「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「豚」
[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。
また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。]
豚
ぶうぶう云ひながら、しかも、我々みんなでお前の世話をしたかのやうに、人に馴れきつて、お前は何處へでも鼻を突つ込み、脚と一緖にその鼻で步いてる。
お前は蕪(かぶら)の葉のやうな耳の蔭に、黑すぐりの小さな眼を隱してゐる。
お前はまるすぐりのやうに便々たる腹をしてゐる。
お前はまたまるすぐりのやうに長い毛を生やし、またまるすぐりのやうに透き通つた肌をし、先の卷いた短い尻尾(しつぽ)を付けてゐる。
ところで、意地の惡い連中は、お前のことを「穢ならしい豚!」と云ふのだ。
彼等は云ふ――なに一つお前つ方ではこれが嫌ひと云ふものがないのに、みんなに嫌はれ、その上、お前は水を飮んでも、脂肪(あぶら)ぎつた皿の水ばかり飮みたがる、と。[やぶちゃん注:「お前つ方」は「おまえつがた」と読ませてゐると思われる。近世以降の二人称複数であるが、促音が間に挾まる表記法は珍しいと思われる。]
だがそれは全くの誹謗だ。
そんなことを云ふ奴は、ひとつお前の顏を洗つてみるがいい。お前は血色のいい顏になる。
お前が不精つたらしいのは、彼等の罪である。
床の延べやうで寢方も違ふ。不潔はお前の第二の天性に過ぎない。
[やぶちゃん注:底本ではこの題名のみゴシック體太字で、ポイント落ち。ここは底本では、前のパートから改ページとなっているため、前のアフォリズムの後は八行空けがある。なお、以下の「豚と眞珠」の開始ページの左に明石哲三氏の豚の絵がある。代わりに、ボナールの絵を挟んだ。]
豚と眞珠
草原に放すが否や、豚は喰ひはじめる。その鼻はもう決して地べたを離れない。
彼は柔らかい草を選ぶわけではない。一番近くにあるのにぶつかつて行く。鋤(すき)の刅のやうに、または盲の土龍(もぐら)のやうに、行き當たりばつたりに、その不撓不屈の鼻を前へ押し出す。[やぶちゃん注:「刅」は実際には最終画がない「グリフウィキ」のこれ。]
それでなくても漬物樽のやうな形をした腹を、もつと丸くすることより考へてゐない。天氣がどうであらうと、そんなことは一向お構ひなしである。
さつき、肌の生毛(うぶげ)が、正午の陽ざしに燃えやうとしたことも平氣なら、今また、霰を含んだあの重い雲が、草原の上に擴がりかぶさらうとしてゐても、そんなことには頓着しない。
さう云へば、鵲(かささぎ)は、彈機(ばね)仕掛けのやうな飛び方をして逃げて行く。七面鳥は生垣のなかに隱れ、初(うひ)々しい仔馬は槲の木陰に身を寄せる。
然し、豚は喰ひかけたもののある所を動かない。
彼は、ひと口も殘すまいとする。
落着かなくなつて尻尾(しつぽ)を振るでもない。
雹がからだにばらばらと當ると、やうやく、それも不承不承唸る――
「うるせえやつだな、また眞珠をぶつつけやがる!」
[やぶちゃん注:哺乳綱鯨偶蹄目イノシシ亜目イノシシ科イノシシ属イノシシ亜種ブタ scrofa domesticus 。因みに、私は幼少期からブタを見るのが、大好きだった。その他、実際に登場するのは、他に「鵲」鳥綱スズメ目カラス科カササギ属カササギ Pica pica と、既出の鳥綱キジ目キジ科シチメンチョウ亜科シチメンチョウ属シチメンチョウ Meleagris gallopavo と、「仔馬」哺乳綱奇蹄目ウマ科ウマ属ウマ(ノウマ) Equus caballus(或いはノウマの亜種とする場合は、Equus ferus caballus )、そして、「槲」だが、これはフランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ族 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名は common oak)Quercus robur を挙げてもよいだろう。
「黑すぐり」比喩で現れるこれは、双子葉植物綱ユキノシタ目スグリ科スグリ属クロスグリ Ribes nigrum 。「まるすぐり」も同前であるが、これは、「グーズベリー」で、スグリ属セイヨウスグリ Ribes uva-crispa である。「土龍」やはり比喩に過ぎないのだが、一応、示すと、哺乳綱真無盲腸目モグラ科 モグラ族ヨーロッパモグラ属 Talpa 、或いは、タイプ種のヨーロッパモグラ Talpa europaea としておく。
「我々みんなでお前の世話をしたかのやうに」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」では、ここを以下のように、一文で訳しておられる。『私が、豚であるおまえといっしょに豚を飼ってでもきたみたいに。』で、それに注があり、『フランス語で「いっしょに豚を飼う」というと、「とても親しい仲だ」という意味にある。ここは、それをなれなれしくしてくる相手が当の豚なので、おもしろい』と評しておられる。
「お前は蕪(かぶら)の葉のやうな耳の蔭に、黑すぐりの小さな眼を隱してゐる。」私の『ジュウル・ルナアル「にんじん」フェリックス・ヴァロトン挿絵 附やぶちゃん補注』の「十九」に以下のようにある。
*
母親が自分のほうを向いて笑っていると思い、にんじんは、うれしくなり、こっちからも笑ってみせる。
が、ルピック夫人は、漠然と、自分自身に笑いかけていたのだ。それで、急に、彼女の顔は、黒すぐりの眼を並べた暗い林になる。
