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2023/11/23

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 始動 / 扉表紙・装幀者記載・「目次」・「鷄」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士(くにお:歴史的仮名遣「くにを」)による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。なお、これについては文化庁の著作権のQ&A等により、保護期間の過ぎた絵画作品の平面的な写真複製と見做され、それに著作権は発生しない。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。これは言っておくと、フランス語では“Points de suspension”と言い、私の好きなフランスの作家ルイ=フェルディナン・セリーヌ(Louis-Ferdinand Céline 一八九四年~一九六一年)が好んで使ったので、私は当たり前に日本語で何気なく、皆が好んで使う「……」「…」と同じくらいメジャーなものかと思っていたのだが、これ、俗に「トロン・ポワン」等と呼び、日常的に普通によく使われるわけではないらしい。所謂、繰り返しや、続く感じの代わりの他、明確な断言を暗に避けたり、意味深長な余韻の匂わせ、言い淀み、或いは不服を示唆するものとして、これ、はっきりと表現し物事を主張することを正しいとする欧米人、特に誇り高きフランス人は、平気で誰もが、平生、頻繁に使うわけでは――ない――ようなのである。また、漢字については、極力、底本の字体を使用するが、異体字の中で、Unicodeでも、表記出来ないものについては、最も近い異体字を選んでおいた。特殊な場合を除き、その異体字ついては、注記しないので、悪しからず。また、底本は子細に見ると、段落内の句点の後に、半角、時には全角、まれには全角+半角分にもなる字空けがあるが、これは植字工の誤植か、或いは、版組み上、行末の禁則処理が出来ない場合、こうした処理を施すことがあったので、無視することとした。

 各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。

 先の戦後版では、「目次」の標題の下に小さくある「にんじん」の絵をトップに掲げたが、この挿絵は、本来の初版本の表紙に添えられたものであった。そこで、今回は、パブリックド・メインの上記「Internet archive」の表紙の画像(標題の“P”が一寸欠けているが、カラー版である)をダウン・ロードして、補正せず、そのままに、この注の次に掲げておいた。

 また、戦後版では、岩波版にはない、「にんじん」とルピック夫人がベンチに座っている挿絵を、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳の「にんじん」の中表紙に当たる箇所に配されてあったものを掲げた(因みに、この本は、本当に、ホントに、懐かしい! 私が最初に出逢った「にんじん」及び「博物誌」(抄録)であったから)が、これ、幾つかの「にんじん」のフランス語版を調べてみたが、見当たらない。しかし、明らかにヴァロトンのサインがあり、絵も確かに「にんじん」の挿絵として描かれたもので間違いない。出所不明だが、これも「目次」の前に挿入することにした。

 なお、底本では、国立国会図書館によって、冒頭に『挾込』(はさみこみ)の「譯稿を終へて」と題した岸田氏の「昭和八年七月」のクレジットの文章が貼り附けてあるが、これは内容から、本作の本文の最後に電子化することとする。

 また、底本は箱と表紙があるが、箱は勿論、表紙も国立国会図書館によって補強改変されているため、見ることが出来ない。たまたまサイト「日本の古本屋」の「湧書館」の記載に箱と表紙・背・裏表紙の写真が載っているので、それでよすがを味わって頂きたい。戯画的なそれは、「目次」前の右ページによって、岡本一平の装幀になるものである。

 最後に。この小説「にんじん」はジュール・ルナール自身の実際の体験と心情に基づいたものである。臨川書店二〇一一年刊の『臨川選書』の柏木隆雄著「イメージの狩人 評伝ジュール・ルナール」の「第十章 『にんじん』の世界」の「4 子と母と」の冒頭部によれば、『ルナール自身、自分を「にんじん」と『日記』に記しているし、彼が母親や兄姉たちからもそう呼ばれて、中学校においてもそれがあだ名だった。ルナール自身の子供たち、ファンテク、バイィ』(実は小説「にんじん」はこの二人に捧げられているのである)『も父親のことを「にんじん」と呼んだ』とあるのである。

 

 

Poildecarotte1902bnf_0010

 

 

    POIL DE CAROTTE

 

                JULES RENARD

 

[やぶちゃん注:以上は扉のフランス語標題で、実際には、見開き左ページで、書名はもっと丸みを帯びた字体で、かなり右寄せに印刷されてある。

 以上の次の見開きの左ページに、ルナールの肖像写真のみがある。本書の原本刊行時は彼は満三十歳であるから、恐らくは印象から、二十代中後期の写真かと思われる。]

 

 

 ジユウル ルナアル

 岸  田  國  士   譯

 

  に ん じ ん

 

              白 水 社 版

 

