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2023/11/04

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「牡牛」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    牡 牛(おうし)

 

 

 釣師は足どりも輕く、イヨンヌ河の岸を步きながら、絲の先に銀蠅を水面にぴよいぴよい躍らせてゐる。

 その銀蠅は、ポプラの並木の幹にとまつてるやつをつかまへる。ポプラの幹は、しよつちゆう家畜どもにからだをこすりつけられて、てらてら光つてゐる。

 彼は素つ氣なく釣絲を投げこみ、それをまた悠々と引き上げる。

 新しく場所を變へるたびに、そこが一番いい場所のやうな氣がする。が、しばらくすると、またそこを離れて、生垣に渡してある梯子を跨ぎ、牧場から牧場へ移つて行く。

 突然、恰度太陽がじりじり照りつけてゐる大きな牧場を橫切つて行く途中で、彼は立ち停る。

 向ふの方で、牝牛どもがのんびりと寢そべつてゐるなかから、牡牛がのつそり起ち上がつたのである。

 こいつは有名な牡牛で、その堂々たる體格には道を通る人々が眼をみはるくらゐだ。人々は遠くからそつと感心して眺め入る。そして、これまでのところはまだそんなことはなかつたにしても、彼がその氣になれば、牛飼などは角の弓にかけて、矢でも飛ばすやうに空中に抛り上げるかも知れない。なんでもない時は、それこそ仔羊よりもおとなしいが、何かのはずみで、いきなり猛烈に暴れ出す。で、そばにゐると、いつどんな目に會ふかもわからない。

 釣師は、橫眼で彼の樣子を觀察する。

 「逃げ出してみたところで、牧場の外へ出ないうちに、きつとあの牡牛のやつに追ひつかれちまうだらう」と、彼は考へる。「さうかと云つて、泳ぎも知らないで川へ飛び込めば、溺れるにきまつてる。地べたに轉がつて死んだ眞似をしてゐると、牡牛はこつちのからだを嗅ぎ廻すだけで、なんにもしないといふ話だ。ほんとにさうだらうか? 萬一やつがいつまでたつてもそばを離れなかつたら、それこそ氣が氣ぢやあるまい。それよりは、そつと知らん顏してやり過した方がいい」

 そこで、釣師は、相變らず釣を續けながら、牡牛など何處にゐるかといふやうな樣子をしてゐる。さうやつて、うまく相手の眼をくらますつもりである。

 襟首は麥藁帽の蔭で、じりじり灼(や)けつくやうだ。

 彼は、駈け出したくてうづうづしてゐる足を無理に引き止とめて、わざとゆつくり草を踏みつけて行く。彼は英雄氣どりで、絲の先の銀蠅を水のなかに浸す。隱れるにしても、ほんの時々ポプラの蔭に隱れるだけだ。彼は重々しく生垣に渡してある梯子の所へ辿りつく。此處まで來れば、くたくたになつた手足に最後の努力をこめて、無事に牧場の外へ飛び降りられるわけだ。

 それに、何も慌(あわ)てることはない。

 牡牛はこんな男に用はない。ちやんと牝牛たちのそばにゐるのである。

 彼が起ち上つたのは、氣(け)だるさのあまり動いてみたまでで、云はばわれわれが伸びをするやうなものである。

 彼はその縮れ毛の頭を夕風にふり向ける。

 眼を半分つぶつたまま、時々思ひ出したやうに啼く。

 一聲もの憂げに吼えては、その聲にぢつと耳を澄ます。

 

 

 

 

 

 女どもは、彼の額にある捲き毛で、それが牡牛だといふことを見分ける。

 

Ousi

 

