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2023/11/06

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「嫉妬の火の玉」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 嫉妬の火の玉【しっとのひのたま】 〔思出草紙巻六〕正徳初年の頃、上総の国望陀郡《まうだのこほり》青柳村といふ所に、百姓権平といふものあり。その妻久々煩らひて死したり。近辺の寺に葬りぬ。程なく後妻を呼び迎へたり。この女しつと深くして、亡妻の残し置きたる調度など疎みきらひつゝ、ましてその忌日など弔ふ事は思ひもよらず。心ざし片ましく[やぶちゃん注:心が拗(ねじ)けているさま。]、何事も夫たるものの心にそむきけるまゝ権平もある時は、先妻は左様なる心にてはなかりしものをなど云ふを聞きて、後妻は妬み僻《ひが》める事多く、常々中《なか》あしかりしが、或時同村の百姓八右衛門といふもの、かの寺に仏事ありて働きに雇はれて、夜を更《ふか》して墓所を過ぎて我宿に帰る。この寺は村より放れたり。また墓所は野中にて寺より放れてあり。かの墓所を通る所に、石塔のうしろより、八右衛門殿と女子の声にて呼ぶ。この八右衛門、したゝかものなれば、少しも恐れず。何事なるぞといふ。彼女が曰く、我はその元、同村権平が亡妻なり、今の妻、もの妬み深く、われを嫉妬する故、夜毎にたましひ爰《ここ》に来て我とたゝかふ、これを除きて我苦しみを助けてたべ。八右衛門が曰く、心得たり、然らばいかにして宜しきぞ。亡妻が曰く、其元(そのもと)明夜爰に来りて待《まち》たるべし、東の方より飛び来《きた》る青き火の玉こそ、後妻の生霊なり、赤き火の玉は我《わが》霊魂なり、此生霊を除きくれられよ。八右衛門申しけるは、成程如何にも心得たりとて、よべ請合ひ帰りて、その翌日夜に入りて、八右衛門は大脇ざしを帯し、かの墓所に至りて、今や今やと侍ちける処に、夜半頃、案の如く東の方より青き火の玉飛び来りて、かの墓の上にかゝると見えしが、墓中《はかうち》より赤き火の王出《いで》て、上になり下になりたゝかふ体《てい》なり。八右衛門、脇差を抜《ぬき》て飛びかゝり、青き火の玉を真二ツに切割るとおもへば、二ツながら消えうせてやみとなり、跡方もなし。不思議なる事におもひつゝ急ぎ我村に帰り、直《ただち》にかの権平が方へ至り見るに、夜中ながら殊の外騒動せり。八右衛門、何事なるぞと問ひければ、権平が曰く、後妻常の如く臥所《ふしど》によく寝入りて居たりしに、俄かに一声さけんで息たえたり。八右衛門が曰く、それは気の毒千万なりと、さりげなき体にもてなし、宿所に帰り思案を極め、その翌日権平が方へ行きて、ありし事の始末を物語り、其元の為には妻の敵《かたき》なれば、我を討つて亡霊へ手向《たむ》け給へといひければ、権平大きに驚き怪しみ、涙をながしていはく、我かゝる不祥にあふ事、過去の因果たるべし、然れば仇《あだ》をむくふ心なし、これぞ菩提なりとて、直ちに出家になりしかば、八右衛門も大いに歎き、同じく出家してともに廻国修行に出《いで》たりける。この談はその村に語り伝ヘし事にて、其所《そこ》の者の咄なり。

[やぶちゃん注:「思出草紙」「古今雜談思出草紙」が正式名で、牛込に住む栗原東随舎(詳細事績不詳)の古今の諸国奇談珍説を記したもの。『○嫉妬深き女の事』がそれ。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』第三期第二巻(昭和四(一九二九)年日本随筆大成刊行会刊)のここで正規表現で視認出来る。

「望陀郡青柳村」「もうだのこおり/ぐん(現代仮名遣)」と読む。現在の千葉県君津市青柳(グーグル・マップ・データ)。上記原本で『望院郡』とあるのは誤植であろう。

「近辺の寺」青柳地区内であるなら、真言宗智山派不動院(大日堂)がある(グーグル・マップ・データ)。また、地区外でも、その寺の青柳にごく近い寺として、円覚寺や円如寺もある。]

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