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2023/11/15

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「鶸(ひわ)の巢」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    (ひわ)の巢

 

 

 庭の櫻の叉(また)になつた枝の上に、鶸の巢があつた。見るからに綺麗な、まん丸によく出來た巢で、外側は一面に毛で固め、内側はまんべんなく生毛(うぶげ)で包んである。そのなかで、雛が四羽、卵から孵(かへ)つた。私は父にかう云つた――

 「あれを捕つて來て、自分で育てたいんだけれどなあ」

 父は、これまで度々、鳥を籠に入れて置くことは罪惡だと說いたことがある。が、今度は、多分同じことを繰り返すのがうるさかつたのだらう、別になんとも返事をしなかつた。數日後、私は彼に云つた――

 「しようと思や、わけないよ。はじめ、巢を籠の中に入れて置くの。その籠を櫻の木に括りつけて置くだらう。さうすると、親鳥が籠の目から餌をやるよ。そのうちに親鳥の必要がなくなるから」[やぶちゃん注:「思や」「おもひや」。]

 父は、この方法について、自分の考へを述べようとしなかつた。

 さういふわけで、私は籠のなかに巢を入れて、それを櫻の木に取りつけた。私の想像は外れなかつた。年を取つた鶸は、靑蟲を嘴にいつぱい銜へて來ては、わるびれる樣子もなく、雛に喰はせた。すると、父は、遠くの方から、私と同じやうに面白がつて、彼等の華やかな行き來、血のやうに赤い、また硫黃のやうに黃色い色の飛び交ふさまを眺めてゐた。

 ある日の夕方、私は云つた――

 「雛はもうかなりしつかりして來たよ。放しといたら飛んで行つてしまふぜ。親子揃つて過すのは今夜つきりだ。明日は、家の中へ持つて來よう。僕の窓へ吊るしとくよ。世のなかに、これ以上大事にされる鶸はきつとないから、お父さん、さう思つてゐておくれ」

 父は、この言葉に逆らはうとしなかつた。

 翌日になつて、私は籠が空になつてゐるのを發見した。父もそこにいて、私のびつくりした樣子をちやんと見てゐた。

 「もの好きで云ふんぢやないが」と、私は云つた。「どこの馬鹿野郞が、この籠の戶をあけたのか、そいつが知りたいもんだ」

 

Hiwanosu

 

 

[やぶちゃん注:「鶸」脊椎動物亜門鳥綱スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科ヒワ亜科ヒワ族ヒワ属ゴシキヒワ Carduelis carduelis と、双子葉植物綱バラ亜綱バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属 Cerasus sp.、若しくは、スモモ属 Prunus sp.(上位分類をスモモ属とした場合はサクラ亜属 subg. Cerasus )。ゴシキヒワは当該ウィキによれば、『姿形がよく、さえずりが美しいので』、『世界中で愛玩鳥として飼われている。本種のオスとカナリアのメスを掛け合わせ、ミュールと呼ばれる』、『より美しいさえずりを奏でるオスの交雑種を得ることもよく行われ、しばしば期待通り』、『両種のさえずりの長所をあわせもつ個体が得られることがある。』とあり、また、『キリスト教において受難の象徴とされるアザミの種子を食べるので、本種もまた民間信仰においてキリストの受難の象徴に用いられ、茨の冠などと関連付けられた。絵画においては聖母子像に頻出し、幼子イエスと聖母マリアの迎える運命であるキリストの磔刑を暗示する。フェデリコ・バロッチの聖家族を描いた絵画では洗礼者ヨハネの掌中に本種が握られ、猫の興味をひかないようにその手は高くに掲げられている。チマ・ダ・コネリアーノの聖母子像では、本種が幼子イエスの手の中で羽ばたく様子が描かれている。本種はまた、忍耐と豊穣、継続の象徴としても用いられる。受難の象徴から転じてさらに本種は救世主を意味する鳥とも考えられ、罪悪や疫病の象徴であるハエとともに描かれた。これには主イエスがそういった厄災から救ってくださるようにとの、信者の願いが込められている。中世においては本種は疫病よけのお守りやまじないに用いられた』とある。なお、本篇は二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがある。

「父」ルナールは、一八六四年にマイエンヌ県シャロン=デュ=メーヌ(Châlons-du-Maine)で生まれたが、二年後、一家は市長となった父の出生地であったシトリー・レ・ミーヌChitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)に定住したので、このロケーションはそちらである(後、十七歳の時、パリに出、四区のリセ・シャルルマーニュに入っている)。父フランソワ・ルナール(François Renard 一八二四年~一八九七年)は、かねてより病気を患っており、自分が不治の病であることを知っていて、一八九七年六月十九日、猟銃(ショットガン)で心臓を撃ち抜き、自殺している。ルナール三十三歳の時であった。本「博物誌」初版を刊行した翌年のことであった。

 

 

 

 

LE NID DE CHARDONNERETS

 

Il y avait, sur une branche fourchue de notre cerisier, un nid de chardonnerets joli à voir, rond, parfait, tous crins au-dehors, tout duvet au-dedans, et quatre petits venaient d'y éclore. Je dis à mon père :

- J'ai presque envie de les prendre pour les élever.

Mon père m'avait expliqué souvent que c'est un crime de mettre des oiseaux en cage. Mais, cette fois, las sans doute de répéter la même chose, il ne trouva rien à me répondre. Quelques jours après, je lui dis :

- Si je veux, ce sera facile. Je placerai d'abord le nid dans une cage, j'attacherai la cage au cerisier et la mère nourrira les petits par les barreaux, jusqu'à ce qu'ils n'aient plus besoin d'elle.

Mon père ne me dit pas ce qu'il pensait de ce moyen.

C'est pourquoi j'installai le nid dans une cage, la cage sur le cerisier et ce que j'avais prévu arriva : les vieux chardonnerets, sans hésiter, apportèrent aux petits des pleins becs de chenilles. Et mon père observait de loin, amusé comme moi, leur va-et-vient fleuri, leur vol teint de rouge sang et de jaune soufre.

Je dis un soir :

- Les petits sont assez drus. S'ils étaient libres, ils s'envoleraient. Qu'ils passent une dernière nuit en famille et demain je les porterai à la maison, je les pendrai à ma fenêtre, et je te prie de croire qu'il n'y aura pas beaucoup de chardonnerets au monde mieux soignés.

Mon père ne me dit pas le contraire.

Le lendemain, je trouvai la cage vide. Mon père était là, témoin de ma stupeur.

- Je ne suis pas curieux, dis-je, mais je voudrais bien savoir quel est l'imbécile qui a ouvert cette cage !

 

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