mis debout que pour remuer, par lassitude, comme on s'étire.

Il tourne au vent du soir sa tête crépue.

Il beugle par intervalles, l'oeil à demi fermé.

Il mugit de langueur et s'écoute mugir.

 

 

II

Les femmes le reconnaissent aux poils frisés qu'il a sur le front.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「水の虻」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    水の虻(あぶ)

 

 

 牧場の眞ん中にはたつた一本の槲(かしは)の樹があるきりだ。で、牛どもはその葉蔭をすつかり占領してゐる。

 ぢつと首をたれ、彼等は太陽の方に角を突き出す。

 これで、虻さへゐなければ、いい氣持だ。

 ところが、今日は實際のところ、虻が喰ふこと、喰ふこと。貪婪に、無數に群がりながら、黑いやつは煤の板のように塊つて、眼や鼻の孔や脣のまはりにへばりつき、蒼いやつは、特に好んで新しい擦り傷のあるところへ吸ひつく。

 一匹の牛が前掛を振ふか、或は乾いた地面を蹄で蹴るかすると、虻の雲が唸り聲を立てて移動する。ひとりでに湧(わ)いて出るやうだ。

 おそろしく蒸(む)し暑い。で、婆さん連中は、戶口の所で、暴風雨(あらし)の氣配を嗅ぎ、こはごは冗談を云ふ。――

「そら、ゴロゴロさんに氣を付けな」と、彼女らは云ふ。

 向ふの方で、光の槍の最初の一閃が、音もなく空を劈(つんざ)く。雨が一滴落ちる。

 牛もそれに氣がつき、頭をもち上げる。槲の木のはづれまでからだを運び、辛抱强く息をはいてゐる。

 彼等はちやんと知つてゐる。いよいよ、善い虻がやつて來て、惡い虻を追ひ拂つてくれるのだ。

 最初は間をおいて、一つ一つ、やがて隙間なく、全部ひと塊になつて、ちきれちぎれの空から、一方が雪崩れ落ちると、敵は次第にたじろぎ、まばらになり、散り散りに消え失せる。

 やがて、そのあぐら鼻の先から、一生摺り切れない尻尾(しつぽ)の先に至るまで、牛どもは勝ち誇つた水の虻の軍勢の下で、全身瀧となつて、心地よげにからだをくねらせ始めるのである。

 

Mizunoabu

 

[やぶちゃん注:挿絵から、哺乳綱鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜ウシ科ウシ亜科ウシ族ウシ属オーロックス(英語:Aurochs:家畜牛の祖先。一六二七年に世界で最後の一頭がポーランドで死に、絶滅した)亜種ウシ Bos primigenius taurus で、「ホルスタイン」(Holstein)を含むウシ類。カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称で「オーク」と訳すのが、最も無難な、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名は common oak Quercus robur 。節足動物門昆虫綱有翅昆虫亜綱双翅(ハエ)目短角(ハエ)亜目アブ科アブ属ウシアブ群ウシアブ Tabanus trigonus 又は Tabanus sp.。大型のアブで、♀はウマやウシなどの動物の血(ち)を吸い、ヒトも襲う。毒はないが、刺した際、チクッと痛み、後でかなり痒くなる。私は二十二年前、奥鬼怒温泉の「八丁の湯」に連れ合いと行ったとき、コヤツがワンサかおり、自主的に蠅叩きで、二十匹近くあの世に送った。すると、傍にいた湯守の老翁が、「ご褒美!」と言って、コップすり切れの日本酒を一盃恵んで下さったのを忘れない。

「ぢつと首をたれ、彼等は太陽の方に角を突き出す」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、この一文を『頭を低く下げ、角(つの)を見せて、お日さまをあざけっている。』と訳され、注があり、『フランスでは、人をあざけるときに、両手のひとさし指で角(つの)のかっこうをしてみせる。牛が太陽に角を見せているのが、太陽をあざけっているようにみえるわけである。』とあった。]

「一匹の牛が前掛を振ふ」同前で、辻氏は、『牛が皮のエプロンをふるったり』と訳され、注に、『牛ははえを追うおきに、皮膚をぴくぴくけいれんさせる』とある。]

 

 

 

 

LES MOUCHES D'EAU

 

Il n'y a qu'un chêne au milieu du pré, et les boeufs occupent toute l'ombre de ses feuilles.

La tête basse, ils font les cornes au soleil.

Ils seraient bien, sans les mouches.

Mais aujourd'hui, vraiment, elles dévorent. ocres et nombreuses, les noires se collent par plaques de suie aux yeux, aux narines, aux coins des lèvres même, et les vertes sucent de préférence la dernière écorchure.

Quand un boeuf remue son tablier de cuir, ou frappe du sabot la terre sèche, le nuage de mouches se déplace avec murmure. On dirait qu'elles fermentent.

Il fait si chaud que les vieilles femmes, sur leur porte, flairent l'orage, et déjà elles plaisantent un peu :

- Gare au bourdoudou ! disent-elles.

Là-bas, un premier coup de lance lumineux perce le ciel, sans bruit. Une goutte de pluie tombe.

Les boeufs, avertis, relèvent la tête, se meuvent jusqu'au bord du chêne et soufflent patiemment.

Ils le savent : voici que les bonnes mouches viennent chasser les mauvaises.

D'abord rares, une par une, puis serrées, toutes ensemble, elles fondent, du ciel déchiqueté, sur l'ennemi qui cède peu à peu, s'éclaircit, se disperse.

Bientôt, du nez camus à la queue inusable, les boeufs ruisselants ondulent d'aise sous l'essaim victorieux des mouches d'eau.

 

2023/11/03

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山中の弥陀」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

  

 山中の弥陀【さんちゅうのみだ】 〔黒甜瑣語巻一〕都へゆく者、木曾山中を往来するに、深山の間、折として弥陀に逢ふ事ありと云ひ伝ふ。伊豆の出石(でいし)の観音か、阿州影向(えうがう)の不動の類《たぐひ》にや。或人の物語りに、都のぼりに一年(あるとし)木曾へかゝりしか、日和もよく左は大山にて、朝陽《あさひ》みがかれ出でたり。右は千尋の澗(たに)にて、朝霧深く立《たち》こめ底を知らず。然るに澗間(たにあひ)の霧の底に朦朧として一つの人像《じんざう》あり。熟視すれば面目《めんぼく》も見ゆるやうにて、後耀《ごくわう》[やぶちゃん注:光背のこと。]となん云へるものもあり。襟のあたりのみ見えて、それより下は見えず。これぞ聞きにし弥陀なるべしとて、霎時(しばらく)見居たりしに、折しも眉のほとり痒く手を挙げたりければ、弥陀も手を上げたり。両手を上れば弥陀も両手を上る、往来すれば往来す。よくよく霧中を見れば、弥陀と見ゆるは我影なり。後耀のごときものを帯びしゆゑ、弥陀に似たり、後耀はいかなるもののかくうつらふか知り難し。これは往来する山の崕(へり)が澗底の水へうつるを、朝陽に照され霧中へ醸《かも》し出すなるべし。造化のなす所は譚論《たんろん》[やぶちゃん注:語ったり、論じたりすること。]におよび難き事多くあり。倒影塔《たうえいたう》の事は碩学《せきがく》も多く論じて、楊州[やぶちゃん注:ママ。原本も同じ。]の東市塔《たうしたう》、福州の万寿塔の影、みな倒(さかしま)にうつる。京師東寺の五級塔、真如寺の大殿も餔時《ほじ》[やぶちゃん注:日暮れ時。申の刻。現在の午後四時頃。また、夕食時の意もある。]の日影に倒にうつると云へり。予<人見寧>嘗て采邑《さいいう》[やぶちゃん注:領地。筆者人見は久保田藩藩士。]平鹿《ひらか》の増田村<秋田県横手市内>に遊びし時、或雪の朝枕を擡《もた》げて障子を見しに、雨戸の𨻶中《すきなか》より夥しき行人の影絡繹《らくえき》[やぶちゃん注:人馬の往来などが絶え間なく続くさま。]して往来なすを見る。その長一寸位より一寸五分乃至二寸となれば、烏有《ういう》となりて消す。これこの村の市《いち》に往来するにて、人馬の影繊悉(こまかに)皆備はり、倒にうつりゆくゆゑ、東来すると思ふもの、実は西来する人なり。この理いろいろに論ぜしかども、その時は分らざりしに、その後『芸苑日渉』を見し時、この事を委しく論じたれば、少しくその理《ことわり》を得たり。また或人の云へる、我藩の雄鹿《をしか》より五十目《ごじふめ》村の森山へ、空中虹のごとき橋かゝり、その上を人馬往来する事を影のごとく見る事あり。暁過ぎの明《あけ》はなれの時節の頃なり。時として夜中月夜にも見ゆるあり。土人号して狐館(きつねだて)と云ふとなり。これ等もいづこの海辺の岸《へり》か空中にうつり、其処を往来する人馬の映《うつ》し出《いだ》すにや。謝在杭の塵余に云ふ。白馬営在恩県西十五里、相伝為唐時故鎮、二三里外農工者、於夏秋之際、侵晨望之、如城郭掩映林木蓊影、日出不見、毎歳約数次、行路人皆見之と。我藩雄勝の足田(たら)村<秋田県雄勝郡内>に、淡烟朦朧たる夜には、折として大華表《おほとりゐ》の影を見る事ありと云ふなど、共に怪しむべき事にこそ。

[やぶちゃん注:頭にある山の中で見た水底の「彌陀」は完全にブロッケン現象(英語:Brocken spectre)である。当該ウィキを見られたい。後のものどもも、それや、逆転層(当該ウィキのリンク)による蜃気楼で説明がつく。人見はなかなかに科学的な思考力を持ち、擬似的怪異には騙されない鋭い人物であったことが判る。この手の気象上の擬似怪談は、私の手掛けた中にも、挙げるのが面倒なくらい、複数、ある。

「黒甜瑣語」「空木の人」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本(明治二九(一八九六)年版)のこちらで視認出来る。

「倒影塔」厦門(アモイ)の沖ににある金門島のここにある塔(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。金門の観光ガイド・サイトのこちらに、『碁打ち所の岩洞穴の上方に立地し、金門三大古塔の一つとなって』おり、『夕日が落ちる時、長い塔の影が海面に映り、多くの魚が集まって回遊する様子は、非常に珍しい風景と言われてい』るとある。

「楊州の東市塔」江蘇省揚州市にある棲霊塔か(但し、一九九五年の再建)。「酉陽雜俎」の「卷四 物革」の冒頭に、

   *

咨議朱景玄見鮑容說、陳司徒在揚州時、東市塔影忽倒。老人言、海影翻則如此。

   *

咨議(しぎ)の朱景玄、鮑容に見(まみ)え、說(と)くに、

「陳司徒、揚州に在る時、東市塔の影、忽(たちま)ちに倒(さかしま)になれり。老人の言(い)はく、『海の影(かたち)、翻(ひつがへ)ると、則ち、此(かく)のごとし。』

と。」

と。

   *

とあった。

「福州の万寿塔」福建省福州市にある。唐代に建築されたものだが、「文革」中に毀損した。「福州老建築百科」の「鼓山万寿塔」損壊する前の写真と、復元された現在のそれが画像で見られる。

「真如寺の大殿」現在の京都府京都市北区等持院北町(とうじいんきたまち)にある臨済宗相国寺派の萬年山真如寺(しんにょじ)の法堂(はっとう)か。

「人見寧」著者人見蕉雨の本名。

「平鹿の増田村」「秋田県横手市内」秋田県横手市増田町(ますだまち)増田平鹿

「芸苑日渉」正確には「秇苑日渉」(「秇」は「藝」の古字)。江戸後期の村瀬栲亭の手になる考証随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『家政学文献集成』続編の第五冊(一九六九年渡辺書店刊)の影印本のここの「倒塔影」がそれ。

「雄鹿」現在の男鹿半島の先の部分を占める男鹿(おが)市

「五十目村」現在の五城目町上町(うわまち)及び下タ町(したまち)一帯。

「謝在杭の塵余」「五雜組」の作者である明代の文人にして官人であった謝肇淛(ちょうせい/せつ 一五六七年~一六二四年)の字(あざな)。「塵余」は彼の怪異を中心にした随筆。

「白馬営在恩県西十五里、相伝為唐時故鎮、二三里外農工者、於夏秋之際、侵晨望之、如城郭掩映林木蓊影、日出不見、毎歳約数次、行路人皆見之」まず正字に直して後、訓読を試みる。

   *

 白馬營在恩縣西十五里。相傳爲唐時故鎭。二三里外農工者、於夏秋之際、侵晨望之、如城郭掩映林木蓊影。日出不見。每歲約數次、行路人皆見之。

   *

 白馬營は、西十五里に「恩縣」在り。

 相ひ傳ふ、「唐の時の故(ふる)き鎭(ちん)なり。」と。

 二、三里の外(そと)、農工の者は、夏・秋の際に於いて、晨(よあけ)の侵(すす)むに、之れを望むに、城郭、林木の蓊(しげ)る影に掩(おほ)ひ映(うつ)れるがごとし。日、出づれば、見えず。每歲(まいとし)、約(およ)そ數次(すうじ)、行路の人、皆、之れを見る、と。

