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2023/11/18

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「水難者の霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 水難者の霊【すいなんしゃのれい】 〔笈埃随筆巻二〕去る元文年中、若狭国常神村<福井県三方三方郡三方町内>上中郡若狭町完徳寺といふに、仙霊和尚とて智識有り。本は丹後国の産にして、隣国を往来有りて人よく知れり。九月廿三日陰雨簷《ひさし》に滴り、寂寞として無人場のごとく、この日も黄昏に及ばんとす。和尚終日積欝(せきうつ)に、几案(つくえ)に書を広げながら打まどろみけるに、適々(たまたま)客一人来て庫裡に入る。和尚現(うつつ)に思へらく、僕(しもべ)などの旧知の者なるやと細心に見廻しけるに、暫くしてかの人前に進んで拝をなす。いかなるものかと夢心に見れども、一向知らざるが如し。時にかの者告げて曰く、和尚は見知り給ふまじ、我は但馬国小嶋村<兵庫県下なのであるが不明>八兵衛と申すものなり、昔豊岡の府にて屢〻(しばしば)師に謁せり、今我主人鍋屋五郎右衛門は、船の船頭として売買の為に海に浮んで他国へ行き、はからずも難風に逢ひて船覆《くつがへ》り、身も俱(とも)に死して魚腹に葬らる、然りといヘども、宿報の致す所なれば、何も愁ふべけんや、只心を傷ましむる事は、主人五郎右衛門銭財を費し失ふ事多きをいかんかせん、やうやう櫃の内に貯ふ所の銀三貫目未だ恙なし、願はくは尊師の手を借りて、五郎右衛門に帰納し候はゞ、我願ひ足れりなんといひ終つて見えず。和尚さても不思議なるかな、夢を見つるよと忙然として坐せり。斯くて翌日は早朝より檀家の斎《とき》[やぶちゃん注:ここでは「法事」の代わりに用いている。]に趣ける中、路に川有り。頓て渡し船に乗りて江上《こうしやう》に浮ぶに、何か箱の如きもの水中に出没し、船端《ふなばた》近く寄る。船人漕ぎ寄せ引揚げ見れば、海舶に所持する櫃なり。則ち所の役人に達し開かんとす。和尚先づ留めて云ふ。昨日我かやうかやうの事を夢見たり、若しその事に符合せば、我計らひに任さるべし、若し相違せば村方の掟に任せ取計らはるべしと云ふに、村人許諾し、やがて櫃を開き見れば、往来切手有り。和尚の曰く、誠に小嶋村長源寺主の手跡なり、また亡霊の申せしごとく、三貫目の銀子封の儘あり、また衣類あり。和尚のいへるは、昨夕八郎兵衛が著《ちやく》したる木綿袷《もめんあはせ》にて、紋《もん》染色《そめいろ》まで、先に聞く所に露違ふ事なし。爰に於て人々奇異のおもひをなし、万事心に任せ、よきに計らひ給へと和尚に与ヘければ、即ち使をもつて小嶋村に告げしかば、舎兄九郎兵衛走り来り、或ひは感じ或ひは歎き、櫃《ひつ》物《もの》悉く請取り帰る。銀子は早速鍋屋へ納めて、俱に跡念頃(ねんごろ)に弔へり。此事跡は我友髭風[やぶちゃん注:「しふう」と読んでおく。]といふ人、目のあたり見て語りぬ。[やぶちゃん注:以下の改行はママ。後掲する原文には改行はない。]