[やぶちゃん注:標題扉。「にんじん」らしき子どもと、それより大きい白豚が組み合っている戯画が作・譯の下方にあり、左上方には実をつけた果樹の絵がある。而して、文字も総てが手書きである。無論、装幀の岡本一平になるものであろう。如何にも毒のある彼らしい絵ではある。私は彼の絵は嫌いだが。]

 

 

           装  幀  岡 本 一 平

 

[やぶちゃん注:先の扉を捲った見開きの右ページ中央やや下方にある装幀者の明記(活字。ややポイント落ち)。

 以下、その左ページから「目次」。リーダとページ表記はカットした。因みに、ページ表記は漢数字で、後に総てに『頁』の漢字が附されある。例えば、標題が二字の場合には、三字分が空けになっているようになっているが、総て詰めた。]

 

Ninjinhumeinoitimai

 

       目   次

 

 

鷓鴣(しやこ)

惡夢

尾籠(びろう)ながら

鶴嘴(つるはし)

獵銃

土龍(もぐら)

苜蓿(うまごやし)

湯吞

麵麭(パン)のかけら

喇叭

髮の毛

水浴び

オノリイヌ

知らん顏

アガアト

日課

盲人(めくら)

元日

行きと歸り

ペン

赤い頰つぺた

ブルタスの如く

にんじんよりルピツクへの書簡集

   並にルピツク氏よりにんじんへの返事若干

[やぶちゃん注:以上字下げ二行目は少しポイントが小さく、リーダとノンブルはない。]

小屋

名づけ親

マチルド

金庫

蝌蚪(おたまじやくし)

大事出來

獵にて

最初の鴫(しぎ)

釣針

銀貨

自分の意見

木の葉の嵐

叛旗

終局の言葉

にんじんのアルバム

 

 

     に  ん  じ  ん

 

[やぶちゃん注:中標題。印刷。以下、本文となる。]

 

 

Tori

 

 

     

 

 

 ルピツク夫人は云ふ――

 「はゝあ・・・ オノリイヌは、きつとまた鷄小舍(とりごや)の戶を閉めるのを忘れたね」

 その通りだ。窓から見ればちやんとわかるのである。向ふの、廣い中庭のずつと奧の方に、鷄小舍の小さな屋根が、暗闇の中に、戶の開(あ)いてゐる處だけ、黑く、四角く、區切つてゐる。

 「フエリツクスや、お前ちよつと行って、閉めて來るかい」

と、ルピツク夫人は、三人の子供のうち、一番上の男の子に云ふ。

 「僕あ、鷄の世話をしに此處にゐるんぢやないよ」

 蒼白い顏をした、無精で、臆病なフエリツクスが云ふ。

 「ぢや、お前は、エルネスチイヌ?」

 「あら、母さん、あたし、こわいわ」

 兄貴のフエリツクスも、姉のエルネスチイヌも、ろくろく顏さへ上げないで返事をする。二人ともテーブルに肱を突いて、殆んど額と額とをくつ附けるやうにしながら、夢中で本を讀んでゐる。

 「さうさう、なんてあたしや馬鹿なんだらう」と、ルピツク夫人は云ふ――「すつかり忘れてゐた。にんじん、お前行つて鷄小舍を閉めておいで」

 彼女は、かういふ愛稱で末つ子を呼んでゐた。――といふのは、髮の毛が赤く、顏ぢうに雀斑(そばかす)があるからである。テーブルの下で、何もせずに遊んでゐたにんじんは、突立ちあがる。そして、おどおどしながら、[やぶちゃん注:「突立ちあがる」「つきたちあがる」で「急いで立ち上がる」ことを言う語。]

 「だつて、母さん、僕だつてこわいよ」

 「なに?」と、ルピツク夫人は答へる――「大きななりをして・・・。噓だらう。さ、早く行くんですよ」

 「わかつてるわ。それや、强いつたらないのよ。まるで牡羊みたい・・・」

 姉のエルネスチイヌが云ふ。

 「こわいものなしさ、こいつは・・・。こわい人だつてないんだ」

と、これは兄貴のフエリツクスである。

 おだてられて、にんじんは反り返つた。さう云はれて、できなければ恥ぢだ。彼は怯(ひる)む心と鬪ふ。最後に、元氣をつけるために、母親は、痛いめに遭はすと云ひ出した。そこで、たうとう、

 「そんなら、明りを見せてよ」

 ルピツク夫人は、知らないよといふ恰好をする。フエリツクスは、鼻で笑つてゐる。エルネスチイヌが、それでも、可哀さうになつて、蠟燭をとり上げる。そしてにんじんを廊下のとつぱなまで送つて行く。