   *

「雄勝の足田(たら)村」「秋田県雄勝郡内」秋田県雄勝郡(おがちぐん)羽後町(うごまち)足田(たら)。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山中の女怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山中の女怪【さんちゅうのにょかい】 〔醍醐随筆〕土佐の国の人奥山に入りて、鹿をとらんとて鹿笛を吹きぬれば、にはかに山なり騒ぎて風の吹くごとく、一筋のほど茅葦《かやあし》左右へ分かれ、何ものやらん来ると見えし。樹の間に隠れ居て鉄砲さしあて待ちぬるに、向ふのふし木の上へ頭《かしら》ばかりをさし上げたる、色白く鬢髪《びんぱつ》美《うる》はしく、眉目《びもく》晴《はれ》やかにて顔よき女なりけるが、頭より下は出《いだ》さゞれば見えず。限りなく凄まじかりける。あはや鉄砲はなたんと思ひけれど、若《も》し打ちはづしたらん時は大事《だいじ》なるべしと、やはら動かざれば、かのくびしばしみまはして引《ひき》こみぬるに、また風吹くごとく茅左右へ分れ、本《もと》の道筋に帰へりぬと見ゆ。我も後をさへ見ず逃《にげ》たりけると語りぬ。『山海経』にいひけん、鶚馬腸奢尸燭陰のたぐひのものにやあらん。深き山には常ならぬ禽獣も多かめり。

[やぶちゃん注:「醍醐随筆」は大和国の医師・儒者中山三柳の随筆。初版は寛文一〇(一六七〇)年(徳川家綱の治世)。国立国会図書館デジタルコレクションの『杏林叢書』第三輯(富士川游等編・大正一三(一九三八)年吐鳳堂書店刊)のこちらで正字版の当該部を視認出来る(但し、この底本は文化年間(一八〇四年~一八一八年:徳川家斉の治世)の抄録写本底本である)。しかし、この話、ショボ臭過ぎる。遙かに優れた同じシークエンスがある、私の「想山著聞奇集 卷の參 狩人異女に逢たる事」が挿絵とともに思い浮んだ。騙されたと思って、そちらをお読みあれ。これこそ素晴らしいから。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山中の白猴」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山中の白猴【さんちゅうのしろざる】 〔甲子夜話巻一〕松平楽翁宴席にての物語には、某《なにがし》先蒙ㇾ命《めいをこうむり》て、伊豆国の海辺を巡見するとて山越せしとき、何とか云ふ(名忘る)所に抵(いた)り、暫し休らひ居《ゐ》せしとき、其処《そこ》は前に谷ありて、向うは遙かに森山《しんざん》を見渡し、広き芝原の所ありしに、何か白きものの人の如く見ゆるが森中《もりうち》より出で来りぬ。それに又うす黒《ぐろ》き小さきものの数《かず》多く従ひ出て、遙かに隔りたるゆゑ、折ふし携へる遠目鏡にて視しに、白きと見えしは其大きさ人に等しき猴《さる》にて、純白雪の如し。小さき者は尋常の猴にて大小あり。其数四五十にも及びなん。彼の白猴を左右よりとりまきて居《をり》けり。白猴は石上《せきしやう》に腰をかけて、某が通行を遠望する体《てい》なり。いかにも奇なることゝ思ひしが、ふと彼の白猴を鳥銃《てつぱう》にて打取らんと思ひ、持たせつる鳥銃をと傍《かたはら》の者に申せしに、折ふし先の宿所へ遺(わす)れて其所《そこ》には無し。その内はや猴は林中に入りぬ。奇異のことゆゑその辺の里長《さとをさ》に尋ねさせしに、里長の答《こたへ》には、白猴この山中に住み候こと、いまだ聞及ばずと。これは山霊《やまれい》にや有りけんなど語られし。この日谷文晁《たにぶんてう》も陪坐《ばいざ》せしが、兄《けい》云ふ、その行《かう》に従ひしが、共に親しく見しとなり。

[やぶちゃん注:私の「甲子夜話卷之一 51 松平御補佐〔越中守〕、伊豆巡見のとき白猿を見る事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山中の声」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山中の声【さんちゅうのこえ】 〔譚海巻二〕雲州の太守浄免院殿と申せしころ、寺西文左衛門といふ家士あり。弓術に勝れたるものなり。秋のころ松茸をとりに同僚と山に遊び、帰路に及んで供の小者角平と云ふ一人見えざるゆゑ、いづれも声を立て、角平が名を呼びけるに、はるかなる山奥にて時々答ふるやうに聞きなせり。また呼べば答ふる事なし。只この文左衛門声をたてて呼べば答ふる事なし。[やぶちゃん注:以上、ママ。普通に読んでも以下と繋がらない。後注の私の原本を見れば、宵曲の誤記か、衍文である。『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」でも修正されていない。]只この文左衛門声をたてて呼ぶときばかり、答ふる声のせしかば、漸《やうや》う皆々不審を立て、とかく文左一人呼はられよとて、外の人々は呼ばはらず。文左衛門一人声を続けて、角平々々と呼ぶ時、段々答ふる声近くなりて、終《つひ》に其所《そこ》に出できたれり。さてもいかなる事にて、遠方には遅れ居《ゐ》たるぞと尋ねければ、角平申しけるは、御跡へさがり使用を達し候所へ、誰ともなく高貴の人数輩《すはい》まゐられ招き候ゆゑ、その前へかしこまりたる時、我等あたまを牢(かた)く押へて動かされず。色々詑び候へども、承引致されず候所、皆様の御声にて呼ばせられ候ゆゑ、答へ申さんとすれば、なほ頭を押へて、答へせずに居《ゐ》よと申され候ゆゑ、力なく居《を》り候内、文左衛門様の御声にて、呼ばせられ候時、件《くだん》の貴人迷惑いたされ候様子にて、答へ致せと申され候ゆゑ、声を立ていらへ致し候、文左衛門様きびしく呼ばせられ候時、この人申され候は、文左衛が呼ばるゝには困りたり、答へせよと申され、また申され候は、さてさて文左衛が弦音《つるおと》は今も耳にあるやうにてこゝろよからぬ事哉《かな》、彼《か》れにかく呼ばるゝこそ困りたれとて、度々《たびたび》呼ばせられ候時、今は力及ばず、許し返すぞとて放され候ゆゑ、うれしくやうやう追付き奉りぬと語りぬ。不思議なる事なり。この人弓術勝れたるゆゑ、かやうの妙もあり。狐狸などのこの小者たぶらかさんと計りたるにや。

[やぶちゃん注:私の「譚海 卷之二 雲州家士寺西文左衞門事」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山中の怪松」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山中の怪松【さんちゅうのかいしょう】 〔屠竜工随筆〕日光中禅寺の湯より三里ばかり山奥に松あり。下(しも)は地は摺るばかりにして這ひたるが、末は越後の方へ這ひ行きて、十里あるやらん、二十里はあるやらん、極めたる者なしといへり。先年公《おほやけ》の仰せに依りて、その長サをためしたる者生き居て語る。時七里ばかりは松に随ひて行きたれども、それより先は谷深く峯高くて行かれざるにより帰りしとなり。我弟子にも行きて見たる者はありて語りしは、一町ばかりも谷を隔て、山菅《やますげ》草笹《くさささ》の中より挙《あが》りては段々見るに、木の太さ居風呂桶(すゑふろ《をけ》)程に見ゆるが、その色真黒にて所々に松葉のつきたる枝のありて、岩上《がんしやう》にもたれて下をすかして、這《はひ》はひて岩にもたれては、這出《はひいで》這出したれども、いづ方を木のもと、いづ方を末といふ事もしらず。されども松に目をはなさずして三里ばかり行きたれども、甚だの難所なるにより、道に𨻶取《ひまと》り、殊に漸《やうや》く四五人程にて行き、帰りの程を恐れて、それより先へは行かざるなりといひしを、もの知りたる人に語りしに、唐《もろこし》の書に怪松の記とて有り、その中に書きし桧に少しもたがはずと言へりし。

[やぶちゃん注:江戸後期の随筆。作者は江戸中期の俳人小栗旨原(おぎりしげん 享保一〇(一七二五)年~安永七(一七七八)年)。江戸生まれ。清水超波に学び。服部嵐雪の句を纏めた「玄峰集」、榎本其角の付句を集大成した「続五元集」などを編集した。別号に其川・伽羅庵・百万(坊)・天府庵・元斎など。句集に「風月集」などがある(講談社「デジタル版日本人名大辞典+Plus」に拠った)。「日本古典籍ビューア」の「日本古典籍データセット(国文研所蔵)」のここで、写本の当該部が視認出来る。

「怪松の記」あてずっぽうでやってみたら、大当たりが来た。唐代の段成式の随筆「酉陽雜俎」の「續集卷十 支植下」の以下である。後に推定で訓読文を附した。

   *

怪松。南康有怪松。從前刺史令畫工寫松、必數枝衰悴。後因一客與妓環飮其下、經日松死。

   *

怪松。南康(なんこう)に「怪松」有り。前(さき)より、刺史、畫工に令(めい)じて、松を寫(うつ)さすも、必ず、數枝(すうし)、衰-悴(しほれ)り。後(のち)、因一(ひとり)の客(きやく)、妓(あそびめ)と環(わをく)みて其の下(もと)に飮めば、日を經て、松、死(かれじ)にせり。

   *

「南康」南康郡は晋代から唐代にかけて、現在の江西省贛州市(かんしゅうし)一帯に設置された(グーグル・マップ・データ)。より狭いロケーションは、所持する東洋文庫版の注(今村与志雄氏訳注)によれば、その南康区南康市である。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「牛」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

Usi

 

 今朝もいつものやうに戶があくと、カストオルは別に躓くやうなこともなく、牛小屋を出て行く。先づ、水槽の底に溜つた水を、ごくごくとゆつくり自分のぶんだけ飮み、あとから來るポリュックスのぶんは殘しておく。それから、夕立のあとの樹のやうに鼻の先から雫を垂らしながら、ちやんとそのつもりで、おとなしくのそのそと、いつもの場所へやつて行つて[やぶちゃん注:ママ。]、車の軛(くびき)の下へからだを突つ込む。

 角を繫がれたまま、頭はぢつと動かさずに、彼は腹に皺を寄せ、尻尾(しつぽ)でもの憂げに黑蠅を追ひながら、女中が箒を手に持つたまま居眠りをしてゐるやうに、ポリュックスが來るまで一人でもぐもぐ口を動かしてゐる。

 ところが、庭の方では、下男たちがあはただしく[やぶちゃん注:ママ。]怒鳴つたり、喚(わめ)いたり、罵つたり、犬は犬で、見慣れない人間でも來たやうに、盛んに吠えたててゐる。

 今日は初めて刺針(さしばり)のいうことを聽かず、左右に逃げ廻り、カストオルの脇腹にぶつつかり、腹を立て、そして車に繫がれてからも、まだ一生懸命自分の共同の軛を搖すぶらうとしてゐる。これがあのおとなしいポリュックスなのだらうか?

 違ふ。たしかに別ものだ。

 カストオルは、いつもの相棒と勝手が違ふので、顎を動かすのをやめる。するとその時、自分の眼のそばに、まるで見覺えのない牛の濁つた眼が見える。

 

 

 

 

 

 夕日を浴びて、牛のむれは、牧場のなかをのろのろと、彼等の影の輕い耘鍬(すきくは)を牽いて行く。

 

[やぶちゃん注:エンディングの前の五行空けは、ママ。標題の“LE BOEUF”は「牛」(「牛肉」の意もある)の意だが、今までの順列と二頭の名前からみて、二頭とも、哺乳綱鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜ウシ科ウシ亜科ウシ族ウシ属オーロックス(英語:Aurochs:家畜牛の祖先。一六二七年に世界で最後の一頭がポーランドで死に、絶滅した)亜種ウシ Bos primigenius taurus の♂である(次注参照)。そして、哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イヌ Canis lupus familiaris

「カストオル」「ポリュックス」はギリシャ神話の双子の兄弟の名である。親はゼウスで、母はレダ。

「刺針」原文の“aiguillon”(エギュィヨン)は「牛追い用の突き棒」。ボナールの絵の、入り口に立った人物(ルナール自身或いは使用人)が右手に持っているのがそれであろう。いい訳とは思われない。「突棒」でよい。私は、十七歳の頃、アイルランドの劇作家で不条理演劇の神さまで、名作(迷作と言うべきか)“ En attendant Godot ”(「ゴドーを待ちながら」:一九四八年執筆)で知られるサミュエル・ベケット(Samuel Beckett 一九〇六年~一九八九年)の(彼は戦後、パリを拠点とし、主にフランス語か英語で執筆をした)の一九六三年初演の“ Acte sans paroles II ”(「言葉無き行為Ⅱ」)の和訳(安堂・高橋訳・一九六七年白水社刊)の標題『言葉なき行為Ⅱ』の添え辞『二人の登場人物と一本の刺激棒(エギユイヨン)のための』で知った単語で、懐かしい。芝居のシノプシスは英語版の“ Act Without Words II が非常によい。私は永い間、彼の英語で書かれた一人劇“ Krapp's Last Tape ”(「クラップの最後のテープ」)を演じるのが、若き日の役者志望だった私の最後の望みだったなぁ。]

 

 

 

 

LE BOEUF

 

La porte s'ouvre ce matin, comme d'habitude, et Castor quitte, sans buter, l'écurie. Il boit à lentes gorgées sa part au fond de l'auge et laisse la part de Pollux attardé. Puis, le mufle s'égouttant ainsi que l'arbre après l'averse, il va de bonne volonté, avec ordre et pesanteur, se ranger à sa place ordinaire, sous le joug du chariot.

Les cornes liées, la tête immobile, il fronce le ventre, chasse mollement de sa queue les mouches noires et, telle une servante sommeille, le balai à la main, il rumine en attendant Pollux.

Mais, par la cour, les domestiques affairés crient et jurent et le chien jappe comme à l'approche d'un étranger.

