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2023/11/04

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「死者の帰宅」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 死者の帰宅【ししゃのきたく】 〔窓のすさみ〕二条押小路《おしこうぢ》<京都市内>に米屋治兵衛といふものあり。痼疾(こしつ)<持病のこと>ありしかば、但馬なる城崎《きのさき》<兵庫県豊岡市内>の温泉に入る事三四年なりけり。八月の末、また行きていつもの宿に著きしかば、主人云ふやう、いつもの頃なれば、八月の初めより人をも宿せずして待ち居しが、今年《こんねん》は遙かに遅くありし故、待ちわびてありしに、河内の人来て宿求めし故、此頃とゞめおけり、相宿《あひやどり》もむづかしかりなん、我が知る人の許に宿らるべくば申しやらん、といひしかば、いやとよ、我一人宿《やど》りなんに、いづくの隅にても事たりぬべし、幸ひ一人は淋しからんに、其人いむまじくば相宿して、朝夕《てうせき》語らひ申さん、といひし程に、その由を河内の人に告げしかば、これ亦うち頷《うなづ》き、それこそ望みにあり、この程いと淋しくて友待ちわびしころなり、とくこなたへ入れ給ヘとて、招きよせてうらなく語らひて、此処に宿(とま)りぬ。かくて一廻りといふに、河内の人は、もはや日数《ひかず》終りたれば帰らんとて、この程ふしぎに親しみつる喜こび、永くおとなひていひかはさん、と云ひ合ひて帰りぬ。九月十三夜のころ、桂川《かつらがは》の人、京なる治兵衛が家に来りて、この家のあるじ治兵衛とかいふ人、頃日の大水《おほみづ》に溺れて死し給ふなり、そのたぐひ多き故、大方《おほかた》引きあげて名と所とを窺ひ見しに、懐中なる書附に附きて知らせ申す、と云ひしほどに、その子理兵衛驚きさわぎて、急ぎ川辺《かはべ》に行き見れば、水に入りて程経《ほどへ》し故、面《おもて》の形さだかならず、衣裳はまさしくそれなりけり。懐中の縫目(ぬひめ)に米を売りたるしるしの書附あり。疑ふ所もなく父なりしかば、棺を調《てう》じて京に帰り、河原町《かはらまち》なる万福寺《まんぷくじ》に葬り行ふ。思ひがけぬ別れを悲しみ、母子《おやこ》なくなく跡のわざして、明日は一七日(ひとなぬか)とて、仏会(ぶつゑ)など執り行ひ、一しほ嘆きあへり。よひ過ぐる頃門《かど》をたゝきて、治兵衛帰りぬ。こゝを開けよといふ。家人驚き、思ひがけぬ死《しに》をなせし故、亡魂《まうこん》の迷ひ来れるにこそ、いと悲しき事かなとて、経念仏高く唱へ、いよいよなげき悲しみけり。子一(ねひとつ)[やぶちゃん注:午後十一時過ぎ頃。]に及ぶころ、隣家《りんか》の門をたゝき、大《おほき》に呼び、物云ふ声す。治兵衛今夜帰りぬ、我家《わがいへ》に入らんとすれども、門をつよく閉ぢてなげき叫ぶ声して、しきりに念仏のみ唱へて、とかく門を開かず、せんかたなさにこゝに来れり、しばらくこゝあけてたべ、と云ふ。かの家々大に恐れ、水うちかけなどして錠《ぢやう》を強くさし、なかなかなる様《さま》なりければ、しばらくして門の呼声《よぶこゑ》はやみぬ。丑三(うしみつ)<午前二時>の頃、万福寺の門につかれたる声して、押小路の治兵衛、和尚に対面して申すべき旨あり、夜更けぬれど、此由《このよし》申してたべ、といふ。