フライング単発 甲子夜話續篇卷四 7 御厩河岸、僧の怨靈
[やぶちゃん注:現在、作業中である柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」のために必要となったので、フライングして電子化する。句読点の変更・追加と、読み・記号・改行・段落を加えた。]
22―30
この頃のこととよ。
僧あり、御厩河岸(おんまやがし)の船渡(ふなわた)しを渡り、又、こなたの岸(きし)に遷(うつ)る。
顏色、常ならず。
船人に、何か言(いひ)て、復(ま)た向(むかひ)の岸に船を賴む。
察するに、懷中の金子を墜(おと)し、衣中にも無ければ、こなたの岸の船人の拾ひ取りたるかと、再三、往來して索(もと)むれども、獲(え)ざれば、遂に去りぬ。
良(やや)久しくありて、河中(かはなか)に、溺死人、あつて、流れ行く。
泛泛(はんぱん/はんはん)として[やぶちゃん注:浮かび漂うさま。]、かの船渡の所に著く。
視れば、嚮(さき)にさまよひし僧なり。
觀者(みるもの)思ふには、
『金子を失ひ、何か申譯なき故ありて水死せしなるべし。執念、離れず、その岸に漂著せしならん。』
と。
船人、速かに、棹を以て、中流(なかながれ)に押出(おしいだ)すに、泛々として、復(また)、故處(もとのところ)に來(きた)る。
又、其夜、更(ふけ)て、船人の舍(いへ)の戶を敲く者、あり。
開(あけ)て見れば、小坊主なるが、言ふには、
「今晝(こんひる)、金子を失ひし者あり。その金は舟子(ふなこ)の手に有るべし。」
船人曰(いはく)、
「汝、何を證として、かく、我等に問ふや。」
小坊主、渡口(わたしぐち)の水屍(すいし)を指さして、
「これ、卽ち、證なり。」
と云ふ。
船人、皆、駭(おどろ)けば、小坊主、忽(たちまち)、消(きえ)て、形、なし。
船人、
「怨靈なり。」
とて、恐れ、かの漂骸(へうがい)を、寺に送り、葬(ほふり)を厚くせし、と。
一兩日前のことなり。【于亥(ひのとゐ)八月下旬。】
■やぶちゃんの呟き
「御厩河岸の船渡し」しばしばお世話になるサイト「江戸町巡り」の「御厩河岸」によれば、『「御厩河岸の渡し」とは、台東区蔵前二丁目と墨田区本所一丁目とを結んでいた隅田川の渡し。「おんまやがしのわたし」とも。また「御厩(おうまや・おんまい)の渡し」ともいう。古くは「文珠院の渡し」ともいった。『備考』に「御米蔵の北より本所石原へ達する大川の渡し船なり。昔此辺に御厩ありしゆえの名なり。又古くは文珠院渡とも称せり。こはここより西の方なる八幡宮の別当』、『昔は文珠院と号せしゆえなり」とある』。明治七(一八七四)年、『ここに』現在の『厩橋が架設されて姿を消した。安藤広重の』「名所江戸百景」に『描かれている』とあった。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「于亥八月下旬」柴田宵曲の当該本の注に従うなら、文政十年八月下旬となる。グレゴリオ暦ではこの年の旧暦は閏六月があったため、一八二七年十月十日から二十日までの間となる。
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