Est-ce le sage Pollux qui, pour la première fois, résiste à l'aiguillon, tournaille, heurte le flanc de Castor, fume, et, quoique attelé, tâche encore de secouer le joug commun ?

Non, c'est un autre.

Castor, dépareillé, arrête ses mâchoires, quand il voit, près du sien, cet oeil trouble de boeuf qu'il ne reconnaît pas.

Au soleil qui se couche, les boeufs traînent par le pré, à pas lents, la herse légère de leur ombre.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山中の窟」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山中の窟【さんちゅうのいわや】 〔世事百談巻三〕越後国会津領新発田《しばた》領<新潟県新発田市>入合《いりあひ》の山に、字(あざな)をおこつへいといへる地《ところ》あり。文政七年の夏のころ、戸倉《とくら》村の樵夫《きこり》七人いひあはせ、山深く尋ね入りたるに、往来の道より二十五丁[やぶちゃん注:二キロ半。]ほど入りこみ、広きところにて、凡そ人数《にんず》三十人ばかりも住むべきほどの窟《いはや》あり。その窟の深さ五十間[やぶちゃん注:約九十一メートル。]も行きたりと想ふところ、打開らけ、人の六七十人も住むべきほどの所あり。いづくより明りのさし入るにか、暗からず。それよりも奥の方《かた》は、いくらばかりとも、その深さ知りがたし。この所より奥へ行くべき穴の口に鉄の格子ありて、いかほど押したりとも開くことなし。折から何《なに》となく物凄くおぼえて、おのおの立帰りしとかや。その七人のうち、三人はかへると其まゝ発熱して、やがて身まかりしといへり。こは過ぎしころ、友人柳庵のはなしなり。この類ひの窟諸国にあることにて、予<山崎美成>が曾て聞けるは、常陸国関本茨城市関本>郷に、隠里(かくれざと)といふ所あり。これも越後のおこつへいの窟に似たり。猶隠里といふ所、信濃にもあり。『壊鑑(つちくれかがみ)』といふ地志に見えたり。大井平《おほゐだいら》の洞穴の図説は予が『耽奇漫録』に載せ、下野都賀郡《しもつけのつがのごほり》<現栃木県下都賀郡内>の洞穴のことは『随掃篇』にしるしたれば、こゝにもらしつ。それが中《なか》に或はあがれる世の廟穴の野人の為に掘り穿《うがち》たるゝも、まゝなきにあらず。『菅笠《すがかさ》日記』に、安倍文殊の岩屋は高さもひろさも七尺《しちしやく》ばかり、奥へ三丈四五尺もあらん、これもみな、いといとあがれる世に、たかき人をはふりし墓とこそ思はるれ、といへり。また『陵墓志』に、倭姫命《やまとひめ》の御墓《おんはか》の現はれたるを、土人の字《あざな》に隠石窟《かくれのいはや》といふよしも見えたり。

[やぶちゃん注:「麻布の異石」で既注の山崎美成が天保一四(一八四四)年十二月に刊行した随筆集。全四巻。風俗習慣・故事・文芸・宗教・天象地誌・奇聞など、広範囲に及ぶ百三十八条から成る。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻九(昭和二(一九二七)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで当該条「○おこつひの窟(いはや)」が正字で視認出来る。これはルビが多く附されてあるので、それで読みを補った。

「越後国会津領新発田領」「新潟県新発田市」「入合の山」「字(あざな)」「おこつへい」不詳。この附近にあるか(グーグル・マップ・データ)。

「文政七年」一八二四年。

「戸倉村」不詳。

「常陸国関本」「茨城市関本」現在の茨城県北茨城市関本町(せきもとちょう:グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。

「壊鑑」不詳。国立国会図書館デジタルコレクションでも検索に掛からない。

「大井平」かなり手古摺ったが、恐らく現在の愛知県知多郡南知多町大井にある、先史時代の古い窯址を指すものと思われる。

「洞穴の図説は予が『耽奇漫録』に載せ」これも思いの外、探すのに苦労したが、国立国会図書館デジタルコレクションの写本のここからがそれ。

「下野都賀郡」「現栃木県下都賀郡内」恐らくは、栃木県栃木市出流町(いづるまち)にある「奥之院鍾乳洞」と思われる。「NAVITIME」のここ

「随掃篇」美成の随筆。ネットでは原本に当たれない。

「菅笠日記」本居宣長が四十三歳の時、明和九(一七七二)年三月五日から十四日までの十日間、吉野・飛鳥を旅した際の日記。上下二巻。「本居宣長記念館」公式サイト内のこちらで、全文が電子化(新字)されている。「安倍文殊の岩屋」はそこに、

   《引用開始》

この大原といふ里。かぐ山のちかき所に有て。藤原宮も。そこならんとこそ思ひしか。今来て見れば。かぐ山とははるかにへだゝりて。思ひしにたがへれば。いといとおぼつかなけれど。なほ藤原の里は。この大原の事にて。宮の藤原は。べちにかの香山のあたりにぞありけんかし。これより安倍へ出る道に。上やとり村といふあり。文字には八釣とかけば。顕宗天皇の近飛鳥八釣宮の所なるべし。里のまへに。細谷川のながるゝは。やつり川にこそ。やゝゆきて。ひろき道にいづ。こは飛鳥のかたより。たゞに安倍へかよふ道也。山田村。このわたりに。柏の木に栗のなる山ありとぞ。荻田村といふを過て。安倍にいたる。岡より一里也。此里におはする文殊は。よに名高き佛也。その寺に岩屋のある。内は高さもひろさも。七尺ばかりにて。奥へは三丈四五尺ばかりもあらんか。又奥院といふにも。同じさまなるいはやの。二丈ばかりの深さなるありて。内に清水もあり。さて此寺をはなれて。四五町ばかりおくの。高き所に又岩屋あり。こゝはをさをさ見にくる人もなき所なれば。道しるべするものだに。さだかにはしらで。そのあたりの田つくるをのこなどにとひきゝつゝ。行て見るに。これの同じほどの大きさにかまへたるいはやなる。三丈四五尺がほど入て。おくはうへも横もやゝ廣きに。石して屋のかたりにつくりたる物。中にたてり。そは高さも横も六尺ばかり。奥へは九尺ばかり有て。屋根などのかたもつくりたるが。あかりさし入て。ほのかに見ゆ。うしろのかたは。めぐりて見れども。くらくて見えわかず。さて口とおぼしき所は。前にもしりへみのなきを。うしろの方のすみに。一尺あまりかけたる跡のあるより。手をさし入てさぐりみれば。物もさはらず。内はすべてうつほになん有ける。こはむかし安倍晴明が。たから物どもを。蔵めおきつるを。後にぬす人の入て。すにをうちかきて。ぬすみとりし也と。里人はいふなれど。こは例のうきたることにて。まことはかの文殊の寺なる二ッのいはやも。これも。みないと?あがれる代に。たかき人をはふりし墓とこそ思はるれ。そのゆゑは。すべていはやのさま。御陵のかまへにて。中なる石の屋は。すなはちおほとこと思はるれば也。そのかまへ。いと大きなる石を。けたにつくり。なかをゑりぬきて。棺ををさめて。上におほえる石を。屋根のさまにはつくれる物也。さて土輪などいひけんたぐひの物は。此めぐりにぞたてけんを。こゝらの世々をへては。さる物もみなはふれうせ。又ぬすびとなどの。大とこをもうちかきて。中にをさめし物どもは。ぬすみもていにけるなるべし。かの寺なる二ッは。その大とこも。みなかけうせて。たゞとなる岩がまへのかぎり。残れるものならんかし。さてこゝのいはやのついでに。しるべするをのこが語りけるは。岡より五六丁たつみのかたに。嶋の庄といふ所には。推古天皇の御陵とて。つかのうへに岩屋あり。内は畳八ひらばかりしかるゝ廣さに侍る。又岡より十町ばかり。これも同じ方に。坂田村と申すには。用明天皇ををさめ奉りし所。みやこ塚といひて。これもそのつかのうへに。大きなる岩の角。すこしあらはれて見え侍る也となんかたりける。この御陵どもの事はいかゞあらん。坂田も嶋もふるき所にしあれば。里の名ゆかしく覚ゆ。さてもとこし道を。文殊の寺までかへりて。あべの里をとほりて。田の中に。あべの仲まろのつか。又家のあとゝいふもあれど。もはら信じがたし。大かた此わたりに。仲まろ晴明の事をいふは。ところの名によりて。つくりしことゝぞ聞ゆる。又せりつみの后の七ッ井とて。いさゝかなるたまり水の。ところどころにあるは。芹つみし昔の人といふ事のあるにつけていふにや。こゝろえぬ事ども也。それより戒重といふ所にいづ。こゝは。八木といふ所より。桜井へかよふ大道なり。

   《引用開始》

この安倍文珠院はここであるが、恐らく、そこの本堂の南東直近にある「文殊院西古墳」がそれのことである。サイド・パネルの画像を見られたい。但し、この古墳は安倍文珠院を創建した「大化の改新」に功あった左大臣安部倉梯麻呂(あべのくらはしまろ ?~大化五(六四九)年)の墓と伝えられている。

「陵墓志」「山陵志」とも。江戸後期の儒学者蒲生君平(がもうくんぺい 明和五(一七六八)年~文化一〇(一八一三)年)が寛政九(一七九七)年前後に調査し、草稿は寛政九(一七九七)年に、最終稿は享和元(一八〇一)年に完成したとされ、書物として発刊されたのは文化五(一八〇八)年とも文政五(一八二二)年ともされる。現行の「前方後円墳」という言葉は本書の中で初めて君平が用いた言葉である(概ね、当該ウィキに拠った)。

「倭姫命」(やまとひめのみこと 生没年不詳)は記紀等に伝わる古代日本の皇族。「日本書紀」では「倭姬命」、「古事記」では「倭比賣命」と表記される。第十一代垂仁天皇の第四皇女で、母は皇后の日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)。天照大神を伊勢の地に祀ったとされ(現在の伊勢神宮)、斎宮の伝説上の起源とされる人物である(当該ウィキに拠った)。彼女の陵墓比定地は伊勢神宮外宮から東の三重県伊勢市倭町(やまとまち)のここにあるが、「古市参宮街道と周辺地域ガイドマップ手帳」PDF)の『⑳倭姫御陵墓伝説地』によれば(太字はママ)、

   《引用開始》

 この倭姫命石隠れ伝説は、神宮の経典といわれた神道五部書の一つ『倭姫命世記』に尾上山(おべやま)のどこかに石隠れ給うた石窟があるに違いないということで、旧常明寺の山林にある石窟が最有力として、明治12413日、「倭町共有林内の古墳、元常明寺山は自今、御陵墓伝説地として宮内省において保存せらる」という達令が出されました。しかし、これはあくまでも伝説予定地です。倭姫とは、日本の姫君という意味で、日本武尊(やまとたける)と同様に固有名詞ではありません。斎王(いつきのみこ)は未婚の皇女又は女王を当てるのが古例であったので、日本を代表する姫という意昧で、代々の斎王(いつきのみこ)の呼称となったものと思われます、この御陵伝説地の古墳は前方後円墳で、横穴式石窟です、現在は、立て札に「宇治山田陵墓参考地 宮内庁」とあり、柵がめぐらされて、立ち入り禁止となっています。

   《引用終了》

とあるので、これ以上、ディグする気はなくなった。滝沢馬琴が、その傲慢なのにキレて絶交した山崎美成は、私も大嫌いなのだが、実に以上の注に、本未明から三時間以上を費やしてしまった。「随筆辞典 奇談異聞篇」の中で、今まで最大最悪の長時間であった。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山中異人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山中異人【さんちゅういじん】 〔耳囊巻二〕在番の仁、文化六の春の頃、往来せしに、川留め又は風雨にて、駿州藤枝<静岡県藤枝市>の駅に永く逗留なし、徒然退屈のあまり、宿内近辺をあちこち逍遙なしけるに、茶屋やうの老人、何の御方やと尋ねしゆゑ、東都の者にて、川留め等の退屈の儘、この辺珍らしき事もありや、見所も有るべしと、徘徊する旨を答へければ、当所に何も珍らしき事もなし、鬼岩寺の山中に異人あり、これを尋ね給へ、しかれどもその道難所なれば、その姿にてはなり難しと言ひしゆゑ、股引わらじに身軽の出立(いでたち)して、山際までの案内を頼みけるに、右鬼岩寺の山は甚ださかしく、からうじて漸く絶頂まで至りしに、絶頂は余程の広場にて、小松など参差《しんし》とありて、ひとつの庵室《あんじつ》体《てい》の処あり。床《ゆか》には武器など並べありて、一人の老翁ありし故、立寄りければ、よくこそ尋ね給ひし、旅人にやと尋ねしゆゑ、有りし次第幷(ならび)に里人の咄ゆゑ、対顔を得たく来りしなり、教へし人は、この山中の僊《せん》なりといひし由、語りければ、全く我仙術を得たるにあらず、年も九十歳余にて、かく人はなれに住む故、仙などといひもせん、元田中の城主本多家の臣にて、先年本多家に一乱ありし時、我身も退身申付けられしが、年立ちて我あやまりなき事わかりて、再勤も許されしかど、世にへつらひあらんも面白からず、跡は忰なるものに譲りて、かく山居して世塵を遁れをるなり、主人よりも少々の手当も給はり、忰よりも見継(みつ)ぐ[やぶちゃん注:貢ぐ。生活必需品をここへもたらす。]間、今日の食事に愁ひなし、しかれども絶壁の地ゆゑ、時として薪水の便《べん》を失ふ事あれば、生米を嚙みて飢を凌ぐ、元より一人なれば、何も不足と思ふ事なし、何ぞふるまひ申したけれど、かゝる事ゆゑ、その貯へなし、酒少々有りとて、酒をあたため、聊かの口とりを出《いだ》しける故、これを飲みて暫く物語りせしに、古しへより馬を好みて乗る由にて、一疋の馬を引出し、二三遍も乗り、御身も乗り給へといふ故、少しばかり乗りしが、彼《かの》馬甚だかん強く、中々手に及び兼ねしが、老翁は岩壁の嫌ひなく、丸木橋等を渡り、または絶壁等飛越しける有様、仙と云ふもむべならず思はれて、その事を尋ね問ひしに、馴れ候へば、馬の乗方もかゝる絶域に住むも、安き事なりと答へし上、御身も早く戻り給へ、噺もつきてければ、我等も面倒に思ふなりといふ故、暇乞して戻りける由、その名も聞きしが忘れたり。書留め置きしを求め出し与ふべしと、親友山本某、知れる人の物語りなりと云ひし。

