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2023/11/22

フライング単発 甲子夜話卷六十二 6 三途河姥大像【越後國】

[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。最後の「出湯(デユ)」の読みは、珍しい静山のルビである。

 

62-4 三途河姥(さうづがはうば)大像(だいざう)【越後國】

 行辨(ぎやうべん)が【修驗(しゆげん)、行智が父。】、

「行脚のとき、親しく見し。」

とて語れるは、

「越後國蒲原郡デヨと云ふ處に、十二間四面の廣堂(くわうだう)あり。その中、物、なくして、中央に大像あり【長(た)け人(びと)の立(たて)るが如し。】。

 三途河(さうづがは)の婆子(ばし)にして、獨坐なり。

 又、この堂の在る邊り、古木、陰欝、幽邃、云(いふ)ばかりなし。

 又、かの像、甚(はなはだ)、靈應あり。

 時として、彼之(かの)怒(いかり)に逢(あひ)たる者か、一夜の中(うち)に、人の衣服を剝ぎて、堂邊の樹杪(じゆべう)に懸(かけ)あること、往々、あり。」

とぞ。

 又、彼國、デヨの地は、溫泉の出(いづ)る所。」

とぞ。

 然れば、「デヨ」は「出湯(デユ)」の訛(なまり)ならん。

■やぶちゃんの呟き

「行辨」「修驗(しゆげん)」「行智が父」「朝日日本歴史人物事典」の息子の「行智」(安永七(一七七八)~天保一二(一八四一)年)の解説を引くと、『江戸後期の山伏』で、『修験道の教学者』にして『悉曇(梵学)学者』であった。『俗称を松沼』、『字を慧日』、『阿光房と称した。父の行弁のあとを継いで』、『江戸浅草福井町の銀杏八幡宮の覚吽院を住持した。祖父の行春と父について』、『内外の典籍を学び』、『冷泉家歌道』や『書道によく通じ』、『特に悉曇学にすぐれ』、『平田篤胤に教授した。真言宗系修験道の当山派の惣学頭』、『法印大僧都に任じられ』てい『る。修験道の信仰や修行が衰退したため』、『復興しようとする意図のもとに』、『修験道の来歴・故事伝承・教学に関する著作を多く著し』、『今日に伝えている』とあった。

「三途河姥大像」「越後國蒲原郡デヨ」現在は新潟県阿賀野市羽黒にある髙徳寺の管理となっている羽黒優婆尊(グーグル・マップ・データ)である。東直近の阿賀野市出湯(でゆ)の「出湯温泉」が確認出来る。「ZIPANG TOKIO 2020 編集局」のサイト内の「全国の姥神像行脚(その13)新潟五頭山麓 羽黒地区『優婆堂』優婆尊縁起によると…【寄稿文】廣谷知行」の解説と画像があるので参照されたい。但し、肝心の「三途河姥大像」=奪衣婆の像は、『幕の下ろされた厨子に祀られて』おり、『中にある姥神像は基本的に秘仏であり、常には公開してい』ないとあり、『しかし』、『毎月』二十『日にご祈祷するときに公開してい』るとあった。写真撮影は許されていないらしく、ネットで画像を探したが、見当たらなかった。上記ページでは本篇が抄出ながら、紹介されており、その後に、『長身の人が立ったぐらいの大きさの、坐った状態の姥像があるとされていますが、現在の像はそこまで大きくはないようです』とあったので、或いは、江戸後期に作り直された可能性もあるか。

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