譚海 卷之五 狐猫同類たる事 附武州越ケ谷にて猫おどる事 / 卷之五~了(ルーティン仕儀)
[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。なお、この前の前の「譚海 卷之五 相州の僧入曉遁世入定せし事」、及び、前の「譚海 卷五 同國小田原最勝乘寺にて狸腹鼓うちし事」は孰れも既にフライング公開してある。標題の「おどる」はママ。
なお、本篇を以って、「卷之五」は終わっている。]
○深川小奈木澤近き川邊に、或人、先祖より久敷(ひさしく)住居(すみゐ)て有(ある)宅あり。田畑近く、人氣(ひとけ)すくなき所成(なり)しに、ある夕暮、あるじ、庭を見てゐたれば、緣の下より、小(ちさ)き孤、壹つ、はひ出(いで)て、うづくまり居(ゐ)しを、家に飼置(かひおき)ける猫、見附(みつけ)て、あやしめる樣成(やうなる)が、頓(やが)て、行(ゆき)て、おづおづ、近寄(ちかより)、狐の匂ひを嗅(かぎ)て、うたがはず、なれ貌(がほ)に寄添(よりそひ)、後々は、時として、ともなひありきなどして、友達に成(なり)けるが、終(つひ)に、行方(ゆくへ)なく、かい失(うせ)ぬるとぞ。「元來、同じ陰獸なれば、同氣(どうき)相和(あひわ)して怪(あやし)まず、かく有(あり)けるにや。」と其人の語りぬ。すべて、猫は「狸奴(りど)」と號して、狐狸(こり)の爲(ため)、つかはるゝ物なれば、誘引せらるゝ時は、共に化(ばけ)て、をどりあるく事也。狐狸のつどふ所には、猫、必(かならず)、交(まぢは)る事あり。或人、越ケ谷に知音(ちいん)有(あり)て、行(ゆき)て、兩三日、宿りたるに、每夜、座敷の方(かた)に、人の立居(たちゐ)する如く、ひそかに手を打(うち)て、をどる聲、聞ゆる故、わびしく寢られぬまゝ、亭主に、「かく。」と語ければ、「さもあれ、心得ざる事。」とて、亭主、伺ひ行ければ、驚きて窓のれんじより、飛出(とびいづ)る物、あり。つゞきて飛出る物をはゝき[やぶちゃん注:箒(ほうき)。]にて打(うち)たれば、あやまたず、打落しぬ。火をともして見れば、家に久敷(ひさしく)ある猫、此客人の皮足袋(かはたび)をかしらにまとひて死(しし)て有(あり)。かゝれば、狐など、をどりさわぐは、猫なども交りて、かく有(あり)ける事と、其人、歸り、物語りぬ。
[やぶちゃん注:「深川小奈木澤」これは「深川小名木川(ふかがはおなきがは)」の誤りであろう。ここに現在もある(グーグル・マップ・データ)。「三井住友トラスト不動産」公式サイト内の「このまちアーカイブズ」の「東京都 深川・城東」に「江戸切絵図」から諸画像・近現代の写真と、当該地区の歴史的解説も豊富に書かれてあるので、是非、見られたい。
「狸奴」「貍奴」とも書き、漢語で猫の異称である。]
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