[やぶちゃん注:私のものでは、底本違いで、「耳嚢 巻之九 鬼岩寺山中異人の事」である。]

2023/11/02

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山賊の弟」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山賊の弟【さんぞくのおとうと】 〔耳囊巻二〕越後の産のよし、所も名も聞きしが忘れたり。兄弟の子共ありて、兄は殊の外の悪党にて、弟幼年の節、親も見かぎりしや、勘当して追出しぬ。然るに親父は相果て、弟は至つて母にも孝なれども困窮して、もとは田地ありしが、皆売払ひたち行きがたきゆゑ、弟十六七歳のころ、母は親類の方へ引取り、奉公稼ぎをなし、その身は江戸のしるべを求めて、町方へ奉公し、さる医師の方に勤めしが、至つて実体にて精勤なしけるゆゑ、主人はさらなり、近辺にても眼を懸けけるが、主人より給はる給金その外一銭も遣ふ事なく、十年程の内に、金拾四五両貯へて、さて主人に向ひ、我等はかくかくの身にて、いまだ母も存在なり、何卒右の通り金子貯へ候へば、国元ヘ立帰り、聊かの田地をもとり戻し、母を養育いたし度《たき》間、暇《いとま》給はるべき由申しければ、主人も其孝心を感じ、早速許容して、右貯へ候金子は、在方へ至りてその要になすべしとて、路用は別段に与へたり。近所の者も、それぞれはなむけして、江戸を立ちけるに、古郷へやがて行くべしと思ふ旅中、人放れの場所にて、山だち[やぶちゃん注:山賊。]に行逢ひ、右金子は申すに及ばず、衣類をも剝ぎ取り、丸の裸になしてければ、さるにても難儀非運の事と思ひ、盗人《ぬすつと》の内《うち》親方らしきに向ひ、右の通り剝ぎ取られ候上は、古郷へも帰り難く、また江戸へも参り難く、第一丸裸にては寒気も凌ぎ難く、しかる上は、何卒御身の住家へともなひ、従者とも手下とも思ひて、身命《しんみやう》を助け給へと歎きければ、流石(さすが)に不便《ふびん》とや思ひけん、襦袢を一つ与へ、盗み取り候品を背負はせ、山奥のかの賊の宿へいざなひぬ。それより一両日ありて、かの賊に願ひけるは、我等もいまは為すべきやうもなければ、何卒江戸表へ帰り申し度候、外々《ほかほか》の雑物《ざふもつ》はかへし給ふに及ばず、道中犬おどしにも候間、何卒我等がさしたる脇差は、柳原にてとゝのへし品ながら、右を給はり候ヘと歎きければ、成程もつともの事ながら、盗人の一旦手に入りしものを、帰すといふ事なし、外《ほか》腰の物を遣はすべしとて、縄からげになし置きたる腰の物を出し、この内にてよりどれと申しける故、錆身一腰《さびみひとこし》を申し請けて立別れ、右賊《ぞくの》巣を立出で、江戸へ帰り、元の主人の医師の許へ至りて、かくかくの仕合せ、拠(よんどころ)なく立帰り、かゝる不仕合せに候へば、元の如く召使ひ給はれとかたりけるゆゑ、律儀の者なれば、主人も憐みしが、さるにても汝が差したる脇差はいかゞやと尋ねしに、賊に願ひて貰ひたりと、一部始終語りけるに、かの医者は打物等好み、目利《めきき》などせしが、かの錆身を見て、この脇差は見所ありとて、主人と頼みたる方へ、かの医者持参して、色々評定改められ候所、遖(あつぱ)れの上作物故、研ぎなど申し付けて、三十両の買上げになりしかば、かの者へ其訳申して、代金遣はしければ、大きに悦び、かく金子も出来し上は、一日も初願むなしうすべからずと、主人へ厚くねがひければ、得心してその心に任せ、この度は随分用心して国元へ下りけるが、かの追剝に逢ひし場所は、甚だ用心あしき所、如何せんと思ひしが、得(とく)と思案して、かの賊の宅へ至り、親方御無事なりやと尋ねければ、かのもの大きに驚き、汝はさる頃、衣類貯へ等奪ひ取られしものならずや、いかなれば、我方へ来りしと尋ねけるゆゑ、有りし次第いさいに咄し、さて我等が奪ひ取られし金は十五両程なり、その方より貰ひ請けし刀を払ふ所、三十両なり、右の余分我かたに残さんも心憂し、これを返すべしと、右の負数《おひかず》の金子を十五両遣はしければ、かの賊大きに驚き、右の金は御身さづかりし金なり、受けまじき由を申し、さてお身はいづ方の人なるやと尋ねける故、越後かくかくの生れにて、母親存生《ぞんしやう》故、田地にても求めて、老いゆく末を養はんと来るなり、一旦御身に奪はれし金も、右の要なりと咄しければ、かの賊また大きに驚き、歎きて申しけるは、我は汝が兄、汝は幼かりし故知るまじけれど、悪党故、親元を出で、かゝる悪業をなす、汝は孝心の助けにて、かく天の恵みもあれば、よく我悪事を、今迄天の許し給ふも、空恐ろしとて、さて手下の者を呼び集め、盗み取り候品を差出させ、右の内金子五六十両ありしを、三十両ばかり請取り、さて 某は仔細あつて、これ迄の渡世をふつふつ思ひとまりたり、然る上は何もいらざる間、路金は少々取り候へども、残る家財雑具女房共に汝に与ふ間、好き次第わけ取るべしとて、弟と俱(とも)に在所へ帰り、親の放せし田畑を取戻し、さて母をも迎へてありけるが、弟は兄なれば、彼者《かのもの》に家を立てよといひ、兄は一旦勘当の身なれば、汝家主《やぬし》となつて跡相続せよと言ひしが、弟さらに受けずとありしに、かの賊せし兄、如何思ひけん、もとゞり切払ひ、出家して行衛なくなりしとや。弟の悌心にて、兄をも本心に誘ひし事と、人の語りぬ。

[やぶちゃん注:私のものでは、底本違いで、「耳嚢 巻之九 悌心兄を善導に誘ふ事」がそれ。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山神の怪異」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山神の怪異【さんじんのかいい】 〔笈埃随筆巻一 〕江州大津の町<滋賀県大津市巻一>に祐庵といふ医師、同国胆吹山(いぶき)の麓に頼まれ療治に往きけるに、逗留の中《うち》、かの山薬草ありと聞きければ、あちこちと見廻りて、異草二三種と盆山の石一つ取り帰りて、石は床に置き、草は庭に植ゑさせけるに、その夜石を打つ事夥し。家内大きに騒ぎ、何事なるやと恐れけれども祐庵元より強気なる人なれば、狐狸の所為なるべしとて騒がず。それより毎夜打ちける故、毎朝手ごろなる石拾四五程づつ溜りて、置所もなかりしかば、空地を掘りて埋みけり。後にはまた砂を打て、戸障子の透より内に入りて、朝々の掃除に家内も困り、祈禱すべし、守札を張らんといへば、祐庵更に同心せず。自然と止むべしと捨て置きぬ。折ふしかの胆吹山の村人来りければ、この様子をまづ物語りしに、村人いふ。これはかの山より取り来り給ふ石を、山神の惜しみ給ふならん、兎角元の所に返し給へ、我持ち帰り山に納むべしとて、かの薬草並びに盆石をとりて帰りける。その夜より砂石を打つ事も止みて、また何の怪しき事もなかりけり。こゝに不思議なることは、その後祐庵、表の溝を普請しけるに、ふと思ひ出し、積石の不足にかの埋め置きたる石を用ゆべしとて掘らせけるに、ひとつもなかりけるこそ、祐庵も驚きたり。誠に希有なる事なり。これに付きて思ふに、霊山などに詣でぬる時、その心得あり。陸奥金華山<宮城県石巻市にあり>、或ひは富士山に禅定して下山の時、麓の砂ふるひといふ所にて、かならず新しき草鞋に替へて、古きを脱ぎ捨て置く事なり。殊に富士山の砂は、蹈みおろしたるほど、その夜山に上ると申し伝ふ。実に数《す》百年の間、夏の中《うち》日々同者の路み落す所の砂夥しといへども、曾てその麓に砂のたまりたる所なし。只脱ぎ捨てし草鞋は山をつかねたるが如し。<下略>

[やぶちゃん注:「笈埃随筆」著者百井塘雨と当該書については、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』その冒頭注を参照されたい。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧二期卷六・日昭和三(一九二八)年日本隨筆大成刊行会刊)所収の同作の当該部で正規表現で視認出来る。標題は『○山神の怪異』であるが、これは、「柴田宵曲 妖異博物館 そら礫」の私の注で以上でカットされた後半部も含め、完全版を正規表現で電子化してあるので見られたい。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「ブリュネットの死」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

Buryunetto

 

    ブリュネットの死

 

 

 フィリップは私を起しに來て、夜なかに起きてぢつと耳を澄ましてみたが、彼女は靜かな息づかひをしてゐたと云ふ。

 然し、今朝からまた、その樣子が心配になつて來た。

 よく乾いた干草をやつてみたが、見向きもしない。

 そこで今度は取りたての靑草を少しやつてみると、ブリュネットはふだんはとても好物なくせに、殆どそれに口をつけない。彼女はもう犢の面倒もみない。そして、犢が乳を飮まうとして、ぎこちない脚で起ち上がると、その鼻面で押され、そのたんびにひよろひよろする。

 フィリップは二匹を別々にして、犢を母親から遠いところに繫ぐ。ブリュネットはそれにも氣がつかない風だ。

 フィリップの心配さうな樣子は、私たちみんなに乘り移る。子供たちまで起き出さうとする。

 獸醫がやつて來て、ブリュネットを診察し、牛小屋から出してみる。彼女は壁に突き當り、出口の敷居に躓(つまづ)く。今にも倒れさうだ。そこで、また小屋へ入れておくことにする。

 「だいぶ惡いやうですな」と、獸醫は云ふ。

 私たちは、なんの病氣か訊いてみる勇氣もない。

 獸醫はどうも產褥熱らしいと云ふ。よく命にかかはることもある病氣で、それも特にいい乳牛に多い。で、もう駄目だと思はれてゐた牝牛を自分が助けてやつた思ひ出話を一つ一つ話して聞かせながら、彼は壜のなかの液體をブリュネットの腰あたりに筆で一面に塗りつける。

 「こいつはちよつと發泡膏みたいな働きをするんです」と彼は云ふ。「正確な調合は知りません。巴里から來るもんです。これで腦の方さへやられなければ、もうひとりでに癒(なほ)りますよ。萬一、駄目なやうでしたら、ひとつ冷水療法をやつてみませう。そんなことをすると、なんにも知らない百姓はびつくりしますがね。つまり、あなただから申上げるわけです」

 「やつてみて下さい」

 ブリュネットは、ぢつと藁の上に寢たまま、それでもまだ頭の重みだけは支へてゐる。もう口は動かさなくなつた。ぢつと息をこらして、自分のからだの奧で何かが起こつてゐる樣子に聽き入つてゐるやうに見える。

 「いよいよ耳が垂れちまふまでは、まだ望みがあるから」とフィリップは云ふ。

 二度まで、彼女は起ち上りかけたが、駄目だつた。息遣ひが荒くなり、それもだんだん間遠(まどほ)になつて來る。

 そのうちに、たうとう左の脇腹へがつくりと首を落してしまふ。

 「まづいことになつて來た」とフィリップは云つて、しやがみ込んだまま、そつとひとりごとのやうに優しく話しかける。

 首はもう一度あがりかけて、またぐつたり秣桶(まぐさをけ)の緣に倒れかかる。それがあんまりがつくりと行つたので、そのぶつつかつた鈍い音に、私たちは思はず「あ!」と聲を立てる。

 私たちは、ブリュネットがぺしやつとなつてしまはないやうに、そのまはりに藁を積み上げる。

 彼女は頸と脚を伸ばし、ちやうど牧場で暴風雨(あらし)の日にやるように、長々と寢そべつてゐる。

 獸醫はたうとう血を取ることにきめる。彼はあんまりそばへは寄らない。腕の方はもう一人の醫者と變りはないが、然しちつと思ひ切りが惡いといふ噂だ。

 最初、木槌で叩くと、刄針(ランセツト)が血管の上を滑つてしまふ。そこでもう一度もつとしつかり手元を決めて叩くと、錫の手桶のなかにどくどくと血が流れ出す。その桶には、ふだんなら乳がいつぱいなみなみと溜るのである。

