フライング単発 甲子夜話卷二十二 30 沖の神嶋、鹿の事
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]
22―30
肥前の領内に沖の神嶋と云(いふ)古蹟の靈場あり。
此處(このところ)、鹿、多し。里俗、相傳ふ、
「神の使令にして、殊に愛せらるゝ町なり。」
と。
因(よつ)て、農夫・獵師、曾(かつ)て神境に入(いり)て捕殺すること、なし。
この邊り、鹿を得るに、鳥銃(てつぱう)を以てすること、常なり。
吾(わが)士に、某なる者、あり。曰く、
「神領の中(うち)と雖ども、もと、獸類、これを取る、何ぞ妨げあらん。」
その友、固く止むれども、不ㇾ聽(きかず)。
一日、鳥銃を持(もち)て、かの神領の中に入るに、鹿、忽(たちまち)、出來(いでく)る。
士、卽(すなはち)、一發するに、その腹に中(あ)つ。
鹿、驚くこと、なし。
士、以爲(おもへらく)、
「不ㇾ中(あたらず)。」
と。
再び、放して、又、其腹に中るに、鹿、自若たり。
士、愈(いよいよ)、疑ひ、又、これをうたんとす。
然るに、鹿の、山中より出(いづ)るもの、無數にして、算ふべからざるに至る。
士、始(はじめ)て駭(おどろ)く。
『神の所爲にして、その罰、あらんか。』
と。
乃(すなはち)、鳥銃を負ひ、走歸(はしりかへ)る。
その友、見て、あやしみ、云ふ。
「汝、何ごとにか遭ふ。」
士、曰く、
「異(ことな)ること、なし。」
友、曰く、
「勿(なか)れ。面色(めんしよく)、土の如し。惟(おもふ)に、山中、怪魅(かいび)に遇ふならん。」
士、明かに前事を告ぐ、と。
かゝる奇異のことあれば、此處(ここ)の鹿は、「神の使令する所」と云はんも、然るべきのみ。
■やぶちゃんの呟き
「沖の神嶋」これは、現在の長崎県北松浦郡小値賀町野崎島である。ここ(グーグル・マップ・データ)。小値賀町は「おぢかちょう」、野崎島は「のざきじま」と読む。「ひなたGPS」で見たところ、野崎に神社があり、ここは現在、長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷で、「沖ノ神島神社」(沖ノ神嶋神社・神島(嶋)神社:おきのこうじまじんじゃ)である。当該ウィキによれば、『境内の奇岩「王位石」で知られる。島内北端、標高』三百五メートルの『山の中腹の斜面(標高』二百メートル『超)に建てられ、五島列島に所在する神社では最古の』一『つとされる。旧社格は郷社』。『野崎島では江戸時代末期に移住してきた隠れキリシタンを除く』、殆んどの『島民が同社の氏子であり、非キリスト教徒集落の野崎集落では』「親家(おやけ)」と『称する神官家を中心として、住民が非常に強い絆で結ばれていた。神官家は、野崎島の各集落が島外へ移住した後も残り続け、同島が無人島になる』(ウィキの「野崎島」によれば、二〇〇七年より、『野崎島自然学塾村の管理人(教会等の案内人を兼ねる)として駐在している人物がおり、以降は国勢調査では』一『世帯』一『人の常住者が記録されている』とあるので、厳密な意味では無人島ではない)『前の最後の住人となった』。『本来は、本社を沖津宮、前方湾を挟んで対岸の小値賀島』(おじかしま)『(本島)前方郷』(まえがたごう)『にある地ノ神島神社を本宮(辺津宮)とし』、二『社を合わせた』一『社として神島神社(または神島宮)と呼ばれた。主祭神は神島大明神(鴨分一速王命)で、志自岐』(しじき)『大明神(十城別王命』(ときわけのみこ)『)と七郎』(しちろう)『大明神(七郎氏廣王』(しちろううじひろのきみ)『)を併祭する。なお、十城別王命は、長崎県本土唯一の式内社として高い格式をもっていた志自岐神社(平戸島)の主祭神であり、鴨分一速王命』(かもわけいちはやおうのみこと)『の兄とされる。また、七郎氏廣王は二人の部下と伝える』。創建は慶雲元(七〇四)年で、『小値賀島の地ノ神島神社から分祀』された。『直前の』大宝二(七〇二)年には、『南路(五島列島経由)に経路変更して遣唐使の再開がされていることから、遣唐使の安全を祈願する意図があったものとも言われている』とある。『拝殿の後背には、王位石(おゑ石、おえいし)と呼ばれる巨大な盤座が存在する。頂上までの高さ』二十四メートル『、両柱の端から端までの幅』十二メートル、『頂上テーブルの広さ』は五メートル『×』三メートルという『非常に大きなものであり、自然の産物か』、『人の手によるものか』、『その成り立ちは定かでない。神社創建以前の古代から』、『原始祭壇として本来の神島信仰の対象となった巨石ともされ』、『かつてはこの石の上で神楽が舞われたとも言われている』とある。
「鹿」ウィキの「野崎島」には、『現在、島には』四百『頭ほどの野生の鹿(キュウシュウジカ)が生息している。過疎化によって耕作地が放棄されたため』、『害獣とされた鹿の駆除が行われなくなり、天敵となる動物が存在しないため』、『一時は』七百~九百『頭ほどまで増加したが、自然淘汰により』、『現在の数まで減少したとされる』とあって、鹿は、今も、いる。そこに添えられた「長崎県小値賀町野崎島の野首」(のくび)『教会と、野生の鹿(九州鹿)」の写真もある。因みに、九州鹿は、 学名は哺乳綱鯨偶蹄目シカ科シカ属ニホンジカ(本種は日本固有種ではなく、中国大陸・ロシアにも棲息する)亜種キュウシュウジカ Cervus nippon nippon である(九州・四国などに分布し、ニホンジカの基亜種ともなっている)。
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