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2023/11/02

「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文) 「牝牛」

[やぶちゃん注:本電子化はサイトの「心朽窩新館」で偏愛する『ジュール・ルナール「博物誌」岸田国士訳(附 Jules Renard “ Histoires Naturelles ”原文+やぶちゃん補注版)』を公開している(新字新仮名戦後版)が、今回は国立国会図書館デジタルコレクションの正字正仮名のもの、戦前の岸田國士譯ジュウル・ルナアル 「博物誌」(昭一四(一九三九)年白水社刊)の画像(リンク先は当該書の標題附き扉二)を視認出来るようになったことから、それをブログ版として、新規まき直しで、零から始めることとしたものである。詳しくは初回の冒頭注を参照されたい。

 また、ボナールの画像に就いては、十六年前のそれではなく、再度、新潮文庫版のそれを、新たにOCRで読み込み、補正・清拭して用いる。注も一からやり直すこととし、原文は前回のものを調べたところ、アクサンテギュの落ちが有意に認められたので(サイト版は敢えてそのままにしておいた)、新たにフランスのサイト“TEXTES LIBRES”の電子化された同書原文のものをコピー・ペーストさせて戴くこととすることとした。

 

 

    牝 牛

 

 

 これがいい、あれがいいと、たうとう搜しあぐんで、彼女には名前をつけないでしまつた。で、彼女のことはただ「牝牛」といふ。そして、この名前が彼女には一番よく似合ふ。

 それに、そんなことはどうでもいいのだ、喰ふものさへ喰へれば!

 ところが、靑草でござれ、干草でござれ、野菜でござれ、穀物でござれ、麵麭や鹽に至るまで、なんでも喰いはうだいである。おまけに、彼女は何に限らず、いつでも二度づつ喰ふ。といふのが、つまり反芻するのである。

 私の姿を見ると、彼女は輕い小刻みな足どりで、割れた木靴を引つかけ、脚の皮膚を白靴下のやうにきゆつと穿(は)いて、早速驅け寄つて來るのである。で、その度每に、私は彼女の姿に見とれながら、かう云ふよりほかには云ふべき言葉を知らない――「さあ、おあがり!」

 然し、彼女が腹に詰め込むのは、脂肪にはならないで、みんな乳になる。一定の時刻に、彼女の乳房はいつぱいになり、眞四角になる。彼女はちつとも乳を出し惜しみしない――牛によつては出し惜しみをするやつがある――護謨のような四つの乳首から、ちよつと抑へただけで、氣前よくありつたけの乳を出してしまふ。足も動かさなければ、尻尾(しつぽ)も振らない。その代り、その大きな柔らかな舌で、樂しさうに傭い女の背中を舐めてゐる。

 獨り暮しであるにも拘らず、盛んな食慾のお蔭で、退屈するどころではない。最近に產み落した犢(こうし)のことをぼんやり想ひ出して、わが子戀しさに啼くといふやうなことさへ稀である。ただ、彼女は人の訪問を悅ぶ。額の上ににゆつと角をもち上げ、脣には一筋の涎と一本の草を垂らして舌なめずりをしながら、愛想よく迎へるのである。

 男たちは、怖(こは)いものなしだから、そのはち切れそうな腹を撫でる。女どもは、こんな大きな獸(けだもの)があんまりおとなしいので驚きながら、もう用心するのも、じやれつかないやうに用心するだけで、思ひ思ひに幸福の夢を描くのである。

 

 

 

 

 

 彼女は、私に角の間を搔いて貰ふのが好きである。私は少し後すさりをする。彼女が嬉しさうに寄つて來るからである。大きな圖體で、おとなしく、いつまでも默つてさうさせてゐるので、たうとう私は彼女の糞を踏んづけてしまふ。

 

Meusi

 

[やぶちゃん注:二節の間の五行空きはママ。本文と挿絵から、哺乳綱鯨偶蹄目反芻(ウシ)亜ウシ科ウシ亜科ウシ族ウシ属オーロックス(英語:Aurochs:家畜牛の祖先。一六二七年に世界で最後の一頭がポーランドで死に、絶滅した)亜種ウシBos primigenius taurus の品種の一つで、「ホルスタイン」(Holstein)、又は「ホルスタイン・フリーシアン」(Holstein Friesian cattle)と呼ぶ(品種名は本種を主体として今も養育しているドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州(Land Schleswig-Holstein)に因む)品種の♀。本邦では専ら乳牛としてのイメージが強いが、ヨーロッパでは肉乳両方を目的として飼育されている。本篇の長い前部は、二年先行する『ジュウル・ルナアル「ぶどう畑のぶどう作り」附 やぶちゃん補注』の中に同題の同じものがある。

 「割れた木靴」蹄(ひづめ)の換喩。

「圖體」歴史的仮名遣「づうたい」。]

 

 

 

 

LA VACHE

 

Las de chercher, on a fini par ne pas lui donner de nom. Elle s'appelle simplement “ la vache ” et c'est le nom qui lui va le mieux.

D'ailleurs, qu'importe, pourvu qu'elle mange !

Or, l'herbe fraîche, le foin sec, les légumes, le grain et même le pain et le sel, elle a tout à discrétion, et elle mange de tout, tout le temps, deux fois, puisqu'elle rumine.

Dès qu'elle m'a vu, elle accourt d'un petit pas léger, en sabots fendus, la peau bien tirée sur ses pattes comme un bas blanc, elle arrive certaine que j'apporte quelque chose qui se mange. Et l'admirant chaque fois, je ne peux que lui dire : “ Tiens, mange ! ” Mais de ce qu'elle absorbe elle fait du lait et non de la graisse. A heure fixe, elle offre son pis plein et carré.

Elle ne retient pas le lait, - il y a des vaches qui le retiennent, - généreusement, par ses quatre trayons élastiques, à peine pressés, elle vide sa fontaine. Elle ne remue ni le pied, ni la queue, mais de sa langue énorme et souple, elle s'amuse à lécher le dos de la servante.

Quoiqu'elle vive seule, l'appétit l'empêche de s'ennuyer. Il est rare qu'elle beugle de regret au souvenir vague de son dernier veau. Mais elle aime les visites, accueillante avec ses cornes relevées sur le front, et ses lèvres affriandées d'où pendent un fil d'eau et un brin d'herbe.

Les hommes, qui ne craignent rien, flattent son ventre débordant ; les femmes, étonnées qu'une si grosse bête soit si douce, ne se défient plus que de ses caresses et font des rêves de bonheur.

Elle aime que je la gratte entre les cornes. Je recule un peu, parce qu'elle s'approche de plaisir, et la bonne grosse bête se laisse faire, jusqu'à ce que j'aie mis le pied dans sa bouse.

 

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