 血を止めるために、獸醫は血管のなかへ鋼鐵の針を通す。

 それから、だいぶ樂になつたらしいブリュネットのからだに、額からずつと尻尾の先まで、井戶水でしめした濕布を當て、それをしよつちゆう取換へてやつてやる。直ぐ溫まつてしまふからである。彼女は顫へもしない。フィリップはしつかり角をつかまへて、頭が左の脇腹にぶつつからないやうにしてゐる。

 ブリュネットは、すつかり委(まか)せきつたやうに、もう身動きもしない。氣分がよくなつたのか、それとも益々容態が惡くなつたのか、一向わからない。

 私たちは悲しい氣分になつてゐる。然し、フィリップの悲しみは、仲間の一匹の苦しむ樣子をそばで見てゐる動物のそれのやうに沈鬱である。

 彼の女房が朝のスウプを持つて來る。彼は腰掛に腰を下ろしたまま、まづさうにそれを喰ひ、おまけにすつかりは喰はない。

 「いよいよ、おしまいだ」と彼は云ふ。「からだが膨れて來たよ!」

 私たちは、初め、半信半疑である。然し、フィリップの云つたのは本當だつた。彼女のからだは眼に見えて膨れて來、それがちつとも元へ戾らない。なかへはいつた空氣がそのまま拔けなくなつてしまつたやうだ。

 フィリップの女房は訊く――

 「死んだの?」

 「見ないでいい、お前なんか!」と、フィリップは邪慳な調子で云ふ。

 フィリップのお内儀さんは庭へ出て行く。

 「そう直ぐにや搜しに行けないぜ、代りのやつは」と、フィリップは云ふ。

 「何の代りだ?」

 「ブリュネットの代りでさ」

 「行く時には俺がさう云ふ」と、私は自分でもびつくりするほど主人聲で云ふ。

 私たちは、この出來事が悲しいといふよりも、寧ろ腹立たしいのだといふ風に思はうと努める。そして既に、ブリュネットは死んだと口に出して云つてゐる。

 然し、夕方、私は敎會の鐘撞き男に道で遇つたが、彼にかう云ひかけて、どういふわけで思ひとどまつたのかわからない――

「さあ、百スウやるぜ。ひとつ弔ひの鐘を撞いてくれ。俺のうちで死んだものがあるんだから」

 

[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜ウシ科ウシ亜科ウシ族ウシ属オーロックス(英語:Aurochs:家畜牛の祖先。一六二七年に世界で最後の一頭がポーランドで死に、絶滅した)亜種ウシ Bos primigenius taurus の品種の一つで、「ホルスタイン」(Holstein)、又は「ホルスタイン・フリーシアン」(Holstein Friesian cattle)と呼ぶ(品種名は本種を主体として今も養育しているドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(Land Schleswig-Holstein)に因む)品種の♀。前篇の「牝牛」では『名前をつけないでしまつた』と述べているが、本篇の牛が前篇のと違う乳牛であるとは、私には思われない。されば、その後に「ブリュネット」と名づけたものと私は思う。私は十代の頃、この「博物誌」を読んで、この一章を読んで、思わず、涙したのを覚えている。一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻所収の佃裕文訳「博物誌」の後注に、『一九〇〇年六月六日、ルナールはショーモからアルフレッド。アティス』『宛てに』、『「それからうちの雌牛が子牛を残して死んでしまった。この子牛はパリに連れてゆく。そいつの死の話――雌牛の死のこと、子牛は元気旺盛だ――をルヴュ・ブランシュ誌に送りそこねたよ。しかしおたくの原稿料を考えると、いいときに思い止まったものだ。あれじゃ代わりの雌牛を買うことは出来ないからね」と書き送っている。』とある。但し、続けて、『しかし』三年後の『一九〇三年九月二十六日の日記にはつぎのように記している』として、『「文学の美しさ。私は雌牛を一頭亡くす。私はその死を書く。それで他の雌牛が一頭買えるだけの金が入る」』と記しているのであった。

「フィリップ」既に、一度、「犬」で記しているが、より明快に同前の佃裕文訳「博物誌」の後注に記してあるので引用すると、『シモン・シャリモー。ショーモで妻のラ・ロンドットとともにルナールの雑用をした下男。ルナールは著作の中で彼らをフィリップとラゴットと呼んでいる。ルナールは一八九六年から自分が死ぬまで、彼を雇った。』とある。

「子供たち」息子のフランソワ(愛称は「ファンテク」)と、娘のマリー(愛称は「バイイ」)。

「產褥熱」「さんじよくねつ(さんじょくねつ)」と読む。私は二十代まで「さんじゅくねつ」と誤って読んでいたので、敢えて読みを添えておく。辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、『乳熱』と訳しておられ、注があり、『牛の産後、血中のカルシウムの濃度が低下してしまい、規律不能等の症状を示す病気』とある。サイト「zoetis」の「産褥熱」によれば、『分娩後およそ』一『週間以内に発症する、子宮および腟などの産道損傷部への細菌感染を原因とする熱性疾患の総称であり、原因疾患は産褥性子宮炎あるいは産褥性腟炎とされています。臨床兆候として、発熱とともに悪臭を伴う悪露の貯留、食欲減退から廃絶、頻脈、呼吸促迫等が認められます』。『原因菌は以下の』四『菌種とされています』として、細菌 Bacteria ドメインの、

フソバクテリウム門フソバクテリウム綱フソバクテリウム目フソバクテリウム科フソバクテリウム・ネクロフォーラム Fusobacterium necrophorum

放線菌門放線菌綱放線菌目放線菌(アクチノマイセス)科 Actinomycetaceae アルカノバクテリウム属アルカノバクテリウム・ピオゲネス Arcanobacterium pyogenes

バクテロイデス門 Bacteroidetes バクテロイデス綱バクテロイデス目プレボテラ科プレボテラ属プレボテラ・メラニノジェニカ Prevotella melaninogenica

プロテオバクテリア門 Proteobacteriaγ プロテオバクテリア綱 Gammaproteobacteria エンテロバクター目 Enterobacterales 腸内細菌科エスケリキア属大腸菌(エシェリヒア コリ) Escherichia coli

が挙げられてある。『難産や分娩介助、双子や死産、胎盤停滞、子宮脱等の修復など、産道を損傷したり』、『感染を助長する事例が分娩時に起こると』、『産褥熱の発症リスクが高くなり、経済的にも深刻な損失を与えることがわかっています。分娩時問題牛の分娩後』十『日以内の熱発発症率は約』三十『%にも及び、正常分娩牛においても』二十『%が熱発していたという報告もあります』とあった。

「發泡膏」同じく辻氏は『発泡薬』と訳され、注で、『皮膚の患部に貼り、水泡(すいほう)を生じさせる治療薬』とある。

「冷水療法」同前で辻氏の注に、『冷水によって体温の低下をはかる療法』とある。

「血を取ること」同前で辻氏はここの一文を『獣医は、瀉血(しゃけつ)することに決める。』と訳され、注で、『頸静脈に小切開を加えて、悪い血を出させる療法』とある。

「百スウ」「スー」は旧フランの下位単位。現在は信頼してよい(但し、十年前の換算)と思われるデータによれば、

労賃を基準として: 一フラン=五千円 / 一スー=二百五十円

食糧を基準として: 一フラン=二千円 / 一スー=百円

生活品基準として: 一フラン= 五百円 / 一スー=二十五円

とあるので、現在の二千五百円から二万五千円相当となる。]

 

 

 

 

LA MORT DE BRUNETTE

 

Philippe, qui me réveille, me dit qu'il s'est levé la nuit pour l'écouter et qu'elle avait le souffle calme.

Mais, depuis ce matin, elle l'inquiète.

Il lui donne du foin sec et elle le laisse.

Il offre un peu d'herbe fraîche, et Brunette, d'ordinaire si friande, y touche à peine. Elle ne regarde plus son veau et supporte mal ses coups de nez quand il se dresse sur ses pattes rigides, pour téter.

Philippe les sépare et attache le veau loin de la mère.

Brunette n'a pas l'air de s'en apercevoir.

L'inquiétude de Philippe nous gagne tous. Les enfants même veulent se lever.

Le vétérinaire arrive, examine Brunette et la fait sortir de l'écurie. Elle se cogne au mur et elle bute contre le pas de la porte. Elle tomberait ; il faut la rentrer.

- Elle est bien malade, dit le vétérinaire.

Nous n'osons pas lui demander ce qu'elle a.

Il craint une fièvre de lait, souvent fatale, surtout aux bonnes laitières, et se rappelant une à une celles qu'on croyait perdues et qu'il a sauvées, il écarte avec un pinceau, sur les reins de Brunette, le liquide d'une fiole.

- Il agira comme un vésicatoire, dit-il. J'en ignore la composition exacte. Ça vient de Paris. Si le mal ne gagne pas le cerveau, elle s'en tirera toute seule, sinon, j'emploierai la méthode de l'eau glacée. Elle étonne les paysans simples, mais je sais à qui je parle.

- Faites, monsieur.

Brunette, couchée sur la paille, peut encore supporter le poids de sa tête. Elle cesse de ruminer. Elle semble retenir sa respiration pour mieux entendre ce qui se passe au fond d'elle.

On l'enveloppe d'une couverture de laine, parce que les cornes et les oreilles se refroidissent.

- Jusqu'à ce que les oreilles tombent, dit Philippe, il y a de l'espoir.

Deux fois elle essaie en vain de se mettre sur ses jambes. Elle souffle fort, par intervalles de plus en plus espacés.

Et voilà qu'elle laisse tomber sa tête sur son flanc gauche.

- Ça se gâte, dit Philippe accroupi et murmurant des douceurs.

La tête se relève et se rabat sur le bord de la mangeoire, si pesamment que le choc sourd nous fait faire : “ oh ! ” Nous bordons Brunette de tas de paille pour qu'elle ne s'assomme pas.

Elle tend le cou et les pattes, elle s'allonge de toute sa longueur, comme au pré, par les temps orageux.

Le vétérinaire se décide à la saigner. Il ne s'approche pas trop. Il est aussi savant qu'un autre, mais il passe pour moins hardi.

Aux premiers coups du marteau de bois, la lancette glisse sur la veine. Après un coup mieux assuré, le sang jaillit dans le seau d'étain, que d'habitude le lait emplit jusqu'au bord.

Pour arrêter le jet, le vétérinaire passe dans la veine une épingle d'acier.

Puis, du front à la queue de Brunette soulagée, nous appliquons un drap mouillé d'eau de puits et qu'on renouvelle fréquemment parce qu'il s'échauffe vite. Elle ne frissonne même pas. Philippe la tient ferme par les cornes et empêche la tête d'aller battre le flanc gauche.

Brunette, comme domptée, ne bouge plus. On ne sait pas si elle va mieux ou si son état s'aggrave.

Nous sommes tristes, mais la tristesse de Philippe est morne comme celle d'un animal qui en verrait souffrir un autre.

Sa femme lui apporte sa soupe du matin qu'il mange sans appétit, sur un escabeau, et qu'il n'achève pas.

- C'est la fin, dit-il, Brunette enfle !

Nous doutons d'abord, mais Philippe a dit vrai. Elle gonfle à vue d'oeil, et ne se dégonfle pas, comme si l'air entré ne pouvait ressortir.

La femme de Philippe demande :

- Elle est morte ?

- Tu ne le vois pas ! dit Philippe durement.

Mme Philippe sort dans la cour.

- Ce n'est pas près que j'aille en chercher une autre, dit Philippe.

- Une quoi ?

- Une autre Brunette.

- Vous irez quand je voudrai, dis-je d'une voix de maître qui m'étonne. Nous tâchons de nous faire croire que l'accident nous irrite plus qu'il ne nous peine, et déjà nous disons que Brunette est crevée.

Mais le soir, j'ai rencontré le sonneur de l'église, et je ne sais pas ce qui m'a retenu de lui dire : -Tiens, voilà cent sous, va sonner le glas de quelqu'un qui est mort dans ma maison.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「牝牛」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    牝 牛

 

 

 これがいい、あれがいいと、たうとう搜しあぐんで、彼女には名前をつけないでしまつた。で、彼女のことはただ「牝牛」といふ。そして、この名前が彼女には一番よく似合ふ。

 それに、そんなことはどうでもいいのだ、喰ふものさへ喰へれば!

