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2023/11/07

譚海 卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事 / 卷七 武州河越庵室の僧藏金に執心せし事(カップリング・フライング公開)

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。異なった巻のものであるが、面倒なので(柴田の著作では、一項目に一緒に出るため)、カップリングした。]

 

卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事

 相摸の國小池の邊に、眞言寺の住持に入曉(にふげう)といふ僧、有(あり)。

 その師、遷化の後、頓(やが)て、其寺を、ゆづり受(うけ)て住(すみ)ける。

 もとより、其師、儉約成(なる)人なりしかば、田園も多く、金子も有(あり)ければ、樂しく有(あり)しに、半年ばかり住持して居けるに、いつとなく、庭の隅に、小(ちさき)蛇、ひとつ、出(いで)て、うづくまり居(ゐ)けり。

 追(おひ)やれば、また、立(たち)かへりて、あり。

 如ㇾ此(かくのごとく)成(なる)事、數月(すげつ)に及(およん)で、其出(いで)て居(を)る所も替らず、同じ所と見定めつ。

 漸々(やうやう)、不思議に思ひて、蛇の居《をら》ざるあひだを伺ひて、地を掘(ほり)みれば、小がめの内に、金子を納めて、埋《うづ》めあり。

 能々(よくよく)思惟するに、師の存生(ぞんしやう)の程、儉嗇(けんしよく)成(なる)人なれば、かく、構へて、埋みおかれたる也。

 其執心、殘りて、猶、蛇と成(なり)て、是を守りける事の淺間敷(あさましき)事など、思ひめぐらすに、しきりに、物うき心起りて、世の中の事も、萬(よろづ)、はかなく思ひしかば、寺にある物、金錢を始(はじめ)て、殘りなく、人にわかちやり、我はいづちともなく、うかれ出(いで)て、行方(ゆくゑ)なく成(なり)ぬ。

 其後(そののち)、年を經て、この入曉、

「上總の國に在(あり)て、非人に、まじり、むしろを着つゝ、人家に、物ごひあるきけるを見たり。」

と、人のいへりしが、猶、出離(しゆつり)の心、深く成(なり)ぬるにや、終(つひ)に、本國に歸りて、山中にいり、入定せりといへり。

[やぶちゃん注:「相摸の國小池」不詳。神奈川県座間市に小池大橋(グーグル・マップ・データ)はあるが、ここかどうかは判らぬ。]

 

卷之七 武州河越庵室の僧藏金に執心せし事

 江戸神田の三、四人、用事ありて上州へ行(ゆき)ける道、川越に至りしに、暑(あつさ)强き頃にて、ある庵室の有(あり)けるに入(いり)て休らひけるに、あるじの僧、壹人、有り。

 ねもごろにあいさつして、しばし、緣に尻かけてある程、あるじの僧は、やがて、轉寢(うたたね)せしに、神田の者、壹人、雪隱を求(もとめ)て、庵のうしろへ行てみれば、井の有(あり)ける側(そば)の石の上に、ちいさき蛇、とぐろ卷(まき)て、あり。

 おづおづ追ひけれど、退(の)かざりければ、石をもちて、打付(うちつけ)たるに、その石、蛇のかしらに打(うち)あてたり。

 扨、用事、終(をはり)て、もとの緣に尻かけてをるに、僧、目をさまし、大(おほい)に怒(いかり)て、

「何れも、暑中故、休息せらるゝは、其分なり。何とて、我等がかしらへ、疵、付(つけ)られたるぞ。了簡、ならず。」

と、いひつのりけるに、皆々、

「心得ぬ事。」

とて、

「一向、左樣のわざ、せし事、なし。ひたすら、御免有(ある)べし。」

と詫びけれど、僧のかしらより、血も出でけるまゝ、いといと、腹立(はらた)て、堪忍せざれば、詫事(わびごと)をも聞(きか)ず、さりとて、誰(たれ)手をおろし打(うち)たる事もなければ、甚だ、不審に思ひけるに、雪隱へ行きたる男、詫(わび)かねて、是非なく、

「我等、先ほど、用、有りて、庵の後(うしろ)ヘ行(ゆき)たる時、へびの、石の上にゐたるに、石をこそ、投げうちけれ、其外に、かまへて、あしき事は、せず。」

と詫けるに、此僧、此物語りを聞(きき)て、其まま、頭(かしら)をさげ、慚愧の體(てい)にて、やゝしばし、物も、いはず。

 やうやう、頭を、もたげて、

「扨々(さてさて)、今の御物語りを承(うけたまはり)て、恥入(いり)て候。誠に、後生」(ごしやう)の罪障(ざいしやう)とも成(なり)ぬべく、おそろしき事。返々(かへすがへす)、身にしみ、はづかしく覺え候。各(おのおの)、井のもとへ、おはして、御覽あれ。」

とて、此人々を伴ひ、井の側の石を取除(とりの)ければ、小(ちいさ)き瀨戶物の、ふた茶椀、有り。

 内に、金子(きんす)七兩、ありけるを、取出(とりいだ)して、この人々に、みせつゝ、

「我等事、思ひかけず、此七兩の金子を、まふけ、ためたれども、『盜人(ぬすつと)にとられぬべき事』を思量して、かく、人しれぬ所に、埋置(うめお)きたる也。されども、我等こと、心、常に、此金子に、まよひしまゝ、さては、我等、へびに成(なり)て、こゝにありしにて候。扨々、はづかしき事、各(おのおの)へも、この次第、ざんげ[やぶちゃん注:ママ。本邦近世には「さんげ」が正しい。]のために見せしなり。今より後(のち)は、金子も何も、用事にあらず。各へ、此金子、進じ申度(まふしたく)、何用にも、つかひ給はれ。」

とて、淚、玉をなして、物語りけると、その人の、かたりし。

[やぶちゃん注:注は必要を感じない。]

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