譚海 卷之八 羽州橫手しろき烏の事(フライング公開)
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。特異的に句読点・記号の変更・追加と、読みを加え、段落も成形した。]
羽州橫手の城は、佐竹の家司、戶村氏、守る所なり。
城中に、白鴉、雌雄二羽有り、年久しく住んで、土人、能(よく)知(しり)たる事なり。
農夫、あるとき、城下の酒屋へ、白き鴉を一羽、持ち來(き)ぬ。
酒のむもの、皆、めづらしがり、興ずるに、農夫、いふ樣(やう)、
「白き鴉は、此城下、まゝ、おほく、有(あり)。我等、山かせぎするときは、常に見る事にて、珍敷(めづらしき)物にもあらず。只、平日は、高き樹のうへにのみあるを見れど、是は、たまたま近き所に居(をり)たる故、取得(とりえ)たるなり。」
亭主、聞(きき)て、
「今日(けふ)、目(め)ちかく見る事、珍敷ことなり。百姓の家に飼ひて、無益なる事。我等に、給はれ。さらば、見物にくる人、多く、酒も、賣れぬべし。」
と、いへば、農夫、
「ことわりなる事。」
とて、亭主に此鴉をあたへぬ。
それよりのち、此(この)、
「からすみん。」
とて、酒のみにくる人、はたして日每(ひごと)に賑はひ、酒屋、大(おほい)にとく付(づき)て、悅居(よろこびをり)たるに、いくほどもなくて、鴉、死(しし)たれば、また、酒かひにくる人も、減じぬ、と、いへり。
[やぶちゃん注:「羽州橫手の城は、佐竹の家司、戶村氏、守る所なり」現在の秋田県横手市城山町にある山城であった横手城跡(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキによれば、『横手城の築城時期は、諸説ある。戦国時代には、小野寺配下の横手氏・大和田氏・金沢氏が横手城を拠点にして反抗したが、これは鎮圧されている。その後、小野寺氏は横手に本拠を移した』。「関ヶ原の戦い」の際、『当時の城主であった小野寺義道は、上杉景勝に通じたことから』、『徳川家康に』、『西軍方とみなされたため、慶長』六(一六〇一)年に『改易され、一時的に最上氏の手に渡る。慶長』七(一六〇二)年、『久保田城に佐竹義宣が転封されてくると』、『横手城も佐竹氏の所有となり、城代が入れられた。城代には伊達盛重、伊達宣宗に続いて須田盛秀が入り、寛文』一二(一六七二)年に『佐竹氏一門の戸村義連(戸村義国の嫡孫)が入城して以降、代々「十太夫」を称す戸村氏の宗家(戸村十太夫家)が明治まで務めた。元和』六(一六二〇)年の「一国一城令」によって『久保田藩領でも支城が破却されたが、横手城を重要な拠点と考えた佐竹義宣が幕府に働きかけたため、破却を免れた』とある。]
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