 ところが、靑草でござれ、干草でござれ、野菜でござれ、穀物でござれ、麵麭や鹽に至るまで、なんでも喰いはうだいである。おまけに、彼女は何に限らず、いつでも二度づつ喰ふ。といふのが、つまり反芻するのである。

 私の姿を見ると、彼女は輕い小刻みな足どりで、割れた木靴を引つかけ、脚の皮膚を白靴下のやうにきゆつと穿(は)いて、早速驅け寄つて來るのである。で、その度每に、私は彼女の姿に見とれながら、かう云ふよりほかには云ふべき言葉を知らない――「さあ、おあがり!」

 然し、彼女が腹に詰め込むのは、脂肪にはならないで、みんな乳になる。一定の時刻に、彼女の乳房はいつぱいになり、眞四角になる。彼女はちつとも乳を出し惜しみしない――牛によつては出し惜しみをするやつがある――護謨のような四つの乳首から、ちよつと抑へただけで、氣前よくありつたけの乳を出してしまふ。足も動かさなければ、尻尾(しつぽ)も振らない。その代り、その大きな柔らかな舌で、樂しさうに傭い女の背中を舐めてゐる。

 獨り暮しであるにも拘らず、盛んな食慾のお蔭で、退屈するどころではない。最近に產み落した犢(こうし)のことをぼんやり想ひ出して、わが子戀しさに啼くといふやうなことさへ稀である。ただ、彼女は人の訪問を悅ぶ。額の上ににゆつと角をもち上げ、脣には一筋の涎と一本の草を垂らして舌なめずりをしながら、愛想よく迎へるのである。

 男たちは、怖(こは)いものなしだから、そのはち切れそうな腹を撫でる。女どもは、こんな大きな獸(けだもの)があんまりおとなしいので驚きながら、もう用心するのも、じやれつかないやうに用心するだけで、思ひ思ひに幸福の夢を描くのである。

 

 

 

 

 

 彼女は、私に角の間を搔いて貰ふのが好きである。私は少し後すさりをする。彼女が嬉しさうに寄つて來るからである。大きな圖體で、おとなしく、いつまでも默つてさうさせてゐるので、たうとう私は彼女の糞を踏んづけてしまふ。

 

Meusi

 

[やぶちゃん注:二節の間の五行空きはママ。本文と挿絵から、哺乳綱鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜ウシ科ウシ亜科ウシ族ウシ属オーロックス(英語:Aurochs:家畜牛の祖先。一六二七年に世界で最後の一頭がポーランドで死に、絶滅した)亜種ウシBos primigenius taurus の品種の一つで、「ホルスタイン」(Holstein)、又は「ホルスタイン・フリーシアン」(Holstein Friesian cattle)と呼ぶ(品種名は本種を主体として今も養育しているドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(Land Schleswig-Holstein)に因む)品種の♀。本邦では専ら乳牛としてのイメージが強いが、ヨーロッパでは肉乳両方を目的として飼育されている。本篇の長い前部は、二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがある。

 「割れた木靴」蹄(ひづめ)の換喩。

「圖體」歴史的仮名遣「づうたい」。]

 

 

 

 

LA VACHE

 

Las de chercher, on a fini par ne pas lui donner de nom. Elle s'appelle simplement “ la vache ” et c'est le nom qui lui va le mieux.

D'ailleurs, qu'importe, pourvu qu'elle mange !

Or, l'herbe fraîche, le foin sec, les légumes, le grain et même le pain et le sel, elle a tout à discrétion, et elle mange de tout, tout le temps, deux fois, puisqu'elle rumine.

Dès qu'elle m'a vu, elle accourt d'un petit pas léger, en sabots fendus, la peau bien tirée sur ses pattes comme un bas blanc, elle arrive certaine que j'apporte quelque chose qui se mange. Et l'admirant chaque fois, je ne peux que lui dire : “ Tiens, mange ! ” Mais de ce qu'elle absorbe elle fait du lait et non de la graisse. A heure fixe, elle offre son pis plein et carré.

Elle ne retient pas le lait, - il y a des vaches qui le retiennent, - généreusement, par ses quatre trayons élastiques, à peine pressés, elle vide sa fontaine. Elle ne remue ni le pied, ni la queue, mais de sa langue énorme et souple, elle s'amuse à lécher le dos de la servante.

Quoiqu'elle vive seule, l'appétit l'empêche de s'ennuyer. Il est rare qu'elle beugle de regret au souvenir vague de son dernier veau. Mais elle aime les visites, accueillante avec ses cornes relevées sur le front, et ses lèvres affriandées d'où pendent un fil d'eau et un brin d'herbe.

Les hommes, qui ne craignent rien, flattent son ventre débordant ; les femmes, étonnées qu'une si grosse bête soit si douce, ne se défient plus que de ses caresses et font des rêves de bonheur.

Elle aime que je la gratte entre les cornes. Je recule un peu, parce qu'elle s'approche de plaisir, et la bonne grosse bête se laisse faire, jusqu'à ce que j'aie mis le pied dans sa bouse.

 

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「山上の異人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 山上の異人【さんじょうのいじん】 〔一話一言巻二十九〕加賀屋敷に菊地治部左衛門と云ふ浪人、居住《すみゐ》常《つね》行力《ぎやうりき》を本《もと》として信心なり。富士・白山・立山・大峯・湯殿山等の尊き山を残らず上る処、或時諏訪<長野県内>に通例の俗人上りがたき山有り。治部左衛門これをも恐れず上る処に、異人出迎《いでむか》へて三間[やぶちゃん注:五・四五メートル。]ばかり下へ蹴落す。然れども治部左衛門驚かず、起上りまた山に登る。この度は変る事なし。則ち山を巡見してその夜は山に臥し、翌日麓に帰らんとするに、かの異人また出て、この度は五間[やぶちゃん注:五メートル強。]ばかり下へ蹴落す。されども早速起き返り行く処、かの異人声を懸けて呼びて、柄のなき鎌を与ふ。則ち治部左衛門が頬に当るを取《とり》て帰る。これより心に叶はざる事なしと語る。常に精進第一、火を忌みて他所にて食だにせず。人には客の乞ふ物を即座に求めて喰はしむ。その外怪しき事ども数多《あまた》有り。殊に剱術に妙を得る。予<渡辺幸庵>も行きて対面しけり。この方へも一度入来す。去々年《おととし》も逢ひしなり。いまだ存命か知れず。天狗など云ふ者の附けるか。色々奇特なる事有りしなり。<渡辺幸庵対話>

[やぶちゃん注:「一話一言」は複数回既出既注。安永八(一七七九)年から文政三(一八二〇)年頃にかけて書いた大田南畝著の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『蜀山人全集』巻五(明治四一(一九〇八)年吉川弘文館刊)のこちらで正字で視認出来る。但し、本篇は最後の部分で判る通り、次注に示す「渡邊幸庵對話」からの、丸々、転写である。そこで国立国会図書館デジタルコレクションで原親本を探してみたところ、戦後の出版乍ら、正字正仮名の『史籍集覧』第十二冊新訂増補版(近藤瓶城原編/角田文衛・五来重再編/昭和四二(一九六七)年臨川書店刊)のこちらで、当該部を視認出来るので、是非、見られたい。なお、『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「話俗隨筆」パート 蛇を引出す法』で熊楠はこの親本を引用している。

「渡辺幸庵」(生没年不詳)は江戸初期の武功者。一説に天正一〇(一五八二)年生まれで、正徳元(一七一一)年に百三十歳で没したとする謎の多い人物であるが、元は幕臣ということからして、渡辺茂の子の忠が、それに比定し得るとされる。徳川家康・秀忠に仕え、上野国で知行三百石を賜り、「関ケ原の戦い」・「大坂の陣」には父とともに参加して軍功をあげ、逐次、加増を受けたのち、寛永二(一六二五)年に徳川忠長に附属せられて、大番頭となり、五千石を知行した。忠長が改易された後は、浪人となり、その後の経歴は不明であるが、彼の後年の回想記「渡辺幸庵対話」によれば、「島原の乱」の際には、細川忠利の部隊に陣借りして働き、その後は、中国大陸に、長年、滞在して、再び日本に戻ったと記す。老年になった武蔵国大塚に住んだが、加賀藩主前田綱紀は宝永六(一七〇九)年に、家臣杉木義隣を遣わし、幸庵の昔話を筆記させ、同八年、上記の回想記が纏められた(以上は朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「猿になった児」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 猿になった児【さるになったこ】 〔猿著聞集巻二〕下野《しもつけ》の国足尾宿<栃木県日光市足尾町>の何がしが児、とし五ツのときいづこか行きけん、ふと出でて帰らず。そがたらちねいたく悲しみ、とかくしてたづねめぐりけれど知れず。十日ばかりへて、庚申山《かうしんざん》といへる山にたづね登りけり。岩の上にあまたの猿の遊び居たる。その中にわが子に面ざしの似たるがある。名をよびて見ければ、やがて来りてちゝのきぬにとりつきてなくを見れば、はや身のうち毛のおひ出て猿になりたるなり。父も悲しけれどかひなくて、泣く泣く抱《いだ》いて家にかへりけり。さながら木の実ばかりを食ひて、人のたうべつべきものとては、いさゝかもくはざりけりとて、まほに見つる人のものがたりしよし、沼田の里の松風軒の主が、せうそこしておこせたる儘にしるしつけぬ。

[やぶちゃん注:「猿著聞集」は既出既注だが、再掲すると、「さるちょもんじゅう」(現代仮名遣)と読む。生没年不詳(没年は明治二(一八六九)年以降とされる)の江戸後期の浮世絵師で戯作者でもあった岳亭春信が、号の一つ八島定岡(ていこう)で、鎌倉時代、十三世紀前半の伊賀守橘成季によって編纂された世俗説話集「古今著聞集」を模して書いた随筆。文政一〇(一八二七)年自序。当該話は国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第二期第十巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のこちらで、正字の本文が視認出来る。標題は『足尾むらの何がしが子山にいり猿になりし事」。

「下野の国足尾宿」「栃木県日光市足尾町」現在の栃木県日光市足尾町(あしおまち:グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。

「庚申山」栃木県日光市足尾町にある山。標高千八百九十二メートル。奇岩・怪石に富み、日本固有種で食虫植物(葉や花茎から分泌した粘液で小さな虫などを捕らえ、消化・吸収して自らの栄養分としている)である双子葉植物綱シソ目タヌキモ科ムシトリスミレ属コウシンソウ Pinguicula ramosa の発見地・自生地として知られる(詳しくは参照した当該ウィキを見られたい)。山頂に庚申神社がある。

「まほに」形容動詞「まほなり」(眞秀なり・眞面なり)の連用形。「直接に・直(じか)に」の意。

「沼田」群馬県沼田市。足尾町に西で接する。]

2023/11/01

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「猿と鷹」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。
 

 猿と鷹【さるとたか】 〔黒甜𤨏語三編ノ四〕「出羽なる平鹿<秋田県横手市平鹿町《ひらかまち》>の御鷹立帰り親の為には鷲もとるなり」とも詠みしは、むかしさいつ頃、平鹿の山中に老猿ありて、鷹の巣よりひとつの雛を奪ひ去る。母なる鷹尋ね迷ひけるに、深木蓊鬱(おううつ)の梢にかの老猿かくれ居《をり》けり。鷹これを見かけて一さんに舞ひ下り摑まんとせし時、老猿一条《すぢ》の枝をしわめて払ひのく。かくする事たびたびなれば、鷹は近づく事あたはず、遙かに飛び去りけり。暫くありて空中さつと響きて又舞ひ下る。老猿例のごとくにたわめし一条を払ひけるに、別にうしろより至りし鷹ありて、むづと摑みひしぎけり。前より下りし友鷹《ともたか》にて、かの一条をはらはせ、後うしろより揪(とら)へしとなん。謝在杭が記せしものに、宮𭩃に戯れし老猿、浮屠の九輪《くりん》にかくれしを、鷹をかけられければ、老猿ふせぎの術ありて捕へがたりしを、一握の砂をふり乱し、猿の眼をかすめて捕へし事もあり。老猿の智計至れる哉。猿かけの名世に知れり。

[やぶちゃん注:「黒甜𤨏語」「𤨏」は「瑣」の異体字。「空木の人」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの活字本(明治二九(一八九六)年版)のこちらで視認出来る。標題は『猿かけ鷹』。

「出羽なる平鹿の御鷹立帰り親の為には鷲もとるなり」「平鹿」「秋田県横手市平鹿町」はここ(グーグル・マップ・データ)。この歌、Takeo Wakatsuki氏のサイト「蝦夷 陸奥 歌枕」のこちらに、「歌枕名寄」(うたまくらなよせ:嘉元元(一三〇三)年頃成立)に「光俊朝臣」の作とする。鎌倉中期の公家で歌人の葉室光俊(承元三(一二〇九)年~建治二(一二七六)年)であろう。新三十六歌仙の一人で、第六代将軍宗尊親王の歌の師として、鎌倉歌壇にも重きをなし、歌枕の研究に「風土記」を活用したことでも知られる。また、宗尊親王の後援を背景として、後嵯峨院の命により「続古今和歌集」の撰者に加えられる等、中央歌壇にも影響力を持ったが、親王の失脚に伴い、勢いを失った。リンク先に従うと、

 出羽なる平鹿の三鷹たちかへり

    親のためには鷲もとるなり

となっている(正字化した)。

「謝在杭」「五雑組」を撰したことで知られる明代の文人で官人の謝肇淛(ちょうせい 一五六七年~一六二四年)の字(あざな)。但し、これは「五雑組」にはないようである。

「宮𭩃」意味不明。

「浮屠」仏教。ここは仏塔の意で、その頂きにある「九輪」のこと。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「猿ケ辻の古狐」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 猿ケ辻の古狐【さるがつじのふるぎつね】 〔思ひの儘の記巻二〕慶応二年に皇居丑寅の隅の凹みたる所を拡げられん為に、飛鳥井邸地の西の方削られたり。飛鳥井門前右の隅を猿ケ辻といへり。其処は雨夜などは化物出るとて、平民などは避けて通らざるなり。往々狐狸の害する事を聞けり。然るにこの五月頃の事にや。猿ケ辻の古狐のいふやう、この度御普請につき、今は住むべき所もなくなりたり、願はくは妙顕寺<日蓮宗四大本山の一>の寺内に社殿を建て、鎮座し給はゞ天下安穏宝祚《ほうそ》長久を守るべしと、帝の御夢に来り告《つぐ》るを御覧ありしよしにて、建築料金百円、外に年々米十石づつ下さるゝ事になりしよし。奇怪の事ながら、その事を山科中納言言成の記に載せたり。先頃御造営の小屋焼失せし事あり。これも狐の所為といへり。

[やぶちゃん注:「思ひの儘の記」勢多章甫(のりみ 文政一三(一八三〇)年~明治二七(一八九四)年:法学者・歴史学者で日本最後の明法博士。明治維新に至り、明法博士の官位を返上、その後、皇学所や宮内庁に勤務、皇典講究所にも所属した。著作に「嘉永年中行事」・「先朝紀略」・「勢多氏備忘」がある)の随筆。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』巻七(昭和二(一九二七)年刊)のここで当該部が視認出来る。