まもりの男初めは答へざりしが、しきりに云ふに驚きて、わなわな和尚に告げければ、暫く思案して後《のち》いふやう、あゝ幽魂輪廻して三途に迷ふなるか、さらずば狐狸《こり》の人をたぶらかさんとて来れるならん、衆僧《しゆそう》どもよく観念して迷ふべからず、と戒めて、さてかの客を仏前に入れて、寺僧一同に鐘をならし、三部経を読む事しきりなり。客云ふやう、何事のおはしますにや、しきりに法事したまへる事覚束なくこそ、まづ昼のかたしたゝめせざれば[やぶちゃん注:「まんず、昼の飯を食しておりませぬので、」。]、ことの外飢ゑ候ぞ、何にても給はり候へ、と度々《たびたび》望みければ、仏餉(ぶつしやう)[やぶちゃん注:仏に備える仏飯(ぶっぱん)。但し、後に示す活字本では『ぶつげ』とルビする。]を与へしに、三四盃食して飽きぬ。時に和尚これに向つて、輪廻得脱の意をいと懇ろに説き聞せしかど、客猶心得ぬ気色《けしき》なりければ、廿五条の、袈裟をうちかけけるに、客大に驚きて、そもそもこれは何と申したる事にや、と云ひければ、汝は先に溺死して一七日になりぬ、業因《ごふいん》にひかれて出離する事あたはず、転倒迷妄かくのごとくなるぞ、早々《はやはや》成仏して去れとて、珠数をもて頭をしかと打つ。客大いに歎じて、あな哀れや、河内の人溺死してけり、はかなの事よと涙を流し、さて云ひけるは、先づ心をしづめて御聞き候へ、某《それがし》城崎にて河内の人と相宿《あひやどり》して、一七日が程うらなく云ひかはしぬ、その人辞《じ》して帰るとて、賊《ぞく》に旅支度を奪ひ取られし故、わが著たるものと帯とを与へて去らしめしが、桂川にて水《みづ》出《いで》て溺死したるならん、我が衣裳を著たる故に、皆人《みなひと》見まがへて我等が死たりと思ひたるならん、さるにてもおもひがけず亡《う》せたりし不便(ふびん)さよ、と繰返しなげきける。和尚はじめて得心して、理兵衛が許に人を遣はして、父御《ちちご》のながらへて爰《ここ》におはするなり、とく来てあひてよ、と云ひやりけれど、初めは信ぜざりしに、度々いひやりて、やうやう理兵衛来て見れば、父在りて前の如くさまざま語りしにぞ、初めて心解《こころと》けてうちつれて帰りぬ。さて河内の人の故郷《こきやう》へ帰らざる事久しかりしが、その子城崎に往きて問ふに、先に帰りぬと云ひしほどに、道すがら尋ねもて桂川にいたつて事の様《さま》を聞き、京なる治兵衛が許に尋ねて、しかじかの由をいふ。治兵衛始終を語りしかば、直《ただち》に万福寺に行き、墓をかへして父かあらぬか、顔見たきよし云ひしに、寺法に私《わたくし》として墓を開かん事は堅き戒めなり、奉行所に達したらば、ともかくもあらん、と云ふほどに、奉行所へ訴へて後《のち》棺を開き見れば、疑ひなき父なりけり。これにて初めよりのうたがひやうやう解けしとぞ。

[やぶちゃん注:「窓のすさみ」松崎尭臣(ぎょうしん 天和(てんな)二(一六八二)年~宝暦三(一七五三)年:江戸中期の儒者。丹波篠山(ささやま)藩家老。中野撝謙(ぎけん)・伊藤東涯に学び、荻生徂徠門の太宰春台らと親交があった。別号に白圭(はっけい)・観瀾)の随筆(伝本によって巻冊数は異なる)。国立国会図書館デジタルコレクションの「有朋堂文庫」(昭和二年刊)の当該本文で正規表現で視認出来る。

「押小路」ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「河原町なる万福寺」京都府京都市中京区六角通大宮西入三条大宮町にある満福寺か。]

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