譚海 卷之八 藝州家士の妻奸智ある事(フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。注は不要と判断した。]
藝州にある家司、婢(ひ/はしため)を愛して、密會せしに、男、婢の寢所へ行(ゆき)たるあしたは、其妻、必ず、知りて、口舌(くぜつ)たえざりけり。
男も、妻のやかましきをいとひて、能(よく)寢たるほどをうかゞひ、深夜に、隨分、おとせずゆけども、翌日、妻の是(これ)をしりて、責めのゝしる事、神(かみ)の如くなれば、此男、あやしく思ひて、年月、經たるに、ある夜、
『婢の寢所へ、ゆかん。』
とて、閨(ねや)のふすまを、ひそかに明(あけ)たれば、ふすまのしりに、おされて、豆、ひとつ、まろび出たり。
男、おもふやう、
『されば、この豆を、かくのごとく戶尻におきて、豆の戶じりになき折(をり)は、それと、さとりて、かく、いふ事。』
と、思ひよりて、そのよ、婢のところより歸りて、ふすまを明(あく)るとき、もとのごとく、豆を、ふすまのしりに、置きて、いねければ、翌日、妻の口舌もなく、柔和なる體(てい)なれば、いよいよ、此豆のゆゑに、さとらる事をしりて、婢の寢所よりもどる時は、豆を元のごとく戶じりに置(おき)たるに、やゝしばしは、口舌もなく、男、よろこびて、
『仕(し)すましたり。』
と、思ひしに、月ごろ、ふる後(のち)は、豆を、いつものごとく置きていぬれども、妻、又、密會をしりて、やかましく口舌いふ事、前時(まへのとき)に、こえたり。
男、心を留(と)めて見るに、
『その後は、豆をも、おかざれど、能(よく)知る事、甚(はなはだ)、不思議なる事。』
と、怪しみしに、ある夜、又、
『婢のもとへ、ゆかん。』
とて、ふすまのかけがねを、ひそかに、はづす時、かけ金(がね)を髮の毛一すぢにて、結びとぢて、あり。
男、
『さればこそ。此頃、豆もおかざれど、此事をしるは、如ㇾ此(かくのごとく)かけがねを、髮の毛にて結び置(おき)たるが、引ききれてある夜(よ)は、我(わが)密會をさとりしりて、いふなりけり。』
と推量して、心友(しんいう)に物語(ものがた)りて、笑ひけるとぞ。
「女の、をろかなる[やぶちゃん注:ママ。]智も、嫉妬のかたに用(もちふ)れば、かくの如く、奇妙成(なる)はたらきは、する事。」
と、いへりけるとぞ。
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