「慶応二年」一八六六年。明治維新の二年前。

「猿ケ辻」京都御所の塀の北東の角部分の通称。グーグル・マップ・データのこの中央附近。

「宝祚」天子の位。皇位。

「山科中納言言成」(文化八(一八一一)年〜明治三(一八七〇)年)は徳大寺公迪(きんなり)の二男。天保一二(一八四二)年、従三位。明治元年時は正二位・前権中納言。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「皿屋敷」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 皿屋敷【さらやしき】 〔諸国里人談巻二〕正保年中武士の下女、十の皿を一ツ井に落したる科によつて害せられ、その亡魂、夜々井の端にあらはれ、一より九まで算へ、十をいはずして泣き叫ぶと云ふ事、普く世に知る所なり。この古井の屋敷は、江戸牛込御門<東京都新宿区内>の内にあり。また雲州松江<松江市>に件の井あり。また播州にもあり。その趣皆同じ事なり。いづれか一所はその真あるか。三所ともに同じ。皿砕きの亡霊附会の説なり。

[やぶちゃん注:私の「諸國里人談卷之二 皿屋敷」を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「佐野稲荷」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 佐野稲荷【さのいなり】 〔思出草紙巻七〕天明五巳年三月、江戸牛込通《とほ》り寺町<東京都新宿区内>かなものやの十一歳になれる長市といふ子、狂気なせしごとくにのゝしり狂ふ事強し。その風情、狐の付きたるさまなりしが、先づ祈禱せしに、その時、この小童《せうだう》申しけるは、我は番町<千代田区内>御厩谷《おんまや》の佐野善左衛門方に、年久しく住せし狐なるが、定めて知るべし、先頃佐野家は断絶して、跡屋敷は松平忠左衛門拝領して、この松平忠左衛門、代々の鎮守たる狐を稲荷と号して祭れり。依《よつ》て我は追ひ出されてその居所《ゐどころ》を失へり。この辺に一社を建立し我を祭らば、永く町内、火災なきやうに守るべしとて、大いに口ばしりしかば、誰渠(たれかれ)打寄り評議して、一社建立なし遣はさんといひければ、童子大いに悦び申しけるは、永代《えいだい》社《やしろ》あらんかぎりは、町内類焼あるべからずとて、その霊《りやう》かたはらに倒れ伏して、狐ははなれたり。これに依て、寺町の横町《よこまち》岩戸町<東京都新宿区内>といふ裏の左りの崖下の空地は、慶安の逆徒たる由井正雪が住居の跡にして、渠《かれ》刑罰の後は除地《よけち/のぞきち/じよち》となりて、年々はるの草生じたる中に、正雪稲荷とて渠が住宅のせつ勧請ありし小社残りてあり。片はらにその後町《うしろまち》内《うち》鎮守いなり一社くわんじやうして、並び建ちたる脇へ、また一社建てて佐野稲荷と名付けぬ。それよりして、この空地に三社を祭りてあるなり。鼠《ねづみ》は社に寄りて人のうやまひぬるといへる言《いふ》ぞ空しからず。然るに狐は稲荷の社位をかりて、災ひをなす事は少なからず。迷へる愚人の輩は、稲荷大明神をもつたいなくも、狐と心得たるもをかしからずや。大いに笑ふべし。(頭書)正雪屋舗は前田対馬守(五百石、幕臣)持地所なり。

[やぶちゃん注:「思出草紙」「古今雜談思出草紙」が正式名で、牛込に住む栗原東随舎(詳細事績不詳)の古今の諸国奇談珍説を記したもの。『○佐野稻荷の事』がそれ。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで正規表現で視認出来る。

「天明五巳年」一七八五年。

「江戸牛込通り寺町」牛込通寺町。現在の新宿区神楽坂六丁目(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。

「番町」「千代田区内」「御厩谷」この附近

「寺町の横町岩戸町」「東京都新宿区内」現在の東京都新宿区岩戸町(いわとちょう)。

「由井正雪が住居の跡」不詳。ちょっと北西に離れるが、サイト「アソビュー!」の 「由井正雪旧居跡」東京都新宿区西新宿のこことし、『庭には霊亀泉という井戸があった。現在は大日本印刷榎町工場敷地東南端のところが家のあと』とあった。

「正雪稲荷とて渠が住宅のせつ勧請ありし小社残りてあり」確認出来ない。「せつ」は「節」(であった時)であろう。しかし、江戸時代に江戸城直近に、逆賊の彼の名を冠した稲荷があったというのは、ちょっと考え難い。

「佐野稲荷」不詳。上記周辺の現存する複数の稲荷はここ

「前田対馬守」切絵図で探してみたが、見当たらない。判らぬことばかりで、ちょっと注する気が失せた。話もこれといって怪奇談としてもたいして面白くない。不詳箇所は識者の御教授を乞うものである。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「座頭の建碑」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 座頭の建碑【ざとうのけんぴ】 〔蕉斎筆記〕近世の事かとよ。能登国より官銀を持し、座頭某官職の望みありて京都へ上りけるに、加賀国の城下ヘ出て、あまり飢ゑ疲れたる故、足軽の近藤何某と云ふ者の方へ至り、飯など給(た)べ茶などもらひけるが、程なく疲れを休め出で行きぬ。亭主外より立帰り見るに、座敷の脇に金百両包みながら残り有り。不審に思ひ一家内へ尋ねけるに、何の覚えなきよし、然れども留守の内に座頭一人来り、茶請ひたるよし咄しければ、定めてその座頭の忘れ物なるべしと思ひ、包を解き見ければ、官銀百両、能登の座頭何某と書付け有り。さてはと思ひ跡より追懸けるに、漸々《やうやう》と一里あまり行き、渡し場にて追付きぬ。か様か様の訳にて取残せり、直《ぢき》に受取れといひけれども曾て請けず。その座頭いひけるは、我等年来《としごろ》辛苦して、この百両といふ金を拵へたるに、只今迄能登国を出るより、片時も忘るゝ事なく肌に付け居けるに、今日こなたの所へ行き雪隠《せつちん》へ行きしが、落せば悪《あし》しと思ひ、座敷のすみに残し置きぬ、然るに置き忘れこの渡場《わたりば》迄一向思ひ出《いだ》さぬ、誠に我に官職を授け給はぬ天道の戒めなり、さればこそそなたへ天より与へ給ふ金子なれば、

この百両そなたに進ずるなりと云ひければ、かの足軽も何しに取るべきいはれなし、それゆゑにこそこれ迄追懸け持ち来りたりと云ひて、首へ無理にかけ置き逃げ帰りぬ。さてそれより座頭は官職の望みを止《や》め、直に高野山へ行き、右百両にて結構なる五輪を居《す》ゑ、右の足軽夫婦現当《げんたう》安楽の為に、能登の座頭何某建立といふことを彫付け置きたり。その後《のち》年経て加賀様御逝去の節、高野山へも五輪御建てなされ候事にて、諸役人参り、恰好よき五輪数々見合せけふに、右の座頭の五輪を見当りけるに、加州の足軽の姓名を書きたる故、不審に思ひ加州へ帰り、その趣咄しければ、侍中《さむらひうち》御尋ね有りけるにしれず。また足軽中間《ちゆうげん》の中にその姓名有る故に、御尋ね有りけるに、曾て覚えなき由申しけるに、右の能登の座頭建ㇾ之と云ふ事を聞き、不斗《ふと》思ひ出《いだ》し、先年か様《やう》々々の事有るよし申上げければ、それに違《たが》ひ有るまじとて、奇特の仕方なりと新知百石下され、その座頭をも御取揚げ給ひしとなり。誠に不思議なる由縁《ゆかり》といふべし。<『窓のすさみ三』に同様の文章がある>

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(左ページ上段の四行目以降)『寬政七卯同八辰年』(グレゴリオ暦一七九五年二月十九日から一七九七年三月八日まで)の冒頭の条で正字で視認出来る。

「座頭」当該ウィキによれば、『古来、琵琶法師には盲目の人々が多かったが』、「平家物語」を『語る職業人として鎌倉時代頃から「当道座」』(とうどうざ)『と言われる団体を形作るようになり、それは権威としても互助組織としても、彼らの座(組合)として機能した。その中で定められていた集団規則によれば、彼らは検校、別当、勾当、座頭の四つの位階に、細かくは』七十三もの『段階に分けられていたという。これらの官位段階は、当道座に属し』、『職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。金銀によって早期に官位を取得することもできた』。『江戸時代に入ると』、『当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。この頃には平曲は次第に下火になり、それに加え』、『地歌三味線、箏曲、胡弓等の演奏家、作曲家や、鍼灸、按摩が当道座の主要な職分となった。結果として』、『このような盲人保護政策が、江戸時代の音楽や鍼灸医学の発展の重要な要素になったと言える。また』、『座頭相撲など見せ物に就く者たちもいたり、元禄頃から官位昇格費用の取得を容易にするために高利の金貸しが公認されたので、悪辣な金融業者となる者もいた』とある。こうした買収のために貯めた座頭の金を横領し、死に至らしめた(殺人・自殺)結果、怨霊となって祟るという怪談も、私の怪奇談の中には複数ある。こうした、ほっこりした、徹頭徹尾、いい話は珍しい。

「現当」現世と来世。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「猫」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 私のは鼠を喰はない。そんなことをするのがいやなのだ。つかまへても、それを玩具にするだけである。

 遊び飽きると、命だけは助けてやる。それから何處かへ行つて、尻尾(しつぽ)で輪を作つてその中に坐り、拳固のやうに恰好よく引き緊まつた頭で、餘念なく夢想に耽る。

 しかし、爪傷(つめきず)がもとで、鼠は死んでしまふ。

 

Neko_20231101105801

 

[やぶちゃん注:哺乳綱食肉目ネコ亜目ネコ科ネコ属ネコ亜属ヨーロッパヤマネコ亜種イエネコ Felis silvestris catus 、及び、哺乳綱齧歯(ネズミ)目ネズミ亜目ネズミ上科ネズミ科 Muridae のネズミ類。人家や、その周辺に棲息する「家ネズミ」類のヨーロッパでの(日本も変わらない)代表種は、クマネズミ属ドブネズミ Rattus norvegicus である。恐らく、本篇とボナールの挿絵は、「博物誌」でも最も知られるアフォリズムと挿絵の一つである。但し、本篇は二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがある。

「玩具」戦後版も「ぶどう畑のぶどう作り」も共に『おもちゃ』のルビを附す。]

 

 

 

 

LE CHAT

 

Le mien ne mange pas les souris ; il n'aime pas ça.

Il n'en attrape que pour jouer avec. Quand il a bien joué, il lui fait grâce de la vie, et il va rêver ailleurs, l'innocent, assis dans la boucle de sa queue, la tête bien fermée comme un poing.

Mais à cause des griffes, la souris est morte.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「犬」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    

 

 

 ポアンチュウも、こんな季節になると外へ出しておくわけにはいかない。おまけに、扉(ドア)の下から銳い唸り聲を立てて風が吹きつけるので、彼は靴拭ひのところにさへゐられなくなる。で、もつといい場所を搜しながら、私たちの椅子の間に、そのごつい頭をもぐり込ませて來る。然し、私たちは、肘と肘をすれすれに、ぴつたりからだをくつつけ合つて、ぢつと火の上にかがみ込んでゐる。で、私はポアンチュウを一つひつぱたく。父は足で押しのける。おふくろは叱りとばす。姉は空のコップを彼の鼻先へ突きつける。

 ポアンチュウは嚏(くしやみ)をして、それでも念のために、誰もいない臺所を覗きに行く。

 やがてまた戾つて來ると、膝で絞め殺されさうなのもものともせず、無理やり私たちの圍みを押し破つて、たうとう煖爐の一角に辿り着く。

 そこでしばらく愚圖ついた末に、たうとう薪臺のそばへ坐り込むと、もうそれつきり動かない。彼は主人たちの顏をぢつと見つめ、その眼つきがいかにもやさしいので、こつちもつい叱れなくなつてしまふ。ただ、その代り、殆ど眞つ赤になつてゐる薪臺と、搔き寄せた灰が、彼の尻を焦がす。

 それでもそのままぢつとしてゐる。

 みんなはまた彼に道をあけてやる――

 「さあ、あつちへ行つて! 馬鹿だね、お前は!」

 然し、彼は頑張つてゐる。で、野良犬(のらいぬ)どもの齒が寒さにがたがた顫へてゐる時刻に、ポアンチュウはぬくぬくと溫まり、毛を焦がし、尻を燒きながら、唸りたいのを我慢して、ぢつと泣き笑ひをしてゐる――眼にいつぱい淚を溜めたまま……。

 

Inu

 

