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2023/11/07

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「寂光院本尊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 寂光院本尊【じゃっこういんほんぞん】 〔蕉斎筆記〕この昔江戸に在りし時、仲英先生の咄しに、已前金華先生と一緒に上京せし事有り。嵯峨の寂光院へ詣でぬ。この本尊は昔建礼門院平家一門菩提の為に、張抜(はりぬき)にて拵へ給ふと云ひ伝ふ。百文出し候へば開帳して拝まする。両人ながら不審に思ひけるは、源平時代の物にあらず、余程新仏に見えたりとおもひ、近所の茶屋へ寄り、亭主に尋ねられければ、よくこそ御心付かれたり、これはこの昔京都より山師ども来り、内仏殿の金箔を置きかへいたし、とてもの事に本尊のみだ如来も御煤をぬき、金箔のつくろひいたし度《たく》、何とぞ御寄進申すべしと申しければ、その時和尚もその意にまかせられ、京都より職ども参り再厳し終りぬ。その間に山師ども、それに似たるあみだ如来をすりかへたるとなん。今の本尊これなり。山師どもは下地のみだ如来を水に入れ、その反古《ほうぐ》を取出《とりいだ》しければ、皆々平家一門の文《ふみ》がらの反古にて、夥しき金を設けたりとなん語りし由、山師の工夫驚き入《いり》たる工《たく》みなり。

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(右ページ上段の九行目から)で視認出来る。なお、この記事は『寬政五癸丑年拔書』(グレゴリオ暦一七九三年二月十一日から一七九四年一月中)に書かれたものである。

「仲英先生」漢詩人服部仲英(正徳三(一七一三)年~明和四(一七六七)年)。摂津西宮の人。名は元雄。本姓は中西氏。西宮神社の祝人(ほうり:下級神宮)中西平次右衛門の次男。正徳四(一七一四)年、父親が神社の内紛に巻き込まれて追放を受け、一家は摂津池田に移り住んだ。この頃、田中桐江に入門し、後に江戸に出て、服部南郭に師事した。南郭の二人の息子が相次いで亡くなったため、宝暦三(一七五三)年に末娘の登免子と結婚して服部家を継いだ。詩をよくし、家名を落とすことがなかったという(朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「金華先生」漢学者平野金華(元禄元(一六八八)年~享保一七(一七三二)年)江戸時代中期の。陸奥国(福島県)三春の人。名は玄中(玄仲)。金華は号。初め、江戸に出て、医学を千田大円堂に学ぶ。後に儒学を志し、荻生徂徠に師事して古文辞学を修めた。先に三河刈谷藩に仕え、後に水戸家の支藩守山藩に仕えた。放蕩で酒癖が悪く、諧謔を好んだが、義気に富み、真率さが愛された。服部南郭と仲がよく、文辞で名を残すが、本来の志はあくまでも経学にあったと言える。その学問の一端をかいまみせる「金華雑譚」に、金華の嗜好を窺うことが出来る(同前に拠った。下線は私が振った)。

「嵯峨の寂光院」天台宗の尼寺である清香山寂光院玉泉寺。ここ(グーグル・マップ・データ)。平清盛の娘建礼門院徳子が、平家滅亡後、隠棲した場所であり、「平家物語」所縁の寺として知られる。旧本尊は木造地蔵菩薩立像(重要文化財)として残るが、新本尊像は財団法人美術院国宝修理所によって三年半をかけて再製作され、二〇〇五年に完成した。ヒノキ材の寄木造で、旧本尊の新造時の姿を忠実に模してある。当該ウィキによれば、『旧本堂内にあった建礼門院と阿波内侍の像は張り子像であったが、本堂再建に際し』、『木造で作り直された』とあり、この山師どもの作製になるものなのかも知れないね。ともかくも、現在の寂光院には阿弥陀像は本尊ではなく、阿弥陀像も同寺の文化財リストにない。]

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