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2023/11/01

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「座頭の建碑」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 座頭の建碑【ざとうのけんぴ】 〔蕉斎筆記〕近世の事かとよ。能登国より官銀を持し、座頭某官職の望みありて京都へ上りけるに、加賀国の城下ヘ出て、あまり飢ゑ疲れたる故、足軽の近藤何某と云ふ者の方へ至り、飯など給(た)べ茶などもらひけるが、程なく疲れを休め出で行きぬ。亭主外より立帰り見るに、座敷の脇に金百両包みながら残り有り。不審に思ひ一家内へ尋ねけるに、何の覚えなきよし、然れども留守の内に座頭一人来り、茶請ひたるよし咄しければ、定めてその座頭の忘れ物なるべしと思ひ、包を解き見ければ、官銀百両、能登の座頭何某と書付け有り。さてはと思ひ跡より追懸けるに、漸々《やうやう》と一里あまり行き、渡し場にて追付きぬ。か様か様の訳にて取残せり、直《ぢき》に受取れといひけれども曾て請けず。その座頭いひけるは、我等年来《としごろ》辛苦して、この百両といふ金を拵へたるに、只今迄能登国を出るより、片時も忘るゝ事なく肌に付け居けるに、今日こなたの所へ行き雪隠《せつちん》へ行きしが、落せば悪《あし》しと思ひ、座敷のすみに残し置きぬ、然るに置き忘れこの渡場《わたりば》迄一向思ひ出《いだ》さぬ、誠に我に官職を授け給はぬ天道の戒めなり、さればこそそなたへ天より与へ給ふ金子なれば、

この百両そなたに進ずるなりと云ひければ、かの足軽も何しに取るべきいはれなし、それゆゑにこそこれ迄追懸け持ち来りたりと云ひて、首へ無理にかけ置き逃げ帰りぬ。さてそれより座頭は官職の望みを止《や》め、直に高野山へ行き、右百両にて結構なる五輪を居《す》ゑ、右の足軽夫婦現当《げんたう》安楽の為に、能登の座頭何某建立といふことを彫付け置きたり。その後《のち》年経て加賀様御逝去の節、高野山へも五輪御建てなされ候事にて、諸役人参り、恰好よき五輪数々見合せけふに、右の座頭の五輪を見当りけるに、加州の足軽の姓名を書きたる故、不審に思ひ加州へ帰り、その趣咄しければ、侍中《さむらひうち》御尋ね有りけるにしれず。また足軽中間《ちゆうげん》の中にその姓名有る故に、御尋ね有りけるに、曾て覚えなき由申しけるに、右の能登の座頭建ㇾ之と云ふ事を聞き、不斗《ふと》思ひ出《いだ》し、先年か様《やう》々々の事有るよし申上げければ、それに違《たが》ひ有るまじとて、奇特の仕方なりと新知百石下され、その座頭をも御取揚げ給ひしとなり。誠に不思議なる由縁《ゆかり》といふべし。<『窓のすさみ三』に同様の文章がある>

[やぶちゃん注:「蕉斎筆記」儒者で安芸広島藩重臣に仕えた小川白山(平賀蕉斎)の随筆。寛政一一(一七九九)年。国立国会図書館デジタルコレクションの「百家隨筆」第三(大正六(一九一七)国書刊行会刊)のこちら(左ページ上段の四行目以降)『寬政七卯同八辰年』(グレゴリオ暦一七九五年二月十九日から一七九七年三月八日まで)の冒頭の条で正字で視認出来る。

「座頭」当該ウィキによれば、『古来、琵琶法師には盲目の人々が多かったが』、「平家物語」を『語る職業人として鎌倉時代頃から「当道座」』(とうどうざ)『と言われる団体を形作るようになり、それは権威としても互助組織としても、彼らの座(組合)として機能した。その中で定められていた集団規則によれば、彼らは検校、別当、勾当、座頭の四つの位階に、細かくは』七十三もの『段階に分けられていたという。これらの官位段階は、当道座に属し』、『職分に励んで、申請して認められれば、一定の年月をおいて順次得ることができたが、大変に年月がかかり、一生かかっても検校まで進めないほどだった。金銀によって早期に官位を取得することもできた』。『江戸時代に入ると』、『当道座は盲人団体として幕府の公認と保護を受けるようになった。この頃には平曲は次第に下火になり、それに加え』、『地歌三味線、箏曲、胡弓等の演奏家、作曲家や、鍼灸、按摩が当道座の主要な職分となった。結果として』、『このような盲人保護政策が、江戸時代の音楽や鍼灸医学の発展の重要な要素になったと言える。また』、『座頭相撲など見せ物に就く者たちもいたり、元禄頃から官位昇格費用の取得を容易にするために高利の金貸しが公認されたので、悪辣な金融業者となる者もいた』とある。こうした買収のために貯めた座頭の金を横領し、死に至らしめた(殺人・自殺)結果、怨霊となって祟るという怪談も、私の怪奇談の中には複数ある。こうした、ほっこりした、徹頭徹尾、いい話は珍しい。

「現当」現世と来世。]

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