「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「山羊」
[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。
また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。]
山 羊
その臭が、彼より先ににほつて來る。彼の姿はまだ見えないのに、臭はとつくに來てゐる。
彼は一團の先頭に立つて進み、そのあとから牝山羊の群れが、ごちやごちやひと塊になつて、雲のやうな埃の中をついて來る。
彼の毛は長く、ぱさぱさしてゐて、それを背中のところできちんと分けてゐる。
彼は自分の頤鬚よりも、寧ろその堂々たる體格の方を自慢にしてゐる。といふのが、牝山羊も頤の下にちやんと鬚を生やしてゐるからである。
彼が通ると、或る連中は鼻をつまむ。或る連中は却つてその風情(ふぜい)を愛する。
彼は右も左も見ない。尖つた耳と短い尻尾(しつぽ)で、まつしぐらに進んで行く。人間どもが彼に罪をなすりつけたところで、それは彼の知つたことではない。彼はしかつめらしい顏をして、數珠つなぎの糞(ふん)を落して行くのである。
アレクサンドルというのが彼の名前であり、その名は犬の仲間にまで響き渡つてゐる。
一日が終つて、太陽が隱れてしまふと、彼は刈入れの男たちと一緖に村へ歸つて來る。そして彼の角は、寄る年波に撓みながら、次第に鎌のやうに反りかへつて來る。
[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ヤギ亜科ヤギ族ヤギ属の家畜種ヤギ Capra hircus(分類によっては Capra hircus の亜種ヤギ Capra aegagrus hircus )で先頭に立つアレクサンドルは♂で、それに従う「牝山羊」(めすやぎ)が同種の♀。
「人間どもが彼に罪をなすりつけた」贖罪の山羊である。辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」でここに注されて、『古代ユダヤ教では、贖罪(しょくざい)の日』(ユダヤ教に於ける最大の休日の一つで、ユダヤ暦でティシュレー月十日に当たり、ザドク暦では第七のホデシュの十日で、グレゴリオ暦では毎年九月末から十月半ばの間の一日に相当する。以上はウィキの「ヨム・キプル」(贖罪の日)に拠った)『に、大祭司(だいさいし)が、雄やぎにイスラエルじゅうの人々の罪を負わせえ、荒野に放った』とある。また、ウィキの「ヤギ」の「犠牲(生贄)のヤギ」の項によれば、『ヤギは古くから犠牲にささげる獣(生贄)として使われることが多い。古代のユダヤ教では年に』一『度、』二『匹の牡ヤギを選び、くじを引いて』一『匹を生贄とし、もう』一『匹を「アザゼルのヤギ」(贖罪山羊)と呼んで荒野に放った』(「旧約聖書」の「レビ記」第十六章)。『贖罪』の『山羊は礼拝者の全ての罪を背負わされ、生きたまま捨てられる点で生け贄と異なる。特定の人間に問題の責任を負わせ』、『犠牲とすることをスケープゴート(scapegoat、生け贄のヤギ)と言うのは、これにちなんだ表現である』とある。さしずめ、今の忌まわしいイスラエルが、パレスチナの民を虐殺し、また、「沙漠へ行け!」と命ずるのは、おぞましいイスラエル国家が、彼らを「贖罪の山羊」に強引に擬え、血塗られた自身のホロコースト(ポグロム)を正当化しているのと同じである!]
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LE BOUC
Son odeur le précède. On ne le voit pas encore qu'elle est arrivée.
Il s'avance en tête du troupeau et les brebis le suivent, pêle-mêle, dans un nuage de poussière.
Il a des poils longs et secs qu'une raie partage sur le dos.
Il est moins fier de sa barbe que de sa taille, parce que la chèvre aussi porte une barbe sous le menton.
Quand il passe, les uns se bouchent le nez, les autres aiment ce goût-là.
Il ne regarde ni à droite ni à gauche : il marche raide, les oreilles pointues et la queue courte. Si les hommes l'ont chargé de leurs péchés, il n'en sait rien, et il laisse, sérieux, tomber un chapelet de crottes.
Alexandre est son nom, connu même des chiens.
La journée finie, le soleil disparu, il rentre au village, avec les moissonneurs, et ses cornes, fléchissant de vieillesse, prennent peu à peu la courbe des faucilles.
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