[やぶちゃん注:哺乳綱食肉目イヌ科イヌ属オオカミ亜種イヌCanis lupus familiarisボナールの絵がルナールの飼っていた犬の絵であるとすれば(その可能性は極めて高いとは思われる)、その表情と大きさから、私はローデシアン・リッジバック(Rhodesian Ridgeback/フランス語:Chien de Rhodésie à crête dorsale)か、その雑種のように思われる。同品種は南アフリカ及びジンバブエ(旧ローデシア共和国)原産のセントハウンド犬種の一品種である。参考にした当該ウィキによれば、『もととなった原種は』十六『世紀ごろから存在していた。その犬種は地元のホッテントット族が』、『古くから猟犬として飼育していたホッテントット・ドッグとヨーロッパのマスティフ』・『タイプの犬のミックスで、まだ品種としては確立されていなかった』とあり、猟犬としての資質を持っていることが判る(同ウィキの顔画像)。私が別に参考にしたフランス語の当該ウィキも見られたい。なお、一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第五巻所収の佃裕文訳「博物誌」の後注によれば、『ルナールは一八五四年十二月九日づけのクルトリーヌ』(Georges Courteline 一八五八年~一九二九年:フランスの劇作家・小説家。ユーモア短編小説に次いで、喜劇「ブーブロッシュ」(Boubouroche:一八九三年初演)で成功、風刺の効いた一幕物に勝れ、「わが家の平和」(La Paix chez soi :一九〇三年) など、プチ・ブルの生活の滑稽さを暴いた一連のコメディにより、当時の演劇界に旋風を巻き起こした)『宛て書簡で』、『「もし君が惜しくなければ、『ケツにやけどをする犬』という君の着想を僕に使わせて欲しい。』『もし許してもらえるなら、返事は御無用」』『と記している』とあることから、このエンディングのシークエンスは事実ではなく、創作と考えてよい。さらに、続いて佃氏は「ポアンチュウ」(佃氏の訳では『ポアンチュ』)に注記号を打ち、ルナールの日記二箇所の条、及び書簡一通、と作品集『愛人』( La Maîtresse :一八九六年刊)を参照するように記されてある。二つだけ引くと、一九〇三年七月三十一日の日記(同全集第十四巻・柏木・北村・七尾・和田共訳)に、

   《引用開始》

 七月三十一日

 フィリップは肉親というより、まさに伴侶である。

 彼らは洗濯場のような所で暮らし、そこが気に入っている。戸はロープ一本で閉められているだけだ。夕立の時、ポワンチュは、それを開けて中に入るのだ。日本の前脚で押すだけでよい。

 パリのどんな門番小屋でも彼らにはあまりに立派に見えるだろう。

   《引用終了》

因みに、この「フィリップ」(Philipppe)というのは、ルナールの多くの著作に登場する主人公の使用人のモデルとなった、『ショーモとシトリーで』、『ルナール家の使用人であったシモン・シャリュモー』のことである(同全集第十六巻の「人名索引」に拠った)。最後のそれは、同作品集の掉尾にある短篇の、主部分を対話体にした小説“ Blandine et Pointu ”(「ブランディーヌとポワンチュ」)で、そこでは、地の文で、まさにルナールの飼っていた犬ポワンチュの病死が語られてある。同前全集の第六巻(北村卓訳)の当該作の北村氏の注に、この「ポワンチュ」と言う名は、女主人公の名「ブランディーヌ」が、『もともと、紀元一七七年六月二日、ポタン司教とともにリヨンで殉教した聖女の名前』であるとされ、その『ブランディーヌとともに殉教した聖ポタンPothin(ラテン語名Pothinus)の名も想起される』とあった。なお、戦後版とは異なり、次の「猫」と逆転して配されてある。この時の原語底本(書誌不明)がそうであったのであろう。なお、別に、フランスのブルターニュ地方原産の中型の鳥猟犬「ブリタニー・スパニエル」(英語:Brittany Spaniel)が知られ、フランス語では「エパニュール・ブルトン」(Epagneul Breton)とするのが、相応しいとも言えるか。――最後に――この章を六年前の先の十月二十六日に脳腫瘍で安楽死させた三女アリス(ビーグル犬)の御魂(みたま)に捧げる――

「薪臺」戦後版で『まきだい』とルビする。]

 

 

 

 

LE CHIEN

 

On ne peut mettre Pointu dehors, par ce temps, et l'aigre sifflet du vent sous la porte l'oblige même à quitter le paillasson. Il cherche mieux et glisse sa bonne tête entre nos sièges. Mais nous nous penchons, serrés, coude à coude, sur le feu, et je donne une claque à Pointu. Mon père le repousse du pied. Maman lui dit des injures. Ma soeur lui offre un verre vide.

Pointu éternue et va voir à la cuisine si nous y sommes.

Puis il revient, force notre cercle, au risque d'être étranglé par les genoux, et le voilà dans un coin de la cheminée.

Après avoir longtemps tourné sur place, il s'assied près du chenet et ne bouge plus. Il regarde ses maîtres d'un oeil si doux qu'on le tolère. Seulement le chenet presque rouge et les cendres écartées lui brûlent le derrière.

Il reste tout dé même.

On lui rouvre un passage.

- Allons, file ! es-tu bête !

Mais il s'obstine. A l'heure où les dents des chiens perdus crissent de froid, Pointu, au chaud, poil roussi, fesses cuites, se retient de hurler et rit jaune, avec des ]armes plein les yeux.

 

[やぶちゃんの原文への注:どうも、この引用元の、フランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文は、実はサイト版が元にしたサイトのものを加工データにしていることが、バレてしまった。最終行の“]armes”は“larmes”(淚)の誤植であり、これは戦後版で引いたものも同じミスだからである。気高いフランス人と雖も、この指摘には知らんふりするであろう。こっそり直しなせえ。]

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「白鳥」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    白 鳥

 Hakutyou

 

 彼は泉水の上を、雲から雲へ、白い橇のやうに滑る。なぜなら、彼は、水の中に生じ、動き、そして消え失せる綿雲だけに食慾を感じるからである。彼が望んでゐるのは、その一きれである。そして、いきなり、雪の衣を纏つたその頸を突つ込む。

 それから、女の腕が袖口から現れるやうに、彼は首を引き出す。

 なんにも取れない。

 彼はぢつと見つめてゐる。雲は、愕いて姿を消した。

 一度醒めた迷夢は、忽ち甦る。なんとなれば、雲は間もなく姿を現し、彼方(かなた)、水面の波紋が消えて行くあたりに、また一つ雲が出て來るからである。

 輕い羽布團に乘つて、靜かに白鳥は漕ぎながら、その方に近づく……。

 彼は水に映る空しき影を追うて疲れ、雲ひときれを捉へる前に、恐らくはやがてこの妄想の犧牲となつて、死に果てるであらう。

 おい、おい、何を云つてるんだ……。

 彼は潜る度ごとに、嘴の先で、養分のある泥の底をほじくり、蚯蚓を一匹銜(くは)へて來る。

 彼は鵞鳥のやうに肥るのである。

 

Hakutyou2

 

[やぶちゃん注:コブハクチョウと見てよいように思われるので、鳥綱カモ目カモ科ハクチョウ属コブハクチョウ(瘤白鳥) Cygnus olor に同定したい。理由は、常在分布、及び、ボナールの絵である。当該ウィキによれば、『ヨーロッパ、中央アジアを中心に生息する。繁殖のため』『渡りをする。中国東部や朝鮮半島で越冬する個体もあり』、昭和八(一九三三)十一月には『日本の伊豆諸島八丈島で迷鳥としての記録がある』。『日本列島では北海道から九州まで各地で記録があり、定着している地域もある』、『日本では』昭和二八(一九五二)『年に飼い鳥として、ヨーロッパから移入したものが』、『公園や動物園などで飼育された。しかし、飼育個体の一部が野生化し、各地に定着している』。『他にも北アメリカ東部、南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地に移入されている』とあり、『成鳥は全長約』一メートル五十センチで、『雌雄同色であり、全身白色の大型の水鳥である。扁平なくちばしはオレンジ色で、くちばし上部の付け根に黒いコブのような裸出部があり』、それが『名前の由来になっている』とある。ボナールの絵では、二枚とも、確かに嘴上部の端部分に有意な出っ張りが描かれていることが判るからである。なお、本篇ではミミズを食うシーンがあるが、ハクチョウ類の主食はマコモ(菰:単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Ehrhartoideae Oryzeae 族マコモ属マコモ Zizania latifolia )などの水辺植物や水草の葉・茎・根が主食であるものの、昆虫や貝類などの無脊椎動物を食べることもあるので問題はない。

「水面」私は「みなも」と読みたい。それでこそ、彼方の空の雲のワイドな水辺と青空のロケーション映像がより生きると信ずるからである。]

 

 

 

 

LE CYGNE

 

Il glisse sur le bassin, comme un traîneau blanc, de nuage en nuage. Car il n'a faim que des nuages floconneux qu'il voit naître, bouger, et se perdre dans l'eau.

C'est l'un d'eux qu'il désire. Il le vise du bec, et il plonge tout à coup son col vêtu de neige.

Puis, tel un bras de femme sort d'une manche, il retire.

Il n'a rien.

Il regarde : les nuages effarouchés ont disparu.

Il ne reste qu'un instant désabusé, car les nuages tardent peu à revenir, et, là-bas, où meurent les ondulations de l'eau, en voici un qui se reforme.

Doucement, sur son léger coussin de plumes, le cygne rame et s'approche...

Il s'épuise à pêcher de vains reflets, et peut-être qu'il mourra, victime de cette illusion, avant d'attraper un seul morceau de nuage.

Mais qu'est-ce que je dis ?

Chaque fois qu'il plonge, il fouille du bec la vase nourrissante et ramène un ver.

Il engraisse comme une oie.

 

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「孔雀」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    孔 雀(くじゃく)

 

 

 今日こそ間違ひなく結婚式が擧げられるだらう。

 實は昨日の筈だつた。彼は盛裝をして待つてゐた。花嫁が來さへすればよかつた。花嫁は來なかつた。然し、もう程なく來るだらう。

 意氣揚々とインドの王子(プリンス)然たる足どりで、彼はそのあたりを散步する。新妻への數々の贈物は、ちやんと自分の身につけて持つてゐる。愛情がその彩色の輝きを增し、帽子の羽根飾は竪琴(たてごと)のやうに震へてゐる。

 花嫁は來ない。

 彼は屋根の頂(いただき)に登り、ぢつと太陽の照らす方を眺める。彼は魔性(ましやう)の叫びを投げかける――

 ――レオン! レオン!

 かうして花嫁を呼ぶのである。何ものも姿を見せず、誰も返事をしない。庭の鳥たちももう慣れつこになつてゐて、頭をあげようともしない。さういつまで感心ばかりしてはゐられないのだ。彼は中庭に降りて來る。誰を恨むといふでもない。それほど自分の美しさを信じてゐる。

 結婚式は明日になるだらう。

 そこで、殘りの時間をどうして過そうかと、ただ、あてもなく踏段の方へ步いて行く。そして、神殿の階段(きざはし)でも登るやうに、一段一段、正式の足どりで登つて行く。

 彼は裾長の上衣の裾を引き上げる。その裾は、多くの眼が注がれたまま離れなくなつてしまつたために、なにさま重くなつてゐる。

 彼は、そこでもう一度、式の豫行やつてみるのである。

 

Kujyaku

 

[やぶちゃん注:鳥綱キジ目キジ科クジャク属コンゴクジャク属インドクジャク Pavo cristatus(インドの低木の散在する開豁地に分布)、又は、マクジャク Pavo muticus(真孔雀。翠(みどり)系の光沢を持つ美しい羽色で、中国からベトナム、マレー半島にかけて分布)。他にコンゴクジャク Afropavo congolensis がいるが、同種はコンゴ盆地に分布するが、当該ウィキの♂の画像を見ていただくと判るが、長い派手な上尾筒(じょうびとう)を持たないばかりか、全身がずんぐりむっくりで、一部に濃い青、緑を含むものの全体に黒く見え凡そ我々のイメージする「孔雀」からは遙かに程遠いので、ここでは外す(以上は概ねウィキの「クジャク」に拠った)。

「レオン! レオン!」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、ここに注され、『くじゃくの鳴き声の擬音(ぎおん)だが、レオンは男の名前なので、花嫁をよぶことばとしては、こっけいに聞こえる』とある。恐らくは、ルナールはその効果を含んでオノマトペイアしたものであろう。ウィキの「クジャク」の「鳴き声」には、『「イヤーン、イヤーン」または「キーオウ、キーオウ(インドクジャクの場合)」と独特の甲高い声で鳴く。夕方に多く、トランペットともネコの鳴き声に近いとも言われる』。『就寝前には』、『ねぐらの全羽が「ヒーオン」というコンタクト』・『コールを行って眠りにつく。また、ねぐらに敵が接近してきた時は、気がついた個体が「コッコッコッコッ」という警戒音を出して仲間に危険を知らせる。求愛の際には』『オスはメスに対して飾り羽を広げ、「ミャオー」という叫び声を上げるとともに尾羽を打ち鳴らすディスプレイ行為を行う』とあった。この中では、「レオン」は「ヒーオン」が近い。孤独な、この「博物誌」の孔雀は、独り寝の悶々たる夢の中でのみ花嫁を迎えるのかも知れない。]

 

 

 

 

LE PAON

 

Il va sûrement se marier aujourd'hui.

Ce devait être pour hier. En habit de gala, il était prêt.

Il n'attendait que sa fiancée. Elle n'est pas venue. Elle ne peut tarder.

Glorieux, il se promène avec une allure de prince indien et porte sur lui les riches présents d'usage.

L'amour avive l'éclat de ses couleurs et son aigrette tremble comme une lyre.

La fiancée n'arrive pas.

Il monte au haut du toit et regarde du côté du soleil.

Il jette son cri diabolique :

Léon ! Léon !

C'est ainsi qu'il appelle sa fiancée. Il ne voit rien venir et personne ne répond. Les volailles habituées ne lèvent même point la tête. Elles sont lasses de l'admirer. Il redescend dans la cour, si sûr d'être beau qu'il est incapable de rancune.

Son mariage sera pour demain.

Et, ne sachant que faire du reste de la journée, il se dirige vers le perron. Il gravit les marches, comme des marches de temple, d'un pas officiel.

Il relève sa robe à queue toute lourde des yeux qui n'ont pu se détacher d'elle.

Il répète encore une fois la cérémonie.

 

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