 予<百井塘雨>先年日向国宮崎といふ処に留錫《りうしやく》せし度《たび》、村々より参官の人あり。赤江川といふ湊より船出しけり。かくて例年の事なれば、上下の日数も同事なるに、如何しけん、期を過ぎても帰国なし。その内大風の事有りて、所々の海上難船の沙汰聞えて、右の参宮の家々、いと心ならず案じ居たり。大坂を出船したりし船、我等は兵庫に用事有りて、その時の風は内海の間なりしかば、早く湊へ入りて避けたり。それよりこれまでの海路所々の船数多《あまた》破船せり。その同者船《どうもののふね》はいかゞなりしや見当らずといふ。余の船々を聞合はするに、我船は荷船にて足軽く、はやく湊へ懸りてさへ、左右の垣楯《かいだて》[やぶちゃん注:木製の楯板を船縁に垣根のように並び立てて、波浪や浸水を抑えるもの。]も打折り、表は捨てやうやう助かりし。思ふに六十余人の乗合、中々船は乗捨てずとも助命の者は少なからん。但し壱人にても生残る者あらば、早速其所の領主より告げ来るべきに、今日迄その沙汰なきはふしぎなり。考ふるに伊予路土佐の間に至る頃なれば、若し南海へ漂流しけんなどいふに、その同者の親子兄弟は大声立てて泣きぬ。しかれども先使の舟なきも、たのみなればと云ひすかしあへり。その夜ある村の参宮せしものの家に、夜更けて戸をたゝきければ、誰なるやとおどろき出て戸を明くれば、参宮せし息子のいとしをしをとして、物をもいはず立ち居たり。こは下向せしかと詞を懸けんとするに、彷彿として見えず。径しや昼夜この事のみ案じおもふ故に、かゝる事もあるやらんと、戸を閉ぢて臥床に入りぬ。翌日人にも語りて歎きける。その夜もまた更けて来りたれども、内へ這入らず失せぬ。また外村《ほかむら》にも参宮の間、毎夜燈明を上げ置きたる神棚の、何の障りもなくて崩れ落ちたり。家内もさてはと思ひ合せながら、余《よ》の事に取なし紛れ居たるなど、そこにも爰にも斯くこそ噂して、みな亡命せしに究(きはま)り、内々仏事をもなす家も有りけり。或日村人ひとり二人予に尋ね来て問ふやう、その許《もと》には内々承る事あり。今度かやうかやうの仕合せにて、村々六十人余の家々の者、只愁傷に打《うち》しめりて作事も手に付き難し、所々修験巫祝《しゆげんぶしゆく》にて吉凶生死を考へもらひ、または祈禱宿願立てざる所もなし、然れども百に百吉事なし、爰にさる人居て、その許に一応考へ給はん事を教へたり、何卒明らかに告げ給はらんやう、頻りに乞ひ望む。予由来その由縁をしらずといへども、あながちに責む。予云ふ。我等曾て左様の芸術[やぶちゃん注:占いの知識とその実践力。]あるに非ず、少し易《えき》の事を聞きし事あれど、久しく筮《ぜい》せし事なければ、八卦八爻《はつけはつかう》の象《かたち》も見がたく、繫辞《けいじ》も忘れぬといへど、例の田舎人、つかうとに[やぶちゃん注:意味不明。「ひどく」の意か。]腹あしく罵れば、今は是非に及びがたく、頓《やが》て筮をして山雷《さんらい》の六爻を得たり。つくづく思ふに、山雷は順なり、順は養なり、雷は動く物なり、死物《しぶつ》なんぞ動く食を得ん、又反爻は復なり、復は陽の帰来なり、一陽衆陰をすべたるは古なり、しかれば少しも凶見えず、定めて程なく無難の告(しらせ)あるべしといふに、その人大いに力を得て、うち勇みて帰りぬ。三日ばかり過ぎて無事の便り先づ聞え、その後廿日ばかりして帰国す。様子を聞くに、其月其日難風に逢ひて、帆綱も切揖《きりかぢ》も痛みしかば、せんすべなく運に任せて風にひかれ行きしに、不思議に土佐の出崎にうち寄せられ、助け船に引寄せられ、万死に一生を得て、乗合一人も損せず、船は所々の痛みを修復して、かくの如く日数を経たり、便りすべき事もまゝならずして、おもひながらこの節《せつ》となりぬと語りければ、これ等家毎に死したりとおもひ究めしより、その

気に乗じ物の託して怪をなせしものにや。

[やぶちゃん注:「笈埃随筆」著者百井塘雨と当該書については、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』その冒頭注を参照されたい。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』㐧二期卷六・日昭和三(一九二八)年日本隨筆大成刊行会刊)所収の同作の当該部で正規表現で視認出来る。標題は『○幽霊』であるが、宵曲は初めの部分をカットしている。題を含めて十行目以降から最後までが相当する。なお、文中の易の八卦等の知識は私は全く持っていないし、興味も全くないので注さない。私は生涯、一度もお神籤をさえ引いたことのない人種である。悪しからず。

「若狭国常神村」「福井県三方三方郡三方町内」(注記は『ちくま文芸文庫』では、『上中郡若狭町内』に変更されている)「完徳寺」同地区内にはこの名の寺はない。福井県三方上中郡若狭町にある高野山真言宗宝篋山天徳寺(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)の誤りか。この寺には名水「瓜割の滝」があり、この湧水が古くからの水神信仰があったというから、話柄との親和性もある。

「但馬国小嶋村」「兵庫県下なのであるが不明」宵曲! 調べ方が足らん! 現在の兵庫県豊岡市小島だろう! 「豊岡の府」、則ち、現在の豊岡市街は南の近くにあるじゃないか! そもそも「長源寺」だって、小島に現存してるぞッツ!!!

「赤江川」現在の大淀川の河口附近での古い呼称。地名として河口の右岸に宮崎市赤江の地名が残る。「ひなたGPS」の戦前の地図に、河口の突先に『赤江港』として⚓マークが大淀川の上に記されてある。

「参宮」単にこう言った場合、江戸時代は圧倒的に伊勢参宮を指す。]

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