 「こゝで待つてゝあげるわ」

 が、彼女は、怖ぢ氣づいて、すぐ逃げ出す。風が、ぱつと來て、蠟燭の火をゆすぶり、消してしまつたからである。にんじんは、尻つぺたに力を籠め、踵(かゝと)を地べたにめり込ませて、闇の中で、ぶるぶる顫へ出す。暗いことゝ云つたら、それこそ、盲になつたとしか思へない。折々、北風が、冷たい敷布のやうにからだを包んで、どこかへ持つて行かうとする。狐か、それとも或は狼が、指の間や頰つぺたに息をふきかけるやうなことはないか。いつそ、頭を前へ突き出し、鷄小舍めがけて、いゝ加減に駈け出した方がましだ。そこには、隱れるところがあるからだ。手探りで、戶の鈞をつかむ。と、その跫音(あしおと)に愕いた鷄(とり)どもは、宿木の上で、きやあきやあ騷ぐ。にんじんは呶鳴る――[やぶちやん注:「鈞」はママ。「鈎」「鉤」(かぎ)の誤字か誤植である。「宿木」は「とまりぎ」と読む。「呶鳴る」「どなる」。]

 「やかましいな。おれだよ」

 戶を閉めて走り出す――手にも、足にも、羽根が生えたやうに。やがて、暖かな、明るいところへ歸つて來ると、息をはづませ、内心得意だ。雨と泥で重くなつた着物を、新しい輕いやつと着換へたやうだ。そこで、反り身になり、突つ立つたまゝ、昂然と笑つて見せる。みんなが褒めてくれるのを待つてゐる。危險はもう過ぎた。兩親の顏色のどこかに、心配をした跡が見えはせぬかと、それを搜してゐる。

 ところが、兄貴のフエリツクスも、姉のエルネスチイヌも、平氣で本を讀みつゞけてゐる。ルピツク夫人は落ちつき拂つた聲で、彼に云ふ――

 「にんじん、これから、每晚、お前が閉めに行きなさい」

 

[やぶちやん注:「Internet archive」の一九〇二年版の原本では、ここから。「ルピツク夫人」主人公「にんじん」の母親。本書を未読の方には、ネタばらしになるが、本作では、まるで「継子虐め」のように、彼女は本作の中で、徹頭徹尾、「にんじん」に辛く当たるが、彼女は「にんじん」の実の母である。倉田清訳の「にんじん」の最後に附された「ジュール=ルナールとその作品について」の「『にんじん』について」に(読みは中学生向けであるため、ここではカットした)、『実際にルナールが育った家庭は、両親と姉と五人家族で、『にんじん』はこの家庭をそのまま描いたものと言えます。ルナールの母は、かなり口うるさいヒステリー気味の人で、彼につらくあたったようです。それが感受性の強い子どもの心の中に深くしみこんでいったことも確かです。一生涯、この幼少のころの忘れられない不幸感と、自分の母親に対する悪感情から生みだされたのあ、この小説です』と断言されておられ、さらに、『ルナールがパリで結婚して、妻』(マリー・モルノー(Marie Morneau 一八七一年~一九三八年:結婚は一八八八年四月二十八日。恐らくは前年一八八七年の夏の旅先で彼女と邂逅したものと考えられている)『といっしょに故郷へ帰ったとき』(二人がルナール家の故郷であるシトリー=レ=ミーヌ(Chitry-les-Mines:グーグル・マップ・データ)村の父母のもとに里帰りしたのは一八八九年一月)、『母が自分の妻に示した敵意を見て、子どものころの不幸を思いだし、この小説を書き始めたのでした。ルナールは、「わたしに『にんじん』を書かせたのは、自分の妻に対する母の意地悪な態度だった。」と書いています』とあるのである。先の本書のポートレイト写真の年代を私が二十五歳辺りを上限としたのは、このことに拠る。ジュールの母アンヌ=ローザ・ルナール(Anne-Rosa Renard)夫人は、一九〇九年八月五日、家の井戸で溺死した。『事故かあるいは自殺。――ルナールは書いている《…事故だと私は思う》(八月十日、エドモン・エセー宛て書簡)』(所持する臨川書店全集の年譜より引用)。ジュール四十五歳、これに先立つ一九〇七年のカルマン・レヴィ社から刊行された、この「にんじん」は、ジュール自身の書簡によれば、一九〇八年七月六日現在で、実に八万部も売っていた――ジュール・ルナールは、母の亡くなった翌年、一九一〇年五月二十二日、亡くなった。彼は、母の亡くなった直後、「あの」思い出の両親の家を改装し、そこに住むことを心待ちにしていたのであった、が、それは遂に叶わなかったのである……

「オノリイヌ」ルナールの実姉アメリー・ルナール(Amélie Renard)がモデル。ルナールより五つ年上。

「フエリツクス」ルナールの実兄モーリス・ルナール(Maurice Renard)がモデル。成人して土木監督官となった。一九九九年臨川書店刊『ジュール・ルナール全集』第十六巻の「人名索引」に拠れば、ルナールは日記の『中で』『兄をしばしばフェリックスの名で示している』ともあった。ルナールより二つ年上。