[やぶちゃん注:最終行の前の五行空けはママ。哺乳綱鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜ウシ科ウシ亜科ウシ族ウシ属オーロックス(英語:Aurochs:家畜牛の祖先。一六二七年に世界で最後の一頭がポーランドで死に、絶滅した)亜種ウシ Bos primigenius taurus の♂♀。「銀蠅」はキンバエ(節足動物門昆虫綱有翅昆虫亜綱双翅(ハエ)目短角(環縫・ハエ)亜目ハエ下目クロバエ科キンバエ属 Lucilia )・クロバエ(前者及びオオクロバエ属 Calliphora などがよく知られる)・ニクバエ(ハエ下目ヒツジバエ上科ニクバエ科 Sarcophagidae のヤドリニクバエ亜科 MiltogramminaeParamacronychiinae 亜科・ニクバエ亜科 Sarcophaginae に属するハエ)などのハエの種のうち、特に概ね金属的光沢を持った個体などに対して用いられる通称の呼び名で、これらのハエの個体の中には、銀色と形容し得る暗い青みがかった金属光沢を持つ個体が少なからず見られる。「ギンバエ」という呼び名は通称であって、ギンバエという種や科があるわけではない。「ポプラ」は双子葉植物綱キントラノオ目ヤナギ科ヤマナラシ属ヨーロッパクロヤマナラシ変種セイヨウハコヤナギ Populus nigra var. italica の異名。英語では“Lombardy Poplar”と呼ぶ。なお、底本では、ここに明石哲三氏の牡牛の挿絵が載る。

「イヨンヌ河」ヨンヌ川Yonne:グーグル・マップ・データ)は、フランスを流れるセーヌ川の支流。長さは約二百九十三キロメートルで、「ヨンヌ県」の名の由来ともなっている。ルナールは生まれてすぐ、ルナール家の故郷であるシトリー=レ=ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に移っている。

「生垣に渡してある梯子」辻昶訳一九九八年岩波文庫刊「博物誌」の注によれば、『生垣(いけがき)などの所々についている』、本来は人が『垣をのりこえるための踏み段』とある。]

 

 

 

 

LE TAUREAU

 

Le pêcheur à la ligne volante marche d'un pas léger au bord de l'Yonne et fait sautiller sur l'eau sa mouche verte.

Les mouches vertes, il les attrape aux troncs des peupliers polis par le frottement du bétail.

Il jette sa ligne d'un coup sec et tire d'autorité.

Il s'imagine que chaque place nouvelle est la meilleure, et bientôt il la quitte, enjambe un échalier et de ce pré passe dans l'autre.

Soudain, comme il traverse un grand pré que grille le soleil, il s'arrête.

Là-bas, du milieu des vaches paisibles et couchées, le taureau vient de se lever pesamment.

C'est un taureau fameux et sa taille étonne les passants sur la route. On l'admire à distance et, s'il ne l'a fait déjà, il pourrait lancer son homme au ciel, ainsi qu'une flèche, avec l'arc de ses cornes. Plus doux qu'un agneau tant qu'il veut, il se met tout à coup en fureur, quand ça le prend, et près de lui, on ne sait jamais ce qui arrivera.

Le pêcheur l'observe obliquement.

- Si je fuis, pense-t-il, le taureau sera sur moi avant que je ne sorte du pré. Si, sans savoir nager, je plonge dans la rivière, je me noie. Si je fais le mort par terre, le taureau, dit-on, me flairera et ne me touchera pas.

Est-ce bien sûr ? Et, s'il ne s'en va plus, quelle angoisse !

Mieux vaut feindre une indifférence trompeuse.

Et le pêcheur à la ligne volante continue de pêcher, comme si le taureau était absent. Il espère ainsi lui donner le change.

Sa nuque cuit sous son chapeau de paille.

Il retient ses pieds qui brûlent de courir et les oblige à fouler l'herbe. Il a l'héroïsme de tremper dans l'eau sa mouche verte.

D'ailleurs, qui le presse ?

Le taureau ne s'occupe pas de lui et reste avec les vaches.

Il ne s'est mis debout que pour remuer, par lassitude, comme on s'étire.

Il tourne au vent du soir sa tête crépue.

Il beugle par intervalles, l'oeil à demi fermé.

Il mugit de langueur et s'écoute mugir.

 

 

II

Les femmes le reconnaissent aux poils frisés qu'il a sur le front.

 

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