にんじんは、どぎまぎして、隠れる場所さえわからずにいる。
*
これによっても、「黑すぐりの小さな眼を隱してゐる」には、ルナールのネガティヴなイメージが隠れていることが判る。
『「穢ならしい豚!」』前掲の辻氏の注に、『人にむかって「きたないやつめ』!『」というときに、フランスでは「きたない豚め』!『」ということがある。この表現をもとに意味にもどして、豚自身に』対して『使っている』ところが、確かに面白い。
「だがそれは全くの誹謗だ」一九九四年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』の第五巻の佃裕文訳「博物誌」の注によれば、『このユーモラスな話はレオン・ギシャールによれば、ビュフォンにたいするルナールの抗議のひとつである』とのことである。
「床の延べやうで寢方も違ふ。」ここは辻氏は『おまえは、人間がしつらえたベッドどおりに寝てるんだ。』と訳され、注で、『フランスに、「人間は自分のしつらえたベッドどおりに寝るものだ」(自業自得(じごうじとく)ということわざがあるが、それをもじったもの』とあった。
「豚と眞珠」の一篇は、先行する「ぶどう畑のぶどう作り ジュウル・ルナアル 岸田国士訳」に同題で既に出ている。この題名に就いては、辻氏が注で、『「豚に真珠」(値うちのわからぬものにりっぱな物をやっても無意味である)ということわざ(『新約聖書』「マタイによる福音書」(七の六)をもじったもの』とある。「ウィキソース」の永井直治氏の一九二八年訳「マタイ傳聖福音(新契約聖書) 」第七章第六節を引く。
*
犬に聖なるものを與ふる勿れ。また豚(ぶた)の前に汝等の眞珠を投ぐる勿れ。恐らくは彼等これをその足にて蹈みつけ、ふり返りて汝等を裂かん。
*]
*
LE COCHON
Grognon, mais familier comme si nous t'avions gardé ensemble, tu fourres le nez partout et tu marches autant avec lui qu'avec les pattes.
Tu caches sous des oreilles en feuilles de betterave
tes petits yeux cassis.
Tu es ventru comme une groseille à maquereau.
Tu as de longs poils comme elle, comme elle la peau claire et une courte queue bouclée.
Et les méchants t'appellent : “ Sale cochon ! ” Ils disent que, si rien ne te dégoûte, tu dégoûtes tout le monde et que tu n'aimes que l'eau de vaisselle grasse.
Mais ils te calomnient.
Qu'ils te débarbouillent et tu auras bonne mine.
Tu te négliges par leur faute.
Comme on fait ton lit, tu te couches, et la malpropreté n'est que ta seconde nature.
LE COCHON ET LES PERLES
Dés qu'on le lâche au pré, le cochon se met à manger et son groin ne quitte plus la terre.
Il ne choisit pas l'herbe fine. Il attaque la première venue et pousse au hasard, devant lui, comme un soc ou comme une taupe aveugle, son nez infatigable.
Il ne s'occupe que d'arrondir un ventre qui prend déjà la forme du saloir, et jamais il n'a souci du temps qu'il fait.
Qu'importe que ses soies aient failli s'allumer tout à l'heure au soleil de midi, et qu'importe maintenant que ce nuage lourd, gonflé de grêle, s'étale et crève sur le pré.
La pie, il est vrai, d'un vol automatique se sauve ; les dindes se cachent dans la haie, et le poulain puéril s'abrite sous un chêne.
Mais le cochon reste où il mange.
Il ne perd pas une bouchée.
Il ne remue pas, avec moins d'aise, la queue.
Tout criblé de grêlons, c'est à peine s'il grogne :
- Encore leurs sales perles !
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