「雀斑(そばかす)」米粒の半分の薄茶・黒茶色の色素斑が、おもに、目の周りや頬等の顔面部に多数できる色素沈着症の一種。「雀卵斑(じゃくらんはん)」とも言う。主因は遺伝的体質によるものが多く、三歳ぐらいから発症し、思春期に顕著になる。なお、体表の色素が少ない白人は紫外線に対して脆弱であり、紫外線から皮膚を守るために雀斑を形成しやすい傾向がある。「そばかす」という呼称は、ソバの実を製粉する際に出る「蕎麦殻」、則ち、「ソバのかす」が、本症の色素斑と類似していることによる症名であり、「雀斑」「雀卵斑」の方は、スズメの羽にある黒斑やスズメの卵の殻にある斑紋と類似していることからの命名である。

「兩親の顏色のどこかに、心配をした跡が見えはせぬかと、それを搜してゐる。」読む者は、この巻頭の初篇中のこの一文に着目しなくてはならない。この時、ここには、「にんじん」の父ルピック氏が無言のまま、ちゃんと、登場しているのである!

 

 

 

 

    LES POULES

 

   – Je parie, dit madame Lepic, qu’Honorine a encore oublié de fermer les poules.

   C’est vrai. On peut s’en assurer par la fenêtre. Là-bas, tout au fond de la grande cour, le petit toit aux poules découpe, dans la nuit, le carré noir de sa porte ouverte.

   – Félix, si tu allais les fermer ? dit madame Lepic à l’aîné de ses trois enfants.

   – Je ne suis pas ici pour m’occuper des poules, dit Félix, garçon pâle, indolent et poltron.

   – Et toi, Ernestine ?

   – Oh ! moi, maman, j’aurais trop peur !

   Grand frère Félix et soeur Ernestine lèvent à peine la tête pour répondre. Ils lisent, très intéressés, les coudes sur la table, presque front contre front.

   – Dieu, que je suis bête ! dit madame Lepic. Je n’y pensais plus. Poil de Carotte, va fermer les poules !

   Elle donne ce petit nom d’amour à son dernier-né, parce qu’il a les cheveux roux et la peau tachée. Poil de Carotte, qui joue à rien sous la table, se dresse et dit avec timidité :

   – Mais, maman, j’ai peur aussi, moi.

   – Comment ? répond madame Lepic, un grand gars comme toi ! c’est pour rire. Dépêchez-vous, s’il te plaît !

   – On le connaît ; il est hardi comme un bouc, dit sa soeur Ernestine.

   – Il ne craint rien ni personne, dit Félix, son grand frère.

   Ces compliments enorgueillissent Poil de Carotte, et, honteux d’en être indigne, il lutte déjà contre sa couardise. Pour l’encourager définitivement, sa mère lui promet une gifle.

   – Au moins, éclairez-moi, dit-il.

   Madame Lepic hausse les épaules, Félix sourit avec mépris. Seule pitoyable, Ernestine prend une bougie et accompagne petit frère jusqu’au bout du corridor.

   – Je t’attendrai là, dit-elle.

   Mais elle s’enfuit tout de suite, terrifiée, parce qu’un fort coup de vent fait vaciller la lumière et l’éteint.

   Poil de Carotte, les fesses collées, les talons plantés, se met à trembler dans les ténèbres. Elles sont si épaisses qu’il se croit aveugle. Parfois une rafale l’enveloppe, comme un drap glacé, pour l’emporter. Des renards, des loups même, ne lui soufflent-ils pas dans ses doigts, sur sa joue ? Le mieux est de se précipiter, au juger, vers les poules, la tête en avant, afin de trouer l’ombre. Tâtonnant, il saisit le crochet de la porte. Au bruit de ses pas, les poules effarées s’agitent en gloussant sur leur perchoir. Poil de Carotte leur crie :

   – Taisez-vous donc, c’est moi !

   Ferme la porte et se sauve, les jambes, les bras comme ailés. Quand il rentre, haletant, fier de lui, dans la chaleur et la lumière, il lui semble qu’il échange des loques pesantes de boue et de pluie contre un vêtement neuf et léger. Il sourit, se tient droit, dans son orgueil, attend les félicitations, et maintenant hors de danger, cherche sur le visage de ses parents la trace des inquiétudes qu’ils ont eues.

   Mais grand frère Félix et soeur Ernestine continuent tranquillement leur lecture, et madame Lepic lui dit, de sa voix naturelle :

   – Poil de Carotte, tu iras les fermer tous les soirs.

 

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