譚海 卷之五 俱舍論鳳潭和尙より弘たる事
[やぶちゃん注:句読点・記号・読みを変更・追加した。標題の「弘たる」は「ひろまりたる」と訓じておく。]
○倶舍論(くしやろん)は元綠の比迄、世の中に、解し、あきらむる人、なくて有(あり)ぬるを、鳳潭(ほうたん)和尙、殊に强力(きやうりよく)の人[やぶちゃん注:努力の人。]にて、奈良の興福寺に玄奘三藏傳來の註解善本ある事をしりて、かしこに至りて寶藏を守る僧にひそかにまひなひし、倶舍の註解拜見したきよしを約して、日々白き下帷子(したかたびら)を着て寶藏に入(いり)、披見の儘に祕註をかたびらに盡く寫しとめ、月日を經て、終(つひ)にのこりなく祕本を寫(うつし)とりて、扨(さて)、板行(はんぎやう)して世に出(いだ)されける。是より、漸々(やうやう)世中(よのなか)に解する事を得て、數人(すにん)の碩學、繼(つぎ)て、興行註解を加へ弘(ひろめ)しより、倶舍の文、明らかにわかれ、今は、世の中に、倶舍の講談せぬ人もなく、每年、月々、群儀の席(せき)を重(かさぬ)る事となりぬ。かく、あまねく、人の解する事に成(なり)ぬるも、然しながら、鳳潭師の賜ものと云(いふ)べしと、ある僧のかたりぬ。賓藏の守僧は、一泉院の宮の御科(おんとが)を得て、終に死刑に處せられぬとぞ、いと悲しき事也。
[やぶちゃん注:「俱舍論」詳しくは「阿毘達磨倶舎論」(あびだつまくしゃろん)という。インドの仏教論書。原名は「アビダルマコーシャ」(Abhidharmakośa:アビダルマの蔵)。著者は世親(せしん:Vasubandhu:バスバンドゥ)。成立は四~五世紀とされる。部派仏教(小乗仏教)中、最も有力な部派であった「説一切有部」(せついっさいうぶ:単に「有部」とも呼ぶ)の教義体系を整理・発展させて集大成したものである。しかし、作者の世親は有部の教義に必ずしも従わず、根本的立場に関して、処々に「経量部」(きょうりょうぶ)、または、自己の立場から、有部の主張を批判してもいる。構成は、約六百の「頌」(じゅ:kārikā:カーリカー:韻文)と、それらに対する長行釈(じょうごうしゃく:bhāya:バーシュヤ:散文による解説)からなる。全体は九品(くほん:章)に分かれ、初めの二品で、基本的な法(ダルマ)の定義と諸相を明かし、続く三品で迷いの世界を、その後の三品で悟りの世界を、それぞれ説明し、最後にある付録的性格を持つ一品では、無我を証明する。「倶舎論」は、先行する原始仏教の思想を体系化し、後の大乗仏教にも深い影響を与えたことから、仏教学の基礎として、後世、大いに用いられた。中国では、特に法相宗(ほっそうしゅう)で研究され、本邦では、奈良時代に教学宗派である「倶舎宗」が成立し、「南都六宗」の一つに数えられた。異訳としては真諦(しんだい)の漢訳「倶舎釈論」(くしゃくろん)と、チベット語訳がある。その原本を伝えるサンスクリット語本は、一九三七年にチベットで発見され、一九六七年にインドで校訂出版されている(小学館「日本大百科全書」に拠った)。嘗つて、同論の解説書を買ったが、理解して読み終わるのに、実に一ヶ月以上もかかった。
「鳳潭」(万治二(一六五九)年~元文三(一七三八)年)は江戸中期の華厳宗の僧。「僧濬(しゅん)」・「華嶺道人」・「幻虎道人」とも称した。鳳(「芳」とも)潭は字(あざな)。江戸前期の黄檗宗の僧鉄眼(てつげん)道光に師事し、中国・インドへの渡航を企てるも果たせず、興福寺・東大寺・比叡山で諸宗を修学した。華厳宗の再興に尽力し、浄土真宗。日蓮宗を攻撃して、仏教界に新風を起こした人物として知られる。]