「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「兎」
[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。
また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。]
兎
半分に切つた酒樽の中で、ルノワアルとルグリは、毛皮で溫かく足をくるんだまま、牝牛のやうに喰ふ。彼らはたつた一度食事をするだけだが、その食事が一日ぢゆう續くのである。
新しい草をついやらずにゐると、彼等は古いやつを根元まで齧り、それから根さへも嚙みちぎる。
ところが、恰度いま、一株のサラダ菜が彼等の眼の前へ落ちて來た。ルノワアルとルグリは、一緖に、早速喰ひ始める。
鼻と鼻を突き合せ、一生懸命喰ひながら、頭を振りふり、耳に驅け足をさせる。
たうとう葉が一枚だけになつてしまふと、彼らはめいめいその一方の端を銜(くは)へて、競爭で喰ひ始める。
彼等は、笑つてこそゐないが、どうやらふざけ合つてゐるやうに見え、葉つぱをすつかり喰つてしまふと、兄弟の愛撫で脣をよせ合ふやうに見えるかもしれない。
然し、ルグリは急に氣分が惡くなつて來る。昨日からむやみに腹が張つて、胃袋がへんにだぶついてゐる。で、まつたくのところ、喰ひ過ぎてゐた。サラダ菜の一枚ぐらゐは、別に腹が減つてなくても喰へるものだが、彼はもうなんとしても喰へない。彼はその葉を放すと、いきなり自分の糞(ふん)の上に橫に寢轉がつて、小刻みに痙攣しだす。
忽ち彼のからだは硬ばり、脚を左右に擴げ、恰度、銃砲店の廣告繪みたいになる。――「生かさぬ一發、狂わぬ一發」
いつとき、ルノワアルはびつくりして、口を休める。燭臺のやうな形に坐り、柔かく息をしながら、しつかり脣(くち)を閉ぢ、眼の緣を薔薇色にして、彼はぢつと眼を据ゑる。
彼の樣子は、ちようど[やぶちゃん注:ママ。]魔法使が神祕の世界へ足を踏み込むやうだ。
眞つ直に立つた二つの耳が臨終を告げ知らす。
やがて、その耳が垂れる。
と、彼はそのサラダの葉をゆつくり平らげる。
[やぶちゃん注:哺乳綱兎形目ウサギ科ウサギ亜科 Leporinae の多様な種を指すが、まずここはノウサギ Lpues sp. としてよいであろう。種が多く、分布が複雑で、種まで限定することは難しい。そして、「サラダ菜」はレタス(lettuce:英名)である双子葉植物綱キク目キク科アキノノゲシ属チシャ(萵苣)Lactuca sativa 。属名はラテン語で「牛乳」の意の「Lac」で、和名(古名「ちさ」、「ちちくさ(乳草)」)とともに、茎部分を切った際にその切り口から出る白い液体の見た目に基づいた命名である。
なお、ここで描寫されている「ルグリ」の死に至る症状は、「毛球症」(ウサギは嘔吐が出来ないため、自身が毛繕いによつて、飮み込んだ毛が、胃の中で「毛球」となつて溜まり、閉塞障害を起こす病気)か、「鼓腸症」或いは「盲腸便秘」(ウィルス・細菌・寄生虫、及び、腐敗した餌の採餌や、生育環境のストレス等に拠って、腸の運動が鈍り、腸内にガスが多量に発生してしまう病気。兎の病気としては、かなり一般的である)かと思われる。]
*
LES LAPINS
Dans une moitié de futaille, Lenoir et Legris, les pattes au chaud sous la fourrure, mangent comme des vaches. Ils ne font qu'un seul repas qui dure toute la journée.
Si l'on tarde à leur jeter une herbe fraîche, ils rongent l'ancienne jusqu'à la racine, et la racine même occupe les dents.
Or il vient de leur tomber un pied de salade. Ensemble Lenoir et Legris se mettent après.
Nez à nez, ils s'évertuent, hochent la tête, et les oreilles trottent.
Quand il ne reste qu'une feuille, ils la prennent, chacun par un bout, et luttent de vitesse.
Vous croiriez qu'ils jouent, s'ils ne rient pas, et que, la feuille avalée, une caresse fraternelle unira les becs.
Mais Legris se sent faiblir. Depuis hier il a le gros ventre et une poche d'eau le ballonne. Vraiment il se bourrait trop. Bien qu'une feuille de salade passe sans qu'on ait faim, il n'en peut plus. Il lâche la feuille et se couche à côté, sur ses crottes, avec des convulsions brèves.
Le voilà rigide, les pattes écartées, comme pour une réclame d'armurier : On tue net, on tue loin.
Un instant, Lenoir s'arrête de surprise. Assis en chandelier, le souffle doux, les lèvres jointes et l'oeil cerclé de rose, il regarde.
Il a l'air d'un sorcier qui pénètre un mystère.
Ses deux oreilles droites marquent l'heure suprême.
Puis elles se cassent.
Et il achève la feuille de salade.
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